かん! ごんっ!
 木剣を打ち合う音が周囲に響き渡っている。どうやら剣の稽古をしているらしい。
 一人は赤銅色の髪の十四、五歳の少年。長剣サイズの木剣を二本持ち、相手の攻撃を受け流しながら隙を伺っている。真っ直ぐに相手を見据える瞳は琥珀色だ。
 もう一人は黒髪の十二、三歳の少女。短剣サイズの木剣をこちらも二本手にし、少年に絶え間なく攻撃を放っている。
「……このっ!」
 しびれを切らした少年は、相手の攻撃を食らう覚悟で打って出る。しかし、右手の剣を振った先に少女はいない。
 少女は少年が打って出る事に気付き、その直前に宙を舞っていたのだ。そして相手の背後に着地すると同時に木剣を少年に突きつける。
「……勝負あった、な」
 そう言って二人の稽古を見守っていた男が声をかける。深い茶色の髪に闇に近い青い瞳をした隻眼の三十を少し過ぎたくらいの年齢の男。二人の師匠のようだ。
 男の声に、木剣を降ろしながら少女は紫の瞳を閉じて深く息を吐く。
 少年の方は少女に負けたのが悔しいらしく、ふてくされた顔をしている。
「よし、ナーシアは今日は終わっていい。アルは素振り500回だ」
 その言葉にナーシアと呼ばれた少女は頷いて去り、アルと呼ばれた少年は抗議の声を上げるが二人に睨まれて大人しく素振りを始める。
 素振りを始めたアルは、小声でぶつくさと愚痴を言い始める。
「なんで俺、毎回毎回負けるんだろ……。俺の方が年上で剣の修行を始めるのも早かったのに……」
 その声を聞き咎めた師は、アルの台詞にこう返す。
「そりゃあお前。覚悟の差ってもんだろ」
 師の言葉に、アルは素振りを一旦止めて聞き返した。
「覚悟……?」
「そうだ。お前はただ、強くなりたいから剣を取っただろう?」
 そう問われて、アルはこくりと頷く。
「うん。俺、テオみたいになりたいって……そう思ったから弟子になりたいって押しかけたんだ」
「だろ? だけどあいつは違う。強くなりたいから剣を取ったんじゃねえ。何か、為したい事があるから剣を手に取ったんだ。あいつにとって、強くなる事が目的じゃねえんだ。強くなる事は為したい事の為の手段でしかねえ。……ああいう奴は強くなるぜ」
 そう言ってどこか遠くを見つめるテオドールにアルは問いかける。
「テオにも何か為したい事があるんだ?」
 アルのその問いに、テオドールは苦笑して弟子の頭を乱暴になでる。
「……まあ、な。とりあえず、お前を一人前の剣士にするまでは小休止、ってところだが」
「……悪かったな、五年も修行積んでるのに半人前で」
 頭をなでる手をはねのけながら呟いたアルの台詞に、テオは腹を抱えて爆笑した。

「……ル。アル。起きなさい」
 どこか耳に心地よい静かな声。
 その声に、適当に返事をして寝返りをうつと、
「こんなところで寝てたら風邪引いちゃいますよ、アル兄様。起きてくださいってば」
 と、そんな声が聞こえて思い切り揺さぶられる。
 流石に寝てもいられなくて、フェリタニア・メルトランド連合王国第一の騎士、アル・イーズデイルはしぶしぶ起き上がる。
「……アキナ……。起こすにしても限度があると思うんだが……」
「でも、こんなところで寝てたら風邪引いちゃいますよ?」
 そう言って、赤い髪に青い瞳の少女が周囲を見渡す。アルの義妹アキナ・ブルックスだ。彼が寝ていたのはノルウィッチ城の中庭の巨木の下だったのだ。
「……アルがなかなか起きないからでしょ?」
 アキナの隣でぼそりと呟いたのはアルの同門の妹弟子ナーシア・アガルタだった。
「へいへい。……って、ナーシア、ロッシュの側にいなくていいのか?」
「部屋から貴方が見えたから、風邪を引く前にって思って起こしに来たのよ」
 ナーシアの弟ロッシュはバルムンクの陰謀によって魂が抜かれた状態にある。グラスウェルズに安全な場所がないと思った彼女は、メルトランドの騎士オトガルを頼りロッシュを預かってもらっているのだ。
 ナーシアの台詞に、そういえばと彼は夢の内容を思い出しながら問いかける。
「昔テオがお前には為したい事があって剣を手に取ったから強いんだって言ってた。お前が為したかったのは……ゴーダ伯の剣として戦う事……そして、ロッシュを護る事、だよな?」
 そう言われてナーシアは苦笑しながら頷く。
「そう、テオは気付いていたのね……。私は戦う理由があるから剣を取った。当時の貴方と違ってね?」
 最後は意地悪く笑いながらの台詞である。
 相変わらず底意地が悪い奴だと思いながら、アルはふてくされたように呟いた。
「……どうせ俺はあの頃お前に一回も勝てなかったよ」
「えー!? アル兄様、そうだったんですか!?」
 大げさなくらいに驚くアキナに、ナーシアがすすす、と彼女の横に移動して言う。
「そうなのよ。三歳も年下の、しかも妹弟子に勝てなかったのよ」
 そうアキナの耳元で囁くナーシアの顔は、アルをからかう時のそれだ。
「稽古じゃ一回も勝てなかったが、実戦じゃ勝ったじゃねーかっ!」
 そんなナーシアにアルは怒りで拳をふるふると震わせながら怒鳴り、それを見てアキナとナーシアは噴き出した。

