波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
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波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
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&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
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&color(white,black){項目6⑧:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】
●&bold(){アイヌと沖縄について}
・アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略
・アイヌ民族の文化と信仰
・蝦夷の歴史
・日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇
・ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置
・日本におけるアイヌ問題の認識状況
・沖縄・琉球の歴史
・琉球神道について
・南西諸島の伝統歌謡に見える古層とヤマトとの交流
・南洋産貝製品の古代社会における重要性
・沖縄的事物と女性祭祀と海人族が示唆する、古代社会の在り方と平和の希求と大規模な変化
・日本の辺縁部に残る古代の日本語と祭祀形態
・沖縄・琉球の位置付けについて
・辺野古と大浦湾の類稀な環境・霊場・遺跡と、日米による破壊の危機
・沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧
・沖縄問題への誤った対処
・アイヌ・沖縄問題に見える国内外の自己優位思想と従属思考
・ヤマト・アイヌ・沖縄などの和合
・&color(white,black){南西諸島の伝統歌謡に見える古層とヤマトとの交流}
琉球諸島には「神歌(かみうた)」という「神祀りの古謡」が残されています。これは「古くから村々の祭祀で、ノロが連綿と歌い継いできた口承歌謡」であり、何時間も歌い続けたりもします。地域ごとに名称や傾向が異なり、同じような歌でも地域によって内容がやや異なっていて、総数は膨大な数があります。特に沖縄本島北部の「ヤンバル(山原)」地方や「半島部の沿岸の村落」では、色濃く残っています。
「神歌」は総称で、沖縄諸島では「ミセセル(神の託宣を意味する)」「オタカベ(神を崇べて降雨などの願いごとを述べる)」「ティルクグチ(もとは託宣から出て現在は神に豊作などの祈願を捧げる形になった)」「クェーナやウムイ(同じく神に自分たちの願意を長々と訴える)」などがあります。
宮古諸島と八重山列島では、「神歌以外の歌謡」を「アーグ」「アヤゴ(宮古島の古語)」と言い、アーグは「沖縄芝居でできた群舞名」も指します。内容は「現世的英雄をたたえる史歌的性格の強いもの」「作物の豊穣祈願と予祝(後述)」「航海安全祈願」「機織等民衆生活の場をうたったもの」が多いと言います。
《宮古列島のアヤゴ(アヤグ)》
・宮古諸島の古謡の総称。宮古方言で謡われる。
&color(white,gray){ニイリ、ニーリ、ニイラアグ}
・「ニイラアグ」は「根の国(にいら・死者の居る国)のアヤグ」の意。
・内容は祖先に関する謡で、代表的なものに「狩俣祖神(うやがむ)のニイリ」がある。
・「フサ」「タービ」「ピャーシ」の神歌の要素を取りながら、祖先神の偉業などを壮大に叙述する。
&color(white,gray){アヤグ}
・15世紀末から16世紀初頭にかけて作られた叙事的歌謡。
・英雄の勲功を称えたものなどが多く、代表的なものに「仲宗根豊見親八重山入の時のアヤグ」がある。
&color(white,gray){長アヤゴ}
・叙情的、民謡的なものが多い。
・「トウガニ」「正月のアヤグ」「石嶺のあこうぎ」「旅栄」「多良間シユンガニ」など。
&color(white,gray){フサ}
・神々の降臨・誕生から村落の創成などを述べたてて神を賛嘆する。
&color(white,gray){タービ}
・神々を崇べる。
&color(white,gray){ピャーシ}
・(同じく)神々を賛美する。
八重山諸島では「アヨー」「ジラバ」「ユンタ」「ユングトゥ」があります。
奄美諸島では「ナガレ歌」「八月踊歌」「ユングトゥ」があります。
「おもろさうし(おもろそうし)」は、「琉球王国第四代尚清王代の嘉靖十年(1531)から尚豊王代の天啓三年(1623年)にかけて、首里王府によって編纂された歌謡集」「ほぼ12世紀ころから17世紀初頭にわたってうたわれた、沖縄と奄美の島々村々の"うむい"を首里王府で採録した」「全二十二巻・歌謡一五五四編・実数一二四八編」です。沖縄の文化を語る時に、古の沖縄の様相の考証に、欠かす事のできない文化遺産です。
「おもろ」とは、古来より受け継がれてきた「叙事的な神歌」です。「おもろ」の語源は「うむい(思い)」であり、これらの神歌も「祝詞)(うむい」と呼びます。「そうし」は、大和の「草紙(物語・日記・歌書など和文で記された書物)」に倣った名称とされます。「おもろさうし」には、和歌を改編した歌謡も多く載っていて、そこでは和歌で見られる表現の一部が、用いられています。
その起源は「祝詞(のりと)」だったと考えられています。祝詞は「神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって 加護や利益を得んとする文章」「神社・祭祀などで神職・崇敬者が奏上する物」であり、古来より奏上されてきました。本土における「祝詞(のりと)」は、沖縄では「神歌(かみうた)」や「祝詞(うむい)」などと呼ばれ、またそういった様相・形式として発展しました。「祝詞(うむい)」には、今では使われていない「琉球古語」が多く含まれていて、後述の伝統歌謡「琉歌(りゅうか)」の源流と考えられています。
おもろそうしには「勝連のアマワリ(地方豪族)を称える歌」として「勝連わ、何(なお)にぎや、たとゑる、大和の、鎌倉に、たとゑる(勝連を何に例えようか、大和の鎌倉に例えよう)」という歌詞が見られ、「鎌倉時代に沖縄人が鎌倉を見てきた」「沖縄では鎌倉が知られていた」とも考えられます。
「クェーナ」は「神に自分たちの願意を長々と訴える」もので、対語・対句形式をとり、内容は「雨乞い・五穀豊穣・航海安全等の予祝」が多いです。語源は「クイナという鳥の鳴き声」「はやしことばであるコイナ」という二説があります。変遷は「クェーナ」→「祝詞(うむい)」→「オモロ」→「琉歌(りゅうか)」と想定されています。
沖縄の神歌の概念とは異なりますが、本土の「神歌」は一般的には「神に関する歌謡の総称、神詠」「神をたたえ、神力の発揚を期してうたう歌」「神の詠歌も含むが、神楽・神遊びなど神事に用いる歌謡をさすことが多い」「神祇(じんぎ)に関する内容を、今様歌謡の曲節によって謡ったもの」と説明されています。
「予祝(よしゅく)」とは「豊作・繁栄などをあらかじめ祝う」行為で、「言霊信仰」によります。例えば「毎年春、農耕開始に先立つ時期に、演劇的・舞踊的な所作を伴ってうたわれた伝承歌」を、村落の共同体で行います。「万葉集」を始め、古代の歌には予祝の歌が多いです。
沖縄本島周辺の神歌には、その歌詞の多くに「ヤマト(大和)という言葉や、ヤマトの事物が出てくる」「弥生時代・古墳時代前期の、日本本土と琉球の社会・祭祀・文化などの関係性が題材となっているとみられる」いう際立った特徴があります。例えば、沖縄本島北部に伝わる「マガ玉をかいに大和へ」には「ヤヲの港」という歌詞があり、「大阪府八尾市」とも考えられます。
(「やお」地名は「奈良県磯城郡田原本町八尾」も)
多くの歌に「神々は北風に乗って飛来する」という旨が見られます。古代の本土‐沖縄間の交易は「季節風に乗って船が往来した」「北風に乗って沖縄に行き、南風に乗って南九州に帰った」とされます。南西諸島の祭祀について、「請島と与路島の神迎えは二月」「奄美の神送りは四月」「沖縄の神迎えは五月」「沖縄の海神祭が五月または七月」「奄美では神々を開聞岳(薩摩半島南部)へ見送る」という様相があります。これは「古代の琉球諸島の神々」とは「ヤマトで奉じられていた神々、又はヤマトの人達」だという事を示唆します。
そして、それらの中枢的な意味合いを持った歌詞として、「ヤマトから下たる赤椀の世直し(ゆのーし)」という歌詞が多くの神歌にあり、ノロたちによって歌われています。同義と思われる歌詞として、宮古島の神歌には「ユバナオレ(世は直れ)」とあります。これは何らかの歴史的史実を示している訳であり、この意味する所は、途方もなく深いでしょう。
沖縄の神歌には「日本中の他の多くの古くからの口承歌謡や祝詞などの類型パターンと、明白に異なっている題材が歌中に存在している」のですが、こういった内容の口承歌謡や口伝は、他の地域には無いでしょう。そして「神歌には、古代の日本本土と琉球の歴史の謎を解く鍵の幾つかが残されている」という可能性を見て取れます。
神歌は研究者により収集・採録されていますが、歌詞の意味する所の仔細な研究は進んでいな、言及する論説は少数です。しかし近年「神歌など各種の資料から、沖縄を通して日本史全体を再定義する論説」が提示されています。兎にも角にも「沖縄の神歌は日本中でも屈指の重要な歴史資料」であることは間違いありません。
「歌垣(うたがき)」は「特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗」です。現代では主に「中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯」に分布、「フィリピン・インドネシア」などでも類似の風習が見られ、典型的なリズムや旋律に、掛け合いの言葉が乗ります。
「古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う呪的信仰・予祝・感謝の行事」「古代の言霊信仰の観点からは、ことばうたを掛け合うことにより、呪的言霊の強い側が歌い勝って相手を支配し、歌い負けた側は相手に服従したのだ、と説かれる」とされ、記紀・風土記・万葉集などに見え、後の「歌合」「連歌」に影響を与えました。歌垣が行われた場所は各地にありますが、霊峰「筑波山(茨城県つくば市)」の歌垣は万葉集や常陸国風土記に見え、また「日本武尊(やまとたけるのみこと)」による「連歌発祥の地」でもあり、頂上の巨石群の中に「連歌岳」があります。
歌垣の一種と見られる風習として、沖縄の「毛遊び(もうあしび)」、福島県会津地方の「ウタゲイ」、秋田県仙北地方の「掛唄」があります。「毛(もう)」とは「原野」を意味し、集落によっては「アジマーアシビ(辻遊び)」「ユーアシビ(夜遊び)」とも呼ばれました。毛遊びは「主に夕刻から深夜にかけて、若い男女が野原や海辺に集って飲食を共にし、歌舞を中心として交流した集会」「単に男女の出会いの場としてのみならず、民謡や楽器演奏技術、舞踊、民話などといった固有文化の伝承の場として重要な機能を果たしていた」「嘗ての沖縄出身の多くの音楽家は、毛遊びで競い合うことによって音楽的素養を磨き、即興や掛け合いの中から新しい民謡を次々に生み出していった」とされ、かつて沖縄で広く行われていた慣習でした。
この歌垣の風習は南方系文化で、「焼畑耕作民にも水稲耕作民にも見られるが、特に山岳焼畑地帯で顕著であり、もとは山岳地帯の焼畑耕作民の文化だったと考えられている」とされます。ここから「東南アジアから中国南部・ヒマラヤ(日本南西部から台湾・華南・ブータン)にかけての一体の文化圏」の「照葉樹林文化論」と結び付けられて語られます。「照葉樹林文化圏」は「森林」「山岳」と結びついた要素が多く、の特徴として「根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用、鵜飼い、漆器製作、歌垣、お歯黒、入れ墨、家屋の構造、服飾」などが挙げられます。「稲作文化」「畑作文化」も考証され、発展段階は「プレ農耕段階」「雑穀を主とした焼畑段階」「稲作ドミナントな段階」と辿るとされます。「東日本のナラ林文化」も提唱され、「中国東北部や朝鮮半島に広がるモンゴリナラやブナ林の分布する地域にみられる文化要素」との関連も示唆されています。
「琉歌(りゅうか)」は「奄美群島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡」「沖縄の和歌(短歌・長歌)」「詠むための歌であると同時に謳うための歌でもある」です。和歌と同様に「ウタ」とも言われ、「おもろ」「うむい」から変遷したもので、17世紀に盛んになりました。和歌は「五七調」ですが、琉歌は「八音を中心に、五音・六音・七音を標準とする」「サンパチロクといわれ、八・八・八・六が基本形」です。琉歌は「三線(さんしん)」などの楽器に伴奏されて歌われました。
琉球王国時代には「和歌」も盛んに詠まれ、琉歌の歌人は和歌にも精通していました。また、和歌を改作した「改作琉歌」も多数見られます。「改作琉歌」では、特定の言葉・表現法が多用されていて、これは当時の知識層の流行だったと思われます。
奄美諸島には「島唄(しまうた)」があり、歌手を「唄者」と呼びます。伝統的な唄者は声が良く、歌い方が上手いだけでなく、歌詞を多く知っていて、即興で唄を歌い合う「唄遊び(うたあしび)」の名手であることも条件です。「奄美方言(シマグチ・シマユムタ・シマユミタ・シマムニ・シマフトバ)」では「シマは自らの郷里を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する」とされます。島唄には「グイン」と呼ばれる、非常に特徴的な瞬間的な裏声(ファルセット)の歌唱法があり、裏声を用いる歌唱法は世界でも島唄とヨーデルだけとされます。また「音域が非常に広い」のも特徴です。奄美大島の高齢者は、出身集落以外の歌は「シマウタ」とは呼ばないとの報告もあり、これは「奄美群島や沖縄県では、集落ごとに独自の民謡を持っていることが多く、多くの市町村に広まっている歌も、集落ごとに異なった歌詞のバリエーションを持っている」ことによると言います。島唄は「日本民謡の南限」「沖永良部島以南では琉球音階が用いられ、琉歌の北限」という側面も持っています。
《島唄について、達人の朝崎郁恵は次のように語っている》
・私の歌っているのは神唄。
・神唄は本来カミニンジョウといわれる神降ろしをして唄う人によってのみ唄われていた。
・秋の収穫の際に村中の家から一合づつお米を集め、
トネヤといわれるご神事を行う祭事場でお神酒をつくる。
・神迎えの唄を唄い、お神酒ができたら神送りの唄を唄い、できあがったお神酒を各家にふるまう。
・今はカミニンジョウと呼ばれる人はおらず、神唄を唄える人もいなくなってしまったけれど、
祭事場のすぐ傍に家があった朝崎はいつも、神唄をまねて口ずさみながら妹とままごとをしていた。
南西諸島のうち、特に琉球諸島と奄美諸島では、「共通する古典芸能・伝統音楽・歌謡文化」が存在します。しかし諸島や島ごとに、独特の形態が存在しています。音楽においては、「カチャーシー」など、体の動きが伴う事が多いです。「琉球舞踏」は「三線(さんしん)」「箏(こと)」「笛」「太鼓」「胡弓(こきゅう)」により構成されます。
「琉球音階」は「ド・ミ・ファ・ソ・シ・ド」で構成され、「沖縄県全域と奄美群島の沖永良部島・与論島」に分布、沖永良部島と与論島は「北山王国」の領域内だったからと見られ、奄美群島の徳之島以北は、本土と同じ「ヨナ抜き音階」です。これらにより「琉球民謡」には、特徴的な様式・メロディーがあり、今日の「沖縄音楽」も色濃い地方性が見られます。
「魂振り・魂呼び・殯、神事・芸術の原点」にあるように、「音楽・舞踏・歌」「芸術」は古くは神事であり、主に「巫女」が携わっていて、生体を活性化させる「魂振り」をもたらす物でした。大王の「殯(もがり)」に携わった「遊部(あそびべ)」は「音楽・舞踏」を職掌としていました。南西諸島は「祭祀・神様」の他にも、「歌・伝統歌謡・古典歌謡」が比較的身近にあります。これらも「南西諸島には古代日本の姿が色濃く残っている」のが理由でしょう。更には、南西諸島では「シャーマニックな歌手」が多いように思われ、これもこういった土地柄によるのだと考えられます。
・&color(white,black){南洋産貝製品の古代社会における重要性}
「沖縄・南西諸島の祭祀具の文化」は、古来より「沖縄独自の文化」「日本本土由来の文化」「南方系民族・南洋諸島由来の文化(台湾・フィリピンなど)」「中国由来の文化」が存在しました。
「沖縄における独自の祭祀文化・用具の文化」を物語る遺物の発掘例は、旧石器時代に遡ります。沖縄の旧石器時代には「骨角器文化」があったとされます。縄文時代晩期には、複雑で特徴的な幾何学的造形をした「蝶形骨器」が、主にジュゴンの骨などで作られています。
古代の沖縄を特徴付けるのは、特に「貝塚時代(BC5000〜AC1000年)」を彩る「貝製品文化」と言えます。
&color(white,gray){縄文時代の貝類の採集}
・縄文人が貝類を食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、
代表的な遺跡として「夏島貝塚(神奈川県横須賀市)」が挙げられる。
・縄文早期の半ばには、瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。
・採取対象は当初は「ヤマトシジミ」であったが、やがて「カキ」や「ハイガイ」などにその中心は移る。
・「腕輪やペンダントの原材料」として採取された貝類もある。
特に目立つのが「オオツタノハガイ」の利用である。
・「オオツタノハ」は、二枚貝である。
主に「屋久島」「トカラ列島」「竹島・硫黄島・黒島」の物が利用された。
縄文期には、特に縄文後期・晩期を中心に、
「関東地方全域」から、北は「有珠10遺跡(北海道伊達市噴火湾の小島)」でも出土している。
・これについて、原材料となったオオツタノハガイは南九州から運ばれたという説と、
三宅島以南の伊豆諸島にも生息域があったのではないかとの説が対立している。
・他には「ハチジョウタカラガイ」も広く利用された。
「貝製品」は「縄文時代・弥生時代・古墳時代の重要な祭祀具・装身具・装飾具」として、沖縄から北海道まで全域で数多く用いられてきました。貝製品は種類が多数あり、時代と共に変遷、「古代日本に特徴的な文化」「古神道の祭祀具・装身具」と言えます。「南方産貝製品」は「縄文時代・弥生時代・古墳時代の重要な交易品」でした。また後代では、貝製品は主に「装身具・装飾具」として利用されています。種類は「貝輪」「貝製足輪」「貝玉」「貝符」「垂飾」「耳飾り」・・・など多種多様です。複数の南洋産貝製品が北海道でも出土、また勾玉と同様に、「朝鮮半島」でも日本産貝製品が出土しています。巻貝を威信財に用いる文化は、中国では五千年前の黄河上流青海省の「馬家窯文化(まかよう)」に始まり、秦王朝(BC200)まで続きました。
「貝輪(かいわ)」は「貝殻で作られた腕輪」、貝の多くは「奄美群島以南」に産するもので、「九州」との間で盛んに取引されました。縄文時代は「サルボウなど大型二枚貝に、穴を開けたもの」が広く見つかっています。弥生時代、九州北部などで「巻貝類のカサガイ・オオツタノハなどに穴を開けたもの」「巻貝類のイモガイ・ゴホウラ・スイジガイなどを切ったもの」で作った貝輪が盛行し、支配階級を表す「威信財」となっていました。他には「ベンケイガイ」「マクラガイ」「ホタルガイ」なども用いられています。
縄文時代では、貝輪を装着した人骨は成人女性が殆どで、女性が着装する物だったとみられます。縄文早期から晩期の「山鹿貝塚(福岡県芦屋町)」では、3500年前(縄文後期)の人骨18体が発掘されました。そのうち呪術者と見られる女性人骨(2号人骨)は、「20才前後・推定身長150.3センチ」「右腕5個・左腕14個のベンケイ製貝輪をつけている」「胸に軟玉か蛇紋岩の、穴を開けた首飾りがあり、長さ75ミリ・幅31ミリ・厚さ14ミリ、常に着装していた」「鹿角2本(25センチ)を、穴を開けて胸にぶらさげている」「二本のサメの歯で作ったイアリングをつけている」「額に輪をはめていた圧迫痕がある」「彼女の上半身の周りだけは砂が赤く染まっていて、朱を撒いたか、赤い服を着ていた」「腕に生まれたばかりの赤ん坊(4号人骨)を抱いている」「左側に寄り添うように女性(3号人骨)がいて、30才前後で推定身長147.1センチ、ベンケイ製貝輪を右腕に11個・左腕に15個、鹿骨製かんざし2本つけている」という状態で発見されました。
弥生時代と古墳時代前期、特に「ゴホウラ製貝輪」「イモガイ製貝輪」「スイジガイ性貝輪」と、そこから派生した事物が重要視されました。こういった南方産の貝
「ゴホウラ(護法螺貝)」は、多くは見られない大型巻貝で、「成貝の殻は著しく重厚堅固で、高さ18cm・太さ12cmになる」「楕円形で背腹に扁平、螺塔の高さは中庸」「殻表は滑らかで乳白色の強い光沢がある」「奄美大島以南の熱帯太平洋に分布」「珊瑚礁の水深10mほどの深い砂場に生息」です。
ゴホウラ製貝輪は、弥生時代前期に「北部九州」で出現しました。中期後半の「北部九州」には「ゴホウラ製立岩型貝輪」「甕棺墓」「砂丘遺跡」という様式がよく見られます。そして「島根県(出雲)」「香川県(讃岐)」「愛媛県(伊予)」「岡山県(吉備)」「兵庫県(のうちの播磨)」などに普及しました。
&color(white,gray){ゴホウラ製貝輪}
・ゴホウラ製貝輪は、形の違いによって「金隈型」「土井ケ浜型」「諸岡型」「立岩型」「広田型」などに分類される。
・初期の「縦切り型のゴホウラ製貝輪」は、貝の螺旋構造を活用し、幅広で厚い。
・しかし、時代が下るとともに腕に数多く装着する「貝輪多連装着」が流行、規格的に厚みも1cm前後に変化した。
・弥生時代後期前半、既存のゴホウラ製貝輪は、「有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)」に変化して姿を消す。
・南九州で新たなゴホウラ製貝輪が出現、ゴホウラの貝塔の(縦方向の)中央付近の横端に「一大結節」を
意識的に研磨して強調した「鉤状突起(かぎじょうとっき)」が貝輪に形作られた。
・この「鉤状突起と多連装着と薄型を特徴とした定型のゴホウラ製貝輪」と これを祖形に後に現れた
「鍬形石(くわがたいし)」は、ヤマト王権の象徴となり、「古墳時代前期の大規模古墳」に特徴的に副葬される。
・ゴホウラ製貝輪は、男女共用の「広田型」以外は、殆どが男性が着装している。
「イモガイ(芋貝)」は、イモガイ亜科などの巻貝の総称です。貝製品としては南西諸島産「アンボンクロザメ」などをを使用し、「殻は円錐形で、ほとんどの種で螺塔が低く殻口が狭い」「殻長は最大で23cm程度」「和名は形状がサトイモに似る事から」「潮間帯から深海まで棲息」「日本では主に房総半島以南や能登半島以南に見られ、南西諸島では格段に増加、沖縄県では約110種を数える」という性質があります。
「スイジガイ(水字貝)」は、ゴホウラの近縁種、6本の突起がある特徴的な貝殻を持つ巻貝で、突起先端が円弧を描き、突起六本のうち五本は時計回り・一本は反時計回りです。「成貝は突起を含めて殻長24cm・幅16cmに達する」「貝殻は厚くて硬い」「殻口が大きく開き、螺塔の巻きは小さい」「貝殻の表面は巻きに沿って大小の螺肋があり、黄白色の地に黒褐色の縞模様が走る」「殻口は光沢のあるピンク色」「和名は形状が水の字に似る事から」「日本では紀伊半島以南の沿岸域の、浅海のサンゴ礁や岩礁の砂礫底に生息」「装飾品・貝細工に利用される」「火難除けや魔除けとして家の玄関や家畜小屋に吊す風習があり、民家の玄関に今も時折見られる」「宮古島ではヤドムリャといい、家を守るという意味で、魔除けに用いる」「沖縄県名護市・宮古島市のシンボル(市の貝)」「食用にもなる」という性質があります。「ゴホウラ・イモガイを多く産する産地」は「沖縄本島付近」です。
「ゴホウラ」は、奄美では「テルコニャー(太陽の貝)」と呼ばれ、「テルコ:太陽の古名」「ニャー:貝(ニナ)」であり「太陽の貝」を意味します。「スイジガイ」は、那覇で「ユーナチ・モーモー(世直しの牛貝)」、宮古で「ユーグルー(世直し?)」などと呼ばれます。これらの貝には「太陽」「世直し」という寓意が篭められています。そして「南方産の巻貝は、その多くが太陽を象徴する物、太陽祭祀に纏わる物」とされていて、「太陽を生み出す」と見られていた可能性もあります。
「ゴホウラ製貝輪」は「男性の右腕」に着装、「イモガイ製貝輪」「勾玉」は女性が着装していた、という傾向が見られます。記紀や沖縄などの伝承から、これら巻貝(特に開口部分)の形状には「ホト(女陰)」「子宮」「多産信仰」「邪を食らう」といった呪術的寓意あると言われます。「オオツタノハ製腕輪」は、幼児が着装した例がみられます。
「ゴホウラ製貝輪の加工途中とみられる物や半製品工房」が「大又遺跡(沖縄県名護市辺野古)」「ナガラ原西貝塚(沖縄県伊江村)」「高橋貝塚(鹿児島県南さつま市)」などで見つかっています。交易の為の「巻貝溜まり(集積遺構)」は多くの場所で発掘されていますが、「南方産貝製品の製造工房跡」は少数しか見つかってない貴重な遺跡で、完成品工場は未発見です。「ナガラ原第三貝塚(沖縄県伊江村)」は、縄文時代・弥生時代の沖縄の最大規模の遺跡で、「弥生時代の物とみられる石棺墓」の内部から「ゴホウラ製貝輪を装着た女性人骨」が出土、これにより「沖縄でも貝輪などを用いる装着・祭祀の文化が、弥生時代・古墳時代にあった」ことが確認されました。
弥生時代中期の「宇堅貝塚(うけん・沖縄県具志川市)」は、金武湾北岸に面した弥生時代中期・後期の遺跡群の一つで、「イモガイ(アンボンクロザメ)の集積遺構」「ゴホウラ」「ヒレジャコ」が出土、「土器一三七一点(弥生土器18%・弥生系土器7%・沖縄後期土器75%)」「貝刃」「ガラス小玉」と、全国的に希少な「板状鉄斧(国内3~4例)」「青銅製後漢鏡」「青銅製漢式三角翼(鏃=やじり=矢先に付ける/国内2例)」が出土しました。
「土井ヶ浜遺跡(山口県下関市)」は、弥生時代前期~中期の300体以上の人骨が出土した墓地遺跡で、響灘近隣の砂丘にあります。埋葬は「砂地を掘り、その中に遺体を安置し、砂で覆う簡単なもの」が大半で、他に「箱式石棺」「石囲い」「四隅や頭辺・足元などに配石した物」などがあり、簡単な墓標を設けているものもあります。弥生時代の多くの埋葬例のように「頭を東に向け、両手を胸で合わせ、足をやや折り曲げて足首を縛った仰臥の姿勢」です。体格は縄文人の形質と明らかに異なりますが、縄文の風習の「抜歯」も多く見られます。「鵜を抱く女」は、胸部に鳥を抱いた壮年女性で、「特別な霊的能力を持った女性シャーマン」とされます。後述のように弥生時代には「鳥信仰」がありました。「戦士の墓」の「英雄」は、弥生前期の体格のいい成人男性で、右腕には「ゴホウラ製貝輪」をしています。78人以上の人々と共に海岸の墓地に眠り、胸から腰に15本の石鏃が打ち込まれていて、「ムラを守った戦士」とされます。
「甕棺墓(かめかんぼ)」は「甕」に遺体を埋葬する風習で、弥生前期~中期の「九州の北西部」で顕著に見られ、被葬者が「ゴホウラ製貝輪」をしている事例が多いです。中国・長江流域から齎された風習と見られ、朝鮮半島南部にも見られます。「箱式石棺」は、縄文~古墳時代に見られます。弥生時代では九州北部・中国西部を中心に前期から出現し、その後近畿を除く西日本に広く分布、「甕棺」など他の埋葬施設と群集して共同墓地を構成します。沖縄にも「箱式石棺」があり、「ゴホウラ製貝輪」「九州北部の土器(特に弥生中期の須玖式土器・後述)」などが共伴します。沖縄で見られる「箱式石棺」「九州北部の土器」は、後述の「貝輪の交易をしていた海人族が齎した文化」とされます。
最近の研究で、歯の形態は「北部九州人:黄河流域や朝鮮のものに類似」「土井ケ浜人:モンゴルやバイカル湖周辺のものに類似」、貝輪の形態は「北部九州人:細い貝輪を重ねてつける(多連装着)」「土井ケ浜人:貝輪を一つ付け、それを大きく見せようとする」と報告されています。「中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、「土井ヶ浜人」ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっています。また「土井ヶ浜人」は「稲作を齎した人々」という説もあります。
(「初期渡来人とその文化」「稲作」は中国中南部から渡来したとみられるが、稲作が発展した「長江」「淮河」の流域からは人骨の出土が少なく、比較検討が難しい)
噴火湾の小島の「有珠10遺跡(北海道伊達市)は、通称「モシリ」と呼ばれる場所で、縄文時代晩期~続縄文時代(弥生時代)の遺跡です。島の中心は墓域で、周囲は貝塚となっていて、西日本に多い「改葬墓」と「イモガイ製貝輪」「ゴホウラ製垂飾」などが発掘されました。これは弥生時代における、沖縄から北海道に跨る広域の交流を示しています。「スイジガイ製貝輪」は、「松林山古墳(静岡県磐田市)」など、静岡県でも多く出土しています。
弥生時代後期から「青銅や石(碧玉など)」を用いて「貝輪に似せた意匠の腕輪・装飾品」が作られ始め、弥生時代末期に量が増えていきました。これらは「南方製貝製品」とともに、西日本を中心とした「弥生遺跡」「弥生墳丘墓」の副葬品に用いられています。古墳時代前期には「南方産貝製品から派生したの祭祀具・装身具・意匠」が非常に盛行、これらの「沖縄的事物(南方製貝製品と派生事物)」は「前期古墳(古墳時代前期の古墳)の重要な副葬品」であり、同時代の代表的な祭祀具の一群となっています。またこれらのうち「腕輪類」は、貝輪のように「多連装着」の事例も多いです。
これらの「沖縄的事物」は、弥生時代前期に「北部九州」で出現、中期に「瀬戸内地方」に波及して、後に「畿内」に普及、弥生時代後期~古墳時代前期に各地で盛行しました。「畿内」では弥生時代前記末で終了、中央から離れるほど、より後代まで続いていき、「九州地方」「関東地方」「東北地方南部」では古墳時代後期まで続きました。この「沖縄的事物の九州から畿内・大和地方へという普及」は「神武天皇の東遷伝承」と符合します。そして「沖縄的事物」の分布は、「海洋民・海人族(あまぞく)」の故地において、特によく見られます。
代表的な「南方産貝製品の派生事物」には、次の物があります(碧玉製などとあっても、他の素材もある)。
&color(white,gray){鍬形石(くわがたいし)}
・「ゴホウラ製貝輪」を模した碧玉(青メノウ)製腕飾。
・台形で、上半部に楕円形の穴があり、下半部は扁平な鍬の刃の形。
・ゴホウラの腹面を利用する。
・ゴホウラ製貝輪の輪郭、中央部の穴、鉤状突起の形状が、そのまま模してある。
・ゴホウラ製貝輪から、鉤状突起以外は、左右対称に近い形に変化した。
・畿内の前期の大型後円墳から多く出土する。
&color(white,gray){車輪石(しゃりんせき)}
・「カサガイ」か「オオツタノハ」か「ゴホウラ」を模した碧玉製腕輪。
・外形が楕円形で、輪の部分の表面に放射状の彫刻を配し、扁平な形。
・真ん中に丸い穴が開き、放射状の彫刻を持ち、車輪に似ている事から命名された。
・「ゴホウラの背面貝輪が祖型」とする説がある。
&color(white,gray){銅釧(かなくしろ)}
・「ゴホウラ製貝輪」を模した青銅製腕輪。
・「釧(くしろ)」とは「腕輪」を指し、「石釧」「貝釧(貝輪)」「銅釧」「鈴釧(鈴をつけた銅釧)」などがある。
・銅釧は、南関東一帯で弥生時代後半から古墳時代前期に盛行した。
&color(white,gray){有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)}
・ゴホウラ製貝輪の「鉤状突起」を特に模した物。
・弥生時代中期後半に「北部九州」に始まり、弥生時代後期に盛行、古墳時代前期前半に終焉に向かった。
・全国で約40箇所の遺跡から、100点弱が見つかっている。
・「北部九州」「瀬戸内地方」「大阪湾岸地域」「近畿地方北部」「東海地方」「南関東地方」に多い。
・「伊豆半島の沼津以東」の有鉤銅釧は、「環部の帯状化」「鉤状突起の扁平化指向」の共通性が強い。
・東日本には、女性用「有鉤銅釧」と、男性用「帯状円環型銅釧」があったと見られ、分布域が重なる。
&color(white,gray){石釧(いしくしろ)}
・「イモガイ製貝輪」を模した碧玉製腕輪。
・放射状の彫刻を持ち、今日的な腕輪に近い形状である。
・沖縄的事物の中で、例外的に古墳時代中期以降も用いられた。
&color(white,gray){巴型銅器(ともえがたどうき)}
・「スイジガイ」を模した物。
円形の胴体からつめのような複数の脚が放射状に伸び、スイジガイの形がそのまま表現されている。
大型のものは径15cm、通常は5~6cm。
・「木の盾」に装着された形で見つかり、「盾などの飾り」とも言われる。
・巴型銅器の鋳型は「吉野ヶ里遺跡(佐賀県吉野ヶ里町・神埼市)」など九州北部で三つ出土した。
・全国で約40点が出土、出土地は「九州」「広島県」「愛知県」「神奈川県」「朝鮮半島」など。
・弥生時代後期(2世紀)から作られた。
・「巴形石製品」は、国内で6例が出土している。
最古の物は、纒向遺跡(奈良県桜井市)の古墳時代前期(3世紀後半)の物。
大王の居館とも推定される、中心部の建物跡付近の穴の中から出土した。
・この項の他の物よりは出土数が少ない。
&color(white,gray){玉杖(ぎょくじょう)}
・持ち手の部分の先端が「スイジガイ」を模した物。
・王権の象徴として前期古墳で重視された。
・東は「千葉県」「埼玉県」、西は「福岡県」から出土した。
&color(white,gray){琴柱型石製品(ことじがたいしせいひん)}
・「玉杖」の先端部分に似る石製品。
&color(white,gray){合子(ごうす)}
・石製の容器。
・「スイジガイ」を模した意匠を持つ。
これら「南方産貝製品」は、基本的に日本で発明された物が多いですが、「玉杖」のように、中国由来で、朝鮮半島でも見られる物もあります。また一般的には、祭祀具においても古代中国の影響は多く見られます。
「直孤文(ちょっこもん)」は、古墳時代前期に最重要視された意匠であり、「王者の紋様」と言われます。限られた古墳からのみ出土して、「首長級の豪族が使用した紋様」「彩色・紋様などが描かれた装飾古墳の石棺に施された例が多い」です。これは「渦巻き紋様を複雑に幾何学的組み合わせをした意匠」であり、「死と再生・輪廻転生・永続性」という意味を持つ「高度に呪術的な意匠」だと言われます。直孤文の意匠は「ゴホウラ製貝輪(祖形)」又は「スイジガイの形状」→「弧帯文(こたいもん)」→「直弧紋」と変遷しました。
「ヤマト王権」誕生の時期は、古墳時代開始と、古墳時代初期の「箸墓古墳(奈良県桜井市)」など「出現期古墳」の築造と、同時代に設定されています。ヤマト王権の誕生には「吉備(岡山県)」勢力が最重要の役割を果たしました。「楯築遺跡(楯築墳丘墓・たてつき・岡山県倉敷市)」は、弥生時代の吉備地方の最重要遺跡です。「楯築墳丘墓」と、「山陰地方・吉備地方~北陸地方(越国)」に分布した「四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがた)」は、「古墳の祖形」です。吉備の「特殊壺・特殊器台」は「埴輪の祖形」です。「出現期古墳」には「吉備系の副葬品・様式」が多く見られます。
「楯築墳丘墓」は、弥生時代末期(2世紀末葉)の吉備地域の大首長の陵墓で、この地で「首長霊の継承儀礼」を行っていたとされます。通常、古墳に比べると「弥生墳丘墓の規模と副葬品」は非常に劣りますが、楯築の規模は大きく(墳丘長約80m)、副葬品は弥生墳丘墓で最多、「木棺(長さ約2m、前例のない、30㎏強の美しい水銀朱が敷き詰められた物)」から「翡翠製勾玉・瑪瑙製管玉・碧玉27個からなる首飾り」「数百の小さなガラスや管玉製首飾り」「長さ47㎝の鉄剣」が出土しました。楯築には「弧帯文」が施された「施帯文石」が二個あります。一つは嘗て頂上部にあった「亀石」は、亀の形に似た一抱えもある石で、表面全体に「弧帯文」があります。もう一個は、亀石より小振りで墳墓上の円礫堆下部から出土、百個以上の破片に砕かれていました。「施帯文石」は近隣の「鯉喰神社」の物も併せて、計三つが見つかっています。
楯築墳丘墓の墳丘には、吉備国一宮「吉備津神社(きびつ・岡山県岡山市北区)」の境外末社「楯築神社」が鎮座、亀石を御神体としています。「吉備津神社(岡山市)」と、備前国一宮「吉備津彦神社(きびつひこ・岡山県岡山市北区)」と、備後国一宮「吉備津神社(きびつ・広島県福山市)」は、共に「大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと・吉備津彦命)」が御祭神として、そして古代吉備王朝との関係性が語られます。「吉備津神社(岡山市)」「吉備津彦神社」が鎮座する「吉備の中山」は、古くは神体山だったとされ、巨大な「磐座」が多く、「環状列石(ストーンサークル)」があり、命の陵とされる「中山茶臼山古墳」など、多くの古墳があります。
この「施帯文石」は、「ヤマト王権最初の都」「邪馬台国の都」である「纏向遺跡(まきむく・奈良県桜井市)」の「弧文円板」と、葬送儀礼で共通するとされます。遺跡内の「纒向石塚古墳」は全長96メートル、3世紀始め頃の築造で、最古の前方後円墳とも言われます。「くびれ(後の造り出し)」に祭祀跡があり、柱を立てて、その上に「弧紋円盤」を飾っていました。このように瀬戸内地方を代表する勢力であった「吉備勢力」の大首長墓の最上部の大石に刻まれた文様と、初期ヤマト王権の陵の遺物に刻まれた文様が、「弧帯文」「直弧紋」であった事は、この紋様の非常な重要性を示します。
「装飾古墳」には「沖縄的事物の意匠」が多く描かれていて、「海人族」や「縄文系」とされるような意匠・事物も多く描かれています。装飾古墳は「熊本県」「福岡県」に集中的に分布します。「舟」は装飾古墳によく描かれる画題で、「舟形木棺」「舟形石棺」「船形埴輪」「舟形木製品」などと共に、「古事記 仲哀記」に見える「喪船(もふね)」を表すと考えられます。これらは「被葬者の乗り物」であり、出土地は「海人族の分布」と重なるとも言います。そして「舟葬(しゅうそう)」という、「海人族の死者を船で黄泉の国へ送る葬送儀礼」に対応しています。「熊野三山」の「熊野那智大社(くまのなち・和歌山県那智勝浦町)」の絵図には、「船に死者を乗せ、海上を航行している」「船の前後に鳥居が描かれている」という図があります。
「天鳥船(あめのとりふね)」は「日本神話に登場する神」であり、また「神が乗る船の名前」です。鹿島神「建御雷神(たけみかづちのみこと)」が「天鳥船」で、祭祀氏族でもある「物部氏(もののべ)」の祖神「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」は「天磐船(あめのいわふね)」で、天より天下っています。装飾古墳には「舟と鳥」という図柄がよく見られます。「天鳥船は舟葬に纏わる神で、海人族の習俗を表す」との説もあります。「舟葬」「鳥と舟」という形態は、古代の東南アジアから東アジアに幾つか見られ、「鳥信仰」は広く東アジア・南シベリアなどに存在していました。弥生~古墳時代には「鳥は神の国と人の世を仲立ちする存在」とされていたと言われ、折口信夫は「古代、鳥、殊に水鳥は、霊魂の具象した姿、又はその運搬者と考えられた。しかも魂の一つの寓(やど)りである」と述べてます。また「鳥」は「稲魂」「穀霊」であるとも言います。
「翳(刺羽・さしば・さしは)」は「儀式用の調度の一種」「団扇に長柄をつけたもの」「貴人の外出時や、天皇が即位・朝賀などで高御座(たかみくら)に出るとき、従者が差し出して顔を隠すのに用いた」という物です。古代の翳の実物・図柄は少ないですが、「竹原古墳(福岡県宮若市)」の6世紀後半の壁画が知られ、他に「龍」「馬を曳く人」「朱」「小舟」「三角連続文」「波形文」が描かれています。一説に「翳」は「ゴホウラの形状を祖形とする」という説もあります。そして、装飾古墳によく描かれている紋様「蕨手文(わらびてもん)」「双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)」を「翳を模した図柄」とする説もあります。
「前方後円墳」とは、大規模な祭祀が行われた古墳時代において、大規模古墳(全長100m以上)を含めて、非常に多数が造営された古墳の中でも、その頂点に位置付けられた古墳(形状)です。また、世界的にもあまり例のない形状を持った遺構です(マナの壷と類似する)。そして「前方後円墳はゴホウラ製貝輪や鍬形石の形状に酷似する」という点から、「前方古円墳はゴホウラ製貝輪が祖形になった」という説があります。「ゴホウラ製貝輪」は、左右対象に近い「鍬形石」に変化、ここから「前方後円墳」に変化し、「鉤状突起」は後円部と前方部の間の「造り出し(当初は"くびれ"で後に変化、初期は重要な祭祀場)」に変化したとすると、「ゴホウラ製貝輪と鍬形石が首長墓などでの副葬が多い」「形状の類似」「左右を非対称にする造り出しの存在理由」の合理的説明ができます。また一部の主要な「御嶽」も、「前方後円墳やゴホウラ製貝輪の形状との類似がある」と言います。「弥生時代末期~古墳時代初頭の沖縄的事物の位置付け」を鑑みると、「ヤマト王権王権で最重視された大規模施設について、沖縄的事物の中で最重視されたゴホウラ製貝輪の形状を模す」のは当然とも考えられます。
古墳時代には、「滑石」「蠟石」ほか柔らかい石を用いた「石製模造品」や、「埴(はに=粘土・赤土)」を用いた「土製模造品」が大量に作られました。「模造品」は「鏡・玉類・武具・・・」ほか多数を模造した物で、「祭祀具」として祭祀の供物としました。またこれには「翡翠(硬玉)・碧玉」などは加工が困難で、細部の模造をし難いかったからでもあります。「沖縄的事物」の「石製模造品」「土製模造品」もあります。
この他にも幾つかあり、現在判明している物以外にも「沖縄的事物を祖形とした祭祀具・装身具・意匠」だと推察する説がある物があります。詳細はまだ分かってない物が多く、推論の域の物も多いですが、これらの説の幾つかには、妥当な説があると感じられます。
これらの南方産貝製品や派生事物は、他の祭祀具・祭祀文化や各種文化と同じく、地域や氏族ごとに志向が異なっていて、その分布範囲はモノによって別れます。これにより、「この文化はA地域で発祥、B地域を経由して、C地域で完成した」「D地域の氏族が他地域に進出した」「E地域とF地域とG地域の氏族は同族か、近い関係にある」などという推定が出来ます。
また、「沖縄的事物」とは異なりますが、「ヤコウガイ(夜光貝)」も珍重されました。インド太平洋のサンゴ礁域に生息する大型巻貝で、重厚な殻の裏側に真珠層があり、古くから螺鈿細工の材料として利用されました。古代「夜久貝」「夜句貝」「益救貝」「屋久貝」などと称され、これら表記は、交易品としての需要が高まった9世紀以降の資料に多いです。奄美群島では「ヤクゲー」「ヤッコゲ」、沖縄・先島諸島では「ヤクゲー」「ヤクンガイ」と呼びます。分布の北限の「屋久島」と「ヤコウガイ」の呼称は直接結びつきません。ヤコウガイはその美しさゆえ古くから工芸品に使われ、平螺鈿背八角鏡など、「正倉院」の宝物にも螺鈿として用いられています。また奄美大島北部の6~8世紀の遺跡からは、ヤコウガイが大量に出土します。
「沖縄的事物(南方産貝製品と派生事物)」は「弥生時代後期~古墳時代」を中心に、「弥生時代前期~古墳時代後期」にわたって見られ、「九州地方~東北地方南部」に分布、古墳時代前期のヤマト王権の領域全域に分布しています。このように「沖縄的事物」は「本土の弥生墳丘墓・古墳(前期古墳)の重要な副葬品」となっていて、「弥生時代から古墳時代の日本独自の特徴的な重要文化」「最も重要な威信財・価値財の一つ」「地域の最高権力者たちが多く使用した、特別な象徴的意味を有する希少品」でした。
「沖縄的事物」は「古墳の被葬者の直近で発見される」ことが多いです。特に「ゴホウラ製貝輪」「鍬形石」などは、その副葬のされ方から(被葬者との距離・副葬の丁寧さ)、古墳時代初期を代表し、最も価値があったとも看做されている祭祀具「三角縁神獣鏡(後述)」よりも重視されていたとされています。また「三角縁神獣鏡の副葬が多いと、沖縄的事物の副葬が少ない」「三角縁神獣鏡の副葬が少ないと、沖縄的事物の副葬が多い」という事例が多く、両方の性質は共通していたと見られます。
弥生時代前期末(約2500年前)・古墳時代において、「日本本土(九州)と沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島・大隈諸島の間」には、「貝の道」と呼ばれる「南方産貝製品の海洋交易ルート」が存在していました。沖縄諸島以北の南西諸島では「大量加工の工房跡の遺跡」も発掘されていて、九州由来の「箱式石棺墓」を伴った遺跡など、日本本土との文化交流を物語る遺跡・遺物が多数出土しています。貝製品は一旦備蓄されてから、本土へ運ばれていきますが、「備蓄場所は呪術的な意味合いを持つようになった」という説もあります。貝製品の交易は古代においては、飛鳥時代の7世紀まで続き、後に再び9世紀から少しずつ復活していきます。
もしこれらの論説・見立ての通りだとすれば、特に「前方古円墳はゴホウラ製貝輪が祖形になった」とすれば、また後段の「日の丸の起源」などにも遡及すれば、「古墳時代やヤマト王権のみならず、現在まで連なる国家・社会の制度・構造や祭祀形態の全体像」にまで、その中核には「沖縄的な事物・観念」が存在していた事になります。そしてこの事は事実であるでしょう。
・&color(white,black){沖縄的事物と女性祭祀と海人族が示唆する、古代社会の在り方と平和の希求と大規模な変化}
ここで「沖縄的事物(南方産の貝・貝製品と派生した祭祀具・装身具・意匠)が重要視された理由」「近海産でなく、南洋産の貝製品が重視された理由」というのが問題となります。「本土では希少品であること」が理由なのは当然ですが、しかしこれだけでは不十分な説明です。
また、日本の歴史学は分野内の細部まで非常に詳細な研究が重ねられているのですが、何故か「弥生時代の墓構と古墳時代の古墳の副葬品・遺物」の「沖縄的事物」だけは「威信財・装飾具として重視された」というだけで片付ける傾向があり、その原因・背景への解明が等閑にされていました。しかし「非常に重視されたという状況になるには、当時の祭祀的・思想的な背景として、何らかの合理的理由が存在していた」はずであり、そもそも「たまたま非常に重視される祭祀具・威信財となった」「たまたま他の地方の事物はそうならなかったが、沖縄的事物だけは重視された」というのは、「古代の祭祀の重要性」「祭政一致体制」「世界的に類を見ない巨大祭祀とその労力」「社会的地位の証明の重要さ」から説得力に欠けます。そして、その解明には「古墳・副葬品・各種遺物の研究」「本土の古典や著名な神話・伝承などの資料研究」「大陸の古典」だけでなく、 更に各種の資料を調査する事が重要だと言えます。
ここまで「沖縄的事物」が重視されたのは「弥生時代・古墳時代前期の祭祀観と社会の思想的観念」による物であり、それは「南西諸島(沖縄諸島・奄美諸島・トカラ列島・大隈諸島)が、特別な文化的・観念的な位置付けをされていた」という可能性が考えられます。これについて、先述の神歌の研究による論説も含めて、「南洋の島々に対して、ある種の理想郷や聖地的な観念があり、それが同地の産品・製品に投影された」、このような意味合いがあったとする見方もあります。この説は「常世を沖縄に比定する説がある」ことが論拠の一つとなります。上記のように「海の彼方に理想郷がある」という思想は、古来より日本に広く存在、この思想が影響していた事は想像するに難くありません。
「弥生時代・古墳時代の沖縄では、戦争が無かった」とされています。 実際の所は不明ですが、「戦争を想定させる古代の遺構・遺物は発見されていない」「武具も少ない」ので、平和な時代が長く続いたのは確実でしょう。
逆に、弥生時代の日本本土では戦乱が起こっていて、魏志倭人伝には「倭国大乱」と書かれています。社会の大きな階層化も発生、拡大していきました。古墳時代はヤマト王権の域内でこそ、戦争は殆ど無かったものの、その時代を通して言うと、概して社会階層が固定化していき、男女格差も固定化していきました。こういった世の中を沖縄では「戦世(いくさゆ)」と呼び、人々が何時の世にも求めるのは「真の平和」です。
弥生時代に戦乱が起こった大きな要因に、「稲作など農業の発達」により「土地と水を巡る争い」が起きたと言われます。そして「農業に必要な土地・水・太陽のうち、土地と水は有限だが、太陽は誰の頭上にも等しく存在する」ので、この意味においては「太陽:平和の象徴」と成り得ます。
そして「ヤマトから下たる赤椀の世直し(ゆのーし)」という「神歌の歌詞」は、古代における「平和な世の中の希求」という状況を示しているでしょう。それは古代沖縄の「共有社会」「母系的社会」といった様相で、「平和・幸福・真の豊かさ」に近くて、そして「縄文文化への回帰」であったでしょう。
この神歌が形成された時代は、弥生時代~古墳時代である筈です。江戸時代以降に本土と沖縄の関係は再び深まっていきましたが、この時代に作られた神歌が「世直し」という歌詞を繰り返し歌う訳がありません。それ以前に本土と沖縄が密接であった時期は、弥生時代~古墳時代です。そして神歌を歌うノロの首には、弥生時代の北部九州に発する「丁字型勾玉」が下がっています。
「赤椀」とは、弥生中期(2000年~2400年前)の北部九州の赤い土器で、沖縄各地で出土する「須玖式土器(すぐしきどき)」だと、上記論では説明されています。「須玖岡本遺跡(福岡県春日市)」は須玖式土器の標識遺跡で、豪華な副葬品があり、魏志倭人伝の「奴国」の都はこの付近にあったとされ、九州で最大の規模でした。「斎場御嶽」では「金の勾玉」などが出土しましたが、より下層で「須玖式土器」と「火を炊いて神祀りをしたらしい物証」が出土、往古からの聖地であると立証されました。
「ヤマトから下たる赤椀の世直し(ゆのーし)」と、類似の詞を持つ「神歌・祝詞(のりと)」「古代歌謡」は、「古代日本の多くの土地で歌われていた」のかもしれません。時代背景と遺物の状況を考えれば、平和や世直しの話題が社会の主要関心事の一つであった事は間違いないでしょうし、ならばそれを「神歌・祝詞」「歌謡」などの形で歌っていた筈です。しかし「口承歌謡であるので、文化継承が行われ得ない時代背景があって、後代に継承される事はなかった」という可能性も考えられます。
&color(white,gray){上記の論では、古墳時代後期後半~古墳時代前期の古代日本において、以下の様相があったと説明されている}
・沖縄・南西諸島は、ある種の聖地的な場所であった。
・その理由は沖縄が平和な世が続いていて、女性が尊重された社会だったからである。
・太陽は、その光線の平等性から、平和の象徴とされた。
・そこで太陽を象徴するとされる巻貝などの沖縄的事物に、平和思想が仮託された。
・本土の一部地域で起こった平和への希求と、沖縄の精神的文化が合わさって、世直しの運動となった。
・世直し運動は弥生時代中期の北部九州に発し、瀬戸内地方や中国地方全般へ至った。
・一時期の途絶がありながらも、畿内へ東遷、弥生時代末期にヤマト地方へ至った。
・世直し運動と沖縄的事物は、邪馬台国や初期ヤマト王権の精神的支柱であり、広範な国が参加した連帯運動であった。
・巻貝の形状に意味があり、鏡と須玖式土器(本土では弥生中期のみ)と共に、太陽信仰の象徴だった。
・南方産巻貝を祖形とした、鍬形石・車輪石・直弧文なども、太陽信仰の象徴であった。
・前方後円墳の形状の祖形は鍬形石で、ゴホウラ製貝輪が起源である。
・古墳時代前期末に、ヤマト王権の体制の劇的な変容によって、世直し運動は終焉した。
・沖縄的事物は廃絶されていき、本土と沖縄が離れていった。
「北琉球の土器様式を南九州側が受容した事例」が、近年報告されています。これにより「古代に沖縄文化が日本本土に流入した事例がある」ことが判明、上記論説の当否とは別に、論が成立し得る事は判明しました。土器形式の変遷・影響は判別がしやすい物ですが、他の事物にも「古代に沖縄文化が日本本土に流入した事例」の可能性が、複数の事物について言及されています。
いずれにしても「弥生時代・古墳時代の沖縄と日本の祭祀・文化・社会の状況と、沖縄的事物の神聖視は、直接的に関連する」という可能性はかなり高いでしょう。そしてこういった論説に拠れば、「弥生時代の墓構と古墳時代の古墳の副葬品・遺物」「古代日本で重要視された物に沖縄に関連する事物が多い(クバなど)」「沖縄と本土日本の古層が共通する」「沖縄に日本語の古語が多く残る」「本土日本語と琉球方言の分岐が弥生時代~古墳時代前期とされる」という点を、素直に解釈できます。
南方産貝製品を交易した集団と、南方産貝製品に深く関わった集団としては、「隼人」と「海洋民・海人族」が挙げられます。先述のように、南九州の「隼人(はやと)」は「文化的・言語・祭祀(呪術)な独自性」「縄文的な様相」を多分に有した集団で、南西諸島への海路への影響力を持っていました。
古代日本の形成過程においては「海洋民・海人族(あまぞく)の文化・祭祀面の影響が強かった」とされ、「阿曇族(あづみ)」「宗像族(むなかた)」「海部氏(あまべ)」「凡海氏(おおあま)」「息長氏(おきなが)」などが知られ、「和珥氏(わに)」「久米氏(くめ)」「忌部氏(いんべ)」なども海人族的な性質が指摘されます。
縄文時代中期の6000年前をピークとした温暖な時期、日本列島の「海岸線」は現在よりも遥かに内陸にあり、そして入り組んでいて、「内海」「湖沼」が多く存在しました。現在のように土砂堆積や埋め立てなどで、乾燥した陸地が広がり、陸上交通が容易になったのは中世~近世以後のことです。近世まであった「香取海(かとりのうみ)」は「霞ヶ浦・北浦・印旛沼・手賀沼・利根川などに跨った広大な内海」であり、「東京湾」の海岸線はもっと内陸にありました。「奈良盆地」の標高45メートル線以下には、奈良時代以前の住居跡や遺物は無く、古くは湖・湿潤地の「大和盆地湖」がありました。「大阪湾・大阪平野」は「茅渟海(ちぬのうみ)」「河内湖(現在の学術的呼称)」「難波八十島」と呼ばれ、東大阪市付近まで入り江があって、「奈良盆地」「京都盆地」「琵琶湖」との舟による交通は、遥かに容易でした。
古代の主要な交通機関は、弥生時代中期以降に用いられた「軽野・枯野(かれの・からぬ)」と呼ばれる「準構造船」で、これは「丸木舟」に波切(なみきり)板や舷側(げんそく)板を備えて強固にした船です。取り分け「海洋民・海人族」は舟の扱いに長けていて、彼らは「国内各地や大陸・朝鮮半島との航海による交易」を握っていて、その動向は古代社会や王権に大きな影響を与えました。その過程で「祭祀形態」でも、海洋民・海人族に由来する事物が普及していき、そて日本各地の特に沿岸部に「文化」「地名」などで痕跡を残しました。しかし海人族の多くの氏族は、謎の多い氏族と言われます。
貝製品を運搬したのは「九州地方西北部(北部)」の集団とされ、ここは「安曇族・宗像族の本貫地」です。彼らは当時において、進んだ先進的集団で、故地は文化的先進地であり、また南方産貝製品が多く出土しています。
古墳時代・飛鳥時代・奈良時代の氏族について、以下の概念が重要です。
・朝廷の氏姓制度・姓(かばね)の制度として、同族のなかの特定のものが、
「臣(おみ)」「連(むらじ)」「伴造(とものみやつこ)」「国造(くにのみやつこ)」
「百八十部(ももあまりやそのとも)」などの地位をあたえられ,それに応ずる氏姓を賜った。
・「伴造(とものみやつこ)」とは「部民制の部の人々を率いた人」を指し、氏族集団の中でも中心の氏族が世襲した。
・氏族集団には「血縁の氏族」と「擬制氏族(血縁はないが、地縁ほかの縁故で、一氏族と称した)」がある。
&color(white,gray){部民制(べみんせい)}
・朝廷の仕事を分掌して奉仕・従属した体制
・その種類は極めて多く、「何らかの仕事にかかわる一団」「王宮や豪族に所属する一団」の二つに大別される。
・具体的な職掌名を帯びる「職業部」、技術者集団である「品部(しなべ・ともべ)」、
王権に服属した地方首長の領有民である「子代(こしろ)」「名代(なしろ)」、
中央の豪族の領有民である「部曲(かきべ)」、部曲の類似概念で、諸豪族の名を帯びる「豪族部」に分類される。
・職業部
・具体的な職掌名を帯びる部のことで、それぞれ伴造に統率され、朝廷に所属する。
・「海部(あまべ)」「錦織部(にしごりべ)」「土師部(はじべ)」「須恵部(すえべ)」「弓削部(ゆげべ)」「麻績部(おみべ)」 「渡部(わたりべ)」「犬養部(いぬかいべ)」「馬飼部(うまかいべ)」「鳥飼部(とりかいべ)」「解部(ときべ)」などの例がある。
・子代(こしろ)・御名代(みなしろ)
・王(宮)名のついた部。「舎人(とねり)」「靫負(ゆげい)」「膳夫(かしわで)」などとして奉仕する。
・「刑部(おさかべ)」「額田部(ぬかたべ)」などの例がある。
・御名代には在地の首長の子弟がなる。
・子弟たちはある期間、都に出仕して、大王の身の回りの「世話(トネリ)」「護衛(ユゲヒ)」「食膳の用意(カシハデ)」にあたった。
・豪族部
・諸豪族の名を帯びる部。
・例として畿内の有力豪族「巨勢臣(巨勢氏・こせ)」」の「巨勢部」、「尾張連(尾張氏・おわり)」の「尾張部」、「大伴連(大伴氏・おおとも)」の「大伴部」、「蘇我臣(蘇我氏・そが)」の「蘇我部」などがある。
・多くの氏族集団には「大和地方周辺にいた中央の氏族」「品部としての地方の氏族」「品部の氏族に属する部曲」の三種類がいた。
・5世紀に整備されたと見られ、律令制の実施に伴って廃止されていく。
律令制の実施後の部称は、たんに父系の血縁を表示するだけの称号であるにすぎず、所属する集団との関係を示すものではない。
「宗像族(宗像氏・むなかた)」は、「宗像大社(福岡県宗像市)」と「宗像三女神」を奉祀しました。宗像三女神は「田心姫神(たごりひめのかみ)」「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」の三神、「海の神」「航海の神」「水先案内の神」「先導神」「祓神」「水神」です。日本書紀に「天照大神は、宗像三女神に(中国大陸や朝鮮半島への)道の中にあって天孫を助けよと命じ、三神は道主貴(みちぬしのむち)と命名された」とあり、古代に国家的崇敬を受けた神でした。
宗像大社は「辺津宮(宗像市田島・九州本土)」「中津宮(宗像市大島)」「沖津宮(宗像市沖ノ島)」の三宮からなります。沖津宮が鎮座する「沖ノ島」は玄界灘の孤島で、宗像大社の神領として年一回の祭礼以外は立ち入り禁止です。亜熱帯性植物の北限で「ビロウ(クバの木)」「オオタニワタリ」等が生育、森林域は「タブノキ」「ヤブニッケイ」等を中心とした「沖の島原始林」は国指定天然記念物になっています。そして沖ノ島は「古代(古墳時代・飛鳥時代)に国家的祭祀が行われていた島」であり、各所に古代祭祀の遺物が点在する様は「海の正倉院」と称され、縄文時代前期~弥生時代の物も含めて、嘗て一部を発掘して出土した遺物八万点全てが、国宝に指定されています。
「市杵島姫神」は「神に斎(いつ)く島の女性=身を清めて大切に神を祀る巫女)」の意味、中世に「弁財天(べんざいてん)」と習合(同一視)して、各地の「厳島神社(いつくしま)」に祀られています。宗像三女神を奉じる神社は各地に鎮座、「水辺」「海辺」に多く祀られていて、これは宗像族の各地への進出も大きな要因です。魏志倭人伝には「倭人は黥面文身(入墨)をしている」とあり、これ南方系習俗ですが、一説に「宗像族の名の由来は胸と肩に文身をしていたから」とも言い、古くは「胸肩」「胸形」「胸方」「宗形」とも表記しました。「高市皇子(たけちのみこ)」は、7世紀中頃~後半の第四十代「天武天皇(てんむ)」の皇子で、「壬申の乱」で功績を挙げました。母親は宗像族で、十人の皇子の中では身分は低かったですが、各状況から「天皇だった」との説もあります。
(以下の意味もある 「厳・稜威(いつ) 」:「神聖であること。斎(い)み清められていること」「勢いの激しいこと。威力が強いこと」、
「厳し(いか・し)」:「霊威が盛んである。神秘的な力に満ちている」「たけだけしい。荒々しい」、
「厳(いち・いつ)」→「いちはやぶる」→ 枕詞の「ちはやぶる」)
「息長氏(おきなが)」は、「近江国坂田郡(滋賀県米原市)」を中心に「琵琶湖」東岸を本拠とした有力豪族で、海人族と言われ、「製鉄」氏族とも言われます。「神功皇后(じんぐう)」は別名「息長帯比売命(息長足姫命・おきながたらしひめのみこと)」と言い、第十四代「仲哀天皇(ちゅうあい)」の皇后です。各地の「八幡神社(はちまん)」に祀られる「八幡三神」の一柱で、記紀などに多くの伝承が伝わります。「息長帯比売命は息長氏」とする説は有力です。記紀には息長氏と皇室の関わりを物語る説話が多く載ります。一説に「息長」とは「息が長い」を意味し、「潜水を専門とする海人集団」とする説もあります。近江は弥生時代の一大中心地であり、特に琵琶湖南東部の「野洲市(や守山市)」は、「国内最大の銅鐸(高さ134.7cm・重さ45.47kg)」を含む「日本最大の銅鐸産出地」、「鉄の生産地域」であり、そして「重要遺跡」が点在しています。
第二十六代「継体天皇(けいたい」は、現在の皇統に連なる事が確実な最古の天皇で、自身と父が「近江国高嶋郷三尾野(滋賀県高島市)」出身、「息長氏系」だとも言われます。また「越国(こしのくに)」の系統とする説もあります。皇位に就く前は「越前国(福井県)」にいて、同地方を開拓、「男大迹王(をほどのおおきみ)」と呼ばれていました。皇位に就く為に同地を離れる前に、自らの霊を「足羽山(あすわ・福井県福井市)」の、後の「足羽神社」に鎮めて、娘の「馬来田皇女(うまぐたのひめみこ)」に「斎主」を託しました。継体天皇は現在も足羽神社に祀られていて、足羽山山頂に銅像が建っています。その周辺の「山頂古墳」は4世紀末の築造、「舟形石棺」の周りに「直弧文」「円弧文(同心円文)」が刻まれていて、最古の「装飾古墳」の一つです。
「海部氏(あまべ)」について、「海部・海人部(あまべ)」とは「漁業と航海技術によって朝廷に奉仕した部」であり、、氏族としての「海部氏(あまべ)」は「海部を統括する伴造氏族」です。言わば「海部(あまべ)」は「海人族の職業集団の一般的名称」であり、「海部氏」は「海部を代表する氏族」でした。そして「海部(あまべ・かいふ)」ほか、「海部」に纏わる地名は各地に見られます。
「凡海氏(おおあま)」は、「摂津国(大阪府)」「京都府北部の日本海沿岸」などに居住しました。一時期「海部の伴部」であったとされ、「新撰姓氏録」に「阿曇氏(後述)の同族」とあり、丹後国一宮「籠神社(この・京都府宮津市)」を奉祀しました。「籠神社」は、最も著名な「元伊勢(伊勢神宮が元々祀られていたとの伝承を持つ神社)」であり、二千年以上前の「日本最古の家系図」「世界最古の伝世鏡」が伝わり、「かごめ歌」に関連付けられて語られるなど、多分に神話性と神秘性を秘めています。数キロ離れた「大風呂南遺跡(京都府与謝野町)」では、西暦200年頃(弥生時代末期)の「弥生墳丘墓2基」「鉄剣11本」「ガラス製釧」「銅釧13個」「大量の鉄製品・管玉・朱」など、同時代の最も豪華な副葬品を持つ遺跡の一つで、この地域に強大な首長がいたとされます。周辺には、他にも「元伊勢」の神社が幾つも鎮座、「伊勢神宮外宮」の御祭神「豊受大神(とようけおおかみ)」は、この地域にいたとされ、多くの伝承が伝わります。また周辺には「龍宮伝説」「浦島太郎(浦嶋子)伝説」「天羽衣伝説」「徐福伝説(中国・秦王朝の始皇帝に、神仙境に不老不死の霊薬を取りに行くと具申、多分野の技術者など三千人を従え、五穀の種を持ち、船で東方に渡り王となり、帰らなかった)」なども伝わります。
(「凡海」の表記と読み:「凡海」「大海」「蒭蒲」「おおあま」「おほあま」「おほしあま」「おほさま)」)
籠神社の御祭神は「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」、「太陽神」「農業神」「出雲神の系統」です。命の後裔は、尾張(愛知県)の有力氏族「尾張氏(おわり)」などがいて、祭祀氏族でもあった「物部氏(もののべ)」との関係も語られ、また「海部氏と凡海氏と尾張氏は物部氏系氏族(血縁が濃い)」とも言われます。「住吉大社(すみよし・大阪府大阪市住吉区)」の宮司家で、海人族である「津守氏」も、天火明命の後裔です。住吉大社は全国の「住吉神社」の本社、同社に代表される「住吉造」は最古の神社建築様式の一つで、御祭神は「住吉三神」「息長足姫命」、総称して「住吉大神」と称して、海人族に縁が深い神社です。
(「彦火明命」は一般に「天火明命(あめのほあかりのみこと)」と呼ばれる)
(「住吉三神(すみよしさんじん)」とは「底筒男命(そこつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「表筒男命(うわつつのおのみこと)」。住吉三神の別名か、又は後述の「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」を加えて、「住吉大神」と呼ぶ)
第四十代「天武天皇(てんむ)」と第四十一代「持統天皇(じとう)」の治世(7世紀後半・飛鳥時代のうちの白鳳時代)は、「日本の統治機構・宗教・歴史・文化の原型が作られた重要な時代」とされます。「天武天皇」の元の名「大海人皇子(おおあまのおうじ)」は「幼少期に養育を受けた凡海氏に因む」とされ、「壬申の乱(672年)」では凡海氏の助力を受け、海人族の全体的な応援もあったとも言われます。
「久米氏(くめ)」は「軍事氏族」で、海人族でもあったと言われます。久米氏は、南九州の「隼人(はやと・鹿児島県と熊本県)」「肥人(くまひと・熊本県)」と呼ばれた人々と関係が深いとされます。「久米」は、「熊本県」「肥後国(熊本県)」「肥前国(佐賀県・長崎県)」「肥(くま)」「球磨(くま)」に繋がる名称です。古くは、記紀に見える「熊襲(くまそ)」に由来すると言われます。「久米氏」の由来を、魏志倭人伝の「狗奴国(くなこく?)」に求める説があり、「邪馬台国北九州説」では「邪馬台国:九州北部」「狗奴国:肥後国菊池郡・球磨郡を中心とした九州南部」にあったとしています。また「九州南部が朝廷に服従した時期」は、「東北地方中北部」を除くと「本土日本では最も後の時期」です。
(「久米氏」の別表記:「来目氏」)
(弥生時代後期・古墳時代初期の「狗奴国」は、「尾張国(愛知県)」に都があり、「関東地方」まで領域内だったとする説も有力)
「熊襲」は「隼人」の古名だとされ、「狗奴国」→「熊襲」→「隼人」→「久米」と繋がる可能性があります。「隼人:鹿児島県中心:朝廷に臣従」「熊襲:熊本県南部~鹿児島県西北部:朝廷に反抗」というように、やや様相が異なる部分があり、「熊襲が服従後に隼人と呼ばれるようになった」「隼人の服属は7世紀末頃(6世紀末・7世紀初め・5世紀説もある)」とされます。隼人は「薩摩隼人(鹿児島県西部)」「大隅隼人(鹿児島県東部)「多褹隼人(たね・種子島と屋久島)」「甑隼人(こしき・甑島)」「日向隼人(宮崎県)」から成り、「五島列島(長崎県)」にも似た集団がいたと言います。熊襲は「肥後国球磨郡(熊本県人吉市)から大隅国贈於郡(鹿児島県霧島市)」にいました。
(「薩摩隼人」は「阿多隼人(あた)」「吾田隼人(あた)」とも呼ぶ)
(「熊襲」は「熊曾」「球磨囎唹」とも表記される)
隼人は「呪術的要素が濃い」「土着性が強い(他の地域の言語・文化とは異にした)」「縄文的要素が高い」という部族でした。その呪術性により、隼人は「都や殯宮の衛兵として邪を除ける」などの役割を与えられました。山幸彦・海幸彦」の説話では、「隼人」は「海幸彦(うみさちひこ)」=「火照命(ほでりのみこと)」が祖だと記されていて、これは「隼人の朝廷への服従」を物語る説話とされます。「神武天皇東征説話」に見える「来目歌」、「戦闘歌舞の代表」といえる「久米舞」も、久米氏の塗り替えられた由来を伺わせます。また、先述の「装飾古墳」「石人・石馬」は、熊本県の「菊池川」周辺に最も集中、これは「熊襲の居住地の北方」であり、「古代の福岡県~熊本県」には複雑な様相や文化がありました。
久米氏の祖「大久米命(おおくめのみこと)」は「神武天皇の東征」に従った人物で、「黥利目(さけるとめ・入墨をした目)」を持っていました。「阿曇氏(後述)」も「阿曇目(目の縁の入墨)」をしていて、久米氏との関係が語られます。「大伴氏(おおとも)」と「久米氏」は「膳夫(かしわで・宮中で食膳の調理をつかさどった人々)」を務めていて、「古来より神に供される御贄(みにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされた」という事から、両氏族の海人族的性質が伺えます。「大伴氏」は軍事氏族で、「親衛隊的な大伴氏」「国軍的な物部氏」という違いがあり、「皇宮警察・近衛兵」のような役割をしていました。万葉集の有名な歌人「大伴家持(おおとものやかもち)」の歌に「大伴の 遠つ神祖の その名をば 大来目主と 負い持ちて 仕えし官」「大久米の 丈夫健雄を 先に立て 仕え来る 祖の職と 言立てて」とあります。これらから「久米氏が大伴氏と姓を変えた」とも言われ、これによれば「久米氏の衰退と大伴氏の興隆が同時期(5世紀か)」である事の説明がつきます。そして「黥面文身が大和地方から消え、地方にも波及、後に刑罰となった」という点は、海人族の消長を伺わせます。
(「神饌(しんせん)」「御饌・御食(みけ)」「御贄(みにえ)」とは、神・神社・神棚に供える供物で、米・五穀・御神酒や海産物などの食事が多いが、食事以外もある)
また柳田國男は、本土の海岸地方から沖縄諸島にかけて、「久米(くめ)」=「久米島(沖縄県久米島町)」ほか、「酌(くみ)」「古見(こみ)」という名の米作適地が多く点在するとして、これを「南方系文化・稲作の渡来経路」「久米島は久米氏の故郷」とする論説を掲げました。
「忌部氏(斎部氏・いんべ)」は「最も代表的な祭祀氏族」であり、また海人族的な性質を多分に有しています。忌部氏は、古代の朝廷祭祀を「中臣氏(なかとみ)」と共に担っていました。「忌み(いみ・古代の用法)」「斎み(いみ)」とは「神に対して身を清め穢れを避けて慎む事」を指し、忌部氏は「古来より穢れを忌み、心身を斎み清めて神事・祭祀に奉仕、宮廷祭祀に用いられる各種の神具の製造や、神殿宮殿の造営に関わってきた氏族」です。特に「麻(大麻)」を、また「粟(あわ)」「穀(梶・かじ)」「桑(くわ)」「楮(こうぞ)」を栽培して、「木綿(ゆう)」「御幣(ごへい)」「神服(かんみそ)」ほかの祭祀具などを製造しました。故地にはこれら植物名の付く地名が多いです。非常に重要な氏族ですが、早期に衰退して、謎が多いとされます。
(「忌部氏の表記と読み:「忌部」「斎部(齋部)」「伊部」「員弁」「井辺」「印部」「諱部」「鋳部」「いんべ」「いみべ」「いむべ」「いなべ」「いべ」「きべ」「ものいべ」)
忌部氏祖神「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」は「占いの神」「神事の神」であり、「天照大神の岩戸開き」でも活躍しています。「天太玉命」従った神を「忌部五部神」と呼びます。忌部諸氏には以下の氏族がいて、「租庸調(そようちょう)」の「調(みつぎ・みつき)」として、朝廷に祭祀具を献納しました。また、他にも「忌部氏系とされる氏族」「忌部氏が奉じた神という説の神」が多数います。
&color(white,gray){忌部氏}
&color(white,brown){中央の忌部氏}
・奈良県橿原市忌部町(大和国高市郡金橋村忌部)周辺を根拠地とした。
&color(white,brown){阿波忌部氏(あわ・徳島県)}
・祖神:天日鷲命(あめのひわしのみこと) - 紡績業・製紙業の神
・中央の氏族以外では、忌部諸氏の中心の氏族。
・「木綿」「麻」を朝廷に納めた。
・「阿波国」は、古くは北部は「粟国(あわのくに)」、南部は「長国(ながのくに)」と呼んだ。
阿波国十郡のうち、南部に「那珂郡(なか)」「海部郡」が置かれた。
・「阿波國続風土記」には「阿波國は海國(あまのくに)の意」
「凡直(おおしのあたい・南海道)、粟凡直(あわのおおしのあたい・阿波国)は海神に縁(えにし)があり」「凡直は尾張連・凡海連・安曇連と同祖」とある。
&color(white,brown){讃岐忌部氏(さぬき・香川県)}
・祖神:手置帆負命(たおきほおいのみこと) - 木工の祖神
・「矛竿(ほこさお)」「盾」を朝廷へ納めた、「矛竿」とは「竿竹(さおだけ)の幟(のぼり)」の祭祀具。
・「讃岐」の語源は「竿調国(さおつきのくに)」とも言う。
&color(white,brown){紀伊忌部氏(きい・和歌山県)}
・祖神:彦狭知命(ひこさしりのみこと) - 木工の祖神
・「木」を朝廷に納め、「宮殿」を作るなどした。
・「紀伊国」は元は「木国(きのくに)」と言って、良質な木の産地で、「丸木舟」「準構造船」も多く作られた。
&color(white,brown){出雲忌部氏(いずも・島根県)}
・別名:玉作氏(たまつくり)
・祖神:櫛明玉命(くしあかるたまのかみのみこと) - 玉類製造の神
・「玉(ぎょく)」を朝廷に納めた。
&color(white,brown){筑紫忌部氏(ちくし・福岡県)}
・祖神:天目一箇命(あめのまひとつのみこと) - 鍛冶の神
・天目一箇命は「ダイダラボッチ」と関係があり、「ひょっとこ(火男)」の原型とも言う。
・「古語捨遺」に「筑紫・伊勢に天目一箇命を祖とする忌部がいた」「命に刀・斧・鉄鐸・鏡を作らせた」とある。
・「筑紫忌部氏」と「伊勢忌部氏」は「鍛冶として刀・斧を貢納した」とも言う。
&color(white,brown){伊勢忌部氏(いせ・三重県)}
・祖神:天目一箇命(あめのまひとつのみこと) - 鍛冶の神
・「伊勢神宮」に「神衣(かんみそ)」を献納した伊勢の「麻続氏(おえ)」は「天日鷲命」の後裔で、「阿波忌部氏」系とも言う。
&color(white,brown){安房忌部氏(あわ・千葉県)}
・祖神:天富命(あめのとみのみこと)
・「天日鷲命」後裔の「天富命」は、初代「神武天皇」に東国開拓を命じられ、忌部諸氏を率いて(後の)安房国に上陸した。
後裔は「房総半島」を開拓、「常陸国(ひたち・茨城県)」に進出した。
・「安房」「阿波」の名は「粟」に由来する。
千葉県の「上総国(かずさ)」「下総国(しもうさ)」の「総(ふさ)」とは「麻」を意味する。
これらは良質な「粟」「麻」が取れた事に由来する地名という。
・「阿波國続風土記」には「阿波國は海國(あまのくに)の意」とある。
・古代の「安房国」は、海産物を朝廷に献納する「御食国(みけつくに)」の一つであった。
「国生み」神話には、「阿波への道」の意とも取れる「淡路島(兵庫県)=淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)」が最初に、次に「四国島=伊予之二名島(いよのふたなのしま)」が生まれたとあります。また「伊予之二名島」は「胴体が一つで、顔が四つあり、其々名前がある」のですが、「阿波」の名の「大宜都比売(おほげつひめ)」とは「食物神」「五穀と養蚕の起源の神」「豊受大神と同神とする説がある」という神です。また記紀には、「国生み」ほか「阿波」を想定させる記述が多く、「邪馬台国阿波説(四国山上説)」もあります(主流説ではない)。これらは「阿波と忌部氏」の重要性をうかがわせる物です。
「筑前国の北部(福岡県)」「阿波国(徳島県)」「紀伊国の南紀(和歌山県)」「伊勢国と志摩国(しま・和歌山県)」「伊豆国(静岡県)」「安房国(千葉県)」などには、「阿波・安房・粟・淡(あわ)」「那珂・那賀・那加・長(なか・なが)」「勝浦・勝占・桂(かつうら・かつら)」「白浜(しらはま)」ほか、共通する地名が幾つもあります。これら地域は「忌部氏」と「軽野・枯野」「準構造船」という共通性が伺えます。
また、古代の「香取海(かとりのうみ)」は「東国の交通の拠点」で、「香取神宮(千葉県香取市)」は中世まで香取海の船の往来の権益を所管していましたが、「香取」は古くは「楫取」と言い、「船の舵取り」と同じで、これは阿波の「吉野川」を往来する「楫取船(かんどりせん)」や、に由来する名称だともいわれます。「香取神宮」は「物部氏(もののべ)」の神社で、物部氏の祖に「梶取阿刀造等の祖・天津麻良(あまつまら)」がいて、ここから「香取」とは「物部氏」「忌部氏」の両氏族に関する名称とも考えられます。
「和珥氏(わに)」は「5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族」「出自については2世紀頃、日本海側から畿内に進出した太陽信仰を持つ朝鮮系鍛冶集団とする説がある」「七人の天皇に九人の后妃を出した」「春日氏・小野氏・柿本氏などの十六氏族を輩出した」という氏族で、海人族だったという説があります。「和珥」とは「鰐(わに)」で、古くは「鮫(さめ・鰐鮫)」を意味しました。「山幸彦と海幸彦」の説話において(後述)、「綿津見神は和邇(鮫や魚)を呼び寄せ、一匹の和邇が山幸彦をが地上に送り届けた」「豊玉姫の正体は八尋和邇(やひろのわに/一尋=1.8m))」となっています。
(和珥氏氏族・部の名は「和邇」「和迩」「丸邇(わに)」「丸(わに)」「丸子(わにこ)?」とも表記される)
「阿曇族(阿曇氏・あづみ)」は「阿曇族」「安曇族」とも表記されます。名称は「海人津見(あまつみ)」の転訛とされ、「津見:住みの古語」と言われ、その説では「海に住む人」を意味します。「日本書紀」に「応神天皇三年(272)、諸国の海人の騒ぎを鎮めた大浜宿禰(おおはまのすくね・阿曇氏祖)を海人の統率者とし,同五年海部を定めた」とあります。律令制の下では、宮内省に属する「内膳司(ないぜんのつかさ・天皇の食事の調理を司る)」の長官を務めていて、先述のように「古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされた」ことに由来します。
氏神は「志賀海神社(しかうみ・福岡県福岡市)」、博多湾の「志賀島」に鎮座します。志賀島は「漢委奴国王印の金印」の出土地で、「後漢の光武帝が建武中元二年(57)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印」とされ、「鈕(ちゅう・つまみ)」は「南方諸民族に与えられる蛇紐」となっています。阿曇族は古墳時代後期、本拠地を離れて日本の多くの地域に進出していき、その故地には「阿曇」「安曇」「厚見」「厚海」「渥美」「阿積」「泉」「熱海」「飽海」「安津見」などの地名が付いています。志賀島を離れた後の本拠地は、信濃国三宮「穂高神社(ほたか・長野県安曇野市)」、「奥穂高岳(3190m/長野県松本市・岐阜県高山市)」頂上に「嶺宮」が鎮座、内陸にも拘らず、例大祭「御船祭」では船形の山車が巡幸します。阿曇氏が本拠を離れた原因は、継体天皇二十一年(527)の「磐井の乱(いわい)」、天智天皇二年(663)の「白村江の戦い」の敗北での「安曇比羅夫(あづみひらふ)」の戦死にあるとも言われます。
「磐井の乱」で朝廷軍に敗れた「筑紫君磐井(ちくしのきみいわいのきみ)」は、「岩戸山古墳(福岡県八女市)」の被葬者とされ、阿曇氏だとも言われます。「岩戸山古墳」は九州北部最大の古墳(全長170m以上の前方後円墳)で、6世紀前半築造、埴輪の代わりに「人物・動物・器財」を象った「石人・石馬」という独特の副葬品が建っています。「石人・石馬」は「福岡県の八女丘陵と筑後川中流など」「熊本県」「大分県北部」に集中して分布、この地域は「装飾古墳」も多く、また「博多湾沿岸」にも「装飾古墳」が点在します。この分布には「海人族」「在地性・土着性の高い文化」「縄文文化への近さ」という共通した様相が伺えます。
