(23)778 『禍刻X―Witch like an icicle―』

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没しかけた陽が妖しく彩る潤朱(うるみしゅ)の空に、糸のような繊月が浮かんでいる。


物憂げにその細い月を見上げながら、藤本美貴は深いため息をついた。

氷の魔女――しばしばそう呼称される美貴を指して、「月を統べる冥府の女神・ヘカテーを思い起こさせる」とかつて言った者がある。
青白く冷たい光を放つ月を司る冥府の女神――それが冷酷な氷の魔女のイメージと重なった故かもしれない。

そのこと自体は、別にどうでもよかった。
他人からどう思われていようと、自分にとって自分は自分でしかないのだから。
だが、冥府の女神を介してとはいえ、自らが月に擬えられたことには微かな心の揺れを感じずにはいられなかった。

美貴にとって月は、不思議なシンパシーを感じさせる存在であり、憧れであり――それらと同じくらいに嫉妬の対象でもあったから。
何故なら―――


「どこに行く気ですか?藤本さん」

不意に思索を遮る声が背後から聞こえ、美貴は緩慢な動作でその視線を空から自分の後方へと移す。
そこに立っていたのは見知った一人の女、そしてその部下と思しき銃を携えた十数人の姿だった。

「さあ?別にどことかは決めてないんだけど」

女が発した言葉の意味を十分に分かっていながら、美貴は質問されたことにそのまま答えた。
何かを言いかけた部下を制し、女は静かに質問を重ねる。

「あなたは組織を抜けるつもりなんですね?それが何を意味するかを知りながら」

先ほどの遠まわしな物言いから一転した直截的なその質問に、美貴は微かな笑みを浮かべながら肯いた。

「まあ――そういうことだよね」


美貴のその答えと同時に部下が一斉に銃を構え、照準を美貴に合わせる。

「理由を聞かせてもらえますか?」

一触即発の空気の中、冷静な口調で女がさらに質問を重ねる。
その有無を言わせぬ視線に対し、美貴は軽薄な笑みを湛えたまま答えた。

「あの組織は美貴の求めるものを与えてくれなかったから・・・ってことかな一言で言えば」
「充分すぎるほどの待遇だったと私は思いますが」
「待遇の話をしてんじゃないから。美貴が必要とするものがあそこでは得られなかったっつってんの」
「あなたが求めるものとは何なんですか?」
「あんたに言っても意味ないし」
「私にはあなたに答えてもらう必要があります」

表情一つ変えずに我慢強く質問を重ねる女に、美貴はやれやれと肩をすくめた。
女は黙って答えを待っている。
「仕方ないな」という表情を女に向け、美貴は言った。

「今日さ、美貴の誕生日なんだよね」

その巫山戯た答えを聞いて色めき立つ部下に黙るよう指示すると、女は無言で続きを促す。

「誰でも年に一度誕生日が来て――そして一つ齢をとるわけじゃん?美貴にはそれが耐えられないんだよね」
「・・・意味がよく分からないのですが。それは当たり前のことではないですか?」
「その当たり前に限りある命が我慢できないって言ってんの」
「つまり不老不死――それがあなたの望むもの・・・そういうことですか?」
「そう、美貴は永遠が欲しい。永遠の命が。いや、手に入れなくちゃならない。何に代えても」