「そういえばアキナはどうして剣を取ったの?」
 後ろを向いて肩を震わせていたナーシアが、唐突にアキナの方に向き直って声をかける。
 それに右手をびしっと上げ、アキナはきっぱりと答えた。
「アル兄様の役に立ちたいと思ったからです!」
「アルの?」
 小首を傾げるナーシアに、アキナは過去を思い返しながら告げる。
「アル兄様は両親を亡くして泣いていたあたしを助けてくれたんです! だから、恩返しがしたいんです!!」
 そこまで言ったところで、上げた手を肩の辺りまで下げる。
「……でも、今はそれだけじゃないです。あたし、この国の人達が大好きなんです。だから、みんなを護りたい……そう思ってるんです」
 そう言ってにっこり笑ったアキナを見て、アルとナーシアは揃って溜息をついた。
 二人のその態度に、アキナは慌てたように口を開く。
「あ、あれ? あたし、変な事言いました?」
 わたわたしているアキナに対して、アルは苦笑する。
「ああ、いや、そういう訳じゃないんだ。ただ……」
「私達がアキナの年齢だった時、そういうふうには言えなかったな……って思って」
 ナーシアもアルと同じ表情でアキナを見る。
「特に俺は『テオのようになりたい』、ってだけで剣の修行してたからなぁ……。ナーシアやお前のように、『誰かの為』に剣を取った訳じゃなかったんだよ」
 二人を見ながら苦笑を深めて言うアルに、けれどナーシアは、
「……でも、今はちゃんと理由があるでしょう?」
 そう言って城の窓のひとつを見上げると、その窓が大きく開かれた。中から顔を出したのは薄紅色の髪に翡翠の瞳の少女。
 彼女はきょろきょろと辺りを見回し、アル達を見つけて声をかける。
「あ、アル。それにナーシアにアキナちゃんも! 今から休憩なんですけど、一緒にお茶でもしませんか?」
 笑顔でそう告げる主――ピアニィ・ルティナベール・フェリタニアに、アル達は誘いを受ける旨を伝える。
「じゃあ、お茶の用意を頼んでからそちらに行きますから待っててくださいねー」
 そう言って窓を閉めるピアニィを見ながら、ナーシアはアルに向けて一言。
「『護る』、と約束したんだから頑張りなさい。あの子の無茶は日常茶飯事だけどね」
 彼女のその一言に、アルは赤くなった顔を見られないようにそっぽを向きながら答える。
「…………わかってるよ」
 そんなアルに向かって、アキナは右手を高々と上げて宣言する。
「あたしもアル兄様とピアニィさんの為に頑張りますっ! 一緒にピアニィさんをお護りしましょうね!!」
 空気を読んでいないアキナの宣言に、アルとナーシアはまた苦笑する。
「え、ええ? あたし、また変な事言いました?」
 そう言ってうろたえているアキナを見て、アルとナーシアは今度こそ噴き出した。

 アルは思う。
 剣を取った理由は人それぞれで、剣を取り続ける意味は少しずつ変化していくものなのだろう、と。
 ナーシアはロッシュと仲間達の為に。
 アキナは連合王国の人々の為に。
 そして自分は――師である剣聖テオドールの遺志を継いで世界を護る為に。それと同時に――
「アル、ナーシア、アキナちゃん、お待たせしました!」
 そう言って駆け寄ってきた、唯一無二の主を護る為に――
最終更新:2012年05月29日 22:55