これは、とある休日の出来事。
「ふー! 今日もいい買い物したァ~!」
「……よくもまぁ、これだけ湯水の如く散財出来るものね。感心を通り越して呆れるわ」
何時ものように秋葉原で買い物を済ませた私たちは、家路の途中で高坂邸で小休止することになった。
残念ながら、沙織は次の予定があるようで、駅でそのまま別れたけれど。家が遠いというのも中々不便なものね。
「『迷ったら買う!』がアタシのポリシーなの! あんたなんか、あんだけ色々悩んで結局ほとんど買わなかったじゃん!」
辿り着いた高坂邸には誰も居なかった。先輩も、残念ながら外出しているようだ。
……別に期待していたわけでは無いわ。仲裁役が居ないと、この女との会話は疲れるから厭なだけよ。
最近はそれでも、二人になったら即喧嘩、のような事は殆ど無い。……フッ、私も、随分この女の扱いに慣れたものだわ。
「私にとっては、欲しい物をじっくりと吟味している時間こそが買い物の醍醐味なのよ。……ところで、あなた」
――話の腰を折って、私は先程から気になっていた疑問を口にしようとする。
それは、帰りの電車の中での事。
普段なら、買い込んだグッズを胸に抱いて終始気味悪くニヤニヤしているこの女が、ウトウトとうたた寝をしていたことだ。
……こういう表現をすると、普段のほうが余程アレな気がするけれど……、まぁとりあえず今は置いておきましょう。
「……最近はどうなのかしら? 読モとか、陸上とか」
「へ? アンタがそんなこと聞くなんて珍しいね? ――ん~、別に、いつも通りだよ? 昨日も練習のあと仕事だったし」
「……そう」
ふん、いつも通り、……ね。
勿論、これは言葉通りの意味なのだろう。本人にとっては何も特別な事ではない、ごく普通の日常。
部活も仕事も、趣味も、そしておそらくは勉強も……この女はいつも全力で、一縷の手抜きもしない。
それがこの女が“この女”たる所以。それは私にとって、疎ましくも煩わしくもあり、同時に羨望して止まない――
ただ、いくらこの女が超人的な“能力《スペック》”を誇ろうとも、所詮は人間風情の虚弱な身体。
例え万全の体調管理を施したとしても、疲労を全く蓄積しないなどという摂理は何処にもないのだ。
全く、今日の約束は私が発端だし、これで体調を崩した……なんて事になったら寝覚めが悪いどころの話ではないわよ。
「――ちょっとキッチンを借りていいかしら。それと、冷蔵庫の中の物を少し使わせて貰いたいのだけれど」
「ナニ、お腹空いたの~? しょーがないなァ、何か作るならあたしの分もね!」
「はいはい。少し待っていなさい」
そう言って、私は席を立つ。後ろ目に見ると、あの女は、今日買った同人誌の封を切って閲覧を始めたようだ。
相変わらず、欲望に忠実な女ね。……少しの溜息と共に、何故か自然と笑みが零れた。
キッチンに立った私は、まず冷蔵庫を開けて中を探ってみる。……とりあえず、必要な物は揃っているようね。
後は道具だけど……、これも、適当に扉や引き出しを開けると程なく見つけることが出来た。
それじゃ、手早くやってしまいましょう――
「はい、どうぞ」
私が作ったのは、甘い香りの漂うカスタード色の飲み物。
ゴブレットに注がれたそれを、あの女の目の前のテーブルに置く。
「え、もう出来たの? ……ナニこれ、プリン……じゃないよね」
「ミルクセーキ。卵黄と牛乳にお砂糖を加えて混ぜただけの簡単なものよ」
厳密に言えば、それに香り付けのバニラエッセンスと、隠し味のレモン汁を数滴。
この私が編み出した、黄金比率の調合。その味は、私の可愛い妹たちのお墨付きだ。
「あ~、なんか昔飲んだコトある! って、この上に乗ってるのは? 生クリーム? ウチにあったっけ」
「これはメレンゲよ。さっきのレシピだと卵白が余ってしまって勿体無いから。撹拌してトッピングにしたのよ」
