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『もう一度手をつなげるように』:(アップローダー投稿)

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
ハッピーホワイトデー、黒にゃん!

とはいえすでに2日も遅れてしまっていますが
ホワイトデーにちなんだSSを投稿させて頂きました。

この話は俺妹HD家庭派ルートをベースにした、拙作

『家庭派アイドルの11月29日』
『聖なる夜に幸いあれ』
『新年の母と娘のガールズトーク』
『With You Forever』
『春の禊』

と話がつながっております。

ひとまずこれで私の書く俺妹HD家庭派ルートの話は一区切りです。

俺妹HDでは、他の天使、厨二ルートに比べてどうにも見劣りしてしまう
家庭派ルートですが、個人的には数ある黒猫の魅力の中でも
家庭的な面がとても好きなことと、人に振り回されるだけの京介が
自分の目標に向かって進みだせたことが気に入っています。

なのでゲーム本編をなんとか補完したくて書きつづけたのですが……
自分の実力では荷が勝ちすぎることでもありました。

そんな拙い内容ではありますが、少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。

-------------------------

いつものように自分のベッドでいつもの時間に目が覚めた。

最近は入試も終わってようやくゆっくりできるってのに
お袋が毎朝きっちり起こしてくれるんで、学校があるときと
変わらない生活リズムを維持できているのはまあありがたいんだが。

でも、せっかくの休みってのは、惰眠をむさぼりたいのも人情だよな?
暖かい布団に包まれながら飽きるまで心地よいまどろみに身を任せる……
こんな至福の時間はないだろう?

まったく親父といいお袋といい、几帳面な親を持つと子供は苦労するよな。
もっと子供の自主性ってやつを尊重してもらいたいもんだぜ。

でもまあ……自分が親になったら。やっぱりそうしてくんだろうな。
どんなに子供にうざがられたって親の務めってのがあるのもわかる。
まあ、ようやく大学生になる俺がそんな心配をするのは
まだまだ先の事なんだろうけど、よ。

っと、そんな事を考えてないで早いとこ出かける準備しないとな。
今日はいよいよ本命の大学の合格発表。朝いちで見に行くって
真奈実と約束もしてある。

それにしても自分の今後の人生を決める発表ではあるんだが
取り立てて緊張してるってわけでもないのも不思議なもんだ。
昨日の夜もぐっすり眠れたくらいだし目覚めも良好、体調も頗る良いしな。

ま、俺の実力を持ってすれば合格も確実だから今更心配する事なんてないぜ!
……なんてわけでは勿論なくて。いや、まあ、合格する自信や手ごたえは
確かにそれなりにはあるんだけどさ。

でも俺の今の関心は、もうどの大学に入れるか、ではなかったりするわけで。
既に私立の大学に合格している今となっては、国立の本命に
合格できるかどうかは正直、実家への負担を軽くするって意味合いが一番だ。

いやそれも重要なんだってのは勿論わかってるぜ。
なんだかんだいっても、親父もお袋も、俺や桐乃のために
今までどれだけの苦労をしているか、なんて今更言うまでもないだろう。
さらにはここんとこ、俺も桐乃も二人の頭を悩ませるようなことばかり
しちまってたしなぁ。こんな馬鹿息子を持ってしまって本当申し訳ないぜ。

そんな馬鹿息子の自覚は一応でもあるってのに、この間進学後の事に関して
俺の考えていた事を親父に相談しにいった。それがまた新たな親父の
悩みの種になるってわかった上でだ。

だって、親に頼んで学費を出してもらっている立場の息子が
親に黙って勝手なことをやるわけにはいかないだろ?

でも、俺なりに志望先は考えていたとはいえ、それが本当に
自分のやりたいことか、と聞かれたら即答なんて出来なかった俺が
ようやく見つけた目標を親父にも知っておいてもらいたかったんだ。

最初は予想通りに力一杯怒鳴られたよ。そりゃそうだよな?
大学に入学する前から、専行した学部とは関係なく、写真撮影に関して
本格的に勉強したい、なんて戯言を息子から相談されたら
俺が親だったら間違いなくキレてぶっとばしているね!

だけど親父は最初の一発目に顔を真っ赤にして怒鳴った後は
黙って俺の話を聞いてくれた。そればかりか親父の経験を生かして
的確に俺の目指したい事への助言までしてくれたよ。

親父曰く、そもそもカメラマンだけで生計を立てるのは難しいだろう。
それに大学は技術を覚えるところだけじゃない。専門的な知識や
考え方に触れてそれをどう自分に生かしていくかを身に着けるところだ。
だからまずは大学生活をしっかりとこなした上で、自分の目指す道の
勉強も合わせてしていけばいい、なんて感じでな。

正直泣くまでぶん殴られるくらいの事を覚悟していたのに
別の意味で涙がこみ上げてきちまうところだったぜ。
改めて親父ってもののすごさとありがたさを実感したし
それに比べて自分がまだまだ子供だってことも思い知らされた。

自分の目指したい事を、心から打ち込めることを見つけたのはいいけど
それを実際にものにできるかどうかなんて保障があるわけじゃない。
でも俺がそんな夢みたいな目標に向かって進むのに対して
親父なりの最善のアドバイスをしてくれたんだ。

いずれは俺もこんな風になれるんだろうか。
自分のことだけでも一杯一杯で、周りの人たちへの好意に甘えて
自分の責任も満足に果たせてないようなこの俺に。

っといけね、だからそんなことを考えている時間はないんだって。
俺は手早く身支度を整えると、朝飯を食べるためにリビングに下りていった。


    *    *     *


「おう、おはよう」
「……おはよ」

リビングに入ると先に朝飯を食べていた桐乃と朝の挨拶をかわした。
考えてみれば俺がこうやって話しかけて、少々間があったとはいえ
桐乃からの返事が返ってくるようになったのも昔の俺たちからは
考えられないことだよな。

あの兄妹の冷戦から桐乃との交流が再開されたあの出来事から本当に
いろんなことがあって、2度と御免被りたい事件だらけの気もするが
こうやってその成果を実際に感じられるのは悪い気はしない。

へっ、そんなこと実際に口に出したら当の本人には勿論、あいつにも
『まったく救いようのないシスコンね?』とかいわれるんだろうけどな?

「……なに人の顔見て笑っているわけ?キモッ!」

その考えが思わず顔に出ちまったんだろう。桐乃に見咎められて
朝っぱらからありがたいお褒めの言葉を頂いちまったぜ。

「別におまえの顔を見て笑ったわけじゃないっての。
  今日無事に第一志望の合格が決まったらって思ってたら
  ついつい嬉しさが顔に出ちまったみたいだな」
「あっそ。そんな余裕ぶってこれで落ちてたら相当なお笑い種だよねー
  そんときはあたしが思いっきり笑ってあげるから精々感謝してよね」

せっかく機嫌を直してやろうとおどけた調子で言ったってのに
我が妹はにべなくばっさりと切り捨ててくれる。
くっ、俺の2年間の努力の成果は本当は幻だったわけじゃないよな?

