2ch黒猫スレまとめwiki

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fuya

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だれでも歓迎! 編集

          ☆

 その後すぐ日向が買い物から帰ってきて。
 黒猫がシャワーから上がって、珠希ちゃんを起こして、今度は日向がシャワーを使って。
 三姉妹揃ってのお出掛けともなると、支度をするのにもてんやわんやだ。

 三人が挙って客間に閉じ籠もって何やら始めてから、俺はざっとシャワーを浴び、外出着に着替える。
 だが、すっかり俺の準備が整っても、三人は一向に出てくる気配がない。
 ……黒猫一人でも身支度に時間が掛かるほうだが、三人となるとそれも相当だな……。

 暇潰しがてら、これから行く予定のお祭りのチラシに目を通す。
 割と規模の大きいお祭りで、出店も多く、夜には花火大会がある。
 かなりの人出になりそうだ。皆と逸れないように気を配らないと……特に日向は目を離すと危なっかしいからな。

 それからしばらくして、漸く天岩戸は開かれる。

「……お、お待たせ。兄さん」

 その声に、やっとお出ましかと顔を向けると。

 ――そこには。

 三者三様の雅やかな浴衣を纏った、三姉妹の艶姿があった。

「…………おぉ」

 完全にその光景に意識を奪われてしまい、それ以上の言葉が出てこない。

「ど、どうかな。キョウ兄ぃ」

 日向の着る浴衣は、涼しげな檸檬色。
 髪型はいつものお下げ髪だが、結び目に浴衣と同じ色のリボンを付けている。
 服装に合わせてリボンを替えるのが、日向なりのお洒落なんだろう。
 天真爛漫な雰囲気の日向には、その明るい色の浴衣はよく似合っていた。

「どうでしょう、兄さま?」

 その場でくるっと一回転する珠希ちゃんは、淡いピンク色の浴衣。
 髪の片側にはお約束の薔薇の花飾り。もう黒猫のお株を奪うトレードマークになりつつあるな。
 その体型も相まって、愛らしさと艶っぽさが入り混じったアンバランスな魅力を醸し出している。

「……似合う……かしら?」

 気恥ずかしそうに佇む黒猫の浴衣は……見覚えのある、その名の通り瑠璃色の浴衣だった。
 暖色系の浴衣を着た妹たちと並ぶと、一際落ち着いた雰囲気だ。
 長い黒髪を纏め上げ、襟元から白いうなじが垣間見える。
 そのせいか、普段より幾分か大人びて見えて……少しどきっとさせられた。

「あ、ああ……、よく似合ってるよ。三人とも」

 ようやく口に出せたのは、そんなありきたりな褒め言葉。
 我ながらもっと気の利いたことが言えないものかと思うが、それでも三人は頬を染め、嬉しそうに微笑んでくれた。

「随分着替えに時間が掛かるなとは思ったが……なるほど、こういうことか」
「ええ。浴衣なんて初めてだったから。……フッ、でもこれで私は理論上浴衣の着付けの達人よ」
「「「…………」」」

 理論上の達人が当てにならないことはここにいる誰もが周知の事実なので、あえて誰も突っ込まなかった。

 それにしても、浴衣を着た女の子って普段より一段と可愛く見えるよなぁ。
 華やかで、優雅で。それでいて、どことなく色っぽくて。肌の露出とか全然ないのにな。

 そんな考えを巡らせていると、ふと前からずっと気になっていたことを思い出した。

「そういえば、ひとつ重要なことを確認しておきたいんだが」
「重要なこと? ……何かしら」

 俺はキリッと表情を引き締める。
 それは、これが事の本質を見極める上で非常に大切な問題であるという証拠だ。

「…………絶対にろくなことを考えていない気がするわ。兄さんがそういう顔をするときは」
「失敬な」

 一呼吸置き、俺は予てからの壮大な疑問を口にした。

「浴衣って、下着着けないの?」

「………………」
「っな、なな……!」
「もう、兄さまったら……♥」

 黒猫に冷たい視線を浴びせられ、日向はわなわなと動揺し、珠希ちゃんはくすくすと悪戯っぽく笑う。
 何ていうか、実にこいつららしい三者三様のリアクションを返された。

 ……ってか、男子なら当然の疑問だよな!?
 あ、いや、決して疚しい気持ちで訊いているわけじゃないぞ!?
 妹たちの状態を把握しておくのも兄の務めというか、何かあったときに対処できないと困るというかだな……っ!

