2ch黒猫スレまとめwiki

『新たなる一歩』:(直接投稿)

最終更新:

匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
記念すべき20歳のお誕生日おめでとうございます!黒にゃん!!
我ら闇の眷属、心からの祝福と賛辞をお送り致します!

そんなわけで誕生日にちなんだSSを投稿させて頂きました。

この話は黒にゃん20歳の誕生日ということで
原作終了後のお話として書き始めた拙作

『光のどけき春の日に』
『かわらないもの』
『呪いの果て』
『父の教え』
『黒騎士の微笑み』
『朝の光輝けり』
『夢と絶望の果て無き戦い』
『入試と大切な人達とバレンタインと』
『卒業式』
『2つの誕生日ケーキ』

から話が続いています。

相変わらずの拙い内容ですし、オリジナルキャラも出てきますが
一応このSSだけでも問題なく読んで頂けるよう書いたつもりです。
今日この善き日に少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

また、このSSに出てくるバースディケーキを
今年も行きつけのケーキ屋さんに頼んで作って頂きました。


こちらも本文に合わせて楽しんで頂けますと幸いです。

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「まったく、いつまで惚けた顔をして油を売っているのかしら、先輩?
部屋の掃除も食器の片付けも全然終わっていないようだけれど」

大学生活最後の新年度が始まったばかりのとある夕方。

大学の講義が終わって真っ直ぐアパートに帰ってきた俺だったが
いまだに春休みボケが抜けきらないのか、何もやる気がおきないまま
ぼんやりと情報雑誌を眺めていたんだが。

唐突に背後から掛けられた後輩の声でようやく我に返った。

「っと、もうそんな時間かよ。悪いな、黒猫。暖かくなってくると
どうにも気が緩んでいけないよな。すぐに済ませるから
お前は適当に漫画でも読んでくつろいでいてくれよ」

俺はすぐさま立ち上がると、居間の入口に佇んでいた後輩を招きいれた。

昨年の春から俺はこの部屋で一人暮らしを始めている。
それが俺の前々からの希望だったし、親父との約束でもあったからな。
やっぱり男としては憧れるだろ?一人暮らしって環境にはさ。

そのための資金やらを確保するのに結局2年間掛かっちまったが
お蔭で今は実家にはない開放感の元、悠々自適な生活を満喫している、
はずだったんだがな。まあその辺は追々説明していくぜ。

で、黒猫はそれこそ数え切れないくらいこの部屋を訪れているし
そもそも合鍵だって持っているから何時でも自由に出入りできるんだが。

でも俺がいる時は声を掛けられるまで、こんな風に居間に入ろうとはしない。
本当、こういうところは、変に律儀なんだよな、黒猫は。

いろいろと気を回しているんだろうが、やっぱり水臭いとは思うぜ。
黒猫はそんな気兼ねなんかして欲しくないくらいの長い付き合いだし、
親しい友人として、大学の後輩として、公私共に世話になっているからな。

ああ、ちなみに黒猫が合鍵を持っているのは、別段俺から渡したわけじゃないし
勿論一人暮らしの部屋に後輩女子を連れ込むため、なんてワケじゃないからな?
その辺、妙な勘ぐりなんてしないでくれよ、俺の身の安全のためにも。

まあ、そもそもは俺が一人暮らしすると家族に伝えた時のことだ。

「あんたがしっかり一人暮らしが出来てるか、定期的に確認するかんね!」

なんていつものように無茶な事を桐乃が言い出したのが始まりなわけだ。

それも元を辿れば3年前、俺が今在席する大学を目指す受験生
だった頃に原因がある。詳しい事情はここでは省略させてもらうが
受験勉強に打ち込むために、俺は一人暮らしをしていた時期があったんだが。

その時の俺の家事スキルの無さから来る一人暮らしの惨状っぷりからは
確かに妹の言い分にも一理あるのは自分自身もわかっていた。
実家にいたときは家事なんてろくにしてなかったしな。
基本面倒くさがりの俺が率先して自炊だの掃除だのが出来るわけもない。

その辺を黙々とやってくれてたんだから、一人暮らしを
初めてからようやくわかる、実家の、母親の偉大さってやつだよな。

とはいえだ。俺も社会に出る前には、自分自身のそんな性根を
なんとかしなきゃ、と一念発起したからこその一人暮らしだったし
実際、親父やお袋にはそう説明して許可も取り付けていた。

さらに言えば『桐乃の定期的な確認』とやらに、なぜか親父もお袋も
やけに積極的に賛同していたので、それも一人暮らしの条件の一つとして
了承せざるを得なかったわけだが。

けれど一度許可がおりるや、桐乃は「自分ひとりだけじゃ手が回らないから」
なんて言って黒猫もその監視役に引き込んじまった。結局、二人とも週2回程の
ペースで俺の部屋を訪れるし、時には俺のいない時に抜き打ちで確認してるから
俺としてはだらしない生活をするような暇なんてなかったわけだ。

まったく俺の夢見た自由な一人暮らしはどこにいっちまったんだよ。
一人暮らしの兄を心配する妹様のご配慮には嬉しすぎて涙が出るくらいだぜ。

ああ、それにその妹様としては、黒猫には監視役だけじゃなくて
直々に俺に家事を教えて貰うっていう目的もあったようだ。

ま、俺のことを生活力が全くない、と扱き下ろしていた桐乃自身、
家ではまともに家事なんてしていたわけじゃないからな。
あいつの場合、学業に陸上、モデルの仕事をこなしながら
重度のオタク趣味を嗜む超人だから、そりゃ時間がないのも当然だが。

かたや黒猫はベクトルは違うとはいえ、桐乃に負けない
くらいのオタク趣味の持ち主で同人活動なんかもばりばりやってるし
ゲームを作ったり自作衣装でコスプレなんかもやっている。

けど家では妹二人の面倒を見るばかりか、炊事洗濯を始め
家事全般をハイレベルにこなせる超家庭的お姉ちゃんだからな。
その片鱗を今まで何度も見せられる度に、どうしてオタク趣味に
目覚めて厨二病なんて患っちまったのかと不思議に思うくらいだぜ。

まあそんな黒猫だからこそここ一年の間、監視名目で
この部屋に来て貰っては家事を一つ一つ教わってきたわけだ。
丁度いいからって、桐乃まで黒猫と一緒の日に
ここにやってきては家事を教わっていた時も多かったしな。

お前、自分の手が回らないからって黒猫を引き込んだんじゃないのかよ、
と突っ込みたくもなったが、まあそんな妹様の思いやりや
面倒な役を引き受けてくれた黒猫には本当に感謝しているんだぜ?

おかげさまで基本的な料理の仕方や掃除の要領なんてのは
もうすっかり身についた。一人暮らしを始めた頃は桐乃にも黒猫にも
厳しくダメ出しされてばかりだったが、ここのところはもう監視役なんて
要らないだろ、ってくらいにお小言を貰うようなこともなくなったしな。

いや、今日はちょっと気が抜けていただけだぜ?
ほら、春休みも終わったばっかりだしよ。
暖かくなると誰だってそうもなっちまうもんだろ?

それに新学期が始まって俺も大学の最高学年だ。
より専門的なゼミやフィールドスタディなんかもするようになったし
それと平行して就職活動もしなきゃならないのがなかなか辛い毎日だぜ。
今日も早めに部屋に戻ったら、企業セミナーに登録したり
送られてきた資料を読み込むつもりだったんだけどな。

まあ、気が乗らない日ってのは誰にだってあるもんだろう?
新学期から今まで経験してないことの連続でちょっと疲れてもいるしな。
たまの1日くらい、のんびりしてたって罰はあたらんだろうさ。

なんて調子のいい事を考えながらも、これは久しぶりに
黒猫に怒られちまうかな、なんて思ってもいたんだが。

「いえ、それならあなたは部屋の掃除を進めておいて頂戴。
私は台所の方を受け持つわ。その後で約束通り、
今日はお魚の捌き方の練習をしましょうか」

通学時にはいつも持ち歩いているショルダーバッグを居間に置いてから
黒猫はそう言うと、すぐに台所に移動して食器を洗い始めた。

幾分拍子抜けしながらも俺もそれに倣って部屋の片づけを始めた。

いや、なにも黒猫に叱られなかったのが残念なわけじゃないぜ?

そりゃ確かに黒猫は怒り顔もはっきりいって可愛いし
普段は自分の感情を抑え気味な分、黒猫の素顔が見え隠れするようで
その分のギャップもなんともいえない愛らしがあるけどな。

ついつい普段からちょっとお馬鹿な事をわざと言ったりして
黒猫のそんな表情を引き出そうとするのがすっかり癖になってるくらいだ。

いや、まあその辺のことは今はおいといて、だ。

案外と、いやある意味イメージ通りでもあるが。
家庭的なお姉さんとして躾や指導には厳しい黒猫にしては
やけにあっさりと俺のだらしないところを見逃してくれたもんだ。

お小言のひとつは絶対にくるもんだと思っていたんだが、
ひょっとして何か今日は良いことでもあって、機嫌がよかったのかね?
まあ、怒られないならそれに越したことはないんだけどな。

俺はそんな黒猫の機嫌を改めて損ねないよう、黙々と部屋の掃除を進めた。
それにしても、一人暮らしを初めて早一年になるが、生活に最低限必要な
もの以外には、漫画やノーパソくらいしかないような殺風景な部屋だ。

普段の掃除なんていっても、漫画や雑誌を本棚に戻した後は
軽く掃除機をかければあっという間に終わってしまう。
そも監視役のおかげでそんなに散らかしっぱなしなこともないしな。

「こっちは終わったぜ、黒猫。そっちも手伝おうか?」
「いえ、大丈夫よ。こちらもあらかた済ませたから
居間でもう少し待っていて頂戴。今、お茶を淹れているから」

台所は前に黒猫がきた一昨日くらいから割と放置気味だったから
時間がかかると思ったが、さすがは師匠。とっくに片付けたばかりか
お茶まで用意しているとか、相変わらずの手際の良さだな。

むしろここのお客様は黒猫で、お茶を淹れるのは俺の役目だろう、
と思わなくもないが。まあこの辺もこの1年ですっかり馴染んだ立ち位置だ。
黒猫も『私が淹れたほうが美味しいでしょう?』と言って譲らないしな。

ああ、勿論お茶の淹れ方だって黒猫に教わってはいるぜ?
とはいえ、いまだに黒猫の淹れたお茶の足元にも及ばない。
まあ経験の差だっていえば確かにそれも間違いなくあるんだが。
細やかな心配りというか、そういう何事にも気遣う性格の差ってのが
俺と黒猫とじゃはっきりと出ているんじゃないかと俺は思ってる。

黒猫のそういうところは見習わないといけないよな、とは思うんだが。
俺は昔っから考えなしで動くときが多いし、根がずぼらだからなぁ。
まあ少しずつでも心がけていくつもりだぜ。心構えとしては、な。