……まあ落ち着いて考えてみれば妹様の言動は今でもこんなもんか。
その裏にある気持ちに多少なりともくみ取れるようになったとしても、な。
それにしても昨年の夏ぐらいまではもう少しマシだった気もするが
最近は以前にもまして俺への当たりが強いよな、こいつ。

まあ今更そんな事を気にするのも馬鹿らしく、へいへいそうですか、
とその場を流した俺は、お袋が用意してくれてた朝食を食べ始めた。

しばし二人ともそのまま黙って朝食を食べていたんだが
唐突に桐乃が俺に尋ねてきた。

「……そういえばあんた、大学入学しても家から通うんだって?」
「ああ、そうだな、ってどうしてお前がそれを知ってる?」

この間、親父にさっきのことを相談したときにしか
具体的なことに関しては誰にも話してなかったはずなんだが。

「あんだけお父さんと大声で話していれば嫌でも聞こえてくるってーの」

確かにあのときは最初こそ親父も俺もテンション高くやりあってはいたが
そのあとは普通の声で話していたと思うぞ。まあ、あの最初の剣幕に
親父に事の顛末を確認したおふくろ経由で桐乃まで伝わったのかもしれんが。

「そりゃ騒々しくて悪かったな。まあ、親父は社会勉強も兼ねて
  俺に一人暮らしをさせたかったみたいだけど、俺から頼み込んで
  ひとまず最初の2年間は実家から通うことにさせてもらったよ。
  取り組みたい目標もあるし、今のうちにバイトで貯金もしておきたいしよ。
  その後は状況次第だけど、俺も一人暮らしを始めたいと思ってる」

桐乃もその辺のことを把握しているなら今更隠すまでもないだろう。
俺は正直にこの件に関して考えていることを話したんだが。

「ふーん、『2年間』ね」

桐乃はその部分だけをやけに強調して繰り返した後は
また不機嫌な表情で押し黙ってしまった。何かその期間に
思うところでもあるってのかね。

とはいえ、その実家生活の猶予期間ってのは
桐乃のこともあながち無関係じゃないのもまた事実なんだが。

桐乃も中学を卒業して新生活が始まることだし、またオタ趣味の
こととかでやばい問題に関わっちまったりするかもしれないだろ?
今までの俺たちの2年間を理解しているなら、そんな備えを
しておきたくなる俺の気持ちも汲んでもらえるんじゃないかと思う。

それに……いや、これは特に人様に話すようなことじゃないか。
ま、桐乃のことはあくまで保険ってのは変わらないぜ。
なにせ3月も中旬になって、俺はいまだに桐乃が中学を卒業してから
どうするつもりなのか、把握してないくらいなんだからな。

「で、そういうおまえは結局卒業したらどうするんだよ?」
「ん、前もいったでしょ、あんたには秘密」

やはり何度聞いてもこの話題には取り付く島もない。
これじゃあ具体的に対策を練るとか土台無理ってもんだろ?

それにしてもよっぽど俺に知られたくない理由があるのか、それとも何か
とんでもない事を企んでんじゃないかと内心冷や冷やしているんだが。

「でもどうせ4月になったらすぐにわかることなんだろ?
  まったく、いい加減教えてくれたって罰は当たらんと思うぜ」

そんな気持ちが無意識に表に出ちまったんだろう。
口にしてから自分でもびっくりしたくらい
その言葉には強い語気と焦燥感が込められてしまっていた。

「……へー、なに?そんなにあたしのことが気になっちゃうっての?」
「いや、そりゃあ……な。家族なんだし、よ」

こちらの焦った様子に逆に楽しいおもちゃを見つけた子供のように
楽しげな表情で問い質してくる桐乃。自分でも予想外の感情だっただけに
こっちとしては言い訳にも苦しいような状況だ。さしずめ最初の一手を
焦っちまって、いきなりチャンピオンにロープ際まで追い詰められた
挑戦者って心境だぜ。

「ふーん、家族として大事な妹のことが心配ってわけね。
  ほんと、どんだけシスコンなわけよ、あんた」

桐乃がにたにたとした笑みを浮かべながら罵声を浴びせ続ける。
さながら追い詰めた獲物をいたぶる肉食獣のようだ。
まさにライオンのように目が爛々と輝いているくらいだからな。

にしても、さっきまではえらく不機嫌そうだったってのに
おまえは俺を馬鹿にするときはすっげー楽しそうでなによりですね!

「あー、わかったわかった。そうだよ、兄が妹の心配するのは当然だろ。
  ま、そこまでいうならおまえにも考えがあるんだろうし
  どうせすぐにわかるんだから気にすることもないよな」

だからもう、ここはこちらから白旗をあげることにした。
何事も勝てない戦からは逃げ出すに限る。そもそも変哲もない
平穏無事な人生こそが俺のモットーじゃなかったのか?
まあ、その目論見はここのところの騒動で、すっかり企画倒れで
終わっちまってはいるんだが。

話はこれで終わりだ、とばかりに俺は残りの朝飯を口に押し込んで席を立つ。
そのままコートを羽織ってリビングから出ようとしたんだが。

「……前にみたいに急にいなくなったりはしないから
  あんたは自分の心配だけしてこいってーの」

桐乃がぼそっとそんな事をつぶやく。

「おう、それはありがたいぜ。また海外は勘弁して欲しいからな」

振り返りもせずに俺は右手を上げてそのまま玄関に向かう。
ふっ、高坂京介はクールに去るぜ。下手に構って妹様のご機嫌を
損ねるわけにはいかないからな。せっかくの激励ももらったことだしよ。

さっきは幻かと思ったものが確かに実体を伴っていたことに
少しは安心して俺は今日という自分の人生の岐路に向けて家を出た。

そんな時でも後ろからの妹様の罵声で見送られる、ってのも
ま、いかにも俺らしいってものだろう?



    *    *    *



「よかったねー、きょうちゃん。これで来月からも一緒の大学だね」

志望校の校門を入ったところのすぐに張り出された合格者の一覧の中に
俺も真奈実も自分の番号をあっさりと見つけられた。

まあなんだかんだいっても、今までの自分のやってきたことが
報われた瞬間ってのは気持ちがいいものだよな。なんとも言えない
高揚感と開放感に今の俺の心は包まれているぜ。思わずひゃっほーい!
高坂最高!!なんて叫び出したいくらいにな。いや、やらないけどな?

