2ch黒猫スレまとめwiki
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2ch黒猫スレまとめwiki
ja
2023-12-28T02:22:11+09:00
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白猫
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てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強てきおゲームズ最強
2023-12-28T02:22:11+09:00
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『私の最高の誕生日』:(直接投稿)
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/1273.html
(アニメ設定世界線では)27歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!
この一年も、黒猫ifコミカライズが少年エースで絶賛連載中で
毎月新たな黒にゃんの姿が見られるという、眷属冥利に尽きるものでした。
懸念だった小説下巻分までコミカライズが続くのかと言うところも
眷属の反響の大きさから杞憂に終わり、無事に下巻分が進んでいますね。
特に先月号ではビジュアル的に初お目見えとなる、黒にゃんの父親
静さんの姿も描かれてさらに盛り上がっているところでしょうか。
ペース的には恐らく来年の今くらいまでコミカライズが続きそうですし
この一年もまた、まだまだ黒にゃんの話題で楽しんでいけそうです。
そしてゆくゆくは黒猫if夢のアニメ化へと向けて
これからも眷属として全力で応援していきたい所存です。
さて、そんなわけで。
その一環として、今年の黒にゃんの誕生日にちなんだSS
『私の最高の誕生日』
を投稿して、今年の黒にゃんの生誕を祝福させて頂きました!。
この話は黒猫if世界線を基本としていて、京介が弁展高校を卒業して
黒猫が17歳の誕生日を迎える辺りの話となっています。
また私がコミケC100,C101で発刊した(そしてC102で刊行予定の)
「俺の恋人と高校生活を満喫するわけがない」の続編となっております。
内容としては黒猫if本編の夏休み以降の話を書いていますが
京介と黒猫が毎朝一緒に登校をしたり
『夏の銀色』をゲー研で完成させたり
学祭で二人の思い出をつくったり
京介が実家で一人暮らしをする際に手伝いにいったり
クリスマスを一緒に過ごしたり
といったものになっています。
pixiv でもサンプルとして序盤の部分を上げていますので
興味のある方はそちらもお読み頂ければと思います。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18108638
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18954728
なお、この話に出てくる黒にゃんバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんで作って頂きました。
https://downloadx.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/937/bitrthDayCake2023_1.png
こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。
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「よしっ、今日はこんなもんだろ。あとは必要になったら出してけばいいよな」
今日からまさに自分だけの『領域』【テリトリー】となった部屋の中を、俺は
ゆっくりと見渡した。
アパートの外観的には、築三十年の木造通りの年季の入りようじゃあるが。
しっかりリフォームされてるお陰か、部屋の内装は割と綺麗になっている。
六畳ワンルームとはいえ、男の一人暮らしには十分すぎる広さだろうしな。
これでもトイレと風呂は別々だし、結構広めの流しも備え付けられている。
そこに二口のガスコンロもあるから、その気になれば自炊も捗るだろうさ。
そんなわけで、今日から待ちに待った一人暮らし生活の始まりってわけだ。
テンションも上がって、誰かさんみたいな厨二表現だって口走っちまうぜ。
ま、いまだ手付かずの段ボールとかも壁際に幾つか積まれちゃいるが、その辺
に入っているものは、逆に言えばすぐに必要になるもんじゃない。
今日のところは引っ越しの疲れだってあるしな。
もっとも、荷運び自体は親父が軽トラを借りて手伝ってくれたし、そもそもの
荷物の数自体、そんなにあったわけじゃない。
でっかいのは家で使ってた勉強机と本棚、布団くらいなもので、後は服とか日
用品とか精々漫画とかだからなぁ。
大学生活で必要なものは、どうせこれから揃えていくんだろうしよ。
とはいえ実家とここの荷物の出し入れで、半日の力仕事だったのも間違いない。
ひとまず寝るには困らない程度は片付けたわけだから、今日のところは飯でも
食ってゆっくりしたいところだ。
気が付けば、腹だって結構減ってきてるしな。ひとまずコンビニで、弁当でも
買ってくるとするか。
ピンポーン!
そんなことを考えていた矢先、聞きなれない呼び鈴の音が部屋中に響き渡った。
流石に新聞の勧誘とかには早過ぎだろうし、隣の人が挨拶にでも来たとかかね?
そう思い至った俺は、ともかく『はい』と声を上げて玄関へ向かった。
やっぱ今後のことを考えれば、あまり心象を悪くするのもまずいだろ?
少なくとも大学に在籍する四年の間は、ここに住むつもりだからなぁ。
「こんにちは、京介。その様子だと無事に引っ越しも終わったのかしら?」
だけど予想外-そりゃ、ちょっとは考えなくもなかったが-なことに、玄関の
前に佇んでいたのは、まだ見ぬ隣人ではなくて。
「って、早速来てくれたのか、瑠璃。でも、約束は明日だったよな?」
「ええ、勿論それも解っているわ。でも引っ越しを無事に終えた恋人を、ねぎら
いにきていけなかったかしらね?」
「い、いやいや、そんなわけないだろ。すっげー嬉しいぜ。早速上がっていって
くれよ。まあ、まだ茶の一杯も出せる状態じゃないんだけどな」
俺にとっては、最愛にして最高の恋人の姿がそこにあった。
俺も卒業式を終えたばかりの高校は、今は春休みに入っているわけだが。
瑠璃も私服姿-クリーム色のハーフコートにジーンズだ-で、両手には大きめ
の手提げ袋を持っていた。
「大丈夫よ。そう思ってポットに紅茶も入れてきたから」
瑠璃は手提げ袋から、ステンレス製の携帯ポットを取り出して見せた。
「……俺はこんなにも気が利く彼女さんを持って、本当に果報者すぎるよなぁ」
「ふふっ、その称賛は有難く受け取っておきましょうか。もっとも」
瑠璃はそこで言葉を切ると、俺の顔を下から覗き込むように上目遣いになった。
「……それもとっても頼りになる彼氏さんがいてこそよ?」
そして口元を緩やかに綻ばせて、天上の女神もかくやと微笑んで見せた。
それだけで今日一日の疲れなんて、どこかに吹っ飛んでしまうほどのな。
この世でもっとも愛らしい、瑠璃だけの嫋やかな笑顔と自負しているぜ。
「……お、おう。ともかく、上がってくれよ」
本当、半年とちょっと前に付き合い始めた時にも、思いもしなかったよ。
瑠璃がこんな風に微笑んでくれるだけで、胸の中が一杯に満たされるし。
その度にもっともっと瑠璃のことが、愛おしく思えていくだなんて、な。
居間に折り畳みテーブルと座布団を出して、まずは瑠璃に座って貰った。
そして台所に置いたケースから食器を二組分取り出すと、居間へと戻る。
「あら、準備がいいことね?」
「伊達に聡明な彼女さんの彼氏をやってるわけじゃないからなぁ?」
大きな手提げ袋やそこに水筒まであることを考えれば、瑠璃が何を持ってきて
くれたのかなんて、すぐに察しがつくからな。
本日から目下一人暮らしデビューの俺が、満足な飯の用意なんてできないだろ
うと、気を利かせてくれたんだろうぜ。
瑠璃はタッパーに詰めてきたおかずを、手際よくお皿に盛り付け直していった。
その間に俺は瑠璃のポットを拝借すると、各々のコップに中身-色と匂いから
して番茶っぽいな-を注いでおいた。
「お、照り焼きチキンにエリンギの肉巻きか。力仕事で疲れてた身には、ありが
たい限りだぜ」
「ええ、沢山作って来たから、思う存分食べて頂戴。明日からも新生活のために、
やることは沢山あるでしょうし」
高校時代-正確に言えば今月末までは高校生だけどな-でも、瑠璃は毎日俺の
分の弁当を作ってきてくれたんだが。
お陰ですっかり俺の好物は把握されて、必ず肉料理の一品は入れてくれていた。
勿論、栄養バランスも配慮して、野菜や乳製品も取れるようになってたけどな。
まあ、瑠璃の料理の腕前なら、どんな献立も間違いなく美味くできてるんだが。
俺とて育ち盛りな十代の男子だ。肉の持つ魔力には、やっぱ抗えないもんだろ?
でも今日持ってきてくれた献立は、がっつりとしてジューシーな、肉の旨味を
感じられるような料理ばかりだった。
瑠璃のことだ。引っ越しで消耗した俺の体力とかも、考えてくれてたんだろう。
それからきっと。『引っ越し祝い』も兼ねた、好物てんこ盛りなんだろうしな。
「だな。ありがたく食べて、体力付けさせて貰うぜ。それじゃあ、頂きまーす!」
まったくこんな美味そうな料理を見せられちゃ、腹の虫もすっかり臨戦態勢だ。
ここはありがたく彼女さまのご厚意を受け取らなきゃ、罰が当たるだろうしな。
いや、念のために断っておくが、勘違いしないでくれよ?
一人暮らしを始める前から、とっくに餌付けされている、だとか。
彼女の好意でお気楽紐生活を始める気だ、とか、そういうわけじゃないからな?
瑠璃は瑠璃なりに、俺たちのこれからを見据えて行動してくれているわけだし。
俺もそんな瑠璃の想いに応えられるよう、新生活は引き締めるつもりだからよ。
元来ぐうたらで日和見主義な俺だが、これでも結構、気合が入っているんだぜ。
こんなにも尽くしてくれる彼女に、彼氏として頑張らなきゃならないからなぁ。
瑠璃は主に性格的なところで、それほど表に出て目立つような感じじゃないが。
努力も才能も実力も。何より信念の強さだって、桐乃にも匹敵する凄まじさだ。
この一年もの間、瑠璃と共に過ごし恋人として付き合って、よーく理解したぜ。
少なくとも俺自身が、瑠璃と向き合えるだけの自信を持てなきゃ話にならない。
そのための何かを始まる大学生活で身に付けなきゃなと、密かに決意している。
瑠璃だけじゃなく俺だって。これからの未来を、一緒に歩んでいきたいからな。
美味そうに肉巻きを頬張る俺を、穏やかな微笑みで見守る瑠璃を見やりながら。
俺はより一層の気合を入れ直したもんだぜ。
* * *
「……それじゃ約束通り、明日は十時にお邪魔するわね」
春分の日も過ぎて名実ともに春とはいえ、まだまだ三月だ。
ついさっきまで綺麗な夕焼けも見えてはいたが、六時を過ぎると日もすっかり
落ちて、辺りは夜の帳に包まれてきていた。
俺の新居から五更家まで歩いて十分ちょいだが。いや、だからこそだよな。
こんな夜道を彼女一人きりで帰したら、彼氏失格ってもんだろうよ。
それにまあ。やっぱりできる限り一緒にいたいってのが本音でもある。
瑠璃は自分の家事もあるから、俺の部屋に長居はさせられないからな。
家の目の前まで送った俺に、瑠璃も名残り惜しそうにそう言ってくれた。
明日だって朝も早くから一緒にいられるってのも、解っちゃいるんだが。
少しの間でも離れがたく思ってしまうのは、やっぱり同じなんだろうな。
ま、瑠璃も同じ気持ちだと思えるのは、嬉しいことでもあるんだけどな。
「おう、家事の先達として、よろしくご指南お願いするぜ。それから今日の飯も
本当にありがとうな。今日の疲れもみんな吹っ飛んだからよ」
それは重畳ね。なんて一見、何時もの澄まし顔で応えたように見えるんだが。
俺の感謝の気持ちが本心からだって、素直に受け止めてくれたんだと思うぜ。
なにせこっちまで嬉しくなるような柔らかな笑みが、口元に浮かんでたしな。
それじゃあと踵を返した瑠璃が、玄関に入る姿をじっと見送っていたんだが。
最後にちらりと振り返った瑠璃と目が合って、思わず苦笑いが零れてしまう。
本当、お互いどんだけだよ、ってな。
でも、なんだ。無事に志望校へ合格して、念願の一人暮らしも始まるってのに。
今からこんな体たらくじゃ、瑠璃がいない時は寂しくてどうにかなりそうだぜ。
そりゃ今時は、電話やメールでいくらでも話したりはできるわけだが。
やっぱりそれでも、お互いの顔や存在を感じていたいって思うんだよ。
本当、俺はここまで執着心が強かったのかって、ほとほと思い知らされている。
話が瑠璃のこととなると、もうなりふり構っちゃいられなくなってるからなぁ。
そう思うたびに、実に直感的な解決方法が頭にもたげてくる。
そう。いっそのこと、もう一緒に暮らしてしまえば、だよな。
とはいえ、瑠璃はまだ高校生だぜ?それに実家の家事を担う大黒柱でもある。
大体俺にしてもだ。ようやく来月から、大学での新生活を始める段階だしな。
それですら満足にやり遂げられるかどうか、正直に言えば不安で仕方がない。
親元を離れて一人でやっていくなんて、まさに生まれて初めての経験だしよ。
だからこそ、そんな不安な気持ちを誤魔化すために。
めっちゃ頼りになる彼女に縋ってるだけだろ、なんて自覚も結構あるからな。
まったく今からこんなザマじゃ、すぐにでも愛想を尽かされちまいそうだぜ。
ただでさえ学校が変わって、お互いの生活パターンはずれる一方だってのに。
いや勿論、そんな最悪の事態にならないよう、俺なりに全力を尽くすけどな。
だから俺はあくまで軽やかに右手を振って、もう一度瑠璃へと返礼した。
文字通り後ろ髪惹かれる思いを、見栄でも胸を張っていられるようにな。
まあ、その反動も手伝ってか。
帰り道は寂しい気持ちに圧し潰されそうだったのは、ここだけの秘密な?
* * *
翌日。朝一番に俺の部屋にやってきた瑠璃と、まずは一緒に朝飯を食べた。
わざわざ言うまでもないが、殆ど瑠璃が準備して持ってきてくれたものだ。
タッパーに詰められた肉じゃがやオムレツをおかずに、今日も勿論、味噌汁の
入ったポットを持ってきてくれている。
やっぱさ。味噌汁があるのとないのとじゃ、飯を食べた時の満足感が違うだろ?
決して主役になれなくても、汁ものとして食を進めるサポートをしたり、暖か
な味噌の味わいが、実に気分を落ち着けてくれると思うわけだ。
まあ、つまるところ、何が言いたいかといえばだ。
俺のその辺りの好みもしっかり把握していて、汁ものなんて運ぶのに手間が掛
かるものまで用意してくれる瑠璃さんマジぱねぇ、ってことなんだけどな。
結局、俺のしたことなんて、実家から持ってきた炊飯器-三合炊きの小さいの
が余ってた-で、ご飯を炊いたくらいだしな。
一人暮らしを始めた途端にこの体たらくなのは情けない限りだが、そこは追々
と改善していければと思っている。
いくら気張ったところで、俺-というか平均的な一人暮らしデビュー男子-が
いきなり家事万能になったりはしないだろ?
それにだ。この間の卒業式の後で、瑠璃と交わした『約束』の通り。
瑠璃の世話焼きに関して、できるだけ口を挟まないことにしている。
ま、そも瑠璃に任せるのが一番効率良くて確実だ、なんてしょっちゅうだから、
今更な話でもあるんだが。
ましてや家事がどうとか、俺が言うのは烏滸がましいレベルだし、瑠璃に気兼
ねなく指導してもらうためにも、余計な壁は取っ払っておこうってな。
それこそ本当の家族みたいに気安く、ってわけだな。
「ひとまずこれで調理器具は大丈夫かしらね。次は洗濯用品をみましょうか」
っと、いかんいかん。すっかり話が横道に逸れちまってるな。
ってそこ!何時ものこととかいうなよ、これでも気にしてるんだぜ?
まあ、そんなわけで。朝食を一緒に済ませた俺たちは、少し離れた場所にある
ホームセンターにまでやって来たところだ。
これからの一人暮らしに入り用なものを、あれこれ揃えようと思ったわけだが。
『あなたのことだもの。無ければ無いで気にも止めないでしょうけれど。あれば
日々の生活に役立つアイテムも、結構あるものよ?』
なるほど、そんなものかと、色々な売り場を回っているところなんだが。
一体何に使うものなのか、さっぱりわからない代物も多かったりするな。
大きな買い物かごの半分くらいは既に埋まっているんだが、半分くらいはそう
いう用途不明なものになっている。
ま、その辺は瑠璃が実践しながら、直々にレクチャーしてくれるって話だ。
それならどんなに面倒な家事だろうと、きっと楽しく覚えられるだろうさ。
今だって、生き生きと買い物をしている瑠璃を見ているだけで、こっちだって
嬉しくなってるくらいだしな。
「……ひとまずはこれくらいにしておきましょうか。二人でも持ち帰れなくなり
そうだもの」
「だなぁ。こういう時はホント、早く車の免許をとりたくなるよ」
「ふふっ、そうね。でも教習所に行くにしても、まずは大学生活に慣れてからに
なるのでしょう?」
「流石に一か月くらいは様子を見てから、かねぇ。バイトもすぐにでも始めたい
から、そっちの時間次第でもあるけどな」
教習所代に関しては、親父から借りれることにはなっているんだが。
勿論、借りるからには、後で出世払いで返す約束をしているからな。
それに免許をとる以上、ゆくゆくは自分の車だって持ちたいだろう?
バイトくらいじゃ中古車が精々だろうが、贅沢は言ってられないさ。
「……あまり最初から無理はしないでね?あなたはこうと決めると、まったく脇
目を振らなくなるのだから」
俺を見やる瑠璃の瞳には、日向ちゃんを窘める時みたいな厳しさもあったが。
その奥深くには。思い遣りと不安とが見え隠れしてるのも良くわかっている。
「流石に俺でも、しょっぱなから無茶はやらないって。ま、それによ」
そんな瑠璃の思い遣りを蔑ろにしないよう、常々気を付けねばと思っている。
視野の狭さに掛けちゃ右に出る者はそうないと、痛いほど自覚してるからな。
「ヤバそうなら何時でも叱ってくれる、しっかり者の彼女だっているしな?」
「フッ、任せておきなさい。……と、言いたいところだし、頼って貰えるのは嬉
しく思うのだけど。最近のあなた、面倒ごとを丸投げし過ぎではないかしら?」
「い、いやいや、自分でも勿論、最大限に気を付けていく所存でありますぞ!」
より一層、眼光鋭くこちらを見据えてはくるものの。
こんな時の瑠璃は微かに眉尻が下がって、どこか困ってるように見えてしまう。
そこが実に愛らしいなぁ、なんて密かに思ってたりで、我ながら困ったもんだ。
だからこんな軽口やらお調子者な言い様が、つい無意識に出てしまうわけだが。
ま、わざわざ意識なんてしなくても、その方が俺の性分に合ってるんだけどな。
そういやその辺の噛み合いも、俺たち兄妹と瑠璃の相性の良さがあるのかもだ。
桐乃が何かと瑠璃を怒らせたり恥ずかしがらせてたのも、今の俺には良く解る。
だって実際に可愛いもんなぁ。感情がはっきりと面に出た瑠璃の表情は。
普段の澄ました態度とは違って歳相応に。いや、むしろ幼く見えるしな。
その後、両手いっぱいに袋を提げた俺たちは、昨日からの俺の部屋へと戻った。
残りの荷解きを瑠璃も手伝ってくれたし、買ってきた道具も早速フル活用しな
がら、あれよあれよと部屋は片付いていった。
実際その場にいた俺が、誇張抜きで驚愕したくらいだぜ。
「さて、随分と遅くなってしまったけど、そろそろお昼にしましょうか」
「おう、そうだな。に、しても……」
今朝方までの俺の部屋は、居間の隅には段ボールが積みあがっていたし。
流しや風呂場もそのままで、まったく倉庫かよって殺風景な有様だった。
それが今やだ。段ボールがすっかり無くなったのは、さっきも言った通りだが。
着替えとか食器なんかもきちんと小棚やラック-さっき買ってきたヤツだ-に
収まっていて、この部屋の生活感が一気に増した気がする。
加えて棚とか台になってるところに、細い缶ケースに刺したドライフラワーと
かちょっとしたインテリアがさりげなく飾ってあったりもした。
今まで実家暮らしをしてた時には、自分の部屋には必要なものがあれば十分で、
調度品とか何のためにあるんだよ、なんて思っていたもんだが。
今日ばかりはその存在意義を、心底実感させられちまったよ。
「なんていうか、ホント、改めて俺の彼女の偉大さに敬服したよ」
「ど、どうしたのよ、急に。部屋の片づけを少しばかり手伝っただけでしょう?」
「まだたった一日だけどな。こうして一人暮らしを始めてみれば、俺がどんだけ
何も考えてなかったのか、よーくわかったんだよ。何事も経験してみるもんだな」
人が落ち着いて過ごせる場所ってのは、相応しい雰囲気を作ってこそなんだな。
昨夜、荷物が散らばる生活感のまるで無い部屋で寝てみて、心底思い知ったよ。
まさか自分がって思うくらいに、心細くて不安な気持ちに苛まれていたからな。
「まあ、お陰でもっともっと瑠璃に惚れ直したってことだ。これからも一生愛想
を尽かされないよう、気合を入れて掴まえておかなきゃなってよ」
「なぁ!?な、なにを言ってるのよ、あなたは……」
きっと瑠璃にしてみれば、普段から何気なくしている当然のことなんだろうが。
毎日の家事や妹の世話を熟すために、何時も周りに気を配っているんだからな。
なんていうか、こう。一人の人間としての格の違いってのを実感させられたよ。
とはいえ、だ。ちょっと前まで、何かと桐乃と比べられた時みたいに。
それが腹立たしいとか癪だとかなんて気持ちには、さらさらならない。
むしろ逆に、俺が誇らしい気持ちで一杯なくらいだからな。
どうだ、俺の彼女はこんなにもスゴイんだぜ、ってもんだ。
だから紛れもなく俺の本心なのは間違いないんだが。
最近では珍しいことに、当の本人が顔を真っ赤にして照れてるもんだから、俺
の方まで余計に恥ずかしくなってくるぜ……
この程度なら普段から瑠璃に言いまくっているし、昔はともかく今じゃ瑠璃も
結構耐性がついていて、軽く受け流してくれるんだけどなぁ。
ま、自他ともに認めるほど、鈍感力にかけては定評のある俺だ。
女ごころってのは、常に伺い知れない複雑怪奇な代物だからな。
恋人になってから余裕で半年が過ぎているし、瑠璃とは以心伝心のように通じ
あえているって実感できる時もあるんだが。
まだまだ大切な彼女の意を汲み取れない、駄目な彼氏で申し訳ないぜ。
ともかく瑠璃の細やかな気遣いに感動したって説明して、納得して貰ったよ。
気を取り直して昼飯を食べた俺たちは、さらに二度ホームセンターを往復して、
風呂やトイレの水回りのものとか、台所用品とかも一通り揃えておいた。
お陰で一気に人が住んでる場所って、実感できるようになったもんだぜ。
まあ、何も今日のうちにそこまで急がなくても、と思わなくもなかったが。
今月はまだ一週間は残っているし、大学の入学式は更にもう一週間は後だ。
その間にぼちぼち生活環境を整えていけばいいよな、って思ってたからな。
「じゃあ今日はこの辺でお暇するわね。……明日も来て、いいのかしら?」
「そこは遠慮なんてしないでくれって。合鍵だってもう渡してあるだろ?携帯の
メールででも一言伝えてくれりゃあ、自由に入って貰って構わないぜ」
「そ、それはそうなんだけど……い、一応、ここの生活に馴染むまでは、あなた
だって部屋にずけずけ入られては、困るのではないかしら?」
「別に見られて困るものもないしな。ああ、ひょっとして『例の本』のことなら
心配いらないぜ?引っ越しのついでに全部捨ててきたからな」
「えっ……そ、そう、なの?その、良くは解らないのだけど……それはそれで男
の人は困るのではないのかしら?」
割と真剣な表情の辺り、恐らく瑠璃は本気で心配してくれているかもだが……
まあ、あれだ。家では妹たちの、母親代わりにもなっているくらいだからな。
『そういう問題』とかも、純粋に生理現象の一つとして捉えている……のか?
「お、おう。その辺はその、なんだ。説明は省かせて貰うが、あんまり気にしな
いでくれていいからな。……逆に聞きたいんだが」
いまだ納得がいかないのか、上目遣いでこちらを伺う瑠璃が愛らしすぎて。
ついいつもの癖が出て、口が滑ったのは失敗だったよな。後から考えると。
「瑠璃としてはいいのか?その、俺が『そういうの』で欲求を満たすってのは」
「そんなことまで束縛しないわよ。欲求というのなら、例えば私が『今後は私が
作った食事以外を口にすることは許さない』などと言い出したら、あなたは大人
しく従ってくれる心算なの?」
「そりゃあ確かになぁ。どんなに瑠璃の手料理が好きでも、そこまでは物理的に
無理な話だと思うぜ」
「でしょう?だからそんなことまで気遣う必要はないのよ。大体」
瑠璃はそこまで言ったとたん、慌てたように自身の口元を右手で覆った。
「ま、了解だ。その辺は節度を持って上手い具合に、ってわけだよな。やっぱり」
「……そ、そうね。理解のある彼氏で助かるわ」
瑠璃は微笑んだが、いくら鈍い俺でも表情が強張っているのはすぐに解かった。
大切に想ってる彼女に、そんな愛想笑いをさせてしまった理由についても、な。
そりゃあ一人暮らしをしたかった理由の一つに、誰憚ることなく瑠璃と一緒に
いられる場所が確保できるって点は大きい。
そしていずれは、って考えるのも、健康な男子なら自然な流れだとは思うぜ。
まあ、自分でも相当なヘタレだと自覚もしてるから、そう思うようにいくわけ
ないと肝に銘じちゃいるけどな。
それに実は、だ。
既に瑠璃自身から『覚悟ができるまで時間がかかりそう』と、はっきり伝えら
れている状況だったりもする。
本来、気弱で恥かしがり屋の瑠璃にとっては、そんなことを俺に伝えるのは相
当の勇気が必要だったと思うんだが。
それでもきっと瑠璃は、互いの気持ちが空回りした挙句にすれ違わないように
と、考えた上で先手をうってくれた結果なんだろう。
一人暮らしができると浮かれるあまり、瑠璃にまったく配慮ができてなかった
その時の俺は、情けなくて涙が出るくらいだったよ。誇張じゃなく、な。
だってそのくらい真剣に、瑠璃は俺との将来を考えてくれてたってことだろう?
時間がかかりそうだってことは、何時かはと瑠璃も考えてくれているんだから。
なのにこの時だって、瑠璃に負い目を感じさせていたんだと、まったく俺は気
付けてなかったんだから、度し難い馬鹿者だったぜ。
そりゃなんでもかんでも、最初から上手くいくわけはないってのも真理だ。
家事の技量にかけては、今すぐにでも母親すら実践できる瑠璃だとしても。
大学に向けて始めた彼氏の一人暮らしに、戸惑うことだってあるようにな。
俺は勿論だが、瑠璃にしても。
お互いに理解し合わなければならないことは、まだまだ沢山あるんだろう。
それに考えてみれば、付き合い始めてからまだ一年にも満たない俺たちだ。
自分で言うのもなんだが。付き合う前からも、瑠璃とは濃密な時間を過ごして
きたもんだから、割と当たり前の距離感とか把握できてないかも知れない。
さっきも言った通り『意識が通じ合う』みたいなことだって、幾度となく覚え
があるくらいなんだが。
今みたいなある意味現実的な問題に直面した時に、案外と互いの認識の違いが
如実に出て、びっくりすることも出てきたりする。
でもまあ、そう悲観したものでもないかもだよな?
こうして一つ一つ確認していくことで、改めて瑠璃との心の距離も縮められる、
良い切っ掛けなるのかも知れないし。
それにその度に照れたり恥かしがる、瑠璃の可愛い姿が見られるんだからよ。
* *
開けて翌月。俺は晴れて大学生活のスタートを切った。
授業-大学じゃ正確には講義だが-時間の長さだったり、講師は専門的な内容
を前振り無しに語り出すしで、高校までのそれとの違いに散々面食らったよ。
そもそも履修する講義は、自分で学生課に履修届を出さなきゃならない。
それも届け出順の早い者勝ちで定員に入れるかが決まる、自己責任だぜ?
休講の連絡とかも、構内の掲示板を毎朝欠かさずチェックしなきゃ解らないし。
さっきも言ったが講義は実に難解な上に、まともに調べてたら数日じゃ終わら
ないレポートとか平気で課題に出るしで、最初はほとほと困り果てたよ。
速攻で学友を作って協力体制を築けなければほぼ詰みだとか、最初から教えて
おいて欲しいよな、まったく。
ま、その学友の中には、俺に代返-講義の出席を確認する点呼のことな-を頼
むと片っ端から自主休講して、課外活動-と言う名のバイトだ-に勤しんでる輩
も出てきたりするカオスっぷりだ。
まあ、そこは俺も交換条件で色々頼んでるから、持ちつ持たれつだけどな。
しかし大学ってのは、自由っちゃ自由だし、気楽なのは間違いないんだが。
色んな意味で自己責任なわけだから、サボったツケは最後には全部自分で払う
ことになるんだろう。
すぐに易きに流される俺にとっちゃ、とことん油断ならない場所だと思うぜ。
でもそんな俺でも、今のところ毎日大学に行って、欠かさず講義を受けている。
まあ確かに、自転車に乗りゃ十分で構内に入れるのも、大きな要因の一つだな。
大学から帰りがけのスーパーで買った食材を手に、俺はようやく馴染んできた
アパートの部屋へと入った。
そして玄関を潜るなり、すぐに香しい味噌料理の匂いが鼻孔をくすぐってくる。
「お帰りなさい、京介。今日は随分と暑くなったけれど、初めての体育は大丈夫
だったのかしら?」
「ただいま、瑠璃。ま、適当に身体を動かして健康になろう、ってのが目的みた
いだしな。みんなでのんびりソフトとかやったよ」
「へぇ、そうなのね。確かに変に競争したり記録とか測ったりしなければ、余計
な心労を負わずにすむ人も多いでしょうに。羨ましい限りだわ」
「じ、実感籠ってるな。まあ、成績をつける必要はあるんだろうが、高校までの
は本末転倒だよなぁ。まあそんなわけで、久々の運動で心地よく腹も減ったぜ」
「ええ、すぐにお夕飯も出来るから、もう少し待っていて頂戴」
すぐに弁展高の制服にエプロン姿の瑠璃が、台所-といっても、居間とは暖簾
で区切られているだけだが-から俺を迎えてくれた。
そして俺から買い物袋を受け取ると、台所に戻って夕飯作りを再開する。
そんな瑠璃の邪魔をしないよう、俺は勉強机の椅子に座って一息ついた。
今日はレポートとか特に出てないから、この後はまとまった時間もある。
今週末に向けての準備もあるから、呑気に遊ぶような時間なんてないが。
「お待たせ。今日は味噌漬けのポークピカタよ。多めに作っておいたから、残り
は朝ごはんにも食べて頂戴」
「お、味噌の良い匂いはこれだったのか。瑠璃に前に作って貰った時から、結構
好物なんだよなぁ」
「ふふっ、何時も美味しそうに食べてくれていたものね。私としても、作り甲斐
があって嬉しいわ」
お盆からちゃぶ台へと乗せられたお皿には、ポークピカタとロールキャベツが
たっぷりと盛り付けられていた。
勿論、炊き立ての白米の茶碗と、食欲をそそる匂いの味噌汁のお椀も一緒だ。
「じゃあ、また明日の朝に。食器は洗っておいて貰えると助かるわ」
「それは任せといてくれ。でも、毎日本当に助かってるんだが……大変ならいつ
でも休んでくれていいんだからな?」
「それは心配ご無用よ。前に約束した通り、あなたのお弁当は毎日私が用意する
し、そのための差配に抜かりはなかったでしょう?」
俺がここで一人暮らしを始めてからというもの。
瑠璃はほぼ毎日、俺の部屋にきては夕飯を作ってくれるし、大学が始まってか
らは、朝に高校への道すがら、手作りの弁当も届けてくれる。
ここの家事は望むようにさせて欲しいと、なぜか恩恵を受ける俺の方が、瑠璃
から頼まれている状況だったりする。
そりゃ俺からすれば、実にありがたすぎる申し出なんだが。
流石にそこまで任せるのは、瑠璃だって大変すぎるだろうから、最初は遠慮を
するつもりだったんだぜ、これでもな。
でもよ。まるで瑠璃が創作と向き合ってる時のように。
真剣そのものの眼差しで訴えられちゃ、俺には白旗を上げるしかなかったさ。
勿論、瑠璃が今言った通り、さほど負担にならない理由やそのための手法なん
かもしっかりと説明されたし。
それが間違いなく実践できるものだと、瑠璃は毎日のように証明してるわけだ。
俺なんかがそこに口を差しはさめる余地なんて、これっぽちもないんだけどな。
「ああ、それも解ってるさ。ま、そのくらい気楽に構えててくれって話だ」
「ふふっ、本当に人のことには心配性ね、あなたは。ええ、何かアクシデントが
おきた時には、遠慮なく相談させて貰うわ。これは来るべき未来への『予行演習』
なのだから、起こり得る問題点の抽出とその対策が出来てこそ、真に意味がある
というものよ」
瑠璃が言いたいことも、勿論俺にだって解らないわけじゃない。
俺が一人暮らしの間に瑠璃との仲もさらに進展させたいとか、邪念に塗れて考
えていた時にだって。
瑠璃はさらに『その先のこと』までを見据えて、お試し期間としてより有効に
使おうって提案してくれているわけだ。
そりゃ俺だって、ここは真剣に協力せざるを得ないだろ?