「……はぁ……そんなことだと思ったわ。……着けているに決まっているでしょう」
「そ、そそ、そーだよっ。着てるに決まってるじゃん! キョウ兄ぃのエッチっ!」

 やれやれといった風の黒猫とは対照的に、やけに慌てた様子の日向だったりする。
 分かりやすいというか、隠し事ができない性質というか……こういうときのこいつは、大抵何かあるんだよな。

 ……まさかとは思うが……。

「そんなこと言って。お姉ちゃん、最初パンツまで全部脱いでいたじゃないですか」
「うわーーッ! うわーーーッ!!」

 ……やっぱりか。
 大声で珠希ちゃんの台詞を遮ろうとするが、時既に遅し。

「日向、お前…………ぱんつ穿いてないの?」
「はっ、穿いてるから!! さ、最初はその……和服のときは“着けない”って聞いてたからさっ……」

 顔を真っ赤にしてしどろもどろに弁明する日向。
 まあ、今回ばかりはそんな日向のお陰で俺の面目は保たれたわけだが。

「ホラ、そういう認識の人もいるってお前自身が証明してるじゃん。別に俺がエッチなわけじゃないだろ?」
「う、うぐっ……」

 痛いところを突かれたように、言葉を詰まらせる。
 だが、他の二人の姉妹はと言えば。

「……日向はともかく、兄さんが言うとセクハラにしか聞こえないのよ」
「日頃からエッチことばかり考えているからですよね」
「ははは、何か俺という人間を誤解してないかい、君たち?」

 爽やかに諭しても、妹たちは呆れ顔のまま。
 どうやら、面目が保たれたと思ったのは気のせいだったようだ。
 ……がっくりと肩を落とす俺だった。

 すると、そんな俺を慰めるように珠希ちゃんが声を掛けてくる。

「そんなに気を落とさないでください。兄さまがエッチなのは事実ですけど、半分は的を射ているんですから」

 ……『半分』? どういうことだ?
 とりあえず、事実云々の部分は華麗にスルーしておく。

「パンツは穿いてますけど、ブラは着けてませんよ?」
「…………なん……だと……?」

 珠希ちゃんから、再びの暴露発言。

 俺はクワッと双眸を見開き、三姉妹の胸部を凝視する。
 最早セクハラを通り越して変態の域に達している気がするが、兄妹なのでギリギリセーフ。だよな?

「お、お前ら……、の、のーぶ……?」
「どっ、どどどこ見てるんだよキョウ兄ぃっ!」

 俺の視線に気付いた日向が慌てて両腕で胸を隠す。
 見れば黒猫も同じ格好で後ろを向き、真っ赤な顔で俺を睨んでいる。
 ひとり珠希ちゃんだけが気にも留めずにぽやーんと立っていた。

「ごっ、誤解のないように言っておくけれど……、何も着けていないわけではなくて、胸はさらしを巻いているのよっ」
「さらし……? さらしって、あの包帯ぐるぐる巻きみたいな、アレ?」
「そ、そうよ」

 ほう。
 あれって極道の姐さんとか、男装の麗人とかの御用達だと思っていたが。

「和服を着るときは、なるべく体の凹凸を抑えたほうが見栄えもいいし、着崩れもおきにくいのよ」

 自称着付けの達人さんが、どこかのHPの丸暗記のような説明を口にする。

「その為の『和装用ブラ』なんていうのもあるみたいですけど、わざわざ買うのも勿体無いですし」
「それでさらしをグルグル巻いて補正してるってワケ」

 なるほどな。
 見栄えに拘るというか、見えないところも手を抜かないのはコスプレイヤーとしての習性かね。
 日向はコスプレはしないけど、姉妹のそういう姿を日常的に見てれば嫌でも知識は身に付くだろうし。

