(07)449 『蒼の共鳴-打ち砕かれた思い、悲しい決意-』



今日も喫茶リゾナントは賑やかであった。
店の奥のテーブルに座る二人の女の子―――“亀井絵里”と“道重さゆみ”はリゾナントの新メニューについて話し合っていた。
そして、二人のテーブルの隣には学校帰りの愛佳と小春がれいなと一緒に、チョコレートを摘みながら和やかに談笑している。

カウンターでは、愛が里沙へと試作品を食べさせている。
里沙がその試作品に対していい点と悪い点を愛に伝え、愛はそれを事細かにメモしていた。
“ジュンジュン”はバナナ切れたバナナないと生きていけナイと言いながら、先程バナナを求めて表へ出て行っていた。

いつもと変わらない、当たり前の光景だった。
それなのに、何故か感じるのは―――奇妙な違和感。

“リンリン”はその違和感を解消するべく、何がそれをもたらしているのか原因を探り始めた。


(うーん、亀井サンも道重サンもいつもと変わらないネ。
田中サンも光井さんも久住さんも普通に見えル。
ジュンジュンはいつもと変わったトコロなんてなかったし、高橋サンも新垣サンも…アレ?)


ふと、リンリンは視線をある一点で止めた。
その視線の先には、これちょっと塩多いんじゃないと言ってしかめっ面をした里沙がいた。
コミカルな表情をよく表に出す印象がある里沙だが、リンリンは何故かその表情に違和感を覚えずにはいられなかった。


(目が笑ってナイ?)


注意深く観察を続けると、その疑問は確信へと変わった。
近くで見たらおそらく気付かない、それくらい里沙の表情は“完璧”なものであった。
だが、その瞳の奥にある光は翳っているようにしか見えなかった。


(組織で受けてきた教育モ、少しは役に立つものダネ)


リンリンは幼い頃から、中国の能力者組織の元で様々な訓練を受けて育ってきた。
“発火能力-パイロキネシス-”や“念動力-サイコキネシス-”が得意な能力であるため、訓練の中心は戦闘訓練であった。
だが、それ以外にも勿論訓練や教育を受けている。
その一つに―――密偵訓練があった。

密偵―――すなわち、スパイとして敵対組織に乗り込むこともある、その時に自分が成さねばならぬことはただ一つであった。
それは、どんな些細な変化でも見逃さずに組織に報告をあげるということである。

完璧なスパイとして任務を完全に遂行できるように、リンリンは演技の勉強も積み重ねてきた。
スパイであることがバレないための完璧な演技、そしてどんな些細な変化も見逃さない観察眼の二つは…いずれ役に立つ可能性があるスキルだった。
幼い頃から積み上げてきた経験がなければ、おそらくこの違和感に気付くことは無かっただろう。

攻撃能力に長けながら、尚かつこういったスキルも有するリンリン。
実は、リゾナンター最年少の小春、愛佳とはたった一学年しか年齢は変わらなかった。
だが、生まれ育った環境がリンリンを年齢にそぐわない落ち着きを備えた人間へと成長させたのである。

普段は面白くないギャグをたまに皆に披露するが、年齢の割にしっかり者という立場を“演じている”リンリン。
だが、実際のリンリンは誰よりも鋭く皆を観察し、何かあれば臨機応変に対応できるだけの冷静さを持っていた。
最も、その顔を表に出す必要のないくらい愛と里沙がしっかりしている。
そのおかげで、リンリンは年相応の自分で居られたのであった。


「何ぼーっとシテるだ、リンリン?」

「アー、ジュンジュン帰ってキてたのですネ、気付かなくてごめんなサイ」


いつの間にか、リンリンの隣にはバナナを両腕一杯に抱えたジュンジュンが立っていた。
尋常ではない量のバナナの山に思わず吐き気がしてきたものの、リンリンは笑顔を絶やさない。
ジュンジュンの有する能力の一つ“獣化-メタモルフォシス・トゥ・ビースト-”は精神力だけでなく、
体力も激しく消耗する能力であるため、普段からエネルギーを蓄えておく必要があった。

