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『--先輩と、遊園地に行く』:(直接投稿)

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
(注)12巻に対するネタバレを(多少)含みます。

最終巻の衝撃からなかなか立ち直れない日々でしたが
夏季休暇中に遊園地に遊びに行ったとき、これは是非ともこのネタで
黒猫SSを書くしかない!という勢いだけで書き上げました。

最初は本当に黒猫と京介が『運命の記述』に従って
遊園地でいちゃいちゃするだけの話のつもりで書き始めたのですが……

やはり一人の黒猫ファンとして、運命に逆らうことになっても
黒猫に幸せな結末へ続く道を示したくなってしまいました。

おかげでいろいろと話を詰め込みすぎていますけど
できる限りの黒猫愛も書き込んだつもりです。

久しぶりに書いたSSで拙なすぎる作品ですが
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

-------------------------

「……それにしても、千葉から本当に遠くまできたものね?」
「たまには思いっきり遠出するのもいいんじゃないかと思ってな。
  それに黒猫は絶叫系が大好きだって聞いからここを選んでみたんだぜ?」


先輩と付き合いだした夏休み。毎日のように先輩と『運命の記述』に従って
儀式をこなしてきた私たちだけど、昨日、先輩と別れる前に私が示したのは。

--先輩と、遊園地に行く

だ、だって恋人たるもの遊園地で二人だけの思い出を作るものでしょう?

桐乃から借りた『恋愛指南書』でも、『彼氏と遊園地で次なるステップを!』
なんて項目で長々と遊園地デートの心得が書かれていたくらいだし
私だって興味がないわけではないし……

ち、違うのよ?あんなリア充たちが喜ぶようなカップルのアトラクションが
目当てではなくて、先輩との絆を確実にするために、日常と違った体験を
二人で共有することで、いまだ目覚めぬ前世の記憶を呼び起こすのに
これは必要な儀式なのよ。

ようやくその大切な儀式を遂行する日がきたのだけど……
まさか先輩が、『そういうことなら俺に任せてくれ!』なんて
張り切って応えてくれるなんて思っていなかったわ。

記述通りだとはいえ、初めて先輩から積極的に応えてくれたのが嬉しくて
家に帰ってからも落ち着かなくて、つい先輩との楽しい一時を想像して。

日向にそのたびに突っ込まれていなければ
何度夕飯のおかずを焦がしてしまいかけたかわからなかった。

そして迎えた今朝。

アトラクションで並ぶことも多いだろうから、
あの人が褒めてくれた白いワンピースに鍔広帽を被って暑さ対策をして
栄養のバランスを度外視してでも先輩の好きなおかずを沢山つめた
バスケットを持って、いまだ夢心地のままで待ち合わせの
駅に向かったのだけれども。

『とりあえずチケットは全部確保してあるからな。じゃあまずはこれだ』
『……あら、目的地は舞浜ではないのね?』
『そこだといつでもいける近場だろう?場所は着くまでの秘密ってことで』

てっきり私の仇敵たるネズミのマスコットの
テーマパークにいくのかと思っていたのだけど。
でもチケットにかかれた駅名からするともっと遠くの遊園地に向かうようね。

とはいえ、遊園地など、家族で数年に一度、先のテーマパークに
訪れた以外では以前に桐乃と沙織と同じ場所に一緒に出掛けたくらい。
そんな私には先輩が向かう先の予想などできようはずもない。

『そう……ではお手並み拝見といこうかしら?』

いつもの私のように不敵な笑みを浮かべながら先輩を挑発するように声をかける。
付き合う前なら『おう、目にものみせてやろうじゃねえか』と半ば悪ノリも
含めて応えてくれたものだけど。

『ああ、きっと黒猫も気に入ってくれるよ。今日は任せてくれ』

そんな優しい顔で自信満々に告げられたら
恥ずかしく貴方の顔をまともに見られなくなってしまうじゃない……

付き合いだしてからというもの、今まで以上に私に対して
先輩は優しく思いやりのある姿を見せてくれる。

それは本当に嬉しくて、そして彼女としてとても誇らしいこと。
いまだに彼女として自信が持てない私の不安も
貴方はそうやっていつも吹き飛ばしてくれるのよね。

耳まで真っ赤になったであろう私は、俯いてそんな姿を
先輩に見せないようにするので精一杯だった。

でも……このドヤ顔に近い自信満々な顔はひょっとして……
一抹の不安があるのも確かね……

その後も先輩に連れられるままにいくつも電車を乗り継いで
ようやく到着したそこは……

眩しく映える日本一の霊峰の裾野……のようね。

確か……首を落とされない限り死ねない伝説の戦士たちの故郷の地、
だったかしらね、この遊園地が冠する銘は。


* * *


「まあ今日は先輩に任せたのだからこの場所に異論はないのだけれど」

私は敷地内に乱立する様々なアトラクションを眺めつつ
先輩に疑問に思ったことを訊ねてみた。

「私が絶叫系を好きだというのはどこから得た情報なのかしら?」

問いながらも答えなどは分かりきっている。私と一緒に遊園地に
行ったことがあって、先輩にその情報を提供可能な人物の候補は3人。

以前、おたくっ娘集まれのオフと称して遊園地に遊びに行ったときには
「奔流の峰」や「虚空の雷山」で、途中で取られる記念写真を
みんなで見たときに、余りにも澄まし顔で写っていた私に対して

『あんた怖すぎて無表情になってるだけじゃないの、これ?』
『飛行呪で自在に空を翔る夜魔の女王たる私に、この程度の動きで
  特別にリアクションを取れと言う方が無理なことよ』
『おおー、さすが黒猫氏。ここの家族向けのコースターでは
  黒猫氏のお眼鏡に適わぬようですなぁ』
『じゃあ今度はさ、もっとすごーーい絶叫系のある遊園地に行こうよ!』

こんなやりとりをしたことがあった。

おそらく私の遊園地の好みを訊ねた先輩に、あの時半信半疑だった桐乃が
私への当てつけも込めて教えた姿が目に浮かぶようね。

それに先輩は桐乃の情報を裏付けるべく
日向にこっそりと連絡を取ったことも考えられるわ。
私が家族で行ったときには絶叫系に乗りたがらないから
だからこそ日向は桐乃の話を面白がって肯定した事でしょうね。

まったく、日向は帰ったら再教育決定ね。
あと今夜のおかずは冷蔵庫に残っていたピーマン尽くしにしましょう。

それにしてもあの時はあの二人の前で醜態をさらさずに済んだことに
心から安堵していたのだけれども、まさかそれが今日、この日に
再び私の前に立ちはだかる因果になろうとは。

でもいいでしょう。それが私と先輩が乗り越える運命というのなら。

私の『真紅の神眼』は来るべきその時を予め見通していたのよ。
あの日以来、遊園地作成シミュレータを使ってあらゆるジェットコースターを
仮想体験した私は理論上絶叫系マシンの達人と言っても過言ではないわ。

それに『恋愛指南書』にもこうも記されていたわね。

『コースターで一緒にどきどき体験!?これで彼の気持ちも貴方に夢中!!』

吊橋効果とはいえ、先輩の気持ちをより私に惹きつけることは
儀式の最終目標に向けて欠かすことのできない優先事項。
そのための残り少ない時間を考えれば、手段を選んではいる暇はないわ。

「ああ、前に桐乃達と一緒に遊園地にいったんだろう?
  その時の桐乃から聞かされた話を思い出してここならと思ったんだよ」

……驚いた。桐乃と沙織と一緒に遊びにいったのはもう半年以上は前のこと。
そのときの話を先輩が覚えてくれていたなんて。

心に湧き上る暖かさと恥ずかしさを隠すように
『堕天聖の見得』をとりながら精一杯の努力で不敵な笑みを作り出した。

「そ、そう。それなら私を満足させるような『魔奔機』が
  ここにはあるということね?」
「ああ、ここには日本有数の絶叫マシンが揃っているからな。
  黒猫にもきっと楽しんでもらえる自信があるぜ」

