カリカリカリ。
 静かな部屋にペンを走らせる音が響く中、一人の文官の娘が黒い布をちくちくと縫っていた。
 ここはレイウォール王国ノルドグラム城内。
 フェリタニア・メルトランド連合王国がレイウォールを制圧した直後、王国軍最高軍師ナヴァールはレイウォール王国将軍ドーントレスの協力の下、戦争の事後処理にあたっていた。
 ナヴァールが働くその部屋で、文官の娘は何故か裁縫をしている。そしてそれをナヴァールも咎めようとはしていない。
 そんな奇妙な状況の中、コンコンと部屋のドアをノックする音が響く。
 そして顔を出したのは――
「ナヴァール、呼びました?」
 連合王国女王にして、レイウォール王国第一王位継承者であるピアニィ・ルティナベール・フェリタニアその人であった。
 しかし、その声に反応したのはナヴァールではなく文官の娘の方であった。
「あ、陛下。見てください。後ほんの少しで完成なんですよ」
 そう言って紺色の布を広げる。
 それを見て、ピアニィは歓声を上げる。
「わぁ、すごーい! これならアルも喜びますよ!」
 文官が広げてみせた布は上等の絹を紺色に染め上げて作られたマントだった。連合王国第一の騎士アル・イーズデイルが鎧を一新した際に母親であるエルゼリエ・ブルックスに発注した品であった。
 だが、その話を聞いた文官の娘が『待った』をかけ、彼女が自作する事にしたのである。
 その事を思い返してピアニィが問いかける。
「でも、どうしてリアちゃんが作る事にしたんですか? エルゼリエさんに頼めばすぐだったのに……」
 その問いに、ペンを止めたナヴァールも頷く。
「それは私も気になっていた。理由を聞かせてはくれぬか?」
 二人から問われた文官の娘リアは、にっこりと笑って理由を話してくれた。
 それを聞いた二人は――
「なるほど、な。そういう考えだったのか」
「リアちゃん、すごいです! それならアルもきっと喜んでくれますっ!」
 二人の賛辞を受け、リアは照れくさそうに笑う。
 そして、ピアニィに完成間近のマントと針を差し出す。
「最後の一針です。縫っていただけますか?」
 微笑んで告げられた台詞にピアニィは頷き、マントを一針縫って返す。
 マントを受け取ったリアは、糸の処理を終えてピアニィに再度差し出した。
 きょとんとするピアニィに、
「私からではなく、陛下から渡して差し上げてください。きっと、その方が喜んでくださいますから。後……私が自作した理由も、お伝えくだされば幸いです」
 そう言って、柔らかく微笑む。
 ピアニィは了承し、マントを抱えて部屋を出て行った。
 それを見ていたナヴァールは一言。
「……けしかけたな?」
「何の事でしょうか?」
 上司の台詞にしれっと返すリア。だが、その口元は笑っている。
「陛下にアルと会う口実を作って差し上げたのだろう? このところ忙しくてあまり顔を合わせる機会もなかっただろうしな」
 推測を口にするナヴァールに、リアはとぼけた返事を返す。
「さて? とりあえず私は仕事に……っと、軍師様」
「うん?」
 唐突に声をかけられたナヴァールはいぶかしげな表情で彼女を見る。
 リアは仕舞いかけていた裁縫道具を再度取り出して、ナヴァールに向けて手を差し出す。
「法衣の裾がほつれているようですので、ついでに縫いますから脱いでくださいね」
 リアのその言葉に、ナヴァールは礼を言いながら法衣を渡した。
 彼女の手元を眺めながら、ナヴァールは疑問に思っていた事を問う。
「……ところで。何故ここで裁縫をしていたのだ?」
 その問いに、リアは苦笑しながら答えた。
「ここだと仕事を押し付けられずに、集中してマントが縫えるからです」

 ピアニィは生まれ育った城を自身の騎士を探して歩き回る。
 少しでも早く、完成したマントを渡してあげたかったからだ。
 アルを見つけたのは中庭の一角。ちょうど休憩時間のようだ。
「アル、やっと見つけました!」
 そう言って彼の許に辿り着くと、アルは少々驚いたような顔をする。
「姫さん、なんだよいきなり。何か用か?」
 アルの問いかけに、ピアニィは微笑んで、抱えていたものを広げてみせる。