「おう、大学でもまあひとつよろしくたのむぜ、真奈実」
「うん。でも学部は違うから今までのようにってわけにはいかないのかなぁ」
「まあ、最初のうちは講義も一般教養が多いんだろ?
  履修合わせりゃ高校の時とたいしてかわらねぇんじゃないか」
「そだねー。ふふっ、今から楽しみだなぁ」

普段と同じくふにゃふにゃの笑顔で麻奈実は話している。
まあこいつはきっと婆ちゃんになるまでこんな感じなんだろうしな。
そして俺もこの前まではそれこそが我が人生のつもりだったわけだが。

「とはいえ、俺もすぐにバイトや撮影の勉強も始めるつもりだから
  全部が高校の時と一緒ってわけにもいかないけどよ」
「きょうちゃん入学前からやる気満々だね。目標に向かって進んでく
  男の子って活き活きしててすっごくえねるぎーが感じられるよ。
  あ、でもくれぐれも無茶だけはだめだよ?」
「ああ、わかってるって。まったく、大学生になっても俺は男の子扱いかよ」

麻奈実はやっぱりいつものように、俺を一つ一つ褒めたり諭したりしている。
まるで本物の婆ちゃんみたいに、な。今までずっと、こうやって
うちの家族以上に俺を見守ってくれて来たんだからな。

そんな麻奈実との居心地良い関係はずっと続くものだと思ってた。
でも、そろそろそこから巣立たなきゃならなくなっちまった。
ずっと同じような日が続くんだって、おまえに言ってきたのにな。

「……どうしたの?きょうちゃん?」

しばし考え込んで黙ってしまった俺の顔を、麻奈実は不思議そうに覗き込む。

「あ、いや、そういや世話になった人たちに
  第1志望に無事に合格したって伝えないといけないなって思ってさ」

俺は慌ててその場を取り繕う。まあ実際にそのことも嘘じゃない。
俺は携帯を取り出して、友人知人に合格した旨をまとめてメールした。

「そうだね、わたしも送っておこうっと。あれれ、きょうちゃん。
  宛名をたくさんの人にするときってどうすればいいんだっけ?」
「ほれ、貸してみろって。とりあえず家族に送ればいいのか?
  おじさん、おばさん、ロックのアドレスいれとくぜ?」

機種は違えどもうすっかり操作にも慣れちまった麻奈実の携帯を操作して
メールの宛先に追加していく。

「うん、あとはクラスの女の子たちとお世話になった先生方と
  近所の商店街のみなさんとうちのお店の常連さんと」
「ちょっと待て!おまえそれ全員に報告するのかよ!?」

確かにこいつの携帯アドレス帳は、高校の時のクラスの連絡網どころか
町内すべてをカバーしてしまうくらいの件数が入っている。
まあそのデータを麻奈実が入力するには、その手順を事細かに説明した上に
図解入りの手引き書まで作った俺の影の努力も忘れないで欲しいところだが。

「ええ?でもみんなに受験の時に応援してもらったりお世話になったから
  ありがとうってお礼も伝えておかないといけないでしょ?」
「いや、いくらなんでもそれは多すぎんだろ!
  どうせすぐに皆に伝わるんだから主だった人だけに絞れって!」

遠慮なく言い放ってやったにも関わらず、でも、やっぱり、と麻奈実は
涙目になりながら繰り返していた。あー、もう。わかった、わかったよ。
本当、どうして俺の周りはこんな強情な奴らばっかりなんだよ。
俺の機を見るに敏なところを見習ってほしいもんだぜ。

だから朝の一幕のように状況を素早く察した俺は次の行動に移る。
何をって?そりゃ白旗を上げることに決まってるだろ。
勝てない戦に挑むのは愚か者のすることだからな。

「ほれ、お前の気のすむまで送ってやるからとりあえず本文書けって」
「え?いいの?ありがとう、きょうちゃん!
  やっぱりきょうちゃんはいつでもやさしいねぇ」

そうでもないぜ?いろんな人に無様に迷惑かけてばっかりだしな。
まあその分、世話になった人たちには俺の出来うる限りに応えていくさ。

なにより、ずっと俺を見守ってくれてたおまえには。
この先もずっと恩返しをしていかなきゃならないだろうよ。

俺はおまえにずっと甘えてきたってのに。
おまえの一番の望みは俺ではもう叶えてやれないかもしれないんだから。
だから……せめてそれ以外ならなんでも頼ってやってくれよ。



    *    *    *



「それじゃきょうちゃん、わたしの分も忘れないでね~」

麻奈実の家の前での別れ際、笑顔で手を振りながら俺に念を押した。

「ああ、せっかくおまえにも協力してもらったんだから任せておけって」

俺も手を上げてそれに応えた。お前のおかげであんなに立派なものを
用意できたんだから、心配しないでもそのくらいの義理は果たすって。

そのまま真奈実と別れた後、誰もいない家に帰るのも勿体無くて
俺は近所の本屋に向かった。そろそろ新しい写真の本も欲しいところだしな。

本屋への道すがら、さっき送った報告メールの返信を見返していたんだが。

真っ先に送り返してきたのは桐乃だった。まあ、文面はいつものように
『ウザッ!!授業中に余計なメール送ってくるなってーの!』
って俺への罵倒しかなかったんだけどな。そもおまえは授業中に
返信打ったんじゃないのかよ?まあ最近の女子中学生なら
それくらいのスキルは持っているのかもしれないが。

続いて加奈子。そして少し間をおいてあやせ。
2人が向けてくれた気持ちに報いられなかった俺には
おこがましいかとも思ったけど、麻奈実じゃないが世話になった人には
しっかり報告しなきゃならんだろうと思い直したわけだ。

でもそんな心配も余所に、返ってきたメールにはそれぞれ2人らしい
祝福と激励の言葉が並んでいた。思わず目頭が熱くなるくらいに。

本当、ここ数年、当初の人生プランから大きく外れてしまったためなのか
俺は皆から負債を抱えまくってばかりだな。これからなんとか
返させてもらうからどうか気長に待っていてくれよ。

その後も沙織や赤城、部長やお袋なんかからも返信が戻ってくる。
こっちは合格報告だけのそっけない文章だったってのに
皆しっかり祝ってくれるのは有難いやら恥ずかしいやら。

そういえばメル友になってる黒猫の親父さんも、こんな平日なのに
わざわざすぐに返事をくれたんだぜ。いつものようにやけに芝居かかった
やたら特徴的な文調の中にも親父さんの優しい人柄が伝わってくるような
内容だった。本当、この親にしてあの娘あり、って感じだよな。

それにしても……その当の本人からはいまだに返信が来てない、な。
黒猫自身も今日の合格発表をいっしょに見に行きたい、と言ってたんだが
結局1日びっしりとアイドルのスケジュールで埋まってしまったらしい。
きっとメールを確認する暇すらないんだろうな。

へ、ちょっとばかりの寂しさも感じちまうな。
それと同時に、最近度々感じるようになった胸の奥底で燻る何かも自覚する。
俺はそんな気持ちをさらに奥底へと押し込むためにも本屋への道を急いだ。



    *    *    *



本屋でいくつかの写真の参考書を見繕って俺は今度こそ帰宅の途に就いた。
この間、そういや知り合いに先達がいたんだとばかりに沙也佳ちゃんに
相談してみたら、基礎技術は大切なんだと得々と説教されたんだが。