--先輩と、遊園地に行く

空で燦々と輝く夏の太陽と、同じくらい
まぶしい笑顔を見せる先輩に惹きこまれながら。

今日もまた、忘れられない思い出と共に
約束の時へと歩を進めることになるのでしょうね。


*  *  *


入園して、まずはフリーパスのための写真を撮ったのだけど
先輩は撮影のタイミングが分からず、レンズを下から覗き込むような
すごい顔になっていたわ。

その後、コミケもかくや、という人の流れと一緒に
最初のアトラクションに向かうことにしたのだけど。

「ほら、黒猫」
「はい、お任せするわね」

当然のように先輩は私に向かって手を差し出し、そして私も気兼ねなく
お弁当の入ったバスケットを手渡す。この一週間、先輩と過ごした毎日で
すっかり私たちの『魂の絆』も強く結ばれたものね。

「それにしても……朝からすごい人出ね」
「家族連れに海外旅行の団体客。それにやっぱりカップルも多いよな。
  まあ俺たちもそうなんだけどな?」
「ば、莫迦。いきなり何を言い出すのよ……」
「ははは。でもこうも人が多いと、はぐれちゃいそうだよな」

先輩はともかく、私は文字通りの人波に何度もさらわれそうになっていた。
その度、先輩はやはり人波を掻き分けて助け出してくれるのだけど。

「……やっぱり手を繋ごうか?」
「え……なっ、ななな何を言ってるのよ、こんな人目の多いところで」

私は慌てて両手を背中にまわしてしまった。

それに……正直なところまだまだ自信がなかった。
きっと初めてのデートのときのように、緊張と恥ずかしさで
私の心も身体もきっと耐えられないわ……

「よし、じゃあこんなのはどうだ?」

でも今日の先輩はそんな私にもひるまずに次の手を打ってきた。

先輩がバスケットの持ち手の端をぎりぎりで持つようにして
逆側の端をこちらに差し出してくる。

「え、ええ……これなら……」

恐る恐るバスケットの持ち手を握ってみた。
先輩と持ち手を介しているとはいえ手を繋いでいる……
このシチュエーションを改めて意識すると
顔に流れる血液量は普段の5割り増しになったような気がする。

「よし、これではぐれる心配もないな。じゃあ改めていこうぜ!」
「……それにしても今日はいつも以上にテンションが高いわね?」

なんとか平静を装いながら、朝から感じていた事を尋ねてみた。
今日の先輩は主に妹のために発動する暴走モードに近いくらいの
ノリと勢いが感じられる。

「そりゃ彼女と一緒に遊園地デートだぜ?嬉しくないわけないだろう?」
「そ、そう」
「それに俺もここの絶叫コースターは前々から乗りたかったんだよ。
  それが彼女と一緒に楽しめるなんてもう最高だろ!」

満面の笑顔で先輩は答えてくれた。

私の顔に上った血液量はその色にふさわしく通常の3倍にも達しようとしたが
続けてハイテンションにこの遊園地のことを語りだした先輩は
そのことに気がついていないようだった。

それにしても、先輩がそんなに楽しみにしてくれていたなんて。

いつもは『運命の記述』に従って予定を決めていたし
その日の行動内容も私が率先して進めていた。
幸い先輩もそれを楽しんでくれていたようだし。

それが今日は予定そのものは『運命の記述』からだけど
行動内容は先輩が決めてくれたもの。普段と違うその感覚と
先輩のいつも以上に楽しそうな姿が、本当に新鮮で、嬉しくて。

たまには私の運命を委ねてみるのも悪くないのかもしれないわね。
それが私の運命を握る人ならなおさら……ね。


* * *


「まずは、ここの4大コースターの中でも最新鋭のここだな」
「……レールが普通じゃないレベルでねじれているわね。
  それにあの部分。あの角度はどう考えてもありえないわ……」
「ああ、あれがこのコースターの目玉!ギネス記録認定の
  角度121度の垂直をも超えた絶叫落下コースだぜ!!」

相変わらず先輩のノリノリの口上は続いていたけれど
その外観だけで十分に伝わってくる威圧感のおかげで
ほとんど内容は耳に入ってはこなかった。

緊張と不安が抑えようもなく、心拍数が上がっていくのが分かる。

こ、この私にここまでプレッシャーを与える存在など……
霊峰の力を一身に受け、神格が上昇しているというわけね。

「まあ、その前にこの行列を待つのが先だけどな……」
「ふっ、この程度の行列。マスケラのイベントで
  人気サークルの本を手に入れるときと比べればわけはないわ」

私のように普段からイベントに参加し慣れているものにとっては
1時間程度の待ち行列など日常茶飯時。それにすぐにアレに乗り込む
心配はないことで、軽口を叩く心の余裕が出てきた。

それに……その間、ずっと先輩と一緒にいられるのだから。

そう考えただけで、先ほどまであれほど
萎縮していた心が、嘘のように落ち着いてきた。

この先の未来は『運命の記述』を持ってしても、熾天使の暴走、
魔王の暗躍、闇天使の武力介入などの不確定要素で
一つの運命線に確定するのは困難を極めるのだけれども。

少なくとも今は、今だけは私だけを支える存在として先輩はいてくれる。
そんな幸せを今更ながらに噛み締めた。


「ほら、黒猫、暑かったらこれ使ってみるか?」

そういって先輩が差し出したのは……青いスカーフ、かしら?

「何でも濡らしておくだけで気化熱で冷えるんだってさ」

そういえばそんな暑さ対策グッズがあったわね。
普段の私は妖気の膜で熱気を防いでいるので全く必要のないものだけど
日向や珠希のために購入を検討したこともあるわ。まあ日向にはほとんど
必要がないでしょうけれども。

「今日は白猫だから、普段の妖気の膜も効力が弱そうだしな?」
「ふふっ、そうね。この格好の私は無力な人間の娘に過ぎないわ。
  だからありがたく使わせて頂くわね」

先輩の苦しい言い訳に、つい笑いがこみ上げてしまったけれど
せっかくの申し出なのだからお礼に私も話を合わせてあげるわ。

濡らしたまま持ち運べるようにと、ビニールのケースに入っていた
スカーフを取り出して早速首に巻いてみた。

「ひゃん」

すぅっと首筋が冷たい感覚に包まれて思わず声を上げてしまった。
でも先ほどまでのこの暑さも一気に和らいだ気がする。

「く、黒猫?何かおかしなところでもあったのか?」
「だ、大丈夫よ。ちょっと冷たさに驚いただけ」

私の反応に先輩が慌てた様子で確認してきた。本当にこの人は
自分のことにはいい加減なのに、人のことにはとことん心配性なんだから。

「そ、そうか。で、どうだ?」
「ええ、とても涼しげで気持ちがいいわ」
「そっか、よかったよ。この前桐乃が友達の間で流行っているって
  言ってたからな。部活の後で使うと気持ちがいいとかって」
「……それなら貴方の妹にも後でお礼をいっておかなくてはね」

……本当にこの人の話には妹の話題が途切れることはないわね……

でもまあ……妹のために一生懸命になれる姿が好きになったのは私なのだし。
今は私のために気を配ってくれたことを素直に喜んでおきましょう。

「でも青色のスカーフ、名前の通りに似合っていて安心したよ。
  って、俺のセンスじゃあダメなのかもしれないけれどな」
「いいえ、私も青は好きな色よ?それに貴方が選んでくれたものなら……」

首もとのスカーフに両手を当てて、先輩と自分の想いを大切に胸にしまう。

「私にとってはかけがえないものになるわ」

今までの私はこんなに素直に相手に感情を伝えることなどできなかった。
それがこの1年で随分変わったものだと思う。

その理由の根源たる人は、一瞬私の顔を凝視した後すぐに視線を
そらせてしまったけれども、顔を赤くしながら、そっか、とつぶやいていた。

まったく私をこんな風に変えてしまったのだからその責任は
取って欲しいものよね。そんなヘタレた態度では困るのよ?

