(06)423 『里沙、孤島に囚われ(後編)』

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―感覚がない。

もはや時間だけではなく、身体の感覚も。
一体自分がどこで何をしているのかも分からなくなるときがある。
下手をすると自己さえも喪失しそうに。

枷に締め付けられ、鎖で吊り上げられた両手の痛み。
冷え切った床の上でかろうじて自分を支えている両足の冷たさ。
そして先ほど鞭打たれた全身の痺れ。
それらは時間を追うごとに、身体の感覚と、そして気力を奪っていく。

半ば朦朧とする意識の中、新垣里沙はそれでも必死で気持ちを保っていた。
自分でもよく分からない使命感のようなものに駆られて。


だが、その正気も“保っている”のではなく“保たされている”のかもしれないと考えると、ともすれば気持ちが折れそうになる。

あの女の痛めつけ方は巧妙だ。
自分を殺したり再起不能にしてしまっては上から処罰されるのかもしれない。
・・・単に、「相手が抵抗できないほど弱ると拷問のし甲斐がない」と思っているだけのような気もするが。

都度都度嚥下させられる錠剤はおそらく栄養剤。
何日経ったかは分からないが、こうして身体自体は大して弱りもせずにいるのは、それによって十分な栄養を採らされているからだろう。
もしかすると栄養素以外にもなんらかの物質が含まれた薬なのかもしれない。

「今回は趣向を変えてみる」と嬉しげに言う女に散々鞭打たれてできた裂傷やミミズ腫れは、直後に女の部下と思しき能力者によって治癒された。
鞭打たれた痺れは今でも不快に残っているが、見た目自体は痛めつけられたようには見えない。

ただ・・・

身体の裂傷は治っても、破れた衣服までは直らない。
その白い肩が、脇腹が、脚が・・・血のついた衣服の裂け目から痛々しく覗いていた。

里沙にはそのことを羞恥するような余裕もなかったけれど。




―いつまでここであの女の慰みものになっていればいいのだろう。

つい気弱な心が浮かび上がってくる。


愛たちは今頃どうしているだろうか。
自分のことを少しは気にかけてくれているだろうか。


会いたい。
愛に。みんなに。
たまらなく・・・会いたい。


一度傾いた心は、倒れたコップからこぼれ出る水のように感情を溢れさせた。

愛に抱きしめられたときの力強さと、あたたかさと、身体越しに伝わってきた鼓動がフラッシュバックする。


「愛ちゃん・・・」


掠れる声でその名を呼ぶ。
愛おしいその名を。
ひと目だけでもいい、もう一度会いたい。
会いたいよ・・・

だが、里沙の声は薄暗い部屋の湿った空気の中で儚く霧散した。
誰に届くこともなく、どこにも共鳴することなく。



「里~沙~ちゃ~ん。また来たよ~」

代わりに返ってきたのは聞きたくもない声。

初めて恐怖を感じた。
ここから逃げ出したいと強く思ってしまったから。
生きてもう一度愛たちの笑顔が見たい、言葉を交わしたい、そう願ってしまったから。
必死で抑えてきた感情だったのに。

怯えの気持ちが顔に出ていないか不安だった。
それは女をこの上なく悦ばせるに違いなかったから。


「あれ?里沙ちゃんいいカオするようになったじゃん。さっきの鞭がそんなに気に入った?じゃあ・・・またご馳走してあ・げ・る」

願いも虚しく、女は里沙の表情の変化を敏感に見抜き、嗜虐的な笑みを浮かべた。
里沙の心を絶望の闇が侵蝕し始める。

かつてない絶望と恐怖の闇の中、里沙はありえない幻を見た。



   *   *   *

女の計画はもう達成寸前だった。
里沙を絶望と恐怖で支配して自己喪失させ、己の傀儡とするという計画は。

マインドコントローラーを逆に自分の意のままに操れるだなんて、これほどに気持ちいいことがあるだろうか。

自分の能力―エレクトロキネシス―はさほどの威力もなく、組織からはたいした戦力にならないと軽く見られているのは知っていた。
だが、自分にはこうして人の心を操作する技術がある。
人の心はこうやって必ず人によって操ることができるのだ。
何も特別な能力など使わなくても。

女は陶酔していた。

ありえない幻を見るほどに。



   *   *   *

絶望と陶酔の中にいる2人が同時に見た“幻”

それは薄暗い部屋に突然発生した淡い光の粒子。
そしてその光の粒子が瞬刻の後に結んだ一人の人間の像。

里沙の願望が具現化したかのようなその“幻”

それは、薄暗いコンクリートの部屋にあっても毅然たる光を放つ高橋愛の姿だった。


「遅くなってごめん。迎えに来たよ、ガキさん」



幻じゃ・・・ない!

