(08)750 『RとR(3)』



「特訓?」

喫茶リゾナントの店番をしていた少女が、頓狂な声をあげた。

「悪いんだけどさ、田中っちちょっと付き合ってくんないかな?」
「うん、いいっちゃけど…」
「だって、田中っちが一番強いじゃない?ケンカ」

事実、強い。




「ガキさん急にどうしたっちゃろか」

どういう心境の変化だろう。
トレーニングルームの床を真新しいスニーカーでコツコツと叩きながら、
猫目の少女は里沙を見つめていた。
専ら年少の仲間の指導役に徹していた里沙と、格闘戦の中核を担っていた田中れいなが
手合わせをしたことは意外なほど少ない。
――やれば、勝つ。この自信は決して驕りではないと、彼女は思っている。

ばらり

その音でれいなは思索を切った。見ると、床にロープが撒かれている。
端は、無造作に里沙の手のひらの中に納まっていた。

「ロープ?」
「さあ田中っちぃ、どっからでもかかっておいで」

語尾を伸ばした妙に軽い調子で里沙は言った。
その声に余裕の匂いを嗅ぎ取った勝気な少女は、自分の心が泡立つのにも構わずに
ステップを踏んだ。

「いきなり本気で行くけんね」


きゅっ、きゅっ、と小気味良く距離をつめる。敏捷な動きだ。
里沙は厚めの唇をわずかに開いて、ふうっと息を吐いた。
するとロープがくるくると動き出し、
まるで意思を持ったかのように里沙の周りを漂いだす。

――!?

一瞬の動揺を噛み殺し、猫に似た容貌を持つ少女はジグザグに動いて里沙をかく乱する。

ゆらり、きゅっ、右。ゆらり、きゅっ、左。
きゅっ、ゆらり、右。きゅっ、ゆらり、左。
ゆらり、きゅっ、右。ゆらり、きゅっ、後ろ!

「シィ!」

れいなは里沙の側頭部へ蹴りを放った。
鋭い。
当たれば容易に意識を刈り取れるであろう。
が、彼女の右足はその目的を果たす前にロープに絡めとられた。

「え?」

バランスを失った肉体はその場に尻餅をつく。
里沙はれいなに向き直ってその額をこつり、と叩いた。

「どうだ、まいったか」

カラテのポーズをとっておどけてみせる里沙。
れいなはきょとんとした表情で里沙の顔と、足に巻きつけられたロープとを交互に見つめていた。



「なん…今の」
「私の新必殺技」

意識の触手の応用である。物質に意思を込め、操り、一種の結界とし、境界を侵すものを
捕らえ、動きを封じる。
なかなかに器用さと集中力を要求される技で、弛まぬ日々の修練がそれを可能にした。
里沙のくそまじめな努力の賜物――といっていい。


――負けた。というのがショックだったのだろうか
猫目の少女はじっと、床を見つめている。

「まあね、今のは不意打ちみたいなもんだったし、相性とかだってあるわけじゃない?」

己の五体をもってたたかう彼女にとっては極めて分が悪いだろう。

「ガキさん」
「何?」
「今の技、何ていうと?」
「技の、名前?いや別に決めてないけど」
「じゃあさ、れいなが名前つけてよか?」

張りのある九州弁が飛んできた。
――何だ、名前を考えてたのか

「じゃあ、カッコいい名前つけてよ田中っち」
「んーとねえ、まるでロープがガキさんを守るお城みたいやったけんねえ・・・ロープ城!」
「なにそれぇえ、まんまじゃーん!」


結局、それに決まった。




―――――風が凪いだ。日も沈みつつある。

黒衣の粛清人の乾いた靴の音が廃ビルに響く。
里沙は、粛清人の瞳を見据えたまま、体を起こした。
多少足元がふらつくが、まだ、まだやれる。

「ふーん結構タフじゃない、アンタ」

「ちょっとお腹を撫でられたくらいで、やられるわけないでしょーが」
「じゃあ次は、どこを撫でてあげようか?」

癇の強い瞳で、女豹は里沙を睨みつけた。
里沙は唇をわずかに開き、ふうっと息を吐く。
袖口から伸びた鋼線が、己の意思を持ったかのように里沙の周りに漂い、きらきらと沈みかけの太陽を反射する。



―田中れいな命名の「ロープ城」
これを、鋼線でやる。
敵を絡めとるだけでは済まない。絡みついて、切り裂く。
鋼線は肉を裂き、骨に達するだろう。決して、仲間には使えない技だ。


粛清人は目の前の状況にまるで興味がないかのように里沙に跳びかかり、右ストレートを繰り出した。


―来た!
鋼線が絡みつく―
―くらえ
切り裂け!―


Rはそのまま、力任せに里沙の細いあごに一撃を加える。
一瞬、里沙は自分の身に何が起こったのか理解できなかった。

ぐらぐらと視界がゆれる。
何故?
膝ががくがくする――
何で?



「そういやアンタ、私の能力知らなかったわね。これよ」

黒衣の女は右腕を見せつける。
里沙は一瞬、呼吸を忘れた。
無いのである。傷が、かすり傷ひとつ、ついていない。
馬鹿な、そんな馬鹿な話があるか。

「私の能力は鋼質化。私の肉体は鋼鉄並みに硬くなるのよ」

女はニヤリと口の端を吊り上げた。

―――鉄の精神と鉄の肉体
まさに、鉄の女―――


里沙の瞳に恐怖の色が浮かぶ。


















最終更新:2012年11月24日 13:53