穏やかな陽光の降り注ぐ春の日の午後――私はとある待ち合わせ場所へと辿り着く。
その場に佇む、買い物袋を両手に提げた待ち合わせ相手は、片方の手を軽く持ち上げて私を出迎えてくれた。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら」
「いや、丁度いま着いたところだ。悪いな、わざわざ迎えに来て貰って」
「……別に。沙織に言われたからよ」
今日は私の家の近くの公園で、『お花見』と称したお茶会が催されることになっていた。
――お花見、と言っても、もうこの時期は桜の花も大分散り始めているのだけれど。
私が「どうせならもっと早くの週末とかにしたらどうなの」と提案しても、「その日じゃないとあたしの予定が空いてないのっ」と我侭を言う女がいて。
結局この日になってしまったというわけ。
そして当日。つまり今日ね。
準備を始めるや否や、沙織が口元をωにしてこんなことを言い出した。
――「黒猫氏。そろそろ飲み物買出し担当の京介氏が到着する頃合、お一人では大変でしょうしお迎えに行って貰えませぬか? ニン」
……何と言うか、誰も彼も、言動が逐一わざとらしいのよ。全く、揃いも揃ってお節介といったらないわね……――。
「そういうわけだから、先輩。その荷物、片方持たせて頂戴」
「ん。いや、別にそんなに重くないし大丈夫だぜ?」
「いいから、寄越しなさい。……先輩には、“別に持ってもらうもの”があるから」
そういうことなら、といった感じで、先輩は左手に持つ見た目にも軽そうなほうの袋を私に手渡してくる。
受け取った袋を左手に提げた私は、おずおずと先輩の傍らに並んで、隣に立つその顔を上目遣いに見ると。
「で、何を持つんだ? まだ何か買っていくものあったっけか」
間の抜けた、いつもの先輩の顔が私を覗き返す。
……予想通りといえば予想通りの反応だけれど……、相変わらず気が利かないわね、この野暮天は。
いつになったら“精神感応《テレパス》”の能力を覚醒させるのかしら。そんなことでこの私の眷属が務まると思っているのかしらね。
「……何でもないわ」
半分は残念、もう半分は不機嫌なニュアンス。
ぷい、と顔を背け、そのまま早足で歩き出そうとすると。
「――っと」
不意に先輩が私の右手を掴み、引き戻す。
吃驚して思わず振り返ると、先輩は照れくさそうに視線を逸らして。
「せ、折角だし、少し遠回りして行こうぜ。始まる時間にはまだ余裕あるし、な」
そう言って、掴んだ手をそのまま私の右の掌へと重ね、優しく握ってくれた。
「…………莫迦」
ちょっと拗ねたふうに呟いて、顔を伏せる。少し頬が熱いのは、きっと今日の温かな日差しのせい。
そうして、繋がった影はゆっくりと歩き出した。
☆
公園の近くにある桜の並木道に差し掛かると、春風に舞い散る桜の花弁が私たちを包み込んでくる。
「桜、大分散ってきたな。ついこの間まで綺麗に満開だったんだが」
「……私はどちらかと言えば、満開の桜よりも、こうして散る花弁を見る方が性に合っているわね」
「花は散り際こそ美しい、ってやつか?」
「それもあるけれど。……フッ、この桜が舞い散る光景は、千葉(センヨウ)が降り積もるさまに良く似ているでしょう?」
「……そ、そうだな」
「さっぱり分からん」という台詞を表情にしたような苦笑いで返される。――ふ、先輩も、この私の纏綿たる情緒を理解するにはまだまだのようね。
そんなやり取りの中、隣を歩く呆けた顔を仰ぎ見ていると、ふと、先輩の頭の上に数枚の花弁が積もっているのに気付く。
「くす、先輩、頭がお花畑になっているわよ?」
「ん? ……あー」
払おうとしたようだけれど、生憎と両手が塞がっているのでままならない様子。ふふっ、全く、仕方がないわね。
「私が払ってあげるわ。少し屈んで貰えるかしら」
「……頼む」