「おまちどおさま。今日はカモミールティーにしてみたわ」
「お、うちにそんなのあったっけか?」
「まったく、自分の家の戸棚の中身くらい確認しておきなさいな。
昨年末、ご実家から届いた仕送りの中に入っていたわよ」

片付けたばかりのコタツテーブルの上に黒猫はティーカップを2つ並べた。
カップからは独特の爽やかな香りが漂ってくる。俺は普段はインスタントの
コーヒーを飲んでるし、黒猫が来た時に淹れるお茶も番茶やほうじ茶だから
慣れないフルーティーな匂いがなかなか新鮮に思えるな。

「なんか匂いだけでボケてた頭がすっきりする気分になるな、これ」
「ふふっ、そうね。カモミールはアロマとかにも使われているくらいだし
効能にはリラックス効果もあるのよ。今日のあなたにはぴったりでしょう?」

そう言うと黒猫はいつものように悪戯っぽく微笑んだ。

きっと黒猫にはいろいろと見透かされてしまっているのだろうし
それもいつものことと言えばそうなんだが、やましい気持ちがある上で
そんな艶やかな笑顔を見せられてしまってはバツが悪いなんてものじゃない。

俺は堪らずに視線を逸らせると、何も言えずに押し黙るしかなかった。
それをごまかすように目の前のカップを手に取ってぐっと中身を口に含んだ。

匂いと変わらずに、甘く爽やかな味が口の中一杯に広がっていく。
それを飲み込むと同時に、リンゴのような香りが鼻に抜けていって
口の中にすうっとした清涼感が残された。

「……うまいな。それに飲んでみると、もっと気持ちが落ち着く感じだ」
「そう、それはなによりね。それなら今度はあなたには
美味しいハーブティーの淹れ方も教えないといけないかしら?」
「ああ、頼むよ。また気分が乗らないときには自分でも飲んでみたいしな」
「そうね、これから暫くの間、あなたは何度もそんな気分になるのでしょうし」

カモミールティーを味と香りとを存分に楽しんでいた俺に対しても
黒猫は容赦なく強烈な追撃を見舞ってくる。

機嫌が良いかと思ったら実はめっちゃ怒ってますよね、黒猫さん!?

噴出しそうになったカモミールティーをなんとか
飲み込んでから、俺は恐る恐る黒猫の顔を伺ってみた。
でも黒猫は相変わらずの艶然とした笑みを浮かべながら
むしろ楽しげな様子で俺の顔を黙って見返している。

「……悪かったよ、黒猫。しっかり気を引き締めなおすから許してくれ」

俺は黒猫にしっかりと向き直ると、その気持ちを表すように深々と頭を下げた。

「何に謝られているのか解らないけれど、それは殊勝な心掛けね。
それならあなたの為すべき事を心行くまで為しなさいな。これから迎える
『運命』に立ち向かうには、あなたは惚けている暇などないはずよ」
「……ああ、そうだな。正直に言えば来年から社会に出るなんて
実感は全然ないんだが。でも就職活動の方は待っちゃくれないしな」

黒猫は素気なく俺の謝罪を流しながらも、さりげなく発破を掛けてくれる。
俺もそんな思いやりに応えられるよう、すっかりだらけた気持ちに喝をいれて
まずは目の前の問題に取り組もうと思ったんだが。

「あら、あなたは本気で就職するつもりだったのかしら?てっきり来年は
大切な妹さんを追いかけて海外に行くのかと思っていたのだけど」
「な!?そ、そんなわけ……ない、だろ。あいつは自分の目標を
自分の力で適えるために、一人で留学しにいったんだから、よ」

黒猫は一転して真顔になると、そんなとんでもないことを言ってきた。
俺は慌てて否定したが、内心の動揺は隠せずに声に全く力が入らなかった。

確かにそれは間違いなく。
心の中でずっと考え続けていた俺の本心でもあったのだから。

そう、桐乃は今年の春、高校を卒業すると同時にヨーロッパに留学していた。
美咲社長の紹介で、あっちの大学に通いがてら、本格的にモデルの修行と
仕事をするためにだ。それがあいつの選んだあいつ自身の目標だったから。

とはいえ、4年前の陸上の留学とは違って、俺にも半年前からその考えを
聞かせてくれていた。その時はまだ本決まりじゃなかったんだが、
あいつがそう考えている以上、それもうなにがあってもやり遂げるもんだと
俺には解っていた。実際にそうなったわけだしな。

最初に桐乃からそれを聞かされた時には俺は反対した。
4年前の前例もあったしな。桐乃が桐乃でいるためには
あいつの好きなもの全部が必要なんだってあの時に気付かされたから。

でも桐乃は言ったんだ。

『そうだね。でもあたしは今までのあたし以上を目指すために
自分の目標を真っ直ぐに追いかけてみようと思ってるんだ。
だから京介、あたしの好きなようにやらせてくれないかな?』

何の虚飾も気負いもなく、やけに澄み切った顔をして。

まるで俺たちがまだこんなに拗れた兄妹じゃなくて。
妹の桐乃が兄の俺を純粋に慕ってくれていた、あの幼い頃のように。

それで俺が桐乃の願いを聞いてやらないわけがない。
それがたった一人の妹を持つ、兄貴の役目ってもんだしな。

それに俺自身、解っちゃいたんだ。
俺が桐乃の留学を反対していた本当の理由に。
そんな俺の勝手な気持ちで妹の未来を縛るわけにはいかないからな。

だから俺は最後には桐乃を快く送り出すことにしたんだ。
親父やお袋を説得する手伝いもしたし、親父に提示された
留学の条件をクリアするために桐乃のフォローにも奔走した。

その甲斐もあって桐乃は高校を卒業して数日もしないうちに、胸を張って
パリへと旅立っていった。勿論、あいつの友達みんなの笑顔に見送られてな。
だから俺だってそれに負けないくらいの笑顔で大切な妹を送り出した。
桐乃自身には、うわっ、気色わるっ、とか散々に言われたけどな。

「何をいまさら言ってるのかしらね?相変わらず自分の気持ちには
情けない程にヘタレな癖にどうしようもなくシスコンのこの雄は。
まさか私にまでそんなお為ごかしで通せる心算なのではないでしょうね?」

けど俺の言い分などまったく意に介さずに黒猫はさらに詰め寄ってくる。
その蒼く澄んだ瞳で睨みつけられると、何の言い訳の余地もなくなっちまうな。

「……ああ、確かにおまえの言う通りだ、黒猫。
でもさすがにそういうわけにはいかないだろ?
納得してもらった親父達にも筋が通せないし、実際俺が行った所で
何が出来るってわけじゃない。むしろ桐乃の足を引っ張っちまうだろうよ」
「言い訳も誤魔化しも私には必要ない、と言っているのよ。
あなたが本当にそれを望むなら、私だってその後押しをするだけよ。
桐乃を送り出した時と同じように、ね」

だからずっと考えていた事を正直に話してみたが
それすらもこの後輩様には不服だったらしい。
俺の考えを怒気すら纏った声でぴしゃりと切り捨てたばかりか
頼もしくもとんでもない一言で煽ってくる。

「い、いや、お前。そうは言うけどよ……」
「確かに前と違って勢いだけでどうこうできる問題ではないでしょうね。
でも、結局はあなたの気持ち次第、ということでしょう?
いいじゃない、数年程度海外に出て人生経験を積むというのも。
今のご時世、戻ってきてからそれも就職に有利になるかもしれないわ。
それに」

黒猫は一旦言葉を切ると、身を乗り出して俺の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。

きっと俺の心の奥底までを見通して。俺の胸襟にまで届かせるために。

「ずっと桐乃のサポートをしていく、という道だってあるのでしょう?」

その決定的な一言を、な。

俺は即答する事なんてとても出来ずに、ずっと黒猫を見返していた。

深く澄み切った湖の如く、冷たく冴え渡りながら全てを受容する黒猫の瞳。

本当、綺麗だよな。

場違いなのは百も承知だが、俺は心底そう思った。

暫くの間、俺達はそうしてじっと互いの視線を、思惑を交錯させていた。

お互いの気持ちを、本心の在り処を確かめるように。

いくつか言葉が浮かぶものの、それを実際に口にするのは躊躇われた。
どれも黒猫の示した決意とはとても釣り合う物ではないと思ったから。

「……そうだな。でも、だからこそもう少ししっかりと考えるさ」

だから胸の奥からようやく搾り出して、俺はそれだけを答えた。

それが単なる結論の先延ばしなのはその通りだが
それでも今の俺には時間が欲しかったんだ。

真剣に俺のこれからを、その後の人生までを考える時間をな。

「ええ、それがいいわ。心行くまで考えて出した結論なら
後悔する時でも諦めがつくというものでしょう?」
「おいおい、後悔するの前提なのかよ」
「後悔しないで済むような、都合のいい人生なんてありはしないわ。
特にあなたのような罪深い人にはね。でも、そうだとしてもあなたは
己が道を往くのでしょう?なら……精々自分が納得行くまで考えなさいな」

元の小悪魔的な笑みに戻った黒猫は、そう言うとテーブルに
向き直って目の前のカモミールティーに口をつけた。

自分からの出過ぎたお小言はこれまで、というわけか。

お前はいつだってそうだよな。

俺が悩んでいるときにはいつだってこうして背中を押してくれる。

自分の事なんて少しも顧みることなく。

「おう、そうさせてもらうぜ。……それで、だ」

だからそんな言葉が、つい口をついて出た。

「俺はこの通りのだらしなくて頼りないヤツだからな。
だからその答えを出すには『人生相談』したいことも出てくると思う。
そのときには……どうか相談に乗ってくれるか?」

けれどそれも紛れもない俺の本心でもあったから。
そして俺が自分のこれからを真剣に悩むもう一つの要因でもある。

けれど俺は2年前にもう決心したからな。

もう二度と大切な人を自ら手放すようなマネはしないって。
どんなにみっともなくても、最後まで足掻いて見せるさ。

俺の、俺たちの願いをみんな叶えられるように。

黒猫は俺の言葉を聴いて、カップを持ったまま目を大きく見開いていた。
でもすぐに溜息を一つ付くと、軽く頭を振ってからもう一度俺に向き直る。

今度は厨二的な芝居がかったそれではなく。
胸の空く様な晴れやかな笑顔を黒猫は浮かべていた。

「ええ、勿論よ、先輩」
「おう、頼りにしてるぜ、後輩」

そして互いに顔を見合わせてから、一頻り笑い合い、頷き合う。

今度は探りあうまでもなく、二人共同じことを考えているに違いない。

確かにそんな感慨を抱きながら、な。



  *  *  *



「そういや、来週末の黒猫の誕生日パーティだが。
とりあえず大家さんに話は通して場所は確保しておいたぜ。
みんなの予定はどうなってるんだ?」

俺は初めて作ったアジの塩焼きを頬張りながら
テーブルの向かいに座っている黒猫に話しかけた。

黒猫は器用にアジの身を解しながら上品に口に運んでいる。
なんだかんだとこういうところは行儀が良いんだよな、黒猫は。
親父さんやお袋さんはかなりフランクな感じなんだが
きっと子供の躾はしっかりしてるんだろう。