エネルギーを蓄えるために、沢山食べる必要があるのはリンリンも他のメンバーも聞いている話である。
なので、今更その量を一人で食べるのかという無粋なツッコミを入れることはない。
ジュンジュンはリンリンの顔を覗き込んで、眉を顰める。


「リンリン、疲れてるのカ?
よかったら、このバナナあげルから今日はうちでゆっくりするとイイよ」

「ありがと、ジュンジュン、そうすることにするヨ。
皆さん、今日はリンリン帰りまスー」


ジュンジュンから手渡されたバナナを片手に、リンリンは皆へ大きく手を振った。
皆からのまたねー、おやすみーと言う声を聞きながら、リンリンは一人リゾナントを後にする。
唯一、ジュンジュンだけがリンリンの微妙な変化に気付いたものの―――何も声をかけることはなかった。

リンリンの瞳に宿る静かな光を知る者はいない。


(つい最近マデの新垣サンは普通だったようナ気がするけど。
いつからあんな目をしてイタ?)


かつて所属していた中国の組織から提供されたマンションへと歩きながら、リンリンは記憶を辿っていく。
リゾナンター随一の頭脳を誇る愛佳程ではないが、リンリンもそれなりに記憶力には自信があった。

だが、一日一日と記憶を辿っていく作業は地味で苦痛を伴うものだった。
特に、ここ数日はダークネスの人間と交戦することもなく、いたって平穏そのものな日々だった。
他愛のないことを話し、皆で笑い合う日常が続くことはとてもいいことではあるのだが。


(そう言えば、新垣サンは4日前に出張から戻ってきたけド、それと関係ありそうネ)


出張に行くと言って、里沙が一週間ほど不在だったことをリンリンは思い出した。
当初は三日間と聞いていたが、二日目の夜、愛の携帯にもう少し滞在することになったというPCメールが届いたのだった。

その時の皆が何とも言えない顔になっていたことを思い出し、リンリンは思わず苦笑する。

見ているこっちまで落ち込んでしまいそうなくらい、落ちこんだ表情を全面に出した愛。
つまらなさそうに、しょうがないよねと呟いて黙り込んださゆみ。
ガキさんいないとやる気でないなんて言いながら、テーブルに突っ伏した絵里。
目に見える表情の変化こそなかったものの、瞳の奥が寂しそうに揺らいでいたれいな。

新垣さんいないとしまんない、とむくれた表情で繰り返した小春。
小春の言葉に苦笑いしながら頷いていた愛佳。

寂しいネと呟くジュンジュンに、そうだネと返事を返したことを思い出す。
里沙の存在の大きさは、いなくなって初めて気付くものだった。

里沙が出張から戻ってきた時の皆のはしゃぎように、里沙はリゾナンターにとってなくてはならない人だと改めて思った。
そんな里沙が何故か暗い光を瞳に宿しているということはあまり、否、寧ろとても好ましくない事態である。

そこまで考えて、リンリンは大きな溜息をついた。

自分の考えが当たっていたとして、それが一体どうしたというのだろうか。
少なくとも、里沙は周りの皆に心配をかけないように振る舞っていた。
里沙の様子がおかしいことに気付いたのは、おそらく自分だけである。

里沙が皆に心配をかけないように振る舞っている以上、その振る舞いに自分は騙されるべきではないのか。
リンリンの脳裏に浮かんだ、里沙の“完璧”な作り笑顔。


(やっぱり、あんな笑顔の新垣サンは見たくナイ。
…そうダ、新垣サンを気晴らしに遊園地にでも連れて行クのはどうダろう?
皆で一緒に楽しク遊べば、きっと新垣サンもいつもの笑顔取り戻しテくれるハズ)


以前、愛はこう言っていた。
里沙は遊園地が大好きなのだと。
大好きな遊園地に行けば、少しは里沙の気も晴れるに違いない。

いつ行くかは愛に相談する必要があるが、きっと皆も賛成してくれるだろう。
中国にいた時にも仲間と呼べる存在がいなかったわけではない。
だが、リンリンにとってリゾナンターは最早家族にも等しい存在であった。