「ふ~ん、よく分かんないケド。なんかカロリー高そォ~?」
……そう言えばこの女、飲食する時は結構カロリーを気にしていたわね。
ダイエットするようには見えないし、読モなんてやってる上での体型維持目的なんでしょうね。
運動だってしているのだから、そんなに気にすることはないと思うのだけど。
というか、そのプロポーションで何を贅沢言っているの。……久々に呪いたくなったわ。一服盛っておくべきだったかしら。
「……いいから、つべこべ言わずに飲みなさい」
「ハイハイ。んじゃ、いただきます、っと。……んぐんぐ」
文句を言っていた割には、一気にグラスの半分ほど飲んでしまう。
喉が渇いていたのかしら。全く、外見ばかり大人びて、こういうところは本当に子供と変わらないわね。
「ぷは~! 何コレ、甘~い! ッてか美味しい! ちょっとコレ、どっかで買ってきたやつじゃないの!?」
「そ、そう。……べ、別に、こんなもの誰でも作れるわよ。混ぜるだけだし」
「ふ~ん、牛乳と卵と、あと砂糖だっけ……んぐんぐ」
意外と素直な反応に、頬が勝手に赤くなってしまう。……何か少し、妹たちの反応に似ていて、くすぐったい。
――程なくして、グラスはすっかり空になってしまった。
「ふ~、ごちそうさまっ! 生き返った~」
「お粗末さま。……それじゃ、ちょっと後ろを向いて貰えるかしら」
そう言って、あの女の座るソファーの隣に腰を下ろす。――ここからは、“第二段階”といったところね。
「ん? 今度はナニしようっての」
「いいから、こっちに背中を向けなさい」
訝しげに、体を90度捻ってこちらに背後を見せる。いつも薄着なものだから、背中のラインがよく分かる。
同じ女性の目線で見ても、見惚れてしまうほどの滑らかな曲線。
……全く、これでカロリーとか気にするのだから、モデルというのは因果な職業ね。
「体を楽にして。……ちょっと失礼するわね」
「え――きゃぅっ!?」
っな、何て声を出すのよっ、吃驚するじゃない。……後ろからちょっと首筋に手を置いただけなのに。
不意を突かれたせいか、妙に艶っぽい奇声だったわ……もしかして、ここが所謂“弱点”だったりするのかしら?
「な、ナニすんのよ……!?」
あの女の戸惑う声。肩を竦め、体を抱きかかえるような仕草。……な、何か変な想像をしているのではないでしょうね、この女。
百合の花を咲かせるとでも思っているのかしら。まぁ、創作活動の上で、その方面の表現を好んで使っていたことは認めるけれど……。
それは“虚構世界”での事であって、現世の私は“そっち”の趣味は無いのよ。……その辺りは、くれぐれも誤解しないで頂戴。
それは兎も角、妙に身構えられても困るし、ここは余計な警戒心は解いておくべきね――
「っふ、――あなたの“魔力”を吸収するのよ」
「…………ハァ?」
……今、『ナニ言ってんのコイツ? またいつもの始まったワケ? 頭大丈夫ゥ?』という思念波を受信した気がするわ。
警戒心を和らげるような言葉を模索していた筈が、つい無意識に一番格好いい台詞を選んでしまったわよ。
まあ、期せずしてあの女の緊張は解れたようだけれど、――今ひとつ釈然としないのは何故かしらね……。
ともあれ、これで当初の目的通り、あの女に置いた手をゆっくりと揺動させ始める。
最初は優しく、首の付け根から裾野へ押し広げるように。
「ん……、魔力、とか言って、……単なる、肩揉み、じゃん。……んっ」
「フッ、さあ、どうかしら。……それにしても、あなた……意外と凝っているわね」
「ま、まぁ、ね。アンタと違って、胸も、重いし……って、ぁイタっ!?」
……あら、つい力が入りすぎてしまったわ。何か余計な一言が聞こえた気がするけれど、気のせいかしらね。