でも考えてみれば、うちだって飯時は親父に厳しく注意されてきたのに
俺はこんなんだから、結局は本人の資質が一番なのかもしれないけどな。

「ええ、招待した人はほとんど大丈夫みたい。調整中と言っていた
瀬菜と真壁さんも無事に来られるようになったと昨晩メールを貰ったわ。
まったく、桐乃の見送りの時に全員顔を合わせたばかりだというのにね」

呆れたようにため息をつきながらも、黒猫の口元は確かに綻んでいた。
まったく、大学2年になっても素直じゃないよなぁ、こいつも。

「そっか、それじゃあ昨年以上に賑やかな誕生日になりそうだな。
結局CCSの面子には声をかけられなかったのが残念だけど」
「さすがにここの庭を会場にする限り、これ以上は人数を増やせないもの。
まあユウには予め伝えて有るし、今回のところはね」

黒猫は淡々と話してはいたが、如何にも残念だ、とその表情が物語っている。

ちなみにCCSってのは俺たちが入っているサークルの略称な。
確かコンピューターとか研究会の頭文字からつけているんだったか?
まあ名前の通り、コンピュータの機械的なところからプログラムまで
幅広く扱っている部活で、当然のようにゲーム制作もやっている。
毎年のようにコミケにも参加して自作ゲームとかを頒布してるくらいだ。

黒猫は昨年の入学式の当日から入部して以来、
なんでもこなせる逸材として1年のころから部の中核として活躍中だ。
冬コミに出したパズルアクションゲーム『リア・ファイル』も
黒猫が中心になって作っていた作品だが、あっという間にコミケで売り切れて
今も同人ダウンロードショップでは人気の逸品になっているくらいだぜ。

ついでに言えば俺も黒猫と一緒にCCSには入部している。
まあゲーム制作に関しては、相変わらずバグチェック要員や
素人目線の意見を出すくらいしか役に立ててないけどな。
けど、対外交渉役や宴会実行委員としては部内でも重宝されてるんだぜ?

そんなわけでこの1年ですっかり馴染んだCCSの部員にも
今回の誕生日パーティに招待しようかと、黒猫や幹事の沙織とは
相談していたんだが。中心になって活動しているメンバーだけでも
10人以上もいるだけにさすがに断念せざるを得なかったわけだ。

まあユウはCCSの部員以前にオタクっ娘のメンバーだからな。
この春、めでたく俺たちの大学に進学してきたユウこと小川結優は
黒猫と同じ高校でゲーム制作をしていたこともあるから
当然のようにCCSに入部もしてきたってわけだ。

「どうせCCSの方は、毎週のように新歓だ、コンテスト決起会だって
飲み会しているからなぁ。部員の誕生日もよく口実になってるし
来週辺り、きっとあるんじゃないか?黒猫もせっかくハタチになるんだしよ」
「あんな羽目を外すような飲み方は御免被りたいのだけどね……
まあそれはともかく、これで今の所の参加予定者は丁度15人ね。
昨年に比べるとプラス2人といったところかしら」
「えーと、昨年はこれなかったのは真壁君とブリジットちゃん、
それから香織さんが追加だろ?それで……いや、まあ、そうなるか」
「……ええ。だから当日のお料理や準備はより時間がかかるでしょうね。
きっと私は今年も手伝わせては貰えないのでしょうけれど」

思わず言葉を濁しちまったが、当然その内容は黒猫には言わずもがな、だ。
黒猫はほんの少しだけ眉を潜めたが、そこには特に触れずに話を続けていく。

「でもその分、事前の買出しや飾り付けの用意なんかはしておこうと思うの。
だって私が招待する立場なのだしね。せっかく集まってくれる人達に
感謝の気持ちを示すのも当然でしょう?」
「ああ、そうだよな。そんじゃ買出しやその辺の準備は俺も手伝うぜ。
昨年のは俺の引っ越し祝いも兼ねていたからみんなに任せっぱなしだったが
今の俺の腕じゃ今年もあんまり役に立たないだろうしよ」
「そうしてくれるのは正直助かるし、今更言っても無駄でしょうけれど。
あなたも招待される側だというのは忘れないでいて欲しいものね?」
「それこそ今更だろ?いつも世話になってる、俺の可愛い後輩の」

そこまで何の気なしにしゃべってしまってから自分の失言に気が付いた。

いや、別段嘘でも誇張でもないし間違いなく本心でもあるんだが。
かといってそんなセリフを今この場で口にするのはいろいろと問題だ。
相手が黒猫ではしゃれで済まされないところが多すぎるからな。

案の定、黒猫は途端に顔を真っ赤にして口元をわななかせていた。
俺も何かフォローを入れなきゃと焦る余りに二の句が継げず、
なんとも気まずい沈黙が流れる。

「……世話になってる可愛い後輩には手助けをしたくなるってもんだろ?」

結局俺には気の利いた言い訳もできず、ほぼ同じ言葉をそのまま繰り返した。
変に俺が言い繕ったところでどうせ自爆するのは目に見えていたからな。
出来るだけおどけた調子なるように、全力で平静も装いはしたが。

「……そう。それならお願いするわ。
『私の』『何時も頼りになる』『とても素敵な』先輩?」

その意図を黒猫も悟ってはくれたのだろう。
顔の赤さは幾分残っていたものの、いつもの調子に戻って応えてくれた。
一句ごとにアクセントを籠めて、俺に反撃するのも忘れてはいなかったけどな。

バツの悪さに閉口した俺に、黒猫は会心の笑みを浮かべた。

へいへい、せめてそのくらいの期待には応えられるよう働いてみせるさ。
可愛い後輩の、大きな節目の日でもあるからな。

そしていつか。

おまえの本当の願いにも応えられるようにしないとな。

口元を抑えて楽しそうに笑う黒猫を見ていると
ずっと心の奥底に仕舞ってある想いが溢れてきそうになる。

それを解き放つ節目を俺はいつ迎えることができるんだろうか。

我が事ながら他力本願な態度だと自分自身呆れながらも。
その日が1日でも早く訪れるように俺は願わずにはいられなかった。



  *  *  *



私が『此方の世界』において『仮初の身』を帯びてから実に20回目となった
記念すべき日は、しかし3日前に当たり前のように過ぎ去っていた。

以前からこの『神眼』で垣間見た未来線とは違って、成人を果たしても
特別な力が覚醒したわけでも、大いなる知識や加護を授かったわけでもない。

私自身はそれまでの何の変哲もない『五更瑠璃』のままだし
それで法律上は成人としての権利や義務が生ずる、と言われても
実感に乏しい事この上ないのだけれど。

まったく成人の証の特別な力を籠めた御印くらい
日の本の国は20歳を迎えた全臣民に支給するべきではないかしらね?
少しは大人になった自覚と責務を感じられるでしょうに。
そうなれば新成人の問題行動も幾分はマシになると思うわ。

まあそんな儀式めいたものは成人式で執り行う仕来りなのでしょうけどね。
とはいえ、私のように年の初めの方の誕生日を持つ者にとっては
成人してから半年以上も開いてしまうので、いささか不合理的とは思う。

もっとも、誕生日自体は皆から祝福のメッセージやメールを沢山貰えたし
恒例の家族からの誕生日のお祝いも例年以上に手の込んだ内容だった。

そういう意味では、皆への感謝の気持ちを
改めて実感する機会にはなってくれたのかしらね。

そしてそれを積み重ねていく事が、一人の大人としての
資質を身に着けていくと言うものなのかもしれない。
今の私にはまだまだ足りていないものでしょうし。

経験も知識も自負も、人生の機微のなにもかも。

なにせ今も愚にも付かないこんな事を考えているくらいなのだしね。

とはいえ、私とてこの節目を迎えるにあたっては、目指す
『理想の世界』を私なりのやり方で推し進めたいと考えているけれど。

どうにも新たな年度を迎えてからというもの、自分自身
その為の詮術どころか覇気すらも欠いた為体なのを実感している。

理由は……勿論わかりきっている。

まったく、先輩の事など何も言えた義理ではないわよね。
先輩を焚きつけるだけ焚き付けて、自分自身はこんな有様では
辿りつくべき『理想』に私一人が置いて行かれてしまうでしょうに。

本当、桐乃がいないだけで、自分がこんなにも惰気に囚われてしまうなんて。

あの娘は自分の道を真っ直ぐに追い求めて海外に征ったというのに。
後顧の憂いなく全てを私達に委ねて旺然と邁進しているというのに。

託された側がこんな醜態を晒しているようでは
桐乃に顔向けできないどころか、足枷にすらなりかねないもの。

もっともっと気を引き締めなければならないわ。
今だ大学生とはいえ、社会的にはもはや一人の成人と見做されるのだから。

海外で専門技術を学びながらも既に一人のプロフェッショナルとして
社会に出ている親友に、せめて恥じ入る必要がないくらいには、ね。

居間のテーブルに向かってそんなことを考えながら、
私は成人した自分への決意を新たにしていたのだけれども。

「ルリ姉、ルリ姉ってば!なにぼーっとしてるのさ。
料理の下ごしらえも終わったから、そろそろ高坂君のアパートに行くよ?」
「そ、そう。ごめんなさい、少し考え事をしていたものだから」

台所から戻ってきた日向の声で、私の意識は現実に引き戻された。

「最近ちょっと多いんじゃない?ところかまわずぼんやりしてるよねぇ。
ま~あ?大好きな親友と会えなくなって寂しいのはわかるけどねー」
「な、何を言ってるのよ。時差が7時間あるといっても、毎日メールの
やり取りはしているし、休日にはボイスチャットで話してもいるのよ。
直接会えないくらいで寂いなんて思うわけがないでしょう?」
「ふーん、毎日、ねぇ。どんだけ好き過ぎるのよ、まったく。
高坂君、いろんな意味でヤキモチ妬いてんじゃない?」

日向はニタニタと厭らしい笑みのまま、これ見よがしに溜息を付いて見せた。
日向も今年は15歳。この手の話題には年頃の女の子らしく
目敏く絡んできて正直うんざりもしているのだけど。

「良いのよ、精々やきもきさせておけば。
そのくらいの甲斐性がなければとてもこの先やっていけないでしょ?」
「ま、それもそっか。これからもずっと大変だねぇ、高坂君」
「ええ、それが『漆黒の獣』<ノワールビースト>としてのあの人の宿世よ」

けれどその分も私達の機微を把握して、その上で理解と協力をしてくれている。
おかげで随分と助けられてもいるし、本心を言えば感謝もしているわ。

「よーし、それならこの日向ちゃんが今日はたっぷり慰めてあげないとね!
このあたしの磨き上げられた料理の腕と傷ついた心を癒す包容力の前には
きっと高坂君も即堕ち間違いなしだよね!」

……ええ、解っている。解ってはいるのよ?
これも日向なりの私への発破の掛け方だ、と言うのはね。

だけど、年長者に対するその不遜な挑発と煽動は
姉として妹を厳しく躾けおかなければならない案件でしょう?