楽しいことも辛いことも皆で分かち合い、共にこの街で生きていきたいといつも願っている。
皆が笑顔になれるであろう案を思いついたことに、リンリンは年相応の無邪気な笑顔を見せた。


「リンリン、今日もバッチリデース!」


帰り道の途中だというのに、思わず口癖になっている言葉を発したその時だった。
辺りに闇の気配が満ち、リンリンは一瞬で外界から隔離された空間へと取り込まれる。

空間内は今までにも何度か対峙してきた、ダークネスの能力者が放つ暗く深い闇の力が充満していた。
リンリンはスッと表情を消して辺りを見渡しながら、この空間を作り出した相手の気配を探る。


「何がバッチリなのかな、リンリンちゃん?」


背後から声が聞こえた瞬間、リンリンは素早く左へと横転した。
刹那、リンリンが立っていた場所に生まれる―――鋭い刃で何度も斬りつけたかのような複数の傷跡。
素早く体勢を立て直し、リンリンは声が聞こえた方へと向き直った。

そこには、黒のボンテージスーツに身を包んだ褐色の肌の女性が立っていた。
しなやかな肢体を惜しげもなく晒すような服装に、リンリンは反射的にこいつ嫌いと思わざるを得なかった。
女性は悠然とした足取りで、数歩リンリンの方へと歩み寄ってくる。


「何がバッチリでも、お前にハ関係のなイことだ。
用件を聞こウか、こノ露出狂が」

「せっかちなのね、リンリンちゃん。そのうえ、好戦的だなんて…まぁいいわ。
今日の用事はリンリンちゃんの実力を把握しにきたってことで。
…まぁ、でもその最中にリンリンちゃん死んじゃうかもしれないけどー、それは勘弁してね」


ニヤリ、と薄気味悪い微笑みを浮かべて女性はそのしなやかな獣を思わせる体から闇色のオーラを放った。
そのオーラに呼応するが如く、リンリンもまたその身から深い緑のオーラを全身から立ち上らせる。
何処までもリンリンは無表情だったが、その大きな瞳には鋭い光が宿っていた。

軽く息を吐くと、リンリンは相手のペースに乗せられることのない様に感情をセーブする。
物心付いた頃から訓練を積み重ねてきたリンリンにとって、感情をセーブすることは造作もないことであった。

先に仕掛けたのは、女性だった。


「んじゃ、まずは軽く体を温めようか」


軽い口調とは裏腹に、当たれば行動不能に陥りかねない闇色の“念動波”が女性の手から次々と放たれる。
常人であれば避けることは不可能な速度で飛んでくる念動波を、リンリンは舞うように避けていった。
舞の如き美しさを感じさせながらもその動きに一切の無駄はなく、それでいて機械的ですらあった。

予め、念動波がどんな軌道を描いて飛んでくるかが分かっているかのように、リンリンは全ての攻撃を軽やかなステップで避け続けた。
休む間を与えずに放たれる念動波を避けながら、リンリンは相手の力を探る。

どの程度の能力者なのか、また、自分一人だけで撃退することが可能だろうか。
場合によっては“共鳴”で助けを呼べばいいと判断したリンリンは、避けるのを止めて女性の方に手を翳した。

その瞬間、緑色の念動波がリンリンの手から放たれた。
次々に飛んでくる闇色の念動波は、リンリンの放つ念動波によって相殺されていく。


「ふぅん、なかなかやるじゃない。
あいつの報告書だと、警戒レベルはBランクくらいだったのに。
…少し真面目に相手する必要があるようね」


女性はそう言って、表情を消した。
刹那、今までとは比べものにならない念動波がリンリンに向かって放たれた。


(速イ!)