結果的に瑠璃に負担が掛かるなら、少しでもフォローしようと考えていたんだ。
自分は楽をしたいだけで、彼女の好意に乗っかるだなんて流石に御免だからな。
とはいえ、だ。
折角作ってくれたこの料理だが、瑠璃は俺と一緒に食べていくわけじゃない。
この後はすぐに自宅に戻って、自分ん家の夕飯を作ることになるんだからな。
仕事で帰りが遅くなりがちな両親の代わりにと、ひなちゃんたちと一緒に食卓
を囲むのが自分の務めだと、常々言ってるくらいだ。
勿論承知の上だが、それだけ一緒にいられる時間が減るのも寂しいもんだ。
いや、どんだけ贅沢なことを言ってやがる、ってのは自分でも解ってるが。
どんなに恵まれようとも。いやだからこそ、もっと上が欲しくなるんだな。
「……まあ、今週末は瑠璃の誕生日パーティだろ?瑠璃だって最初から根を詰め
すぎて、何時ぞやみたいに体調を崩さないでくれよ?」
「まったくだわ。沙織があなたの引っ越し祝いと合わせて、盛大に開くと言って
たしね。主賓がへまをして主催の顔に泥を塗る訳にはいかないもの」
「だろ?って、そんなこと言ってる俺も気を付けなきゃだな」
「ええ。これはお父さんから聞いた話なのだけど。大学で一人暮らしを始めた時
は、環境の変化やストレスが重なって、原因不明の腹痛が続いたり、夜中に突然
吐いてしまったりしたそうよ。あなたも最近少し顔色が悪い時もあるから、十分
気を付けないと。って、御免なさい。食事中には相応しくない話題だったわね」
「お、おう。先達のありがたい体験談は、肝に銘じておくぜ。ま、最近ちょっと
寝付きが悪いせいかもなぁ」
俺たちは一頻り笑いあった。
瑠璃は俺の食事の様子を伺いつつも、帰り支度をてきぱきと済ませていた。
瑠璃自身の荷物は、通学用のカバンくらいしかないんだが、さっき調理してい
た食材をタッパーに詰めたりとかもな。
それを五更家の夕飯のおかずに回して、時間や労力の節約にしているわけだ。
「ふぅ、ごちそうさま。腹いっぱいになると、疲れも吹っ飛ぶな」
「お粗末様です。そう言って貰えると何よりよ。それでは忙しないけれど、そろ
そろ帰るわね」
既に帰り支度を済ませていた瑠璃は、俺が食べ終わるのと同時に立ち上がった。
「また明日、京介」
「ああ、気を付けてな、瑠璃」
俺はせめてもと、起ち上って玄関まで瑠璃の後をついていく。
彼氏としては責任を持って、瑠璃の家まで送り届けたいところなんだが。
毎日のことだし、すぐそこなのだからと、瑠璃からは釘を刺されている。
まあ、一緒にいればいるほど、もっと離れがたくなるのも間違いない。
きっと瑠璃にしても、俺と同じ気持ちになるからこその話なんだろう。
朝には会えると言い聞かせて、ここはすっぱり見送るところだろうさ。
「誕生日パーティは楽しみにしていてくれよ、瑠璃」
だけど今日だけは、どうしても一言添えておきたかった。
これからの準備にも、一層気合も入るってものだからな。
勿論よ、にっこりと微笑んで頷くと、瑠璃は外階段を下りて行った。
鉄板を踏むその足音が聞こえなくなるまで、俺は玄関に佇んでいた。
いや、本当。大学で出来たばかりの学友の話を聞いてみてもだ。
さっきの静さん宜しく、慣れない環境で苦労しているみたいだ。
彼女が毎日通い妻よろしく、飯や家事をしにきてくれるなんて。
贅沢な一人暮らしをしてる身で、言う資格なんてないだろうが。
さっきまで賑やかだったのに、一人残されるのも辛いことだよな。
それが心から愛しく想っている人であれば、尚更ってもんだろう?
実家じゃ休日に一人自室に籠ってだって、思ってもみなかったぜ。
--いや、一度だけあったか。昨年の今頃、桐乃が海外へ行っちまった時に。
ぱぁーん!
俺は己の両頬に目掛けて、思いっきり己の両手を張り付けた。
そんな感傷に浸っている場合じゃない。後、数日しか猶予はないんだからな。
改めて気合を入れ直した俺は、椅子から勢いをつけて立ち上がった。
お陰で十分に腹も膨れたんだ。その分だって頑張らなきゃ、恋人の誕生日を祝
うどころじゃないぜ。
俺は通学用に使っているカバンを肩掛けにして、自分の部屋を出て行った。
無茶はしないまでも。多少の無理を押し通す時も、男にはあるもんだろう?
* * *
私の今年の誕生日は、幸か不幸か雲一つない青空が広がってくれていた。
生来『闇側の人間』【ダークサイダー】な私には、却って似付かわしくないと
も言える空模様なのだけど。
でも今日は京介の引っ越し祝いと共に、私の誕生日パーティも開かれる。
そう思えばこんな澄み渡った空にこそ、天の配材と感謝の念も湧いてくるわね。
しかも沙織の計らいで、今回は京介の住むアパートの裏庭で、青空パーティを
開くことになっているのだから。
きっとこの天気にしても、沙織や京介の日頃の行いの表れともいえでしょう。
まったく、二人とも病的なまでにお節介な上に、面倒見が良いのだもの。
おたくっ娘の表裏とも、沙織と京介の尽力があるから成り立っているし。
誰でもない私自身、この二年の間に二人と密接に関われてきたからこそ。
友人たちに誕生日を祝って貰えるような、自分の居場所があるのだから。
思い返してみても、自分でも信じられないくらいの奇跡みたいな話よね。
内気で人見知りで自尊心だけは強くて、友人なんて一人も出来なくて。
それでもそんな自分を変えるきっかけになればと、参加したオフ会で。
この二人に。そして今ここにはいないけど、桐乃と出会えたからこそ。
私は今の自分になることが出来たのだから。
掛け替えのない友人を。飽きることなき非凡な日々を。
何よりも、愛する想い人をこの手に掴むことができたのだから。
例え二年前にタイムスリップして、自身に説いてみたところで。
絶対に信じてくれないと断言できる程の、得難い奇跡の上でね。
「さあ、会場の準備は整いましたでござるよ。お二人とも、今から主賓御入場と
なります故、準備は宜しいでしょうか?」
チェックの長袖シャツにぐるぐるメガネ、そして頭には白いバンダナ。
何時も通りオタク装備を身に纏った沙織が、京介の部屋に入ってきた。
アパートの裏庭では、沙織たちがパーティの準備を行っていたのだけど。
私と京介は主賓だからと、京介の部屋で手持ち無沙汰に待っていたのよ。
まったく、あなたたちが会場の用意に勤しんでいるというのに。
私たちがお気楽にお喋りなんてしている気分にはなれなかったから、何時の間
にか昔の思い出に浸ってしまっていたじゃない。
「勿論だぜ。しかし本当、いつの間に大家に許可なんて貰ってたんだよ」
「フフフッ、蛇の道は蛇、と申しましてな。拙者も驚きましたが、調べてみれば
少々家に縁のある御方でしたので、快く相談に乗って貰ったというわけでござる」
「成程、そういう話だったのね……まあ、あなたなら別に縁がなくとも、いくら
でも話を付けられそうなものだけど」
「とはいえ使える手だてがあるなら、有効活用もしませんとな。何せお二人のお
陰で……」
そこで沙織は眼鏡のフレームを摘まむと、そのままくいっと持ち上げた。
「わたくし、実家に対する遠慮というものが、すっかり無くなりましたから!」
そして『本来の沙織』へと戻った端正な笑顔で、私と京介を射貫いてくる。
沙織は様々な経緯があったからこそ、本来の自分とは違う『沙織バジーナ』と
して、おたくっ娘の管理人となっていたのだけど。
或いは沙織本人を最初から出していたなら、今頃どうなっていたのかしら?
「お、おう。まあ、無茶はしないでくれよ。それでどうなってるんだ、パーティ
のほうは」
「あなたが言えたものではないでしょうに……それにそれは沙織に聞くよりも」
「左様。実際にお二人の目で見て頂きましょうぞ!」
……いえ、そんなことを考えても詮無きことだわ。
沙織には沙織の。そして桐乃にも京介にも、勿論私にだって。
それぞれの事情や理由が絡み合い、紡ぎ出されたこその出会いだったもの。
そしてこれからの関係をも織り成して、無二の服飾を創り上げなければね。
沙織に促された私たちは、並んで階段を下りるとアパートの裏側へと回った。
パチパチパチパチ。
その途端、裏庭で待っていたみんなが、私たちへと拍手を送ってくれた。
「ハッピーバースディ、瑠璃ちゃん!二年でももっと良いゲームを創ってこー!」
「結構いいとこじゃねぇか、兄弟。大学でも己の道を存分に突き進むんだな!」
「お誕生日おめでとう、黒猫さん。改めてお引っ越しお疲れ様、きょうちゃん」
「一人暮らしは羨ましいですよ、高坂先輩。進学したら僕も実家を出たいですね」
「お誕生日おめでとうー、五更さん。新作できたらわたしにもプレイさせてねー」
瀬菜や真壁先輩に加えて、卒業してもこの会に集まってくれた三浦先輩や井上
先輩といったゲー研のメンバーたち。
京介と同じ大学に進学していて、私も何かとお世話になる機会も多い田村先輩。
「さあ、主賓のご両人も登場したところで『五更瑠璃さんの十七歳のお誕生日と
高坂京介さんお引越しおめでとうパーティ』の開催といたしましょう!それでは
皆様方、グラスの準備は宜しいでござるかー!」
そして勿論、今日に限らず何時もまとめ役を務めてくれている沙織。
裏庭にはキャンプで使うような、折り畳み式のテーブルと椅子が幾つも置かれ
ていて、その上に料理や飲み物、お菓子が所狭しと並んでいた。
学校によく置いてある大きなホワイトボードには、今し方の沙織の口上そのま
まの名称が大きく示されていて。
その周りを水性ペンの一発描きとは思えない、緻密なイラストが描き込まれて
いて、この即席の会場を色鮮やかに飾ってくれていたわ。
私が言うのもなんだけど。
この歳になってからの誕生日や、一人暮らしの引っ越し祝いで、こんな立派な
パーティを用意してくれるなんて思ってもみなかったわ。
それに思い返すまでもなく、こんな大人数に祝われた初めての誕生日でもある。
ち、違うのよ?うちの家族は毎年欠かさず、私の誕生日を祝ってくれていたわ。
けれど家に呼べるような友達なんて、今の今までいなかったのだから当然よね。
沙織には今までだって、生涯感謝してもし足りないくらいの恩を受けているし。
きっとこれから先の人生でも、幾度となくお世話になってしまうのでしょうね。
だって私たちから何も言わなくとも、状況を察して気を回してきてしまうもの。
勿論、その好意に甘えるだけにならないよう、こちらも返していく心算だけど。
でも、そう……ね。
沙織になら甘えたり、胸中の弱みを見せても大丈夫だと思ってしまう。
まるで家族みたいに自然と気を許してしまうのよね……困ったことに。
ふふっ、ひょっとして。私にとって姉のような存在に思えているのかしら、ね。
そんな感慨に耽っていた私と京介のところに、田村先輩がお盆に乗せたグラス
を二つ、持ってきてくれた。
炭酸系の飲み物のようだけど、テーブルの瓶を見る限りシャンメリーかしら?
「それではお二人の益々のご活躍と皆様のご健勝を祈りましてーー乾杯!!」
「「「「「「「かんぱーい!!!」」」」」」」
全員でグラスを空に掲げ上げて、近くの者と心地よい音と共に杯を合わせた。
「お誕生日おめでとう、瑠璃!」
「お引越しおめでとう、京介」
私と京介もまずはグラスを合わせて、お互いの慶事を言祝いだ。
今更と思うかも知れないけど、こうした儀礼的なことも大切な意味を持つもの。
いえ、別に私の趣味の話ではないわよ?私の家では、家族の誕生日とか子供の
卒業とか、お父さんたちの昇進とか。
或いはお盆とかクリスマスとかの祭事には、いつも家族でお祝いをしてきたわ。
小さい頃はそれが当然だったから、そういうものとしか思っていなかったけど。
この歳になってみれば、お父さんやお母さんがどうして家族のイベントを大切
にしていたのか、良く解る気がしているのよ。
娘から見ても、何時でも気持ちが通じ合っている、仲睦まじい両親だとしても。
感謝の気持ちを言葉にしたり、形として表すことがどれだけ大切なものなのか。
家族以外に大切な人が出来た私も、ようやくそれが痛い程に実感しているから。
何より、どんなに面映ゆくとも。
新たな家族になるべくして、真剣に将来を考えている状況にもなれば、ね。
京介とのグラス合わせが終わった途端、私たちの周りに皆が集まってくる。
改めて祝いの言葉と共に乾杯して、皆からの気持ちを有難く受け取ったわ。
本当、何もかも一年前には。いえ、二年前には考えもしなかったことよね。
この日のことも、私にとっては生涯忘れられない思い出になるのでしょう。
もっともここ一年ばかりは、何かある度にそう思わされている気もするわ。
その後は並べられた料理に舌鼓を打ちつつ、皆で歓談に興じていたけれど。
ちなみに今日の料理は、田村先輩宅に集まった女性陣で作ったという話よ。
もっとも、実際に主戦力として活躍したのは、田村先輩と沙織でしょうね。
それから出来た料理やテーブルなどは、三浦先輩の車で運び入れたそうよ。
この辺りは手作り感を大切にしている沙織らしいし、他のメンバーも皆で協力
してくれていてようで、嬉しさもひとしおだったわ。
「さて宴もたけなわでござるが、誕生日と言えば……そう、バースディケーキこ
そが主役と言って過言ではありますまい。ここで満を持して特製ケーキの登場で
あります。皆さま方、どうかご注目のほどを宜しくお願いするでござるよ!」
沙織の合図の元、奥のテーブルに置かれたプラスチックケースを、瀬菜と真壁
先輩がゆっくりと開いた。
どうやらアイスボックスだったらしいその中から、眩い白妙に包まれた方形の
ケーキが姿を現した。
オーソドックスな白の生クリームで、全体を滑らかに塗り上げらながらも。
側面には複雑に波立たせたり、ローズバットやシェルなどの技法を凝らして絞
られたクリームで、絢爛に飾り付けられていた。
さらに春先の旬のフルーツ-苺やキウイ、日向夏などね-で外周をふんだんに
彩りつつも、全体のバランスはいささかも崩れてはいなかったわ。
その出来栄えは素人の私から見ても、感嘆させられたものだったわ。
何よりも一番に私の目を引いたのは。
ケーキの上面にはチョコペンや色粉、ピューレなどを使った大きなイラストが
鮮やかに描き出されていたのだけど。
「沙織……これは」
「フフフッ、気に入って貰えましたでしょうか、黒猫氏!このイラストはお恥か
しながら、拙者が手ずから描かせて頂いたものでござるよ」
そのイラストは『夜魔の女王』の衣を纏った、私を描いた代物だったから。
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「本当は『我々』が一堂に会しているところを、描いてみたかったのですが……
流石に拙者の腕では荷が勝ちすぎました」
沙織は謙遜しながら、そう言っていたけれど。
私も日向や珠希にせがまれて、何度かケーキにアニメのキャラクターを描いた
ことがあるから、その難しさはよくわかっているのよ。
往々に柔らかなクリームの上に、当然のように一発描きになるわけだし。
元絵に近い色を作ることも、はみ出さずに塗ることだって難しいものよ。
ケーキ屋によっては、イラスト入りのケーキを頼めるところも多いけれど。
いざ自分でやってみれば、あれはプロの持つ技ゆえと思い知ったくらいよ。
その経験から見れば、沙織の描いた私は特徴を捉えて纏まっているし。
輪郭の線もバランスも殆どブレていない、見事な出来栄えと思えるわ。
そう、ケーキに描いたとは思えない程のクオリティは、実に見事なものだけど。
それにしても、これは……
「わー、随分と可愛らしい瑠璃ちゃんですね。これはやっぱアレですか。恋する
乙女は可憐さ!って感じですかね、沙織さん!」
「なぁっ!?ちょ、ちょっと何を言い出すのよ、瀬菜!」
「でも確かに、ここまでの笑顔な五更さんは、部活中でも見覚えはないですね。
元絵の由来とかあるんですか?」
「フッフッフッ、よくぞ聞いてくれました。拙者、オタクっ娘のオフ会の時には、
幹事の責務として会の記録の録画や写真を取っているでござる。今回のイラスト
を描くにあたって、そのデータを見返していたでござるが。まさに今日の誕生日
ケーキに相応しい場面を見付けましてな」
「え、沙織、いつの間にそんなの撮ってたんだ?今まで全然、気付かなかったぜ」
「それはそうでござろう。皆の自然な姿が残せるようにと、ありとあらゆる手法
を凝らして、機材を隠伏していましたからな!」
「そ、それは世間一般的には、盗撮と言うのではないかしら!?」
「まあまあ、五更さん。友達同士のホームビデオなノリってことでしょ?それに
ちょっとわたしも、その蔵出し映像が気になるなぁ」
それこそ私が今まで見たこともない程に目を輝かせて、沙織を急かす井上先輩。
わ、割と気さくな性格だとは思っていたけれど、やはりあなたとて『闇の者』。
ひとたび心惹かれることがあれば、血の騒めきを抑えられないと言うわけね……
「ではお見せいたしましょう!これがこのイラストの元となった動画でござる!」
沙織はノートPCをテーブルの上に置くと、モニタを皆に見えるよう起こした。
そして予めデスクトップに置いていたのだろう、ショートカットを実行させる。
すぐさまフルスクリーンで、動画が再生され始めたのだけど。
「……ああ、なるほどな。あやせからの頼みで、桐乃へ贈るプレゼントを二人に
相談していた時のか、これは」
「おお、流石は京介氏。あの日のことを覚えていらっしゃるとは」
勿論、私だってこの日のことは鮮明に覚えているわ。
この場所は秋葉原にある、とあるコンセプトカフェ。
私と沙織は京介からの相談-厳密には桐乃の中学の友人の『新垣あやせ』なる
人物が発端だけど-で、桐乃へのプレゼントの品を考えていたのよ。
「でもこう見ると、瑠璃ちゃんの表情が随分と硬いですね。まるで昨年の入学し
たての時みたいですよ」
「そうですなぁ。確かに黒猫氏も拙者も、この時は高校に入る前でござったよ。
皆様もご覧になっている通り、この頃の黒猫氏は中々感情を表に見せてくれない
実にクールな御仁でありましたが……ここでござる!」
沙織が動画のポーズを掛けたところで、丁度私の顔が大写しになったのだけど。
改めて見せられると、まさかこんな隙を晒していたのかと驚くばかりだったし。
確かにケーキに描かれた私の表情とそっくりで、むしろ感心してしまったわね。
「黒猫氏にしては珍しいとは思っても、この時の拙者はさほど気に留めなかった
のでござるが。こうして見返してみると、成程、と思うところがありますなぁ」
そう言うと沙織は、私と京介とを交互に見やった。
昔からこんな時には定番の、口をωな形にしてね。
勿論、沙織が言いたいことは、私たち二人にはよく解っているわ。
私が京介への気持ちをはっきり自覚したのは、この時の集まりの数日前のこと。
桐乃の携帯小説のアニメ化を巡って、ひと悶着があった編集部に。
その縁で京介と一緒に小説の『持ち込み』をしたことが、原因だったのだから。
「なるほどー、この時から黒猫さんの気持ちは、決まってたんだねぇ。弁展高に
入ったのも、やっぱりそのために?」
「そ、そうです、ね。自分の想いを成就しようと、心の中で決めていましたから」
「かー、中学の時にそこまで考えてたとか、立派なモンじゃねぇか!ま、ゲー研
に高坂と一緒に入部してきた時には、とっくに付き合ってるとばかり、思ってた
けどなぁ」
普段の私なら、こんな恥辱に塗れた飽和攻撃の的となったら、迷わずに逃走を
選ぶでしょうけどね。
今日ここに集まってくれた人は、苦楽を共にしてきた文字通りの同志だもの。
京介との仲は全員が承知の事実だし、今更になって隠すものではないけれど。
けれど、無意識な気持ちの発露を宴の肴にされるのは、流石に恥かしいわ……
こういう時の沙織は、こちらが本気で嫌がるギリギリを攻めてくるのだから。
本当に困った悪戯っ子だわ、まったく。
「……そうだったのか。あの時は何か良いアイディアはないかって、必死に頭を
フル回転させてたしなぁ。瑠璃のこんな笑顔に気付いてなかったとか、ちょっと
勿体ない気分だぜ」
「私だって無意識だったのだしね。といっても、あなたがそこまで目敏い人なら、
私も余計な苦労はしなかったかもしれないわね?」
隣で並んで動画を見ていた京介の顔を、私は改めて見上げた。
それこそ『ケーキの私』に負けないくらいの想いを籠めてね。
「でも……そうね。大切な人のことを何よりも優先する、そんなあなただから惹
かれたのだもの。だからこの時には気付かれなくて、むしろ良かったのかも知れ
ないわよ?」
「そうなのか?まあ、そんなことをしている間に、瑠璃に愛想を尽かされなくて
ほっとしてるぜ」
「ですねぇ。そうなれば瑠璃ちゃんも高坂せんぱいも、ゲー研に入ってなかった
かも知れませんし、その場合あたしもどうなっていたか」
「そう考えるとお二人の仲は勿論ですが、『夏の銀色』の成功も高坂先輩が鍵を
握っていたんですか。運命の分水嶺ってのは、確かにあるものなんですね」
「でもお陰でわたしも高三になって、もう一度部活に打ち込めたんだから、感謝
しかないよねぇ。よーし、二人にもう一回乾杯だー!」
井上先輩の音頭の元、再び天に向けて掲げられるグラスたち。
それはこちらの台詞よ。なんて思っていたら、自然と京介と視線が交錯した。
ふふっ、本当に私たち二人だけでなく。
この場にいる誰が欠けても、きっと『ここ』には辿り着けなかったのでしょう。
私も京介も。その謝意を全員に返すべく、力いっぱいにグラスを振り上げたわ。
「ほっほー、本当に良い仲間と巡り合えたものですなぁ。ムネンながら部活には
参加出来ずとも、充実した皆さんの表情を見ているだけで、黒猫氏の友人として
嬉しくなるでござるよ」
「何を言っているのよ、沙織。あなたがいなければここに集まるどころか、始ま
ることさえなかった関係よ。そう考えれば、あなたこそが私たちの『特異点』と
呼べるのではないかしら?」
「まったくだ。いっつも俺たちのために、駆けずり回ってくれてるんだからなぁ。
どんなに感謝してもし足りないところだが、まずは今日の幹事と俺たちの最高の
リーダーに、乾杯だ!」
三度掲げられた杯と、それに続く皆の唱和の声。
そして私は-きっと京介や沙織もそうだと思うけれど-心の中で、この場には
いないもう一人の『親友』へと乾杯のエールを送る。
そう、あなたがいなければ、やはり何も始まらなかったでしょうから。
内気で人見知りな私が、オタクっ娘にずっと居続けることができているのも。
才能の差を見せつけられ、それでもなお創作を続ける原動力になったことも。
そして何よりも。京介の優しさに触れて、常に共にあろうと誓ったこともね。
本当、こんな幸せの中に身を置いているなんて、今でも夢だと思えてしまう。
でも夢なんかで終わらせるわけにはいかないのよ。
これからだって暖かな未来へと繋げられるように、全力で挑む心算よ。
だって、桐乃と約束をしたもの。
『良かった』と思わせると、ね。
あの娘は一番大切なものを私に託して、一人で世界と戦っているのだから。
私の方が軽々しく根を上げてしまったら、『生涯の強敵』の名折れだもの。
「さて、名残り惜しいところではありますが、本日の会もこのイベントを持って
終了とさせて頂きますでござる。本日、めでたく生誕を迎えられた黒猫氏への誕
生日プレゼント贈呈でござるよ!」
沙織の言葉と共に、今度は井上先輩が大きな袋を持って私の元へとやってきた。
リボンと包装紙で飾られたその袋には、私でも見覚えがあるロゴが入っている。
「改めてお誕生日おめでとう、五更さん。これはみんなでアイディアとお金を出
しあったプレゼント。気に入って貰えれば幸いかな」
受け取ったそれは、大きさの割りにはそれ程の重さは感じられなかった。
視線で尋ねると井上先輩は小さく頷いてくれたので、私は出来うる限り丁寧に
包装を解き、続けて袋を開けた。
「これは……実に麗らかな春の装いね。素敵なお洋服を、みんなありがとう」
中に入っていたのはロゴの通り、有名ブランドの服だったのだけど。
全体的に大きなフリルを散りばめたデザインの桃色のブラウスで、私の好みに
合致しつつも、確かに最新のファッションと思えるお洒落な代物だったわ。
「良かったぁ。井上せんぱいの見立てはバッチリでしたね!」
「ううん、みんなのアドバイスあってこそかな。わたしはあくまでデザイン的な
提案しかしてないしねぇ」
「それも謙遜でござろう。作画資料にファッション誌はほぼ押さえているとお聞
きしましたが。いやはや、流石はプロの審美眼でござるなぁ」
「うんうん、わたしのセンスじゃ黒猫さんに似合わないしねぇ。でもちょっぴり
でも意見を出せて良かったよー」
「ま、高坂とのデートにでも使ってくれや。ちなみに高坂の趣向もしっかり反映
されているんだぜ?」
「それは余計な一言ですよ!まったくデリカシーがないんですから」
沙織たちだけでなく、田村先輩や三浦先輩、真壁先輩までも満足そうに頷いて
くれていた。
確かに皆のアイディア、というのに間違いはないみたいね。
私は感動の余りに身震いする思いで、皆に改めて感謝をしようとしたところで。
「それから……こっちは俺からだ。みんなの方には混ぜて貰えなくてなぁ」
確かにただ一人、私への服のプレゼントを黙って見ていた京介だったけれど。
不意に私の横へとやってきて、両手に抱えるくらいの包みを差し出してきた。
勿論プレゼント用なので、こちらの包みも綺麗に包装されていたのだけどね。
私はひとまずは恭しく受け取ると、すぐに包みを結わえていたリボンを解いた。
京介のことだもの。後生大事に抱えているよりも、この方が良いのでしょうし。
「京介のはバッグなのね。しかも……随分としっかりとした」
外観はオーソドックスでシンプルな-革のベルトでかぶせを軽く結わえている
のがポイントかしら-デザインの、淡い緑色のハンドバックなのだけど。
とても柔らかな革の手触りや細部の作り込みから察するに、こちらもブランド
品で、恐らくは数万円は下らなさそうな代物に思えたわ。
そう、普通なら高校生の彼女のプレゼントには、似付かわしくないくらいの。
「おっと、心配なら無用だぜ。これはきっちり俺が用意したプレゼントだからな。
詳細に関しては、割愛させて貰うが」
京介は私の表情を一瞥して、言いたいことを凡そ察してくれたようだけど。
あなたが一人で、というのなら、より見過ごせない問題があるじゃない……
免許やマイカーで、あなたとてこれから資金が必要になる身の上でしょう?
「でも……こんな高価そうな」
「そこは言いっこなしですよ、瑠璃さん。京介さんはこのために、深夜にバイト
をいくつか入れていたのです。『初めての彼女の誕生日に、自分でプレゼントの
一つ揃えられなきゃ彼氏失格だろ?』と、大層張り切っておられました。私たち
の贈る服に合うような品まで選んで。その意を汲んで上げてくださいまし」
「おおい、槇島さん!?それこそ、そこは言わぬが華ってもんだろ!?」
「カッコつけてるだけじゃ、彼女だって不安になっちゃうものですよ、高坂せん
ぱい。特に瑠璃ちゃんはただでさえ心配性なんですから、しっかりフォローして
あげませんと」
「そ、そうか。えーっとだな、瑠璃」
沙織と瀬菜に促されて、改めて私と向き合う京介。
「できるだけ隠し事も無茶なこともしないって約束してた矢先に、黙ってバイト
してたのは本当に申し訳ない。男の勝手な意地ってヤツだが……その、できれば
快く受け取って貰えると嬉しいぜ」
京介は深々と私に頭を下げてまで、そんなことを懇願してくる。
本来、プレゼントを貰ってお礼を言うのは、私の方でしょうに。
「ま、待って頂戴。そんなことを怒っていたのではないわ……」
自分の想定外のことばかりで、思考と感情が追いついていなかっただけだもの。
私は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、京介を真っ直ぐに見据えた。
「勿論、言いたいことは沢山あるのだけど……そこまで想って貰えて、嬉しくな
いわけないじゃない。プレゼント本当にありがとう、京介」
そして私も京介へ向けて、勢いよく頭を下げた。
想いが溢れすぎて、それ以上顔を合わせていられなかったのが本音だけど。
本当、私は大莫迦ものだわ。
大学へ進学して一人暮らしを始めた京介が、どこか遠くへ離れてしまうのでは
ないかと不安になるあまりに、提案した毎日の家事手伝いだったのに。
当の京介は、そんな私にも悟られないように。
私のために慣れない生活の中、身を挺して頑張ってくれていたのだから。
まったく、私は一体何を杞憂していたというのかしらね……
ああ、でも。
ひょっとすれば、京介だって私と同じだったのかもしれない。
学校が別々になって、日中は想い人が預かり知らぬところにいる状況が。
相手を想っている分だけ、居たたまれなくなってしまうこの気持ちがね。
「ふふっ、それにしても困ったものよね、私たち。皆にこうまでしてお膳立てさ
れているのに、まだ足りないなんて」
そう思うと、思わず笑いも込み上げてしまったわ。
お陰で溢れだしそうなものまで引っ込んでくれたから、正直助かったけれど。
「そう、かもなぁ。まあ不器用な分、俺たちなりにやっていくしかないってこと
だよな。みんなには勿論、全力で感謝だけどな!」
京介は私の手を取ると、皆を振り返りながら互いの手を突き挙げた。
そして私たちは、皆にもう一度頭を下げながら謝意の言葉を贈った。
それに合わせて、その場にいる全員が、割れんばかりの拍手を贈ってくれた。
本当に、最近は何かある度にそんなことを思ってしまうのだけど。
皆の笑顔と、私たちを祝福してくれているこの拍手と。
私の隣でそれを一緒に受けてくれている京介のお陰で。
今日この日は、これからの私の人生において。
最高の誕生日として記憶されるのでしょうね。
2023-04-20T16:46:11+09:00
1681976771
-
超凄いオナニー:121-140
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/1262.html
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121スレ目から140スレ目までに投稿されたSSです。
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**122スレ目
-[[年の初めの願い事:(直接投稿)]]
-[[『守護聖人への祈り』:(直接投稿)]]
**123スレ目
-[[『新たなる一歩』:(直接投稿)]]
**127スレ目
-[[『未来への祈願』:(直接投稿)]]
**128スレ目
-[[『たゆたえど』:(直接投稿)]]
**131スレ目
-[[『転生の儀』:(直接投稿)]]
**135スレ目
-[[『花は落ちて水は流れる』:(直接投稿)]]
**137スレ目
-[[『私が母親になったら誕生日を祝うわけがない』:(直接投稿)]]
-[[『私の最高の誕生日』:(直接投稿)]]
2023-04-20T16:36:01+09:00
1681976161
-
『私が母親になったら誕生日を祝うわけがない』:(直接投稿)
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/1272.html
(アニメ設定世界線では)26歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!
昨年は黒猫if下巻が発売され、黒にゃんのifストーリーは完結を迎えました。
本来の原作終了後から8年。多くの眷属がずっと待ち望んできた展開を迎えて
感慨もひとしおですが、同時にこれで本当の終わりという寂しさもありました。
でもその寂しさを吹き飛ばすほどに、昨年7月から始まったコミカライズ版が
想像以上に力が入っていて、安心すると共に毎月黒にゃんの可憐な姿を堪能
出来るという、素晴らしすぎる一年間でした。
この一年もまた、まだまだ黒にゃんの話題で楽しんでいけそうですし
下巻のコミカライズ、そして何時かはアニメ化実現を目指して
眷属としてこれからも盛り上げていきたいものですね。
そんなわけでその一環として、今年の黒にゃんの誕生日にちなんだSS
『私が母親になったら誕生日を祝うわけがない』
を投稿して、黒にゃんの生誕を祝福させて頂きました!。
この話は黒猫if世界線を基本としていて、コミケC99で発刊した
「俺の奥さんの誕生日を祝うわけがない」の続編となっております。
読まれていない方のために簡単に説明いたしますと
・黒猫と京介は3年前に結婚、高坂家で大介、佳乃と同居中
・現実世界と同様、2年前から世界的なコロナ過になっている
・昨年の誕生日は高坂家&オンライン五更家でささやかな家族パーティ
・パーティでは五更家&黒猫が、京介と付き合うきっかけとなった
夏合宿前のことを回想
このような内容になっていました。
pixiv でもサンプルとして序盤の部分を上げていますので
興味のある方はそちらもお読み頂ければと思います。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16649914
なお、この話に出てくる黒にゃんバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんで作って頂きました。
https://downloadx.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/924/birthdayCake2022_1.JPG
こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。
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「こりゃあ、瑠璃の今年の誕生日も、どこにもいけそうにないなぁ」
近年になく厳しい冷え込みになった今冬も、ようやく終わりを迎えたらしく。
春の訪れを確かに感じる暖かな日差しが、燦々と降り注ぐ午後の一時のこと。
リビングで共にくつろいでいた最愛の夫が、来月に控えた私の誕生日の話題を
唐突にきり出してきた。
「あなた、昨年も全く同じことを言っていたと思うわよ?」
「そうだっけか?ま、こんなご時勢じゃ、一昨年だってそんなことを言ってたん
だろうけどな」
まったくね、と、思わず深々とため息をついてしまう。
一昨年の丁度今頃からというもの。
全世界に蔓延した新型コロナウィルスは、幾度もの変異を経ては流行を繰り返
して、今もその脅威を人類に与え続けているのだから。
それは人々の日々の生活様式すら、一変させてしまった程の勢いで、ね。
口からの飛沫で強い感染力を示すこのウィルスは、外出する時のマスク着用や、
定期的な手洗い消毒を必須のものとさせているし。
人が集まれば集まるだけ感染のリスクが高まっていくので、リモートワークや
オンライン授業が積極的に推進されてきたものよ。
最流行時には飲食系を中心に、お店の時短営業まで行われるくらいだしね。
そんなご時勢なものだから、お祝い事があっても外出するのも憚れるわけで。
一昨年も昨年も、私の誕生日は家に籠って、家族でささやかなパーティをする
くらいで精一杯だったのよ。
五更の実家にいた時には、お祝い事は家族揃って盛り上がるのが常だったし。
大学時代に京介と同棲をしてからも、それを見習って存分に楽しんできたわ。
誕生日とかのイベントでは、お互いの友人知人で集まってバカ騒ぎをしたり。
時には二人きりでも、忘れられないくらいの思い出を沢山作ってきたものよ。
何より先一昨年の私の誕生日では。
小洒落たレストランのディナーの席で、京介がプロポーズをしてくれたから。
私たち夫婦にとってはその思い出もあって、掛け替えのない大切な日なのよ。
「それに……昨年のような家でのパーティにしても、今年は難しいでしょうしね」
私は胸元に抱いている、小さな温もりへと視線を落とした。
そこには天使と見紛う愛らしい顔で、掛け替えのない存在が眠っている。
今の私たちにとって、この娘たちは何においても優先する事柄だものね。
「少しの間くらいなら、お袋たちに面倒を見て貰うのもありだろうが……それだ
と本末転倒って話だよなぁ」
「まったくだわ。私たちだけで楽しんだところで、それこそ何の意味もないじゃ
ない。祝ってくれる人がいてこそのお祝い事だもの」
「まだまだ気軽に遊びに出るわけにもいかんしなぁ。家にいるんじゃ、どっちに
しても璃乃と悠璃から目も離せないか」
そう言って京介は、腕に抱いた璃乃の身体をゆりかごのように揺らした。
璃乃と悠璃の二人の娘が生まれてから、早四カ月を迎えるところだけど。
最近は周りの物をしっかりと認識出来ているらしくて、じっと観察したり手を
伸ばすようになったのよ。
それに私や京介は勿論、お義父さんやお義母さんの顔を見ては、笑顔を見せて
くれるようにもなっているしね。
始めて笑いかけられた時の、京介とお義父さんの喜びようったらなかったのよ?