独学とはいえ、黒猫の写真を何枚も取り続けて磨いた腕で
コンクールで入賞したことで天狗になってた、とはいわないが
沙也佳ちゃんの基礎的な質問に何一つ満足に応えられなくて
今の自分の至らなさを嫌ってほど認識させられちまったからな。
まずは基礎を押さえるための入門書からってわけだ。

何事も地道な基礎練習から。人生地道一筋を文字通り地で行く麻奈実は
当然のようにそう言うだろうし、桐乃や黒猫だって影での必死な努力で
あれだけの非凡な才覚を発揮しているって今まで思い知らされてきたしな。
そんなあいつらに負けないように、俺だって精一杯ガンバらにゃ
とてもあいつらと釣り合うもんじゃない。

ま、その前にいい加減腹も減ってきたし家で腹ごしらえが先か。
といっても、家に帰ってもお袋はこの時間には習い事にいってるだろうし
自分で飯の用意もしなけりゃならないが。

そう思うと途端に気が滅入ってくるが、一人暮らしを始めれば
嫌でも毎日毎回のことでもある。今のうちに慣れておかなきゃ
後で困るのは自分なのは目に見えちゃいるんだが。

ちくしょう、去年の一人暮らしの時のように
皆に差し入れしてもらえてた環境って天国だよな。
このリア充めって当時の俺を殴ってやりたい気分だぜ。

って、こういう性格的なだらしなさが、俺のダメなところの
根本原因だってわかっちゃいるんだが。とはいえそんなに簡単に
意識改革も性格改善もできるんなら苦労はしないよな?

世の中の一人立ちしている諸先輩方が、途端に雲の上の存在に感じちまうぜ。
生計を立て、毎日の雑務をこなし、趣味を嗜み、その上で目標を目指す。
今の俺から考えるとそんなとんでもない毎日を繰り返しているんだから。

まあ、帰ったらとりあえず買い置きのカップ麺様の世話になるか
なんて考えていた丁度その時。

ポケットの中で振動した携帯を、俺は人生の中で間違いなくぶっちぎりの
トップのスピードで取り出した。これならきっとワイアットアープにだって
早抜きで勝てるくらいだろうぜ。

差出人は見るまでもない。すぐさま俺はメールを開いた。

『合格おめでとう、先輩。頑張ったかいがあったわね。
  それと遅くなってごめんなさい』

本文は短くそれだけだった。でもそれだけでもさっきまでの
憂鬱な気持ちが颯爽と晴れ渡った気がする。我ながら現金なもんだけどな。

忙しい合間に大急ぎでこのメールを打って
送ってくれた姿を想像するだけで自然と顔がにやけちまうしな。
桐乃じゃないがすれ違った人にキモッ、とか思われてそうだよ、俺。

きっと世の諸先輩達も、この世知辛い世の中を生き抜いていく
原動力は、きっとこんなところから生まれてくるんだろうよ。

え、独り身はどうすればいいのかって?
まずは人でも物でもリアルでもバーチャルでも3次元でも2次元でも
自分の好きなものを見つけるところから、なんじゃないかね。

この広い世の中には、妹のくせに妹もののエロゲーキャラに
全てを捧げているような豪な輩がいるくらいだしな。
まずは想うってことがなにより重要なんだと思うぜ。

まあ、そんな事はともかく今はメールの返信しておかないとな。

『ああ、ありがとう。それで今日は何時ごろ帰れそうだ?
  昨日も言ったけど渡したいものもあるんだ。
  遅くなるようだったら駅やおまえの家の前で待ちあわせにするか?』
  
ただでさえ忙しいだろうから長々と書くわけにもいかず用件だけを書き出す。
そんな男友達のような味気ないメールではあるけれど、それだけでも
心が浮き浮きと弾んでくる。

俺は無事に合格できたんだぜ。だからおまえも頑張れよ、黒猫。

メールの一文をもう一度見返して、ゆっくりと送信ボタンを押し込んだ。
その想いも一緒に届いてくれ、ってばかりにな。



    *    *    *



『今日は早めに帰れそうだから、宵闇の迫りし逢魔刻に待ち合わせましょう。
  『我が偶像の始まりの地』にてあなたを待つわ』

黒猫からそんなメールが返ってきたのは侘しい昼飯を済ませてから
結構な時間が経ち、そろそろ小腹がすき始めた頃だった。
黒猫らしい、知らない人が読んだら何の暗号文だよって感じなんだが。

まあ、家庭派厨二アイドルの元マネージャーとしては
これくらいの厨二的語彙はカバーしてしかるべき、なんだぜ。

確か逢魔刻って夕方の……18時くらいのことだったか?
日が暮れるときに黒猫がよく使う表現だったしよ。

最近の黒猫のスケジュールにしては確かに早めに帰ってこれるようだな。
歌手に向けてのレッスンも順調なのかもしれないな、と
それだけで思わず安堵しちまうくらいだ。

と、時間のほうはそれで問題ないとして、問題は場所のほうか。

いつぞやの『約束の地』ってのは弁天高の校舎裏のことだったが……
偶像ってのはアイドルだろうから、黒猫のアイドルとしての
スタート地点ってところか?

俺は今までの黒猫のアイドル活動の記憶を思い返してみた。
黒猫がアイドルになる最初のきっかけは、確かうちでいつもの面子で
ゲームで遊んでいた時の沙織の提案が発端だったよな。

それから桐乃と黒猫のどっちがアイドルに向いているか、なんて話になって。
いきなり話のふられた俺は、少し悩んでから黒猫って答えた。
あの時は咄嗟だったとはいえ、今考えるとすごいことを言っちまったもんだ。

確かに黒猫がアイドルになったら、普段厨二の仮面の向こうに隠れてる
あいつの可愛い面が沢山見れるんじゃないかって思ったのが理由だった。
でもまさか、黒猫が本気でアイドルを目指す、なんて考えるわけない
って考えたのもあったんだよ。桐乃だとあいつは本気でやりそうだからな。

でも黒猫は俺の思ってた以上に積極的だった。
まあ桐乃と沙織に上手く乗せられてたってのはあっただろうけど。
それでも普段のあいつの柄じゃないことに打ち込む姿は
黒猫の等身大の女の子としての姿を見たようで新鮮だったよ。

あの時、うちの近くの公園で、黒猫がオーディションに合格したって
通知を見せられて、俺もマネージャーになることを約束したんだよな。
そういや、あの公園では、その後もアイドル活動に慣れない黒猫の
写真撮影の特訓をしたり、身体を動かす練習を何度かしたっけ。