「でも、それなら別に恥ずかしがることないじゃん」
「キョウ兄ぃの目がエッチっぽかったからだよっ!」

 そうかなー。
 単に兄として心配しただけなんだがなぁ。
 だって、可愛い妹たちのぽっちが見えちゃってたりしたら大変だろ?

 なんて、口に出しては言わないけどね。本気で目を潰されそうだから。

「さらしなんて巻いてもらったの初めてで……結構苦しいものなんですね。浴衣ってもっと気楽なお召し物だと思ってました」
「あー、珠ちゃんは無駄におっきいから、思いっきりきつく巻いてあげたからねっ」
「む、無駄……? ……ふっ、お姉ちゃんはいいですよね。大して苦しくなさそうで」
「あ、あたしだって苦しいって! しょーがないじゃん、あんまり出っ張ってないほうがいいって言うんだから!」
「………………」

 ……俺の数ある特殊能力のひとつ、〝負の想念〟を感知する能力が、急速に増大していく〝それ〟を感じ取った。
 探すまでもない。それは、この話題に入れない長女のほうから発せられている。
 この世の全てを呪わんばかりの強大な怨念だ。や、やっぱり結構気にしているんだな……っ!

 日向も珠希ちゃんも、当人に悪気は全く無いんだろうが、ここでその話題は〝禁忌(タブー)〟だろ!
 間違っても「そもそもさらしも必要ない人は」とか口走るなよ? その命が惜しかったら!

「さ、さて! 準備もできたみたいだし、そろそろ出掛けようぜっ?」
「……そうね。花火が始まる前に、ゆっくり見て回る時間が無くなってしまうわ」
「うんっ、早く行こー! 出店、どんなのがあるかな~♪」
「お姉ちゃん。はしゃぐのはいいですけど、無駄遣いは駄目ですよ?」

 ふぅ。俺のナイスフォローによって、とりあえず世界滅亡の危機は去ったようだ。
 そんな気苦労も知らず、三姉妹は和気藹々と玄関へ向かっていった。

 やれやれ、寿命が縮まったぜ。
 ……これだから、こいつらは放っておけないんだよ。

          ☆

 そうして祭りに出掛けた俺たちは、花火が始まるまでの間、出店を巡って時間を潰した。

 金魚すくいでは、日向がまさに獲物を狙う猫のような俊敏さを発揮して、店の金魚を一掃する勢いだった。
 運動神経だと、こいつは姉妹の中では飛び抜けているからな。
 まあ結局、そんなに大量の金魚は家では飼えないので、最後には全部お店の人に返したが。

 射的では、黒猫も然ることながら、珠希ちゃんの射撃の腕前が凄かった。
 どうやっても動きそうにないでかいぬいぐるみを、要所要所に的確に弾丸を撃ち込んであっさりと落としてしまったのだ。
 ただ、最後の一発のときに仰々しいポーズを取って「ティロ何とか!」とか叫ぶのは恥ずかしいから止めてほしい。

 型抜きでは、やっぱり黒猫の手先の器用さが際立ってたな。
 珠希ちゃんの腕も黒猫に負けず劣らずだったが、今回はスピードの面で黒猫に軍配が上がった。
 俺と日向? ……開始10秒で割れたよ。くすん。