もっとも璃乃も悠璃も二人の燥ぎ様に驚いて、すぐに泣き出してしまったけど。
その時の二人の悲嘆にくれた顔といったら、二目と見られない惨状だったわね。
まあ、余談はそれくらいにしておいて。
我が子が健やかに成長してくれているのは、親として実に嬉しい限りだけれど。
行動が多岐に渡るようになった分、より一層、眼が離せなくなってもいるのよ。
油断していると何時の間にか手に取った物を、口の中に放り込んだりするもの。
加えて長女の璃乃は、次女の悠璃と比べても行動力も好奇心も旺盛みたいだし。
機嫌を損ねようものなら、家中に轟く泣き声を上げる程、元気一杯なのだけど。
そんな時でも京介に優しく揺られていると途端に大人しくなるのだから、余程
お気に召しているのかしらね?
もっとも今は私の腕中の悠璃と一緒で、安らいだ顔でスヤスヤと眠っているわ。
ふふっ、こうして見比べてみても、私たちでも見分けが付けられないくらいよ。
まあ、二卵性の双子だから、段々と個性が強くなっていくことでしょうけどね。
「冠婚葬祭なら兎も角、流石に誕生日のレベルではね」
「とはいえ、いいのか?毎年、大切にしてきたイベントなのによ」
「何をするにしても、今はこの娘たちが最優先だもの。それにお義母さんたちに
なるべく負担をかけないように、あなたも育休を取ってくれたじゃない」
京介と結婚して以来、高坂家に同居させて貰っている私たちは、幸いなことに。
育児は勿論、出産前後で私が動けない間の家事全般に関しても、京介のご両親
の手厚いサポートを受けられているわ。
核家族化が進んだ現代日本の育児状況を鑑みれば、私たちはそれだけでも十分
に恵まれているものだと思っているし。
さらには京介も会社の福利厚生を活用して、産後二か月の間は育休を取得して、
積極的に子育てに励んでくれていたのよ。
双子なのは早いうちから解っていたから、育児も二倍大変になると見越してね。
お陰で特に大きな問題もなく-勿論、始めての子育てな上に双子だから、大変
なことは山のようにあったけどね-二人の娘たちはすくすくと成長しているわ。
でも、この際だから伝えておこうと思っているのだけど。
私自身、育児というものを少々甘く考えていたのよね……
末っ子の珠希が生まれた時には、私は九歳だったけれど。
共働きで忙しい両親を少しでも助けられるようにと、その頃には家事の手伝い
をするようになっていた私は、珠希の面倒を見ることも多かったから。
子育てに関して一通り把握していたし、大抵のことは実践済みだったわ。
いえ、その心算だったと、この四カ月で嫌というほど思い知らされたのよ。
私が珠希の面倒を見られていたのも、結局のところ、祖母ちゃんのお陰で。
いまだ小学生の私が出来たことなんて、たかが知れていたということよね。
だから璃乃と悠璃の育児を始めてみた途端。
自分の認識がどれだけ甘かったのか、すぐさま解らされたというわけ。
新米母親の私には-産後すぐは、身体も満足に動かなかったしね-育児の何を
するにしても思ったようにいかない上に。
双子だからか、璃乃と悠璃はお腹がすいたり、おしめでぐずるタイミングが重
なることも多いものだから。
お義母さんや京介がすぐ傍で私のフォローをしてくれていなければ、とても手
が回らなかったでしょうしね。
だから家族に支えられて、何とか母親の務めを果たせている今の私としては。
自分の誕生日くらいで、これ以上皆の手を煩わせられないと思っているのよ。
そういえば、もう少しで満二十六年を迎えることになる、私の人生において。
この人には叶わないと思い知らされている人物は、ざっと三人いるのだけど。
容姿端麗、才色兼備。知的でウィットやユーモアに富んでいる上に。
気さくで人当たり良い性格だけど、時に謎めいた一面も垣間見せる。
とても頼りになるから、全て任せれば何も心配ないくらいだけれど。
その分も、何も出来ない自分の至らなさを、嫌でも実感させられる。
誰であろう、その筆頭こそ私の実の母親たる五更瑠依その人だもの。
しかも自分が親になってみれば、益々差があったと実感させられる。
何せ夫と共働きの上で、三人の娘を立派に育て上げたのだから、ね。
ああ、でも。ひょっとしたら。
璃乃と悠璃の二人の愛娘を、健やかに育むことができたその時には。
ようやくお母さんと真っ直ぐ向き合えるようになるのかしら、私は。
「といっても、結局俺は最初の二か月しか手伝えてないしな。そろそろ二度目の
育休申請だって通るとは思うんだが」
「いえ、今は年度の始めで何かと忙しいのでしょう?その気持ちだけでも嬉しい
のだから、ここは仕事に集中して貰う方が私としても気が楽よ」
遠慮や強がりからの言葉ではないと、すぐに察してくれたのでしょうね。
それもそうなんだが、と、何とも言えない表情で口ごもってしまう京介。
自分のことは二の次で、大切な人を優先してしまうあなたのことだしね。
まあ、そうはいっても仕事中でも私や娘たちのことが気になって、中々集中出
来ないも容易に想像がつくのだけど。
「だからゴールデンウィークが明けたころにでも、お願い出来るかしら?その頃
には私も休筆から半年になるし、そろそろ復帰に向けて準備したいと思うのよ」
「お、そういうことなら任せてくれ。確実に休みが取れるように、今のうちから
ばっちり調整しておくからな!」
打って変わって京介は、実に得意気一杯な笑顔になっていた。
見ているこちらまで嬉しくなるような、晴れやかなまでにね。
本当、こういう時にあなたたちが兄妹なのだと、実感させられるわね。
自分の好みを目の前にしてはしゃぐ桐乃の表情と、瓜二つなんだもの。
まあ、もっとも。随分と桐乃のそういう顔を見てはいないのだけどね。
今や桐乃は日本中の、いえ、世界中にその名を轟かせる有名人だもの。
なにせコロナ過で延期された、昨年夏の東京オリンピックにおいては。
女子陸上界でトップクラスの実力を持つ桐乃は、百メートル世界記録保持者で
あるリア・ハグリィ選手と、後世に語り継がれるべき名勝負を繰り広げ。
まさかの同着同タイムで、両者金メダルという偉業を成し遂げたのよ。
あの瞬間は間違いなく、日本中が歓喜と熱狂の渦に包まれていたわね。
我が家でも勿論、京介やお義父さんが町中に轟く喝采を上げた程だわ。
ふふっ、私だって何を隠そう。
テレビの向こうの桐乃へと必死に声援を送っていたわ。柄でもなくね。
本来なら国立競技場で、直に応援することだって出来たのかもだけど。
あの時ほどこのパンデミックを、忌々しく思ったことはなかったわよ。
まあその辺りは兎も角としても。
日本初になる女子百メートル金メダルをもたらした、その後の桐乃は。
容姿の美しさと快活な性格も相まって、まさに時の人になっているわ。
昨年、大リーグで快挙を成し遂げ続けた大谷選手と双璧を為す程にね。
ニュースのスポーツコーナーでは、桐乃がどこそこの大会に出るとか。
何かしら話題があれば、今でも真っ先に取り上げられるくらいだもの。
お陰で桐乃の顔を見るのは、今までよりも格段に増えたくらいだけど。
でも、流石に。あの心の底から嬉しさが溢れ出ているような。
真性のオタクならではの、己の核の部分を満たされる歓びの笑顔を見せること
なんて、テレビの前ではありえないものね。
「ええ、お願いするわ。とはいえ、くれぐれも無理はしないでね。もう言う必要
もないと思うのけど、今あなたの心配まで増えたら、私も耐えれらないわよ?」
「流石にその辺はもう大丈夫だって。愛する奥さんには迷惑かけられない一心で、
俺の悪癖も随分と改善されたもんだと思ってるぜ。ま、それに、だ」
京介は再び視線を胸元へと落す。
そしてまた、兄妹瓜二つのだらしなくも満ち足りた笑みを浮かべ直した。
「娘たちのことを考えるようになったら、親の責任ってのを、心底思い知らされ
るようになったもんだ。人生、安全安定が一番だって考えにもなるよな、そりゃ。
三十路の前に、随分と年を取った言い草なんだが」
「ふっ、そういえば始めて会った時のあなたは、そんなことを常々口にしている
無気力人間だったわね。死んだ魚のような眼をした、ね。一周回って元に戻った
ということかしら?」
「あの時は俺みたいな奴は、平凡に過ごすのが一番って思ってたからなぁ。って、
そういう瑠璃だって、すげえ美人でドレス姿なのに、どこの怪談の幽霊だよって
くらいに、陰気で負のオーラが溢れてたじゃないかよ」
「し、仕方ないじゃない。私だって始めてのオフ会で緊張していたのよ。そも人
見知りの私は、無意識にそうして自衛してしまうのよ。なのに沙織ときたら」
あれはもう十年以上も前の出来事なのに、まるで昨日のように思い出せるわ。
趣味の合う友人を作ろうと参加した、『オタクっ娘あつまれー』のオフ会で。
けれど思うように打ち解けられず、失意のままに帰宅するはずだったあの日。
幹事でもある沙織の心配りにも助けられて、人生初の親友が出来たのだから。
そして今でもこうして私の傍にいてくれる、掛け替えのない伴侶もまた、ね。
「まったくだ。あの傍若無人で超マイペースな管理人様には、本当に面食らった
もんだったがよ。でもとんでもなく良いヤツだってのも、同じくらいにわかった
からな」
「ええ、沙織がいてくれなければ何も始まらなかったわ。私たちの関係もその後
の人生も、全く別のものになっていたでしょうね。いえ、それでも桐乃は自分の
道を歩んでいたのかしら?」
「そりゃあ、どうかな。あいつだって根は普通の女の子だぜ?瑠璃や沙織との付
き合いで助けられたことも、沢山あるだろうさ。俺たちと同じようにな」
そうかもしれないわね、と相槌を打ちながらも、正直驚いてしまったわ。
てっきり兄莫迦然として、妹の凄さを嬉々として語ると思ったのだけど。
ふふっ、私たちがあの時に出会ってから、これまでに育んできた関係は。
あなたとて掛け替えのないものだと、自負してくれているのでしょうね。
「桐乃も夏の世界陸上に向けて、頑張っていると言っていたし。私たちも負けて
はいられないわ。仕事と育児の両立くらい、しっかりこなさないとね」
「おう、そのつもりだぜ。それに桐乃からも念を押されているしな。『あたしに
しっかり懐いてくれる、素直で可愛い姪に育ててよねっ!』ってよ」
「それは璃乃や悠璃の育ち方とかではなくて、桐乃本人の行い次第だと思うのだ
けどね……」
娘たちを可愛がろうとするあまりに、しつこくウザ絡みをした挙句。
苦手意識を持たれて避けられてしまうのが、容易に想像がつくもの。
桐乃と始めて顔を合わせた時の、珠希が丁度そうだったように、ね。
「そこはまったくの同感だが、その辺は俺たちもフォローしてやらんとな。あれ
でも一応、本人としては好意がありすぎるだけで、悪意は全くないんだしよ」
「そんなことは百も承知よ。まあ、璃乃と悠璃の情操教育のためにも、色々な意
味で手綱はしっかりと握っておかないとね」
「手綱を付ける相手は世界最速の暴れ馬だけどな。まったく骨が折れることだぜ」
「本当にね。その辺は頼りにしているわよ、『兄さん』?」
私は口元を三日月形に歪めて、うすら笑いを浮かべてみせた。
こんな笑い方をしたのは、実に数年振りではないのかしらね?
京介は暫くの間、目を丸くして私を見返していたのだけど。
盛大に吹き出すと、大袈裟にサムズアップを決めてみせた。
「おう、ばっちり任せておいてくれ。何せ俺は『妹のこととなると頭がおかしく
なっちゃう』シスコン兄貴だからなぁ」
こんなやりとりをした、在りし日のあの時。
あなたの『妹』の『友人』としてではなく。
勿論、偽装していた『妹』としてでもなく。
打ち拉がれた私のために、本気で怒ってくれて。
胸の裡に秘めた憤懣を、心から共感してくれて。
それでも大切な人を護るべく、己の情感を顧みずに。
体面など金繰り捨てて、二人で協闘したのだものね。
身内以外の人と、あれほど想いが通じ合えたと思ったことはなかったし。
私の心情を汲むばかりか、助力まで貰えたのは初めてのことだったから。
だからあの時に湧き上がった己の感情を、はっきりと自覚してから。
この人とこの先も共に歩んでいこうと、自分自身に固く誓ったのよ。
まあ、そうはいっても。その誓いを本当に果たせるだなんて。
二児の母になった今でさえ、夢のように思えてしまうのよね。
それは私の想いや努力だけで実現出来たものでは、決してないのだし。
京介は勿論、親友や家族、周りの人全ての力添えがあってこそだもの。
だからこそこの幸せを、この先もずっと続けていくことも勿論だけど。
支えてくれる皆への感謝を決して忘れまいと、新たに誓ってもいるわ。
「でも、そんなあなただからこそ、惹かれたのも事実だし、ね」
「世間的には不名誉な評価だろうが、今の俺にとっちゃむしろ褒め言葉だしな。
瑠璃が俺を想ってくれる切っ掛けになったなら、誇らしいってもんだ。まったく
シスコンは最高だぜ、ってな?」
私たちはひとしきり笑いあう。
本当、人生において、何が縁になるかだなんて解らないものよね。
長女として、母親の代理として。
家事をこなすのは当然のことだと捉えていたはずの私が。
趣味が高じた創作者の端くれとして。
世間に認められずとも、我が道を貫くと心に決めたはずの私が。
己のことなど省みずに、無償の親愛を注げる存在に心囚われるだなんて、ね。
それが自分に向けられるなら、どれだけ嬉しいのかと考えてしまうくらいに。
あの時にはそれが自分の心の弱さに由来する、卑しいものとも思ったけれど。
お蔭で己の本心と正直に向き合い、自分を変えるきっかけになったのだから。
本当にあなたには感謝しているし。
あなたと巡り合えた運命にも、ね。
気がつけば私も京介も、笑い終わったそのままに、お互いを見つめ続けていた。
京介は璃乃から右手を離すと、その手を支えに座ったまま身を前に押し出した。
必然、私と京介の距離はその分縮まって。
京介の顔が文字通りに、目の前にあった。
育児中の親としては、褒められたものじゃないのかもだけど。
普段は一家総出の育児で、喧々諤々の日々を送っているから、夫婦としてこう
いう機会は中々取れないのも事実なのよね……
その分も京介には負担を強いてしまっていると、申し訳なく思っているのよ。
育児を始めてからというもの、真剣に頭を悩ませている難題の一つなくらい。
本当、こういう時にはどうしていたか、先達からご鞭撻欲しいのだけどね。
とはいえ、この問題を確実に越えたのだろう両親に訊くのでは、生々しすぎて
流石に憚れる案件でもあるしね……
まあ、その辺の込み入った事情は、今は置いておくとして。
私からもほぼ反射的に、京介へと顔を寄せていったわ。
流石にこの辺は、長年培った阿吽の呼吸と言うものよ。
ここのところ、京介はキスですら遠慮していたくらいだから-きっと抑えが効
かなくなると案じたのでしょうね-ちょっと意外にも思ったのだけど。
でも……私にしても、同じ気持ちだったのだし、ね。
「うぅーー!!」
けれど、お互いの唇が重なり合うその寸前に。
胸元にいる愛妻が、むずかる声を上げていた。
「っと、璃乃が起きちまったな。そろそろミルクの時間だったか?」
「そうね、悠璃もきっと起きるでしょうから、すぐに用意してくるわ」
「なら俺が作ってくるから、少しの間、璃乃も頼むぜ」
私は悠璃をクッションに寝かせると、京介から璃乃を受け取った。
今までの温もりが薄れた璃乃は、益々ぐずり出してしまったけど。
ひとまず母乳を飲ませながら、機嫌を損ねた長女をあやしつける。
璃乃と悠璃が生まれて、すでに四カ月。
最近は体重もめっきり増えてきて、母乳だけでは満足出来ない時も多いのよ。
そもそもにして二人分必要だし、私もそれほど量は出ない体質だから、ミルク
も併用して授乳しているわ。
最近は特に璃乃が、よく飲んでくれるようにもなっているしね。
もっとも体はほんの少し、悠璃の方が大きいくらいなのだけど。
ふふっ、本当に二人とも、どんな娘に育つのかしらね。
もっともどう成長しようとも、本人の好きなようにさせる心算だけど。
だって両親がそう育ててくれたからこそ、私は己の望むままの人生を歩んで。
こうして心から愛する伴侶と共に、大切な娘たちにも恵まれたのだから、ね。
* * *
私の人生二十六回目の誕生日は、何事もなく過ぎて行った。
そも平日でもあるし。事前に友人や家族には話しは通しておいたしね。
まあ、口頭やメッセージなどでは、祝辞を貰っているのだけど。
それ以外は昨日までと何も変わらない、普段の日常だったわね。
親になれば人生の中心は子供のためになる、なんてよく聞く話だけど。
今日の私は、その言葉をまさに身をもって実感しているところだもの。
そしてその事実が、私としても心から喜ばしいことでもあるわ。
もっとも日向と珠希は、誕生日ケーキだけは絶対に作ると譲らなかったから。
毎年の恒例でもあったし、妹たちの心配りを有難く頂戴することにしたのよ。
お腹が一杯になった璃乃と悠璃が、ぐっすりと眠ってくれたのを見計らって。
京介が仕事帰りに五更家で受け取ったケーキの箱を、今し方開けたところよ。
&ref(https://downloadx.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/924/birthdayCake2022_1.JPG,width=1536,height=2048)
https://downloadx.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/924/birthdayCake2022_1.JPG
「今年は結婚式のドレス姿なんだな。ホント、あの時の瑠璃は女神が現世に降臨
したのかって、本気で思ったくらいだったよなぁ」
「い、いくらなんでもそれは持ち上げすぎよ。あなたの悪い癖だわ」
「でも本当に綺麗な花嫁さんだったわよ。正直に言うと、京介にはもったいない
んじゃないかしらって、本気で心配になったくらい」
「毎度のことだが、息子には実に辛辣なことですねぇ!……ま、正直に言えば俺
だって常々肝に銘じてるさ。そんな新婦に少しでも相応しいようにってな」
「そうやって自分を卑下するのも悪い癖よ?私の大切な旦那様のことを、悪く言
わないでくれるかしら?」
「いや、そこはお互い様だろ?俺も大切な奥さんのことを、ちょくちょく貶され
てる気がしてるんだけどな」
こ、これでも昔よりは、大分マシになったとは思っているのよ?
それもすぐ傍で私を励まし続けてくれた、あなたのお陰だもの。
あなたにとってもそうであるなら、妻として誇らしいのだけど。
「はいはい、ケーキ通りに何時までも新婚さんみたいな夫婦で羨ましい限りねぇ、
あなたたち。そういえばこの時のブーケは沙織ちゃんが受け取っていたのよね。
その後はどうなの?」
「沙織の場合は、色々な都合があって複雑だからなぁ。本人の願いが出来る限り
叶って欲しいって、俺たちも応援しちゃいるんだが」
「沙織も、家に縛られるだけの心算はないと言っていました。それに香織さんも
傍にいてくれてますから、きっと大丈夫だと思います」
本当は自分が受ける気はなかったのですがと、あの後で沙織は教えてくれた。
或いは望まぬ形の結婚になるかも知れない自分よりは、他の人の方が、とね。
でも、私もそうだと解っていたから、沙織に受け取って欲しいと思ったのよ。
狙った所へとブーケを投げられるように、密かに特訓していたくらいだもの。
だって私が今、こうして幸せに過ごせているのは、沙織のお陰だものね。
その恩返しは勝手ながらも、私の生涯をかけてさせて貰う心算でいるわ。
だからこの程度では、まったくもって足りないとはいえ。
沙織の幸せに繋がる切っ掛けになれば、嬉しいのだけど。
「それにしてもこのケーキからは、日向さんと珠希さんの気持ちも伝わってくる
ようじゃないか。たとえ瑠璃さんが母親になっても」
「おっと、それ以上は無粋ってもんじゃないか、親父」
「そうですね、お父さん。瑠依さんや静さんも、きっと気持ちは一緒でしょうし。
さあ、そんな想いが沢山籠ったケーキ、そろそろ頂くとしましょうか」
結婚式を挙げたのは、既に三年前のことになるのだけど。
それでも今年の誕生日ケーキに、わざわざウェディング姿の私を描いたのは。
日向も珠希も。
いえ、お義母さんの言う通り、五更家全員からのメッセージなのでしょうね。
なにせ五更の実家では、例えどんな時だって。
家族の誕生日やクリスマスでは、皆で揃ってお祝いをするのが常だったもの。
お父さんもお母さんも、どんなに忙しい時でも必ず時間を取ってくれたから。
娘たちの世話を言い訳にしているようでは、五更の娘としては落第かしらね?
「とはいえ、ウェディング姿の瑠璃を切るのも、中々気が重いよなぁ」
そう言いながらも、京介はケーキナイフを率先して手に取った。
日向と珠希が毎年作ってくれる誕生日ケーキには、何時も珠希が心を籠めた
私のイラストが描かれているのだけど。
何時の間にかそれを切り分けるのは、京介の役目になっているのよね。
京介が言うには『誰もやりたがらないだろ?』ということなのだけど。
逆に『誰にも譲る心算はない』という、強い思いも感じる気がするわ。
嬉しい、とは思っているのよ?私を想ってのことには違いないのだし。
流石に毎年のことで手慣れた京介は、迷わずケーキを八等分に切り分けていた。
五号のケーキ-直径十五センチよ-だから、一人二ピースとはいえ、それなり
な分量になるのだけど。
食感を軽く仕上げた生クリームと、ふわふわに焼き上げたスポンジに。
ふんだんな旬のフルーツを挟み込み、飾り付けた日向特製のケーキは。
甘いものが得意ではないお義父さんや食が細い私でも、あっさりと食べられる
くらい、口当たりの良さがあるのよね。
言うまでもないけれど、勿論、味の方も格別よ?
ふふっ、今年もさらに出来るようになったわね、日向。
スイーツ作りなら、もはや私よりも上ではないかしら?
「来年は璃乃や悠璃も一緒に、このケーキを食べたいもんだな」
「ええ、そうね。もっとも二人の一歳の誕生日ケーキが先になるかしら。材料に
は少し気を付ける必要があるけど、きっと日向が張り切ってくれるわ」
ベビーベッドに並んで眠っている、璃乃と悠璃に皆で目を向けた。
きっとその頃には、璃乃も悠璃も今の倍になるほど成長していて。
にこやかにケーキを頬張る二人の姿が、目の前に浮かぶようだわ。
とはいえその時はまだ、半年以上も先の話になるのよね。
そのためにも大切な娘たちを、健やかに育て上げないと。
もっとも。こんなにも皆の愛情を注がれているのだから。
何も心配なんていらないと、自負してはいるのだけどね。
勿論、慢心しているわけではないわよ?
それくらい全霊を尽すという、決意の現れでもあるもの。
こういう言い様は、私の主義に反してしまいそうだけど。
たとえ己が身と命を賭すことになろうとも、ね。
それが母たる者の矜持と、常々戒めているから。
すやすやと眠る娘たちの顔を見つめながら。
私は胸中で改めてそう誓っていたのだけど。
「……おう、俺だ。んじゃ、瑠璃に替わるぜ」
すぐ横でそんなことを言い出したものだから、私は驚いて京介へ振り返った。
見ればにんまりとした笑みを浮かべて、京介は私へスマホを差し出している。
スマホの画面には、案の定とても見慣れている-実際に直に顔を合わせたのは、
半年は前のことだけど-剥き出しの八重歯が映っていた。
私は目線だけをもう一度京介へと流し向ける。
--桐乃にも誕生日のお祝いはしないと、確かに伝えたと思うのだけど?
--ああ、勿論だ。でもよ、あっちから電話が来たんなら仕方ないだろ?
兎も角、俺のせいじゃないからな?と目で訴えている京介。
先のやりとりから察するに、あなたも承知の上でしょうに。
私にではなく、わざわざ京介に電話をかけたくらいだしね。
私は軽く頭を振って、まずは気持ちを落ち着けた。
まあ、これがどちらの目論みだったとしても。
そもこちらの意を大人しく汲んでくれなんて。
桐乃に対して、土台無理な注文だったものね。
「あんた、折角の誕生日を自分勝手に祝うなとかほざいてんの、いったい何様の
つもりだっての!」
開口一番、その祝うべき本人へ、容赦なく暴言を吐いてくるくらいだもの。
先にも言った通り、今や桐乃の顔はテレビ画面で見る方が多いくらいだし。
なにせ巷では『麗しきスプリンター』なんて、呼ばれているくらいなのよ?
元々の明媚さは勿論、テレビでの外面やインタビューの際の爽やかで気さくな
コメントぶりからは、確かに国民的アイドルに相応しい可憐さばかりを見せられ
ているわけだから。
こんな剥き出しの怒りの感情を向けられるのも、実に久しぶりな気がするわ。
そしてその事実に、少しだけ優越感を覚えてしまった自分に驚いたところよ。
ああ、なるほど。
昔からあなたや京介が、ちょくちょく私を恥ずかしがらせては喜んでいたのは、
こんな気持ちだったのかしらね?
「前もって皆と一緒に知らせてあったでしょう?そもそも日本にいないあなたに
は、殆ど関係ない話だったでしょうに。今週末にはアジア大会なのよね?」
「どこからだって電話くらいできるっつーの。だいったい、今日は薄情なあんた
になんか用はないんだかんね。ほらっ、ぼさっとしてないで、あたしの『魂の娘』
たちの姿を、早く見せなさいっての」
んべっ、と小憎らしく舌を出したと思ったら、横柄に私に指図をする桐乃。
昔ならこんなあからさまな挑発だって、ムキになって反発していたけれど。
フッ、年を経て分別が付くというのも困ったものね。
あの頃はこういう桐乃との遠慮のないやり合いが、楽しくて仕方なかったのに。
今ではその裏に潜ませた気持ちを慮ってしまって、つい手を緩めてしまうもの。
「はいはい、精々大会のためのカンフル剤にするといいわ。もっとも、今は静か
に眠っているのだから、騒がしくするようならすぐさま通話を切るわよ?」
「……わかってるっつーの」
仏頂面ながらも、律儀に小声で応える桐乃。
私は吹き出すのを堪えながら神妙に頷くと、娘たちのベッドへと歩み寄った。
恐らくは京介の合図で、二人が寝ている時に電話をしてくれたのでしょうし。
その配慮も汲んで、私は背面カメラで璃乃と悠璃の寝顔を黙って映し続けた。
スマホから漏れ出てる、くぐもった奇声の数々は聞こえない振りをして、ね。
「……そろそろ気が済んだかしら?」
「あーーー、もうちょい!もう一分だけでも!」
「まったく。写真や動画だって、何時もあなたに送っているじゃない」
「今、まさにこの瞬間、ってのが何より大切なんじゃん!陸上だって、その一瞬
の駆け引きの中に見えたものこそが、その全てと言ってもいいんだから。それに
何事も一期一会だって言うっしょ?」
「解らないではないけれど、もう少しその熱弁のトーンを落としなさいな。心な
しか悠璃があなたから顔をそむけたわよ?」
「ゔぅ゙……」
結局、その後もたっぷりと五分以上は、桐乃の姪っ子観察に付き合わされた。
案の定、最後はテンションが上がり過ぎた桐乃の声-もはや雄たけびだったけ
どね-で璃乃が泣き出してしまったのだけど。
すかさず京介があやしてくれたから、璃乃はほどなくして泣き止んでくれたし。
こっちは任せておけ、と言うことでしょうね。京介は私へ軽く頷いて見せたわ。
まったく、そこまで気を使ってくれなくてもいいのだけどね。
むしろ私が璃乃を抱いていた方が、桐乃は喜んだかも知れないわよ?
「くぅぅぅぅ、あともうちょっとで九秒台も出せるくらいの『むすめぢから』が
溜まったのにぃぃぃぃ!!」
「それが本当なら、世界記録をぶっちぎりで更新ね。もっともそれ程の力は、夏
の世界陸上まで取っておいた方が良くないかしら?」
とはいえ、ここは京介の心遣いを斟酌して、お喋りを続けさせて貰ったわ。
「甘い甘い甘いっ!さっきも言ったケド、あたしたちはその時その一瞬に、全力
を振り絞って戦ってんだから!出し惜しみする余裕は、誰にもないっての!」
「それは失礼したわね。それなら、こんなことをしている時間もなさそうだけど、
随分と余裕のあることだわ」
気持ちが高揚する余り、つい昔のように手心のないやり取りになってしまう。
内心では久し振りのお喋りが楽しすぎて、朝までも続けたいくらいなのにね。
「うっわ!親友が久し振りに電話してあげたのに、薄情すぎくなーい?ま、確か
に璃乃と悠璃の成長振りも見られたから、もう用は無いンだけどねー」
「ええ、そうね。私もいい加減、璃乃の面倒を代わらないといけないし。スマホ
は京介に戻しておくわよ?」
とはいえ、今やお互いにそんなことが出来る身の上でないのも事実。
ましてや今日は私が、祝い事はしないと自分で言い出したのだから。
「あー、いいっていいって。なんかあればまた連絡するし。今日は姪っ子がどん
だけ成長したのか、直接見たかっただけだしねー」
桐乃はそこで言葉を切ると、如何にもわざとらしい咳ばらいをする。
「あ、そういや、あんたにも言うことあったんだった」
仰々しく居住まいを正すと、画面越しに真っ直ぐこちらを見据えてきた。
昨年、世界で一番になった後のインタビューで見せたような顔つきでね。
「お誕生日おめでとう、瑠璃」
そして開口一番、ストレートに伝えてくる。
本当、なんだかんだと回りくどいことが嫌いなのはあなたらしいわね。
「と、ひとまずお祝いはしとくケドさ。来年からはきっちりお祝いとかもやりな
さいよね!子供が大切なのも、そりゃすっごく大事なことだろうケド。これから
の長い人生、受けに回るには流石に早すぎんじゃない?」
だからこそ、その忠告が身に沁みるとも言えるわね。
家族や友人たちが気を使って遠慮するようなことでも、あなたは何時でも正直
に真っ直ぐ伝えてくるものね。
まあ、自分のことは棚に上げておいて、なんて時も多いのが玉に瑕だけど。
それでも相手のために為すべきを為すのが、あなたが桐乃たる所以かしら。
「……ええ、肝に銘じておくわ。前にあなたに伝えた通り、私とて大切な人たち
全員と、一緒に幸せな未来を築くことが理想だもの。そのために全力を尽くすし、
より良い道を常に模索し続けていく心算よ」
こちらも桐乃に負けじと胸を張って、言い返しては見たけれど。
自分で言っていて、私の方は回りくどいことこの上ないわね……
まあ、この辺は職業病だとでも思っておいて欲しいわね。
「ん、よろしい。言いたいことはそんだけ」
んじゃ、またね~と、あっさり電話を切ろうとする辺りも実にらしいのだけど。
「ちょっと待ちなさい。あたしからもあなたに言いたいことがあるのだけど」
慌てて呼び止めたお陰で、桐乃が通話を切る前に間に合ったみたい。
私は大きく息を吸って気持ちを落ち着け、こちらも背筋を伸ばした。
「わざわざ私の誕生日を祝ってくれてありがとう、桐乃。あなたも大事な時期な
のに、私のために時間を割いてくれて本当に嬉しく思うわ」
まずは折角の祝言に対しての、感謝を伝えておかないと。
今や世界中で注目を集めるトップアスリートが、だしね。
昔のようなルサンチマンではなく、順然たる事実だから。
まあ、面と向かってこんなことを口にしたら、桐乃は本気で怒るでしょうけど。
桐乃が今でも私たちの前で昔のように振舞うのも、それを嫌ってだと思うから。
「勿論、大会もしっかり頑張りなさいな。こちらに気を取られて負けた、だなん
てことになったら、寝覚めが悪すぎるでしょう?」
だから私はわざと尊大な態度で言ってのける。
自分で言っておいて何様だとは思うのだけど。
「そんな心配いらないってーの。あたしを誰だと思ってるワケ?」
「無論よ。だって私の大切な『妹』だもの。『姉』が『妹』の心配をするのは当
たり前のことでしょう?」
私のすぐ後ろで、京介が盛大に噴出した。
それも聞いただろう桐乃は、八重歯をむき出してにして歯ぎしりしていたわ。
「だからしっかりと結果を出せた暁には、頑張った『妹』に『姉』からご褒美を
上げるわ。璃乃と悠璃が始めて笑ってくれた時の動画よ」
「え、何それ。なんでそんな大切なもの、今まで見せてくれなかったワケ!?」
「当然よ。こんなこともあろうかと、私だけの秘蔵の品にしておいたのだから」
「……おっけー、上等じゃん!週末のテレビであたしのワールドレコードが速報
を飾るのを、楽しみにしときなさいよね!」
狙い通りにテンションマックスになった桐乃との通話を終えると、途端に我が
家のリビングが静寂に包まれたようだった。
「……相変わらず、好き放題にやってて安心するぜ」
「ええ、本当にね。でも見習わなければいけないことも多いかしら。少しばかり
口惜しいのだけど」
丁度電話が切れたタイミングで、悠璃も少しぐずり始めてしまった。
慌てて抱き上げると、安心したのかすぐに笑顔になってくれたけど。
「だな。あいつの場合、全部自分で勝ち取ったからこそだしな。ま、うちの娘に
は、節度をもって接して欲しいもんだが」
「それは望み薄だとは思うけど……とはいえ私たちの大切な妹が、この子たちか
らあまり嫌われてしまわないよう、気を付けてあげないとね」
まさか叔母の深すぎる愛情に身の危険を感じて、なんて話もないでしょうけど。
「だな。どうせ『姪っ子が全然懐いてくれないんだけど、どうしたらいい?』と
か人生相談されるのが目に浮かぶようだぜ。今のうちから備えておかんとなぁ」
私たちは愛しい我が子たちを抱き締めながら、顔を見合わせて笑い合う。
ふふっ、でもやっぱりこんな風に。
大切な人たちと一緒に、笑い合えるのが一番だものね。
そしてそのための機会だって。やっぱり多いに越したことはないかしら。
「……ねぇ、京介。来年になって世の中ももう少し落ち着いたら」
「ああ、そうだな。昔みたいにみんなを呼んで、賑やかな誕生日にしようぜ!」
その情景に想いを馳せながら、私たちはもう一度大きく頷き合う。
胸に抱いた愛娘たちもまた、一緒になって微笑んでくれていたわ。
2022-04-20T11:05:27+09:00
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【俺妹】黒猫『運命の記述』137冊目【五更瑠璃】
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【俺妹】黒猫『運命の記述』136冊目【五更瑠璃】
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**謝辞
多くの人の協力と、多くのwikiを参考にさせていただきました。
ありがとうございます。
※特に桐乃のwikiはものすごく参考にさせて頂きました。
2022-04-18T10:23:36+09:00
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アンケート:黒猫好きってほむほむ好きが多いんじゃないか疑惑
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黒猫好きってほむほむ好きが多いんじゃないか疑惑
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黒猫好きってほむほむ好きが多い気がするので、ちょっと聞いてみたいです。
まどマギ知らない人は「ほむほむって何?」に投票いただければ。
よろしくお願いします。
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2021-02-22T10:10:31+09:00
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アンケート:黒にゃんの水着にパッドが入ってるかどうか
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/652.html
黒にゃんの水着にパッドが入ってるかどうか
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**まとめページ
-[[胸パッド疑惑事件(2011年6月8日)]]
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わたs・・・黒猫の水着について。
胸パッドを使っているのかどうか、賛否両論あるみたいね。
ククク・・・さぁ、決着を付けようじゃない。
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#vote(胸パッドに決まってる[1529],胸パッドなわけがない[159867],submit_text=投票)
※黒にゃんの自演によりかなりの票数が「胸パッドなわけがない」に上積みされております。
2020-05-13T00:50:35+09:00
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『花は落ちて水は流れる』:(直接投稿)
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/1271.html
先月のことになってしまっていますが……
24歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!