阿曇族の祖神「綿津見神(わだつみのかみ)」は「海の神」「龍宮の神」です。「山幸彦と海幸彦」の説話において、「山幸彦(やまさちひこ)」は、兄の「海幸彦(うみさちひこ)」の釣り針をなくして困っていた所で、潮流の神「塩椎神(しおつちのかみ)」に、竹籠の小舟「無目籠(まなしかたま)」を与えられ、海神「大海津見神(おおわたつみのかみ)」がいる海底の宮殿「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」に行くようにと教えられました。そこで山幸彦は、大綿津見神の娘「豊玉姫(とよたまひめ)」と結婚、後に綿津見神から「潮位を自在に操る宝珠」である「潮満瓊(しおみつたま)」「潮乾珠(しおふるたま)」を授与されました。「山幸彦=火遠理命(ほおりのみこと)」と「豊玉姫命」の孫に、初代天皇「神武天皇(じんむ)」がいます。「海幸山幸」の伝承や、「海幸彦」「山幸彦」「豊玉姫」を祀る神社は「宮崎県」「鹿児島県」に多く、「鹿児島」の由来説に一つに「無目籠が鹿児山で作られた」という説があります。また両県
(「綿津見神」は「底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)」「中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)」「上津綿津見神(そこつわたつみのかみ)」の三神の総称)
(「綿津見神」は「大海津見神(おおわたつみのかみ)」「海神(わたつみ・わたのかみ)」「豊玉彦(とよたまひこ)」「海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)」「少童命(わたつみのみこと)」「志賀神(しかのかみ)」、「山幸彦」は「火遠理命(ほおりのみこと)」、「海幸彦」は「火照命(ほでりのみこと)」、「塩椎神」は「塩土老翁命(しおつちのおじのみこと)」「塩筒老翁」「事勝因勝長狭神(ことかつくにかつなぎさのかみ)」、「無目籠」は「無目籠・無目堅間・无間勝間(まなしかたま・まなしかつま)」、「綿津見神宮」は「綿津見の宮(わたつみのみや)」、「豊玉姫」は「豊玉毘売命」、「潮満瓊」は「潮盈珠(しおみつたま)」「思則潮溢之瓊(おもえばしおみちのたま)」、「潮乾珠」は「潮涸瓊(しおひのたま)」「思則潮涸之瓊(おもえばしおひのたま)」とも呼ばれる)
(「塩土老翁命(しおつちのおじのみこと)」は、陸奥国一宮「鹽竈神社(しおがま・宮城県塩釜市)」の御祭神)
「貝製品と派生事物」は「生命力を与える」、「潮満瓊」は「血潮を満たす」、「豊玉彦」は「魂を殖やす」という共通した意味合いが見受けられます。似た説話の「浦島太郎」の「龍宮城」は、「蓬莱山(ほうらいさん)」にあり、「古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境」です。「ニライカナイ・常世・根の国・龍宮・蓬莱山」などには、「海の彼方にある(ともいう)」という点など通底する物があり、これら伝承の背景には海洋民集団があります。そして「海神・龍宮・龍神・浦島太郎」などの伝承は沖縄に色濃く存在します。これらから、こういった神・伝承・説話の起源には沖縄が絡むという可能性を感じ取れます。
「海・海人・海部・海女・海士(あま)」は「天(あま)」と読みが共通して、これは「古代における海人族の存在の重要性」の傍証ともする説もあります。上記のように、古代の社会・祭祀においては、海人族の動向が非常に重要で、「阿曇族」「宗像族」「海部氏」「忌部氏」は共に、祭祀面でも非常に重要視される氏族です。このように重要だった「海・海人・海部・海士(あま)」と、当然ながら重要である「天(あま)」の読みが一致するのは、偶然にしては出来過ぎていて、「両概念の読みの一致の背景には、古代における海人族の重要性が関係する」とも言われます。
また一説に「琉球の創生神・アマミキヨは、海人(アマンチュー)」に由来する神である」「奄美は海人に関係する名称である」とも言われます。これら共通点の背景には、同一の古代の社会的背景が垣間見えます。
他の海人族としては、下記の氏族が挙げられることがあります。
&color(white,gray){紀氏(き)}
・紀州(和歌山県)の古族で、日本最古の氏族の一つであり、「紀伊国」「木国」の国名に纏わる。
・第八代「孝元天皇(こうげん)」の子孫で、「武内宿禰(たけうちすくね)」の子「紀角宿禰(きのつののすくね)」を始祖とする。
・紀氏の流れを汲む「紀伊国造(きいくにのみやつこ)」、初代「神武天皇」の畿内平定の後に国造に封じられ、
「天道根命(あめのみちねのみこと)」の嫡流であるとされる。
・「紀伊国造家」は「日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)」の宮司家である。
・紀氏と紀伊国造は、木の神「五十猛神(いそたけるのかみ)」と縁が深い。
・「紀伊忌部氏」とも関連性がある。
・「古今和歌集」編者の「紀貫之(くのつらゆき)」「紀友則(きのとものり)」を輩出した。
&color(white,gray){越智氏(おち)}
・伊予国(愛媛県)の豪族
・承平六年(936)の「藤原純友の乱」に「伊予水軍」として 朝廷側として参画している。
・流れを汲む「河野氏(こうの)」は「河野水軍を率いるなどした平安~安土桃山時代の豪族。
・伊予地域を含む瀬戸内地方には、後述の「倭迹迹日百襲媛命」や、父の「孝霊天皇」の伝承が色濃く残る。
日本に渡来した人々・文化の経路は、縄文時代後期~弥生時代初期は「中国・中南部(長江文明)→東シナ海→九州西部・北部」という経路が多く、後になるほど「中国中北部→朝鮮半島→対馬海峡→九州北部」が増加、総合的には後者が多いです。前者は、初期の渡来人・渡来文化の経路を示します。
縄文時代以来、日本の海洋文化には「南方系民族・文化」が強く影響、これが「海洋国家としての日本の基層」です。弥生時代以降の日本の文化形成には、南方系民族・文化が大きく寄与した事は知られていて、また、日本は南方系と北方系の各方面からの民族・文化が複合されて、形成していったことも知られています。「日本語の起源」には「オーストロネシア(南島)語の影響が強い」とも言われます。
中国南部の「長江文明」は「南方系文化」を持っていました。縄文時代~弥生時代に流入した南方系文化は、この地方の文化です。この地域の人々は、歴史的に「中国南部の山岳地域(雲南省など)」「東南東南アジア北部」に南下していて、5000年以上前には「台湾」から「太平洋諸島」へ進出しました。浙江省周辺の「越(えつ・紀元前600年頃~紀元前334年)」、江蘇省周辺の「呉(ご・紀元前585年頃~紀元前473年)」など、弥生時代初期前後に滅亡した国家の遺民は、一部が「日本」や「朝鮮半島」に渡り、また周辺に四散したとされます。この「歴史的な南方系の民族・文化の拡散」により「東アジア」「東南アジア」「太平洋諸島」には、海洋民文化と山岳民族文化において、かなりの共通性が見られます。
弥生時代~古墳時代、「倭国」「倭人」の社会の中で、「海人族」的な集団は高い位置を占めていました。彼らや海外の海洋民は「日本本土」「南西諸島」「朝鮮半島」「中国の北部・中部・南部」の間を、海を跨いで船で交易、この「海洋民ネットワーク」は古代社会の中核の一つです。南方産貝製品の重視の理由として、一つにはこういった文化的背景から「南方系の文化的背景を持つ本土日本の海洋民が、遥か遠海の希少な南西諸島産貝製品に、霊性を見出して崇拝した」という可能性が伺えます。
往古、世界の多くの地域は「共有社会」「母系的社会」でしたが、徐々に権威主義的な、階層化が進んだ社会になりました。その中でこの地域の「南方系文化」「海洋民・海人族」に連なる人々の社会においては、割合に「共有社会」「母系的社会」の様相が見られます(北方系民族にも共有思想がよく見られる社会はよくあります) 。これは日本においては「縄文文化」的とも言え、初期渡来人や海人族は、在来の縄文人と融和的だったとも見られます。縄文人は「海洋民的性格」も持ち、「自然崇拝」をしていたので、縄文人と海人族は「照葉樹林文化圏」の文化的背景を共有していたとも考えられます。しかし、海人族はどの氏族も中古以前に衰退し、その独自文化も痕跡が減少していき、この理由は不明です。
古代日本の統治体制「ヒメヒコ制」は、「弥生時代後期から古墳時代前期(紀元前1世紀から紀元4世紀)にかけて日本各地で成立した男女別集団の共立的統治形態」「農耕的女子集団の長を主にヒメ、軍事的男子集団の長を主にヒコといったことからヒメヒコ制と名づけられた」という制度です。これら「○○ヒメと○○ヒコ」は「名前に国名・地域名を冠しているものが多い」「その地の神社の由来となっていることが多い」ので、「ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている」とされます。
延長五年(927)に完成した『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』には、「ヒメヒコ制」の名残と考えられる、「ヒメとヒコ(ワケ)」が対になって祭られている神社が35地域に知られています。また「地域名をおったヒコあるいはヒメが単独祭られている神社は、片方のヒメあるいはヒコが何かの理由で欠落した可能性が考えられる」とされます。
(「延喜式神名帳」は、律令の「延喜式」に載る「祈年祭奉幣にあずかる神社」「官社」で、二千八百六十一社(天神地祇三千百三十二座)があり、記載された神社を「式内社」と呼ぶ)
記紀や風土記には、「豊国宇佐地方(大分県)」に「宇沙都比古(うさつひこ)と宇沙都比賣(うさつひめ)」、「火国阿蘇地方(熊本県)」に「阿蘇津彦(あそつひこ)と阿蘇津媛(あそつひめ)」、「丹後国加佐地方(京都府)」に「加佐比古(かさひこ)と加佐比売(かさひめ)」、「伊賀国(三重県)」に「大伊賀津彦(おおいがつひこ)と大伊賀津姫(おおいがつひめ)」、「常陸国芸都地方(茨城県)」に「寸津毘古(きつびこ)と寸津毘売(きつびめ)」がいたことを伝えています。『播磨国風土記(はりま・兵庫県)』は、各地で「ヒメ神とヒコ神」が一対で統治したことを伝えています。
「古事記 神武天皇紀」には、大和国(奈良県)の「宇陀地方」に「兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(うかし)」、「磯城地方」に「兄磯城(えしき)と弟磯城(おとしき))」が伝えられています。この内「弟宇迦斯」「弟磯城」は「祭祀的女性」を意味し、それぞれ「菟田県主(うだあがたぬし)」と「磯城県主(しきのあがたぬし)」になり、「軍事的男子首長」を意味したと思われる「兄宇迦斯」「兄磯城」は「神武天皇」に滅ぼされています。「美濃国(岐阜県)」では「兄遠子と弟遠子」「兄夷守と弟夷守」「兄熊と弟熊」の伝承があり、これも「ヒメヒコ制」の反映とされます。
2世紀後半~3世紀後半の「邪馬台国」は「女王国」とも記されていて、女王「卑弥呼」「台与」がいました。魏志倭人伝には「卑弥呼は王に共立され呪術的支配を行った」「男弟有り、佐(たす)けて国を治む(卑弥呼の意思を政治的に執行した)」とあります。
「呪術(祭祀)的首長」を意味する「ミミ」や「タマ」という名前は、倭人伝に見える「投馬国」「不弥国」の長官であり、どちらも女性がその座についていたとされます。邪馬台国に属する「対馬国(長崎県)」「壱岐国(長崎県)」では長官には「ヒコ(卑狗)」がいました。「不弥国」の副官は「軍事的役職」を意味する「ヒナモリ(鄙守り)」と呼ばれる男性が就いていたと考えられます。
この「ヒメヒコ制」を現在に伝える物が、沖縄の「おなり神」の祭祀形態だと考えられます。このような「親族との間の祭政の二頭体制」は「琉球王と聞得大君(きこえのおおきみ・最高の神女)」「天皇と斎王(さいおう)・斎宮(さいぐう)」にも見られます。「斎王」とは、古代から中世までの「伊勢神宮などに仕えた女性」「天皇の内親王(皇女と姉妹)と親王(嫡出子や兄弟などの娘)が就任」「天照大神の御杖代(みつえしろ・神意を受ける依代)」です。
日本神話では「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」「天照大神(あまてらすおおかみ)」「豊受大神(とようけおおかみ)」を始め、多くの女神が存在します。これは「母系社会」だった縄文時代からの流れと言え、社会の階層化が起きた弥生時代においても、国を統治した祭司女王や、特別な地位にあった女性祭司者が何人もいた事が確認されています。
「魏志倭人伝」に王の存在が記された三カ国のうち、二カ国に女王が存在しました。先ずは「邪馬台国」がそうです。
倭人伝に「世々王有り」とある「伊都国(いとこく)」の都とされる「平原遺跡(ひらばる・福岡県糸島市)」には、弥生時代後期の、非常に多数の鏡・玉類などの副葬品を伴う女王の墓があります。出土した「大型内行花文鏡(太陽鏡)」は「奈良県の一部大古墳」の物と類似、太陽神「天照大神」を祀る「伊勢神宮」にある「三種の神器」の一「八咫鏡(やたのかがみ)」とも同型です。ここから「大型内行花文鏡と八咫鏡は同系の物で、伊都国から齎された」とも言われ、発掘者・原田大六は女王を「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」「大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ・天照大神の別名)」に比定しています。墓東側の「直径約70cmの縦穴」を市報告書は「大柱跡」、原田は「井戸」として、墓から見て東の「日向峠」の方角に位置することから「太陽信仰」に関係し、これら墓を囲む遺構は「殯宮(もがりのみや)」だとも言われます。「平原遺跡」とその文化は、「邪馬台国」「ヤマト王権」「大和朝廷」に密接に連なる物だと看做されています。
弥生時代末期~古墳時代初期の青銅鏡「三角縁神獣鏡」の金属製レプリカを製作したところ、壁に投影した反射光の中に「鏡の背面に刻んだ文様」が浮かび上がる「魔鏡」現象が起き、「太陽光線など平行光で特に顕著」だと判明しました。投影された文様は「太陽」を表していると思われ、特に「太陽の日輪(周縁部)と中央部」の輝度が高いです。これで「背面の中央や三角形の縁部・神獣像などが厚い」「中央の最厚部は約2センチあるのに対し最も薄い部分は約0・8ミリ」「割れる危険性があるのに、何故こんな薄く仕上げたのか」という理由が判明しました。弥生末期~古墳時代前期の東アジアは寒冷化が進み、大雨・洪水など災害が多く、収穫は少なかったとされます。そして太陽は「豊作や生命力の象徴」でした。
(中国・三国時代(3世紀)に由来する銅鏡として、「三角縁神獣鏡」は北方の「魏(魏鏡)」、「画文帯神獣鏡」「線彫式獣帯鏡」などは南方の「呉(呉鏡)」に由来する。「画文帯神獣鏡」は希少で、棺内部にあって、地域の王墓とされる古墳に埋葬され、「呉鏡」は大古墳に多い)
日本神話の「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」は、第七代「孝霊天皇(こうれい)」の皇女で、巫女的性質を持ちます。第十代「崇神天皇(すじん)」に頼まれた占いで、命に神懸りした「大物主神(おおものぬしのかみ=大国主神)」が「吾を祀れば災厄は収まる」と述べ、「三輪山(みわやま・奈良県桜井市)」山麓の「大神神社(おおみわ)」が創建されました。陵墓の「箸墓古墳(はしはか)」は「最古級の前方後円墳」であり、その築造を以って古墳時代の開始とされます。
「倭迹迹日百襲媛命」は「卑弥呼の同一人物の最有力候補」です。「卑弥呼」は「日巫女(日神子・日御子・日女子)」との意だとされ、太陽祭祀を司っていたシャーマンであり、「太陽の象徴」の一つが「鏡」で、「三角縁神獣鏡」は「卑弥呼の鏡」との説があります。「卑弥呼」と「台与」は、邪馬台国の都であった巻向地方(奈良県桜井市)の「纒向遺跡(まきむく)」に、居館を構えていたとされます。
(箸墓古墳は纒向遺跡にある)
「倭迹迹日百襲媛命」の名の意味は、前段は「倭=ヤマト(大和地方)」です。中段は、「トトヒ(トトビ)=鳥飛び」:「弥生時代の鳥信仰」「霊魂が身体から離脱して空中の鳥のように飛んでゆく離魂型巫女」などの説があります。弥生時代には「鳥装をして、羽をはばたかせたシャーマン(鳥の格好をして羽を腕・頭部などに付ける)」という祭祀形態があり、「高殿(神殿)と鳥装シャーマンと鹿」という構図の絵柄が描かれた土器が、纒向の前の都「唐古・鍵遺跡(からこかぎ・奈良県田原本町)」と周辺や、他の拠点集落で出土しています。「鳥信仰は太陽信仰に関係する」とも言われ、「八咫烏(やたがらす)」は「太陽の化身」、「神武天皇東征説話の金鵄(きんし・金色のトビ)」も太陽に関連します。
後段の「百襲(モモソ)」については、古来沖縄で「百襲・百人(モモソ)」は「国王」「国家統治機構」「狭義は首里城正殿」を意味して、これには「中央・中枢」といった語義が伺えます。「モモソ」は琉球王朝発祥の地「浦添(うらそえ)」の地名にも纏わり、琉球王国では名を冠した重要な儀礼が行われていました。そして日本中には、「百襲媛の意味を、整合性のある解釈が可能な言葉」が他にありません。
以上から「倭迹迹日百襲媛命」=「ヤマトの中央の、鳥信仰(太陽信仰)の、日女巫女(神子・ひめみこ)」=「都(中央)の巻向から邪馬台国を治めた女王・卑弥呼」などと解されます。「卑弥呼」は「南方産貝製品」を着装して、「三角縁神獣鏡」を持ち、「鳥装」をして、「三輪山」「巻向山」から昇った「太陽」を祭祀していたと考えられます。そして寒冷化で困窮した世の中において、この祭祀で「太陽の復活」が成されて救われると、当時の人々は考えたのでしょう。
ここから、「百襲」との言葉が伝わる沖縄の特別の意味が示唆されます。沖縄本島では「女性だけで大和へ行った」という伝承があちこちにあると言い、先の神歌にもそういった歌詞が存在します。また「日本という国号」は「日(太陽)の本」を意味し、「日本国旗」の「日の丸」は「太陽を象徴した図柄」です。これら事象の背景には「弥生時代・古墳時代前期の本土と沖縄を結ぶ祭祀の様相」「女性の祭司者」「海人族」「太陽信仰」「南方産貝製品の崇拝」という共通性が存在します。
然しながら、古墳時代の何れかの時期に「南西諸島関連の貝製品・祭祀具・装身具・意匠」が、突如として本土の表舞台から消えていきました。この祭祀形態の大きな変化は、ヤマト王権の中で劇的な政治・文化の変化があったからと考えられます。
「特に本土と沖縄に特別な関係性があったのは、弥生時代前期から古墳時代前期(4世紀初め~中頃)まで」とみられます。それは「沖縄的事物(南洋産貝製品と、それを祖形とした祭祀具・装身具・意匠)が、古墳に副葬されていた時期」が、概ね古墳時代前期~前期末の間だけだからで、この古墳時代前期末~中期は、畿内での「古墳の築造・副葬の大幅縮小」「勾玉などの玉類祭祀の終了」の時期と一致します。
(古墳時代の編年は「前期:始まりが3世紀半ば、終了が4世紀初めか中頃」「中期:4世紀末か後半以降」と論が分かれる)
この「体制の劇的転換」の時代状況を物語るのが、葛城地方の「島の山古墳(奈良県川西町)」で、4世紀後半の全長200mの前方後円墳です。古墳の従属部位の「前方部」の石室から「夥しい数の石製腕飾り(鍬形石・車輪石・石釧など百四十点)」が出土しましたが、副葬法は従前と異なり、乱雑で遺棄されたと思えるほどです。その上には三度にわたり「勾玉・臼玉など玉類がばら撒かれていた」という状態でした。「合子三点」「鏡」も出土、「武具類」が少なく、被葬者は「王権中枢に近い呪術性を強く持った女性」とされます。古墳の主体部位の「後円部」には嘗て立派な石室があって、被葬者は「強い勢力を持った男性」と推定されています。当古墳以後は「沖縄的事物」はほぼ消滅、大王墓は奈良盆地から河内平野に移行した時期にあたります。従来ならこういった女性(女性祭司者)が「前方部」に葬られる事はなく、そして「持っている事を憚ったようにさえ見える、沖縄的事物の投機的な副葬」を見ても、「如何に状況が急激に転換したかという事が伺えます。
何故、それほどの「体制の劇的転換」があったのかですが、これについて「元々は、古神道は巫女が重視された形態を有していて、祭政一致の下、政治・祭祀のマツリゴトや社会全体において、女性の地位が高かった(ある程度だが男女同権に近い)」「しかし古墳時代中期、男性が政治体制の上位を独占するようになった」「南西諸島関連の貝製品・祭祀具・装身具・意匠には、巫女や平和といった事象と親和性があり、その為にそれら祭祀具が除外されていった」という説があります。実際に「古代の国を代表する女性祭司者がいた時代」から、何れかの時点で「社会上層部が男性のみで占められるようになった」のであり、その転換期が古墳時代にあったのは確実で、この論説を補強します。
先述のように、遺跡の遺物や史書の記述から、古墳時代中期(4世紀中頃)~和銅七年(714)ごろの三百年ほどは「本土日本の朝廷と、沖縄の交流は途絶していた」と見られます。ここには、「大和王権の劇的な体制変換」による「沖縄的事物の排除と関係性途絶」と「そこから後に少しずつ関係が改善し、後代にまた途絶した」といった様相が伺えます。
(南九州の「隼人」は6世紀末~7世紀末に朝廷に服従したとされる)
この最初の途絶期間の初期、古墳時代前期末か中期(4世紀中頃か)に、朝廷としては「排除の為の思想的な共通認識」を築く必要があった筈です。体制的には今までの「平和思想や男女同権や沖縄的事物の排除」と、これからの「自らの体制と男性中心主義の正当化」の両面を推し進める「大義名分」を普及が必要であり、これは表裏一体の思想・施策でした。また「平和・連帯思想の復活」にも神経を尖らせたでしょう。
「沖縄的事物が平和・連帯思想による連帯の鍵」であった時代、その「社会的位置付けを最高辺から最底辺への追いやる急速な排斥」には、思想的根拠としての「沖縄自体を否定する共通の認識論」が必須であり、これなくして施策の浸透は有り得ません。また、これが浸透すれば「沖縄的事物の排除は容易で、復活も無い」=「平和思想排除と体制正当化」がされます。中央集権体制であっても、施策には「大義名分」が必要であり、またそれは世界の歴史上の独裁体制の例を見ても「事実だろうが嘘だろうがどちらでも良い」のであって、ただひたすら「これこれこうだから否定・排除する(しろ)」という「絶対的前提とその強制」のみが必要です。
ここから、この「体制の劇的転換」の初期に「沖縄への謂れ無き蔑視・否定論」が「上意下達の官製認識論」として扇動・流布されたと思われます。東北日本の「蝦夷(えぞ)」にも蔑視はありましたが、朝廷の領域と接してるので、お互いに人や事物の交流が普通に行われていて、これは相互理解も促します。しかし「沖縄・南島」は本土日本と遠く離れた地にあって、人や事物の交流が限られたり朝廷が制限できるので、「一旦否定されてしまえば、その回復は成され難い状況にあった」でしょう。更に、たまたま隣り合っていたと言える対蝦夷とは異なり、対沖縄には「体制側にとっての無理矢理にでも否定すべき理由」が存在しました。勿論「平和・連帯思想や沖縄的事物に思いを寄せる人」も多数いたでしょうし、そういった認識論は多数の「暗喩的な神話・伝承」として形成されていったことでしょう。しかし思いを寄せる人自体は、次第に過去の物となりました。
世界の日本の歴史を見ても、どこの社会のいつの時代でも、敵対的関係の社会に対しては、根拠の無い否定論が流布されていて、それは日常的でした。過去の世界においては、ある意味それは仕方ない状況だったとも言えるのでしょう。また特に「よく知らぬ僻地の敵対勢力」に対しては、「又聞きの又聞きの誇張・捏造された伝聞情報」が流される物です。
恐らくは、古墳時代前期末~中期に朝廷による「沖縄の否定の言説と沖縄的事物の排除」が一気に下達され、しばらくは「平和的思想などの復活」を警戒したでしょう。しかし一旦認識論が普及して、沖縄的事物が一層された期間が続けば、また「当時のヤマト王権は弥生時代のクニと異なり、日本の広域を支配、情報浸透度が段違いだった」こともあり、その認識論を新たに普及させる事はなかったとも考えられます。これは「体制再転換の可能性が無くなり、関係性途絶が続き、更に認識論を浸透させる理由が無くなった」からです。そしてその時代には「沖縄に対する、なんとはなしの根拠の無い否定的認識や作り話」が常識化していたでしょうし、これは後々にも少なからぬ影響を与えたことでしょう。勿論、このような情報に流されない人達も多数いたでしょうが、古代社会では「客観情報の入手・客観思考の維持」自体が難しい物があり、惑わされるのも仕方ないです。また、これらが解消されたのは、かなり時代が下った後だったでしょう。ここには「社会における不幸な、故意ではない不理解」といった様相があったとも思われます。
古代に本土と沖縄の交流が途絶えた時期、本土では古墳時代の祭祀文化が縮小しています。古墳時代の祭祀は、西暦250年頃の古墳時代開始と共に「前方後円墳を頂点とした文化」「様々な祭祀具の製造・副葬」を特徴として、一気にヤマト王権の支配領域や領域外に広がり、古墳時代前期(250年~4世紀後半)に大規模な祭祀文化が展開されました。この時代の祭祀形態は「大規模古墳」「多様な祭祀具」「装身具・服飾・彩色など身体装飾」といった、鮮やかな様相を持っていました。
しかし古墳時代中期(4世紀末~5世紀末)に入ると、一部の大古墳以外で、古墳の規模が縮小、祭祀具の製造・副葬の規模も縮小していきます。そして古墳時代後期(6世紀初頭~7世紀後期)、後期初頭に更に古墳規模が縮小、古墳の築造終了時期は概ね「畿内・西日本:7世紀前半頃」「関東:地方8世紀初め頃」「東北地方:8世紀末頃」です。そしてこれらの時期に「王・首長の男性への固定化」が進んでいったとみられます。
いずれにしても「縄文時代の文化と奈良時代以降の文化の間」には、「基層を受け継いだ部分」と「かなり異なる部分」の、両面があります。差の部分については、「古代日本における社会形態・祭祀形態の変化が与えた影響は非常に大きい」と言えます。そしてその「文化の差を生じさせる事になった切っ掛け」の部分については、「本土と南西諸島・沖縄との関係性低下が、祭祀文化の在り方その物と、ひいては日本全体の社会・文化に大きな影響を与えた」と言えます。
・&color(white,black){日本の辺縁部に残る古代の日本語と祭祀形態}
南西諸島には「琉球方言は古代に本土の日本語と分岐した」「南西諸島には古代日本語を伝える言葉が多く残っている」「琉球方言を方言とする場合、日本語族に日本語派と琉球語派が属する」という様相があります。また「言語」というのは「文化・民族・国家の共通性・同一性や淵源・変遷を判別するのに、最重要の観点の一つ」と言えます。
言語学に「方言学」「言語地理学(方言地理学)」があります。「方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん)」は、「方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの」「見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする」「これを周圏分布と呼ぶ」という説で、言語学の基本的な仮説です。提唱した柳田邦夫は「日本では京都を中心として文化が時間をかけて伝播したことになり、つまり各地方には古い京都の文化が残っている」「各地の民俗文化を調査研究することは、古来より受け継がれてきた日本そのものを研究することになる」としています。「等語線」は「言語地理学において、語、発音、語義、アクセントなどの言語の要素を分布図に示したときに現れる境界線」、言語分布には飛び地や湾曲などが多数存在します。
「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」が明らかになると、より詳細な「真の日本史・日本学・祭祀学」と、「日本という物の基層・実相」が明らかになってきます。この解明には様々な学問分野の学際的な研究が必要で、上記分野以外に、「考古学・歴史学・日本史」「民俗学」「歴史地理学」「文化地理学」「文化人類学」「アイヌ学・沖縄学」・・・など、広範な分野に及びます。また江戸時代の「国学」は、こういった分野の先駆けです。
そして「古語に由来する類似名称」の多い分野の一つとして、特に「古代日本の辺境・周縁部の地域の、祭祀・祭祀場に関連する名称」があります。
「古代・古神道の祭祀場」は、一般的に自然の場所に設けられ、特に「山・丘」「岩・磐座(いわくら)」「森」「泉」「岬」などに多く存在しました。そういう場所に古代人は、超越的な「神聖・霊性」を見出し、「神が隠れ住まう地」である「神奈備(かんなび)」として、「神が降臨する依り代」である「神籬(ひもろぎ)」を立て、「注連縄(しめなわ)」を張って結界としたり、神域として「禁足地」とするなどしました。建築物が建てられるようになったのは後代で、南方系文化由来の「高床式建物」を「神殿」として築造、これは「社・屋代(やしろ)」で、「神社(神社建築)」となっていきました。
「東北地方の多くの地域(特に北部)」「四国地方の一部」「九州地方の一部」「山梨県」には、山名が「○○森」「○○森山(もりやま・むりやま)」となっている「山」が存在します。「森とも山ともつかぬ地方的な聖地」として、「ウタキ(御嶽):沖縄県」「オボツヤマ:奄美諸島」「ガローヤマ:種子島」「根神山など:トカラ列島」「モイドン・モリドン(森殿):薩摩・大隈(鹿児島県)」「荒神森:西石見(島根県西部)」「荒神ブロ:西伯耆(鳥取県西部)・美作(岡山県北部の一部」「天道山:対馬」などがあります。
沖縄の御嶽の別名に「腰当森(くさてむい)」「拝み山」「山」「杜(むる)」があり、その起源と原初の観念を伺わせます。また「嶽(たけ・がく)」とは「ごつごつと高く険しい山」の意。本土には「御獄(おんたけ・みたけ)」という名の山が多数存在しています。「拝所(うがんじゅ・うがん・をがん)」は、語源は「ウガミ(沖縄北部)」「ウガミヤマ(拝み山・奄美)」、民間では「ウガン」「森(ムイ)」「ヤマ」が普通使われます。多くの拝所の起源は「洞窟などに設けられた、神人などの墓地」で、そこが聖地となっていきました。
「山・丘などを意味する言葉」として、アイヌ語では「moi, kimuy(アイヌ語)」「mui, kim, kir・kiri(古アイヌ語)」「ムイ(muy)=モイ=ムリ=モリ:湾・浜、峰・山頂・山並み、森、集める(古アイヌ語)」などの言葉があります。これに由来する山名としては、「藻岩山(北海道札幌市)」「円山(札幌市)」「靄山(もややま・青森県五所川原市)」などがあります。琉球方言では「muy, mor, mur, moy, muy:山」「mui:丘」、八重山方言では「murakku, mur'i, muri, mur'ikko, mur'ikkott'i:丘」などの言葉があります。これらは時に「頭部・頭頂」なども意味する事があり、また、山名に「マル(丸)」が付く山も多いです。
万葉集において「杜」を「やしろ」と詠ませる例は七例あり、うち五例は「神の杜(かみのやしろ)」という表現をしています。「神社」という表記は二例あり、いずれも「もり」と詠ませていて、「杜も神社も同義」であって、「もり」も「やしろ」も両方とも神社を意味しています。「神社の森・杜」の「鎮守の森(社叢林)」は「神域を包括する空間」であって、「自然崇拝の起源と地域の古層」を伝える場所となっています。
「モリ」とは元々「霊魂の活動を示す語」「霊魂の降誕する神聖な場所」を意味し、「林は生やしを語源として、森は盛る・盛り上がると同一起源の言葉」と言われます。また「モリ」の原義は「(霊魂の)守(もり)」だとも言います。「古朝鮮語・満州語・ツングース語諸語」などにも、「森と山などの名称」の類似性が見られるとも言います。一説に「モリはアルタイ諸語・北方系民族由来」「ヤマはオーストロネシア語・南方系民族由来」との説があります。これらの言葉は、「アイヌ語」にも同系の言葉が見られる事から、、日本では「縄文語」まで起源が遡ると考えられます。
また、鹿児島(薩摩・大隈)の聖地「モイドン・モリドン(森殿)」、沖縄の祭祀場の「殿(トゥン)」と、ノロの家系の「ノロ殿地(どぅんち)」にも、「殿」の読み方に近似性があります。九州地方全域(本土・南西諸島・その他島嶼)では、地名・人名における「原」の読みは、多くが「ばる」となっています。
拝所の主要起源の一つの「洞窟が墓地として使用され、後に拝所になった」という例のように、古代の日本本土も「祖霊信仰」の場として、墓地が聖地となる事例はごく一般的でした。縄文時代の「環状列石(ストーンサークル)」は、墓域である事例が多いです。弥生時代~古墳時代などの上代、首長などの陵「古墳」は祭祀施設であり、「奥津城(おくつき):奥深い所にあって外部から遮られた境域」として神聖視され、後に多くの古墳で後裔集団が「神社」の社殿を建てました。古墳時代、海人族が多く居住し、古墳築造が少なかった地域の中に、「房総半島南部(安房地方・千葉県)」「三浦半島南部(神奈川県)」「伊豆半島南部(静岡県)」など、主に「洞窟(洞窟遺跡)」を陵墓として使用していた地域があり、「舟形石棺」などを用いています。この分布は海人族・祭祀氏族である「忌部氏(いんべ)」の故地と重なり、忌部氏は「軽野(かるの)・枯野(からの)」と呼ばれた準構造船で各地を往来していました。ここから「日本の沿岸部を結んでいた海洋民ネットワーク」の痕跡が伺えます。
「東北地方」の「山岳信仰」に「はやま信仰」があり、「はやま」は「葉山」「端山」「羽山」「麓山」などの表記で、これらの名の「山」「神社」が多数存在します。これは「本山(奥山)」に対する「手前側・端の山」であり、現世と常世の「境」でもありました。東北地方には「死者の霊(祖霊)は里の近くの山に帰り、数十年後に奥山へ、そして常世に帰る」という「山上他界」の信仰が強くありました。山や麓に「葉山神社」「端山神社」「羽山神社「麓山神社」などが鎮座、多くの御祭神は「羽山祇神(はやまつみのかみ)」「少彦名命(すくなびこなのみこと)」です。特徴に「作占における託宣儀礼」があるといい、「農神(農業神)」の神格があります。
東北地方には「お山かけ」と呼ばれる風習があり、「秋田県男鹿半島」の「男鹿三山(真山・本山・寒風山か毛無山)」や、津軽富士と言われる「岩木山(青森県弘前市・鰺ヶ沢町)」を始めとした各地の山で、集落住民が成人儀礼などとして登山をします。このように東北地方では「山岳信仰」の伝統が強く存在します。そしてそこには、祖霊が住むという「山上他界」思想があります。「はやま信仰」「お山かけ」は、屋久島の「岳参り」の風習に類似します。
御嶽は「自然信仰(森の信仰)」「祖霊信仰」などの様相が濃いですが、古くは「山岳信仰」「磐座信仰」でもあったとも言い、「墓地」だったとの説もあります。御嶽も拝所も、文字通り「嶽・山」や、山の意味でもあった「森・杜」の文字が使われています。御嶽の最も聖域の部分にある石碑「イベ・イビ(威部)」は、周囲が「岩盤」「塚状の場所」となっている場所が多く、これは「磐座信仰」と同じです。丘陵上の「城(グスク)」には、頂上に「御嶽がある場」がかなり多く、多くで「イビ石」が祀られていて、「元々御嶽があった場所にグスクが築かれた」とも言います。
「イビ石の祀られ方や、周辺の構造」は、「富士塚」など、「本土の神社における山岳信仰の石碑・祠」に類似しています。「御嶽山(おんたけさん・長野県木曽町・王滝村・岐阜県下呂市・高山市)」「富士山」「白山(石川県白山市・岐阜県白川村)」「立山(富山県立山町)」や、「月山・羽黒山・湯殿山(古くは葉山)」からなる「出羽三山(山形県)」や、その他多くの「山岳信仰の石碑・祠」が、各地の神社に建っています。山岳信仰と磐座信仰は、両方ともされている聖地は多いです。これらは中世以降に各神社に祀られたものですが、その祀り方の起源は「社殿建立以前の、古神道の山岳信仰・磐座信仰の祭祀場を、神社内に再現した」という事にあったのかもしれません。この項にある「聖地の祭祀形態」は、中世以後に形態・名称が現行の物となった所も多いでしょうが、同時に古代祭祀の様相を留めてもいます。
「福井県大島半島」に「ニソの杜(もり)」という、御嶽に酷似した祭祀場が三十二カ所存在します。「ニンソー」「モリさん」とも呼ばれ、山麓にあって、タブなどの照葉樹林の森に覆われた神域で、多くで祠が祀られています。元は「埋葬地(サンマイ)」と呼ばれる先祖の墓で、同地を開拓した祖霊を祀っているともいい、域内に古墳時代の「積石古墳」が点在している所もあります。「ニソ田」と呼ばれる耕地を持つニソの杜もあり、その収穫で祭祀料をまかない、かつては十一月の祭祀が終了すると当番の家に集まって「ニソ講(モリ講・モリマツリ)」を行っていました。「祭日以外は近寄ってはならない」「1人でお参りしてはならない」「草木を採ってはならない」「穢れを忌む」などの禁忌があります。柳田国男は「ニソの杜は日本の神社の原型である」と言っています。大島半島は山深く、近年まで近辺へ行くにも船を用いていて、また割合温暖な地で、嘗ては海人族が活躍していました。
「モイドン・モリドン(森殿)」は「鹿児島県の薩摩・大隈地方」百箇所以上あり、「薩摩地方」に多く、特に「指宿市」には約四十箇所あるといいます。これは「モイヤマ(森山)の一部を祭祀場とする神」で、殿は神様を意味する敬称です。村近くの森が神域であり、普通は祠も神体もなく、 大木を神の依り代として同族の間で祀り、大木の根元に御幣があったり、お供え物をしたりします。また近くに「山ン神(内神)」「イナイドン(稲荷神)」の祠があったりします。
&color(white,gray){「対馬」には「太陽信仰」である「天道信仰(てんどう)」の、地方独自の形式が残る}
・対馬に「天道山」「天道地」と呼ばれる禁忌の聖地が三十数箇所ある。
・「鬱蒼とした山や森や藪」であり、社殿は無く、自然石を御神体としていて、何も無い所もある。
・禁足地であり、神饌を捧げたりする。
・太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み、子供を産むという太陽感精神話が伝えられ、
母神と子神として祀るようになった。
・母神を山麓に子神を山上に祀り、天神たる太陽を拝むことが多い。
・子神は天童や天童法師とも言われる。
・「石塔」を作って「山と太陽を拝む」信仰があり、
対馬の南岸に位置する豆酘の東の浅藻にあるオソロシドコロ、八丁角が名高い。
・「多久魂神社」に奉仕していた供僧も神仏習合によって天道を祀り、赤米の赤に託して豊穣を祈願した。
・北部の佐護湊の「天神多久魂神社」も天道信仰である。
・天道の祭りは、太陽を拝むと共に、山を崇拝し、米や麦の収穫感謝を願った。
・嘗て対馬全島で行われた「ヤクマの祭り」では、石塔を立てて拝む習俗が天道信仰の名残りで、麦の収穫祭でもあった。
中部の木坂地区と青海地区に現存、海辺の石を積み上げて「ヤクマの塔」を造り、旧暦6月の初午の日に神饌を供える。
また、この2地区では、埋葬する墓と拝み墓を別に設ける両墓制という独特の葬制があった。
・天道信仰は「母子神」が基盤にあったので、「八幡信仰(はちまん)」と習合した。
・太陽によって孕んだ子供を天神として祀る天道信仰の上に、
母神「神功皇后」と子神「応神天皇」を祀る八幡信仰が重なった。
・母子神信仰は、日本神話と結び付けられて、「豊玉姫命」と「鵜茅草葺不合命」とも解釈された。
・しかし、母子神信仰の基層には、海神や山神の祭祀があり、太陽を祀る天道信仰が融合していた。
・元々は自然崇拝に発した祭祀が、歴史上の人物に仮託され、社人による神話の再解釈が導入され、
明治時代以降は国家神道の展開によって、祭神が日本神話の神々に読みかえられ、
式内社に比定されて祭神も天皇につながる神統譜に再編成された。
九州西部「対馬」「壱岐」「長崎県松浦」「熊本県」「鹿児島県」に、「ヤボサ神」という神を、石祠に祀る信仰が見られます「ヤボサ講」があり、祭礼の日には、神主が来て祀ります。折口信夫は「畑の神」「陰陽師の屋敷跡に多い」「元は古墓である」と述べていて、ヤボサ神の別神格は「大己貴神(おおなむちのかみ)」であることが多いと言います。「対馬」「壱岐」は、記紀の日本神話に現れる地で、古社も多く、そして独特な祭祀場・祭祀形式が多数あります。
「荒神ブロ」は「西伯耆(鳥取県西部)」「美作(岡山県北部)」の聖地で、西伯耆では「荒神」とも呼びます。神の一般的名称「荒神(こうじん)」は「屋敷神(火の神や竈の神)」や「地荒神(山の神・屋敷神・氏神・村落神)」という二つの属性があり、荒神ブロは両方の性質があります。荒神ブロは「荒神の森」の意、三間坂では「村や屋敷内のモリ(フロ)を神聖視して祀る」、西伯耆では「モリや石造物を荒神として祀る」という形です。西石見の「荒神森」は「旧家の裏山などに祖霊を祀る」という形態です。これらの聖地は、後代に「荒神社(あらじんじゃ)」が建てられた場所も多いです。
これらを見ると「東北地方・北海道や九州地方・南西諸島など、古代日本の辺縁部」に、言語・文化・祭祀がかなり共通している事が一目瞭然です。その多くには「山岳信仰」「森・杜の信仰」「磐座信仰」「他界思想」という共通項があり、祭祀の古層をよく残しています。ここから「古代日本の聖域と、それに纏わる観念」が伺え、「古代において、山(嶽・丘)も森(杜)も、類似した聖域と見做されていた」「他界との境でもあり、神社・御嶽・拝所などの原点であった」「山・森・杜や墓・陵墓や神社・御嶽・拝所は、多くの場合、祭祀的性質が重複していた」という事が分かります。また、こういった神域や禁足地は、例えば「入らずの森」と言われる場所など、近代まで各地域に沢山あったのですが、近年の開発により激減しています。
当然ながら、日本本土と沖縄の類似点は他にも無数にあり、「日本本土と沖縄の類似性から、特に古代日本の辺境地域同士の類似から、古代日本の言語・文化・祭祀の基層の姿が伺える」「古代の言葉・事物が多く残る地域は、古代日本の姿を多く留める地域である」と言えます。
・&color(white,black){沖縄・琉球の位置付けについて}
日本の歴史の最大の謎は、諸々の要素を鑑みると、「倭国・倭人に纏わる謎」「邪馬台国に纏わる謎」とともに、「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」が挙げられるでしょう。そしてこれらは、本来的に「表裏一体の事象」であり、「倭国・邪馬台国の謎の大きな解明」は「古代沖縄の謎の大きな解明」無しには有り得なく、逆もまた然りです。
「倭国・倭人に纏わる謎」「邪馬台国に纏わる謎」については、歴史的に詳細な研究がされてきています。これらは日本の起源と直接関連する重要な事象であり、故に現在の数多の事象と絡んでいます。これは「波動原理的にもそう言える」のであり、当サイトで「縄文時代~奈良時代ごろの歴史的事象と意味合い」をかなり記述しているのも、「国・地域・社会の基層・古層は、その地域の波動的な特性を大きく決定付ける」「その解明と適切な解釈、良い方向での利用が、日本国土と社会と人々の量子的飛躍にとり重要である」からとの認識によります。しかし同時に、邪馬台国論争は「一つの時代・古代国家の事象」でもあります。
「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」については、「日本史・考古学・歴史学」「日本文化学」「民俗学・民族学」「地理学・地域学・地政学」「言語学」「神道・祭祀研究」など、広範な学問分野において、「古代の日本本土・ヤマト:北海道・アイヌ:沖縄・琉球の関係性は詳細が不明である」という事が、研究・議論の具体化・進展の障害となっています。言語・文化・祭祀に見られるように「古代の沖縄は本土と共通していた・近かったものがあった」という通念はありますが、それは漠然と認識されているに過ぎません。
この理由には幾つかありますが、「古代も現代も沖縄が辺境の地であるから、それほど重視しない」「どう位置付けたら良いのか分からない」「沖縄側から見ても、自らの立ち位置がよく分からない」という感覚は大きいものがあるでしょう。現代「日本史の最大の謎とされるのは「邪馬台国はどこにあったか」であり、「弥生時代・古墳時代などの、日本が国家樹立した時代における、日本史・考古学や祭祀文化など研究」は、多くの場合「畿内」「九州(北部九州)」「出雲」を中心とした、限られた地域に対象が偏重しています。日本には各分野に優れた研究者・在野研究者がいて、日本史・考古学や祭祀文化も、多くの人が素晴らしい研究・考察を行っていますが、例えば学会においては、どうしても主流の関心点・常識に偏重してしまいがちです。その結果、研究領域の僻地にあるような分野は「盛んな研究議論」→「論点の収斂」→「説の標準説化」という進展が起き難くなります。
この分野には「沖縄・琉球という広大な地域について、未だにさほど解明が成されていない」「古代日本の様相が多く残っているのは漠然と知られている」「歴史的事象だけでなく、現代の沖縄や南西諸島、日本や日本辺縁部に纏わる事象についての、解明・認識の深化に直結する」という状況があります。状況的には前提として「一般認識のボトルネック」が存在していて、ここが突破されると、その先への波及領域は非常に広範な範囲に及びます。
ここから「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」の解明は、「倭国・倭人に纏わる謎」「邪馬台国に纏わる謎」の解明へと導き、そして「古代日本の在り方の解明」「日本の波動的な様相の大規模な解明」へと繋がっていきます。そしてこの一連の流れについて、「古代の沖縄」こそが「日本史の最大のミッシングリンク」と言えるでしょう。
(「世界の超古代文明」は存在しますが、ここでは省きます)
しかし「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」という観点は、日本史の教科書に殆ど載っていません。これは学会などの統一的な通念が無いからです。関心を持つ識者はかなり多く、「古代に共通文化があった」というのは昔からの通念ですが、しかしそれ以上の物とはなっていなく、何とはなしのボヤッとした通念のままです。日本史の教科書に載ってないから、現状は一般レベルでは「古代の本土と沖縄の関係性」について、何となく「言葉とか文化とかを見ると、あったらしいね」程度の認識しか持たれていません。これは「日本史という学問分野」のみならず、「日本の自国・自分達の文化についての認識」において、非常に重大な問題点です。あまり認識されてないですが、この影響はかなり深刻だと思われます。
&color(white,gray){「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」の現状と解明すべき事}
1:弥生時代・古墳時代という、日本の国家樹立の時代における、
本土と沖縄の言語・文化の関係性、具体的事象、その影響。
2:祭祀・祭祀具・祭祀場・神道・神話・伝承に纏わる、本土と沖縄の関連性。
3:貝の道に纏わる事象。
沖縄的事物(南方産貝製品と、派生した事物)が、何故そこまで重視されたのか。
4:沖縄・南西諸島に居住していた集団、本土との間の航海者集団。
4:沖縄・南西諸島に存在する古代日本の姿、その様相。
5:日本各地に存在する古代日本の姿と、その比較文化。
6:沖縄・南西諸島は、日本・本土・ヤマト文化にとり、どういう存在・位置付けであったのか。
7:これらを基に再構成した、古代日本の在り方と流れ、日本史全体。
若しこれらが解明されて、一般認識となっていけば、「真の日本史」の解明へと導かれ、更には波動的な影響も含め、非常に多くの方面へ波及していくことでしょう。
先ず「日本語と琉球方言(琉球語)は、日本語を起源とした、同じ語族の言語」「神道と琉球神道は、古神道に淵源がある」「古いタイプの日本人・日本の先住民である縄文人のDNAの型を、アイヌ人・琉球民族は多く残している」という点は、先述の通りです。古代は「祭祀・信仰」が生活の中心にあり、各種文化はそれに伴って起きた物で、「神道と琉球神道は起源が同一」であるので、「日本本土も沖縄も基層文化は同種の物である」と言えます。
「沖縄の歴史」という観点では、「沖縄の独自文化」「日本本土と沖縄の基層文化の同一性」「江戸時代或いは明治時代以後の、日本国の領域としての沖縄」「台湾などの南方系文化の流入」「中国伝来の文化の流入」「日本と清の両属体制」と、これらの観点は其々に、沖縄の歴史の重要な一角を成す物です。
然しながら、こうして見ると「日本本土も沖縄も基層文化は同種の物である」という項目は、事実関係は明白でありながらも、世間の一般観念では、よく知られる常識とはなっていません。やはり先に述べたように、教科書に載っていない事などから「なんかそうらしいね」程度です。
「日本語と琉球方言(琉球語)は、日本語を起源とした、同じ語族の言語」「神道と琉球神道は、古神道に淵源がある」というのは通説ですが、ここから「日本本土も沖縄も基層文化は同種の物」「古代は同じ文化圏だった・古代において同じ国だった」という部分までの間が、通念としては抜け落ちてしまっています。ここまで進めば「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」「真の日本史」の解明がかなり進み、全てが一体的に判明していく事になります。
しかし「沖縄が地理的・歴史的に、日本の辺境・辺縁部にある事」と、潜在的な「ヤマト民族・ヤマト文化の優位思想」「方々に蔓延る沖縄への二級市民扱い」は、これを完全に阻害してしまっています。しかし「辺縁部にあるから、本土に対して下位構造である」というのはおかしな認識論で、そもそも「辺縁部こそが、日本の基層・古層をよく残している」のです。
古代日本では「縄文時代には日本全国に、広い意味で共通文化があり、これは日本文化の基層である(縄文土器・土偶・祭祀関係・集落構造など)」「弥生時代にクニが各地に生まれた(首長の誕生)」「合従連衡で幾つかの国に収斂された(邪馬台国など)」「古墳時代に統一的な政体を持つヤマト王権が誕生した」「王権は周縁部に領域を拡大していった」という状況がありました。
そしてこれらの問題は、還元すると「古代日本において、沖縄は日本文化の辺縁部にあったのか?周縁部にあったのか?」ということです。「辺縁部」であれば「古代日本の文化の領域内」に、「周縁部」であれば「古代日本の文化の領域外」にあった事になります。これは先述の全ての事項から分かるように、「沖縄は古代日本の文化の領域内にあった」のは明白です。だからこそ「沖縄・南西諸島は日本の基層・古層をよく残している」のです。
しかし、この部分の意味が、いまいち一般的に認知されていない・重視されていない事から問題は発生し、様々な方面へと深刻な悪影響を招いています。そして、この解明と認識の一般化が進めば、様々な方面へ好影響が波及、好循環が生まれてゆくでしょう。様々な学問・界隈が、ここの部分を重々認識して、その意味合いをしっかりと捉えて、そして社会へ訴えていく必要があります。
このような「歴史的事実と認識論」が一般化していけば、「アイデンティティの迷い」が存在する現在の沖縄について、その空白部分を埋める物となり、人々の意識に大きな肯定的影響を与えるでしょう。また「琉球は信仰・神の存在が身近にある」ことは知られていますが、これに加えて「日本の国家樹立の黎明期の姿や、神道や各種文化の原初の姿を、それが色濃く残る琉球を通して見る」という観点が新たに認知されていけば、「自然の綺麗さ・豊かさ」「独自文化」という資源も合わさって、観光産業興隆の非常に大きな呼び水になるでしょう。
更には「日本の歴史に対する、日本人一般の関心興味の興隆」「神道・琉球神道・アイヌ神道や祭祀・信仰」と、他にも様々な事象へ、大きく波及していく事は間違いありません。こういった自然に興った人々肯定的な観念は、特定思想を強制的に植えつける施策よりも、遥かに健全で、多方面への肯定的な影響を与えるでしょう。こうなれば日本全体の経済面や国力にも寄与、これで国力重視の思考からも、メリットは大きい筈です。どのような観点で見ても、この方向はメリットが多大で、デメリットはありません。
・&color(white,black){辺野古と大浦湾の類稀な環境・霊場・遺跡}
普天間米軍基地の移転候補先の「辺野古(へのこ・沖縄県名護市)」と東方の「大浦湾(おおうらわん)」には、「御嶽・拝所」などの聖域が幾つも分布していて、記録には八十箇所が記されています。そして「辺野古の霊的な重要性」について「辺野古は沖縄三大霊場の一つ」「沖縄島の東海岸には島に寄り添うように巨大な龍がシマを守っている」「辺野古マナル岩(マナヌ岩)は龍の頭、斎場御嶽はヘソ、金武は腹、久高島は尻尾」とされます。「マナル岩(マナヌ岩)」は、辺野古の海の沖合いにある、珊瑚礁の岩礁です。「日本列島は龍体である」と言われ、「琉球」とは「龍のタマ(霊・魂・心/玉・珠・勾玉/松果体)」と解され、「頭」の語源説の一つに「天玉((あまたま)」があり、これらの地の根源的な重要性を示しています。そして、神歌の「赤椀の世直し」という歌詞は、辺野古の神歌にも見られます。
(「あたま」とは、元は「頭頂部中央の骨と骨の間の隙間(小泉門?)」を指した言葉で、後に「頭頂」「頭全体」を指すようになったという)
辺野古漁港の堤防先端に「トングヮ」という小島があり、こんもりとした緑に覆われています。ここには御嶽「竜宮神」が鎮座、石段の途中に鳥居があって、奥に威部(イビ)の石祠があります。その奥に男神「ターリー」が住み、島には「ニライカナイの神が座る神所」があって、対岸の森に女神「アヤー」が住んでいます。ここは如何にも神が住まう地といった感を見受けます。「基地」の有刺鉄線には、多くの旗がはためいてますが、その中に「竜宮神 ジュゴンのすむ辺野古の海は宝の海」と書かれた物もあります。
辺野古沿岸と大浦湾湾縁には「ユビエダハマサンゴ・アオサンゴ・ハマサンゴ・ミドリイシなど、多くの種類の珊瑚の大群落」があり、特に絶滅危惧種の「世界最大級の青珊瑚群落」は特筆されます。「珊瑚礁」には「海を浄化する事で広域の波動を高める」という特性があり、これは「森林」「湿原植物」と同じであり、「魚が湧き出る海」と言われるほど魚介類の生存に適しています。「イノー」と呼ばれる珊瑚礁内側の磯・干潟は「熱帯魚・甲殻類(エビ・カニなど)・藻類など海生生物の宝庫」で、、大浦湾では魚種は170種が報告されています。
この地域は「国内唯一で世界北限のジュゴン生息域」です。ジュゴンは「哺乳綱カイギュウ目(海牛目)ジュゴン科ジュゴン属の海洋哺乳類」、好奇心旺盛で船や人に近寄って来る事もあります。「人魚」のモデルで、英名は、フィリピン・タガログ語の「海の貴婦人(lady of the sea)」の意味の言葉に由来します。でのと言われます。琉球方言では「ザン」「ザンヌイユー(ザンの魚)」と呼ばれ、「犀魚(ざんのうお)」とも呼ばれます。また「ジュゴンは鮫(サメ)を意味する日本の古語」という説もあります。
ジュゴンは国際的な保護動物で、国内唯一の生息地域の沖縄・南西諸島では、極めて個体数が少なくなっていて、非常に絶滅の危機に瀕しています。「日本哺乳類学会のレッドリスト」では「南西諸島のジュゴン」を「絶滅危惧種」に指定、「水産庁のレッドデータブック」でも「絶滅危惧種」となっています。2000年の「国際自然保護連合(IUCN)」総会で「沖縄のジュゴンとノグチゲラとヤンバルクイナの保護」が決議されました。辺野古沿岸域は「沖縄県の環境保全指針のランク1(自然環境の厳正な保護を図る区域}」に指定されています生物多様性基本法に基づき2013年に策定した「生物多様性おきなわ戦略」で、県は北部圏域の将来像に「ジュゴンとその生息環境が保全され、ジュゴンの泳ぐ姿が見られる」と盛り込みました。
環境省の「南西諸島のジュゴン」の推計は残り3頭、しかし非公式の目撃例が時々報告されていて、ただそれらを合計しても数十頭とされます。ジュゴンの生存環境には、餌の海草が育つ「藻場」の健全さが必須で、辺野古・大浦湾には県内最大級の藻場「ジャングサヌミー(ジュゴン草の海)」があります。辺野古や大浦湾では、ここ数年ジュゴンの藻の食み痕がよく見掛けられ、「数頭のジュゴンが沖縄本島東海岸に住み着くようになり、同海域はその重要な藻場となっている」とも言います。またこの藻場には「海亀」も生息しています。
古くから沖縄では、ジュゴンは「神々の乗り物」と言われてきました。辺野古の伝統行事「六月ウマチー(御祭)」は、五穀豊穣と豊漁を祈る神事で、謡われる神歌の中にジュゴンが出てきます。大浦湾沿岸には「ジュゴンの見える丘」があって、歌手Coccoの歌にも歌われました。
大浦湾は平成二十一年(2009)に「一度に甲殻類の新種39種が発見された場所」であり、これだけの数の新種が一度に確認されるのは、日本周辺では非常に稀な事です。世界で当海域にしかいない「オオウラコユビピンノ」がいて、「甲殻類」「ナマコ類」「貝類」「藻類」など、様々な分類群の未記載種の発見が相次いでいます。国内での絶滅危惧種「褐藻類ウミボッス」など、国内初確認は25種、「シャコ類」では3新種と国内初確認4種が判明しています。この調査では、採集した全甲殻類のうち約13%が新種や日本で初確認の種でした。新種の多くは「干潟の泥の穴にすむ1~2センチほど小さな生物」です。辺野古と大浦湾は「多くの絶滅危惧種の生息地」「未記載種の発見が相次ぐ海域」であるのです。
河川では「リュウキュウアユ」「ボウズハゼ類」などが遡上します。河口には名護市天然記念物の「マングローブ」「干潟」が発達、周囲の山林には「イタジイ・オキナワウラジロガシを主とする深い森林」が存在します。
辺野古と大浦湾は、自然が特異的に豊かで、山林は緑が濃く、海の動植物の生態系は豊かであり、「海から山までの連続的で一体的な生態系」が存在しています。ここは「自然環境と生態系の宝庫」「狭い地域に多様な環境がある場所」であり、これほどの自然豊かな地は滅多に存在しません。そして「紺碧の海と、深緑の山林と、その間を縫うように存在する無数の入り江」は、非常に美しいコントラストを描いていて、正に「美ら海(ちゅらうみ)」と言われるような場所であるのでしょう。
日本は「先進国の中で唯一、自国内にサンゴ礁生態系を持つ国」「豊かな自然環境を持つ国」であり、古くから自然の美しさは「山紫水明」と例えられました。しかし近年、自然の保護・維持をしっかりやっているとは、とても言えない状況となっています。諸先進国の平均的状況からすると、明らかに程度が低く、取り組みは遅れをとっていますし、もし諸先進国にこのような自然環境があれば、間違いなくしっかりと守られる方策はとられているでしょう。辺野古や大浦湾の保護は、日本人の自然環境に対する・意識と民度が、正にそのまま映し出される事象です。
辺野古沿岸部には、本格調査は未実施の古代遺跡が6箇所あり、付近には他の遺跡の存在も推定されています。これらは全てキャンプシュワブ基地内にあって、地区一帯で最古の「大又遺跡(うふまた)」は2千年以上前の遺跡で、弥生時代~古墳時代前期(邪馬台国の時代前後・沖縄では貝塚時代後期)に相当、「ゴホウラ製貝輪の半製品の製造工房があった」「付近からは弥生土器などが出土している」ということが判明しています。
他には、同じく先史時代の「思原長佐久遺物散布地(うむいばるながさく)」や、「思原石器出土地」「思原遺跡」「ヤニバマ遺物散布地」「美謝川集落関連遺跡群(びじゃがわ)」があります。このうち近世~近現代の「美謝川集落関連遺跡群」は、移設に向けた埋め立て土砂の採取予定地にあり、辺野古ダム周辺の広い範囲にまたがっており、琉球王国時代の「宿道(街道)」の石積みを含む陸上交通遺跡群などが確認されています。他の遺跡は、殆ど内容が分かっていません。
ゴホウラはあまり見られる貝ではなく、ゴホウラ製貝輪の半製品工房は、過去に少数の例しか発見されていません。辺野古にゴホウラが多く生息していた事と、工房跡の存在は、辺野古の波動環境を示していて、「辺野古の海岸沿いに分納する古代遺跡群」は「本土と沖縄が一体だった当時の交流・交易の跡を示す重要な遺跡群」です。
「弥生時代・古墳時代における、貝製品・神歌などが示す沖縄の在り方」を考えると、更にその意味合いは高まります。そして「日本の国家黎明期の最重要の文化の一端を示す貴重な遺跡」であり、「日本・沖縄の歴史と、当時への国家観の通説を、劇的に塗り替える可能性が高い遺跡群・事象の1つ」「日本本土と沖縄の歴史・文化・祭祀・波動の根源に位置」「日本本土と沖縄の歴史的一体性を示す」という可能性を有します。
「沖縄三大霊場の残り二箇所は斎場御嶽と久高島」であり、これを考えれば「辺野古は沖縄三大霊場の一つという事は、往古から琉球神道の重要な聖地であった事は確実である」のであって、辺野古というのは、真にそのような地であるのです。
そして「辺野古・大浦湾の自然・歴史・遺跡・祭祀・波動環境の豊かさ」は、「辺野古・大浦湾は自然環境・歴史伝統・祭祀の上で非常に重要な地であり、波動的に重要なパワースポット(龍穴・龍脈)である」と示します。霊場にしても、御嶽などにしても、ゴホウラ製貝輪の工房跡など古代遺跡にしても、そして自然の豊かさにしても、このような地は非常に限られていて、波動的に考えればそこには特別な意味があるのであって、全ては波動において繋がっているのは確実であり、辺野古という土地の持つ類稀な重要性を示しています。
しかしその類稀な聖地である辺野古には、他国・アメリカの軍事基地である「キャンプシュワブ米軍基地」が存在していて、大きな面積を占有しています。
現在、辺野古では「普天間米軍基地」の移設計画が、日本政府とアメリカ政府による「飴と鞭(恣意的な利益配分と権力濫用)」「様々な嘘・詭弁・隠蔽」により、進行され続けています。「導入予定のオスプレイは、未亡人製造機と形容されるほど事故の危険性が高い」にも拘らず、人家の上空を飛んでいます。
「海兵隊の存在は、軍事的には大した意味が無く、金銭的問題による撤退も頻繁に議論されている」「沖縄での訓練は半減できる」とされます。2012年度の米連邦議会の委託調査で、有力研究所が「現在、沖縄に駐留する海兵隊のうちのほとんどをカリフォルニアに移転させたとしても、有事の際のレスポンスタイムに大幅な遅延を来すことはない」と結論づけています。これは「論者により意見が変わるが、然しながら海兵隊は沖縄にいても米国にいても、即応体制に影響ないという意見が出るほどの違いしか、軍事能力差は出ない」という事を示していて、これは「辺野古の基地移設問題」「普天間基地問題」の根本的存在意義を完全否定するもので、「在沖米軍・在日米軍」全体の存在意義にもかかわります。
「日本政府は抑止力の名目で辺野古に海兵隊基地を造ろうとしているが、米国は沖縄は中国のミサイル射程圏で近すぎると考え、海兵隊をオーストラリアやグアムにシフトさせようとしている」「沖縄の米軍基地は有事に使えなく、ローテーション部隊しか残らないだろう」「尖閣などの離島防衛も、日米ガイドラインには"自衛隊が尖閣などの離島防衛を担う"とあり、"辺野古の基地と海兵隊は離島防衛と抑止力維持に必要"という論理は成り立たない」「オスプレイ導入で航続距離が4倍にあり、沖縄の海兵隊の存在意義は更に薄れたが、防衛省は全く見直さない」とも言われます。
しかし「世界中に類例がない、他国への盲目的服従」である「日本の米国追従と資金供給」によって、アメリカ政府と日本政府は辺野古への移転を強行しようとしています。
また「那覇空港の増強計画は早くても2020年の完成だが、嘉手納米軍基地を軍民共用にするのが最も手っ取り早く、また那覇空港の自衛隊を嘉手納に移す手もある」「嘉手納空港の滑走路は空きが充分にあるが、米軍の既得権益を聖域視している日本政府の弱腰がこれを阻んでいる」と言われます。
「辺野古・キャンプシュワブの軍港化」は、長年危惧されてきました。2013年12月、防衛局が県に提出した埋め立て申請書に記された「船が接岸する護岸の長さや弾薬搭載区域の規模」が「それまで県に示していた計画よりも拡大し、軍港並みの機能であるる」「護岸の全長は約200メートルから272メートルへ伸びた、幅30メートルは初めて記された」「オスプレイ12機や強襲揚陸艦の立ち寄りが可能」「揚陸艇の水陸両用訓練が可能となる斜路の存在も新たに図示された」という事が判明しました。これは「都合の悪い大きな事実を最後の段階まで隠してきた」という隠蔽工作です。
昔から大浦湾では、海を爆破するなど、米軍が裏で海軍基地建設を画策していました。沖縄の本土復帰時、防衛庁担当者が大浦湾を海上からの上陸訓練場として使う事を求め、その度に名護市漁業組合長が断ったという経緯があります。日本の体制側というのは、そして特に軍事関係では、大小様々な隠蔽・捏造・詭弁・糊塗に塗れていて、辺野古ではこの類の事象は長年の日常茶飯事です。
辺野古の古代遺跡群の多くは、キャンプシュワブ基地内と移設候補地内にあります。しかし「非常に多数の場所が調査・アセスメントもないまま掘り返されている」「水陸両用車が轟音と共に海と陸とを行き来、この上陸演習などで海岸が痛めつけられている」「日本・沖縄の成り立ち・原初の基層が眠る非常に重要な遺跡が、他国に軍隊により破壊されている」という状況にあります。
これは「古来より聖地であったろう地の、波動環境・龍脈を大規模に破壊するもの」です。辺野古の「竜宮神」の御嶽は、海の埋め立ての範囲内にあって、シュワブ基地が拡張されれば、この古来より篤く守られてきた神域は、その時限りで完全に異なった場所となってしまいます。
キャンプシュワブ基地の存在により、既に多くの森林が破壊されてしまっています。現在でも水陸両用戦車などにより、珊瑚などの海域と海岸の自然は日々傷められ続けています。
「辺野古沿岸の造成」は、沖縄各地の深刻な問題である「赤土の海への流出」を深刻化させます。「海の埋め立て」は、「貴重な珊瑚・熱帯魚・甲殻類・藻類やジュゴンなどの生息環境を大規模に破壊する」ものです。現在でも珊瑚礁は痛めつけられていますが、「海域の埋め立てが行われれば、珊瑚礁や藻場を始めとした生態系全体に深刻な被害が出る」のは確実視されています。
基地建設の為の調査船が現れていた期間、大浦湾のジュゴンは姿を消しました。ジュゴンというのはそれほどの繊細な動物で、基地が拡張されれば、この海域から消えて、絶滅へ追いやっていくのは確実です。沖縄防衛局は「移設予定先にジュゴンの餌場や食跡があったのを隠蔽した」という事があり、その後防衛局が県に提出した「環境影響評価(アセスメント)」の評価書では「移設によるジュゴンへの大きな影響はない」と主張、そもそも「隠蔽体質に塗れた移設推進組織が環境影響調査をやる事」自体が噴飯物です。
防衛局が示す「外来種対策」や「環境影響評価書」を受け、沖縄県は「環境保全は不可能」と結論付けました。そして辺野古沖は「県の環境指針で厳正に保護するランク1」に指定されています。然しながら、沖縄県知事は最終的に埋め立て申請を承認、これは完全に非論理的で非科学的です。
基地が拡張されるとと「絶滅危惧種の北限のジュゴンの絶滅」が起きてしまう、非常に高い確率の危険性が存在します。この海域には「青珊瑚」や「新種甲殻類」など、非常に個体数が少ない希少種が多く、これらの種と、その生育環境の存続が、重大な危機に瀕します。そうなったら、誰が責任を取るのでしょうか?日本政府は、アメリカ政府と米軍は、賛同者は、「ジュゴンなどの生物種の絶滅の責任」を取るのでしょうか?そもそも一体どうやったら責任を取れるのでしょう。一回絶滅してしまったら、もう元には戻らないのです。
環境に対しては、埋め立ての直接的被害だけでなく、「大量の海砂の投入による、珊瑚礁生態系の一部の、砂底上の生態系の破壊」「本土の資材搬入による外来種の侵入」「環境を汚染する物質の使用による継続的な大規模汚染(そもそも化学物質は自然界に無い物質ばかりで、環境とは相容れない物が多い)」など、数多の被害が懸念されます。
多くの「海砂の投入」の工事では、その地域の固有の環境を破壊、この工事での投入も、この地域の生態系の独特の「海底・干潟の砂・泥」の環境とは相容れません。「外来種の侵入」は、特に「アリ・菌類」など微小サイズの生物は防ぎようが無くて、海砂を採取予定の地では、外来種のアリが大繁殖していて、この地域とは異なる菌類の生態系が存在します。
本より、「島嶼部の生態系は固有性が大きい」「南西諸島の生態系は固有性が大きい」「辺野古・大浦湾の生態系は非常に独特で、豊富である」という事は最初から分かっていて、「工事はその環境を根本的に破壊する物である」ことも明確です。ほぼ全ての「自然保護団体」が「辺野古への基地移設と陸域と海域の造成・埋め立てに反対」であり、「基地が拡張されれば、豊かな自然環境は重大な損壊を受ける」としています。
「政府機関や御用学者の、自然保護は成されるというお墨付き」は全く無意味で、そんな根拠はどこにも存在しません。そういった人・意見は単に「体制側の方針を追認するロボット・駒」でしかなく、非正義を押し通す事に無感覚になっています。逆に、こういった「自然保護に携わる組織・学者」の方が、遥かに自然環境の在り方を分かっていて、その組織・学者がこぞって反対してるのであって、「このような重大な破壊の到来が、自然保護の観点から見た、現実に起きること」です。
日本は古来「捕鯨文化」があり、身体部位を余す所無く利用してきました。しかし今後の時代に、こういった事が良いのかは十分な議論が必要です。そもそも「肉食」自体が、動物の命の問題、知的生物の問題、肉食が低波動を招く事から問題です。「希少種以外の鯨・イルカについての捕鯨問題」を語る時、そこには必然的に「肉食問題」が伴います。肉食問題を無視して捕鯨を叩くのは欺瞞ですが、米豪などは肉食大国です。
多くの国が捕鯨に反対していますが、捕鯨問題が国際的大問題になった切欠は「ベトナム戦争泥沼化で窮地の米ニクソン大統領の再選時、環境保護派の対立候補に優位に立つ為、環境に無関心だったが、体の良いバッシング対象として、日本の捕鯨を槍玉に挙げた」「いきなり政府の重要事項になり、当該主張をしていた団体に利便供与した」「複数の国際会議で強硬に主張、流れを反捕鯨で纏め上げた」いう物です。「自然保護の問題全体の大きさに比した、捕鯨問題の割合」「他の捕鯨国との扱いの差」も含め、ここには「自然保護という高邁な理念」と同時に、「様々な負の意識」も強く存在します。
ここで重要な点として、「一般的な鯨・イルカの問題」よりも、「絶滅危惧種の北限のジュゴン」の方が、「自然保護の問題」「生物種の希少性と存続の問題」から見て、遥かに重要な問題であるのは言うまでもありません。更に「知的生物の問題」が発生し、これは「知能や愛嬌などの度合いは、鯨・イルカがジュゴンより、明白に上という事は無い」ですし、ジュゴンの方が上と捉える事もできます。「生物種保護の優先順位の考慮要素」は、こういった「希少性」「知的生物」などの観点に拠るというのは、「全ての自然保護運動・団体の活動理念」に見られるでしょう。
しかし「海洋哺乳類・海獣類の鯨類の生命や、生物としての尊厳の問題」を声を大にして主張するのに、同じ「海洋哺乳類・海獣類」であり、更には「希少種という概念以上の危機に瀕する絶滅危惧種」「公式には3頭しかいない」という特別に重要な要素を持つ、「北限のジュゴンの危機問題」を完全に黙殺するアメリカなどの態度は、「自己の立場・主張ばかりを絶対的とする、完全な二重基準(ダブルスタンダード)・ご都合主義・偽善」であり、「自然保護・生物種保護という概念に対する根源的な欺瞞・裏切りと、環境重視・道義性優位のイメージングを利用した詭弁」に過ぎません。米政府は「捕鯨は非人道的・残酷・自然保護に反する」と言いますが、対極的に、何故「絶滅寸前のジュゴンの生存環境への過酷な破壊行為は問題が無い、無視するべき」なのでしょうか。アメリカはこういった行為を、アメリカ本土やヨーロッパで行うでしょうか。そして「銃所持」「レジャーとしての狩猟文化」を放置・称揚しているのに、殊更「捕鯨」を問題視して、しかし「ジュゴン絶滅は問題しない」のは、其々が極端に矛盾しています。ここに「まともな論理的理由」など存在はせず、米政府は徹底して説明を回避して、無視と詭弁を続けるのみでしょう。
こういった「欺瞞的態度」は方々で見られるものであり、「全ての正誤の基準や、世界中の事象の価値判断は、自分らが定めるという、超大国の典型的な傲慢な姿勢」以外の何物でもないです。「捕鯨問題」は「モラル的に米・欧米は上位で、日本・アジアは下位とする、格差固定の意図」「日本叩きの道具」であり、「ジュゴン問題」は「自己利益にならないから無視」というのが潜在意図にありますが、「日米間の問題で、アメリカは自国が世界中に批判されることは無いと考えている」ので、少々の批判をやり過ごせると考えています。このような「全ての正誤の基準を決める覇者」という立場と、その「基準制定・主張・実施の恣意的運用」を駆使て、特に従属国のような国に対しては、強大な権限を振るい続けています。
「正誤の基準や価値基準の判断」を行い、それを世界中に公然と主張するのであれば、出来得る限り「常に何事でもぶれなく揺るがない、透徹した姿勢を貫くべき」ですが、であれば「その論は正当性を有する」「自らの信ずる論を述べるべき」のです。しかし全くそんな態度は伺えず、単なる「絶対的地位の保全」「自文化中心主義」の言動を繰り返しているのみで、その影で「弱者たるジュゴンが絶滅に瀕するという自然破壊の状況」が進行しています。そして日本を軽視するだけならまだしも、「アメリカ政府には、沖縄のジュゴンを絶滅させる権利はない」「自然保護を語る資格も無い」のであって、自らの道義的問題を深刻に考えるべきです。
南西諸島には、独特な生態系があり、豊かな自然環境が存在します。日本政府は「奄美・琉球」を「世界自然遺産」に登録しようとしていて、現在暫定リストに登録されています。その範囲は、沖縄本島では北部「やんばる(山原)」地域の「東村」「大宜味村」「国頭村」が決まっています。この地域は本島では残り少なくなってきた、美しい自然がよく残っている地域です。
しかし「やんばるの山と辺野古沿岸域は近距離にあり、同一のエリアといっていい。外来種が侵入すれば、生態系への影響は計り知れない。自然遺産登録の手続きとしてIUCNによる現地調査がある。IUCNは過去にノグチゲラ、ヤンバルクイナと生息地の保全、辺野古のジュゴン保護を求める勧告を出している。基地建設のための公有水面埋め立てを調査団がどう判断するだろうか」「埋め立てて基地を造ることが、公有水面埋立法でいう"国土利用上適切かつ合理的"に当たるのか。大いに疑問だ」「辺野古沖は県の環境指針で厳正に保護する"ランク1"に指定されている」「承認ありきで自ら作った環境指針を否定する。何のための指針か(沖縄タイムス)」という状況があります。
「日本政府や沖縄県知事の言動と施策の差は完全な欺瞞」であり、「世界自然遺産」「公有水面埋立法の国土利用上適切かつ合理的との条項」「県の環境指針で厳正に保護するランク1の指定」などの精神に、完全に逸脱しています。「自然保護が大事で、それをしっかりやっている」などと言ったり、ポーズをしながら、それは常なる所業に反する詭弁にしか過ぎません。「類稀な環境を破壊する暴挙」を犯そうとしながら、もう片方の口で「自然環境をしっかり保護している」と言うのは、あまりに醜過ぎます。
世界遺産「奄美・琉球」に登録申請した各地域には素晴らしい自然がありますが、更に「辺野古・大浦湾」には類稀なる自然環境・生態系があるのであって、「より高度な自然環境・生態系がある地域を何故外すのか、合理的理由が存在しない」「何故この両地域に、登録される地と登録されない地の差が出るのか、論理的説明がない」です。そして客観的に考えれば、他の場所との根拠の比較考量で考えれば、「辺野古と大浦湾は基地問題がなければ世界遺産に登録申請されていたのは間違いない」です。
しかし日本政府の「環境相」は、国会において、「政府が目指す沖縄本島北部を含む"奄美・琉球"の世界自然遺産の登録に名護市辺野古沿岸海域や大浦湾を追加する可能性について」の質問に対して、「ユネスコのルールにのっとって、守るべきものがいないところを政治的な問題として後から加えることは環境省として考えていない」と述べました。「日本の環境保護を統括する立場である環境省の最高責任者」の環境相の発言であり、これは完全な論拠が無い暴言で、「如何に日本政府が自然保護に全く関心が無いか」「自然破壊を繰り返しているか」という事を如実に表しています。
拠って「日本政府は辺野古・大浦湾を、世界遺産"奄美・琉球"の登録地域に申請すべき」「キャンプシュワブ基地を撤廃して、自然に戻すべき」です。若しくは「自分達や支持者は、自然環境の重要性など歯牙にもかけない立場であり、拠って、世界遺産"奄美・琉球"の登録申請を取り下げる」と、開き直って宣言したらよいでしょう。
今後「深刻な環境・霊場・遺跡などの破壊」「軍事基地による犯罪やマイナスイメージ増加と、深刻な低波動の蔓延」「基地撤退後の、破壊のみが残る状況」という愚行を犯すよりも、この「環境・遺産・精神・波動などの共存的・修復的手法」を採る方が、長い目で見た地元利益にも適うのは明白です。
キャンプシュワブ基地が拡張されれば、これらの環境に更なる破壊と壊滅的打撃を与えるのは必至であり、「世界的にも稀に見るほど豊かな自然環境と、往古よりの聖地であった沖縄三大霊場と、古代日本の鍵を握るゴホウラ貝製品工場が存在する大又遺跡など辺野古の古代遺跡群が、アメリカの軍事基地により破壊される」のです。
辺野古のみならず、他の米軍基地・基地跡についても、若し維持・開発するにしても、「自然環境・遺跡・聖地・文化に重々配慮して出来得る限り保存を図る」「環境の破壊や汚染は行わない」のは当然です。しかしこういった道義上問題は、常に蔑ろにされてきました。
必要だというなら、何故「隠蔽・捏造・詭弁・糊塗や利権配分・汚職など、非道徳的手法を駆使してごり押しする」のでしょう。正々堂々と全ての考慮材料を公開して、議論を尽くして、論を訴えるべきです。そのような事を行うのは、動機にやましい部分・不純な部分があったり、理の部分では劣後していると考えているからでしょう。それは波動原理の上からも、そのように考えられ、これは低波動その物の行動原理です。
ここ数年のアンケート調査では毎回、沖縄県民と名護市民の過半数が「普天間基地の県内移設反対」の意見を表明しています。反対意見は概ね「3分の2(66%)程度~8割以上」です。「オスプレイの配備」にも、大多数が反対しています。
「アメリカ政府・米軍」と「日本政府」はごり押しをしていますが、殆どの「地元自治体の首長・議会」が反対であり、「沖縄県議会」「名護市長」「名護市議会」ともに反対意見を貫き、「沖縄県知事」だけが「基地建設の埋め立て申請を承認」をしています。移設反対の名護市長が再選された平成二十六年(2014)1月、その直後の沖縄県内全41市町村長へのアンケートでは、34人から回答を得て、「全首長の約6割にあたる24人が名護市の民意を尊重し、辺野古移設計画を断念すべきだと回答」「27人が県外・国外への移設を回答」「3人は回答しないと回答」「4人は出張などで回答不可能」いう結果でした。
このような地元の県・市の住民・自治体の過半数の反対の声を全く無視して、権力と暴力を盾に、強圧的に軍事基地建設を強行する権利が、アメリカと日本国にはあると思っているのでしょうか。それほどまでに、豊かな自然や様々な遺産をぶち壊しても良いほどに、彼らは自分達が偉いとでも考えているのでしょうか。「アメリカという国家と日本政府は、沖縄が反対している沖縄への過酷な破壊を、反対論を徹底無視して、権威主義的に押し切って強行する権利がある」「それほど自分らは偉く、優位であり、相手より遥かに上位に位置している」、彼らがそう考えていないと、こういった行為はできない筈で、故に彼らはこのように考えていると言えます。