 と、まあ。
 多少お金はかかるが、折角遊びに来たんだし。
 こういうときくらいは気兼ねなく思いっきり楽しまないとな。

 そうして、一通り出店を堪能した俺たちは、大通りから少し離れたベンチで一休みすることにした。

「ふー、いろいろやったらお腹空いたねー。何か食べようよ~」

 日向が、ヨーヨー釣りで釣り上げた水風船を片手でぽんぽんしながらそんな提案をする。

「わたあめならありますよ?」

 メルルのキャラが描かれたわたあめの袋を見せる珠希ちゃん。

「それよりも、もうちょっとお腹に貯まるものが食べたいわね」

 ベンチに腰を落ち着ける黒猫の頭には、マスケラのお面。
 三人とも、それぞれの戦利品にご満悦の様子。
 楽しそうなこいつらを見ていると、こうして出掛けてきた甲斐もあるってもんだ。

 にしても、そうだな。花火が始まる前に腹ごしらえしておくか。

「んじゃ、たこ焼きでも買って来るわ」

 ちょうど食べたいと思ってたとこだったしな。お祭りとくればたこ焼きだろ、やっぱり。
 妹たちをベンチに待たせて、俺は食料の調達に向かった。

 出店が立ち並ぶ大通りは相変わらずの人ごみだが、それでもさっきまでよりは多少人影も減っているようにも見える。
 花火の開始時間が近くなってきて、皆そちらの会場に移動しつつあるのだろう。
 俺たちも、一息ついたら早いとこそっちに向かわないとな。いい場所が埋まっちまうぜ。

 ……だが、何故だろう。
 花火の時間が迫るにつれ、俺の心の中に言い様のない、もやもやとした気持ちが湧き起こっている。
 黒猫も、日向も、珠希ちゃんもお祭りを楽しんでいるし、俺だって楽しい。その筈なのに。

 俺はぶんぶんと頭を振り、その良く分からない気持ちを払拭する。
 折角のお祭りだ。深刻に考えていても仕方ない。
 今は、お腹を空かせている子猫たちに、早くご飯を届けてあげないとな。

 程なくして目的の物を手に入れた俺は、小走りで妹たちの元へと戻るのだった。


「――お待ちどう。買ってきたぜ」
「お疲れさま。はい、どうぞ。兄さん」

 買ってきたたこ焼きのパックを黒猫に預けると、それと引き換えのように紙コップを手渡される。
 中には、よく冷えた麦茶が注がれていた。

「お、サンキュ。飲み物持ってきてたのか」

 見ると、黒猫の座るベンチの傍らに水筒が置かれている。
 俺以外の三人には既に麦茶は行き渡っているようだった。
 さすが、五更家自慢の長女は気が利くぜ。

 俺はそれをぐいっと一気に呷り、渇いた喉を潤す。
 もう一杯頂こうかと、水筒に手を伸ばすと。
 爪楊枝に刺したたこ焼きをふーふーしていた黒猫が、何故かこっちをじーっと見つめているのに気付いた。

「ん。……あぁ、熱いかも知れないから気をつけろよ?」

 こいつ猫舌だからなー。黒猫だけに。

「……そ、それなら……兄さんが先に食べて確かめて貰えるかしら……っ?」

 そう言って、黒猫はたこ焼きを刺した爪楊枝を俺の顔の方へ差し向ける。

 へ? ……こ、これはもしかして……それを「あーん」して食べろってことかっ?