全世界規模のウィルスの大流行という、未曽有の災禍に見舞われている中での
生誕祭となってしまいましたが、今年もツィッターやPixiv等では
多くの闇の眷属や俺妹ファンの皆様方から祝福の言葉やイラストが出されていました。
最近は厳しい情勢が続いていて、気の沈むことばかりの日々でしたが
生誕祭でいまだに多くのファンに支えられたコンテンツなのだと実感して
嬉しい気持ちに満たされた一日にもなりました。
来月にはあやせif後編の発売も予定されていますし、
まだまだ盛り上がっていきたいものですね。
その生誕祭から遅れること半月ちょっと。締切りを大胆に破ったことを
我らが女王に罰せられそうですが、今年の誕生日にちなんだSS
『花は落ちて水は流れる』をせめてものお祝いになればと投稿させて頂きました。
この話は原作終了後の話しとしてこのwikiに投稿している各種SS等と
基本設定を同じくしていて、一昨年の生誕祭の『転生の儀』や
コミケC96で発刊した「俺と後輩が新生活を始めるわけがない」の
続編となっております。
原作終了から既に7年。その間に書いてきた原作終了後のSSで
オリジナル要素ばかりの展開になってしまっていて大変に恐縮ですが、
以下の点を踏まえて頂ければ、状況を把握しやすいのではと思います。
・2年前の黒猫の誕生日パーティが終わった後、京介から告白(『転生の儀』)。
その後、フランスに留学中の桐乃から了承を得て正式に恋人に復縁
・黒猫が大学卒業後、京介のアパートで同棲を始める
黒猫は元弁展高ゲー研が中心になったゲーム開発会社に就職する
・1年前の黒猫の誕生日に、京介から正式に婚約を受ける
(『俺と後輩が新生活を始めるわけがない』)
なお、この話に出てくるバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんで作って頂きました。
https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/900/birthdayCake2020_1.JPG
こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。
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「それでは皆さん、明日から業務連絡は全てSlackに流しますので、コアタイム
中は定期的に確認するようにお願いします。この体制は、ひとまず緊急事態宣言
期間の5月6日までを予定していますが、世情を鑑みて延長する可能性も十分に
考えられます。ですので長期戦も念頭において、在宅でも作業を無理なく進めら
れるように、自分に合ったやり方を身につけておいて下さい」
開発部長兼副社長の真鍋さんの説明も終わり、今日の仕事は解散となった。
まだ、お昼を過ぎたばかりなのだけど、皆が日頃作業に使っているPCや機材
などは、すぐにでも運び出せるように梱包済みだもの。
だから会社に残ったところで、これ以上の仕事は出来ないのだしね。
今年になってからアジア圏を騒がせ始めた新型肺炎は、それから一月も経つと
あっという間に世界中に蔓延して、文字通りのパンデミックとなった。
緊急措置として世界の各都市が封鎖状態になっていく一方で、日本では比較的
感染者を抑えられていた方だったので、手洗いやマスクの徹底、多人数の集まり
の自粛などで暫くは済んでいたのだけれど。
先月末に遂に首都圏を中心に感染者が増大。日毎に一日の感染者数の最大記録
を更新していく有様になった。
それを受け、今月に入ってすぐに政府から緊急事態宣言が発令されている。
可能な限りの外出は控えて、人との接触を極力減らすようにとの内容でね。
あくまで要請であり、強制するものではないのだけど。
流石に事ここに至っては、職場に集まって仕事をするのは、社員にしても落ち
着いて作業に打ち込めるような状況ではないものね。
だから我が社でも社員の皆が家でリモートワークを出来るようにと、急ピッチ
で準備を進めていたのよ。
先月の状況を見れば、とても日本だけが災禍を免れるとも思えなかったしね。
まあ、セキュリティ面やライセンスの問題とか、会社から機材やソフトを持ち
出すには頭が痛い難題も少なくなかったけれど。
その辺りは三浦社長が直々に音頭を取って進めてくれたので、こうして無事に
明日からは全員が在宅勤務できる体制も整ったわ。
まあ、社員全員合わせても10数名の小さな会社だからこそ出来る、小回りの
利いた運動性の高さということでしょうね。
「よーし、んじゃ俺と真壁、青井の車で全員の機材を運んでくから、みんなくれ
ぐれも寄り道しないで、家で待っててくれよ。では、これにてかいさーん!」
三浦社長の号令に、お疲れ様でした、と社員一同で応えて部屋を出ていく。
「まあ、会社としてもこの状況に慣れるまでは、現行のプロジェクトは休止せざ
るを得ないですからね。沙織さんと進めていた企画も、先方から今月一杯は凍結
すると連絡を受けています。五更さんも良い機会だと思って、今のうちに次作の
構想とかゆっくり練っておいてください。確か東洋風ファンタジーな世界観にな
るんでしたっけ?」
退社していく皆の後に続こうと思った私に、瀬菜が声を掛けてきた。
「ええ、その心算よ。例え私達が開発を滞りなく進められたところで、この分で
はバグ出しやマスターチェックが、無事に出来るとはとても思えないものね」
「そうですね。CEROも業務休止のようですし、一番の商戦期の夏予定のタイトル
は軒並みずれ込みそうですよねぇ。あたしたちの業界はこういうアクシデントに
は強い方でしょうけど、今回ばかりは果たしてどうなることやら」
眼鏡のブリッジを人差し指で押さえながら、深々と溜息をついて見せた瀬菜。
少し芝居がかっていたと思ったけど、そこは私も同感なので素直に頷いたわ。
「それに私達のような、中小のソフトメーカーにとっては死活問題でしょうね。
でも私達は、私達のやれることをやるしかないのだし」
「ですね。本当に遺憾ですが、まったく五更さんのおっしゃる通りですよ。まあ、
あなたには言うまでもないことですが、あたしたちは焦らず着実に開発を進めて
いきましょう。何時でもリリース出来るように、ですね」
それこそ私に言うまでもないことに、瀬名がわざわざ釘を刺してきた理由。
この自粛要請の状況が長引けば、下手をすればこの会社そのものの存続が危ぶ
まれる事態に陥りかねないから、ということでしょうね。
瀬菜はプログラマーのチーフを務めてはいるけれど、会社の組織としてみれば、
単なる普通の一社員に過ぎないわ。
でも瀬菜とずっとお付き合いを続けている真壁さんは、我が社の副社長という
立場でもあるのよ。
それだけに、この誰にも想定すら出来なかった世界的な災禍にも、会社の運営
に対する手腕や責任をどうしても問われることになる。
だから瀬菜としてもそんな真壁さんと一緒に、今後の会社の行く末を何よりも
案じなければいけないのでしょうね。
いまだに重度の腐女子脳で、外面は兎も角として、身近の人には倫理を疑われ
かねない破廉恥な言動を平気で見せてしまう瀬菜だけど。
性根はどが付く程の生真面目で、想い入れたものにとことん一途な性格だもの。
真壁さんの為に自分でも出来る限りをしなければと、覚悟しているのでしょう。
例えば今みたいに。社員に会社の事で余計な不安を抱かせないように、とかね。
「ええ、勿論よ。クククッ、既に我が『魔眼』で垣間見た『情景』【ビジョン】
もあることだから、我が『闇の居城』【ダークパレス】にて『妖力』を高めつつ、
『此方の世界』に現界させてみせるわ」
今でもゲームのシナリオやイメージの創作をする時には、自らの精神状態を昔
ながらの『闇の形態』【ダークモード】に、切り替えることはあるのだけど。
こうして会話の中で口にするのは、随分と久しぶりのことかしらね?
お陰で瀬菜にしても暫くの間、きょとんとした顔を見せていたけれど。
すぐにっと口元を緩めると、頼みますよ、五更さん、と笑顔を返した。
本当、口に出さずとも通じ会える、長年のつき合いとは良いものだわ。
「まあ、あなたも在宅勤務だからと、あまり羽目を外しては駄目よ、瀬菜。作業
はしっかり熟していると言っても、気が緩んでしまえばどこかで足元を掬われて
しまうものだわ。特にあなたは、ね」
「そ、そそ、そんなことは、ありませんってば!こう見えても、あたしは公私は
きっちりと分けるんです!だからそういうのは、かえ、じゃなかった、真壁さん
に言ってやって下さいよ。外面だけは良い癖に、あたしと二人っきりになったら、
すぐに調子に乗ってやりたい放題してくるんですから!」
少し場を和ませようと、取るに足りない茶々を振った心算だったけど。
私の予想以上の凄い剣幕で、瀬菜は胸の内を一気に捲し立ててきたわ。
やりたい放題、という内容が少し気になったのだけど。
まあこれ以上踏み込めば、きっと藪蛇になるだけよね。
今はそんな女子会トークをしている訳にもいかないし。
「……まあ、この後で真壁さんが家にPCを運んでくるでしょうから、その時に
でもそれとなく伝えておくわ。まだ時間の余裕はあるのでしょうけど、私もそろ
そろ帰っておかないといけないかしら」
「おっと、そうですね。社長にも言われてたのに、余計なお喋りに付き合わせて
しまってすみません。今年は会社で五更さんの誕生日会も出来なくなってしまい
ましたが、この場所でみんな揃って賑やかに仕事を再開出来る時まで、頑張って
いきましょう」
「ええ、あなた達もくれぐれも体調には気をつけてね」
「そうですね、特にあたしたちは、変に薬に頼るのも怖いですし。胎児に悪影響
が出るなんて話も良く聞きますからねぇ」
「え、まさかあなた、もう?」
「いえいえ、流石にそこはしっかり気をつけてますよ。でも用心に越したことは
ないですからね。ちょっとした自分の不注意で、未来の家族に重荷を背負わせる
ような真似は出来ませんから。五更さんたちもくれぐれも気をつけて」
やっぱり肝心なところでは、誰よりも真面目よね、あなたは。
私は瀬菜に頷いてから、今度は小さく手を振って別れの挨拶を交わした。
そのまま職場にしているマンションを後にして、我が家への帰路に着く。
平日の昼間であることを差し引いたとしても。
最寄りの駅に向かう道すがらは、出歩く人の姿が極端に少なかった。
それこそ何かのゲームの中で見たような一シーン。
何気ない日常の風景から、そこにいる筈の人間だけが消え去った。
余りに平凡な場所が、それ故非現実的に思えてしまうそんな光景。
物語の中だけと思っていたそれが、今、私の目の前で起きているだなんて、ね。
私が学生の頃だったら『此方の世界に数多記されし終末が、遂に現出したわ!』
などと、歓喜に包まれながら嘯いていたのかもしれないわ。
まるで嵐の到来を、普段と違う祭事が来ると胸を躍らせたあの頃のように。
それが起こす悲劇を知らぬが故の、蒙昧な子供の如き無邪気さを見せてね。
でも、今ならば解るもの。
いえ、今の私の範囲で理解出来る、というのがより正確かしら。
未来の私から見れば、きっと若気の至りだと羞恥に苦しむのでしょうしね。
まったく、つくづく『此方の世界』の神とやらは、過酷な運命を課すものだわ。
愛する人と共に生き、望んだ仕事にも就いて、ようやく夢へ歩み始めた一年前。
確かに順風漫歩とは言えないけれど。それでも前へと進んでいる手応えを感じ
られたその矢先に、こんな全世界規模の災禍が、立ち塞がるのだから。
それでもこれを乗り越えねば、目指す理想はそれこそ夢の泡沫となってしまう。
勿論、そんな未来を甘んじて受ける心算など、毛頭ないわ。
今までも私の出来る限りの人事を尽して、天命を掴み取ってきたのだから。
とはいえ今回ばかりは。人一人の手に負えるものではないのかもしれない。
町中を流れる小川沿い見える桜並木からは、春風に煽られた花弁が吹雪のよう
に逆巻き、水面へと降り積もっていく。
力尽き、落ちゆく桃色の花達も。それを一時も止めずに運び去る、水の流れも。
惨禍に見舞われた人の世だけでなく、折角の春の日にこんな光景を見せられて
しまえば、嫌でも厭世な考えが湧き上がってしまうわよね。
そういえばシナリオの参考にと思って調べた文献にも、こんな春の情景を悲嘆
して詠んだ漢詩が幾つかあったと記憶しているわ。
落花流水。
何時の世も自然の有様に時の趨勢を感じるのは、変わらないのでしょうね。
それでも私は力の限りに頭を振って、そんな憂慮を無理矢理に追い払った。
今度の事態は、それこそ長期戦を覚悟しなければならないでしょう。
今からこんな調子では、とてもこの先やってなどいられないわよね。
自分にそう強くいい聞かせると、私は駅へと向かう足を早めた。
いまだ心をざわつかせる不安から、文字通り逃れるように、ね。
* * *
「お、そのごついのが会社のパソコンなのか。流石にすごいの使ってんだな」
「ええ、開発中のゲームそのものは、そこまでのスペックはいらないのだけど。
開発に必要なアプリや環境を同時に動かす必要があるから、それなりのパワーが
必要になるのよ。まあ、見た目が大きいのは、単純に頑丈なケースを使っている
からだけどね」
会社のPCのセットアップ-と言っても、各種ケーブルを繋いで、通信設定を
自宅用に切り替えたくらいだけど-も無事に終わり、早速自宅での作業を始めた
ところで、京介が仕事から帰ってきた。
もっとも京介にしても、普段と比べれば随分と早い時間のお帰りなのよ。
こんなご時世では芸能界隈にしても仕事の総量が減るばかりで、マネージャー
やADにとっては死活問題だって、最近よく零しているわ。
「けど在宅勤務がさくっと出来るってのは流石だよなぁ。ま、瑠璃の感染リスク
が減ってくれるんなら、俺も安心出来るけどな」
「あなたの仕事は現場にいく必要が、どうしても出てくるものね……でも、私の
心配をしてくれるのは嬉しいのだけど、私からすればあなたの方が心配よ?」
「いや、それがさ。昨日の政府からの要請を受けて、うちも出勤者の七割削減を
実現するって社長から鶴の一声が出たんだ。だからうちがメインでやってる仕事
は全部休みになるから、俺も週二日くらいの出勤で済みそうかな」
隣の寝室で着替えていた京介から、予想外の話が飛び出した。
いくら仕事が減っているとは言っても、まさか芸能事務所までが率先してそこ
までの対策をするとは、私も考えていなかったから。
「そ、そうなの?流石は美咲さんと言うところかしら?」
「だな。良い意味でワンマンっぷりを発揮してるよ。『こんな時に社員の身を第
一に考えられない会社なんて、どのみち先はないわね』って言い切ってたしな」
着替え終わった京介は私のすぐ横にくると、美咲さんの口調を真似て見せた。
「……確かに特徴は捉えていたけど、裏声はやめて頂戴。まあ、私も美咲さんの
言う通りだと思うわ。目先の利益に囚われて、肝心の人材を逃したら何もならな
いものね。もっとも、この状況も問題なく乗り切れるという、自信もあってこそ
なのでしょうけど」
「ああ、みんなもそう思ってる。そういうとこが実に頼れる社長さんだから、俺
たちも安心して付いていけるしな。まあ、その代わり仕事には超厳しいんだが」
「第一あなたは桐乃のこともあるから、そも美咲さんの下から離れるわけにはい
かないのだしね。彼女の英断には、私からも感謝させて貰いたい気分よ」
「お陰で次の月曜日には、問題なく休みも取れるようになったしな。外に遊びに
は行けないが、その分、家でゆっくりお祝いしようぜ。瑠璃の誕生日を、さ」
私は思わずキーボードを叩いていた手を止めて、すぐ横の京介の顔にまじまじ
と見入ってしまった。
学生時代には誕生日はオタクっ娘メンバーを中心にして、賑やかなパーティを
開くのがお決まりになっていたのだけど。
昨年は私や沙織を始め、多くの友人や仲間達が大学を卒業して社会人になった
ので、大々的な集まりは行いにくくなっている。誕生日には限らずに、だけどね。
まあ、その代わりに、と言ってはなんだけど。
昨年は京介が私の為に、最高の誕生日デートを演出してくれたのだけどね。
流石に今年は皆で集まることも、どこかに出掛けるわけにもいかない状況だし、
今年は当日は月曜日になっているから、京介と一緒に誕生日ケーキを食べるくら
いだと考えていたのよね。
それがこの時世のお陰で、自分でも思わなかった展開になるなんて。
人生というものは、本当に何がどこで禍福となるか解らないものね。
ふと、今日の昼間に見た、水面に落ちて流れる桜の花を思い出した。
あの時にはそれが、物悲しいものとばかり思った情景だったけれど。
或いは川にしてみれば、花に彩られ嬉しかったのかもしれないわね。
「そ、そう……それなら久し振りに思う存分、私も腕を揮おうかしらね」
「いや、誕生日を迎える本人が自分で料理を作るってのは、やっぱり何か違わな
いか?なんか毎年、同じようなことを言ってる気もするけどな」
「ふふっ、でも今年ばかりは事情が違うでしょう?外食も気が引けるし、デリバ
リーを頼むのなら、時間を掛けて自分で作った方が、色々な意味で楽しめるわ。
それに……ね」
私はそこで言葉を切ると、心持ち顔を伏せて京介から一旦視線を外した。
「……その方があなたにだって、美味しい料理を食べて貰えるわ。あなたに喜ん
で貰えることが、私に取っては何よりも嬉しいのだから」
そこから今度は上目遣いに、京介へゆっくり視線を向ける。
自分で言うのもなんだけど。実にあざとい仕草だと、自分でも解っているわよ?
「お、おう……そう、だよな……二人っきりの誕生日なんだし、それなら瑠璃の
好きなようにして貰うのが一番ってもんか」
けれど私の言葉自体に、嘘偽りがある訳ではないもの。
これもこの一年の同棲生活で身につけた、円滑な交渉術の一つというわけ。
最初は私も恥ずかし過ぎて、一瞬しか維持出来ないのが欠点だったけれど。
今では色々な慣れも手伝って、こんな風に効果的に使えるようになったわ。
まあ、多用すると別の問題も出てくるから、まさに切り札でもあるけどね……
「ええ、あなたにも理解して貰えたなら何よりね。折角だから、私もその日は有
給を取ることにしようかしら。二人きりでのんびりと過ごす誕生日、というのも
たまには悪くないでしょう?」
「のんびり誕生日ってのは実に俺好みだから大賛成だが、瑠璃は完全に在宅勤務
になるんだろ?わざわざ有給を取らなくてもよくないか?」
「仕事をしながらだと、あなたと一緒にのんびりなんて出来ないもの。家にいる
とはいっても、自分の仕事だけじゃなくて、他の人達からの質問や成果物の確認、
会議や打ち合わせでもその度に拘束されるわ。在宅勤務も始まったばかりで、皆、
慣れていない分も余計にね。勿論、私も含めての話だけど」
でも逆に言えば今は社員全員がこの環境に順応して、普段通りの仕事が出来る
ようになるのが第一だから、私が一日くらい有給を取っても問題ない筈よ。
私の説明を聞いて京介も納得してくれたのか、なるほどと素直に頷いていた。
少し屁理屈を捏ねた自覚もあるから、後ろめたい気がないでもないけれどね。
でも、一年に一度の特別な日だもの。
これくらいの我が侭は、通させて貰ってもいいでしょう?
それに、ね。こんな時でも有給を取って祝福してくれる最愛の人に。
私の誕生日でも私の出来る限りで応えなければと、心から思うから。
早速当日までに、その為の方策をじっくりと考えておかないと、ね。
* * *
私の24歳の誕生日は、雲翳から大地へと注ぐ大粒の雫と共に始まった。
起き掛けにカーテンを開いて見えた天色は、まるで今の世を顕しているようで
少しばかり気が滅入ってしまったけれど。
もっとも今日は最初から部屋で一日中、ゆっくりする心算だもの。
『天』【運命】のご機嫌なんて、そもそも伺う必要すらないのよ。
私はすぐに気持ちを切り替えると、真っ先にやるべきことから手を付けた。
料理の仕込みや飾り付けなどは、出来るだけ事前に準備してはいるけれど。
こればかりは誕生日の当日にならないと、用意なんて出来ないものだしね。
京介が起きる前に済ませないと、今日の計画が最初から躓いてしまうもの。
私は寝室を後にすると、押し入れに潜ませておいた代物を手早く用意した。
もっとも結論から言えば、その心配は最初から杞憂に過ぎなかったのよね。
私が準備を終わっても京介は起きてこないので、寝室に戻ってみたけれど。
私が目覚めた時と何も変わらずに、京介は安らかな寝息を立てていたから。
「……朝よ、京介。そろそろ起きてくれないと、あなたの大事な婚約者が流石に
機嫌を損ねてしまうわよ?」
窓の外からは強い雨音が聞こえてくるのに、余程疲れが堪っているのかしら?
まあ、自然がランダムに創り出すゆらぎのリズムには、逆に心身をリラックス
させる効果があるなんて話も聞いたことがあるわね。
「ん……まだ早くないか、瑠璃。今日はゆっくりするん……って、ええぇ!?」
重そうな瞼をうっすらと明けながら、こちらに顔を向けた京介だったのだけど。
ようやく私の姿を認識したのか、目を大きく見開くと文字通り跳び起きたわね。
「そこまで驚くことはないでしょう?これは昨年の私の誕生日にも、あなたが用
意してくれたものじゃない」
自分でそう言いながらも、私は心の中で会心の笑みを浮かべていたわ。
予想通りとはいえ、京介の驚いた顔が見られたのはやはり嬉しいもの。
私は今、桔梗色に染め上げられたドレスを着ている。
元々このドレスは高校の卒業旅行でアメリカへ行った際、ドレスコードのある
ディナーに参加する為に沙織が誂えてくれたのだけど。
昨年の誕生日にレストランで食事をした時にも、京介はわざわざそのドレスを
私の為に、サプライズで用意してくれていたのよ。
初めて着た時には慣れぬドレス姿に、何とも落ち着かなかったものだし、桐乃
辺りには散々に揶揄われたものだったけれど。
これで三度目ともなれば、自分でもそれなりに馴染んできた実感もあるわ。
或いはそれは。
ドレスに見合うくらいは、あれから私も成長出来たということなのかしら?
もっとも、昨年は京介の仕事仲間のコーディネーターの方が、このドレスに合
わせた髪のセットやメイクを、文字通りプロの手際でしてくれたのだけど。
今日は全て自前なわけだから、全体の完成度は比べるべくもないのだけどね。
それでも出来る限りの化粧もしたし、髪にしても時間を掛けて整えた心算よ。
それに首元にはあなたから初めて贈られた、十字架の銀細工もかけているもの。
どんなアクセサリーで飾るよりも、私のドレス姿を際立たせてくれると思うわ。
ちなみにこのネックレスは、京介からプレゼントされた時は、逆十字になるよ
うにチェーンに取り付けられていたのだけど。
これを造った御鏡さんにお願いして、正位になるように付け直して貰ったわ。
丁度一年前の私の誕生日までは、密かに身につけていたのを最後にして、ね。
「そりゃそうだが……でもまさか、うちでそのドレスを着てくれるなんて思って
もみなかったぜ。って、ひょっとして」
「ええ、そうよ。昨年、あなたがこの指輪をプレゼントしてくれた時の、思い出
深いドレスだもの。そのお返しも籠めて、今日は一日、あなただけにこの私の姿
を見て貰いたいのだけど、良いかしらね?」
私は右腕で左の肩口を押さえたまま、左手の甲を京介へ向けた。
その薬指には、昨年に京介から贈られた婚約指輪をはめている。
窓から差し込む幽かな光でも、金剛の輝きを煌めかせながらね。
「お、おう、そりゃ勿論だ。俺だって瑠璃の綺麗な姿が見られるのは嬉しいから
な。そのドレス、やっぱりよく似合っているよ」
そうはいっても戸惑いは隠せない様子の京介。まあ、それはそうでしょうね。
古来より奇襲を仕掛けるのなら、『夜討ち朝駆け』と言われるくらいだもの。
朝に弱い京介がいきなりこの姿を見せられたら、その威力は計り知れないわ。
「ふふっ、あなたならそう言ってくれると思っていたわ。では早速だけど、そん
なあなたに一つお願いがあるのよ」
それでも私は、間髪入れずに仕上げの一手を放つ。
自分にしては、少々優雅さに欠ける手法だと解ってはいるのだけど。
今日の主題は『まったりお家で誕生日』だとはいえ、やはり時には場を盛り上
げる演出の一つも欲しくなるというものでしょう?
それにいきなり山場イベントから入って、一気に作品に惹き込む展開というの
も物語構成では定石の一つだしね。
勿論、最初だけではなく、今日はこの後にも色々施策を用意しているけどね。
「背中のファスナーを閉めて貰えるかしら?私の身体の硬さだと、腕がこう……
上手く届かないから」
私はベッドの端に腰かけると、京介へと背中を向けた。
背部のファスナーが殆ど開いたままになっているので、大きく素肌が晒されて
いる状態の、ね。
だから今まではドレスがずり落ちないよう、手で押さえる必要があったのよ。
「あ、ああ……じゃあ、じっとしててくれよ」
京介は微かに喉を鳴らすと、完全に布団から出て私の方へと身を乗り出した。
そして開いたドレスの上を手で押さえて合わせると、腰骨の辺りから恐る恐る
ファスナーを引き上げていく。
押さえた手から伝わってくる温もりと微かな震えから、京介の胸の内がこちら
にまで伝わってくるようだったわ。
ふふっ、私の背中なんて、あなたは見慣れているでしょうに。
例え飽きがくるほど慣れた事柄でも、ちょっとシチュエーションやタイミング
を変化させてみれば、新たな感情を想起させることも出来るのよ。
これぞ『演出の妙』というものだわ。少し効きすぎたかもしれないけど。
「……最後にこの紐も結んでくれるかしら?」
後ろ手に背中の紐を掴んで示すと、京介はそれにも黙って従ってくれた。
ああ、いえ、正確には『蝶結びでいいのか?』とは聞かれたけれどもね。
「ありがとう、京介。そんなわけで、今日のテーマは『何時でも二人一緒に』と
したいと思っているのだけど、どうかしらね?」
私の突然の振りに、京介は実に呆けた顔を浮かべていた。
「ああ、今日は瑠璃の好きなようにして貰う約束だからな。とはいえ、俺の方が
上手く出来なくても、その辺はご容赦願うぜ?」
でもすぐに私の意図を察してか、にかっと笑って右手の親指を立てた。
親友そっくりに見えた健やかな笑みに、私も安心して笑顔で応えたわ。
本当、今更心配することなんて何もないと、頭では解っているのだけど。
大好きな人の反応というのは、何時になっても不安に思えてしまうもの。
さっきの京介の初々しい反応のことも、私が言えたものじゃないわよね。
「では、次にあなたの着替えをしないとね。流石にあなたにはタキシードを着て、
なんて言わないから安心して頂戴」
「い!?いやいや、普通の着替えくらいは、流石に俺一人でやるって」
ベッドの上を後ずさった京介は、布団を頭から被って隠れてしまった。
今更そんな初心な反応をされるなんて、流石に想定外過ぎたのだけど。
とはいえその理由も察しがつくから、この辺で勘弁しておこうかしら。
それに今日はまだ、始まったばかりだものね。
こんな風に私から攻勢をかけるのも、たまには良いアクセントでしょう?
今日はあなたから直々の御墨付きだって、しっかり貰っているのだしね。
* * *
京介の着替えを済ませてから、次に私達は朝食の準備に取り掛かった。
さっき京介自身は『上手く出来なくても』なんて、謙遜していたけれど。
京介には大学で一人暮らしを始めた時から、私が一通りの家事のやり方を教示
しているのよ。誰であろう、桐乃達ての頼みだったもの。
確かに最初は、京介は食器一つ洗うのも覚束ない体たらくだったのだけど。
でも今の京介の腕前なら、十分に主夫だって務まるレベルだと思っているわ。
指南役の私が、客観的な評価をしてみてね。
もっとも、私が京介と同棲を始めてからは、私に家事を一任してくれているか
ら、京介が率先してしなければならない機会は殆ど無くなっている。
勿論、それは京介が面倒臭がって、私に家事を押し付けている訳ではなくて。
私の意思-京介には自分の仕事に専念して貰う-を尊重してくれているのよ。
それが結婚前だというのに、こうして同棲をしている一番の理由だもの。
京介の当面の目標である『桐乃が日本に帰ってきた時にマネージャーになる』
をまずは無事に叶えることが、私達の目指す理想の一つでもあるのだから。
……いけない、すっかり話が逸れてしまったわね。
ひとまず京介には、朝食のお味噌汁を受け持って貰ったのだけど。
横目で見てもてきぱきと調理を進めていて、腕は錆びついてはいないみたいね。
それに一緒に料理する際の阿吽の呼吸も忘れていなかったようで、二人で並ぶ
と随分と手狭になる台所でも、並行して調理を進められたしね。
まあ、ドレスの幅があった分、更に狭くなってしまったのは御愛嬌だけど……
「たまには自分で作ってみるのもいいもんだよな。何時も通りの朝飯でも、やけ
に新鮮に思えるぜ」
「ふふっ、そうね。このお味噌汁も、私とは少し違った味付けだけど。こうして
普段と違ったものを楽しむのも、大切なことだと思うわ」
「といっても、やっぱ瑠璃の作ってくれた方が旨いんだけどな?」
「それは光栄ね。早々弟子に負けてはいられないもの。とはいえ、あなただって
これからも師の業を研究して、何時かは乗り越えて貰わないと」
「おう、そのうち瑠璃を唸らせるようなみそ汁を作ってみせるさ。まあ、俺が爺
さんになるくらいはかかるかも知れないけどな」
威勢のいい返事とは裏腹に、随分と気の長い話だと思ったけれど。
その意味を考えると、私も自然と零れた笑みのまま頷いていたわ。
朝食を済ませ、一緒に片付けをしてから、私達は撮り溜めていた今期のアニメ
やドラマを見ることにした。
普段は居間の壁際にあるソファをテレビの前に持ってきて、テーブルにお菓子
や飲み物を十分に用意すると、私達は本格的にくつろぐ体制を整えた。
「今期のアニメは花澤さんがやってるキャラが多い気がするな?野球少女とかの
元気な役もいいけど、やっぱこっちの先生とか、落ち着いた雰囲気に可憐な表情
を垣間見せたりする女の子がハマり役だよなぁ」
「そうね。でも、あの人がそういうキャラに声を当てていると、この物語の内容
的にもきっと辛い展開ばかりになりそうで堪らないわね……まあ、そんな魅力的
で薄幸な役こそ向いているのだから、仕方ないのでしょうけど」
私は元々の趣味もあるし、仕事柄、世間の流行り廃りを把握する為にも、なる
べく多くの作品を見るように心掛けているのだけど。
そんなある種、義務的になってしまった見方ではなくて。
こんな風に親しい人と一緒になって気ままにお喋りしながら見るのは、本当に
楽しいことだと再認識させられてしまうわ。
そういえば最初にその楽しさを教わったのも、元を正せばあなただったわね。
本当、あなたや桐乃、沙織には、今でも心から感謝しているのよ?