「地元の県・市でのアンケート・選挙結果は、常に基地移設反対の声が大多数なのに、日本政府とアメリカ政府はそれを無視して、他国の軍事基地建設をごり押ししている」「常に自分達の利益や、世界的な権力構造での有利になる事しか考えてのであり、こんな事は他の先進国では有り得ず、これら問題には「国内外の格差構造が齎す、極端な不正義・愚行」が集約されています。
・&color(white,black){沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧}
沖縄は、明治五年(1872)~明治十二年(1879)の「琉球処分」で、近代日本国家の体制化に組み込まれました。明治時代以降、政府は各地の土着の祭祀信仰・文化に対して介入を行い、沖縄では様々な抑圧がされました。一般レベルでは、多くの場合で、琉球民族や文化・祭祀は二級扱いを受けるなどして、弾圧もありました。一説に「沖縄のノロなどが持っていた勾玉は、政府による弾圧により散逸、本土の古物商などに売られるなどした」と言います。
沖縄有数の聖域の「首里城」では、明治維新後に日本の体制側の施策により軍営や学校となってしまいました。戦前に一部修復された物の、第二次世界大戦の「沖縄戦」で大規模に破壊され、残りも米軍に略奪されました。戦後も修復はされず、琉球大学が設置されました。後に徐々に修復がされ始め、かなり修復されてきたのはつい最近の事です。当然首里城だけでなく、沖縄では各所に「明治維新後・戦中・戦後の、日本の体制側と米国・米軍による、聖域への破壊・放置行為」が見られます。
これが「日本本土の有数の聖域」だったらどうでしょうか。それらの地は、明治維新後と戦後、日本の体制側が首里城に行った行為と、同様の行為に遭う事は決してありませんでした。アイヌ民族の項にあるように、「日本本土の聖地たる場所」では「無闇な開発は許されなく、重要な整地とされる多数の場所を開発しようとすれば、徹底的に弾劾・攻撃される」という状況があり、「有名な○○神社・○○陵・著名な霊山・著名な遺跡」などの域内・境内・隣接地が、大規模に破壊される事は決してありません。この著しい差別と不正義は何なのでしょうか。これらは、沖縄とアイヌの地で繰り返されてきた差別と不正義の氷山の一角です。
「沖縄戦」では、日本軍と米軍との間の「鉄の暴風」と呼ばれた苛烈な戦闘で、沖縄人の4人に1人の18万人が死亡しました。日本政府は沖縄を「捨石」として利用しました。米軍の「焦土作戦」により、多くの地域が破壊され、特に沖縄本島中南部は以前の状態を残した場所が殆どありませんでした。「御嶽・拝所・神社等の聖地」も、多くが戦災に遭いました。
戦後はアメリカが沖縄を占領しました。昭和四七年(1972)の沖縄の本土復帰まで、名目上の「自治」がありましたが、実際はアメリカの意思通りに政策は行われました。知事にあたる行政主席は、米軍の琉球軍司令官が勤める高等弁務官が任命、議会の議決は弁務官の指令書一つで覆されました。ある弁務官は「沖縄に自治があるなんて神話だ」と言いました。沖縄で起こった、米軍などによる暴行・略奪ほかの不正義は、その殆どは本土では報道されませんでした。
米軍は「銃剣とブルドーザーによる土地接収」と呼ばれるやり方で住民を追い出し、特に土地利用のしやすい地域を中心に、多くの土地を軍用地として強制収奪、家屋を次々となぎ倒して基地建設を進めました。その為、現在まで「米軍基地の占有面積/県面積」「米軍人・軍属・家族の人口/自治体の人口」が、世界中でも日本中でも、突出して大きな割合を占めています。「2010年度の米国防総省の発表では、151カ国に米軍が駐留し、このうち118カ国は駐留50人以下」「日本は世界最大の米軍駐留国で、沖縄には日本全体の64%を占める2万6500人が駐留、日本の米軍基地面積は74%が沖縄に集中する」となっています。沖縄ではこの戦争と基地造成の過程で、非常に多くの豊かな自然や神域・遺跡が、破壊されてしまいました。
ここ数年のアンケート結果の一つとして、以下のものが報告されました(複数のアンケートから)。
・アイデンティティーの基本構造について、「自分は沖縄人」は40%、「日本人である」は21%、「沖縄人で日本人」は36%。
・今後の日本における沖縄の立場(状況)について、「現行通り日本の一地域(県)」は61・8%、「特別区(自治州など)」は15・3%、「独立」は4・7%。
・沖縄の米軍基地について、「縮小」「撤去」が65・9%、「現状維持」「増設」は不明。
(独立派の割合がもっと高いアンケートもある)
沖縄では公共事業の乱開発で自然破壊された場所も非常に多く、現在も「泡瀬干潟(沖縄県沖縄市)」など各所で開発は進み、沖縄本島では自然海岸は少なくなっています。
米軍について、「海外の駐留米兵・軍属の犯罪率は、在日の米兵・軍属・家族が、在他国に比して突出して高い」「中でも・在沖の犯罪率が突出している」「起訴率が非常に低い」「特に起訴率が低い県では、余程の重犯罪でないと起訴されず、殆どが無罪放免される」「軍法会議にかけられる事例は僅か」という状況があります。これは「完全に不平等な国際的地位」「日米間の地位格差」「米側の人種観の現れ」であり、それ以外に全く解釈の仕様がありません。
「米兵の公務外の事件・事故の賠償金は、兵士に支払う義務がある」「賠償能力がない場合、被害者は防衛局を通じて米軍に支払い請求する」「米軍は独自の査定を行い、見舞金という形で払う」「見舞金で払わなかった差額は、日本政府が払う」となっていますが、「公務で無罪になった事例と、公務外だが日本の法務省が裁判権を行使しないとした事例が、非常に多数に上る」という状況があります。「性犯罪の起訴率は軍全体は68%、在日米軍は24%で懲役刑は殆ど無い」「被疑者が無罪や懲役刑となった以外は、加害者に罰金・降格・外出禁止・除隊・文書注意などの処分が下される」という状況です。
更には「裁判権などが不平等」「家族の起こした事件は米側が賠償しない」「賠償自体があまり行われない」「米側が起訴・不起訴対象者の情報を情報を収集していない」などの状況があります。水面下には更に多くの事件・事故がありますが、その多くは隠蔽されています。「米軍関係の飛行機・車両・装備による事故」は、米軍は被害を殆ど認めず、自衛隊も「米軍がそう言ってる」として追従します。「子供の犯罪・軽犯罪は野放しに近い」という状況があり、警察に言っても諦めてくれと言われる事が多いと言われます。
「軍用機の爆音による騒音問題」は、ごく普通の日常の生活さえも阻害しています。「米軍は米本土では低空飛行訓練など、危険な訓練を住宅地上空で行っていない」のですが、日本では各地で行っています。日本上空に「非常に広域の米軍用空域」がありますが、「協定違反の空域での飛行」は茶飯事であり、抗議をしても馬耳東風です。基地の存在は、防災と避難路の確保の上での障害ともなっています。
「米軍基地内外の汚染」は、不平等協定である「日米地位協定」に「汚染の原状回復義務が無い」ので、汚染が発覚しても無視し、日本政府が除染しています。また「環境調査」も許さないので、日本国土にも拘らず、そもそも基地内の汚染状況は不明です。
長年にわたり、各基地では「有害物質の投機」が横行、基地外部での投棄も横行していて、環境基準を大幅に超える猛毒物質で各地が汚染されています。米軍は沖縄の米軍基地外(屋外)において「生物兵器の散布実験」「非核三原則に反する核持ち込みと核被爆事故」「那覇港の海底土砂は、コバルトなどの投棄で日本最悪の汚染度」という環境汚染を起こしました。琉球八社の「普天間宮」のすぐ裏側では、米軍が廃棄したと思われるドラム缶十数本が見つかりましたが、日米地位協定で未調査の状態が続いています。
枯葉剤は「基地内の歩道の雑草が邪魔だから」などという安易な理由で定期的に大量散布され、更に大量投棄により、ダイオキシン類が各地で見つかっていて、米軍基地周辺の珊瑚礁が壊滅的なのはこの影響だとも言います。「枯れ葉剤の主要成分を含む30ガロンのドラム缶が多数発見された」「検出されたダイオキシン類は水質基準値の280倍、土壌基準値の8・4倍」という件で、「ベトナム戦当時に貯蔵していた55ガロン容量とは異なる」との理屈で「枯れ葉剤の可能性は考えにくい」と米軍は説明、しかし米軍兵の行ったという証言があり、被害を受けた米軍兵が各地で当局に賠償を求めています。しかし「アメリカ本国では沖縄戦にしか軍役しなかった人達の枯葉剤の後遺症を保障で認めている」「沖縄には枯葉剤は一切持ち込んでいないとの公式発表をしている」「ベトナム戦争時の物資は全て沖縄経由で持ち込んでいるが、枯葉剤だけは別だったとしている」「日本政府はアメリカの説明に追従するのみで、全く調査しようとしない」という状況があり、米国と日本の隠蔽体質と日本と沖縄への軽視により、これら事実を殆ど認めようとしません。
世界屈指の亜熱帯林が広がる北部「山原(やんばる)地方」の「高江の森(沖縄県東村)」では、絶滅危惧種が複数見つかっていますが、米軍のヘリパッドが建設されています。こういった「森林や海域の重大な破壊」は、辺野古や高江だけでなく、占領当時から各地で発生していて、そこに更に「汚染物の大量投機」が重なって、被害を深刻化させています。
沖縄の米軍基地では、上述のような環境・遺跡の破壊の事例は、数え切れないほど存在します。「沖縄のロゼッタストーン」は「沖縄本島などで出土した線刻石版」で、年代や製作者集団は不明です。沖縄の歴史を語る上で決して外せなく、その不思議さは、ある種のオーパーツとも思える物があります。しかし北谷地方では、「北谷基地」の建設前は100個以上あったとも言われましたが、建設後は2つしか残っていませんでした。当然、基地内の遺跡探査はできませんし、もう既に破壊された遺構・遺物は多数になるでしょう。同様に、基地建設で既に破壊された事例は非常に多数に上るでしょうし、米軍は遺跡探査などする気もありません。基地内においては、遺跡はただ破壊を免れている事を望むのみです。
地位協定により、日本政府の各種の費用負担と便宜供与を行っていて、それを当たり前の事として利用しています。「夏の外出時は、クーラーを付けっ放しにしていく」「日本の小中学校ではエアコン整備立は数%だが、米軍基地内の学校は100%」というのも、その一端に過ぎません。
他にも「条約や法律に基づかない独断行為」「非道義的行為」が多数に上ります。「法律・協定・不文律・道徳上義務・約束などの反故」は著しく、これらは全て「制度的暴力と差別・格差・思い上がり」による物です。
「アメリカ側の思惑として、何故こういった状況を続けるのか」、その大きな要因に「世界的な権力構造やパワープレゼンスの維持」「歴史的正当性」という観念があります。こういった状況を続けていないと「覇権国家たるアメリカ」を維持できなく、「日本という都合の良い従属国・ポチ・財布」を利用して、その地位を維持しようとしています。また、従属国に対して「地位協定や諸々の状況を改善する」というのは、特段やる動機はなく、「既得権益・当然の権利の譲歩」であるので拒否します。そもそも「非常に優先順位・重要性の低い事項」に過ぎなく、「時々褒めてやったり、脅したり、すかしたりをすれば、問題は先延ばしされて有耶無耶になるし、連中は尻尾を振って付いてくる」といった程度でしょう。これらは「第二次大戦の戦勝国としての、世界構造の覇権国としての当然の行動」「従属国はそれに従うべき」であって、こういった観念が「世界の警察官」という自画像を醸成しています。要するにこれらは「世界構造や従属国に対する最上位の地位保全の方策」という事です。
「米国や欧州で、辺野古のような地に軍事基地を建設するのは絶対不可能」で、やろうとすれば全方面から底的に弾劾されます。もとより「県民や市民の意見を押し切って、欧米以外の国の軍事基地を欧米に建設する」という事からして有り得ません。しかも「世界支配の為に、他の候補地を拒否し、外国のそのような地に建設を強要する」という行為であり、この格差も著しく卑怯です。そもそも普天間基地移設問題の本格化は婦女暴行事件が発端であり、それがこんな「破壊性・暴力性の新たなる押し付け」という結末になることは、あまりに矛盾に満ちていて、正義がどこにも存在しなく、非道の行為です。
これら全ての基地問題は「欧州などに駐留する基地・兵隊・軍属の問題」の場合なら、現代の欧米の世界支配構造の下、世界中で大問題として頻繁に報道されて、早期に是正されてゆくでしょうが、これは「日本・アジアの問題」なので全く報道されずに、完全に放置されたままです。
しかし「日本政府は日米地位協定を改定する能動的な気構えはない」です。また日本の体制による「よりましな候補地選定・基地縮小・地位協定の能動的改定などの否定・忌避」は、彼らには当事者意識・能力が著しく欠けている事を示します。
これは他の対米問題の対応と同様で、大問題が起きたり、都合が良い時(基地移設の承諾など)だけ、お為ごかしの部分改定の日米合意が行われるのみです。最近の米政府による世界中の政府への盗聴事件でも、各国が厳しい抗議や対応をしたのに対にして、日本政府だけが唯一「まともな抗議をしない」という対応を見せました。このように米軍基地と米兵・軍属・家族と、日本国内の米国の機関は、半ば「治外法権」にあり、日本は完全に「従属国」となっています。
本より、沖縄の本土復帰時点の「沖縄返還協定」「核抜き本土並み」など日米間の協定・約束事が、全くの嘘だった事は、当時から公然の事実でした。米軍による様々な犯罪・不祥事・非道徳的行為を、不公正な手法で隠蔽してきただけであり、最初から日米の政府に公平性はなく、延々と非正義による蹂躙ばかりを行ってきました。
そして「日本の体制側は、こういった対米関係・国際的地位格差に、疑問さえ持たずに隷属している」のであって、彼らの「下位構造の沖縄」「内部的に下位構造に格差を受け入れさせる権威主義」と、「上位構造の米国」「外部権威からの絶対的格差を受け入れる隷属性」は、「表裏一体の権威主義・従属思考の二重基準」「強きに従い、弱きをくじく」という思考法を示しています。
ある防衛大臣は辞任直前に「軍事戦略的には何も沖縄でなくてもいい」「政治的に一番適切な場所」と述べました。ここで見えるのは、推進の理由の一つに「体面」があって、「何度も"やる"と言い続けてきたので、引っ込みが付かなくなっている」という状況です。凡そ政界・官界の中枢の在り様とは、この程度の「内部と外部の権威と無謬性の妄信」「事勿れ主義」「付和雷同」「自己保身」と「その競い合い」に覆われた物に過ぎません。ここに個々の政治家・官僚などが持つ「理想」「公平性」などの視点は入る余地が無いというのが、この「硬直した政治・社会構造」の際立った特徴です。
また「財政力指数0.3未満の県において、沖縄県の国への依存財源は一人当たり31.5万円の全国18位(2011年度)で、類似10県平均の41.2万円を下回っている」=「低所得の県の平均的な国財源への依存度より低い」という状況にあり、事実関係として「国への集り」などの論は成立しません。「沖縄への米軍基地負担押し付けの強硬な推進派」には「沖縄の反対論は集り」とする論が多く存在します。しかしこのクラスターには「公共事業や恣意的な箇所付け等の乱発による、国財源の私的な利権化、集り構造の構築、国・社会構造の低質化」については肯定論が多いという様相があり、勿論、その最たる物の「原子力」については、全く批判などしません。他にも「恣意的な二重基準の押し付け」がやたらと目立ちますが、ここには低質の意識に塗れた状況が存在します。
沖縄では「観光業」が主要産業で、現在は米軍基地の経済効果は低く、返還されれば多様な効果が期待できます。更には「2001年アフガン紛争では、米軍基地への襲撃を恐れて、沖縄を訪れる観光客が急減した」という状況がありました。平時でも「安らぎ」を求めに来るのに、対極の軍事など邪魔なだけでしょう。
「人間はこの地球で暴虐の限りを尽くしている」という状況がありますが、その「極性の刃が向けられている地域」というのが幾つかあって、「環境の破壊・汚染、戦争・軍事、国内格差・国際的地位格差・人種間格差、物質至上主義・金銭至上主義・など、各種の暴力が集約されて沖縄と辺野古に向けられている」と言えます。
・&color(white,black){沖縄問題への誤った対処}
沖縄での米軍の存在は、主に「中国による領土・海洋境界の主張・行動」「中国の一部の沖縄への領土主張と沖縄独立論」「日本への揺さぶりとしての、琉球は清王朝に服属し、後に日本が奪い、元は中国領土だったとする論」の為だとされます。実際に中国の体制側の「他国の水準や国際的基準との比較時の、主張・行動原理の極端な乖離・非対称性」「個別事案と2国間・多国間関係の変遷ごとに、主張の根拠を頻繁に変える事」「あらゆる手段を用いた主張・利益の最大化」「国内外に対しての攻撃的・威嚇的な言動」は非常に問題です。
例えば「中国・ベトナム間のトンキン湾における境界画定」では、「ベトナムは大陸棚の権利を主張」「中国は中間線を主張」、中間線を基本に決着しています。国際法は等距離・中間線を基本原則としています。ベトナムは中越戦争やその後の経緯や、人口・面積とも中国に比べ小さい事から、当初の主張は止む無しと言えます。しかし「日中の海洋境界」では「日本は日中中間線を主張」「中国は大陸棚の延長を主張」しています。太平洋の「沖ノ鳥島」は、満潮時に海面上に出ていて、「日本は島と主張(排他的経済水域・EEZが発生)」「中国は岩と主張(EEZが発生しない)」です。しかし南シナ海の「赤瓜礁」では、満潮時に海面上に出ているか不明ですが(ベトナムは満潮時に海中に没すると報道)、「中国が海戦でベトナムから奪取した後に、島と主張し、領有宣言して、巨大な建築物を構築した」という状況にあり、しかし沖ノ鳥島での中国の主張に沿えば、少なくとも岩以下の赤瓜礁は領土足りえません。
南シナ海における「九段線」について、中国は「南シナ海での中国の権利と国益は歴史的に形成され、国際法で保護されている」などと主張します。しかしその根幹の「具体的な歴史的事象と国際法の条項」を説明する事は決してありません。このような二重基準は頻繁に見られ、自国利益にやたらと固執しています。若し日中が逆の主張をしていたならば、中国の反応・対応はいかばかりか、強硬というレベルどころではないでしょう。
しかしそもそも、領土問題を考慮する際に、その前提になる認識論自体がおかしいのが現実です。
ここでは論点明確化の為、「沖縄独立論」は除外しますが、本来「どの人・集団も、自分で自己の在り方を決めるべきで、他人・他集団はできるだけそれを尊重すべき」であって、独立論は「当該集団の多数派が主張するなら有効」です。また「○○は◎◎の領土という主張」「他国の過去(対日の言動の負の部分)」をとかく主張したい訳ではなく、元々近代国家を生んだ分断的思考法には問題があり、いずれ世界に国境は無くなります。しかし、こういった問題・歴史が存在するのは事実で、「沖縄・アイヌへの軽視・不正義と背景の暴力性・破壊性」「辺野古などの環境・遺跡・波動の破壊」という現状・未来を阻止と、更に「人類・社会の誤った思考行動原理の背景」を改善するには、最も妥当な選択と、その為の具体的考察が必要であり、その意味で記述します。
軍事と言うのは、若し軍備増強をしても、相手側も増強するだけで、環境も精神も破壊して、互いに疲弊するだけで、全く無益であり、ここに解決法はありません。しかし「言語・文化などを中心とした、古代の土地の基層」を領土主張の根拠とするならば、これに反駁するのは非常に困難です。再反論として無理筋の主張をすれば、後々に自分に跳ね返ってきて、他の事象・主張においても、自らの存在基盤・論理的基盤を益々危うくするだけです。
また先述のように、主張・論述に際しては「主張という物は、自分達に有利だろうが不利だろうが、高い論理的一貫性が必要である」「自分達に有利だから不利だからという基準で、主張・持論の論拠を二転三転するのは誤りであり、その論拠の無意味さを示す」という、一般論としての前提が存在します。
「領土問題の解決」には「世界の多数が認める道義的な判断・解決法」「国際法・国際慣習法」が尊重されます。具体的には「ある地域がどの国の領土か判別するには、その地域の住民(特に先住民族)の帰属意識と、言語・文化・歴史・DNA(人種)という観点・証明が必須である」「この比較考量による"どちらにより理があるか"の判別で決する」と言えます。そして「本来的な土地の居住・占有・帰属の意味合い」からすれば、「その土地をどの集団がどう利用してきたか(呼称・文化も含む)」というのが重要です(より根源的には「地球上の全ての土地は全地球人の共有物」です)。
これらの点では、言語・祭祀・DNAを中心に、明白に「沖縄を日本領土とする論拠が大多数」です。言語は「琉球方言は日本語(族)」「文字は日本語」であり、これは日本固有の状況であり、「中国語由来の言葉」もありますが、全体数から見ると少数です。祭祀は「琉球神道も神道も起源が同一」「沖縄には、巫女教時代の古神道が残っている」「祭祀文化に符合が多い」、これは日本固有の状況です。神道の神社を建て始めたのは、琉球王朝です。これら祭祀は、沖縄における社会的位置付けを考えると、沖縄の歴史的文化の中枢に位置する事象です。「本土の縄文遺跡・弥生遺跡・古墳時代の遺跡の遺物と、同時代の沖縄の遺物は、多くが一致する」のも、日本固有の状況です。「古書に見える沖縄県の地名の記載」も、日本の奈良時代の物に複数見られ、12~13世紀以降に度々登場します。DNA的に「琉球民族は縄文人が祖(又は縄文人と同系統集団が祖)」で、これは「アイヌ民族」「大和民族」と同じであり、また中世以後に本土の人々が沖縄に多数流入、これらも日本固有の状況です。
そして「帰属意識」でいうと、「自分を沖縄人と捉える人」が多いですが、「自分を日本人か、沖縄人であり日本人と捉える人」も多いです。「中国に対しての帰属意識を持つ人」は、ほぼ皆無です。
しかし、歴史・文化の観点においては「沖縄の明・清への朝貢(日本と両属)」「中国の文化・言葉・法律などの歴史的流入」といったように、中国からの影響を多大に受けました。三山時代以降、特に琉球王国時代には、中国(明・清)文化が多く流入し、上流階層や国家制度を中心に大きな影響を与えました。ただ、古来中国文化は高い次元にあって、日本も含めて、周辺国・地域はどこも強い影響を受けてきたので、それだけで「中国に属する」と論じるのは不可能です。検討には、その度合い・内容が重要です。
本土日本の文化も、先述のように古代は勿論の事、中世以後にも沖縄に流入、上流階層や国家制度に大きな影響を与えています。「平仮名」の導入により、文章は琉球方言と日本語を取り混ぜて記述されていました。「漢詩」も詠まれましたが、それ以上に「和歌」や「琉歌」が詠まれていました。「琉球方言の中の中国由来の言葉」は、基本的に琉球王国時代に渡来した言葉が多いと思われ、「古層(祭祀など)に位置する本土日本と南西諸島の言葉ほど類似性が高い」という傾向が見られます。また、そもそも「日本語・琉球方言」と「中国語」は、別系統の言語です。
拠って、実質的根拠は「朝貢関係」だけで、これも以下により否定されます。慶長十四年(1609)以後は「日本と明・清への両属」の関係にあり、「明・清だけへの朝貢」はそれ以前の時代で、これは遥か昔です。「過去に中国の歴代王朝に朝貢していた国は多い」「モンゴル民族の元王朝の中国(中原)支配」「満州民族の清王朝の中国(中原)支配(歴史的に異国とされてきた万里の長城北方の民族の王朝)」などがあり、「どこが中国領で、どこが中国領でなくて、(中国も含めて)どこが他国・他民族領か」という区分の根拠は曖昧です。朝貢関係だけでの領有主張は不可能で、これが通ると「中国はモンゴル領」になります。そして「ある民族集団を中国人であるとする論拠とは何か」「何故、他国・他地域には領土主張をしないのか」という根本的問題があり、これら事実に整合性はなく、認識の恣意性が問題です。これらは「沖縄が日本領でないという論拠よりも、中国国内の少数民族地域が中国領でないという論拠の方が遥かに多い」と示します(少数民族居住地が中国領かどうかを判断する物でなく、比較により、沖縄領有論に理が無い事が論証されるという意味)。
これらを比較考量すると、「古代:沖縄⇔日本の関係性・文化流入の方が多い」「中世・近代初頭(江戸時代初頭まで):沖縄⇔日本、沖縄⇔中国の関係性・文化流入は同程度か(詳細な考慮ではない)」「近代初頭以後(江戸時代初頭以後):沖縄⇔日本の関係性・文化流入の方が多い」「沖縄と本土日本の関係性は、沖縄と中国の関係性よりも、一般的に古層に位置する」「沖縄と本土日本の関係性・文化流入の方が、かなり総量が多い」と言えます。そして非常に重要な点として、「沖縄と中国」の例に比して、「沖縄と本土日本の関係性・文化流入は、双方向的である」「沖縄と本土日本の、相互の共通性は高い」という事が挙げられます。これは古代は勿論の事、江戸時代以降にも双方向性は高まり、近年は更に多様な関係になっています。勿論、当サイトに記述しているように、その様相には非常に誤った点は多々ありますが、これは対中国との関係性では全く見られない点です。これは「同一の文化圏」たる根源的な傍証の一つであり、更に先述の「言語・祭祀・遺跡の状況・DNA」を鑑みれば、「沖縄が日本文化圏に属する」ことは明白です。
沖縄と本土の「沖縄の歴史・考古・伝統などに詳しい識者」は、その誰もが「古代や歴史に由来する沖縄と日本本土の各文化の一致点と、沖縄の持つ高い独自性」の双方を強く認識して、研究と報告を行っています。識者は「古来沖縄は広域の日本文化圏にあった」「沖縄には日本の基層・古層が残っている」と認識していて、その中で識者ごとに「どれほどの独自性を見出すか」が異なります。翻って中国の領有主張の根拠は「数百年の朝貢関係」だけという薄弱さで、「沖縄の歴史・考古・伝統などに詳しい沖縄人の識者」は、昔から誰も沖縄が中国に属すると考えていませんでした。実際の歴史によらずに、一部事象を極大視して領有主張をするのは、肥大化した国家・民族意識による身勝手さ故で、荒唐無稽その物です。またこれら「中国の体制側の思考・行動の問題点」は、集団化した際の「権威主義・全体主義」「国粋主義・民族優位主義」などが問題なのであって、これは日本も歴史的に同じであり、特にそれによる災厄を他国に与えたという歴史もあり、どの国・社会・民族・集団も重々気をつけなくてはなりません。
「久場島(くばじま)」は「尖閣諸島(沖縄県石垣市)」に属します。島名の由来は「クバ(ビロウ)」、沖縄では古来、本土でも古代に神聖視された木で、島の南側に「クバの木」が広ります。先島諸島の島民に「クバシマ」、八重山列島では「チールージマ(黄色い島)」とも呼ばれ、琉球王国の文書に「黄尾嶼」とあります。「尖閣諸島」を、20世紀初頭の八重山の古老は「イーグン・クバ島」、明治時代に沖縄県人は「ユクン・クバ」と呼びました。「与那国島(沖縄県与那国町)」では、クバの葉を採る為に尖閣諸島へ行く人が多くいました。大正十二年の「与那国島図誌」に、「与那国島」の「スユリギ(豊年祭や字祭りなどで唱えるユンタ)」が載っていて、「ニシマジマワタリミリ クバシマニツタイイキ ミヤラビバミカギヨウリ・・・」とあり、日本語訳は「北の島へと渡ってみ、クバの島へと渡って行き 島のみやらび(乙女)を娶れば・・・」です。「与那国島」の北方(正確には北東)には「尖閣諸島」しかなく、海流に乗れば自然に「尖閣諸島」付近も通る事になります。16世紀の明王朝時代の複数の地図に、「尖閣諸島」が「北山」と記されてると言います。しかし「八重山列島」の古名に「北木山」があり、この語源は不明です。
「尖閣諸島問題」においては、従来あまり語られていなかった重要な問題として、「日本の江戸時代以前・中国の明王朝時代以前の時期に、日本人(八重山列島の特に与那国島)や中国人は、尖閣諸島を知っていたか、どのように利用していたか、どう呼んでいたか」という点があります。これについては、後述のように、琉球王国・日本・中国ともに、尖閣諸島の存在は知っていました。しかし「明王朝時代の北山などの表記は、八重山列島の人の知識を基にした記述の可能性がある」と言えます。また「海禁政策で中国人は島を利用できる状況になかった(基本的に琉球とは交易のみ)」と言えます。しかし「日本や琉球王国の黄尾嶼・赤尾嶼などの島名表記は、中国名に準拠した物」です。
他の「尖閣諸島への日本と中国の領有権主張」には、「双方の言い分ともに、ある程度以上の論拠が存在する」「双方ともに、不利な事実を複数抱える」と言えます。例えば「日本側」:「日本が先に領有権主張した」「中国が領土主張を長年せず、新聞・地図・要人・政府機関の発言・記述などで日本領としていた」「中国の明・清時代の古地図などに、明確に自国領土と記した物が一つも無い」、「中国側」:「中国の明・清時代の複数の地図に尖閣諸島の記載がある」「日本の江戸時代の地図に一つしか記載が無い」が挙げられます。日本(領有主張する前)や琉球王国や・明・清は、何れも「尖閣諸島を版図とした認識や地図を持っていたと証明する証拠が存在しない」です。。
以下においては「尖閣諸島問題の領有権問題の部分」については除外して、それ以外の「沖縄問題」について考察・記載します(領有権論争以外の双方の言動は考慮)。
いずれにしろ「世界的な意識の"量子的飛躍"が起きて、世界が現在と比較にならぬ高みに向けて前進しだし、人間関係・社会・国際関係に共有思考が広まり、それを以って尖閣諸島問題・竹島問題や、数々の国際間・人種間の紛争が消滅・解決していく」というのは間違いなく、衝突を拡大するような行動を殊更行う必要はありません。こういった全ての問題は、そのうち「世界的な意識の量子的飛躍」が解決してくれるので、基本的には寛容に・鷹揚に構えているのが良いです。
本題に戻り、ここで論説の際に重要になるのが、先述の「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」の各事象です。そして「古代の・古来の遺跡・遺物・祭祀信仰・伝承・言葉」などが、「その関係性を立証する証拠」となります。繰り返しですが、現在の「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」への一般的認識は深くはなく、それが沖縄などへの軽視を生んでいます。然しこれは歴史的事実がきちんと認識されていないからであって、「古代日本や邪馬台国など、日本と沖縄の歴史的関係性は非常に密接だった」と明確化すれば、その根本の部分が転換する事になります。
そしてこれには、「本土・沖縄の古代遺跡」「沖縄の神歌」などの解明を進めていく事が必要です。そこから真の古代史と日本の実像が判明し、沖縄やアイヌなどの存在への認識の深化へと繋がっていきます。
即ち「これらの解明と認識の一般化こそが、問題の原因の根源的解決への最大の方策」であり、「沖縄への軽視と思い上がり、軍事防衛的観点による基地造営と破壊に対して、これを阻止する最大の論拠」「辺野古の大又遺跡などの古代遺跡群を保護し、真の歴史を解明していく事が、日本と沖縄の自己探求と、領土保全と総合的防衛力の強化を行う事になる」「辺野古・大浦湾の自然環境・伝統・祭祀を継承していく事が、日本と沖縄の基層と、素晴らしさと、波動環境を保全・改善していく事になる」と言えます。ただ「自然環境の保護」「伝統や遺跡などの保護」「地方の尊重」などを訴えても、現実には届いていない物があり、それ故に、このような具体性を持つ主張が必要不可欠でしょう。
しかし現状は「基地建設と地域・自然・遺跡の破壊」が進行・画策されているのであり、これは「歴史的経緯や文化面の根源的論拠の破壊と、生命・精神や、過去~現在の自分達の存在自体の破壊である」「日本本土・琉球の歴史的一体性を示す最有力事象の破壊で、防衛に資する非常に有力な事象の破壊であり、やっている事・黙認は、論拠と精神性の破壊・自殺行為である」のです。然しながら、現状では「権威・金銭・破壊性などの否定的観念」が先走り、特に「遺跡・歴史的意義への視点」は、ごく少数を除きありません。
若し、これほどの貴重な「辺野古・大浦湾の自然・歴史・遺跡・祭祀・波動環境」を、米軍基地建設により破壊されるようになるならば、従来の反対活動とは異なる次元の反対論・反対活動が展開されていくでしょう。このような自然・遺跡があり、「日本本土と琉球の古来からの一体性を明確に示す遺跡」だという点を明確にアピールしていけば、「それの破壊行為こそ、日本の軍事的脆弱化を招く活動」だと認知されてゆくでしょう。
この点は以前には無かった視点の主張であり、とりわけ有力な反対論拠です。このような「豊富な自然環境・歴史遺産の破壊の画策」「そもそも不要な基地の為に、相手国が金を払うからとの理由で、圧倒的な力関係を盾に、米国が日本・沖縄に破壊を強制している」「日本の極端に酷い環境保護精神と、内への傲慢と、外的権威への隷属根性」という事を、国際的な場や国連で訴えれば、各国の有力新聞の意見広告を出せば、各国の自然保護団体と連携すれば、ネット上で強く主張していけば、両国の異常性が世界中に知れ渡っていくでしょう。また「辺野古のジュゴン保護」「日本政府が埋め立て着工を決めた場合、米政府に日本側関係者の米軍施設内への立ち入りを許可しないよう求める」という内容の訴訟を、米・サンフランシスコ連邦地裁に提訴する動きがあり、この判決次第では計画は中止されます。
更には「辺野古・大浦湾の自然・歴史・遺跡・祭祀・波動環境」などによって導き出され・解明されてゆく「古代の日本本土・ヤマト:沖縄・琉球の関係性・位置付け」とは、「それら事実は、どの勢力の自民族中心主義・自文化中心主義・エスノセントリズムをも、否定する物」です。この点は非常に重要な点で、「真理という基軸は、如何なる人・勢力の独善的な思考法をも、無効にする物」であり、「社会の覚醒が起きた後の世には、如何なる"真理と相容れない思考法"も無効になる」のです。
・&color(white,black){アイヌ・沖縄問題に見える国内外の自己優位思想と従属思考}
「北海道などのアイヌ・ニブフ・ウィルタなど民族と、沖縄・琉球民族の歴史的状況」は、過酷でした。アイヌは先住地を追放され、土地を奪われ、聖地を破壊され、文化・言語の継承を阻害されてきました。沖縄は土地を破壊され、収奪され、軍事基地にされて、聖地を破壊されました。その文化・祭祀形態は、明治以降の地域文化を否定し、日本全国を均一化しようとした思想により否定されて、彼らは体制側からは、常に下位構造・二級市民と見做されてきました。
これは、近現代社会に横たわってきた「国内外の地位格差・不正義」「民族集団・地域の重層的な負の関係性」をそのまま現す物で、「日本・日本国の体制側・ヤマト民族‐北海道・アイヌ民族・沖縄・琉球民族」「欧米・白人‐日本・日本国の体制側・ヤマト民族‐北海道・アイヌ民族・沖縄・琉球民族」「欧米・白人‐アジア・モンゴロイド」「征服者‐被征服者」「世界の統治構造の上位集団‐下位集団」という、理不尽な世界の格差構造が存在しています。
そしてこの「前者の集団」は、世界構造の中で権力を持ち、主張の広報手段が豊富で、その思惑を実現させてきました。「後者の集団」は、権力は無く、声は無視され、権利擁護はされず、常に蔑ろにされてきました。こういった「自己優位思想(自民族中心主義・自文化中心主義・エスノセントリズム)」「上位階層が支配する世界構造」は、従来の世界の負の側面でした。
「何故、利益集団のムラ社会があれほどに力が強く、アイヌ・沖縄などの存在の声は小さいのか」について、現代の社会構造は「権力がある集団の勝ち」「声が大きな集団の勝ち」「カネのある集団の勝ち」という仕組みになっています。日本の体制側から見て、沖縄の声は小さく、アイヌの声はそれこそミクロ単位でしょう。現代日本では、声が大きな集団の力で、議員・官僚・財界・マスコミなどがなびき、権力・カネ・利権が差配されて、「原発ムラ」に代表されるような構造が、日本の政官財を牛耳っていますが、アイヌや沖縄にはそんな力はありません。
「アイヌ・沖縄の問題」に対しては、「千島列島・樺太の帰属」の問題では、関係国家による「強者・勝者の論理」「領土の分捕り合戦」の態度が、この醜悪な構造・状況を放置させたままにしてきました。国内では、日本に非常に特徴的な「同調圧力」「寝た子を起こすな」「臭い物に蓋」「本音と建前(ご都合主義と欺瞞性)」、そして「面倒に関わりたくない・関係ない」という感覚によって、「問題自体が存在しない」「意見するのはおかしい」「大した事でない」「蒸し返すな」とい空気が醸成され、これが支配してきました。「議論の土壌が弱い」という悪癖を持つ日本においては、これら問題は「非本質的な諸問題の報道量に比べて、ごくごく僅かな量の報道しかされてこなかった」という扱いを受けてきて、「どうでも良いようなメディア報道・番組が氾濫する中で、特にアイヌ問題が報道される事は、非常に稀な機会しかない」です。
そして「自己側に利する場合は盲目的に肯定、利さない場合は盲目的に否定」「極端な権威主義と隷属思考」という様式が横行するネット掲示板・ブログなどでは、「沖縄・アイヌを誹謗・嘲笑するろくでもない書き込み」が蔓延っています。また「米軍などの不祥事では、それを問題ないとして、関係ない組織・人を攻撃する」「被害者を無根拠に中傷する」ことが、毎度のように繰り返されています。
第二次世界大戦の戦前~戦中、日本などの帝国主義国家の行動により、多くの国々・地域・集団が甚大な被害を受けました。帝国主義は「暴力的に自己を他者の上に立たせる社会施策」と言え、これは「外国」だけでなく、「内なる他者」にも向かうのであって、多くの国で「国内の少数集団・少数民族・先住民族」が征服対象とされました。
「日本は帝国主義の下に行ってしまった国内外への甚大な罪科を、真摯に反省すべき」であり、そして「何時如何なる時も、他国をとやかく言う前に、先ずは自国の姿勢を改めるべき」です。日本の戦前から戦中の行為と、その影響により、多くの国に対して「本来遭わなくてよい過酷な災禍」を与えてしまい、特に「中国」「フィリピン」「太平洋諸国」の被った被害は深刻でした。この過程で、日本は居住民に対して「戦闘・戦死」「捕虜」「虐待」「非人道的・暴虐行為」「重大過失による非常に多数の死者発生」などの目に遭わせて、「多くの地域の苛烈な破壊」を行いました。これは戦地になった各地域での直接的な戦災だけでなく、非戦闘時の軍人による行為の為であり、この事は現地の多くの人が語っていて、そして幾らかの軍人も語っています。
「日本の戦争責任の否定論」と、「幾つかの大戦中の日本による非人道的行為(とされる件)に対しての疑義の意見」があり、不明確な点も多いです。しかし、それらが無かったとしても、如何様にも「シンガポール華僑虐殺事件」「中国などでの幾つかの特務機関の重犯罪行為」「ポンティアナック事件(インドネシア)」などの件は否定しようも無く、この背景として「日本の侵略行為と苛烈な非人道的行為」があったのも否定しようがありません。「日本軍の中国の重慶爆撃」は民間人犠牲者が1万人規模、「国際法が禁じる無差別大量殺戮」とする説が多数で、「異論(中心部に高射砲などの陣地を構えた)」はあっても、「他国で行った苛烈な非人道的行為」に間違いありません。「中国側の行為を以って、日本側の行為を非がなかった・仕方なかったとする論法」がありますが、「他国に侵略された国は、様々な手段で抵抗する」「日本も同様の目に遭ったら、同様に様々な手段を用いるのは明白」「そもそもその地域は他国・他民族の土地であり、戦線縮小・非軍事的手法に極力努めなければならない」のであり、論拠薄弱です(あらゆる観点は即ち要素で、各々は重要な論点だが、だが論証の必要十分条件足り得てない)。
本来フィリピンは「無辜の第三者」的な立場でしたが、日本軍と米軍の戦闘で激甚な国土破壊を受けました。「マニラの戦いとマニラ大虐殺」では10万人が死亡、日米双方の攻撃によりますが、日本軍の市民虐殺が横行しました。そして日本軍による「自己優位思想と極端な傲慢さ」による非人道的行為が行われ、失政による飢饉が発生、その統治は搾取的でした。
「ベトナム」「ビルマ(ミャンマー)」では、日本の占領後の統治体制が悪かったので、当初は期待していた住民達が反旗を翻して、「抗日戦争」に至りました。「ベトナム」では、失政と過酷な食糧徴発により大飢饉が発生、100万人以上が亡くなりました。「ビルマ」では、日本と連合国(とビルマ国民軍)との間の戦争で、「マンダレー」「メイクテーラ」など、貴重な文化遺産がに彩られた都市が破壊しつくされてしまいました。当然ベトナムやビルマの人々には、このような事をされる謂れは何一つありませんでしたが、帝国主義勢力の暴力の為に、このような過酷な目に遭う事になりました。
「戦前~戦中にかけての日本の諸地域での行動」というのは、その是非の程度は一様でないですが、「対中国など:明らかな侵略戦争」「対数カ国:侵略戦争・独善主義・自信過剰・重過失などの面が濃い」「対数カ国:統治の功の部分も多少あった」というように、「どの地域でも負の部分の方が多い」です。「欧米の植民地からの解放戦争的な解釈」については、「元々太平洋戦争の原因は、大陸での日本の植民地・権益の維持拡大を阻む国との争い」「東南アジアにはその余波で進出した」「当初から解放戦争を企図して戦争の立案をした訳ではない」「政府の体制が優れていたのではない」「幾らかの統治者の資質は良かった」「しかし他の人達の行動基準は悪かった」「実際に被った被害は甚大である」「人・物資・食料の徴発が酷かった」「被害の歴史として記憶している(ロームシャなどの言葉も含む)」という事が重要です。基本的に「食料や多くの物資は現地調達」「資源調達で南進した」「善政を敷いた事で左遷されたりした」のであり、これで統治がうまくいく訳がありません。またどの地域においても、誤った政策や、厳し過ぎる対応が多数行われています。いずれにしても「大多数の現地住民に招請されて軍を派遣した訳ではない」ので、殊更肯定するのは空虚な事です。
これらの状況は、どの地域でも、戦況が悪化するほど深刻化しました。当初は比較的良好な統治もありましたが、これは「アジア開放の理想」を信じた人達による物と言えます。しかし次第にどこも過酷な統治や状況になり、戦争の直接被害も含めて、深刻な被害が発生していき、この中で複数の虐殺事件も起きています。物事は「状況が悪化した時に、その真価が問われる」のであり、こういった状況は、統治の是非を示しています。戦後に独立戦争に従軍した人達もいましたが、その行為が個人に帰すべき事です。そして「明治以来の厳しい上下関係による組織統治」が横行していた日本のやり方は、これは異常なのであり、これを統治下の諸国で行ったのは誤りであり、上手くいかない上に、反発が起きるのは当然です。それを無視してやり方を押し通すのは、傲慢その物です。
元々「アジア主義」の論説の中には、「平等主義」「人道主義」「平和協調」「民族自決」といった高邁な思想を伴った物が多数ありました。アジア各地域の人々が日本に留学、日本では多くの人が理想の信じて、独立運動家などに支援を行いました。こういった思想の背景もあり、また自国利益の観点もあり、1919年の「パリ講和会議」で、日本政府は世界初の「人種的差別撤廃提案」を行いました。
しかし日本では、明治時代から「帝国主義」は跋扈していたのであり、「中国(清)での義和団事件での日本の行為(他の列強も同じ)」「台湾の植民地化」「朝鮮半島(李氏朝鮮)での江華島事件」は帝国主義による行為です。
そして「アジア主義」のの様相も、周辺状況の変化と共に次第に変節、後のスローガンとしての「アジア・モンロー主義」「八紘一宇」「南進論」「東亜共栄圏」などは、帝国主義その物です。そもそも「何故諸国・諸民族が、日本を盟主として仰がなくてはならないのか」という根本的疑問への論理的回答などある訳もなく、これは「肥大化した自我意識による物」です。日本では明治から戦後まで、この二つの相反する方向性が、せめぎあっていました。しかし第二次世界大戦に至るまでの過程と戦中において、負の方向性が拡大していきました。
また、「日本の戦前の強圧的体制が、敗戦を経ずして、どの程度修正されたか」という事を考えると、「戦後の状況より相当酷い社会体制」が想定され、結果的に敗戦自体は良かったと言えます。戦後~現在の社会もそうですが、戦前社会は「客観的な議論の土壌」「自己修正能力」がより大きく欠けていて、これはあまりに深刻な根本的問題でした。故に「日本の社会・体制の有り様が、強圧的な雰囲気を惹起させて、帝国主義・覇権主義という侵略行為を他国に行った」というのは、全く否定しようがありません。
結局の所「日本は第二次世界大戦で、多くの国にあまりに過酷な目に遭わせた」という事が、日本人の持つべき意識としては最重要です。それは「他国の膨大な人々の人権を蹂躙した」「人間は他人の権利を侵す権利はない」からであって、如何に良い点を羅列しても、数多の悪事を覆い隠せる訳がありません。ただ重要なのは、事実はどうであったか、客観的に考えるという事です。
第二次大戦以前の列強各国は、大概がどこも帝国主義と覇権主義の行動をとっていて、アメリカ・イギリスやソ連や他の強国もそうでした。ソ連については既述の通りで、帝国主義や覇権主義が色濃い行動を繰り返していました。
アメリカは「公民権問題(先住民・黒人・アジア系などの基本的人権の制限)」「黄禍論」「アジア系移民の禁止法」「各種の土地法」「パリ講和会議での人種差別撤廃案の拒否」「日系人の強制収容(他国へも強制収用を要求、多くの国が行った)」など、歴史的に人種差別が過酷でした。その刃は、当時アジア系移民の中で多数を占めた日系人に向けられ、日本の昇竜の勢いの国情も危機感を持たせました。こういっ状況も伴って、米英などが日本を戦争へ追い込んでいったのは各事実から明白です。「ABCD包囲網(対日経済制裁)」「ハルノート」は最たる物で、「米英の援蒋ルートや、米のフライングタイガースなどの対中支援」「日本人資産凍結」も挙げられます。ルーズベルト米大統領を始め、多くの有力者が日本を戦争へ追い込む為の物だったと、当時や後の書で明かしています。戦争中の行為も、戦争末期以前は、太平洋戦線での日本兵投降者・捕虜は概ね殺されています。
歴史的に「米英仏など列強は、世界中にも中国大陸にも植民地や独占利権を持っていた」のであり、その権益への侵害者たる日本の排除が目的で、別に高邁な思想から対中支援を行った訳でもありません。「米軍の各都市への空襲」「広島・長崎への原爆投下」は「国際法が禁じる無差別大量殺戮」です。非人道的行為は、捕虜などに対しても、また戦中戦後の占領期にも横行しました。日本以外の国に対しても、例えば「米軍はフィリピン兵を日本軍への盾に使った」「元々米国は長年フィリピンに帝国主義的行動を行っていた(米比戦争の経緯を見れば一目瞭然)」という事実があります。これら事実を見れば「米国などの日本に対しての道義的優位」など存在しません。
しかし「太平洋戦争の戦端は日本の真珠湾攻撃で開かれた」のは、紛う事なき事実です。また大戦のかなり前から、日米の戦争に至るとの予見の下に、日米ともに戦略を検討していたのであり、戦争の責任は両国にあります。そして、不当な侵略を受けていた中国にとっては、米国などの行為は有意義な支援であり、こうでもしないと「日本の対中侵略」は抑止できませんでした。それでも日本の自信過剰と覇権主義は止まらずに、日中戦争は泥沼化していきました。
云わば「第二次世界大戦は、帝国主義・覇権主義・自己優位思想が肥大した者同士による、巨悪と巨悪の全面的戦い」でした。そして、多くの地域の人々がその被害者となって、「内国・他国・他集団に対しての帝国主義という世界的構造の中で、常に先住民族や少数民族はヒエラルキーの下位集団と位置づけられ、その居住地域は侵略され、基本的人権が蹂躙され、文化を否定・毀損された」という歴史が繰り返されてきました。
ただ、史実の考察においては、近代の世界状況も勘案されます。ほぼ全ての国は、外国との関係において「良い歴史」もあれば「負の歴史」もあります。また近代でも、中国「清」は「朝鮮半島(李氏朝鮮)」を属国としていて、その統治は酷いものでした。そして、こういった様相ばかりな訳でもなく、「当時の欧米列強諸国の組織・人々による、世界各地域への支援や有意義な研究」などは多数あったのは言うまでもなく、そこには「無数の善意・利他心」があるのであって、その様相は一様ではありません。
このように第二次大戦の戦前から戦中の様相は、簡単に全否定・全肯定などできる物ではなく、しかし「日本を含めた列強は、苛烈な悪事を行った」という事ははっきりしています。「日本は過酷な加害者としての重大極まる歴史的責任を負っている」のであって、これは日本の紛う事無き歴史の一部であり、無視する事は決して許されません。その上で、日本の行状に対しての過大な言い分があったとすれば、それは否定して、淡々とその証拠を提示れば良いです。
戦後、帝国主義は終わりを告げたかのように言われますが、実際は形を変えただけです。「帝国主義の残滓」「新たなる帝国主義」「遅れて来た帝国主義」や、依然とした「覇権主義」「膨張主義」「国家的独善主義」の現れである「国家や国際政治の場による、理不尽な施策・行動・言質」が、世界中で行われてきました。これは強国・強者だけでなく、多くの国・集団が繰り広げていて、「国家の施策・行動・言質」「国際体制による施策」や、「コーポラティズム(特に企業による社会統治)」を利用した方策などもあります。そもそも時点で、多くの「戦後処理」自体が「独善主義による領土分捕りや、自己を善者側とする認定」に塗れています。
そして「世界中の多くの先住民族の少数民族は、歴史的に強者から多大な被害を受けてきた」のと同様に、「アイヌ民族・琉球民族とは、国内外の帝国主義とその残滓により、歴史的に多大な被害を受けてきた民族」です。多くの少数民族とて、長い歴史のうちには周辺との戦争や侵略も行いましたが、しかし大規模な行為というのは先ず存在せず、少なくとも近代においては世界中に「支配集団の横暴と文化否定の同化主義による、構造的加害者と被害者の構図」が存在していました。
彼らは近代の国際的パワーゲームにおいて、身勝手で暴力的な強者から、常に不当な脅威を受けてきました。従来の世界構造とは、常に「強者の国家・地域・民族・集団が、世界統治のピラミッド構造や、国内の統治構造において、圧倒的な地位を得てきた」のであり、「その対極に位置する少数民族は、常に敗者の立場に追いやられてきた」のです。「Environmental Racism(エンバイロメンタル・レイシズム=環境を通じた人種差別)」「Nuclear Racism(ニュークリア・レイシズム=核を通じた人種差別)」は「資源・核原料の採取・精製・廃棄による環境汚染が、先住民族の居住地域で行われることが非常に多く、世界の人種差別構造の典型例である」ことに対して、この事実の周知と改善の為に作られた造語ですが、これもこの世界構造の一端に過ぎません。それが「権威主義・物質主義・攻撃性・破壊性が支配してきた、従来世界の負の構造」です。
総じて日本では、「個の抑圧」「全体主義」に発する問題により、そういった状況を重ねて、自らに有利な状況を積み重ねて、カネや非道徳行為を使って、相手に諦めさせて、無理に同化させ、問題を風化させ、経年的に問題を消滅させてゆくという、暗黙の方策が採られてきたと言えます。
特に同調圧力が強い幾つかのネット掲示板では、偏狭な優位思想により「アイヌ・沖縄問題では、まともな議論が成立し難い」「理不尽な論理・攻撃・レッテル張りに終始する」という状況が長く存在します。特にアイヌ問題では全く議論が成立せず、このような「国内の民族、特に先住民族の議論が、中心的なネット掲示板で全く成立できない先進国は唯一日本のみ」です。
そして「自国の少数民族・少数派には根拠無き攻撃を加えるが、敵対国の少数民像・少数派は称揚する」という言動が横行しています。これは「敵の味方は敵」「敵の敵は味方」「自己が属する集団への絶対的肯定」「利害観念のみが判断基準」「他の存在をどうでも良いとする」という思考法による物で、その対象国でも幾つかの少数民族・少数派に同様の言動が行われています。何れの場合も「(敵対国の少数民族の)人道問題」を指摘するも、彼らは「一般的に自国・他国の人道問題に全く無関心」「自国に有利・不利という判断基準に関わる場合のみ人道問題を重視するのであり、通常は対極の性質の「権威主義」を称揚します。その言動の根幹には「都合の良い時と悪い時では、全く言動が異なる・真逆になる」という「論理的一貫性の欠如」「ご都合主義の二重基準」、「喚いた者勝ち」という「非論理的な言動様式」、「実際は人道問題はどうでも良く、利害関係だけに関心」という「欺瞞性と非共存思考」があります。「このような主張の人が敵対国で転生したら(頻繁にある)」を考えると、そこでも「自国の少数民族・少数派には根拠無き攻撃を加えるが、敵対国の少数民像・少数派は称揚する」のを繰り返すでしょうし、これは低波動の意識の問題です。これらは世界中で長年続いてきた「極端な利己主義・独善志向・非道義性」による物で、それが現在にも引き継がれています。「アイヌ民族と琉球民族」とは歴史的に、「国同士・民族同士の争い」ゆえに、理不尽にも最も「穢れた強者たちの陣取り合戦の思考法」の犠牲になった民族の一つでもあります。
また、平和国家などと言われていますが、その実相の一端として「まともな議論の土壌や、民主主義的概念が弱い」「これにより体制側・権力側が常に非常に有利で、非体制側は常に不利である」という様相があり、これが当該状況が長年中々改善されなかった要因です。更には「草の根的・市民的・オルタナティブ(代替)の社会機能・メディアなどの存在を担保する社会土壌」も弱く、これらは通底します。
これらの原因は、多くが「個の抑制・空気優先主義・権威主義」に還元され、それが長年無数の悪果を招いてきました。「アイヌ・沖縄の問題」も「原発問題」も「企業社会やメディアの問題」も、その他の多くの問題も「もっと早期に改善できたのに、自己利益や権威主義の為に、放置・不作為・嘘・隠蔽・糊塗・犠牲・破壊・・・が繰り返されてきた」という点で、共通した悪化要因により問題が深刻化しました。
「沖縄の基地問題・辺野古への基地移設問題」について、「このような環境汚染・自然破壊・犯罪・遺跡破壊は、米国本土(の居住地域)と欧州では、米軍は決して行う事はない」、これは非常に重要な点で、社会が徹底して考え抜くべき観点です。これは「現代世界の統治構造の極端な制度的犯罪性」を示しています。然し、その支配体制下にある現代の世界にあって、特に日本において突出して、あまりに多くの人が「仕方が無い・そういうもんだ」などと考えてしまっています。
日本の体制側は「徹底した欧米への、特にアメリカへの隷属思考」に、完全に染まりきっていて、「これほどにある国が他国に完全従属している例は、世界中に他には存在しない」です。これはある種の信念で、極端に狭い思考範囲の先に見える光景を、絶対的常識としてしまっています。この思考法を持った体制が長年支配してきた事により、現代の日本社会においても、同様に「欧米の事物・基準=絶対的基準」とする思考が隅々に蔓延しています。
そしてこの前提の下に、「軍事的に沖縄での海兵隊は不要で、デメリットが大きい」→「アメリカは自国が費用負担するなら、沖縄に海兵隊を置く意味が無い」→「だが要求すれば、従属国の日本が費用負担する」→「世界におけるパワープレゼンス向上の為に、沖縄に置く事を日本に要求する」→「日本は何でも要求通りに唯々諾々と受け入れる」→「反対派封じ込めの為、利益配分・権力濫用・御用マスコミの提灯記事が行われる」という「上意下達の強要」が続いてきました。
「日本の体制側は、対外的権威には従属的だが、国内の下位構造には強圧的という二面性を持つ」のであって、「権威主義と破壊性と非共存的思考(自然破壊の許容)と、飴と鞭の駆使により、沖縄へ基地移設受け入れを強要する」という行為を行っています。
この過程においては、政界(与党)・官庁は「デメリットの勘案(危険性・犯罪・騒音・環境破壊など)「他の案の検討」「県民・市民の意向」などを、真剣に勘案する事はありません。特に「極端に従米思考に支配されている官庁」では、絶対にありません。多くのマスコミもそうであり、「日本のマスコミの特徴である、ジャーナリスト精神の希薄さと利害重視」により、「大勢においては、受任は仕方ないんだ・そういう物なのだ、という空気を作り出す事」を旨としています。
「空気支配」が最大の特徴である日本社会において、どんな事でも「お上の判断(日本の体制側と欧米・アメリカ)」なら「最初からそう決まっているのだ・そういう物なのだ」として処理されて、「実質的思考は全くせずに、既決事項として流すの当たり前」という観念が蔓延しています。こういったメカニズムで、常に日本では「日本の体制側やアメリカが決めた事」が、絶対的前提として空気のように受容されていきます。これは「米軍問題」「対米問題の全て(アメリカの対日行為)」「原発問題」「TPP」など、何時如何なる時もこのようになっています。
これは他国であったら、その国や社会はもっと自律的思考をしているので、こんな事は決して起きません。しかし「日本だけが全く自己が無いかのように思考放棄して、ただ只管に上位概念の基準をそのまま受容する」という事を行っています。そしてこれは、特に「日本の大組織・体制側」が特徴的に持つ傾向であって、その構造に隷属する人が追従を繰り返しています。
そして「福島第一原発事故で失った、(ある程度以上)清浄な・居住可能な地域の面積」と「千島列島・樺太以外の領土問題での島の面積」を比較した時に、「前者を殊更矮小化して、後者については常に極大の関心を向ける」という態度が、頻繁に見受けられます。これについて「EEZ」という加算要素はあっても、「究極の僻地」という減算要素もあり、そして「福島第一原発事故で汚染された地域は、歴史的・居住的・経済的にも日本の非常に重要な一部」です。この状況はあまりに異常であり、如何に感覚が「攻撃的な意識」「他の集団との際限なき争い」に塗れてしまっているかを示します。
こういった日本特有の負の状況の原因ですが、これは戦後「個の抑制と権威主義に発する、無思考と、強者への付和雷同」が、蔓延し続けた結果として引き起こされた集団的アノミーの現象で、社会の末期的症状です。
更に遡れば、「そういう物」というのは「そういう物としてきた歴史の積み重ねが原因」で、「そういう物としないとすれば今後は変わる」のに、しかし「そこまでに思い至らなく、諦念・思考放棄してしまう」という状況があり、こういう構造を作り上げたのは「従属させた方が支配するには楽」だからで、これは「個の抑制と人間の均質化・ロボット化を招く、明治以来の全体主義的な統治政策」に起因します。この残滓が強く残り過ぎていて、「教育制度」「政界・官界」「企業社会・労働風土・労働組合「マスコミ」など「日本社会における大規模構造」は押しなべてそうです。これが日本を破壊した根源です。
結局の所「権威主義と隷属思考は表裏一体の物」であり、その中心的観念とは「上位概念に隷属して、下位概念に押し付ける事で、自己の地位を保とうとする行為・心象」に他なりません。この負の循環の中で、「アメリカ」→「日本の体制側」→「沖縄」という「下位構造への軽視・従属集団扱い」が続いています。実際に政界・官界・マスコミ・ネットなどを見ると、「上位概念(米国・欧米)への高い従属意識を持つ人は、アイヌ・沖縄を軽視する姿勢を持つことが多い」というのが明確です。
これは波動原理から考えると当然の事で、端的に言えば「権威を第一とするか、共存を第一とするかの違い」「権威を第一として、それを振るうか、従属するかの違い」だけです。「権威に従属する・従属させる」、この「低波動の社会における行動原理その物」の風潮が変わらない限り、こういった思考・行動から脱却しない限り、絶対に社会状況は改善しません。
そして「覇道」というのは、遂には成就しません。その最中の時代には、その国家において称揚する声が挙がり、極端な意見が純化していく事が多いですが、その方向では何も解決はしません。これは波動原理的に「社会の波動が悪化していく」からで、そういう思想が低波動である以上、不可避です。そして後の時代から見れば、そのような方向性は虚しく見えるばかりで、残した爪痕に苦しむ事になります。現代の世界の多くの様相は、その原因は「非・共存性」にあって、覇道は対極に位置します。
本質的には「アイヌ問題・沖縄問題とは、意識の高低の問題」です。意識に問題があるから、全てが疲弊して破壊されて、こういった問題が改善しないのです。「アイヌ問題・沖縄問題は、日本の戦後社会の様相が特徴的に現れている事象」だと言えますが、「自律的に考えて、平和共存を思考して、その輪を繋げる」ことでしか、この問題と、ひいては日本の全ての問題は改善できないでしょう。
何故ならば「全ての人間は神性を持つ」「全ての人間・社会は平等である」のであり、「高い意識を持った個が連来する」「それが繋がってゆく」ことでしか、社会は良くならないからです。非常に簡潔な事ですが、ここを踏み外すと、物事の本質的改善は不可能です。またこれは「常に何事も高度だったり完璧だったり」が望まれるのではなく、「高い労働強度」が求められるのでもなくて、ある意味「気楽・適当」で良くて、そこに「共存を想う心」さえあれば良いのであって、これは「精神世界と最新の量子力学の諸々の見解の纏め」による見解です。
解決するのは「共存を想う心」、これさえあれば、何事も改善してゆくでしょうし、一旦社会がそうなれば、量子的飛躍(クオンタムリープ)が訪れれば、それは簡単に成され続けてゆくでしょう。
・&color(white,black){ヤマト・アイヌ・沖縄(琉球)などの和合}
本来は「北海道などのアイヌなど、本州・四国・九州などのヤマト民族、沖縄などの琉球民族が、互いに尊重して仲良く暮らせば良いだけの事」、ただ単にそれだけのことです。
しかし「他集団に対して、自らを優位な立場に置きたいとする潜在意識」により、「相手に不都合な立場を押し付ける」という事が横行して、「社会に多くの軋轢・格差が生じる」という社会状況を招き、これが事態の改善を阻害しています。「上下関係を強いて、根拠の無い優越感に安住して、その為には無辜の他人に犠牲を強いてもいい」とするならば、何処にも「真の平和・幸福に満ちた社会」「個人の意識の高まり」はありません。
結局は「他の存在との共存意識の欠如」であり、全ては「波動原理による、低意識とその悪影響」に行き着きます。他国・世界体制の理不尽な行為の影響はあったにせよ、いずれにしても、戦前~戦後の日本は対内・対外的に多くの過酷な行為を起こしたのであり、言われ無き甚大な被害を与えてしまった他国と自国内の集団に対しては、その罪をありのままに認めるのは当然です。
そして「事実に目を瞑る・臭い物に蓋をする・都合悪い事を隠蔽する」のが横行する現状を最終的に選択したのは戦後日本であり、それが「無思考」「諦念」「付和雷同」を招き、「物事の真の部分を見ないような空気」「長い物に巻かれろという因習」「多様性・多様な思考を排除する社会構造」を醸成、それに流されてきてしまいました。そしてこれが「権威・カネ・空気による支配の固定化」を生むという悪循環が、戦後日本の概要です。
この戦前~戦後の流れと社会力学は、「権威主義・統制主義」「物質至上主義」の下、「体制側からの、過剰同質性への順応と多様性排除を受忍させる空気」を特徴としています。逆に「共存・連帯を深化させてゆく機能」が脆弱で、草の根レベルに良い部分が沢山あっても、この激流下では支えきれる物ではありませんでした。個人レベルに共存意識が無いと言うより、「ピラミッド構造の上層部」が集う大組織に無いのであって、それは「全体主義的体制による統治思想」による物です。そして戦後日本を覆った「物質主義・消費主義」「破壊性(環境破壊・上意下達・労働強度の強さなど)」というのは「過剰競争を煽る性質」があり、更に「空気支配」「同調圧力の高さ」に促進され、共存意識が阻害されました。
そして当然の事として、これら事象が大幅改善されて、「ヤマト民族・アイヌ民族・琉球民族など」が調和共存して助け合なくては、日本の復興もありません。そもそもこれは人間として社会として、余りにも当然過ぎる最低限の事です。よくメディアやネットであるような、形ばかりの「和の精神」や「和を以って尊しと成す」といった自画自賛をするのではなく、その真意に沿って「円満な対等性と相互尊重の実践」という「魂」を入れて、大同団結しなければ、「大きな和・大きな輪(=大和)」にならないでしょう。沖縄の反戦平和運動のスローガン「命どぅ宝(命こそ宝)」や、古くから伝わる「意地ぬ 出じれー 手ー引ち 手ーぬ出じれー 意地引ち(いじぬ んじれー てぃーふぃち てぃーぬ んじれー いじふぃち/腹が立ったら手を引きなさい。手が出そうになったら怒りを引きなさい)」の精神を刻み付け、そして「真の平和とはどのような物か」を考え、実現していく必要があります。
量子・波動というのは遥か昔にも影響を与え、誰しもがその影響を無意識に受けるので、「大和の国号が一般化した波動的な理由」は、「量子的飛躍の以後の時代における、大きな和・大きな輪という、幸福な連帯が循環する社会状況」を、意識体(神)が意識した事によると思われます。そのような社会を理想としたのでしょう。
「古神道‐縄文神道‐弥生時代・古墳時代の神道‐琉球神道に色濃く残存」「縄文文化‐アイヌ文化」などの関係性を見ても分かるように、元々は「ヤマト民族・アイヌ民族・琉球民族は同じ根を持つ」のであり、これに上とか下はありません。ただ並列的に存在するだけで、そして近しい関係にあるという事です。
原初の神道は「八百万の神を祀る」「地方ごとに多様な神々がいる」「歴史伝統や地域の民俗に根ざす」という形態でした。これは「個の重視や尊重や、地方や末端組織への分権体制に近い」「ピラミッド型よりネットワーク型」「硬質性より緩やかさ・柔軟さ」「多様性や大らかさや包容力」という種類の物です。そして「押し付け的・お上的・観客的」でなく「個人個人が真摯に本質と対峙している形態」、「破壊的・抑圧的・一方的」でなく「自然や多くの人との共存型・相互型」であり、元々は「原始共同体社会の縄文文化」から発しています。現代でも「アイヌ民族・琉球民族」は縄文文化に近く、「縄文は母権的」であり、この社会形態は「両性が高い社会的役割を持つ社会」に近い物があります。文明が発達して社会の階層化が進みましたが、この「日本の基層部分にある平等感覚・平和精神」という良い部分を見失っては、道を誤ります。
若し多民族が融合した「真の大和(大きな和・大きな輪)の社会」になったならば、其々に民族・文化が別れる前の、より柔軟で平和だった「縄文時代の思想」や、「日本の基層にある精神性」に回帰する事であり、それは「弥勒の世の中」であるのでしょう。更に「千島列島・樺太」も日本に戻ってきたならば、それは「日本国土の龍体の復活」であり、波動的・霊的に非常に高くなっていくでしょう。精神世界的に「日本=世界の雛形」「日本国土=龍体」「北海道=龍の頭(アタマ)」「沖縄・琉球=龍のタマ(霊・魂・玉・珠)」とする見立てがありますが、その波動的構造が完全化してゆくという事です。「封印された神々の復権」「縄文回帰」が言われますが、これらも含めた総合的な事を指し、本質に戻る時代が来たのでしょう。そしてそれこそが、在るべき姿です。
「アイヌ問題・沖縄問題」には、多くの問題が集約されています。そしてその際たる物が「辺野古の地」で、「自然環境」「歴史・遺跡」「祭祀・信仰・伝承」「日本の体制の全体主義性・権威主義・画一的思考法・統制主義」「関係国の傲慢さ・独善性・優位主義思想」「軍事・基地などの暴力性・破壊性」など、これら「高波動:修復的性質」⇔「体波動:破壊的性質」の事象が、一点に集約しています。これは波動原理的に考えれば、「極性が集中する辺野古の地から、世界の大転換が始まっていく」という事を示唆しているとも思えます。l
今後、これら「アイヌ問題・沖縄問題」を契機に、全ての流れが大きく変わっていく可能性は充分にあります。時代はいつ社会の大変換が起きてもおかしくない時点まで来ていて、これら事象が契機にならなかったとしても、近い将来に何かが切っ掛けとなり、或いは自然な流れで、社会や世界が大きく激変していくのは間違いありません。そして一つの問題として、「肯定的な社会の大激変を起こそうと、能動的に努力をするか」「ただひたすら、世間の空気の前に受動的に居続けるか」の違いがあります。「沖縄と北海道が、世界の大転換の端緒の地になる」というのは「縄文への回帰」という観点にも即しています。この点から、ある意味でこれら事象・問題は「今後の世界の雛形」と言えるでしょう。
当サイトの項目
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2014-07-28T15:54:46+09:00
1406530486
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トップページ : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/1.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
********************************
このサイトは、以下の項目について、「諸情報・諸サイトの情報のまとめと、これを基にした考察」を行います。
・「放射能の除去事例」
・「従来科学と異なる諸現象」と、その前提として存在する「波動原理」の考察。
・「波動原理上の現象・原理・作用・効果」と「波動原理の一般化が起こす、社会の全ての認識論・状況の激変」について。
目標は「波動原理の社会的認知」と、それによる「放射能汚染の完全除染」「環境汚染の浄化」「地球の自然環境が素晴らしくなること」「意識が高まり、皆が幸福になり、真の平和が訪れ、世界中が良い社会になること」「科学技術の進展」です。
サイトの記述内容は、随時改編しています。
規約により1ページ辺りの文字数制限があり、できるだけ文字数を削る必要があるので、漢字表記を多くしています。また内容は長文ですが、意味合いを把握し易くする目的で「」を多用しています。御了承を御願い致します。
除染事例、従来科学と異なる現象、波動原理上の現象・報告例・観測結果・論を御存知の方や、不明な点が御座いましたら housyanoujokyo アット excite. co. jp へ御連絡を御願い致します。
このサイトの記事内容の全文・部分の転載・改編は、いくらでもしてもらって構いません。著作権は放棄します。リンクフリーです。
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&color(white,black){項目1:波動原理と放射能除染の概略}
&bold(){「波動原理」}とは、宇宙の最も根源的な科学原理です。これは&bold(){「量子(波動)=情報=エネルギー」=「全量子が情報=エネルギーを帯びている」=「森羅万障は情報=エネルギーである」}という事が基本となります。
《「量子」「量子的性質」「波動原理」の最も基本的な概念・性質》
&color(white,gray){量子}
・「電子」「陽子」「中性子」「ニュートリノ」「光子」などの総称。
・全ての量子は「情報」を帯びている。
&color(white,gray){粒子と波動の二重性}
・「量子」は「粒子」でも「波動(波)」でもある、この性質についての概念。
&color(white,gray){波動}
・「量子」と「波動」は同物異称だが、用いられ方が異なる。
・「量子の、情報を帯びた物質としての側面」というニュアンスがある。
&color(white,gray){波動情報}
・「量子上の情報」を指す。
・「波動情報」の通りに「物質・生物・環境の状態は徐々に変化してゆく」。
・「意識」とも言える。
&color(white,gray){量子エネルギー}
・「量子(波動)のエネルギーとしての側面」を指す。
&color(white,gray){高い波動・高波動}
・「量子(波動)の含有が多い状態」「量子(波動)の発生が多い状態」や「良質の波動情報」を指す。
・高波動の状態だと「生命・物質・環境の長寿命化や状態改善」「良質の物質・元素の増加」が起きる。
《低い波動・低波動》
・「量子(波動)の含有が少ない状態」「量子(波動)の発生が少ない状態」や「低質の波動情報」を指す。
・低波動の状態だと「生命・物質・環境の短命化・劣化や状態悪化」「低質・悪性の物質・元素の増加」が起きる。
&color(white,gray){ゼロ点(ゼロ場・ゼロポイント)}
・「量子の運動ベクトルが無い状態(量子が全く動いていない状態)」。
・「ゼロ点とゼロ点の中間地点」でも「ゼロ点」は発生する。
・「ゼロ点」は環境中における「量子の発生場、共鳴・増加の場」「斥力(反重力)の発生場」「量子が重力を獲得する場所」である。
・ゼロ点は、規模が小さい物なら常にどこにでも発生・生滅していて、大規模なゼロ場を人為的に作ることもできる。
・「相反する運動ベクトルが釣り合った場所」は「ゼロ点」になるので、例えば「体の伸び」「音・声」ほか、あらゆる場所で「ゼロ点の生滅」は起き続けている。
・拠って、量子は常にあらゆる場所で発生している。
&color(white,gray){ゼロ点効果}
・ゼロ点で発生する上記の効果。
&color(white,gray){ゼロポイントエネルギー(Zero Point Energy・ZPE)}
・言葉の用法は2通りある。
・「ゼロ点から湧出する量子エネルギー」を指す。
・「莫大・清浄・無限の電力(フリーエネルギー)」「大規模な斥力の発生」ほか、多くの現象が発現する。
・このエネルギーは、使用するだけで付近が浄化され、健康体になっていく。
・現代科学における用法「絶対零度の基底状態(エネルギーが最低の状態)でも、なお起きる振動を零点振動(ゼロ点振動)と呼ぶ」「ゼロ点振動のエネルギーを零点エネルギー(ゼロ点エネルギー)と呼ぶ」「この振動の原因は不確定性原理である」
・しかし波動原理では「零点振動(ゼロ点振動)と零点エネルギー(ゼロ点エネルギー)は、原子周辺のゼロ点から湧く量子エネルギーがエネルギー源である」と説明され、またそもそも不確定性原理が誤りである。
&color(white,gray){量子もつれ}
・「同種の情報を持つ量子同士」は「相関関係(もつれ合う・絡み合う)」が生じる。
・「量子もつれ」の関係にある量子同士は、「片方の状態が変化すると、距離に関係なく即時に、もう片方の量子も同様に変化する」という性質がある。
&color(white,gray){共鳴}
・「量子同士が衝突した時」「ゼロ点・ゼロ点とゼロ点の中間地点」「量子もつれ」「あらゆる同調状態」においては「共鳴」状態が発現している。
・「共鳴」が起きると「量子(波動)の量が増大する」。
・「音・声や海の波などが同調して、波形が大規模化した時」も「共鳴」の一種である。
&color(white,gray){量子的飛躍(Quantum Leap)}
・日本語では「量子飛躍」「量子的飛躍」、英語では「Quantum Leap{クオンタムリープ}」「Quantum Jump(クオンタムジャンプ)]と呼ぶ。
・言葉の用法は3通りがある。
・上記の「共鳴の発生要件」により「量子(波動)は、ある閾値を超えると、乗数的に量が増大していく」という性質がある。
・この効果による劇的な社会変化も「量子的飛躍」と呼ぶ。
また、特に精神世界では「Ascension(アセンション)」と呼ぶことが多い。
・物理において量子跳躍とは、原子内の一つの電子がある量子状態から別の状態へ不連続的に変化することである(外殻電子の遷移)。
その電子は、一時的に重ね合わせ状態にあった後、あるエネルギー準位から別の準位へ非常に短時間で「跳躍」する。
上記事項は「波動原理・波動理論・波動科学」の基本的原理で、その先には多数の科学原理が存在します。波動原理の諸原理は、非常に多岐にわたる効果・現象を、常にありとあらゆる場所で起こします。森羅万象は「量子(波動)で構成される」ので、「ありとあらゆる事は、量子(波動)の所作、波動原理に則って起きる」と言え、物質・生物・意識は波動原理無しに存在できません。そして「宇宙の全ては情報の海」と言えます。
&bold(){「量子力学」}は「超ミクロから超マクロまで、宇宙や森羅万象の根源を探る学問」「全科学の中核の学問領域」と言えます。近年、宇宙の根本的原理の&bold(){「超大統一理論(万物の理論)」}が模索されていますが、&bold(){「波動原理」=「超大統一理論」=「科学原理の最上位構造」}であり、また「量子力学・量子的性質」と「波動原理」は一体的な物です。従来科学というのは、科学全体の一部に過ぎず、また地球の波動原理の学者が解き明かした原理も、波動原理全体からするとごく一部です。
&bold(){「量子(波動)」}とは&bold(){「情報」}であり&bold(){「エネルギー」}です。&bold(){「波動」}は&bold(){「気(東洋医学・東洋哲学)」「プラーナ(インド・アーユルヴェーダ)」}と同じ概念であり、「ドーシャ(アーユルヴェーダ)」「マナ(Mana・太平洋島嶼)」「Spirit(英語)」「Geist(ドイツ語)」など、世界各地に類似概念の名称があります。「量子エネルギー」は「生物・物質のエネルギー」を指す概念であり、「風水・易などにおける、龍脈・龍穴という概念の基になるエネルギー」と同じ物です。
「世界各地の古来の概念・哲学・理論」「伝統的手法・医療法」は、概ね波動原理に則った物でしょう。「ツボ・鍼灸」などの効果のメカニズムは従来科学では説明できないですが、経験的に効果が高いと知られていて、各地でごく日常的に用いられ、これは「体に流れる気の流れを改善する手法」です。以前は波動原理に「科学式を用いた理論」がなかったので、「作用原理の説明・実証」には困難さが伴いましたが、近年「手法・検証法と実証的理論の進化」が急速に進んでいます。
「意識=量子が介在する事象」であり、何かを意識すれば、それが事実であろうと無かろうと&bold(){「波動情報」}が発生します。&bold(){「共通する情報を持つ量子同士は量子もつれを起こす」}ので&bold(){「同種の意識は共鳴しあって増加しあう」}という性質を持ち、ここから「集合意識」「健康効果」ほか、各種の効果が発生します。
「波動原理の下に存在する宇宙」「波動科学が齎す技術」の実相とは、現代社会の認識論と全くかけ離れた物です。従来社会は、言わば井の中の蛙であり、近い将来の「波動原理の一般認知が齎す量子的飛躍」の後には、「世の中の全ての常識・認識論を覆すほどの、社会の完全変革・パラダイムシフト」が起きて、人々の意識も、体の状態・能力・外貌も、社会の様相も、自然環境も、何もかもが変わっていきます。
従来科学で未解明の非常に重要な現象として&bold(){「ニュートリノによる元素変換」}があります。「量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノなど)」「原子」「同位体」「分子」は、その種類ごとの固有の性質を持っていて、このうち「ニュートリノ」は「元素変換」を生じさせ、「原子核へのニュートリノの衝突」→「周期表の元素番号の1つ重い・軽い原子への元素変換」という現象が発生します。また「良質の波動は、良性の物質の増加と、有害物質・悪性物質の物質の減少を促す」という効果があります。これらの原理により、「高波動状態」であると「環境浄化(汚染物質・人工放射性物質の浄化・除染)」「生物・物質にとっての環境改善」が成されます。
波動原理を応用した器具を&bold(){「波動器具」}と呼び、その種類は多種多様、自作も出来ます(項目6⑤)。大型の物は「大規模な電磁波やコイルを用いた手法」で、所謂「UFO」もこの一種です。波動器具は「効果度や効果の出方が千差万別」で、放射能除染の目的でも 短期的に激減する物から、数ヶ月かかる物まであります。
&bold(){「フリーエネルギー」}とは、基本的に&bold(){「莫大な量のエネルギー」「浄化されたエネルギー」「装置があれば、他のエネルギー源なしに、発生し続けるエネルギー」}です。&bold(){「フリーエネルギー発生装置」}は、開発途中の物も含めて、近年種類が激増しています。開発者でも知らないので、まだ実験事例が少ないですが、その全ての装置に&bold(){「放射能除去効果」}があるでしょう。&bold(){「波動器具」「フリーエネルギー発生装置」}など、波動原理を高度に応用した器具は&bold(){「使用するだけで付近が浄化される」「生物や自然の存在環境を改善する」「健康体になっていく」「壊れ難い・劣化し難い」「高熱にならない」}などの特徴を有します。