「……口は災いの元よ? ふとした拍子に、私のこの手がうっかりあなたの首に掛かってしまうかもしれないわ」
「ほ、ホントのコトじゃん……って、イタタタ! 嘘ウソっ! 何でもないッ!」
「ふん、分かればいいのよ。……大人しくしていなさい」
お仕置きが効いたのか、それ以上の抵抗は無く、あの女はじっと私の施術を受け続けている。
良い感じね。少し親指に力を込めて、要所を刺激するような動作も加えて――
「ん……、あんた、なんか慣れてる、ん、……カンジ? 結構、うまいじゃん……んっ」
「親に、よくしてあげているわ。妹たちにも、たまに」
「妹ちゃん、かぁ……、いいなぁ、……羨まし……」
段々と、あの女の体から力が抜けていく。……もう一押し、かしら。
肩から、背骨へ、肩甲骨の辺りへと、ゆっくりと丹念に血流を巡らせていく。
――程なくして、あの女の頭が、かくん、と前方に落ちる。
手を止め、俯いたその顔をそっと覗き込んでみると。――眼を閉じ、緩んだ口元は静かな寝息を立てていた。
「ふ、……“堕ちた”わね」
フッ、他愛も無い。この私の手に掛かれば、人間風情を“無限の闇《アビス》”に堕とすことなど造作もないことよ。
――実のところ、これは、妹が愚図って中々寝付かないときによく使った手段だった。
妹たちの好物でもあるミルクセーキを作ってあげて、その後、小さな体を優しく撫でてあげていると、簡単に眠りにつく。
所詮、体ばかり無駄に育っても、この女の中身は私の妹たちと変わらない程度の精神構造、ということね。
ゆらゆらと微睡むあの女の体を、起こしてしまわないように気を付けながら、ゆっくりと後ろに倒す。
丁度、私の膝の上に頭を乗せる形で、そのたおやかな肢体はソファーに横になり、静かな寝息は安らかなそれへと変わる。
膝枕も、よく妹たちにしてあげるけれど……、やっぱり少し重いわね。このマル顔のせいかしら。
少し悪戯っぽく茶色の前髪を掻き分け、その寝顔を見つめる。
穏やかなその寝顔は、やはり“熾天使”と見紛う美しさで、その内には年相応の少女の可憐さがあって。
それでいて、子供のような愛らしさを見せる。――それは、私の可愛い妹たちに、負けないくらい。
……ふふ、あなたも、こうしていれば只の“可愛い妹”なのに、ね。
普段のあなたは、本当に憎らしくて、苛立たしくて、忌々しくて……、でも、それはきっと。
私の“心象世界”のあなたという存在、その存在が放つ輝きが、私の暗闇を否応無しに掻き消していくから。
自分で高みに掲げた目標に向かって走り続けるのは、実にあなたらしいけれど、……時には休んで貰わないと困るわ。
――だって、この私が追い付く“隙”が無くなってしまうもの。
膝の上で眠る、光を反射して金色に輝く髪を、優しく撫でる。その寝顔が、一瞬、甘えるように微笑み、うわ言を呟いた。
「……ん……、……お……にぃ、ちゃ…ん……」
おまけのエピローグ
それから数日後の朝の登校時。
「どうしたの、先輩? ……顔色が良く無いわよ」
「やっぱりそう見えるか……? 実は昨日、桐乃にドヤ顔で妙なものを飲まされてな……」
……妙なもの? あのブラコン女、怪しい通販で惚れ薬でも買ったのかしら。
「……大丈夫? 無理はしないほうが良いわよ。というか一体何を飲まされたの」
「何、と言われても……。昨日の晩、部屋で勉強してたら桐乃が何かコップで持ってきてな。
『アンタ、最近疲れてるでしょ? コレ飲んでいいよ! 効果抜群だから!』って」
『疲れてる』ときに『飲み物』? 何処かで聞いたシチュエーション……。
……ふん、……お見通しだった、というわけね。全く、これだからあの女は厭味だと言うのよ。
次に逢ったら、あの“うわ言”のことで弄ってやろうかしら。フッ、さぞ面白い痴態を演じてくれることでしょう。
……それにしても、何がどうなって先輩はこんな状態に……?