先輩は立ち止まって、私と目線の高さが合うくらいまで腰を沈めてくれた。
荷物を下ろし、ぽんぽん、と数枚の花弁を軽く振り払ったところで、お互いの視線が交差する。
それは、あと半歩も詰めれば、唇と唇が簡単に触れ合ってしまいそうな。
――二人の顔が至近にあることを今更ながら認識してしまい、慌てて距離を開ける。
「は、はい。取れたわよ」
「サンキュ。……ってか、そんなあからさまに逃げることないだろ」
「べっ、別に逃げたわけじゃないわ。……こ、こんな人目のある場所で……周りから『バカップルめ、リア充爆発しろ』とか思われたら困るでしょう」
そう言いつつも、さっきから公衆の面前で思いっきり手を繋いで歩いている時点で、既に手遅れな気がしないでもないけれど……。
「いいじゃないか。誕生日くらい大目に見ても」
「たっ……。い、いいわけないでしょうっ。どういう理屈よっ」
先輩が、今の今まで努めて意識しないようにしていた単語をさらっと口の端に乗せてくる。
……クッ、空気を読みなさい、空気をっ。
何の為にその単語を意識の彼方に追いやっていたと思っているの。はっきり言って、お誕生会とか慣れてないから緊張しているのよっ。
し、仕方ないでしょう。……今まで“祝う”より“呪う”ほうがずっと多かったのだから……。
「……大体、誕生日なんて一生涯に於ける単なる節目に過ぎないわ。
私自身が何か変わるわけでもなし、わざわざ祝ってもらう程の事ではないと思うのだけれど」
「まあ、実にお前らしい物言いだが……。だから桐乃や沙織も、今日は『お花見』ってことで集まったんだろ?」
……ふん、だからそんなことはとっくにお見通しよ。“邪眼”の力を舐めないで頂戴。
「それに、その『節目』ってのにだって意味はあるぜ? 歳を取れば、出来ることも増えるしな。
と言っても17歳じゃ大して……ああ、女子なら結婚出来るか」
「け、けっ……」
「あ、いや、例えだ例え!」
唐突に飛び出したその例えに、思いがけず動揺してしまう私と、慌てた様子で取り繕う先輩。
そういえば、先輩ももう結婚出来る年齢よね…………って、私は一体何を想像しているのっ?
「あー、こほん。――あと、『祝ってもらう』ってのはちょっと違うぜ。『祝ってもらう』んじゃなくて、俺たちが『祝いたい』からやるんだ」
「……祝い、たい?」
「ああ。俺たちとお前が出会って、そして今こうして一緒に居るっていう奇跡みたいな幸運は、元を辿れば17年前の今日始まったってことだろ。
だから俺たちにとっても今日は『特別な日』。つまりは、そういうお祝いなのさ」
――……そうね、この悠久の時の流れの中で、私たちが出会えたことは正に“奇跡”。それとも、“運命”と呼ぶべきかしら。
そして、その最たる奇跡は、きっと――
「――先輩も」
「ん?」
「……先輩も、私と出会えたこと……幸運と思ってくれているのかしら」
「当たり前だろ。寧ろ、今お前とこうして一緒に居られるってことが――俺が生きてきた中で、一番の幸せと言ってもいいね」
思い切り照れた表情の中で、私を見つめる、真摯な瞳。
その言葉が、想いが――どんな祝い事よりも嬉しくて。
「……そ、そう。そういう事なら、今日は……“特別な日”ということにしてあげてもいいわ……。……私も、同じだから……」
消え入りそうな声で囁く。俯き加減なのは……こんなに熱く火照った顔、先輩には見せられないから。
恥ずかしさのあまりこの場から逃げ出したいくらいだけれど、ずっと繋がれたままのお互いの手がそれを許さない。
花弁を纏った春の風が、二人の間を擦り抜けていく。
「……黒猫。髪に桜の花弁が付いてる」
優しい先輩の声。――紡がれたのは、秘密の合図。
「……そ、それなら……仕方ないわね……。取って、貰えるかしら……」
先輩の顔を正面から見上げて、ゆっくりと目を伏せる。暖かい掌が、私の頬に触れて。