将来的には全ての機械類は、波動原理に則り開発・製作された物となるでしょう。ただ「波動原理を高度に応用した器具類」は「意識=波動」「波動の質や微細なズレが、波動同士の共鳴や波動の湧出の多寡に、決定的な影響を及ぼす」という点から、&bold(){「意識や素材・製法の浄化」}が必要で、これが無いと性能は大幅低下します。
【放射能汚染の元素変換による除染の実験手法】
「元素変換を起こす物質・手法」+「汚染物質」+「ガイガーカウンターで計測・検査機関へ送付」のみ
《即時に放射能数値が激減する物・手法》
&color(white,gray){水素カプセル(項目③・項目6③)}
・水素原子が発生するカプセルを汚染水に投入する。
するとガイガーカウンターの計測数値が、即時に激減する。
・この現象は、元素変換以外の可能性がなく、如何様にも否定し難い。
・最も効果が明確且つ簡易な実験、水素カプセルは市販品で安価である。
・この簡潔極まるたった一実験だけで、従来科学の根本・中枢が完全に否定される。
&color(white,gray){量子水(項目③・項目6③)}
・家庭用よりも大型の改質機、家庭用でも可。
&color(white,gray){ブラウンガス(項目③・項目6③・項目6⑤)}
&color(white,gray){一部の機械(項目②・項目6⑤)}
&color(white,gray){アーク放電など(項目2・項目6⑤)}
【1日ほどで激減する物・手法】
&color(white,gray){一部の廃棄物処理装置(項目②・項目6⑤)}
・既に判明済み
【数日~数週間で激減する物・手法】
&color(white,gray){竹炭(項目5・項目6③)}
&color(white,gray){珪素が主体の一部鉱物の粉末(項目5・項目6③)}
&color(white,gray){一部の粘土(項目5・項目6③)}
&color(white,gray){酵素液(項目4・項目6②)}
&color(white,gray){ナノ化させた物質(項目3・項目5・項目6②・項目6③)}
・微細であるほどゼロ点効果が発生しやすく、量子の発生量が増加するので、波動が高くなる。
・「ナノバブル水」「ナノ純銀」が当サイトに記載されている。
&color(white,gray){波動的に改質させた物(項目5)}
・高波動の物で、改質した物。
・高波動な物質を周囲に置くなどすると、中心にある物質も波動が上昇する。
・「竹炭で改質した石鹸」を記載。
【数ヶ月で激減する物・手法】
&color(white,gray){微生物散布(項目4・項目6②)}
&color(white,gray){波動農法(項目2・項目6⑤)}
・アグニホートラ、バイオダイナミック農法など
・世界各地の伝統的農法・手法には、波動原理を応用した非常に効果が高い手法が多数存在する。
宇宙のあらゆる事象は、科学原理なしに存在できません。若し「各種の簡易実験を行った結果、如何なる可能性を考慮しても、従来科学では説明できない結果が出る」ならば、そこには「従来科学と全く異なる科学原理の存在」が想定されます。そして、物の理として「理論・定説・常識より、実際の現象・機械数値の計測結果・観測結果の方が重要である」「これは全ての理論考察の前提である」というのは当然です。また現在判明している事は、波動原理全体のごく一部で、当サイトの記載内容は、判明している事実全体のごく一部です。
若し&bold(){「量子=情報(全量子が情報を帯びている)」}である場合は、必然的に&bold(){「宇宙のあらゆる事象は情報が内在している」「意識・思考・感覚・想像上のことでさえも、その情報が記録されている」「自らの思考・言動は全て量子上に記憶される」「全量子の情報が、森羅万象を決する重大要素となっている」}となります。
「波動原理」の正誤を判断するに際して、論点の最大の分れ目は「量子=情報かどうか」の一点に集約されますが、あまりに多くの事柄が「量子=情報(全量子が情報を帯びている)」でないと全く説明できません。例えば項目6①「ネズミのテレパシー実験」は、これに類する実験・観測は古今多数あり、今後も「テレパシーの有意の発生確率」という普遍的結果が現れるのは確実です。
「従来科学の理論と異なる報告事例・観測結果」は、当サイトに記載された情報以外にも、古来より文字通り無数にあります。そのうち&bold(){「放射能除染事例」{放射能数値の大幅低下事例」}は項目2~項目5に、それ以外の事象は項目6に記載してあります。それらの全ては、即ち「現代科学の誤謬」「波動原理の妥当性」「量子=情報」について考慮・判断していくに際して「どのような事例・現象が存在するのか」という例証です。
更に「それらは何を意味し、どのように解釈できるのか、どういう解釈論の候補があるのか」「多数の事例を整理、考証を深化させていくと、どういう点が明確化されていくのか」「波動原理・量子・波動とは、どのような性質の物であるのか」「意識という物が持つ、本来的な性質・意味・効果」「森羅万象はどのように存在しているのか」「宇宙のあらゆる物事の発生・作用・影響のメカニズム」「波動原理を応用すると、どのような効果が得られるのか、どのような技術が開発できるのか」「波動原理・量子的性質を基に、最善な社会を築くためには、どのようにしたら良いのか、どのように考えていくべきなのか」という考証・推論を重ねていき、それを項目6①~項目6⑮に記述していきます。
既存の科学常識から見れば、掲載した事例・論は「従来科学と乖離していて、にわかの理解は困難」でしょう。しかし同時に、古来から現在まで世界中で「気」「プラーナ」などの概念・解釈法が受け入れられてきたのであって、これら理論と波動理論は同一線上の物です。言ってみれば「社会に存在する相反する二つの認識論のうちの一つが妥当であった」という事でしょう。
「波動原理による各現象」や「元素変換による放射能除染」について、その各論説には賛否両論あるでしょうが、賛否両側共同で再現実験をすれば、結果を以って事実は自ずと判明します。「否定派側でも誰でも、ガイガーカウンター・検査機関などを用いた実験は行える」「この否定側の実験に、肯定側が誤魔化す余地が無い」「実験には、結果が即時・短期に分かり、非常に簡易で、殆どコストがかからない物が多数ある」「実験すれば、正しいも間違っているも、一目瞭然ですぐに全てが分かる」「疑義があれば実験を何度でも繰り返せば良い」ので、ここに問題はなんら存在しません。
「従来科学で解明できない事象は、往古から無数に報告されている」「即時・短期で結果が出る簡易実験で、従来科学では決して説明できない結果が多数観測されている」という事実があります。科学的な常識・通念は、往古から不変だった訳ではなく、昔から頻繁に変遷して来ました。科学的知見の蓄積は「実験・報告・考察の繰り返し」から形成されてきたのであり、それにより多くの常識が覆されてきて、それ無しに「最初から決まっている事」など何もありません。
そもそも現代科学は、宇宙の全事象の僅かを認識しているに過ぎず、全体を認識しているとする科学者はどこにも存在しません。古今東西の事例の全てを、間違い・嘘・偶然・計測ミスとするのは無理があり、その根拠がありません。「数十年前の常識と、今の常識さえ全然違う」のに、「たった今の常識を以って、実質的な考察も検証実験もせずに、端から全否定する」というのは「科学的思考法」ではありません。故に考察に際しての「従来科学・常識に基づく全否定」は、思考の前提からして完全な誤りです。
&bold(){「放射能汚染問題」}については、従来科学では広域の放射能除染は不可能だとしています。このままなら事故前の放射能数値に戻るまでに数千年~数万年以上、また19世紀以前のような放射能汚染が無い状態には戻りません。
&bold(){「元素変換による放射能除染」}は、科学界は虚構としていて、大多数の政治・行政やマスコミを含めて、自立的思考や自ら検証する気構えはありません。世間はこれに準拠するので、事態を解明・改善に導く主導的な勢力が存在しません。このまま従来通りの「手順・前例・常識論重視の社会的な空気」「何が妥当かによる判断でなく、世間がこうだからという判断」に則っていたら、公知の手法や決まり事の枠内でしか行おうとせず、この超深刻な被害が野晒しになり、貴重な時間が悪戯に過ぎるのみです。この膠着を打破して、新たな手法や未知の可能性の追求する以外に、放射能汚染の除染は成されません。
手法も費用も手軽な簡易実験が多数あるのに、それさえも行わず、検証・考察・議論をしようという態度が皆無で、文字通り問答無用を貫く界隈のどこに「科学的思考」が存在するのでしょう。機械の計測数値が有意に低下したとして、それでも「従来技術ではニュートリノが捕捉出来ない」「だからニュートリノによる元素変換を証明できない」との理由で事実を認めなかったり、除染を実施しないならば、どれ程不条理なのでしょう。若しも数ヶ月~数年で除染される可能性があるとして、これに対し何だかんだと理由にならない理由を挙げて否定しながら行わず、自ら災禍に苦しみ続け、未来世代まで深刻な悪影響を残すとしたら、どれ程までに罪深いのでしょうか。
「実験・検証を否定しつつ、ただ条件反射的に否定するのは、思考をしていないのと同じで、本質的思考・科学的思考ではない」「本来そういう実験を行うのは、科学界ならば、政官など公的機関ならば、当然中の当然である」、これは本来明白です。これ程の状況において、大切な土地・国土を穢して、子孫達へ深刻極まりない迷惑をかけて、尚且つこの様な理由で実施しないのは絶対に間違っています。
「物事を解明していく」のは非常に困難な道ですが、それ以上に「事態を停滞に追い込む、社会のあらゆる壁」を乗り越えることが困難です。「現在の社会状況・汚染状況」に対して、「大人たち・現代世代」には「改善・解決する義務」があります。「子供達、赤ちゃん達、未来世代」には、「浄化された環境で、より良い環境で暮らす権利」があります。また「地球」とは「全生物の共有物・母体」であり、「人間の意識」は「自然環境の保護・改善」に向いている事が大事です。
しかし福島第一原発事故や、各種の社会的な歪みを引き起こした「国・社会の在り方」としての「空気や常識の至上主義」「閉鎖性」「権威主義」「前例主義」「同調圧力」「非多様性」「無責任さ」等々は、事故後は「既存常識枠外の手法実施や認知の阻害」へと働いてしまっています。社会を覆う「抑圧や過剰同調の圧力」は、「自ら考えるという意識」を奪って、「どれだけ歪でも、それが普通だ・そんなもんだと認識させる」「既存常識や枠組みへの従属に埋没していく事を当然視する」という風潮を醸成しています。
こういった「方法論は幾らでもあるのに、真実や妥当な事に目を向けようとしない」という現況は、「地動説と天動説」など、「検証法」「知の蓄積」が限られていた「中世における科学的観念」よりも、ある意味酷い状況です。しかもそれにより汚染や利便性低下で、苦労・苦悩が大幅に増加していて、非常に奇妙極まりないです。これは現在の矛盾に満ちた世界の、その極端な一例であるでしょう。
波動原理から言うと、地球は「人間(知的生命体)の意識」さえ変われば、全てが変わっていきます。既存の観念から見ても、人間には世の中を変える力がありますが、実際には地球の環境を、良い方向にも悪い方向にも決定的に変えていく能力を持っています(この事は項目6に記述してあります)。
是非とも「柔軟思考・水平思考・俯瞰的視点・広い視野」を以って、「固定観念・前例・常識論・空気」に囚われずに、考慮を進めてくださるように御願い致します。
[[「項目1」は波動原理の概略で、「項目7①~⑮」に「森羅万象における波動の原理・作用・効果・影響・意味合い」「波動原理の一般化が招く波動改善と意識覚醒、科学・技術・全認識論の劇的転換と社会正常化」をより詳しく記述してありますhttp://is.gd/kX8wLx]]
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当サイトの項目
項目1:波動原理と放射能除染の概略 ([[メニュー1>http://is.gd/N74Ky5]])
項目2:波動器具・一部農法・一部機器等による除染法 ([[メニュー2>http://is.gd/1vukpY]])
項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 ([[メニュー3>http://is.gd/qbtG4P]])
項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 ([[メニュー4>http://is.gd/S9rd5M]])
項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 ([[メニュー5>http://is.gd/OqkokI]])
項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次([[メニュー6>http://is.gd/HB6Xkx]])
項目6①:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー7>http://is.gd/kX8wLx]])
項目6②:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー8>http://is.gd/w2fWPI]])
項目6③:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー9>http://is.gd/ztBKLZ]])
項目6④:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー10>http://is.gd/XadcK7]])
項目6⑤:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー11>http://is.gd/CdKR4K]])
項目6⑥:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー12>http://is.gd/HJgWPy]])
項目6⑦:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー13>http://is.gd/vClptO]])
項目6⑧:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー14>http://is.gd/X3ySNn]])
項目6⑨:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー15>http://is.gd/SbVxXz]])
項目6⑩:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー16>http://is.gd/pY3A3Q]])
項目6⑪:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー17>http://is.gd/VajHCF]])
項目6⑫:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー18>http://is.gd/1ne2sX]])
項目6⑬:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー19>http://is.gd/u14ITa]])
項目6⑭:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー20>http://is.gd/2Dqu0C]])
項目6⑮:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー21>http://is.gd/WmX4Dq]])
項目6⑯:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー22>http://is.gd/wxFr4V]])
項目6:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い
森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善
項目6の主要事項の目次:
項目6①(メニュー7):
【波動原理の概略】
●&bold(){全ての量子=波=情報=エネルギー}
●&bold(){波動の共鳴・結合・増加}
●&bold(){波動について}
●&bold(){ゼロ点効果と反重力・元素変換}
●&bold(){幾何学的形態の共鳴効果}
●&bold(){意識と意識体と空間について}
●&bold(){超能力=波動的能力とハイパーコミュニケーション}
●&bold(){DNAの所作と波動情報の記録}
●&bold(){万物の好転・形成・長寿命化と悪化・崩壊・短命化}
●&bold(){波動原理の初歩的な概略}
http://is.gd/kX8wLx
項目6②(メニュー8):
【自然の中の波動原理】
●&bold(){音や色彩の共鳴効果}
●&bold(){渦の効果}
●&bold(){量子の結合状態}
●&bold(){微生物の効果と腸・丹田の健全化}
●&bold(){植物の浄化能力、酵素の効果}
●&bold(){水と量子水の性質、水と植生と自然と波動的環境の一体性}
●&bold(){珪素の重要性}
●&bold(){粘土・炭・火の効果}
http://is.gd/w2fWPI
項目6③(メニュー9):
【パワースポットと祭祀】
●&bold(){パワースポットと祭祀と意識エネルギー}
●&bold(){日常と意識}
●&bold(){波動の穢れと浄化と環境保全}
●&bold(){波動科学の効果・活用}
●&bold(){波動原理の意味合い}
http://is.gd/ztBKLZ
項目6④(メニュー10):
【人間と波動】
●&bold(){人体・生命や地球・宇宙の幾何学的配置}
●&bold(){脳やオーラとホログラフィック理論}
●&bold(){エネルギーとしての波動}
●&bold(){健康と波動}
●&bold(){波動の性質と社会変化}
http://is.gd/CdKR4K
項目6⑤(メニュー11):
【高い波動効果を起こす機器】
●&bold(){波動転写機・ラジオニクス}
●&bold(){波動的に重要な場所}
●&bold(){電磁波によるゼロ点効果の大規模発生}
【諸概念の波動原理上での意味合い】
●&bold(){宇宙の根源的原理の陰陽原理}
●&bold(){宇宙の普遍的構造の螺旋と渦巻き}
●&bold(){励起状態と基底状態}
●&bold(){波動・意識・森羅万象の振動}
●&bold(){ミームと遺伝子}
●&bold(){波動の所作から見た哲学の意味合い}
http://is.gd/HJgWPy
項目6⑥(メニュー12):
【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】
●&bold(){魂振り・魂呼び・殯、神事・芸術の原点}
●&bold(){一霊四魂}
●&bold(){霊・魂・玉・珠・タマの増殖による産霊・生体の活性化、斎み清めること}
●&bold(){神性と芸術と意識状態}
●&bold(){玉(ぎょく・たま)}
●&bold(){縄文文化に由来する、日本の基層の自然崇拝と緩やかな融和的意識}
http://is.gd/vClptO
項目6⑦(メニュー13):
【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】
●&bold(){アイヌと沖縄について}
・アイヌ・ニブフ・ウィルタ民族の概略
・アイヌ民族の文化と信仰
・蝦夷の歴史
・日本の体制がアイヌ民族に強いた不当な境遇
・ソ連と国際的体制がアイヌ・ニブフ・ウィルタ民族に強いた理不尽な追放・放置
・日本におけるアイヌ問題の認識状況
・沖縄・琉球の歴史
・琉球神道について
http://is.gd/vClptO
項目6⑧(メニュー14):
【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】
●&bold(){アイヌと沖縄について}
・南西諸島の伝統歌謡
・南洋産貝製品の古代社会における重要性
・沖縄的事物と女性祭祀と海人族が示唆する、古代社会の在り方と平和の希求と大規模な変化
・日本の辺縁部に残る古代の日本語と祭祀形態
・沖縄・琉球の位置付けについて
・辺野古と大浦湾の類稀な環境・霊場・遺跡と、日米による破壊の危機
・沖縄に対する国内外からの歴史的な抑圧
・沖縄問題への誤った対処
・アイヌ・沖縄問題に見える国内外の自己優位思想
・ヤマト・アイヌ・沖縄などの和合
http://is.gd/X3ySNn
項目6⑨(メニュー15):
【霊魂の所作と活性化、日本の基層と神事、精神性・芸術性の淵源】
●&bold(){波動原理から見た芸術性}
●&bold(){音楽と声と波動の効果}
●&bold(){日本・日本語の特性}
●&bold(){邦楽とその在り方}
http://is.gd/SbVxXz
項目6⑩(メニュー16):
【波動原理と超能力と脳機能の根源】
●&bold(){右脳左脳}
●&bold(){脳と間脳}
●&bold(){ミラーニューロンと共感・共鳴}
●&bold(){波動的な治癒能力、自己・他者・森羅万象の修復}
●&bold(){松果体・第三脳室とクリプトン・希ガス、波動原理と超能力の根源的原理}
●&bold(){磁気と超能力}
●&bold(){バイオフォトンと生体リズム}
●&bold(){波動・意識・電気の媒質としての水分・神経}
●&bold(){ツボ・経絡について}
●&bold(){チャクラと関連する身体器官}
http://is.gd/XadcK7
項目6⑪(メニュー17):
【正中線・各部位の性質と硬直・歪み・柔軟化、気血水の循環、寿命・森羅万象の結合・改善】
●&bold(){岩戸開きとチャクラの開放}
●&bold(){人体・森羅万象の存在形態、万物の結合・崩壊、症状・痛み・寿命・健康の根本原因}
●&bold(){人体の基本的構造}
●&bold(){生体におけるエネルギー源と水と粘性について}
●&bold(){硬直・歪みの影響、改善の過程}
●&bold(){筋肉などの性質と緩和法}
●&bold(){血管の拡張}
●&bold(){骨と伝導}
●&bold(){神経と修復}
●&bold(){手と意識の密接な相関、手当て・さすることの効果}
●&bold(){反射区と足裏について}
●&bold(){施術時の意識の持ち方}
●&bold(){人体の基本的構造}
●&bold(){正中線・中心線、体の縦の線構造}
●&bold(){脊柱と胸郭・肩・首の拡張}
●&bold(){みぞおちと横隔膜と丹田}
●&bold(){喉と首(頚部前方)}
●&bold(){頭蓋骨の歪み・硬直・柔軟化と縫合線}
●&bold(){体毛・毛髪=波動のアンテナ}
●&bold(){耳と頚部後方・後頭部}
●&bold(){頚部・後頭部の緩和法}
http://is.gd/X3ySNn
項目6⑫(メニュー18):
●&bold(){顎と口蓋周辺}
●&bold(){ほうれい線と口腔の緩和}
●&bold(){頚部・顎・鼻にかけての一体的構造}
●&bold(){鼻と副鼻腔}
●&bold(){目・眉・眉間周辺}
●&bold(){笑顔の効果と頬の緩和}
●&bold(){頭頂部・眉間・顎・鼻や上半身の中心線}
●&bold(){縫合線の柔軟化と岩戸開き}
●&bold(){深層脳と表層脳}
●&bold(){動作の中心、外後頭隆起の真我}
●&bold(){DNA・遺伝子とライトボディー・心の御柱}
●&bold(){意識と体の不活性化}
●&bold(){締め付け・統制・否定が齎す悪影響}
●&bold(){波動の特性}
http://is.gd/SbVxXz
項目6⑬(メニュー19):
●&bold(){科学界による波動原理の否定と、社会的問題の共通点}
http://is.gd/pY3A3Q
項目6⑭(メニュー20):
●&bold(){波動原理を阻む社会的要因}
http://is.gd/VajHCF
項目6⑮(メニュー21):
●&bold(){個の抑制と同調圧力と精神的疲弊を招く教育制度}
●&bold(){自主的な思考・感性を阻む歪んだ社会構造と、権威主義・従属思考}
●&bold(){物質主義と閉鎖性と視野狭窄による自家中毒}
●&bold(){欺瞞的な建前が招く、非健全化と本来的な倫理の崩壊}
●&bold(){議論の社会的土壌と、齎される不正義・無関心}
●&bold(){他集団との関係性について}
●&bold(){普遍性と真理について}
http://is.gd/1ne2sX
項目6⑯(メニュー22):
●&bold(){芸術・文化と非本質性・反知性・社会的断絶}
●&bold(){無思考・無感性と非調和へと誘導する社会的要因・集団的圧力}
●&bold(){非調和・非統合と、世の中の事象の断片化・虚無化}
●&bold(){経済・資本主義・貨幣社会の問題点}
●&bold(){共存型社会=理想社会の前提}
http://is.gd/u14ITa
波動原理・ゼロ点効果・放射能除去法纏め
http://twitter.com/fulvicmicrobe
housyanoujokyo アットexcite.co.jp
[[「森羅万象における波動の原理・作用・効果・影響・意味合い」「波動原理の一般化が招く波動改善と意識覚醒、科学・技術・全認識論の劇的転換と社会正常化」を詳述した「項目7①~⑮」の御覧を御願い致しますhttp://is.gd/kX8wLx]]
2014-06-17T11:21:55+09:00
1402971715
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メニュー16: 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/39.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
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&color(white,black){項目6⑩:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
【波動原理と超能力と脳機能の根源】
●&bold(){右脳左脳}
●&bold(){脳と間脳}
●&bold(){ミラーニューロンと共感・共鳴}
●&bold(){波動的な治癒能力、自己・他者・森羅万象の修復}
●&bold(){松果体・第三脳室とクリプトン・希ガス、波動原理と超能力の根源的原理}
●&bold(){磁気と超能力}
●&bold(){バイオフォトンと生体リズム}
●&bold(){波動・意識・電気の媒質としての水分・神経}
●&bold(){ツボ・経絡について}
●&bold(){チャクラと関連する身体器官}
●&color(white,black){右脳左脳}
「大脳」の「左脳」「右脳」について、「右脳の働き」は「左半身を制御」「左視野を認識」、「左脳の働き」は「右半身を制御」「右視野を認識」します。「右脳・左脳」から発した神経は、「延髄」の「錐体交叉」などで交叉して、「右半身・左半身」へ伸びていきます。何故交叉するかは諸説ありますが、詳しくは不明です。「右脳:感覚」「左脳:分析・論理」とはよく言われる所で、「右脳:現在が全て」「左脳:過去と未来が全て」と評される事もあります。
「左脳」と「右脳」には、次のような特性があるとも言われます。
・「左脳」:「論理」「考える・思考・分析・計算」「理屈・理論・仕組み」「階層性(階層構造)」「ミクロ構造」「言語(声・音の認識/会話/読み書き)」「意識」「写実的」
・「右脳」:「情緒」「感じる・感覚・創造・直感」「感性・発想・イメージ」「統合性・体系化」「マクロ構造(俯瞰)」「独創性」「芸術」「図形の読み取りと処理」「空間認識」「音楽等を聞き取る能力」「絵画的」
これは「陰陽」であり、「知的生命体に必要な性質が、対照的性質の二群に区分けされ、左右の脳を処理装置と成した」というように解釈できます。ただ「右脳左脳論は誤り」とも言われます。しかし「何らかの分野(芸術など)で、活発に動く脳部位がある」というのもあります。
諸説を総合すると「局在的な脳機能は無い」「このような行為が行われる際には、左脳・右脳のどちらかだけが働いている訳でなく、脳が全体的に活性化して働いている」「その中で、○○の行為・処理では、××が主導的に働いている、というように最も働く部位がある」とのようです。脳とは宇宙であり複雑系の世界なので、包括的に存在しているのでしょう。
「論理⇔感性という陰陽の極性」における意味での「論理(左脳的)の性質」が過多であると、「論理方向の過多」→「階層性過多」→「還元主義・唯物思想の弊害」「分断的思考法の社会での蔓延」「巨視的思考や融合的概念の軽視」という状況を招きます。近年の世界における傾向には、この背景が存在して、これは「従来科学の基本的観念の、 要素還元主義への偏重」に準拠した物だともいえます。
「両脳が同時に働くとバランスが改善、脳波はアルファ波以下に低下して、精神的・肉体的に安定的になり、ストレスが軽減する」と言います。「論理と感性」「左脳と右脳」は共に大事であり、何事につけても「陰陽の両方の働きの中間にバランスを置くこと」が重要なのでしょう。
●&color(white,black){脳と間脳}
《脳の主要部位の位置》
&color(white,gray){間脳}
・大脳半球と中脳の間。
・左脳・右脳の間。
&color(white,gray){脳幹}
・延髄と橋、中脳と間脳を合わせて脳幹と呼ぶ。
・狭義の脳幹(下位脳幹)は、延髄・橋・中脳で構成され、間脳の下部にある。
&color(white,gray){中脳}
・狭義の脳幹(下位脳幹)のうち、もっとも上の部分。
&color(white,gray){小脳}
・大脳の尾側に位置。
・大脳最後部(頭部最後部の奥)にある後頭葉の下部。
&color(white,gray){大脳(終脳)}
・大脳皮質、白質、大脳基底核で構成される。
・左右両側の大脳半球を「左脳・右脳」と呼ぶ。
「脳幹・小脳・脳下垂体」は、思考などに携わる表面部の大脳新皮質に比べ、より「生命活動の基幹部分」に携わっていて、「根源的な脳」「動物的な脳」「爬虫類脳」などと呼ばれます。
「間脳」は「大脳の一部位」「視床・視床下部・脳下垂体・松果体・乳頭体の総称」「自律神経の中枢」で、「左右の脳機能の統合的処理」を行っています。特に「統合的感覚・統合性」「超感覚」などを司っていて、正中線上にある脳部位であり、チャクラ活性化・波動上昇がされると、特にこの部位が活性化します。
では、どのようにすれば間脳が活性化するかですが、これは「正中線と間脳への意識を持つ」「体の硬直・歪みを解消する」です。正中線・間脳は周囲の硬直・歪みにより、収縮した状態にあります。拠って体の硬直・歪みを解消しないと、本来の大きさより小さいままとなり、波動の循環が阻害されるので、能力は発揮されません。また、その位置も把握し難くなって、正中線・間脳の意識が持ち難くなります。
間脳の一部の「視床(ししょう)」は、 嗅覚以外の、「視覚・聴覚・体性感覚などの感覚入力を大脳新皮質へ中継する」という重要な役割を担っています。この後部に、下記の「松果体」があります。
「脳幹」は「延髄・橋・中脳・間脳の総称」「中枢神経系を構成する器官集合体」であり、無意識下で行われる呼吸など、「生命の根幹部分を担う役割」があります。
「小脳」は「小脳虫部・小脳半球・小脳片葉・小脳核などの総称」、主要機能は「知覚と運動機能の統合」で、障害が起きると精密な動作や平衡感覚が失われます。
「脳下垂体」は「成長ホルモン」をはじめとする「多様のホルモンの分泌」を行う「内分泌器官」です。「甲状腺・副腎皮質・性腺などのホルモン分泌器官」に対して、「分泌器官を刺激してホルモンを分泌させる為のホルモンを分泌」しています。いわば「ホルモン分泌の元締め器官」といえる存在です。
脳の中心部の周囲の「古皮質」は「感情を司る古い脳」「両生類から見られ」、これを取り巻く「大脳新皮質」は「大脳の部位のうち、表面を占める皮質構造のうち進化的に新しい部分」「合理的で分析的な思考や、言語機能を司る」「いわゆる下等生物では小さく、高等生物は大きい傾向がある」「人類では、中脳、間脳などを覆うほどの大きさを占めている」という性質があります。
「大脳」は、脳の中部・上部を占める大きな部位、「大脳皮質:表層の灰白質」「白質:大脳皮質の下にある神経線維の束」「大脳基底核:大脳中心部で間脳の周囲を囲むように存在する神経細胞の集まり」で構成されます。
「大脳皮質」は「知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能を司る」「神経細胞は規則正しい層構造をなして整然と並んでいる」「両生類から見られる古皮質と、哺乳類で出現する新皮質がある」という性質を有し、「前頭葉:外側溝より上側で、中心溝より前側の部分」「頭頂葉:外側溝より上側で、中心溝より後側の部分で、頭頂後頭溝から角回あたりより前側の部分」「側頭葉:外側溝より下側で、角回あたりより前側の部分」「後頭葉:頭頂後頭溝あたりより後側の部分」「島皮質:外側溝が内側にくぼんで広がり、外からは見えなくなった部分」「内側面:大脳縦裂に面し、左右半球が向かい合っている面」「下面:眼窩や小脳に接している面」に分かれています。
「大脳辺縁系」は「情動の表出、意欲、そして記憶や自律神経活動に関与している複数の構造物の総称」です。「大脳辺縁系で多くの欲望が生み出される」とも言います。
「海馬」は「大脳辺縁系の一部である、海馬体の一部」「記憶や空間学習能力に関わる」「虚血・心理的ストレスに対して脆弱」という部位です。他に「特徴的な層構造を持つ」「神経科学の分野では、海馬体の別の部位である歯状回と海馬をあわせて海馬と慣例的に呼ぶことが多い」という性質があります。
「頭頂葉」は、主に知覚のうちの「体性感覚・平衡感覚」「動作の決定」「複雑な動作」「計算(などに携わっています。
「後部頭頂葉」は人間で特によく発達しているぶで、「立体的な関係の把握・理解」「身体の空間認知」「異種感覚統合」「記憶の想起(後述)」「痛みの短期記憶」「自己超越傾向(後述)」「高い注意力・集中力(後述)」を司る領域とされます。「記憶の想起に、海馬に代表される内側側頭葉だけでなく、後部頭頂葉の働きが関与する」「海馬傍皮質は内側側頭葉の後部、頭頂葉、後頭葉との結合が強い」という事が判明しています。「不安刺激」→「後部頭頂葉」→「高次視覚野」という経路があり、後部頭頂葉の高い集中を齎す機能により、恐怖・不安を起こす視覚刺激に優先して目を向けるようになります。「後部頭頂葉は自己超越傾向に関する部位」だと示唆する研究結果が、記事①「脳に神の御座みつかる?」にあり、「直感力での情報処理」→「論理的思考をしない(考えずに感じる)」→「周囲との一体感の感覚」→「上後部頭頂葉の硬直の悪影響の、脳の自己と非自己を区別する機能が弱まる」という作用原理のようです。ここの障害は「失書(自発的に字を書くことも書き取りもできない)」「失算(暗算も筆算もできない)」「手指失認(指定された指を示せない)」「左右失認」「道順障害」という症状を起こします。
「前頭前皮質」は「前頭葉の前側の領域で、一次運動野と前運動野の前に存在する」という場所です。機能は「機能を表す最も典型的な用語として、実行機能がある。実行機能は対立する考えを区別する能力の他、現在の行動によってどのような未来の結果が生じるかを決定する能力、確定したゴールへの行動、成果の予測、行動に基づく期待、社会的な"コントロール" (もし行ってしまったら、社会的に容認できないような結果を引き起こすような衝動を抑制する能力)に関係している」「多くの研究者は、人々の個性と前頭前皮質の機能との間には欠かすことの出来ない繋がりがあることを示唆している」です。纏めると「認知力」「判断力」「思考力」「行動の抑制力」が機能です。
「前頭前野」は「前頭連合野」とも呼ばれ、「高次機能を司り、人間における発達が顕著」です。「脳の活動性の調節に重要な役割を果たす」「記憶や学習と深く関連している」「特に初めて体験する作業などで、この領域の活動が必要であり、慣れてくると別の脳の領域に任されるようになる」「不快なストレス刺激や不安感により、活性化される」「前頭前野に障害を来すと、前頭葉症候群となり、周囲に対し無関心になる」「また、抽象的な思考ができなくなり、記憶障害や知的機能障害、痴呆(認知症)などが起こる。うつ状態でも、この領域の代謝や脳血流量が低下している」とされます。纏めると「認知力」「判断力・決定力」「感情の制御」「創造性」「理性」が機能です。「人を人たらしめているのは、前頭前野である」とも言われているそうです。ここは「遅くに成長、早くに衰える脳部位」です。前頭葉が老化・損傷すると「思考の硬直」「感情の抑制が出来ない」「切り替えが利かなくなる」「集中力低下」という症状が現れます(項目6⑪)。
「前部前頭前野」は「前頭前野の最前部の領域」「特に人間における発達が顕著」であり、「信念を形成する部位」とされます。
「特徴統合理論」という理論があり、「初期段階でいくつかの単純な視覚的特徴の処理」→「複数の特徴マップとして表象」→「顕著性マップとして統合」という段階を経て、「興味の対象となる領域へ注意を向けるためにアクセスがされる」とされます。特徴統合の脳内機構は「後部頭頂葉や前頭前野前部など、 複数の領域がネットワークとして機能している可能性が示唆されている」という研究結果があります。「人間でよく発達している後部頭頂葉・前頭前野前部の両部位は、特徴統合という高次機能で特に機能を発揮される」「知的生命体を特徴付ける代表的な高次機能に、高い注意力・集中力がある」とも考えられます。
人間でよく発達している脳領域は「前頭前野・後部頭頂野・側頭野」で、前頭前野が成熟するのは25才ごろ、「現生人類は、成長を遅くさせることで高度な脳機能をより発達させるように進化してきた」との説があります。
視覚について、最終的には「後頭葉」にある「視覚野」の「一次視覚野(V1)」で、物を見ています。目に入った光の情報は、眼球の奥の「網膜細胞」を刺激、「視神経」「視索、外側膝状体(間脳の一部)」「視放線」を経て、大脳皮質の一番後ろの一次視覚野に入ります。ここから前方の「視覚前野(V2・V3・V3A・V4・V5で構成)」に入り、「見たものを理解する」となります。右眼と左眼の眼球から入った情報は、途中で一緒になりますが、視野の左半分は右の後頭葉が処理、視野の右半分は左の後頭葉が処理します。
「延髄」は「脳幹の一部」「後頭部と頸部の境目あたりに位置する」という器官です。この「頭部と頸部の境目周辺」は、一気に狭窄化する場所で、ここの「後頭下筋群」は硬直しやすく、「頭痛の最大の原因」となっています。
延髄付近の血管には「血液脳関門」があり、「不要物質が脳に入るのを阻止する」という働きがあります。
Wikipediaには次のようにあります。「血液と脳(そして脊髄を含む中枢神経系)の組織液との間の物質交換を制限する機構」「実質的に、血液と脳脊髄液との間の物質交換を制限する機構(血液髄液関門)でも」「脳室周囲器官(松果体・脳下垂体・最後野など)には存在しない」「これは、これらの組織が分泌するホルモンなどの物質を全身に運ぶ必要があるためである」「毛細血管の内皮細胞の間隔が極めて狭いことによる物理的な障壁である」
これらを纏めると、脳中央部は「間脳は正中線・脳の中央に位置、体・精神・波動における根源的機能と、統合性を司る」、額の奥は「前頭前皮質のうちの、前頭前野は高次脳機能に強く関る」「前部前頭前野は特に、意識その物である信念を形成する」という役割が見て取れます。
現代人は、全身の正中線の機能が良くなく、間脳の機能が充分に発揮されていません。ストレスが掛かったり、虐待を受けたりなどにより、前頭前野や前頭葉の機能が低下しています。根源性と高次性を司る2つの領域が揃って機能低下していて、この回復が特に重要です。それには「脳中央部や額の奥が、リラックスしつつ、且つ集中しているような意識を形成する」というのが必要です。
読書・速読の時の意識集中法について、「後頭部の後頭大隆起の後方のやや上方に、意識を集中する」という方法論があります。これは「後頭葉の視覚野で視覚は処理される(物を見ている)」という点とも符合、「俯瞰」の意識に近いと思われます。この状態では、目だけで物を追っていく時の疲労や緊張から脱却でき、落ち着いて物が見れるでしょうし、視野も広がるでしょう。思慮深さにも通じてくるとも考えられます。
これらを考えると「意識緩和(遠心力)と集中(求心力)のバランス」「意識の大部分は、脳の大部分は、また全身的にはリラックスして、必要な部分だけ集中する」というのが重要であり、具体的には「後頭部に意識をおいてリラックスさせ、必要に応じて対象物に意識集中=前頭葉を活性化させる」という方法が考えられます。これにより「波動・気・神経情報が、余計なノイズを受けずに、斉一性(コヒーレント状態)を保ちながら、効率的に全脳・全身に浸透する」と推察されます(後述)。
そして「大脳新皮質など脳の周辺部位は、人間特有な高次思考を司るが、ストレスを受けやすい」「そうなると、脳の正中線や中心部にある脳部位=直感や統合機能を司る脳は、本来の機能を発揮できない」「こうして脳機能が全体的に弱くなる」「なので、新皮質などの周辺部位を、晴れ渡ったようにスッキリした感じにさせ、脳の中心部を、その締め付ける圧力から解放する」という解釈もできます。
「脳」と「脊柱(背骨)」は「脳脊髄液(のうせきずいえき・髄液)」によって保護されています。「脳脊髄液」は「脳室」と呼ばれる空洞と「クモ膜下腔満」の内部を満たし、「側脳室・第三脳室・第四脳室」で生成されます。
「第1次呼吸」という「体のバイオリズム」があり、「第2次呼吸=肺呼吸」と対の概念、「閉じる開く・縮む伸びる、という運動を体がしている」「脳脊髄液を頭と足の両方向に、循環させる波動を生み出す」という運動です。これには「CRI(8~14回/分):脳脊髄液・体液の流れ」「ミッド・タイド(2.5回/分):潜在力・体液・組織の一体化」「ロング・タイド(1回/100秒):生命の息吹・生体電気場」という3種類のリズムがあり、カイロプラティックなどで重視されます。「人は受精卵の時点から1次呼吸のリズムに従うような動きをしながら胚から胎児の姿に成長していく」とされ、然し受精卵には筋肉は無く、このリズムの発生源は不明です。
脊柱最下部の「仙骨」は古来重視されてきた骨で、「骨盤の中央・お尻の真ん中の、手の平ほどの逆三角形の骨」「人体最大の坐骨神経叢の隣接部位として、仙骨神経叢がある」「バランサーのような役割で、そこで宇宙の波動が感知される」「身体の土台で、歪むと体のバランスも歪む」などと言われます。仙骨と、その上の「腸骨」の間に「仙腸関節」という稼動域が小さい関節があり、「脊柱の回旋運動」を司り、運動で重要視されます。「骨盤の歪み」は、多くがこの3箇所が歪みます。
脊柱の最上部には「環椎(第一頚椎)」「軸椎(第二頚椎)」があります。「環椎」は「頭の左右・上下・捻じりの動作を操作する」「後頭骨に隠れるので外部から触れられない」という部位です。
その上に「頭蓋骨」の23個の骨と、脳・脊髄を保護する「髄膜(硬膜・クモ膜・軟膜)」があります。「硬膜」の中で「脳脊髄液」が循環、「脳脊髄液は頭を捻ると多く生産される」とされます。頭蓋骨最下部の「後頭骨」は「頭蓋骨や脳の台座」のような位置にあり、後頭骨内部の「大後頭孔」にある「環椎後頭関節」で「環椎」と繋がっていています。「蝶形骨」とは「蝶形後頭軟骨結合」を通じて接しています。
頭蓋骨中央に位置する「蝶形骨」は、非常に重要視されます。「眉間・目・こめかみ・鼻の両脇」にあり、殆どの場所は頭蓋骨の奥にあります。大翼と呼ばれる部位が「こめかみ」に伸び、唯一「こめかみの窪み」で、「頬骨」との接合部位として露出しています。蝶が羽を広げたような形で、非常に複雑な構造を持ち、縫合線を介して多くの頭蓋骨と接し、そこに「小脳・中脳・間脳・橋・延髄」が収まっています。内部に副鼻腔の1つとして、2つの大きな「蝶形骨洞」が存在、内部は粘液を分泌する細胞で覆われています。
仙骨の宇宙の波動は、蝶形骨に伝わり、蝶形骨が調整されると仙骨が調い、互いに共鳴しているとされ、「蝶形骨と仙骨は、体の前後方向のエネルギーの極」とも言います。整体などでは「蝶形骨の位置・波動を調整すると、頭蓋骨・頚椎の歪みが解消され、波動が上昇する」とされます。歪みは「目・視覚」「鼻」「耳・聴覚」「間脳」に影響を与え、特に「頭痛・めまい・吐き気・集中力と思考力の低下・顔の歪み」などを引き起こします。頭痛の時に「こめかみを抑える」のも蝶形骨の歪みによります。また「気道・食道」などの「管状の膜構造」の上部(口腔上部)に蝶形骨があり、「蝶形骨が歪むと膜構造が緊張して、横隔膜まで歪む」「多くが筋膜で構成される呼吸機能にも関る」とも言いいます。
その体表側の「篩骨(しこつ)」は「目と鼻筋の間の骨」「前頭蓋窩正中部に1つ存在し、鼻腔、脳頭蓋、眼窩を隔てるほぼ方形の骨」「副鼻腔の篩骨洞がある為に、骨内に多数の空洞で、体積に対して非常に軽い」「背骨と、その延長の骨の中で、最も波動が高い」「人体で最も磁鉄鉱が多く、磁場・指向性に関係する」「尾骨に共鳴し、身体の上下方向のエネルギーの極」「深遠で重要な機能を持つ、精神面の入り口、瞑想の中心になる場所とされる」「奥に第三脳室がある」などとされます。
「口蓋骨」は「顔面の中心部、上顎骨の後方に左右対称に2つ存在し、内側縁で正中口蓋縫合により互いに骨縫合している」「腸骨に共鳴し、身体の左右方向のエネルギー的な極」とされます。
(以下●&color(white,black){深層脳と表層脳}で後述します)
記事1:
脳に神の御座みつかる?
雑誌Neuron2月号に掲載された論文によると、脳のガン除去手術を受けた88名の患者に対し、手術の前後にいくつかの質問をしました。その中には、自己超越傾向をみるための質問もありました。例えば、自分に、寝食を忘れて何かに没頭してしまう傾向があるかどうかとか、他人や自然物に対して、強い精神的つながりを感じることがあるかといったものです(参考:トランスパーソナル心理学)。手術前の結果では、側頭葉や頭頂葉を含む後頭葉にガンをもつ患者において、先の質問にYesと答える傾向が、前頭葉にガンをもつ患者よりも高く出ました。そして、これらの傾向は、手術の後、さらに強まったというのです。脳のどの領域に、この自己超越傾向と関連がある領域があるのかを、さらに詳細に解析した結果、後部頭頂葉(図の赤い場所)が最も可能性が高いという結果になりました。
この場所は、健常人では、自己超越傾向を抑制するが、ガンによるダメージや、ガンの除去による喪失により、その抑制がはずれ、自己超越傾向が高まったというわけです。それは、すなわち自分が何か超越的な存在によって、この世に生かされていて、自分の人生は、その存在、つまり簡単に言えば神様のお導きだと考える傾向が高まったということです。
ただ、実際にこの後部頭頂葉という領域は、身体の空間認知を司る領域と考えられていて、そこがダメージを受けると、自分の存在を確信できなくなり、自分やそのまわりの実在に対する現実感がなくなるのではと推測する研究者もいるようです。また、他の研究では、この領域が、祈りや瞑想といった精神状態にあるときに活性化している(理屈からすると逆のようにも思えるのですが)ことがわかっています。
http://blog.livedoor.jp/science_q/archives/1048473.html
●&color(white,black){ミラーニューロンと共感・共鳴}
脳には「ミラーニューロン」と呼ばれる脳神経細胞があり、「前頭葉」の「前運動野」「下頭頂葉」「下外側前頭前野(ブローカ野の一部・44野)」の何れかに存在するとされます。
「他人の意図・行動の理解・共感・模倣に重要な役割を果たしている」とされ、「モノマネ細胞」とも呼ばれます。「相手と同じ気持ちに、自分を同化させる・引き上げる」という働きを持っていて、これにより「意思・想いの伝達・理解」「コミュニケーション」「他人の行動のシミュレーション」が実行・促進されます。この働きの前提には「自己と他者の区別をしない」という、この細胞の独特の性質が存在します。また、その働きの大小は「対象への心理的距離」に依存します。
この細胞は、人類だけでなく「霊長類」全般に存在して、「鳥類」にも存在するとされています。更に「リズムと身体が同期したミラーニューロン」は「人類」「鳥類」「一部の鯨類」が持っているとされ、これは「音楽・演劇」などに不可欠の要素とも考えられます。脳波の「μリズム」は「何かを自分でしたり、他人がしているのを見たり、イメージを浮かべたりすると抑制される」という性質があり、「μリズムが少ない時:ミラーニューロンが働いている時」とされます。
「ミラーニューロン」は「共感能力・共感脳の神経細胞」とも、また「量子もつれ(共鳴)を促す細胞」「魂振りを促す細胞」「融合性・調和・共存を生み出す細胞」「人類の"共"的な事象・感覚・概念に纏わる細胞」とも看做す事ができます。こういった働きにより始めて「言語」「文明」などは存在できるので、ミラーニューロンはこれらの発生にも纏わるとされます。この働きにより、社会という「互恵的な共存環境」を作り出され、人類は環境に適応しながら暮らして、または「親族・知り合い・他人の行動・様子への理解・共感」から「劇・物語・映画・ドラマを見て、その情感や喜怒哀楽を感じる事」「文化・芸術の内容・題材への思い入れ」まで、日常の多くの場面が構成される事になります。
「ミラーニューロン」は「共感する事で活性化する」ので、上記のような状況や、「人とのコミュニケーションが生じた場面」、又は「赤ちゃんの行為を真似してあやす(ごっこ・ふり)」などの場面で、「思い入れを深める・心を込める」ことによって、その活性化は促されます。
●&color(white,black){波動的な治癒能力、自己・他者・森羅万象の修復}
「人間の他人に対する、波動的な治癒行為・ヒーリング行為」には「自らは媒介となって、何らかの波動(高次元など)を相手に流す」「自らのエネルギー自体を相手に流す」という2種類があります。「波動的な相手への治癒能力」というのは、人によりそれぞれです。また「共感能力」とは「相手の意識・心の波動へのチューニング能力」とも理解できます。「人間・意識の波動的の構成要素」は無数にあって、「共感能力」はその一部です。なので「共感能力」というのは、「他者への治癒能力・修復能力」「環境修復能力」の重要な要素です。
「オキシトシン」は「幸福ホルモン」と言われ、「視床下部の室傍核と視索上核の神経分泌細胞で合成され、下垂体後葉から分泌されるホルモン」です。その働きは「脳・精神の疲労回復・安定化・ストレス減少」「心臓機能安定化・血圧抑制」「人への信頼感・親近感向上」「幸福感向上」「長寿命化」です。また「神経伝達物質」で、「精神安定効果・鎮静効果」のある「セロトニン」とも密接に関っています。
「東北大震災での陸上自衛隊員」は「ベトナム戦争での米帰還兵」に比べて「PTSD罹患者が遥かに少なかった」という統計データがあり、事態の背景が異なる物の、しかし「国民からの感謝による充実感の違い」も大きいとの分析があります。社会心理学の理論「努力─報酬モデル」では、「一生懸命やった努力が報われればストレスはたまりにくいが、モデルが崩れ、努力した分の報酬が得られないとストレスは過大になって跳ね返る」とあります。これは「想いの連帯感」の重要性を表していて、これにより「心も社会も自然環境も修復される」ようになります。
「共感能力」が高いと「オキシトシン」などの分泌が盛んになり、「自己や他人への波動的な治癒能力が上昇する」となります。「共感能力」は「他者・他の存在との意識の共有を促すもの」であり、これにより「社会広範にわたる、多くの意識・人々の連帯」が醸成されます。更に「社会や自然環境に対しての、波動的な修復・改善能力も上昇する」ようになり、また「社会・自然環境への波動的な修復・改善への意識・想いは、意識の覚醒・向上と共に高くなる」となります。
こういった能力は「調和的意識・融和的意識」「愛情・思い遣り」などの感覚により、「その能力がより向上する物」であり、こういった意識においては「自己を癒す」「他者を癒す」「他の全ての存在を癒す」「全てと融和的・共存的に存在する」というように、「気持ちの向く方向」が一体的に繋がっています。そしてこのような能力は、後述の「各所に光の柱を立てていき、環境と社会を浄化して、社会を覚醒させ、素晴らしい世の中にする」という、「ライトワーク」の行為には不可欠な能力です。またこれは「人類の始原的な方向へ帰還する回帰的な行為」でもあります。
しかし、幾ら元々の能力値としては「共感能力」が高くても、「他の部分が低い」のであれば、あまり「共感能力」は有効に作用されず、その「波動的な共鳴の効果」は「社会に対して、より否定的・悪化方向へと向かわせる物」となるでしょう。「社会に問題がある場合に、その空気・常識に同調してしまう」「周囲の人の否定的行動を真似る」という、負の側面をも生むとも考えらていれます。これは「同調圧力」であり、また「個の抑制」「集団第一主義全体主義」「自己中毒的な社会状況」とも繋がります。「低意識も量子もつれで共鳴して増加する」ので、ミラーニューロンは「社会の空気を、その良性・悪性の方向に応じて、更にその方向へより推し進める働きを持つ」とも考えられます。
現代日本人は心身が疲労していると言いますが、この社会的背景により、多くの人には「良性の共感能力や相互的信頼感の低下」「オキシトシンなどの分泌量低下」があるとみられます。「ミラーニューロン・共感能力」などは、元々は「社会を良い方向に導き出す側面」の方が強いと思われ、また「日本人に発達している」という可能性も考えられますが、「日本社会の各種状況・方向性・力学・空気」などを見ると、現代においては非常に悪い方向に作用していると思われます。状況が大きく変われば、大きく活躍してくれると思われ、そう願いたい物です。そして結局は「全ては意識レベルで決する物である」となります。
●&color(white,black){松果体・第三脳室とクリプトン・希ガス、波動原理と超能力の根源的原理}
&bold(){「松果体」}は&bold(){「間脳」}の一部で、&bold(){「頭部・脳の中央部」「眉間の奥」にあります。脳の深部静脈に囲まれ、また脳の深部に到る3つの神経節細胞と連結していて、その一つは脊髄の巨大なニューロンとも結合しています。ています。&bold(){「松の実のような赤色をした0.1~0.2グラムほどの器官」「様々なホルモンの分泌腺」}であり、この点について後述します。
動物の多くにも「松果体」はあります。爬虫類・魚類・両生類には、頭頂部に「頭頂眼(第3の目)」がある種があって、これは「光受容器」であり、「光・明暗」を感知しますが、松果体と類似の器官とされます。松果体で「磁場」も感知できる生物種もあり、「鳥類」は地磁気を捉え、これにより渡り鳥が渡りを行います。
「松果体」は非常に小さいながらも、昔から哲学・精神世界では重要視され、「創造主(神)と直接交信する器官」などと言われてきました。それは&bold(){「脳の最も奥深くの中央にある」「受胎して約3週間で完成する(最も早く完成する器官)」「子供では大きく、思春期になると縮小する」}からです。松果体に対応する「眉間」は、&bold(){「第6チャクラ(アージュニャー)」}であり、中医学では&bold(){「天目(てんもく)」}と呼ばれます。また「天の気を受け取る」とされる、頭頂部の「第7チャクラ(サハスラーラ)」と結び付けられる事もあります。
「山伏」の「頭巾」、インド女性の額の赤丸印の「ビンデー(Bindi)」など、松果体に纏わると言われる物が多数あります。古代の「仏像・仏画」「神像」には第三の目が描かれ、「空海」は「瞑想中に天目に太陽が飛び込んできて覚醒した」と言われます。
&bold(){「松果体の内壁」} は&bold(){「目の網膜の構造と非常に似た細胞組織」}で構成されています。これは&bold(){「量子の受容器」}です。
松果体が発達すると、各種の像が見える&bold(){「ビジョン系の能力」}が発達、&bold(){「透視・遠隔視」}などが行えるようになります。&bold(){「電磁波=光子」}であるので、&bold(){「電磁波」=「電場と磁場)」}を見る事も可能になるでしょう。&bold(){「波動が上がると万物は微細化する」}という効果がありますが、究極的には&bold(){「松果体のビジョンは量子レベルの大きさまで見る事が可能」}でしょう。
また&bold(){「松果体のビジョン」}には、頭部後方の出っ張ってる部位「後頭大隆起」周辺にある&bold(){「視覚野」}の働きも重要です。そしてこのビジョンは&bold(){「360度の視野がある」}という特徴を持っていて、「寝入りばな」など「高度に脱力した状態」「無の状態」において見られる事があります。波動状態がそこにまで至っていないと、視野は限られます。
「松果体」の中核はごく微細な&bold(){「水晶質」}で構成され、ここで&bold(){「波動の増幅・増加」}を行っています。
&bold(){「水晶」}は「二酸化ケイ素(SiO₂)」が結晶してできた鉱物で、「石英」の中でも特に無色透明な物を呼びます。結晶構造は「DNA」と同じ&bold(){「二重螺旋」}、&bold(){「記憶能力が高いパワーストーン」}であり、波動器具に用いられたり、またパワースポットの地下には水晶の鉱脈があることが多いと言います。「水晶」の際立った特性に&bold(){「圧電効果」}が存在し、これは&bold(){「力を加えると分極(表面電荷)=電位差が発生する」=「電子と陽子が別々に大量に発生する」}という現象です。
&bold(){「松果体の波動拡大能力の原理」}とは&bold(){「意識の集中」→「水晶に波動(量子)や力が加わる」→「圧電気の発生」→「意識の波動の拡大」}という作用原理による物であり、そしてこの効果を促進する為には&bold(){「体が柔軟であり、平時において、松果体の水晶に掛かる外力が少ない」=「コヒーレントな波動状態(斉一性が高い波動状態)」}という環境が求められます。また後述のように&bold(){「松果体の浄化・拡大」}も必要で、これは&bold(){「拡大には、脳の硬直・歪みの解消が必要で、この状態では松果体への外部からの応力が減る」}からです。
松果体の能力の大きな要因に&bold(){「松果体が脳や頭部の中心部にある」}ことがあります。&bold(){「人体」「頭部・脳」「オーラ」}とは&bold(){「幾何学的形態」「結晶体」}であり、頭部・脳の中心部にあるという事は、&bold(){「松果体」=「ゼロ点」「波動が集中する場所」}だという事を示します。
このように&bold(){「松果体」は「人体最大のゼロ点」「体内外と波動を送受信する最大のアンテナ」「体内外の波動を拡大(増加・増幅)する器官」「様々なビジョン(像)を映す器官」}です。また&bold(){「松果体の活性化は、寿命・若返りに大きく影響する」}と言います。
&color(white,gray){圧電効果(あつでんこうか)}
・「ピエゾ効果」とも言う。
・物質(特に水晶や特定のセラミック)に圧力を加えると、圧力に比例した「分極(表面電荷)=電位差」が現れる現象。
・この電気を「圧電気」や「ピエゾ電気」と言う。
・これは「表面弾性波(物体表面に集中して伝播する振動)」である。
・逆に電界を印加すると圧電体自体が変形する現象は「逆圧電効果」とも言われるが、この現象も含めて「圧電効果」と呼ぶ場合もある。
・これらの現象を示す物質は「圧電体」と呼ばれ、ライターやガスコンロの点火、ソナー、スピーカー等に「圧電素子」として幅広く用いられている。
・「圧電体」は「誘電体」の一種である。
・圧電効果は、ある物質が機械的応力の応答として生ずる電気的ポテンシャルである。
・ピエゾ電気は、結晶格子を通る電気的変化の分離として生ずると考えられている。
・物質が(電気的に)ショートしていないならば、かかる変化は、物質を通る電圧を誘導する。
・圧電性の結晶内では正と負の電荷が分離している。
しかし、対称性が広範囲に及んでいるため、結晶全体では電気的に中性である。
・これら各々のサイトは、電気的に双極を形成し、近くの双極は、「ワイス・ドメイン」という領域でお互いに一直線に並ぶ傾向がある。
・ドメインは通常不規則に方向を定めているが、強い電場を材料を横切って、通常温度上昇を伴い、かけるという工程、すなわちポーリング(磁気ポーリングとは別)の間は一直線に並びうる。
・機械的応力をかけると、この対称性は広範囲に及び、電荷の非対称性が材料を横切る電圧を生む。
・例えば、1cm片の石英立方体に正確に2kN(500lbf)の荷重をかけると12,500Vの電圧が生ずる。
・ピエゾ電気物質はまた、電場をかけると結晶に機械的変形を引き起こす、「逆のピエゾ電気効果」と呼ばれる正反対の効果を示す。
・「水晶振動子(水晶発振子)」は、水晶の圧電効果を利用して「高い周波数精度の発振」を起こす際に用いられる受動素子の一つである。
・水晶片を用いた「発振回路」は、その固有振動数の発振出力が得られる。
・その固有振動数に近いある特定の周波数帯でのみ、コイルのように誘導性リアクタンスをもつものとして動作する。
・その周波数は「10のマイナス6乗オーダー(100万分の1)=メガヘルツ(100万ヘルツ)レベル」の精度が容易に得られ、他に類を見ないものであることから、周波数や時間の基準として広く用いられている。
・水晶片の発振周波数は振動子の厚みと相関にあり、薄いほど高周波を発振できる。
・クォーツ時計、無線通信、コンピュータなど、現代のエレクトロニクスには欠かせない部品となっている。
&bold(){「松果体の拡大と浄化」「第三脳室と脳脊髄液の浄化」}は、波動改善や波動的能力に非常に重要です。
「松果体」は、最重要視されるホルモンの「メラトニン」や「セロトニン」「ドーパミン」「アセチルコリン」「βーエンドルフィン」を分泌、松果体を基点に脳内から「20種類以上の脳内ホルモン」が分泌されるとも言います。
また「DMT(ジメチルトリプタミン)」を分泌、これは強烈な幻覚作用を起こすことから「スピリットの分子」とも呼ばれ、死の間際に多く放出されます。アマゾンのシャーマンが服飲する「アヤワスカ」に含まれ、静脈注射実験では「被験者の半数近くが地球外生物に遭遇した」と報告されています。
「メラトニン」の機能は、「波動上昇・人体の修復」「概日リズム(サーカディアンリズム)の修正」「強力な抗酸化効果・がん予防」「核DNA・ミトコンドリアDNAの保護」「免疫力向上」「自律神経の恒常性維持」「成長ホルモンの分泌」「鎮静作用・催眠作用・深部体温低下作用」「精神病治療・不眠症」「性腺抑制作用(子供の性的な成熟を抑制)」などです。
「セロトニン」は「神経伝達物質」「心を安定させる」「筋肉の収縮」などの働きがあって、主に「腸」から、そして「松果体」からも分泌されます。松果体からは夜には「メラトニン」が、昼には「セロトニン」が主に分泌されます。
松果体の活性化は、食生活においては「メラトニンと、その材料になる物」を摂るのが良く、体内では「トリプトファン→セロトニン→メラトニン」の順で合成されます。「セロトニン」は「バナナ」に多量に含まれ、「米」には「メラトニン・セロトニン・トリプトファン」が三種とも含まれています。松果体は水晶で構成されているので、「珪素」が重要であり、食物繊維に多く含まれます(項目6③珪素の項)。
「体の部位と同じ形状の食べ物は、その部位に良い」との説があり、松果体には「アーモンド」が良いと言います。「松の実」は、漢方で脳に良いなどとされます。「胡桃(くるみ)」は、脳の形に似ている事から、昔から脳に良いと言われ、また「メラトニン」が豊富に含まれています。「ヨウ素」は体内からの「フッ化物(フッ素・後述)」の排泄に有効とされ、「海草」に多く含まれます。そして「良質な睡眠:メラトニンが最も放出されるのはAM0時~2時」「ストレスを無くす」「酸化状態(低波動状態)を避ける」のが必要です。
「松果体の反射区」が「足の親指の内側・人差し指側の、指先から1cmほど下の部分」にあります。後述のように、「反射区」は「体の各部位と気脈が通じている部位」で、ここを刺激(揉む・押す・手当てなど)すると、松果体が活性化します。
「松果体の状態悪化の主因」として「人工的な電磁波・人工放射能」「重金属(水銀・アルミ・パラジウム・鉛等)」「フッ素・塩素・臭化物などハロゲン化合物などによる硬化」「水晶質の石灰化(カルシウム沈着)」「酸化アルミニウム」が挙げられます。「石灰化」については「大人になると松果体は石灰化する」「アルツハイマー症患者は石灰化が進行している事が多い」という傾向があります。状態悪化の要因については、日頃から重々避けるように気をつける必要があります。
「人体の浄化・正常化」は、意識エネルギーで行える事ができるので、日頃の波動改善と共に、「浄化・正常化の意識付けや、その言葉を言う事・書く事」が大事です。
&bold(){「第三脳室」}は、松果体の前方(或いは周囲)にあって、&bold(){「左右間脳に挟まれた空間」「左右の大脳半球を繋ぐ場所」「左右の視床を隔てる幅の狭い空間」「下方に視床下部がある」「中枢神経系の中にある」「正中に沿って広がる左右に平べったい隙間」「脳脊髄液に満たされた部位」}です。
&bold(){「脳脊髄液」}は&bold(){「脳室系」「クモ膜下腔」}を満たしていて、&bold(){「リンパ液のように無色透明な液体」「弱アルカリ性であり、細胞成分はほとんど含まれない」「脳室系の脈絡叢から産生される廃液であって、脳の水分含有量を緩衝したり、形を保つ役に立っている」}されます。交通事故での鞭打ち症などで起きる「脳脊髄液減少症」は「硬膜から髄液が漏れる症状」で、漏れる部位は「脊椎硬膜外腔」、酷くなると「高次脳機能障害」で日常生活が困難になります。対策として、硬膜の損傷箇所に自己の血液を入れて、その凝固で穴を塞ぐ「ブラッドパッチ」が有効です。これは&bold(){「脳脊髄液は単なる廃液でなく、高次脳機能に関連する物質である」}ことを示唆しています。
「脳脊髄液」は「不要物質」が溜まると、「頭痛」ほか各種悪影響が発生、その浄化が必要です。&bold(){「涙」「泣く事」}には&bold(){「脳脊髄液の浄化の効果」}があるとも言われ、「脳脊髄液が汚れてくると、自然と泣きたい気持ちになってくる」という説があります。
&bold(){「頭部を回旋させると、脳脊髄液が生成される」}という説があります。頭部の回旋は、頭蓋骨最下部にあって、頭蓋骨と頚椎を繋ぐ「後頭環椎関節・環軸関節」が担っています。これは&bold(){「一杯に満たされている脳脊髄液は、日々硬膜・骨髄から漏出する」「特に激しい動きがある脊椎硬膜外腔付近からの漏出が多い」「拠って頭部を回旋させると対策として、脳脊髄液が多く生成される」}という推論が考えられます。
目と鼻筋の間の&bold(){「篩骨(しこつ)」}には、副鼻腔の&bold(){「篩骨洞(しこつどう)」}があり、「第三脳室」はその奥にあります。&bold(){「呼気」は「篩骨洞で第1次呼吸と出会う」「そこでは、第三脳室にある第6チャクラの波動との関わりが起きる」}などとも言います。
古代エジプトのシンボル&bold(){「ホルスの目」}は、初期に「ウァジェト」「月の目」、後に「ラーの目」とも呼ばれました。これは何の形象か分かっていなかったのですが、近年「松果体と第三脳室の形状」と言われています。「ホルス神」は「ハヤブサの頭部を持つ太陽と天空の神」「その右目は太陽を、その左目は月を象徴」、「ラー(レー)」は著名な「太陽神」であり、両神は習合すると「ラー・ホルアクティ」と呼ばれます。これは「松果体」の性質だけでなく、「第三脳室」の性質も示唆します。
「第三脳室(の脳脊髄液)」や「視床下部」からは「クリプトン」が見つかっています。これは大気にごく僅かしか存在しない「希ガス」で、また非常に稀にしか化学反応しない「不活性ガス」であり、重い原子で、嘗てはその波長が1メートルの長さの基準にも用いられました。不活性ガスですが、何故か「キセノン」と共に麻酔作用を持っています。
&color(white,gray){第18族元素}
・長周期表第18族の、「ヘリウム」「ネオン」「アルゴン」「クリプトン」「キセノン」「ラドン」「ウンウンオクチウム(未承認で、性質も推定)」をいう。
・大抵は「希ガス(稀ガス)」や「貴ガス」と呼ばれる。
・常温では気体。
・原子における最外殻電子が閉殻となっていて、ヘリウムは2個,そのほかは8個の価電子をもつ安定な電子配置である。
・この為、化学的に非常に不活性で、普通の条件では化合物をつくらない。
・励起状態では酸化物,フッ化物や塩化物などの化合物をつくるものがある。
・ヘリウムを除いて、常圧かつ凝固点以下で「弱いファンデルワールス結合による結晶(単原子分子による分子性結晶)」を形成する。
・イオン化傾向が非常に小さい。
実験結果から「クリプトンは受信機として機能していて、ヘリウムと協調・共鳴して、記憶とテレパシーに介在している」「クリプトン原子中の電子は、意識に先んじて量子飛躍の現象を示し、これはクリプトンが肉体などに指令を出している事を示す」「これは知的生命体のみで見られる現象である」とする説があります。次のような記述があります。
(転載)
・脳の皮質下構造の中にクリプトン原子の連鎖を見つけた。
・視床下部でのクリプトン原子の存在は、決してランダムにはならない。
原子が連鎖していることで、ある程度の立体空間秩序に加え
(これは、それぞれの原子間を繋ぐ価電子が、存在しないのに、
原子どうしが固まっているのが説明のつかないことであるが)、
・その原子連鎖の最外殻電子は、素粒子物理学の不確定性原理に従わない。
クリプトン原子の鎖(OEMVUAUFB)は、唯一の情報の搬送体である。
・BUAWUAA (魂)は、情報を処理したり、考えたり、情報を計算したりできないが、
保存だけをするものである(WAAMの中では”次元”が無い)。
・IBOZSOO UHUUのネットワークは、脳と、B.B.から来る知的感情的情報を”凍結”する。
感覚器官を通して環境の情報を収集する。
・即ち見かけ上連続した実際は、宇宙からは、個別にか量子化された情報が来る、情報のモジュールを、
(低木の眺め、樟脳の香り、石の硬さ)の宇宙から、神経構造を通して、生化学のモジュールに変換するが、
神経構造は更にそこから生電子モジュールを通して、大脳皮質に変換する。
・これは、クリプトン原子のネットワークにより構成されている。
これは、情報の伝達の単純なチャネルである。
http://is.gd/Q5ZHRS
(転載)
最初、このコード化した運動は神経インパルスによるものと解釈されたが、この完全にシンクロしている量子飛躍は、実は人間の体の意識的な行動に対して約1マイクロ秒進んでいるとがあとで実証された。このことはクリプトン原子中の電子が肉体の行動に指令を出していると言ってもいい。しかもこの現象は知的生命体だけに起こるもので、他の動物たちには、自然界のすべての原子に共通な確率理論的機能に従った運動以外で、どのようなコードも法則も検知されなかった。
このあと長年にわたって研究が続行され、とうとうクリプトン原子の中には、受信機として機能しているものがあることが発見された。つまり計算された量子飛躍が意思行為よりも先に生じて受信機の役目をしているものもあることを発見した。そしてこの大脳皮質にある希少ガスの正確な役割を突き止めた。例えばこの情報の中にはヘリウムが何百万とかかわっていることが解明された。
外界の刺激が感覚器官に接続されたニューロンにキャッチされてできあがる視覚・聴覚・臭覚などのすべてのイメージと、記憶されたすべてのイメージや精神の発達は、大脳皮質のニューロン・ネットワークの中に見出される。ここでは、化学的熱反応によって熱を放出しながらヘリウム自由電子ネットワークの量子状態が刺激される。つまりモールス信号(デジタル信号?)のようなものが生じ、それがヘリウムに伝わっていく。
するとヘリウム原子の電子環とクリプトン原子の間に共振現象が発生し、次にこのクリプトン原子によって受信されたコードが人間の魂に理解できるコードに変換される。そこからまだ地球上で発見されていない神経器官が熱伝対(以下参照)に似た動きをし、さらにこれがニューロン・ネットワークによって整理誘導されて神経インパルスになる。
これらの神経器官は二つの前頭葉の運動野の中に配置されている。ユミットはそのあと、この視床下部にある別のクリプトン原子が他とは違う働きをしていることを発見した。すなわち、あらゆるユミットに対してこれらの原子はシンクロしていた。つまりすべてのユミットが同じ指令を受け取っているか、同じタイプの情報を発信しているかだ。
二人のユミットがどれほど離れていようとメッセージは同時に受け取られ、同時に発信される。まさにテレパシーによる交信なのだ。例えそれを遮断するメカニズムが働いたとしても、すなわち同通信と関係のないユミットに伝わるのを妨害したとしても、受信されることに変わりがない。従って意識的なテレパシー交信がなされなかったとしても、その信号は同時に受信され、伝播されるのだ。
http://is.gd/uw5YLf
http://is.gd/YIjZma
http://is.gd/XuL7WP
この「クリプトン」「ヘリウム」などが持つ性質は、これら原子が「量子跳躍・量子的飛躍(quantum leap/quantum jump)」を起こしやすい原子であることに起因します。これにより量子は、波長が揃った「単一波長・コヒーレンス状態」となり、「量子もつれ」が起きやすくなります。
「量子跳躍」について、現在の科学定説とやや異なり、繰り返しになりますが、概略を記述します。
「原子」には中心部に「陽子」と「中性子」があり、これは「原子核」と呼ばれます。原子核の周りには「電子」が「地球の公転」のように周っています。原子は「陽子の数=電子の数」「陽子の電荷(陽電荷)=電子の電荷(負電荷)」となっています。「電子の軌道」は通常は一定の場所を通っていて、これを「定常状態」と呼びます。
「軌道」は、最も軽い原子の水素のように「1つの軌道の物(s軌道・s電子)」と、「3つの軌道の物(p軌道・p電子」「5つの軌道の物(d軌道・d電子)」「7つの軌道の物(f軌道・f電子)」があります。これら「軌道に収容できる電子数」は、原子によって「2個・6個・10個・14個」と異なります。そして「全ての軌道は、規則的に飛び飛びに存在」しています。
時折起こる「電子が別の軌道へ瞬間移動する現象」を「遷移(せんい)」と呼びます。この時に「光を含む電磁放射線の放出」がされます。「遷移」は、エネルギーが増加した「励起(れいき)」状態になると起こりますが、何故遷移するのかは不明です。
それぞれの「原子の物理的・化学的性質」は、主に「最も外側の電子軌道(最外殻電子の軌道)」で決まり、「第1族元素~第18族元素まで、同じ族に属する同族体の元素は、性質が類似する」のはこの為です。「希ガスは最外殻の電子がいっぱいになって安定な電子殻になっていることで、価電子による結合力がなく、いわゆる弱いファンデルワールス力しか結合力がなくなっていることがその性質をきめている」とされます。
「量子跳躍」とは「原子内の一つの電子がある量子状態から別の状態へ不連続的に変化すること」であり、これは「遷移」によって起きます。上記リンクなどの情報によると「キセノン」は「最も量子跳躍が起きやすい原子」と考えられます。
(転載)
更に、松果体から分泌される「DMT(ジメチルトリプタミン)」は、「スピリットの分子」と呼ばれます。
「自然界に発生する幻覚剤である。熱帯地域や温帯地域の植物、ほ乳類、ある種のヒキガエルやヒトの脳細胞、血球などに存在する。抽出または化学合成される。」
「古くからアマゾン熱帯雨林の中部と東部ではDMTや5-MeO-DMTを含む嗅ぎタバコやアヤワスカと呼ばれる飲料を摂取する習慣がある。モノアミン酸化酵素阻害薬 (MAOI) であるハルマリンを含む植物を一緒に煮込む飲料であるアヤワスカは、アマゾンのシャーマンに儀式にとってかかせないものとなっている。」
「1965年にはヒトの血液や尿中にDMTが存在することがわかり、さらに脳や髄液からも発見された。」
「ニューメキシコ大学の精神医学教授リック・ストラスマンによれば、1995年までに合計60人以上の被験者に対し400回以上に渡って、DMTを静脈注射で投与したところ、被験者の半数近くが地球外生物に遭遇したと主張している。実験は米国食品医薬品局の許可を得て行われた。ストラスマンは、人間の脳内にある松果体においてDMTが 神経伝達物質の一種として生産され、宗教的な神秘体験や臨死体験と関連していると いう推論を唱えている。幻覚剤の研究家であるテレンス・マッケナによれば、DMTはエイリアンのいる異次元に誘う作用があるということである。(Wikipedia)」
松果体は現代医学の見地からでも全てが紐解かれていない神秘的な器官の内の一つです。
その機能の中で最も注目されている分泌物は、神秘の物質、またはスピリットの分子と呼ばれている「DMT」です。
「DMT」の研究者であるテレンス・マッケナ氏は「人間が死の際を迎えると松果体から「DMT」が放出される」と話しています。
DMTが発見されている「血液」「尿」「脳」「脳髄」というキーワードが示唆しているのは体内で生産されたDMTは、血管を通じて頭部へと移動するということです。
先に述べたテレンス・マッケナ氏は、幻覚をもたらす植物と幻覚剤に関する研究家と思想家として知られる方で、「DMTは人間の意識をエイリアンが存在している異次元へと誘う作用がある」と話しています。
ハーバード大学でLSDなどの幻覚剤による人格変容の研究を行った故人ティモシー・リアリー氏もテレンス氏と同じように1973年にグループでの幻覚剤を使用した意識の変容を通じた異星人とのテレパシー的なコンタクトの研究も行っています。
凄いですね。
大学教授でもある科学者でさえ異星人とのコンタクトを研究していたわけです。
異星人が存在する領域へ意識を上昇させることが可能だと言われるDMTは松果体から放出されるわけですが、それが起きるのが死の際です。
アセンションで意識が異星人の存在する階層まで上昇するのを助けるのが、松果体から放出されるDMTで、これは体内で生産され、松果体へ集められ、普通では死の際でのみ放出されます。
ここで見えてくるのが「なぜ松果体は死の際でしかDMTを放出しないのか?」という疑問です。
そこで現れるのが松果体がどのように機能しているかになります。
以下が松果体に関する医学的な観点
・松果体は上頚神経節から交感神経支配を受ける。
・蝶口蓋動脈と耳神経節からの副交感神経による支配を受けている。
・いくつかの神経線維が松果体の軸を貫いている(中央の神経支配)。
・神経ペプチドを含む神経線維によっての三叉神経節のニューロンによる支配を受ける。
これを簡単にまとめると、松果体は神経系の影響を受けるて機能しているという図式が現れます。
松果体がDMTを放出しないのは、神経支配を受けていることが主な原因だと言うことです。
では松果体を様々な神経支配から解放させるために必要な要素は何でしょうか?