でも、そんな貴方だからこそ好きなのだから……私も処置なしよね。


* * *


「おお、ついてるな、黒猫。俺たちコースターの先頭だぜ!」
「そ、そうね……でも縦には2列しかないのだから
  そんなに珍しいことではないのではなくて?」

いよいよ次が私たちの順番となった。レールでも見た通りの激しい動きを
実現するためなのか、横4列縦2列しかない小さなコースターなのだけど
幸か不幸か前に並んでいた人たちがぴったり納まったため
必然的に先頭に乗り込むことになってしまった。

前のコースターが出発する様を見守りながら、私は『恋愛指南書』に
記されていた『苦手な人もこれで克服!コースター必勝法!!』の内容を
呪文の詠唱のように繰り返していた。

リラックスすること、正しい姿勢で座席に座ること、
下肢を安定させること、怖いときには声を出すこと……

と、ともかくこれを落ち着いて実践すれば何も心配することはないわ。

それに私はあらゆるジェットコースターをシミュレート済みなのだから
このコースターが例え新型といえど、すぐに適応できるはず。

ククク、この夜魔の女王に乗座される栄誉を喜びなさいな。

「おーい、黒猫?俺たちの番だぞ?」

……いけない。思考に埋没して魂が遊離してしまっていたわ。
決して現実逃避していたわけじゃないのよ?勘違いしないで頂戴。

慌ててハンドバッグと帽子をロッカーに預けて、コースターに駆け寄った。

「ほらっ、こっちだ」
「ええ、ありがとうっ!?」

既にコースターに乗り込んでいた先輩は、私に手を伸ばして
コースターに引き入れてくれる。って、あまりにも自然すぎて
気にする暇もなかったけど今私と先輩は直接手を握って……

……おかげでコースターへの緊張はどこかに吹き飛んでしまったけれど
別の意味で心拍数が急上昇してくらくらしてきたわ……

「さあ、黒猫。めいっぱい楽しもうな!」
「せ、せいぜいこの私を楽しませて御覧なさい!」

精一杯の虚勢を張ったところでついにコースターが動き出した。

いきなりトンネルに入って視界をさえぎられたところでの急加速。
左右に振り回されつつ上空に光が見えたと思ったところで
一気に傾斜を駆け上った。

そして、トンネルを抜け出したところで
私たちを待っていたのは憎らしいほど滑らかに弧を描くループだった。

「ーーーーーーーーーーっっっ!!!!」

強烈なGで押さえつけられながら声にならない悲鳴上げる私。
指南書にあったように実際に声を出すことすら適わない。

この私の『此方の世界』での仮初で脆弱な肉体は
あまりにもの大きな『心的威圧』を受けるとすぐさま
『霊縛状態』に陥ってしまうのだ。

そのおかげで逆に醜態をさらさずに済んでいるともいえるけれど
困ったことに身体は思うように動かなくとも、逆にその間の
感覚が鋭敏となってしまう気がする。

先よりも増した体感速度と強烈なGが私の身体と心に
荒れ狂う竜巻に取り込まれたかのような衝撃を与え続ける。

これが……これこそが『闇の渦』……
夜魔の女王たる私はこの『門』を再び通って
『此方の世界』の貴方と雌雄を決することになるのね……

「おおお、ものすごいループだったなぁ、黒猫!」

……いけない、意識が半分飛んでいたわ……

先輩の声で漸く我に返った私は状況を改めて認識した。
先ほどまでの荒れ狂う多重ループのコースは既に通り抜け
緩やかで平坦なレールになっていた。

「さあ、これからがここの目玉。121度落下だぜ!」

もう終わり……?と思った私の考えは先輩の言葉に脆くも打ち砕かれた。
コースターは程なく空へと屹立するレールをゆっくりと昇り始め……
そして頂上でゆっくりと水平に……そして前に傾き始める。

え、え?、え!?お、お、お、おおおお落ちるじゃない!?

乗客をあざ笑うかのように必要以上にゆっくりと前方に傾き続けた
コースターはついに垂直に、いえ、鋭角に落下した。

「おおおおおおおっっっ!!!」
「~~~~~~~ーーーーっっ……」

逆落としに、いえ、まるでコースターがレールからはずれ
背中から落ちるような恐怖の中、隣の先輩が歓声とも雄叫びとも
取れぬ声を上げていたけれど、私は先ほどと同様に
『霊縛状態』に陥ってしまっていた。

その後はまたも上下左右に、そしてご丁寧に捻りまで加えた
文字通り三次元を縦横無尽に、芸術的までの立体機動を見せるコースターは
私のシミュレートしたどのジェットコースターでも見たことがないような
複雑な軌道だった。

わ、私の計算を超えるほどの動きとは……見事、と言ってあげましょう。
今回は私の負けにしてあげるわ。せいぜい一時の勝利を喜ぶことね。

そんな魔王の捨て台詞を思い浮かべたのも
息も絶え絶えになりながらゴールについてからだったけれども。

でも、これで全てが終わりだとは思わないことね。
運命を乗り越えた暁には、きっと私はまたこの地に戻ってくるのだから。

今度は先輩だけでなく、私たちの大切な人たちと一緒に……ね。


「それにしてもすごかったなぁ。まさに絶叫って感じで叫びまくっちまったよ。
  でもさすが黒猫。話に聞いた通り、ずっと澄ました顔で乗ってたもんなぁ」
「と、当然でしょう。夜魔の女王の力を甘く見ないで頂戴。
  ……でも思ったより楽しませてもらったわ。さすが日の本の国の技術力ね」
「楽しんで頂けたなら光栄の至りです、女王。お、写真撮影の方はどうだ?」
「……先輩はすごく間抜けな顔で吼えているわね……」
「ほっとけっつーの。この写真。記念に買っていくか?」
「で、でも先輩はともかく、私は無表情に写っているだけだし……
  余り面白くはないんじゃないかしら……」
「なにいってるんだよ。どんな写り方をしていたって……」

もう一度先輩は私たちの写真を表示したモニタを仰ぎ見た。

「これは俺たちの今日だけの大切な思い出だろう?」
「そ、そう……ね。でもこんな写真なんかもっていたら
  後で日向になんていわれるか……」
「ん~それなら携帯の壁紙にしてもらおうか。
  画像データならお前も保管しやすいだろう?」

先輩は受付の人に壁紙の注文をして、QRコードが印刷された
レシートを手渡されていた。

「これを携帯に読ませればいいみたいだな?」

先輩に差し出されたレシートを受け取ると、バーコードリーダーで
情報を読み取り、画像データをダウンロードさせた。

私と先輩の……大切な思い出……

携帯に映し出された画像の中の私は、さっきモニタで見たときよりも
不思議と微笑んでいるように見えたわ。


*  *  *


私たちは次に爆発的な加速で有名だと言うコースターに並ぶことにした。
単に今のコースターの隣にブースがあったというだけなのだけれども。

行列が建物内にできていたので、私の天敵である真夏の日光からは
守られていたのだけど、風の流れも遮られているので、先のコースターに
並んだときよりも体感温度は高いくらいね。

「黒猫、これでも飲むか?」
「ええ、頂くわ。それにしても今日はやけに用意がいいわね?」

先輩が差し出してくれたのはビニール製の水筒、かしら?
しかもどうやらあらかじめ凍らせてきていたようで
手で持つと気持ちのよい冷たさが伝わってきた。

「この暑さの中で何度も並ぶことになるのはわかってたからな。
  コミケのときに沙織に夏の行列の並び方を教わっておいてよかったぜ」
「ふふっ、まったく先輩もすっかりこちらの人間ね」

キャップをはずして一口飲んでみると……中は麦茶のようね。
水分と一緒にミネラルも取れるから、私も夏場は家で重宝しているわ。

「まったくだよ。俺は平凡な人生を心から望んでいたんだけどな。
  でもまあおかげで」
「おかげで?」

話の途中で言葉をきった先輩の先を促す。

「……まああれだ。こうして黒猫とこんなところにこれているんだしな?」

2,3度逡巡した後、恥ずかしそうに先輩はそう続けた。
迷っている間に先輩が何を考えていたのか。
その理由に思い至って私の顔も一気に赤くなってしまった。

「そうね……私だって1年前までは想像もしていなかったけれど」

互いに恥ずかしくてお互いの顔を見れなかったけれど
きっと二人とも出会いから今までの出来事を思い返していたのだと思う。

二人で育んできた『愛の絆』を、ね。


結論からいえば、最初のコースターに比べれば
こちらのコースターはおとなしいものだった。

……最初のロケットのような加速以外は。

カウントダウンから、およそありえない速度で撃ち出された
(文字通りそう表現するのが最適なほどの勢いだった)
コースターは、スタート地点からはるか向こうまで続いていた
長い長い直線を一瞬で駆け抜けていた。

なんでも先輩によれば「最高172km/hまで2秒弱で加速した」らしいけれど
情けないことにまたも私の身体はその余りにも加速力に耐え切れずに硬直して
意識も彼方に飛んでいたのではっきりしたことは覚えていなかったけれども。

その後のコースはそれに比べればおとなしく、最後の垂直タワーには
少々驚かされたものの、それも先の鋭角落下に比べれば可愛いもの。

見縊らないで頂戴。この夜魔の女王に同じ攻撃は2度と通用しないのよ?