一瞬どこか遠くを見るような目をした美貴に、女はほんの少し憐れむような表情を覗かせながら言った。

「・・・これが最後の質問です、藤本さん。組織に戻るつもりは?今ならまだ今回の件は不問にできますが」


いくつもの銃口が向けられる中、静かに発せられたその“最後通告”に、美貴はやや面倒そうに応じた。

「だからさっきから言ってんじゃん。美貴の欲しいものはあそこにはなかった。ただそれだけ。戻るも戻らないもない」

場の緊張感が急激に高まる。

「・・・分かりました。では残念ですが、私は命令を実行せねばなりません」
「ふ~ん。命令って?」

返ってくる答えは分かりきっているにも関わらず、美貴は面白そうに問い返す。

「『連れ戻せ。それが不可能ならば殺せ』――私の受けた命令です」

女もまた、美貴が分かりきっていることを承知でそれを口にした。
冷静な表情や態度は変わらないが、先ほどまでとは明らかに纏う空気が違っている。

「何もそんなくだらない命令に従って死ぬことないと思うけどな」

揶揄するように、美貴は女に挑発の言葉を投げかける。
だが、女はあくまで冷静に言葉を投げ返してきた。

「死ぬのはあなたの方です。藤本さん」
「あっそう。一応忠告はしたからね」
「あなたは確かに優れた能力者です。ですが・・・能力には相性というものがあります」
「相性ねえ・・・あんたは“発火能力(パイロキネシス)”だったっけ」
「そうです。すなわちあなたの能力にとって最も相性が悪い相手・・・そうでしょう?」
「そうかな?美貴は別にそうは思わないけど。ってか大体美貴の能力をちゃんと知ってんの?」
「“氷使い”――でしょう?あなたほど有名な人もそうはいませんよ」
「それって“美貴の能力を知ってる”って言えんの?そんなアバウトな認識で本当にいいわけ?」
「十分です。あなたの戦い方のデータは収集済みですから。あなたの“氷”は私の“炎”には通用しません」
「なるほど。じゃお手並み拝見といきますか」


その言葉が終わらないうちに、空気を引き裂くような音を伴なって美貴の周囲に鋭く尖った氷柱が幾本も浮かぶ。
浮き足立ちかけた部下を一喝すると、女は美貴の方に半歩踏み出した。

「無駄ですよ、藤本さん」

一斉に飛来した氷の矢に相対した女の手元から、小さな火球がいくつも放たれる。
赤く燃え盛るその火球は正確に全ての“矢”を捕捉し、瞬時に蒸発させた。

「やるじゃん。じゃあこれはどう?」

ニヤリと笑った美貴の正面に、先ほどとは比べものにならない大きさの氷柱が現れる。

だが、その巨大な氷の槍を見ても女は顔色一つ変えなかった。
先ほどと同じように高速で飛来するそれに対し、女は素早く手をかざして炎を浴びせる。
二者が接触したと思った瞬間、“槍”は“矢”と同様激しい音と共に真っ白な蒸気と化した。

「・・・ふ~ん、言うだけのことはあるね。じゃ、これなら?」
「今度は3本ですか?数が増えたって同じことですよ」

その言葉通り、飛んできた3本の“槍”を、女は先ほど同様一瞬でこともなげに蒸発させる。

「ぁあっ・・・・・・!」
「ぐぇ・・・・・・!」

だが――その瞬間、背後の部下たちから突然悲鳴が上がり、女は反射的に振り返る。
そこにあったのは惨状だった。
半数以上の部下が頭を・・・胸を・・・全身を撃ち抜かれ、色んなものを撒き散らしながら今しも倒れようとしている。

「どうして・・・!?」

信じ難いその光景に、女は自分の目を疑った。


一瞬後、自分が致命的な隙を見せたことに気付き、女は慌てて美貴の方に向き直った。
だが、美貴は隙を見せた間に攻撃することはせず、ただ悠然と笑みを浮かべて立っている。

背後で部下が倒れるドサリという音、粘り気のある液体が飛び散るビチャリという音がいくつも聞こえてくる。

「あれ?これはあんたの収集したデータとやらにはなかった?おかしいな」

嘲るような美貴の言葉に対し、女は黙って唇を噛んだ。
極小の氷の粒を無数に飛ばし、広範囲を攻撃する“氷の散弾銃”――当然知っていた。
だが――

「あんたは“槍”だけに気をとられてた。その前の攻撃を防御したときの水蒸気で視界が狭まってることにも気付なかった」

女がすでに嫌というほど理解していることを、美貴はわざわざ蔑むように口にする。

「初めから分かっていればあんな攻撃を防ぐくらい・・・・・・!」
「そっか、分かってなかったんだから仕方ないよね。そのせいで何人か部下が死んじゃったわけだけど」
「ぐっ・・・・・・」
「でも気にしなくていいよ。美貴に銃を向けて死なずに済むと思ってるヤツがバカなだけだから」