「……先輩、それって……ミルクセーキよね?」
「ミルクセーキ……? そう言えば見た目はそれっぽかったが……なんで分かるんだ?」
……まあ、当然の疑問ではあるわね。でも、あれは自分から公にするような事でもないし……。
「……先日、秋葉原に行った時に入った喫茶店で飲んで、それをあの女が大層気に入っていたのよ」
「なるほどな。それで桐乃のヤツ、見よう見まねで作って俺を実験台にしやがったのか……。
それにしたってアレは人間が飲める代物じゃなかったぜ……俺を殺す為に作った『化学兵器』としか思えん」
…………おかしいわね。確かに、正確なレシピを教えたわけではないけれど。
材料をただ混ぜるだけで、どうやったらそんな“劇毒物《ヴェノム》”が出来るのかしら……。
「そ、そう。大変だったわね……。……それで、それから何かされたりしたの?」
「いや、それからも何も……そのままトイレに駆け込んで、そこで一晩過ごす羽目に……」
どうやら、あの女の企ては早々に頓挫したようだった。……ご愁傷様。
稀にこういう気紛れを起こした時に限って、ことごとく裏目に出るのは何かの“呪い”なのかしらね……。
……はぁ、全く、仕方ないわね……、今度作るときはちゃんとしたレシピを教えてあげるわよ。
先輩がもう一度、口を付けてくれるかどうかは保証しないけれど。
それにしても、あの女。常々、多才だとは思っていたけれど。
もしかすると、稀代の“錬金術師《アルケミスト》”としての才能もあるのかも知れないわね――
-END-(黒猫レシピのミルクセーキ)
「ふー! 今日もいい買い物したァ~!」
「……よくもまぁ、これだけ湯水の如く散財出来るものね。感心を通り越して呆れるわ」
何時ものように秋葉原で買い物を済ませた私たちは、家路の途中で高坂邸で小休止することになった。
残念ながら、沙織は次の予定があるようで、駅でそのまま別れたけれど。家が遠いというのも中々不便なものね。
「『迷ったら買う!』がアタシのポリシーなの! あんたなんか、あんだけ色々悩んで結局ほとんど買わなかったじゃん!」
辿り着いた高坂邸には誰も居なかった。先輩も、残念ながら外出しているようだ。
……別に期待していたわけでは無いわ。仲裁役が居ないと、この女との会話は疲れるから厭なだけよ。
最近はそれでも、二人になったら即喧嘩、のような事は殆ど無い。……フッ、私も、随分この女の扱いに慣れたものだわ。
「私にとっては、欲しい物をじっくりと吟味している時間こそが買い物の醍醐味なのよ。……ところで、あなた」
――話の腰を折って、私は先程から気になっていた疑問を口にしようとする。
それは、帰りの電車の中での事。
普段なら、買い込んだグッズを胸に抱いて終始気味悪くニヤニヤしているこの女が、ウトウトとうたた寝をしていたことだ。
……こういう表現をすると、普段のほうが余程アレな気がするけれど……、まぁとりあえず今は置いておきましょう。
「……最近はどうなのかしら? 読モとか、陸上とか」
「へ? アンタがそんなこと聞くなんて珍しいね? ――ん~、別に、いつも通りだよ? 昨日も練習のあと仕事だったし」
「……そう」
ふん、いつも通り、……ね。
勿論、これは言葉通りの意味なのだろう。本人にとっては何も特別な事ではない、ごく普通の日常。
部活も仕事も、趣味も、そしておそらくは勉強も……この女はいつも全力で、一縷の手抜きもしない。
それがこの女が“この女”たる所以。それは私にとって、疎ましくも煩わしくもあり、同時に羨望して止まない――
ただ、いくらこの女が超人的な“能力《スペック》”を誇ろうとも、所詮は人間風情の虚弱な身体。
例え万全の体調管理を施したとしても、疲労を全く蓄積しないなどという摂理は何処にもないのだ。