「よ、楊枝が2本しか入っていなかったのよ……。だから、は、早くして頂戴」

 顔を真っ赤にして、楊枝を持つ手はぷるぷる震えている。
 何とも可愛らしい光景だが、あまりこのままにしておくと、刺さったたこ焼きが地面に落下しそうだ。

「そ、それじゃ……、はむっ」

 俺は差し出されたたこ焼きを頬張り、はふはふと咀嚼する。

「……どう、かしら?」
「うん、旨い。ちょうど食べ頃じゃねえかな」
「そう。……ふふっ」

 目を細め、嬉しそうに微笑む黒猫。なんか、ここだけ見ればちょっとデートっぽくて照れくさい。
 ……が。

「あーっ! ルリ姉、ズルいっ!」
「さ、流石ですね。姉さま……」

 ……こいつらがいるんだった。

「ず、ずるくないわよ。さっきも言ったけれど、爪楊枝が2本しかないのだから。皆で一緒に使うしかないでしょう」
「みんなで一緒……? にゅふっ、それじゃー次はあたしの番だねっ! ……って、もう楊枝がないっ!?」
「はい、兄さま。あーん♥」
「た、珠ちゃんっ、いつの間に!? ってか、順番的に次にキョウ兄ぃに食べさせてあげるのはあたしでしょーっ!」
「ふっ。そんなの、早い者勝ちに決まってるじゃないですか」
「き、キョウ兄ぃだってそんなに一遍に食べられないって!」
「平気ですよね、兄さま? さ、お口を開けてください」
「わ、分かったからお前ら少し落ち着けっ!」

 ……結局、3個連続で熱々のたこ焼きを食べさせられる羽目になった。

 どうしてこう、この姉妹は妙なところで張り合うんだ……。
 歳が近い姉妹ってのは、どこもこういうもんなのかね?

          ☆

 ――そうして、花火大会が始まった。

 会場の河川敷に移動した俺たちは、河原の土手の一角で人ごみに混ざる。
 立ち見になるが、ポジションとしては悪くはない。
 日向と珠希ちゃんを前にして、その後方に俺と黒猫が並ぶ格好だ。

 ――ぱぁん。――ぱぁん。

 漆黒の夜空に咲く色とりどりの炎の花に、黒猫も、日向も、珠希ちゃんも目を奪われている。
 だが、先程から俺の目に映るのは……そんな花火の光に照り返る、傍らに佇む恋人の横顔だった。

 それは、本当に綺麗で。
 今日一日、本当に楽しくて。
 でも、湧き上がるこの気持ちは――

 ――足元が消えてしまうような不安と、暗闇に取り残されたような焦燥――?

「……えっ、き、京介っ?」

 気付けば、俺は黒猫の手を引いて人ごみを抜け出ていた。
 そのまま早足でぐいぐいと黒猫を引っ張って歩いていく。
 背後で黒猫が何度か言葉をかけてきたが、このときの俺の耳には全く届いていなかった。


 ただひたすらに歩き辿り着いた先は、すっかり人気(ひとけ)の無くなった神社の境内だった。
 特別に意識してここを目指したわけじゃない。ただ、人の居ないほうへと進んできただけ。
 そこで漸く歩みを止め、手を引いてきた黒猫のほうへ向き直る。

「……突然、一体どうしたのよ……京介……?」

 俺の早足は、黒猫にとっては小走りに近かったのだろう。少し息を荒げて、小さな肩を上下させている。
 そして、乱暴に引いてきたせいか、折角綺麗に纏めていた髪が解け、知らぬ内にいつもの髪型に戻っていた。

 月明かりに照らされる、瑠璃色の浴衣。そして、黒猫の長い艶やかな黒髪。
 その姿が、俺の記憶にフラッシュバックして――

「……京介……、……泣いているの……?」

 黒猫にそう言われて、俺は自分の目から涙が零れていることに気付いた。
 そのまま、全身の力が抜けたかのように膝を折る。
 ただ、黒猫を引いてきた手だけは、ずっと握ったままに。

 黒猫は唯々心配そうに、一緒になって屈み込み、ハンカチを取り出して俺の目元を拭ってくれた。
 そんな黒猫の慈しむような優しさに、俺の感情は堰を切って溢れ出す。

「…………かないで、くれ……」
「……えっ?」
「……何処にも……行かないでくれ……っ。俺を、一人にしないでくれ……頼むから……っ」

 脳裏に甦る、あの日の〝儀式〟。
 ――『先輩と、別れる。』
 そのたった一文が、俺たちの心に深い傷を刻み込んだ。
 夜空に咲いて散る花火のように。月に攫われるかぐや姫のように。
 夏の夜に忽然と消えてしまった、俺の“恋人”――。