大きさ、速度共に今まで放たれていたものとは異なる、強い念動波。
リンリンは自らの念動波で相殺するのを諦め、素早く右へと横転した。
リンリンの身の丈程はありそうな傷跡が先程まで立っていた場所に生まれ、その威力の高さを視覚的に教えてくれた。

体勢を立て直す暇を与えることなく、次々と飛んでくる念動波。
避けることが出来ないと判断したリンリンは、その場で対応することを選択した。


「消失!!!」


リンリンが吠えると同時に、先程よりも威力の大きな念動波が次々とリンリンから放たれ、相手のそれを相殺した。
瞬間的に大きな力を放ったリンリンは、肩を上下させながらゆっくりと立ち上がる。
緩慢と言ってもいい動作であったが、リンリンの瞳に宿る光は戦闘開始時よりも鋭く光り、
視線だけで人を殺せるならば殺せてしまうであろう冷たさを伴っていた。

だが、視線こそ鋭いものの…リンリンはとても落ち着いていた。
女性の方に手を翳し、いつでも迎撃可能な状態を維持しながらリンリンは口を開く。


「お前…報告書と言ったナ。
どういうコトなのか、説明してもらうゾ。」

「リンリンちゃん、随分余裕じゃない。
戦闘中なのに相手の話をしっかり聞いてるなんて本当、私もなめられたもんね。
どういうことなのかなんて、そんな分かりきったことを聞いてどうするの?」

「知りたイから聞く、それだけのコト。
答えないなら、答える気にさせるだケ」


リンリンの鋭い眼差しに臆することなく、女性はじっとリンリンを見つめ返した。
嬉々とした光を瞳に宿らせ、ともすれば笑い出しそうな気配を放つ女性をリンリンは睨み返す。
何も言おうとはせず、ただニヤニヤと笑う女性の態度に痺れを切らしたリンリンが攻撃に移ろうと集中開始したその時だった。
女性の口が開く。


「そんなの、決まっているじゃない。
あんた達リゾナンターの中に、スパイがいるからよ。
なかなか優秀なスパイでしょ、今まで誰にも気付かれることなく任務を遂行できてるんだから。」

「スパイ…そんな、リゾナンターにスパイなンていルわけが」

「仲間を信じたい、その気持ちは美しいし分からなくもないけれど。
でも、本当のことだから。
よかったら、その子の名前を教えてあげようか?大切な仲間を裏切る、
あなた達にとってはただの裏切り者でしかない偽りの仲間の名を。」

「うるさイ、リゾナンターにスパイなんテいない!
これ以上私ノ大切な仲間を侮辱するナラ、私はお前を許さナい!」

「ふーん、信じないんだ。
リンリンちゃんの得意な能力は念動力と発火能力で、
発火能力は何かしらモノを掴まないと発動することができないとか、
そういうことまで知ってるんだけどなー」


女性の言葉に、リンリンは今までセーブしていた感情を表に出さざるを得なかった。
鋭い眼差しに宿る光は薄れ、代わりに浮かんだのは動揺であった。
中国の能力者組織の人間、そしてリゾナンター達しか知らないリンリンの能力の詳細を目の前の女性は寸分の狂いもなく言い当てた。

女性がリンリンの能力の詳細を知っているということは、すなわち、女性の言葉は限りなく真実に近いものであるということだった。
ひょっとしたら、何処かで能力の詳細がダークネスへ知れ渡った可能性もなくはない―――それは僅かな希望であり、願望だった。
あの温かい心を持った仲間達の中に裏切り者がいるなんて、何があっても信じたくなかった。

女性にも手に取るように分かるくらい感情を表に出したリンリンを、女性は鼻で笑った。
見る者全てを不快な気分にさせる、いびつに歪んだ微笑みだった。


「…可愛いわね、リンリンちゃん。
そんなことくらいで動揺なんかしちゃってさ。
あなたもリゾナンターに入るまではどこかの組織に所属していたんでしょ?
なら、こういうことが日常茶飯事だって理解できるわよね、弱肉強食のこの世界なんだから」

「理解は出来ル、だが私はお前の言葉を信じなイ。
私はお前の言葉より、皆を信じル」

「信じないんじゃなくて、信じたくないだけでしょ。
賢い子かと思ったけど、やっぱり連中の仲間だけあって馬鹿な子ね。
もういいわ、頭にきたからリンリンちゃんには―――死んでもらうわね」


