……掴んだ!
落下する最中、高橋は拳を突き上げた。
はるか下の地面に背を向けて高速で落ちているので、拳を
『突き上げている』という表現が妥当なのかはわからない。
とにかく、今まさに高橋の体は地面に叩きつけられるべく
落下している。
拳を開くと、一輪の花が現れて、瞬時にどこかへ飛んでいった。
Tシャツの裾が、連射中の機関銃のように絶えずタタタと
鳴っているようだ。
下からの浴びせられる強い風が、耳から頭蓋内にまで響いて
音どころではないが、そんな気がする。
下を向くと風圧で目が開けられないのだ。
だから今、高橋の視界の全てはスカイブルーに支配されている。
と思ったら、突然霧が現れてすぐに消えた。
今のは何だ? 今のは、雲だ。
早めに戻ろう。
死んでまうからな。
高橋はイメージする。全身をすっぽり包み込んでしまう程の
大きな大きな手が、物凄い速さで落ちていく自分をも楽々
掴んで連れて行く。
元居た自分の、ベッドの真上へ!
次の瞬間、スプリングがひしゃげてしまいそうな勢いで
ベッドの上に叩き落された高橋は、腰を強打してしばし
その場に蹲ってしまった。
斜め上のロフトで寝ているはずの田中は今夜、道重の家に
招待されて泊まりなので、いない。
「っつぅ~…………ふ、くく、いひひ」
部屋に一人なのを良い事に、高橋は久しぶりに心置きなく笑った。
これで大丈夫だ。自分は、最後の最後の切り札を会得できた。
うちの組織で死人は絶対に出さない。
死ぬのは、自分一人で充分だ。
ほんとは、誰一人犠牲を出さないのが理想やけど。
理想ってなんなのよ?
これは戦いなんや。
現実的でないやんか。
それでも高橋は、いつも思い描いていた。
平和な世の中を再び取り戻し、喫茶店でみんなとお茶を飲みながら
談笑する時間を迎えたい。
そういう理想を捨てることが出来なかった。
しかしいつからか、そのイメージの中に自分が居なくてもいい、
と思った。
田中が住み込みで働くようになり、道重が将来の夢を自分に
教えてくれた頃からだ。
田中は器用なので、一つ仕事を教えるとあっという間に習得した。
道重は亀井に内緒で、という条件付で、将来ケーキ屋を開きたい
から勉強させて欲しいと言ってきた。
田中に足りない愛想や話術は道重に充分備わっていたし、
道重に足りない調理技術は、田中がこれから自分で何とかするだろう。
給料を貯めて、いつか調理師免許を取得したいと言っていた。
喫茶リゾナントの経営をこの二人に任せる。
充分、現実的だ。
もう一つ現実的といえば、亀井の病魔……
高橋は今でも責任を感じている。
能力者だからといって、ハンデを背負った亀井に白羽の矢を
立てたことに。
能力を使い続けることで、病に負け命を落とすことが大いに有り得る。
そうしたら自分は、さっき会得した能力を……触れた物ごと
瞬間移動で思い描いた場所へ連れて行くこの能力を使って、
ダークネスのトップもろとも活火山の火口にでも飛び込むつもりだ。
亀井一人を逝かせはしない。
無論、亀井が無事だったとしても。
いざという時には。
あるいは、……最初からそのつもりでも。
最終更新:2012年11月24日 08:42