「貴様ぁっっ!!!」
「やめなさい!」

女の制止よりも一瞬早く、激昂した残りの部下が一斉に美貴に銃口を向けて引き金を引く。
制止が間に合わなかったことを知り、女は瞬間的に防御の体制をとった。
“氷の防弾壁”――美貴のそれは、ただ銃弾を弾くだけではなく、対象者に跳ね返すことができることも知っていたから。

「・・・・・・!?」

だが、跳弾は飛んではこなかった。
いや、それどころか―――


美貴は見下したような笑いを浮かべたまま、その場に悠然と立っていた。
防御することすらしていない。

「すり抜けた――?そんなバカな――」

信じられないが、そうとしか思えない。
一瞬、その姿が不自然に揺らめいた気がしたときには、すでに全ての弾は美貴の背後に飛び去っていた。

「これは一体・・・・・・?」

女が美貴を睨みつけたとき、またしても背後で断末魔の声があがる。
振り返った女が見たのは、寒気を禁じえない光景だった。

先ほどの“散弾銃”によってすでに絶命し、倒れ臥していた部下から溢れ出た鮮血――それが形作る無数の血だまり。
そこから幾本も伸びた“血氷の槍”が、銃を構えたままの残りの部下たちの全身を貫いている。
その凄惨な光景が、冷酷な氷の魔女によって作り出されたことは明白だった。

――藤本美貴は想像以上に手強い能力者だ―――

女は、自分が知らず油断していたことをようやく悟った。
相手は単に能力に任せて力押しするだけの単純な能力者ではない。
「氷の魔女」の異名に違わず、怜悧で、冷静で、そして冷徹―――

それに―――

まだ何か得体の知れない力を隠している。
先ほど銃弾がすり抜けたのは目の錯覚ではない。
何かある。まだ何か―――

背後で部下たちの倒れる音が聞こえたとき、すでに女は冷静さを取り戻していた。
そして、その冷静ささえ失わなければ、自分が負けるはずがないことを改めて確信していた。


「へえ。なんか雰囲気変わったじゃん。部下を全部殺されて頭にきた?最初からそうやって向かってくればあの人たちも死ななかったのに」

軽い口調ながら冷え冷えとした声で、美貴は女を嘲笑う。

「私が重大なミスを犯したのは確かです。でももう挑発には乗りません」
「なんだ残念。やりづらくなっちゃったな」
「私は少しあなたを見縊りすぎていました。ここからは・・・・・・全力でいきます。あの人たちの仇は取らせてもらう」
「全力かぁ・・・じゃあ面倒だけどこっちも本気出すしかないな」
「最初にも言いましたが、あなたの氷では私の炎は絶対に防げません。防御壁ごと一瞬で焼き尽くして差し上げます」
「ふ・・・・・・すごい自信じゃん。けど―――あんたの負けだよ」

美貴の顔に浮かんだその凄みのある笑顔に向け、女は自身の“発火能力”を全力で放った――――いや、放とうとした。
だが―――

「な・・・・・・っ!?」

――炎が出ない?―――能力が・・・発動しない!――何故――っ?

狼狽する女の周りで、ピシッピシッ――と空気が音を立てている。
その音に混じって美貴のどこまでも冷たい声が響く。

「『引火点』って言葉は知ってる?パイロキネシストさん」
「引火・・・点・・・・・・?」

笑顔のまま発せられる美貴の言葉を、女は呆然と繰り返す。

「まあものすごく乱暴に言うと、ある可燃物に着火できる最低温度のこと――って感じかな」
「最・・・低・・・温度・・・?」
「ま、要は物が発火して燃え続けるには一定の温度以上が必要になるってこと」
「一・・・定・・・温度・・・以上・・・・・・ま・・・さか!?」
「そう、あんたの能力の『引火点』をすでに下回ってるんだよ、周りの空気の温度がね」