女性の体からゆらゆらと、闇色のオーラが立ち上っていく。
リンリンも負けじと、その身から緑色のオーラを放った。

刹那、女性はリンリンに向かって一気に飛び出してきた。
念動波でくると読んでいたリンリンは、一瞬判断が遅れてしまう。

普段のリンリンであれば、読みが外れても即対応出来るだけの冷静さがあった。
だが、女性の言葉に動揺したことで冷静さが欠けてしまったことが、致命的なミスとなった。
リンリンが女性の動きを止めようと念動波を撃ち出すよりも早く―――女性はリンリンの目の前まで距離を詰めた。


「遅い!」


声と共に、リンリンの頭に女性の飛び蹴りが炸裂した。
加速を伴った飛び蹴りの衝撃は大きく、女性よりも小柄で華奢なリンリンは勢いよく吹き飛ばされた。
軽く5メートルは宙を舞い、地面に落ちると共にリンリンの体は自分の意思とは無関係に転がった。
頭を中心に、全身に広がる鈍い痛みにリンリンは苦悶の表情を浮かべずにはいられない。

それでも尚、立ち上がろうとするリンリンの頭に女性は手を伸ばし、艶やかな髪を引いて無理矢理リンリンの上体を引き起こした。
未だに脳が揺れて目眩がする上、抜けそうな力で髪を引かれる感覚にリンリンの眉が顰められる。

その表情を堪能しながら女性は身動きできないリンリンの腹部目がけて、サンドバッグを蹴るが如く下段蹴りを放つ。
リンリンの内耳に、ミシッという骨が軋む音が聞こえた気がした。
まともに腹にめり込んだ蹴りがもたらす痛みに、まともに呼吸することさえ叶わない。


「さっきまでの威勢の良さはどこにいったのかしらね。
所詮、BランクはBランク。
大した能力者じゃないってことね、つまんない。」


女性の挑発を聞く余裕はなかった。
飛び蹴りによって脳を揺らされ、まともに体を動かせない状態で強烈な下段蹴りを腹部に食らったリンリン。
その攻撃によって、リンリンの肋には罅が入っていた。
意識を失いそうな目眩と苦痛に身を苛まれながら、リンリンは心の中で叫び声を上げる。

―――大切な仲間を呼び寄せる、強い叫びを。


(お願イ…誰か、来テ!)


言葉を発することすら叶わず、低く呻くばかりのリンリンを見る女性の瞳は何処までも冷たかった。
戦闘不能となったリンリンに対する興味が失われたのか、女性はリンリンの髪を掴んだ手とは逆の手に力を収束していく。

念動波でリンリンを頭から切り裂くつもりなのだろう。
先程まで放っていた念動波より大きさこそ劣るが、より深い闇色をした念動波が女性の手に生まれる。
まさに、絶対絶命の危機にリンリンが覚悟を決めたその時。


「汚い手でリンリンに触るナ、この露出狂ガ!」


鋭い声と共に女性の体を襲う衝撃。
念動波は掻き消え、女性の体は吹き飛ばされて地面を数回転がった。
リンリンのぼやけた視界に映るのは、見慣れた大きい背中であった。

その背中に、リンリンは安堵の表情を浮かべる。
誰よりもリンリンを理解する、心強いパートナーがたった今駆け付けたのだった。


「遅れてすまナい、もっと早くこの結界ヲ破れていタらリンリンをこんな目に遭わせなかったノに」

「ジュンジュン、気に…しないデ。
1人でも戦えると思ってギリギリまで呼ばなかった私が悪イから」


ジュンジュンの背中を見つめながら、リンリンは震える膝に力を入れてゆっくりと立ち上がった。
まだ若干目眩はするし、肋は絶えずリンリンに痛みをもたらす。
だが、リンリンの闘志は衰えるどころか寧ろ強くなっていく一方であった。