それがアセンションの行程の中で出現する神経伝達物資=エンドルフィンです。
http://is.gd/YnJkSk
以上から&bold(){「第三脳室の波動的機能」}とは、&bold(){「クリプトン・ヘリウムを含む脳脊髄液が得た波動情報を松果体に伝える」「松果体の波動情報を、脳脊髄液→呼吸を介して全身に伝える」「体外の各種波動と高レベルの波動的な情報送受信を行う」「大規模な波動の増幅・増加を可能にする(量子的飛躍から)」}と推測されます。そして「第三脳室」とは&bold(){「超能力に密接に関わっている部位」「人間を知的生命体足らしめる非常に重要な部位の1つ」}です。
&color(white,gray){「波動原理と超能力の根源的原理」の仮説}
・「第三脳室」は「松果体」と共に、「記憶」「テレパシー」「各種超能力」に関係している。
・各種の波動情報のうち、特に重要な(独自性のある)情報は、
脳の中心器官の「松果体」や、自律機能の調節を行う中枢器官の「視床下部」と関係しながら、
特に「第三脳室」に「脳脊髄液」として蓄えられる。
・そして左右にある「側脳室(第一脳室・第二脳室」と、下部にある「第四脳室」にも運ばれる。
・この「情報の在り処・蓄積場所」から情報を随時読み取って、
「意識(明確な)」「無意識下での身体各所への情報指令」などが形成・実行される。
・その1つに「第1次呼吸」があり、体液と波動を体中に循環させている。
「第三脳室」の波動情報が、副鼻腔の1つで、目頭の下にある「篩骨洞」へ齎される。
「鼻腔から入った呼気」は、「篩骨洞」で波動情報と出会い、
その効果の1つとして「第1次呼吸」が形成される。
・「クリプトン」はこれに関る最重要物質で、強い「量子もつれ(共鳴)」を発生させる原子である。
特に「連鎖状」になっている時に、この効果が発生する。
そしてこれが「波動原理」と「人間の超能力・超意識」の鍵を握る。
・クリプトンと協調して働いている「ヘリウム」も、非常に重要な物質である。
・これら効果は、クリプトンなどが持つ「量子跳躍」の起き易さという性質に起因する。
量子跳躍は、量子に「単一波長」を起こさせ、これが「量子もつれ」を生じさせ、諸効果を起こす。
「クリプトン」はその中でも、最もこの性質が強い原子である。
・「量子跳躍」は、原子内の「電子」によって起きる物である。
これは、「電子」の性質により「波動原理上の効果の高レベルの発現」が左右される、
「電子」が「情報蓄積」か「情報移転(量子もつれ)」の
何れかの能力が高い、という事を示すとも考えられる。
・波動原理と超能力などの根源に纏わり、脳では次の現象が起きる。
・脳の情報は「ヘリウムの自由電子ネットワーク」に刺激を起こし、情報が付加される。
・「ヘリウム原子の電子環」が「クリプトン原子」が共鳴して「クリプトン」にも情報が移る。
・「クリプトン」から「波動情報」に「コード変換」されてる。
・この波動情報が神経細胞などを伝って、全身・意識に移される。
・「クリプトン・ヘリウム・希ガス」や「他の原子」「量子」は、
この期間において「量子もつれ」を起こすので、
これにより「超能力」「テレパシー」「意識の現実化効果」が発生する。
・「クリプトン・ヘリウムなどが起こす現象」のうち、
上記部分は「知的生命体」などで特異的に発現する。
・「DMT(ジメチルトリプタミン)」は松果体から分泌される、幻覚物質である。
異次元体験や、死の間際に多量に放出される事から、臨死体験に関ると見られる。
その分泌には、多幸感をもたらすホルモン「エンドルフィン」が鍵を握る。
・脳室の「脳脊髄液」は「高波動」「高次脳機能と超能力に関る」という性質を持つ液体である。
・逆に、頭部の「低波動の量子・物質・液体」は、
「副鼻腔」のうちの、口角上部・ほうれい線上部の「上顎洞」に送り込まれる。
副鼻腔は4つの部位ごとに機能が異なる。
「鼻水」の多くは、「上顎洞に溜まっている低波動物質を流す為の廃液」
「周辺の各部位の細胞に溜まった不要物質・有害物質・コリの元になる物質」である(後述)。
●&color(white,black){磁気と電磁波と超能力}
一般的な場所なら、量子エネルギーが湧出している場所なら、何処にでも磁場あります(地磁気を除いても)。「磁力」とは、「電荷の運動によって引き起こされる基本的な力(電子か陽子の存在する場に存在)」「磁性は電荷を持つ粒子が運動をすればいつでも現れる」「磁性は電流の中の電子の運動によって発生して電磁気と呼ばれたり、電子の量子力学的な軌道運動やスピンによって生じ、永久磁石の力の源となったりする」、「磁場」とは、「空間の各点で向きと大きさを持つ物理量(ベクトル場)であり、電場の時間的変化または電流によって形成される」という物です。
あらゆる生物は磁気(磁性)を発していて、「生体磁気」と呼ばれます。「赤血球(ヘモグロビン)」は強磁性の鉄イオンを含み、体内を巡ることで起電力が発生、ツボへの効果やコリ解消などの磁気健康法は知られています。現代生活では、人間の浴びる磁気が減少、これが多くの病気の原因になっていると言います。コンクリートに囲まれた生活だと、地磁気が減殺されてしまいます。
「ゼロ磁場」は「磁場がゼロになっている場所」「ゼロ点(ゼロ場)であり、そういった場所はパワースポットで、健康に良い場所です。一般的には、どこでも量子の流れがあって、それに伴って磁場も発生、また地磁気もあります。ゼロ磁場は「大断層が衝突する場所」などで、「大きな力を持つベクトルが衝突・相殺される場所=ゼロ点」→「量子の一方的な流れがない(湧出する)」また「量子の状態としてエントロピー(乱雑性)が少ない」→「磁場がなくなる」と考えられます。
「クリプトクロム(Cryptochrome, Cry)」という「紫外-青色帯域を吸収する青色光受容体タンパク質」があり、植物・人間・動物・昆虫などに存在、数種のCryがあります。「人間では全身に存在、特に網膜の桿体(かんたい)細胞に多く、松果体にはCRY4がある」「植物では光に基づく花芽形成、伸長、概日リズムなどの調節に関与している」「動物では概日リズムに働く2タイプのCryがある」「ほ乳類のCryは光受容能力はなく、CLOCK/BMALの抑制に働く」「キイロショウジョウバエのCRYは青い光を受容して概日リズムをリセットするが、抑制能力はない。ただし蝶, ミツバチ, ハマダラカなど他の昆虫ではほ乳類型とショウジョウバエ型の両方のCryを持っている」という物質です。
下記①の記事は、「鳥は目にあるクリプトクロムを用いて、磁場を見ている」「光子がクリプトクロムの電子を励起、量子もつれ状態の電子2個の状態差で、磁場を検知」「理論上は、鳥類の目の全体で生じるこうした化学反応の多くが、地球の磁場を、さまざまに変化する光と影のパターンとして描き出していると考えられる」という事を解明した、という内容です。これにより渡り鳥は渡りをしている、としています。
②の記事には、「オオカバマダラ(蝶)やショウジョウバエは、クリプトクロムで磁場を検知している」とあります。そして「ヒトのII型クリプトクロムも、ショウジョウバエのI型クリプトクロムと交換可能であることが示された」「これによってヒトにも、磁気感受活性のあるクリプトクロムが立派に存在することがわかった」「恐らくヒトの場合、クリプトクロムそのものには問題なく、正しく磁場を検出しているにも関わらず、そのあとの磁場シグナルの伝達機構に問題があるため、磁場を感じることができないのだろう」とあります。
青い光は、クリプトクロムを通じて「IGF-1」を増加させるメカニズムがあります。IGF-1は「インスリン様成長因子(IGFs)」の一種で、高波動状態で増加、「体の殆どの細胞、特に筋肉・骨・肝臓・腎臓・神経・皮膚・肺の細胞に影響を及ぼす」「主に肝臓から生成される」「インスリン様効果がある」「細胞(特に神経細胞)の成長・発達、細胞DNA合成を調節を行う」という物質です。神経の成長に効果があり、
また、人間の脳には「磁鉄鉱(マグネタイト)」が含まれていて、「磁気器官は、鼻孔後側の上方にあり、脳下垂体の前にある」とされます。この役割は、一説に「磁気メモリの役割を果たす」「頭脳と記憶力を良くする」などと言います。生体磁石は各種生物に存在、「鳥や魚には磁性を持つ耳石が耳石器内にあり、これが地磁気を感知してナビゲーターの役割を果たす」とされます。
波動が強い場所では「方位磁石などの不正常な動きが観測される」「グラッと三半規管に来るような眩暈を感じる」「空間の歪みのような物を感じることがある」「木々の生え方が螺旋状・捻じ曲がっている」といった現象がよくみられます。超能力を明確に示せる人、念力の強い人、ある種の手品師は、そういった行為を行うと、これも同様の現象が起きる事があります。
電磁波は、「電気と磁気の性質を持つ波長」「真空中でも伝わる」「電磁波の電場と磁場の振動方向はお互いに直角であり、また電磁波の進行方向もこれらと直角である」「基本的には電磁波は空間中を直進するが、物質が存在する空間では、吸収・屈折・散乱・回折・干渉・反射などの現象が起こる」「重力場などの空間の歪みによって進行方向が曲がることが観測されている」「電磁波は線型な波動であり、 したがって重ね合わせの原理が成り立つ。そこで、 電磁波を特定方向に振動し, 特定方向のみに進む正弦波(平面波)の重ね合わせに分解して考えることが多い。そのような正弦波は、波長、振幅、伝播方向、偏光、位相という属性で完全に特徴付けられる」という性質があります。
《電磁波は、以下の種類に分類される》
&color(white,gray){電波}
・ 周波数が 3 THz 以下(下限の周波数は規定されていない)の電磁波を指す。
・さらに波長域によって低周波・超長波・長波・中波・短波・超短波・マイクロ波と細分化される。
&color(white,gray){光}
・波長が 1 mm から 2 nm 程度のものを指す。
・波長域によって赤外線・可視光線・紫外線に分けられている。
&color(white,gray){X線、ガンマ線}
・元々はX線は電子励起(及び制動放射等の電子由来の機構)から発生する電磁波、ガンマ線は核内励起から発生する電磁波というように発生機構によって区分けされている。
・しかし、大雑把に波長が 1 nm 以下のものをX線、さらに短い 10 pm 以下のものをガンマ線と呼ぶ事も多い。
「放射線」は「一部の電磁波と、粒子線全部」の総称、「主にアルファ線・ベータ線・ガンマ線・エックス線・中性子線の5種を指す」という物で、「電磁波」は「空間そのものの振動」、「粒子線」は「原子・分子の流れ」です。「放射線が物質中を通過し、中性の原子や分子から電子を弾き飛ばして電離させる作用」「電磁波の一部と粒子線の持つ、原子を陽イオンと電子に分解する作用」を、「電離作用」と呼びます。「放射線」は「電離作用を起こす波」であり、「電離放射線が物質に放射」されると「電離作用により原子が分解され、化学変化が発生する」となります。
人間は元々、磁気・磁場を感じる能力を持っていると考えられ、波動上昇による様々な能力獲得と共に、「磁場の感知」も再獲得していくのでしょう。波動上昇して、超能力を発揮している状態であると、必然的に体から強い磁気が発せられます。
波動が高い人の中には、電磁波や放射線を感知できる人(感知能力が高い)もいます。能力により、その影響・害を、ある程度消去できる人がいるとも言います。
波動が高い人は、恐らくは「量子(=波動・気:電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノなど)の量・性質」「電気・電場」「磁気・磁場」「電磁波」「放射線」など全てを、感知できると考えられます。そして、これらを発する能力も高く(放射線以外)、それは超能力の発現と共に現れたりするのだと考えられます。
①:「鳥は量子もつれで磁場を見る」:数学モデルで検証
http://wired.jp/2011/02/03/「鳥は量子もつれで磁場を見る」:数学モデルで/
渡り鳥は磁場が見える:青色光受容体と磁気の感知
http://wired.jp/2009/06/30/渡り鳥は磁場が見える:青色光受容体と磁気の感/
②:ヒトも磁場を「見る」ことができるか
http://www.su-gomori.com/2011/06/magnetic-vision.html
●&color(white,black){バイオフォトンと生体リズム}
「バイオフォトン((biophoton)」とは、「生物光量子」とも訳され、「全ての生物が発する光である"生物発光"のうち、蛍などが発する光よりも、数桁小さい光についての呼称」です。「波長は200から800ナノメートル」「光量が多いほど健康体」であり、これは「量子エネルギーの光」です。一番多く放っているのは「人間の人体」で、特に「手・手の平」です。
&color(white,gray){バイオフォトン}
・全ての生体は「光を放ち、光を吸収し、光を貯める」という性質を持つ。
・全細胞は「1秒に10万回以上光を放つ」。
・「健康な細胞」は「持続的に光を放つ」、「不具合のある細胞」は「断続的に光を発する」。
・これらの光信号は「体や細胞内での生体化学反応」に密接に関係する。
・全生体は「固有の発光サイクルや発光状況」を有している。
・蛍が一斉に光を点滅するように、「波動的な共鳴効果によって、複数・多くのの個体の発光周期は同期・同調する」。
・人体では「夏にフォトン発光量は最大に達し、秋は最低になる」。
・「最大の発光元」は「手」であり、一日を通して一定量でない。
・「早朝では、上半身と下半身、右半身と左半身で、発光量が完全に均等になっている」。
・日が暮れるにつれて、フォトンの放射は活発になる。
この時間帯では「健康な体は、いつも均等にバランスしている」「病気罹患者は不均等になる」。
・「右側と左側」を比べると、「どちらかがいつも高い発光量」を示す。
・「高齢者」は「放射量のバランスが崩れている」。
・「発光量のバランスが崩れている場合、何か重大な不具合を体が抱えている」。
・「黒ずんだ皮膚の人」は「皮膚からの発光が少ない」。
・細胞は死ぬ間際に青い光を発光し、最大強度になると共に死に、すぐに光が消える。
この発光は「アントラニル酸がを閉じ込めていた細胞膜が壊死と同時に破れて、細胞内の酸性コンパートメントからアントラニル酸が放出される」というメカニズムで起きる。
「バイオフォトンの光源」は「DNA」が有力視されていて、「毎秒数十億回のDNAの収縮・拡大に伴って発生する」「バイオフォトンはDNAの全情報を帯びている」「4メガバイト以上の情報を蓄えることができる」「それが全身に伝播されている」「細胞とチューブリン(結合組織にある光伝導分子)が光情報を受信する」「チューブリンは、情報を乗せた光のインパルスを受け取り、それを光速で全身に伝える」「この情報が各細胞で受信され、特定の代謝性酵素を活性化するか、不活性化するかを決める」という論説があります(記事①)。
「発光周期の同期・同調」がされれば、これは「量子エネルギーの光」であるので、共鳴効果で「バイオフォトン放出量と、その効果は乗数的に増加する」ようになります。その為には「体の硬直・歪みの解消と、細胞・組織の配置の均整化・斉一化」が欠かせません。
「最大の発光元」の「手」を用いて、「手当て」「手かざし」を行うと、各種の「治癒効果」「波動効果」が発現します(後述)。「植物」も発光していますが、「念」「手かざし」により発光量が増加します(記事②)。「植物の種子」に対して「手で包む」「ポケットなどに入れておく」「良い言葉や想念を送る」「祝詞を相乗する」などをすると、発芽数や成長度が有意に増加します(項目6①)。「バイオフォトン」は、医療・健康法に取り入れられています。
「生物時計(体内時計)」について、「鳥類」では「松果体」、「人類」では「視床下部」「視交叉上核(バソプレシン)」「松果体」が担っています。「松果体」は「目や皮膚が感じた光刺激」に応じてメラトニンを分泌、これで「生物時計・概日リズム」を修正しています。メラトニンは深夜0時~2時に多量に分泌され、「有毒物質・ストレス・生活リズム問題などによる松果体の機能低下」により分泌量は低下します。
「光(バイオフォトンを含む)」は「眼」だけではなく、「松果体」「皮膚細胞」や、更に「多くの種類の細胞」で感じることできます。これら細胞を培養すると、独自にリズムを刻んでいきます。この発光を含めた「生体リズム」を統括するのが「松果体・視床下部」の役割です。
「睡眠時」は「波動調整(チューニング)」「体内外との波動の交信」を盛んに行っていると言われています。波動調整とは「松果体などからの指令・情報で、体の各部位の波動を最適数値に修正すること」「体内外(体とオーラ)の波動を引き上げること」などとされます。これは「非常にリラックスした状態(筋肉の緩和・神経や脳の沈静)」によって齎されると言われます。また睡眠時の「身体の各器官や脳・心・精神の回復」「夢見」にも、「心身の安静状態」が欠かせません。
記事1:
バイオフォトン
http://is.gd/it9HMj
記事2:
超心理学会見聞録
しかし、不思議なのはここからで、何と切断直後のキュウリ切片に対して、30分間「念」を送った後、その間何もしなかった陰性対照切片と並べてバイオフォトンを測定すると、その発光量に差がでるというのです。
この「念」というのは、演者らが非接触ヒーリング(手かざし治療)と呼んでいるもので、超心理学では古くから知られている、ある種の超能力のようです。つまり、キュウリ切片に対して、非接触ヒーリングを行うと、キュウリ断面から放出されるバイオフォトンの発光強度が変化するという現象が観察されたということです。
http://is.gd/Og1KkF
●&color(white,black){波動・意識・電気の媒質としての量子・水分・神経}
《「情報の伝播の媒質としての量子の多寡」について、次のように説明できる》
・「意識(思考・感覚)」「各部位の情報」「DNAの情報が乗ったバイオフォトン」
「オーラ」「自己以外の波動」など、
生体には様々な「波動的な情報」が必要であり、またそれら波動が行き交っている。
・波動とは、即ち「量子」であり、
「血管」「リンパ管」「気脈(経絡・ナディなど)」「神経線維」などを通じて運ばれている。
・「高波動:調和的・生物や物質の寿命を永らえさせる」
「低波動:非調和的・生物や物質の寿命が短くなる」という性質がある。
・「量子が多い状態」且つ「波動が高い状態」だと、
「多数の有用情報が全身を駆け巡る」「エネルギー源・栄養源が増える(副作用無し)」
「共鳴効果で量子が更に増える」という効果を齎す。
・「量子が少ない状態」「波動が低い状態」だと「有用情報はあまり巡らずに、不要な情報が多くなる」
「エネルギー源・栄養源が減る」「寿命の早期化、傷病の多発、修復機能低下など生命力が低下する」
「低波動である精神的緊張・体の硬直状態を、更に進行させ、波動情報・神経情報の伝播し難くなる」
「情報の伝播し難さ、緩和の命令の増加、傷病の状態伝達の為に、伝えるべき情報は増加するが、
伝播し難いので、より大量の神経情報が必要になり、神経が磨り減る」という効果を齎す。
・「高波動の状態・飲食物」は「情報伝達の円滑化・省力化や情報量の拡大」「心身の健全化」、
「低波動の状態・飲食物」は「情報伝達への阻害・注力や情報量の縮小」「心身の不健全化」を齎す。
「電気・電子の通りやすさ(電気抵抗の大小)」を示す「電気伝導性・電気伝導率」について、「高周波での導電率>低周波での導電率」「完全な純粋は絶縁体」「一般の水は、塩など不純物が持つ量子を電気が通っていくので、電気伝導性が高い」「高波動の状態(体・物質)や、量子水(高波動の水)は、量子が多い状態なので、電気伝導性が高い」「海水の電気伝導度は河川水に比べて数十倍高い」という性質があります。「電気伝導率(μs/cm)」は「水道水:100~200」「純水:1」「超純水:0.1」です。
「電気のためやすさ・引き寄せやすさ」を示す「誘電率」について、「人体は誘電率が高い」ので「電気(電子)・波動は人体に引き寄せられる」という性質があります。「人体の電気伝導性」は、各器官・組織ごとに大きく異なり、「血管(血液)・筋肉・骨は高く、脂肪は低い」「細胞内液は細胞膜より高い」です。「水や電解溶液は電気伝導性が高い」ので「血液・リンパ液・脳脊髄液・汗・尿などは電気伝導性が高い」です。「最も電気伝導性が高い器官」は「神経」です。
「電気抵抗」は「血液(37度):約0.0002~0.000MΩ・cm(1.4Ωm)」「100Ω「骨格筋の繊維の方向:約3Ωm(直角方向:約7~10Ωm)」「皮膚や脂肪組織:数10~数100Ωm」となっています。水分含有率が「筋肉:70%強~8割弱」「脂肪:20%」であるので、「筋肉は電気伝導性が高い」「脂肪は電気伝導性が低い」です。
「血液などの電解溶液の含有量が多い臓器ほど、抵抗は小さくなる」という性質があり、「脳・心臓・小腸は電気伝導性が高い器官」です。血管が拡張すると、血流増加が起こり、毛細血管に血液が行き渡るので、「血管が拡張した状態、体温が高い状態では、人体の抵抗は低下」します。電解質の血液の流れの殆どないような、「乾燥した皮膚の抵抗は、非常に高い」です。皮膚の抵抗は「乾燥状態と多発汗時」で「数10kΩ~数MΩ」となっています。「皮膚は電気抵抗は高い」「皮膚より下の組織は電気抵抗は高くない」です。
「高波動(量子が多い状態)・柔軟・微細・高い意識」であると、「電気伝導性が高く、波動や神経の伝達に際しての無駄が少ない」「遠い部位まで速やかに、ロスがなく、波動・神経情報が伝わる」「微量の波動・情報でも有効利用できる」「無駄がなくなり、疲労の減少や、他の行為にエネルギーを振り向けられる」「エントロピーの少なさで、障害が少なくなり、バイオフォトンの情報が行き渡り、修復能力が高まる」「細胞の寿命が延び、細胞分裂の必要性が低下、生命を生き長らえさせる」となります。「気(気脈)・血(血管)・リンパ液(リンパ管)・脳脊髄液・神経情報(神経線維)は、波動・意識・電気の媒質・媒介である」と言えます。
●&color(white,black){ツボ・経絡について}
「経絡(けいらく)」は「気の通り道」です。「ツボ」と「経穴(けいけつ)」は同物、「気血のエネルギーの通り道の経絡上にあって、気血が出入りし、経絡が合流したり分枝したり、特異的に反応を示す重要な所」です。全身のツボの多くは「骨の窪み」にあって、触ると分かりますが、位置は常に動いていて、専門家ごとに施術場所が微妙に異なります。
東洋医学では、人体には「気・血・水」の流れ道があるとされます。「気:波動(量子)」「血:血液」「水:リンパ液」に相当します。「経絡」は体の表面と内部を流れ、体表では「経穴」を通り、内部では「臓腑(内臓と機能的に主に関る部位)」を複雑に結んでいます。
「経絡」の「径」は「経脈:縦の脈」、「絡」は「絡脈:横の脈」「経脈から横へ枝分かれした脈」です。「体に走る縦線の径」のうち、「正経(せいけい)」が「全身には十二経、左右に二十四経あり」、「奇経(きけい)」が「全身に八経」あります。「正経は陰陽で分類され、陰は太陰・少陰・厥陰の三陰に、陽は太陽・陽明・少陽の三陽に分けられ、手・足それぞれに三陽三陰の属する経脈が割り振られている」「陰経は臓に属して、陽経は腑に属する」「奇経の中では任脈と督脈だけが独自の経穴を持っている」とあります。「奇経」は「常経である正経に対して特異な性質を持っている」「十二経には、気血が行くが、満ち溢れると、奇経に流入する。放水路のように常経の洪水を防ぐ働きをしている」とあります。
「任脈(にんみゃく)、」は「奇経に属する体の前正中線を流れる経絡」、「督脈(とくみゃく)」は「奇経に属する体の後正中線を流れる経絡」です。「任脈・督脈」は「正中線・体の中心線を通る経絡」であり、「チャクラ」は「任脈・督脈」に沿って存在しています。「チャクラの活性化」とは「正中線・体の中心線の任脈・督脈の活性化」でもあります。
精神世界の一部には、次のような説があります。体には、心に邪念がないと「縦縞(たてしま)」、邪念があると「横縞(よこしま)」が入り、「横縞」は「邪(よこしま)」に通じる。これは、「体に走る縦の線」の「経絡」や、左右にあることの多い「拮抗筋による気の阻害」によるのかもしれません。
「圧痛点(あっつうてん)」は「トリガーポイント」とも呼び、「身体を診断する際、指などで圧迫したときに強く痛みが出る点」「疾患によって特定の部位に痛みを感じるため、重要な診断要素の一つ」です。「ツボは「圧痛点」であり、また「圧痛点はツボには無い要素も含む」という物です。
「ツボ」は「電気伝導性が高い場所(良導点)」だと判明しています。これは「量子エネルギーを送受信する場所」という事を表しています。ここは「神経・気脈が密になっている場所・交叉する場所」と考えられます。
「ツボの細胞膜の内部に、電子などが過剰な状態だと、疼痛を感じる」という説があります。ここから「気血水・神経の循環が悪いので、良導点に過剰に量子が溜まり、他の場所では不足した状態が、体の不調である」「波動改善や体の柔軟化などで、経絡・気血水・神経を円滑に循環させる事が、量子の偏在と不足を防止し、心身の健康を保つ鍵である」という可能性が推測できます。「量子・波動・気・プラーナ・マナ・オーラ」「ツボ・チャクラ・圧痛点」「気脈・経絡・ナディ・セン(タイ)・アクシオトナールライン」などは、場所が異なる物の、意味合い・作用においては、基本的に同じ物でしょう。
「全身の波動が高い状態」となれば、「ツボ押しと同じ効果」が「ある程度ながら、常時体に齎され続ける」ことになります。また「ツボ押し」は「刺激による活性化・気血水(波動・血・リンパ)の循環改善」を意図する施術行為です。なので「押さなくても、ツボ周辺が活性化されれば、近い効果が得られる」訳であり、「手当て」「摘む」などの各施術法も、ツボ押しと基本的に同じ事です。要は「ツボ・チャクラの周辺を活性化させること」が大事です。
●&color(white,black){チャクラと関連する身体器官}
「チャクラ」は「人体でもとりわけ波動が高い場所」「外界と体内の気(エネルギー)の交換を行う場所で、体内の気の循環の結節点」です。古代インドに発する「アーユルヴェーダ」の概念で、伝統中国医学の「ツボ(経穴)」に類似した場所で、両方とも「電気伝導性が高い場所(良導点)」という性質があり、しかしチャクラの方が数はずっと少ないです。「陰陽原理」を考えると「体の中の幾つかの中心的な場所は、波動が高い」と考えられます。チャクラは「センター」とも表現され、そのような場所だと考えられます。ツボなどと同じで「量子エネルギーが多い場所」「量子エネルギーを発している場所」「量子エネルギーを送受信する場所」、多くの現代人のチャクラは休眠状態にあります。
チャクラには「固有の波動」があり、「ビージャ・マントラ(種子真言)」と呼ばれ、また、各チャクラ毎に特定の数があり、総計50の音があるといいます。「マントラ」は「呪文」「本質を表した音」、「曼荼羅」は「本質を表した色・形」、この3つは「本質」という類似性を持つ概念です。ヨーガでは「人体の頭部、胸部、腹部で、輪または回転する車輪のように光っているように感じられる箇所」とされています。
「プラーナ(prana)」は「気」に相当する名称です。「ナーディー」は「プラーナが通る管」「経絡に類似する器官」であり、「気道」とも呼ばれます。人体には「72000本」のナーディーが通っているとされ、中でも特に重要な三つの管があり、「スシュムナー管」「イダー管」「ピンガラー管」と呼ばれます。チャクラは「ナーディーの要所」として存在しています。
「タイ伝統医学」では、アーユルヴェーダと同じく、「72000本の生命エネルギーの経路」があるとしていて、これを「セン」と呼び、この循環で4大元素のバランスを保ちます。タイマッサージは、このうち「10本」を主要な経路「センプラターン」と呼んでいます。
《チャクラは、最も多い説によると「7箇所」あるとされる》
&color(white,gray){第1チャクラ:ムーラーダーラ}
・尾骨、又は 会陰(えいん)
・赤
・性機能、排泄機能
・上半身・下半身の中心
&color(white,gray){第2チャクラ}
・スワーディシュターナ
・丹田(たんでん)、又は 仙骨(せんこつ)、又は 陰部
・朱色・オレンジ色
・腸機能(小腸・大腸)、栄養の吸収機能、排泄機能
・小腸は第二の脳で、丹田・腰は重心の中心
&color(white,gray){第3チャクラ:マニプーラ}
・鳩尾(みぞおち)、又は 臍(へそ)
・黄色
・胃、内臓機能全般
・太陽神経叢は体幹の神経の中心
&color(white,gray){第4チャクラ}
・アナーハタ
・胸
・緑色
・心臓
・心臓は心と血液運搬の中心
&color(white,gray){第5チャクラ:ヴィシュッダ}
・喉(喉頭・咽頭)、喉の窪みのツボの天突(てんとつ)
・青色
・呼吸器機能、
・首はバランスの中心
&color(white,gray){第6チャクラ:アージュナー}
・眉間、又は 松果体、又は 額
・藍色
・間脳と脳幹の深層脳
・人体の波動・意識の中心
&color(white,gray){第7チャクラ}
・サハスラーラ
・頭頂、百会(ひゃくえ)のツボ
・紫色・白色
・脳全体
・天と人の境(中心)
「第7チャクラ(サハスラーラ)」は「頭頂」にあります。頭頂の「百会(ひゃくえ)」のツボは非常に有名なツボで、「百種類の経絡が集まる」という意味、「大天門」とも呼ばれ、「正中線と両耳の一番高い場所を結んだ線の交点」にあります。「督脈に属す第20番目の経穴」「多くの経絡が会合するところの意味」「実際には督脈と膀胱経、三焦経、胆経が合流する(交会穴)」とあります。効能は「頭痛・目眩・耳鳴・不眠・鬱・各種精神衰弱・過緊張」「脳血管障害・その後遺症である半身不随・言語障害」「てんかん・自律神経失調症・不眠症などの神経・精神の症状」「夜尿症・痔核」とあります。
「第6チャクラ(アージュナー)」は、一般的に「眉間」にあるとされます。「第6チャクラ」は「第7チャクラ(頭頂)」と一体的に存在するともいわれ、眉間の奥には波動の鍵を握る「松果体」があります。「眉間の中央」には「印堂(いんどう)」のツボがあり、効能は「頭をスッキリさせる・集中力や記憶力向上」「ストレス症状・精神安定」「風邪」「鼻炎」「目の疲れ・眉間のしわ・くま」「不眠」「皮膚の状態」です。
「波動は、額・眉間・印堂や、頭頂部から入ってきて、太陽神経叢に至り、丹田で溜められる」とも言います。印堂は「命宮」とも呼ばれ、人相学などで「眉間の広さはその人の度量と比例する(広い方が良い)」「直感力・洞察力・精神性の高さ・理想・寛大さ・気力・運気などを司る・現れる」「吉凶・願望・快・不快などが全て表される、決定の場所」「陽の気が集まる」などとされます。また「印堂」は「鼻を高くするツボ」とも言われ、これは「眉間・鼻筋をはじめ、顔面の中心線から左右両側へと開かれていくと、圧力低下と緩和が起き、中心線周辺の気血水(波動・血・リンパ)の循環が良くなる」「顔面の中心線の活性化と、左右に開かれた事により、中心線や鼻筋のラインが通ってくる」という事を示しているとみられます。
「第5チャクラ(ヴィシュッダ)」は「喉(咽喉・咽頭)」にあります。第5チャクラは「呼吸器機能:喉・気道・気管・肺など」「内分泌線:甲状腺・副甲状腺」「組織:筋膜・結合組織」に対応するとされます。首はバランスの中心、首が硬くなると「呼吸機能悪化」「筋肉(筋膜)・内臓・各組織の硬直」に結び付くようで、最も歪み解消・柔軟化を心掛けたい部位です。
喉の「天突(てんとつ)」のツボは、「正中線上で、頚窩(喉の窪み)の中央」「左右の鎖骨の中間の窪み」「胸骨の上端のあたり」にあります。「喉を司るツボ」であり、「任脈に属する第22番目の経穴である」「武道・武術では秘中穴という」「天は上部、突は突出のことで肺の気が咽頭中を通ることもあり名づけられた」とあります。効能は「せき・喘息・喉の痛みなど、呼吸器の病気」「風邪」「いびき・過呼吸・呼吸困難」「言語障害・顔面充血」などです。
「第4チャクラ(アナーハタ)」は「胸」にあり、「心臓」は、「心の在り処」と言われます。「人体各所に血液を送るポンプ」であり、言わば「人体の最大の発電所」です。「心臓」には「ICNシステム(心臓内固有神経系)」という神経ネットワークがあり、これにより心臓は脳から独立してに活動をしています。また心臓と脳は信号を送りあっています。ここには、脳の様々な皮質下の中枢のと同じ神経細胞があり、「記憶」が備わっています。「固有の神経系の存在の理由」については、「生命の危機など突発事態に際し、脳の指令を待たずに、心拍・血圧上昇などの信号を出す」という説があります。「胸に手を当てて考える」というのは「心を静め、落ち着いて考える」という意味で、「胸と意識に纏わる慣用句」は多数あります。
「胸の中央部」のツボ「膻中(だんちゅう)」は「元児」「上気海」とも呼ばれ、下記の「中丹田」の場所です。気が集まる「気会(きえ)」のツボで、また「心臓を司るツボ」であり、真裏周辺の背中にある「神道(しんどう)」と共に、その硬化は「ストレスの現われ」とされます。効能は「気力向上・ストレス症状」「血液やリンパの循環改善」「胸の痛み・胸苦しさ・息切れ」「咳・喉の痛み」「バスト関連」です。
「第3チャクラ(マニプーラ)」は、一般的に「鳩尾(みぞおち)」にあるとされます。また「鳩尾」については、「第3チャクラ」を「へそ」として、「鳩尾」には「最高の第8チャクラ、ブラフマーが存在する」という説もあります。付近には「胃」があり、代表的な消化官で、胃が痛むと鳩尾が痛み、主に「胃腸の異常」「ストレス」で痛みます。奥の「腹腔神経叢」は、別名「太陽神経叢」と呼ばれ、多数の「交感神経」が太陽(光線が広がる)のように集中しています。「副交感神経の迷走神経」「交感神経としての大・小内臓神経」を統括、これら「自律神経」により「内臓器官」の自律的調節を行います。チャクラは重要な神経叢の近くにありますが、太陽神経叢を「第ニの脳」とする表現もあります。
「鳩尾(きゅうび)」と読む場合は、奇経に属し、前正中線を流れる経絡「任脈」のツボで、「沈静化・動悸抑制」「安眠」「胃腸の正常化」などの効能があります。「感情と、それに伴う情動は、太陽神経叢で生まれる」という説もあります。英語の「guts(ガッツ)」は「勇気・根性」の意、単数形「gut」は「腹・内臓」「感情・本能」を意味します。この付近は、頭部からの波動が全身を巡っていくに際して、重要な経路とされます。
「第2チャクラ(スワーディシュターナ)」は「丹田(たんでん)」にあるとされます。しかし「丹田」は、正確には「上丹田(眉間奥)」「中丹田(胸の中央)」「下丹田(ヘソ下3寸)」の「三丹田」があり、一般的には単に「丹田」という時は「下丹田(ヘソ下3寸)」を指し、「正丹田」とも呼ばれます。(当サイトでもこの用法を用います)。「丹田(三丹田)」は「全身の精気の集まる場所」「気を集めて煉ることで、霊薬の内丹が作り出される部位」であり、「上丹田は神(しん)を蔵し、中丹田は気を蔵し、下丹田は精を蔵す」とされています。
「丹田(下丹田)」について「気が溜められる」「気力が集まる」「健康と勇気を得る」「小腸を司るツボ」「五臓の中心に位置する」「別名を腹・肚と書いて、はらと呼び、身心一如の境地に至るための大切なポイントとなっている」です。「丹」は「朱色・心臓の色」で、「赤色・火などの性質と関連する」とされます。「丹田」は「東洋医学」「武道・古武術」「技芸・伝統芸能」「歌・発声」「芝居・演劇」など各分野で非常に重要視され、「丹田に全神経を集中する・力を込める」「丹田に重心を置き、他の余分な力は全部抜く」「腹式呼吸や呼吸のコントロールに重要な部位」などとされます。
「丹田(下丹田)」は「関元(かんげん)」のツボに相当、他に「大中極」「気海」など別名は10個以上あります。「関元」は「小腸の経気の集まり、異常があると反応が出現する」とされます。効能は「ストレス症状」「体力増強・虚弱体質・息切れ」「倦怠」「腹痛・下痢」「泌尿器関連」「生理不順」「物忘れ」などです。
「丹田と臍の中間」には「気海(きかい)」があり、文字通りの「気の海」です。「気海」と、「丹田と気海の中間」の「石門(せきもん)」は、「臍下の丹田周辺のツボ」として一体的に捉えられてもいます。「気海」の効能は「体温上昇」「気力増強」「強壮」「呼吸器異常」「腎炎・糖尿病」などです。「石門」の効能は「腎臓を始め、体温を上げて、冷えを緩和する」「ストレス症状」「疲労」「睡眠問題」「内生殖器の血液循環」などです。
「丹田」の奥には「小腸」があり、「十二指腸・空腸・回腸」の3箇所に区分されます。「小腸」は多様なホルモンを分泌する事などから「第二の脳」と言われます。ホルモンの「セロトニン」は約90%が小腸に存在、「神経伝達物質」と呼ばれ、「幸福感・癒し効果・抗ストレス効果」ほかの効果があります。「腸内環境改善」がされると「免疫向上」「毒物・低波動物質などへの抵抗力向上」「沈静化・幸福感向上」「思考力向上」などの効果があります。「千島学説」では「平常時の造血器官は小腸の絨毛(断食時などでは骨髄)」「赤血球が食物によって造り出され、やがてそれが白血球へと変化し、白血球が体細胞へと変化する」「体細胞の母体である(体細胞と赤血球は可逆的に分化する)」としています。また「ウイルス・細菌の生体内自然発生説」「生命の波動と螺旋性」も説いています。「腸内環境・腸相は生体活動のバロメータ」であり、「腸内温度が高いと健康、低いと不健康」とされます。
「腸」は「消化官」、栄養は腸からのみ吸収できます。原始的な「多細胞動物」は「腸」だけで出来ていて、「人は一本の管である」との比喩があります。「免疫細胞」の6割に腸は存在、これで食物中のウイルス・毒性物質などに対処しています。腸は「脳の次に神経細胞数が多い臓器」「首から下の神経の50%以上が腸にある」「腸壁の腸管神経系は、第2の脳と呼ばれる」という性質があります。「腸の働き」は「自律神経」に支配され、「副交感神経」が優位なリラックス状態で、よく働きます。腸には「100兆個・100種の腸内細菌」が生息、ストレスが多い・低波動だと「悪玉菌」が増加、「日和見細菌」も悪い働きをして、ストレスが少ない・高波動だと「善玉菌」が増えます。腸は「水分が多い場所」ですが、「便秘」だと水分が減少していて、また便秘は「低波動・高エントロピーの物質が溜まった状態」と言えます。
「丹田(第2チャクラ)」「みぞおち(第3チャクラ)」「胸(第4チャクラ)」「眉間(第6チャクラ)」は、それぞれ「小腸」「胃・太陽神経叢」「心臓」「松果体」が、根源となる部位だと考えられます。「喉(第5チャクラ)」はそのまま、「頭頂部(第7チャクラ)」は「脳」その物、「第1チャクラ」は「陰部の諸機能」が、根源の部位でしょう。拠って「7つのチャクラ」は「脳全体」「松果体」「喉」「心臓」「胃・太陽神経叢」「小腸」「陰部の諸機能」が「根源となる部位・身体機能」と考えられます。
Wikipediaには、次のようにあります。
・チャクラは脊椎に関連するエーテル体にあるエネルギー・センター(渦)で、肉体の7つの内分泌腺及びメンタル体、アストラル体、肉体の調整と活性化を司り、意識の中枢と各身体の中継点としての役割をはたしている。
・体表のチャクラや、体表のツボは、単にチャクラからのプラーナ(気)の出入口としての役割を、果たしているに過ぎないが、そのルートが浄化されていることが心身の健康とチャクラの覚醒の上で重要であるため、ヒーリングの分野において重視されている」「伝統的なヨーガが伝えているチャクラは、体表のチャクラではなく、人間のエーテル体に存在するほぼ脊柱に沿った7つのチャクラで、ここではこれを脊髄のチャクラと呼ぶことにする。
・古代のヒンドゥー教のヨーガでは、脊髄のチャクラがチャクラとされてきた。
・本来のチャクラは神経叢と脊髄のチャクラであり、神経叢のチャクラは、身体の交感神経系を支配するナディーと関連し、身体の運動的な活動を司っている。
・脊髄のチャクラは、身体の副交感神経系を支配するナディーと関連し、精神的な活動を司っている」「神経叢のチャクラと脊髄のチャクラは対になっており、意識の拡大の過程を通じて、下位のチャクラから順に覚醒していく。
「第1チャクラから第5チャクラまで」は「肉体要素」、第6チャクラは「心」、第7チャクラは「宇宙知性・高次元」に関係すると言います。「第1チャクラの深く」には「クンダリーニ」という「エネルギーの貯蔵庫」がありますが、「エネルギーバランスの崩れ」や、それによる「精神的問題」で、あまり下半身のチャクラから開発しない方が良いとされます(当項目は、主に鳩尾以上の第4チャクラ~第7チャクラについてです)。
チャクラの箇所は「7箇所(メイン・チャクラ)」とするのが最も一般的ですが、6箇所~10箇所とする説もあります。この場合は「膝」「脛(すね)・脹脛(ふくらはぎ)」「足裏」などが含まれ、これらも「波動が高い重要な部位」です。また「頭上のオーラ」にチャクラが「5箇所」あるとも言い、これも数える場合、メインチャクラとの合計だと一般的に「12箇所」になります。
「チャクラ」は、足の物を数えない場合(6箇所・7箇所)、その全ては「正中線」「体の中心線」に沿って存在します。
当サイトの項目
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項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 ([[メニュー3>http://is.gd/qbtG4P]])
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項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次([[メニュー6>http://is.gd/HB6Xkx]])
項目6①:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー7>http://is.gd/kX8wLx]])
項目6②:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー8>http://is.gd/w2fWPI]])
項目6③:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー9>http://is.gd/ztBKLZ]])
項目6④:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー10>http://is.gd/XadcK7]])
項目6⑤:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー11>http://is.gd/CdKR4K]])
項目6⑥:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー12>http://is.gd/HJgWPy]])
項目6⑦:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー13>http://is.gd/vClptO]])
項目6⑧:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー14>http://is.gd/X3ySNn]])
項目6⑨:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー15>http://is.gd/SbVxXz]])
項目6⑩:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー16>http://is.gd/pY3A3Q]])
項目6⑪:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー17>http://is.gd/VajHCF]])
項目6⑫:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー18>http://is.gd/1ne2sX]])
項目6⑬:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー19>http://is.gd/u14ITa]])
項目6⑭:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー20>http://is.gd/2Dqu0C]])
項目6⑮:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー21>http://is.gd/WmX4Dq]])
項目6⑯:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー22>http://is.gd/wxFr4V]])
2014-06-13T10:20:52+09:00
1402622452
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メニュー7 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/24.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
********************************
&color(white,black){項目6①:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
【波動原理の概略】
●&bold(){全ての量子=波=情報=エネルギー}
●&bold(){波動の共鳴・結合・増加}
●&bold(){波動について}
●&bold(){ゼロ点効果と斥力・元素変換}
●&bold(){幾何学的形態の共鳴効果}
●&bold(){意識と空間について}
●&bold(){超能力=波動的能力とハイパーコミュニケーション}
●&bold(){DNAの所作と波動情報の記録}
●&bold(){万物の好転・形成・長寿命化と悪化・崩壊・短命化}
●&bold(){波動原理の初歩的な概略}
「項目6①」については「項目1:波動原理と放射能除染の概略」の内容もご参照ください。
当ページのリンク記事は、「項目6①b(メニュー7b)」に纏めて掲載してあります。
http://www45.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/50.html
当ページのリンク記事1~記事3の観測結果は「想念・祈り・願いは現実化する」という事を示します。また記事4~記事6「肯定的言葉をかけると・書くと、植物・微生物・物質が繁茂・発酵・長持ち・結晶が美しくなる」「否定的言葉では枯れる・腐敗・劣化する」という内容と、同種の観測結果は世界中から報告されていて、多数の実験が行われています。
これらの現象は「量子=情報」との解釈論のみで説明可能です。言葉・概念は社会的に発生する物で、原初から肯定・否定的言葉に高い・低い波動があった筈はなく、又、この種の言葉だけに情報が生じる筈もなく、物体から抽象概念まで全定義で同作用は働く筈であり、「人々の意識は対象の情報(波動情報)を定義化する」と言えます。
当サイトの記載記事のうちでは「チェルノブイリ事故後の放射能の非検出事例の4例中3例が祈祷・儀式絡み」であり、「アグニホートラ」「バイオダイナミック農法」「アレクセイの泉」が該当しますが、偶然でこの高率は有り得ないでしょう。これらは「科学・量子力学・量子的性質の根幹の原理」たる「波動原理」により発現する現象で、この科学原理は森羅万象を支配しています。この「波動原理」を以下で説明します。
(「チェルノブイリ事故後の除染事例」のうち、インターネットの日本語記事にあった物を記載しました)
●&color(white,black){全ての量子=波=情報=エネルギー}
&bold(){「量子」}とは&bold(){「電子」「陽子」「中性子」「光子」「ニュートリノ」}や、「陽電子」「反陽子」「反中性子」と、「中間子」「クォーク」「グルーオン」などの総称です。&bold(){「素粒子」}は「量子」と類似の概念です。
(「反粒子」:「ある素粒子や複合粒子と比較して、質量とスピン(回転運動の運動量)が等しく、電荷(後述)など正負の属性が逆の粒子を言う」「陽電子・反陽子・反中性子は電子・陽子・中性子の反粒子」)
「量子」は&bold(){「宇宙最小の物質(それ\自体が単体で存在できる宇宙最小の物質)」}であり、あらゆる事物を細かく細分化すると量子になり、どのような物も事も、意識さえも「量子」で構成されています。「量子(波動)」には「粒子」であり且つ「波動(波)」であるという性質や、「情報」であり「エネルギー」であるという性質があります。
森羅万象は「量子」に還元され、即ち「目で見える物も、見えない物も、全ては量子で成り立っている」というように存在しています。あらゆる物は究極的には、最後まで分解していけば「量子」であり、&bold(){「意識」「想念」「想像上の事物」}もまた&bold(){「量子で成り立っている物」「量子の所作」「量子的に存在の裏付けがある物」}です。
&bold(){「量子力学」}は「素粒子・原子・分子などの微視的(ミクロ)な物理現象を扱う理論」、また宇宙の森羅万象の根源的性質も「量子力学」の理論により説明されるので、科学の最上位理論の「超大統一理論(万物の理論)」が現在模索されています。「量子的性質(量子の性質)が支配する超ミクロの世界」は、一般的に人類が認識している世界の様相とは大きく異なります。
&bold(){「波動原理」}とは&bold(){「森羅万象=量子(波動)=情報=エネルギー」「量子(波動)の共鳴・結合・増加」}という点を基礎とした、宇宙をあまねく支配する科学原理であり、これが&bold(){「超大統一理論」}です。「波動原理(波動の現象と効果)」は&bold(){「あらゆる時・場所・物事で起き続けていて、森羅万象を形成し、因果律を伴いする科学原理」}であり、その表れが&bold(){「意識」「生命」「森羅万象」}です。
「量子」は&bold(){「粒子と波動の二重性」}という性質を持っています。これは&bold(){「量子は、粒子でも波動・波でもある」}という量子的性質であり、ここでいう&bold(){波動」}とは&bold(){波(波形など)」}を指します。
量子力学では&bold(){「物質(粒子)も波動(波)的な性質を持つ」}とされます。「弦理論(げんりろん)」では「量子や重力とは弦である」としていて、これについては後述します。
「波」という事は&bold(){「周波数」}があります。森羅万象は「波(波動)」であり、常に「固有振動パタ-ン」により振動し続けています。
「量子(波動)の周波数」は、一般的に&bold(){「高い周波数ほど良い」「低い周波数ほど悪い」}という関係にあります。&bold(){「物質は高周波数だと光になる」「光は低周波数だと物質になる」}という性質があります。肉体も意識も何もかも「光」に近いほど良くて、高周波数の状態だと肌は透き通り、意識は覚醒します。低周波数だと意識も低下して、生命も物質も環境も原子も崩壊していきます。
全ての「量子」には&bold(){「情報」}が記録・内在しています。森羅万象は&bold(){「量子に情報が存在しているから存在できる」「情報の相互の影響・共鳴・感応により存在している」}という存在形態を持ちます。「意識」をすれば、そこには&bold(){「量子上の情報」「関係する量子との相互影響(共鳴・感応)」}が生じます。「意識・概念・自然の事物などの情報」とは「曖昧性のある物」「沢山の"厳密な意味の個別情報"により構成される物」ですが、その曖昧な情報を量子は内包しています。
そして&bold(){「波動」}とは&bold(){「量子」}を指す言葉でもあり、特に&bold(){「量子の、情報を帯びた物質としての側面」}という意味合いがあります。ここでいう「波動」とは、東洋医学・東洋哲学の&bold(){「気」}と同じ物です。また「量子上の情報」を&bold(){「波動情報」}などとも言います(「波動について」の項で再記述)。「波動」という言葉には「量子」と「波」いう、2つの用いられ方があります。
&bold(){「波動情報」}は、事象の情報が内在している&bold(){「型」「ホログラム的な物(ホログラフィック理論)」}であり、この世の現象面は&bold(){「情報(=型=ホログラム}が投影された現象」}に過ぎません。そして「波動情報」とは&bold(){「量子の記録情報・性質・行動・変化(の方向性)を決定付ける物」}です。
「波動情報」は&bold(){「量子の固有振動パタ-ン(波形と周波数)」}に記録されています。電波には、人為的な信号変換で情報が乗せられていますが、量子の場合は「全ての量子に最初から情報が記録されている」「アナログ的に波動情報が乗っている」となります。全てに波動があるので、言葉には&bold(){「言語エネルギー」「言霊」}、文字には&bold(){「文字波動」}などと呼ばれる効果が存在します。
そして「量子」とは「万物のエネルギー」です。&bold(){「全宇宙の(全ての空間の)あらゆる事象は、量子というエネルギーにより存在して、維持されて、変化する」}という様相がありますが、&bold(){「存在・維持・変化にはエネルギーが必要」}であり、そのエネルギー源は&bold(){「量子」}です。
そして地球でも宇宙でも&bold(){「全ては量子で成り立っている」「量子は情報であり、エネルギーである」}ので、量子の集合体の物質・生命も、社会・環境中の現象・出来事も&bold(){「森羅万象は波動情報の方向へ振舞う」}ように促されます。&bold(){「波動は全てを規定する物であり、その情報=エネルギーの通りに、森羅万象は変化していく」}というのが、&bold(){「全宇宙・全ての空間・全ての次元・森羅万象の根源的原理」}です。
&bold(){「量子・素粒子」=「宇宙最小の物質(=粒子)」=「波動(波)」「気」=「波動(量子や情報)」=「情報」=「エネルギー」}・・・であり、「量子」「波動」「気」は&bold(){「同じ物の、異なる側面・性質・ニュアンスを指す言葉」}です。拠って&bold(){「全ての電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノは、粒であり、波でもあり、(又は弦であり)、それ自体が情報その物である」}というように存在しています。
&bold(){「波動原理の下に存在する、この世界における諸事の真の在り様」}とは、従来常識を全く覆す物です。従来は様々な科学原理・科学理論について、一般的には「そういう原理は習った事がある」程度で、日常的に関心を持ったり注意を向ける事はありませんでした。
しかし近い将来、&bold(){「波動原理を基軸にした意識の在り様」「日常の全て・森羅万象を、"実体的存在=波動(量子)や情報やエネルギー"として捉える意識の在り様」}へと、世界中が完全に移行します。「あらゆる知識・知恵も、出来事も、ニュースも、流行・関心事も、全て一切何もかもが波動原理(波動の所作)に還元されて、結び付けられてから、そこから個別の思考・感覚・想念へと進む」、日常的な意識の持ち方がこのようになります。
これは&bold(){「波動原理」=「ありとあらゆる事象を統括する原理」「存在・現象の全ては、波動情報の通りになる」「従来常識を遥かに超越した効果を発生させる」「どんな些細な事象も、波動の所作に高度に影響される」「人を含む万物の在り様と将来を、決定的に左右する」「意識が波動の質・量・所作を大きく左右する」}からです。
また、量子力学における「観測者の観測行為(=意識)により観測結果(量子の状態)が変わる」という現象から発生した「観察者効果」や「シュレーディンガーの猫」「コペンハーゲン解釈」など原理・論説の存在は、それらこそが「意識は量子で構成される」「量子は情報を持ち、且つ意識に感応(共鳴)して、状態が変化する」という事実を指し示しています。「不確定性原理」「重ね合わせ」の論説も「量子=情報=共鳴により状態変化する」という原理で説明されます。でなければ「脳から発した意識により、他の量子の状態が変わる」という事が起きる訳がありませんし、これ以外に解釈しようがありません。
●&color(white,black){波動の共鳴・結合・増加について}
量子の性質として&bold(){「量子もつれ」}という物があり、これは&bold(){「共通した情報を持つ複数の量子同士」}に発生します。これは「森羅万象における最重要原理」であり、最先端に科学分野で最も注目されている事象の1つです。
「量子もつれ」は&bold(){「非局在性」}という性質と一体的な現象で、これは&bold(){「離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っているという性質」}のことです。また&bold(){「量子は、過去と未来の量子とも量子もつれを起こす」}という性質があります。
「量子もつれ」の関係にある量子同士は、&bold(){「片方の状態が変化すると、もう片方の状態も変化する」「結び付きあってる」「引き寄せ合っている」}という状態にあります。
&bold(){「量子もつれ」}とは、&bold(){「共通した情報を持つ複数の量子が、何の媒介もなしに同期して振る舞う現象」「共通した情報を持つ複数の量子が、結び付きあっている現象」「ある量子の状態が変化すると、他の量子の状態が、距離に関係なく、即時に同様に変化する現象」}です。「量子もつれ」は&bold(){量子同士の「結合状態」「共時的変化の状態」}であり、また&bold(){量子同士の「同調」「共鳴」}の現象です。量子にとっては&bold(){「どこの場所も同じ」「過去も現在も未来も同じ」「同種の情報の物は同じ物」}です。
&bold(){「量子の時空を超越する性質」}について、これは&bold(){「4次元空間(時間空間)の量子と共鳴する」}ことによる現象です。然しながら「どの程度昔の・未来の量子と共鳴するのか」又は「時間には一切に拘束されないのか」についてや、「"時空に制約されない性質"がもたらす実際的な効果が、どの程度の強度で起きているのか」は、まだ分かっていません(記事9)。
森羅万象の存在形態とは&bold(){「同種の事物同士は、量子同士が結び付きあっている」「個別の事物の内部で結び付きあっている」「外部の同種の事物とも結び付きあっている」「万物は他の事象と結び付きあっている」「宇宙は全体的に結び付きあっている」}という物であり、そして&bold(){「あらゆる事物・意識・波動は、過去にも未来にも影響を及ぼしている」}というように存在しています。
これは「宇宙全体」から「星」「土地・海など」「生物の体」「物質」「原子」「意識・概念・言葉」「量子(波動)」まで、最大から最小まで、何もかもがそのように存在しています。「人体」「意識」も、量子もつれの効果を無しに存在できません。また後述の「言霊(ことだま)」に纏わり、「同じ言語の言葉は量子もつれ効果が高い」「違う言語でもある程度量子もつれの効果が生じる」と考えられます。
例えば「親子親族・友人・恋人」「同じ・類似の物質・概念・言葉」「同種の思想・趣味」は、常に結び付きあっています。「ある言葉α(波動α)」を発すれば、「その想念・言葉から発せられた量子」は、その波動の質・強さ(後述)によって程度の多寡はあっても、究極的には宇宙全体の「波動α」と繋がります。
「量子もつれ」という現象は、あらゆる物に対して、常にあらゆる場所で存在し続けていて、また「想念(意識)」により新たに発生します。また&bold(){「事物の一体的な関係性が失われると、量子もつれ現象も解消される」}となります。しかし「物がゴミになって、リサイクルで他の製品になった」ときに、元々は量子もつれが起きていますが、リサイクル後に「量子もつれが部分的に生じている(リサイクル前の量子もつれを起こしていた量子が残っている)」「量子もつれが一切ない」のかは不明です。
&bold(){「脳=波動の変換装置+送受信装置」}であり(項目6④)、これは&bold(){「外部の波動を受信して、それを脳で情報に変換して、意識として認識される」}という仕組みになっています。テレビやラジオは「チャンネル周波数と同じ電波を少し発信して、共振・同調して受信する」という仕組みです。同様に&bold(){「脳機能」}も&bold(){「量子もつれで、脳が発した意識と外部の波動が共鳴して繋がり、情報が受信される」}ことにより生じます。
「量子もつれ光子対」「量子テレポーテーション」などの状態は、科学・技術・製品開発の最先端分野において、実験・研究・応用が進められています。世界各地で開発が続く「量子コンピュータ」はこれを利用、「実現するとコンピュータの性能は飛躍的進化する」「解読不可能」と言われています。
英語では「量子」は「Quantum(クオンタム)」と言います。「もつれさせる・絡み合い」は「entanglement(エンタングルメント)」、「量子もつれ」は「Quantum entanglement」です。「量子もつれ」は「量子絡み合い」「量子エンタングルメント」「エンタングルメント」とも呼ばれます。「量子テレポーテーション」とは「離れた場所に量子状態を移動すること・転送されること」です。
&bold(){「量子もつれ(波動共鳴)の強弱の度合いを決める要素」}は&bold(){「波動の斉一性(コヒーレント性)」「量子(波動)の数量」「距離」「位置関係」}です。
&bold(){「当該物質・事象の量子の数量は多いほど、他の波動との量子もつれの効果も増大する」}のは当然です。「距離」についても&bold(){「近ければ、光のように発散された量子・電磁波と、他の量子が衝突する可能性は高い」「風に乗った浮遊量子と衝突する可能性も高い」}ので、&bold(){物質・事象同士の距離が近いほど量子もつれの効果は高まる」}となります。また&bold(){「その物質・事象に存在する量子の量が少ない場合は、ある程度以上距離が離れると、距離はあまり意味なくなる」}と考えられます。「位置関係」については、&bold(){「幾何学的な位置関係にあると、量子もつれ効果は高まる}のですが、詳しくは後述します。
&bold(){「波動の斉一性(コヒーレント性)」}について、「Coherence(コヒーレンス)」とは&bold(){「波の干渉のしやすさ」}を表し(後述)、&bold(){「複数の波の揃いやすさ」}とも捉えられます。&bold(){「斉一した波(揃った波)」「干渉縞を作りやすい状態」}を&bold(){「コヒーレント状態(coherent)」}と呼び、逆の状態は「インコヒーレント(incoherent)」と呼びます。「量子コヒーレンス」とは「量子が結び付きあった・絡み合った状態」「量子もつれ発生の前提の、量子の状態」です。
全ての波が持つ一般的な物理的性質により、量子(波動)は&bold(){「干渉(増加的干渉と減殺的干渉)」}という現象を起こします。
&bold(){「周波数と振幅(波の山と谷)と位相が揃った複数の波動(量子)」}においては、&bold(){「波形が収斂する」「振幅が増幅する」「エネルギーの強度が増す」「浸透性が高くなる」「他の波動への影響度が高くなる」「情報を記録しやすく、保持し続けやすい」}という現象が発生します。このうちの&bold(){「波形が収斂する」「振幅が増幅する」}現象を&bold(){「増加的干渉」}と呼びます。
(「周波数:波長」「位相:波形・波面」とも言い表せる)
逆に&bold(){「周波数と振幅が揃って、位相が逆の波は(波の中心から逆の位置にある2つの波)、打ち消しあって消える」}という性質もあり、これを&bold(){「減殺的干渉」}と呼びます。これら両方の現象を&bold(){「干渉(増加的干渉と減殺的干渉)」}と呼び、量子の「増加しあう時に起きる現象」「減殺しあう時に起きる現象効果」という対極の現象です。
そして「増加的干渉」は&bold(){「波動の共鳴現象や同調現象」}です。「動く台の上に乗せた複数のメトロノームを動かすと、やがて全てのメトロノームが同期して、同じタイミングで音を刻む」ことが知られていて、これは「揃った波動は効率的な動きができる(逆方向の運動は互いに弱めあい、同じ方向の動きは強めあう)」からであり、これは「増加的干渉」による現象です。これにより&bold(){「波動は多数の周波数がある場合に、平均値に収斂する」}という性質(傾向)があります。一般の波(3次元的な波)では「波のエネルギーは振幅の2乗に比例する」という性質がありますが、更に「量子(波動)」は4次元的性質があるので、増え方はより大きいとも考えられます。
例えば「レーザー光」「共鳴度の高い音」は、大きな力を有していて、遠くまで到達しますが、これは&bold(){「高いコヒーレント性」→「増加的干渉の発生」}という原理であり、逆に「太陽光」は「インコヒーレント」な光なので、あまり干渉を起こしません。干渉が起きると&bold(){「干渉縞」}という縞模様が発生、これは&bold(){「増加的干渉で波のエネルギーが強くなった場所と、減殺的干渉で波が打ち消しあった場所の位相差」「光・電圧・音圧などの、強度の強くなった場所と弱くなった場所の位相差」}によります。
&bold(){「波動の斉一性」「コヒーレンス・コヒーレント」「干渉」}は&bold(){「波動の最重要の概念・状態」}の1つです。&bold(){「波動の斉一性が高い状態」「単一の波形・波長の状態」や「高度な幾何学的な配置関係」}による波動の増強効果は、この「干渉・干渉縞」の原理で説明され、&bold(){「波動の様々な効果(量子エネルギー・ゼロ点効果など)が高くなる」「情報の浸透度が高くなる」}となります(後述)。
量子が「コヒーレント状態(単一波長)」でなくなったり、何らかの要因で「量子同士の関係性」が失われると、「量子の周波数や波形が不揃いになる」ので、&bold(){「量子デコヒーレンス」=「量子もつれ状態の消滅(効果の消滅)」}が起きます。
&bold(){「波は周波数が高いほど、より小さな点(小さな粒子)として存在できる」}という性質があります。そして&bold(){「量子は周波数が高いと光になり、低いと物質化する」}という性質があります。これにより「高波動・高周波数の状態」であると、&bold(){「微細化する」「光になる・透明感がある(光⇔物質)」「柔軟化する・摩擦係数が低い」「融合する・溶ける(細粒なので混ざりやすい)」}などの性質・状態が現れます。
&bold(){「量子水」}は&bold(){「量子を多量に含む水」}です。&bold(){「水」}は&bold(){「斉一な波動8(コヒーレント状態)を形成しやすい」}ことから、各種の特殊な物性を持っていて、そして「量子水」とは&bold(){「水本来の性質を持つ水」}とも言えます。故に、人間の体内水分量が5~8割もあり、最も重要な物質となっています。「水素水」や、各地の「名水」「温泉水・鉱泉水」なども、量子水と同種の性質を持ちます。
&bold(){「量子水の性質」}には、&bold(){「浸透性が高い」}といった「高波動状態における万物の一般的性質」以外に、&bold(){「水分子が細粒状態で存在する」}ことから&bold(){「界面活性効果が高い(物が溶けやすい)」}という性質があり、洗剤を使わずに洗い物ができます。&bold(){「温度変化しにくい(湯は冷めにくい、氷は溶けにくい)」}という性質があり、他の効果も相まって「気温変化への適応能力の上昇」や、波動面の健康効果が高い事から「お風呂」に適していて、これは「温泉」の効果の1つです。「飲食物をより健康に良い物にして、栄養成分を高める」ほかに、「内部に浸透して、長持ちさせる」「内部に浸透したまま、形質を崩れにくくして、おいしくさせる」という効果があります(項目7②量子水の項)。
&bold(){「量子が共鳴すると、ゼロ点で量子が大量発生する(又は波動が増幅される)」「同種の情報を持つ量子の数量が増加する」}という性質があります(ゼロ点について後述)。「共鳴」を起こす条件は&bold(){「量子もつれ(同種の情報同士に起きる)」「量子同士の物理的衝突」「幾何学的形態の存在(などによる増加的干渉)」}です。&bold(){「何らかの共鳴状態の発現」}があれば、そこには必ず&bold(){「量子の共鳴」→「量子もつれ」→「量子同士の結合状態と共時的変化」}という一連の現象が現れます。
&bold(){「量子(波動)の共鳴と増加と結合」}は、波動原理の最も根幹的な原理の1つです。量子は「万物を構成する物質」であり、「万物のエネルギー」であり、「万物の性質や変化を決定付ける情報」であり、「意識に感応する物質」です。
宇宙の基本的性質に&bold(){「幾何学的形態」「フラクタル性(周期性)」「陰陽原理」}などであり、これと&bold(){「同種の情報」→「量子もつれ」→「同調」→「共鳴」→「量子(波動)の数量的な増加」}という作用で&bold(){「量子(波動)の共鳴と増加と結合」}が成されます。これが万物を維持発展させる基本の原理です。
この「量子の共鳴・結合・増加」の原理により、あらゆる場所で常に&bold(){「波動情報が共通する波動同士は、共鳴しあい、結び付きあい、増加しあう」}という現象が起きています。これは人・意識・概念・生物・物質ほか全てに及び、その全ての間に「複数の意識の共感・共鳴」を発生させ、「類似の性質を持つ情報・物・生物」「親族・友人・知り合い」など&bold(){「同じ属性同士の間の結合・引き寄せあい」}を起こしています。これは宇宙の基本的な仕組みで、この効果により&bold(){「森羅万象はその形状・状態を留める事が可能になる」}という、全てにおける基本状態(基底状態)が維持されます。
&bold(){「波動の斉一化(周波数・波形・振幅の同期)」「共鳴現象(同種の波動の結合・共時的変化・増加)」}は、&bold(){「生体内のリズムの同期現象」}を生じさせます。このリズム同期により「波動の同期」「心拍や血管の動きの同期」「呼吸との同期(第2次呼吸=肺呼吸)」「第1次呼吸との同期(脳脊髄液・体液・生体電気場などの同期で3種類のパターンがある)」「概日リズム」ほか、各種の&bold(){「バイオリズム」}が適切な状態に保たれます。
また&bold(){「複数の個体(など)の生命機能のサイクルも、共鳴により同期していく」}という効果があります。例えば「複数の心臓の鼓動は同期していく」という現象が確認されています。「他人と同居すると、生命機能のサイクルが同期していく」と言います。そして後述のように「意識の共鳴の効果」は、非常に大きな働きを発生させます。心身の一切は「共鳴とリズム同期」により、その恒常性が維持されます。
&bold(){「バイオリズムの適切化」}には、&bold(){「体を巡る気脈・血管・リンパ管・神経が適切な位置にあり、柔軟である」}ことが欠かせません。「経絡」は東洋医学における「気脈」の概念であり、「経脈:縦方向に走る主脈」「絡脈:横方向に走る支脈」が、概ね格子状・並行に体内を走っていて、その主要結節点に「経穴(ツボ)」があります。体に歪みや硬直がなくて、体内組織・細胞の並びが綺麗に整っていると、「経絡」なども綺麗に斉一に並ぶ事になります。そのような体内の脈を通る波動は潤滑に流れ、共鳴現象により波動が増幅(増加)していきます。
このような原理により、心身の状態改善を進めていくと&bold(){「波動が周期的に全身に循環される」→「生体の恒常性が維持される」→「更に波動を高める」→「波動の斉一化」→「リズム同期」→「体と意識の波動上昇」}という好循環が起きます。この同期現象が無ければ、全ての生体現象の周期はバラバラとなり、波動情報は行き渡らずに、生存できません。
端的に言うと、人体において&bold(){「あらゆる病気・症状・能力・状態の問題」=「細胞・組織の不正常(不整形)な並びによる、波動の共鳴効果が低い状態」、「あらゆる観点が高水準にある状態」=「細胞・組織の正常な(整った)並びによる、波動の共鳴効果が高い状態」}です(項目7⑪「硬直・歪みの影響、改善の過程」など)。&bold(){「高い共鳴状態=良い状態」「低い共鳴状態=悪い状態」}というのは、他の生物も、物質も、環境も、森羅万象において同様です。物質の結合力の維持強化・長寿命化」については、当ページの「波動と良化・長寿命化と劣化・短命化」や、項目7の各項目で後述します。
●&color(white,black){波動について}
古来から世界各地に、多くの「量子・量子の集合体」の呼称・概念があります。
先述のように&bold(){「波動」}という言葉には&bold(){「量子(量子の、情報を帯びた物質としての側面)」}と&bold(){「波」}いう、異なった2つの対象を指し示す用いられ方があります。「量子」という言葉は従来科学の範囲内の分野において用いられ、例えば「科学式」では「量子・素粒子」が用いられます。「波動」という言葉は「波動原理」に類する分野で用いられる傾向にあり、(波動原理に類する)「精神世界」「パワースポット関連」などの分野でも用いられます。
東アジアの古来の医学・哲学の&bold(){「気」}は「波動」と同じ概念(物質)であり、同様の文体の中で用いられる事も多いです。「気」という概念は&bold(){「中医学」「漢方」「気功」「鍼灸」「按摩」}や&bold(){「陰陽五行説」「陰陽道」「風水術」「易」「道教」}や&bold(){「龍脈・龍穴」}ほか、多数の分野・概念で用いられます。インドの「アーユルヴェーダ」や「ヨガ」などにおける&bold(){「プラーナ」「ドーシャ」}も、「気」「波動」と同じ物質・概念です。このように&bold(){「東洋医学」「東洋哲学」}では、波動的な概念が理論全体の基本に位置しています。
人間や生命・物質などには、その本質としての&bold(){「意識体」}があり、これは&bold(){「波動の集合体」}です(後述)。「生命体」「精神体」「霊体」とも呼び、日本古来の「霊」「魂」「霊魂」「精霊」とほぼ同じ概念です。類似概念には「セジ、マブイ(沖縄)」「魂(精神を支える気)と、魄(肉体を支える気)(中国)」「マナ(Mana・太平洋島嶼)」「アニマ(ANIMA・欧州)」「geist(ドイツ)」ほか、多数の物があります。「Spirit(SPIRITVS・英語)」は「精神」や「精霊」などを意味します。これらは端的に「霊的存在・霊的概念」と言えます。
&bold(){「量子(波動・気)」}とは&bold(){「エネルギー」}であり、&bold(){「量子エネルギー」}は&bold(){「量子のエネルギーとしての側面」}についての言葉です。生命も物質も宇宙の全ては「量子エネルギー」により成り立っています。&bold(){「量子の量が多いほど、周波数が高いほど、エネルギーが強いほど、情報の質が良いほど、良いエネルギーである」}と言え、「高波動状態(量子エネルギーの質量が高い状態)」だと生体は活性化・長寿命化して、物質・事象は永続化、環境も良く保たれます(後述)。
この「エネルギーとしての量子(波動}」について、「生命活動の為のエネルギー」としての側面からは「生体エネルギー」とも呼ばれ、精神医学者ヴィルヘルム・ライヒは「オルゴン」と呼びました。
「意識のエネルギー的側面」を&bold(){「意識エネルギー」}と呼び、「人の意識とも影響・感応しあう」ので「意識粒子」と呼ばれる事もあります。また「サトルエネルギー(subtle=微細な)」、森羅万象の本質に当るエネルギーなので「本質的エネルギー・根源的エネルギー」などという表現もあります(項目6③)。
&bold(){「波動の状態」}については、&bold(){「エネルギーの強弱(振幅の大きき)」「波動の強弱」「波動周波数の高低(波長の長さ)」「波動の質」}という観点から大別できます。先述のように&bold(){「高周波数」}であるほど&bold(){「波動の効果度(浸透度・影響度・残存度)が高い」}ので、&bold(){「良い波動」}だといえます。
&bold(){「波動の強弱」}は、狭義だと&bold(){「エネルギーの大小(波動の振幅の大きさ)」}と同義、広義だと&bold(){「量子(波動)の数量の多寡」}も含めます。「波動の強弱」は&bold(){「強い波動」「弱い・小さい波動」}などと表現されます。
&bold(){「周波数が高い波動」}は&bold(){「繊細な波動」「精妙な波動」}などのように表現され、一般的に高周波数であるほど良いです。&bold(){「周波数が低い波動」}は、「波の間隔が大きい、ゆっくりした波」であるので&bold(){「粗い波動」}とも呼ばれ、一般的に低周波数はあまり良くありません。
&bold(){「波動の質」}については、例えば&bold(){「豊かな自然環境」「波動が高い物質」}や、意識面からは&bold(){共存・共感・共鳴など」「愛情・優しさ」「自然との一体感」}などが&bold(){「良質の波動情報」}を有しています。そして&bold(){「良質の波動情報」}は&bold(){「高周波数の波動」}を持っています。
そして&bold(){「電子の量の大小」}にという観点に限ると、それは&bold(){「酸化還元電位」}における&bold(){「還元:電子が多い状態」「酸化:電子が少ない状態」}という概念(指標・状態)を表します。&bold(){「還元状態は良い・酸化状態は悪い」}のは知られていますが、そもそもは&bold(){「量子が多い状態・量子エネルギーが高い状態:良い状態」「量子が少ない状態・量子エネルギーが低い状態:悪い状態」}です。中でも「電子は生体・物質・環境から失われやすい」ので、この性質に対応する物として「還元と酸化」という概念が発生したといえます。
また「波動」という言葉の用法(意味合い)として、「量子1個分の意味」「多くの量子を一纏めにした意味」の2種類の用法があり、波動原理では概ね後者の用法を用います。&bold(){「波動が高い・高波動」「波動が低い・低波動」}などは、「生体・物質・環境などの量子群(量子団の質や量)」に対しての表現です。
&bold(){「量子」}は&bold(){「森羅万象を形成・維持するエネルギー物質」}であり、生命も意識も物質も全宇宙も「量子エネルギー」により成り立っています。森羅万象において&bold(){「量子エネルギーが多いと万物は形作られ、結合状態を保ち、繁栄する」「量子エネルギーが少ないと、結合状態を保てないので、万物は崩壊していき、衰えていく」}という作用・現象が起こります。
良質の量子エネルギーがある状態を&bold(){「波動が高い(高波動)」}と、無い状態を&bold(){「波動が低い(低波動)」}と言い表します。&bold(){「高波動状態の条件」}とは&bold(){「量子の数量が多い」「周波数が高い」「エネルギーが大きい(波の振幅が大きい)」「波動情報の質が良い」}ことです。
&bold(){「良質な波動情報」}とは&bold(){「肯定的な概念・事物・状況・意識・・・などの波動」「柔軟性を持つ事物の波動」}などがあたります。&bold(){「低質な波動情報」}とは&bold(){「否定的な概念・事物・状況・意識・・・などの波動」「硬直性を持つ事物の波動」}などにあたります。そして「波動周波数の高さ」→「波動の高さ」という関係性から、&bold(){「肯定的な概念・事物・状況・意識・・・などは波動が高い」「否定的な概念・事物・状況・意識・・・波動が低い」}という性質があります。
&bold(){「高波動状態」}だと&bold(){「生命・物質・環境の長寿命化や状態改善」「良質の物質・元素の増加」}が起きます。&bold(){「低波動状態」}だと&bold(){「生命・物質・環境の短命化・劣化や状態悪化」「低質・悪性の物質・元素の増加」}が起きます。また&bold(){「高波動(量子の数量やエネルギーが多く高周波数):結合・微細・柔軟:低エントロピー・秩序的:高次元:万物の良化・活性化・強化・形成・成長・永続化・長寿命化・繁栄:寛容・大局・連帯」「低波動(量子の数量やエネルギーが少なく低周波数):崩壊・粗大・硬直:高エントロピー・非秩序的:低次元:万物の悪化・衰退・弱化・劣化・短命化:偏狭・怒り・拘束」}というように、波動環境の高低は森羅万象を対極の状態に導きます。
「高波動状態」では&bold(){「微細化する」「光になる・透明感がある(光⇔物質)」「柔軟化する・摩擦係数が低い」「融合する・溶ける(細粒なので混ざりやすい)」「生命・物質・環境・状況が永続化する・長寿命化する・改善する」}などの性質があります。そして&bold(){「微細な状態」}では&bold(){「ゼロ点効果が高い(後述)」「高波動である」}ほか、上記の状態が共通して現れます。このように&bold(){「高波動状態において現れる性質」「微細状態において現れる性質」「ゼロ点効果が高い状態において現れる性質」・・・等々は、波動原理により傾向が共通する}という性質があります。
このような「光に近い・細粒状態・柔軟」「ゼロ点でありプラズマ状態に近い(後述)」などの「高波動状態の波動的性質」により、&bold(){「高波動状態においては、"共鳴現象の循環"→"量子やゼロ点の増加(後述)"が起こりやすい状態となっている」}ので、ここから&bold(){「高波動状態にあると量子(波動)が増加しやすい」}という性質があります。
ここから&bold(){「高波動状態とは、およそ考えられる全ての良い状態へと近付ける循環が続きやすい環境である」「高波動状態では弥栄(いやさか)の状態となり、招福や厄除けが成される」}と言え、逆の状態では&bold(){「低波動状態は全ての悪い状態へと近付ける」}と言えます。
大概の事物には多種類の波動が混在していて、生体や環境には無数の種類の波動が存在します。あらゆる場所の波動(群)は、外部の波動と影響しあいながら、時間と共に波動(情報)の質が変性していきます。
&bold(){「ある場所・事物の波動の、外部への波動的な影響力の強弱と、影響の受けやすさ・受け難さ」}について、&bold(){「量子の数量が多い」「エネルギーが大きい(波の振幅が大きい)」「波動の斉一性が高い(コヒーレント状態)」「幾何学的な配置関係(同質の波動を持つ事物の配置が幾何学的)」「元々の場の波動の高低(龍穴など)」「気の流れの状況(気脈・龍脈など)」「外気との接触面積など風雨の影響の側面」}などの観点において、これらが総合的に高水準であるならば、&bold(){そこの波動は「外部へ波動的な影響を与えやすい状態」且つ「外部からの波動的な影響を受け難い状態」}にあります。逆にこれら要素が低ければ、&bold(){「そこの波動は外部への影響力が低く、外部の波動に影響を受けやすく、波動情報が変質していく」}という状態となります。「波動器具による土地の結界(項目6④)」と、これによる「放射能除染・環境浄化」「環境の波動上昇」については、この前提をクリアしている事が不可欠です。
&bold(){「波動情報」は「量子の性質・行動を決定付ける」}という性質を持ちます。この量子的性質により&bold(){「森羅万象は波動情報の方向へ振舞う」}ように促されます。
この性質により&bold(){「過去の出来事から導かれた波動の状況により、その後の環境・天候・災害などの状況・度合いが左右される」}ようになります。例えば日本ならば四季があるように、元来の固有の性質も基礎的な波動情報として織り込まれていますが、これに「時代ごとの一般的な波動的状況」が付加されて、その後の環境・天候・災害などの状況・度合いを左右していきます。これにより、「初期のわずかな変化が、後の天候を大きく変化させる」という「バタフライ効果」は、実際には存在しません。何故ならば天候は、波動情報により決定付けられるからです。
後述のように&bold(){「人間の意識(意識エネルギー)」には大きな力がある}ので、&bold(){「人類の集合意識は、環境中の波動の状況・質を決定する非常に大きな要因」}です。社会的な状況や社会的関心事・流行などには&bold(){「その社会の集合意識」}が決定的に介在しています。&bold(){「全ての現象には、その環境や事物の波動情報の質が大きく影響している」}のであり、例えば&bold(){「その時々の人間の意識・意思は未来を左右する変数」}ですが、その外部に大枠として&bold(){「人類の集合意識を含む、環境中の波動情報による将来的状況の導き」}があります。
こういった波動の性質は&bold(){「カルマ」}的だと言えます。人間・集団・社会の営為によって導かれた波動の状況は、良くも悪くもカルマ的に、その後の状況を決定付けたり、大きく左右していきます。個人の出来事は「DNA」などに波動情報として記録され、それが後の人生で、あるいは転生後に&bold(){「因果応報(善因善果・悪因悪果)」}としてもたらされます。
また人類は環境を良い方にも悪い方にも変化させていくので、この結果「環境中の波動の質は、人類の意識レベルに大きく左右される」という状況を生じさせます。こういった原理により&bold(){「集合意識の波動の質が、環境や天候や災害などの状況・度合いを左右する」}という現象が起きます(後述)。
●&color(white,black){ゼロ点効果と反重力・元素変換}
&bold(){「ゼロ点(ゼロ場・Zero Point Field)」}とは&bold(){「量子の動きが完全に静止している場所」「量子の運動ベクトルがゼロの状態の場所」}です。
&bold(){「螺動ゼロ場情報量子反応理論」}においては、&bold(){「実空間(物質世界)」「ゼロ点」「虚空間(精神世界)」}という3つの場・空間が存在するとしていて、&bold(){「ゼロ点」=「実空間と虚空間の境」}です。これらの「空間や場の概念」については、「意識と空間について」の項目で後述します。
&bold(){「ゼロ点」}においては&bold(){「実空間と虚空間の間の量子の相転移」}がされていて、&bold(){「虚空間から実空間への量子の転移(量子の発生)」「実空間から虚空間への量子の転移(量子の消滅)」}という、双方向の現象が常時どの場所でも起きています。そして&bold(){「あるゼロ点で発生・増幅する量子(波動)」}とは&bold(){「ゼロ点の関連事物や周辺事物の波動」}です。即ち&bold(){「ゼロ点は量子動の発生場、波動が増幅される場」}です。
&bold(){「ゼロ点」}は&bold(){「量子(波動)の発生・増加・増幅」「反重力(斥力)の発生」「ワームホール」}という現象の発生場所・存在場所です。&bold(){「ワームホール」}とは&bold(){「時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道」}です。&bold(){「量子(波動)の共鳴・結合・増加」とは「ゼロ点で発生する現象」}です。そして&bold(){「ゼロ点で生じる効果・エネルギー」}を&bold(){「ゼロ点効果(ゼロ場効果)」「ゼロ点エネルギー(Zero Point Energy・ZPE)」}などと呼びます。(「螺動ゼロ場情報量子反応理論」では「ゼロ点」は「ヒッグス場(重力を獲得する場)」だとしている)
&bold(){「高波動の場所」「何らかの共鳴状態が発生している場所」}では、自ずと&bold(){「ゼロ点の発生・存在」}という状況があります。そして波動原理上の重要事項として、&bold(){「ゼロ点同士の交点では、新たにゼロ点が発生する」}という原理があります。また&bold(){「万物の中心部は波動が高く、ゼロ点となっている」}という性質があります。
ここから&bold(){「ゼロ点の発生地点」}は&bold(){「量子の動きが完全に静止している場所」「高波動の場所」「共鳴の発生地点」「ゼロ点同士の交点」「高波動の場所同士の交点」「共鳴の発生地点の交点」「万物の中心部」「幾何学的形態の中心部」}となります。
そしてこれらの原理により&bold(){「ゼロ点の個数は乗数的に増加してゆく」「ゼロ点効果と量子発生量は乗数的に拡大してゆく」}という性質があります。また同じ「ゼロ点」「高波動状態」と言っても、&bold(){「大規模なゼロ点」から「小規模なゼロ点」}、&bold(){「非常に高波動な状態」から「やや高波動な状態」}まで、様々にあります。
&bold(){「ゼロ点」は「人体・意識・声・空気・生物・物質・形態・土地・自然環境・・・など、何処にでも無数に存在する事象」}であり、「宇宙空間」「パワースポット」「パワーストーン」のように&bold(){「ゼロ点状態がずっと持続している事物」}も、「声」のように&bold(){「ゼロ点状態が一瞬や短時間で生滅する事物」}もあります(項目6②)。&bold(){「体の伸びを行えば、力学的にゼロになった場所にゼロ点が現れ、大きな伸びを行えば、より大きなゼロ点が現れる」}というようになっています。後述のように「意識が空の状態」もゼロ点です。「波動が高い図柄」にも、そこにはゼロ点が存在しています。「半導体」はゼロ点効果で、その性質が発現します。
&bold(){「中心部はゼロ点であり、最も波動が高い」}、これはあらゆる事象について言えます。「星」は中心部が最もエネルギーが高く(=高波動)、「地球」では「内核」にあたります。&bold(){「人々が輪になれば、あらゆる共鳴現象が起きれば、正多角形を書けば、その現象の中心地帯はゼロ点になる」}という性質があります。これは意識・概念などでもそうであり、「本質性・普遍性」というのは「事物の中心」に存在していて、それこそが正に「本質」です。「中心」は「神性」が宿る場であって、「精神性」とは「皮相」の側ではなくて「内面側」に在ります。&bold(){「波動に対する、感知・認知・把握の能力」は「意識・物事の内面を見ること」}によってもたらされます。
そして&bold(){「万物の中心部=ゼロ点」「ゼロ点・ゼロ点効果は乗数的に拡大する」}との性質から、&bold(){「幾何学的形態は高い波動効果を発現する」}という性質があります。
(「幾何学的形態」:「正多角形(正五角形・正六角形ほか)」「五芒星・六芒星」「正多面体(正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体)」「半正多面体(切頂二十面体ほか)」「黄金比」「フィボナッチ数列」「螺旋・渦巻き」など)
&bold(){「幾何学的形態」}は、また幾何学的形態が多数存在する&bold(){「フラクタル性が高い状態」}においては、&bold(){「高度な規則性・周期性」}が存在します。この状態では&bold(){「波動が辺(へん)・面で跳ね返って中心部に集約される」「力(4つの基本相互作用)・応力が中心に集中する」「同一の周波数・波形の波動に収斂される」}という現象を繰り返す事で、&bold(){「コヒーレントな波動(斉一性の高い波動)の発生」「波動の共鳴・増加」}が発生します。
(「4つの基本相互作用(自然界の四つの力)」=「電磁気力(電磁力・電磁相互作用)」「弱い力(弱い相互作用)」「強い力(強い相互作用)」「重力(重力相互作用)」)
&bold(){「幾何学的形態の効果」}とは、上記原理によりもたらされた、&bold(){「コヒーレントな波動(斉一性の高い波動)の発生」「形態中心部が高水準のゼロ点になる」「波動の共鳴・増加」}という要因によって発現する効果です。そして&bold(){「幾何学的形態の効果はフラクタル性が高いほど高まる」}ようになります。
&bold(){「森羅万象は巨視的レベルでは、幾何学的形態=結晶構造を有している」}というのが、この空間(或いは全空間)の基本的な存在形態です。例えば「分子の結晶構造」「原子の内部構造(量子の配置)」「天体の配置(恒星と惑星の位置関係ほか)」「植物の枝・動物の脈組織など分岐」「台風・竜巻」など、普遍的に存在します。
&bold(){「人体の波動的構造」「オーラ」}も&bold(){「幾何学的構造」}を有していて、&bold(){「波動的には人体とオーラは結晶体」}です。そして&bold(){「頭部・脳=幾何学的構造」}の中心に&bold(){「松果体」}があって、意識や体内外の各種波動を拡大させています(後述)。
「ゼロ点から量子(波動)が発生している状況」においては、必然的に&bold(){「電磁波(電界・電場と磁界・磁場)の変化」}が現れ、また&bold(){「電磁波と電磁場は、量子(波動)の挙動に影響を及ぼす」}という性質を持ちます。
「電磁波」は「電界(電場)と磁界(磁場)が相互に作用して組み合わさり、空間を伝達する波」、「電磁波」とは「光」であり、「放射線」も含まれます。そして&bold(){「量子(波動)」と「電磁波」「電磁場」「電気と磁気」と「光」は密接不可分で、一体的に存在するもの}です。
従来科学(マックスウェル方程式)では「光と電磁波は同一のもの」「電磁波は横波である」「光と電磁波の伝播速度は同一(秒速30万km)」とされます。これに対して、波動原理では「電磁波の成分には横波も縦波(スカラー波)もある」とされます。「スカラー波の波動(量子の波)と」は「方向の要素を持たない電磁波の縦波」であり、「ゼロ点での波動のスカラー波」は その場に留まり続ける「定常波(定在波)」になり、また「ゼロ点の電磁場上でスカラー波になる」という論説もあります。
(「スカラー」は「大きさのみを持つ量」「方向を持たないもの」、「ベクトル」は「大きさと向きを持った量」を指し、両方は対比する概念である)
(「速度」「加速度」「運動量」「力」「ゼロ点以外での電界」は「ベクトル」、「時間」「質量」「長さ」「温度」「エネルギー」「電荷」は「スカラー」である)
(「縦波」には「スカラー波」「音波」「地震波のP波」などの「疎密波」と、「水面波」などの「重力波」がある)
「電磁場の強度・密度」を意味する「電磁ポテンシャル」の計算に、「ローレンツゲージ」という数式(量)が用いられ、これにより「磁場の発散は常に0で、拠って電荷密度も0で、電磁波の縦波は存在しない」と、従来科学ではされています。しかしこの量の意味する所は不明で、「単に数式を簡略化させる為の物」と言われますが、波動原理からは「ローレンツゲージ」は「電磁波のスカラー波に相当する量」だとも言われます。また「電磁ポテンシャル」は「ベクトルポテンシャル+スカラーポテンシャル」ですが、これは「量子の4次元的位置エネルギー」を表す物だとも言われます。
&bold(){「元素変換」}は&bold(){「原子の原子核(中性子・陽子)へのニュートリノの衝突」}により発生します。&bold(){「正ニュートリノが衝突すると、周期表で一つ右の重い元素に変換する」「反ニュートリノが衝突すると、一つ左の軽い元素に変換する」}という現象が起こります。&bold(){「ゼロ点があると量子発生が起きる」}ので、&bold(){「ゼロ点が沢山あったり、大きなゼロ点が存在すると、元素変換の発生頻度は増加する}ようになります。そして「ある原子が違う原子に常温で変換する」という現象は、非常に僅かな量ですが、常時どこででも起きています。
&bold(){「元素変換や物質の合成の頻度」}は、&bold(){「その物質と環境中の波動情報の質」}に決定的に左右されます。&bold(){「物質・環境が良い波動(高波動)を有している」}ならば、&bold(){「ゼロ点効果の発生頻度と量子発生量の増加」「良質の波動情報同士の量子もつれの増加」}により、&bold(){「良性の物質への元素変換」と「良性の物質の合成」}が高頻度で現れます。高波動状態であると&bold(){「ニュートリノによる良性の物質への元素変換」「良性の物質の合成」の発生頻度の増加}と共に、&bold(){「地球環境の清浄化」「あらゆる汚染物質(人口放射性物質を含む)の浄化」「生命・物質を長寿命化・永続化(後述)」}という効果が発現します。
「宇宙から飛んでくるニュートリノは、1平方センチメートルに1秒当たり1000億個が通過する」とされます。近年、世界各地で「炭素14」など「放射性元素の半減期縮小」が報告されていますが、従来科学ではこの作用原理は不明でした。波動原理に拠れば、これは「太陽活動の増大による量子・ニュートリノ放出量の増加」によると看做せます。
ここに「地球や生物・物質などの各ゼロ点から発生したニュートリノ」が加わりますが、しかし現代の世界の波動環境では、一般的に元素変換は僅かしか起こりません。ここから更に「大規模な元素変換の実施」を行うには、高度な波動的な手法が必要です。そして「波動原理を応用した器具・手法による量子の大量発生」「意識や体の波動向上による波動的能力の大幅上昇」「これらによる波動的環境の改善」を通じて、「環境中の汚染物質の全面的な浄化」を実現できるようになります。
物質はそれぞれの性質を持ち、各種の効果を発現します。そのうちの&bold(){「高い効果を発現する物質」は、その効果は「ゼロ点効果」に伴って発現する}ものです。&bold(){「酵素・触媒」「腸内の善玉菌」の効果も「ゼロ点効果」による物}です。良性の物質の1つに、森林の腐植土から生成される「フルボ酸」があり、環境や生物には無くてはならない物質であり、河川から海へ運ばれていきますが、この物質には「放射能除去効果」が確認されています。高波動状態では、こういった良性の物質が多く産生され、徐々に環境全般を変えていき、「地球・宇宙の恒常性維持」をもたらします。
&bold(){「フラーレン」}は「炭素原子のみで構成された炭素同素体の一種」}、近年機能や製品利用が注目されている物質です。その一種&bold(){「バックミンスターフラーレン(バッキーボール・C60)」は「炭素原子60個で構成」「六角形20個と五角形12個からなるサッカーボール状の切頂二十面体」「非常によい導電体(共有結合に関与しない電子が、原子1:電子1の割合で存在)」}です。&bold(){「C60フラーレンにベリリウム7(放射性物質)を入れると、半減期が1%短くなる」}ことが観測されていますが、これは&bold(){「物質中心部のゼロ点から湧出したニュートリノによる元素変換の促進効果」}による現象です(項目5)。
フラーレンを含む唯一の天然鉱物&bold(){「シュンガイト」}の産地ロシア・シュンガ村の住民は、「シュンガイトを浸けた水を飲む・洗う」などしますが、&bold(){「傷病治癒が早く、癌罹患者が非常に少なく、放射能の影響を受けず、長寿である」}と報告されています。インドに伝わる古来の波動農法&bold(){「アグニホートラ」}は、その効果要因の1つに「灰の中のフラーレン」があり、&bold(){「農作物の収量増加・高品質化」}と共に&bold(){「土壌改善・浄化」}も行い、「&bold(){放射能除去効果」}が報告されています。
同じく炭素同素体の&bold(){「カーボンナノチューブ(CNT」}については、CNT製の放射能防護スーツも開発されています。これは&bold(){「(放射線を含む)電磁波=光子」}なので、&bold(){「CNT内部のゼロ点効果により、放射線(光子)の挙動を制限して、減滅した」}と考えられます。他の炭素同素体に「ダイヤモンド」「黒鉛(グラファイト)」「カーボンナノホーン(CNH)」があって、それぞれ有用な物質ですが、「ダイヤモンド」は「炭素原子の四面体の共有結合の結晶構造において、四面体頂点の炭素原子同士の結合角度が、幾何学的な幾何的に理想的な角度であるため全く歪みが無い」という性質があり、ここから「非常に硬い」「光の屈折率が高い」「波動が高い」という性質があります。
「炭素」と同じ「14族元素」の&bold(){「珪素」}について、多くの&bold(){「珪素化合物」}には&bold(){「六角形構造」}があり、「竹炭」等にもあります。「フルボ酸」も、密な}「六員環構造」}を持ちます。これらには独特な物性があり、散布による放射能除去効果が報告されています。
また「真空中に非常に小さい距離を隔てて設置された二枚の平面金属板を振動させると光子が生じる」という現象を「動的カシミール効果」と呼び、これもゼロ点からの量子発生現象です。また「電場・磁場・圧力・重力により原子の崩壊定数が変化する」という報告が多数挙がっていますが、この作用原理も元素変換です。
&bold(){「大規模なゼロ点」}は、&bold(){「波動科学の知見を応用したコイルに電気を流す(又は電気を発生させる)」}などして人工的に発生させる事ができ、ここからは&bold(){「莫大な量子エネルギー」「強い反重力」}が発します。その他の原理も含めて、&bold(){「フリーエネルギー」「浮遊型の乗り物(円盤型・葉巻型などのUFO)」}など、多種多様な技術が利用できるようになります。
波動原理を応用した&bold(){「波動器具」}は、現在でも非常に多種多様な物が利用されています。中でも&bold(){「波動転写機(ラジオニクス)」}は、&bold(){「農業用(農作物の収量や品質の向上)」}に利用されるだけでなく、&bold(){「広範な地域の波動上昇」「土地や汚染物質の浄化」}の目的でも利用され、そしてその開発が各方面で進んでいます。これらの装置については、項目7③「波動科学の効果・活用」の項目で記述します。
DNAについての記事23の「すべての超伝導体は光や、あるいは情報といったものを格納する」という内容は、&bold(){「全てのゼロ点は波動・波動情報を保存する」}と置き換えられます。「重力が電気に変化していくというような場合の特徴的な真空領域において、ワームホールは安定した状態となる」という部分は、&bold(){「無重力空間では量子が満ちている」=「宇宙空間は高波動状態なので、大規模なゼロ点が維持され、ワームホールが安定維持される」}と置き換えられます。「浮遊型の乗り物(UFO)」はこの原理を利用する装置で、高度な波動科学の知見があれば&bold(){「ワームホールが安定維持する環境と、ワープ航法を自在に発生・利用できる」}となります。
&bold(){「量子が量子的性質を高レベルで発現する状態」}は&bold(){「プラズマ」}の状態においてです。プラズマは日本語で「電離ガス」「電離気体」と呼びます。地球において、多くの「ゼロ点」もプラズマ状態です。人体を取り巻く波動フィールド&bold(){「オーラ」}は、&bold(){「量子エネルギーや、プラズマ状態のイオンなどの複合体」}です。
&bold(){「原子」}の内部は、複数の&bold(){「陽子」と「中性子」が結合した「原子核」があり、その周りを複数の「電子」が回っている}という構成です。&bold(){「電荷」}とは&bold(){「正電荷と負電荷は引き寄せあう(引力)」「正電荷同士や負電荷同士は遠ざけあう(斥力)」}という量子の持つ性質の事で、&bold(){「陽子:正電荷(プラスの電荷)」「中性子:中性」「電子:負電荷(マイナスの電荷)」}であり、&bold(){「原子核:正電荷」と「電子:負電荷」は互いに引き寄せ合っている」}という状態となっています。そして&bold(){「基底状態(最もエネルギーが低い状態)」}においては、&bold(){「原子は中性であり(電荷が0)、結合状態である」}となっています。
(「クーロン力」:「二つの荷電粒子間に働く力」「力の大きさは、距離の2乗に反比例し、両方のもつ電荷の積に比例する(クーロンの法則)」「電荷の符号が正負であれば引力となり、同じであれば斥力なる」)
(「ローレンツ力」:「荷電粒子は、電場でクーロン力を受けたり、また磁場中で運動することで、進行方向とは直角方向に生じる力を受けたりする」「これら2つの力をまとめてローレンツ力という」)
(「中性粒子」:「電荷が無い粒子、中性子と光子とニュートリノ」「電磁気学的に相互作用しない(量子もつれの相互作用はある)」)
しかし&bold(){「強い電磁波(=光子)など高エネルギーに晒される(励起)」}→&bold(){「電子は原子核をまわる軌道から飛び出す(電離)」}という状態が発生すると、電子は&bold(){「自由電子」}となります。&bold(){「電子を放出して正の電荷を帯びた原子・原子団」を「陽イオン(カチオン)(≠正イオン)」}、&bold(){「電子を受け取って負の電荷を帯びた原子・原子団」を「陰イオン(アニオン)(≠負イオン)」}と呼び、「陽イオン」の方がずっと重いです。この&bold(){「一部あるいは全ての電子を失った原子団(陽イオン)」と「原子から飛び出した自由電子団(陰イオン)」に別れて自由運動しているガスが「プラズマ」}です。
&color(white,gray){プラズマ}
・固体・液体・気体につづく、物質の第四態。
・通常は「電離した気体(霧状)」のイメージを持つ。
・気体を構成する分子が部分的に、または完全に電離し、「陽イオン(正の荷電を持つ)」と「電子(負の荷電を持つ・陰イオン)」に別れて自由に運動している状態で、全体として「電気的中性」が保たれている。
・即ち「原子の、プラスの原子核とマイナスの電子が、バラバラになった状態」「プラスの陽イオンと、マイナスの電子が同数存在する」。
・構成粒子が電荷をもつため、粒子は電磁場を通して遠隔的な相互作用をすることができ、離れた領域にある粒子の運動に依存したふるまいをする。
・即ち「プラズマの中に入ると、電子は単独の動きを止める」「プラズマは自己組織化して、全体が一体的な挙動をする」。
・同じプラズマのイオン同士は融合性が非常に高いが、異なるプラズマが近寄るとおしのけあう。
・電気伝導性が非常に高い。
・各種の波が発生し、プラズマ中は波が伝播しやすいという性質がある。
即ち「プラズマの中は、量子(波動)、電磁波、光、電波、磁気、音波・・・などが通り抜けやすい」。
・「プラズマ振動」は、プラズマ中で電気的中性の条件が局所的に破れ、電場が生じた時、これを回復しようとして生ずる電子(陰イオン)の振動運動。
電子ガス中に密度の変動が起き、波は電子の熱運動によって伝えられる縦波であり、陽イオンは重いのでこの動きは無視される。
・プラズマに熱運動が周囲に伝播する「電子プラズマ波」は、プラズマ振動の一種である。
通常のプラズマ振動よりも高い周波数で、縦波としての粗密波である。
・「イオン音波」は、通常のプラズマ振動よりも低い周波数帯で、熱が存在する場合に発生、粗密波である。
また「電子プラズマ波」「イオン音波」ともに、速度は一定である。
・磁場中ではプラズマを構成している荷電粒子がローレンツ力を受け「旋回運動」を行う。
この運動を「サイクロトロン運動」という。
・プラズマ中のイオンが他の粒子と衝突する頻度に依存して、自発回転の向きが変化する。
磁場の向きにも依るが、低い衝突頻度つまり高温で低密度のプラズマでは時計回りに、高い衝突頻度つまり低温で高密度のプラズマでは反時計回りに回転する。
・ニュートリノの質量分を除き、宇宙全体の99.999…%はプラズマで覆われている。
「雷」「球電」「電離層」「中間圏発光現象(超高層雷放電)」「オーロラ」「炎」「ヴァン・アレン帯」「磁気圏」「太陽・恒星」「太陽風」「星間物質」「降着円盤」「星雲」「アーク放電」「グロー放電」「プラズマディスプレイ」「蛍光灯」「ネオンサイン」「テスラコイル」ほか
・「プラズマ宇宙論」は「宇宙はプラズマにより成り立っている」という理論で、「エレクトリック・ユニバース理論」はその発展形である。
・これらは「ビッグバン理論」などの量子力学の「標準理論」よりも、「波動原理」に近い。
エレクトリックユニバース理論では「宇宙は電磁気力により成り立っている」「太陽が熱と光を発しているのはコロナだけで、内部は石のように冷たい」とする。
&bold(){「ダストプラズマ」}は&bold(){「イオンと電子のほかに、μm(マイクロメートル)程度の巨視的大きさをもつ多数のダスト(ちり・固体微粒子)を含むプラズマ」}のことで、「微粒子プラズマ」とも呼ばれます。そこでは&bold(){「微粒子に沢山の電子が付着した、大きな負電荷(エネルギー)をもった粒子」}になり、通常のプラズマには見られない多くの興味ある現象を引き起こします。&bold(){「特に大きなエネルギー(高波動状態・ゼロ点)のダストプラズマ」}は、クーロン力の斥力により粒子が等間隔に並ぶ&bold(){「クーロン結晶」}となり、&bold(){「BCC構造(体心立方格子)」「FCC構造(面心立方格子)」「六方最密格子」「単純六方格子」の「幾何学的形態」}となります。クーロン結晶は&bold(){「気体+結晶質」}の状態で、&bold(){「ゼロ点の無重力空間」において、より綺麗な結晶構造となるので、特に高い波動共鳴効果を発現する}ようになります。このような規則的構造において&bold(){「ダストプラズマの自己組織化」}という現象が起き、&bold(){プラズマの一体的挙動」}が現れます。
「同種の原子・分子が、相互作用によって複数個結合した物体が電荷を帯びたもの(数個~数十個やそれ以上)」を「クラスター」と呼び、これが「イオン化した原子・分子」で構成されると「クラスターイオン」と呼ばれ、サイズに依存した特異的性質を示します。
「金属イオン」はすべて「陽イオン」で、「ハロゲン(第16族元素)」はすべて「陰イオン」です。下記の&bold(){「プラズモン」は「金属の最重要の性質」}であり、「金属のプラズマ状態」「金属の励起状態」です。電磁波(光子)を共鳴・増幅させる&bold(){「表面プラズモン共鳴」}は「ゼロ点効果」による現象で、「金属光沢」はこれにより発生します。特に&bold(){「局在表面プラズモン共鳴」}は、強力なゼロ点効果を発する波動器具の開発に不可欠です。
&color(white,gray){プラズモン}
・プラズマ振動をしている量子であり、金属中の自由電子が集団振動して擬似的な粒子として振る舞っている状態。
・プラズモンは絶縁体、金属、半導体、半金属のほか、大きな原子や分子において観測されている。
・プラズモンは「自由電荷の疎密波」である。
&color(white,gray){表面プラズモン}
・「プラズマ表面波」ともいう。
・金属ナノ粒子におけるプラズモンが表面に局在する状態。
・金属表面の自由電子の集団振動で、光などの外部電場に引き起こされ発生、周囲に電場を発生する。
・「金属/誘電体」や「金属/真空」の界面に対して平行方向に伝播する表面電磁波。
・固体内部における種々の素励起(フォノン・プラズモン・マグノンなど)に対応し、表面が存在することにより、表面平行方向には波動として振る舞い、垂直方向には表面から遠ざかると指数関数的に減衰するような、表面に局在した集団的振動。
これらの振動を量子化したものを「表面フォノン」「表面プラズモン」「表面マグノンなどと呼び、総称して「表面素励起」と呼ぶ。
「フォノン(音子・音響量子・音量子)」とは、「振動(主に結晶中での格子振動)」を量子化した粒子(振動している量子)。
「マグノン」とは、「結晶格子中の電子のスピンの構造」を量子化した粒子(概念)。
・「分極」とは「電荷や磁荷の分布が変化して、電気双極子モーメントまたは磁気双極子モーメントが生じること」「誘電体を電場の中に置いた時に正・負の極に別れる/磁性体を磁場の中に置いた時にN・Sの極に分かれる現象」「電気や磁気の流れ・向きが生じる」。
表面プラズモンは「分極」の現象。
・表面プラズモンの設計・制御・応用技術は「プラズモニクス」と呼ばれる。
&color(white,gray){表面プラズモン共鳴(SPR)}
・表面プラズモンの電場と、外部電場(光子や電子)とが共鳴する現象。
・電場のエネルギーが非常に狭い領域に強く集約される。
・共鳴条件は、光量子(フォトン)の周波数が、正電荷の原子核の復元力に対して周期的に振動する表面電子の自然周波数と一致する時に達成される。
・外部電場は、その運動量がプラズモンのものと一致しなければならない。
・固体と液体の表面で発生する。
・表面プラズモンが起こる代表的な金属は銀および金であるが、銅、チタン、クロムといった金属も使われている。
・SP波を励起するために光を用いる時、よく知られた2種類の配置「オット配置」と「クレッチマン配置」が存在する。
・「SPR放射」は、表面プラズモン波が局所粒子あるいは粗い表面といった不規則なものと相互作用する時 、エネルギーの一部が光として再放射される現象。
この放射光は金属薄膜の「後ろ」で様々な方向から検出することができる。
・磁場においても、「磁気プラズモン」「磁気プラズモン共鳴」「磁気表面プラズモン」がある。
「磁気表面プラズモン」は、大きな負の透磁率を持つ材料が必要で、最近メタマテリアルの創出によって利用可能になった。
&color(white,gray){局在表面プラズモン共鳴(LSPR)}
・金属ナノ粒子やナノポリマーなど、ナノメートルサイズの構造の表面で起きる、表面プラズモンの電場と、外部電場の局所的な集団的共鳴。
・特定の波長領域で起き、金属の形状・材質などによって発生する波長が変化する。
・両方の電場の波長が同じだと、局所的に著しく増強された電場を発生する。
・特に二つのナノ粒子の接合点では、特に強いプラズモンが励起される。
・距離が離れると速やかに減衰するが、粒子による遠距離散乱もまた共鳴により増強される。
・「光強度増強」はLSPRの非常に重要な特徴であり、局在はLSPRがナノ粒子のサイズにのみ制限された非常に高い空間分解能(サブ波長)を有していることを意味する。
・増強された場振幅のため、磁気光学効果といった振幅に依存した効果もまたLSPRによって増強される。
・金ナノ粒子・銀ナノ粒子などで発生するLSPRは、可視光線から近赤外光領域の波長で起きる。
&color(white,gray){ラマン分散}
・物質に光を入射したとき、散乱された光の中に入射された光の波長と異なる波長の光が含まれる現象。
・入射光のエネルギー近傍に対応する電子状態が存在する場合、中間状態が特定の振電状態となり、ラマン散乱強度が著しく増大する。
これを「共鳴ラマン散乱」と呼び、電子状態による共鳴効果を利用して元々は非常に弱いラマン信号を検出可能にする手法としても用いられている。
・「局在表面プラズモン共鳴」が存在する領域では、光と分子の相互作用が強力に増幅され、ラマン散乱が強力に増幅される「表面増強ラマン散乱(SERS)」が発生する。
&bold(){「ゼロ点」「虚空間」も「プラズマ状態」}であり、&bold(){「プラズマとは波動を結び付けあう媒質」}だと考えられます。&bold(){「高波動状態」「ゼロ点」「プラズマ」は、互いに非常に近い性質の場所か、或いは同じ性質の場所}です。「プラズマ状態」では、量子は移動をしていますが、「個々の量子の周囲にゼロ点が形成されている」ので&bold(){「全体としてゼロ点の性質を持つ」}ようになります。拠って「プラズマについて」の項にある各性質は、「高波動状態」「ゼロ点」「プラズマ」の何れにおいても現れます。
宇宙の殆どはプラズマで覆われていて、地球の地表のような、固体・液体・気体が占める空間は僅かです。&bold(){「波動の光体」「意識体」も「プラズマ状態の波動集合体」}です。&bold(){「波動で満たされた、プラズマ状空間の中に浮遊している」「無数の情報の波が、どこまでも遮る物がなく、円滑に浸透していき、波紋を広げあっている」}、このような状態が&bold(){「宇宙の基本的状態(基底状態)」}であり、また&bold(){「こういう状態を意識すると、意識エネルギーが浸透し、現実化が促進されやすい」}と考えられます。
●&color(white,black){幾何学的形態の共鳴効果}
&bold(){「幾何学的形態」}は、この宇宙空間における万物の基本的な形態であり、これは&bold(){「波動の共鳴・増加の効果を高める形態」}です。この効果を&bold(){「形態波動共鳴」}などと呼びます。
(「幾何学的形態(幾何的形状・構造)」:「正多角形(正五角形・正六角形ほか)」「芒星(五芒星・六芒星ほか)」「正多面体(正四面体・正六面体・正八面体・正十二面体・正二十面体)」「半正多面体(切頂二十面体ほか)」「黄金比(φ/1.618)」「白銀比(1:1.414)」「フィボナッチ数列」「螺旋・渦巻き」など)。
&bold(){「幾何学的形態」}には、また幾何学的形態が多数存在する&bold(){「自己相似性が高い状態」「フラクタル性が高い状態」}においては、その多くに&bold(){「高度な規則性・周期性」}が存在します。
幾何学的形態では、&bold(){「波動が辺(へん)・面で跳ね返って中心部に集約される」「力(4つの基本相互作用)・応力が中心に集中する」「同一の周波数・波形の波動に収斂される」}という現象が繰り返し発生して、これにより&bold(){「コヒーレントな波動(斉一性の高い波動)の発生」「波動の共鳴・増加」}}が発生します。更に&bold(){「自己相似性やフラクタル性が高い状態」}であれば&bold(){「ゼロ点・ゼロ点効果の拡大効果」}が発生します。
(「4つの基本相互作用(自然界の四つの力)」=「電磁気力(電磁力・電磁相互作用)」「弱い力(弱い相互作用)」「強い力(強い相互作用)」「重力(重力相互作用)」)
&bold(){「定常波(定在波)」}は&bold(){「逆方向から来た同波形の波が合さった時にできる、波形が進行せずその場に止まって振動しているようにみえる波動」}です。また&bold(){「波」と「波に対して垂直な2箇所の壁」}があると、そこには&bold(){「定常波と共鳴の発生」}が起こります。
これにより&bold(){「多くの幾何学的形態は特定の波動を増幅させ、定常波と共鳴現象を発生させる」}と考えられます。
&bold(){「幾何学的形態の形態波動共鳴の効果」}とは、上記原理によりもたらされた、&bold(){「コヒーレントな波動(斉一性の高い波動)の発生」「形態中心部がゼロ点になる」「定常波の発生」「波動の共鳴・増加」}という要因によって発現する効果です。そして&bold(){「幾何学的形態の効果はフラクタル性が高いほど高まる」}ようになります。
他には&bold(){「円」「球」}についても、上記の効果が発生する事から、同様に&bold(){「円・球は波動の共鳴・増加の効果を高める形態」}だと言えます。
&color(white,gray){定常波(ていじょうは)}
・「定在波(ていざいは)」ともいう。
・「波長・周期(振動数または周波数)・振幅・速さ(速度の絶対値)」が同じで、「進行方向が互いに逆向き」の2つの波が重なり合うことによってできる、「波形が進行せずその場に止まって振動しているようにみえる波動」。
・特徴
・各点は同じ位相・周期で振動する。そのため全ての点の変位が0になる時刻および全ての点の変位が最大になる時刻が存在する。
・媒質中の各点はそれぞれの位置に応じた振幅で振動する。
・全く振動せず振幅が0になる点および振幅が最大になり変位が最も揺れ動く点が現れる。前者を節(node)、後者を腹(anti-node)という。
重なり合う2つの波の波長をλとすると、節および腹はそれぞれλ/2ごとに現れる。
・腹における振幅は元の波の2倍になる。
・各点の振動の周期は元の波と同じである。
・波の進行方向に対して垂直な面で波が反射すると、もとの波(入射波)と進行方向が逆向きの反射波が発生する。
・この入射波と反射波が合成することにより定常波が発生する。
・進行方向に対して垂直な面とはすなわち波面のことである。
・したがって波面が形成される面に反射壁をつくることによって定常波を発生させることができる。
・反射を利用すれば1次元波や平面波以外の波でも定常波を生成することができる。
・たとえば3次元の球面波ならば波源を中心とした球面壁により、同じく3次元の円筒波ならば波源を中心とした円筒面により、2次元の円形波ならば波源を中心とした円形の囲いで定常波をつくることができる。
・弦のような線上で波を発生させると、波源から互いに逆向きの2つの波が発生する。
・これを閉曲線上で行うとこれら2つの波はその閉曲線を半周した後にぶつかり合い、定常波ができる条件を整える。
・このとき、閉曲線の長さLが波長λの自然数倍となっていると、位相が各位置で一致するので安定した定常波を得ることができる
・1次元波または平面波において、進行方向に対して垂直な2つの壁面(端)をつくることにより「共振(共鳴)」とよばれる現象がおきる
・この2つの端に挟まれた部分では、一方の端で反射された波が再びもう一方の端で反射される。
・この繰り返しにより振幅が非常に増幅された定常波ができる。
・このとき、ある特定の波長をもつ波動の場合のみ安定した定常波を得ることができる。
・そのため、特定の振動数でのみ振幅の大きな波をつくることができる。この振動数を「固有振動数」という。
・固有振動数のうち最も小さな振動数の振動を基本振動といい、特に音波の場合、基音という。この原理は楽器などに利用されている。
・ボーアの原子模型において、原子核を周回する電子は原子軌道上に定常波として安定して存在していると考えられている。
「波動原理」の中核に&bold(){「幾何学的形態」}があり、その背景には&bold(){「数学原理」}があります。これは&bold(){「波動の位置関係が共鳴効果を左右する」「位置関係とは数字・数学(向き・距離・角度・運動量)により表される」「共鳴効果を増加させる位置関係は、幾何学的な形態・構造・位置関係の時である」「波動の存在・効果は、数学原理と幾何学的形態によっている」}からです。
拠って、全ての基礎原理として&bold(){「森羅万象は波動で構成される」「森羅万象は数字・数学で構成される」「森羅万象は幾何学的形態や円・球で構成される」}というのが存在していて、これらは互いに等価の原理です。
「空間」というのは、我々が住むこの空間だけでなく、様々な「空間・次元」があるとされ、それら空間・次元は「量子もつれ」により、この空間と繋がっています。そして様々な空間・次元を支配する&bold(){「数学原理」}とは、&bold(){「実数」「10進法」}だけで構成されるのではなく、&bold(){「虚数」「複素数」「四元数・八元数・十六元数」「八進法・十六進法」}など、様々な原理が存在しています。実際に量子力学では「虚数・複素数」での演算により、量子の性質が解析されています。また&bold(){「高次元空間では直線はなく、曲線で構成される」}という論説もあります。
波動原理では&bold(){「ゼロ=無=中心点」}が非常に重要です。&bold(){「中心から対照的(シンメトリー)に量子・波動が存在しているとゼロ点効果が高くなる」「波動原理は数学その物・数学に置き換えられる(項目6③)」}のですが、これは&bold(){「数学的な中心を軸に対照的に存在すると、波動的に安定して(低エントロピー)、高い波動効果を得られる」}からです。これは超ミクロの量子レベルから、超マクロの宇宙レベルまで全て同じです。
&bold(){「空間充填」「平面充填」「最密充填」}などの概念も重要です。&bold(){「結晶構造」}における&bold(){「格子構造」}が代表例で、&bold(){「分子の結晶の格子構造により、物質(金属・鉱物・各素材など)は内部が充填される」}となります。そしてこの要素があると「規則性」「周期性」「自己相似性」という性質が増加、これが波動共鳴に寄与します。
(「空間における最密充填の構造」は「六方最密充填構造」「立方最密充填構造(面心立方格子構造)」で、「充填率(空間面積に占める原子面積の割合):74%」)
&bold(){「正五角形・正六角形」}は、幾何学的形態の中でも、波動効果の面から見ると、最も基本的な形態と言えます。「螺動ゼロ場情報量子反応理論の概略」では・「正六角形:正ニュートリノの発生」「正五角形:反ニュートリノの発生」としています。この性質については、&bold(){「空間・平面の充填」}における&bold(){「空間を最も隙間なく埋め尽くす等辺立体は正十二面体(最密充填)」「これを平面的に見ると正六角形が並ぶ」「正十二面体は正五角形で構成」「平面充填可能な図形で、最も周が短いのは正六角形(効率的に存在する)」}という性質と関係するとも考えられます。
&bold(){「準結晶」}は&bold(){「規則性を持つ結晶構造」}ですが、&bold(){「周期性」}はありません。しかし準結晶の素材の物性は独特な物があって、高い波動効果を伺わせます。&bold(){「フィボナッチ数列」「ペンローズパターン」「準結晶」}は&bold(){「高次元空間の結晶構造を、その結晶構造の対称軸に平行でない低次元空間に射影することで得られる」}とあります。
これらから、また他の知見も併せて、&bold(){「黄金比」「白銀比」「螺旋・渦巻き」「フィボナッチ数列」「ペンローズパターン」「準結晶」は「実際に存在する高次元空間においての基本的形態である」「その構造により、高次元空間と共鳴して量子エネルギーがもたらされる事で、その効果が発現する」}と考えられます。
&color(white,gray){フィボナッチ数列}
・0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765, 10946,と続く数列。
・最初の二項は0,1と定義され、以後どの項も「その前の2つの項の和」となっている。
・隣り合うフィボナッチ数の比は「黄金比」に収束する。
・負数番への拡張:…, −55, 34, −21, 13, −8, 5, −3, 2, −1, 1.