言われて初めて、女は自分の体が異常なまでに震えていることに気付いた。
歯の根もまるで合っていない。体がいうことをきかない。

「本来、発火源も可燃物質もないところに火を熾すのが“発火能力”なわけだけど・・・・・・」

最早、喋ることすらままならなくなってきた女に対し、美貴は一人話し続ける。

物が燃えるには「可燃物質」「酸素」「発火源」の三要素が必要となる。
酸素は空気中にいくらでもあるから、その場にもし可燃物質があれば“発火能力者”はそれに“発火”するだけで炎が発生する。

だが、先ほどのように何もない空間に炎を継続的に発生させようとすれば、何らかの媒介が必要となる。
その際に“発火能力者”が媒介とするものは、言うまでもなく自身のエネルギー――すなわち“能力”そのもの。
故に、炎の強力さは“発火能力者”各個の資質に大きく左右される―――

「それと同時に、『引火点』みたいな“発火条件”も能力者の資質に大きく左右されるってわけ」

「引火点」は、エタノールなら約13℃、ガソリンなら約-45℃、キャノーラ油なら約300℃程度―――
空気と混合された揮発性の可燃液体に火をつけるためには、物質ごとに一定の温度以上が必要となる。

「まあそれとは若干意味合いが違うけど、要は自分の資質を越えた低温での“発火”はできないってこと。つまり簡単に言うと・・・」

美貴はいったん言葉を切ると、完全に体温を奪い尽くされて青白い無表情をさらす女に笑いかける。

「あんた程度の資質では、美貴の能力には遠く及ばないってことだね」

女の目がほんの微かに動く。

「まだ意識ある?あんた最初に相性がどうのこうの言ってたじゃん?あれは確かに正しいよ。だって・・・」

その目を覗き込むようにしながら、美貴は静かに頬笑んだ。

「あんたの能力にとって、美貴の“熱掌握能力(ヒート・ルーリング)”は相性最悪の相手だし」


そう言うと同時に、美貴は能力を完全に解き放つ。
美貴の言葉を聞いて僅かに目を見開いた表情のまま、女は文字通り完全に凍りついた――

「みんな勝手に美貴の能力を“氷使い”って思ってるけど、美貴はそんなこと一言も言ったことないよ」

微動すらできなくなった女に向かい、美貴は一人話し続ける。

美貴の能力である“熱掌握能力(ヒート・ルーリング)”――は、その名の通り大気中の“熱”を支配するチカラ。
それは、大気中の水蒸気を冷却して生み出した氷柱を、熱膨張させた空気の圧力により自在に飛ばすことのできる能力。
また、著しく温度の違う空気の層を発生させることで、鏡映蜃気楼を作り出して自身の虚像を映し出すことのできる能力。
そして・・・低温により対象者の生命活動を妨げ、氷にした水蒸気を一ヶ所に集めることで“氷の棺桶”に葬ることのできる能力―――

「美貴がいつも氷を使うのはね――美貴にとって“氷”が特別だから」

シベリアの永久凍土は、数万年前に生きていたマンモスの姿をそのまま現代に伝えている。
そう、氷は永遠を運んでくれる。
「氷の魔女」は、いつかその名の通り、本物の永遠を手にするのだ―――

今や完全に漆黒に覆われた空に浮かぶ極細の月を見上げ、美貴は改めてそう誓う。
数十億年の長きに渡ってこの地表に光を投げかけ続けているあの月のように、自分も永遠を手に入れる。
そして――“彼女”が生まれ変わって自分の前に現れる日を待つのだ。
ずっと――ずっと――――

視線を戻した美貴は、再び能力を解放する。

 ガシャン―――

急激な温度変化に耐え切れず、“氷の棺桶”は中に入った人間ごと粉々に砕け散った。


人間の歴史(すべて)を見てきた空の月だけが、ただ静かにその光景を見下ろしていた―――