その強い闘志は、脳を揺らされ肋に罅が入った痛みを凌駕した。
リンリンの瞳に今まで以上に鋭い光が宿る。

信じている仲間達を疑わせ、動揺したその隙に付け入る攻撃をしてきた女性。
この女性を許すことは出来ない―――例え、女性の言葉が“真実”であったとしてもだ。

女性は蹴られた脇腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。


「…えーと、あなたは確かジュンジュンちゃんね、あなたの得意な能力は念動力と獣化能力。
獣化能力によって変身することで 通常からは考えられない強力な身体能力を得ることが出来るけど、
その能力は長時間維持することが出来ない。
しっかし、今のは痛かったわね…獣化しないでそれだけ強い蹴りを繰り出せるんだから、獣化されるとこっちの身が危険ね」

「何故お前がそんナことを知ってるかは知らなイが、リンリンを傷つけた報いは受けテもらうゾ」


ジュンジュンは女性を睨み付けながら、その隙を窺った。
リゾナンターの中でも戦闘能力に長けているリンリンをここまで傷つけている以上、油断は出来ない。
女性の隙を窺いながら、ジュンジュンはリンリンの心に話しかける。

“共鳴”しあう者達が集った、リゾナンター。
その中でも相性がよい者同士は、精神感応の要領で心の会話が出来るのだ。
だが、相性が特にいいわけではない者同士は、お互いの心の声は聞こえても会話することは出来ない。
この件を含めても“共鳴”という現象は謎が多く、リーダーの愛や里沙ですら分かっていないことも多々あった。


(リンリン、私が獣化であいつの動きを止めル。
その隙に、あいつを燃やシて)

(燃やすって、それじゃジュンジュンも燃えてシまう可能性があルよ)

(リンリン、燃やすのに相手に直接触れル必要はなイ。
持っテいるでしょ、必要なモノ)

(…あぁ、そういウことね。
分かっタ、ジュンジュン)


一向に動きを見せない二人に、女性はついに痺れを切らせて突撃する。
瞬間、結界内に響き渡ったのは―――獣化したジュンジュンの咆吼であった。

突撃してきた女性が繰り出してきた中段蹴りを、獣化したジュンジュンは器用に受け止めてその足を掴む。
勢いを殺すことなく、ジュンジュンはそのまま足から女性を投げ飛ばした。

女性は空中に放り出される形になったものの、そのまま空中でバク転して地面に着地する。
その隙に、ジュンジュンは女性との距離を詰めていた。

女性が攻撃態勢を整えるよりも早く、ジュンジュンの“前足”が女性の腹部にクリーンヒットする。
尋常ではない前足の威力に、女性の動きが一瞬止まったのをジュンジュンは見逃さなかった。

素早く女性の背後に回り込み、女性を羽交い締めにする。
女性はジュンジュンから逃れようと必死に体を捩るが、獣化したジュンジュンの身体能力は常識では考えられない程上昇している。
女性がジュンジュンを振り解いて逃げるということは、非常に困難なことであった。


「リンリン、今ダ!」


ジュンジュンのその“合図”を待っていたリンリンは、女性の方へと全速力で走り出す。
獣化が徐々に解けつつあるジュンジュンの手から逃れようと、女性は全身に力を漲らせた。
徐々にジュンジュンの手から力が抜けていく。
その隙を見逃すことなく、女性は力の限りを尽くしてジュンジュンを振り解いたその時だった。


「ぎゃああああああああああああ!!!」


女性は断末魔だけを残して、跡形もなく―――燃え尽きた。
女性が立っていた所を見つめるリンリンの手に握られていたのは、ジュンジュンがリンリンへとあげたバナナであった。

リゾナントから帰るリンリンに、ジュンジュンはバナナを一房あげていた。
女性からの襲撃の際に地面に落としてしまっていたバナナを、ジュンジュンが女性と交戦している隙に回収したリンリン。
ジュンジュンの獣化が解けて女性が自由になり、ジュンジュンが素早く後方へと飛ぶまでの一連の流れ。
それをずっと注視していたリンリンは、走りながらバナナをちぎり取り発火させた後―――それを女性めがけて投げつけたのだった。