愛ちゃんだ。
この声。この空気。この包み込まれるような気持ち。
幻なんかじゃない。
本当に・・・本物の・・・


「あ・・・いちゃん・・・・・・愛ちゃん・・・・・・愛ちゃん!」


鎖に繋がれた不自由な身体を震わせながら里沙は叫んでいた。
もう二度と呼びかけることは叶わないと思っていたその名を何度も。



「お・・・お前は高橋愛・・・!?どうやって・・・一体どうやってここに!?」

幻や見間違えではないことを知り、陶酔から瞬時に醒めた女は狼狽していた。
ここに侵入できるなど考えられない。
だが現実に愛は目の前に立っている。


「念写してくれたんよ。仲間が。この場所のイメージを」

静かな怒りに燃える愛の目が女を捉える。


「ありえない!ここには常時結界が張られてる。視えるはずない!」

その視線にたじろぎながら、女は喚いた。
予知、透視、念写、精神感応・・・能力全てをシャットアウトする結界が、組織の能力者によってこの建物全体に張られている。
どれほどチカラのある能力者でも、その結界を越えて能力を発揮することができないのは組織内で繰り返し行なわれた実験からも明らかだ。


「結界を張っていた人たちには眠ってもらった」

「・・・・・・・・・な?」

女は、その言葉の意味するところが一瞬分からずに口を半開きにした。
いや、言葉の意味自体はもちろん分かる。
だが・・・



「眠ってもらった・・・?見張りや警備のやつらは何を・・・」

この建物には結界だけではなく厳重な警備体勢が敷かれている。
人間兵器と言えるような能力者が何人も侵入者を排除するべく待機しているのだ。
自分ですら関わりたくない、殺人が趣味のような壊れたやつらが。


「同じ。全員眠ってもらった」

「・・・・・・・・・・・・は?」


理解ができない。
まるで理解ができない。
どういうことなのこれは一体。

何がなんだか分からない。
でも一つだけ確かなのは、このままでは里沙を連れて行かれてしまうということ。
それだけはさせてはならない。


瞬時にそう判断すると、女は戦闘体勢をとった。
自分の最大のチカラで目の前の敵を倒すべく。



「動かんでもらえる?」

「ひっ・・・」


だが、その視線の先に愛の姿はもうなかった。
背後から静かな愛の声が聞こえ、女は凍りついたように動きを止めた。

勝てない。
勝ち目がない。

何をされたわけでもないのに金縛りに遭ったように体が動かなかった。


「鍵はどこ?」

短く訊く愛に、黙って壁に掛けられた鍵束を震える手で指し示す。
屈辱的だった。
しかし力の差を肌で感じてしまった今、女にはどうすることもできなかった。

愛が鍵束へと歩み寄り、それを手にとって帰ってくるまでの数秒間も、女は息もできずに立ち尽くしていた。

そんな女にもはや目を向けることもなく、愛は真っ直ぐに里沙の下へ向かう。
涙に濡れた里沙の顔を、ここへ来てから初めて見せた笑顔で包み込みながら愛は言った。


「帰ろ?一緒に。みんなのとこへ。リゾナントへ」


愛の笑顔とその言葉に、泣き笑いの里沙が頷きかけたとき・・・それは起こった。



パンッ!


乾いた破裂音。
視界の角に立ち上る白煙。
驚いたように見開かれる里沙の目。


振り返った愛の目に入ったのは、部屋の入り口に立った見知らぬ女の手に構えられた黒い物体。
銃口から白い煙を漂わせたそれはオートマチック式の拳銃だった。


油断・・・!

他にも敵がいる可能性を考慮せず、迂闊にも警戒を怠っていた自分が許せなかった。
だが、それ以上に撃たれた里沙のことが案じられる。

そしてそれがまた新たな油断を生んだ。


バリッッ!!


愛は、目の前が一瞬青白く光るとともに、体中を衝撃と刺すような痛みが襲うのを感じた。

(エレクトロキネシス・・・しま・・・った・・・)

青白かった視界が一転闇に覆われてゆく中、愛は里沙の名を小さくつぶやいた。



   *   *   *

「う・・・愛ちゃん!ごほっ・・・愛・・・ちゃん!」


鉛の玉に撃ち抜かれた苦痛の中、里沙もまた崩れ落ちた愛の名を必死に呼んでいた。
だが、倒れた愛はピクリともしない。


「だ、大丈夫ですかチーフ?」


オートマチックを片手に下げた部下の女が、部屋の中に駆け込む。
無我夢中で愛に向けてチカラを放った女はしばし呆然としていたが、我に返ると部下の女を睨みつけた。

「あたしのことより早く里沙を治療して!」

「は、はい!」

部下の女は慌てて里沙の下に駆け寄ると、自分が打ち抜いて作った傷を治癒能力を用いてふさぎ始めた。
さっき鞭による裂傷を治療したときのように里沙の顔を見ることなく無造作な手つきで。

やがて里沙の傷はきれいに塞がり、部下の女は上司の下へと戻った。

「高橋愛は・・・どうされますか?」

愛の名前に反応し、ビクッと女の肩が震える。
自分が失神させたことなどもう女の頭にはなかった。
あるのは、さっき感じた圧倒的な力の差の前に屈服させられた記憶。
その名前を聞くだけで恐怖がよみがえることに、女は屈辱を覚えていた。