最後の記念撮影ポイントで、カメラ側に意識を向けるくらいの余裕が
私にも生まれていたわ。

記念写真は今度はシールとして私と先輩で半分ずつに分けたのだけど。

「お、今度は二人とも笑顔で写っているな」
「ククク、勘違いしないで頂戴。私は笑っているのではなく
  最初の加速しか見所のない不甲斐ないこのコースターを嘲っていたのよ」
「そ、そうか……まあこの写真みたいに素直に笑っている黒猫も
  そうやっていつもの照れ隠しする黒猫も可愛いことには変わらないけどな?」
「な、なななな何を言っているのよ……」

まったく……この破廉恥な雄は今日は本当にハイテンションね。

普段のヘタレさはどこにいったのか不思議なくらい
恥ずかしげもなくそんなセリフをいえるなんて。

だから、そんなセリフで顔がゆるんでいくのが止められないのは
きっと先輩のテンションに中てられたせいよね。



* * *


次はこの遊園地の4大コースターで、もっとも古株ながらも
いまだにトップクラスの人気を誇っていると言う
正統派王道コースターの列に並ぶことになったわ。

「ずっと立ちっぱなしだけど平気か、黒猫?」
「ふふっ、何度言わせるの先輩。そもそも何かの行列に並ぶ、
  と言う行為において、私は先輩よりもはるかに上級者よ?」
「まあ経験的にはそうなんだろうけど……
  だけど足腰がそんなに強いわけじゃないだろう?
  黒猫は完全にインドア派なイメージだしな」
「そうね。それは否定できないけれど……コツなのかしらね。
  イベント常連者はその気になれば4,5時間くらい立ち並びでも平気よ。
  もっとも……」

私はそこで一旦言葉を切って先輩に艶然と右手を差し出す。

「それは果たすべき目的がある場合に限られるのだけれどもね?
  目標を見据えた時の私たちは潜在能力の100%を引き出すことができるわ」

今日の目的は勿論遊園地の施設を楽しむため、だけど。
それ以上に、貴方とずっと一緒にいられるのだから、よ?

「まあ人気コースターだから待つのはどうしようもないんだけどな。
  でも辛くなったらすぐに言ってくれよ。気温も上がってきたし」
「ええ、でもそんなに心配しなくてもいいのよ、先輩」

先ほどから先輩は、あらかじめ用意していたらしい団扇で
自身をぱたぱたと扇いでいたのだけれども。

本人はさりげなくやっているつもりなのでしょうけど
団扇を返すときにも力を込めて、私のほうにも
風が来るように気を配ってくれている。

スカーフといい、凍らせた水筒といい、団扇といい。
今日の貴方はこんなにも私のことを心配してくれるのだから。
むしろ待ち時間こそが今日一番の楽しみなのかもしれないわね。

……べ、別にジェットコースターが怖いから、というわけではないわよ?
変な勘繰りをしないで頂戴。

それにもうそれも3回目。失敗は繰り返さないのが夜魔の女王というものよ。
『恋愛指南書』にも、コースター最大の攻略法は「何度も乗ること!」と
記されていたし、今日の私は一気にコースター上級者へとクラスチェンジね。


今回乗ったコースターは王道と呼ばれるだけあって
コースそのものはループもなく、オーソドックスなものだった。

でも……設置当初は最高高度でギネスに乗ったと言うほどの
落差の激しいコースは、私に『心的威圧』を与えるのに
十分な力を発揮してくれたわ。

最初の70mの落下は速度こそ先のコースターには及ばないものの
直前の絶景なまでの高さと、そこから地の底までも落ちていくような
感覚が否応無しに私の心を揺さぶってくれた。

その後も最初の位置エネルギーを存分に使った
高低差の激しいコースを走りぬけ、Gでつぶれてしまいそうなくらいの
U字ターンやコースターが真横になってのターンなど
ループがなくとも負けないくらいの迫力があった。

その瞬間、瞬間でまたも『魂の乖離』がおきかけたものの。
こうも何度もやっていれば私のこの脆弱な身体にも慣れは生じるもの。
この烈風の衝撃も、押さえつけるGにも、今までの脅威は感じられない。

ククク、これで私は理論、実践ともにもはや完全にコースターの達人ね。
『戦闘証明済』の称号を得た私は、もう何も怖くないわ!

ただ、この高低差のある落下だけは、いまだに心の底から湧き上る
不安が抑えられないのだけど。これは人の身でありながら重力という
頚木から解き放たれようとしたイカロスへの原罪、なのかしらね……


*  *  *


「さすがに3つも乗ったらこんな時間か。そろそろ昼飯にするか?」
「そうね……でも『四大魔奔機』も後一つなのでしょう?
  それならお昼の時間を過ぎて混み合う前に済ませてしまって
  ゆっくりとお昼にしたほうがよいのではないかしら」
「それもそうだなぁ。よし、ならもう一つ頑張っとくか」

それにお腹に何か入れてしまうと、気分も悪くなりやすいと
『恋愛指南書』にも記述があったわ。もっとも既にここのコースターは
見切ったも同然の私にそんな忠告は用を成さないのだけれども。

「でも最後に残ったのは、ここでも最も激しいコースターらしいぜ?」
「そう……つまりは私たちの聖戦は、最後にして最強の相手を
  迎えたと言うことね。ククク、これから始まる最高の戦いを前にして
  我が魂も歓喜に打ち震えているわ」
「いったいお前は何と戦っているんだ……
  ま、まあ、黒猫が楽しみにしてくれるなら俺も嬉しいよ」

いまだに『前世の記憶』が戻らずに、先輩と私とは同じ価値観を
共有できないのが残念だけど、その上でも私の話を無碍にすることなく
真正面から受け止めて言葉を返してくれる。

今まで私の話を聞いて、そのまま流すならばともかく
馬鹿にしてくるような不埒な輩が多かった私の人生において
それがどれだけ嬉しかったことか。

きっとそんな経験のない貴方には判ってもらえてないのでしょうけれど。
いつか、いつの日かきっと貴方にそのお礼を返したい。

できればそう……貴方と私の一生をかけて、ね。


「最強のボス、にしては思ったよりはスピードは出ていないわね?」

行列に並んでいるところからも、最後のコースターが稼動している様子は
しっかりと確認できた。今までのコースターと比べれば、特に高さもなく
スピードもなく、また鋭角な落下なんてこともないようだけど。

「ああ、でも見てみろよ、黒猫。あのコースターの動きを」
「え……?ま、まさかあれって座席そのものが回転するというの……」
「ああ、だから総回転数14回ってギネス記録を打ち立てているらしいぜ」

こ、こんな変態コースター、よくも思いついて実現できてしまうものね。
本当に『此方の世界』の技術力にも侮れないものがあるわ。

それにしてもこんな動きのコースターはシミュレーションの中でもなかったし
そもそもコースそのものは今までのものと比べればむしろ大人しい。

だけどその上で座席そのものが前後に回転するなどという
4次元の動きは他に比べられるものもなくて、きっと実際に
乗ってみるまではその真価はわからないのでしょうね。

ふっ、面白いわ。それでこそ最後のボスに相応しいと言うもの。
貴方の挑戦、夜魔の女王として受けてたちましょう。

こ、声が震えているぞって?五月蝿いわね、呪うわよ?

