それは彼からすれば何気ない一言だった。
「姫さん。ちょっといいか?」
 女王の騎士アル・イーズデイルは、自分の主であり、ここフェリタニアの女王であるピアニィ・ルティナベール・フェリタリアと話をする為に執務室に赴き、声をかけた。ただそれだけの行為だった。少なくとも彼にとっては。
 その声を聞いたピアニィは4本の剣を背負った自身の騎士を見つけると、その持ち前の俊敏さでアルに詰め寄った。
「アル、私、言いましたよね?『もうお姫様ではありません。名前で呼んでください!』って。アルも『わかったよ』って言ってくれたじゃないですか。なのになんでいまだに『姫さん』なんですか?」 
 それはアルが騎士叙勲を受けた時の話だ。
 確かに彼はピアニィに対して名前で呼ぶと言ったはずだった。だが、今、アルはピアニィの事を「姫さん」と呼んだ。それがピアニィには不満らしい。
「え?あ~、それは……つい」
「『つい』、じゃないですよぅ。もうお姫様じゃないんです。……もう、戻れないし、戻るつもりもありません。だから…『姫さん』って呼ばないでください」
 アルはその言葉に、ピアニィの覚悟を知る。
 一人の少女であるという事より、レイウォールの王女であるという事よりも、フェリタニアの女王としての責任と義務を背負うという覚悟を。
 「姫さん」と呼ばれるたびに、レイウォールで過ごした優しく暖かな日々を思い出してしまうから……だから呼んで欲しくないと言っているのだ。
 ――それに気付いたからこそ、アルはあえてこう言った。
「『姫さん』、じゃ……本当に駄目なのか?」
「……え……?」
 自分を真っ直ぐにみつめてそう言ったアルに、ピアニィは言葉を続けられなくなる。
「俺は『姫さん』って呼びたいんだが、本当に駄目か?」
「……で、でも……あたし、今はフェリタニアの女王ですし……『姫さん』、はちょっと違うんではないかと……」
 アルの視線を真っ直ぐに受け止められなくなって、ピアニィはうつむいた状態でかろうじて言葉を紡ぐ。
「だったら、俺専用のあんたに対する渾名とでも思っててくれ。俺はあんたをこれからも『姫さん』って呼ばせてもらう。『ピアニィ陛下』って呼ぶのはちょっとしっくり来なくてな」
「……それは、あたしがまだまだ女王として頼りないって事ですか?……事実ですけど……」
 アルの台詞に気落ちするピアニィ。
 その小さな肩をぽんっとアルは叩いて。
「別にそうは言っちゃいねえよ。ただ、俺は『あんた個人に仕えている騎士』って事になってる。だから、女王として頑張るのはいいけど、たまには……俺の前でくらい、一人の女の子でいたっていいんじゃねえかって話だ。実際、『陛下』って呼ばれるよりも『姫さん』って呼ばれる方が気が楽になるだろ?」
 表情を和らげてピアニィに微笑みかける。
 対するピアニィは少し浮かない表情。
「それはそうなんですけど……それだと、あたし……アルさんの厚意に甘えちゃう事になっちゃうんですけど……。『女王として頑張ろう』って思ってた矢先にそんな事言われると……くじけちゃいそうになっちゃうんですけど……」
 正直にそう告げると、アルは苦笑する。
「最初からそうやって無理してたら、うまくいくもんもうまくいかなくなるぞ。少しずつでいいから、確実に次に進めるようにしないとな。……そういうところは、剣や魔術の修行と何も変わらないと思うぞ」
 その言葉でようやくピアニィは顔を上げる。少しだけ緊張の解けた顔でアルをみつめて。
 そしてほんの少しだけ苦笑して、
「……そうですね。ちょっとだけ……無理しすぎてましたね。みんなの期待に応えなきゃって、そればっかり考えて動いてました。まずは『自分に出来る事』を、それから『自分に出来ない事を出来るようにする』のが重要なんですよね、こういう時って」
「そういう事だ」
 うんうんと大仰にうなずくアルを見て、思わず吹き出すピアニィ。

 2人の間の空気が少しだけ和らいだ…ところに。
「おや、アル。陛下に何か用だったのか?」
 大量の書類を抱えたナヴァールが戻って来る。
 そんなナヴァールを見て、アルは思わず「タイミングが良すぎるぜ、旦那……」とつぶやく。下手するとこの竜人は2人の会話を聞いていたのかもしれない。
 ピアニィの方はナヴァールの台詞に、アルが用事があって執務室に来た事を思い出した。
「あ、そうでした!アル、何か用があったんじゃ……」
 ピアニィの台詞に、アルは片手を振って応える。
「あ~、いい、いい。どうせたいした用じゃないんだ。ただちょっと、外出してくるって言いに来ただけだ」
 ピアニィはその言葉に過剰反応を起こす。
「さっき、『俺の前でくらい、一人の女の子でいたっていいんじゃねえか』って言ってくれたじゃないですかっ!?それですぐ出かけちゃうんですかっ!!?」
「ぐはっ!!旦那の前でそれを言うかっ!!?」
 ナヴァールの前で、ほんの少し前に自分で言ったこっぱずかしい台詞を再現されて、アルは思わずその場に突っ伏す。
 ピアニィはピアニィで、自分で言った台詞で赤面している。
 それをナヴァールはそれはもう非常に楽しそうに眺めていた。
 そしてこっそり心の中で呟いた。
 ――若いですねえ。




後書き
 …ほぼ勢いだけで書いてしまいました。
 この話はリプレイ1巻直後のお話です。
 リプレイ1巻で「姫さん」呼び封印されているはずなのに、2巻でも普通に「姫さん」呼びしているアルに理由つけてあげたかったのが、これを書いた動機です。
 ノベル2巻経由アルピィだったらこれくらいでもいいかな~とか思いましてw
 あ、おまけつけておきますw

おまけ
ア「……旦那、もしかして、もしかしなくても……一連の会話、聞いてたか?」
ピ「……え?き、聞いていたんですか?」
ナ「いえ、今しがた来たところですよ。陛下の笑い声くらいしか聞いていません」
ア・ピ「ほっ」
ナ(……もちろん、最初から聞いていたのだが、黙っておこう。その方がいじりがいがあるしな)
最終更新:2011年05月08日 20:11