「……そう、良いでしょう、日向。あなたの考えは良く解ったわ。
出掛ける前に再教育が必要の様だから、少しだけ私の部屋にいきましょうか」

私はすくっと立ち上がると日向の首根っこを鷲掴みにした。
手足をばたつかせ、無駄な抵抗を続ける日向を一切無視して
そのまま自分の部屋へを引きずっていこうとしたのだけど。

「姉さま、お姉ちゃん?そろそろ出発しないと間に合いませんよ?」

今日のパーティに持っていく料理を
日向と一緒に用意していた珠希が、台所から顔を出した。
手に持っている大きなバッグには、きっとタッパーに詰められた
沢山の料理が入っているのでしょうね。

「そ、そうね。では私もすぐに準備をしてくるわ。
……日向?必要があれば続きは帰ってきてからにするから
精々今日一日の言動には十分に留意する事ね?」
「ふ、ふわあぁぁい」

ここは珠希の顔を立てて許してあげましょうか。
何かと気が利く妹がいてくれて、私も日向も助かっているものね。

私達は手早く身支度を整えると、料理を皆で手分けして持って
すぐさま先輩のアパートに向かったのだけど。

「それで今日は何を作ったの?」
「はい、立っていても食べやすいように、日向お姉ちゃんと相談して
寒天でまとめたトマトパスタやテリーヌ、シュウマイの皮で作った
ミニキッシュやおとうふのミートローフなどを、たくさん作ってみました」
「そう、それはすごいわね。皆きっと喜んでくれるわ」

その道中、妹達が朝から奮闘していたお料理の内容を尋ねてみた。

すぐに珠希が笑顔で答えてくれたのだけど、確かに説明された通り、
一つずつ取り易く、かつ食べやすいサイズを考慮した料理ばかりのようね。

私が大学に入ってから、先輩の部屋に行って家事を教えたりする日には
日向や珠希が率先して我が家の夕食の準備などをしてくれるようになった。

さらに日向は中学では料理部にも入っているから
この1,2年の間にめきめきと料理の腕を上げていて
もう何の心配もなくうちの食卓を任せられるようになっているわ。

珠希は元々手先が器用な事もあるし、性格的にも向いているのでしょうね。
この春に小学4年生になったばかりだというのに、家事の手伝いを
積極的にしているばかりか、一人で簡単な料理なら作れる程になっている。

それに今日の料理からも、目的に合わせた柔軟な発想が見て取れる。
このあたりはきっと珠希のアイディアなのでしょうね。
姉の贔屓目を差し引いてもその創造力は将来が楽しみになってくるわ。

「ふふっ、姉さまの『聖餐の指南書』<ダグザ・グリモワール>のおかげです。
この料理を食べれば、みんなの『魔源』<マナ>が高まって
姉さまのお祝いにはきっとふさわしいパーティになりますね!」

謙遜しながらも、得意気な表情を浮かべながら応える珠希。
そんなドヤ顔も歳相応に嫌味もなく、とても可愛らしいものではあるけれど。

最近になって、珠希への接し方を間違ってしまったかしら、と
私自身、少しばかり後悔がないわけでもないのよね……

我が『闇の宿命』は私自身が背負うもので
大切な妹にそんな業など担わせるわけにはいかないもの。
日向からも、珠希の前ではそういうのはなるべく控えてよね、と
強く釘も刺されているくらいだし。

おかげで我が『夜魔の女王』の正装はもとより
大学生活の為に手ずから創り上げた『朔望十二聖衣』ですら
ほとんどのものが封印指定の憂き目にあってしまっている。

とはいえその分も桐乃や沙織に付き合って貰って選んだ服が
俗世の日常では役立っているのだけれどもね。

もっとも今日は封印を免れた『卯月』をこの身に纏っているわ。
白と桃色を基調にしたこの聖衣は、この季節にはぴったりの衣装だもの。
だからこそ昨年の誕生日パーティにも選んだ自慢の逸品だったし
日向にもこれくらいならいいかな、とお墨付きを貰ってもいる。

「そうね。でも珠希、人前で濫りに『闇の御業』を出しては駄目よ。
この力は理を知りえぬ人間達には気付かせぬ事こそが真理。
その本質は闇のものであるということを努々忘れぬ事ね?」
「はい、姉さま!」

私の忠告に、珠希は目を輝かせながら大きく頷いてくれた。

ふっ、これで当面は珠希の心配は不要でしょうね。
少なくとも周りの人に知られなければ問題は起きえないわ。
その間に珠希を闇の宿命から解放する算段を整えなければ。

その時、私達の後ろを歩いていた日向が
深々と溜息を付いていたのが少し気になったけれど。

なにか気掛かりな事でもあるのかしら?
今度それとなく聞いてみなければいけなさそうね。
ふっ、まったく世話の焼ける妹を持つ姉は苦労するわね?



  *  *  *



「あら、黒猫さん。主賓がこんなに早くご来場ですか?
パーティの開始までにまだ2時間もありますよ」
「何を言ってるのよ、沙織。パーティの主賓だからこそ、私自身が用意すべき
物もあるわ。まさかそれまで引き止めるつもりではないでしょうね?」
「……なるほど、それも道理ですわね。それではお任せしましょう。
そうですね、会場の搬入作業は男性陣のご活躍で一通り終わりましたから
京介さんにも黒猫さんをお手伝い願えれば幸いですわ」
「そうね、それは助かるわ」

今日の誕生日パーティの会場となる先輩のアパートの庭先には
既にいくつかのテーブルや人数分の椅子、それにガーデンパラソルや
簡易テントなどが運び込まれている。

先輩だけでなく、三浦さんや真壁さん、ユウが頑張ってくれたおかげのようね。
皆に頭を下げてその労を労ってから、改めて私は先輩に声をかけた。

「では先輩、手伝ってくれるかしら?」
「おう、任せとけって。そんじゃ部屋に置いてあるの、持ってくるとするか」

私は軽く頷いて見せると先輩の後について
2階へと上がるアパートの外階段を昇っていった。

「五更さん、こんにちは。それにしても早く来たんだね」
「こんにちは、花楓。あなたにまでそんな反応をされるとは
心外だけどもね。どう、お料理の方は順調かしら?」
「うん、もちろん。日向ちゃんと珠希ちゃんも手伝ってくれているしね。
この調子なら開始時間までに十分間に合いそうだから
その分も誕生日ケーキに手を掛けられそうで助かるよ」
「そう、それはなによりね。昨年からあなたが
どれだけ腕を上げたのか、私も楽しみにしているわ」
「うん、期待しててね。それじゃごゆっくり」

先輩の部屋の台所では、花楓が日向と珠希と一緒になって
無数に並べられたお皿に調理したお料理を次々と盛り付けていた。

普段は控えめな花楓がこんなにも得意気なところを見る限り
それだけ確かな自信があるということなのでしょう。

高校のクラスメイトで元々料理好きだった花楓は、より専門的な知識と
技術を身に着けるために栄養学科のある女子大に進学していた。
そしてこの1年もの間、花楓の望み通りに、存分に学んでは
力をつけてきた、という自負があるのでしょうね。

ふふっ、あなた自身の夢を適える為のこの道標、
この私が手ずから見極めてあげるわ、花楓。

それにしても……ごゆっくり、とはどういう意味かしらね?

私がそれを花楓に尋ねようとした矢先、先輩は押入れにしまっておいた
ダンボール箱を2つほど両腕で抱えて玄関まで戻ってきていた。

「ごめんなさい、先輩。ひとつは私が持つわ」
「いいって、入っているのは紙細工がメインの軽いものなんだしよ。
それよりも黒猫はボードの方、よろしくお願いするぜ」

そう言うや否や、私の返事も聞かずに先輩は玄関から出て行ってしまった。

仕方なく私は居間に向かうと、押入れに同じように
仕舞っておいたコルクボードを取り出した。

ボードには私がこの1週間、精魂籠めてケント紙に描き込んだイラストと
メッセージとが貼り付けてある。所謂、ウェルカムボードというものね。
パーティの主賓として、迎えた来賓に謝意を形として現したいと思ったから。

その自ら描きあげたイラストを改めて見て、つい口元が綻んでしまった。

以前『運命の記述』に描いたものよりも、我ながら良い出来だと思う。

私の愛する人と。愛する全ての人と共に幸せに過ごす『未来図』<ビジョン>。

この絵はその理想の姿を象徴する光景なのだから。

大切な家族。掛け替えのない友達。得難い仲間。久遠に愛おしむ人。
皆幸せそうに微笑んで私達を祝福してくれている。

いまだ完全なものではないとしても。
それはこの後に、すぐにでも現実のものにもなるはず。

……でも。

今日この日には、そこにあなたはいないのよね……

『理想の世界』の中でも一際大きく描きこんだ刎頚の友の笑顔を
指でなぞりながら、またもやそんな詮無き事を考えてしまう。

……いけない、そんな感傷に浸っている場合ではないわね。
早く下にいって先輩と会場の飾り付けの準備をしないと。

私は軽く頭を振ってからボードを手に取ると、玄関へと振り返った。

……え?

そしてこの『夜魔の女王』ともあろうものが。

驚きの余りに、目を見開いてその場で固まってしまった。

「へぇ、よく出来てるじゃん、そのイラスト。また腕あげたんじゃない?」

だって、ここにいるはずのない人が、そこに立っていたのだから。

「あ、あなた……どうして、日本にいるのよ……」
「そんなの今日帰って来たからにきまってんじゃん?」
ほら、どいてどいて。空港から直接来たから荷物が重くってさ」

桐乃はそう言うなり大きなキャリーケースを抱えて居間に入ってきた。
私は反射的に場所を空けると、桐乃は部屋の隅に無造作にケースを置いてから
改めて私のほうに向き直った。

「あっちで本格的に受けた初仕事でね。1週間くらい日本で
撮影をする事になったってワケ。ま、あんなに盛大に見送って貰ったのに
いきなり戻る事になっちゃったから、なんかこう言い出し辛くってさ。
でも、ま、丁度よかったっしょ?」

いまだに目の前の光景が信じられずに呆然としていた私に、
桐乃はさも何気ない世間話をするような調子で言ってのけた。

「丁度よかったって……それは、まあ、そうかもしれないけれど」
「そうそう、だからそんなことよりも、さ。せっかくのあんたの
誕生パーティに出るならってプレゼントも用意しておいたんだよね。
受け取ってくれる?」
「え、ええ……わざわざ誕生日の贈り物を断る理由なんて……ないでしょう?」

私の頭が混乱のあまりに激しく処理落ちしている間にも
桐乃はいつもの彼女らしく、マイペースで矢継ぎ早に事を進めていく。

「さんきゅー、んじゃさっそく」

桐乃は八重歯をむき出してにんまりと微笑むと、ぱちんと指を鳴らした。
まるで悪の女幹部が戦闘員を呼び出すような仕草でね。

「あい、わかり申した、きりりん氏!ものども、出会え出会え!!」

桐乃の合図に応えて玄関の外から沙織の声が聞こえた途端、
ドアが押し開かれると、秋美が、瀬菜が、さらには
あやせと麻奈実さんまでもが次々と居間になだれこんできた。

「え、ちょっ、な、何をするの、あなた達!?」
「ほらほら、五更ちゃん、おとなしくしときなさいってば」
「そうです、なにも心配することなんてないですよ。
ぇっへっへ、痛くなんてしませんから~」

まっさきに左右に別れた秋美と瀬菜が、私の両腕をがっしりと掴んでいた。

口では無害を主張してはいたけれど。古今東西、こんな状況下で
そんな降伏勧告に素直に従う愚か者がいるわけないでしょうに。

とはいえこの私の今の『仮初の身体』では
ここから自力で脱出する方策など、思い当たるものでもなかった。
有らん限りの力で振りほどこうとしても、びくともしてくれないのだから。

「ごめんなさい、黒猫さん。
なるべく早く済ませるから、まずは服を脱いでくれるかなー」

さらには麻奈実さんまでもが、普段通りの柔和な笑顔のままで
そんな破廉恥極まりない台詞を言ってきた。

い、一体何が起きているというの?

