(08)248 『Healing Winds』



梅雨晴れのすがすがしい朝に、突然散歩に行こうと言い出したのは絵里だった。
いつもならば天気など関係なく、部屋の中でぽけぽけしているのが絵里なのに。
買い物や遊園地に行くのならば、絵里も勝手についてくることはある。
でもまさか、散歩に自分から誘うなんて。
さゆみもれいなも、絵里の提案に驚いた顔はきっと人に見せられない。
目が点になって、口があんぐり開いて。
それだけ、思いがけない発言だった。

「絵里ちゃんは調子がいいんですよぅ」

くねくねと身体を揺らしてうへへと笑う姿は確かにいつも通りの絵里で、
ダークネスに頭でもやられておかしくなったんじゃないかと一瞬思ったさゆみとしては、
どうやらそうではないらしいということがわかって、なぜか少しだけ安心した。

「早く行こうよーぅ」

わがまま、むしろこんなことに積極的な絵里の様子にさゆみたちはただただあっけにとられていたけど、
隣で信じられんという顔をしているれいなと目が合うと、お互いに困ったように頷きあった。

確かに、ここのところ絵里の調子は良かった。
少し前のように、発作に苦しんだりすることも少なくなったような気がする。
病院にいる時間も、短くなってきていた。


一人、ルンルンるんるんスキップしながらどんどん進む絵里の背中を、
さゆみとれいなはそれでも半信半疑のままに追いかけていた。

「…絵里、どーしたっちゃろね?」

それはさゆみのはてなマークと100%一致していて、ただ首をかしげるしかなかった。
理由や目的地は、まだ教えてくれなかった。着いたら言うからと何となく誤魔化されていた。
普通だったらそんなアヤシイ誘いに乗って着いていくこともないんだけど、
とにかく、いつになく絵里がものすごく楽しそうだった。
おもしろいモノを見つけて、待ちきれないという無邪気な表情。
こんな絵里の表情って珍しいかもしれない。
だからさゆみたちも、ついて行ってみようと思えた。

喫茶「リゾナント」のある街を抜け、隣の町が見渡せる丘までやってきた。
正直、かなり歩いた。ねぇ、さゆみが運動苦手なの知ってるよね? 息が上がるんですけど。
その点、れいなはうらやましい。丘の上までダッシュしてる。ありえない。
絵里はといえば…、一歩一歩着実に、この丘を登っていた。
なぜか負けちゃいけないな、と思って、さゆみも一歩一歩丘を登り始めた。

「ふあ~、着いた~っ!」

てっぺんで芝生の上に大の字になって寝転がる絵里は、とても満足そうだった。
さゆみはその隣に腰掛けて、さゆみたちの住む街とは違う隣町を眺めていた。

「あんなにマンションとかビルばっかりの街だったとね」
「ね。すぐ近くの街なのに全然気づかなかった」

れいなも同じことを思っていたようで、さゆみの考えと似たような感想を口にする。
隣町へは買い物に行ったり遊びに行ったりはするけど、景色として見ることはなかった。
自分たちが思っているよりも隣町はよっぽど都会で、
さゆみたちの住む街は思ったよりもかなりのどかな街だった。


さーっと風が吹いて、さゆみの髪を揺らした。

「わー、涼しいっ」

必死になって丘を登ったから、額の汗がまだ引いていなかった。
断続的だった風がだんだんと途切れることなく吹き続けて、やがてさゆみの汗はすっかり引いた。

「うへへー、さゆ、涼しくなった?」

いたずらっぽく笑うこの人が犯人。努力を重ねて身につけた、風を操る能力。
別にね、絵里にだってれっきとした素晴らしい能力があるんだから、無理することはないって思ってた。
だけどそれがどうも許せなかったらしくて、みんなを助けたいって、必死に練習していた。
風を操る。自然を操る。それはひどく壮大なのに、絵里はこうして風と仲良くなっている。
時には相手を吹き飛ばす突風を吹かしたりダメージを与えるかまいたちを起こすこともできれば、
さっきのようにこうして、穏やかな風を呼び出すこともできる。

「絵里は扇風機みたいだね」

さゆみはお礼の気持ちを込めて言ったつもりなのに、絵里はものすごい不機嫌になった。
れいなはそんなさゆみたちのやりとりを見て、芝生の上を転がるほどに爆笑していた。

…そんなひどいこと言ったかな?



「絵里はね」

絵里は身体を起こして、それから空を見上げた。

「ちょっと思いついたことがあってね」

さゆみとれいなも、つられて空を見上げた。
白い雲がところどころに浮かぶ、真っ青な空。
夏が近いんだなぁと、何となく思った。

「ね、手貸して?
 れーなが真ん中で、わたしとさゆは右と左で」

言われたとおりに手をつないだら絵里はまた芝生に寝転がったから、さゆみたちもマネしてみた。
青い空が、さっきまでよりもたくさん目に入ってくる。
絵里が両手を空に向けて伸ばすから、一緒に3人でバンザイするみたいな不思議な体勢になった。

