「いったいなんでこうなっちまったんだか……」
 フェリタニア第一の騎士、アル・イーズデイルはぼそりと呟きながら少し前を歩いている一団を見る。
 そこにいたのは普段とは違うセーラー襟の上着を着て、大きな帽子を被って特徴的な薄紅色の髪を隠したフェリタニア女王ピアニィ・ルティナベール・フェリタニアと、フェリタニアで暮らしている子供が三人。
「ねーねー、おねーちゃん。早く早くーっ」
「早くしないと置いていっちゃうよーっ」
「アルも早くーっ」
「みんなそんなに楽しみなんだ?」
「「「うんっ!」」」
 そんな事を言いながら、ピアニィは子供達と一緒になってはしゃいでいる。
 その光景を見ながら、アルは知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。

 フェリタニアが建国されて一ヶ月が過ぎたこの日、バーランドの城下町では小さいながらも市が開かれていた。
 これは元々街の人々が言い出した事であり、皆がレイウォールの圧政から解放された喜びとピアニィ陛下への感謝を忘れないように、そして街の活性化を図る為に……との事で、これからも一月に一度行われる予定である。

 市が開かれる、とアルが聞いたのは今朝の事。
 前日の晩にバーランド宮に戻ってきたアルが目を覚まして食事を済ませた後に、文官の一人から話を聞いたのだ。
「へえ、そうなのか……。じゃ、俺も行ってみるかな」
 そう言い、部屋から出たところで自身の主に出会ったのだ。
「……アルさん、お出掛けですか?」
「ん?ああ。ちょっとな。城下まで」
 ピアニィの質問に頷いて答えるアル。
 そのまま彼女の横を通り過ぎようとしたアルのマントを、ピアニィははっしと掴む。
「……なんだよ?」
「……えっと……あの……今日、午前中だけ珍しくお仕事なくって……ですね、その……」
 マントを掴まれて振り返ったアルに、ピアニィはしどろもどろになりながら答える。
「……つまり、あんたも一緒に城下の市に行きたい、と?」
 そう言うと、こくこくと頷くピアニィ。
「えと……ダメ、ですか……?」
 その問いに反射的にダメだと答えそうになったアルよりも先に口を開いたのは、先程アルに市が開かれると教えてくれた文官だった。
「いいじゃないですか。午前中はお休みなんですし。アル君、キミはちょっと固いと思うよ?」
 ほがらかな顔でそう言われ、顔を輝かせるピアニィと、対照的に渋い顔をするアル。
「シェールさん、本当に行っていいの?」
「もちろんです♪」
 アルの眼前で微笑み合う文官シェールとピアニィ。
 行っていい、と言われた主の嬉しそうな顔を見て、アルはしぶしぶ折れる。
「……しょうがねえなぁ。いいよ、連れてくよ」
「ありがとうございます、アルさんっ!」
 そう言って微笑んだピアニィは本当に嬉しそうで。
 アルはその笑顔に釘付けになる。
 そんな二人を微笑ましく見守っていたシェールは、「あ、でも……」と声を上げ、
「そのままの格好で、という訳にはいきませんからね?」
 そう言って、主を自室に引っ張り込んだ。