・フィボナッチ数は自然界の現象に数多く出現する。
・花びらの数はフィボナッチ数であることが多い。
・植物の花や実に現れる螺旋の数もフィボナッチ数であることが多い。
・ヒマワリの螺旋の数はフィボナッチ数とされることもあるが、螺旋の数が多い場合、中心から離れると螺旋の隙間にも種ができてしまうため、途中から枝分かれしてフィボナッチ数にならないこともある。
・パイナップルの螺旋の数は時計回りは13、反時計回りは8になっている。
・葉序(植物の葉の付き方)はフィボナッチ数と関連している。
・ハチやアリなど、オスに父親がない家系を辿っていくとフィボナッチ数列が現れる(父母2匹、祖父母3匹、曽祖父母5匹、高祖父母8匹…)。
・n 段の階段を1段または2段ずつ登るときに、登る場合の数は Fn+1 通りある。
・●と○を合わせて n 個並べる。●が2個以上続かないように一列に並べる方法は Fn+2 通りある。
&color(white,gray){準結晶}
・結晶ともアモルファス(非晶質)とも異なる、第三の固体物質ともいうべき状態。
・結晶を定義づける「並進対称性(周期性)」は持たないが、「原子配列の高い秩序性」を有している。
・結晶は「並進対称性」を持つことから、その電子線回折等の回折像は1回、2回、3回、4回および6回のいずれかの「回転対称性」を示す。
・これに対して、準結晶の回折像は5回、8回、10回または12回対称を示す。
・準結晶の回折図形には鋭い回折スポットが現れており、アモルファスのようにランダムな構造ではなく、高い秩序度を有していることを示している。
・このように「並進対称性」を持たないが、高い秩序性が存在する構造として、一次元における「フィボナッチ数列」や、二次元における「ペンローズ・パターン」が知られている。
・このような構造は、高次元空間の結晶構造を、その結晶構造の対称軸に平行でない低次元空間に射影することで得られる。
これにより当空間(或いは全空間)においては、巨視的レベルでは、&bold(){「幾何学的形態」「結晶構造」「回転対称・回転反対称・鏡面対称性」「フラクタル性」}が普遍的に見られ、これが万物の基本的な存在形態です(ただ必ずしもこの限りではない)。
この様相は、例えば&bold(){「分子の結晶構造」「原子の内部構造(量子の配置)」「天体の配置(恒星と惑星の位置関係ほか)」「地球グリッド(≠パワースポットの配置)」「植物の枝・動物の脈組織など分岐」}など、普遍的に存在します。&bold(){「地球の地形や天体配置」}は、巨視的には&bold(){「魔方陣のような対照的な配置」}であり、そして&bold(){「地球や宇宙には、"波動的一体性を持つ地域"が沢山存在している」「そういった小さな系同士がフラクタルに繋がり、より大きな系が存在する」「それらが重層的に無限に重なり、大宇宙が存在する」}という存在形態を有しています。
&bold(){「人体の波動的構造」「オーラ」}も&bold(){「幾何学的構造」}を有していて、&bold(){「波動的には人体とオーラは結晶体」}です。そして&bold(){「頭部・脳=幾何学的構造」}の中心に&bold(){「松果体」}があって、意識や体内外の各種波動を拡大させています。
様々な&bold(){「術・占術」}は、その効果の原理は&bold(){「数学原理」「幾何学的形態の原理」}に基づいています。
これは&bold(){「魔方陣」「立方陣」や「数秘学」「数秘術」}などの実効性の根拠です。&bold(){「占星術」}を始め、多くの&bold(){「術・占術」}はその時々の&bold(){「天体の配置」}を特に考慮しますが、これは&bold(){「その時々の天体の配置は、数学原理や幾何学的形態が反映した事象であり、地球の状態に大きな影響を与える」}からです。
&bold(){「神聖幾何学」}は、幾何学的形態を組み合わせた図形で、数秘術の「カバラ」など、神秘主義思想で神聖視されてきました。「メタトロン立方体」「生命の花」「生命の種子」「生命の樹」「生命の果実」ほか多数あって、それぞれが多様な意味を持っています。
世界各地の&bold(){「ピラミッド」}は、高い波動照射を受ける&bold(){「ポータル」}であり、&bold(){「波動エネルギーの増幅場所・装置」}です。そしてその効果は&bold(){「黄金比などを持った綺麗な三角錐の形状」}により、大きく高められています。「富士山」を初めとした、各地の綺麗な&bold(){「円錐形の山」}は、その多くが&bold(){「霊山」}として祀られていますが、これも&bold(){「幾何学的な山容により、山自体の波動が高くなる」}という効果が発現しています。
&bold(){「パワースポット」}には&bold(){「幾何学的な配置関係」「直線的な配置関係」}が多く見られるのは、そうであると波動の効果を高める事ができるからです。これは「意識体」や「他の星の知的生命体」の所作によるでしょう。
&bold(){「六角形構造(ハニカム構造)」「芒星」}には、多くの明示的な効果が観測されていて、その一つに&bold(){「反重力効果」}があります。「蜂の巣の下にいると違和感を感じる」という報告は多く、構造を応用した簡易装置の幾つかにも同様の現象が確認されています。更に昆虫の飛翔能力について「羽などの幾何学的構造が斥力を生じさせる」という説があります。
また他にも、&bold(){「波動原理やゼロ点・量子・宇宙の本質を表した図形・形象」}には高い波動効果があり、それらは「波動器具」のように位置付ける事もできます。
&bold(){「曼荼羅とマントラ」}には&bold(){「フラクタル性の効果」と「意識エネルギーの効果」}が存在しています。&bold(){「陰陽原理」}を図式化した&bold(){「太極図」}にもパワーがあります。
●&color(white,black){意識と意識体と空間について}
&bold(){「意識」「想念」「精神」「感覚」「感情」「記憶」}などは、全てが&bold(){「量子で成り立っている物」「量子に内在された物」「量子(波動・波動情報)の所作による物」}です。&bold(){「意識=量子(波動)=情報=エネルギー」}であり、&bold(){「意識の持つエネルギー(意識のエネルギー的側面)」}を&bold(){「意識エネルギー」}と呼びます。
「意識」が発せられると、&bold(){「量子(波動)と、そこに記録された波動情報が発せられる」「環境中の同種の波動と繋がる」「同種の波動が共鳴・結合・増加する」}という現象が起きます。これは&bold(){「量子もつれ」「共鳴現象(同種の波動の結合・共時的変化・増加)」}の効果です。
人間の&bold(){「脳」は「波動情報の送受信装置(アンテナ・変換装置)」}と言えます。「人間の意識」の成り立ちを、波動面から機能別に分類すると、&bold(){脳による「体内外の波動の受信」「波動情報の付加(入力作業)」「体内外への波動の送信(出力作業)」「波動情報から脳内認識への情報変換」}に分類されます。
&bold(){「脳機能」}というのは&bold(){「何らかの意識を持った時に、脳がそれについての波動を発して、それに対応する体内外の波動と繋がり、これを脳が受信して解析する」「これにより回答を得たり、意識がより巡ってゆく」}という仕組みとなっています。これはテレビやラジオの「チャンネル周波数と同じ電波を少し発信して、共振・同調して受信する」という仕組みと同じです。
何らかの思考をした時には、&bold(){「その分野の波動と繋がり、それを受信することで、より多彩な正解候補を認識する」}という機能が働きます。ある分野の感覚を磨けば、「更に高い次元の波動と繋がり、感覚が深化したり研ぎ澄まされたりする」ようになります。こういう経験を繰り返す事で、「体内外のより多くの波動と繋がる能力が高くなる」ようになります。それは即ち、あらゆる能力の向上です。
思考をする時などには、その分野を知らないのに答えを得ようとしたり、あやふやで粗い感覚の状態では、中々得ようとする答えの波動とは結びつきません。何故なら&bold(){「あやふやな認識の波動」と「核心的な答えの波動」は、「量子もつれを起こすほどには、波動情報の一致性が無い」}からです。しかし「先入観や理屈ばかり頭でっかち」でも、求める答えには辿りつけなく、それら「それらの状態=ある種の硬直性」であるからです。ただ「核心的な答えの波動」より周縁部の「通り一遍の一般論的な答えの波動」には結びつくでしょう。
&bold(){「波動」は「全宇宙」「全ての空間」「森羅万象」に存在する物}です。そして後述のように&bold(){「空間」には「虚数世界の空間」など数多の種類がある}ので、「意識が、虚数空間にある波動へ辿りつくのは、近くにある波動に辿りつくより遥かに困難」です。
高度な知恵・認識を得たり、高度な芸術行為やパフォーマンスを行ったりするには、&bold(){「高度な内容の波動情報」}を得る必要があります。若し「一気に高度な波動が降りてくる」ような、一気に「ダウンロード」が起きた状態になれば、それまでより飛躍的に高度な状態へ移行する事も可能です。しかしこれは難しい物がありますこれは&bold(){「全宇宙・全空間・森羅万象にある波動と、意識が結びつくのが困難」「高度な内容の波動は、往々にして辿りつくのが困難な領域に存在する」}からです。
また「大規模なダウンロード」は、全人類という母数から見れば、割と起きる現象ではありますが、然し心身の状態が充分で無いのに、起こそうとして中々起きる物でなく、また起きても高度な状態を持続する事は難しく、大概は元の状態に戻ってしまいます。
&bold(){「脳の柔軟性は、高度な波動を得たり、高度な脳機能を維持するのに必要不可欠」}です。これは&bold(){「意識波動と目的の波動を繋げる際に、脳の硬直があると、その方向・そこから先へは意識波動が届かなくなる」「脳の硬直は、波動の円滑な循環・結び付きを阻害する」}からです。また&bold(){「意識の硬直は即、脳の一時的硬直に繋がる」}ので、&bold(){「脳自体と意識の日常的な柔軟さ」}は、波動上昇に際しての前提条件です。その上で&bold(){「日常的に意識を高めたり、意識付けをしたり、そして体の波動改善を行う」}というのが、何よりも近道です。
意識に対して好影響を与える基本的要素を挙げます。またこれら事象は「波動的能力を上げる要素」であり、然しながら「これらの観点のレベルが高くても、必ずしも波動的能力が高くなるとは限らない」のであって、他の各種要素が複雑に絡んできます。
&color(white,gray){愛情や真善美などの意識や軸足}
・これは全ての基本で、これがあると波動は高くなる。
&bold(){共存・共感・共鳴・・・や連帯}
・全ての存在が共にあって、上も下もなく、連帯していくという事。
・これは「非物質主義」「非権威主義」「非競争意識」「ワンネス(one ness)」に繋がる。
&color(white,gray){自然環境などの重視}
・自然環境は「あらゆる存在の共通基盤であり、前提であり、それ無しには"場"自体がまともに存在できない」。
・「全ての存在との共存」に繋がり、重視しないのは「独善」に繋がる。
&color(white,gray){肯定的感覚}
・「中立的な事象」については、肯定的な感覚を持つ。
&color(white,gray){繊細な感覚}
・「繊細=微細状態=光に近い=高い波動周波数=良質の波動」である。
・ 「高い次元の事象(求める答え・高次感覚など)=高い波動周波数」であり、微細化した意識(波動)であるほど、それらと繋がりやすい。
&color(white,gray){柔軟な意識や自由意志}
・「柔軟=融合性が高い」状態だと「意識の壁」に妨害されず、より多彩な波動と繋がり(融合して)、視野が広くなる。
・ 逆に「硬直した意識」は「物質的状態(光の反対)」に近く、何かにつけ円滑さが阻害される。
・「ふとした拍子に名案が浮かぶ」ように、意識も体も動きも「リラックス状態」を基本的状態とすることが必要。
・この状態であると、いざという時に集中したり、効果的に筋力を発揮することができる。
&color(white,gray){巨視的感覚と無限連鎖}
・「巨視的スケールで、森羅万象・全宇宙は無限に連鎖して繋がっている」という性質があって、その広大で無限な意識があれば、より多くの波動と共鳴しやすい。
・「俯瞰」と共通して、「超越性」「超感覚」「高次の超能力」に繋がっていく。
&color(white,gray){没入感と超越的感覚}
・よく芸術分野では、作品への「没入」や、全てを超越した「超越的感覚」の重要性が言われる。
・波動的には「量子レベルの世界は、森羅万象や全宇宙に通じる」と言える。
・「作品の世界観への没入を突き詰める」=「超ミクロの量子の世界」=「超マクロの全宇宙」=「全てを超越した超越的感覚」というように、「超ミクロも超マクロも、個別世界観も全宇宙も、没入も超越的感覚も、一体的に表裏一体に存在する」と言える。
&bold(){精神性(霊性)と内奥性(奥深さ)}
・「皮相的事象(低質でもエネルギーがあれば良いという状態)」よりも、「在り方(波動の質)」を重視する。
・そうすると必然的に「精神性(霊性)」を重視して、「内奥性(ないおうせい・奥深さ・深淵性)」が生じる。
&color(white,gray){想像性と創造性}
・人間(知的生命体)は本来、自由に「想像性と創造性」を発揮していくように、そのようにある存在である。
・波動改善の為に「体に波動が流れている様を意識する」時や、超能力(波動的能力)の時の「ビジョン」などにおいては、「想像力」が密接に関係している。
&color(white,gray){大らかさと寛容性}
・例えば「あまりに繊細さを意識した状態」だと、却って「意識の硬直」を生む。
・ある意味の適当さや、寛容さ、楽しさなどが必要。
&color(white,gray){その分野の知識を持つ}
・知識が無いと「核心的な答えの波動」の方向へ、意識の焦点が向けられない。
&color(white,gray){何度も考える}
・それにより、その分野についての波動が増えて、認識や感覚が深化する。
脳部位について「左脳:論理・定義付け:事象の時系列(時間軸)に焦点を合わせる」「右脳:感覚・抽象:時間軸を無視して、過去・現在・未来を同一線の事として捉える」という性質があるとされます。よく「右脳:イメージ・想像・直観」「波動には右脳が重要」とも言われます。しかしより重要なのは、正中線にある「間脳」であり、「松果体」「視床」「視床下部」「脳下垂体」「乳頭体」で構成されます。「松果体」は波動的に最重要な部位で、「左右間脳に挟まれた空間」「脳脊髄液に満たされた部位」である「第三脳室」と共に、波動的能力(超能力)を左右する重要な部位となっています。そして意識として最も重要なのは、「全身全霊や森羅万象の間の統合的感覚」「中心から同心円状にどこまでも広がっていくようなコヒーレント状態の波動(斉一な意識状態)」です。
&bold(){「人の意識・記憶・感覚などの莫大な情報量は、どのように形成され、どこに保存され、どう呼び出しているのか」}について、昔から議論になっていますが、従来科学では未だに不明です。「神経に記録されている」という説は多いですが、その原理は説明されていなく、勿論「コンピュータ」の扱う情報量以上に莫大な情報量を保存する手法も不明です。これが波動理論では&bold(){「量子の波動情報に記録・保存され、呼び出されている」}と説明されます。そして&bold(){「クオリア(感覚質)」など、従来科学で解明されていない諸問題}は、その多くが&bold(){「曖昧性が強い事象」}についてですが、これを&bold(){「アナログ的に波動情報が内在している量子」}という論説に拠れば、ある程度説明できます。
そして肉体を持つ生物の内では、&bold(){「高次脳機能(情報統合能力・統合的な認知能力)」を持つ「人間・知的生命体」}は&bold(){「高等思考・高等感覚を有する」「高等な内容の波動情報を発する」「任意の時・強度・情報と共に意識エネルギーを発する」}という類稀な能力を持っています。これこそが「霊長類」や、英名「Primates(prime=最高位)」たる所以で、そのような能力を持ち、そう自称するならば、人類はそれに違わぬ行動をとる責務があります。
人体は高周波数の電磁波「テラヘルツ波」を、生物・物質で最も多く発しています(記事10)。
&color(white,gray){テラヘルツ波}
・周波数1THz(波長300µm)前後の電磁波を指す。
範囲についての明確な定義はないが周波数100GHz~10THz(波長30µm~3mm)としたり、ミリメートル波の次に短波長の周波数300GHz〜3THz(波長100µm〜1mm)帯を指したりする。
波長mm以下のサブミリ波をほぼ含み長波長側はミリメートル波、広義のマイクロ波と重なり短波長側は遠赤外線と重なる。
・光波と電波の中間領域に当たり、光学測定系の構築が可能と言う特長を持つ。
・分子結晶などの固有の振動周波数が存在する。
・発生と検出が困難であるため、非破壊検査や宇宙観測などでの応用にようやく緒がついたところである。
・赤外線もしくはマイクロ波は直進する。
テラヘルツ放射はイオン化しないサブミリ波放射で導電体には侵入しない。
・テラヘルツ波は黒体放射で約10ケルビン以上の温度の大抵の物から放射される。この熱放射は微弱である。
・布、紙、木、プラスチック、陶磁器を透過する特性がある。
・霧や雲をある程度透過するが、金属や水は透過しない。
・大気中ではテラヘルツ波はおもに水蒸気による吸収により減衰が大きく、伝搬距離が限られる。
・水はテラヘルツ波を吸収し、再放射する。
・変成岩(玄武岩・安山岩など)は、多量に放出する。
・健康・免疫能力・自己治癒能力などの向上に大変効果が高く、また他分野に関連する。
・高波動状態と、超能力・超感覚には不可欠である。
・人間の中でも、赤ちゃんは最も多く発している。
「赤ちゃん」は最も波動が高く、「バイオフォトン」「テラヘルツ波」を最も発しています。しかし、これらは年をとるにつれて低下していきます。「赤ちゃんや子供は相手の顔を見ただけで、その気分を感じ取る」と言われ、これは「ハイパーコミュニケーションの能力の高さ」を示しています。
まだ波動が高い「子供」は、高い波動的能力を持っていて、一部の子供には、非常に高い超能力が確認されています。しかし大人になるにつれ波動的能力は低下、これは「波動低下」「意識の硬直・穢れ(邪気)」「不可能・無駄との感覚」「余計な知識」によります(記事11)。
「意識」を発すると、体内においては&bold(){「感じた事や対象の性質と、同質の情報の波動が発生・増加する」}という作用が起きています。
これにより&bold(){全ての経験は「波動情報として体やオーラの量子に刻まれる」}ことになります。&bold(){「DNA」には、経験が情報として記録され、そこには人間の本質の「意識体(霊魂)」が存在}しています(後述)。このようにして経験は、属人的な波動情報として記録されていきます。この&bold(){「後天的な経験による波動情報」}と、&bold(){「過去生の経験の蓄積の継承物である、意識体(霊魂)の波動情報」}があいまって、&bold(){「個人個人の人となり」}となります。経験とは単に一過性の過去でなくて、個人情報を全て収め、その人を形作ってゆく波動となります。
これら原理により&bold(){「親族・恋人・友人・知人は、常に量子的に結びつきがある」「同種の意識と、同種の意識を持つ人同士は結びつく」「同じような思考タイプの人は結びつく」「同じ属性の人同士は結びつく」という性質があり、更に「同種の意識や人同士は、相互に結びつき合い(共鳴)、波動を増加しあっている」}という性質があります。例えば、言葉を用いずとも意思疎通できている人同士は、普段から波動が同調している可能性が高いです。
波動的に&bold(){「意識や脳や体は共鳴しあう」}という性質があって、そこでは&bold(){「波動の斉一化」「同種の波動の結合・共時的変化・増加」}が起きています。
&bold(){「意識」によれば、どのような対象とでも共鳴が可能}です。&bold(){「大量の波動」「高エネルギー」「高い斉一性(揃った波形)」}という条件を満たした意識ならば、究極的には宇宙の同種の情報の多くと繋がる可能性があります。
&bold(){「何かの言葉を言えば、何かを見聞きすれば、何かを体験すれば、それらの波動と繋がる」}という現象が起きます。&bold(){「壮大な光景・面白い事・素晴らしい芸術を感じれば、それらと共鳴して、体やオーラに良い波動が残る」「嫌な事を経験すれば、それらと共鳴して、悪い波動が残る」}ので、&bold(){「意識の在り方は、その人の波動の在り方を決する」}という性質を有します。
そして&bold(){「意識の在り方は、体や精神の状態や、傷病の治癒に直接的に関わる」}という性質があります。先述のように&bold(){「柔軟な意識」を持てば、体が柔軟化すると共に、多くの波動との繋がる可能性が高くなり、そして「柔軟な波動」が脳などに残ったり、脳機能が改善される事で、その後の意識にも好影響を与える}ようになります。
&bold(){「意識は物質や事象の状態・現象にも影響を与え、意識の通りに導く力がある」}という性質があります。例えば「機械」「サイコロの目」にも意識は影響します(記事19・記事20)。波動が高くなると、超能力の1つ&bold(){「物質化現象」}を起こす事もできます。&bold(){「福島第一原発事故は、早期の安全収束を強く願う人が多ければ、その可能性が高まる」}ので、人々の意識レベルは今後の事故の帰趨を決します。
生命にとり波動とは&bold(){「意識=量子=情報=エネルギー」「生命活動や精神的活動を成り立たせるエネルギー」「量子エネルギー(波動)なしに、生命も意識も肉体も成り立たない」「生命エネルギー=量子(波動)が豊富にあり、共鳴していたり好循環である事が、心身の健康には必須」「その為には意識状態が非常に重要」}です。そして&bold(){「意識の効果は本人のみならず、関係者や周辺の人達とも、相互的に影響を与え合いながら発現する」}という仕組みがあります。
&bold(){「肯定的な意識を持っていると、本人・親族・身近な人の体内で、良質の波動情報が増える」}という作用が起き、&bold(){関係する人全員に対しての「生命力の活性化」「傷病・各種症状・回復力の改善」「精神状態の改善」の効果}が生じます。「感動や運動などによる生命力活性化」を指す神道用語&bold(){「魂振り(たまふり・項目6⑤)」}がされれば、その本人のみならず、周りの人にも好影響を与えています。
逆に、&bold(){「病は気から」}の言葉のように、&bold(){「全ての病気や症状は"本人の波動(現世・過去生の経験)と、関係する人々の波動と、周辺環境の波動"などに左右される」}&bold(){「低い意識を持っていると、悪い状況を呼び寄せる」}という病因の仕組みがあります。
そして&bold(){「量子は時間た距離に制限されない」}ので、遠く離れた場所の人に対して、また知らない人に対しても、&bold(){「遠隔治療(遠隔ヒーリング)」}が行えます。&bold(){「集団で祈祷を行って、多くの人々の意識エネルギーにより環境中の波動を上げたり、ハイパーコミュニケーションの効果を高める」}などすれば、&bold(){「他の人々の意識向上」「社会における健康度の向上」「病気・怪我・事故・事件などの現象」「各種の災厄の減少」}など、様々な効果が現れます(記事1~記事3・記事7・後述)
&bold(){「波動器具」}の中には&bold(){「医療器具としての波動器具」「医療用・治療用にも使用される波動器具」}が多数あって、これによって各種の病気・症状が改善します。&bold(){「心霊治療」}には「除霊」なども含めて、各種の手法が存在します。
本来的には&bold(){「心身の状態改善」「治療・医療」「癒し(ヒーリング)」}とは、こういった&bold(){「波動的状態の改善を促す行為」}が本筋です。怪我などの手術や、急性期の治療などを除けば、実際には&bold(){「波動的手法によってしか、心身の症状・悪性状態は直接的に改善させる事はできない」}です。&bold(){「漢方」}などを始め、効果的な手法は幾つもありますが、それらは&bold(){「波動的な改善をもたらす手法」}であるからです。
この意識の原理は、様々な効果を生じさせます。人間に特に見られる能力である&bold(){「共感」}や、それによる&bold(){「愛情」「思いやり」「優しさ」}は、これがある故に人間関係が形成でき、その事で健康効果を得ています。
「合唱する」「大縄跳びの輪に入る」「笑顔の波及」など、日常生活における&bold(){「協調的行動」「行動の伝播」「シンクロニシティ」}も、&bold(){「意識の共鳴とリズム同期の効果」}により現れ、これにより社会が形成されていきます。スポーツ・ダンス・音楽などでも「以前より次元の高いパフォーマンスを、先駆者が始めて行うと(高い技術などが開発されると)、その後同じような事をできる人が次々と現れる」という事があり、これも「意識の共鳴」で起こります。
&bold(){「シンクロニシティー(synchronicity・シンクロ現象)」}は「共時性」とも呼ばれ、&bold(){「意味のある偶然の一致」「共通性のある事象が連続して起きること」}を指し、個人や社会における「共鳴現象(同種の波動の結合・共時的変化・増加)」「リズム同期」が引き起こす現象です。
同様にこれが&bold(){「カルマ」「因果応報(善因善果・悪因悪果)」「引き寄せの法則」「社会的関心事・流行・ミームの発生」などの発生の前提となる物理的原理}です。&bold(){「カルマ」「因果応報(善因善果・悪因悪果)」}は絶対的な法則で、現世だろうと来世だろうと、因果は返ってきます。これは「量子や高次元は時間の制約を受けない」「必ず生じる事象であっても、適切な時でなければ発動しない」「人間の生活における時刻は意味が乏しく、時刻と完全に一致した運命の情報は存在しない」からとされます。
&bold(){「運(幸運・不運)」}も&bold(){「人生全体を通した、又は後世以降も含めた巨視的レベルにおいては、自らの意識により左右されてゆく事象」}です。強く想えば、その波動が事象の波動と共鳴する事で、叶えられる可能性は多くなるので、&bold(){「引き寄せの法則」}は存在します。このように&bold(){「凡そ人生における諸々の事柄は、巨視的に見れば、全ては自らの意識が決定付けていく物」}であります。
更には、これにより&bold(){「超能力」や「超常現象」}、波動的な情報送受信&bold(){「ハイパーコミュニケーション」}、何らかの事象発生の前に発する人間の脳電位&bold(){「SPN(刺激先行陰性電位)」}、地震等の前の動物の異常挙動&bold(){「宏観異常現象」}ほか、多くの現象が発生します。これについては「超能力・超科学について」の項で後述します。
そして「量子もつれ」の作用により、&bold(){従来認められている科学実験手法のうち、かなりが不正確な手法}となります。&bold(){量子レベルの事象の実験は「実験実施者・治験者・関係者・周辺の人々の意識」「周辺の波動状態」に強く影響される}ので、&bold(){「人の意識と周辺環境の波動状況による量子もつれ」}の効果を遮断する実験手法で無いと正確性が欠けます。特に&bold(){「関係者と周辺の人の意識が、その実験に対して否定的だと、本来は起きるはずの作用が起きなかったり、発生頻度が大きく低下する」}という現象が起きます。
例えば「二重盲検試験」は、現在はこれによる肯定的・否定的結果が、対象物質(化学物質・薬など)の有効性判定の大きな根拠となっています。しかし「量子もつれ」の効果により、対象物質に対しても、体内での作用に対しても、人の意識が大きく作用してしまい、正確な実験はできません。
また「SPN」による現象は昔から報告されていて、近年報道が増えていますが、この「時間の逆行現象」は従来科学の標準理論では決して起き得ない事で、近年解析が進む「量子もつれ」への見解のうちの、一部研究者間の「量子は過去や未来の量子とも共鳴し、影響を与え合っている」「量子もつれは全宇宙・あらゆる空間で発現している」との見解に倣う以外に、その科学的解釈は不可能です。
&bold(){「波動情報は量子の性質・行動を決定付ける」「森羅万象は量子で成り立っている」}ので、&bold(){「意識エネルギー」}には&bold(){「森羅万象の方向性を徐々に左右していく力」}があります。&bold(){「想念による量子の発生」→「同質の量子とのもつれ合い」→「同質の波動情報の共鳴・増加」→「波動情報の量子の性質・行動を決定付ける性質」→「想念の現実化」}という作用原理により、&bold(){「あらゆる想念は現実化される方向に導かれる」}という性質があります。
そして「環境」「社会」は「量子により成り立っている」ので、&bold(){「意識エネルギーは、環境・社会を規定していく」}という性質があり、この宇宙(或いは全ての空間)は&bold(){「人間の意識により、従来常識である社会活動を経る事無しに、自然環境や社会は変化していく」}というようにして成り立っています。
&bold(){「想像力・イメージ能力」}を高めれば、&bold(){「具体的な情報を帯びた強い波動」}が発せられます。&bold(){「多くの波動と共鳴させる」}ことが出来るようになれば、&bold(){「想念の現実化能力の上昇」}が起きます。これは&bold(){「引き寄せの法則」}などの効果をもたらします。これらの能力は&bold(){「体・脳・心・チャクラ・オーラ等の波動状態」「想いの強さ・時間の長さ」「経験・錬度」「ノウハウ」}に強く影響されます。逆に&bold(){「ストレス」「過剰な知識」}等は阻害要因です。&bold(){「話す・文字化・図式化」などの「意識をより具体化する行為」}によって更に効果は増加、また「思考」より&bold(){「感覚」「対象との同化・一体感・共鳴」}が重要です。
&bold(){「日常や人生の出来事・出会い・良い事・災いは、その発生頻度・度合いは、体内外の波動情報に大きく左右されている」}ので、&bold(){「意識次第で良い事も悪い事も、共鳴・シンクロ現象で起き易くなる」「肯定的想念や否定的想念は因果応報で自己の側に跳ね返ってくる」「波動上昇は開運や厄除けに繋がる」}という性質があります。「否定的想念」は「個人・集団のどちらに対する物」でも、「自身や実空間・虚空間(高次元)に想念の波動が蓄積」されて「個人・親族子孫・国や社会・集団に、不利益が因果として巡ってくる」ので、特に「理不尽な否定的想念は、カルマを溜めるのみの行為」と言えます。&bold(){「低い意識が集まっている場所にいると、知らず知らずに受け取り、同調して意識・波動が低下する」}という現象があり、気をつけなくてはなりません。
多数の人の意識の集合体である&bold(){「集合意識」は「環境中の波動の状況・質を決定する非常に大きな要因」}です。「集合意識」は「複雑系」で説明され、&bold(){「それ自体が生物的な独立意識を持つ存在」}です。&bold(){「社会状況や社会的関心事・流行・ミームなどの形成」}には、「集合意識」が決定的に介在しています。&bold(){「意識は、個体⇔集合意識の間で相互影響しあう」「地域の常識・慣習・流行は、それがより社会で顕在化される方向へ、波動的に影響を及ぼす」}という性質があります。そして更には、&bold(){「自然環境や環境汚染や災害の状況・程度には、集合意識が大きく左右する」}という、非常に重大な性質があります。
&bold(){「環境における全ての事物・現象には、環境中の波動情報の質が大きく影響する」}のですが、その波動の構成要素は&bold(){「宇宙由来の波動」「元々の土地や自然の波動的な状況」「その時点の自然環境の波動(自然保護と自然破壊の程度)」「過去の人々の意識の積み重ね」「現代の人々の集合意識」}です。&bold(){「集合意識の質が高ければ、人々の意識が高ければ、環境中の波動の質が次第に改善して、自然環境に好影響を与えて、災害は減少する」}ようになります。逆に&bold(){「人々の意識が低ければ、自然環境に悪影響を与え、災害の頻度と被害が増加して、波動的にも社会的に状況を悪化する」}ようになります。
意識と行動は伝播するので「意識の効果」は諸刃の剣です。集合意識の良い側面は「社会的な寛容性」を生み、悪い側面は「社会的な非寛容性」「過剰な同調圧力」「権威への従属・翼賛」を生みます。&bold(){「個人個人の日々の意識の積み重ねにより、環境や社会の波動の高低は決定的に変わってゆく」}ので、&bold(){「覚醒した意識を持つ人が多くなり、共感能力を発揮していくと、それだけで環境・社会が改善していく」}という効果があります。
人間の本来の能力とは、現在考えられているような程度の物ではありません。そして&bold(){人間とは本来「精神的な存在」}です。
「波動(量子)」には&bold(){「曖昧な情報」「想像上の情報」}も含めて、全てが「波動情報」として記録されています。&bold(){「何かしら頭に浮かんだ事は、同時に波動情報に記録され、また過去の波動は刻一刻と積み重なっている」}という原理があります。これにより&bold(){「全ての言葉・名称・思想・定義・概念・慣習・流行・・・には、それに対応する波動情報が存在する」}ようになります。
言葉には&bold(){「言語エネルギー」「言霊(ことだま)」}、文字には&bold(){「文字波動」}などと呼ばれる効果が存在します。これらの効果の存在は&bold(){「意識体の意識と、過去の無数の人々の意識の積み重ねと、その波動情報の蓄積」}があったからです。拠ってその効果度は&bold(){「意識体と過去の人々の意識の内容・質・強さ」}に依存します。&bold(){「日本語の言語エネルギー」「言霊」「祝詞(のりと)」は「意識体と、過去の日本語話者の意識の積み重ねの効果」による物}であり、「祓い給い、清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書けば「文字波動」の、唱えれば「言霊」の効果が発します。同様に&bold(){「呪文」}なら意識体と各国語話者、&bold(){「マントラ」}なら、意識体と主にサンスクリット語(梵語)話者の意識の積み重ねです。
人間や生命・物質などには、その本質としての&bold(){「意識体」}があります。これは&bold(){「物質的肉体を持たず、独立した意識がある、波動の集合体」}で、&bold(){「生命体」「精神体」「霊体」}とも呼びます。
日本の&bold(){「霊」「魂」「霊魂」「精霊」}とほぼ同じ概念で、&bold(){「幽霊」「エンティティー(存在)」}などが類似の、或いはその一部を指す概念です。&bold(){「神」}と呼ばれる波動も、ある種の意識体に対する概念の一つです。意識体には、意識レベルが高い&bold(){「高級霊」}から、低い&bold(){「低級霊」}まであり、由来も特性・性格も千差万別です。
この類似概念には&bold(){「セジ、マブイ(沖縄)」「魂(精神を支える気)、魄(肉体を支える気)(中国)」「マナ(Mana・太平洋島嶼)」「アニマ(ANIMA・欧州)「geist(ドイツ)」}「プネウマ」ほか、多数の物があります。&bold(){「Spirit(SPIRITVS・英語)」}は「精神」や「精霊」などを意味します。これらは端的に&bold(){「霊的存在・霊的概念」}と言えます。
&bold(){「意識・意識体は、あらゆる生命・物質・事物の全般に存在するもの」}であり、&bold(){「量子のある所には意識もある」}ので、&bold(){「全宇宙の全ての場所に意識・意識体は存在する」}となっています。
「意識・意識体」は「生物種の全体意識」「物質」「自然の存在(山・川・海・雷など)」「土地」「地球・星」「宇宙(宇宙全体の意識)」など、あらゆる事物に存在していて、「岩」「木」など自然物などに入り込んだりもします。「生物」では&bold(){「生物種によって、個体の意識を持つ物と持たない物がある」}とも言われます。「神」も「意識体」であり、「ある種の意識体に付けられた名称・概念」とも言え、「神名」は「意識体の自称や他称」といえます。神道で「八百万の神」と言われますが、実際にその通りです。
人間などの&bold(){「集合意識」}については&bold(){「生命・物・人の集合体=一属性」}なので、&bold(){「集合意識=独自の意識体(独自意識)」}です。&bold(){「環境中には無数の意識体がある」「自然環境(山河など)や自然現象には、それぞれ独自意識(意識体)が存在する」「物質には、その物質の意識があったり、他の意識体が入り込んでたりする」}などの様相があります。
&bold(){「植物」}では&bold(){「植物種の意識」「森の意識」}などがあります。&bold(){「生物」}では&bold(){「生物種ごとに、何段階かの意識レベルの水準が存在する」「各個体の強い意識がある種と無い種がある」「高等生物と言われる種であるほど、意識レベルは高く、個体ごとに独自意識を持つ」}という傾向にあるようです。
&bold(){「場・空間」}としては&bold(){「土地の意識」「地域の意識」「日本列島の意識」「星の意識」「太陽系・銀河系の意識」}などがあります。「星の意識」として、地球には&bold(){「地球意識」}が存在、ギリシャ神話の地母神から&bold(){「ガイア意識(Gaia)」}とも呼ばれます。また&bold(){「様々な神話・伝承の神・天使などの存在」}も、&bold(){「実際にその意識体がいて、その啓示で神話・伝承が成立した」}という様相があります。
そして最も中枢に&bold(){「宇宙意識」}があって、その周辺に上述の&bold(){「各意識体(波動・ホログラム・・・)が、無限にあって、重層的にフラクタルに存在している」}という様相となっています。これがこの宇宙空間の、波動的な在り方です。
&bold(){「意識という行為・状態を司る主体は意識体」}であり、&bold(){「森羅万象のあらゆる状態は、意識体の意識により生み出されたもの」}です。「自然環境や宇宙の状態」「生物種ごとの性質・個体数や営み」「物質の性質や状態」「科学原理」や、あらゆる「理論」「概念」「伝承」「社会的関心事」「歴史的事象」は、意識体の所作により生じた事象です。
&bold(){「人間の意識と意識体は密接不可分」}であり、&bold(){「意識体の意識が先にあって、そしてその人の全人的な意識がある」}という様相となっています。
そして&bold(){「ある人の意識は、本人が行っているのか、或いはどの意識体が行っているか」}というのは、この判別は難しい物があります。&bold(){「自分の意識として無意識に認識しながら、他の意識体の意識による思考・行動を行う」}というのは、ごく普通に行われている事です。例えば、これが明確に現れた状態を表す概念としては、霊などが乗り移る&bold(){「憑依(ひょうい)」}もそうであり、他にもこの種の現象を表す概念は幾つもあります。別の意識体の意思により、本人の意志と関係なく文章を書き連ねる&bold(){「自動書記(オートマティスム)」}もこの種の現象です。&bold(){「意識が飛んだ時」「超越的なパフォーマンスをしている時」}には、他の意識体が強く介在している事が多いです。
&bold(){「この宇宙には、非常に数多くの知的生命体や、彼らが居住する星がある」「星の内部でない宇宙空間にも、無数の意識体が存在する」「更に無数の異空間ごとに、無数の意識体が存在する」}というようにして、あらゆる空間に無数の意識体や知的生命体は存在しています。そして&bold(){「意識体の多くは、肉体を持ったことはない」}のであり、肉体を持つ意識体に比べ、比較にならないほど多くの意識体が全宇宙には存在します。
また各種観測結果から、&bold(){「パンスペルミア説」=「生命は宇宙に広くあまねく存在しており、地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものであるという説」}を唱える人・学者は、最近増加しています。&bold(){「DNAが宇宙空間に存在する」}可能性を示唆する観測結果もあります。宇宙空間からは、常に「アミノ酸・有機物・ソマチッド(DNAの前駆体)」など、多数の物質が飛来しています。これらや「宇宙・星からの波動」は、地球環境や社会に大きな影響を与えています。
波動理論に類する諸々の論説では、我々が住む世界を含む&bold(){「3次元空間」}について、呼称は違えど、基本的に認識は一致しています。&bold(){「ゼロ点」}についても、&bold(){「当空間と異空間の境」}とする認識で一致しています。
しかし&bold(){「異空間」}に対しては、その存在については一致しながらも、捉え方は諸々の論説で大きく異なります。便宜上当サイトでは、地球人がいる宇宙空間を「実空間」、異空間を「虚空間」と記述してある記事が多いです。
先述のように、例えば&bold(){「螺動ゼロ場情報量子反応理論」}においては、&bold(){「実空間(物質世界)」「ゼロ点」「虚空間(精神世界)」}という3つの場・空間が存在するとしています。&bold(){「実空間」は「我々が存在する空間」}、&bold(){「虚空間」は「波動しか存在しない空間」「直線的な物がなく、全て曲線や螺旋で構成される空間」}であり、&bold(){「ゼロ点」とは「実空間と虚空間の境」}です。
「異空間」として&bold(){「異次元(多次元空間のn次元空間)」「平行世界(パラレルワールド)」}を設定する説は、多数あります。そして多くの論説では「異空間や異次元は非常に多数ある、または無数にある」としています。
「空間」には&bold(){「虚数世界の空間など数多の種類がある」「直線がなく、曲線・螺旋・黄金比などで構成された空間もある」}などとされます。&bold(){「空間の様相は、その空間ごとに大きく異なっていて、物理原理も異なる」}とされます。この宇宙空間以外の異空間でも&bold(){「波動原理が最重要原理だが、その様相は空間ごとに異なる」}とされます。異空間の事は、微かには把握されていますが、その勝敗は不明です。
この「異空間」や、「当宇宙空間の他の星(知的生命体や意識体がいる}」というのは、&bold(){「高次元」や「霊界」などの概念の、実体的な場}にあたります。日本神話では「高天原(たかあまはら)」「常世(常夜・とこよ)」「隠世・幽世(かくりよ)」ほか、「他界」を現す各概念にあたります。
(我々が住む世界(3次元空間のうちの地球)について、神道では「顕世・現世(うつしよ)」などと呼ぶ)
「異空間は波動原理の内容が異なる」ので、「肉体的な体を持ちながら、異空間に行く事はできない」「異空間の中には、肉体的な体を持ちながら行く事のできる空間もある」など、諸説があります。ただいずれにしろ「量子もつれ」により、&bold(){「異なる空間同士でも、情報は通じ合う」}という性質があります。
しかし過去においては、&bold(){「実空間(当空間)と異空間との間で相転移があった」}と目される、超常現象の事例が幾つも報告されています。時々報告される「漂流する無人幽霊船」などの事例では、「乗組員の姿はないが、食べかけの料理皿等が散乱するなど、つい先刻まで人が乗っていた気配がある」という報告が多いです。記事14【「3.11」とタイムスリップ・ゾーン】では、「チェルノブイリ事故」「311(東日本大震災)」における「時空を超越した物理的現象の報告事例」が掲載されています。そこには「チェルノブイリ近郊に、第1次世界大戦中のドイツ軍のツェッペリン型飛行船が墜落した」「311後の被災現場で、時空の穴に吸い込まれた人がいた、英国ビクトリア朝と江戸時代の様子が渾然一体とした光景を集団で目撃した」などとあります。
&bold(){「ポータル」}は&bold(){「量子的飛躍の基点になる場所」「異空間・異次元・他の星からの波動の照射を強く受ける場所」「異空間・異次元・他の星への入り口の場所」「地球・地球人と、他の空間・次元・星や意識体・知的生命体との間の、波動(意識)の送受信が行われたり、増幅される場所」}です。幾つかの重要な&bold(){「パワースポット」}がそうであり、または知られていない場所がそうであったりもします。また&bold(){「その時々でポータルになる場所は変わっていく」「短期的に開いて、再び閉じる」}のが大多数です。のが通例です。&bold(){「ポータルが開く」}という表現がされ、そうなると地域や地球の波動が非線形的にに上がり、多くの波動情報が降ろされます。
つまり&bold(){「ポータル」は「ゼロ点の一種」「ワームホールの一種」「地球と他の場との境」}であり、その大規模な物です。上記の超常現象も&bold(){「巨大な時空やエネルギー状態の歪みが生じて、一時的にポータルが開閉した」}からと考えられます。波動科学が高度化すると、&bold(){「ポータル(ワームホール・ゼロ点)の適切な利用」}は容易になって、簡単に空間移動ができるようになるでしょう。
そして各空間ごとに、星ごとに、国・社会ごとに、&bold(){「タイムライン」}などと呼ばれる&bold(){「その地域で起きる出来事の暫定的な年表」}があります。「タイムライン」には&bold(){「異空間」「平行世界」}が強く関わっていて、そしてこれは暫定的な物なので、&bold(){「その地域の人々の集合意識・行動により、次々と塗り換わってゆく」}というようになっています。このように&bold(){「未来とは人々の意識・行動が作り上げていく物」}であり、&bold(){「意識とは社会的出来事のみならず、その星全体の行く末も決める物」}です。
&bold(){「予言」}は、予言者が&bold(){「未来の情報を受信した」}ことから起きてくる物です。例えばこの地球では、近年に大きな破滅の危機がありましたが、それは集合意識の向上により、乗り越えることができました。近年言われる&bold(){「量子的飛躍(クオンタムリープ)=アセンション」}も、それが起きた未来の世の中を垣間見た人達の発言から、それが訪れるという事が広まっていきました。
また&bold(){「全宇宙の過去・現在・未来の全ての記録」}について、神智学では&bold(){「アカシックレコード」}と呼びます。インドの「アーカーシャ(虚空・空間・天空/すなわち存在の一切を統括する法則)」、仏教の「虚空(こくう/何もない空間・大空/何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所/アーカーシャの訳語)」「虚空蔵(こくうぞう・宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まっている蔵)」「虚空蔵菩薩(広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩)」や、日本神話における天地開闢の際に高天原に最初に姿を現した神「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は、「宇宙の全体意識」と関係するとも考えられます。
&bold(){「幽体離脱(体外離脱)」「臨死体験」「退行催眠」「変性意識状態」「脱魂」などの現象は「通常の意識が消え、意識体の意識が主になった時の超常体験」}です。
古来多数が報告されている&bold(){「幽体離脱」「臨死体験」}の事例は、&bold(){「その多くに有意な共通性がある」}という状況があります。実際あったとしか考えられない事例が多く(誰も知らない事を言い当てるなど)、殆どが従来科学では説明がつきません。&bold(){「臨死共有体験」}は&bold(){「臨死体験は死にかけた者のみならず、周りにいる健常者にも共有される現象」「互いに連絡し合っていない複数の人々が、内容の合致する出来事を目撃する」「臨死体験者の死亡時刻が遠隔地にいる人物に伝わるなど、通常では知り得ない情報が他人に伝わる点が特徴」}です。
「臨死体験後に起きる変化のパターン」は、「量子的飛躍(クオンタムリープ)と個人・社会の意識覚醒」の後に、人々が移行していく方向と合致します。
&color(white,gray){臨死体験}
・心停止の状態から蘇生した人の4~18%が報告する。
・個人や文化により差異はあるが、基本的部分は共通したいくつかのパターンがある。
・「光体験」「人生回顧」「知覚の拡大」などが頻繁に報告される。
・臨死体験者は、それを「宗教的なもの」とは感じておらず、「精神的なもの」だと感じている。
・体験後は、既成の特定宗教の立場を離れ、より普遍的な宗教心の探究へと向かう傾向にある。
・臨死体験者はその体験後、全体的に「健康状態が向上する傾向」にあり、何割かは「ヒーリングの能力などを得た」と報告する。
・「日々の当たり前のもの」を評価するようになり、「思いやり」が増し、「物質主義」から離れ、「精神的なもの」を志向するようになる。
&color(white,gray){臨死体験のパターン}
・死の宣告が聞こえる
・心臓の停止を医師が宣告したことが聞こえる。この段階では既に、病室を正確に描写できるなど意識が覚醒していることが多い
・心の安らぎと静けさ
・言いようのない心の安堵感がする
・耳障りな音(耳鳴り)
・ブーンというような音がする
・暗いトンネル
・トンネルのような筒状の中を通る
・物理的肉体を離れる
・体外離脱をする
・他者との出会い
・死んだ親族やその他の人物に出会う
・光の生命
・光の生命に出会う。神や自然光など、#省察
・自分の過去の人生が走馬灯のように見える。人生回顧(ライフレビュー)の体験。
・境界あるいは限界
・死後の世界との境目を見る
・蘇生
・生き返る
&color(white,gray){臨死体験後に起きる変化のパターン}
・人生への評価
・何気ない会話、行動、自然など、日々の生活にある「当たり前のもの」を評価するようになる
・自己受容
・他者からの評価を気にせずに、ありのままの自分を認められるようになる
・他者への気遣い
・他者への思いやりが増大する
・生命への尊敬の念
・特に環境問題や生態系への関心が強まる
・反競争主義
・社会的な成功のための競争への関心が弱まる
・「反物質主義」から「精神性」への移行
・物質的な報酬への興味は薄れ、臨死体験で起きた精神的変容へ関心が移行する
・知識欲求
・精神的な知識への強烈な渇きを覚えるようになる
・目的意識
・人生は意味に満ちており、すべての人生には神聖な目的があるという意識が育つ
・死の恐怖の克服
・死への恐怖は完全に克服される。死のプロセス自体への恐怖は残る傾向もある
・「死後の世界の確信」や「生まれ変わりの存在についての肯定的な信頼」が育つ
・自殺の否定
・光への信頼
・自己超越
・小さな自己という殻を破り、宇宙全体へと開かれていく心の成長をのぞむ
・サイキック現象
・ヒーリング・予知・テレパシー・透視などの体験が数多く起こることが確認されている
&color(white,gray){幽体離脱}
・生きている人間の肉体から「霊魂(魂や意識)」が、その霊体と肉体との中間に位置する「幽体(アストラル・ボディー)」を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされ、または、その概念や考え方をも含むもの。
・抜け出した非物質(または、半物質)でできた「幽体(または霊魂・霊体など)」は、機能の仕方によっては「生霊(いきりょう)」とも呼ばれたりする。
・基本的に金縛りを経て幽体離脱をする。
・離脱したときに行動できる距離は限られているケースが多く、本体から一定の距離まで離れると視界が悪くなることがある。
・目を閉じていても景色が見える。魂で見ていると考えられる。
&color(white,gray){体外離脱}
・幽体離脱と同じ概念。
・自分が肉体の外に出ている、あるいは自分の物理的な肉体を外から見ている、という印象を伴う一連の体験である。
・国籍・文化圏にかかわらず、このような感覚は見られ、10人に1人程度は生涯に一度は経験はしているとも言われている。
・自分自身の身体が上部から見下ろす視点になり、トンネルや光といったイメージが現われることもある。
・稀に体外離脱で移動したとされる地点で,第三者により目撃されたというケースがある。
・体外離脱が起こるのは、主に、何かしら危険に遭遇した時、臨死体験をしている最中(臨死体験中に体外離脱も体験する確率は約40%[3])、あるいは向精神性の薬物を使っている時であるとされる。
・人によっては、平常時、ごく普通の睡眠中、明晰夢の最中や、いわゆる「金縛り」が起きている時に経験することもあるという。
・自らの意思で体外離脱体験をコントロールする人もいる。
・ヨーガの行者などは修行中に体外離脱を起こすことがある。
・体外離脱後に訪れる世界については、主観と客観の入り混じるイマジナルな世界であるという報告が多い。
・一例を挙げれば、ロバート・モンローは体外離脱中に遠方の住居にいる友人を訪れ、その室内を正確に描写することが出来たが、その友人が現実では全く言わない台詞を言った、といったケースを紹介している。
・こうした主観と客観のズレは、体外離脱の訓練により改善できるという見方もある。
・物理学者のマイケル・タルボットは体外離脱中に知覚した対象を、現実構造に変換する知覚能力を発達させることが出来るのではないか、と推測している。
・一方で臨死体験における体外離脱では、昏睡状態にある体験者が部屋や遠隔地の様子を詳細に描写できたケースが数多く報告されている。
・体外離脱、あるいはそれに伴って現れる微細身体を指す名称は様々であり、日本では「生霊」、近代ヨーロッパでの神智学・人智学・儀式魔術などの神秘学では「アストラル体」「エーテル体」「アストラル投射」など様々な名称で呼ばれている。
・体外離脱現象は、エジプト文明、北米インディアンやオセアニアやヘブライの文化、ギリシア哲学、中世の錬金術、ヒンドゥー教やイスラム教などの文化で見られる。
・ディーン・シールズの研究によると、44の非西欧文化の中で体外離脱現象が見られない文化は3つしかないという。
・人類学者のエリカ・ブルギニオンが世界中の488の文化を調査したところ、その89%において体外離脱についての何らかの言い伝えが存在したという。
&bold(){「超常現象」}は&bold(){「意識体や波動の所作により起こる現象」}で、様々な種類があります。&bold(){「心霊現象」「ポルターガイスト」}は、意識体が引き起こす現象で、その場には特定の意識体が居付いています。そういう場所では「ラップ現象(無人の場所で音が鳴り響く)」「光体が発生する」「幽霊が見える」「冷気を感じる」など、各種の現象が発生します。
&bold(){「転生(生まれ変わり)」}について、&bold(){「魂(人間の意識体)は、胎児か誕生の時に体内に入り込んで、死亡時に体外に脱出する事で、転生を繰り返す」}というようにして存在しています。
&bold(){「魂(の一部)は主にDNAに収納されている」}と考えられます。これは後述のように&bold(){「DNAには生物種の情報と、属人的な情報として意識・経験・思考・行動が記録される」}からです。&bold(){「DNAの二重螺旋」}は「ゼロ点」であり、&bold(){「ワームホール(ワープ効果を発現)」}が形成されますが、ここに&bold(){「胎児の何れかの時期に、転生の為に魂が入り込む」}と考えられます。
(「魂はDNAにある=全身にある」という説以外に、「脳」「松果体」「脳室(脳内の空洞が多い部位で、脳脊髄液が満たしている)」「心臓」「丹田(小腸)」などの説がある)
記事15「Scientist Photographs The Soul Leaving The Body」は「人の臨終に際して、魂が抜け出ていく様子を撮影した写真」であり、&bold(){「魂はヘソと頭部から抜け出して、脚の付け根と心臓から最後に抜け出る」}とあります。&bold(){「人は亡くなると20数g軽くなる」}と言われますが、この要因として「瞬時の脱水」は考え難く、この物質は「量子」でしょう。これが&bold(){「魂(意識体)」}であり、死後は肉体を抜け出て、再び誰かのDNAに入り込み、魂は転生を繰り返します。&bold(){「特定の瞬間に、一気に大量の量子が体外へ離脱する」=「この時・量自体が特定の意味を持ち、必要性があるから、その現象が起きる」}という事は間違いなく、&bold(){「それは魂であり、物質的肉体から抜け出た」}という事でしか説明できません。
量子は永遠に不滅なので、&bold(){「意識体(魂)は不老不死」}です。転生は同国内でが最も多いと言われますが、他国での転生も多く、他の星で転生する事もあります。転生体験を語る子供は「多くの子供たちは2~3歳頃に前世のことを話し始め、6~7歳で話すのをやめ、普通の人生を歩む」「賢い子が多く知能テストのスコアが高い」「本人しか知り得ない情報を知っている」という傾向があります。&bold(){「嘗ては肉体を持っていたが、もう(長い事)体を持たない意識体」}も多いです。
●&color(white,black){超能力=波動的能力とハイパーコミュニケーション}
&bold(){「超能力」}とは、波動原理に基づ&bold(){「全ての人間が普遍的に持つ波動的能力」}であり、これは「霊能力」「霊感」も同様です。これら全てを「波動的能力」と言い表す事もできます。
「超能力」は、「情報の伝達に関する現象」である「ESP(通常の感覚器による知覚を超えた知覚)」と、「物体に力を及ぼす能力」である「サイコキネシス(念力/PK)」に大別されます。そして「霊能力」も含めて、ありとあらゆる能力があって、それは本来的には全人類が持ち得る能力です。波動的能力の各概念については、この項の後段に記述します。
「超能力」は「量子もつれ」、前項の「波動情報は量子の性質・行動を決定付ける(という性質)」、後述の「ハイパーコミュニケーション」という科学的原理により発生します。
「波動的能力」を左右する要素は、&bold(){「波動レベル」「意識の持ち方」「想いの強さ」「練度」「周辺環境」「意識体の支援」}の程度であり、究極的には「意識の持ち方」に集約されます。その意識の持ち方とは、「常に意識する事」、「ノウハウ」的な物や、「愛情や真善美などの意識
その能力は天地ほどの差が現れますが、誰でもある程度身に付けられます。また「社会・環境における波動レベル」に大きく依存して、地球に量子的飛躍が訪れると、多くの人が持てるようになります。「ノウハウ」も重要であり、今後は多くの知見が蓄積されていくので、後代の方がより簡単に持てるようになり、いずれは全員が高い超能力を持つようになります。ただ高いレベルの超能力を身に付けるのは、過去生や現世の過去の問題から、現代においては現世では出来ない人も多くいて、その場合量子的飛躍の以後の世界においてや、または来世以降に持ち越される事になります。
波動的に&bold(){「意識や脳や体は共鳴しあう」}という性質があって、そこでは&bold(){「波動の斉一化」「同種の波動の結合・共時的変化・増加」}が起きています。
そしてこれは&bold(){「ハイパーコミュニケーション」}、即ち&bold(){「波動的な情報のやり取り」「人同士や意識体などとの、波動情報の送受信」}の発生原理です。これにより人間は「視覚的情報」「音声情報(言語など)」によらずとも、他者や意識体と交信ができます。
&bold(){「赤ちゃんや子供は波動が高い」}ですが、&bold(){「赤ちゃんや子供は相手の顔を見ただけで、その気分を感じ取る」}と言われ、これはハイパーコミュニケーションが大きく絡んでいます。&bold(){「虫の知らせ」}もまた、同じ原理で生じます。
この「ハイパーコミュニケーション」により、人間同士の間には&bold(){「会話をしていなくても、意識・思考・感情は他人と共有される」「関係性が近いほど、意識の共有度も大きくなる」}という現象が常時起きています。また社会(多数の人間)でも起きていて、これは&bold(){「集合意識」}の発生メカニズムです。
&bold(){「ハイパーコミュニケーション」}は&bold(){「脳(特に松果体と第三脳室)」「DNA」}ほか、&bold(){「人体において、体内外と多量の波動を送受信する部位」}を通じて行われています。
&bold(){「松果体」}は&bold(){「間脳」}の一部で、眉間の奥にあります。&bold(){「様々なホルモンを分泌する器官(腺)」}であり、最重要視されるホルモンの「メラトニン(免疫機能ほか)」や「セロトニン」「ドーパミン」「アセチルコリン」「βーエンドルフィン」を分泌します。松果体に対応する「眉間」は、&bold(){「第6チャクラ(アージュニャー)」}であり、中医学では&bold(){「天目(てんもく)」}と呼ばれます。「鳥類・爬虫類・両生類・魚類」にも「松果体」はあって、幾らかの動物種の「頭頂眼(第三の目)」は「光受容体」で、これも類似の器官です。
&bold(){「松果体の内壁」} は&bold(){「目の網膜の構造と非常に似た細胞組織」}で構成されています。これは&bold(){「量子の受容器」}です。
松果体が発達すると、各種の像が見える&bold(){「ビジョン系の能力」}が発達、&bold(){「透視・遠隔視」}などが行えるようになります。&bold(){「電磁波=光子」}であるので、&bold(){「電磁波」=「電場と磁場)」}を見る事も可能になるでしょう。&bold(){「波動が上がると万物は微細化する」}という効果がありますが、究極的には&bold(){「松果体のビジョンは量子レベルの大きさまで見る事が可能」}でしょう。
また&bold(){「松果体のビジョン」}には、頭部後方の出っ張ってる部位「後頭大隆起」周辺にある&bold(){「視覚野」}の働きも重要です。そしてこのビジョンは&bold(){「360度の視野がある」}という特徴を持っていて、「寝入りばな」など「高度に脱力した状態」「無の状態」において見られる事があります。波動状態がそこにまで至っていないと、視野は限られます。
「松果体」の中核はごく微細な&bold(){「水晶質」}で構成され、ここで&bold(){「波動の増幅・増加」}を行っています。
&bold(){「水晶」}は「二酸化ケイ素(SiO₂)」が結晶してできた鉱物で、「石英」の中でも特に無色透明な物を呼びます。結晶構造は「DNA」と同じ&bold(){「二重螺旋」}、&bold(){「記憶能力が高いパワーストーン」}であり、波動器具に用いられたり、またパワースポットの地下には水晶の鉱脈があることが多いと言います。「水晶」の際立った特性に&bold(){「圧電効果」}が存在し、これは&bold(){「力を加えると分極(表面電荷)=電位差が発生する」=「電子と陽子が別々に大量に発生する」}という現象です。
&bold(){「松果体の波動拡大能力の原理」}とは&bold(){「意識の集中」→「水晶に波動(量子)や力が加わる」→「圧電気の発生」→「意識の波動の拡大」}という作用原理による物であり、そしてこの効果を促進する為には&bold(){「体が柔軟であり、平時において、松果体の水晶に掛かる外力が少ない」=「コヒーレントな波動状態(斉一性が高い波動状態)」}という環境が求められます。また後述のように&bold(){「松果体の浄化・拡大」}も必要で、これは&bold(){「拡大には、脳の硬直・歪みの解消が必要で、この状態では松果体への外部からの応力が減る」}からです。
松果体の能力の大きな要因に&bold(){「松果体が脳や頭部の中心部にある」}ことがあります。&bold(){「人体」「頭部・脳」「オーラ」}とは&bold(){「幾何学的形態」「結晶体」}であり、頭部・脳の中心部にあるという事は、&bold(){「松果体」=「ゼロ点」「波動が集中する場所」}だという事を示します。
このように&bold(){「松果体」は「人体最大のゼロ点」「体内外と波動を送受信する最大のアンテナ」「体内外の波動を拡大(増加・増幅)する器官」「様々なビジョン(像)を映す器官」}です。また&bold(){「松果体の活性化は、寿命・若返りに大きく影響する」}と言います。
&color(white,gray){圧電効果(あつでんこうか)}
・「ピエゾ効果」とも言う。
・物質(特に水晶や特定のセラミック)に圧力を加えると、圧力に比例した「分極(表面電荷)=電位差」が現れる現象。
・この電気を「圧電気」や「ピエゾ電気」と言う。
・これは「表面弾性波(物体表面に集中して伝播する振動)」である。
・逆に電界を印加すると圧電体自体が変形する現象は「逆圧電効果」とも言われるが、この現象も含めて「圧電効果」と呼ぶ場合もある。
・これらの現象を示す物質は「圧電体」と呼ばれ、ライターやガスコンロの点火、ソナー、スピーカー等に「圧電素子」として幅広く用いられている。
・「圧電体」は「誘電体」の一種である。
・圧電効果は、ある物質が機械的応力の応答として生ずる電気的ポテンシャルである。
・ピエゾ電気は、結晶格子を通る電気的変化の分離として生ずると考えられている。
・物質が(電気的に)ショートしていないならば、かかる変化は、物質を通る電圧を誘導する。
・圧電性の結晶内では正と負の電荷が分離している。
しかし、対称性が広範囲に及んでいるため、結晶全体では電気的に中性である。
・これら各々のサイトは、電気的に双極を形成し、近くの双極は、「ワイス・ドメイン」という領域でお互いに一直線に並ぶ傾向がある。
・ドメインは通常不規則に方向を定めているが、強い電場を材料を横切って、通常温度上昇を伴い、かけるという工程、すなわちポーリング(磁気ポーリングとは別)の間は一直線に並びうる。
・機械的応力をかけると、この対称性は広範囲に及び、電荷の非対称性が材料を横切る電圧を生む。
・例えば、1cm片の石英立方体に正確に2kN(500lbf)の荷重をかけると12,500Vの電圧が生ずる。
・ピエゾ電気物質はまた、電場をかけると結晶に機械的変形を引き起こす、「逆のピエゾ電気効果」と呼ばれる正反対の効果を示す。
・「水晶振動子(水晶発振子)」は、水晶の圧電効果を利用して「高い周波数精度の発振」を起こす際に用いられる受動素子の一つである。
・水晶片を用いた「発振回路」は、その固有振動数の発振出力が得られる。
・その固有振動数に近いある特定の周波数帯でのみ、コイルのように誘導性リアクタンスをもつものとして動作する。
・その周波数は「10のマイナス6乗オーダー(100万分の1)=メガヘルツ(100万ヘルツ)レベル」の精度が容易に得られ、他に類を見ないものであることから、周波数や時間の基準として広く用いられている。
・水晶片の発振周波数は振動子の厚みと相関にあり、薄いほど高周波を発振できる。
・クォーツ時計、無線通信、コンピュータなど、現代のエレクトロニクスには欠かせない部品となっている。
&bold(){「第三脳室」}は&bold(){「左右間脳に挟まれた空間」「脳脊髄液に満たされた部位」}であり、松果体の前方にあります。「脳脊髄液」は「高次脳機能」に関係し、減少すると「脳脊髄液減少症」が発生します。
&bold(){「第三脳室の脳脊髄液」}には、&bold(){「クリプトン」「ヘリウム」などの「希ガス」}が含まれています。これは&bold(){「量子的飛躍(クオンタムリープ)が起きやすい物質」}であり、またクリプトンは通常生物の体では観測されない物質です。
目と鼻筋の間の&bold(){「篩骨(しこつ)」}には、副鼻腔の&bold(){「篩骨洞(しこつどう)」}があり、「第三脳室」はその奥にあります。&bold(){「呼気」は「篩骨洞で第1次呼吸と出会う」「そこでは、第三脳室にある第6チャクラの波動との関わりが起きる」}などとも言います。
&bold(){「第三脳室の波動的機能」}とは、&bold(){「クリプトン・ヘリウムを含む脳脊髄液が得た波動情報を松果体に伝える」「松果体の波動情報を、脳脊髄液→呼吸を介して全身に伝える」「体外の各種波動と高レベルの波動的な情報送受信を行う」「大規模な波動の増幅・増加を可能にする(量子的飛躍から)」}と推測されます。そして「第三脳室」とは&bold(){「超能力に密接に関わっている部位」「人間を知的生命体足らしめる非常に重要な部位の1つ」}です。
&bold(){「松果体」}は&bold(){「受胎して約3週間で完成する(最も早く完成する器官)」「思春期以降は退化する」}という性質があります。古来より世界各地で各種の謂れがありましたが、超古代においては「松果体はもっと大きく、第三脳室いっぱいに広がっていた」という説もあります。&bold(){「大人になると松果体は石灰化する」「アルツハイマー症患者は石灰化が進行している事が多い」「首を回すと脳脊髄液が産生される」「涙・泣く事で脳脊髄液は浄化される}とも言われ、&bold(){「松果体の拡大と浄化」「第三脳室と脳脊髄液の浄化」}は、波動改善や波動的能力に非常に重要です(項目6⑩「松果体・第三脳室とクリプトン・希ガス、波動原理と超能力の根源的原理」で詳述します)。
&bold(){「量子の時空を越える性質」}から、動植物には&bold(){「予知能力」}があります。これは&bold(){「ある事象が起きた時、その発生以前の過去の量子とも量子もつれが起きて、波動情報が過去にもたらされる」}という原理によります。
&bold(){「SPN(刺激先行陰性電位)」}は&bold(){「課題に関連した知覚刺激が与えられた時に、その刺激が出る前の数秒間に出現する脳波(事象関連電位)」「右半球優位性という特徴を持っているが、常に右半球優位性が確認されているわけではない」}という現象で、この原理により発生します。そしてこれは&bold(){「未来に発生した事象の波動を感知した」}ことによる現象です(記事15)。
何故&bold(){「人がなにかを予測する場合、顔の出現を予測する方が、言葉や記号などの予測よりも素早い」}のかについて、これは&bold(){「脳によるハイパーコミュニケーションの度合い」}に関係すると考えられ、即ち&bold(){「顔・頭部からは波動情報が多く発せられている」「互いに顔を見合わせるとハイパーコミュニケーションが起きる」}からだと考えられます。「SPN」では&bold(){「右脳優位になる事が多い」}ですが、これは先述のように&bold(){「右脳:感覚・抽象:時間軸を無視して、過去・現在・未来を同一線の事として捉える」}という性質によると考えられます。
これにより、人間には&bold(){「全ての人は何らかの突発的事象の発生以前に、その発生を感じ取る」}という能力があります。例えば、&bold(){驚く映像や恐ろしい写真を見ると、その10秒から4秒ほど前から「心拍数の上昇」「瞳孔の収縮」「抹消血管の収縮と指先の体温低下」が発生}します。そして&bold(){波動情報は知らず知らずに行動を左右させるので、異変を感じても感じなくても、波動が高い人は災厄の回避能力が高い}です。
そして&bold(){「意識は過去の波動とも共鳴する」}ので、&bold(){「意識によって過去の事象を変える」}という能力が人間には存在します(記事16)。&bold(){「何かを強く想い続ければ、それは過去の事に対してであっても、その想いは実現される可能性は高まる」}という効果があります。下記の事例4のように&bold(){「あるテストの後に復習すれば、そのテストの正答率は上がる」}という効果が存在します。
当然、未来に対してはより高い効果があるので、&bold(){「強い想念は自らと周辺の環境を大きく変えていく」}という効果を発現します。その時々の状況は、思うような状況でなくても、&bold(){「"意識を良く保ち続ける、そして強い想いを持つ"という事を続けていると、その当時の状況も含めて、未来は大きく好転する」}ようになります。このように&bold(){「人類の意識が高まれば、過去の社会状況さえも変える事ができる」「意識は過去・現在・未来の全てを変える」}のです。
「意識と脳の共鳴」を示す実験結果や報告事例は、近年多数が報告されています。その幾つかを記述します。
&color(white,gray){事例1(記事17・記事18)}
・厳密に50/50で0と1が出る仕組みの「乱数発生器」を、世界各地に配置した。
・大規模な事件(インドネシア大津波など)が起きると、その数時間前から数日後まで、乱数の発生確率が正常値と大きく異なる状態が続く。
・大規模なイベントの近隣に置いた乱数発生器でも、クライマックス時点で発生確率が変わる事例が、幾つか観測されている。
・この種の取り組みを行っている代表的組織に、アメリカの2団体がある。
「Global Consciousness Project」は、乱数発生器「eggs」を世界各地の70箇所以上に設置、日本には3箇所にある。
「Global Coherence Initiative」は、世界各地の14箇所に設置している。
&color(white,gray){事例2}
・親しい人同士の2人を被験者とする。
・1人の脳の視覚野の活動を、fMRI(磁気共鳴機能画像法)で映像化する。
・もう1人には、別室のモニターで刺激の強い映像(光の点滅)と、何も映ってない画面を、何度か交互に見せる。
・刺激的な映像は、脳活動が低下させる。
・2人の間の、刺激的な映像を見ていた時間帯と、脳活動が低下していた時間帯が一致する。
&color(white,gray){事例3}
・被験者に、親しい人4人のうち誰かが電話をかけ、通話の前にその相手を推測する。
・実験は一般人200人に対し、850回行った。
・相手の正答は、数学的には25%の筈だが、正答率は45%だった。これは統計的に1兆分の1の確立。
&color(white,gray){事例4}
・「ある人のクロスワードパズルの正解率:A」より、「後に行った別人の正解率:B」の方が高い。
・正解率A<Bは、多数のグループでの実験の普遍的結果である。
・同じテストを行った2集団による実験では、事後に復習した集団の方が、正答率が高い。
こういった波動的能力は、生物(動植物)の全てに存在しています。しかし実際の所は、&bold(){「人間以外の動植物は、言語や文字などを持たないが、より高い水準で、日常の全てで波動に依存している」}という様相があります。例えば「集団での一体的行動」「天敵の気配を察知し、仲間と情報を共有する(植物でも見られる)」「時期になると一箇所に集合して生殖活動を行う」のも、この一例です(記事21)。
&bold(){「宏観異常現象」は「天変地異の前の生物的・地質的・物理的異常現象」}であり、「地震の前の動物の異常挙動」「ネズミが沈没船の沈没する数日前に逃げる」などが知られています。よく行われる「ネズミのテレパシー実験」について、同種の現象・報告例は古今東西無数に存在、「飼い主が会社を退社した時から飼い犬がソワソワし始め、最寄り駅に着くと徐々に興奮し、家の玄関前に立つ頃にピークに達する」などといった観測例とも符合します。
&bold(){「遠隔視・透視・千里眼」「読心・サイコメトリー」「予知」「意識体(霊的存在)との交信」「霊視」}などにおいては、&bold(){「何らかの意識・事物の波動情報が、量子もつれ(共鳴現象)によって、脳内にその波動が入ってくる」「松果体でビジョン化したり、脳が情報を読み取る」「意識により波動情報を送る」}という過程を経て発生します。
&bold(){「念力」「念写」}は&bold(){「量子エネルギー=万物のエネルギー」「波動情報は量子の性質・行動を決定付ける(という性質)」}という原理による、「強い念を以って物を動かしたり、描像する行為」です。「物質化現象」は「人や意識体の意識により、物質を新たに生み出す現象」です。
&bold(){「憑依」「自動書記」「啓示」「預言・神託・託宣・オラクル」「変性意識状態」}などは、&bold(){「他の意識体が主体になって行われる現象・行為」}です。古来&bold(){「シャーマン・巫女・イタコ・ノロ・ユタ」}は、こういった現象に際しての&bold(){「依り代(神霊が依り憑く(よりつく)対象)」}であり、「変性意識状態」になりやすい人が多く選ばれていました(記事22)。
&bold(){「変性意識状態」}は「瞑想・気功・催眠・半醒半睡」ほか各種状態で誘発され、&bold(){「多くのシャーマンに特徴的な脳波が多く観測される」「右脳が非常に活性化する」}という報告がされています(記事23)。この状態では&bold(){「思考等に関わる脳部位の沈静化」「無意識に関わる部位の活性化」}が起きていて、これは&bold(){「超感覚」「超越的意識」}の状態で、「超能力」が発現しやすくなります。
&bold(){「多数の超能力者・気功師等の脳から、強い電磁波が観測されている」}のですが、「電磁波=光子」であり、「波動的能力は、その人の波動水準と比例する傾向にある」という傍証となります。
他にも多くの超能力・霊能力・波動的能力による現象が、古来から存在してきました。例えば&bold(){「意識による降雨現象」「祈雨・雨乞いの効果」}は実在し、清らかな気持ちで雨が降ってほしいと願えば、降水確率は高まります。これは&bold(){「意識エネルギー」→「虚空間の虚光子から、実空間の水素原子までの変遷」→「酸素原子と結合」→「水・雨」}や&bold(){「雲や風を呼び寄せる」}といった作用原理による物です。更に&bold(){「儀式」「祝詞」}などを行えば・奏上すれば、その効果は向上、これは先述のように古来からの意識エネルギーの蓄積の効果です。「雨乞いの儀式を行うと必ず雨が降る」といった、高い波動的能力のある人は、実際にかなりいます。
&bold(){「フーチ」「ダウジング(Dowsing)」「オーリングテスト(O-リングテスト)」「キネシオロジー・テスト」}などの術は、&bold(){「用具や体の動き・反応で、対象の妥当性・性質などを知る波動的手法」}です。これは&bold(){「対象の妥当性について、当たっている時は動く、外れの時は動かないなどと設定する」→「対象の意識・事物の波動情報へ」→「量子もつれ」→「脳が波動を受信する」→「不覚筋動により、設定どおりに動き、正誤を判別する」「(又は)当たっている時は耳鳴りや体の揺れなどが大きくなる」}という仕組みとなっています。
&bold(){「フーチ・ダウジング」}は&bold(){「棒・振り子など」}を道具として用います。この棒・振り子には&bold(){「ペンデュラム」「ダウジング(振り子)」「ロッド・ダウジング(L字形・Y字形の棒)」}などがあります。日本では古くは、手法や棒・振り子ともに&bold(){「天津金木(あまつかなぎ)」}と呼ばれていました。水脈・鉱脈などの探査で多く用いられ、「弘法大師(空海)が奇妙な形の杖を使い、水脈を突き止めて井戸を掘った」とされる伝承が各地にあり、これもフーチの一種とも言います。更に弘法大師は、水銀(朱)を金に変える「錬金術」を行っていたとの説もあります。
&bold(){「波動情報」}として&bold(){「髪など身体の一部には、全身の情報」「地図には、土地情報・生物種の状況など」「写真には、被写体の情報」など、「ある一部の事物には、全体の事物の波動情報が内在している」}という性質があります。更に&bold(){「あらゆる概念・名称は、その波動情報を帯びている」}ので、これら「量子もつれ関係にある事物」を介して、上記の手法や意識法によって&bold(){「人・生物・事物など森羅万象の状態や、過去・未来を読み取る」}という行為が可能になります(項目6③)。
波動器具の&bold(){「波動転写機(ラジオニクス)」}は、&bold(){「人体や土地などへ、特定の波動を転写する器具」}であり、その場で照射するタイプと、遠隔地へ照射するタイプがあります。上記原理を基に、&bold(){「回路」「意図文」「写真や地図」}などが用いられ、&bold(){「強く清浄な意識」「浄化された素材・エネルギー」}により製造がされます。これにより、数十年前から&bold(){「健康増進」「農作物の収量・品質の向上」「病害虫の発生防止」「土地・土壌の浄化」}などの効果がもたらされてきました。
&bold(){「治癒(癒し・ヒーリング)の術(手法)」}は、対象者に対して「大きなエネルギーを流入させる」「自身と共鳴させる」「エネルギーの循環を意識する」「エネルギーを浄化させる」「微細状態や高周波にさせる」「愛情などで包み込む」など、幾つかのパターンがあります。そのエネルギー源は「高次元などのエネルギーを用いる」「場や手法・道具などのエネルギーを用いる」「自身のエネルギーを用いる」「対象者のエネルギーを拡大させる」「参加者の集合意識を用いる」などがあります。
「意識は森羅万象の性質を左右する」ので、&bold(){「体内の有害物質の除去・排泄や元素変換」}も行えます。これは&bold(){「各器官を経由した排泄」}に加えて、&bold(){「体内から体外の空間への直接的除去」}もあります。&bold(){「重金属・人工放射性物質・化学物質などは、その除去・浄化を意識すれば、徐々にでも体が浄化される」}という効果があって、そして&bold(){「飲食物に対して肯定的意識を込めると、波動が高まり、有害物質が除去される」}という効果があります(記事7)
&bold(){「量子は時間た距離に制限されない」}ので、遠く離れた場所の人に対して、また知らない人に対しても、&bold(){「遠隔治療(遠隔ヒーリング)」}が行えます。そして&bold(){「集団で祈祷を行って、多くの人々の意識エネルギーにより環境中の波動を上げたり、ハイパーコミュニケーションの効果を高める」}などすれば、&bold(){「他の人々の意識向上」「社会における健康度の向上」「病気・怪我・事故・事件などの現象」「各種の災厄の減少」}など、様々な効果が現れます(記事1~記事3)。
&bold(){「祈祷や他者への癒しの行為」}については、&bold(){「距離に関係なく効果が発現する」「指示的な祈りより、無指示的な祈りの方が効果が高い」「対象が明確な方が効果があるが、また対象を知らなくてもある程度効果がある」「対象者が増えても効果は変わらない」「効果は祈りの時間と想いの強さに比例する」「経験が長いほど効果が高い」}といった報告がされています。こういった行為には&bold(){「波動的能力の開発行為であるので能力が高くなる」「他者への奉仕であるので、自身の波動が高まる」}という側面もあります。
各種の&bold(){「伝統的な術」}は、伝統の形式に沿って効果が発現しますが、時代・状況に応じた形式変更は可能です。&bold(){「お札」}などの効果の要因も「術」と通じる物があり、また波動が転写されていて、&bold(){「発行組織の場と保持者を繋げて、共鳴による波動上昇を促す」「発行組織の特性を、保持者へ顕現させる」「祈祷や潜在意識への訴求による、専用効果や願望が叶う方向に促す」}といった効果があります。
これら&bold(){「波動的手法」}は&bold(){「対象との共鳴(量子もつれ)による波動改善」}を、その手法・効果の拠り所としています。なので&bold(){「手法・概念・対象などへの信用度と、波動的感覚が、効果を決定的に左右する」}という性質があります。これにより、個人ごと・対象ごと・場所ごと・時間ごとに、様々に効果の出方が異なり、効果が出ない事もごく一般的です。一般的に「絶対的(当たったから正解・外れたから誤り)」という見方でなくて、「信用しつつも、又は無意識でいて、そして統計的・傾向的な物・参考として捉える」というのが妥当でしょう。
そしてこれらのうち、&bold(){「器具を用いた術・手法」}は、行為者の波動レベルや能力が高ければ、&bold(){「意識による超能力・波動的能力だけでも、同様の効果をある程度発生させることができる」}というようになっています。
「各種目的の術・手法」は、個人が開発したのも含めて、他にも多数あるでしょうし、これから無限に開発する事ができて、「意識覚醒と超能力の顕現」により、その実効性は飛躍的に拡大していくでしょう。
&color(white,gray){超能力の概要}
・超心理学においては、超能力を「情報の伝達に関する現象」である「ESP(Extra-sensory perception/通常の感覚器による知覚を超えた知覚)」と、「物体に力を及ぼす能力」である「サイコキネシス(念力/PK)」に大別している。