って、そうか、黒猫のアイドルのスタート地点、ってのは。

俺は黒猫の意図を読み取れたことに安堵をしたのも束の間、
慌てて身支度を整え始めた。時計を見るとすでに17時半を回っている。

近くの公園は歩いて5分もかからないが、黒猫のことだから
約束の時間のずっと前から待っているという確信があった。
いや、むしろさっきのメールを出した時にはすでに。

俺は今日の目的のものを手提げバッグに入れてから
大急ぎで家の外に飛び出した。



    *    *    *



「……よくぞ辿り着いたものね。褒めてあげるわ」

黒猫はいつか聞いたような台詞で俺を出迎えた。
記憶にあるあの時と同じように尊大な口調と態度だけど
一つだけあの時とは違っているものがあったんだ。

「おまえ……その恰好……」

黒猫は今までみたことがないような白と桃色を基調にした服装をしていた。
女の子の服装に関して全然知識のない俺には、こういうのをなんて
表現したものかもわからないが、いつもの黒猫の趣味のように
フリルの部分なんかもあるんだけど、全体的に清楚で可愛らしい印象だ。

夏の時の白猫とはまた違うけれど、黒猫の年相応の女の子らしい服装に
しばし目を奪われてしまった。

「たまにはこういう服もいいかと思って……ど、どうかしら?」

少し恥ずかしげに黒猫が俯き加減に聞いてくる。
それがまたなんとも言えない可愛らしさで。

「ああ、可愛いじゃん。似合ってるぜ、すごく。
  さしずめ今日は桃猫ってところか?」
「そ、それは褒めているのかしら?
  でもあなたにも気に入ってもらえたなら嬉しいわ……ありがとう」

俺は思った通りの正直な感想を伝えた。だってそれ以外言いようがないだろ?
黒猫は真っ赤になった顔で俯いてしまってるが、相変わらずのこんな反応が
普段の黒猫らしくなく、それでいて本当の黒猫らしいんだよな。

「……そういえばごめんなさい、遅れてしまったけれど。
  第一志望の合格おめでとう、先輩。あなたの努力の成果だと思うわ」
「ああ、俺もひとまずはほっとしているよ」

ようやく恥ずかしさにも慣れた黒猫が改めて俺の合格を祝福してくれた。

「でも正直、これからだ。大学での講義も勿論だけど
  俺の目標を叶える為には撮影の勉強も一からやり直さなきゃな。
  改めて気合い入れ直さないと、いつまでたっても目標に追い付けない」
「そうね。でもまずはその第一歩を喜んでもいいんじゃないかしら。
  私のマネージャーをしながら勉強も頑張っていたんだもの。
  私だってそんな先輩の努力を今日は心から労ってあげたいのよ?」

普段はなかなか俺に見せてくれないような優しい表情を黒猫は浮かべている。
親しい人だけに向ける黒猫の……瑠璃の本当の笑顔。

その笑顔があまりにも眩しすぎたんだろうか。俺は黒猫の顔をまっすぐに
見られずに思わず視線を逸らしてしまって取り繕うように言葉を紡いだ。

「そ、そうか。それはありがとな。その気持ちだけでも十分嬉しいぜ。
  ま、それでもっていうならまた今度旨いメシでも食べさせてくれよ」

俺はなんとかおどけた調子でそう続けた。黒猫の気持ちは本当に嬉しいのに
自分でもよくわからない感情が渦巻いてそれを素直に受け止められない。
なんなんだよ、これ。黒猫がせっかく俺のために時間を割いて
来てくれてるってのによ。

黒猫はそんな俺を見て、そう、とだけ短く応えて軽く頷いた。

「ああ、そうだそうだ。それよりもまずはおまえにこれを渡さないとな」

俺は話題を変えるために、家から持ってきていた
手提げ袋から、ラッピングされた小箱を取り出した。

「あら、ひょっとしてこれはホワイトデーの?
  今日はあなたのお祝いの日なのにごめんなさいね」
「そんなん気にしなくていいって。バレンタインにはおまえから
  すっげー旨いチョコ貰ったからな。まあ、それに見合うかはわからないけど」

俺の言葉に黒猫は微笑みを返して受け取ってくれた。

「これ、ひょっとして先輩がラッピングをしたのかしら?」
「ああ、やっぱりわかっちまうか」
「ふふっ、所々包装紙に歪みが出てしまっているもの。
  でも、嬉しいわ。あなたの気持ちが伝わってくるようだから。
  ……ここで開けてもいいのかしら?」
「ああ、かまわないぜ」

黒猫は手馴れた手つきで包装紙を解いていく。器用だよな、本当。
そのまま中の化粧箱の蓋を開けた途端、珍しく感嘆の声を上げた。

「先輩……まさかこれも先輩が手作りで?」
「まあ、真奈実にいろいろと手伝ってもらったけどな。
  練り切りも汎用の型を使ってるし他にも田村屋の道具を借りたよ」

黒猫は小箱の中の、子猫を象った練りきりや猫の手を模したすあま、
米粉で作って食紅でうさぎの耳や目を描いたお饅頭なんかを
一つ一つ手にとってはしきりに感心している。

「田村先輩が作ったのはこっちの整ったものの方でしょう?
  でも、先輩のも立派なものよ。まさかここまでのものを先輩が作れるなんて」
「ちっちゃいころから田村屋でいろいろ手伝ってたからなぁ。
  練り切りを粘土代わりに遊んで怒られた事もあったっけか」
「ふふっ、なるほどね。先輩の意外な一面を見れて嬉しいわ」

黒猫は最後に包装フィルムに入れられたどら焼きを手に取った。

「あら、このどら焼きはメッセージが焼印で入っているのね?」
「ああ、田村屋でこういうサービスもしているらしいぜ。
  それにチョコにはおまえもメッセージを入れてくれていただろう?」
「まったく変な所で対抗心を燃やすのね?」

黒猫は右手を口元に当ててころころと笑っている。
ふっ、果たしてそのメッセージを見てもそんな余裕でいられるかな?

「どれどれ……って、あ……」

俺の目論んだ通り、メッセージを読んだ黒猫は
瞬時に顔を真っ赤にして固まってしまっていた。
どうよ、俺の復讐劇!これでバレンタインの借りは完全に返せたな!
俺のあのときの気持ちを存分に味わうがいいぜ、黒猫!

……いや、まあ俺だって黒猫にあれを読まれたと思うと
こっぱずかしいことこのうえないんだけどな……

しばらく回復に時間を要した黒猫だったが
何とか立ち直ると、さっき折りたたんでいた包装紙で
綺麗に小箱をくるみ直して、自分の手提げバッグに閉まっていた。

「ん、ここで食べないのか?」
「ええ、こんなに良く出来た和菓子を私だけで食べてしまうのは勿体無いわ。
  家に帰って家族のみんなと楽しもうと思うのだけどいいかしら?」
「ああ、黒猫がそうしたいなら是非ともそうしてくれ」

それでこそおまえってもんだからな、黒猫。
どんなときだって家族の事を最優先に考えているんだから。
そんな黒猫だから、家庭派アイドルがぴったりはまったんだし。

「……まあ、このどら焼きは私がここで有難く食べていくわ。
  日向やお母さんにみつかったらなんて言われるかわからないもの、ね」

黒猫はいつの間に抜き取っていたのか、どら焼きだけを手に取って
もう一度そこに焼きこまれたメッセージに目を走らせていた。
再び頬の赤みが増していたけど、そのまま満足そうに
どら焼きに楚々とかぶり付いていた。

