(08)769 『ももいろふうせんふわり』



最近さゆみは忙しいらしい。
つい忘れがちになるが、まだれっきとした学生の身分の彼女。
ロンブンとかいうのを書かなくては単位が貰えないらしく、
一番最後に会った日は、目の下に大きな茶グマを飼っていたのを思い出す。

「あーあ、つまんないの・・・」

自室のベッドの上でごろんごろん寝返りをうつ絵里。
手には鳴らない携帯電話を握りしめ。

「さゆの薄情ものー」

絵里にとって最後に会った日、というのは制服ができたと連絡を受け、
フィッティングとミーティングのため集合したあの日以来である。

メールを送っても、返ってくるのは早くて1日後。
それも、顔文字も絵文字もなく、用件のみが羅列したもので。
電話をかけても常に留守電か電源が入っておりませんという機械音声がかえってくるのみ。



「つまんなーい・・・」

これほどまでにさゆみと意思疎通ができない程に離れたことがない絵里にとって、
さゆみの存在はどれほど大きかったのかと再確認させられる事実に苦笑いが漏れる。

      • 独り言をこれ以上していたらただの危ない人になりそうだ。

それに、このままうだうだしていても仕方がない。

気分転換に散歩でもしてこよう。
天気もいいことだし。

そう結論付けた絵里は、愛用のカバンを肩にかけ、日除けのキャップを被り、
お気に入りの公園へ足を向ける。

6月の空はどこまでも澄み切っていて、絵里のお気に入りの季節だ。
今日は天気も良く、なかでも雲の白色が青色のキャンバスに美しく映え、絵里は何となく幸せな気分になる。


もうすぐ夏だな、今年はさゆと何所へ行こうかな。
      • いけない、またさゆのコト考えてる。

今日の絵里ちゃんはすこーし、ご機嫌ななめなんですよーだ。
悪いのは構ってくれないさゆ。
キレイな景色で一度上がった気分はまた下降中。

到着した公園は、家族連れが数組居るだけで、正しく平和な風景だった。
この世界のどこかで起こっている争いとは無縁のようなその場所。

絵里は木陰に据え置かれたベンチに腰掛け、ただそれを眺めるのが好きだった。
その時だけはダークネスのことも、己の病気のことも、全て忘れてしまえるから。

ただ今日に限っては「さゆみがそっけない」というのを忘れてしまいたかった。



公園の広場にはどこかで配っていたのだろう、紐を結えた風船を持って走り回る子供。
何となく眺めていると石にけつまづいたのか、ふとした拍子に手を放してしまう。

飛ばされてどんどん上にあがっていく風船。

「あーーっ!!僕の風船ーー!!」

今にも泣きべそをかきそうな子供。
思わず絵里の体はそちらに駆け出していた。

(風さん、下降気流を作って、風船をこっちに!)

ふわりふわりと浮きあがる赤い風船。
それがぴたりと止まり、さらには見えない糸が付いているかのように下に引き寄せられた。

子供の目には、走ってきた絵里がジャンプをすると同時に
その手には紐がしっかりと握られていたかのように見えただろう。
そう、それは例えるならば困った時に現れるヒーローのように。

絵里は同じ目線で話すため、しゃがんで手渡す。

「はい、大切なものは離しちゃだめよ?」
「お姉ちゃん、ありがとう!」

きらきらとヒーローを見るような男の子の瞳。
その返事に満足した絵里は頭を撫でてあげた。




「気をつけてねーっ」

今度はしっかり握りしめて、駈けていく子供の後姿。
お母さんがぺこぺこ頭を下げているので、軽く会釈をしておく。

絵里は元いたベンチへ戻り、再度腰を落ち着かせる。
あぁ、こういうのも平和だなぁ。
子供の笑顔っていいなぁ。
守っていかないとね、絵里たちオトナが。




ヒュゥ、と絵里が起こしたものではない自然な風が起こる。

すると風に乗って。

それはいつ起こしたかすら忘れてしまったような
さゆみ癒しの力である光の胞子が漂う。

思わず手を伸ばし、手の中に捕まえるとそこから
さゆみの優しさが染み込んでいくような錯覚を絵里は覚える。

それは真夏の夜の蛍のように幻想的で、夕暮れに差し掛かる公園に酷く映えた。

ただ惜しむらくは、絵里にしか見えない景色だということだが。


久しぶりのさゆみの全てを包み込む優しさに触れた気がして、絵里は今日の自分の思考を反省したくなった。
さゆみだってさゆみの生活があるのに、押しつけてばかりだった自分。

さっき、男の子に言ったことを思い出す。

「大事なものは離しちゃだめよ」



絵里にとって大事なもの、そんなの決まってる。
一時のイライラのせいで、見失っていたけれど。


携帯を取り出す。
メールの送信相手はもちろんさゆみ。



  さゆ、勉強がんばってね
  あ、返事はいらないから!
  そんな暇があったら早くロンブン仕上げて会いに来てよね
  絵里寂しいけど、待ってるから。



茜色の空を改めて眺める。

今度会った時は、ちゃんと笑顔で話せるように。
オレンジ色の夕陽の中、ほわほわと舞う桃色の光をしっかりと心に焼き付けた。




















最終更新:2012年11月24日 13:55