それに。こういう時なら、あなたと落ち着いて触れあっていられるもの。
ソファで身をぴったりと寄せ合って座ったまま、私達は手を繋いだり、互いの
肩に頭を預けたりしながら、想い人の温もりを心行くまで堪能していたわ。
ふふっ、普段はこんな風にゆっくりする機会は、休日でも中々ないものね。
もっとも、そんな穏やかで安らか過ぎる雰囲気に包まれていたお陰で。
何時の間にか二人とも眠ってしまって、気が付いた時にはお昼の時間をとっく
に過ぎていたのは、我ながら不覚という以外なかったわ。
ドレスも皺が付いてしまったし、この後の予定も調整せざるを得なかったもの。
まあ、それでも。
目覚めた時にもあなたと手を繋いだままだったのは、悪い気はしなかったわよ?
お昼ご飯は、元々調理しておいたお弁当仕様のおかずを、大皿に並べるだけの
心算だったから、すぐに準備出来たのは幸いだった。
今年はこんな状況で満足にお花見も出来なかったし、そも先月から人が集まる
ような催しは、沙織も断腸の思いで自粛しているくらいだもの。
家の中ではあるけど、少しくらいそんな雰囲気を楽しみたいと考えていたのよ。
京介にはおかずの盛り付けと居間の準備をお願いすると、私は昨晩のうちに八
分方調理を済ませてあるポタージュスープの仕上げに掛かった。
「そういや、瑠璃のサンドイッチも久しぶりだな。普段の弁当箱だとご飯になる
しな。しかもこれ、中身は豚カツに竜田揚げに山賊焼きと、肉尽くしじゃないか」
「こんな時は、好きな食べ物を好きなだけ味わいたいでしょう?それに週ごとの
トータルで栄養バランスは考えてあるから、心配せずに食べて頂戴」
昼食の用意を済ませた私達は、居間に青いピクニックシートを引いて向かい合
わせに座っていた。
その中心にはサンドイッチや総菜を沢山並べて、好きなように摘まんでいたわ。
「まったく恐れ入るぜ。勿体なさすぎる彼女を持った俺は、本当に果報者だよ」
「何度も言うけど、そこは私の矜持だもの。あまりあなたに有難がられてしまう
と、却って面映ゆいものがあるわよ。ほら、今はそんなことばかり気にしないで、
もっと料理を味わって頂戴」
私は手近なサンドイッチにピックを刺すと、左手を添えて京介の口元に運んだ。
京介も慣れたもので、すぐに口を開いて狙い違わずサンドイッチに齧り付いた。
「ん~、旨い。冷めてるカツなのに、すっげージューシーに感じるよ。さ、今度
はこっちの番だぜ」
今度は京介が私へとサンドイッチを差し出してくる。
私も同じように口を開けてサンドイッチを頬張ると、ゆっくりと噛み締めた。
溢れる肉汁の美味しさと。大好きな人と交す、甘酸っぱい気持ちと共に、ね。
良い歳をして、なんて、桐乃や日向に見られたら間違いなく言われるでしょう
し、それを恥ずかしく感じていたこともあったのだけど。
こういう気持ちを何時までも失わないというのは、きっと大切なことだと今で
は思っているわ。
決して負け惜しみとかではないのよ?下手な勘繰りはやめて頂戴。
私のお父さんとお母さんが、何時までも学生時代の恋人のような仲睦まじさを
見せていた理由が、今の私には実感出来るもの。
もっともそんな理屈なんか実は関係無く、あの二人はただお互いのことを大好
きなだけでしょうけどね。本当、羨ましいものだと心から思うわ。
少し遅めのお昼を済ませた後は、今度は京介とゲームを遊ぶことにした。
私との対戦形式になってしまうと京介が楽しみにくくなってしまうから、協力
プレイが出来るタイトルを予め幾つか見繕っておいたのだけど。
「そっちに3人は行ったぞ、瑠璃!援護に回らなくて大丈夫か!?」
「クククッ、一体誰に言っているのかしら?この程度の戦力ではまったく問題に
ならないから、あなたは疾くコアを破壊して、己の使命を果たしなさいな」
「よし、ガーディアンは倒したぜ!もうちょっとの辛抱だからな!」
私も盛り上がった余りに、つい封じていた闇が顔を覗かせてしまったけれど。
京介もまたノリノリで楽しんでいたようだから、良しとしておきましょうか。
京介は就職してからこっち、ゲームで遊べる機会も少なくなっている。
それに仕事が忙しくなると京介も疲れ切って帰ってくるから、そこからさらに
負荷のかかるようなゲームは、遊ぶ気力が無くなってしまうみたい。
私としてはやはり自分の好きな物で、好きな人と一緒に遊びたいものだけど。
京介の頑張る姿を見ていると、私の我が侭に付き合わせてはいられないもの。
一昔前では当たり前だったのに、これも社会に出る代償というものかしらね。
だからこそこの何気ない一時も、私には掛け替えのないものだと思えるのよ。
儘ならないことへの負け惜しみではなく、あるがままを受け止めることでね。
こういうのが或いは、大人になる、ということなのかしら?
* * *
夕方になってからいよいよ誕生日の主役、誕生日ケーキを造ることにした。
私がスポンジの生地を焼き上げている間に、京介には2つのボウルで其々で泡
立て時間を変えた生クリームを用意して貰った。
「これ、何でわざわざ2種類の生クリームを作るんだ?」
「スポンジ全体を覆う為に塗るものとデコレートに使うものでは、生クリームの
硬さを変えないといけないのよ。飾りに使うクリームはより柔らかいものでない
と、繊細な形に絞り辛いでしょう?」
「ああ、成程なぁ。普段ケーキを食べてた時には、そんなことまで考えたことも
なかったぜ。最近は物の仕組みを知れば知る程、自分がどんだけ何も解ってない
のかって恥ずかしくなるよ。社会に出てみたら尚更だしな」
「ふふっ、そういうものでしょうね。けれどプロなら、自分の作業をお客様に気
付かせないようにするものよ。パティシエにしてみれば、自分が凄いと思われる
よりも、ケーキを素直に美味しいと思って欲しいものでしょうし」
「ああ、確かになぁ。でも、それを作る腕前をありがたいと思えば、もっと旨い
と感じたりもするよな。こうやって自分で作ったりすると良く解かるよ」
そうね、と私は微笑みながら頷いた。それに関してはまったく同意だったから。
それにプロとて、自分の仕事も褒めて貰った方が、嬉しいのが人情でしょうし。
まあ、だからと顧客の厚意を当てにしてしまっては、プロ失格でしょうけれど。
スポンジと生クリームが揃うと、私は早速ケーキのナッペを始めた。
因みにナッペとはスポンジをクリームで塗り上げて、ケーキらしくすることよ。
私は何枚かにスライスしたスポンジに生クリームを均一に塗り込むと、その間
にたっぷりの旬のフルーツを並べていく。
そしてその上をさらにクリームで覆って、ケーキを一層ごとに重ねていった。
京介にはその間にナパージュ-ゼラチンと砂糖で作るゼリーのような食材ね-
を小鍋で融かして、何色もの色粉と混ぜ合わせて貰っていた。
これはケーキの上面に描くイラストの色付け、つまりは絵具として使うわけね。
全体のクリームを整えナッペを終えると、私はいよいよイラストを描き始めた。
とはいえ、私もイラスト入りのケーキなんて久しぶりに作るから、チョコペン
で描くラインが乱れてしまうのではと、気が気ではなかったわ。
「では色塗りはお願いするわね、京介。見本としてはこの写真を参考にして頂戴。
もっとも、幾らでもアレンジして貰って構わないのだけど」
「お、昨年俺が撮った写真を元に描いてくれたんだな」
「自分自身のイラストを描くというのも恥かしかったのだけどね……でも今まで
花楓が作ってくれた誕生日ケーキは、私のイラストが必ず描かれていたでしょう?
お陰でそうでないと、なんだか落ち着かなく思えてしまって」
高校時代に友人になった花楓とは、今でもずっと友達付き合いは続いている。
料理が得意な花楓は、オタクっ娘主催の誕生日パーティでは何時も特製ケーキ
を作ってくれたから、今年はそれを食べられないのが残念だけどね。
「確かになぁ。二村さんのケーキは、イラストも含めて完全に売り物レベルの出
来だったしな。でもこのケーキだって、全然負けちゃいないだろ?何たって瑠璃
と俺の合作なんだから」
「ええ、そう、ね。ではイラストの仕上げはあなたにお願いするわ。私はその間
に、夕飯の準備をしておこうと思うから」
「おう、任せておいてくれ。お前も知ってる通り、俺の絵心は壊滅的だが、気合
と想いの強さってヤツで、何とかカバーして見せるぜ!」
確かにこの時の京介からは、迸るオーラのようなものまで感じたわね……
ま、まあ、そこまで気合を入れてくれるのは、私としては嬉しいのだけど。
こういう時の京介は、何時だってトラブルに真っ向から飛び込んでいくのが常
だから、どうにも嫌な予感がするのを抑えられなかったわね……
まあ、それは兎も角。
ケーキの色付けは居間で京介にして貰うことにして、私は台所に戻って夕飯の
支度に取り掛かった。
夕飯は京介の好物の一つでもある、ビーフシチュー。
昨晩のうちに牛肉がトロトロになるまで煮込んでから、こうして一日たっぷり
寝かせて味を馴染ませた代物だもの。きっと京介に満足して貰えるわよね。
何時のまにか鼻歌交じりにシチューを温めていたらしい私は、それに気付いた
時には思わずおたまを鍋に放り出して、両手で口元を押さえてしまった。
「こんな感じになったんだが、どうだろう、瑠璃」
「ひゃあ!?は、はい!」
そんなタイミングを見計らったように、京介から声を掛けられたものだから。
自分でもどこから出たのか解らない声を上げながら、背筋を伸ばして直立不動
の体勢を取ってしまっていたわ……
「……ごめんなさい、ちょっと手が塞がっていたものだから。すぐに行くわ」
ひとまず誤魔化してはみたけれど。
なにせ居間と台所は暖簾でしか区切られていないのだから、京介には全て筒抜
けだったことでしょうね……
私は一度咳払いをしてから、居間に戻ったのだけど。
&ref(https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/900/birthdayCake2020_1.JPG,width=466,height=622)
[[https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/900/birthdayCake2020_1.JPG]]
「……とても綺麗に出来ているじゃない。正直、驚かされたわ。クリームの上か
ら色を付けるなんて初めてでしょうに、よくここまで出来たものね」
「そ、そうか。瑠璃にそう言って貰えるんなら安心だ。にしても、こんなに真剣
に色を塗ったのは、高校で美術の単位が掛かってた時以来だぜ。もっとも出来上
がった喜びは、あの時と比較にもならないけどな」
さっきの失態なんて、すぐさま頭から吹き飛んでしまったわ。
私の賛辞に、京介は心底安心したように深く息を付いていた。
どうも京介の方にしても、それどころではなかったみたいね。
描き始める前のあの勢いは、どこにいってしまったのかしら?
ふふっ、でもあなたは今までもそうだったわね。
本当はプレッシャーに圧し潰されそうな時でも。
いえ、そんな時だからこそ、大事な人の為には底力を発揮できる人だもの。
もっともケーキ作りで例えに出すのは、ちょっと大仰な話でしょうけれど。
「そんなお疲れのところを悪いのだけど、今度はシチューの加減を見ておいてく
れるかしら。私はイラスト周りのデコレートをしておきたいから」
「今日は何でも二人一緒に、だろ?夕飯の準備もやらせてくれなきゃ、その約束
を果たせないからな。遠慮なくびしばしこき使ってくれていいんだぜ?」
びしっと親指を立てて、精一杯の決め顔を浮かべた京介。
私達はひとしきり笑い合うと、其々の作業に取り掛かる。
お陰でその後のディナーも。誕生日の花であるバースディケーキも。
私達二人の力を合わせて、最高の物が用意出来たと自負しているわ。
昨年とまた違う意味で、京介と二人きりの誕生日になったわけだけど。
お陰で昨年と同じくらい、生涯忘れられない誕生日に出来たかしらね。
* * *
「……ふぅ。こうしていると、心地よくて溶けてしまいそうよ」
「……だな。ま、欲を言えば、もう少し大きい風呂だと、もっと身体を伸ばせて
ゆったり出来るんだけどなぁ」
今日一日の締めくくりに、私達は二人でお風呂に入っていた。
互いの身体を隅々まで洗ってから、私達は湯舟でゆっくりと身体を温めている。
ドレス姿で気が張っていた分も、お湯の温もりが全身に染み渡るようだったわ。
もっとも、我が家の標準的なユニットバスの大きさでは、二人一緒に入るには
京介に背中から抱きかかえられる恰好になるわけだけど。
「あら?このくらいの方が、あなたにとっては嬉しいのだと思っていたけれど?」
「そりゃ、そういう面もあるけどなぁ。でも例え広くなったとしても、その辺は
あんまり変わらないだろ?」
後ろから回していた両腕に力を籠めて、京介は私の身体をさらに引き寄せた。
背中越しに伝わる京介の温もりも、それに比例して一層に熱く感じられたわ。
まあ、でも。確かに京介の云う通りでもあるのよね。
身体を伸ばせるよりも、こうしている方が安らげると私自身、思っているし。
「このまま眠ってしまいたいくらいだけど……そろそろ上がらないと、逆上せる
か湯冷めするかのどちらかよね」
「明日は俺も仕事に出ないといけないしな。流石に風呂でうたた寝して風邪なん
て引いたら、今は冗談じゃ済まされないぜ」
後ろ髪惹かれる思いを全力で振り払って、私達はお風呂場を後にした。
そして身体を拭く間もあらばこそ、私の身体は京介に横抱きに抱えられる。
「……聞くまでもないとは思うけど。明日は仕事に行くのよね?」
「そうだな。ま、貫徹になっても1日くらいは全然問題ないぜ?」
京介は何の迷いもなく、清々しいまでの笑顔で言ってのけた。
ま、まあ、そうよね……ずっと二人きりで過ごした一日だったけど。
幾つか布石は打ったのに、京介は敢えて乗らなかったと思えたもの。
「ちなみに私だって勿論仕事はあるのよ?在宅ではあるけれど」
「朝飯は俺に任せてくれ。瑠璃はギリギリまで寝てて大丈夫だからな」
私はあなたが望むのであれば、何時でも良いと思っていたのだけど。
それでは誕生日を満足に祝えないとか、考えてくれていたと思うわ。
もっともその配慮も、後は休むだけとなれば必要ないでしょうしね。
「さっきは風邪を引いてはいけないと言ってなかったかしら?」
「なら風邪を引かないように、しっかり身体を動かさないといけないかもなぁ。
あ、でも瑠璃には無理はかけないよう、善処はするつもりだぞ」
今日という私の誕生日も、そろそろ日付が変わろうとしているし。
それなら私からの最後のお願いは、こちらから言葉にしないとね。
「そ、そう……それならその前に、あなたに伝えておくわね」
私は抱き上げられたまま、両腕を京介の首に回して身体を密着させた。
お風呂の時とは違い、直に伝わる京介の体温が一層熱く感じられたわ。
「今日は本当にありがとう。愛しているわ、京介」
「どういたしまして。勿論俺も愛してるぜ、瑠璃」
京介もまた抱えた腕に力を籠めて、私達は互いをより強く抱き締め合った。
後は全てあなたに任せるわ。
そう告げようとした、矢先のことだった。
「あっ!……無理といえば、大事なことを忘れてたぜ」
まったく今のこの場の雰囲気にそぐわない声を、京介は口にしてくれた。
「……な、何、かし、ら?」
「いや、肝心のメインイベントをやってないじゃないか。誕生日の、さ」
一気に脱力していた私に諭すように、京介はやけに楽しそうにそう続けた。
い、いえ、私は勿論、最初から気が付いていたわよ?
でも、私の方から切り出すなんて出来ないじゃない、こういうものは。
中々言い出さないのは、何か機を計っているとばかり思っていたしね。
「……ひょっとして、プレゼントのことを言っているの?」
「おう、大正解だ!といっても、実はまだ実物はないんだけどな。今日に合わせ
て注文しようと思ってたんだが、やっぱ本人の好みが一番だと思ってさ」
「つまりはプレゼントされるものは、私自身で選べということかしらね?それで
一体、あなたは何を用意してくれたの?」
「ああ、知り合いの伝手で、良い品が安く手に入ることになったんだ。後でそこ
のサイトを見て、気に入った物を選んでくれ。ちなみに、だ」
そこで京介は、意図的に言葉を切った。
桐乃と実に良く似たドヤ顔でこうも勿体付けられるのは、私の本能的な部分で
妙に癪に障るものがあったのだけどね……
「プレゼントはデスクワーク用の椅子だ。しばらく瑠璃は、在宅勤務が続くんだ
ろうしさ。なるべく良い椅子で、身体に無理が掛からないように仕事をして貰い
たいと思ったんだよ」
でも続くあなたの話を聞いて。
そんな苛立ちも、雰囲気を台無しにされたことすらも、吹き飛んでしまった。
「そ、そう……なの。私のことをそこまで考えてくれたなんて、本当に嬉しいわ」
在宅勤務をするに当たって、そこまで自分のことを考えたこともなかったもの。
滞りなく仕事を熟して、進捗を遅らせないことで、頭の中は一杯だったものね。
「まあ、俺の方も丁度そういう伝手があったから、気が付けたって話だけどな。
でも、瑠璃に喜んで貰えたんなら俺も嬉しいよ」
京介は実にお兄さんらしい、見る人を安心させるとても優しい顔をしていた。
私は暫くの間、その笑顔を前にして目を、いえ心すらも奪われてしまったわ。
でも、我に返った次の瞬間には。
私は堪えきれずに、思いっきり吹き出してしまったわ。
「……ふふふっ、あ、あなたと言う人は、本当に仕方がない人ね」
「って、おいおい、今のでどうして俺がディスられる流れになるんだ?」
「ふっ、それが解らないから、あなたは仕方がない人なのよ」
困惑している京介をよそに、私は笑い続けた。
だって、本当に可笑しくて仕方なかったから。
こんな状況で誕生日プレゼントの話を振ってきた、京介のことも。
そんな京介の心遣いで思い知らされた、己の浅慮さ加減にも、ね。
まったく、どれだけ己の足元が見えてないかと、呆れてしまったわ。
世情を憂う暇があるなら、もっと大切なことから考えていかないと。
そして何よりも。愛する人からの気持ちを素直に受け止めなければ。
私一人だけで小賢しく立ち回ろうと思っても、この体たらくだしね。
これでは共に歩む伴侶に、余計な心配ばかり掛けさせてしまうもの。
一頻り笑って気持ちを落ち着けると、私は再び京介に両腕をまわした。
そのまま京介の顔を引き寄せると、こちらからも近付けて唇を重ねる。
もうこの身体にはとても抑えきれない、あなたへの想いを伝える為に。
「……こんな不束者ですが、これからも宜しくお願いします、京介。来年も再来
年も、その先もずっと。こうして私の誕生日を祝福してくれると嬉しいわ」
「今のでそこにどう繋がったのかは、良く解からんが……それはこっちのセリフ
だろ?こんな仕方がない俺だって、大好きな彼女の誕生日なら全力でお祝いする
さ。俺の方こそこれからも宜しく頼むよ、瑠璃」
私の意図をどこまで汲んでくれたのかは、流石に解りようもないけれど。
それでもきっと、京介も私と同じ想いを抱いてくれたのだと信じている。
そういえば、私も一つ思い出したことがあるわね。
落花流水。
落ちた桜の花が水に流されていたあの時の情景は、本来は漢詩に詠まれている
通り、凋落や別離、災厄に見舞われることに例えられるのだけど。
水を想ってそこへと自ら落ちる花と。
花を想って受け止め共に流れる水と。
どんな境遇になろうともお互いを信頼し慕い合い、何処までも運命を共にする
という、相思相愛の男女の仲を意味する言葉でもあるらしいのよ。
まるでこれからの私達の行く末を示す、道標のような言葉にも思えるもの。
24歳という節目となる誕生日に、改めてそのことを考えさせられたのは。
私達の目指す暖かな未来へ、確かな足掛かりになってくれることでしょう。
2020-05-10T18:00:14+09:00
1589101214
-
『転生の儀』:(直接投稿)
https://w.atwiki.jp/kuroneko_2ch/pages/1270.html
はや先月のことになってしまっていますが……
22歳の誕生日、おめでとうございます、黒にゃん!!
今年も生誕祭の前後ではオフやツィッター、Pixiv等で
闇の眷属の皆様と一緒に沢山と祝福と賛辞をお贈り致しました。
特に海外の眷属の方からのイラストも例年以上に見かけられて
我らが黒にゃんのワールドワイドさに感嘆した次第です。
そして遅刻も甚だしいですが、誕生日にちなんだこのSS
『転生の儀』もお祝いの一つとして投稿させて頂きました。
この話は原作終了後の話しとして書いている各SSと設定を同じくしていて
昨年の生誕祭の『たゆたえど』からの続きとなっています。
オリジナルキャラや設定のてんこ盛りな上に相変わらず拙いSSで
読み辛い話しとなってしまい恐縮ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
すでに恒例行事になっていますが、この話に出てくるバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんに頼んで作って頂きました。
https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/894/birthdayCake2018.JPG
こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと嬉しい限りです。
-------------------------
「特殊エフェクト関連もコミットしておきましたよ、五更さん。これで演出周り
は完全に正規データに移行できるはずです」
「ええ、ありがとう、瀬奈。今日中に二章のシナリオを上げたら早速取りかかる
ことにするわ」
ついこの間、年が明けたばかりだと思っていたのだけど。
壁に貼られた今年の暦は既に三つ目の絵柄に変わっていたし、季節に合わせて
そこに描かれている桜の花も、現実では早くも桃色の花弁を開き始めている。
そろそろ皆とお花見の予定も考えておかないといけないかしらね、などと考え
てもいるのだけど。日々が飛ぶように感じられるのは充実している証拠だとして
も、余暇の予定を考える時間すらないのが困りものだわ。
昔はもっと一日が長いと思ったものだけど。歳を経るごとに時間が短く感じら
れると言われるのは本当のことなのね、と嫌でも実感させられてしまう。
そういえばその歳にしても、近いうちにもう一つ分積み重なってしまう。
そろそろその辺りの話も、沙織達と打ち合わせないといけないかしらね。
既に大学は春季休暇に入っているし、今日は私でも思わず日向ぼっこでもした
くなるような、実に麗らかな晴天に恵まれた日なのだけど。
真昼からこんなマンションの一室に閉じこもって、モニタと睨めっこな時間を
過ごしているくらいだもの。そんな余裕なんて中々見出せないのだけど。
『瑠璃はそんなだからダメなんだって。まずは自分が何をやりたいか、ってのが
一番大切っしょ?そうすれば時間なんてどうとでもなるっての』
そんなことを考えていると、決まって親友に以前言われた科白が脳裏をよぎる。
これでもか、というくらいのドヤ顔と一緒にね。
あなたはそれに振り回される周りの人のことなど、気にもとめないからそんな
ことを言えるのよ、などとその度に心の中で律儀に反論してしまうけど。
確かにそれも真理なのだと解っているわ。結局のところ、泣き言なんて言って
いるうちは、所詮自分にとってはその程度のものなのだから。
何にせよ、今は今月末に締めになる作業を終わらせるのが最優先なのだけどね。
このプリプロ版で一定の評価を得られなければ、今後の我が社の計画が大きく損
なわれてしまうのだから。
もっともまだ正式に会社として発足していないから、今は元弁展高ゲー研出身
者を中心としたゲーム製作同人サークル、という方がより正確かもしれないわね。
それでも来年には三浦さんを社長として起業する予定だから、その時になって
問題なく仕事が回せるように、今からあれこれ準備をしている最中なのよ。
「それにしても今日はいい天気過ぎて暑いくらいですねぇ。とはいえこの季節は
窓を開けっ放しにすると花粉所の人にバイオテロになっちゃいますし。まあ、今
はあたし達しかいませんからTシャツでも問題ないですよね?」
言うや瀬菜は椅子から立ち上がって、上着を脱ぎさるとTシャツ姿になった。
本人の性格同様、相変わらず自己主張の激しい部位がその反動で大きくたゆむ。
まったく、今日は土曜日なのよ?そういうのは、明後日にしておきなさいな。
瀬菜にとっては言い掛かりもいいところでしょうけど。初めて顔を合わせた時
から、より一層差を付けられているのをこうも目の当たりにさせられては。
心の中でならそんな悪態の一つ、吐いたところで罰はあたらないでしょう?
「今は私達しかいないけど、すぐにあなたのお兄さんや真壁さんも帰ってくるの
でしょう?そんなラフな格好をしていていいの?」
「その二人なら別に構わないじゃないですか。まあ、誰がいたってここなら特に
問題ないですかね、そもそもとして」
完全に開き直ったドヤ顔で瀬菜は続けた。
普段は何かとマメな性格だし、体面や体裁にも必要以上に気を配るのだけど。
気心の知れた相手には遠慮しないというか、素の自分を曝け出すのよね、瀬菜は。
ましてやこの場は在りし日のゲー研メンバーが中心になって結成されているの
だもの。あれだけの腐女子な性根をカミングアウトしてなお、高校三年の時には
ゲー研の部長まで務めていたくらいだしね。
文字通り身内であるお兄さんや彼氏の真壁さんに限らず、ここの創設メンバー
には気兼ねなんて必要ないのも彼女の言う通りかしら。
「だとしても慎みというものは必要でしょう?親しき仲にも、と言うのだし」
まったく、あなただって同級生のころには何かと口煩い学級長だった癖にね。
自分の趣味を出すのに自重しなくなった代わりに、随分と丸くなったものだわ。
まあ、あれから六年近くも経つもの。瀬菜だって何かと変わっていくわよね。
果たして私はあなたと同じように、あれから成長出来ているのかしら?
「基本我が道を行く態度なのに、相変わらず変なとこは真面目ですよねぇ、五更
さんは。そんなだから人付き合いとか苦手なんじゃないですか?来月からは他の
メンバーも合流するんですから、もっと親しみやすくしてくれませんと」
「親しみ辛くて悪かったわね!曲がりなりにもここは職場になるのよ。必要以上
に馴れ合っては良いものなんて作れないわね。締めるところは締めないと」
「はいはい、それも判ってますってば。でも、逆にいえば締めないところは精々
ゆるりといきましょうよ。このお仕事、モチベを維持出来るかが肝ですから」
片目を瞑って見せた瀬菜の言い分も確かに良く判っている。
ゲーム開発に携わろうと言う人なら、元々ゲームが心底好きなのは間違いない
のだけど。だからこそそれを仕事として毎日続けていくには、それ以外のところ
が重要になってくるものよ。開発環境や人間関係、その他の諸々に煩わしさを感
じてしまうようでは、好きなものだって思うように打ち込めないもの。
弁展高のゲー研や、松戸に転校してからのコン部でも。今も大学で所属してる
CCSにしても。締切りとか追い込みになればなるほど、モチベーションを維持
出来るかの差が如実に出てくるのは、何度も見てきたことだから。
かく言う私も私事や私心に囚われて作業に打ち込めないことも、今までに何度
もあったから実体験に基づいた見解でもあるわね。
勿論、これからはプロとして仕事にする心算だから、そういうムラは極力なく
してしかるべきではあるのだけど。この会社のコアメンバーとしてこれから仕事
をしていくからには、自分だけでなく他の社員にも気を配る必要があるもの。
瀬菜だってそれを自覚しているからこその今の科白でしょうし。
「確かに正論ね。でも、それもあなたの特殊な趣味を堂々とひけらかす、方便の
一つではないのかしら?」
「そ、そんなワケないじゃないですかぁ~。あ、でも……そうかもしれませんね。
考えてみれば先輩になるあたし達が、まず手本を示すべきかも知れません。最初
から職場の自由な空気を感じられたら、後から入ってくる人たちだって打ち解け
やすいんと思いませんか?」
「それも理解はできるけど。でも、あなたではその手本とやらのインパクトだけ
が強すぎて、逆効果になるのが目に浮かぶわよ」
「いえいえ、あたし程度じゃそんなことないですって。この業界、一風変わった
人が多いと聞きますし。クリエイターたるもの、やっぱり普通の感性じゃ厳しい
ってことですかねぇ。だから」
ちっちっちっっと人差し指を横に振りながら瀬菜は続ける。
まるで子供に優しく言い聞かせる、小学校の先生のように。
「五更さんだってここでは遠慮しないで、厨二全開でいてもいいんですよ?ほら、
あの黒いゴスロリ服とか着こんでイタイ台詞を連発したりとか。ここが有名会社
になったら、名物厨二ディレクターとしてその名が轟いたりするかもですねぇ」
「なぁっ!?な、何を世迷い言を言ってるのよ、あなたは……」
そのくらいの意気込みじゃないと、というも解っているわ。なにせうちの三浦
部長、じゃなくて三浦社長は、高校の頃から言っていた『世界一のゲームを造る』
などという大層すぎた目標を今だに変えていないのだから。
ならば私達だって、相応の気構えでいなければやっていられないでしょう?