淡い桜色の風の中で――私たちはそっと、口唇を重ねた。
-END-(始まりの日)
その場に佇む、買い物袋を両手に提げた待ち合わせ相手は、片方の手を軽く持ち上げて私を出迎えてくれた。
「ごめんなさい、待たせてしまったかしら」
「いや、丁度いま着いたところだ。悪いな、わざわざ迎えに来て貰って」
「……別に。沙織に言われたからよ」
今日は私の家の近くの公園で、『お花見』と称したお茶会が催されることになっていた。
――お花見、と言っても、もうこの時期は桜の花も大分散り始めているのだけれど。
私が「どうせならもっと早くの週末とかにしたらどうなの」と提案しても、「その日じゃないとあたしの予定が空いてないのっ」と我侭を言う女がいて。
結局この日になってしまったというわけ。
そして当日。つまり今日ね。
準備を始めるや否や、沙織が口元をωにしてこんなことを言い出した。
――「黒猫氏。そろそろ飲み物買出し担当の京介氏が到着する頃合、お一人では大変でしょうしお迎えに行って貰えませぬか? ニン」
……何と言うか、誰も彼も、言動が逐一わざとらしいのよ。全く、揃いも揃ってお節介といったらないわね……――。
「そういうわけだから、先輩。その荷物、片方持たせて頂戴」
「ん。いや、別にそんなに重くないし大丈夫だぜ?」
「いいから、寄越しなさい。……先輩には、“別に持ってもらうもの”があるから」
そういうことなら、といった感じで、先輩は左手に持つ見た目にも軽そうなほうの袋を私に手渡してくる。
受け取った袋を左手に提げた私は、おずおずと先輩の傍らに並んで、隣に立つその顔を上目遣いに見ると。
「で、何を持つんだ? まだ何か買っていくものあったっけか」
間の抜けた、いつもの先輩の顔が私を覗き返す。
……予想通りといえば予想通りの反応だけれど……、相変わらず気が利かないわね、この野暮天は。
いつになったら“精神感応《テレパス》”の能力を覚醒させるのかしら。そんなことでこの私の眷属が務まると思っているのかしらね。
「……何でもないわ」
半分は残念、もう半分は不機嫌なニュアンス。
ぷい、と顔を背け、そのまま早足で歩き出そうとすると。
「――っと」
不意に先輩が私の右手を掴み、引き戻す。
吃驚して思わず振り返ると、先輩は照れくさそうに視線を逸らして。
「せ、折角だし、少し遠回りして行こうぜ。始まる時間にはまだ余裕あるし、な」
そう言って、掴んだ手をそのまま私の右の掌へと重ね、優しく握ってくれた。
「…………莫迦」
ちょっと拗ねたふうに呟いて、顔を伏せる。少し頬が熱いのは、きっと今日の温かな日差しのせい。
そうして、繋がった影はゆっくりと歩き出した。
☆
公園の近くにある桜の並木道に差し掛かると、春風に舞い散る桜の花弁が私たちを包み込んでくる。
「桜、大分散ってきたな。ついこの間まで綺麗に満開だったんだが」
「……私はどちらかと言えば、満開の桜よりも、こうして散る花弁を見る方が性に合っているわね」
「花は散り際こそ美しい、ってやつか?」
「それもあるけれど。……フッ、この桜が舞い散る光景は、千葉(センヨウ)が降り積もるさまに良く似ているでしょう?」
「……そ、そうだな」
「さっぱり分からん」という台詞を表情にしたような苦笑いで返される。――ふ、先輩も、この私の纏綿たる情緒を理解するにはまだまだのようね。
そんなやり取りの中、隣を歩く呆けた顔を仰ぎ見ていると、ふと、先輩の頭の上に数枚の花弁が積もっているのに気付く。
「くす、先輩、頭がお花畑になっているわよ?」
「ん? ……あー」
払おうとしたようだけれど、生憎と両手が塞がっているのでままならない様子。ふふっ、全く、仕方がないわね。
「私が払ってあげるわ。少し屈んで貰えるかしら」
「……頼む」
先輩は立ち止まって、私と目線の高さが合うくらいまで腰を沈めてくれた。