「それにしても、ここのコースターは割と静かだなぁ。
  他の所はみんなの叫び声でうるさいくらいなのに」
「そうね……きっと単なる人間風情には恐怖のあまり
  声をあげることすら叶わないのではなくて?」
「ああ、なるほど。さすが黒猫の洞察力だな」

なにせ身をもって理解しているのだから……ね。


いよいよ次が私たちが乗り込む番になった。

目の前でみると座席の縦回転を実現するために
やけに横幅の大きなコースターなのね。

それはつまり、コースから大きく横にはみ出した状態で
さらに回転するということで……レールも見えずに地面を
見下ろした時を想像して、思わず生唾を飲み込んでいた。

心なしかふらついた足元が先輩に見えていないかと気が気でなかったわ。

「見ろよ、黒猫。最初は逆さになった状態で発進するんだな」

まわりで係りの人たちがいっせいに、ここのコースター名の由来となった
言葉を声高に囃し立てている中、直前のコースターが天地逆になった状態で
コースを進んでいった

「本当、独特の雰囲気で『聖戦』を盛り上げてくるのね」
「ああ、でもだからこそ『楽しめそうね』、なんだろ?」
「ふっ、貴方もようやく判ってきたようね?」
「当然だろ?俺だって同じ思いなんだからな」

きっと先輩は意識していたわけではないのだろうけど。
先輩とのやりとりで先ほどまでの緊張した心が少しは落ち着いてきたわ。

いえ、でもひょっとすると。
先輩が本当の意味で私と『同じ思い』というのなら。
先輩も少しは不安を感じていて、それを紛らわすために……?

そんな先輩の意外な一面を想像すると、既にオーバーフローしているはずの
貴方への愛おしさが、さらに加算されていく気がするわ。


いよいよ私たちの乗り込んだコースターが発進した。

前の人たちと同じようにすぐにコースターは上下逆さになり
そのまま背中からコースター定番の最初の上り坂を進んで行く。
そんな不安定な姿勢がいやがおうにもこれから訪れる衝撃への
不安を掻き立てる。

そしてゆっくりと流れていた風景が止まったと思った瞬間に。

私たちは頭から一気に落下した。

「ーーーーーーーっっっ!!!!!????」

天と地もわからない状況。自分の頭と足がどちらを向いているのか。
そも今自分はどっちに向かって進んでいるのか?

レールを滑り落ちながら、振り子のように前後に回転する
座席の動きで、三半規管がまともに動作してくれず
自分の状況が全く把握できない焦燥感と。

ふいに目の前に広がった地面と浮遊感と。

直後に身体を捉えたどこまでも墜落していく感覚に。

私の意識も闇に落ちていった。


*  *  *


闇、闇、どこまでも続いていく漆黒の闇。

全てが真っ黒で比較するものなどないというのに
進んでいることだけは感じることができる。

いえ、進んでいるのではなく……落下しているのね。

先ほどまでこの身を苛んでいた不快な感覚そのままに
私の身体は堕ち続けている。

唐突にその闇が開け、眼前に何かの景色が広がった。

振り続ける冬の雨、頼りなく照らす街灯、そして向かい合う二人の男女。

その景色が広がったと言うのに私の身体は落下を止めない。
でもその風景に近づくこともない。

只々その風景を見続けながら、どこまでも私は堕ちていくのだ。
永遠に近づけない。近づくことは決して叶わない。

不意に何かを叫びだした男性。でもその内容は聞こえない。
そのはずなのに掻き毟りたくなるくらい、胸の奥がざわめく。

長い長い雄叫びが終わり、それを受けて今度は女性が動き出す。

薄く笑みを浮かべながら何かを男性に告げたあと
おもむろに取り出したノートを。

びりびりと破り捨てる。丹念に、丁寧に、跡形もなく。

全てを破り捨てた後、耐え切れなくなったように崩れ折れ。

声なき慟哭をあげた。


-ふふっ、どう?これが貴方の目指した『理想の世界』の結末よ

いつのまにか風景の中の女性はいなくなり、私の眼前に現れていた。
闇そのものが夜魔の女王の衣装を纏った姿で。

-私は……そうね、復讐の天使『闇猫』とでも呼んで頂戴

私の考えを見透かしたように『闇猫』は応えた。私と同じ声なのに
まるで地獄の底から響いてくる呪詛を孕んだ魔王の声ような冷酷さをこめて。

-ククク、何を驚いているの?貴方は私、私は貴方。
  貴方の考えなど手にとるように判るわ

-でも、ここはどことかくだらない質問には
  いちいち応えるつもりはないけれど

-私の目的だけは聞かせてあげる

-私はこの名の通り、復讐するために来たのよ。貴方にね

私が何かを頭に思い浮かべるたびに
『闇猫』はそれに応えるように言葉を続けていく。

-ふっ、見縊らないで頂戴。あの結末は、私とて最初から覚悟していたこと。
  そんなことで貴方にとやかくいうつもりはないわ

-ただ貴方はその過程で一つだけ許せないことをするわ。
  貴方と同じ私にも、いえ私だからこそ決して許せないことを、ね

-今日のデートは楽しかったかしら?京介との仲も深まって
  さぞかし嬉しい1日だったのでしょうね。でも、それでも……

『闇猫』は一旦言葉を切ると、私に背を向けた。

-貴方は明日、こんなにも貴方を好きだと言ってくれる
  京介を裏切るのでしょう?

『闇猫』の声に応えて、目の前の風景はいつの間にか変わっていた。

夜空を飾る光の華と大地まで轟く鳴動。
そして……それを見上げる瑠璃色の浴衣姿の私と先輩。

不安げな私を元気づけるようにまぶしい笑顔を向けてくれている先輩。
その顔を見て、私も自分でも覚えがないほどの笑顔に変わっていた。

-そう、それは貴方の『運命の記述』通りだものね

-でもそれに振り回された京介はどうなるの?

『闇猫』が再び私に振り返る。その顔は闇そのものだったけど……
その眼には強烈なまでの私への憎しみの炎が燃え盛っていた。

-大好きになった貴方が理不尽に目の前からいなくなって
  京介がどれだけ傷つき、悩み、そして絶望することになるのか
  貴方は本当にわかっているのかしら?

-たとえ理解していたとしても、親友のためと言い訳を作り、
  京介の優しさに甘えている貴方には同じことだけど。

-だから私は貴方を絶対に許さない。京介を裏切り、京介の心を弄び

そして私に右手を突きつける。地獄の審判者が罪状を糾弾するかのように。

-私の愛する京介の心に、深い深い傷をつける貴方をね!

『闇猫』の闇の右手から、周囲の闇よりなお暗い暗黒の奔流が放たれた。

奔流に吹き飛ばされ、私の身体は吹き荒れる嵐の中の木の葉のように
闇の中をただただもみくちゃに舞い続けた。

-せいぜい今日という日を大切にすごすことね。
  明日からの貴方は、私の復讐の炎に焼かれ続けることになるのだから。

-例え貴方の身体が滅んでこの世界から消え去っても……
  来世でも、その来世でも、未来永劫に、ね……
  
その言葉を最後に再び世界が闇一色に世界が覆われる。
と、同時に永遠に続くと思えた堕ちていく感覚が不意に途切れた。

たゆたう闇のなかでまたどこからか声が聞こえてきた。
先の『闇猫』の声とは違う、とても暖かで力強い声が。


*  *  *


「……ろ猫!黒猫!!大丈夫か!?」

周囲の闇が消え去ってから私が始めに見たのは
私に向かって懸命に声をかける先輩の姿だった。

……え、先輩?私は……それに『闇猫』は?