私達はもう五年近くもその目標を聞かされた上で、ここに集ったのだから。
「大体、あの『闇衣』【シュバルツ】を初め、私手ずから縢り上げた衣装は既に
封じられて久しいのよ。来るべき『最終決戦』【ラグナロク】を迎える刻までは、
現世に再臨することはないでしょうね」
「ああ、そういえば妹さんの悪影響を考えて、でしたっけ?でも、珠希ちゃんも
来月には中学生ですよね。本人の趣味も尊重して上げるべきと思うんですが」
「ええ、私や両親も基本的にはそう考えているのだけど。日向が頑なに珠希には
その道にいかせたくないみたい」
「そりゃ日向ちゃんの気持ちだって、解らないではないですけどね。あたしも親
には自分のやりたいことばかり優先しちゃって、申し訳ないと思ってますし」
「あら、案外と殊勝なところもあったのね。でも自分の道を進む子供の姿を応援
しない親なんていないと思うわ。少なくともうちはずっとそうだったもの」
だからこそ私だって、今まで自分のやりたいことをやりたいようにしてきたわ。
日々の生活も趣味も。進学や就職-正式には一年後の話だけどーのことだって
お父さんやお母さんに、アドバイスは貰っても反対されたことなんて、私の記憶
している限り一度たりともないわ。
それは、ずっと心に留めたままでいる恋愛のことに関しても……ね。
だからこそ私は両親の思い遣りに、心から感謝しているわ。
「ですかね。わたし達も親になれば、すぐにその気持ちが解かるんでしょうね」
「……え、あなた、まさかもう?」
「いえいえ、そこは流石にしっかり気を配っていますって。今はあたしも、かえ、
じゃない、真壁さんもここを抜けるわけにはいかないじゃないですか」
時に喧嘩をしていたりはするけれど。同じ大学に進学したばかりか、こうして
同じ職場で働こうというのだものね。あなたと真壁さんの仲は、今更疑うような
ものでもないでしょうけれど。
長年の友人にさも当然だという顔をしてそんな生々しい話をされると、色々と
精神的にくるものがあるわね……まあ、今に始まったことでもないのだけど。
「それはそうだけど……いえ、周りがとやかく言うものではないかしら。あなた
達のことだから、お互いに納得した上での判断でしょうし」
「ですね。まあ、真壁さんは早く結婚したいみたいですけどねぇ。今だって半分
同棲しているみたいなものですし、学校でもここでも顔を合わせてるんですよ。
あたしはあんまり変わらない気もするんですが」
「真壁さんのことだもの。そこは曖昧なままにしたくないんじゃないかしら?」
「んー、あたしは単に毎日イチャつきたいだけなんじゃとか思っちゃいますけど。
って、話がすっかり逸れちゃってますよ。まあ、そんなわけですから五更さんも
ここなら好きな恰好でいいんですよ。その受付嬢みたいなお堅い服じゃなくて」
「受付嬢みたいで悪かったわね!これは私の仕事に対する気持ちの表れよ」
「確か桐乃ちゃんと沙織さんが、五更さんの大学の普段着にって選んでくれたん
ですよね、その服。確かにストイックな五更さんによく似合ってはいますけど。
こういう恰好で黙ってさえいれば、まるで良いとこのお嬢様みたいに気品もある
ように見えますし」
桐乃からも良く『黙ってれば素材はいいんだからさぁ』などと言われて憤慨し
ている私としては、実に有り難くない評価だわ。
私はうんざりだと顔をしかめて、口を開くと品がなくて悪かったわね、とだけ
瀬菜に返した。
「いえいえ、品が無い訳じゃなくて、厨二な口振りで困惑されると言いますか。
まあ、これからのうちの作風にはそういう要素は不可欠ですから、五更さんから
厨二が無くなっちゃうのも困るんですけどね」
「承知しているわ。そも私の中では不可分な領域なのだし、心配など無用よ」
「これでも頼りにしてますからね、五更さんには。だからしつこいようですけど、
体調は勿論、ストレスとか自身のケアにも十分に気を配ってくださいよ?」
「ええ、肝に銘じておくわ」
社長予定の三浦さんは周りの人を強引にでも引っ張っていく、リーダーシップ
は抜群なのだけど。本人の考えるゲームデザインは悉くプレイヤーへの嫌がらせ
レベルな代物になるので、ゲーム自体のディレクションを任せる訳にはいかない。
それに豪放な性格な分、細かな事務作業は肌が合わないので、その辺は今まで
通り真壁さんが担当することになる。そして瀬菜はプログラマーの纏め役になる
ので、消去法としてもディレクションは私の役目となっているわ。
まあ、高校、大学の部活では何度か経験もあることだし、自分の創った世界間
を遺憾なく発揮できるようプロジェクトを進められるから、私としても願ったり
の立場ではある。勿論、やりがいもあるでしょうしね。
でもその分、今から大きなプレッシャーを感じてもいるのよね……
こんな風に実際にその期待を表に出されてしまうとなおのことに。
でも、と、私は萎縮しかけた心を自ら叱咤した。
まったく、何時まで私はこの程度の『精神圧迫』【プレッシャー】に気圧され
ているのよ。これでは今までの学生生活において、何のために『修練の刻』を己
に課してきたのか解らないじゃない。
ひいては『理想の世界』に至ることなど、これでは到底叶わないわ。
来年には大学を卒業して、本格的に社会に打って出ることになる。名実ともに
モラトリアムな時期は終わりを告げ、私も目標に向けて大きく踏み出さねばなら
ないというのに、我ながら情けない限りだわ。
「とはいえ、まだまだ長丁場なんですから気楽にいきましょう。五更さんは思い
詰めると、どんどん突っ走っちゃいますしねぇ」
「それもあなたにだけは言われたくないわね。この前の企画プレゼンだって酷い
ものだったじゃない」
今後の私達の製作チームの方向性を決めるべく、初タイトルに関しての企画を
皆で話したのだけど。瀬菜の『BL要素を盛り込んだシミュレーションゲーム』
という案は、何時ものようにアイディアとしてはよく練られていたし、シリーズ
化やキャラクター展開なども考えられた見事な企画ではあったわ。
その嘆美なキャラクター達が、BLというには余りにもおぞましい狂乱の宴を
繰り広げてさえいなければ、ね……
この広い世の中、それを望むユーザー層も確かに存在すると理解は出来るけど。
いくらなんでも狭いターゲットを狙い撃ちしすぎでしょうに。ある意味、伝説
としてゲーム史には名を残せるかもしれないけどね。勿論ネタとして。
「熱意の現れ、といって欲しいものですね。結局のところ、あたし達の原動力は
それじゃないですか。後はどうやって市場のニーズに合わせるか、ですよ」
「まあ……そうね。ここが軌道に乗ってくれば、そういうニッチな内容の作品も
作れる余裕が出てくるかもしれないわね」
「そうです、そうです。そう思えばこそ、やる気だって出くるじゃないですか。
それにあたしたちはお客様にエンターテイメントを提供する仕事なんですから。
既成概念に囚われてばかりじゃ、良いものが出来るわけじゃないですよねぇ」
そう言われてしまうとぐうの音も出ないわ。今まで私も何作もゲームを作って
きたとはいえ、それは全てアマチュアとしてのものだったもの。
プロとして『製品』と呼べるものを作る為には、『自分の在り方』から変えて
いかなけれならないのかもしれないわ。
己の流儀を押し通すような。独善に塗れた今までと同じやり方を、ね。
卒業するまでの後一年の間。名実共に社会に出る前のこのモラトリアムで。
私の創作への向き合い方をもう一度見つめ直す、いい機会かもしれないわ。
「だから五更さんももっとリラックスしましょうよ。ほら、部屋着にしてるとか
聞いたジャージとかいいんじゃないですか?家で作業してるような気分になれば、
仕事もはかどるかもしれませんし」
「流石にそれは御免蒙るわね……まあ、忠告は有難く受けておくけど、あなたの
暴走を認めるというわけではないからそこは勘違いしないように。それにこちら
も話を戻すようだけど、ここでは真壁さんといちゃつくのも、抑えた方が良いと
思うわ。それこそ職場全体の士気に関わるでしょうし」
二次元娘が恋人と堂々と宣言する三浦さんや御鏡さんみたいな人達なら兎も角
としても。これから増えるメンバーには『リア充爆発しろ!』な思想の人だって
いるかもしれないじゃない。
「別にみんなの前では、そんなことはないと思いますけど?」
「あれをそう思っているなら、あなたの頭の中はすっかりピンクのお花畑に埋め
尽くされているのでしょうね……」
仲の良すぎる両親をずっと見てきた私でさえも、あなた達のそれは度を超して
いると思うくらいよ?スキンシップなんてそれこそ日常茶飯事だし、毎度、夫婦
漫才と惚気の固まりのようなやり取りじゃないのよ、あなた達は。
そもそも、そのTシャツだって真壁さんの希望じゃないかしらね。確かにその
格好なら、より強調されることでしょうから。
全く私からすれば二人とも呪い殺してあげたくなるような話だけれど。
「ああ、成る程。確かに今の五更さんには目に毒かもしれませんねぇ。まったく
そう思うんなら、いい加減自分の気持ちに正直になって行動したらどうです?」
「大きなお世話よ。その件は兎も角、私もあなたの忠告を前向きに検討する心算
なのだから、あなたも少しはこちらの言い分を聞き入れて欲しいものね?」
「はいはい、気をつけますってば」
手をぷらぷらと振りながら応える瀬菜。まったくもってそんな心算もないよう
な態度には、思わず溜息の一つもつきたくなったのだけど。
でも代わりに私の口からまろび出たのは、小さな笑い声だった。
「ん、なにかおかしいところがありましたか?」
「いえ、何時の間にかあなたと私の役割が入れ替わってしまったのかしら、とね。
こんな如何にも風紀委員じみたことを言うのはあなたの役目だった筈なのにね」
訝しがった瀬菜に私はその理由を説明する。もっとも自分でも無意識に笑って
いたから、多少言い訳じみた言い分ではあったけど。
「ずっとここの人達と一緒にいれば、そうもなりますって。本当、揃いも揃って、
みんな自分のやりたいことばっかりで周りに気が回らないんですから。言うだけ
無駄だって、ほとほと思い知ったんですよ」
あなた自身もその一人でしょうに、とは思ったけれど。
その言葉は飲み込んで、同意を示すように私は軽く首を縦に振った。
うんざりだと悪態をつく瀬菜の顔は、その言葉と裏腹にとても優しかったから。
ふふっ、あなたも自分の在るべき場所を、そうして手に入れたと言う訳ね。
「さあ、おしゃべきはここまでよ。そろそろ作業に戻らないと。月末にプリプロ
版を完成させなければいけないのだから」
「解かってますって。それにあたし達は就職活動とかないから、大学が始まって
も他の4年生よりは時間もあるでしょうけど。長期の休みの間には進捗を出来る
だけ進めておきたいですからね」
私達は互いに目の前の画面に向き直ると、それぞれの作業に戻った。
これからのここのでの開発作業。新たなメンバーとの交流。
二週間後には最終学年を迎える私の為すべきことにしても。
今の瀬菜とのやり取りだけで、色々と考え直さなければと再認識させられたわ。
未来の何時かではなくて、ここは足元をしっかりと見据えるべきなのかしらね。
それに、何よりも。
一年前からの宿題にも、いい加減に答えを出さなければならないこともある。
私は軽く頭を左右に振ると、大きく息を吐き出して深呼吸をした。お気に入り
のシャンプーの香りが微かに漂って、まぜこぜになった気持ちを切り替えるのに
一役買ってくれる。
まあ、このシャンプーだってずっと同じものを使い続けているから、日向から
は『もっと大人っぽいのにしたら?』なんて言われているくらいだけど。
そんな雑念ごと振り払った私は、目の前のスクリプトの修正に専念する。
私の数少ない自慢できる長所の一つは、ひとところへの集中力だもの。
仕事に対してその持ち味を、存分に発揮しなければならないでしょう?
例えその力が、元々は儘ならぬ現実から逃れる為に身についたものでも。
今だって直近の問題の先送りの為だと、心のどこかで解かってはいても。
それが今の私だもの。否定しても詮無きことだし、持てる武器は使わないとね。
そう認めて受け入れられるくらいは、私だって少しは成長出来てると思うから。
* * *
「それでは今年の黒猫さんときりりんさんの合同誕生日パーティは、予定通りに
15日の日曜日に開催致しましょう」
「ええ、そうね。毎年手間をかけるけど、宜しくお願いするわ、沙織」
私は目の前に親友の姿を思い浮かべて、電話越しに頭を下げた。
夕飯の片付けも終えて暫し自室で寛いでいた私に、沙織からの電話が掛かって
きたのだけど。丁度こちらから話そうと思っていた、私と桐乃の誕生日パーティ
に関しての内容だった。
私と桐乃は誕生日が近いおかげで、ここ数年はオタクっ娘で誕生日パーティを
一緒に行うのが恒例行事になっている。元々は『オタクっ娘』の裏メンバーでの
数名くらいの規模だったのだけど。今では私達の友達や知り合い等、沢山の人が
参加する一大イベントにもなっているわ。
昨年は桐乃の留学先であるパリまで皆で遥々旅行をしてまで、大々的に催した
くらいにね。
そして幹事としてこういうイベントを取りまとめるのは、昔から変わらず沙織
が真っ先に買って出ることだった。それにすっかり慣れてしまって、ともすれば
沙織に任せっきりになってしまっていることも多いのだけど。
だからこそ、何時までも感謝の気持ちだけは忘れまい、と。
私は刎頸の友への敬意として、自らをそう戒めてもいるわ。
「いえいえ、今更水臭いですわよ、黒猫さん。わたしはいつだってわたしがやり
たいことをやっているだけですわ。大切な友人達と一緒になって毎年誕生日を祝
いあう。私にとって、それは昔から夢見てきたことですから」
「……そうだったわね。毎年のことですっかり慣れてしまったけれど、私だって
友人に誕生日を祝って貰うだなんて、中学までは何の夢物語かと思っていたわ。
自分で言うのもなんだけど、本当、不思議な縁もあるものよね」
「ふふっ、この出会いには運命に感謝しなければいけませんね。ああ、ですが」
「ええ、判っているわ。そこからは私達自身がお互いに歩み寄って成しえたもの、
なのでしょう?まあ、改めて振り返えれば、よくぞここまでと思うけどね」
その意味では実は似た者同士だった私と沙織は兎も角として。
桐乃とはよくもまあ破綻しなかったものだと、我ながら感心してしまうわ。
桐乃の根幹の部分は、私達と同じだったとしても。性格的にあの娘が反発する
機会なんて、それこそ今までに星の数ほどあったというのにね。
いえ、それは私にしても同じことかしら?以前の私は、自分と相容れないもの
を攻撃して排除することでしか、自身を確立出来ない弱い存在だったのだから。
そんな私達の間を取り持ち、絆を育んでくれたのは。
何よりも沙織の努力と。そして先輩の献身のおかげだものね。
「でもわたしからすれば、黒猫さんときりりんさんの互いを想う強さには、正直
妬けてしまうこともありますわ。幾度となくサークルの危機を迎えた時も、最後
にはその力で解決してきたようなものですし」
「そ、そんな訳はないでしょう?ひとえにあなたや先輩、それに周りの皆の助力
のおかげよ。そうでなければ、すぐにでも絶縁していたと断言出来るわね」
「ふふっ、まあ、そのあたりは今更語るまでもないですわね。……でも」
そこまでは弾むように話していた沙織が、唐突に声のトーンを落とした。
「こんな風に自由に誕生日会などを開けるのも、今年が最後かもしれませんね」
「そう、ね。桐乃は海外、先輩も仕事で忙しない毎日を送っているもの。その上、
私達が来年には社会に出るとなれば、今までのように気軽に皆で集まるというの
も難しくなるでしょうしね」
私や瀬菜は三浦さんがこれから興すゲーム開発会社で働く心算だから、比較的
自由に時間は使えるかもしれないけれど。とはいえマスターアップの前とかには、
デスマーチがお約束の業界でもある。そんな時にはとても誕生日だ、なんて呑気
なことを言っていられる状況でもないでしょうし。
何より、沙織が卒業後に本格的に槙島家の仕事に携わるとなれば。きっと沙織
自身の自由な時間は、大きく制限されてしまうことでしょうから。
私達の文字通りの大黒柱である沙織が参加できないとなれば、『オタクっ娘』
の活動は嫌が応無く縮小することになるでしょうね。
「そうであれば、やはり今年の誕生日パーティはどこかの会場を押さえて、昨年
のパリのように大々的に催した方がよいのではないでしょうか?」
「あなたの気持ちも確かに判るけど……でも、私はいつも通りの自分達の手作り
感のあるパーティもとても気に入っているわ。それに、友人の誕生会なのだから、
自分達だけで出来る範囲が相応しいんじゃないかしら?」
今回のパーティに関して、こんなやり取りは今まで幾度となく沙織としてきた。
結局、沙織は私の言い分を聞き入れてくれた-私の誕生会なのもあるでしょうね-
ので、例年通り先輩のアパートの中庭を会場にする予定なのだけど。
これが私達の最後の誕生会パーティかもしれないとなれば、やはり沙織として
は思うところも多いのでしょう。
主催として『オタクっ娘』サークルの管理人として。
沙織のことだもの、有終の美を飾りたいと考えているに違いないわ。
「それにね、沙織。今後は全員で、というのは難しくなっても、その時に都合の
つく人が集まればいいだけだと思うのよ。そんな風に肩肘張らないくらいの方が、
きっと長く続く集まりになれるんじゃないかしら」
「そう……ですよね。姉さん達の『小さな庭園』【プリティガーデン】を見ても、
確かに黒猫さんの言う通りだとは思いますわ」
「確かに香織さん達の距離感はそんな感じね。そういう点では、やはり私達より
ずっと大人なのでしょうね、あの人達は。まあ、性格とかは兎も角として」
「いえいえ、拙者達とて早々引けを取るものではございませんぞ?キャラの立ち
様ならば五分五分といったところでありましょう」
「いえ、そこは張り合うところでも見習うところでもないでしょうに……」
互いにそこで噴出したことで、電話の向こうの沈んだ雰囲気も、漸く普段通り
に戻ってくれたようだった。
「まあ、私達は私達向きのやり方もあると思うわ。その辺りはその時々で模索し
ていくしかないのでしょうけど。ああ、でもね、沙織?」
それに安心してしまったから、かしらね?
私はつい口を滑らせて、余計な一言を付け加えてしまった。
「あなたが声を掛けたら、私は何時でも万難を排してでも駆けつけるわよ?」
「……はい、勿論判っていますわ。頼りにしていますよ、瑠璃さん」
如何にもお嬢様然と口元に手を当てて、くすくすと上品に笑っている沙織の姿
が目に浮かぶようだったわ。
私と沙織が今まで培ってきた『縁』において。そんな今更過ぎる話をされたら、
さぞや滑稽だったことでしょうね。
まったくこの私としたことが、こんな醜態を晒すなんて。
春の陽気ですっかり暖かくなったおかげで、我が闇の力が衰えているのかしら?
「ふふっ、こんな『コロニーが落ちてくる』ような心配なんかは、これくらいに
しておきましょうか。では今週末は一度京介さんのアパートに集まって、細かな
打ち合わせをしましょう。予め用意できるものも準備もしておきたいことですし」
「そうね。先輩は恐らくお仕事でしょうから、私から一通り了承を貰っておくわ」
「はい、そちらは宜しくお願い致します。それにしても、京介さんも相変わらず
お忙しいのですね。誕生日パーティ当日は大丈夫なのでしょうか?」
「その日をなんとしてでも開ける為にも頑張っているわね。何せ桐乃もその為に
日本に帰ってくるのだから、それは先輩も必死になるというものでしょう?」
首尾よく日本での仕事を入れ込んだらしい桐乃は、パーティの前日から一週間
程日本に滞在すると言っていた。パリに留学してまだ2年ちょっとだというのに
そんな個人的要望を通してしまう辺り、流石というか、恐るべしというか。
そんな桐乃のマネージャーになるのが目標の先輩にしても、ゴールそのものが
自分以上のスピードで突き進んでいるのだから、焦りもあるのでしょうね。
最近、我武者羅に仕事に打ち込んでいるのも、その分もあるのでしょうし。
もっとも、それは私にしても同じかしら?
時には争い、永劫に共に在り続ける筈の『漆黒の獣』や『熾天使』に対して。
私はいまだ自らの足で地に立つことも叶わぬ、学生にしか過ぎないのだから。
いえ、そんな立場の問題だけはないかしら。
二人共に己が道を見定めて、日々邁進しているというのに。
私は今ここに至っても、自身の踏ん切りすらつかないもの。
「ふふっ、それは頼もしいですわね。では、詳しい話はまた週末に、ということ
でそろそろお暇致しますね」
「あ、あの、沙織……?その、私からもう一つ相談、というか、お願いがあるの
だけど……もう少しだけ良いかしら?」
そんな焦燥感も、この時ばかりは良い意味で後押しをしてくれたのでしょう。
ずっと胸の内で燻っていた逡巡を、親友に打ちあけることが出来たのだから。
「はい、勿論ですわ。それで、ご相談とは何でしょうか?」
「ええっと、その、ね……どこかあなたの予定が空いたところがあればで、全然
構わないのだけど……」
「何時でも、というわけには流石に参りませんが。わたしとしても黒猫さんとの
予定を出来る限り優先したいと思っていますよ。ですので、まずはお気軽に相談
してくださいませ」
沙織の穏やかな声にも助けられて、私は秘めていた『願い』を紡ぎ出していく。
「そ、そう……助かるわ。その、つまりは、ね。来週には新学期も始まるところ
だから、丁度良い機会だと思って……」
後からこうして思い返してみると、我ながら情けない限りね、本当に。
親友に頼み事一つするだけで、どうしてこんなにテンパっているのよ、私は。
そしてそんな体たらくでも、黙って話を聞いてくれている沙織には。
本当、一生足を向けてなど寝られないわよね、私は……
「そう、たまには新しい服を買おうかな、なんて考えているのだけど……」
「それは……実に素敵ですわね!学生生活の最後を飾る一年だからこそ、この春
から心機一転で臨みたいというそのお気持ち、わたしにも良く判りますよ」
「そ、そう……?それで、出来れば沙織にもそこに付き合って貰えると……その、
とても助かるのだけど」
「はい、喜んで。きりりんさんとは比べるべくもないですが、わたくしでも多少
なりともお役に立てればと思いますわ。そうですね、以前きりりんさんから紹介
されたお店にでも行ってみましょうか?」
私が大学に合格した時、桐乃に連れられて新しい服を買いに行ったことがある
のだけど。沙織が言ってるお店はその時のもので、私の人生において自身の服を
お店で買った2度目の経験でもあったわ。
私としては、大学生活の為に兼ねてから製作を進めていた『朔望十二聖衣』を
着ていく心算だったのだけど。桐乃や日向から猛烈なダメ出しを受けてしまった
ばかりか、桐乃に強引に引っ張られて大学用の私服を買わされたのよ。
「い、いえ、実は……その、幾つかはもう、見繕っているの」
「あら、それは何よりですわ。でしたらわたしの役目は、その服を試着した黒猫
さんにどれほどお似合いなのかを、お伝えすれば宜しいのですね?」
「そ、そうなる……かしら、ね?」
「ふふっ、承知致しました。黒猫さんが選んだお洋服、さぞや素敵なものなので
しょう。とても楽しみにしていますよ」
この私が、いきなり『服を買いたい』なんて言い出したというのに。
沙織は特にその理由を問い質さないどころか、私が話しを切り出しやすいよう
に配慮さえしてくれていたわね……これが誰かさんだったら、きっと散々に茶化
した上で、根掘り葉掘り聞きだそうとしたでしょうに。
あ、いえ、でも、そんなことはないのかしら?
私がお店で初めて服を買おうとした時にも。桐乃は何も解からず途方にくれて
いた私に、黙って協力してくれていたもの。
つまりはあの時と何も変わらない自分の成長のなさに、情けない気にもなって
しまうのだけど。でもそんな私を、今も変わらず親友達が支えてくれることには
本当に嬉しくもなってしまう。
その思い遣りに甘えるだけにならないよう、自らを戒める気持ちと共にね。
その後、当日の集合場所や時間を取り決めてから、私達は通話を切った。
気が付けば話が終わっても暫らくの間、胸の奥が早鐘を打っていた。
この歳になって初めて自分で選んだ服を買うというのも、情けない限りだけど。
でもこの件は、自分にとって単純に『服を買う』以上の意味もあるのよ。
自分のセンスが一般的なそれとは掛け離れているのも、とっくの昔に思い知ら
されているもの。少しくらいは不安になるのも仕方がないでしょう?
でも、沙織がいてくれればきっと大丈夫……よね。
私は繰り返し自分にそう言い聞かせて、ともすれば悪い予感に押しつぶされそ
うになる気持ちを必死に宥めていた。
まさか当日あんなことになろうとは、その時の私は夢にも思わずに、ね。
* * *
沙織と約束した当日。私は15分前には待ち合わせ場所に決めておいた、渋谷
駅の定番でもあるハチ公前に辿り付いた。
平日とはいえ学生にとってはいまだに春休みの真っ最中なのだし、ハチ公像の
周りは私と同じく待ち合わせをしている若者で溢れかえっていた。
以前の私であれば、こういう場に近寄るだけでもある種の『プレッシャー』を
受けて、尻込みをしていたかもしれないけれど。
流石に二十歳も過ぎて大学の最終学年ともなれば、こんな場所に身を置くこと
だって造作もないわ。きっと周りの人から見ても、同じように待ち合わせをして
いる女の子として問題なく溶け込んでいる筈。
ふっ、この私も伊達に今までの学生生活を過ごしてきたわけではなのよ?その
気になれば『闇の眷属』の妖気を完全に抑え込み、一般人に紛れ込むなど造作も
ないことだわ。
暫くはそんな益体もないことを考えながら、自らを鼓舞していたのだけど。
待ち合わせまで既に5分を切っても、沙織の姿は一向に見当たらなかった。
何時もなら沙織は一番に来て私達を待っているのに、珍しいこともあるものね。
特に遅れるようなメールやメッセージも届いていないことだし、ひょっとする
とこの人ごみでお互いを見つけられていないだけなのかしら?
私は一目で彼女と判るだろう背の高い女の子を見つけるべく、この人波の中を
注意深く見回していたのだけど。
「そんな『お上りさん』みたいにきょろきょろしてると、こんな風に怪しい奴ら
がカモだと思って声をかけてくるぞ?『そこの可愛いお嬢さん、待ち合わせの方
が来るまでの間、少しお話を聞いて頂けませんか』ってな」
そんな私の背中越しに、不意に男の人から声を掛けられた。
もっとも私にとってその声は、科白通りの『怪しい人』などではなくて。
お父さん以外では、恐らく一番に聞き慣れている男性のものだったけれどね。
「……どうしてあなたがここにいるのかしら、先輩?奇遇だな、なんてお為ごか
しは結構だから簡潔に説明して頂戴」
振り返れば案の定、高坂京介その人が立っていた。
スーツではなく先輩が良く着ている私服姿だったから、仕事で来ているという
わけでもないでしょうし。もっとも今日は先輩にとって一か月ぶりになるお休み
だった筈だから、その線は元々薄いとは思っているけどね。
「何故って……それは俺が聞きたいぞ?今朝方になって沙織から『今日は黒猫を
助けてやって欲しい』って頼まれたんだが、間違っちゃいないよな?」
どういうことなの?と思ったその瞬間を見計らったかのように。愛用のスマホ
が小刻みに振動してメールの着信を伝えてきた。
案の定、取り出してみれば送り主は沙織その人で。既に嫌な予感がしながらも
開いたそのメールには、想像した通りの内容が書かれていたわ。
『申し訳ございません、黒猫さん。どうしても外せない案件が入ってしまいまし
て、集合時間にはとても間に合わなくなってしまいました。そこでひとまず代役
を頼みましたので、その方とご一緒に本日の目的を果たしてください。わたしも
こちらの案件を済ませ次第、お二人に合流したいと存じます』
私は読み終えた途端、抑えきれずに深々とため息をついてしまった。
沙織が全くの嘘をついているとも思えないし、今までこうした緊急の割り込み
が入ることもままあったので、その『案件』とやらは確かなのでしょうけれど。
でも、それをこの待ち合わせ時間のタイミングまで、私に秘密にしていて。
偶々お休みだったとはいえ、わざわざ先輩にその代役を託してくるなんて。
しかも私の今日の目的を把握した上で、なのでしょうから。
明らかに別の思惑があってのことだとしか思えないものね。
まったく、これも何時ものことではあるけれど。
沙織は気が利きすぎて、お節介が過ぎるのよね。
「……成程、ね。今の状況は把握したわ」
「おう、それならこっちも安心だぜ。で、今日は黒猫が服を見たいって話を沙織
から聞いちゃいるが、行く店とかはもう決まっているのか?」
「何を勝手に話を進めているのよ。私は状況を把握したと言っただけで、あなた
の同行など許した訳ではないのよ?」
「そりゃあ女の子が服を買うのに、俺がまともに役立てるなんて思っちゃいない
けどな。でもこの一年で、仕事で沢山のモデルや女優を見てきたり、裏方で衣装
や小道具を揃えたりと、これでも色々と経験を積んできたんだ。試着した服に俺
なりの感想くらいは言えると思うぜ?」
正直なところ、少なからず驚かされてしまったわ。
あの先輩がこういう話題に、僅かながらも自信を覗かせて答えてくるなんて。
殆ど雑用一辺倒だと事あるごとに嘆いていたけれど。伊達に芸能関係で仕事を
していた訳ではないのかしら。
「そ、そういうことではないのよ。今日はあなたにとって、一月振りの休日なの
でしょう?こんなところで油を売るくらいなら、今すぐアパートに戻って身体を
休めなさいな。先輩に関係することなら兎も角、これは言葉通りに私だけの私事
なのだから、あなたが無理に付き合う必要はないわね」
だからといって、先輩のペースにさせるわけにもいかないわ。
年明けからこっち、殆ど休日返上で激務をこなしていた先輩にとって、今日は
久しぶりの丸一日のお休みの筈。どうせあなたのことだから、私のことを頼むと
沙織から直々に言われたら、嫌とは言えなかったのでしょうしね。
その気持ちはとても有難いことだとは思うけど。お節介な人達の行為に甘えて
ばかりでは、今日この日の意義が失われてしまうもの。
それに、なによりも。
あなたの決意を未だ棚上げしている私には、そんな資格などないでしょう?
だから私は有無を言わさず断ろうと、実に素気無く言い捨てたのだけど。
「いやいや、無関係なことはないだろ?俺が何時も仕事に打ち込んでられるのも、
黒猫が家事を手伝ってくれてるからだしな。たまの休日だからこそ、今度はお前
の手伝いくらいしたいんだって。ほら、この通り頼むぜ」
でも私の思っていた以上に先輩は食い下がってきた。律儀に頭まで下げてね。
そ、そこまで必死になることなの?人の手伝いをしたい為にそこまでするなん
て、どれだけ妹に躾けられてきたのよ、あなたは。幾ら私でも若干引くわよ?
世話焼き気質がDNAレベルで刻み込まれているんじゃないでしょうね……
「そ、そう言ってくれるのは嬉しいのだけど……でも」
「でももストもないって。大体、俺の休日を俺が好きなように使おうっていうん
だぜ?何も問題なんてないじゃないか」
それは常日頃から私達が口癖のように言っていることでもある。
趣味に、いえ、私の場合はこれからは仕事にもなるのでしょうけれど。
自分の好きなことを優先して生きる者にとって、それこそが行動原理だもの。
だからこそ、そう言われてしまえば私からは何も言えなくなってしまう。
他の人だからと認められないようでは、自己否定をするのと同義だもの。
な、なにも先輩の勢いに押しきられて、なし崩し的に認めた訳ではないのよ?
そんな如何にもラノベのチョロインと、この私を一緒になんてしないで頂戴。
「……そう、そこまで言うなら好きにすればいいわ。どうせ私が駄目だといった
ところで、勝手に後を付け回す心算なのでしょう?」
「おう、俺も出来れば周りからストーカーと疑われたくないしな。しっかり合意
を貰った上で、黒猫と一緒にいられるなら何よりだ」
「そんなことを言われたら、脅迫されているようなものだけどね……」
学生生活も残り一年になったというのに、相変わらず溜息ばかりの毎日ね。
流石に溜息の度に幸せが逃げる、なんて俗説を信じるわけではないけれど。
そんな滅入った気分にならないように、日々精進してきた心算なのだけど。
まあ、先輩が自分を顧みず無茶を言い出すなんて、それこそ何時ものことね。
それはきっと。今後も私が如何に最善を尽くそうと、変わることはないもの。
だから私は。そんなあなたを何時でも支える為に、永劫に寄り添っていくわ。
それが私があの冬の日から己に課した、変わることなき『誓約』なのだから。
「まあ、いいわ。そこまで言うなら今日はあなたに付き合って貰いましょうか。
業界で鍛えた審美眼とやらを、精々期待させて貰うわよ?」
「おう、任せておけって」
だからこそ、それを全力で支えることこそ私の役割だと定めたのだから。
何時如何なる時でも。あらゆる状況に於いても未来永劫変わらずに、ね。
私は小さく、けれど想いを籠めて先輩に頷き返した。
沙織と先輩の思いやりに応えると共に。
自身へと課した『誓約』を、改めて律する為にもね。
先輩を伴った私は、さっそく渋谷のセンター街へと足を向けた。
「それでまずはどこに行くんだ?」
「ある程度はお店や服の下調べもしてあるから、まずはその辺りから当たってみ
ましょうか。もっとも、こういうのはその時々のめぐり合わせやフィーリングが
一番なんだと、桐乃は言っていたのけどね」
「あいつの場合は、黒猫と違って出たとこ勝負ってだけだろ?まあ、今になって
思い返してみると、桐乃のセンスとかってやっぱすごかったんだと、身に染みて
判る時も多いんだけどな」
「ふふっ、それも最初は誰かさんに振り向いて欲しい一心で、頑張ったからこそ
ではないのかしら?」
「そ、そりゃ、きっかけはそうかもしれないけどさ。それこそ世界に打って出る、
なんて話までになったのは、桐乃の努力と才能の賜物だろ?」
あら、そこは今更否定はしないのね?
まあ、だからこそ桐乃のマネージャーになるだなんて、言い出せたのかしら。
桐乃だってそれを了承して-もっとも『なれるもんならなってみなさいよ』と
無謀な挑戦を愉しむ王者といった体だったけど-いるくらいだし。
お互いの想いや立場、責務や志望。絡み縺れ合うそれら全てを受け止めた上で。
あなた達はこれからも共に在り続けることを選んだのでしょうから。
まあ、それは良いとしても。それこそ今更のことでしょうけれど。
桐乃のことを褒めている時のあなたは、本当に心から嬉しそうね?
……ほんのちょっぴりだけど。正直妬けてしまうわよ、まったく。
「でしょうね。桐乃の一番の才覚は、現状に決して満足せずにより高みを求めら
れることだもの。最初から非凡な能力を持っていたとしても、ね。まったく強欲
にも程があるわ」
「まったくだな。ほんと、すっかり置いてかれて必死になって追いかける身にも
たまにはなってくれってもんだぜ」
「ふっ、お互いにね。でも、安心していいわ。今日はそんなセンスなんて欠片も
ない私が相手なのだから、あなたの忌憚ない見解を聞かせて頂戴」
「あくまで俺なりの意見だから、そんなに期待はしないでくれよ?それに最後の
ところは黒猫の好みが一番だろうしな。そういや、どんな服を探しにいくんだ?」
「そうね。ちょっとした心境の変化を顕す為に、という名目なのだけど。仔細に
言えば、独り善がりでも、画一的でもなく。個性を如実に示しながら、如何なる
場にも溶け込み、調和と適応を旨とする服装、といったところかしら?」
私は考えていたことを、実に端的に過不足なく伝えた心算なのだけど。
先輩は暫らくぽかんとした表情を浮かべた後、盛大に吹き出していた。
「最近はあんまり出さないな、と思っちゃいたが……やっぱりそういうところは
昔から変わらないんだな、お前は」
「せ、成長していなくて悪かったわね!どんなに刻が移ろい外面が変わろうとも、
我が本質に揺ぎなどないわ。今までも、そしてこれからもね」
自分がいち早く社会人になったから、学生の私がまだ子供じみて見えるのかも
しれないけれど。そんな風に笑われるのは、全く心外というものだわ。
でも、この時の私にとって、それこそが引け目であったから、かしらね。
湧き上がる怒気を抑えられず、私はムキになって先輩に言い返していた。
「そう怒るなって。黒猫が何時も通りで、なんかほっとしたんだよ」
「ふん、口では何とでも言い繕えるわ。これだから既に社会の歯車へと組み込ま
れてしまった人間風情は、実に浅ましくて賤しい存在ね」
「本当にすまん!笑ったのも謝るから機嫌を直してくれよ。ほら、下賤な輩の俺
でも判るように、もう少し噛み砕いて教えてくれると助かるぜ」
人通りの多い街中でなければ、その場に土下座しそうな勢いで平謝りする先輩。
ま、まあ、そこまでされて臍を曲げているのも大人げないかしら。
そもそも折角の休日を割いてまで、私の為に来てくれているのだしね。
「いいわ。その謝意に免じて不問に付しましょう。そうね、あなたに判るように
説明すれば……誰にでも、そう、異性ですら目を引く服装かしら?」
それでも胸の内のどこかで燻るものがあったのでしょうね。後から冷静に思い
返せば、それは私自身の焦りの裏返しだとすぐに思い当たるのだけど。
けれどその時の私は何か先輩にやり返したい一心で、わざと誤解を招くような
言い方をしてしまっていたわ。
きっとそれを聞いた先輩はみっともなく動揺するのでしょう。それを何時もの
ようにからかえば、普段通りの私の、いえ、私達のペースに戻れる筈。
そんな風に考えていたのよ、その時の私はね。
「目を引くって……一体何に着ていく服なんだ?」
でも、それは先輩の低く抑えた、それ故、無感情に響く声を聴くまでのことで。
「な、何にって……言ったでしょう?様々な状況下の汎用性も考慮して」
「そんなに何度も着る機会があるのか?普段着だけじゃなく、どこかお洒落して
繰り出す時とか?いや、むしろその異性ってのは、具体的にはどんな奴でー」
言葉を連ねる毎に先輩の声は激しくなっていった。最後には文字通り私に掴み
かからんばかりの剣幕で、詰問をしてきた。
普段の飄々とした様との余りのギャップに、驚かされたばかりだけど。
そういえば一度だけこんな様子の先輩を見たことがあったわ。
陸上で一度目の海外留学をした桐乃から、コレクションを全て処分して欲しい、
などと目を疑うメールを受けた時の、あの狼狽しきった先輩とね。
そのあまりもの豹変ぶりにすっかり気圧されてはいたけれど。
私は渾身の力を振り絞ると目の前で掌を打ち合わせて、先輩の言葉を遮った。
「……どう、落ち着いたかしら?」
「……すまん」
自分だって胸の内では未だに激しく脈動が続いている。先輩にこんな風に詰め
寄られたのは、数年来の付き合いの中でもその時だけだったもの。
それでも傍目には冷静さを装いつつも反射的に動くことが出来たのは。
『闇の眷属』と嘯いた強がりも、或いは伊達ではなかったのかもしれないわね。
「いえ、謝るのは私の方よ。わざとあなたが誤解を招く言い方をしたのだから。
本当に御免なさい」
「いや、どう考えても俺の方が悪かったろ?俺達にとってはそんなのいつも通り
のことじゃないか。なのに俺は真に受けて、こんなにも取り乱しちまった。本当
に申し訳ないぜ、黒猫。やっぱ、疲れてんのかね……俺は」
私と先輩はお互いに自分のせいだと深々と頭を下げ合った。
天下の往来でのそれは、傍から見ればさぞかし滑稽な有様だったでしょうね。
「だから大人しく部屋で休んでいなさいと、あれほど言ったじゃない」
「いや、それはそれ、だ。今の埋め合わせも兼ねて、今日はなんと言われたって
黒猫についていくからな。社会人には、いや、男には。無理でもやらなきゃなら
ないものがあるんだぜ?」
「そんな大層な話じゃないでしょうに……まったく仕方のない人ね、あなたは」
そして一緒に上げた顔を見合わせて、今度は二人で笑い合った。
本当、どうしてこんな道端でコントをやっているのよ、私達は。
でも、あなたとのこんなやり取りが、私には掛け替えのないものでもあるわ。
まったく仕方がないのは、きっと私だって同じよね。
「つまり職場に来て行く私服なのよ。私の持っているのは、桐乃と沙織に選んで
貰ったこんなフォーマルな感じのものか、自前で創った服だけだもの。もっとも
後者は殆どが日向に封印されて久しいのだけど」
「最初からそう言ってくれよ……でも、仕事に使うんなら、別に今着てる服でも
問題ないんじゃないか?如何にもキャリアウーマンって感じだし」
「だからこそ、よ。クリエイティブな職場なのに、あまり堅苦しい恰好をしてる
のも問題があるでしょう?私は兎も角、同僚たちの心理的にね」
「ああ、成程な。そういう理由か。確かにうちでも外回りの時以外はラフな格好
をしてる人も多いしな。いいアイディアは机に向かって唸っている時じゃなくて、
ふっと気を緩めた時に出てくるもんだ、なんて話も良く聞かされるよ」
「私自身はあまり実感がないのだけど、きっと創造的な発想はそういうものなん
でしょうね。だから今後はそんな配慮も必要だと思うのよ。それに、ね」
私はそこで一端言葉を切ると、先輩の顔をちらと伺った。
当然、先輩は私の言葉の続きをなんの疑問も持たずに待っている訳だけど。
この流れで私が言い淀んだ理由くらい、少しは察して欲しいものね?