全く、今日の約束は私が発端だし、これで体調を崩した……なんて事になったら寝覚めが悪いどころの話ではないわよ。
「――ちょっとキッチンを借りていいかしら。それと、冷蔵庫の中の物を少し使わせて貰いたいのだけれど」
「ナニ、お腹空いたの~? しょーがないなァ、何か作るならあたしの分もね!」
「はいはい。少し待っていなさい」
そう言って、私は席を立つ。後ろ目に見ると、あの女は、今日買った同人誌の封を切って閲覧を始めたようだ。
相変わらず、欲望に忠実な女ね。……少しの溜息と共に、何故か自然と笑みが零れた。
キッチンに立った私は、まず冷蔵庫を開けて中を探ってみる。……とりあえず、必要な物は揃っているようね。
後は道具だけど……、これも、適当に扉や引き出しを開けると程なく見つけることが出来た。
それじゃ、手早くやってしまいましょう――
「はい、どうぞ」
私が作ったのは、甘い香りの漂うカスタード色の飲み物。
ゴブレットに注がれたそれを、あの女の目の前のテーブルに置く。
「え、もう出来たの? ……ナニこれ、プリン……じゃないよね」
「ミルクセーキ。卵黄と牛乳にお砂糖を加えて混ぜただけの簡単なものよ」
厳密に言えば、それに香り付けのバニラエッセンスと、隠し味のレモン汁を数滴。
この私が編み出した、黄金比率の調合。その味は、私の可愛い妹たちのお墨付きだ。
「あ~、なんか昔飲んだコトある! って、この上に乗ってるのは? 生クリーム? ウチにあったっけ」
「これはメレンゲよ。さっきのレシピだと卵白が余ってしまって勿体無いから。撹拌してトッピングにしたのよ」
「ふ~ん、よく分かんないケド。なんかカロリー高そォ~?」
……そう言えばこの女、飲食する時は結構カロリーを気にしていたわね。
ダイエットするようには見えないし、読モなんてやってる上での体型維持目的なんでしょうね。
運動だってしているのだから、そんなに気にすることはないと思うのだけど。
というか、そのプロポーションで何を贅沢言っているの。……久々に呪いたくなったわ。一服盛っておくべきだったかしら。
「……いいから、つべこべ言わずに飲みなさい」
「ハイハイ。んじゃ、いただきます、っと。……んぐんぐ」
文句を言っていた割には、一気にグラスの半分ほど飲んでしまう。
喉が渇いていたのかしら。全く、外見ばかり大人びて、こういうところは本当に子供と変わらないわね。
「ぷは~! 何コレ、甘~い! ッてか美味しい! ちょっとコレ、どっかで買ってきたやつじゃないの!?」
「そ、そう。……べ、別に、こんなもの誰でも作れるわよ。混ぜるだけだし」
「ふ~ん、牛乳と卵と、あと砂糖だっけ……んぐんぐ」
意外と素直な反応に、頬が勝手に赤くなってしまう。……何か少し、妹たちの反応に似ていて、くすぐったい。
――程なくして、グラスはすっかり空になってしまった。
「ふ~、ごちそうさまっ! 生き返った~」
「お粗末さま。……それじゃ、ちょっと後ろを向いて貰えるかしら」
そう言って、あの女の座るソファーの隣に腰を下ろす。――ここからは、“第二段階”といったところね。
「ん? 今度はナニしようっての」
「いいから、こっちに背中を向けなさい」
訝しげに、体を90度捻ってこちらに背後を見せる。いつも薄着なものだから、背中のラインがよく分かる。
同じ女性の目線で見ても、見惚れてしまうほどの滑らかな曲線。
……全く、これでカロリーとか気にするのだから、モデルというのは因果な職業ね。
「体を楽にして。……ちょっと失礼するわね」
「え――きゃぅっ!?」
っな、何て声を出すのよっ、吃驚するじゃない。……後ろからちょっと首筋に手を置いただけなのに。
不意を突かれたせいか、妙に艶っぽい奇声だったわ……もしかして、ここが所謂“弱点”だったりするのかしら?