「殺して・・・殺しなさい!」

「え?しかし・・・」

「いいから!早く!」

「・・・・・はい」


部下の女がオートマチックを構え、倒れた愛に向ける。
そしてゆっくりと引き金を引いた。



ドサッ・・・

「・・・・・・?」

銃声の変わりに、何かが自分の足元に落下する音を聞いた女は首を傾げた。

思わず足元に目をやった女が見たもの。
それはどこかで見たことがあるような気がするもの。
だけどそこに落ちていることに違和感を覚えるもの。
何故ならば確かこれは・・・


「あっ・・・あっ・・・うわっ・・・うわああああああああっっっっ!!」

それが何であるかにようやく女は気付き、そして絶叫した。

腕だ。
たった今まで愛に向けてオートマチックを構えていた自分の。

反射的に残った左手を自分の右腕がついているはずの箇所に持ってゆく。
なかった。確かにそこにあったはずの自分の腕が。

蒼白になりながら、女は必死で自分の腕を拾い上げて元の場所にくっつけようと焦った。
だが、右腕を拾おうと伸ばした左腕もゴトリと落ちたとき、女は完全な恐慌状態に陥った。




   *   *   *

「・・・・・・?ちょっと!どうしたの!?」

突然絶叫したかと思うと床にうずくまり、見たこともないような表情で痙攣している部下に、女は驚いて声をかけた。
だが、その声が届いている様子はない。


「・・・・・!!」

ハッと気付いた女は、後ろを振り返った。
そこには枷と鎖に束縛された惨めな姿ながらも、目に強い決意を宿した里沙がいた。


「そう、私がやった。私のこの忌まわしいチカラで」

「マインドコントロール・・・嘘よ!だって・・・」

そうだ。だってそんなはずはない。
里沙に飲ませていた栄養剤には能力を阻害する物質が多量に含まれていたはず。
だから里沙を安心してかわいがっていられたのだから。


「嘘かどうか・・・自分の目で確かめればいい!」

瞬間、女は世界がグラリと揺れるのを感じた。



   *   *   *

里沙は生まれて初めて感謝していた。
自分にこの忌まわしい能力が備わっていることに。
それを使ってこいつらを地獄に堕としてやれることに。

愛は殺させない。
愛を守るためならば自分は何にだってなる。
夜叉にでも。悪魔にでも。・・・殺人者にでも。


「あ・・・あぁ・・・・・・いやぁぁっっ・・・」

女が苦悶している。

だけど今度はあのときのように途中で止めたりはしない。
再起不能になるまで。



「ガキさん・・・やめて・・・!」

だがそのとき、漆黒の感情に支配されていた里沙の耳に力強い声が届いた。

女を睨みつけていた里沙の視線が声の方に移動する。
そこには、案じるような表情ながら厳しく里沙を制する光を放つ愛の目があった。

里沙の身体から、そして感情からふっと力が抜ける。
それと同時に、苦悶していた女は力尽きたように床にへたり込んだ。


「ガキさん・・・あっし・・・ガキさんにそんな風に守られても嬉しくないよ」

「・・・・・・!」

愛のその言葉に、里沙は愕然とした。


「ガキさんは・・・優しいから・・・それがガキさんの魅力っていうか・・・だからその・・・あーもう自分でも何が言いたいか分からん。とにかくあっしは優しくて甘いガキさんが好きや!」

「愛ちゃん・・・」

里沙は、心の中で燃えていた黒い炎が急速に小さくなっていくのを感じていた。

自分はまた進むべき道を間違えるところだった。
知らないうちに。
だけど愛はそんな自分をまた正しい道へと引き戻してくれた。

愛に出逢えてよかった。本当に。
改めて心からそう思う。
そして同時に・・・



床にへたり込んだままの女に対し、里沙は複雑な思いを禁じえなかった。
先ほど覗いた女の心の大半を支配していたもの。

それは孤独。
自分たちのような能力者が必ず抱える闇。

「きっと自分の能力を忌まわしく思ったことなどないだろう」

この女に対し、里沙はそう決め付けていた。
だが、それは全く間違っていた。
残酷な過去、忌まわしい思い出。
能力を持ったが故の過酷な経験が、女の中には渦巻いていた。
自分の忌まわしい能力を・・・そしてそれが引き起こした過去の全てを・・・それらを必死で肯定することでしか精神のバランスを保てなかったのだ。
「趣味にピッタリの能力」ではなく、「能力にピッタリの趣味を持つ自分」を演じなければならないだけだったのだ。

そう、同じなのだ。
結局は里沙も・・・この女も。

違うのは、自分には正しい道に導いてくれる存在がいたということ。
高橋愛という光が、進むべき道を照らしてくれていたこと。
それだけなのかもしれない。



「あっ!ほやった!」

突然、愛が素っ頓狂な声を上げ、里沙は我に返った。


「はよ鎖はずしてあげな!ごめんなガキさん。えっと・・・どれやー?いっぱいあってわからん・・・」

慌てたようにジャラジャラと鍵束をひっくり返す愛の様子を見て、里沙は思わず笑った。

「ちょっともー早くしてよー。いい加減体中痛いんですけどー」


笑顔で文句を言いながら、里沙は再び決心をしていた。

何があっても愛を絶対に守ると。

また以前とは違った形での固い決心を・・・