 その後、ピアニィがシェールが貸してくれた服に着替えて変装して城から出てきたところで、子供達に何故かピアニィの事がバレて一緒に行動、という事になったのである。
 アルは気付いてはいなかったが、彼が自分の主の話をする時と、一緒にいる少女に接する時の態度が同じだったのが気付かれた要因だったりする――子供は大人よりも観察力に優れているものだ。
 自分の少し前をはしゃぎながら歩く四人を微笑ましく見ながら、アルはピアニィに声をかける。
「ピィ、わかってるとは思うが――」
「アルさんの目の届かない場所には行かない、ですよね。わかってますよ」
 上着とスカートの裾を翻しながら振り返り、笑顔でピアニィは答える。
 アルがピアニィをピィと呼んでいるのは、もちろん正体が発覚するのを防ぐ為だ。呼ばれ慣れている渾名であれば、名前を呼ばれた時に自分を指している事がすぐわかるからである。
 ただ、アルもピアニィも、普段使っていない呼び方、呼ばれ方をするというのは少々気恥ずかしいものがあったようで、城で練習した時なかなか慣れなかった。
 そんな感じで街の広場に来てみると、屋台が十数件立ち並び、大勢の人々が集まっていた。
 ピアニィはそんな広場の様子に歓声を上げる。
「うわぁ、すごーい!いっぱい人がいるね、みんな」
「みんなで頑張ったんだよ~」
「凄いでしょ~」
「よーっし、遊ぶぞーっ!!」
「確かにこの街の規模と今までの暮らしぶりから考えればすげえなあ」
 皆で思い思いの感想を口にしつつ、屋台を一軒一軒見て回る。
「アルー、これ買ってー」
 と、ジャスが露店のおもちゃをねだったり。
「アルー、あたしはこれがいいー」
 と、キムが同じく露店のおもちゃの指輪をねだったり。
「僕はこれがいいー」
 と、ヨシュアが絵本を差し出したり。
 そしてアルは
「お前ら、買ってやるのは一つだけだぞー。後、キムにも何か見繕ってやれよー」
 と言いながらお金を払ったり。
 そんな光景を眺めながら、ピアニィは柔らかく微笑む。幸せそうに、嬉しそうに。
「ピィ、次はどこの屋台に行きたい?」
 そんなピアニィの様子に気付いたアルは少し離れたところにいる彼女に手招きをする。
「あ、じゃあですね――」
 アルの元に駆け寄りながら、ピアニィは自分の願望を口に出した。

 一方その頃。
 シェールは陛下の代わりに……と、ピアニィの自室に篭っていた。
 彼女の背格好、髪の色がピアニィに少し似ていた為に、身代わりを買って出たのだ。
「二人とも、今頃楽しんでいるんだろうなぁ……」
 部屋にあるテーブルの上で頬杖をついてそう呟いた時、ドアをノックする音が響いた。
 シェールが反射的に首をすくめてしまったのは、ピアニィの不在の原因が自分にもあるからである。
 返事が出来ずにまごついていると、返事がないからと再度ノックする音が聞こえた。
 そしてノックした直後に、
「む……午前中は休みだとはいえ、陛下がどこかに行かれるとは思えないのだが……」
 そう呟く、自身の上司であり、友人でもあるナヴァールの声。
 シェールは、相手がある程度は話のわかるナヴァールであるのを認識してドアを開く事にした。
 ナヴァールはシェールがピアニィの格好をしてそこにいるとは思っていなかったようで、一瞬驚いた表情を見せた。
「……シェールか。何故その格好で陛下の部屋にいる?」
 対するシェールは沈黙。
 その沈黙に不穏なものを感じ、ナヴァールは再度問いかける。
「……シェール?」
 声に含まれる圧力に、シェールは深く溜息をついてから答えた。
「……陛下の身代わり、よ。陛下は今城下町にいるから」
 そう言って、ピアニィが城下町に行った経緯を説明する。
 そして一つ付け加えた。
「陛下はレイウォールが圧政を敷いていた頃のバーランドしかご存じないから。今の状況、見せてあげた方がいいと思ったの」
 それを聞いたナヴァールは「ふむ……」と呟き、
「……確かにな。陛下が現状を知るには良い機会だとは思う。城下であるし、アルも共にいるのなら心配はなかろう。……だが、私は納得しても……ナイジェル殿が納得するかはわからぬぞ?」
 ぴきっ。
 シェールはナヴァールの台詞に固まる。
「……考えていなかった、という顔だな」
「……うん……ナイジェルさん、怒ると怖いからなぁ……」
 ナヴァールの指摘にぎこちなく頷くシェール。
「……まあ、ナイジェル殿にバレずに戻って来られる事を祈ろう」
 そう言い、ナヴァールはシェールの肩をぽんと叩き、彼女の格好を改めてしげしげと見る。
「……何?」
「いや……流石におぬしの年齢でその格好は若作りにも程がないかと思っ……うわっ!」
 どごっ!
 ナヴァールの余計すぎる一言に、ハーフエルダナーンで彼よりもかなり年上であるシェールは思わず殴り倒していた。