「……折角の機会だから、私が普通の女の子らしい服を選べるか、試してみよう
と思ったのよ。それも自分の趣味ばかりじゃなくて……その、周りから浮かない
ようにも配慮して」
--私の隣にいる人と並んでも、恥ずかしい思いをさせないように。
本当に続けようとしたその科白は、流石に口に出せなかったけれど。
「なるほど、な。大体黒猫の考えていることは解かったぜ。と、なると……結構
ガーリッシュやスィート系の服があっているのかもなぁ」
「そ、そう直接言われると抵抗もあるのだけど……確かに私が下調べした服の中
には、そんな名称のものが多かったわね」
「フォーマルなの抜きで黒猫の好みなら、やっぱりそうなるよな。じゃあ、後は
あんまり少女趣味に寄らないようにしていけば大丈夫そうだ」
事も無げに言い切った先輩の顔が、親友のそれと重なって見えたわ。
顔立ちは勿論、面影や雰囲気もまったく似てない兄妹だと言うのに。
「そ、そうね。私もその辺りを気を付けなければと考えていたわ。……それにし
てもあなた、まるで全てを見通したような自信満々な言い草ね?」
「いや、別にそういうわけじゃないけどな。ま、黒猫の好みは大体判っているし、
さっきの条件から考えれば、当てはまる系統の服にも見当がつくだろ?」
「正直に言えばとても驚いているわ。まるで桐乃に相談した時みたいに、あなた
が淀みなく答えてくるなんて考えもしなかったもの。ふふっ、常々似た者同士の
兄妹とは思っていたけれど……まさかこういうところでも、だなんてね」
だからどうしようもなく惹かれ合うのかしらね、あなた達は。
そしてそれは、私にしても同じことなのかもしれないけれど。
「よせやい。俺は兎も角、あいつが聞いたらそれこそ烈火のごとく怒るだろうぜ?
このあたしを、俺なんかと一緒にすんなっ!ってよ」
「でしょうね。でも、心の中ではとても喜んでいるんじゃないかしら?」
くすくすと笑いながら見上げると、先輩は返答に窮したのか、憮然とした表情
のままで私からついと視線を反らしていた。
ただ一言だけ。微かに私の耳に届いた呟きの中では。
『まだまだ全然だけどな』なんて言っていたけどね。
* * *
それから私と先輩は、渋谷の街の中をひたすらに歩き回った。
ある程度は気になったお店や服の下調べはしてきたのだけど。
「目的から考えると、色はもう少し華やかな方がいいんじゃないか?」
「そ、そうはいっても……私にはこういう暖色系は似合わないんじゃないかしら」
「確かに黒猫には黒とか紫がイメージに合って見えるけどな。でも、イメチェン
の狙いもあるんなら、普段と違う色にするのもいいと思うんだ。ほら、こういう
オレンジも、お前の黒髪が良く映えて似合ってるって」
私が予め目を付けていた服は、次々と先輩からダメ出しを受けてしまった。
一応断っておくけれど、先輩も試着した私を褒めてはくれたのよ、本当よ?
でも、確かに先輩の言い分ももっとかしらね。
私の好みで選んだ服では、今までと代り映えがしなかったのも事実だもの。
「それなら……このくらい冒険してみたらどうかとも考えていたのだけど」
「ああ、そういやこういうフリルの付いた服も好みだったか、黒猫は。そうだな、
数が多いと子供っぽく見えるかもだから……こっちの袖や襟とかにワンポイント
に入ってるのとかはどうだ?」
「な、成程。こういうデザインのブラウスもあるのね……ちょっと試着してみて
もいいかしら?」
「おう、着替えたら撮影するから、後で気に入った服を見比べてみようぜ?」
ふとしたきっかけで始めた撮影が、すっかり趣味になっている先輩。デジカメ
は常時持ち歩いているようで、今日は私が試着をする度に写真を撮られている。
折角の機会だから、初めてのボーナスで思い切って購入したちゃんとした一眼
レフのカメラを使いたいよな、なんて言っていたのだけど。
こうしてデジカメで写真を撮られるだけでも緊張しているのに、そんな大層な
ものを構えられたら、恥ずかしくて堪らないじゃないのよ……
大体、店内でそんなカメラを持ち出したら、単なる不審者じゃないかしら。
でも、そうはいっても。正直に言えば、少しばかり残念な気持ちでもある。
先輩は仕事先でもそのカメラの腕を買われて、ちょっとした撮影なら任される
時も多いと聞いているわ。だからその業を改めて見せて欲しかった気もするのよ。
ましてや私だけを被写体にして撮影する機会なんて、滅多にないことだもの。
出来るだけ綺麗に撮ってもらいたいのも、人情というものでしょう?恥ずかしい
気持ちや照れなんかはさておいてもね。
いけない、すっかり話は逸れてしまったわね。
そんな訳で先輩のアドバイスを受けながら、私達は納得のいく服を求めて次々
と渋谷中のブティックやセレクトショップ、ショッピングモールを渡り歩いた。
おかげで事前の下調べなんて、殆ど役には立たなかったけれど。自分に似合う
服を求めてお店を巡るというのも、案外楽しいものだったのね。
世の女性が流行りのファッションに血道をあげている様は、今までの私には実
に理解に苦しむものだったのだけど。
その気持ちが少しばかり共感できるようになった気がするわ。
それに、何よりも。
一緒にいる人がその度に褒めそやしてくれるのも、悪い気はしないわね。
「……お、なかなかいいんじゃないか、その服。デニムシャツの裾にフリルとか、
凛々しさと可愛らしさが同居してるみたいでさ。なんかこう……黒猫だって感じ
がするぜ」
「な、何を訳が解らないことを言っているのよ、あなたは……。でも、そうね。
であれば私にもそれなりに似合っているのかしら?」
「おう、勿論だ。今写真に撮るから、黒猫もゆっくり確認してくれ」
嬉々としてデジカメを構える先輩に、私は居住まいを整えてから正対した。
気を抜くと緩んでしまいそうになる表情を、必死になって引き締めながら。
「ほら、ちょっと表情が固いぜ、黒猫。もっと笑ってくれないと、折角似合って
る服だって綺麗に写らないだろ?」
「そ、そんなことを言われても……あなたが普段写真を撮っている人達みたいに
私が上手く出来るわけがないじゃない……」
「いや、そんな難しいことじゃないって。ま、ひとまず撮ってみるぜ?」
「ちょっ、ちょっと!ダメ出ししてから、いきなり撮らないで頂戴!?」
「ん~、おっ、慌ててる黒猫ってのも、実に生き生きしてていいかもなぁ?」
「そんな写真は今すぐ抹消しなさい!あなたの記憶と共に永遠にね!!」
撮ったばかりの私の画像を確認しながら、如何にも愉しそうに笑う先輩。
不意を突かれた焦りとそんな姿を評される気恥ずかしさから逃れようと、私は
遮二無二に先輩に詰め寄ったのだけど。
「じゃあ、仕方ないな。ほら、もう一度撮り直すからポーズを取ってくれよ」
「え?そ、そうなの……?」
「被写体に満足して貰える写真を撮るのが、カメラマンの役目だしな。ま、本職
でもない俺が言うのもおこがましいが、何時も心掛けてはいるんだぜ」
再びデジカメを構えた先輩の何気ない一言に、私はこの一年間の先輩の歩みを
改めて思い知らされた気がしたわ。
「……そう、それなら私も満足のいくものを撮って貰えるのかしら?」
「おう、勿論だぜ。それなら今度こそ笑ってくれよ、黒猫。みんなと遊んでる時
みたいに、心から楽しそうにな?」
カメラ越しに微笑んだ先輩に釣られて、私も自然と笑みが零れ出た。
この時の私は気が付いていなかったけれど。きっとその前の悪巫山戯な態度は
私の緊張を解す為だったのでしょうね。
「よーし、良い笑顔だぜ、黒猫。ほら、服と合わせて華やいで見えるだろ?」
「……本当ね。自分で言うのもなんだけど、まるで私じゃないみたい」
デジカメの小さなモニタに映る自分を見て、本当に驚かされてしまった。
なんの変哲もなくその場に立っていただけの筈なのに。
雑誌のモデルのように、その姿がとても自然で決まって見えて。
それでいて、いえ、それだからこそ、かしらね。
身に着けてた服も、それを纏う私自身でさえも。
まるでその為にここに設えた、一つの調度品のようでいて。
己の雅を顕しながらも、周囲全てとの調和が計られていた。
私の望んだほぼ全ての要件を、それは十分に満たしていると思えたわ。
「ま、ほとんど被写体のお陰だけど、気に入って貰えたんなら何よりだ。じゃあ、
この服は候補の一つにしとこうか?」
「……いえ、その必要はないわ」
「ん、そうなのか?どっか気に入らないとこでもあったのか?」
デジカメのモニタから顔を上げた先輩は、頭上にクエスチョンマークが見える
ような表情で私に尋ねた。
その様子があまりにも可笑しくて、そしてなんだかとても懐かしくて。
答えを返すよりも早く、私は吹き出してしまっていたわ。
「ふふっ、違うわ。つまりはもう『候補』ではなくて。これで決定ということよ」
「そ、そうか。実は俺も一推しだと思ってたよ。女の子の服を一緒に選ぶなんて
初めてだったが、その人ぴったりのものを探し出すのも案外楽しいもんだな」
「あら?あなたは単に写真を撮るのが楽しかったのではないかしら?」
「確かにそれも半分くらいはあるけどなぁ」
「……そこは慌てて否定するところでしょうに」
「お前の考えくらいはお見通しってことだ。まあ、何にしても中々楽しい休日に
なったよ。ありがとうな、黒猫」
軽くとはいえこちらに頭を下げる先輩に、私は慌ててそれを押し止めた。
「な、何を言っているの。お礼なら私からするべきでところしょう?」
そして先輩に改めて向き直ると、私は深々と首を垂れた。
「ありがとう、先輩。あなたのお陰で納得のいくものを見つけることができたわ」
「どういたしまして。こんな俺でも役に立ったんなら嬉しいよ」
「ええ、このお礼は必ず返させて貰う心算だから期待していて頂戴」
「さっきも言った通り、俺も楽しんでたからな?その辺は気にしないでくれ」
「それでも、よ。人からの感謝の気持ちは素直に受け取っておくものだわ」
「お前がそれを言うのかよ!?……でも、そうだな。それなら俺から黒猫へ頼み
ごとがあるんだが。お礼の代わりにそれを聞いちゃくれないか?」
如何にも今、名案を思いついたといった体でそんなことを言い出した先輩。
生憎と私だってあなたと同じように、今何を考えたのかなんてお見通しよ?
「……そうね。勿論、私に叶えられる範囲であればだけど。ああ、それと」
だから私も芝居掛かった口調で答えながら、そこでわざと言葉を切った。
続きを待つ先輩をたっぷり眇めて勿体付けてから、その後を継いでいく。
「まさかとは思うけれど。この服をプレゼントさせて欲しい、などという世迷言
であれば、きっぱりとお断りするわよ?」
「……相変わらずこういうところはきっちりしてるな、お前は。でも、俺だって
何時も世話なってる礼の一つもしたくなるもんだぜ?誕生日ももうすぐなんだし、
たまにはプレゼントの一つくらいさせて貰っても罰はあたらんだろ?」
珍しく食い下がってきた先輩を、少しばかり意外に感じたけれど。
私達の今の関係では、こんな大層な贈り物をされる訳にはいかないわよ。
「お生憎様ね。誕生日プレゼントなら沙織達と共同で用意しているのでしょう?
あなただけからここまで高額な贈り物なんて、受け取れないわ」
「……わかったよ。まったく、人からの感謝の気持ちは素直に受け取るもんじゃ
ないのか?」
私がきっぱりと言い捨てると、先輩は降参だというように肩を竦めてみせた。
もっとも、そんな負け惜しみも付け加えていたけどね。
「ええ、だからその気持ちだけはありがたく受け取っておくわ。……それと、念
の為に言っておくけれど……その」
私はそこで、先のものとは違う理由で言い淀んでしまった。
私達の間の『暗黙の了解』に何時になく踏み込んできたあなたに、掛ける言葉
を迷ってしまったこともあるけれど。
今更になってあなたにそんなことを口にするのは。
そんなの、恥ずかし過ぎて堪らないじゃない……
「あなたの気持ちは、正直とても嬉しいのよ?だけど」
「そう言って貰えるなら御の字だぜ。感謝の気持ちだって、押し売りになったら
逆効果だよなぁ」
途中から先輩が強引に割り込んできて、私の後を引き取った。
皆まで言うなって。そんな先輩の声が聞こえた気がしたわね。
「お節介の押し売りが信条のあなたから、まさかそんな科白を聞こうとはね」
「俺だからこそ、だろ?伊達に人並以上にお節介を焼いちゃいないんだぜ?」
「ふふっ、確かにそうね。お節介に関しては人一倍の経験値を積んで、とっくに
レベルがカンストしているでしょうしね、あなたは」
「だったら、俺もそろそろ『お節介者』から『勇者』あたりにクラスチェンジが
出来るんじゃないかと思うんだが」
「今だ見習いマネージャーのあなたでは、精々『お調子者』が関の山でしょう?」
「だよなぁ。はやいとこ、せめて一人前と胸を張れるくらいになりたいもんだ」
私達は顔を見合わせながら一頻り笑いあった。
あなたが一足先に社会人になって、己の目標に向けて邁進していても。
私とて『理想の世界』を目指して、努力と研鑽の日々を送っていても。
そんな私達を取り巻く皆や環境と共に、年相応に変わっていこうとも。
あなたとのこんなささやかな一時は、何時になっても変わらないわね。
この時はお互いの立場も柵も忘れて、奥底の本音を晒して笑い合える。
それが私にとって、どれ程大切で掛け替えなくて愛おしいものなのか。
ともすればあなたも同じ想いであって欲しい、と願ってしまうのは貪婪かしら。
「それは私も同じ気持ちよ。今の自分をもっと変えていかなければ、自分の夢に
なんてとても届かないもの」
「そう、か。ま、頑張っていこうぜ、お互いに。俺でよければ出来る限りは力に
なるぜ、今日みたいによ。まあ、俺が助けて貰ってる方が多いかもだが」
「ふふっ、これでも頼りにしているのよ、お節介な先輩さん?」
「おう、任せとけって。しっかり者で素直じゃない後輩ちゃん」
私達は不敵に微笑むと、互いにエールを送り合った。
今度こそ想いは同じものだと、疑うべくもなく、ね。
* * *
随分と時間は掛かったけれど。納得出来る品を手に入れた私達は、丁度要件を
済ませてこちらに到着したばかりの沙織と合流した。
早速、買ったばかりの服を自分の前にかざして、沙織にも見て貰ったわ。
「ほほう、これはこれは……黒猫氏の可憐さと気立ての良さを如実に表現しつつ
も、清廉で凛々しい姿も垣間見せているでござるな。蒼い色合いも黒猫氏の真名
通りに良く映えて、まさにまったりとしながらも、それでいてしつこくなく」
「そ、そこまでにしてくれるかしら、沙織。そんなに持ち上げられたら恥ずかし
さを通り越して、胸中を深く抉られる気がするわ……」
「またまたご謙遜を~。まったく瑠璃ちゃんは何時までたっても恥ずかしがり屋
で困ったものでござるなぁ、京介氏?」
「そりゃその通りだが……って、お前も判ってて黒猫をからかうなっての。気持
ちは良く判るんだが、その腹いせは主に俺や日向ちゃんが被るんだからな」
「あなたもそう思うなら、もっと真剣に止めなさいよ……」
概ね沙織にも好印象だったようで安心したわ。
まあその分もハイテンションになった沙織に、散々揶揄われたのだけどね……
「しかし、遅刻してしまったのは誠に遺憾ではござったが。黒猫氏には実に良い
経験になったのではありませんかな?お好みの服を選ぶ楽しみも見出せたようで
ござるし。いえ、勿論、次の機会には最初からお供させて頂きますぞ」
「ええ、ありがとう、沙織。それから……先輩も、ね」
それでも今日の収穫は二人のおかげだもの。私は改めてぺこりと頭を下げた。
二人は一瞬、互いの顔を見合わせてから、次に合わせ鏡のように頷くと。
「「どういたしまして」」と異口同音に返してくれた。
まったく、こういう時は揃って生真面目に応えるのよね、あなた達は。
少しは茶化してくれないと、こちらが余計に恥ずかしくなるじゃない。
本当、似た者同士で良く集まったものだわ、私達は。
でも、それだけに二人からの心配りが手に取るように伝わってくる。
まるで心に秘めていた迷いまでもが、全て見透かされていたように。
だからこそ私は、そんな二人の想いに応える為にも。
今日この時を以って、固く自身に誓うことにしたわ。
私にとって、それが決定的な分水嶺を迎えようとも。
この機に必ずや大いなる決断を下してみせる、とね。
* * *
「で、今年で22歳にもなる誕生パーティだってのに、どうして主役のあんたが
ちょっとは歳考えろってイッタい恰好をしてるワケ?」
こうして実際に顔を合わせたのは、二か月振りかしらね?
相も変わらず幼さが残る丸顔は変わりようもないのだけど。目元や面立ちには
前にも増して艶やかな雰囲気が醸し出されていたし、さらに伸ばした髪を緩やか
にカールさせているのと相まって、より一層大人びて感じられた。
これからここで行われる誕生日パーティは、すっかり毎年の恒例行事になって
いるのだけど。私と共にパーティの主役を務める桐乃は、確かに一年分の成長の
跡が滲み出ていたわ、
流石は『熾天使』【ウリエル】。その神性を益々取り戻しているわね。
でもそんな天使様は私の姿を認めるや、久方の挨拶などそっちのけですぐさま
私に罵詈雑言を浴びせてきた。
まったく、順調にモデルらしい風格を身につけていても。
その中身は相変わらずのビッチのままなのね、あなたは。
「フッ、我が『生誕の宴』【アドヴェント】だからこそに決まっているでしょう?
とりわけ此度は『学舎』【アカデミア】での『最後の祝宴』【エウカリスチア】。
『此方の世界』と言えども、神魔蠢動せし社会へ飛び立つ為の最後の『通過儀礼』
【イニシエーション】でもあるわ。それ故に」
私はそこで右手で印を組みつつ口元に引き寄せ、不敵な笑みを浮かべた。その
まま十分に溜めを作った上で、その場で軽やかに一回りしてみせた。
背中に聳えた『白妙の大翼』【フリューゲル】がしなやかに後を追って、文字
通り羽ばたくように大きく翻った。
「この『最高位の神装』【ヴァイス】こそが、この祝宴に相応しいというものよ」
そして右手で半面の『マスケラ』を押さえ、印を結んだ左手を真っすぐに突き
出す。同時に左足を引き上げると、渾身の『聖天使の見得』を切って見せた。
「……ま、あんたのお祝いでもあるんだし、好きな格好をすればいいケドさぁ」
でも目の前の『永遠の好敵手』はこの神威にも全く意に介さずに、深々とした
溜息をついた。まるで子供の駄々を聞き流すように、大袈裟に肩を竦めてね。
「あんた、この間のチャットで服を買いに行ったって言ってたじゃん?てっきり
今日着てくると思って楽しみにしてたのに、紛らわしいことすんなってーの」
「あら、それはお生憎様ね。あれはあくまで『此方の世界』を忍ぶ『仮初の礼装』
に過ぎないわ。何れはその姿であなたと相見える日もくるでしょうけれど、今は
まだその刻ではないわね」
「……なんつーか、あんたさぁ。いつになくイッちゃってない?ここんところは
随分マシになったと思ってたのにさぁ。ねぇ、ひなちゃん。昨日とか瑠璃は悪い
もんでも食べたとかじゃないよね?」
「あー、うん。あたしの見てた限りは、家族とおんなじものしか食べてなかった
と思うんだけど。あ、でも夜は高坂君と今日の準備をしてた筈だから、ひょっと
したらその時になにかあったとか?」
「へぇー。ってぇこーとーはーーー!!」
振り返った桐乃は、斜め後ろで椅子を並べていた『標的』を補足した。
そして瞬く間に駆け寄った勢いをそのままに乗せた右足で、哀れな『標的』を
横蹴り一閃に蹴り飛ばした。
一度は世界を制した格ゲーマーの私が見ても、実に見事なフォルムだったわね。
「いってーな!?つか、折角綺麗に飾り付けたテーブル、どうしてくれんだよ!」
「うっさい!それもこれも、ぜーんぶあんたが悪いんじゃない!」
「はぁ?俺が一体全体、何をしたっていうんだよ!今だってお前と黒猫の誕生会
のために、こうして準備してんじゃねーか!」
「自分の胸に手を当てて考えてみろっての!だいったい、あんたが会場の準備を
するのは、ホストとしてとーぜんの義務ですぅ!」
桐乃からの『背面奇襲』【バックスタブ】を受けた割には、案外と平気な顔を
して妹と怒鳴り合っている先輩。
というか、テーブルの装飾なんて後で直せばいいのだから、少しはダッシュ大
キックの直撃を受けた自分の身体の心配をしなさいよ、あなたは……
「まあまあ、きりりん氏に京介氏、ひとまず落ち着いてくだされ。黒猫氏も今日
のパーティの主役に相応しい、絢爛な衣装で場を盛り上げようと張り切っている
でござるよ。さあ、我々もその心意気に恥じぬよう、些事になど囚われずに全力
全開で参ろうではありませぬか!」
騒ぎを聞いてすぐに駆け寄ってきた沙織が、手慣れた調子でその場を収める。
まあ、この二人の言い争いなんて、当人達には子猫の兄妹がじゃれ合っているの
と何も変わらないものね。騒がしいだけの単なる愛情表現だわ。
「一応、本人の名誉の為に断っておくけれど。別に先輩は何も関係のないことよ。
この恰好は今日この日を迎えた私の覚悟の表れなのだから」
若干、素の自分に戻って桐乃にはそう弁明しておいた。
広い目で見れば、先輩からの影響が零というわけでは勿論ないけれど。
これからの暖かい未来に向けて、自身の確固たる意志で決めたことだもの。
桐乃は黙ったままで、私を鋭く睨み返していたのだけど。
わざとらしい程に大きく息を吐きだすと、打って変わって今度は八重歯をむき
出しにして、にかっと笑ってみせた。
「ま、あんたの厨二をいまさら突っ込んだって仕方ないしねー。それに、まあ?
今のうちしか出来ないことも、誰かさんにはあるのかもしれないしー?」
そして私を流し見たまま、ぱちりと右目を閉じた。
留学してからこっち、再会する度に大人びていく桐乃のそんな仕草に、私でも
思わずどきりとさせられてしまった。
いえ、違うのよ?それは別段、私が桐乃に『魅了』されたわけではなくて。
私の考えなどお見通しだという素振りに、少しばかり狼狽したからだもの。
「しかし本当に大丈夫か、黒猫。久しぶりに見たが、元々それは夏用の服だろ?
今日は結構暖かい方だとは思うが、まだ風はひんやりしてるからな」
方や先輩はというと、そんな場違いなことを心配してくる。
久方にこの『聖衣』と相見えて、そんなことを気にするのかしらね、あなたは。
「フッ、それこそ今更のことだわ。『聖天使』に転生した今の私には『妖気の膜』
【ソーサリーコート】をも遥かに凌駕した『神霊の加護』【ディバイングレイス】
によって護られているのよ」
「お、おう、そうだったな。でも、無理はしないでくれよ。折角のお祝いの日に
主役に無理させて風邪でもひかせたとあっちゃ、みんなに申し訳が立たないぜ」
まったく妹様と違って、相変わらず察しが悪い雄ね、とも思ったけれど。
でもあなたの瞳の奥の、愚直なまでの真摯な光を見せられてしまっては。
「まあ、忠告だけは有難く受け取っておくわ。……さあ、無駄話はこれくらいに
して準備を進めましょう?パーティの開始までもう1時間もないのよ」
その気遣いまでも蔑ろにするわけにはいかないでしょう?
とはいえ、程なく皆も集まってくるでしょうし、これ以上は油を売っている暇
はないわね。一先ずこの場は収めて、私達は会場の飾りつけを再開させた。
それが今日ここで祝福される者の礼儀というものでしょうから。
* * *
予定の時間になって、今年も私と桐乃の合同誕生日パーティが始まった。
集まったメンバーは特に変わり映えもない、何時もの面々といったところね。
とはいえ今では先輩を始め、既に社会に出ている人達だって何人もいるわ。
それでも毎年でもこうして予定を合わせて集まってくれるのだから。祝われる
側としてはとても有難いことだし、これでも心から嬉しく思っているのよ。
でも来年になると、私や沙織、瀬菜や花楓達も大学を卒業することになるから、
前に沙織と話したように皆でパーティを開く余裕はないかもしれない。
だからこそ、何時までもこの縁を大切にしなければならないと。集ってくれた
皆に一人ずつお礼の挨拶を返しながら、改めて強く己に戒めていたわ。
「今までも色んな五更ちゃんのはっちゃけた姿を見てきたけどさ。今日はまた輪
をかけてすっごいねぇ。どこのコミックバンドがきたのかと思ったよ」
「あなただけには言われたくわよ、秋美。その恰好はどんな意図なのかしら?」
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました!これは懇意にさせて貰ってる工房の
作業着なんだけどさぁ。これならあたしもいっぱしの匠に見えるでしょ?」
学校の制服以外は、いつも奇抜に過ぎる格好ばかりしている秋美だけれど。
今日は紺の甚平をベースにした服に、葉模様をあしらった小さなエプロンと和
帽子を身に付けていたわ。
そう言われれば、確かにどこぞの職人に見えなくもないかしら?
「いいとこ、旅館の新人仲居さんじゃないかしら?服装だけですぐに本物の風格
まで出せるのなら、苦労なんてないわよ」
「だよねぇ~でも、ま、気分だけでも違うもんでしょ?一人前までまだまだ掛か
るんだし、それくらいはさぁ」
「お互い先は長いわね。でも、何れはそんな服も着こなす立派な古物商になれた
あなたを、私も楽しみにしているわよ」
確かに秋美の言う通りかもしれない。私だって自分を変えたい気持ちが高じて
コスプレにのめり込んだようなものだったのだし。
あれから何年も経った今でも、それは変わらないのかもしれないわね。
今日のこの『聖天使』の衣装も。初めて自分で選んだ服にしても、ね。
「今日はまた随分と気合が入った恰好だよなぁ、五更。んじゃ、さらに景気づけ
にまずは一杯どうだ?」
「あなたも懲りない人ですね。この間のうちの親睦会でもそうやって五更さんに
お酒を飲ませまくって、大変なことになったのをもう忘れたんですか!」
「いやー、あんまり調子よくワインを飲んでたから、すっかり強くないってのを
忘れててよ。でも、こいつは単なるビールだぜ?これくらいなら大丈夫だろ」
「いえ、僕の目が黒いうちは許すわけにはいきませんね!五更さんの名誉のため
にも、年頃の女性にあんな酔わせ方は二度とさせられませんので!」
「……あの、私の心配をしてくれるのは嬉しいのだけど……。出来ればもう少し
声を抑えてくれないかしら……」
周りを気にせず言い合う三浦さんと真壁さんに、私はたまらずに割って入った。
でも時に遅し、ね。とっくにここにいる皆の注目を集めてしまっていたから。
「え、黒猫さんって、酔ったら一体どうなっちゃうんですか?」
「それはもう大変だったんですよ。飲み始めてからすぐにやけにテンション高い
なぁと思っていたんですが、かと思うといきなりけたけたと笑い出したりして。
あげくの果てにはですね」
「瀬菜!?余計なことをあやせ達に吹き込まないで頂戴!」
「いーじゃねぇかよ、こんな機会なんだから教えろっての。いっつも澄ました顔
のこの天使サマが、酒飲んでどんだけ乱れまくったか、加奈子も興味あるしな」
「か、かなちゃん。そんな聞き方をしたらセクハラだよ。最近は事務所も厳しく
してるんだから気を付けないと。それにお酒癖が悪いのは、かなちゃんだって人
のことを言えないんじゃないかな」
「うっせーな!まだ酒も飲めないようなお子ちゃまが、いっちょう前にセクハラ
とか言ってんじゃねぇっての!大体セクハラなのはおまえのわがままボディだろ。
いっつも見せつけやがって、なんのイヤミだっての!」
「こら、かなちゃん。ブリジットちゃんをいじめたら、めっ、だよ。そんなにお
酒の話がしたければ、またわたしと一緒にゆっくり飲もうねー」
「い、いえ、今は師匠もお店の書き入れ時で忙しいでしょうから……その、残念
ですが遠慮させて頂きますよ……」
「か、加奈子?どうして麻奈実さん相手にそんなに畏まってるの……?」
「な、なあ、小川。俺も山上もこの前の飲み会には出れなかったが、一体五更に
なにがあったんだよ?まさかあのコスプレと何か関係でもあるのか……?」
「そ、それは……い、いえ、僕は何も見てないですよ、ええ、何も!気になるの
でしたら、くろね、いや、五更先輩に直接尋ねてください、青井先輩」
おかげで私を肴にしたその騒ぎが収まるまでの間。我が身の釈明と弁護、さら
には未然の火消しに追われて、皆への挨拶どころではなかったわね……
この集まりも年を追うごとに平均年齢が上がっているから、すっかり飲み会の
場になっている面も強いのだけど。お酒は己の分を弁えて飲むべきだと、色々な
意味で改めて思い知らされた気がするわね……
「この前の飲み会には出られなくて残念だったが、これからまた一緒にゲームを
作れるな。改めて宜しく頼むぜ、五更」
「ええ、あなた達がいてくれるのは、正直心強いわ。うちは技術的には皆、申し
分のないメンバーが揃っていると思うけど。今後チームを纏めて引っ張っていく
面では、青井君と山上君の二人が適任だと考えているのよ」
「そうまで評価して貰えるのも面映ゆいですが、自分達でなくても真壁先輩とか
赤城さんが現場のリーダーシップを十分発揮されているのでは?」
「そうね。でも真壁さんは三浦さんの補佐で手を取られると思うわ。瀬菜は何か
と気が回るし、面倒見も良いからリーダーとしての素養は申し分ないのだけど。
でもそれ以上に、瀬菜のプログラマとしての非凡な能力を存分に発揮させないと、
私達のような小さなソフト会社が生き延びるのは難しいでしょうから」
私の説明を聞いた後、二人とも黙ったままその内容を吟味していたようだった。
「……なるほど、確かに五更の言う通りかもしれねぇな。にしても、相変わらず
だよなぁ、五更は。前にも言った気がするが、俺としちゃそこまで考えてるお前
のほうが、よっぽどリーダー向きだと思うんだがよ」
「それも前に答えた通りよ。私には人を引っ張るカリスマはないもの。こんな風
にリーダーに裏から意見を具申する、参謀役が関の山ね」
如何に聖天使に転生しようと私の本質は闇。それは変えようがない事実だもの。
『此方の世界』で過ごした二十数年で、十分にそれを思い知らされてきたから。
でも別にそれは恥ずべきことじゃないわ。だって私は一人ではないのだからね。
「だから纏め役には、是非とも二人にお願いしたいのよ。勿論、私も出来る限り
の協力をするわ。それが適材適所というものでしょうから」
二人は目線だけを交わして、何事かやり取りしているようだった。
そういえば高校のコン部でも、こんな風だったかしらね。何時も私が無理難題
を二人に要求しては、同じように困らせてばかりだった気がするもの。
結局、二人は私の提案を受け入れて、後で三浦さんや真壁さんともしっかりと
相談すると答えてくれたわ。
あなた達にはこれからも面倒ばかりかけてしまうかもしれないけれど。
でも私とて、高校時代と一緒ではないのよ?あなた達の労に見合う成果を今度
こそ出して見せるのだから、どうか楽しみにしていて頂戴。
「それにしても懐かしい衣装ですよね、五更先輩」
「そういえば、あなたは『fairy』との『決闘』【デュエル】を見届けていたの
よね、ユウ。かつてこの『聖衣』を纏ったのは、あの時を合わせても両の指で事
足りる程しかないのだけど。今日この日には相応しい出で立ちと思ったのよ」
「つまりは私との『決闘』と同じくらいの覚悟でこの場に臨んでいる、という訳
かな、『松戸ブラックキャット』。いや、この姿では『松戸バステト』だったか。
まさか再び見える時が来ようとは、思ってもみなかったぞ」
「ふっ、それは私にとってもよ。けれど力不足な今の私でも目的を果たす為なら、
この衣装の神通力にもあやかりたくなるわ。あの時と同じようにね」
流石はここの最年長者にして、あらゆる道を極めしものというところかしら?