荷物を下ろし、ぽんぽん、と数枚の花弁を軽く振り払ったところで、お互いの視線が交差する。
それは、あと半歩も詰めれば、唇と唇が簡単に触れ合ってしまいそうな。
――二人の顔が至近にあることを今更ながら認識してしまい、慌てて距離を開ける。
「は、はい。取れたわよ」
「サンキュ。……ってか、そんなあからさまに逃げることないだろ」
「べっ、別に逃げたわけじゃないわ。……こ、こんな人目のある場所で……周りから『バカップルめ、リア充爆発しろ』とか思われたら困るでしょう」
そう言いつつも、さっきから公衆の面前で思いっきり手を繋いで歩いている時点で、既に手遅れな気がしないでもないけれど……。
「いいじゃないか。誕生日くらい大目に見ても」
「たっ……。い、いいわけないでしょうっ。どういう理屈よっ」
先輩が、今の今まで努めて意識しないようにしていた単語をさらっと口の端に乗せてくる。
……クッ、空気を読みなさい、空気をっ。
何の為にその単語を意識の彼方に追いやっていたと思っているの。はっきり言って、お誕生会とか慣れてないから緊張しているのよっ。
し、仕方ないでしょう。……今まで“祝う”より“呪う”ほうがずっと多かったのだから……。
「……大体、誕生日なんて一生涯に於ける単なる節目に過ぎないわ。
私自身が何か変わるわけでもなし、わざわざ祝ってもらう程の事ではないと思うのだけれど」
「まあ、実にお前らしい物言いだが……。だから桐乃や沙織も、今日は『お花見』ってことで集まったんだろ?」
……ふん、だからそんなことはとっくにお見通しよ。“邪眼”の力を舐めないで頂戴。
「それに、その『節目』ってのにだって意味はあるぜ? 歳を取れば、出来ることも増えるしな。
と言っても17歳じゃ大して……ああ、女子なら結婚出来るか」
「け、けっ……」
「あ、いや、例えだ例え!」
唐突に飛び出したその例えに、思いがけず動揺してしまう私と、慌てた様子で取り繕う先輩。
そういえば、先輩ももう結婚出来る年齢よね…………って、私は一体何を想像しているのっ?
「あー、こほん。――あと、『祝ってもらう』ってのはちょっと違うぜ。『祝ってもらう』んじゃなくて、俺たちが『祝いたい』からやるんだ」
「……祝い、たい?」
「ああ。俺たちとお前が出会って、そして今こうして一緒に居るっていう奇跡みたいな幸運は、元を辿れば17年前の今日始まったってことだろ。
だから俺たちにとっても今日は『特別な日』。つまりは、そういうお祝いなのさ」
――……そうね、この悠久の時の流れの中で、私たちが出会えたことは正に“奇跡”。それとも、“運命”と呼ぶべきかしら。
そして、その最たる奇跡は、きっと――
「――先輩も」
「ん?」
「……先輩も、私と出会えたこと……幸運と思ってくれているのかしら」
「当たり前だろ。寧ろ、今お前とこうして一緒に居られるってことが――俺が生きてきた中で、一番の幸せと言ってもいいね」
思い切り照れた表情の中で、私を見つめる、真摯な瞳。
その言葉が、想いが――どんな祝い事よりも嬉しくて。
「……そ、そう。そういう事なら、今日は……“特別な日”ということにしてあげてもいいわ……。……私も、同じだから……」
消え入りそうな声で囁く。俯き加減なのは……こんなに熱く火照った顔、先輩には見せられないから。
恥ずかしさのあまりこの場から逃げ出したいくらいだけれど、ずっと繋がれたままのお互いの手がそれを許さない。
花弁を纏った春の風が、二人の間を擦り抜けていく。
「……黒猫。髪に桜の花弁が付いてる」
優しい先輩の声。――紡がれたのは、秘密の合図。
「……そ、それなら……仕方ないわね……。取って、貰えるかしら……」
先輩の顔を正面から見上げて、ゆっくりと目を伏せる。暖かい掌が、私の頬に触れて。
淡い桜色の風の中で――私たちはそっと、口唇を重ねた。
-END-(始まりの日)