―――私を見て下さい
―――私を見て下さい
小春は今日も一つ、心に傷を負っていく。
流れ続ける血を無視して、最大限の虚勢を張って。
悲痛な叫びは誰にも届かない。
いや、例え届いたとしても小春がその手を取ることはできない。
我侭と言われても、そんな生き方しかできなくなっていた。
「おはようございまーす!」
「おっ、きらりちゃん今日も元気だね。悩みなんてなさそうだよね本当。
じゃ早速、今日のスケジュールなんだけど……」
芸名、月島きらり。本名、久住小春。
デビューからわずかな時間で芸能界におけるトップアイドルの座に上り詰め、今やテレビや雑誌で見ない日はない。
まさに時代の寵児といえた。
普通の田舎者の女の子がトップアイドルへ。
そのシンデレラストーリーに見る者は憧れ、求め、希望を見い出す。
だが、完璧なアイドルきらりを演じる小春の心中はいつも何処かが冷めていた。
「……ね。きらりちゃん、わかった?」
マネージャーが資料を指で示したポーズで顔をあげた。
「んー?聞いてなかった☆ごめんなさーい」
「もう、しっかりしてよ」
「……悩みの一つや二つ、あるもん……」
信じられるものは自分自身だけ。
目に見えないモノなんていつこの手から零れ落ちるかわからないのだから。
誰も最後は己の保身が大切。助けてはくれない。
だから一人で戦い抜くしかないんだ。
泣くな、前だけを見ろ。
自分の後ろに戻るべき道は無いのだから。
そう自分自身に言い聞かせる。
―――私を見て下さい
それはこの少女に限らず誰にでも常に心の中にあることだ。
但し、この少女の場合。
『私』とは「月島きらり」ではなく、本名の「久住小春」であった。
魅了という小春に備わった能力は天性のもの。
誰からも注目を浴び、愛される。
だが芸能界という特殊な世界では接する人全てが、小春のことをきらりと呼び、作られたキャラクターを求めている。
嘘が上手になっていく小春。
偽りの笑顔。偽りの言葉。
それらは全てきらりを構成するものであり、決して小春ではない。
だんだんと1日の中で小春が小春自身で居られる場所が無くなっていく。
何処に居ても、何をしても。
一体、「私」はどこにいるんだろう……
もし、芸能界からきらりが居なくなった時、この身に「小春」としての価値は残るのだろうか……
一度生まれた疑問は小春の中だけで共鳴し、誰にも救いを求めることはできない。
弱音を吐いたら負けだ。
「私」は……「きらり」は、強くないといけない。
そう思い込むことで、己を追い立てていく。
いつも通り、仕事は完璧にこなす。
あんな場所でも、誰かに必要とされているのは嬉しい物だし
何より一度やると決めたことだ。
帰り道、一人になって、ようやく肩の錘を落とせる時間。
暗闇が心地よく感じてしまう己に薄ら寒さすら感じてしまう。
特に欲しいものはない。
だけどつい明かりに引き寄せられるようにコンビニに吸い込まれていく。
ただ誰かに「ありがとうございました」と言ってもらうだけの為に。
一瞬だけ空洞が満たされ、また奈落の底に引きずり込まれるような、
言いようのない寂しさが襲ってくるのに気付かないふりをして歩き出す。
光の中では決して気付かなかった、闇に接するまで己が光に包まれていたことを。
帰宅し、一人になると小春は小春に戻るおまじないをする。
誰も知らない儀式。
そうでもしないと心が折れてしまいそうだった。消えてしまいそうだった。
「なーさん、ただいま。あのね、小春ね……」
いつしか一人称は「私」から「小春」に戻る。
なーさんの写真を胸に抱き、今日会ったことを報告する。
この時間だけが、小春に許されたただ一つの心休まるものであった。
「なーさん……いつか、小春にも出来るのかな……
心から信じる事のできる人が……」
―――私を見てください
―――私自身を見てください
小春はまだ知らない。
自分の運命を左右する出会いを。
心から信じられる、魂が共鳴する者達との出会いを。
これはまだ幼い少女が、高橋愛と出会う前の物語。
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最終更新:2012年11月24日 15:14