 確かに、それで全てが終わってしまったわけではない。
 長い道程は、まだ続いている。〝呪い〟は未だ、解かれていない。
 そうやって俺は、仮初の免罪符を得て、納得したふりをして、その傷を心の奥に封印していた。

 だが、その封印が一度解かれてしまえば――こんなにも弱い、こんなにも脆い俺の本性が曝ける。
 怖かった。再びあの一文を見せられるんじゃないかと。
 怖かった。また俺の目の前から黒猫が消えるんじゃないかと。

 そして思い知った。俺の心はもう二度と――“黒猫を失うことに耐えられない”と。


 ――俺にとって、いつしか黒猫はこんなにもかけがえのない存在になっていたのだ。


 握った手に力がこもる。それを離すまいとするかのように。
 もう決して、攫われないように。

「…………怖い、夢を見たのね」

 そう言って黒猫はそっと俺の頭を抱き、そのまま自分の胸元に埋めた。
 黒猫の温もりと、少し高鳴った鼓動が、直に俺に伝わってくる。
 穏やかで、暖かい抱擁だった。

「莫迦ね。……何処にも行く筈がないでしょう。私たちはずっと一緒だったのだから。今までも、……これからも」

 そして、握られていないほうの手で、俺の髪を優しく撫でてくれた。
 まるで、幼子をあやすように。

 実際、今の俺は駄々を捏ねて泣く子供と一緒だ。
 本当に情けない。これじゃ、へたれと言われても仕方ないよな……。

「京介は一人になんかならないわ。私が、いつまでも……例え来世までも……ずっと傍に居るから」

 そんな俺を、黒猫は見捨てずにいてくれるだろうか。

「それに、日向や珠希も。あの子たちが、京介から離れるわけないでしょう?」

 こんな俺を、日向や珠希ちゃんは頼ってくれるのだろうか。

「それでも、まだ不安だって言うのなら……」

 黒猫は抱えた俺の頭を静かに離し、俺と目線を合わせる。
 俺の頬に添えられた黒猫の掌が、とても温かかった。

「――――〝証〟を……あげるわ」

 そう言って、黒猫は潤んだ瞳をそっと閉じる。
 月明かりに照らされる長いまつげと、桜色に紅潮した頬。
 その可憐な唇が、ゆっくりと俺に近づいて――


 pipipi♪――pipipi♪――!

「「――――っ!?」」

 刹那、静寂を破る電子音に、触れ合う寸前の俺と黒猫は驚きのあまり反射的に飛び退った!

 ――な、何だよ! こんないい場面でっ!!


 落ち着いて探ってみると、その音は俺の懐から発せられているようだった。
 ……くっ、何だ、ケータイかよ。ビックリさせやがって……。

 ケータイを取り出し、ディスプレイに表示されている着信相手を見る。

 『日向』

「……げ」

 しまった。気が動転していて、あいつらに黙って黒猫を連れて姿を消してしまったんだった。
 ど……どうする。何て説明すれば……?

「……貸して。私が出るわ」

 当惑する俺からケータイを取り上げ、黒猫はその通話ボタンを押す。

『キョウ兄ぃっ! ナニ勝手にどっか行っちゃってくれてんのっ!? 今ドコっ!?』

 きーん。
 スピーカーに耳を当てなくても、日向の大声は俺の耳にもしっかりと響いてきた。
 黒猫も予想していたのだろう。最初からケータイを耳には添えず、顔の正面に構えたまま話し出す。

「……少し落ち着きなさい、日向」
『あれ……ルリ姉っ? や、やっぱりキョウ兄ぃと一緒だったんだっ!? ふ、ふふたりで一体ドコでナニを……っ!?』
『兄さまと姉さま、ご一緒なんですかっ? お姉ちゃん、ちょっと私にもお話させてくださいっ!』
『ちょっ、ケータイ引っ張んないでってば! 今あたしが話してるんだから!』