リンリンの発火能力は、何かしら掴める物質がないと発動できないという制限がある。
だが、その制限の代わりに―――その緑炎の威力は見た目以上に凄まじく、延焼性が高かった。

女性に直接触れて燃やすという手段を選択してもよかった。
だが、それでは女性の動きをギリギリまで止めているジュンジュンに緑炎が燃え移る可能性が僅かながらも確かにあった。

その威力の高さ故に、リンリンは女性に直接触れて能力を発動させることは出来ない。
僅かながらでも、ジュンジュンに緑炎が燃え移ることがあったら…大火傷では済まない可能性がある以上はその手段は選択出来なかった。
ジュンジュンはそれを見越した上で、リンリンにバナナを渡していたことを思い出してああ言ったのであった。

全てが絶妙なタイミングであった。
ほんの少しの打ち合わせで、寸分の狂いもなくああした攻撃が出来るのはお互いがお互いをよく理解しあっていたからこそである。

獣化が解け、一糸纏わぬ姿になったジュンジュンに自分の着ていた上着を渡したリンリンは、そのまま地面に膝を付いた。
常人ならば走り回るなんて以ての外、あまりの激痛にその場に倒れ込むしかないような状態で動き回ったのだ。
体への負担は、見た目以上に大きいものであった。

ジュンジュンは渡された上着に袖を通して、その場に跪き、リンリンをそっと抱き寄せる。
その優しい温もりに寄りかかるように、リンリンはジュンジュンの背中へと両腕を回した。


「何があっタ、リンリン。
リンリンが助けを呼ぶヨりも前から、リンリンの心乱れてタ。
あの女、ジュンジュンの能力のコトよく知ってたのト、何か関係があルのか?」

「ごめんなサイ、ジュンジュン。
今はマだ、何も言いたクない。」

「分かった、リンリン。
だかラ、もう泣くナ。
リンリンが泣くと、私も涙が止まラない。
リンリンの悲しミはジュンジュンの悲しミ、そして皆の悲しミ…心がキュッとなルよ」

「ごめんなサイ、でも今、涙止めらレない。
すごく悲しくテ、辛いヨ、ジュンジュン…」

「リンリン…」


まるで壊れた蛇口の様に溢れてくる涙を止める術はなかった。
心の痛みを分かち合える仲間達―――この中に、裏切り者がいるかもしれないのだ。

体の傷よりも、女性によって付けられた心の傷の方が遙かに耐え難かった。
何も知らなければ、今頃何事もなかったように笑っていられたに違いないのに。


『そんなの、決まっているじゃない。
あんた達リゾナンターの中に、スパイがいるからよ。
なかなか優秀なスパイでしょ、今まで誰にも気付かれることなく任務を遂行できてるんだから。』


女性の声が脳裏に木霊する。
その声から逃れたくて、リンリンはジュンジュンをキツく抱き締めた。
だが、どれだけジュンジュンを抱き締めても…その声は心の中をいつまでも渦巻いてはリンリンの心に無数の傷を付けていく。


(…信じなイ、あの女ノ言葉よりモ私は皆を信じル…)


涙を流す二人の傍へと、リゾナンター達が一人また一人と駆け付けてくる。

―――この中に、裏切り者のユダがいるかもしれないのだ。

女性の言った言葉が全部嘘であればいい、そう願いながらリンリンはただただ涙を流すしかなかった。
疑いたくないのに疑ってしまいたくなる自分が嫌で嫌で、リンリンはキツく唇を噛みしめて拳を地面に叩きつけた。

悲しみが木霊する夜、リンリンは一人決意した。
もし、この中に裏切り者がいたとして…そいつが仲間達を傷つけるような事態が起きたその時には。

その時には―――この緑炎で骨も残さずに焼き尽くすだけだ。

この手を汚すのは自分一人だけでよかった。
スパイがいる可能性があることを知るのは、自分以外誰もいないのだから。


リンリンの悲しい決意は、仲間の誰にも届くことなく夜の闇に紛れて消えた。




















最終更新:2012年11月24日 11:01