・「ESP」と「サイコキネシス」を合わせて「PSI(サイ)」という名称も使われている。
・このような能力についての言及は古代より存在していた。
・インドのヨーガの領域での「解脱により顕われる力」は「シッディ(悉地)」と呼ばれる。
・「仏教」では悟りの智慧により顕われるとされた力は「神通力(じんつうりき・じんずうりき)」と呼ばれる。
・神通力のうちの「六神通(ろくじんつう)」は、仏陀やその弟子が修行によって顕したとされる神通力を六つ列挙したものである。
・中国の道教で唐代から重視されるようになった「内丹術」において、仏典の六神通の概念が借用されていて、『仙仏合宗』などの近世の書物で言及されている。
・その修行のプロセスの第三段階の「煉気化神(れんきかしん)」の大周天の後半では、六神通という六つの超能力が現れるようになる、と説明された。
・六神通とは「心境通(しんきょうつう/自分の臓器が見えたり、頭脳が冴え渡る状態)」「神境通(しんきょうつう/未来を予知したり、壁の向こう側のものを見る能力)」「天眼通(てんげんつう/地球上の山河が手の紋でも見るように見える能力)」「天耳通(てんじつう/あらゆる方角の音が聞こえ、生前のことまで目前のことのように感じられる能力)」「宿命通(しゅくめいつう/人の宿命を知ることができる能力)」「他心通(たしんつう/他人の心を知ることができる能力)」である。
・ビルマにおいては「ウェイザー」と呼ばれる人がおり、それは錬金術や呪薬などの術「ローキー・ピンニャー」や、仏教的修行によって超能力を獲得した存在であると信じられている。
・人間のそれではなく、動物の特殊な能力については「アンプサイ」と呼ばれている
・超能力を持つとされる人物は、欧米では一般に「サイキック」と呼ばれ、日本では「超能力者」と呼ばれている。
&color(white,gray){超能力の種類}
・超感覚的知覚(ExtraSensory Perception/ESP)
・テレパシー(Telepathy):「遠方の」tele「感覚」pathy
・予知(プレコグニション・Precognition): pre「事前に」cognition「認識」
・透視・千里眼(総称してクレヤボヤンス・Clairvoyance):clair「明白な」voyant「視覚」
・遠隔透視(リモートビューイング)を含む。
・念力・念動力(サイコキネシス・:Psychokinesis):「精神の」psycho「動き」kinesis(ともにギリシャ語)
・手を触れずに物を動かすため、テレキネシス(英:Telekinesis)「遠方の」tele「動き」kinesis とも。
・他の超能力
・サイコメトリー(Psychometry):「精神の」psycho「測定・分析」metry
・物体に残る人の残留思念の読み取り。
・とりわけ、液体に思念が残ることが多いとされる。
・「心霊考古学」は、過去を知る手段に、霊能者のサイコメトリーや透視などの能力を使用する考古学研究のことである。
・瞬間移動(テレポーテーション・Teleportation):「遠方の」tele「運ぶ」port(portはラテン語のportreから)
・念写(Thoughtography/Projected thermography/Nengraphy):「考えた」thought「記録」graphy
・発火能力(パイロキネシス・Pyrokinesis):「火の」pyro「動き」kinesis
・バイロケーション
・同一の人間が同時に複数の場所で目撃される現象、またはその現象を自ら発現させる能力。
・体外離脱の一つとも見なされており、遠隔透視の際に意識が体を離れ、透視対象の傍にあるように感じられる現象の表現でもある。
・本体から分離した分身は本人と見なされることも多いが、分身の行動はどこかぎこちなく、周囲からの声にも反応しないことが特徴ともいう。
&color(white,gray){霊能力}
・霊的存在(霊・魂・霊魂・生霊・精霊)などを感覚したり、霊的世界と接触・交流する、霊的な力を行使する、などして行なう能力。
・単に霊能(れいのう)と呼ばれることがある。また、ほぼ同意語として「神通力」「法力(ほうりき)」等が用いられることもある。
・能力と呼べるほど自在に行使できるほどではないが、受動的に霊的なものを感知する感性は「霊感」と呼ばれる。
・霊的存在を自身の身体を使って語らせたりするのは、「霊媒(ミーディアム)」と呼ぶ。
・職能的な「霊能力者」としては、日本では「神職」「巫女」「イタコ・ノロ・ユタなど」「占い師」「祈祷士」「僧侶」などの一部について、これにあたるとも考ええられる。
・「チャネリング(channeling/channelling)」は、常識的な通信手段では情報をやりとりできないような相手(何か高次の霊的存在・神・死者(霊界人)・宇宙人・未来人など)と、コミュニケーションをすることである。
・チャネリングを行う人を「チャネル・チャンネル(channel)」「チャネラー(channeler)」と呼ぶ。
これは「霊媒」と同じ概念である。
&color(white,gray){代表的な霊能}
・霊視(見鬼)
・霊(または神仏)を見る能力。特に、その場にいる様々な霊の中から、自分の見たい霊だけを選択的に見ることができる能力。
・除霊(祓う、払う)
・人や物、場所に憑いた霊を、散らしたり、どこか別の場所に退去させる能力。
・浄霊(救霊、成仏させる、先祖供養)
・霊をあの世来世に送る能力。名前や死んだ時のことを思い出させる。読経で死を自覚させる。力づくであの世に送る、神界からの波動で霊を浄化する、など、方法は様々。
・眼通力(千里眼)
・遠くの人や物を霊視する能力。
・降霊術
・霊を呼び寄せる(降ろす)能力。
・霊との会話
・霊は音(空気の振動)で会話するより、相手の脳に直接介入して話しかけることを好むとされ、主に霊との会話方法として使われる。
・幽体離脱
・強い感情(念)を生霊として飛ばして霊のように振舞わせる能力。無意識に行われることが多い。
・審神・審神者(さにわ)
・霊と会話することで霊や神の名前、強さ、階級、言葉(神託)、それらを感覚的に読み取り、真偽を鑑定する。その性質上、霊媒と兼務することは無い。
・近現代の新宗教教団においては、人についた神や霊の正体を明かしたり、その発言の正邪を判断したりする者のことを審神者と称している。
・古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のこと。
・後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
・「さにわ」(歴史的仮名遣いでは「さには」)は、元は「清庭(さやにわ)」の意味で、「神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)」のことを指したとする説が有力である。
・『古事記』の仲哀天皇の段に、「天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)に居て神の命を請うた」という記述がある。
ここで沙庭は場所の意味であるが、「武内宿禰」が審神者を務めたということになる。
その後の記述では、神が「神功皇后」に乗り移り、神託を述べている。
・『日本書紀』の神功皇后九年三月条には、「皇后が自ら神主となり、武内宿禰に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主を審神者とした」と記されている。
・後に「神楽で琴を弾く者」のことを「さにわ」と称するようになった。
平安時代の『政事要略』に「今琴弾之者を以て佐爾波(さにわ)と云、偏に以て神遊に供奉す」とある。
・物質化現象
・催眠術
&color(white,gray){代表的な霊媒能力}
・自動書記(自動筆記・オートマティスム)
・ペンを持った状態で降霊(交霊)を行う。ペンを霊に操作させて霊からの回答、神託を引き出す手法・能力。
・テーブル・ターニング
・数人でテーブルに手を乗せ、降霊(交霊)を行う。降霊に成功すればテーブルが動き出すので、これを利用して霊からの回答を引き出す手法・能力。コックリさんの原型。
・ウィジャボード(コックリさん、エンジェルさま、その他)
・板や紙に文字(はい、いいえ、分からない、数字、あいうえお表)を書き、降霊(交霊)を行う。腕の力を抜き、媒体を霊に操作させることで霊からの回答を引き出す手法・能力。一人でも不可能ではないが、数人で行うと成功率が上がるとされる。
・口寄せ(神降ろし)
・霊や神仏をその身に降ろす能力。
●&color(white,black){DNAの所作と波動情報の記録}
&bold(){「DNA(デオキシリボ核酸)」}は&bold(){「多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質」「4つの塩基で構成された二重螺旋の物質」}です。&bold(){「遺伝子」は「DNAのうちの役割が判明済みの部位」}であり、&bold(){「タンパク質合成作用」}などを担っています。
(「DNAの塩基(ヌクレオチド)」:「アデニン(A)」「グアニン(G)」「シトシン(C)」「チミン(T)」)
(「酸(酸性):電子対を受け取る(奪う)、又は水素イオン(H+)を与える化学種」「塩基(アルカリ性):電子を与える、又は水素イオン(H+)を受け取る化学種」)
&bold(){「DNA」}には&bold(){「塩基部分の配列に遺伝情報が記録されている」「塩基配列の変化で遺伝情報は変化する」}という仕組みがあり、&bold(){「アミノ酸に対応する核酸の塩基配列」}を&bold(){「遺伝コード(Code=暗号)」}と呼びます。そして&bold(){「DNAの二重螺旋がほどける」→「そのうちの1本(相補鎖)を基に、RNA(リボ核酸)が合成される」→「アミノ酸の合成・連結」→「タンパク質の合成」}という流れで、人体は機能します。
&bold(){「DNAのうちの遺伝子以外の領域」}は&bold(){「ノンコーディングDNA(Noncoding DNA)」や「ジャンクDNA」}と呼ばれます。しかし根本的に「生体に完全に不要な機能が沢山存在するように設計されている訳は無い」です。また最近、&bold(){「DNAの80・4%がタンパク質を必要な場所・タイミングが作るよう、遺伝子に指示するスイッチ役などを担っている」}という研究報告もあります。
&bold(){「ヒトDNA」}においては、&bold(){「遺伝子」}は数%の領域であり、残りの9割以上(97%とも)は&bold(){「ノンコーディングDNA」}です。
DNAの働きについて、&bold(){「DNA塩基配列の変化では説明の付かない生物の個体差」}が多く存在します。この研究を&bold(){「エピジェネティクス」}と呼び、&bold(){「DNA塩基配列の変化を伴わない、細胞分裂後も継承される遺伝子発現、あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」}を指します。
&bold(){「エピジェネティクスの発生要因」}として、&bold(){「意識・言葉・振動・電磁気などによる構成変化」}というの作用原理がある事が判明しています(記事23)。これは従来常識を覆す、非常に重大な事実を意味する物であり、&bold(){「人間の意識・経験・思考・行動は、DNA(など)により子孫へ継承されていく」}という現象が存在する事になります。そして&bold(){「DNAによる意識などの継承は、ごく日常的に起きている、普遍的現象である」}ことも示します。
ここから&bold(){「DNAの全領域は、子孫に遺伝する情報が含まれる領域(=実質上の遺伝子)」}と言えます。また&bold(){「90数%のDNA領域は、非・生物種的な情報が大量に記録されている領域」}であり、ここには&bold(){「個人(個体)の固有情報」}が記録されています。そして&bold(){「個人の属する家族・集団・社会などの情報も、意識を経由して間接的に含まれていく(思考・感覚による情報認識)」}と考えられ、これらを総合すると&bold(){「DNAには、生物種の情報、属人的な情報、人種・氏族や集団・社会などの情報が記録されている」}と考えられます。
&bold(){「バイオフォトン((biophoton)」}とは、「生物光量子」とも訳され、&bold(){「全ての生物が発する光である"生物発光"のうち、蛍などが発する光よりも、数桁小さい光についての呼称」}です。&bold(){「波長は200から800ナノメートル」「光量が多いほど健康体」}であり、これは「量子エネルギーの光」です。一番多く放っているのは&bold(){「人間の人体」}で、特に&bold(){「手・手の平」}です。項目6⑩・項目6⑪に&bold(){「手当てなどによる波動改善」}を記していて、これと「意識の持ち方・意識エネルギー」により、そのやり方次第では「量子的飛躍(クオンタムリープ)の閾値を超える」ような、大幅な波動改善ができます。
&color(white,gray){バイオフォトン}
・全ての生体は「光を放ち、光を吸収し、光を貯める」という性質を持つ。
・全細胞は「1秒に10万回以上光を放つ」。
・「健康な細胞」は「持続的に光を放つ」、「不具合のある細胞」は「断続的に光を発する」。
・これらの光信号は「体や細胞内での生体化学反応」に密接に関係する。
・全生体は「固有の発光サイクルや発光状況」を有している。
・蛍が一斉に光を点滅するように、「波動的な共鳴効果によって、複数・多くのの個体の発光周期は同期・同調する」。
・人体では「夏にフォトン発光量は最大に達し、秋は最低になる」。
・「最大の発光元」は「手」であり、一日を通して一定量でない。
・「早朝では、上半身と下半身、右半身と左半身で、発光量が完全に均等になっている」。
・日が暮れるにつれて、フォトンの放射は活発になる。
この時間帯では「健康な体は、いつも均等にバランスしている」「病気罹患者は不均等になる」。
・「右側と左側」を比べると、「どちらかがいつも高い発光量」を示す。
・「高齢者」は「放射量のバランスが崩れている」。
・「発光量のバランスが崩れている場合、何か重大な不具合を体が抱えている」。
・「黒ずんだ皮膚の人」は「皮膚からの発光が少ない」。
・細胞は死ぬ間際に青い光を発光し、最大強度になると共に死に、すぐに光が消える。
この発光は「アントラニル酸がを閉じ込めていた細胞膜が壊死と同時に破れて、細胞内の酸性コンパートメントからアントラニル酸が放出される」というメカニズムで起きる。
&bold(){「バイオフォトンの光源」は「DNA」}が有力視されていて、&bold(){「毎秒数十億回のDNAの収縮・拡大に伴って発生する」「バイオフォトンはDNAの全情報を帯びている」「4メガバイト以上の情報を蓄えることができる」「それが全身に伝播されている」「細胞とチューブリン(結合組織にある光伝導分子)が光情報を受信する」「チューブリンは、情報を乗せた光のインパルスを受け取り、それを光速で全身に伝える」「この情報が各細胞で受信され、特定の代謝性酵素を活性化するか、不活性化するかを決める」}という論説があります。
&bold(){「発光周期の同期・同調」}がされれば、これは「量子エネルギーの光」であるので、共鳴効果で&bold(){「バイオフォトン放出量と、その効果は乗数的に増加する」}ようになります。その為には&bold(){「体の硬直・歪みの解消と、細胞・組織の配置の均整化・斉一化」}が欠かせません。
&bold(){「ヒトDNA」}を繋ぎ合わせると、1個の細胞で約2m、60兆個ある全身の細胞では1200億kmとなり、地球(周囲4万km)を300万周して、太陽系の直径・約120億kmの10倍の長さになります。また大まかに「生物のの重量の約1000分の1がDNAの重量」だといいます。
DNAは&bold(){「二重螺旋」}で構成されていて、この内部は&bold(){「ゼロ点」}になっていてます。&bold(){「DNAは体内のゼロ点の主要構成要素」}であり、&bold(){「1200億kmという長大な長さのゼロ点が、体内に存在する」}ことになります。
DNAは&bold(){「四つの塩基と糖・リン酸」}から構成され、&bold(){「塩基:六角形」「糖:五角形」}をしていて、「正五角形・五芒星」「正六角形・六芒星」は、波動を湧出・拡大させるパワーが強い形状です。この&bold(){「DNAの二重螺旋や五角形・六角形などによるゼロ点効果は、人間の波動レベルや恒常性の維持に不可欠な物」}です。
「DNA」には&bold(){「意識・言葉・振動・電磁気などによる構成変化」「ワームホールの出現とテレポート現象」}など、現代科学と異なる領域にある現象が観測されています。&bold(){「ワームホール」}とは&bold(){「時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道」「ゼロ点で発生する現象」 }です。
&bold(){「DNAの二重螺旋の内部」}は&bold(){「ゼロ点&ワームホール」}であり、&bold(){「高波動の領域」「物質・情報がワープする場」「ハイパーコミュニケーションを行う場」}です。そして&bold(){「バイオフォトンにはDNAの全情報が含まれる」「DNAには意識・経験・思考・行動・記憶が記録される」}ので、&bold(){「人類は常に意識を交信しあっている」}という様相が存在します(記事23)。これは&bold(){「個人⇔人類・生命・自然・地球・宇宙・全空間」}という&bold(){「全方向的な波動情報の送受信」}です。
&color(white,gray){DNAの実験}
・DNAサンプルを、本人から50マイル離れた所に置いて実験した。
・DNAは、本人の感情に即座に反応した
恐ろしい映像を見ていたら意識が低くなり、DNAは即座に縮んで小さくなった。
多くのDNAコードがオフの状態に切り替わった。
・ハッピーな気持ちになるような映像を見て意識が上がると、DNAは即座に緩んで大きくなった。
これは&bold(){「DNAによるハイパーコミュニケーションとエピジェネティクス」}を示す現象ですが、更に本人のDNAに対してだけで、他の報告例も併せると&bold(){「DNAのエピジェネティクスにより、肯定的意識があると、本人や周辺の人の有用遺伝子がオンになる」}という可能性が、強く伺われます。
「マウスの迷路実験(記事24)」について、4~5代目のマウスに迷路を解く能力があっても、この種の実験で「多様な能力面で万能のスーパーマウスが誕生したという例」は無いでしょう。拠って、この実験について「子孫の能力が向上した」と看做すのは誤りです。これは&bold(){「DNAなどによる子孫への特定の記憶情報の移転」}による現象です。
波動があれば「量子もつれ」が起きて、「ハイパーコミュニケーション」と同様の現象が起きます。しかし&bold(){「ワームホールとテレポート現象」}の存在というのは、この効果をより高める要素だと考えられ、ここから&bold(){「DNAの二重螺旋」は「量子もつれの頻度と効果を高める」「ハイパーコミュニケーションの効果を高める」「意識の共有現象を高める」「意識の具現化能力を高める」効果を持つ物質である}と考えられます。
&bold(){「魂は主にDNAに収納されている」「脳室の脳脊髄液にも存在している」「全身各所に存在している」}とも考えられます。そして先述のように&bold(){「胎児の何れかの時期や誕生時に、転生の為にDNAに魂が入り込む」「死に際して肉体から魂が抜け出る」}と考えられます。また「転生」する場所は「国内・他国・他の星」の順で多いと言われます。
こういった原理により&bold(){「意識は波動情報になり、DNAに記録されて、後世の自分や子孫にカルマ的に継承される」「この意識継承により家系~人種~人類の記憶・特質・民族性が形作られる」「後世の人々や社会の経験・運命が方向付けられていく」という「意識の継承の仕組み」}が形成されています。&bold(){「デジャブ」は「DNAの記憶による現象」}で、御先祖や過去生の自分が見た物でしょう。このような&bold(){「大きな潮流のような意識の循環をもたらす物として、DNAは存在する」}と言えます。
●&color(white,black){万物の好転・形成・長寿命化と悪化・崩壊・短命化}
&bold(){「万物は高波動状態であると状態が好転して、低波動状態であると悪化する」}というのが、あらゆる空間における根幹原理です。&bold(){「高波動(量子の数量やエネルギーが多く高周波数):結合・微細・柔軟:低エントロピー・秩序的:高次元:万物の良化・活性化・強化・形成・成長・永続化・長寿命化・繁栄:寛容・大局・連帯」「低波動(量子の数量やエネルギーが少なく低周波数):崩壊・粗大・硬直:高エントロピー・非秩序的:低次元:万物の悪化・衰退・弱化・劣化・短命化:偏狭・怒り・拘束」}というように、波動環境の高低は森羅万象を対極の状態に導きます。
&bold(){「森羅万象の存在形態」}について、「量子的性質である量子もつれ効果」により、究極的には&bold(){「森羅万象は結び付きあっている」「万物は統合的に存在している」「全ては有機的に絡み合っている」「全宇宙は共鳴現象で成り立っている」}という存在形態を成しています。&bold(){「あらゆる事象・状態は、量子(波動)の持つ結合状態を維持させるエネルギーにより維持されている」}のであり、これは地球も、土地も、生物も、物質も、意識でさえもそうです。人間も量子がなければ、存在する事さえも出来ません。若し量子が無くなれば、その場にある全てが瞬時に崩壊します。
その上で&bold(){「共通性が高い量子同士は、引き寄せあう力が強く、相互に強く結合し合っている」}というように存在しています。&bold(){「共通性の高い量子同士が、強く結びつきあっている場・事象」}については、&bold(){「経絡・ツボ・チャクラ」「龍穴・龍脈・聖地・パワースポット(円錐形の山・滝・森林など)」「祭祀場・祭祀遺跡・祭祀に纏わる概念」「集合意識」「愛情・子を想う親心」「連帯意識」}ほか、無限に挙げられます。これらに「良質な波動」が多ければ、それは世界・地球の波動を上げる一助となっていて、「低質の波動」が多ければ、阻害要因となります。
&bold(){「意識や精神に取りよい状態や、健康的に良い状態や、美容的に良い状態というのは、元々は同一の状態」}であり、「現世・過去生の意識・経験から来る波動状態」「周辺の・関係する人々の波動」「周辺環境」が良好であると「高波動状態」になって、そうすると&bold(){「気血水(気脈・血管・リンパ管)と神経の状態・循環が良い(情報・栄養の伝達や修復が早く効率的)」「細胞の並びがきめ細かく、斉一的である(凸凹が無い)」「柔軟性がある」「正中線が開かれている」「左右均等である」「体内水分が多い」「バイオフォトン(生体の発する光)が多く、透明感があり光り輝く肌を持つ」}などの状態を示すようになります。
高波動状態における&bold(){「細粒状態になる」「融合性が高い(界面活性効果が高い)」}という性質から、&bold(){「血液・リンパ液や脳脊髄液などの体液」は「水分と油分と赤血球・白血球・リンパ球などがよく混ざり合い、潤滑性が高い」}という状態になります。この「気血水(水=脳脊髄液)や神経情報の循環」の良好状態においては、波動情報が全身に行き渡り、体力が充分で、様々な状況への適応力があって、体温調節ができて、血色が良くなります。
&bold(){「脳機能」}においても、脳が柔軟で細胞の並びの歪みが無いと&bold(){「体内外の波動との連携が良くなる(多くの波動を送受信できる)」}という効果があり、頭部の柔軟化も併せて&bold(){「脳疲労が解消しやすい状態(量子エネルギーが行き渡る)」}になります。この状態においては&bold(){「意識・思考力・感覚の明晰化・深化」}が成されます。これらの状態とは&bold(){「波動を全身に潤滑に行き渡らせ、共鳴・増加させる状態」}です(項目7④)。
このような状態は&bold(){「体の共鳴度・柔軟性・連動性が高い」}ので、体の機能も改善していきます。&bold(){「脳や神経の働きの効率化・活性化」「動きやエネルギーの効率化」}がされているので、&bold(){「姿勢、運動能力、声質、歌唱力などの向上・改善」}といった効果も現れやすいです(項目6⑨)。このように体や精神のあらゆる状態は、完全に波動状態に依存します。
こういった状態から更に進み、非常な高波動状態になると、体がほのかに光り輝く&bold(){「ライトボディー」}の状態になり、これらは&bold(){「量子の光としての性質」}による物であり、&bold(){「超能力」}など各種能力が亢進します(項目6⑪)。高波動の場所では稀に&bold(){「光の柱」}が建つ事がありますが、これは同じ原理によります。【「玉響(たまゆら)」=「オーブ」(項目6⑤)】【「怪火」(「人魂(ひとだま)」「鬼火」「狐火」「ウィルオウィスプ」などの総称)】などと呼ばれる、古くから世界中で見られる発光現象も、原理的に同じで、またこれらは「意識体(霊魂)」の介在もあります。
これが低波動状態だと&bold(){「不正常な状態への適応力が低い」「傷病や疲労感が改善しない」「老化現象が進行しやすい」「体形や外見に問題が出て来る」}ようになります。そして&bold(){「水分と油分の分離・局所的分布」「上皮細胞・表皮細胞の状態悪化」}などが起こり、&bold(){「脂性とカサカサ肌」「アトピー」「シワ」「暑がりと冷え性(水分は足に溜まりやすい)」「ドロドロ血(血中脂肪は血管・内臓に溜まりやすい」}など、様々な症状が顕在化します。
波動的には&bold(){「人体構造」}について、&bold(){「先ず気脈が存在する」「経絡の概念のように、縦の気脈(経脈)が主脈で、横の気脈(絡脈)が支脈」「気脈は格子状のような規則的に、きめ細かく細部まで、全身隈なく巡っている」}という様相があり、その上で&bold(){「気脈の配置に準拠して、血管・リンパ管・神経や骨・筋肉などの細胞が配置される」}というようになっています。体と意識の健全化には、先ずは&bold(){「気脈の配置がDNA情報の通りである」「気脈が柔軟で、歪みがなく、ごく細い気脈一つ一つに別れていて、気脈同士の癒合が無い」}ことが重要であり、これにより&bold(){「体の隅々に波動が循環する」「規則正しい配置の気脈・血管・リンパ管・神経を巡る中で、波動が減殺されずに、共鳴増幅してゆく」「心身ともに健全化する」}となります。
しかし低波動状態だと&bold(){「気脈の配置の歪みがあり、気脈同士が癒合して、硬直状態となっている」}という状態となっていて、これにより&bold(){「量子(波動)が細部に流れない」「共鳴効果が得られない」}という状態となり、そして各症状が顕在化してゆきます。
例えば&bold(){「体の硬直(体の硬さ)は、筋肉や腱組織などの硬直が直接的原因」}ですが、真の原因は、その前提としての&bold(){「気脈の配置の歪みと気脈同士の癒合・硬直」}であって、これにより&bold(){「筋肉・腱組織などへの量子エネルギーの循環不全」}が起きて、硬直という症状が現れるようになります。また「人体は結合状態を保っていることが必要」ですが、「高波動による結合状態」を保てないので、「物理的な固化による結合」を行うしかなくなります。このようにして「低波動や硬直状態は、更なる低波動状態や老化現象などへと悪循環させてゆく」という状態を招きます。
そして「気脈などの波動の円滑な循環」に際して、非常に重要なことが「意識」です。「高次元の波動が松果体に流入した」などという言葉を、「波動が流入する光景や、共鳴・増加してゆく光景を具体的に思い浮かべながら、こういった言葉を言う」という「意識付け」の行為により、「実際に波動は流入して、体を巡ってゆく」という効果を発言します。この行為は心身の波動上昇に欠かす事のできない行為であり、これはまた&bold(){「瞑想」「禅」の効果}とも部分的に通じます。
&bold(){「心身の悪化要因」}というのは&bold(){「量子(波動)が少ない」「量子が低周波数」「量子の循環が悪い」}ことが、大きな要素を占めます。&bold(){「人体を形作る波動情報(生誕時など原初状態に近い情報)」}は&bold(){「DNAやオーラ」}など各所にあって、&bold(){「波動が良く、循環が良いという状態だと、血液・リンパ液・神経情報・気脈の気やバイオフォトンなどを媒質として、血管・リンパ管・神経・気脈などを媒体として、波動情報が人体各所に伝達される」}ようになり、円滑・正確に反映される事で、人体・精神の恒常性は維持されていきます。
後述のように&bold(){「DNAは意識や言葉などにより、構成状態が変化する」}という事が確認されています。&bold(){「DNAには、不要な状態を引き起こす遺伝子がある」}のですが、&bold(){「意識により不要遺伝子をオフにして、有用遺伝子をオンにする」}という事ができて、これにより&bold(){「有用な"DNAの波動情報"だけを体に循環させる」}ことができます。&bold(){「遺伝子のオンオフの切り替え」}は&bold(){「肯定的な意識を持つことで、有用な遺伝子だけオンになるように、自然とDNAが変化する」}という仕組みになっています。そして&bold(){「肯定的意識は、体をより高波動にさせる」}という働きがあります。
このように、高波動状態においては&bold(){「問題が起きても、自己修正機能が高度に発揮され、恒常性が維持される」}ので、波動が改善されれば、全ての状態は全面的に改善されていきます。そして&bold(){「高波動状態とは、あらゆる状態レベル・能力値の、基礎的部分を底上げしていく状態」}だと言えます(項目6③で詳述)。
先述のように、「量子の性質(量子的性質)」として&bold(){「共通性要素がある波動同士は、もつれ合いという現象を起こして、量子が共鳴・増加・結合する」「共通な物同士は、同調効果と増加効果を持つ」}という性質があります。親子親族友人やについても同じ事が言え、&bold(){「属性の間柄の中で、量子(波動)の同調効果・増加効果が起きている」「同じ感覚を持つ人の意識も、同調しあい増加していて、良い想念なら良い効果が乗数的拡大、悪い想なら悪い効果が乗数的拡大する」}という性質があります。
「量子もつれ」が引き起こす諸現象・諸様相の一つに&bold(){「カルマ的な側面」「因果律(因果応報・善因善果・悪因悪果)」}があって、これにより&bold(){「人の意識レベルは、中長期的にその人の状態を決する」「集合意識の意識レベルは森羅万象の状態を決する」}という性質を持ちます。
一般的に波動は高い方が良いですが、&bold(){「ある人・場合には良い波動でも、他の人・場合には悪影響が生じる」}という場合もよくあるので、波動と対象の相性も重要です。これは例えば&bold(){「ニュートリノの周波数が非常に高いと、水素原子が発生し易く、その分放射性物質への元素変換効果が減少する」}という例があります。そして&bold(){「花など美しい・清いとされる事物は、波動が高い・波動の質が良い」「汚い・穢れているとされる事物は波動が低い・波動の質が悪い」}という傾向があります。
量子(波動)とはまた、&bold(){「生物におけるエネルギー源・栄養源」}です。「飲食物」は「分子と原子と量子」に分解されますが、&bold(){「分子も原子は、それ自体がエネルギー源・栄養源であり、且つ量子エネルギーの発生源である」}となっています。「飲食物や栄養素により、発生させる物質や、体への影響が異なる」のは、「分子構造」「原子の種類」「量子の波動情報」によって、その作用原理と発生させる現象が異なるからでしょう。「飲食物は分子としても、原子としても、量子としても、エネルギー源・栄養源として利用される」のであり、しかも&bold(){「高波動の飲食物・状態」}は&bold(){「高周波数で、波長が揃っていて、量子の量が多く、波動情報の質が良い」「人体の波動状況を改善する」「低エントロピー(体への負荷が少ない)」}という性質があります。
これにより&bold(){「高波動状態:生物と物質の長寿命化」「低波動状態:生命や物質の短命化」}という、対極の性質がもたらされます。高波動状態だと「気が漲っている」「気力に溢れている」状態となって、生体が活性化します。逆に低波動状態だと「気枯れ」となり不活性化、「汚れている状態」が増えますが、一説にこれが「穢れ(けがれ)」の原義です。
&bold(){「寿命の終わり」「身体組織の縮小・痩せ・減退」}とは&bold(){「波動の循環悪化による栄養不良」}です。人間の「痛覚」は、「低波動による硬直や、身体組織がまばらになり神経組織が守られない事で、衝撃が強く伝わる」という状況があると、その痛みが悪化します。
これは&bold(){「物質の崩壊」「地震・地盤崩壊」}も同じ原因です。「低波動状態で波動の結合力が足りない」と、その引き換えとして「結合状態の維持に、物質のより強固な結束が必要になる」となります。&bold(){「低波動状態では万物は崩壊する」}ので、&bold(){「物質が脆化したり、組織構造がまばらになる」}という影響が生じます。すると&bold(){「何らかの衝撃や、応力により、壊れやすくなる」}という状態となります。「高波動状態(量子エネルギーが多い)の物質・事象」は「硬直しなくても結合状態を保てる」ので、柔軟な状態を保て、その事象はより長寿命化します。
こういった生体の波動的構造と仕組みは、人間だけでなく、生物全体でも同じです。この解消もまた、高波動状態にすることでしか改善しません。
そして「項目7③体・生命や地球・宇宙の幾何学的配置」にあるように、人体・生体や自然や天体配置ほか、宇宙の様々な事象には&bold(){「幾何学的構造」}があります。これは&bold(){「波動を共鳴増加させる為の構造」}であり、&bold(){「波動の効果を最大化する為の構造」}です。その波動効果の最大化の目的は、究極的には&bold(){「量子(波動)の結合力と、その副次的効果を得る為」}です。この&bold(){「波動の結合力」}が存在する事で、&bold(){「森羅万象の形成・発展・永続化」}という、ある種の当たり前のような状態が存在できるようになります。
●&color(white,black){波動原理の初歩的な概略}
&bold(){「波動理論の考え方・概念・用語」}は、&bold(){「古来の哲学・医学」「古代の自然科学の一部」}と、古今東西の&bold(){「自然崇拝」「アニミズム(精霊信仰)」「シャーマニズム」「汎神論(はんしんろん)」「汎心論」}や、&bold(){「精神世界」「スピリチュアリティ」「スピリチュアリズム(心霊主義)」「神秘学(オカルティズム)」「生気論」「ニューエイジ」「ニューサイエンス(1970年代に興った、物質主義・唯物主義・要素還元主義など既存科学と、複雑系・意識に通じる観点が融合した分野)」}に見られる観点と、相通じる物があります。
更に、科学研究の中枢たる&bold(){「量子力学の最先端の知見」}にも通じる物が多く、&bold(){「量子力学を始めとした科学研究者の間で、波動理論に近い考えを持つ人が近年増えている」}という状況があります。また&bold(){「一般の人々の間でも、波動理論や精神世界などに類する考え方は、世界的に近年激増している」}という状況があります。
波動原理に類する理論・仮説は諸説あって、その種類は増加しています。
&bold(){「弦理論(げんりろん・string theory)」}は、&bold(){「粒子(量子)を0次元の点ではなく1次元の弦として扱う理論」「4つの基本相互作用を統一する」「極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、自然界の全ての力を数学的に表現した」}という理論です。「弦(げん)」は「ギターほか弦楽器や弓などの弦(ストリング)」の事、「紐(ひも)」とも例えられ(ひも理論)、弦理論では「弦(ストリング)のような振動している物質が万物の最小単位」としています。
(「4つの基本相互作用(自然界に存在する4つの力)」=「電磁気力(電磁力)」「弱い力」「強い力」「重力」)
(「超対称性」:「ボソンとフェルミオンの入れ替えに対応する対称性」「この論説では、標準模型の粒子たちに超対称性パートナーが存在することを予言する」「例えば、電子に対して、スカラー電子と呼ばれるスピン0で電荷-1を持つ粒子の存在が予言される」)
(「ボソン(ボース粒子)」:「スピンが 0 または整数の素粒子や複合粒子」、「フェルミオン(フェルミ粒子)」:「スピンが半整数( 1/2 , 3/2 , 5/2 …)の粒子や、奇数個の核子からなる原子核」「代表は電子」)
「超弦理論(ちょうげんりろん・superstring theory)」は、弦理論に「超対称性という考えを加え、拡張した理論」「弦の運動する時空を10次元とする」「4次元(3次元+時間空間)までは一般に認識できる」「残りの6次元は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できない」という理論で、現在「超大統一理論(万物の理論)」の有力候補とされています。似た理論に「弦の場の理論」「M理論」があります。
量子力学では、「量子」は&bold(){「粒子と波動の二重性」}を持つとされ、これは&bold(){「量子は粒子でも波動(波)でもある」}という性質です。&bold(){「弦理論」}の、この理論では&bold(){「全ての物理的実体は、ただ一種類の弦の様々な状態に対応する」「量子とは弦の振動により生じた物である」}としています。&bold(){「弦の振動から森羅万象が興る」}という弦理論と、&bold(){「全ては振動している」}という波動理論的な解釈論は共通性があり、両方を併せると&bold(){「全ての量子は究極的には弦であり、粒子状としても波動状としても存在する」}とも考えられます。
&bold(){「量子も重力も弦である」}ならば、&bold(){「ゼロ点の発生要因」である「量子と量子の衝突地点」「ゼロ点とゼロ点の交点」「(重力を含む)運動ベクトルがゼロの場所(ベクトルが釣り合った場所)」「幾何学的形態の中心」}について、この全要因を同一原理&bold(){「弦の運動ベクトルがゼロの場所」}で説明できます。例えば「幾何学的形態」では「中心点」=「形態内部で掛かっている応力がゼロになっている場所」=「弦の運動ベクトルがゼロの場所」です。とは言え「地球には重力ほかの外力が存在する」ので、「地球では幾何学的形態のゼロ点効果は低い」のが通例です(何らかの高波動状態の形成がある場合を除く)。こういったが外力があまり無い「宇宙空間では高いゼロ点効果が発生する」ことになります。
&bold(){「エレクトリック・ユニバース理論」「プラズマ宇宙論」「ホログラフィック理論」}や&bold(){「動的システム記憶仮説」「形式的因果作用説(形態形成場仮説)」「インテリジェント・デザイン説」}も、波動原理に類する理論です。これらはより「弦理論」より漠然とした理論ですが、部分的に「森羅万象の実相」により近い理論でもあります。
「動的システム記憶仮説」では「宇宙は素粒子などのミクロの世界から、星や銀河といったマクロの世界にいたるまでそれぞれがシステムであり、それら全てのシステムは、なんらかの情報を常に・永遠に、発したり受け取ったりしている。その情報のやり取りのなかで、"情報エネルギーシステム"に記憶が残る」「そのメカニズムはもっとも単純化した二つの共鳴する音叉の現象に還元して説明することができる」「星も自然も生物も物質も、この宇宙の全ての物は永遠で、生きていて、進化し続ける」としています。「形態形成場仮説」は「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播するという説」としています(記事25)。
&bold(){「螺動ゼロ場情報量子反応理論」}は、具体的な科学式などを用いて科学現象を解する理論で、科学者の高尾征治氏が唱えています。現在ある諸説の中では、「量子の具体的な所作と影響」まで踏み込んでいる事から「各種の観測結果・報告事例と理論の一致度」が高いものがあり、当サイトでは同理論に基づいた記述・仮説を多く記述しています。
波動理論は諸理論を融合していき、今後の時代に一気に深化します。ただ従来科学と異なり、&bold(){「機械計測による客観的評価が可能な事項(放射能除染効果など)」}だけでなく&bold(){「客観的な検証法が限定的にしか無い事項、現時点では存在しない事項」}が多数あり、そして&bold(){「波動原理の細部まで踏み込むほど、客観的検証が困難な事項が増える」}ので、&bold(){「波動理論の正誤の検証は難しい」}です。それでも様々な知見や理論・論説を、非常に多くの人が(いずれは全人類が参加するほどに)研究していくので、「波動原理や森羅万象の真の様相」は、将来的に解き明かされていくでしょう。
《「量子」「量子的性質」「波動原理」の最も基本的な概念・性質》
&color(white,gray){量子}
・「電子」「陽子」「中性子」「ニュートリノ」「光子」などの総称。
・全ての量子は「情報」を帯びている。
&color(white,gray){粒子と波動の二重性}
・「量子」は「粒子」でも「波動(波)」でもある、この性質についての概念。
&color(white,gray){波動}
・「量子」と「波動」は同物異称だが、用いられ方が異なる。
・「量子の、情報を帯びた物質としての側面」というニュアンスがある。
&color(white,gray){波動情報}
・「量子上の情報」を指す。
・「波動情報」の通りに「物質・生物・環境の状態は徐々に変化してゆく」。
・「意識」とも言える。
&color(white,gray){量子エネルギー}
・「量子(波動)のエネルギーとしての側面」を指す。
&color(white,gray){高い波動・高波動}
・「量子(波動)の含有が多い状態」「量子(波動)の発生が多い状態」や「良質の波動情報」を指す。
・高波動の状態だと「生命・物質・環境の長寿命化や状態改善」「良質の物質・元素の増加」が起きる。
《低い波動・低波動》
・「量子(波動)の含有が少ない状態」「量子(波動)の発生が少ない状態」や「低質の波動情報」を指す。
・低波動の状態だと「生命・物質・環境の短命化・劣化や状態悪化」「低質・悪性の物質・元素の増加」が起きる。
&color(white,gray){ゼロ点(ゼロ場・ゼロポイント)}
・「量子の運動ベクトルが無い状態(量子が全く動いていない状態)」。
・「ゼロ点とゼロ点の中間地点」でも「ゼロ点」は発生する。
・「ゼロ点」は環境中における「量子の発生場、共鳴・増加の場」「斥力(反重力)の発生場」「量子が重力を獲得する場所」である。
・ゼロ点は、規模が小さい物なら常にどこにでも発生・生滅していて、大規模なゼロ場を人為的に作ることもできる。
・「相反する運動ベクトルが釣り合った場所」は「ゼロ点」になるので、例えば「体の伸び」「音・声」ほか、あらゆる場所で「ゼロ点の生滅」は起き続けている。
・拠って、量子は常にあらゆる場所で発生している。
&color(white,gray){ゼロ点効果}
・ゼロ点で発生する上記の効果。
&color(white,gray){ゼロポイントエネルギー(Zero Point Energy・ZPE)}
・言葉の用法は2通りある。
・「ゼロ点から湧出する量子エネルギー」を指す。
・「莫大・清浄・無限の電力(フリーエネルギー)」「大規模な斥力の発生」ほか、多くの現象が発現する。
・このエネルギーは、使用するだけで付近が浄化され、健康体になっていく。
・現代科学における用法「絶対零度の基底状態(エネルギーが最低の状態)でも、なお起きる振動を零点振動(ゼロ点振動)と呼ぶ」「ゼロ点振動のエネルギーを零点エネルギー(ゼロ点エネルギー)と呼ぶ」「この振動の原因は不確定性原理である」
・しかし波動原理では「零点振動(ゼロ点振動)と零点エネルギー(ゼロ点エネルギー)は、原子周辺のゼロ点から湧く量子エネルギーがエネルギー源である」と説明され、またそもそも不確定性原理が誤りである。
&color(white,gray){量子もつれ}
・「同種の情報を持つ量子同士」は「相関関係(もつれ合う・絡み合う)」が生じる。
・「量子もつれ」の関係にある量子同士は、「片方の状態が変化すると、距離に関係なく即時に、もう片方の量子も同様に変化する」という性質がある。
&color(white,gray){共鳴}
・「量子同士が衝突した時」「ゼロ点・ゼロ点とゼロ点の中間地点」「量子もつれ」「あらゆる同調状態」においては「共鳴」状態が発現している。
・「共鳴」が起きると「量子(波動)の量が増大する」。
・「音・声や海の波などが同調して、波形が大規模化した時」も「共鳴」の一種である。
&color(white,gray){量子的飛躍(Quantum Leap)}
・日本語では「量子飛躍」「量子的飛躍」、英語では「Quantum Leap(クオンタムリープ}」「Quantum Jump(クオンタムジャンプ)]と呼ぶ。
・言葉の用法は3通りがある。
・上記の「共鳴の発生要件」により「量子(波動)は、ある閾値を超えると、乗数的に量が増大していく」という性質がある。
・この効果による劇的な社会変化も「量子的飛躍」と呼ぶ。
また、特に精神世界では「Ascension(アセンション)」と呼ぶことが多い。
・物理において量子跳躍とは、原子内の一つの電子がある量子状態から別の状態へ不連続的に変化することである(外殻電子の遷移)。
その電子は、一時的に重ね合わせ状態にあった後、あるエネルギー準位から別の準位へ非常に短時間で「跳躍」する。
《「波動原理」の概略を、基本的に「螺動ゼロ場情報量子反応理論」を基に記述(他論も一部含む)》
・全ての「量子・素粒子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノなど)」は
「情報」を帯びている。
・「量子の、情報を帯びた物質としての側面」についての概念として
「波動」「気」などの名称がある。
・量子の情報を意味する「波動情報」は、
量子中に「ホログラム」のように記録されていて、
「森羅万象はホログラム状の波動情報の投影」である(項目6③ホログラフィック理論)。
・「ゼロ点」は「量子の運動ベクトルが無い状態(量子が全く動いていない状態)」である。
・「ゼロ点とゼロ点の交点」でも「ゼロ点」は発生する。
・「ゼロ点」は「音・声の中心点」「無意識・意識が空の状態」も含めて、常にどこででも生滅している。
・「ゼロ点」は環境中における「量子の発生場、共鳴・増加の場」「反重力の発生場」「量子が重力を獲得する場所」である。
・微細であるほど波動が高くなり、拠って「プラズマ」は波動が高い。
「ゼロ点」も「プラズマ状態」である。
・量子は「量子もつれ」の現象を起こす。
これは「共通する波動情報を持つ量子(波動)同士は、片方の状態が変化すると、もう片方の状態も変化する」
「ある波動の状態が変化すると、量子もつれ関係にある他の全波動の状態も変化する」という性質である。
・「量子もつれ」の関係にある量子同士は「距離に関係なく、例え宇宙の果て同士でも、即時に共鳴(状態変化)する」。
・「量子・波動情報」は「距離と時空を超越する」
「距離も、過去・現在・未来も関係なく、共鳴しあう」という性質がある。
・「量子もつれによる複数の量子の状態変化」と「物理的に量子同士が衝突した時」と
「ゼロ点」においては、「共鳴」という現象が発現する。
・量子(波動)の「共鳴」が起きると、「量子の増加」が起きる。
・これにより「共通する情報・意識・性質の物・・・は共鳴しあい、波動が増加する」
「距離と時間(時空間)に関係なく、同質の情報は共鳴しあっている」
「距離的に近いもの同士は、波動的影響を相互に与えやすい・受けやすい」 という性質がある。
・「量子・波動の共鳴・増加の発現頻度の多寡」は、
「波動情報の共通性」「距離」「位置関係」という要素に大きく左右される。
・これにより「波動の高い物・場所やゼロ点同士が(特に共通する情報同士)、
幾何学的な配置にあると、その中心部で波動が大量発生・増加する」という現象が起きる。
・空間には「実空間」と「虚空間」があり、その間に「ゼロ点」がある。
「実空間」‐「ゼロ点」‐「虚空間」という並び方になる。
・「ゼロ点」とは「実空間と虚空間の結節点」である。
・「ゼロ点」を境界に、実空間の量子は虚空間へ、虚空間の量子は実空間へ流れ、両空間を行き来する。
・「量子」は「ゼロ点」を経由して、次のような流れで虚実空間を往来し、変化してゆく。
「虚光子」⇔「ゼロ点」⇔「実光子・正反ニュートリノ・正反電子」⇔
「中間子・クォーク対」⇔「中性子」→「陽子・電子・反ニュートリノ」→「水素」
・「ゼロ点から実空間へ表れた量子」は、「螺動ゼロ場ゼロ点)」で「質量を獲得」する。
これは「ヒッグス場」の概念に対応する物である。
・「ニュートリノ」が「原子の中性子・陽子」に衝突すると、「元素変換」が発生する。
「正ニュートリノ」が衝突すると「元素周期表で1つ右の重い元素」に変換され、
「反ニュートリノ」が衝突すると「元素周期表で1つ左の軽い元素」に変換される。
・「元素変換」「物質の合成」の頻度は、物質と場の「波動情報」に非常に大きく左右される。
・「高波動」の状態は、「良質・無害な物質・元素への合成・変換」「生命・物質の長寿命化・永続化」を齎す。
・生命・物質・環境の状態改善の作用は、「量子の波長・周波数が揃った状態」=
「単一波長・コヒーレント状態・斉一性が高い状態・低エントロピー・・・」だと、より効果・発生頻度が増加する。
・これらや、他の諸効果もあいまって、
「波動の大量発生」→「元素変換・無害化」「状態改善・永続化」という循環が起きる。
・一般的用法における「斥力」は「反発し合う力・互いを遠ざけようとする力」、「引力」と「斥力」は対の性質である。
・「4つの基本相互作用(自然界に存在する4つの力)」=「電磁気力(電磁力)」「弱い力」「強い力」「重力」
「強い力(強い相互作用)」は「原子核内で核子(陽子・中性子)を束縛している力」「原子を結束させる力」
「弱い力(弱い相互作用)」は「量子同士が非常に近い距離で影響しあう引力と斥力」
・「電磁力・弱い力・強い力」には「引力と斥力」が確認されているが、従来科学では「重力」は「引力」のみが確認され、「斥力(反重力)」は確認されていない。
・しかし「ゼロ点」では「反重力」が発生する。
・「統一場理論」は「4つの力のうちの、2~3個の力を統一的に記述する理論」
・「超大統一理論(万物の理論)」は「4つの力を統一的に記述する理論」
しかし、従来科学が想定する「超大統一理論」には「反重力」が含まれていない。
・「波動理論」は「反重力も含めて、4つの力を統一的に記述する理論」
拠って真の「超大統一理論」は「波動理論」である。
・「波動理論」に則った理論や、類する理論として「弦理論」「超弦理論」「弦の場の理論」「M理論」「エレクトリック・ユニバース理論」「プラズマ宇宙論」「ホログラフィック理論(項目6③)」「動的システム記憶仮説」「形式的因果作用説(形態形成場仮説)」「インテリジェント・デザイン説」「螺動ゼロ場情報量子反応理論」ほか、各種の理論がある。
・人間も生命も自然も物質も、凡そあらゆる事象は、波動により成り立っている。
「宇宙のありとあらゆる現象」も、何もかもが根源的には「波動原理により存在する物」である。
・意識も、想像上の事物であっても、
「想念を浮かべれば、それに対応する波動が存在、その波動には情報が内在する」となる。
・「意識同士も量子もつれ→共鳴→波動の増加を起こす」という効果により、「想念の現実化効果」が発生する。
・「超能力」といわれる能力の多くは、波動原理により起きる物で、
実際には全ての人間が有していて、その効果が顕在化しているかいないかの違いだけである。
・波動的な能力は「個人の意識・練度・過去生」などにより、大きく異なる。
・「効果発現までの期間は超長期的(転生後や後代)であっても、個人でも社会でも、意識の高低が幸不幸・能力などを決する」と言える。
・地球上の出来事・行く末は、「地球上の土地・生命などの波動の量・質」と共に、
「人類の集合意識(人類全体の意識の高低と、波動の量の総和)」に非常に大きく左右される。
・「意識体」は「量子の集合体」で、どこにでも普遍的に存在する。
・知的生命体・生命の実体は「意識体」であり、それは「霊魂」などとも呼ばれる。
「量子・波動情報」は不滅なので、「霊魂」も不滅であり、「生誕時に肉体に霊魂が入り込む」ことにより、霊魂は転生を繰り返す。
・一部の意識体は「神」などと定義されている。
・「意識により、対象の事物・概念に対して、波動や効果を増加させるなどの現象を起こせる」
「量子は時空を超越する(時間・距離に左右されない)」などの量子的性質により、「信仰の効果」が発生する。
これにより「土地・生命・意識・物質の浄化」「社会改善」ほか、数多の効果が発生する。
・「量子的飛躍(quantum leap)」の効果により、
「量子・波動の効果は、ある範囲・閾値を越えると、
その効果や現実化の量・速度が、乗数的に上昇し続ける」という性質を持つ。
・「大規模なゼロ点(ゼロ場)」からは「フリーエネルギー」「大規模な斥力(反重力)」が発生する。
これにより「高波動で無限・莫大な電力」「UFOなどの浮上型乗り物」ほか、数多の利便を享受できる。
・これらの科学原理を「波動原理」と呼ぶ。
波動原理においては「従来科学枠内の一部事象(別解釈になる)」「多くの従来科学の未認知事象や、作用原理が不明の事象」「医学界が未認知の多種の健康法・療法」「音楽・声・音・色彩など作用」「気・オーラ」「ツボ・チャクラ」「聖地・風水・ゼロ磁場」「ピラミッドパワー」「世界各地の伝承の一部」「精神世界の一部」ほか、古今東西の多くの事象を説明できる。
・「波動原理」にはこれ以外にも、非常に多くの原理と、無限の効果・現象が存在する。
波動原理は森羅万象を支配する、宇宙における最も重要・根幹・中枢の科学原理である。
・多くの事例・報告例・実験・観測結果について、波動原理を考慮しないと、全く説明ができない。
・波動原理の認識普及が進むと、環境・社会・技術・日常生活その他、何もかもが全面的に変容し、
世の中の全ての常識・認識論を覆すほどの、社会の完全変革・パラダイムシフトが起きる。
(以上の内容は、項目6の各項目に、異なる側面から記述してあります)
(詳細は異なる可能性があります)
《弦理論》
・「ひも理論」「ストリング理論」とも呼ばれる。
・粒子(量子)を0次元の点ではなく、「1次元の弦」として扱う理論。
・極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、自然界の全ての力を数学的に表現した。
・「4つの基本相互作用(4つの力)」を統一する。
・「場の量子論」では、「クォーク」「レプトン」「ゲージ場」といった多くの種類の量子場が存在する事を前提としている。
「弦理論」の描像では対照的に、「全ての物理的実体は、ただ一種類の弦の様々な状態に対応する」としている。
・弦は自然長ゼロ、自然長の状態での質量もゼロ(だが特殊相対性理論から、弦が振動エネルギーを持つ時にはE=mc2の関係式で質量を持つ)で、張力「T_0=\frac{1}{2 \pi \alpha^\prime \hbar c}(表記不能)」のみを手で与える。
・張力はたとえ変えても系全体が相似に拡大縮小されるだけなので、内部で起こる物理には影響を及ぼさない。
・α'はレッジェの傾きパラメータと呼ばれ、歴史的な理由から張力そのままではなくこのパラメータが用いられる。
あるいは、長さの次元を持ったパラメータ「l_s=\hbar c \sqrt{\alpha^\prime}(表記不能)」を代わりに用いる事がある。
・ハドロンの弦理論では核子の大きさ程度、量子重力理論としての弦理論ではプランク長程度に取られる事が一般的である。
・作用(≒弦の持つエネルギー)は、空間に時間を加えた二次元面の表面積に比例し、南部=後藤作用と呼ばれる。
・あるいは同値であるが経路積分での扱いが容易なポリヤコフ作用が用いられる事もある。
・観測される粒子は、ごく短い弦が振動しながら飛び回る状態として記述される。
・以下最も簡単な例として、26次元時空の平坦な時空について、「閉じた弦」と「開いた弦」の振る舞いを見る。
・まず開いた弦について、最も低いエネルギーの状態は振動せず飛ぶ弦である。
・次の状態として、ある一つの方向に自由端定在波一倍振動をする弦がある。
・量子的な弦なので振幅は量子化され、1量子分のエネルギーを持った状態が第一励起状態となる。
・さらに、量子効果として振動の零点エネルギーへの寄与がある。
・相対論的な弦の場合、この量子効果はマイナスに働き、
最低エネルギーの開弦は負の質量二乗(虚数質量)を持つスカラー粒子、「開弦タキオン」となる。
・一方、第一励起状態の弦は質量ゼロとなり、横波24成分を持つ「ゲージ粒子」となる。
・閉じた弦は定在波だけでなく進行波を許すので、物理的自由度は二倍となる。
ただし、弦が内部構造を持たない実体であるという制限から、状態の数は減る。
・その結果、基底状態は「閉弦タキオン」、第一励起状態は242の成分を持った「ゼロ質量テンソル粒子」で、
うち対称な成分が「重力子」、トレース成分が「ディラトン」、反対称な成分が「2-形式ゲージ粒子」となる。
・「2-形式ゲージ粒子」は、粒子が持つ電荷と結合するゲージ粒子の拡張で、弦が持つ「ストリングチャージ」と結合する。
・これらより重い状態は、lsをプランク長程度とすると最低でも1/√α'=プランク質量の質量を持つため、とりあえず無視される場合が多い。
・弦は空間的広がりを持つため、空間の形によって運動の形態が変わりやすいという特徴がある。
たとえばカルツァ=クライン理論のような空間座標の巻き込みコンパクト化を、特に小半径の場合で考えると、粒子の場合は波長が短くなる事によってそちら側への励起が単純に起こりづらくなるが、弦の場合は「巻き付き」という、半径が小さいほど励起しやすいモードが存在する。
結果的に、半径がRの時と1/Rの時の物理的自由度の数が等しくなる(T双対性)
・これに加え、重力子の見かけ上の運動方程式はほぼアインシュタイン方程式になり、一般相対性理論が与える重力場の解が弦理論の古典解となる。
・特に重要なのは「ブラックブレーン」と呼ばれる「質量を持った膜」の解である。
一般相対論とは独立に、弦理論からT双対性を用いて、通常の空間方向を体積0の空間と対応させる事によって得られる「Dブレーン」は、ブラックブレーンの弦理論による説明であるとされる。
・弦理論からの解釈によれば、Dブレーンは開弦の端点が「繋がる」事ができ、開弦の運動がその空間に制限される。
・N枚のDブレーンが重なっていた場合、開弦から得られるゲージ場はどのブレーンに端点を持つかによってN2の種類を持ち、U(N)の非可換ゲージ理論を再現する。
・T双対性との兼ね合いから、全く自由に見える開弦も、全空間を満たすD25ブレーンに繋がる事を要請される。
・ディラトン場は結合定数の強さを与える。
・弦理論は場の種類はおろか、調節可能なパラメータすらない「唯一の理論」である。
しかしこれら空間のコンパクト化やブレーンの配位などを用いて、一つの理論に対して無数ともいえる「真空状態」が導かれ、弦はそれぞれの真空で異なった振る舞いをする。
・ただし、ボソン弦理論では全てのDブレーンは安定した存在ではない。
レーン配位が威力を発揮するのは超弦理論においてである。
どのような理論が得られるか、特に我々の4次元時空に相当するものが得られるのか、については、弦理論の主要な関心事である。
《超弦理論》
・弦理論に「超対称性」という考えを加え、拡張した理論。
・弦の運動する時空を「10次元」とする。
・「4次元(3次元+時間空間)」までは一般に認識できる。
・残りの「6次元」は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できない。
・弦には「閉じた弦」と「開いた弦」の2種類を考えることができる。
「開いた弦」は「スピン1のゲージ粒子(光子・ウィークボソン・グルーオンなどに相当)」を含み、
「閉じた弦」は「スピン2の重力子」を含む。
・超弦理論には5つのバージョンがあり、それぞれ「タイプI」「IIA」「IIB」「ヘテロSO(32)」「ヘテロE8×E8」と呼ばれる。
この5つの超弦理論は理論の整合性のため「10次元時空」が必要である。
・「11次元超重力理論」をその低エネルギー極限に含んだ「M理論」は、更に1次元を加えて合計「11次元」を必要とする。
・これら6つの理論は様々な双対性によって互いに繋がっている。
・超弦理論の5つのバージョンを統合するものとして「M理論」が注目されている。
・弦の振動は、コンパクト化されている6次元により制約を受け、その振動の形により、特定の量子を形作っている。
・超弦理論では基本的物体は「1次元の弦」であったが、M理論では加えられたもう1次元によって基本的物体は「2次元の膜」であると提唱されている。
・超弦理論で表記される10次元中には「Dブレーン」と呼ばれる様々な次元の拡がりを持ったソリトンが存在する。
・「Dブレーン」は、もともと1次元の弦が端点を持ちうる空間として定義されているものだが、重力子等の閉じた弦はこの空間に依存せずにブレーン間を往来する。
・超弦理論は重力の量子論の有力な候補であり、現時点でも特殊な条件の下でならブラックホールのエントロピーに関する問題に答える事ができる。
ブラックホールのエントロピーは表面積に比例しているが、この事実をDブレーンに張り付いた弦の状態を数え上げる、という方法で導き出している。
これは熱力学のエントロピーを統計力学の手法で導き出すことに対応している。
・ブレーン描像を宇宙論に適用した理論は、「ブレーンワールド」と呼ばれ、典型的な模型では我々はこのブレーンの上に住んでいることになる。
・このモデルでは、量子力学で使われる3つの力に対して、何故重力が極端に弱いのかを説明がつけられるとしている。
つまり、他の「3つの力」、即ち「電磁気力(電磁力)」「弱い力」「強い力」に比較して弱いのは、他の次元にその大半が逃げてしまっているためと考えられる。
・これに関連して、例えば宇宙論のインフレーションをブレーンの運動で捉えるなど、様々な研究がなされている。
・超弦理論は素粒子の標準模型の様々な粒子を導出しうる大きな自由度を持ち、それを元に現在までに様々なモデルが提案されている。
・この理論の想定する「ひも」の大きさが実証不可能に思えるほど小さい(プランク長程度とすると 10-35m)ことなどから、物理学の定説としての地位を得るには至っていない。
また今後実証されるかどうかも未知数の理論である。
・一般相対性理論と量子力学の折り合いをつけた「量子重力理論」を構築することは、物理学者を悩ませていた大問題であった。
超弦理論は、その問題を解決する可能性をもった理論である。
《螺動ゼロ場情報量子反応理論の概略》
・「実空間」「ゼロ場(ゼロ点・ゼロポイント)」「虚空間」の3つの場・空間が存在する。
・実空間は「物質社会」、虚空間は「精神世界」と呼べる。
・双方の空間は「陰陽原理」に基き、対極的性質を持つ。
・ゼロ場は常にどこにでも、生滅し続けている。
・ゼロ場を介して、実空間と虚空間の間を量子が相転移する(行き来する)。
・『「虚光子」⇔「ゼロ点」⇔「実光子・正反ニュートリノ・正反電子」⇔「中間子・クォーク対」⇔「中性子」→「陽子・電子・反ニュートリノ」→「水素」』という変換が起きる。
「虚光子」は「虚空間にあり、「実光子」以降は「実空間」にある。
質量が無い「実光子」と、質量がある「正反ニュートリノ」「電子・陽電子(反電子)」は、「虚光子」との間で相転移する。
この変換過程は可逆的反応で、「光⇔物質(光は物質になり、物質は光になる)」という双方向性の性質がある。
・「ニュートリノ」が「原子の原子核(中性子・陽子)」に衝突すると「元素変換」が発生する。
「正ニュートリノ」が衝突すると「元素周期表で1つ右の重い元素」に変換され、
「反ニュートリノ」が衝突すると「元素周期表で1つ左の軽い元素」に変換される。
・ゼロ場では「元素合成」もされる。
・ゼロ場で発生した量子は「螺旋軌道」を辿る。
・物質世界(≒実空間)は有限で閉じていて重力支配である。
精神世界(≒虚空間)は無限で開いており斥力(反重力)支配である。
・物質世界(≒実空間)へ情報量子エネルギーが相転移する場合には、物質世界側は発熱的に変化し物体重量が一時的に軽くなる。
精神世界(≒虚空間)へ情報エネルギーが相転移する場合には、物質世界側(≒実空間)は吸熱的に変化し物体重量が一時的に重くなる。
・量子(波動)は意識(情報)を有し、意識に感応して、「意識粒子」と呼べる。
・ゼロ場は、物質が重力を獲得する「ヒッグス場」で、また「斥力(反重力)」が発生する。
・「幾何学的形態による波動共鳴」が起きる。
幾何学的形態は共鳴効果が高く、その中心点はゼロ場となっていて、大量の量子が発生する。
・「正六角形」では「正ニュートリノ」、「正五角形」では「反ニュートリノ」が発生・増加する。
・「プラトン立体等」「芒星」「黄金比」「フィボナッチ数列」「螺旋」など、高度に幾何学的な形態は特に効果が高い。
・「珪素」「炭素同素体」は重要である。
・最小最軽量の原子「水素」は、光から最初に作られる物質で、量子としての性質を有する。
この「波動原理の初歩的な概略」の「螺動ゼロ場情報量子反応理論」に関する部分は、幾つかの項目で諸説があります。「虚空間」については「「多次元世界」「平行世界」のを想定論も有力です。「ゼロ点(ゼロ場)」について、量子が重量を獲得する「ヒッグス場」となっているという解釈は、今のところ他の論説では見当たりません。『「虚光子」⇔「ゼロ点」⇔「実光子・正反ニュートリノ・正反電子」⇔「中間子・クォーク対」⇔「中性子」→「陽子・電子・反ニュートリノ」→「水素」』、こういったサイクルについては諸説あるでしょう。
記事1:
こころの時代
人間の意識が社会に与える影響を示した有名な実験があります。1972年米国の人口が1万人以上の24都市で1%ほどの人(100人)が平和をイメージする瞑想法を行った結果、犯罪率が明らかに低下しました。また1988年の中東国際平和プロジェクトと呼ばれた実験でも、平和をイメージする瞑想法を行うと、その期間中は犯罪率の低下、病院救急救命室の搬送件数の減少、交通事故数が明らかに減少したのです。その結果、人口の1%の平方根の人数が、社会に影響を及ぼす最小必要人数であることまで分かってきました。つまり人間の意識状態が周囲に影響を及ぼすことが示されたのです。
http://is.gd/UFZapl
記事2
:“ 新月の祈り ”
10年以上にわたり『祈り』の効果を客観的に研究している機関に「スピンドリフト」という組織があります。
そこでは麦の発芽と『祈り』の関係を実験して、祈り方や祈りの時間の長さ等々、効果のある「祈りの方法」について調査をしました。
その結果、以下の7つの特徴がわかってきました。
①『祈り』は実現する
②苦しい時ほど『祈り』の効果がある
③『祈り』の量は『祈り』の効果と比例する
④対象を明確にした祈りが効果的
⑤祈りの対象の数が増えても効果は減らない
⑥祈りの経験の長い人ほど祈りの効果が大きい
⑦「無指示的な祈り」は、「指示的な祈り」より効果が大きい
http://is.gd/GqZUDo
記事3:
祈りの力
むろん、この事は患者は知らないので、フラシーボ的な効果は考えられませんが、祈られるグループの患者は、祈られなかったグループに比べて、透析、呼吸器、抗生物質などの使用量が少なく、病気の進行を遅らせていることが判明したということです。
http://is.gd/6eZsWB
願いを叶える方法
http://is.gd/BnmiIs
記事4:
「ひふみ祝詞」の効果にビックリ
さらに驚いたことは、
「ひふみ祝詞」を奏上しながら種を撒いた作物の生育状況を、目の当りに見たことです。
その後、唱えた方の小松菜は順調に育っていると聞いていましたが、
昨日、初めてその現場を見てビックリしました。
小松菜があんまり元気良く育ち過ぎて、
大松菜になってしまっています(笑;)
http://is.gd/V4pdH3
記事5:
植物は気づいている
わたしの考えと意志は 「あの葉っぱを焼いてやろう!」 というものだった。葉を焼くことをイメージした瞬間、ポリグラフの記録ペンは表の1番上まで跳ね上がった! 何も話していないし、植物に触れてもいない、マッチをつけたわけでもない。ただ、葉に火をつけてみようという明確な意思があっただけだ。ところが植物の記録は、葉が劇的に興奮したことを示していた。
http://is.gd/Yl7P8F
植物は考える
私は、刺のないサボテンを創る実験の最中、しぱしサボテンに向かって愛の念波を注ぎながら話しかけたものです。 「ここには、お前の怖がるものは何もないよ」私はよくこう言ってやりました。「だから、刺など生やして身を守る必要はないのだ。私がお前を守ってやるからね」と。 するとこの有益な砂漢の植物は、次第に刺のない状態に変化していったのです。
http://is.gd/3N7YzT
「屋内栽培でイチゴをそだてているのですが、毎日『今日は元気かい』という感じで水をやったりしていると、その気持ちが通じてか、心なしか育ちが良いように思います。インディアンの人たちなども植物の気持ちになって、作物を育てるらしく、常識はずれの大きな野菜とかを収穫していると聞いてます。
http://is.gd/xqJomy
記事6:
波動エネルギーの実験
その実験とは、「普通に炊いたお米を2つの同じガラス容器に入れ、一方には『ありがとう!』、もう一方には『ばかやろう!』と言葉に出して毎日声をかけ、それを1ヵ月間観察する」というものでした。
そしてその結果、『ありがとう!』と声をかけ続けたごはんは、半ば発酵状態となり、匂いを嗅ぐと芳醇な麹のような良い香りに。一方『ばかやろう!』のごはんは真っ黒に変色して腐り、その臭いたるや・・・・・ひどいものでした。
(1)メモ用紙を2枚用意し、同じ意味の旧字体「氣」と新字体「気」を書き、壁などに少し離して貼ります。
調べられる人(被検者)は、利き手の親指と人差し指で、丸い輪(O-RING、オーリング)を作ります。
(4)調べられる人(被検者)は、旧字体「氣」の方が指に力が入ります。新字体「気」の方は、指に力が入らずにオーリングが開きます。
このことにより、文字から出ている波動エネルギーの高さを比べることができます。
コーヒーに向って「なんとおいしいコーヒーでしょう」と心から思うと、コーヒーの味はまろやかになります。コーヒーの持つ波動をあなたの波動で高めたために起こった現象で、コーヒーが「良質化」したものです。
当然の事ながら、苦いコーヒーよりもあなたの波動エネルギーが低いとしたら「良質化」あるいは「活性化」の様な現象は起きません。
「こんなまずいコーヒーは飲めない」と本気で思うと、コーヒーは苦くてまずくなります。「まずい飲み物」というあなたの意識(想い、想念)がコーヒーに入ったのです。このコーヒーを飲んだ人は、憎しみのく想念エネルギ―(波動エネルギー)を体内に取り入れることになるから、波動が一気に低下します。
食べ物や飲み物の味を簡単に変えてしまう力は誰でも持っているのです。正しく使えばおいしくなり、間違って嫉妬や妬み、恨みの心で使えば一瞬にまずい食べ物や飲み物になってしまいます。
このように私たちを取り巻く想念エネルギ―(波動エネルギー)はいろんな意識を持っています。意識を持った波動エネルギーは私たち人間が放出したものです。
私たちが日常的に放出している想念エネルギー(波動エネルギ―)が非常に強烈な影響を周囲に与えています。
http://is.gd/KHOMol
This Will Blow Your Mind - The Secret Power Of Words
http://is.gd/aqSMEg
記事7:
もう一つ、面白い実験報告があります。
なんと、笑いで放射能が下がったのです~!!
二本松での車中、大笑いすると、 1,8μ㏜ が半分にー(過去2回やりましたが同様です) ぜひ皆さんもチャレンジしてみてください~ 日本中が明るくなる可能性大です。。!!
http://is.gd/vVdeBN
・シータヒーリング
か~なり精神論みたいになってきたけど、宗教ではないよ~
なんだか、遠隔ヒーリングで都内の線量が下がったって♪
遠隔受けた人がガイガーで測って驚いたんだて(*^_^*)
11月に講習申し込んじゃった♪
http://is.gd/CVDNl2
記事8:
中性子=意識=調和、陽子=意志=愛(足立波動論)の意味が科学的に読み解けた!
http://is.gd/o1JHqZ
記事9:
「量子もつれは時間も超越」:研究論文
2つの粒子が互いに相関を持つ「量子もつれ」の現象は、空間的に離れた粒子間だけでなく、時間的に離れた粒子間でも成立しうるとする研究論文が発表された。
通常の量子もつれにおいては、2つの粒子(通常は電子か光子)は密接に相関し、1つの量子状態(これにはスピンや運動量その他、多くの変動要因がある)を共有している。1つの粒子は、もう一方の粒子の状態を常に「知って」いる。量子もつれの関係にある一方の粒子の状態を測定すると、もう一方の状態も同時に定まる。
「われわれの言うところの時間的もつれを利用すれば、(量子メッセージは)時間内を、途中のポイントを飛び越えて移動することがわかる」とOlson氏は話す。「数学的には何の違いもない。通常の量子もつれにおいてできることはすべて、時間的もつれにおいても可能なはずだ」
http://is.gd/OcA7Wz
「量子レーダー」研究:「もつれ合い光子対」を使った画像作成に成功
http://is.gd/7Z4HBk
記事10:
十年以上前にワンダーゾーンという関口宏が司会を務める
不思議なことを解明するテレビ番組があって、
「神秘の図形」というものの形の不思議を取り上げた回では、
六芒星の持つエネルギーをスタジオでの実験で確かめていました。
大きめの画用紙に上のような六芒星をマジックで手書きし、
その画用紙をお腹に挟んで重いバーベルを持ち上げたところ、
女優の鶴田真由をはじめ何人かのゲストが
前よりもラクラクとバーベルを持ち上げることができ、
スタジオが驚きの歓声に包まれていました。
http://is.gd/Y41WHj
記事11:
「テラヘルツ波」とは、1秒間に1兆回振動する遠赤外線の様な光の周波数になります。
1秒間に1兆回も振動するのは、日常では考えられないことですが、原子とか分子のミクロのレベルでの振動になります。
ミクロのレベルの視点からだと人間は振動する原子の集団であり、振動する際にテラヘルツ領域の光のオーラを発しているのです。
オーラは、よく見かける仏像の光背でもあります。
光背とは、仏像・仏画をはじめキリスト教の聖人などで、体から発せられる後光のことです。
「テラヘルツ波」の研究が進んで、一般的になれば、人体から出ている光のオーラは、科学的にも当たり前のことになってきます。
現代人の多くは人間が光を発しているのを見ることはできませんが、昔の人の感覚は敏感だったのですね。
「テラヘルツ波」は、今までは計測技術がなかったため永らく未踏の領域でしたが、近年になり分析できる技術が進歩してからは、注目度が高まり・・・日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、ロシアなどが研究に力を注いでいるそうです。
工業、医療、農業、通信、バイオ、エネルギー、食品、福祉、環境、美容など、様々な分野に革新的な進歩を及ぼすテクノロジーとして期待されています。
氣のエネルギーが様々な産業に実用化されるようなものですから、しかも計測できる波長を確かめながら実用できるのですからすごいことです。
これは、人類に多大な恩恵をもたらします。
さて「テラヘルツ波」は、周波数が1兆ヘルツ前後で、自然界のあらゆる物質が放射している波動だということです。
最も多く放射しているのが人体です。
そして、赤ちゃんが一番放射が多いと分析されています。
赤ちゃんの意識レベル=エネルギーレベルは350と、一般の人の平均200前後よりもはるかに高いので、テラヘルツ波の分析はキネシオロジー・テストの測定とも一致しています。
赤ちゃんは純粋なので、それだけエネルギーが高いのでしょう。
http://is.gd/CHQpSr
記事12:
子供たちの「超能力」と「天目」
http://is.gd/iU6rCQ
記事13:
「3.11」とタイムスリップ・ゾーン
昨年3月11日に東北地方・太平洋岸で発生した未曾有の巨大地震と大津波。そしてさらに、続けて起きた福島第1原発のメルトダウン、放射能放出事故―。誰もが衝撃と混乱の只中に巻き込まれていたその時、被災地のど真ん中で、信じがたい超常現象が発生していたという情報がある。津波が引いた後の瓦礫の街で、“時間を超えた”としか思えない体験者の報告が寄せられているというのである。
大地震・大津波を起こした地球のエネルギーと、原発のメルトダウンは、ひょっとしたら科学者の予想をはるかに上回る、想定外の現象を引き起こしてしまったのかもしれない―。
東日本大震災の被災地で“時空の揺らぎ”現象が起きていた
昨年9月に、アメリカの超常現象誌『アトランティス・ライジング』2011年9・10月号に掲載された英文の取材レポートがある。
そこには日本の女流物理学者―今井理佐教授(仮名)が、震災直後の被災地で自ら実地調査した自らの物理理論を裏付けるという異常な超常現象が報告されている。
東京在住の物理学者・今井理佐教授は、東日本大震災の際に、多数の日本人が時空連続体の基本構造に発生した“時間の遅れの波紋”を体験したと主張する。
今井教授が被災地で現場調査を行ったところによると、「3.11」震災直後、宮城県仙台近郊の海岸地帯の被災地で、「時間を超えた」、あるいは時空の揺らぎを体験した―という被災者が実は多く存在しているというのだ。その一つの事例はこうである。
―仙台市近郊の沿岸部が津波に全てを押し流された数日後、被災地の現状を調べ、また行方不明になった家族を捜す目的で、避難した被災者の一団が、ワゴン車で被災の現場に戻ってきた時にその現象は起きた。
小道を走っていたワゴン車は突然、異様な形をした“雲”のようなものに突入した。
真っ昼間だったが、雲はかすかに光っていて、車が進むにつれて長く伸びながら包み込むように見えたという。その間、数瞬間、ドライバーも含めて同じクルマに乗り合わせた全員が、クルマの両側に昔懐かしい古風な村落の風景や人間を目撃したのだ。
ただ、それは昔は昔でも、どこかひどくちぐはぐで、違和感を感じさせる奇妙な景色だった。
体験者の一人で避難者グループに付き添っていた警防団員、中村東治氏の証言によれば、古い写真でよく見るような英国のビクトリア王朝時代と、日本の江戸時代をミックスしたようなへんてこな光景で、シルクハットの紳士たちと顔をペイントした着物姿の娘たちが腕を組んで歩いているかと思えば、向こうでは伝統的な侍姿のいかつい男たちが闊歩していたという。
「一瞬、映画の撮影現場に間違って迷い込んだのかと思ったほどだったが、被災現場を撮影する人はいても、こんな時期にこんな場所で、時代劇みたいな映画を撮っているはずはないし―」
中村氏とグループ一行の主張では、景色は不安定に揺らめいてはいたが、確かに昔の家屋が立ち並び、人々が生き生きと動き回っている村か町の光景だったという。
さらにハンドルを握ったまま呆然としてしまったという政府機関員A氏(保安上の理由で匿名)は、続けてこう証言した。
「1分かそこら車が進むうちに、あの奇怪な“雲”が消えた途端、まるで瓦礫に乗り上げたようなショックを車体に感じた。次の瞬間、周りの“幽霊じみた世界”が、元通りの見慣れた世界に戻っていた―」
他にも何人もの被災者が、封建時代から1940年代とおぼしい時代までの歴史世界、ないしは時間軸が微妙に異なるパラレルワールド的別世界の光景を、時空を超えて垣間見たという報告があるという。ほとんどの事例は、上記の被災者グループの集団体験よりもずっと短時間、“過去”を覗き見した瞬間的タイムスリップに過ぎないが、今井教授の調査報告の中で最も特筆すべき特異なケースは、被災男性が一人、妻の目の前で“時空の穴”に消えてしまったという驚くべき事件だ。
震災4日目の3月15日、藤原淳子さん(仮名)は、夫の久和氏がほんの一瞬間だけ目の前に開いた“時空の穴”に吸い込まれるのを見て、恐怖の悲鳴を上げた。夫人の証言では、“時空の穴”が閉じた時、落雷のような音が響きわたったという。その後、その男性の行方は全く分からない。
今井教授は、この事例に関連があるかもしれない後日談を一つ付け加えている。
教授の知人という東京警視庁の刑事B氏(匿名)から得られた情報によると、全く同姓同名(藤原久和)を名乗る男が、1981年当時、B氏の勤務する所轄署に駆け込んだという。男が話したところでは、“時空の穴”を通って最初は1960年代に出たが、再び“時空の穴”に吸い込まれたら、今度は現代(当時)の1981年3月15日に出現したという。B氏が名前と日付をはっきり覚えているのは、ちょうどその日が、B氏の新人警官としての初出勤日だったからだそうだ。その後、その男がどうなったかは不明だ。
今井教授は、男がB氏の前に現れた年月日が、東日本大震災で被災した同姓同名の男が、妻の目の前で消えた年月日のきっかり30年前という事実から、両者の姓名の一致は偶然ではなく、完全に同一人物か、あるいはパラレルワールドのいずれかから“時空転移”してきた別バージョンの当人だろうと推測している。
「イリヴィッチ文書」と重なる今井報告
今井教授によれば、同じような“時空転移”現象は、1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で、核燃料の爆発・メルトダウンが起きた直後にも発生したと報告されている。
当時、この怪現象の調査に当たったのは、諜報機関KGBの原子科学部職員セルゲイ・イリヴィッチ氏で、この人物はソ連解体後、国営建設会社OKBギドロプレスの原子力施設部門で核問題コンサルタントを務めていたという。
イリヴィッチ氏が作成した数点の調査文書は、当時はむろん機密扱いだったが、つい最近になってアメリカの情報自由公開法に類するロシアの新法により、一部がようやく日の目を見た。
そこにはチェルノブイリ住民たちが、多くの“時空の穴”現象を体験して、2世紀前の帝政ロシア時代や、1世紀半前のナポレオン戦争時代の、過去の光景を覗き見たことが記録されていた。それだけでなく、住民が“時空の穴”に踏み込んだまま戻ってこなかったケースも、数点報告されているという。しかし、今井教授が調べたケースと著しく性格を異にするもっと信じがたいケースも、イリヴィッチ文書には報告されていた。
過去の事物が現在(1986年当時)に“時空転移”されてきたという数件の事例である。中でも一番ショッキングなのは、第1次大戦中にドイツ軍が使用したツェッペリン型飛行船が1台そっくり、空中に現れて、チェルノブイリ原発からさほど遠くないプリピャチ市郊外に墜落、爆発したという事件だ。
燃え残った残骸に乗組員の姿はなかったが、しばしば報告される“漂流する無人幽霊船”と同様、士官食堂には食べかけの料理皿などが散乱し、つい先刻まで人が乗っていた気配が感じられたという。
この大戦中、ドイツは少なくとも119台の軍用飛行船を飛ばしたが、撃墜や爆破されて消息不明になったものが多かった。そのうちの1台が“時空の穴”を通って、こちら側へ時空転移したものかもしれない。
調査報告書をまとめたイリヴィッチ氏も今井教授も、四半世紀の時を隔てて、全く同じ結論に達している。
「核放射線の突発的な大量放出が、当該領域の時空現実内に時間の遅れ効果をもたらし、その作用地域内の信頼のおける在住者、ないしは通過者による観察報告によって裏付けられた」
http://is.gd/lypJiY
記事14:
死後の意識を解明、体外離脱の研究
パーニア博士は昨年、臨床的に死んでいると判断された後に蘇生した患者のうち、10%が死んでいる間の記憶について語ったという研究発表を行なった。
事実であるという証拠としては、患者がそれまで一度も会ったことがなく、蘇生法が試みられている間に手伝っていただけの病院スタッフのことを知っていたり、医師たちの会話を記憶していたりといったことがある。
この間脳は全く活動していないので、既知の医学ではあるはずのない話だ。」
だが、その意味するところはとてつもなく大きい。臨死体験や体外離脱体験が脳の働きによるものでないなら、意識は何に根ざしているのか?