「それから田村先輩にも改めてお礼をしないとね」
「ん、大丈夫だろ?真奈実もバレンタインのお返しだっていってたしな」
「でも、この間あなたたちの話を聞かせてもらったこともあるし。それに」

最後のどら焼きのひとかけらを食べてから黒猫は続けた。

「この和菓子の手伝いもしてもらったのなら当然でしょう?」
「まあ、おまえがそういうならな。それにしても、すっかり
  真奈実と仲良くなったんだな。そういやこの前は何を聞いたんだ?」
「ククク、あなたの恥ずかしい過去をいろいろと、ね。
  『仕方ないことなんかなぁ、この世に一個だってねーんだよ!』
  だったかしら?随分とカッコいい武勇談なんかも沢山聞けたわね?」
  
ぐおお、既に俺の中で黒歴史になっていることを
気になる女の子に指摘される。これほどの苦痛と拷問があるってのか?
俺はその場で頭を掻き毟りながら転げたい衝動を必死になって押さえ込んだ。

「ふふっ、まあある程度は私の予想通りのことでもあったから
  そこまで気にすることはないわよ。それでもずっと気になっていたことを
  田村先輩には教えて貰えたから、あの人には本当に感謝しているの」
「そうか、まあ真奈実はあの通りに本当にいいやつだからな。
  俺も黒猫が真奈実と仲良くなってくれるなら嬉しいよ」
「ええ、本当に。私もこれからも良いお付き合いを
  させて頂きたいと思っているわ。あなたと同じように、ね?」

黒猫は少しは思うところがあるようだけど、本心から言っているのは
伝わってくる。ま、あやせや加奈子だって真奈実とは
仲良くやれてるんだし、黒猫だってきっとそうなってくれるよな?

私立の志望校を受けたときの帰り道のように
きっとまた三人で楽しくやれるときもくるんだろう。
それは心躍るような、いや違うな、心安らかになるような光景だった。


「ねえ先輩、今度は私の用件なのだけれど」

黒猫はそう言うとすっと俺との距離を詰めてまっすぐに俺を見つめてくる。

黒猫と知り合ってもう2年の時が過ぎようとしているが
おかげですっかり黒猫の癖は把握できている。
これは彼女が自分の想いを嘘偽りなく告げるときの仕草だ。

「覚えている?この前の雛祭りの時にあなたとした約束を」

そう告げる黒猫の眼は真剣そのもので。
俺も中途半端な気持ちで応じるわけにはいかなかった。

「ああ、もちろんだ」

それは俺にも心に秘めていた決意を固めさせた約束だったから。
黒猫がどんな想いでその約束をしたのか、はっきりと伝わってきたから。

「実は、ね。今日の会議で私の歌手デビューまでの日取りが決まった、
  と河上さんから伝えられたわ。正直自分ではまだそこまでの
  自信があるわけではないけれど。これからの修練でそれも十分だろうって」
「そ、そうか。やったじゃないか黒猫!こんな短い間にそこまで評価されて
  デビューを果たせるなんて、やっぱりおまえはすごいよ。
  俺の大学合格なんかよりずっとな!」

黒猫の朗報に俺の心も嬉しさ一杯に包まれる。気がつけばさっき
胸の奥で渦巻いていた何かがどこかに消え去ってしまうくらいに。

「そ、そんなに褒められるとさすがに恥ずかしいけれど。
  でも、ありがとう、先輩」

はにかみながらも黒猫はもう一度俺に優しい微笑を向けてくれる。
そして今度はその眩しさも素直に受け入れることができたのが嬉しかった。

「それで……ね、その。約束していた私の話を聞いてもらう前に……」

黒猫はもじもじしながら、そこで言葉を切った。
約束通り黒猫の話を聞くのはやぶさかじゃないが
その前にもなにかあるのか?

見る見る黒猫の顔は真っ赤になってまたも俯いてしまう。
でも、胸の前で組み合わせた両手に込められた力が
それを乗り越えようとしている黒猫の決意に見えた。

そして遂にはその顔を上げて

「……先輩に私の歌を聞いてもらいたいの。誰よりも早く、あなたに」

いつものように精一杯の気持ちを俺にぶつけてきた。

「ああ、こちらからもお願いするぜ、黒猫。おまえの歌を聞いてみたい」

だから俺だって自分の気持ちに正直に応えた。

「……ありがとう、先輩。じゃあ……歌います」

そう宣言した黒猫の顔は、既にアイドルとしてのそれに変わっていた。
でも、その表情は俺の知っている家庭派厨二アイドルともまた違う。
彼女の本来持つ日本人形のような清楚な愛らしさに凛とした静謐さも秘めて。

「聞いてください。私、五更瑠璃のデビュー曲『Platonic Prison』です」

そう、その表情はまるで……

そんな俺の考えを遮るように、黒猫が歌い始めた。


『ずっと離れないで ずっと想っていて
  いつか また手をつなげるように』

これが黒猫の歌声なんだな。想像よりずっと高くて澄んでいる感じだ。
でもきっとこれが黒猫本来の声なんだろう。普段は厨二の仮面で
低く抑えているだけなんだろうしな。

『ねえ あなたの夢を見たわ  優しく抱きしめてくれてた……莫迦みたい
  そう 会いたいのよ  今すぐ  時々 弱気に負けそうなの 今も』

今までの黒猫のアイドル像からかけ離れた、甘く切ない恋の歌。
河上さんもこれが黒猫の、五更瑠璃の本当の姿だって気付いてるんだろうな。

確かにまだプロとしては拙い歌なのかもしれない。声量も少ない感じだしな。
でも黒猫の歌声を聞いていると強く心を揺さぶられる気がする。
それはきっと、黒猫の本心が、真心が篭ってるからなんだと思う。

『あの日 嬉しすぎて  滲んでいた花火
  本当に 時間を 戻したいけれど Ah』
  
歌詞の内容と昨年の黒猫とのあのひと時の思い出が綺麗に重なり合った。
まさかこの歌、黒猫自身の作詞なのか?おまえがこんな歌詞を?
……いやこれが本当の黒猫だって俺は知っているじゃないか。

『こんなに 大嫌いで 愛しい この世界で 私だけ幸せでいいわけがない
  声が聞きたくて 涙が止まらなくて 駄目ね この想い眠らないままで』

それと気づかされると歌詞の一つ一つがあの時の、
そして今までの出来事としてまざまざと浮かび上がってくる。

あの時黒猫があんな行動に出たのは、桐乃との、皆の関係を壊さないため。
誰よりも黒猫はそれを大切に思ってくれてたから。

でもさ、黒猫。そのためにおまえがそんなに苦しむのはいいってのか?
自分の幸せを犠牲にして自分の想いを胸に秘めて。

いや、そんなこと俺がいえる資格はない……か。
俺がもっと早くいろんなことに気が付いていれば
何の問題もなかったかもしれないんだからな。

『Ah 恋愛指南書が囁くの  お前に恋などできるのかと そうね
  だけど大好きなの 心の支えなの  ずっと一緒よね  そうだと言ってね Ah』

あの時桐乃が黒猫に言ったらしい。恋人を作る資格なんてないって。
でもそんなのは皆一緒だ。何が恋なのか、俺だってわかっちゃいなかった。

でも、あの時から、いやそれ以前からずっと。
俺だって、おまえと一緒にいたいって気持ちは変わらないんだぜ?