瀬菜や秋美だけならば単なる悪巫山戯の可能性が高いけれど。
麻奈実さんまでもが加わっている以上、冗談や酔狂で
こんな事をしてくるとはとても思えない。

まさかここにいる全員が『怠惰の魔王』<ベルフェゴール>の
『魅了』<チャーム>を受けて操られているわけではないでしょうね?

「黒猫さん?早くしないと時間がなくなっちゃうじゃないですか。
ほら、言う通りにしてくださいね」

あやせが薄い笑いを浮かべながら近づいてくる。
気のせいかその瞳にはあるべき虹彩が消えうせ、酷く虚ろに見えた。

そ、その手に持っている鈍色の何かで、一体私に何をしようと言うのよ!?

「はっはっはっ、安心してくだされ、黒猫氏。なに、単に黒猫氏には
今日の誕生日パーティに相応しいお姿になって頂くだけでござるよ。
そしてこれが我ら一同の用意した黒猫氏へのプレゼントというわけですな。
宴の始まる前にお渡しせねばならないのが、少々申し訳ないでござるが」

最後に部屋に入ってきた沙織は、先の清楚なお嬢様然とした姿はそのままに
ぐるぐる眼鏡を装着した『バジーナ』モードに変移していた。

成程、誕生日プレゼントとして服の贈り物、ね。
沙織のその説明を聞いて、一瞬安心しかけた私だけれど。

それならば何故私が逃げられないように、両腕をしかと掴まれているのか?
そも私が先輩の部屋に入った途端、タイミングが良すぎる桐乃の登場にしても
あまりにも出来すぎていると言わざるを得ないわ。

つまりは、私が今日ここに来て沙織と話したその時から。
いえ、違うわね。きっと沙織の事だもの。今年の私の誕生日パーティを
提案したその時から、こうする事を企んでいたという事でしょう。

「は、謀ったわね、沙織!」
「ふっふっふっ、黒猫氏は良い友人でござったが……
御身の御友人達がいけないでござるよ。勿論拙者も含めて、ですがな。
さあ、御覚悟召されよ、黒猫氏!」

沙織の台詞が終わるや否や、その場にいた全員が
一斉に私に向けて手を伸ばしながら迫ってきた。

さながら生者に群がる『不死者』さながらの光景の前にしても。
身動きを封じられた私は為す術なく、それを見届ける事しかできなかったわ。



  *  *  *



「ん~、こんな感じかなぁ?黒猫さんが着付けの経験があって助かったよ~」

ぐるりと私の周りを回って全身をチェックしてから
麻奈実さんが実に彼女らしい仕草でにぱっと笑った。

謙遜してはいるけれど、実際に私が手を出した所などほとんどなくて、
麻奈実さんは実に手慣れた様子であれよという間に私を着付けていた。

さすがは代々続くという老舗和菓子屋の看板娘。
着付けの機会にしても、人並み以上にあったということでしょうね。

そういえば麻奈実さんは卒業したらご実家を継ぐのかしらね?
彼女自身は教師を目指して教職も履修しているようだけれど
「ん~後は弟次第かなぁ?」と、以前進路を尋ねた時には
のんびりと答えてくれたものだった。

それを聞いて私の胸は、ずきりと痛んだけれども。
きっと麻奈実さんは私がそんな感傷を持つこと自体、望まないでしょうね。

「髪の方も終わりましたよ。どうですか、黒猫さん?」

着付けと合わせて私の髪型を丹念にセットしてくれていたあやせが
大き目の手鏡を渡してくれた。それで初めて、私は今の自分の髪型と
着付けられた格好とを確認することができた。

私の身体を装っているのは、落ち着いた瑠璃色の生地に
艶やかな色形の花模様がそこかしこに散りばめらた振袖だった。

勿論、それは着付けられている時から解ってはいたのだけれど。
実際に自分がそれを身に着けている全身を見るのは
まったく趣きが違っていたわ。

まるきり、これから成人の儀に向う新成人さながらに。
煌びやかな振袖に身を包み、アップに纏め編み込んだ髪を
サイドに垂らしている酷く大人びた自分の姿。

手元に映し出されていたそんな見慣れぬ鏡像に魅入られて、
私は暫しの間、返事をすることも忘れて、ただその場で立ち竦んでいた。

まるで磨き上げられた楯に映された自身の姿で
石と化してしまった蛇髪の魔物のように、ね。

「どう?いいっしょ、いいっしょ?
やっぱあたしの見立てに間違いなんてないよねぇ!
ま、色はあんたの趣味に合わせてあげたんだから感謝しなさいよねー」

ずっと押し黙っていた私の返事を待つのももどかしくなったのでしょうね。
私が着付けられている間、黙ってその様子を見ているだけだった桐乃が
その分も取り返すとばかりにテンション高く捲くし立ててきた。

「……え、ええ。正直、驚いているわ。
自分でいうのもなんだけど、まるで私じゃないみたい。
なのに、不思議なくらい自分に馴染んで見えるのは何故なのかしらね?」

それでもいまだに自分の姿に衝撃覚めやらぬ私は
鏡から目を離す事も出来ずに、思ったままを桐乃に応えていた。
まったく自分には似つかわしくない位、正直にね。

暫くしてから我に返って慌てて顔を上げたけど、時すでに遅し、ね。
目の前の勝ち誇った桐乃のドヤ顔をこれでもかと見せ付けられて
せっかくの夢心地も一気に現実に引き戻されてしまったわ。

でも、これも何故なのかしら。

いつもは相手にするのが鬱陶しい限りの桐乃のその表情ですら
今日に限っては嬉しくて仕方ないと感じるのは。

きっといまだに私が『魅了』から回復していないせいかもしれないわ。

まったく自らの姿に魅入られてしまう、だなんて。
そんなのはどこぞの神話の花の化身か、自己顕示欲の塊のような
目の前にいる『熾天使』だけで十分でしょうに。

「……私の為にこんな立派な振袖を用意してくれたのは本当に嬉しいのだけど。
とても気軽に友達同士でプレゼント出来るような代物ではないでしょう?」

ある意味桐乃のおかげで漸く冷静さを取り戻した私は
それと同時に思いついた疑問を真先に口にしていた。

だってそうでしょう?振袖と言えば数十万円するのが当たり前なのだから。
今日のパーティにそれなりの人数が集まってきているとはいえ、一体一人当たり
いくら出さねばならなかったのか、考えるだけで申し訳ない気持ちになるもの。

そしてこんなに大人数を導入してまで私を着付けさせた理由も
今更ながらに理解できた。こんな大層な贈り物、普通に手渡された所で
私は気後れしてしまって素直に受け取らなかったでしょうから。

「最初に聞くのがそこなワケ?あんたホント、所帯じみすぎっていうか。
そんなの貰った人が贈った側に聞くのは野暮ってモンでしょ?」
「まあまあ、きりりん氏、そんな家庭的なところも黒猫氏の
素晴らしい美徳というものでござるよ。なに、ご安心くだされ、黒猫氏。
勿論、これは皆の同意を得ておりますし、今日のパーティの会費と一緒に
その分のお代も頂きましたが、大人お一人当たり、きっかりこれだけしか
集めておりませぬ」

そう言って沙織は人差し指をぴんと立てて見せた。

いくら会場の準備やパーティの料理は自前で用意しているとはいえ
食材の費用だって馬鹿にならないし飲み物代だってある。
それに日向や珠希、ブリジットからは徴収してないでしょうから
多めに見積もってその半分が諸経費の充当、というところかしらね。

となると、残りの金額がプレゼント代として当てられたのでしょうけど。
私を除いた参加者数を掛けたところで、とてもこの振袖に見合った
予算になるとは思えないものね。

「それに実家の伝手で、取引のある職人さんに格安でお願い出来たでござるよ。
まあ、それでも少々足が出たところもあり申したが
その辺はきりりん氏と拙者とで面倒を見させて貰ったでござる」
「そそ。それに、どうせならやっぱ妥協はしたくないじゃん?
あたしらだけじゃなくて、みんなの意見や希望もできる限り盛り込んで
イメージ通りに作ってもらったんだよねぇ。その割り増し分も含めて
まあ、言いだしっぺのあたしたちが責任持つってもんでしょ?」

そんな私の疑念もお見通しだったのでしょうね。こちらが問い質す
よりも早く、沙織と桐乃がさらに詳しい内情を教えてくれた。

「だからあんたはそんなコト気にしないで、せっかくのパーティなんだから
主賓は堂々と着飾って晴れ姿をみんなに見せびらかしてればいーのよ。
ほら、その振袖の白い花みたいに、さ」
「……『私を認めて』だったかしらね、シャガの花言葉は。
珍しい花を着物の柄に縫い込んだものだと思ってはいたけれど
あなたの目論見通りだったということかしら?」
「いえいえ、黒猫氏。振袖の柄は皆様の御意見から、春らしい可憐な花を
集めてみただけでござるぞ?故にきりりん氏も申し上げた通り
黒猫氏には何のお気兼ねなく喜んで欲しいだけでござるよ」

このひときわ大きく振袖に描かている白い花、シャガは
私の誕生花でもあるのだけど。私を揶揄するには
ぴったりの意味合いよね。『私を認めて』だなんて。

まあ桐乃の事だからその花言葉の意味を踏まえた上で
私にそうありなさい、と諌めるつもりなのでしょうけれど。
そういえばちょうど1年前程前、卒業旅行で訪れたアメリカの地で
桐乃に諭された時の言葉も、同じようなものだったわね。