「な、ナニすんのよ……!?」
あの女の戸惑う声。肩を竦め、体を抱きかかえるような仕草。……な、何か変な想像をしているのではないでしょうね、この女。
百合の花を咲かせるとでも思っているのかしら。まぁ、創作活動の上で、その方面の表現を好んで使っていたことは認めるけれど……。
それは“虚構世界”での事であって、現世の私は“そっち”の趣味は無いのよ。……その辺りは、くれぐれも誤解しないで頂戴。
それは兎も角、妙に身構えられても困るし、ここは余計な警戒心は解いておくべきね――
「っふ、――あなたの“魔力”を吸収するのよ」
「…………ハァ?」
……今、『ナニ言ってんのコイツ? またいつもの始まったワケ? 頭大丈夫ゥ?』という思念波を受信した気がするわ。
警戒心を和らげるような言葉を模索していた筈が、つい無意識に一番格好いい台詞を選んでしまったわよ。
まあ、期せずしてあの女の緊張は解れたようだけれど、――今ひとつ釈然としないのは何故かしらね……。
ともあれ、これで当初の目的通り、あの女に置いた手をゆっくりと揺動させ始める。
最初は優しく、首の付け根から裾野へ押し広げるように。
「ん……、魔力、とか言って、……単なる、肩揉み、じゃん。……んっ」
「フッ、さあ、どうかしら。……それにしても、あなた……意外と凝っているわね」
「ま、まぁ、ね。アンタと違って、胸も、重いし……って、ぁイタっ!?」
……あら、つい力が入りすぎてしまったわ。何か余計な一言が聞こえた気がするけれど、気のせいかしらね。
「……口は災いの元よ? ふとした拍子に、私のこの手がうっかりあなたの首に掛かってしまうかもしれないわ」
「ほ、ホントのコトじゃん……って、イタタタ! 嘘ウソっ! 何でもないッ!」
「ふん、分かればいいのよ。……大人しくしていなさい」
お仕置きが効いたのか、それ以上の抵抗は無く、あの女はじっと私の施術を受け続けている。
良い感じね。少し親指に力を込めて、要所を刺激するような動作も加えて――
「ん……、あんた、なんか慣れてる、ん、……カンジ? 結構、うまいじゃん……んっ」
「親に、よくしてあげているわ。妹たちにも、たまに」
「妹ちゃん、かぁ……、いいなぁ、……羨まし……」
段々と、あの女の体から力が抜けていく。……もう一押し、かしら。
肩から、背骨へ、肩甲骨の辺りへと、ゆっくりと丹念に血流を巡らせていく。
――程なくして、あの女の頭が、かくん、と前方に落ちる。
手を止め、俯いたその顔をそっと覗き込んでみると。――眼を閉じ、緩んだ口元は静かな寝息を立てていた。
「ふ、……“堕ちた”わね」
フッ、他愛も無い。この私の手に掛かれば、人間風情を“無限の闇《アビス》”に堕とすことなど造作もないことよ。
――実のところ、これは、妹が愚図って中々寝付かないときによく使った手段だった。
妹たちの好物でもあるミルクセーキを作ってあげて、その後、小さな体を優しく撫でてあげていると、簡単に眠りにつく。
所詮、体ばかり無駄に育っても、この女の中身は私の妹たちと変わらない程度の精神構造、ということね。
ゆらゆらと微睡むあの女の体を、起こしてしまわないように気を付けながら、ゆっくりと後ろに倒す。
丁度、私の膝の上に頭を乗せる形で、そのたおやかな肢体はソファーに横になり、静かな寝息は安らかなそれへと変わる。
膝枕も、よく妹たちにしてあげるけれど……、やっぱり少し重いわね。このマル顔のせいかしら。
少し悪戯っぽく茶色の前髪を掻き分け、その寝顔を見つめる。