最初は無愛想で毒舌で厨二病で正直どう対処すればいいか
わからないくらいだった。それがいつのまにかこんなにも
俺の心の中で大きな存在になっているんだから。

『どんなに 残酷で 悲しい 勇気だって  いつかみんなで笑えれば構わない
  あなたが流した 涙がうれしかった  愛がそんなに生まれてたなんて』

どうしておまえはそんなに辛い選択に自ら突き進むんだよ。
いくらみんなのためだからって。まさか、俺がおまえが好きだって
気持ちまで信じてもらえてなかったわけじゃないだろう?

でもそれも元を正せば、俺自身意識してなかった気持ちに
おまえは気が付いてたからだよな。そして桐乃にも本心を出せるようにって。
どれだけ俺たちの世話を焼いてくれれば気が済むんだよ。

それにしても、おまえの前では泣いた覚えはないんだが……
桐乃のやつかよ、ちくしょう。少しは兄貴のカッコくらいつけさせろって。

『こんなに 優しくて 愛しい この世界で  私だけ弱くていいわけがない
  だから 出て来ないで 心で暴れないで  いつか願いが一つになるように』

俺たちの世界を守るために、自分の気持ちを胸の奥に押し込めて
一人で強がって見せてた黒猫。本当はこんなにも無理をしているってのにな。
どんだけそのために耐え続けてきたんだよ、おまえは。

いや、違う。違うよ、な。黒猫。

『ずっと離れないで 恋心 消さないで 二人 もう一度手をつなげるように』

そんな後ろ向きな自己犠牲をしていたわけじゃないよな、おまえは。

黒猫はいつだって、理想に向かって突き進んでいたんだ。
どんなに痛くて、苦しくて、傷ついても。その先にある未来を掴むために。

あの盗作事件のときも。ゲー研での活動のときも。
俺と恋人だったときや、アイドル活動で歌手になるまでだって。

支えてくれる人がいるなら耐えられる。
俺となら……それができるってずっと信頼してくれて。

俺への気持ちをずっと胸に抱いたまま。

こんな俺とでも……もう一度手をつなげるように、って。


「ご清聴、ありがとうございます」

肩で息をしながらも、黒猫は俺に向かって深々と頭を下げた。
それだけで黒猫がどれだけの想いを今の歌に込めたのかが伝わってくる。

俺も今の想いを今すぐにでも黒猫に伝えたかった。
でも言葉が、感情が胸の中で溢れ返って、言葉を発することもできなかった。
嗚咽のあまりにまともに話すことができない時のように。

だから俺は手を叩いた。俺の人生においてきっと一番の力強さで。

いきなり割れんばかりの拍手をしだした俺に
黒猫は心底驚いたような表情を見せたが、それもすぐに笑顔に変わった。

俺の頭の中に無数に収められている
今までの黒猫のどんなスナップよりも素敵な笑顔に。

「……ごめんなさい、先輩。そんなつもりはなかったのだけど」

黒猫はポケットからハンカチを取り出すと、いまだに力一杯
拍手を続けていた俺に近づいて、順番に目元を拭ってくれた。
それで俺は初めて自分自身が涙を流していたのだと気が付いた。

「私の気持ちを全部あなたに伝えたかったから」

そう言ってもう一度ふんわりとはにかむ。

「……ああ、おまえの気持ち。全部受け取ったよ」

俺は絞り出すような声でようやく黒猫に応えることができた。

「それと……な。すごかったぜ、黒猫の歌。
  これは冗談でも誇張でもなく、俺の本気の感想だと思ってくれ。
  ……まるで本物の、天使の歌声だと思った」
「そう……あなたにそう言ってもらえるなら安心ね」

幾分顔を赤らめながらも、黒猫は俺の賞賛を真正面から受け止めてくれた。
以前の黒猫なら、こんな風に褒められるのが恥ずかしくて
何かと反発したものだったのに。

おまえはこんなにも立派に成長したんだな、黒猫。
それに比べて、俺は。


「なあ、黒猫。おまえの話を聞く前に、先に俺の話を聞いてくれるか?」

黒猫は黙って頷いて俺の次の言葉を待ってくれた。じっと俺の目を見つめながら。

「今日、俺は志望校に受かったのを見てから、ずっと何か胸の奥で
  ひっかかっているものがあったんだ。せっかく大学に
  合格してようやく目標に向けて進みだせるってのに
  自分でもその理由がわからなくてずっと気分が晴れなかった」
「そう……どこか浮かない顔をしていると思ったら、そういうことだったのね」
「ああ。でも、おまえの歌を聴いて。おまえの今まで抱いていた
  気持ちを伝えてもらってようやくそれがなんなのか理解できたよ」

そう、ようやく理解できた。いや、認める事ができた。
この胸のうちに仄暗く燻る感情の正体を。
黒猫の眩しいばかりのアイドル活動の成果を目の当たりにして。
黒猫がずっと想い目指してきた純粋な願いを聞くことで。

「……俺は怖かったんだな」

俺は搾り出すようにして自分の本心とようやく向き合った。
押し込んで誤魔化してなかったことにする筈だった気持ちと。

「大学に進学して生活が変わっていく事が。
  目標とするプロカメラマンになるための高い壁が。
  好意を寄せてくれた娘の気持ちに応えてやれないことが。
  俺の周りには努力して胸張って進んでいるすごい奴らばかりなことが」

いつもならそれも些細な不安な気持ちで済んだことなのかもしれない。
でも今日は今までの、そしてこれからの自分を意識する事ばかりだった。
嫌でもそんな気持ちを向き合って考えさせられていたんだ。

「それがどうしようもなく怖かったんだ。
  俺自身がまた無意味な存在だって思い知らされる気がして。
  結局俺なんかが頑張っても何も成し得ることができない
  って不安に押しつぶされちまうのが」

中学までの俺は親父譲りの正義感を振り回して
とにかく人のためになるってことが目標だった。

勉強は何もしなくたって普通に出来たし、運動だって上位陣だった。
何でも積極的に関わっていって、人助けばかり考えていたから
学校で、いい意味でも悪い意味でも中心になる存在だった。

でもそれも歳を追うごとに。勉強はしっかりやっているやつらには
全然及ばなくなってくるし、運動だって部活を真面目に取り組んでいる
面子に勝てるわけもない。

結局それまでは何でも上手い具合にこなせていた反動なのか
俺にはこれといって心から打ち込めるようなものがなかった。
だからなんだろうな。俺のアイデンティティは困ってる人の
人助けに集約されるようになったのは。