 ……何だかえらい騒ぎになっていた。

「べ、別に何もないわ。……私がお花を摘みに行くのに、一人じゃ不安だったから兄さんに付き添って貰っただけよ」
『な、なんだ、そーいうこと……。って、ちゃんと言ってってくれないとさ、急に居なくなってたらビックリするじゃん!』
「それは……悪かったわ。あなたたち、花火に夢中になっていたから、水を差してはいけないと思って」

 黒猫の機転に救われながらも、流石に自己嫌悪せずにはいられない。
 あいつらに心配をかけたばかりか、黒猫に嘘まで吐かせてしまった自分に。
 ……こんなんじゃ、兄貴失格だろ。
 後で、きちんと埋め合わせしないとな。

 俺は黒猫に「代わってくれ」と右掌を差し出す。

『どーしよ? どっかで待ち合わせする?』
「――いや、そっちに戻るよ。さっきの場所の近くに居てくれ」
『キョウ兄ぃ? ……うん、分かった。待ってるからね』
「……日向」
『ん?』
「……悪かったな。珠希ちゃんにも、そう伝えておいてくれ」
『――私たちなら大丈夫ですよ。でも、早く戻ってきてくださいね? お待ちしていますから』
『わっ、珠ちゃん! あたしのケータイっ!』

 ――pi。

 通話を終了し、ケータイを懐に仕舞う。

「黒猫も……悪かったな。変な気を遣わせちまって」
「別に、構わないわ。……いつも通りの京介に戻ってくれたみたいだから」

 そう言われて気付く。
 黒猫の優しさに触れ、日向や珠希ちゃんの心配する声を聞いて、俺の心の波紋はすっかり凪いでいた。
 今更ながら、自分のあまりの情けなさに顔から火が出そうだ。

「す、すまん……みっともないところを見せちまった」
「ふふっ、それこそ構わないわ。むしろ、ありのままの気持ちを私だけに見せてくれて、嬉しかったくらいよ」

 黒猫はそう言って頬を染め、本当に幸せそうな微笑を浮かべる。
 間近で見た、月明かりに照らされた“あの時の顔”も捨て難いが、やっぱり笑顔の黒猫が、俺にとっては一番愛おしかった。

「……そういえば、〝証〟……って……」

 そう言いかけた俺の言葉にびくっと反応し、黒猫はいそいそとこの場を立ち去ろうとする。

「ちょっ……」
「き、今日は残念ながら星の巡りが悪くて魔力が足りないようね。フッ、〝儀式〟はまた後日改めて執り行うことにするわ」

 やけに芝居がかった例の調子で意味不明の言い訳をする黒猫。
 どうやらタイミングを逃して、すっかり照れてしまったようだった。

「……後日また、してくれんの?」
「な……何を期待しているのよっ、莫迦。べっ、別に『する』と決めているわけではないのよ……っ?」

 虚勢を張って切り返すその顔は、もう耳まで真っ赤だ。
 ああもう、本当に純情で可愛いなぁ、俺の恋人は。

「な、何をにやにやしているのよ……。全く、は、破廉恥な雄ね」

 どんな破廉恥なことをするつもりだったのかじっくり聞いてみたい気もするが、これ以上苛めるのも可哀相だ。
 俺は黒猫に歩み寄り、そっとその手を握った。
 さっきとは違い、優しく、慈しむように。

「ひゃ。……き、京介?」
「人ごみが流れてるから、逸れないように、な。……んじゃ、戻るとするか」
「…………そうね……ふふっ」

 そう言って、黒猫も俺の手を柔らかく握り返してくる。
 どちらからともなく、その指が絡まる。それはまるで、二人の想いを確かに繋ぎ合わせるかのように。

 俺たちはお互いに微笑み合い、ゆっくりと歩き出した。


 淡い明かりが、繋がった二人の影を作る。
 今夜の月は、瑠璃色のかぐや姫を、いつまでも攫うことは無かった。



 -END-(if・俺の妹猫がこんなに可愛いわけがないⅡ)

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