穏やかなその寝顔は、やはり“熾天使”と見紛う美しさで、その内には年相応の少女の可憐さがあって。
それでいて、子供のような愛らしさを見せる。――それは、私の可愛い妹たちに、負けないくらい。
……ふふ、あなたも、こうしていれば只の“可愛い妹”なのに、ね。
普段のあなたは、本当に憎らしくて、苛立たしくて、忌々しくて……、でも、それはきっと。
私の“心象世界”のあなたという存在、その存在が放つ輝きが、私の暗闇を否応無しに掻き消していくから。
自分で高みに掲げた目標に向かって走り続けるのは、実にあなたらしいけれど、……時には休んで貰わないと困るわ。
――だって、この私が追い付く“隙”が無くなってしまうもの。
膝の上で眠る、光を反射して金色に輝く髪を、優しく撫でる。その寝顔が、一瞬、甘えるように微笑み、うわ言を呟いた。
「……ん……、……お……にぃ、ちゃ…ん……」
おまけのエピローグ
それから数日後の朝の登校時。
「どうしたの、先輩? ……顔色が良く無いわよ」
「やっぱりそう見えるか……? 実は昨日、桐乃にドヤ顔で妙なものを飲まされてな……」
……妙なもの? あのブラコン女、怪しい通販で惚れ薬でも買ったのかしら。
「……大丈夫? 無理はしないほうが良いわよ。というか一体何を飲まされたの」
「何、と言われても……。昨日の晩、部屋で勉強してたら桐乃が何かコップで持ってきてな。
『アンタ、最近疲れてるでしょ? コレ飲んでいいよ! 効果抜群だから!』って」
『疲れてる』ときに『飲み物』? 何処かで聞いたシチュエーション……。
……ふん、……お見通しだった、というわけね。全く、これだからあの女は厭味だと言うのよ。
次に逢ったら、あの“うわ言”のことで弄ってやろうかしら。フッ、さぞ面白い痴態を演じてくれることでしょう。
……それにしても、何がどうなって先輩はこんな状態に……?
「……先輩、それって……ミルクセーキよね?」
「ミルクセーキ……? そう言えば見た目はそれっぽかったが……なんで分かるんだ?」
……まあ、当然の疑問ではあるわね。でも、あれは自分から公にするような事でもないし……。
「……先日、秋葉原に行った時に入った喫茶店で飲んで、それをあの女が大層気に入っていたのよ」
「なるほどな。それで桐乃のヤツ、見よう見まねで作って俺を実験台にしやがったのか……。
それにしたってアレは人間が飲める代物じゃなかったぜ……俺を殺す為に作った『化学兵器』としか思えん」
…………おかしいわね。確かに、正確なレシピを教えたわけではないけれど。
材料をただ混ぜるだけで、どうやったらそんな“劇毒物《ヴェノム》”が出来るのかしら……。
「そ、そう。大変だったわね……。……それで、それから何かされたりしたの?」
「いや、それからも何も……そのままトイレに駆け込んで、そこで一晩過ごす羽目に……」
どうやら、あの女の企ては早々に頓挫したようだった。……ご愁傷様。
稀にこういう気紛れを起こした時に限って、ことごとく裏目に出るのは何かの“呪い”なのかしらね……。
……はぁ、全く、仕方ないわね……、今度作るときはちゃんとしたレシピを教えてあげるわよ。
先輩がもう一度、口を付けてくれるかどうかは保証しないけれど。
それにしても、あの女。常々、多才だとは思っていたけれど。
もしかすると、稀代の“錬金術師《アルケミスト》”としての才能もあるのかも知れないわね――
-END-(黒猫レシピのミルクセーキ)