でもそれも最後には俺の身勝手な思い込みだって思い知らされて。
自分が何も特別な存在じゃない、むしろ掃いて捨てるような
取るに足らない人間だってことを受け入れる事になった。

でも別にそれを後悔しているわけじゃない。
実際に俺には取り立ててすごいようなところがあるわけじゃないし
受け入れてみればそれがなんともしっくりきたんだからな。
あの時俺を救ってくれた真奈実には本当に一生頭が上がらないぜ。

でもその後。桐乃の人生相談から始まったあの騒動で。

俺はオタクって輩の、本当にどうでもいいことに対して
心底情熱をかけている人達との交流を持つことになった。
それが悪くないって思えた。満足な趣味一つもてなくて
日がなだらだらとすごしている自分にはそれが眩しくて羨ましかったから。

そして目標に向かって全力で突き進んでいる桐乃や黒猫の姿が
心底すごいって思えた。昔取った杵柄でそんなおまえたちの
少しでも力にもなれればって相談を受けていたんだ。
そしていつか自分もこうなりたいって密かに思ってた。

「ようやく俺の目標を、目指すべき道を見つけられたってのに。
  それをやり始める前からこんなに怖がってるなんて
  どんだけヘタレなんだよ俺は。どんだけ情けないんだよ、俺は」

さっき黒猫に拭ってもらったてのに、また両目から涙が溢れ出てきた。
本当に自分が情けなさすぎて、何もかも放り投げて
その場から逃げ出したいくらいの心境だった。

なあ黒猫。おまえがずっと想ってくれてたのはこんなやつなんだぜ?
それでも……それでも、おまえは俺を想ってくれるってのか……?

「……そうね、あなたが如何に愚図でヘタレで情けなくて
  スケベで物ぐさで乙女の機微もわからない残念な雄か、
  なんてのはこの2年間でずっと思い知らされてきたわけだけど」
  
この俺のあまりにも酷い告解を長々と聞かされたっていうのに。
黒猫は普段となんら変わらない態度で。いや桃猫の分違和感はあるんだが。
俺の罪が、そこにあるのが自然のように相対して。

「前にあなたに伝えていたでしょう?
  私はあなたの『そんな情けないところも好きよ』って」

そして当然のように受け入れてくれていた。
俺のあるがままを。みっともなく吐き出したなにもかも全部。

「私はあなたがそんなに情けないくせに、たとえ無様な姿を見せても
  必死になって大切なもののために頑張る姿を好きになったのだから」

黒猫の口調はいつもと変わらない。少し芝居がかった抑えた声。
厨二全開の高圧的な言い方のはずなのに、俺は黒猫の言葉を聞くだけで
散々に乱れていた心が落ち着いていく気がした。

「それにこれも言ったでしょう?
  『今度は私があなたを支える番』だって」
  
いつの間にか黒猫は俺の目の前まで距離を詰め。
そのまま俺の頭は黒猫に正面からふわりと抱きかかえられていた。

「あなたが私にずっとしてくれてきたように。今度は私があなたを
  助けるためにどんなにみっともなくても我武者羅に頑張りたいから」

「だから、あなたが私を信頼してくれて。
  私に向けて弱音をもらしてくれたのがとても嬉しいのよ」
  
「あなたが不安で押し潰されそうなら私があなたを励ましてあげる。
  あなたが壁に当たったら私も一緒に協力してあげる。
  あなたが自信がなくなったら私があなたの素敵な所を幾らでも教えてあげる」

「だから安心して。私はどんなときでもあなたを支えてみせるから。
  どんなに辛い時も、苦しい時も、あなたと一緒に乗り越えて見せるわ。
  だから……京介、私に任せて」

そのまま黒猫は俺の頭を胸元まで引き寄せて緩やかに力を込めていた。
それだけで俺の心に渦巻いていた不安も恐れも後ろめたさも薄らいでいく。

ずっと。ずっとこうしていたい。俺はその時心の底からそう思った。


「さあ先輩、そろそろ私の話を聞いてもらってもいいかしら?」

俺が落ち着くまでずっとそのままでいてくれた黒猫が優しく尋ねてくる。

「……いや、実は俺のほうの話はまだ終わってないんだ。
  もう少しだけ、先にいいか?」

名残惜しいけれど、黒猫から身体を離して改めて黒猫と向き合う。
黒猫はさっきと同じように俺の言葉に黙って頷いてくれた。

本当、散々かっこ悪いところばかり見せちまってるけどよ。
前に黒猫の親父さんとも約束していたことでもあるし
なによりも、毎回おまえからばかりじゃ俺の面目も立たないだろ?
いや、いまさら俺の面目なんてこれっぽっちもないんだけどさ。

だけどあのとき一度別れて。そして雛祭りで約束したときにも。
今度こそ俺からおまえに気持ちを伝えるって決めてたんだから。

俺は黒猫がいつもするように、黒猫の顔をまっすぐに見つめて。
自分の気持ちのありたっけを伝えられるように叫んだ。

「--おまえが大好きだ。俺と付き合ってくれ!」

黒猫は俺の言葉に、一度大きく目を見開いた。
でもそれはすぐに細められ。涙の雫を伝わせながらも。
満足そうな最高の笑顔を形作ってくれた。

「---はい!」

こうして、俺と黒猫は再び。
そして今度こそ本当の恋人になった。



    *    *    *



「さあ、それじゃあいきましょうか」
「ん、どこにだ?」
「勿論、あなたの大切な妹さんに報告に、よ。
  あなたと私はまた付き合うことになりました、って」
「え……今からか?」

さすがにそこまで考えていなかった俺は
黒猫の言葉にみっともなく戸惑ってしまっていた。
いや、勿論、桐乃に隠れて付き合う、なんて考えはなかったぜ?

「いきなり言ったらまた反発しそうだからさ。
  桐乃には俺からガッツリ説得しておくから報告はまた後日にしないか?」
「……あなたまさか、桐乃とのことをしっかりと決着をつけないで
  私に告白したというの?約束が違うんじゃないかしら」
「黒猫さん……そんな軽蔑しきった目で見ないでくれますかね……」

せっかく暗黒の感情から持ち直したのに、愛しの彼女から
そんな目で見られたら今度こそ立ち直れなくなっちまうだろ!

「まあいいわ。どうせそうでなかったとしても、私だってあなたに
  告白するつもりだったのだし。あなたの約束とは順番はちょっと
  前後してしまうけど、桐乃に認めてもらうつもりだったわ」
「そうなのか。でもあいつをすぐに納得なんてさせられるのか?」
「大丈夫よ、今の私なら胸を張ってあの娘の前にたつことができるもの」

黒猫はそういうと俺に右手を差し出した。

「この先の暖かい未来のために、ね。京介」
「わかった。行こうぜ。どこまでも一緒にな、瑠璃」

俺は黒猫の、瑠璃の言葉に頷くと、迷わずその手を取った。
二度とこの手を離さないって、今度こそ俺の人生をかけて誓いながら。

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