他にも黄色い花はハナビシソウ。周りに細かく散らしてあるのはシバザクラ。
ピンクの花はカイドウ。赤く可愛らしいのはストロベリーキャンドルかしら。

沙織の言う通り、一見この季節に相応しい私の誕生花ばかりを
集めたように見えるけれど。先の桐乃の話しぶりから察するに
きっと其々の花には皆からの私へのメッセージも籠められているのでしょう。

「消える事のない想い」「佳人」「臆病な心」「胸に火を灯す」

解釈は様々にあるのが花言葉の常でもあるけれど。
思いついたそのどれもが、今の私には相応しい激励の言葉に感じられたから。

「そうそう、余計な事ばっか考えないで人生楽しまなきゃ損だよ、五更ちゃん。
ちなみにそのかんざしは実はあたしが用意したんだよねー。
どう、その薔薇細工。見事なもんでしょ?」
「……そ、そう。ありがとう、秋美。確かにこの白と黒の薔薇の二刺しは
我が内に秘められし『黒き獣』と『白き神』の二元を顕しているようね」
「でしょでしょ?色合いの対比も考えて、五更ちゃんのイメージに
合うものを見つけるのは、これでも苦労したんだから」
「感謝しておくわ。でもこんな逸品の目利きが出来るだなんて。
どうやら工芸商としての修業は順調なのかしらね?」
「まだまだお母さんの後ろで、見てるだけしかさせて貰えてないけどねぇ。
はぁ、早く自分だけでお仕事が出来るようになりたいよ」
「精々頑張りなさいな。何だって下積みは大切でしょう?
それも一人前に楽しめるようにならなければ、ね」

高校時代と同じく、相変わらずマイペースに語りだした秋美のおかげで
私も無粋な勘ぐりをするような気はすっかり失せてしまった。

ふふっ、確かにあなたの言うとおりよね。
今は私の為にと皆が用意した贈り物を素直に感謝して
この場を心から楽しむのが一番なのでしょう。

いろんな意味で礼を言わせてもらうわよ、秋美。

「五更さん、五更さん。ちなみに髪飾りは私のチョイスですからね?
何を隠そうポイントはその2つの緑の宝石なんですよ!」
「あなたにしては『魔石』<パワーストーン>に拘るだなんて
なんだか意外な感じがするわね」
「ど、どういう意味ですか!?私だってアクセサリや宝石とかにも
興味も知識もありますよ。腐ってようがれっきとした女の子なんですからね」
「そういう事ではないのだけれど……ふふっ、まあ、冗談よ。
私の誕生石『翡翠』<ジェダイト>を選んでくれたのは感謝するわ、瀬菜」
「はい、どういたしまして。五更さんには言わずもがな、でしょうけど
翡翠は夢や目標をサポートしてくれる効果もあるそうですよ。
だからこれからの五更さんの力にもなってくれるといいですね」

その本質は重度の腐女子とはいえ、根は生真面目な性格の瀬菜の事だもの。
迷信じみた由来を持つアクセサリなどは、最初から毛嫌いしているものと
ばかり思っていたわ。実際、身に着けているのを見たこともないしね。

だからそんな友人の意外な一面を見せて貰って。
何より彼女らしい真っ直ぐな気遣いと思い遣りに溢れていた事に
私はもう一度心からの礼を瀬菜に返していた。

「そろそろ、着付けは終わったかな?わあぁ、すごい素敵だよ、五更さん!
着物もとても似合ってるし、いつも以上に大人っぽくて
私と同い年には全然見えないよ」

台所から顔だけを出してこちらの様子を伺っていた花楓は
私の姿を見るなり大袈裟なくらいに感嘆の声を上げた。
そして一度顔を引っ込めてから、すぐにスマホ片手に居間に入ってきた。

「それじゃ五更さん、適当にポーズを決めてくれるかな?
誕生日ケーキの元絵に使わせて貰うから」

言うなりスマホを構えた花楓は、ぱしゃぱしゃと写真を撮り始めた。

「ほらほら、なにぼーっとつっ立ってんのよ。
振袖ならそれらしい佇まいや仕草ってものがあるでしょ。
ほら、もっと肩の力抜いて撫で肩にして背筋を伸ばす!
一つ一つの動作はゆったりと優雅さを意識するのが基本だから!
あと身体を斜めにすると着物はシルエットが綺麗に見えるから
そこんところも意識する事!」

いきなりポーズを取れ、なんて言われて戸惑っていた私に
桐乃からその道のプロらしい厳しい声がかけられた。
さらにはなっていない箇所に手を当てて力付くで矯正しながら
素人の私が少しでも様になるようにと事細かに教示してくる。

「あとこんな構図もいいんじゃない?伝統的な日本の見返り美人っぽくてさ」
「うんうん、すっごく綺麗だね。じゃあ、これを第一候補にしようかな。
それじゃ五更さん、ケーキの出来栄え、楽しみにしててね」

暫しの間、被写体そっちのけで盛り上がっていた花楓と桐乃だったけれど。
漸く満足のいく写真が取れたのか、花楓は満面の笑顔で台所に戻っていった。

桐乃に散々駄目出しされながら、慣れぬ姿勢を強要されたり
無理に笑顔を作ったりして、すっかり消耗させられたものだけど。
桐乃はともかく、普段は大人しい花楓に珍しく、こんなにも
はしゃいだ姿を見られたのだから、それも悪い気はしないわね。

まあ、私を肴に皆が盛り上がるのは、正直こそばゆいものがあるけれど。
それこそがパーティの主賓の務めというものでしょうしね。

だから私はそれを果たすべく、居ずまいを正すと皆に振り返った。

「こんなにも素敵なプレゼントを用意してくれて、皆、本当にありがとう」

そして纏めた髪がほどけんばかりの勢いで皆に頭を下げた。

今更ではあるけれど、この素敵な贈り物に対して
まだ感謝の気持ちを返せていなかったもの。

「なーに今から言ってんのよ。パーティはこれからじゃん?
そんなのは最後の最後にみんなの前でいいなさいってば」

けど私の誠意は、そんな不躾な一言で返されてしまった。

「ほら、今日の主役として歓迎の準備もあるんでしょ?
そろそろ下に降りとかないと時間なくなるってーの」

そして桐乃は何の遠慮もなしに私の手を掴むと
そのまま玄関に向かってぐいぐいと引っ張っていく。

「ちょ、ちょっと桐乃、少し待って頂戴。まだボードが」
「これのことならご心配召されますな、黒猫氏。
それにしてもまた一段と賑やかになりましたなぁ。『理想の世界』は」

いつのまにかウェルカムボードを手にしていた沙織は
すぐに両手にそれを抱えると私達の後を追いかけてきた。

まったくこういう無理矢理に事を進める時には
相変わらず阿吽の呼吸を見せるわよね、あなた達は。

それにしても、こんなにも慌ただしく引っ張りまわしてくれて。
着物姿では優雅な動作が基本だと、さっきあなた自身に
教わったばかりではなかったかしらね?

その強引さに、思わず深々と溜息が漏れそうになってしまったけれど。

勿論、私にだってわかっているわ。

きっとこの大層なプレゼントへの感謝のあまり
恐縮した私の気持ちを振り払う為にしたのだというのはね。
まあ、本人の照れ隠しもあったとは思うけど。

そんな押しの強さこそが、内気で臆病な私を
いつでも楽しい気持ちにさせてくれてきたのだから。

そしてまた。

ここに来るまで胸の奥に潜んでいた寂寥感なんて
すっかりどこかに吹き飛んでしまっていた、と言う事も、ね。



  *  *  *



自分としては想定外に着付けに時間を取られてしまったので
大急ぎで会場の飾りつけをしなければと思っていたのだけれど。
庭に戻ってみれば先輩がそのほとんどを終わらせてくれていた。

結局、桐乃の件も含めて最初からそのつもりだった、という事でしょうね。

まったく、この『夜魔の女王』ともあろうものが
皆に良い様に踊らされていた、だなんて。
これこそ痛恨の極みと言うものね……

さらには、そんな憤りを籠めて先輩に文句の一つも打つけようと思ったのに。

「……ああ、やっぱかぐや姫みたいに、綺麗、だよな」

なんてこの姿を見た途端、目の前で惚けてくれたものだから。

結局、憎まれ口一つ言えずに、私は黙々と残りの準備に取り掛かる事になった。

まったく、あなたがその言葉を口にする意味を、
解って言ってるなら酷い人だし、解っていないなら
それはそれでさらに始末に負えないものがあるわ。

本当、もう慣れたものだと思っていたけれど。
あなたはいつまでたっても肝心な所は鈍感で察しが悪くて
乙女心の機微など全然解ってくれない残念な雄よね。

まあ、先輩は惚けていた所を桐乃にきつく折檻されていたから
今回のところはそれで勘弁してあげることにしたわ。
寛大な女王の慈悲に感謝して欲しいものよね。

その後、ウェルカムボードを会場の入口に見立てた
ポールの横に設置して気になった箇所の飾り付けの手直しを終えると
あとはパーティの開始時間を待つばかりとなった。

ちなみに私が準備した飾り付けというのは、ペーパーナプキンで作った花飾りや
切り紙細工を紐でつるしたガーランド、それに風船に薄布を被せてコサージュや
リボンでデコレートしたチュールバルーンなどね。

こんなちょっとしたものでも、それなりに数を揃えて
要所を飾る事で、案外と場の雰囲気というのは華やかになるものなのよ。
家ではよくお祝いの日にはお母さんやお婆ちゃんが用意してくれたものだわ。

それから皆との今までの思い出を収めた写真を、並べて紐に
クリップで挟んでガートランドのようにして飾ってもみたわ。

大学に入ってからというもの、先輩はいつの間にか写真を撮るのが
趣味になっていたのよね。なんでも桐乃の撮影練習に協力してるうちに、
なんてのが言い分だったけれど。どこまでシスコンなのかしらね、まったく。

とはいえ、おかげで私達の在りし日の光景が先輩のカメラには
沢山残されていたから。過去を懐かしむような歳でもないけれど
たまにはこんな趣向も悪くはないでしょう?