「眼が覚めたか、黒猫!?大丈夫なのか?おかしなところはないか!?」
「……ええ、大丈夫、大丈夫よ、先輩……
  だからそんなに慌てた声を張り上げないで頂戴……」

いまだにぼんやりとして働いてくれない頭を軽く振ってみて
意識を徐々に覚醒させると、今の状況が漸く飲み込めてきた。

どうやらコースターの途中で完全に意識を失っていた私は
先輩が必死になって私に呼びかけてくれたおかげで
気がつくことができたらしい。

ほどなくゴールにコースターが滑り込んだ。
私は思い通りに動いてくれない自らの足を叱咤してコースターを降りると
すぐに先輩が私のもとに駆け寄ってきた。

「黒猫……無理に歩かないで医務室にでも行って診て貰おう」
「大丈夫よ、先輩。ここのコースターが思った以上に凄かったから
  怖さのあまりに意識が飛んでしまっただけなのよ。
  まったく我ながら情けないことね」
「……でもな、黒猫」

先輩はまるで泣きそうな顔をして私の顔を覗き込む。
その顔を見て、胸がずきりと痛んだ。
『闇猫』から暗黒の奔流を受けたところと同じ箇所が。

「まるで血が全身から抜けてしまったように顔が真っ青なんだぞ?」
「こ、これはいつもの貧血よ。だからちょっと休めば大丈夫。
  外に出てから少し休憩しましょう?お昼も食べないといけないし」

先輩から顔を隠すように慌てて視線をそらせた。
今、貴方のそんな顔をみたら泣きだしてしまいそうだったから。

実際の所、身体は鉛を詰められた様にだるく
乗り物酔い特有の気分の悪さがあるのは間違いがなかった。

インターバルがあったとはいえ連続で4つもの上級コースターに乗り続け
またそのインターバルにしても、真夏の暑さの中でじりじりと体力が
削られていたため、なのでしょうけど。

でも今の私の気分を最悪に沈めている最たる理由は
闇の中で『視た』予想通りの結末と、目的達成のためと
極力割り切って無理やりに心の奥に押し込めていた罪悪感と。

その2つを一気に目の前に突きつけられて心が悲鳴を上げていたから。

だから今の私は、最愛の人に救いを求めたくて
子供のように先輩と離れたくないと駄々をこねていたのだ。

そうでもしなければ、闇の中で穿たれた心の痛みに
耐えきれなくなってしまいそうだったから。

「……わかった。でも俺が見て少しでも黒猫の様子がおかしいと思ったら
  今度は黒猫がなんといおうが問答無用で連れて行くからな」
「ええ、そういう先輩には何を言っても無駄だと判っているわ」

私の様子に何かを感じ取ったのか、珍しく先輩が譲歩してくれた。
ひとまず外に出ようと一歩一歩なんとか足を動かす私を
先輩はバスケットを介して私を導き、身体を支えてくれていた。

アトラクションを出てすぐの木陰になったベンチに先輩は私を座らせると
すぐに先の水筒を私に差し出す。今更ながらに喉がカラカラに
渇いていたことに気がついて、一息に冷たい麦茶を飲み込んだ。

ようやく体調としては落ち着いてきたのだけれど
相変わらず心の中は散々にかき乱されていたままだ。

水筒の心地よい冷たさを握りしめたまま、隣に座った先輩から
伝わるぬくもりを頼りに、心の中の暴風が静まっていくことを
ただひたすらに待ち続けた。

……いまさらあんな物を見たくらいで動揺してしまうなんて。

私には判っていたことでしょう。たとえあの結末に至るのだとしても
私は私の『理想の世界』を追い求めるのだと。

でも私自身の痛みは自分の責と耐えることはできたとしても。
貴方が私のために傷つく痛みはどうすればいいというの?

その答えを見出せないまま今日まで来てしまったのも事実だった。
もう猶予は明日までしかないというのに。


「……ごめんな、黒猫」
「……それは私の台詞ではないかしら。
  先輩に謝ってもらうようなことは何もないと思うのだけれども」

先輩のことだから私が気を失うようなことになったのは
自分が気付かなかったから、とか言い出すのでしょうけど。

「さっきも言ったけれど、今回のことは完全に私の不注意よ。
  体調管理にしてもそうだし、他のコースターで調子に乗ってしまって
  心構えが足りなかったこともあると思うわ。いずれにしてもその失態に
  関しての責めと弾劾は当事者たる私が負うものであって」

しっかりと先輩の目を見据えながら続ける。
……大丈夫、もう貴方の顔を見ても落ち着いて話せている。

「私に心配をかけさせられた先輩が自身を責めるようなことではないわ」

先輩も私の目を真っ直ぐに見つめ返していたのだけど
ふっと目線をそらしたかと思うと、深く溜息を吐いた。

「はぁ……本当おまえはどうしてこう……そんなにも頑ななんだろうなぁ」

それはそうよ。好きな人に理不尽に頭を下げさせるなんて真似
できるわけがないじゃない。それが私のせいならなおさらね。

「わかったよ。じゃあ俺はお前を怒ってやらないといけないわけか」
「ええ、そうね。どんな責句をも浴びる覚悟でいるわよ。
  『口先ばかりで無様な醜態を晒したチキン野郎』とでも何でも罵って頂戴」
「気を失った彼女にそこまでいう俺はどんだけ鬼なんだよ!?」

いつもの調子で突っ込みを入れてから、先輩は居住いを正してから続けた。

「……まあなんだ。調子が悪くなっていたならすぐに伝えてくれよ。
  それがたとえお前の責任だからって心配しないわけにはいかないんだ」
「それは先輩が救いがたいほどのお人よしだから?」
「茶化すなよ。最後まで言ってほしいならここで改めて宣言してもいいぜ?」
「いいえ、わかっているからそれには及ばないわ」

思った通りの反応を返す先輩に、私も  いつものやりとりのように
くすくすと芝居がかった笑みを浮かべながら応えた。

大丈夫、すっかり元通りの私たちだわ。

そして改めて先輩をまっすぐに見つめて……素直な気持ちで頭をさげた。

「心配をかけてごめんなさい、そして心配してくれてありがとう、先輩。
  次からは、辛い時にはしっかりと貴方に伝えることにするわね」
「うむ、素直で大変よろしい。約束だからな?
  よし、それじゃあお待ちかねの昼飯にしようぜ。
  安心したらすっかり腹が減ってたのを思い出したよ」
「ふふっ、そうね。じゃあ今日の昼餐としましょう」

さっそくバスケットからカツサンドや手ごね肉団子
アスパラのベーコン巻き、サラダパックなどを取り出して
二人の間に並べていった。

言葉通り、本当にお腹がすいていたらしい先輩は
あっという間に先輩の分のカツサンドやおかずをたいらげてしまって
早くもデザートに焼いたチーズケーキにまで手を伸ばしていた。

「……先輩の食べっぷりをみていたらこちらまでお腹一杯になってしまったわ」
「ん、なんなら黒猫の分も食べてやろうか?」
「莫迦いわないで頂戴。先輩は今食べた分で
  高校男子としては十分な栄養を取ることができたはずよ」
「お前も麻奈美みたいなことまで気を配っているんだなぁ。
  でも黒猫の料理ならいくら食べても足りないくらいなんだぜ」

まったく彼女とデートだというのに、他の女性の名前を出すなんてこの人は。
でもすかさずフォローが入ったから今回は帳消しにしてあげる。

「そういってくれるのは嬉しいけれど、食べすぎは身体に悪いわよ。
  でもどうしてもというなら……こっちのサンドイッチを食べてみる?」
「いいのか?でも、黒猫はあまり食べてないんだろう。
  それこそしっかり食べておかないと身体に悪いじゃないか」
「大丈夫よ。こんなこともあろうかと、このサンドイッチは
  先輩のお代わり用に用意しておいたものだから」
「まったく、今すぐにでもうちの台所を任せたい主婦レベルだよ、黒猫は」

それは果たして高校一年生の女の子に対して褒め言葉なのかしらね?
で、でも聞きようによってはプロポーズみたいね……
そちらがその気なら……私も攻勢にでてみようかしら。

