(08)814 『I'll Be…』



 心地よい風が、開け放した窓から吹き込んでくる。
 愛佳はカウンターの一番奥で宿題をしている。
 キッチンでは愛が里沙のためにカフェモカを淹れ
 れいなとさゆみは新メニューの討論を
 いつもの指定席では机に突っ伏して絵里と、珍しく小春が昼寝をしており
 ジュンジュンとリンリンは二人仲良く日本語の勉強を
 『新メニュー会議のため今日はお休みです。』
 掲げられたプレートが扉の前で揺れている、そんな日曜日の昼下がり。

「…あら?」

 愛佳は一瞬見えた映像に、思わず勉強の手を止めた。

「どしたん愛佳」

 里沙にカフェモカを差し出しながら、愛が問うた。



「この店、バイト募集してはります?」





 なにか、の予感がした。
 それは誰にも分からなかったけど
 新しい風が吹く予感。
 決して嫌なものではなかった。




 ・I'll Be …・





「しとらんよ。今のメンバーで十分やし、
 それにぶっちゃけ、そんな余裕ないで。」

 愛が苦笑しながら頬を掻く。

「…でもなんで?」

「一瞬やったんですけど、見えたんです。
 キッチンに誰かおって。コーヒー、淹れてる後姿」


 愛佳は思い出すように目を瞑り、
 脳内で先ほどの映像を辿った。
 時間にすれば1秒にも満たないかもしれない。
 それでもコーヒーを入れる後姿は、はっきりと思い出せる。
 いつも見ている愛の姿ではなかった。
 愛はその隣で、…里沙もいたかもしれない。
 笑っていた。とても楽しそうに。


「おかしいね。この店では絶対愛ちゃんしかコーヒー淹れないはずなのに」

 両手で大事そうにカップを持ち出来たてのカフェモカを啜る。
 愛はその姿を優しい笑顔で眺めていた。
 きっと無意識だろう、愛佳はいつもそう思う。

「やから、バイトでも募集してはるんかなって
 今まで見た中で一番短い時間やったし、もしかしたら違うかも知れへんけど。
 でも高橋さん、その人の隣で笑顔やったし…」

「ほな、嫌なことが起こるわけじゃなさそうやね」

「はい、それは確かです。その一場面しか、見えてないですけど
 嫌な予感はまったくせぇへんのです。」


「ほやったら、まぁええかー。いつ来るんやろね、その未来」

「んー、そんな遠くじゃ…あ!」

「え?」

「また見えた。すっごい懐かしそうに、笑ってはります。高橋さんと、新垣さん
 …あはっ!高橋さん、笑いながら泣いてますよ。」

「笑いながら泣いてる―――?」



 そのとき愛佳ははっきりと顔を見た。
 愛佳はまだ直接あったことのない人だったけれど
 いつか見せてもらった時の写真に写っていた人だ。間違いない。
 愛が愛おしそうな目で、それでいて酷く悲しそうな目で見ていた、あの人。




 温かい風が愛佳の髪を撫でた。
 梅雨入りしたというのに、びっくりするほどいいお天気だ。 
 『お天気がいい日曜日はイイトコがある印だよ。』
 絵里と一緒に綺麗な夕陽をみたときにこっそり教えてもらった。

 そうだ、こんなイイコトがある日曜日。
 絵里も小春も、よだれが垂れてしまうほどいい夢を見れる。
 れいなとさゆみの考案した新メニューがとんでもなく素敵な形になる
 ジュンジュンとリンリンが正しい敬語を覚える
 それから愛と里沙が、涙が出るほど幸せに。
 愛佳はそんな素敵な未来を一番に教えてあげることが出来る。



「遠くないですよ。遠くはない、未来です」



 愛と里沙に告げて、愛佳は再び宿題に取り掛かった。




「なぁんや、そうかいな。」

 悩んでいた数学の答えが分かったと同時に、店のカウベルがちりりん、と可愛い音を立てた。
 愛佳は決して顔を上げなかった。



 すみませーん、今日はおやす―――――……



 その時の2人の顔はもう既に知っていたから。




















最終更新:2012年11月24日 13:58