「ついさっき、アルのマントが完成したので持ってきたんです♪」
 広げられたマントを見て、アルは感嘆の声を上げる。
「すっげー。本職が作ったみたいにしっかり作ってあるな。あ、表と裏では色が違うのか」
「アル、とりあえず羽織って見せてくださいよ♪」
 しげしげとマントを確認するアルに、ピアニィは羽織ってみるようにせっつく。
「あ、ああ。……どうだ?」
 マントを羽織り、ピアニィに見せる。だが、ピアニィは無言。
「……姫さん?」
 声をかけるも反応はない。
 ピアニィはマントを羽織ったアルをじっと見つめて……いや、見惚れていた。紺地に黒の縁取りのされたマントはアルに非常に良く似合っている。
 アルは反応のないピアニィの顔を覗きこんでもう一度声をかける。
「おい、姫さん?」
「きゃあっ!……お、驚かさないでくださいよ……っ」
 高鳴る胸を押さえながらピアニィが抗議するも、アルはいぶかしげな顔。
「声をかけても気づかないんだもんな。目の前にいるっていうのに」
「あ、ごめんなさい……」
 声をかけられて返事をしなかったのは確かに悪かったので謝っておく。
 それで機嫌を直したアルに、ピアニィは頬を紅く染めながら小声で囁くように告げる。
「その……マント。すごく似合ってて……。思わず見惚れちゃいました」
 その言葉に、アルも思わず赤くなる。
「あ、ああ……ありがとう」
 お互いに照れくさくなったのか、微妙に目を逸らしながらの沈黙が続く。
 耐え切れなくなってきたのか、先に口を開いたのはアルの方だった。
「しかし……リアの奴、こっちにまでマント持ってきてたのか。確かに期日は今日だったけど、そこまでしなくてもいいのにな」
 マントの端をいじりながらのアルの台詞に、
「『どうしても期日に間に合わせたいから』って、さっきまで一生懸命縫ってましたよ」
 ピアニィはそう言って苦笑する。そして、リアが上司であるナヴァールに直談判してまでマントを縫い続けていた理由を口にする。
「それに、そのマントには『みんなの願い』がこめられているって言ってました」
「みんなの……願い?」
 彼のその言葉にひとつ頷いてから続ける。
「リアちゃんが前に仕えていた家での慣習だったそうですけど、主が戦場に出る場合、その衣服やマントを屋敷のみんなで作るんだそうです。『主が無事に戻ってきますように』という願いをこめて」
「……え……」
 アルはその話に困惑する。自分がそんなふうに誰かに思ってもらえる存在だと考えた事などなかったのだ。
 ピアニィはそんなアルに微笑みかける。
「そのマント、フェリタニアが建国された時から仕えてくれている人達全員が一針ずつ縫っているんだそうです。後、アキナちゃんやエルザ先生、エルゼリエさんも。だから時間がかかったんだそうです。……愛されてますね、アル」
「………………っ!」
 アルは絶句した後に真っ赤になる。彼女達の気持ちが嬉しくて、気恥ずかしくて。
 そして、ピアニィは更に続ける。
「……もちろん、あたしも縫わせていただきました。アルに――生きていて欲しいから。あたしの側に戻ってきて欲しいから。そして――ずっと側にいて欲しいから」
「………………姫さん」
 真っ赤になりながら自分の想いを告げるピアニィに、自分への好意と信頼を感じて――アルは彼女をそっと抱き締める。
「……ありがとう」
 そう言って、アルはずっと主を抱きしめ続けた。

「……そういえば、陛下が最後だったのは何か意味があったのか?」
 繕ってもらった法衣を着直しながら、ナヴァールはリアに問う。
「あ、はい。ありますよ?」
 リアは微笑みながら返す。
「で……その意味とは?」
 そう問われ、彼女は笑いながらこう答えた。
「最後に縫うのはその屋敷の女主人――つまり、奥方のお仕事なんですよ。後、アル様にマントを贈ったのは……あの方は陛下をきちんと護り抜いてくださると信じているからです。だから……陛下じゃなくアル様に贈ったんです。だって、陛下を護り抜いたアル様が帰って来てくださったなら、それは……お2人ともが帰って来てくださったって事なんですから……」
最終更新:2012年05月29日 22:56