「ふふっ、でもその代わり、もれなく私が食べさせてあげる
  オプションサービスがつくのだけどね」
「黒猫さん、さすがに場所が場所だけに、通行人の視線が気になるんだが……」
「これも私たちの乗り越えるべき運命だと思って諦めなさい。はい、あーん?」

改めて思い返すとバカップルなんてものじゃないやりとりだけど。
このときは極限まで落ち込んでいた気分を『異相反転』させるためには
これだけの劇薬を投じる必要があったのよ?察して頂戴。

結局先輩もノリノリで食べてくれたし、道行く人たちの視線が生暖かかったり
時には爆裂魔法を込めた禍々しい邪眼まで感じられたけど
私たちの『神愛なる聖餐』の前には無力に等しかったわね。


*  *  *


「さて、帰りのことも考えるとそろそろいい時間だけど
  黒猫はどこかいきたいアトラクションはあるか?」
「そうね。できればこれに乗ってみたいのだけれど」

園内マップにある一つのアトラクションを私は指差した。

「観覧車か。今からなら帰りの電車までに間に合いそうかな」
「ええ……でも先輩は観覧車だと退屈ではないかしら?」
「いやいや、観覧車は俺も小さい頃から大好きだったぜ?
  その昔には、桐乃にせがまれてデパートの屋上で
  1日中乗り続けたこともあるくらいだ」
「……貴方のどうしようもないシスコンっぷりはよくわかったから
  早速並びにいきましょう」

さすがにジェットコースターと比べれば行列の人数も少なく
程なく私たちの番になったのだが。

「……こ、これは壁も床も透けて見えるということかしら」
「今日はついてるな、黒猫。確か4台しかない透明ゴンドラだよ」

ま、まあせっかくの機会なのだし、儀式の遂行には
むしろ望むところなのかもしれないわね。

透明の床はどことなく頼りないものの、ゴンドラに乗り込んだ
私たちは、向かい合って席に腰掛けた。

日はすでに山間に隠れようとしていて、私の今日予定していた
もう一つの儀式にはうってつけの時間になっていた。

--先輩と、一緒に夕焼けをみる

夏の強い太陽は秋のそれのように鮮やかな夕焼けを
作り出してはくれなかったけれど。西の空が赤く暮れなずむ様を
二人ともしばし無言で眺めていた。

透明なゴンドラを通して私たち二人の世界を赤に染め上げる紅の光。
今日という楽しい一日に終わりを告げる刹那の刻。

どうして夕焼けはこんなに切ない気持にさせるのに
恋人同士でみるものなのかしらね……

これで今日の儀式も無事に終わり、『運命の記述』に従えば
この宝石のような、輝く夢のような時間も明日で一つの終わりを迎える。

先に突きつけられ、無理やり押し込んだ胸の痛みが
切なさとともにぶり返してくるようだった。

「黒猫」
「なあに?先輩」

酷く切迫した雰囲気を纏った先輩の声に私の意識は呼び戻された。
胸の痛みをも振り払うように、私は恋人同士が呼び合うような
甘い響きを精いっぱいこめて返事を返した。

「……いなくなったり……しないよな?」

まるで名探偵に真相を言い当てられた犯人のように。
長年隠し続けてきた秘密を突然に暴かれた罪人のように。

真実を見透かされた私の心は無様なほどの驚愕に彩られた。

「……突然何を言い出すの、先輩?」

それでも私の口から出た言葉は本心とは裏腹に努めて冷静を保っていた。

普段の私の本当の気持ちを覆い隠し、無感情を装うためのマスケラの仮面。
長年培われてきたその力を今ほどありがたいと思ったことはなかった。

「いや、ごめん……何いってるんだよ、俺は……
  ……ただ、夕日に照らされた黒猫の横顔を見ていたら、なんだか」

先輩の声には、母親に置き去りにされた子供のようなおぼつかなさと
悲しみがにじみ出ていた。

「なんだか……黒猫がふいに消えてしまうような気がしたんだ……」
「そんなわけはないでしょう?いくら私にそんな能力があったとしても……
  あなたをこんなところに一人残して使うような酷い真似はしないわ」

-嘘だっ!貴方はまさに明日、それを実行しようとしているのでしょう!!

心の闇からそんな糾弾の声が聞こえた気がした。

「そう、そうだよな……本当、俺はどうかしているのかもな」
「貴方がどうかしているのは今に始まったことではないけれど……
  何か気になることでもあったのかしら?」

ひょっとすると私の今までの言動に
先輩はなにか予感めいたものを感じたのかもしれない。

でも帰ってきた先輩の答えは私の予想外のものだった。

「いや、そんなことはない……いや、あるのか、な。
  なあ黒猫、俺はようやく今日になってわかったことがあるんだ」
「……なにをかしら?」
「お前がいつもどんな思いを込めて俺たちのデートの内容を考えていたのか。
  そしてどんな気持ちでそれを実行していたのかを」

先輩はまっすぐに私を見つめながら穏やかな声で話を続けた。
そこには先ほどの不安げな様子はすっかり影を潜めていた。

「初めてデートした時、お前が『神猫』の姿で現われて、その日1日
  珍しくハイテンションでいたかと思うと、弁当を食べた後には途端に
  弱気になったりしたのが俺には不思議だったんだ」

「あの時は単純に、ああ黒猫もデートを楽しみにしてくれていたんだ、
  でもこんなに可愛いのに相変わらず自己評価が低いのが
  もったいないなって思ったくらいだった」

悪かったわね、あの日は私もいっぱいいっぱいだったのよ。

「でも今日、いや昨日の晩から、かな。
  はじめてデートの内容を自分で決めようと思ってから」

「桐乃や沙織、日向ちゃんにまでアドバイスをもらいながら
  ネットで調べまくって行く場所を考えたり、アトラクションの
  内容を予習したり、行列待ちになる準備を考えたりしながら」

……やっぱり日向はお仕置き確定ね。

「黒猫が喜んでくれる姿を想像したら床を転げまわるくらい嬉しくなったし
  うまくいかなければ黒猫に幻滅されるんじゃないかって思うと
  不安で切なくて一人で落ち込んだりもしてた」

「今日になったらなったで今まで以上に
  黒猫の一挙手一投足が気になって仕方なかった」

「コースターは喜んでもらえるようで安心したし
  待っている間も楽しそうにしてくれていたのが俺も嬉しかった」

「でも俺が浮かれすぎたばかりに、本当は黒猫に無理をさせていたことに
  気がつかなかった自分が心底許せなくて」

「今だって黒猫に嫌われたんじゃないかって不安で一杯だったんだ。
  だからあんなことを思っちまったりもして」

……そんなこと……あるわけないじゃない……

「それでようやくわかったんだよ。俺たちが付き合いだしてから、
  いやひょっとするとそのずっと前から黒猫はそんな気持ち
  だったのかもしれないけど」

「好きな人のために、って考えて、行動することが
  こんなにも楽しくて、嬉しくて、不安で、苦しいってことが。
  そしてその分だけ、ますます好きになるんだってことが。
  黒猫と恋人になったってのに俺はそんなことにすら気が付いてなかった」

「だから、さ。さっきは謝らせてもらえなかったけど
  やっぱり黒猫にしっかりと謝っておきたいんだ」

先輩は揺れるゴンドラを気にせずにその場にすくっと立ち上がり。

「恋人の好意に甘えるばかりで、全然恋人の気持ちに気が付いて
  やれなくてごめんな。いつもこんなにも大変なことを
  任せっぱなしにしていてごめんな」
  
深々と私に頭を下げた。

「だからこんな恋人失格な俺でも愛想を尽かさずいてくれるなら」

「また俺にも考えさせてくれよ。
  デートだけじゃなくて黒猫のことをもっともっと」

「だって俺は……お前の彼氏なんだからさ」

もう限界だった。

両目に熱いものがこみ上げてきたと思ったときには、涙のしずくが
止めどなく溢れ出していた。それを隠すべく両手で押さえて
顔を伏せたものの、口から洩れでる嗚咽までは隠しようがない。

「う、うぅうぅぅ……」
「く、黒猫!?」

突然泣き伏した私に、先輩が慌てて声をかけるが
私も今は応えられるだけの余裕がなかった。

「うわあああああぁぁぁぁ~~~~~」

もはや隠すだけの余力すら無くなり、私は大声を出して泣いていた。
人前でこんな泣き方をしたのはいったいいつ以来だろう?