 バーランド宮でそんなやりとりがあったとは知らず、アルとピアニィは子供達と別れ、広場の中央にある噴水の縁に腰かけていた。
「ほら、姫さん」
 小声でそう言い、ジュースの入った素焼きのコップをピアニィに差し出すアル。
「あ、ありがとうございます」
 そう言い、コップに口をつけるピアニィ。
 そんなピアニィにアルは声をかける。
「……楽しかったか?」
「はいっ!」
 打てば響くような返事。その声からアルは、ピアニィが心底楽しんでいた事を理解した。
「そっか、そりゃ良かった」
 にっと笑ってアルは返事を返す。
 ピアニィはにこにこと笑いながら、向こうの人達がこうだった、あそこの人達はああだった、と、自分の事ではなく、市を楽しんでいる人々の事を口に出す。
「姫さん、市に人間観察に来たのかよ」
 そう言い苦笑するアルにピアニィは「あうぅ……」と、可愛らしくうめく。
 そんなピアニィの様子が可愛らしくて、アルは噴き出した。
「はははっ。冗談だって、冗談。本当はみんなの暮らしぶりを見に来たんだろ?姫さんが最後に見たのは建国前だったし、心配だったんだろ?」
 アルの的確な指摘に、ピアニィは心底驚く。
「ど、どうしてわかったんですか?」
 何も言ってないのに……と続けた主に、彼女の騎士は微笑みかける。
「そりゃわかるさ。姫さん、他人の事になったらわがままだけど、自分の事でわがまま言うようなやつじゃねえからな」
 今回のはちょっと不自然だった、と続ける。
「そ……そんなにわかりやすいですか?あたし……」
 アルの指摘にしゅんとしながら縮こまるピアニィに、
「自分じゃ気づいてないっぽいけど、すごいわかりやすいと思うぞ、俺は」
 アルはそう言って苦笑する。
 と、その時。
 ゴーン、ゴーン……。
 神殿の正午を告げる鐘が響き渡った。
「やべっ!もうこんな時間かよっ!!」
「は……早く帰らないとっ!」
 そう言い、素焼きのコップを露店に返し。
「行くぞ、姫さんっ!」
「はいっ!」
 アルはピアニィの手を引いて、バーランド宮まで走り出した。

「陛下っ!あれほど城外に出てはなりませんと……っ!」
 街から帰ってきたばかりの主従を目の前に、フェリタニアの宰相ナイジェル・ムーアの怒声が響き渡る。
 シェールとナヴァールが会話をしている時、たまたまピアニィに用事のあったナイジェルに見つかってしまったのだ。そして二人が帰ってきたという知らせを受けてすぐにお説教が開始されたのである。
 ちなみにナヴァールはナイジェルの後ろに控え、シェールはというと……特大級の雷を落とされた直後らしく、部屋の片隅でぶるぶると震えている。余程恐ろしかったらしい。
 叱られている主従は宰相のあまりの剣幕に、ただただ必死で耐えているのみ。
「……わかりましたか、陛下、アル殿っ?」
 三十分ほどでお説教が一区切りつき、ナイジェルは念を押すように問いかける。
「「は…はいっ!」」
 大きな声で返事をしつつ、こくこくと頷く主従。
 そこで少しだけ態度をやわらげ、ナイジェルは主に問いかける。
「……ところで陛下。何故城下に行かれたのですか?叱られる事もわかっていらしたはずですのに」
 ナイジェルがそう口にした瞬間に、その場にいた全員がピアニィに視線を移す。
 皆の視線を受け、ピアニィは少し居心地悪そうにしながらも理由を口にした。
「あたしがこの街に来た時……みんながレイウォールの圧政に苦しんでいたんです。あたし達がフェリタニアを建国した事で解放されたのはわかってたんですけど……ちゃんと、この目で見たかったんです。あの時とはちゃんと違っているか、みんなが少しでも幸せなのかを」
 そう言い、スカートの裾をきゅっと握る。
 彼女のその言葉に、アルは頷き、ナヴァールとシェールは微笑む。とても満足そうに。
 こういう主だからこそ自分達は仕えているのだと、口には出さずに再認識する。
 ピアニィの言葉を聞き、ナイジェルも険を引っ込める。
「……わかりました。今回はこれ以上は言いません。さあ、午後のお仕事が待っていますよ、皆で頑張りましょう」
 この部屋にいた皆が、その言葉に頷いた――。


後書き
これは2010年の夏コミに出した本のお話です。
ずっと城に缶詰状態になっていたピアニィが街の人々を心配してお忍び視察をするお話。
2009年からずっと暖めていたので、書けて良かったです♪
ちなみにこのお話に出てくるシェールはオリジナルPCですw
最終更新:2011年05月08日 20:58