香織さんにはこの装束の意味をすっかり見透かされていたようだった。
「ほほう、君にしては珍しく弱気だな。『神様だって倒してみせる』と豪語した
君が、その力など借りるまでもあるまいよ」
「そう、ね。その通りだわ。今の私は『聖天使神猫』。闇の者にして、全ての邪
を退けし聖なる存在。故に我が力で排せぬ万難などないのよ」
「それでこそ、だ。『君の実力』で私に勝った以上、中途半端など許されないぞ。
必ずや君の願いを叶えることだ。それが沙織の、いや、ここに集った全ての者達
の想いにも通じるだろうさ。頑張り給え、我が『好敵手』【とも】よ」
ぴっと親指を立ててエールを送る香織さんに、私は神妙に頷いて応えた。
この『神猫』の衣装に相応しく、大胆にして不敵な笑みも湛えながらね。
「そうですよ。あの試合の興奮と感動は、今でもはっきりと覚えています。あの
時の五更先輩はとても凄くてきらきらしてて。本当に別世界の人に思えました」
「そ、そこまで言われると流石に恥ずかしいのだけど……でも、そうね。私の全
てを賭して挑んでいたことには違いないわ」
「あれから後輩やサークルの仲間になって、一緒にゲームを造ったりイベントを
楽しんだりしてこれたのは、正直夢のようでした。僕にとってはあの時の憧れは
ずっと変わりませんでしたから」
あの『決闘』の時と同じように、まっすぐな瞳を私に向けてくるユウ。
その真摯さと。まるで別離でも告げられそうな話し振りに、私も口を挟めずに
続くユウの言葉を待った。
「これからもサークルや開発メンバーの一員として、五更先輩のお手伝いをして
いくつもりですが……でも先輩には、ご自身で叶える強い目標がありますよね?」
「ええ、私にとって今だに手の届かぬ路の先に、だけど」
「そちらに関しては、あの日みたいに僕はただ見守るしか出来ないんですけど。
でも、だからこそ精一杯応援しています。及ばずながら、ですけれど」
香織さんといい、ユウといい。どうして今日はそんな話をされてしまうのか。
いえ、自明よね。最近の私の印象だと、この姿は違和感ばかりでしょうから。
……やはり今の私には、この『聖衣』を纏うのは荷が勝ちすぎたのかしら?
皆に余計な憂慮をさせてしまうのでは、本末転倒にしかならないじゃない。
でも、それでも。
「……ありがとう、ユウ。そこまで応援して貰える資格が私にあるのか、正直な
ところ自信なんてないけれど。あなたの気持ちだけで、幾万の味方を得た気分よ。
それに応える為に全霊を尽くすと、あなたとこの『聖衣』に誓いましょう」
いえ、だからこそ、かしらね。
そんな私にこそ明かしてくれた想いを、無下になんて出来ないもの。
自身の言葉にあらん限りの篤厚を籠めて、私は高らかに宣言したわ。
「ケーキの元絵にって送られてきた写真を見た時はちょっとびっくりしちゃった
けど。こうして目の前で五更さんが着てるのを見ると、とても似合ってて可愛く、
ううん、綺麗でもう一度びっくりしちゃった」
「ふっ、これは『聖天使』として現世に降誕した姿なのよ。写真などという低俗
な代物では、真なる力の一端すら顕すことなど出来ないわね……なんて言いたい
ところだけど。まあ、私相手にお世辞は要らないわよ、花楓」
花楓のような至極真っ当な女の子からすれば、こんな奇抜な衣装を友人が着て
いるの見たらさぞかし面食らったことでしょうしね。昨年の誕生パーティで着た
アイドル衣装なんて比較にならないレベルだもの。
「そんなことないよ。多分、五更さんが言った通りなんじゃないかな。写真だけ
じゃ、五更さんの魅力が全然判らなかったもん。きっと着てる人の気持ち次第で、
衣装の雰囲気も違って見えるのかもしれないね」
「そ、そういうものかしら?私自身、そんな心算はないのだけど」
そんな花楓の思ってもみなかった見識に、正直感心させられてしまった。
或いはオタク趣味を持たない花楓だからこそ、見える物もあるのかしら?
「ふふっ、五更さんなら特に意識しないでも、衣装に合わせて気持ちを切り変え
てたりとかなのかな?今日の五更さんは、桐乃ちゃんみたいに元気溌剌って感じ
だし、何時もとは違うそういう五更さんも素敵だと思うよ。このケーキもそんな
魅力を少しでも伝えられていればいいんだけど」
傍らのテーブルに置かれたひと際大きなお皿には、私と桐乃の為に用意された
2つの誕生日ケーキが乗せられていた。毎年すっかりと恒例になっている花楓の
力作で、今年は一般的な円柱のホールケーキではなく、直方体に成型されている
のが目を引いたわ。
純白に塗り飾られたケーキには、今の私の神猫の姿を模したイラストが。
もう一方の茶褐色のケーキには、桐乃の笑顔が上面一杯に描かれていた。
&ref(https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/894/birthdayCake2018.JPG,width=652,height=488)
[[https://download1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/894/birthdayCake2018.JPG]]
どちらもケーキの出来栄えは勿論、イラストもクリームやピューレでケーキに
直接描いているとは思えないくらいに見事なものだったわ。
花楓がこの誕生会のケーキを任されるようになって、もう数年にもなるけれど。
料理の上達に比例して、ケーキの完成度が高まっているのが如実に解かる程よ。
「いいえ、あなたの作ったケーキだって、本人に負けないくらいに素晴らしいと
思うわ。その人達へのあなたの想いがこんなにも込められているのだもの」
そうでなければ、こんなにも素敵なものにはならないでしょう?
毎年手の込んだケーキを作ってくれて、本当に感謝しているのよ、花楓。
「ふふっ、どういたしまして。そう言って貰えると、作り手としてはやっぱり嬉
しいものだね。そのためにも、もっと工夫して美味しくしようって思えるもの」
「ふふっ、全くね。そういえばイラストの薔薇とか髪の陰影とかに、昨年までは
なかった紫色も使われているわね。今まで青や茶色で代用していたのに」
「うん、それは紫芋から新しく色粉を作ってみたんだ。思った以上に綺麗な色が
出たから、今年は絶対に使おうって。五更さんにはやっぱり紫色も良く似合うと
思うから。あ、それにこの薔薇のデコレートとかは」
「そうそう、あたしやたまちゃんだって手伝ってるんだからさぁ。ほら、ここの
クリームのデコレーションとか綺麗に出来てるっしょ?何を隠そう、このあたし
が丹精込めて作ったんだからね!ぞんっぶんっに褒めてくれていいんだよ?」
きっとこの機をずっと見計らっていたのでしょうね。ここぞとばかりに割って
入ってきた日向は、会心のドヤ顔を私に向けてふんぞり返っていたわ。
滑らかにケーキ全体を塗り上げたナッペの出来映えや、クリームで絞り出した
薔薇やフリルで丹念に全面を飾りつけたその手腕は、確かに日向が自慢するだけ
のことはあるかもしれないわ。
果たして私が作ったとしても、ここまで綺麗に仕上げられるかどうか。何時の
間にここまで腕を上げていたなんて、正直なところ吃驚したくらいよ。
ふふっ、知らぬは姉ばかりなり、かしら。あなたもこの春から、もう高校二年
生になったんですものね。
私がもう一度『理想の世界』を目指して歩み出した、あの時と同じ歳に。
何れは日向だって自分の夢を見付けて、追い求める時がくるのかしらね。
「……その顔を見せられると、とても褒める気にはなれないのだけどね……でも、
それではこの『聖天使』の名折れね。ええ、とても綺麗に出来ていると思うわよ、
日向。お世辞抜きでお店に飾れそうな出来栄えに見えるもの」
「でしょ、でしょ!これでも高校じゃ料理部次期部長の有力候補なんだからねっ!
部の大先輩な花楓さんにも、こうして直接指導して貰ってるしねー」
びしっと両腕を掲げてその大先輩の御威光を称える日向に、花楓は少しだけ気
恥ずかしそうにしながらも、穏やかな笑みを浮かべていた。
それこそ何かと手のかかる困った後輩を、温かく見守る先輩みたいに。
この分だと私の知らないところでも、花楓に教えを受けているようね。
「成程、日向が上達するわけね。世話の焼ける後輩でしょうけれど、どうか今後
とも宜しくお願いするわ、花楓」
「うん、私なんかで良ければ喜んで。でも日向ちゃんには私から教えられること
はあんまりないんだけどね。頼りになるお姉さんにしっかり鍛えられてるもん」
そんな穏やかに言われたら、こちらが気恥ずかしくて堪らないじゃない……
花楓の隣では日向もバツが悪そうにして、視線を宙に彷徨わせていたわ。
「そ、そういえばさぁ。『今年はこの姿で誕生会に出るから』ってルリ姉に言わ
れた時にはどうしようかと思ったけど。羽とか前よりパワーアップしてるし」
「ふっ、この『光翼』【フリューゲル】は『聖天使』たる『象徴』【シンボル】
の『顕現』【マテリアライズ】にして、『神力』【ディバイン】そのものよ。故
に我が『位階』の更新と共にその『威容』【グレード】を増していくわ」
「ふうん、相変わらず胸はパッドが入ってるみたいだけど。どうせ大きくするん
なら、そっちの方が良かったんじゃない?誰かさんのためにもさぁ」
「よ、余計なお世話よ!中学の頃から全然変わってないあなたになど言われたく
はないわ。私は昨年、次の位階へと着実に推移しているのだから」
「い、言ったなぁ……決して言ってはならないことを……大体、ルリ姉だって9
歳も離れた妹に負けてる分際で、偉そうに言わないで欲しいよ!」
「ね、ねぇ、二人とも。姉妹仲が良いのはいつも羨ましいなぁって思ってるけど、
みんなの前であまり大声で言うような話じゃないんじゃないかな……?」
花楓のおかげで漸く我に返った私と日向は、合わせ鏡宜しくすぐさま口元に手
を当てて、それ以上の失言を塞いだ。
もっとも恐る恐る振り返ってみれば、ここにいる殆どの人達と目が合ったので、
完全に手遅れだったのだけどね……
「まったくルリ姉のせいでヒドイ目にあったよ……」
その場の騒めきと奇異の視線が収まるまで、私と日向は只々俯くことでこの気
まずい雰囲気を耐え忍ぶしかなかったわ。
「元々はあなたの謂れない狂言のせいだと記憶しているのだけど?」
「そ、そうだったっけ?ま、まあ、話を戻して……ともかく、ルリ姉も何か考え
があるんだろうけどさ。こういう服は今日限りにしておいてよね?たまちゃんも
もう中学生なんだから」
「ええ、解かっているわ。それも前に約束した通りよ」
家族会議の裁定によって、『闇衣』【シュバルツ】と共に封印された『聖衣』
【ヴァイス】を再び身に纏う為には、そもそもの発案者である日向の了承が絶対
条件だと思っていたのだけど。
私の話を聞いた日向は、やけにあっさりと『聖衣』の使用を認めてくれたわ。
まあ交換条件として、今後は一切封印を破らないと約束はさせられたけどね。
「日向お姉ちゃん、お皿とデザートの準備は終わりましたよ」
「ありがとう、たまちゃん。そんじゃ、中央のテーブルにみんな集まって貰って
いよいよお待ちかねのケーキカットといきますかぁ」
「あ、姉さまは主賓なんですから、ここで用意が整うまでお待ちくださいね」
私も日向と花楓がケーキを運ぶのを手伝おうとしたのだけど。
珠希が静かに、それでいて有無を言わさぬ『威圧』【プレッシャー】を籠めて
私を制してきた。
「それに姉さまには聞きたいこともあります」
「何かしら、珠希」
「頃来、姉さまは自らの『闇の宿命』を敢えて意識しないように振舞われていた
と思えました。少なくともわたしの前では。けれど今日の姉さまは、その闇の力
を過剰なまでに顕現させています。その理由をどうかわたしに教えて頂けません
でしょうか?」
我が緋色の『魔眼』と金色の『神眼』をじっと見つめてくる珠希。
先の言葉と同じく、下手な言い訳など寸毫も見逃さないという意思を秘めてね。
「そう、ね。あなたには余さず真実を伝えておくべきかもしれないわ」
本来なら、これは私自身のけじめ以外何物でもないけれど。
趣味に没頭したい欲求と、周囲の意を汲んでそれを押し止めようとする自制と
の間で揺れ動いている大切な妹に対しての。
今回の『儀式』は、私からの啓示の意味も籠めているのだから。
「これは私が次なる位階へ進む為の儀式。それには『此方の世界』における我が
『闇力』。さらには反転せしこの『神力』をも、最大限に顕してその全てを揮う
必要があるのよ。それは恐らく」
そこで一端言葉を切ると、私からも珠希を真っ直ぐに見つめ返した。
愛妹の澄んだ湖の如き瞳は、迷いなく私の次の科白を促していたわ。
「今世における力の一切を、この刻を持って昇華することになるでしょうね」
「ま、まさかそこまでの儀式を執り行っていたなんて……でも姉さま、どうして
そのような危険な真似を!?」
「言った通りよ。次なる位階へ進む為には、私は私の全てを賭す必要があるの。
それは今までの私の存在そのものと引き換えでなければ、決して手に入れること
は出来ないものでしょうから」
「でも、以前姉さまはおっしゃいましたよね?生涯、闇の宿命と共にある、と」
「ええ、その言葉に偽りはないわ。例え力を失おうと、私は闇の宿命からは逃れ
られない。だから今後は私が創り出す全てに、それを注ぎ込む心算よ」
珠希は話を聞き終えると、暫らくの間、顔を俯けて黙り込んでしまったわ。
今まで信じていた私に、まるで裏切られた気分になっていたのでしょうね。
時折目線を上げては、私の顔を伺ってはいたけれど。変わらずに珠希を見つめ
続けていた私と目を合わせては、再び項垂れるように視線を落とした。
「だから珠希。これからは『闇の力』の何たるかを、あなたに教示することは叶
わなくなるでしょう。……だけどね」
私はそこで張り詰めていた気を緩めた。
そして今度は一人の姉として、掛け替えのない妹へと穏やかに諭した。
「あなたはあなたの信じる道を行きなさい。己が宿命は自身が全霊で向き合って、
その行きつく先を見出すものよ。私もそうして答えを得たのだから」
珠希は顔を上げて、私の言葉を小さく反芻しているようだった。
「……はい、姉さま。わたしには自分の『宿命』など未だ見えぬ闇の中ですが。
ただ、それを目指すべき道筋は解かった気がします。最後にわたしに薫陶を授け
て頂いて、感謝します」
そう言うや珠希は深々と頭を下げた。そして次に顔を上げた時は、小さいころ
からの珠希らしい、爛漫な笑みを浮かべていたわ。
「こらぁ、瑠璃!いつまでそんなトコで油を売っちゃってるワケ?あんたも主役
の一人なんだから、ここにいないといつまでもケーキ切れないじゃないのよ!」
しびれを切らした桐乃の声に、私と珠希は慌てて皆の元へと駆け寄った。
桐乃の機嫌を損ねては後々面倒だし、皆をこれ以上待たせられないもの。
それに、何よりも。タイミングが良すぎたその呼びかけは。
私達の話が終わるまで、待ってくれていたのでしょうしね。
* * *
「それでは宴もたけなわなところで名残り惜しくもございますが、以上を持ちま
して『きりりん氏&黒猫氏お誕生日パーティ』のお開きとさせて頂きます。本日
は誠にありがとうございました」
沙織の締めの言葉と共に、今年の誕生日パーティも閉会となった。
本当、楽しい時間というのは、どうしてこんなに早く過ぎ去ってしまうのかし
らね?こうして誕生日を一つ重ねるごとに、それを強く実感してしまうもの。
歳を取るに従って身体的な代謝が落ちるので時間が短く感じられるようになる、
とか、そんな科学的な検証も聞いたことがあるけれど。
でも、この場合は文字通り『時が経つのを忘れる』くらい、楽しいことに集中
出来ているのが原因だと思うわ。
それは、裏を返せば。私がここに集ってくれた人達と過ごす時間を、それだけ
嬉しく思っていることの証左なのでしょうね。
だから刹那に流れ行くこの一時を、惜しむ気持ちに間違いはないのだけど。
そう感じられる今の自分を、少しだけ嬉しく思える気持ちだってあるのよ。
「お疲れ様、黒猫。今日はえらくまたノリノリだったな。なんつーか、学生時代
の頃を思い出して、ちょっと懐かしかったくらいだぜ」
誕生会が終わった後も暫し余韻に耽っていた私に、先輩が声をかけてきた。
まったく物思いに耽っている乙女心くらい、少しは理解して欲しいものね。
「クククッ、何を立ち枯れた老樹が如き科白を言っているのかしら?あなたとて
前世の記憶を取り戻して真の力を解放させれば、今すぐに目醒める姿なのよ?」
「お、おう。まあ、その辺は追々と、な。それはともかく、今のうちにその服を
着替えてきた方がいいんじゃないか?日も落ちてぐっと寒くなってきたしな」
「気遣いは嬉しいのだけど、まだ後片付けがあるのでしょう?全てを終えるまで
ここを離れるわけにはいかないわね。今日の主賓だというなら尚更よ」
どうせあなたのことだから『お前は主役なんだから後は俺達に任せとけって』
とでも言う心算だったのでしょう?
言いかけたものを慌てて飲み込んだ先輩は、僅かにまなじりを下げて苦笑した。
最近になって良く見るようになった気がするその面持ちは、やはり社会で揉まれ
た経験からくるものなのかしらね。
あなたには似つかわしくないくらいの物分かりの良い諦観と。
相手の事情を察する気配りも見せた、嘆息交じりの微笑みは。
「瑠璃は相変わらずせせこましいっつーかさぁ。こういう時の主役は、どかっと
構えて存分に持てなされるのが仕事っしょ?じゃなきゃ、祝う側の気持ちだって
無駄になっちゃうじゃないのよ」
兄の窮地を見兼ねたのか、妹様がすぐさま横やりを入れてきた。
自分では散々扱き下ろすくせに、こういう時はお優しいことね?
「それは見解の相違ね。仲間内だけのパーティにホストもクライアントもないで
しょうに。誕生会だって皆で集まって楽しむ為の方便の一つだから、参加者全員
で準備も後片付けも行うべきでしょう?」
そう、即売会みたいなものよ。私は一言付け加えると、会場に飾りつけていた
お手製のペーパーフラワーやガーランドを片付け始めた。
「ふふっ、確かにそれも一理ありますわね。それではお集まり頂きました各々方。
立つ鳥跡を濁さず。始まる前より綺麗になるように、張り切って後片付けに取り
掛かりましょうぞ!」
「「「「「「「「「「「「おー!!」」」」」」」」」」」」
皆心得たもので、沙織の号令に従っててきぱきと撤収作業が進められた。
誕生会だけでなく、こうした集まりはほぼ月一回くらいのペースでやってきた
ものね。それも当然かしら?
結局30分と掛からずに、おおよその片付けは終わったのだけど。
ちなみに桐乃も結局はその中に加わって、中庭の掃除やレンタル品の整理をし
ていたわ。何だかんだと口では言っても、根本的に律儀なのよね、この娘は。
「それではわたくし達はレンタル機材を返却して、そのまま帰らせて頂きますね。
参加された皆様方、改めてお疲れ様でした。また次の機会にお逢い致しましょう」
「テーブルや椅子は俺たちがトラックで運んどくから任せといてくれ。じゃあな、
高坂。週明けからまたよろしく頼むぜ、五更」
「あ、そうそう、ひなちゃん。さっき買おうかどうか迷ってるって言ってた春物
のアイテム、早速見に行こっか!」
「ええ、キリ姉?別に今日じゃなくても……って、ああ、そうだね!ほら、たま
ちゃんも一緒にいこういこう!」
「お、なんか面白そうだねぇ。あたし達もご一緒させてもらうよ、きりりん氏」
帰宅の途に就く人達を見送っているうちに、何時の間にかこの場には先輩と私
の二人だけが取り残されていた。
「今日はみんな、やけにささっと帰っちまったな。普段ならなんだかんだと散々
駄弁ってから解散するもんだが」
その理由に思い当たる節もないのか、先輩は呑気にそんなことを言っていた。
こういうところは相変わらずで、悪態の一つも付きたくなってしまうけれど。
でもこの時の私は、皆にすっかり見透かされていた恥ずかしさの余り、そうね、
などと返すのがやっとの有様だったもの。人のことなど言えないわよね。
「それじゃ、俺は大家さんに無事に終わったって挨拶してくるよ。その間に黒猫
もその服を着替えてきてくれよ」
私は黙って頷くと、言われた通りに2階の先輩の部屋へと向かった。部屋の中
に預かって貰っていた自分のキャリーバッグから着替えを取り出すと、身に着け
ている『神猫』の衣装へと手をかけた。
……これで着納めなのよね。
けれどそう実感した途端、すっかり手が止まってしまった。
そしてその代わりとばかりに、自分の姿をしげしげと見回してしまう。
実際に身に着けた機会は、今日を入れても両手で数えられるくらいなのに。
それでもこの服には、積み重なった想いが多すぎるもの。
他の人に見て貰いたい一心で、創り上げたのも初めてなら。
生まれて初めての逢瀬にも、この服を着て挑んだのだから。
最初は驚いていたあなたも、次第に受け入れてくれたのか。
何事にも拙ない私達も、何時しか心から楽しんでいたわね。
あの時、共に過ごした掛け替えのない日々と想い出は。
この服を象徴として、深く刻み込まれているのだから。
「黒猫~、そろそろ入っても大丈夫か?」
……いけない、そんな感慨に浸っている場合ではなかったわね。
「……未来のトップマネージャー様は、女性の着替えを急かすような無粋な真似
をしてくれるのかしら?」
「す、すまん!?まだ早かったよな。じゃあ、終わったら声を掛けてくれよ」
私が慌てて答えた責任転嫁に対して、妙に上ずった声で返してきた先輩。
何を考えたのか、薄々想像もつくのだけど。そこに突っ込むのは藪蛇かしら。
何より、本来責められるべきは自分だものね。
私は出来る限り急いで-極力丁寧に『神猫』の衣装をバッグに収めて-着替え
を済ませた。
「……もう、大丈夫よ。あなたの部屋なのに、外で待たせてしまって御免なさい」
玄関前の欄干にもたれながらスマホをいじっていた先輩に私は声を掛けた。
「そんなことは気にするー……」
スマホから顔を上げた先輩は、ドアを開いた私の姿を認めるやそこで絶句した。
「な、なによ……まさか半月も経たずに忘れたとは言わさないわよ?」
私が着替えたのはつい先日、先輩と一緒に選んだ服装だった。わざわざここに
着て来た服-家で良く着ている黒のワンピースだったけど-とは、別に用意して
おいてね。
あれ以来、実際にこの服を着て人前に出たのは今日が初めてだけど。
まさか改めて見たら、私には全く似合ってなかったなんて言い出さないわよね?
「……いや、勿論覚えているさ。ただ、よ」
漸く呪縛が解けたのか、先輩はぽつりとその『理由』を語りだした。
「さっきまではあの恰好だったからかな。なんかこう……別人に見えたんだよ。
あんまりも……そう、今どきの女の子みたいでさ」
「あら、服が変わっただけで別人扱いだなんて。曲がりなりにも芸能界で働いて
いる人の科白とも思えないわね?」
「……まったくだ。ここ1年で少しはマシになったって、自分では思っていたん
だけどな……やっぱ全然本質ってものが見えてないんだな、俺は」
何時もの調子で、戸惑う先輩を少し揶揄うだけの心算だったのに。
やけに落ち込んでしまった先輩に、私は慌ててフォローを入れた。
「いえ、そうでもないと思うわ。むしろ今の先輩の反応は、この服を着ている私
にとって嬉しいことでもあるもの」
「どういうことだ?」
「何故なら私は……今日限りで厨二を卒業しようと決めているのよ。だから今日
は『夜魔の女王』から『聖天使』になる為だけではなく。一人の『人間の女の子』
になる『転生の儀』でもあったのよ」
先程のものとは比較にならないくらいの呆けた顔をして。
先輩は暫くの間、黙って私の顔と服とを見返していたわ。
「……どういうことだ?」
漸く再起動した先輩から、同音同句の問いがなされる。
もっとも、より一層、困惑の色を強めてはいたけれど。
「そうね、きっととても長い話になると思うのだけど」
「こんな一大事なら、明日の朝まで掛かっても付き合うぜ?」
「冗談よ。端的に言えば、今の自分の『殻』を破るために、かしら?」
臆病で内気で人見知りで、それでいて自尊心は高くて負けず嫌いで。
そんな自分を護る為に、何時しか『理想の自分』を心中に創り出していた私は、
その世界へと没頭した。
最初は単なる逃避であった筈なのに。何時しか私は過程そのものに魅せられて、
夢想した世界の創作こそを自らの道と見定めていったわ。
それは本心では望まぬ孤高をも、一層呼び込むことになってしまったのだけど。
数奇な運命の悪戯が。いえ、私達の意思こそが縒り為し手繰り寄せた縁の糸が。
今のこの私を。何より私達の関係をも、嫋やかに育み、靭やかに育ててくれた。
そんな私の拠り所に感謝こそすれ、今更恥じ入ることなど何一つないのだけど。
それでも『それ』自体の本質は、私を護り覆い隠す為の心の鎧。
『それ』を纏っていては、全てを賭して向き合うことなど出来ないでしょう?
私のこれからの人生と。すなわち、あなた達と永劫に在り続ける為には、ね。
「だからずっと機を伺ってきたのよ。私の厨二を締め括るのに相応しい刻をね」
「……そうか、だからその服も」
「ええ、私が普通の女の子になれるかの試金石でもあったわ。もっとも、あなた
にとても助けられたから、本来の目的としては十分ではなかったでしょうけれど。
でも……それも丁度良かったのかもしれないわね」
私はそこで一呼吸をおいて。全霊を持って最後の、決定的な言葉を紡ぎ出す。
『闇衣』も『聖衣』も。『心の鎧』をも脱ぎ去って、あなたと正対する為に。
「そのお礼も兼ねて。一年前には聞くことも断ったあなたの『お話し』を、今な
ら聞かせて欲しいと思っているのよ」
昨年の丁度今頃だったかしらね。先輩は芸能事務所での仕事が始まってすぐに、
慣れない業務に目の回るような忙しさになった。夜遅くに部屋に戻っては、ただ
眠るだけの日々が続いていたくらいだもの。
それを少しでも助けようと、私は毎日大学帰りに先輩の部屋を訪れては家事
の手伝いをしていたわ。先輩が仕事から帰っているいないに関わらずにね。
部屋の掃除や食事の作り置き、洗濯、買い物、毎日熟すべき家事は幾らでも
あるもの。そんな雑事に囚われずに仕事に集中して欲しかったから。
そのかいもあったのか、一月もすれば先輩の仕事も落ち着いてきたわ。
相変わらず休日なんてあったものじゃない仕事ぶりだったけど、少なくとも
体調を崩したり音を上げるようなことはなかったもの。仕事の話だって楽し気
に話してくれるようにもなったしね。
この分ならもう心配ないかしら、なんて考えていたその矢先。
先輩の部屋で夕食を作っていた私は、普段よりも随分早い時間に帰宅した先輩
とばったり顔を合わせた。仕事時間が不規則な先輩には、それ自体は別段珍しい
わけではないのだけど。
今日は早かったのね、と声をかけた私に、先輩は何時になく真剣な顔をして。
『話があるんだ』と開口一番切り出してきた。背広を着替える間もなく、ね。
そのあまりに切羽詰まった先輩の様子から、私は話の内容に薄々察しがついた。
だから『それは私と桐乃と先輩全員のこれからに関わることかしら?』と問い
質したのだけど。
その問いかけに、何の躊躇いもなく首を縦に振った先輩に対して。
『なら今は聞くわけにはいかないわ』と、私は即座に拒絶したわ。
だってそんな先輩が私に対して告げることは一つだけ。
桐乃が先輩の目標を素直に認めた時から、この日が来ると予想していたけれど。
その目標に漸く道筋を付けられたこの機に、未来への決断をしたのでしょうね。
でもそれを受け入れるには、私にはやり残したものばかりだったから。
いえ、違うわね。それに向き合う覚悟が私には出来ていなかったのよ。
自分の進む道も。自身の在り方も。何より己を恃むに足る自負の念が。
それを身につける為に、私とて今までの時間を過ごしてきた筈だったのに。
その刻を迎えてみればその自信がないだなんて、我ながら情けない限りよ。
意外にもその時の先輩は『わかった。また今度にな』とあっさり引き下がって
くれたわ。それから今日まで、特にその件に触れることはなかったのだけど。
でも私は、一日たりともそれを忘れることなどなかったわ。
この一年の間、私はどうするべきかを考え続けてきたから。
だからあの時には踏ん切りを付けられなかったその決断を。
今日こそ期する為に、この『転生の儀』に臨んだのだから。
とはいえいきなり話を振られた先輩にしても、自分自身の気持ちの整理が必要
だったのでしょうね。
当惑、躊躇、恐れ、逡巡、歓喜、安堵、静謐、懇篤、そして……思慕かしら。
先輩の表情に現れただけでも、様々な感情が揺れ動いていて見えて。露聊も落
ち着く様子を見せなかったわね。
それでも最後に小さく頷いた後で、私を見つめ返したあなたの眼差しは。
あなたが時折垣間見せる、大切な人へと向ける真摯で暖かな瞳だったわ。
「……わかった。じゃあ今度こそ俺の話しを聞いてくれるか?くろ、いや、瑠璃」
あなたに本名を呼ばれる。それだけで心が騒めき、鼓動が跳ね上がってしまう。
ただでさえ特別なことなのに。あの冬の日の出来事を思い出してしまうから。
でもあなたはきっと、厨二を卒業するという私の意図を汲んだからこそ、本来
の名で呼んでくれたのでしょうから。
だから私はそんな堕弱な心をねじ伏せ、真っ直ぐに先輩の瞳を見詰め返した。
だって、一年も待たせてしまったのよ。それくらいの矜持は見せなければね。
それに何より。この機を設けてくれた、皆からの思い遣りに応えるためにも。
「俺はこれからも桐乃を支えていく。兄として、世界相手に飛び出すなんていう
妹のことが心配でしょうがないからな。まあ、俺が本当にあいつの力になれるか
なんて、正直のところ自信なんてないんだが。それでも桐乃が困った時は、いつ
でも出来るだけのことをしたいと思ってる。あいつがそれを望む限りはな」
まったくここまでお膳立てをしておいて、最初は桐乃の話からなの?
いえ、それでこそあなたなのだし。それも私の望みでもあるけどね。
「その上で、なんて虫の良い話だとは判っている。だから一度はこの想いを断ち
切ろうとした。自分で言うのもなんだが、酷い方法だったよな。今更だと、瑠璃
は拒絶するかもしれない。でも、それでも。どうか聞いて欲しいんだ」
一言で伝えればいいだけなのに、どうしてあなたはそうも回りくどいのかしら?
まあ、自分にだけ都合が良いことを素直に享受出来る性格ではないでしょうけど。
私が言えた義理ではないけれど。
そう、結局は。どうしようもなく似た者同士よね、あなたと私は。
だから決定的に別たれた時ですら、通じ合えていた気がしたのよ。
お互いの想いが。想われている実感が。確かに伝わっていたから。
互いに交わした『最後の嘘』を、時に至るまでの『約束』として。
都合の良い自分勝手な思い込みと、幾度となく否定したこともあったけれど。
『二度と大切なものを手放さない』。あの時の言葉を、私は信じてきたから。
「俺はお前が好きだ。あの夏の日からずっと好きだ。あれから随分経っちまった
けど、この気持ちはいつまでも変わらなかった。だから」
ええ、私もよ。もっとも、私はあなたの一年も前からだけど。
頼りなくて情けなくて、何時も文句ばかり言ってるあなたが。
それでも大切な人の為になら、どこまでも頑張れるその姿が。
私には眩しくて羨ましくて、愛おしくて仕方がなかったもの。
「だから……どうか、待っていて欲しい。俺が一人前になって桐乃をちゃんと
支えられるようになったその時に、今度は俺から瑠璃に告白するよ」
だからこそ桐乃とあなたとの気持ちだって、私には無下に出来ないのよ。
あなた達の想いを昇華したその先にこそ、私の望む世界はあるのだから。
私の愛する全ての人と共に幸せに暮らす、その場所へ辿り着く為にはね。
そして今。トップモデルへ邁進する桐乃と、そのマネージャーを目指すあなた。
互いにその目標を受け入れ、何の気兼ねも負い目もなく共にあろうとしている。
長い間の誤解とすれ違いから、拗れた心の内に秘めた気持ちに向き合い。
その上で普通の兄妹に戻ろうと、数年にも及ぶ時間をかけて出した答え。
それは、私がずっと望んできた通りでもあったもの。
「俺と付き合って、いや、結婚してくれ、ってな」
だからあなたの『願い』に対する答えなど、最初から決まりきっていたわ。
その全てが、私の願いそのものでもあるのだから。
「----はい」
あなた達と出会ってから今日まで間、それこそ星の数程の出来事があったけど。
どれ一つとして私には掛け替えがなくて。宝物のように大切に仕舞っているわ。
ましてやあなたへの想いとなれば、『運命の記述』でも表しきれないくらいに。
だから口にすれば、たった一言の返事に過ぎなかったけれど。
抱いた万感の想いの全てをそこに籠め、私は先輩に答えたわ。
ただ一筋、抑えようもなく溢れ出た涙の雫を除いては、ね。
2018-05-07T02:32:40+09:00
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