それは『運命の記述』の『慟哭』の絵に似ていたかもしれない。
でも流しているのは血の涙ではく、熱い想いの丈だった。

嬉しかった。こんなにも想ってもらえていたことが。
誇らしかった。真摯な決意を向けてもらえたことが。
報われた。ここまで私の気持ちを理解してくれていたことが。
愛おしかった。己の不安を隠さずに私に伝えてくれたことが。
安心した。私だけが不安に包まれていたわけではないことが。

そして。

悲しかった。先輩への想いが全然足りていなかったことが。
情けなかった。先輩だけに懺悔のような告白をさせてしまったことが。
悔しかった。先輩の気持ちに気がついてあげられなかったことが。
憎らしかった。素直になれずに本心を打ち明けられない自分が。
許せなかった。こんな先輩の気持ちを、私は踏みにじろうとしていたことが。

先輩を想う様々な感情がすべて極値まで振り切って爆発してしまい
もはや私の心では制御不可能な状態だった。


*  *  *


『理想の世界』に至る唯一の方法は桐乃と先輩が本心を伝えあい
その上で桐乃に私と先輩の仲を認めてもらうこと。
そうでなければどこかで3人の関係は壊れてしまう。

でもあの二人が本当の意味で本心に気が付いてしまったら。
きっと私の入りこむ余地などなくなってしまう。

そんな諦観にも似た確信が、『理想の世界』に私自身の居場所を
書きこむことを許させず、『慟哭』が訪れることを予感させた。

なればこそ、私は捨て身で行動するのみだった。
たとえそれで私の心が引き裂かれようと私が耐えればいいだけのこと。
今までも、そしてこれからもそんなことには慣れている。

そして先輩が傷ついてもきっと桐乃のためなら立ち直れる。
本当の気持ちを伝えた桐乃が先輩の痛みも癒してくれる。
そう確信できるだけの事例を私はつぶさに見てきたのだから。

でも本当にそうなのだろうか?

桐乃の盗作問題の時のように、己の負の感情を、弱い自分を自覚してなお
妹のために行動できる先輩だけど、その裏ではいつだって行き場のない
わだかまりをどうにかしようともがいているのだ。

そして今、あの時のように、先輩は己の弱さをさらけ出した上で
今度は私の弱さをも互いに共有しようといってくれている。

一人では辛くて泣いてしまいそうな時でも二人でいれば耐えられる。

先輩はきっとあの時に私と同じようにそれを悟ったのだろう。

それこそがこのわだかまりを、立ちふさがる問題を乗り越える力となることが。

それなのになぜ私は3人の幸せを考えているはずなのに
一人だけでそれをなそうとしていたのか。

それは私自身が私に下す自己評価が最低だから。
そんな私が全力で先輩と桐乃と向き合うことが怖くて怖くて仕方がないから。
本当の私はこんなにも怖さと痛みに弱いから。

だからせめて大切な二人だけでも理想に導こうとした。
あわよくばおこぼれをもらえることすら期待して。

こんな私に先輩はこんなにも真摯でいてくれているというのに。
先輩だってずっと怖さと痛みと戦っているというのに。

だからもう逃げるのはやめよう。
親友のためと割り切ることも、ひとりで黙って行動することも。

私は今度こそ全力で、私の血の一滴、魂の一片まで
私の全てを賭してそれぞれの想いに向かい合い
そしてそれらを昇華して私の想いをも成就しなければならない。

そのための怖さも痛みも大切な人たちと分かち合って。

そうでなければ……本当に嘘でしょう?


*  *  *


私の左手を包み込む暖かなぬくもりと規則的に刻む振動を感じた私は
対面に座っていたはずの先輩がいつの間にか私の横に腰掛けていたことに
ようやく気がついた。

先輩は私の左手を優しく握って、先輩の胸の上、
ちょうど心臓の上に押しあてていたのだ。

いつもの私なら慌てて飛び退くところでしょうけど……
全力で泣き疲れていた私にはそこまでの力が残っていなかった。

そのまま先輩のぬくもりと心臓の鼓動を感じていたら
いつのまにか流れ落ちる涙は止まり、嗚咽の声も消えていった。

「落ち着いたか、黒猫?」

うなずくことで同意を示す私。
たぶん喉がかすれてうまく声を出せる自信がなかったから。

「そうか、よかった。
  もし嫌じゃなければ降りるまでこのままでもいいか?」

再びうなずく私。今まで私を緊張させて仕方がなかった
大好きな人の手のぬくもりが、心臓の鼓動が
こんなに安らげるものなんて思いもしなかった。

「昔俺がまだ小さかったころ、飼っていた小鳥が死んで
  泣きやまなかった俺にお袋がやってくれたのを思い出したんだ。
  赤ん坊が母親の心音を聞いていたころを思い出して落ち着くんだってさ。
  まあだから男の俺がやっても効果があるかは微妙だったんだけど」
  
私は今度は首を軽く横に振って、そんな心配はないことを先輩に伝えた。

互いに言葉はないけれど穏やかな空気が生まれる。
いつもの私と先輩の安らいだ空気。でもいつもとは違う二人の距離。

落ち着いてきたのはいいけどそれを自覚すると
やっぱり恥ずかしさが胸の奥から沸々とわきあがってくる。

今のシチュエーションもそうだし、先輩の前で大泣きしてしまったこと。
そして今でも泣き顔を見られてしまっていることも。

その時になって私はようやく先の自問に解答を見いだせた。

なるほど、夕焼けを恋人同士でみるというのは。

泣きはらした目も、恥ずかしくて赤くなった顔も
すべて夕焼けが赤く覆い隠してくれるから……かしらね。


*  *  *


「ねえ、先輩」
「なんだ?黒猫」

観覧車から降りたあと、私たちは遊園地に隣接する駅に向って歩いていた。
閉園時間ぎりぎりであれほどいた人の数もまばらになってきているが
私たちは相変わらずバスケットを介して手をつないでいた。

「人生相談があるの」
「そうか、安心したよ」
「……その反応は予想外ね」
「だって黒猫は俺との約束を守ってくれるんだろう?
  『辛いときには俺に伝えてくれる』ってな」
「そう……ね。だから私の悩みを聞いてほしいのよ」
「ああ、なんでも言ってくれ。さっきもいっただろう?
  お前のことなら俺にもどんどん考えさせてくれってさ」

私はハンドバックに入れていた『運命の記述』を取り出し
とあるページを指し示す。

--先輩と、花火を見る

「これが明日の儀式なのだけれど、実はこの後の儀式に関しては
  まだはっきりした形では決めていなかったの」

だって本当は、明日にはこの夢のような時間が終わるはずだったのだもの。
その次のページにそれはすでに書きこまれていたのだもの。

「だから先輩。明日、港の花火大会を見終わったら」

でももうそんな未来は選ばない。
初めて私は私自身が記した『運命の記述』に反した行動を取る。

「私の……話を聞いてくれる?
  これからの私たちのことでたくさん相談したいことがあるの」

だって運命は打ち破られたのだから。貴方の聖なる剣によって。

「ああ、そんなことならお安い御用だ。もう夏休みは終わりだけど
  2学期も冬休みも3学期も。そして俺が大学に受かってからのことだって」

だから『真・運命の記述』としてもう一度紡ぎ直そう。
今度は私だけではない、私たちの目指すべき『理想の世界』として。

「いっぱい話して決めていこうぜ。だって俺たちは」

そして桐乃はもちろん、沙織や瀬名、田村先輩、日向や珠希、ゲー研の皆、
先輩や私の両親も、私たちに関わるすべての人の想いをも取り込んで。

「恋人同士なんだからな!」
「……うん」

皆が幸せに笑っていられる結末を迎えるために。

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