実際、準備でこの場にいた人たちにも掴みは悪くなく
気が付けば人だかりができて思い出話に皆、花を咲かせていたわ。

そして残りの参加者も来訪して、食事やドリンクの配膳も終わり
いよいよ今日のパーティの開始時間となった。

「皆様、本日は『黒猫こと五更瑠璃さん二十歳誕生日お祝いパーティ』に
お集まり頂きまして、誠にありがとうございます。黒猫さんの御成人を
皆で祝福すると共に、今日は心行くまで楽しんで頂ければと思います。
それでは、乾杯」
「「「「「かんぱーい!!」」」」」

沙織の挨拶と乾杯の音頭を合図にして、私の誕生日パーティが始まった。

皆、掲げたグラスをすぐさま周囲の仲間達と軽やかに打ち合わせると
思い思いに最初の一杯を楽しんでいる。勿論、この私もね。

「おう、五更、これで堂々と酒を薦められるようになったな。
俺がこの日をどれだけ楽しみに待っていた事か!
さあ、そんなわけでまずは一献、受けて貰おうじゃねぇか」
「部長、いきなり女性に絡んでお酒を飲ませようとかセクハラ案件ですよ。
それにほら、五更さんだって飲んでいるのはソフトドリンクじゃないですか」

早速最初のグラスを飲み干した三浦さんが、ビール瓶を片手にやってきた。
とはいえ真壁さんの指摘通り、私が飲んでいるのは単なる烏龍茶。
折角二十歳になったと言うのに、アルコールは私の弱点の一つなのよね……

「そうね、ごめんなさい。お酒は料理に使う時でも少し酔ってしまう位だから
徐々に慣らしていこうと思っているのよ。三浦さんには申し訳ないけれど、
一緒に飲むのは次の機会まで待ってもらえると助かるわ」
「ふむ、そういうことならしょうがねぇか。
やっぱ酒はうまく楽しく飲めてなんぼだしよ。よし、あれだ。
俺が会社を立ち上げた時は、創立記念がてら気が済むまで飲み明かそうぜ」
「ええ、そうね。そのくらいにならきっと」
「そんな事言って、本当に大丈夫なんですか?このご時世、大卒で
いきなりゲーム会社なんて作ってやっていけるものなんですかね」
「誰が卒業してすぐに作るって言ったよ、真壁。まずは大手に入社して
技術と運営ノウハウの修得と、一番重要な人脈を築いてからじゃないとな。
そうだな、2年くらいはその準備にかけて、会社設立は3年後ってとこか。
それなら五更や赤城、青井や山上もちょうど新卒として入社できるだろ?」
「えええっ、そんなつもりだったんですか、初耳ですよ!?
っていうか、それじゃ再来年卒業の僕は1年間どうすればいいんです!?」
「お前も最初の1年は他で武者修行でもすればいいんじゃね?」
「人の人生を大きく左右するような勧誘をしておいて、
実に無責任極まりない物言いですねぇ、あなたは!」

三浦さんと真壁さん、そして瀬菜は、今は同じ大学に進学していて
高校時代と同じように、部活で皆揃ってゲーム製作に勤しんでいるわ。
さらに言えば私の松戸の高校時代の部活仲間、青井君や山上君も一緒にね。

そしてゆくゆくは三浦さんの立ち上げるゲーム会社に集って
世界一のゲームを作り出すのを目標としている。

以前から私や瀬菜も三浦さんにそこに入らないかと誘われているわ。
私自身、それも魅力的な選択だと考えてはいるけれど
いまだに明確な返事は保留させてもらっている。

少なくとも後2年。私が就職活動が始める前までは
自分自身が満足の行くまで進路を考えようと思っているから。

それにしても、三浦さんが大学に入る前からこの話を聞かされてもう3年。
初めてあった時から全く変わらない三浦さんたちのやり取りを見ていると
余計に月日が経つのが早いと思ってしまうわね。


「しかし君と顔を合わせる時は、毎回ファンタスティックな
格好を見せられている気がするな。今回はさしずめ……
『姫猫』、とでも呼ばねばならないのかな?」
「ふふっ、そうね。確かにそんな呼称がこの『聖衣』には相応しいわ。
今年の世界大会では必勝を期して、この姿であなたに挑もうかしらね?」
「フフフッ、面白い。今年も決勝の場で手合わせするのを楽しみにしておこう。
いっその事、君も二十歳になったのだからプロゲーマーとして身を立てる、
というのはどうだ?そうなれば今まで以上にお互い競い合えるだろうよ」
「確かにその道も心惹かれるものがあるのは確かだけれど」
「ふっ、そうだったな。君にはもっと別の目指すべき場所がある、か。
精々頑張り給えよ。もっとも君には要らぬ心配だろうがな」

何時ものようにライダースーツに身を包んだ香織さんは
今日も愛車のバイクでこのパーティに来ていた。
まあ香織さんに限っては、初めて直接顔を合わせ、死力を尽くして
戦いあったあの『決闘』の場から、特に変わったところもないのだけれど。

それだけ揺ぎ無い人生を送っている、という事でもあるのでしょうね。
何よりその芯の強さは見習いたいものだと常々思っている。

まあ、沙織への態度はあの『決闘』の時以来、先輩が幾分はマシに
思えるくらいに、良好を通り越した行き過ぎたものになってはいるけれど……
当の沙織自身も嬉しそうだから、とやかくいうものでもないでしょうけど。

まったく、その辺りもどこぞの兄妹とそっくりよね。
どうして私の周りには兄弟姉妹が大好きな人間しかいないのかしら?


「いつものゴスロリ服はどーしたよ、クイーン。
さすがにハタチになったら、厨二も卒業ってコトか?」
「フッ、世を忍ぶ仮の姿のこの身には、俗世の仕来りに従う必要もあるのよ。
そういうあなたも今日はやけに可愛らしい服装ね、加奈子」
「『こういうお祝いの日にはちゃんとした格好じゃないと』とか師匠に
言われて仕方なくよ。ま、この加奈子サマは何を着たってイケてるけどな」
「わあぁ~~、振袖、とっても似合ってますよ、黒猫さん!
わたしも大きくなったら、振袖とか着こなせるようになるのかなぁ」
「オマエみたいに金髪で青い目してて、そもそも着物が似合うわけねーべ。
和服なめんな。大人しく胸元ががばーっと開いたドレスでもきてろっつーの」
「ひ、ひどいよー、かなちゃん!この前の撮影でかなちゃんに
胸のサイズの合うドレスがなかったからって、そんな意地悪言うなんて!」
「んだと、テメー、加奈子よりちょっとばかりいろいろ
でかいからって、でけぇツラまですんじゃねぇぞ!」
「ほらほら、あなた達、それくらいにしなさいさ。あんまり騒いでいると
世にも恐ろしいあやせ様がやってきて、きつい御仕置きをされるわよ?」

私の一言で、ひぃ、と顔をひきつらせて途端に押し黙る加奈子とブリジット。

加奈子は兎も角としても、よく加奈子と一緒にいる分、ブリジットまでも
あやせの『闇天使』の真の姿を幾度となく垣間見てしまっているらしいのよね…
そこまで怯えられると少し気の毒にもなるけれど、おかげで
この場は収められたから、あやせには感謝しておきましょうか。

加奈子はこの春に高校を卒業して、今までのコスプレアイドルだけでなく
念願の本格的な芸能界デビューを果たしている。一見可愛らしい見た目に反して
歯に衣着せぬ性格のギャップが受けて、カルトな人気が出てきているらしい。

そしてブリジットは、日本語が堪能で見目麗しい外国人の子役として
テレビ番組ではどこからも引っ張りだこな、すっかり有名人になっているわ。
二人とも同じ事務所に所属しているし、昔からの気心の知れた友達同士なので、
今でも公私共に一緒の機会も多いようね。

だからこんな子供の喧嘩じみたやり取りも互いの信頼があってこそ。
きっと芸能界のような荒波の中も、逞しく乗り越えていくのでしょうね。
二人手を携え、互いに影響し、高め合って。

ふっ、これは私も負けてはいられないわ。


「とてもお綺麗ですよ、黒猫さん。やっぱり顔立ちが
和風なだけに着物は黒猫さんに良く馴染んで見えますね。
蒼色の爽やかさや花を散りばめた文様もイメージによく合ってます」

ユウは普段は控えめな性格の割に、こういうときには
実に臆面もなくストレートに褒め言葉を連ねてくるので
当人からしてみれば余計に気恥ずかしいものがあるのよね……

まあ、ユウとも長い付き合いになるから、ある程度は慣れてきたけどね。
大学まで同じになったのには驚いたけど、ユウとしてもこれからの
自分の夢を見据えての進学らしい。内に秘めた強さを持つユウの事だもの。
きっとその夢を叶える為に、これからも邁進していくのでしょうね。

「そ、そう、ありがとう、ユウ。でも、桐乃たちもよりによって
何故誕生日プレゼントに振袖なんかを選んだのかしらね?
成人式まではまだ9ヶ月もあるというのに」
「え?あっ、そ、そうですよねぇ。で、でもほら、実際黒猫さんに
こんなにもお似合いなんですから間違っていなかったって事ですよ。
ああ、そうだ!せっかくですからCCSのみんなにも写メ、送ってきますね」

私の問いに、いささか狼狽えながら答えたユウは
如何にもわざとらしくスマホを取り出してその場を離れて行った。

相変わらず嘘のつけない人ね、と微笑ましく思いながらも
つまりはこの大層なプレゼントにはやはり何か理由がある、と
はっきり言われたようなものでもある。

強引にこの振袖を着付けられてから、混乱とその場の勢いも手伝って
この恰好のままでいたのだけど。そろそろその理由について
首謀者の2人を問い詰めようかしら、と考えていたその時。

「宴もたけなわではありますが、皆様、どうかご注目お願いします。
それでは五更瑠璃さんのお誕生日ケーキの登場です!
盛大な拍手でお迎えください!!」

沙織のアナウンスの下、一斉に上がった
皆の歓声と拍手とで、私の思考は遮られてしまった。

「お待たせです、みなさん。今年も楽しんでもらえれば嬉しいです」

参加人数に合わせたのでしょうね。まるでウェディングケーキのように
とても大きなホールケーキを花楓と日向が先輩の部屋から慎重に運んできた。
それが庭の中央のテーブルに置かれた途端、より一層の拍手が巻き起こる。

花楓が今年に作ったケーキは、どうやらレモンクリームらしい淡い黄色の
クリームで全体的にデコレートされていた。さらに今が旬の苺やキウイといった
フルーツもふんだんに飾り付けられ、とても華やかな色合いになっている。

そしてその中央には、大きく私の振袖姿が描かれていた。

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http://dl1.getuploader.com/g/kuroneko_2ch/879/BirthdayCake20th.JPG

先の花楓の言葉通りに、私が振り返った構図をそのままに。

当人である私自身、見惚れてしまうしまう位に鮮やかに、ね。

「さっすが二村ちゃん、今年も見事なもんだねぇ。すっごく美味しそう!」
「クリームの絞りや薔薇の飴細工も綺麗だねぇ。家に出しても十分な程だよ~」
「田村先輩の家、和菓子屋さんですよね……?確かにお店にも出せそうですが」
「かなちゃんが褒めてたケーキ、わたしは始めてなのでとても楽しみです」
「ほほう、これは凄いな。うちのシェフもここまでのものは作れるかどうか」
「イラストも素晴らしいですわね。こんなに細かい所まで表現されてるなんて」
「ああ、イラストはたまちゃんの力作だよ。あたしも色着け手伝ったけどね!」
「はい、姉さまのご指導の賜物です。これからもより一層ご鞭撻賜ります」
「で、できれば瑠璃に教わるのは料理とかだけにしようーねー、たまちゃん?」
「ふっ、何を言っているの。絵画とは己の心象を具現化して投影するもの。
それを止める事など私はもとより他の誰にも出来はしないわ」
「そういうのは今日くらい控えましょうよ。それでは切り分けますよ?」
「あやせが包丁持ってっとなんか寒気するよな……さ、早く切って食おうぜ?」