絵里が思いついたこと。
それは、きっとさゆみもれいなも、愛ちゃんやガキさんでさえ考えつかない、
だけど絵里とさゆみとれいなだからできる、そんな一大プロジェクト。




「れーなと手をつないでさ」

それはきっと、れいなの能力を使うってことを指していて、

「さゆの癒しの力をさ」

力を発動したれいなの、少しだけあったかくなった手を強く握りしめて、
言われたとおりに治癒能力を発動させる準備をした。

「絵里が起こす、風に乗っけることができたらさ―――」

肌を撫でる優しい風が、空に向かって巻き起こる。
さゆみは、静かに力を解放した。

「―――世界の人たちに、幸せ届けることってできないかなぁって」



たぶんさゆみたちのような能力者にしか見えない、淡いピンク色の光が空に浮かんでいた。
それはれいなの力で増幅されたさゆみの癒しの力で、
絵里の考えが現実に起こるのならば、癒し以上の何か強い能力を持った光ということになる。

絵里はひとつ深呼吸をすると、また風を作り出した。
その風は光を細かく分散させて、四方八方へと散っていく。

さゆみはその様子をぼんやりと見つめていた。
能力と呼ばれるモノを持っているさゆみがこんなことを思うのはおかしいと思うけど、
その様子はただただ非現実的で、さゆみにはまったく想像の付かないことだったから。


「…すごいっちゃよ…絵里…」

れいなは、自分の手のひらをまじまじと見つめていた。
彼女の力は自分自身が形作るものではないので、共鳴する人によってその効力が変わる。

「こんなやり方もあるっちゃね?」

過去にない方法でれいなの能力が発揮されて、本人も驚いているらしかった。
だけどれいなも何だか楽しそうな笑顔だったから、さゆみは嬉しくなった。
絵里は、小さな竜巻を作って遊びながら話してくれた。

「病院でね」

 絵里よりももっとひどい病気の人とたくさんいて
 ニュースを見れば世界中にはやっぱり大変な人がたくさんいて
 絵里も病気持ってるけどまだみんなが一緒にいるから幸せだなって
 それなら何かできないかなって 絵里にできることはないかなって
 そしたら2人の顔がパッと思い浮かんだから
 3人で力を合わせたら、きっと何かできるんじゃないかなって思ったから

さゆみが持っている能力は、対象となる相手の外傷を消す能力。
「癒しの力」と呼ばれてはいたけれど、ケガを治すことしか頭になかった。
それを、まさか「心も癒す」ことに昇華しようとするなんて。

当然、今のさゆみにはそんな能力はない。
でも、絵里の言うとおり…3人の力を合わせたなら、もしかしたら。
淡いあの光が、いつかもっと強くなって、本当に世界中に届いたら…


「さゆみたちならできる気がする!」

さゆみは勢いよく立ち上がって、遠く向こうの空を見た。
遠い遠い地平線の向こう、海の向こう、見たことも聞いたこともない外の国。
昔のさゆみたちみたいに、いやきっとそれ以上に孤独を感じてる人がたくさんいる。
傷ついた人も、苦しんでる人も、たくさんたくさんいるんだと思う。

「れーなも戦うだけやなくて、こうやって誰かを守ることができるっちゃね」

れいなの目は子供のようにキラキラ輝いていた。
さゆみは、早くこの素敵な考えを何度も何度も実行したくてウズウズしていた。
きっと、れいなも同じような考えなんだと思う。
両手をグーパーグーパーさせて空に向けて、準備しているれいなはちょっとかわいらしい。

絵里はすごく穏やかに微笑みながら、そんなれいなを見つめていた。
正直、さゆみが見ても適当一番のぽけぽけぷぅなのに。
面倒なことは後回しにしてあとで大変なことになってるのが絵里なのに。

誰にも考えつかないようなことを思いつくことがある。
それはさゆみたちを心からがっかりさせるようなものであることがほとんどなんだけど、
こうして、本当に夢のたくさん詰まった輝きを見せることがある。

「だから絵里のことって憎めないんだよなぁ」
「絵里ちゃんはいつもみんなのアイドルですよー?」

さゆみは、盛大にため息をつくしかなかった。
それなのになぜか嬉しくて、笑顔が消えることはなかった。



「明日からはさぁ」

ぽけぽけと笑いながら絵里が切り出す。

「3人揃った時はリゾナントの2階のベランダとか、
 どこか出掛けた時は見晴らしのいい場所からとか、
 そういうところで続けてやってみようよ」
「おー! 賛成! 絵里たまにはいいこと言うけん!!!」
「でしょー! 絵里だってやる時はやるんですよぅ」

さゆみは楽しそうにはしゃぐ間に割り込んで、2人と腕を組んだ。

「ぜーったいにみんなの力で、世界中の人々に笑顔を届けようね!!」
「「「おーっ!!」」」

3人で拳を突き上げた空はまだ真っ青で、雲はひとつ残らずなくなっていた。


あれから、さゆみたちの集合場所はいつもリゾナントのベランダ。
3人で手をつないで、ピンク色の優しい光を空へ届ける。
細かく光り輝いて散っていくこの力は、今日はどこに届くんだろう?

今日も絵里の調子は良さそうだった。
れいなのリゾナント・アンプリファイアがあるとはいえ、ほとんど毎日の能力行使。
絵里の身体には本当はキツいはずなのに、前よりももっと元気になったような気がする。
新しい計画を絵里自身が本当に楽しんでいるのがその理由なのかもしれない。


「わたしたちがこうやってずーっとずーっと祈り続けてさぁ、
 想いが届いて、笑顔になれたって人が、一人でもいたら嬉しいよね」

初夏の日差しに照らされた絵里の笑顔は、とてもまぶしく見えた。























最終更新:2012年11月24日 11:10
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