早速ケーキを取り囲んだ私達は、文字通り姦しいまでの盛り上がりを見せた。

ふふっ、こういう時には男性陣には申し訳ないけれどもね。
以前は『スィーツ』などと言って、女の子のこういう所を毛嫌いしていた
私が言うのもなんだけど。今日の様に何かと皆で集まっては盛り上がるうちに
すっかり慣れてしまったものだわ。

あやせの惚れ惚れする包丁捌きできっちり16等分されたケーキを
花楓がレジャー用の紙のお皿に綺麗に盛り付けて皆に配っていく。

受け取ったケーキを実際に味わった人から、次々と感嘆の声が上がっていた。
こちらは男女の区別なく、ね。もっともこの場にいる男性陣は
甘党の人も多いのだけれど。

私も正直な所、そのクオリティの高さに驚かされていたわ。
単純にクリームだけを取ってみても、昨年のものとは格段に味わいの
深さが変わっている。さらにはスポンジもまた進化を遂げているわね。
一体どうすればこんなにしっとりとした滑らかなものに焼き上がるのかしら。

そんなクリームとスポンジ、ピューレやシロップを何層にも重ね合わせ、
挟みこんだフルーツの爽やかな甘味との合いがまた格別だった。

一見、シンプルなレモンクリームのフルーツケーキなのだけれど。
その実、研ぎ澄まして創り上げられた各パーツを、緻密なまでに計算して
組合わせている逸品ね。それらをクリームと薔薇の飴細工で素朴に
デコレートしてのけたセンスもまた、私の中の評価を押し上げている。

ふと顔を上げれば、こちらを見ている花楓と目があった。

ええ、私の完敗よ、花楓。まさかここまでとは、ね。

私がゆっくりと頷いてみせると花楓はその名の通り、
花のように綻ばせた笑顔になっていた。

あなたはこの1年間で、自分の夢に向かって確かな一歩を進めているのね。
でも見ていなさい、花楓。私とて必ず自分の夢を叶えるのだから。

私は親友に負けないくらいに満面に笑んで応えると
自らの胸の内で決意を新たにしていたわ。



  *  *  *



「名残惜しいところでは有りますが、閉会のお時間となってしまいました。
それでは最後に五更瑠璃さんからご挨拶を頂きたいと思います」

楽しい時間というのは、どうしてこんなにも早く過ぎてしまうのかしらね。
皆と一緒におしゃべりに興じ、食事を味わい、余興を楽しんでいるうちに
気が付けばもうパーティも終わりの時間となってしまっていた。
まだまだ話したい事も沢山あるというのにね。

パーティの締めの挨拶なんてとても私の柄ではないのだけれど。
この場の主賓である以上、最後の役目くらいは果たさなければならないもの。

私は沙織に頷くと、会場の一番奥に歩み出た。
そこでゆっくりと深呼吸をすると、会場中を見渡してから口を開く。

「本日はお忙しい中、お集まり頂き誠にありがとうございます。
私にとって二十歳の誕生日という節目の日を、皆様と迎えられた事を
心から嬉しく思います。そして皆様にとっても今日この日が、
輝ける想い出の一つになることを強く強く願っています。
それでは言葉足らずではありますが、皆様へ心からの感謝を籠めまして」

私はもう一度そこで皆の顔を見回した。
誰もが私の今の気持ちと同じ様に、喜びに溢れた表情でこちらを見ている。
そんな皆の気持ちに応えられているか、少しばかり心配にもなったけれど。

「ありがとうございました!」

私が最後の挨拶と共に深々と頭を下げると、万雷の拍手が巻き起こった。

それに応える為に顔を上げた私は、猛烈な『既視感』<デジャブ>に囚われた。

だって、私の目の前にあったその光景は。

ずっと想い描いてきた、私の『理想の世界』そのものに思えたから。

……いいえ、でもまだ完全ではないわ。

それを成し遂げられるよう、私はまだまだ歩みを止めるわけにはいかないもの。

私は目の前の情景を確かな手ごたえと共に心の中に大切にしまっておいた。

そしてこの節目の日に相応しく、自らの『理想』を改めて自身に誓っていたわ。



  *  *  *



「それで、そろそろ教えてくれるのでしょう?
うして今日の誕生日プレゼントがこの振り袖だったのか」

パーティがお開きになった後、私は真っ先に桐乃を問い質した。
結局、パーティ中は桐乃たちの顔を立てて振袖姿で通したけれど。
事が終わった今ならば、その理由を教えてくれると思っていたから。

「……あー、うん。いや、そんな大した理由じゃないんだけど、さ」

桐乃は頬を指で掻きながら視線を泳がせる。
大した事じゃないと言う割には、言い出しにくい事ではあるようね?

「実は来年の1月頃はあっちでモデルのショーやら発表会やらが
たくさん重なっててメチャクチャ忙しいんだよねー、あたし」
「そう。留学早々、今からそんな先まで
スケジュールが決まっているなんてたいしたものね」
「そりゃあたしだし?ま、そんなわけで、お正月とか
みんなが冬休みの時にはこっちに帰ってこれそうにないってワケ」
「それは残念だけど……それも、お仕事な以上、仕方ないことでしょう?」
「ん~、そうなんだけどさぁ。だから、まあ、その」

桐乃にしてはやけに歯切れ悪く言葉を濁す。

「つまり、きりりんさんは黒猫さんの成人式に
顔を出せないのをずっと残念に思っていたのですよ」

何時の間にか桐乃の後ろに忍び寄っていた沙織が、
背中から抱きつきながらも桐乃へと助け船を出していた。
もっとも、桐乃はそんな救い主を凄い形相で睨んでいたけれどもね。

「……そう、つまりあなたは」
「あー、はいはい。だから、そういうことだってばっ!
だって、あたしだけあんたの振り袖姿を見られないなんてそんなの癪じゃん?
それなら今日この場で瑠璃に来て貰おうって沙織と考えたってことよ!
なんか文句あるっての!?」

桐乃ももうすぐ誕生日を迎えて今年で19歳になる。
それにもう海外に出て、プロへの道を歩みだしている身でもあるわ。
私から見ても、時折大人の女性の雰囲気を感じられる位なのだし。

なのにまるで初めて秋葉で顔を合わせた時そのままに、
感情のままにがなり立てるその姿が可笑しいやら可愛らしいやらで。
なにより、そのプレゼントの理由があまりに意表を突かれすぎて。

私は込み上げる衝動を抑えきれずに、思いっきり吹き出してしまった。

「な、なによ。そんなにおかしいってわけ!?
せっかくあんたのためにはるばる帰ってきた親友に
そんな態度とるとか、ちょっとヒドくない!?」

いきなり笑いだした私に、桐乃は顔を真っ赤にして怒っていた。
そんなあなたの思い遣りを笑い飛ばすなんて、確かに申し訳ないとも思うけど
私とてそう簡単に感情をコントロール出来るものではないわ。

だから暫くの間、私は笑い続けていたわ。
笑いすぎてお腹が苦しなってしまい、身を屈めた姿勢になってもね。
それを見た桐乃も、ずっと私に文句を言い続けていたわけだけど。

「ほら、そろそろ許してやれよ、桐乃」
「なに一丁前に兄貴面してるワケ?あんたに指図されるような
謂われはないっつーの!これはあたしの尊厳の問題なんだから!!」
「ばーか、ほら良く見てみろっての」
「え?……あっ……」

先輩の取り成しにも聞く耳を持たなかった桐乃は
それでも優しく諭す兄の声にようやくその意味を悟ったようだった。

というか、そんな事をされたら折角の私の努力が無駄になるじゃない、先輩。
まったくいつまでも乙女心の機微を解し得ない残念な雄ね。

「……うっ、ううっ……」

でも、当の桐乃に気付かれてしまったのならもう誤魔化す必要もないかしら。

いえ、正直に言えば私自身、もう限界だったから。

私はもはや込み上げる声を抑える事も出来ずに。
その顔だけは見られまいと俯いたままさらに両手で覆う。

ただ、嬉しかったから。

こうして成人を迎え、皆が各々の道を着実に歩んでいるのを知って
私とて一人の大人として、気を引き締めていこうと思っていたのに。

私の晴れ姿を見られないだけで、親友が手の込んだ贈り物をしてくれた事が。
自分の前を颯爽と走ってる友人が、私の為に海外から駆けつけてくれた事が。
そんな友達の気持ちに応え、皆が協力して今日この日を祝福してくれた事が。

本当に、本当に嬉しかったのよ。

もう3日も前に成人して、大人の仲間入りを果たした身だというのに。
まるで幼子のままに、溢れ出る涙も声も自分では止め様がない程に、ね。

まったく、桐乃の事など言えたものではないわ。
私自身、こんなにもみっともない姿を大切な人達に晒しているのだから。

「……ばーか。ほら、さっきみたいに笑ってよ、瑠璃。
あたしはあんたが喜んでくれる姿が見たくて帰ってきたんだよ?」

ずっと俯いたままの私の頭を、誰かの暖かな手がそっと抱き寄せた。

「そうですよ、黒猫さん。わたくしは幹事として
今日のパーティの最後まで務めを果たさなければなりません。
やはりカーテンコールはみんなの笑顔で迎えませんと」

また誰かの手が、私の顔をハンカチで優しく拭っていった。

おかげで漸く顔を上げる事が出来た私の前には
桐乃が、沙織が、そして先輩が穏やかに微笑んでいた。

「よし、じゃあ最後に3人で写真撮っておこうぜ」
「馬鹿兄貴、空気よめ!……ていいたいとこだケド。
うん、それもいいかな。たまには気が利くじゃん?」
「はい、久しぶりに3人水入らずの写真も悪くないですわね」
「え、い、今から?ちょ、ちょっとだけ待って頂戴!」

先輩の提案で私と桐乃と沙織は、3人一緒の写真を撮ってもらった。
まるで、初めて顔を合わせたあのオフ会の時のようにね。

デジカメのモニタに映し出された私は
自分でも思っていた以上の笑顔を浮かべられていた。
まさに今鳴いた烏がなんとやら、でしょうけれど。

でもきっと、これからもそうなのでしょうね。

自らの目指す道を歩んで行くのに、どんなに辛くても、
時には嬉しくて泣いてしまうような事があったとしても。

皆がいればこうしてすぐに笑い合う事もできるのだから。

たとえ普段は遠く離れていたとしても、ね。

今撮ったばかりの写真と、それ以上の皆の笑顔に包まれながら。

私は成人となった最初の一歩を、何の憂いもなく踏み出す事ができたわ。

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