「世界観には2通りある。すべては物質だというのが現在の世界モデルだ」とフェニック博士は語る。
つまり、科学的な意味において「実在する」とわれわれがみなすすべてのものには、知覚できる物理的形状があるということだ。だが、哲学者が「ラジカルな唯物論」と呼ぶこのモデルでは、物理的な意味で実体のない意識の存在を説明することができない。
では、どうすれば意識を説明できるのだろうか? 「意識が生まれるには、小さな(説明できない)奇跡が起こっているとしかいいようがない」と、フェニック博士は現在の認識について説明する。
だがこれに対して、世界の基本要素は物質ではなく意識そのものだという説がある。こうした説は「超越論的な」見方とされ、世界の多くの宗教に支持されている。
「超越論的な世界観のほうをとれば、臨死体験を理解するのがかなり容易になる」とフェニック博士は語る。フェニック博士は、科学界の世界観もいずれ、唯物論的なものから超越論的なものに移行すると考えている。
物質は物理的形状と波形の両方を同時にとり得ると仮定する量子力学の出現は、移行の1つの段階だとフェニック博士は言う。
http://is.gd/hAkk6X
霊魂の存在に関する学術的研究
http://is.gd/kNhujU
Scientist Photographs The Soul Leaving The Body
http://is.gd/skcqAk
記事15:
<体のフシギ>人類に予知能力?大事件の10秒前、人体はこれを感じ取る―米ノースウェスタン大学
人間は何らかの重大な事態が発生する10秒ほど前に、心拍数の上昇、瞳孔の収縮など、生理的活動に明らかな変化を見せるという。これまで同大学の実験では、被験者に何の前触れもなく突如、恐ろしい画像を見せるということを繰り返した。結果、多くの被験者が画像を見せる10秒ほど前にその予兆を感じたという。それがはっきりとした認識ではなくても、潜在意識の中で未来の予知能力はあるとする結論だ。
http://is.gd/KJujPy
顔を見る前から脳は活動している -脳波によって人の「予測」の実態を解明-
予測の前に出現する脳波の SPN は課題に関連した知覚刺激が与えられた時に、その刺激が出る前の数秒間に出現する脳波(事象関連電位、用語4)である。この SPN は、右
半球優位性という特徴を持っているが、これまでに常に右半球優位性が確認されているわけではない。例えば、知覚刺激に付随した金銭報酬を与えた場合には、動機づけの程
度が高まり、右半球優位性が消失することがわかっている。加えて、異なる知覚刺激の提示により、SPN の分布も異なることが先行研究で示されている。
http://is.gd/QCBR8Q
http://is.gd/PT9LGB
2014-06-13T10:15:32+09:00
1402622132
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メニュー19 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/42.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
********************************
&color(white,black){項目6⑬:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
●&bold(){科学界による波動原理の否定と、社会的問題の共通点}
世の中の全ての事物・現象は科学原理に沿って存在、「その物だけが単独で存在する」のは決して存在せず、「ある現象が観測され、それが事実である」→「その現象を起こす科学原理が存在、同原理による現象は普遍的に全宇宙で現れている」「地球上全ての場所で、同原理に基く現象を今も起こしている"という事実も同時に存在する」となります。拠って不思議な現象・記事も「ふ~ん、そんな事もあるのか」という程度の物でなく、「各々が余りに重要な事柄を示し、宇宙の真理を示す物」「現象と宇宙の真理は一体的に存在する」と言えます。
世界各地に古来伝わる「気・プラーナ等の理論」は、「東洋医学など多くの伝統的手法の作用や効果を説明できる」「陰陽など多くの伝統的哲学・概念と同根」「伝承地域が離れているが、理論内容は近い」という共通点があり、「伝統的理論と"量子=情報の解釈論"は、理論的に符合する」と言えます。波動理論は「エーテル的解釈論・ホログラフィック理論」にも近く、近年~最新科学の観測結果には「"量子=情報"と示唆する・そう解釈すると説明し得る」物が多数存在します。この種の仮説は年々増加、その幾つかは「現代科学では説明不可能な古今東西の事象の発生原理の基本部分」を概ね説明できます。
「従来科学+α=科学原理の全て」とする「現代科学絶対論」は「過去~現在の数多の事象が全て存在しない」との前提上にしか成立しませんが、この仮定は根拠が無く、存在の全否定は無理があります。現代科学は無謬の如く言われるも、トンネル効果など「解釈論の時点・付け焼刃的な物」が多々あり、科学界最大のテーマの「超大統一理論」について、「超ひも理論も多くの事象を説明不能」「現代科学周辺にクオリアを説明できる物が見つかる気配がない」という状況にあります。ニュートリノは「他の物質・事象に影響を与えない」「宇宙の質量計算など、超巨視レベルでのみ意味を有する」とされますが、同時に潜在的な科学認識論に「科学・宇宙は、本来的には無駄無くできている」「全く無意味な物・事象が、超多量に存在・発生する訳は無い」という物もあり、拠って「宇宙の質量の大多数を占める基本要素・物質・事象が、全く無意味なのはおかしい」という感覚が起き、これは先述の「DNA中の9割以上の部位をジャンクDNA・無意味とする認識論、それへの違和感」と同様です。また「宇宙は本来的には無駄無く・高度にできている」ならば、「汚れた物質・状態があっても、それを正常化・浄化できるメカニズムも備わっている」と考えられます。
今後も「諸々の現象・手法・除染法の知見」「常温核融合など世界各地の新技術研究」は蓄積し、また「現代科学で説明できない事象が存在する場合」は「現代科学は多くの事象を説明できず不完全」「現代科学と別の普遍的科学原理の存在を強く示唆」となります。しかし現代科学絶対論は「これら全てを科学的に有り得ないという理由のみで否定」「だが古今の現象の説明理論の提示は避ける」「現実の現象を見ようとせずに完全否定する」という「非常に強引で教条主義的な机上論に終始」しています。
現在は「現象の説明理論は、多数の独自論が存在」しますが、科学の最上位原理は「森羅万象に関わり、全てを繋いでいる」「下位原理が複数あっても、それらはバラバラの存在ではなく、全原理が一体的に存在し、全てを包括する統一的原理がある」はずで、従前から言われるように「最上位の原理の基本構造は簡潔・明快・美しい・分かり易い」と考えられます。拠って個別ケースだけに適用される理論は超大統一理論足り得ず、「多くのケースで現象が発現する合理的理論」「全てを纏めて説明できる理論」が必要です。即ち波動理論は「世界各地の古来の理論や、支持する科学者が増加中の最先端理論と符合」「現代科学で説明不能な事も概ね説明可能」「理論と現象に一貫性がある」となります。科学では「分野の本格的な研究初期段階は、観測結果のバラつきや理論の試行錯誤が多い」のが常であり、「波動的解釈+科学理論(科学式等)」の本格化は最近なので現状は不完全ですが、今後「各論を統一的に議論する場の形成」「検討・検証されながら理論の発展的統合」「波動理論が体系化・高度化」していくでしょう。
気・波動の効果・現象は、量子の「見えない・認識し難い」「機械計測・観測が困難」「物質を透過し易い」「普遍的に大量生滅」「量子同士の感応で増加・減少・変質する」「人間の意識や外部環境に強く左右される」「遅効性」との性質ゆえに「定量化や完全な因果関係証明が困難」です。しかし「社会・学問・国・世界が普遍的真理に沿うべき」と考えるならば、先ずは多方面が共同検証しあい、判明した事を踏まえ物事を認識する以外にありません。
日本ではツボ・鍼灸は一般的で、これは経験的に効果を認識しているからです。欧米では長く非科学的だとされ、最近は代替療法として受容され、しかし現代科学では何故効くか説明できません。アグニホートラは「古来アーユルベーダでの体系化の歴史」「ペルー政府系の農学技師達の効果報告(項目2)」、アグニホートラ・バイオダイナミック農法は「数十年前に比べ世界的に実施者が増加」「高品質が必須なワイン・コーヒー農家・高付加価値作物の栽培農場で増加(作物や農場が高評価・取引価格が高い)」との状況にあり、アーユルベーダ・中医学全般は一般化しています。また世界各地の名水は「効果は微量成分による」と説明されますが、現代科学上では「その種の水に含まれる成分量では効果はない」はずで、「効果・普及度と従来科学上の認識の差」は顕著です。
しかし「多数の事象・観測結果・論者の無考慮・門前払い・全否定」「客観的計測や共同実験・議論・検証等の建設的行為をしない」など原理主義・権威主義は強固で、存在を認めた事象へも無視か原理考察の否定が通例です。そもそも「科学思考不足云々」との言質は「現代科学は万能・概ねを把握」「数万年後の科学体系も大体同じ」との認識でなければ出ない筈ですが、その認識には何の根拠も無く、違う認識なら言動が根本矛盾しています。「科学的に有り得ない・物理原理に反する」との批判も、単に彼らの知識に反するだけで、何ら物理・科学・真理に反していません。「科学的におかしい」のでなく、「科学常識から見ておかしい」だけで、常識=絶対的真理との根拠もなく、ならば「更なる実験・考証で確かめるべき」です。
量子水・還元水素水・活性水素水を「科学用語でない・効かない・似非云々」と否定しますが、「酸化還元電位が非常に低い・酸化は悪く還元は良い」のは明白で、何が根拠の断言なのでしょう。「量子水・還元水素水・ゼロ磁場の水・水素カプセルの効果」「酸水素ガスの低温燃焼(項目6④)」はすぐ判明でき、「微生物の生態元素変換の閉鎖系実験」も短期で簡易に検証でき、「近年の炭素14など放射性核種の半減期縮小現象」が事実ならば放射能・量子力学の理論体系は根本的に覆され、最新技術でも運搬不可能な「バールベックの巨石」は他の技術体系の存在を強く示唆します。これら容易に指摘可能な点を自己認識・机上論のみで排し、類例調査・検証実験・実質的考察を全くせず、にも拘らず他の科学原理・技術を端から全否定するのは、完全に結論ありきです。大手検査機関の測定結果の否定は「宇宙の原理を遍く知り、機械測定値をも否定できる」との認識によるのでしょうか。機械測定値を否定するなら、仮に事実の場合でも、しかし事実は届かず、ではどうすれば物事を検証できるのか、そんなやり方では検証法など存在し得ません。これで何を以って思考・研究・学問と言うのか「検証法が限られた中世より遥かに酷い人為的状況」です。
「科学=真理の追究」「科学的思考=前提を廃した視点が不可欠」ですが、にも拘らず「科学的と自認する人達の思考様式は、自らの要求基準の遥か以下」「科学的思考・知識・リテラシー云々と声高に主張する人ほど、この傾向が高い」という異様な状況が存在します。科学を錦の御旗に境界論も含め扱き下ろすのに、何故逆の立場では非科学思考を押し通すのでしょう。気・波動の否定は多くの古来の主要理論の否定と同義ですが、では伝統的手法の原理をどう説明するのでしょう。「そんな物は知らない・無い・嘘」「我々の認識通りに起きる、だから実際の現象はどうでもいい」とでも思っているのでしょうか。たった今の認識論と沿わないから全否定とは何なのでしょう。その強硬論者の深層は「科学=絶対的な最高基準・真理・不変普遍」「同化=優越感・万能感」「これに近い・踏まえた自分らは無謬、そうでない者・思考は下等で問答無用に唾棄すべき」という「ある種現代的な強権志向・権威擦り寄り・特権意識・縦社会論理」でしょうが、初期感覚・研究心が変質してしまっています。
これら事柄を「事実上主管する立ち位置の科学界界隈(内部・上層部・一般科学通の同調者)」には、「一線を越えると取り返しがつかなく大災害に脆弱との指摘を散々受けていたのに、独善的論理・権力構造を盾に無視・排除・叩き・ごり押しを押し通し、自己修正機能が無く、共同基盤構築による改善を否定し、自らの認識論・り方を絶対視して、最低限必要な善後策・検証さえせずに暴走して破局に至った原子力ムラ」と同じ力学が存在します。両者の"欠如モデル"の観念は「自己の無謬性と対論側の程度の低さが前提」「自分側の認知バイアス・誤っているという可能性への視点が欠如」「権威主義・全体主義と親和性」「国・社会の上部構造の典型的傾向と同じ」です。原発・核は「様々な意味で力の先鋭的存在」「父権主義の一部分の象徴」です。日本は「社会上層部の女性比率が異常に低い」「強固なガラスの天井という封建制・前時代性の残滓により国内が未だ分断」「女性の反原発派は男性よりかなり多い」ですが、事故後に米国務長官・仏アレバ社長の2女史が来日、日本側は男性のみという光景は象徴的でした。男性過多社会は不安定化し易いと言われ(戦争も起き易い)、原発には軍事という裏の意図が存在、常に利権・強権・暴力・閉鎖性・捏造・欺瞞など後ろ暗さが付き纏います。要するに原発は「極度の偏り・問題性に依拠した存在」「長年の日本の悪化要因群の中枢や硬直性と同一線上の物」です。
&color(white,gray){原子力・原発の推進・温存は、以下の著しい不正義・非合理性と共にある}
・何れ世界から原発は消え、日本には国土汚染が残る。
・罪なき子供・赤ちゃん・子々孫々が、悲しみと共に暮らす。
・先祖~子孫へ継承される国土環境護持の責任放棄、先祖・子孫への申し訳無さの無視、今さえ自分さえ良ければとの身勝手さ。
・生物・環境など人間以外が蒙った被害の無視。人間に被害が出る量以下の汚染でも、多くの生物には被害が出る(既に福島では生物種・個体数の減少や、個体の大きさの縮小が顕著)。人間や自然界の動植物の生存環境と地球環境は、出来る限り清浄であるべきで、大規模汚染・環境破壊の防止義務がある。
・物理的汚染度・被害の軽視、精神的被害の無視、中部以西も酷く汚染された事実は変わりない。
・平常時でも著しい環境破壊がされている。特に原発稼動時の周辺海域では、動植物の生態系の崩壊と、動物の異常死・異常行動が日常的に起きている。
・事故の死者ゼロ人というが、集計法が不確か。健康悪化・死亡の複合要因に含まれる可能性は充分ある(既にのう胞等が増加)。「福一周辺に取り残された人・避難者""社会不安・精神被害と目的喪失・経済悪化」等の間接被害の無視。
・「汚染・汚染された大地・そこに住む哀しみなどの感覚、以前の環境との対比感覚」等を、被害度の考慮要素に入れる事の否定。
・そもそも「事故後の健康レベル」は「事故後に行われたあらゆる対策(公的・私的の物全て・健康法を含む)の合算後の数値レベル」であり、即ち「事故の汚染度が齎す、健康への影響度」は、この数値レベルより遥かに高い。
・道端で山野草を採って食べるなど、もう全く有り得ない。現在の健康度は様々な行為・行為規制の結果である。
・ごく当たり前の日常的行為さえ出来なくなった精神的被害は限りなく甚大で、推進の論法は、このような全事象を無視している。
・経済やカネで換算できない、全ての被害を無視している。精神面・心の側面を完全に無視している。
・地域で昔から息づいてきた、伝統・文化・地域生活・助け合いなどの、その地域の全てを破壊して無き物にする。原子力とは、精神や伝統・文化や地域を破壊する物である。
・311後の事故・被害・原子力についての勉強量の多くは、その多くが不要・過剰な物であった。この時間・労力・心労などは、本来なら他の仕事・有意義・余暇な度に宛てられるべき物である。事故・被害・原子力が存在したがために、それだけの理由で、過去・現在・未来において不要な、そして経済には反映されない、数多の被害が発生した。
・事故・汚染による消して消えない強い社会不安。
・安心感・日本人である事の肯定感への決定的打撃(にも拘らず反原発を反日とする主張)。
・若し他国、特に関係が悪い国で起きていたら、その事故・被害度を洗いざらい指摘、様々な烙印を押す。然し自国で起きたら全くしない、それどころか問題は全く無いとする。このような徹底的な二重基準と、嘘・詭弁・意識の低さ。
・不安抑制の為に教育で事実を教えない(仕方ないが)、海外事故なら教える筈、この種の要素による客観性低下、バイアスの圧力蔓延。
・放射能や汚染・汚染地・汚染物への意見が事故前と現在で全く違う、国際的な平均感覚とも全く違う。事故前は安全性や品質を世界一気に掛ける国で、国産は安全の代名詞だったが、現在は以前と全く違う基準に対し、大丈夫だ安全だと連呼している(事実・通常感覚からの逃避・強弁・欺瞞)。
・マスコミの原子力関連の報道体制の低さ、ムラ・周辺構造の支配下にある、ジャーナリズム欠如と多大な悪影響。大規模デモを殆ど報じない偏向さ、そもそももんじゅ・常陽・六ヶ所の危険性は殆ど報道しない。
・温暖化防止効果の虚構。非効率さから温排水が大量発生、周辺海域の水温を非常に上げている。また温暖化・氷河期の循環は、南極氷床が原因と解明されている。
・既に起きた超過酷事故の無視、起こしても存在できる不正義、利権構造によるモラル低下。
・小規模事故は非常に頻繁に発生、ハインリッヒの法則の無視。
・過去何度も起きた「想定耐震基準以上の地震加速度・強度不足判明・違反行為」の無視・隠蔽。
・常にあらゆる危険性・悪状況を過小評価する(活断層を地滑りとするなど・何れにしろ超軟弱地盤)。そして安全安心と連呼する。
・他国とは全く異なる突出した立地の危険度(世界の地震の2割が発生・津波が国際語)。世界で最も危険な原発を多数抱え、頻繁に原発付近に活断層を発見、世界中で最悪の不適地。
・火山噴火・隕石落下・巨大フレア爆発(近い将来起きるとも言う)や歴史上の大災害など、様々な危険の無視・隠蔽。
・自然災害の危険性・破壊度と、人災の危険性・被害度を、推進派が完全に一緒くたにして語ること。同じく危険性・被害であり、同じ観点で語ることも必要だが、全く異なる観点や区分けして語ることも必要。
・海外なら絶対許されない立地でも、停止・廃止を認めない思考(浜岡等)、日本に存在する極端な非客観性を明示する。
・海外の全ての国は、高速増殖炉を、その超危険性の為に導入しなかった。しかし世界で唯一日本は、二箇所も稼動させ、廃止しない(もんじゅ・常陽)。これは他国と異なる、極端に歪んだ思考法・社会構造(特に政官財・学会の社会上層部)を示す。日本には原子力施設を運栄する資格は、全く存在しない。
・電力が途切れると安定化方法が無い、他の物と全く異質の極度の危険性。
・未知の危険性の無視、無数にある事は歴史が証明。
・高度な専門家が育ち難い(原発内の高放射線・忌避される業界・ムラの閉鎖性による人材難。素人作業員が多いのは常識)。
・日本での原子力発電稼動以来数十年で、柏崎刈羽原発・東海村JCO臨界事故など大規模事故寸前の事案が何度も発生。
・原発だけでも異常に危険だが、もんじゅ・常陽・六ヶ所再処理工場という、爆発したら世界が破局する物が存在する。
・事故防止・汚染防止・事故収束の技術が全く未成熟なのに超破壊的な危険性を持つ、もんじゅ・常陽は停止・廃炉方法が現在無い。
・福島第一原発の収束さえ出来なく、未だに非常に危機的。
・安全対策レベルが低い、免震重要棟など未整備な物が多い、多重防御化がされてない(再稼動した大飯にも免震棟・ベント施設はない)。
・技術者レベル・上層部のレベルと決定内容・伝達能力・個人意識・行動実行への圧力・震災等での被災レベルなど、事故被害度を決する決定要素中における、偶然性・不確定性の要素が大き過ぎる。原子力は事故後短時間で近付けなくなり、一つの決定的被害が大事故に繋がり易いが、机上では一定以上の安全網残存が前提で、だが事故時にそうなる根拠は無い。「福一4号炉の奇跡的な水流入」「免震重要棟の存在と放射能遮蔽ドアの破壊度」「複数原発が重大事故寸前」「道路状態と資材や要員確保」「事故時に爆発寸前の炉で天井に穴を開けるなどの作業要綱」などが示している。
・交通網の途絶問題。大規模な地震・津波・噴火では、広域・大規模・長期間にわたり寸断される。事故発生後の短時間で暴発する性質と、この問題点は決して両立し得ず、「現場の孤立の問題」は解決不能である。台風でも途絶は起きる、もんじゅも台風で孤立し、通信機能が途絶した。
・事故は起きないから対策無用という感覚。完全に思考停止した脳味噌で、危機対策など出来る訳がない。
・原発運営の資質が無い体制。東電は津波でタービン等が全滅する事を知ってたが、危険性認定になるので対策しなかった。所管官庁も同類で、危険性最小化・徹底改善の組織的意思自体が無く、犯罪・過失・資質等の次元では全く無い。界隈の建前と本音の間の欺瞞・無責任さが著しい。
・原子力ムラと周辺の癒着、利権・こね・しがらみで結び付き、客観性不在。
・事故の責任所在の放置、責任を殆ど認めてない。
・これだけの事をしてきた電力会社存続の為の運転継続論。資本主義で重大過誤を犯した物の退出は必定。技術流出を招くというが、余剰人員分に大した技術は無く、業界の構造改革・コスト削減は進む。企業のリストラ・外資売却は茶飯事で、より国に資するこれらを守らずに、低質構造の企業を守る合理的理由はない。債権・株式の無価値化も同様、過去の銀行破綻のように政府がある程度処置する必要があるだけで、時間と共に市場で消化、後々の国家経済に影響しない。存続は高コスト・非合理的構造の放置と同義、日本の典型的悪弊が現れで、その程度の組織が国の長期利益に資する事は無い。
・電力価格は世界最高水準、倒産・合理化・自由化の方が価格低下で国・経済に資する。
・実際に既存電力会社から乗換えて、大幅に料金低下した事例が続出。
・軍事的意図・事実やイデオロギーの存在・隠蔽、プルトニウム保持の隠蔽。
・「原発自体が軍事的脆弱さその物である」のを完全無視、無視するが軍事で推進する思考の支離滅裂さ。
・最終処理場など下流施設の不存在。継続使用すると使用済み燃料棒が累積、中間貯蔵施設・各原発のプールの余裕は僅か、更に危険性が増す。新設は莫大な時間・費用・労力と社会合意が必要で不可能。貯蔵施設がないのに推進する極端な無責任さ。
・原子力施設から出る、環境への日常的な放射性物質放出の徹底的な軽視・無視。人工放射性物質と波動が、近年の世界的な様々な病気・症状(少子化なども含め)の激増の大要因である可能性は非常に高い。放射性希ガスのヨウ素・キセノン・アルゴン・クリプトン85などは、通常運転においてどんなフィルターでも除去不可能、水の一種のトリチウムの除去は巨額が掛かるのでやらず、膨大な量の放射性物質が垂れ流され、環境に蓄積し続けている(更に、六ヶ所村・核燃料サイクル施設が稼動すると、日本中の原子力施設から出る年間放出量を一日で排出)。
・原子力施設以外にも約200箇所で劣化ウラン等の放射性物質を管理、火災・事故が頻発している。
・東電・中電が「自動回転し続けるモーター」の現物を目にしたのに、全く研究せずに開発者に突き返して非公開のままにした事から、仮に現物を突きつけられても、業界はフリーエネルギー・オーバーユニティーを完全に無視する事が分かる。「原発・既存枠組み・組織論」に固執、フリーエネルギー研究など、真にエネルギーの事を考えてはいない(項目2・項目6④)。
・事故以前から電力需要は先細るとされていた、余剰発電所の不要化。
・小規模発電・自然エネルギーの割合が年々増加する。
・何れ世界的に全廃される過渡的発電法、将来性がない湯沸し機に過ぎない。
・発電コスト計算法の大嘘、数々の要素を除外、現実と全く乖離した物でしかない。再処理・処分・高速増殖炉の費用除外。電源三法交付金・各種団体・諸々の研費用や社会的費用・人材が割かれる事など、隠れコストは膨大。事故被害額も含めた総計は、他と比較にならぬほど高い。原子力施設・研究が存在しない場合との比較計算はなく、運転継続は多重防御化など更に経費が必要。世界最高の電力価格は原子力を始め、無駄なコストの肥大化による。
・巨大利権構造の存在、最悪の構造の金のばら撒き・無駄な公共事業。
・「審査・検査・意見聴取・合意形成・利権・経費支出その他」、あらゆる部分に欺瞞・不正・粗暴さが蔓延する異常さ。「危険性に支障が無い部分は、出来る限り透明化・事実開示する」との観念はない。
・電力不足は欺瞞。"例年なら足りるが、夏の数日の昼間、僅かに部分停電か電圧低下する地域が出るかもしれない"程度の需要ピーク問題で、前もって当該時期だけピークシフトで対応すればよい。節電は燃料節約効果もあり、ピークにやや不足・切迫する先進国・工業国は多数あるが、国レベルの経済損失は無く、金額補償という手段もある。危険性と代替の一時的節電さえ否定するほど怠惰で、意識が金銭だけ。ドイツは閉店法で夜間休日は店が閉まる。最も厳しいとされる関電は2012年に大飯原発再稼動・火力8基停止をしたが、酷暑でも電力使用率は9割以下で他社からの融通も受けてない。
・社会全体の節電・埋蔵電力・ピークシフトの余力は非常に大きく、努力・呼掛け・インセンティブ・公的意思が全く不十分。
・早期竣工可能なガスタービンなど代替は多数あり、仮に再稼動しても来年以降は廃止できる。拠って翌年以降も電力不足するとの論は虚構、年内限定の問題で、意思・経済性等の問題である。
・実際に全原発停止しても、社会は通常機能している。
・経済面を語る時の「そもそも原発が既に超巨大損害を齎した事」「日本・日本産=安全・安心・高品質とのイメージの凋落」の無視。
・経済利益の論拠の薄さ。燃料費が年間1兆円増加と見られるが、GDPや外債保有残高等に比して僅かである(これには継続に伴う支出増加要因は未算入)。中長期的には経済損失効果が高まる(出産率や出産・結婚への動機の減少、国外逃避等も含む)。事故損害額/年割発生確率という計算式の無視、安全対策費激増など余り考慮してない要素が多い」
・片や経済的不利益を言い、原子力の無駄削減・リストラをせず、競争力が高くて円高で困ると言い、外債購入で競争力を補正し、だが減税しない、等々のマクロ視点での体制側の一貫性の無さと無定見(統合視野・国家インテリジェンスの不在)。
・経済・金は幾らでも取り戻せ、原発の経済効果分はたった今の僅かな差に過ぎない(我欲の分)。世界中の国家破綻懸念などバブル的・不確実・皮相的な物で、EU・米国・日本等の累積赤字は永続不可能、近い将来の何れかが破綻・連鎖し、世界的デフォルト・高インフレ・経済縮小・貿易縮小が起きる可能性が高い。そうなると原発の泡沫経済効果分どころではないが、こういった「強く想定される事象を完全無視する視点の異様さ・偏向・程度の低さ」
・経済面と異なり、超大規模汚染はたった一度でに不可逆で、子孫に過酷極まる禍根を残す(未除染の場合)。
・原発事故の唯一無二の人災規模。破滅的火山噴火でも無い限り、どんな人災天災も「国破れて山河あり」以下にならない、唯一原発だけは「国破れて山河無し」になる。
・日本人は一般的に、文化・言語・地位により自国しか住む場所が無い。
・これ以上の汚染地域拡大は国家国民の滅亡危機と同義。
・科学を理由にした推進論の、まやかし。科学分野は数多あり、原子力などそのほんの一部に過ぎず、国家的事業や巨額支出はされてなく、研究が行われてない分野が殆どである(科学以外の分野も含め)。何故原子力だけがそれを行う必要が、原子力=科学全体その物、原子力無しに科学は成立しない、とでも?
・文明を理由にした推進論の、まやかし。真の文明とは、精神面・心を大事にして、破壊性を帯びない物だといえる。原発推進を内包・称揚する文明とは、心・体・生物・環境を壊しても、カネ・権威・攻撃性を突き詰めていっても、問題ないとするような思考に直結する。それは在るべき文明とはいえない。原発廃止を内包する文明、この方がよっぽど文明的で、人間的である。
・原子力が存在する限り、上記の被害・可能性・懸念と共存しなくてはならない。原子力が存在しなければ、被害・可能性・懸念はなくなる。
・廃止理由(上記)に対する、存続理由(疑わしい経済利益・軍事・科学・文明)の極端な不合理・理不尽さ(古今東西最悪の不合理さ)。
「原子力」という物について、先ず前提として「原子力施設やその事故というのは、他の全ての事象と全く異なる被害度を起こす危険性を持つ」「一箇所でも敷地に人が近付けないほどの過酷事故が起きた場合、極端な放射能汚染が広域に広がり、全ての原発が連鎖的に爆発する」「そもそも波動的には原子力エネルギーは、あらゆる状態を悪化させるという性質を持つ」という点があります。
そもそも「想定不可能と認定=思考範囲外」「だが思考に基く、事故の人為的封殺は可能」という「逆行の二律」は国語的に両立せず、「矛盾の語義・語源その物を体現した事象」であり、「この語義的な破綻論を主張するならば、対論側の論拠の弱さを幾ら指摘しても、それ以前に持論はその遥か以下」です。
「原子力施設が存在する限り、破局的災害の可能性は付き纏う」「原子力施設や核爆弾を除けば、人災の破局的の可能性は非常に少ない(人工地震などもあるが、原子力事故ほど破局的ではない)」と言えます。「大き目の地震や噴火などが起きるたび、毎回即座に○○地方の原発・原子力施設は大丈夫かなどと火即懸念する」などというのは、現代人は感性が鈍り過ぎているから軽視していますが、これは「極端に異常極まる社会的状態」なのです。原子力を止めるだけで、こんな事態にはならないのであり、こんな事は「人間の愚かさの現れ」以外の何物でもありません。
「全国18箇所の原発のうち4箇所で5回にわたり、想定地震動を超える地震が平成十七年(2005)以後に起きている」のですが、「この程度の精度の見解しか持ち得ないという事実は完全に無視して、然しながら"それが科学的見解だ"という錦の御旗を掲げて押し通す」「それ以上の地震・震動・被害は起きないとする」「それを高度に安全な原発と主張する」という姿勢は、理解しがたい物があります。「現在の科学的レベルはこの程度であるという客観的視点を持たない」という意味で、これは科学的思考でもなんでもないですし、それ以前に「事故時の影響度と、未熟な科学レベルを比した時の、それを推進する事の根拠なき傲慢)」は常軌を逸しています。そもそもこれらの「想定地震動の数値は、近年の地震から計算した物」であり、「地球の歴史上における巨大地震と被害という視点は皆無」です。
日本各地に「火山噴火に伴う被災が予想される原発」がありますが、「噴火や地盤隆起・沈降は、原発の審査に関して、殆ど考慮されていない」のが現状です。「地震被害については10万年単位で考慮する」という暗黙の基準があり、しかしこれは骨抜きにされていて、更に「火山噴火については数万年単位でも考慮されない」という、完全な矛盾が存在します。「火山噴火や地震の活動期は、数千年休んで、噴火後地震後に数百年間活発化する」という例が多く、「噴火予知連」などトップ火山学者の大多数は、「大規模な火山噴火の中長期的予測は不可能」としています。しかし原子力規制委員会は「大規模な予兆が起きるので、それにあわせて原発を止めれば良い」としています。これに対して火山学者は「予兆はあっても観測は不可能」としています。しかし専門家でもない規制委は「火山学者の通説と反対の意見を採用と、噴火被災の危険地域での原発の運転許可」を出しました。また「非常用のディーゼル発電機は、火山灰で吸気口のフィルターが目詰まりして 動かなくなる」など、火山噴火の影響は他の緊急事態と全く異なる物が多いですが、こういった事も完全に無視されています。こんな物は「科学的知見に基づく規制・議論」の訳がなく、単に推進の為のゴリ押しです。
「姶良カルデラ(あいらカルデラ)」は、鹿児島椀や桜島を囲むカルデラで、29000~26000年前に破局的噴火を起こしました。「鬼界カルデラ」は、鹿児島県南方の薩南諸島のカルデラで7300年前に破局的噴火、九州南部などの縄文文化が壊滅しました。しかしこれらの破局的噴火の後も、被災地域以外では人々は生き続けて、縄文文化は発展し続けました。2014年6月現在、最も早く再稼動するとも言われる「川内原発(鹿児島県薩摩川内市)」は、破局的噴火が起きたら即壊滅で、更に日本中の原発の連鎖的大爆発の危険性が大ですが、「姶良カルデラは資料が少ない」との理由で調査していません。また「そんな噴火が起きたら、どうせその範囲は完全に壊滅するんだから、対策してもしなくても同じ」とする言い分も多く、これは「将来の人の事など知らぬ」「後は野となれ山となれ」「様々な政治的主張をするが、実際には真の意味の"日本の・その土地の伝統の維持"の事など全く考えていない」「リスク評価をする気は無い」という事です。こういった思考法は、まともに論拠が存在しなく、あまりに多くの点が破綻しています。
また2011~2012年頃、世界的に「巨大な太陽フレア爆発」が数年以内に起きる可能性がかなりあるという、危険性の報道がされていました。これは起きると「電気回線などのショート」が発生して、世界的に尋常ならざる被害が発生、現代文明は長期的に持続不可能な状態になると言われています。しかしこの件が「日本の公的な原子力問題に纏わる場」で議論された形跡は皆無です。他の数多の事例を見ても、「原子力問題においては、非常に限られた論点しか議論されていない」という際立った特徴があります。
日本の原子力規制当局は、長らく原子力ムラと昵懇の関係にありました。そして原子力ムラは、多くの政治家や官僚、経済界と密接な関係にありました。このような露骨な構造は、諸先進国には存在しません。この構造の基で、他の全ての問題と同様に、原子力問題でも規制基準が骨抜きにされてきました。例えば「政府ガイドラインの文言に反する人事を行う」という事があったりしますが、若しガイドラインが法律ならば、これは「法に抵触する違法行為」です。このようにして出来た「慎重派を除き、推進派で占拠した原子力規制当局」により原子力問題の規制基準の作成・実施がされる訳ですが、これでまともに運営される訳がありません。これは正に、日本の戦後の政治構造や社会構造の負の全体主義の、典型的な一端を示しています。
原発の過酷事故を防ぐ為の装置に「コアキャッチャー(炉心溶融物保持装置)」があります。これは「炉心溶融事故(メルトダウン)の発生に備えて、原子炉格納容器の下部に設置し、溶融した炉心燃料を閉じ込めて水冷・空冷で冷却する装置」です。コアキャッチャーは、炉の付帯設備に大規模破壊が無いと、放射能の大規模拡散は防がれますが、破損があればある程度漏れ出して、また高熱なので弱い場所から漏れていき、冷却水喪失の恐れもあり、これでも過酷事故の危険性は充分残ります。しかし「事故時に人力がなくても自動的に冷却される」「配管からの水注入より事故に強く、冗長性が高い」「多重防護になる」ことから、「設備していない原子炉よりは、設備した原子炉の方が遥かに安全」です。これは仏アレバ社が特許を保持、欧州の多くの原発に装備され、欧州製原発を用いる中国の原発にもあります。しかし日本の全ての原子炉は、コアキャッチャーを取り付けていなく、規制当局が取り付けを決定する兆しもありません。これは一説に特許料を渡したくないからだとも言い、この場合はこの場合は安全性や責任よりも、カネが大事という感覚の典型です。「誇りが許さない」とも言い、この場合は同じく、非常に狭小な感覚を優先しています。日本の原発ムラは「安全設計思想(フェールセーフ)」が根本的に欠けていますし、「日本の原発規制基準は非常に低い」です。それでいて根拠無き「世界一安全な原発」との強弁を続けるのが、そしてそれを売り文句にして、再稼動しよう・新設しよう・輸出しようというのが、史上最大の事故を起こした当事国の言い分です。
原子力推進派には「軍事目的での利用・核武装論」を唱える人が多数います。しかし「原子力施設自体が、軍事的脆弱性その物である(攻撃に非常に弱い)」という事を完全に無視します。これは全く信じ難い矛盾です。あまつさえ「原発に核攻撃したら全世界から批判を浴びるからやらない」「ミサイルでは当たらない」などと唱えます。そもそも「超非常事態の有事を想定して核武装するのに、窮鼠が猫を噛まないなどと主張する」のは、矛盾の極地で、完全な詭弁です。「軍事を徹底的に最重視して、あらゆる危機事態を想定して、その危険性と軍備を主張する」「これをしない思考法を思考停止とする」のに「その際たる事態である原子力施設の破壊行為に対しては危険性を完全無視する」というのは、「中核的問題を徹底無視して、その周辺事態を徹底重視するという、論理性が存在しない極端な二面的行為」であり、これこそが「思考停止その物」です。「原子力施設にミサイルが当たらない保障」など、どこにもある訳が無く、そもそも当たらなくても「付帯設備の破壊や、作業不可能な状態になり、冷却不可能な状況になれば、原子力施設は爆発する」ので、全く論拠として成立していません。毎度の無責任極まる利己主義的言動であり、このような感覚は原発事故への備えを疎かにする思考と同一の物です。
また「エネルギー危機への備え」の理由にしても、「世界的又は東アジアでのエネルギー危機」が起きている事態というのは、それは即ち「戦争事態に非常に近付いている事態」「世界中が、東アジア全体が極端に緊張している事態」であり、正に「有事」です。この危機において最も危険なのは「原発由来のエネルギー分のエネルギー問題」の訳がなくて、「原子力施設の存在その物」です。この理由の論者は、原子力推進論者であり軍事推進論者である事が多いですが、これも同じく「完全に破綻した論法」です。
次のような思考実験が考えられます。
過去の日本人たちと、未来の日本人たちが、或いは彼らの魂が、現在の日本へ来た。原子力問題は、再び大事故が起きるかもしれないし、起きないかもしれない。彼らも現代人と同様に、結末を知らない。若し事故が起きたら、未来は更に過酷になり、日本で生活できないかもしれない。では過去と未来の日本人たちは、原子力の存続と廃止、どちらを望むだろうか。間違いなく全員が、廃止を望むでしょう。日本を未来を完全破壊する、非常に高い危険性を持った機械を、危険度を既知である装置を、経済などという(それも嘘だが)、たかが現在の僅かな仇花の為に、野放しにするような考えを持つ訳がない。原子力の存続・推進は、現代人だけのエゴだけで、過去と未来の日本人の思考様式と全く異なる物です。過去や未来の日本人は、又はその魂は、日本の自然や文化を大事にして、真に幸福な社会を築く事を望むはずです。そういった事に反する物は、如何なる物でも望む訳がない。原子力は彼らの意識から対極にあり、指弾される物です。要するに原子力とは、過去から連綿と続いてきた、未来へと続いていく人々の想いと、完全に異なる場所にある、非共存的意識の最たる物です。それを日本の為とか、お為ごかしにも程があります。
「子孫達には清浄な環境に生きる権利」「大人には出来得る限り清浄な環境を子孫へ残す義務」があり、「原発の危険性・日本での立地危険度が想像以上に深刻」と判明した以上、推進は「自分達世代さえよければ良い」「後代の事は知らないという保護責任・継承責任の放棄」です。経済論も「国際競争力への打撃との観点が主」「これは低波動社会における競争論偏重・序列重視・劣後への強迫観念の表れ」「理想より現実優先というが、その現実とは上記の不合理・非論理性」です。
政府と経産省は「エネルギー基本計画」において、原案の「基盤となる重要なベース電源」から「重要なベースロード電源」と変更しました。これは「誤魔化しの為に、わざと表現を分かり難くする・曖昧にする」という「毎度毎度で徹底した政界官界の愚民化政策の手法の一端」です。何故このような手法を多用するのか、それは「このような手法が横行させ、大衆に"なんか難しいんだな""お偉いさんがそういう難しい事やってるんだから正しいんだろ""よく分からないから自分には興味が無い""それより趣味の○○はどうなったかな・・・"などと思わせるように誘導する」「これにより特に若年層や政治に興味の薄い人は、更に政治に興味をなくす」「政界官界ほか社会上層部・既得権層が、思うように政治を左右できるようになる」という「愚民化政策」の思惑によります。こんな政官の低質な行動原理が横行しているのに、政治も行政も国も社会も良くなる訳は無いです。そして政官は既得権固執の為に原発に固執しながら、全く無意味な政治用語や美辞麗句で誤魔化しを続けて、成長だの何だのと言いながら、未来世代が生きていく国土を国を社会を滅亡の方向へ進めさせ続けています。
若し「外国との経済比較が無意味な社会(金・貿易等がない)ならば、原発稼動の意味もない」ので、推進は「非本質性・外在的・外部基準による理由・要求」「金銭・経済至上主義の弊害」です。「電力問題は主に需要ピーク問題」「埋蔵電力・節電余力・ピークシフト」「短期で完工する発電所建設」「ピーク時の節電では経済全体に響かない」との論を承知の上で、「反原発は代替電力を言わない癖に、との条件反射的レッテル貼りの繰り返し」「その上で危険性・汚染・運営体制等の議論を無視」「経済利益を前提上で主張しつつ、具体比較の議論は避ける」との傾向があります。「自動車・飛行機事故と変わらない」「(長期停止=危険性低下は当然だが)運転してもしなくても危険性は同じ」との論もよく見られます。「特定勢力・海外勢力・反日が云々」との典型主張もあり、これは「自分らが問答無用で正義で、対象を敵認定して封殺」「議論自体はどうでもいい」との粗暴な感覚です。上記傾向は詭弁・脆弱論拠その物で、「頭ごなし且つシニカルに言い、論理的に強度・世間的常識・現実思考と振舞う常套手段」「実際の主張の中身は非常に薄く、社会的議論を嫌う」「幸福・真の豊かさ・在るべき社会より、力・威光・金・国内外への見せびらかしの優先も明白」です。
「Environmental Racism(エンバイロメンタル・レイシズム=環境を通じた人種差別)」「Nuclear Racism(ニュークリア・レイシズム=核を通じた人種差別)」という言葉があります。「資源・核原料の採取・精製・廃棄による環境汚染が、先住民族の居住地域で行われることが非常に多く、世界の人種差別構造の典型例である」ことに対して、この事実の周知と改善の為に作られた造語です。それらの地域での汚染は、先住民族の問題なので、主流メディアはあまり報じません。そして少数民族には金も権力も票も無いので、圧力団体足り得なく、ロビー活動も大して出来ません。「核実験場」は「アメリカ:ビキニ環礁(太平洋諸島)・ネバダ核実験場」「ソ連:セミパラチンスク(カザフスタン)」「イギリス:オーストラリアやクリスマス島(太平洋諸島)」「フランス:アルジェリア」「中国:ロプノール(ウイグル)」など、少数民族居住地が集中的に標的になっています。大国における「核物質の鉱山・廃棄所」も、「アメリカ:ユッカマウンテン(ネバダ州)・チャーチロック(ニューメキシコ州)・アコマ(ニューメキシコ州)ほか」「カナダ:アサバスカ(サスカチュワン州)ほか」「オーストラリア:オリンピックダム・ジャビルカ鉱山ほか」「中国:チベット・甘肅省チベット族自治州ほか」など、少数民族居住地が集中的に標的にされています。
「世界で嘗て行われた核実験は、全てが先住民族の地域で行われた」とも言われ、これが事実でなかったとしても、大多数が先住民族の地域で行われたことは間違いありません。世界各国の体制側の構成集団は、不当にも先住民族の地域に自分達の罪科の尻拭いをさせて、それでいてのうのうとしています。「日本に輸入された核原料の原産地」も、多くは先住民族の地域であり、これにより「カナダのイヌイット」「オーストラリアのアボリジニ」などの「先祖伝来の土地が過酷に汚染された」のであり、飲食物も汚染されてしまっています。日本はこの共同正犯であるのであり、汚染者責任を負っています。
「日本の組織が製造した原子炉」が海外で重大事故を起こしたら、その組織は巨額賠償を払う必要があり、日本国・政府も「廃炉」「除染」「賠償」「その他被害修復の対応」をする必要が出て来ます。しかし「海外組織が製造した原子炉」が日本で重大事故を起こしても、事実上その国は責任を負わないと考えられます。実際に「福島第一原発事故」でも「米GE社とアメリカ政府・アメリカ国家」は、何らの「廃炉・除染・賠償・その他被害修復の対応の責任」を負わず、「多くの責任はアメリカ側にあるという議論」「アメリカへの批判の世論」は国内外ともに殆ど無く、謝罪もありませんでした。しかし若し逆の事態が発生したならば、「日本国・日本社会・日本人」はその責任を負わされて、在米日本人の生活は非難と不安により成り立たなくなり、多くの日本企業は事業縮小・撤退が相次ぎ、日本への超猛烈な非難がアメリカで起き、他の諸国にも波及していただろう事は容易に想像がつきます。何故こうであるのか、これは「日本人の無思考・過度な諦観・権威への隷属」「日本はアメリカの完全な従属国である」「アメリカなどに反抗したら、国が立ち行かなくなる」「日本は何事も不利なのだ」「この世界とは所詮そういう物だ」という意識によるもので、決して「その認識と行動が真に妥当・正当である」という意識に基づいたものではありません。原子力には、存在の前提としての「原子力事故発生時の責任体制の、国内外の・多国間の格差構造」が存在、それは「世界構造の犯罪的格差」の上にあり、形容不可能な重大な問題と犯罪性を持っています。
このように「原子力・核というのは、存在自体が人類の数多の甚大な罪科と共にある」のです。また原発その物より、「人間社会が作り出した原発に纏わる状況が、非調和・全体主義・権威主義・抑圧・独善性・欺瞞性・空疎さの最たる権化」であり、これは311事故後に、より明確化しています。"原子力は最悪のエネルギー""国・社会・賛成論者自体・子孫にカルマを生む"と認知されれば存続不可能で、社会の劇的変容の契機になるでしょう。
「ネットの強硬な似非科学批判論者の殆どは原発賛成」という相関性もあります。傾向は科学界にもありますが、特にネットで顕著です。似非科学批判論者・原発賛成論者は、人工放射性物質の危険性・汚染被害度を軽視するという傾向も明確です(人体への危険度は未解明なので、認識が別れるのは当然ですが)。これらは「権威体制の防御」「正常化バイアス」「"科学は機械的・数学的な物、心は関係しない・余計"との認識による感情の機械化・無機化」「冷徹・無感情=理想→"冷酷・シニカル・ニヒルで行こう"という観念」「"脳内マチズモ(タフに見られたい・弱みを見せたくない・弱さへの侮蔑)"とでも形容できる感覚」「純化主義を招き易いネットの特性」等が理由でしょう。
「従来科学と異なる手法による効果的な放射能除染の、公的部門への提案」について、「公的部門による複数の追試と、検査機関の数値測定により、有意に除染されたとの結果が示された物」は多数あります。しかしその全ては、公的部門での採用に至っていません。これは途中で阻害されるからですが、往々にして「原子力機関」「原子力とつながりのある学者・教授」が関わっています。
原子力は世界的な共同撤退が最善です。最悪の波動は「人間の健康・精神・思考・集合意識への悪影響」「環境・生物・物質への悪影響」「災害増加・深刻化」「悪性波動の累積効果」を齎し、事故の想定要因は既知の物だけであり、全ての未知のリスクを度外視しています。大地震が有史以来皆無でも撤退したドイツの判断は非常に理性的です(隣国から電力購入できる点を考慮しても)。翻って日本は「様々な象徴と化している」「硬直性・視野狭窄」以外にも、技術力など多くの点への自信過剰が判断要因となっています。しかし日本の"地霊(後述)"たる良い部分は、「長年の改善遅延・硬直性・偏り・不作為」の為に非常に脆弱化しています。そもそも「優秀だから問題など無い、何か起きても対処できる」などの闇雲な思い上がりは「優秀さ・地霊と真逆の物」で、この潜在観念が強い以上、大災害が集中する国で扱う資格はありません。脱原発など各種デモに対し、ドイツ規制当局は親和的、ドイツにおけるデモ・各種社会運動の状況と、公的権力の対処の仕方は、これだけでこの国は、かなりの部分において高度な国であると認識するに充分な物です。翻って日本当局は非常に封殺的、日本におけるデモ・各種社会運動の状況や、公的権力の対処の仕方は、これが先進国かと思うような次元の低い物です。ドイツはこれらの面で世界的に最も進んだ国でしょうが、日本は未だに全体主義に偏向し過ぎで、もっと「個・普遍性・未来世代」を大切にすべきです。人間は最初から全て分かっている訳でなく、経験から物事を学び、社会は改善していきますが、これだけの史上最悪の人災を起こしても未だに何も学ばないのは非常に非理性的です。
両者は「政官マスコミ論壇その他の周辺構造が持つべきフェールセーフ機能の低さ」「外部構造のオンブズマン的機能が働いていない」点も共通しています。これらの志向は「草の根的概念・民主主義的概念と対極の一方的関係性」で、「対話・相互構築・共同感覚・対等性の欠如、市民参加型の否定、非権威側の意見の蔑ろ(多数派でも)、強引・ご都合主義な解釈・手法、改善より持論強行を志向、御用学者の重用」が起き易く、「置き去りにされた人々の白け・アノミー(更にマスコミ等を通じた無能化)」を長期的に齎します。また「感覚・気持ち・環境・共存社会の軽視」「権威・物質面・経済的価値・競争論・力の重視」という明確な傾向もあり、然しながら「自己修正機能・統合的視点」が欠如、「経済性・合理性でも、特に長期的な潜在成長率の大幅低下要因」です。
&color(white,gray){例えば、以下の点が招く、直接的・間接的の負の経済効果}
・長時間労働是認による、人々や社会の疲弊、出生率低下、
レジャーやエンタメ等の余暇需要効果の消滅、趣味や学習や自由時間の減少。
・原発の非経済性を無視。
・電力会社等の給与水準と電力価格と不正義
・体制側が常に優位な社会におけるモラル・民度低下
・閉鎖・コネ社会の既得権や、非公正・非合理的な慣習の固執。
・不公平な徴税・税金支出。
・「女性社員比率が高いほど利益率が高い」「女性の就職試験の成績は高い」との有意の傾向と、
社員率・上級職比率・給与水準が低い社会状況。
・外債保有残高の問題には「権威・支配構造への服従」
「富裕国への税金贈答(国際機関への拠出金/存在力も含む}」という観点が付随する。
これと逆に、国内には「高税率・長時間労働」の問題があり、その金をこちらに回せる筈である、
「外債保有残高」と「高税率・長時間労働」は、政策として完全に矛盾している。
間違えは常に繰り返してしまう物ですが、「振り返り・俯瞰・対論への壁を設けない視点・漸次修正の社会的内包」がないと「過去前例・組織論踏襲への偏り」「適正状態から乖離」が必然的に起き、故に社会・国中の各分野が機能不全した現状に陥っているのではないでしょうか。勿論、"非権威側の人達"の方法論・説明にも問題・不十分な点は多々あったでしょうし、何事も批判・考証の俎上に上るのは当然ですが、バランス問題・全体論としてそう言えるでしょう。通論の信用には「社会・学問の各部分(機能・集団・クラスター)にチェック機能がある」→「故に正しい」という前提がありますが、実際は多くの分野で「思考や属性など多くの要素の偏り・前提ありきの結論・水平思考の欠如」→「チェック機能無効化」→「通論の誤り」→「妄信・原理主義・排他性」となっていす。個人個人は常識的でも「全体の同調圧力の強さとミクロ・マクロの両面を欠く単眼の視野による合成の誤謬」→「自家中毒的な純化主義」となるのでしょう。
そしてこれは「論の正誤などの結果論」でなく、「基本的在り方・対峙の仕方の時点の根本部分の問題」です。日本では「非主流の社会的・政治的意見を述べるな・活動するな」「有名人・芸術家全般・芸能人はするな、歌だけ歌っとけ」という暗黙の圧力や「叩き・不利益・物言えば唇寒し・出る杭は打たれる」という閉塞状況があり、実際に社会的言動・活動をする一般人・有名人も少ないです。しかし人間誰しも意見・意識があり、それが人を人、知的生物を知的生物たらしめ、これを抑圧する合理的理由などありません。「行為・言動・芸術は思考感覚・心象・世界観の具現・体現」「芸術家とは表現者であり、表現は自己表現・訴求が第一義」「歌・舞台・言論など表現手法は当人が適した物を選んだというだけの二義的事項に過ぎない」であり、これを限定・規定をされる謂れはありません。この感覚上では「権威=追従すべき物・世界を規定する物」なので、国内のみならず「海外・世界体制の強者・ブランド・価値観・上部構造・支配構造への追従」も当然視、「ヒエラルキーの下位構造の中でのコップの争い」に固執します。これは公的権威のみならず「民間・在野・ネットでの地位獲得の為の争い」も同様です。また世の中から「社会的な活動・言動・思想」が減れば、「個と社会・環境・森羅万象の繋がりが切断」→「権威による正当化・抑圧・閉鎖思考だけ残る」→「必然的な社会的無関心・諦観・厭世や狭量・利己的感覚や皮肉的・皮相的風潮の蔓延」が起きます。自由闊達な思考感覚・意見・議論を封じ、一体何を求めてるのでしょう。「全員が同じ方向を向く統制社会・圧制・無個性化・ロボット化」が理想社会でしょうか、そのようなやり方で世の中が改善するのでしょうか。
全体主義的な人は古今東西・左右双方共に「対等な議論では劣位と知るので、粗暴な言動や権威・扇情への訴求を好む」「対象を問答無用に敵認定する為の大仰な用語の多用」「同類志向の人の暴論・威圧行為を称揚し、対論側には厳しい際立った二重基準(対論側の暴論・示威など以ての外で徹底弾劾、揚げ足取り的言動も多い)」という特徴があり、「平和・調和(和の概念)」「平等性」「民主主義的概念」を嫌います。全体主義的でない人は「主張の論点に沿う内容」が多く、「全体主義者は粗暴に論を繰り広げ、話し合いが通じない、議論しても無駄」と思っていて、ここに両者の傾向差が明確に現れます。これは戦争の解説でよく用いられる「非対称性」その物で、「低意識集団は、そうでない集団に比べ、非対称的に、低質言動を繰り返す」のは日常茶飯事です。そして世間もこの傾向は内心分かっていて、「全体主義者にどのような主張・行動をしても良いと勘違いさせる、問題発言・行動に対し世間が仕方ないと思ってしまう、世間的問題になり難い、不利益や粗暴な言動を忌避して議論・反論を止める」風潮を世界的に生み出し、この潜在的社会認識は「全体主義的集団の独善的なごり押し、これを利用する利益集団等の働き掛け、政官財の癒着・一体化」が放置される原因となっています。
近代日本は「個・自由思考の抑制」「集団思考・斉一性の重視」という国家的方針に強く統制されてきました。また「協調性を強く求め、美徳とする」としますが、これは飽くまでも「空気・組織・権威等への過剰同調・翼賛を求める」「協調との言葉の語感が持つ肯定的感覚でない」物で、社会上層部における「過剰同一性(思考・形式の金太郎飴のような同質性)」「非多様性(強度の男女格差・属性の多様性の欠如)」「因習的・ムラ的な組織論・思考法・行動原理」に端的に現れているように、「上層部・組織の力学」は「水平思考」「建設的思考・改善志向」「格差障壁の低さ」「森羅万象の調和」とは逆方向の物でした。そして「個と自由思考の抑制」は「自律的思考・改善志向・多様な感覚」を無くさせるので、「おかしな構造・状況への疑義・活動」「善性に基く改善論」の封殺に対し「決定的且つ最大の役割」を果たしてきました。
この為「個人的な意見表明活動をし難い」「常に個より、組織論による集団利益の方が勝る」「多様な意見・属性が封殺、典型的・類型思考が増え、視野が狭くなる」「広範な社会的議論や、これに基づく前進が起き難く、現状維持圧力・同調圧力が強い」「個が何をしても無駄だと思い口を塞ぐ、考えない方が・活動しない方が良いとする」「自主規制、出る杭は打たれる、周囲にあわせるという感覚が蔓延する」「何らかの権威に隷属する事で安住しようとする」「既存権威や既得権益の統制力が強い」「全体利益・在るべき状態・真実に反した組織論が押し広げられ易い」「社会が、各々の組織論で覆われる」「自己拡大と利益共同体の組織力学の下で、経済利益・消費主義に基づく物が喧伝され、金銭・利益と無関係の物が軽視され易い」「意見表明・議論・改革に、多くの運命共同体的な既存組織群から横槍が入る」「社会において、個・多様性より、既存の一部集団・特定意見の方が強い立場」との状況が永らく続いています。
また「権威主義」とは「上下関係重視・上か下かの思考」「強い位置に立とうとする思考」「強きに従う思考」「相手側の服従を要求する思考」なので、「論理・合理性」「感覚・精神」「建設的思考・改善思考」「非物質的側面」「非暴力性」「善性」とは水と油で、「非論理性・組織論・組織力学」「非精神性」「金と力」「示威的な事物・論理・行動」「力の見せびらかせ」と親和性があります。拠って「議論を建設的に行わない」「非合理的・一方的主張を繰り返す」「著しい非相互性(例えば対論側の過失は徹底唾棄、自分側の過失は無視、指摘されると怒る)」という特徴があり、「敵の敵は味方のような思考法」「ごり押しで押し通せばよい」「正しいか良いかは関係ない、兎に角自分らのやり方に従わせる」との感覚を持っています。
この状況で「社会上層部を始め、方々でのムラ社会形成・拡大化」→「如何に不合理・理不尽・無意味で、悪影響を招こうとも、ムラの因習に固執する・従わせる、従わないと排除するとの不文律の浸透」→「ムラ社会が既得権力化」→「個と自由思考の抑制」「意識・行動・改善論への重し化」という悪循環を蔓延させ続けてきました。結局「この力学・構造・循環」は、「社会改善」「人間同士や人間と人間以外など全ての調和」「あらゆる属性の尊重と格差撤廃」「持続的発展可能な社会の形成」などの「善性が発揮される社会」「在るべき社会・目的とすべき方向」の実現に何の役も果たさず、その阻止だけしてきました。
先進諸国では様々な形での意見表明が「日常社会・街頭デモ・言論・市民活動・ネット、有名人や賞(例えば環境破壊大賞)等のアピール」を通じて頻繁に行われ、人々は意見は其々あれど「表明や活動を自由に行える社会自体」を是認、「社会はそのような物があってこそ良くなる、内包するのが必要だ」と考えています。それは広範なムーブメントを起こし、次代へのダイナミックな変革を促します。日本ではデモ自体の封殺や揶揄の声も多いですが、一般人は意見を不特定多数に呼び掛ける機会は無く、市街地の特定域でたまに程度で迷惑も限られています。しかし政治・選挙は街宣カーが喧しく、常時そこら中に貼られたポスターは美観を損ね、これは「名前を覚えさせるだけの目的」「全党が放棄すれば他の実質手段に変わる」「労力の義務的浪費」であり、しかしお上の慣習なので放置され、ここでも実質を欠き、主従逆転したあべこべの状況があります。そして日本では、昔は街頭インタビューでも持論がしっかりある人が多かったですが、近年は「ボヤけていて何も思考という物が無いような受け答え」が多く、これは「負の圧力と自主改革せずにきた事による経年劣化」が作り出した「内面と社会の空洞化状況」で、「形ばかりの民主主義体制・封建思考の残渣と全体主義傾向・社会広範での民主主義的概念の実践の否定」「個と自由思考の抑制・斉一性重視」という悪弊は「大衆の諦念・虚無感・関心範囲縮小による観客民主主義化や迎合主義」を齎しています。
- (例えば「嘗ては出来ていた・許された・やる人がいた・やれる場があったが、近年存在できなくなっている事柄(岡本太郎・TIMERS(忌野清志郎)のような存在の出現、認められる事など)」は多く、「社会の在り方による、自らを小粒化・矮小化させる状況の創出」「状況・思考法の固定化・停滞化」が目立ちます。また「若年層は嘗ての音楽を全然知らない」のが一般的ですが、「昔の=古臭い=聞かない・興味ない」という思考形式が昔から強く、これは「芸術の本質性より消費財としての面の重視」「内的世界観による嗜好でなく空気への同化の道具、自己表現でなく非主体性の現れ」「流行だから・宣伝してるから・皆が聞いてるから、など表面的情報による判断」「分野・属性毎に蛸壺化と同時に全体主義的でもあり、全体主義的なのに伝統・文化が尊重されない」という風潮を示しています。この認識では全音楽は時代が経てば古臭い物にしかならなく、新しいアーティスト・楽曲も「直に古臭くなる物」という認識の下にあり、「邦楽文化は薄っぺらい物」「非普遍的で中身がない」「流行・時代性の価値だけ」との潜在的認識の下で、邦楽全体を低く見るという力学が強烈に働きます。この状態では音楽文化はまともに形成されず、「文化・認識の蓄積による温故知新の前進」「音楽家による邦楽聴取での題材探し」も行われず、いつまでも海外・洋楽の下位概念で在り続けます(分野の高度確立以前の物は技術や手法の蓄積度が低く、古臭いという観念自体はごく普通の物で、実際古臭い物は無数にあるでしょうが、あまりに古い⇔新しいという観点を絶対視し過ぎていて、型に嵌った固定観念に支配されている)。これを「本義を欠いたマスコミ・産業界・業界の在り様」「文化的側面・全体利益よりも、消耗品・短期利益・業界や企業の利益を優先する矮小化した感覚」が強く助長していて、「新しい物・新奇性・時代性・話題性・露出宣伝してる物・人工的な物・金をかけた物、だけが価値があるのだ」という如くの思考を植え付け、更にこのような楽曲は時代が経つと「時代性・新規性の消滅と本質性・普遍性の無さ」により無価値になるので、益々邦楽全体が陳腐化して低く見られていき、いつの時代にも「悪化が良貨を駆逐する」現象が強度に蔓延する状況を齎し続けます。先進諸国ではここまでの明確な傾向は無く、若年層が知っている嘗ての音楽は多く(TIMELESS・汎時代性という概念、アルバムのカタログの販売比率も多い)、古今の多様性から来る新機軸開拓・ジャンルのリバイバル・カバーも多く、芸術文化としての評価・研究・蓄積の体制があり、カレッジラジオ・ネットラジオなど、上意下達的でない草の根からの流行化という様式も確立しています。これにより「嘗ての邦楽は古臭い・懐メロと言われ、同時期の洋楽はさほど言われない(例えば90's邦楽へもそのような意見が言われ、90'洋楽への同意見は国内外とも少数)」「古い曲だけど云々という若年層のコメントがネット上で散見される」という奇妙な事態を生んでいます) -
- (「動画サイトで、日本の著作権物の削除・視聴不可の処置が非常に多い」「(恐らく)世界で最も高頻度の削除」「邦楽・海外楽曲とも、日本は視聴不可・海外諸国は可能な事が多い」という状況があります。ストリーミング(音楽ネットラジオの事実上禁止)や二次的使用の禁止など、日本の著作権管理は突出しています。TV番組の中でも、例えば音楽番組など今後の収益(DVD販売など)にならないだろう物は多いですが、それでもわざわざ要員(=コスト)を配置して削除に精を出します。そして局に死蔵され、事実上日の目を見る事はありません。結局の所こういうのは、「権利があるから、行使しないと損した気になるから、行使する」「そういう物だから行使する」「空気・慣習に逆らっても特にならないから、別に関係ないから従う」と言ったぐらいの物でしかなく、収益にさえ逆効果であって、「何か建設的・発展的な意識の基に考えた結果」「真に意味合い・影響を考えた結果」などという様式は存在しません。
「メディアミックス的な各種サービス提供」により「ファンになる切っ掛けの場の創出」「熱さ・熱気を感じさせる」「関心・興味を増させる」「ファンとの相乗効果」を狙うのは、各分野で長年行われてきました。潜在ファン・大衆にも「入り口の場」「簡単に"その物"を知る事ができる場」「興味・関心を増させる・持続する場」は必要です。また波動原理上では「そのような場(動画サイトの高視聴数のページ等)」は、その存在だけで「ファン・熱気・関心・注目度増加」「肯定的な発展進化を起こさせる」「アーティスト・制作陣自身への好影響」を波動的に起こすという性質があります。「ネット・動画サイト時代以降」は従来と概念・認識・方法論が変わり、「興味・関心にネット・動画等の存在は必須」になりました。しかし業界は「最も自分達に都合の良い手法に固執」「自らそういう場を次々と潰す、そこからの発展性・進展・応用進化が起きない状況を創出」という思考に、丸で党是のように依拠しています 。このようにして日本では、大状況が常に後ろ向きに、芽を摘み続けるように、そして色々な事を諦めさせていくように進展していきます) -
- (「動画サイト」「Google Earth」には、個々の問題は幾つもありながらも、大きくみて社会の役に立っているでしょう。これらサイト(業態)は、現行世界秩序の中で「他国に先駆けて行う事が許されている国」「許されていない国」があり、日本は後者で、これは如何に現代世界秩序が理不尽かを示します。また同時に、何でも雁字搦めの日本では、このような案が出てもすぐに潰されたでしょうし、実際「検索エンジン」の出始めの頃にそうでした。ただ「動画削除問題」は「本質的である社会や音楽・文化にとり、どうなのか」という観点で見る事が重要です。「音楽・文化・社会の全体の、ある程度の未来像・理想像」のような物があって、その全体像に対して、「二次的三時的概念の著作権をどう当て嵌めるか」という問題です。しかし現在の「組織力学第一主義による上下逆転の論説」が蔓延る日本では、下位構造を優先する「先ず組織」「先ず著作権」というムラ思考が横行しています。
「著作権は保有権利」「動画による売上げ減少効果」もありますが、現代は物事は大概「好影響悪影響ない交ぜで存在」し、権利固執より開放した方が「接触機会・応用進化の可能性」が残存します。そして結局は、何事も状況改善には「良い効果を齎す物・状況を進化させる物」を積み重ねるしかありません。業界は「(波動上も含め)こういう意味合いの事物」を全て削除、「そこから何かが始まっていく可能性・切っ掛け・端緒」を潰しているのです) -
- (界隈は「草の根活動・創意工夫・新展開・新形態・新概念の創出への制限・敵対意識」「従来の思考法・業界の慣習への固執」が著しく、「諸外国に比した時の縮小化・後退化・ムラ化・低次元化を感じさせる状況」を自ら創出して、「新規ファン獲得」「古今の多様な音楽への興味関心」「音楽文化・多様な認識の蓄積」を無視しています。近年の状況の原因は各種ありますが、界隈の「文化創造」「自由な発想と障壁の低さによる各種挑戦と発展・応用進化」等の観点の著しい低さと、「類型化・ムラ化・業界力学の横行」「マスコミ・芸能等も含めた利権化・ムラ化・低次元の権力争い化」「視野閉塞・諦め・硬直化」が最大要因です。「過剰な物質的視点」「金・業界論優先思考」は「消耗品量産的な手法」「芸能界的手法の横行・芸能界化・低質化」を招きました。音楽界による「文化的視点(精神的側面)」「成熟文化創造(アーカイブ化等)」「多様な切り口・方法論の積み重ね」「ファンへの切っ掛けの場(作曲にように、Hook・サビを作る)」等の思考の欠如は、「奥行きのある文化度」「音楽その物の芸術性・文化性・楽しさ」「多様性・障壁の低さが齎す、手法・認識論・興味・関心の発展・進化・広がり」へと、系統樹的に進展する機会を自ら潰してきました) -
- (「文化・芸術分野に関連する概念・力学」は、「文化・芸術:精神性・自己表現・世界観・尖った表現(キュビズムの様な"一部性質の極大化・表象化")・個・没入」⇔「非文化・非芸術的傾向:消耗品化・大量生産品・類型的な思考と手法・物質主義・芸能界化(所謂)・金や権威志向・ムラやコネ」という関係性にあるでしょう(左記物質主義は"物質性の表現性・独自表現度・表象化が高い物(=芸術・文化性)"は除く)。しかし界隈は「後者ばかりに傾いている(非文化的・非芸術的志向)」にも拘らず、「文化発展の為と謳っていた著作権という概念を主張(下段)」「自らの義務を果たさず、存在意義を考えず、権利・利益・組織論追求ばかり」というやり方に固執、その空気に支配されてきました。これら「文化性・芸術性・本義に則っていない在り方・空気・力学」に加えて「内面・社会の空洞化・類型化・硬直化」もあいまって「発展性・改善の無さ」を感じさせる状況となり、「全体の硬直化・悪化」「進展・改善事項の無さ」「存在基盤・文化的基盤の劣化・形骸化」「後退感」「忌避・白け」「ムラ的印象(音楽ムラ・芸能ムラ)・蛸壺感)」「非本質的な物・非普遍的な物・無意味な物との印象」「空虚感・陳腐感」を招きました。これらは上述・後述の「日本社会の問題点と全く同じ構造」「全く同じ悪影響」です) -
- (「福一三号機爆発の音声付き動画を、著作権を理由に削除」「当該動画は少数の放送局のみ撮影」「その局は動画を放送しない」との状況があります。著作権とは「近年一般化した概念で、原初から存在した物でない(二次的概念)」「導入・説明に際し、公共の利益・健全発展を謳っていた」「社会合意に基き施行されるべき物」であり、拠って「公共・大目的・最大利益とは正反対の方向のやり方」は「導入の前提の社会合意や、本来的目的・在り方に著しく反する」「乱用・独善主義・最大利益の認識という広い視野に著しく欠ける」物でしかありません。「公が知るべき世界史上最悪事故の映像・情報を公開拒否する理由は存在しない(公的要素がこれ以上高い事柄は無い)」「利益や権利の相反が起きた場合、大衆・公共の利益・権利を優先すべき」であり、「"公共の最大利益の下位概念である著作権"を乱用する権利」はどこにもありません。また「公器との理由で、電波料等の莫大な各種利便を供与されている」のに、「公的事象⇔私的権利」との関係性において「私的権利優先を非論理的に主張」するのは全くの理不尽で、「自ら公器でないと表明・公的性質を放棄」したのと同じです) -
- (これらは「権益強化が招く社会損害(が招く自己損害)」⇔「権益柔軟化が招く社会利益(が招く自己利益)」という利益損害バランスで、「両者の利益損害レベルが短期・中期的に同等と考えられる場合に、「前者の権益強化ばかりを選択する」という思考による物です。「後者の方が明確に優位の場合」は、即ち「前者の優位性を世間へ説明する論拠が少ない」ので「ムラも仕方なく後者に同意(前者ごり押しも多いが)」しますが、「一応短期的に社会利益が同等と説明し得る場合」は、後者の選択を「各方面へ徹底的に根回し(ごり押し)」します。これは古今東西行われてきましたが、問題は「日本上層部が永らく方向付けてきた・志向してきた"個の抑制・隷属化"」であり、これが「問題への疑義」「より良い方法を探る建設的思考・議論」を徹底的に封じさせてきました。「前者を社会・多数が選択し続ける」と「社会・思考のな硬直化・後退・退行」「社会構造悪化」を引き起こし、(先述・後述のように)これが日本を悪化させ続けてきましたが、「個の尊重や自由・建設的志向の方向性を否定し続ける」という「強固な組織論・ムラ・隷属思考の力学」は、「封殺された状況が当たり前・問題ない」と社会広範に思い込ませ、「諦める・仕方がない」と思わせ、それを常識化させ、「疑義を感じる心理・思考や各種改善活動を封じる」という強固な空気を戦後日本に一貫して作り上げてきました) -
- (この感覚に染まれば「各種権益強化の自己目的化」「組織論に反する疑義は村八分」「思考・組織の硬直化・悪しき純化」「隷属化・ロボット化」「権威への同化・権威や斉一性拡大への能動的活動」が必然的に起こり、これが永らく日本を腐敗させてきた「空気支配という力学」です。そしてこれら傾向は「柔軟性の無さ・原理主義・過剰同質性」「ムラの空気の絶対化・事勿れ・横並び志向」「「非論理と非感覚の悪い所取り」「"何が善か・何を成すべきか・最大の利益や目的とは・使命とは"などを考えない・議論しない・無視」「個・水平思考の無さ」「世間・常識・組織・権威など"立場保障や意味付けしてくれる他律的基準"への過剰依存」という「日本における集団化した時の悪しき傾向」に直結しています。またこれらは「建設性・発展性・水平感覚の無さ」を強く感じさせ、「閉塞感・無気力・諦念・白けの蔓延」を招くので、「社会・国のどん詰まりへの転落」へと追い込んでいます。この感覚・力学は社会上層部・大組織に強固に蔓延しているので、これに染まってない「壁の少ない・個の尊重・調和的・建設的発展」を志向する集団は、今は草の根的にしか存在しません) -
- (欧米という権威や消費主義の信仰であるブランド信仰は、人間も社会も大概模倣・比較から始まるので、キャッチアップの時代ではある意味当然の現象としても、それにしても余りに過度でした(国産ファッションの高度化・世界各国の文化流入・無国籍化などで近年薄れているが)。「画一的教育システムの産物の学歴信仰(これも近年低下)」「"一流大企業は格が高く偉くて云々"という企業格付け・序列」など、「分野内に多くの物が存在する以上、一つの物差しとしての序列化は現代社会では必然」ですが、「格の存在・格の参考・格の絶対化は其々別個の問題」で、ステイタスで判断する価値観は昔から根強い物があります。また「"OOの年齢層・世代は、こういう情報・行動・考え方をすべき""若いから・年齢を経たから、OOをしない・聞かない"というような型に嵌った類型的思考法」も強固で、「企業社会的思考による"仕事・企業論理のみで来て、退職後は全て喪失、役職で呼ばれない事に違和感がある"という話」も生んでいます。これら各所・数多の状況は、如何に日本に「固定観念・硬直的思考」「偏った集団思考」「形式主義」「権威・外部価値観への隷属」「評価基準の他者依存とアイデンティティー不在」「非普遍性」が酷く蔓延してきたか示しています) -
日本の政治・マスコミ等は低質と言われ、「政治家の日常活動・権力闘争・利益配分(政策研究・実施と無関係の活動の多さ)」「官僚主義・官僚答弁(理想論や国民の不在、無謬性信仰)」「ニュース報道(形式主義・非具体性・タブー・その他様々な理由により、長時間の割りに内容が薄く、毎度同じ内容・トーク・感想・一般論の紋切り型。女子アナ=頷き役、偉い人=御意見番など、属性毎の役割固定化。各国のニュース・報道番組を比較しても明白)」等に如実に現れています。これは「権威・縛り・立場や左右・イデオロギー」を抜きに「水平思考・視野の広さ・論や人の関係性の対等性・論拠提示の双務的義務・言論や表現の自由を念頭に置きつつ、事実関係を基準に透徹して思考・議論・報道する」という「本質的土壌が欠如した日本の悪弊」により当該状況に至った物で、議論時において「具体性を伴う論拠・論点、広い視野・俯瞰」の両観点を欠く為に、「左右思想・政党・論壇」など各方面で「有意義な建設的議論と、発展的昇華による認識進展」が起きてこなかった日本の永らくの不毛な状況を齎しました。「まともな議論の場・垣根が低い広範な論壇」の不在と「意見表明を憚らせたり封じる圧力」の存在は、政治・マスコミその他「社会の上部構造」において「タブー、マスコミが事実をそのまま報じない領域の広さ、社会的議論で取り上げられない領域の広さ、一般に知らされない領域の広さ、自主規制蔓延、議論・報道・批判内容の偏り、何をしても・言っても無罪放免な分野・思想」を生み出していますが、ここまで現象は先進各国では見られなく(概ね壁が低く、封じたり自主規制させる空気が余りなく、取り上げない領域は狭い。問題発言・行動が多ければ、どの分野でも同様に報道・批判される)、如何に日本の抑圧性・閉鎖性・自己規制や偏りが歪かを示しています。更にこれらの空気を「本音と建前・二重基準・詭弁と無責任さのの横行・非本質的議論」という政官等の傾向が助長し、「思想・分野・属性間の相互性を欠く硬直的・分断的・非建設的状況」「多様な意見・議論を許容する社会的包容力の低さ」「一部論点を過大視して他の論点を無視する狭隘な議論、煽情的主張に終始する粗暴な議論手法、広範な個別論点・論拠と全体を俯瞰的視野で繋ぐ思考の欠如」「マスコミの形式的中立性と公器としての空洞化(官僚主義化・利益や自己論理の優先・社員であってジャーナリストでない・非報道領域・公式発表や一般論のみを流す姿勢)」「社会包容力の低さとマスコミの状況による、事実と公式論の間の二重性の著しい乖離。それがネット社会の状況(他の先進諸国よりネットで無いと知り得ない情報が多い)や、二重性の間に巣食う利権等の存在を生む」という社会的状況を齎し、社会広範で「無力感・皮相的冷笑的な態度・形式主義・どうせ考えても言っても何しても無駄という感覚」を生み出しています。
この傾向は経済面では「合理性・統合的視野・目的論の欠如」「瑣末な内輪論理の横行」「協調性・忠誠心・斉一性の強要」により、「業界内慣習・ムラ内部の評価基準・時間を食う無意味な義務」「過剰サービス」「残業・サビ残・長時間労働等の労働強化と非人間的労働環境の蔓延」「労働生産性の先進国最下位への落ち込み」「余暇需要減退」など「自ら招いた無駄働きの状況」、「高ストレス社会」「社会・個人の疲弊による様々な慢性的な負の経済効果」を招いていて、俯瞰的視野で国情を見た時に「原発稼動で経済効果を言うのに、自らの在り方が作り出した状況はこの惨状」という奇怪な様相を呈させるに至っています。
この疲弊・空洞化は個人に対し、公的な物については「仕方が無い・しょうがない・どうでもいい」「無関心な方が正常・格好いい・無難」「考えても・何やっても無駄」「各種活動・思想・政治など、社会的方向への忌避・無関心」という感覚を蔓延させ、「周りの顔色伺い・面倒だ・関係ない」との心象により「意見を持たない・言わない・考えない」事を良しとさせ、「半径数メートル以内のような矮小化した私的関心範囲」に終始する層や、「自己隷属化・思考停止・無能化・空疎化」「無関心や空気が正義」「少数派である事を常に忌避する」という状況を作り出しています。本来素晴らしい物である「自主的な共感能力」は、「出る杭が打たれないように空気を読み、社会・集団内で同じ事をするように枠を嵌める」という「暗黙の強制の同調圧力」へと変性して、「奴隷化や社会の駒・歯車へと化させる」状況を生んでいます。また「内面や思考が空洞状態だと、無定見に空気を受容する」傾向があり、拠って「統制的な手法・論調が罷り通る・・・等の現在の世情では、これに付和雷同しやすい」ので、益々社会から多様性が失われ、視野狭窄や固定観念が進行する要因となっています。そして多数の人がこれらの循環にうんざりして、どうしたら良いか分からないまま、疲弊感・馬鹿馬鹿しさ・空虚さを感じ、投げやり・厭世的になったり皮相化しています。
社会全般で以前より改善した事柄は多いですが、それ以上に「システムが出来上がり、その後変わらなくなった」分野が目立ち、これが「硬直性・慣例踏襲思考」を醸成、同時に「年々新たな問題が表出」「伝統的な良い部分が経年的に弱体化」して、また日本に特徴的な「分野毎の蛸壺化・階層化」「社会的固定観念の妄信」も進行、総合的に見ると「改善より停滞が目立つ」「思ったより改善していない」という状況が近年顕在化しています。
日本は長年「論理的思考・ディベート力が弱い」「斬新な理論・概念・製品が少ない」「従来と大きく異なる考え方が少ない」「画一的」と言われ、これは「個・自由思考よりも、権威・常識などの枠組みの重視」による結果で、「論理の対義的概念の感覚・感性」も縛りつけ、「論理性も感性も無しに、ただ只管に上意下達や右に倣えを強要してきた濃厚な空気支配」が生み出した非常に異様な状況です。賛成でも否定でも物事には「論拠・独善的でない判断基準・対論への持論考察時に近い一定の対等性保持」が重要ですが、この思考は飽くまでも「持論・好き嫌い・エゴの押し通しが目的」なので、客観性・公平性は端から眼中にありません。このような観念は殊更「日本の称揚、更に称揚の強要」「自己を国の主体の同一視」「対象の国家貢献度・反国家性向を判断する主体とする」「それによる一方的断罪」との傾向を持ちますが、片や「拝金・利権」「利己主義・公の軽視(お上や空気でない真の"公・公徳心・道義"の軽視)」と非常に親和性があります。国という権威の絶対視をするも、その中身はどうでも良く、それより金・我欲が上に来るので、浮世絵に見られる美しい光景は無秩序な街並みに変わり、山河・海岸など方々での乱開発横行など、先達や万物が営々と築いてきた物の自己破壊を繰り返しています。そして原発に対しては「力・権威・ムラ社会・金・イデオロギーの象徴」と化させ、「経済合理性・軍事・その他での論拠に乏しい主張」を「振り返りの視点を持たずに、論拠欠如を半ば承知しながらも、原理主義的にごり押しする空気の精神的支柱」と成らせしめています。更にこのような思考は「往々にして個々の観点でも論拠に乏しい」「全体論になると、メリット/デメリットの全体比では著しく非合理的・非理性的」「その上で、議論・対等性・客観性・道義を無視、弾圧・抑圧・封じ込めを励行」という物で、これら理不尽さの強行により社会を歪にさせます。また「社会構造が常に体制側が有利になる・責任が問われない仕組み」なので、「問題の隠蔽・先送り・責任回避・無理強いがされ続ける」「改善されるべき状況が固定化・悪化」「分野自体・大衆と上部構造・産業界の利益相反が起きた時に、後者の利益・権利を優先する傾向」「建設的・発展的・最も合理的な方法論を選択しない傾向」が明確化しています。
近年の政治・社会は「権力基盤や支配秩序が崩れる・責任を取りたくない・面倒に関わりたくない・慣習や雰囲気がそうだから」として「何も決めず・実行せず・先送りする傾向」が顕著で、「権益固執で互恵的に共存する組織群の統制力」の為に改革が実行されません。この状況は「改善されるか不確定で、悪い結果になるかもとの理由で、あまり改革しない」「政界官界では改革否定の論拠で拙速との常套句を頻用するが、これは日本に特徴的な用語で、何故拙速か不明瞭、どこまで議論しても拙速で、だが具体論は出さず、改革実行は骨抜きになる」「しかし体制に不都合な"悪い結果を生む可能性がある物"については、議論・開示を徹底して封じる」「他より比較不能なほどの酷い結果を生む危険性を持つ原発は、ムラ・周辺構造が完全に野放しで、危険性議論を拙速に封殺」という二重基準のご都合主義を横行しています。政官は「伝統的に言ってる事が意味不明瞭」で、霞ヶ関文学という言葉があり、海外からも「何を言ってるのか分からない」とよく言われますが、要するに「真摯さが無く、常に組織論・秩序・前例・利益構造・権力構造・・・が優先する社会」で、「張り巡らした組織網と誤魔化しの言質で、改革機運を常に封殺」してきました。「政治・選挙は街宣カーが喧しい」「常時そこら中に貼られたポスターは美観を損ねる」「選挙目的の義務的労力浪費が多い」「挨拶回り・業界団体対応・朝立ち演説を始め、諸先進国に比して政治本来の活動は少ない」「公費視察・議員特権など公私混同が多く、利益配分に関わる話が多い(利益配分も政治本来の活動に含まれるが、利益に無関係な活動は少ない)」等がよく言われます。日本では「政治を筆頭に論壇の場が欠如」「官僚体質が強い」という特徴があり、しかし「議員・官僚は国内外の比較で非常に高報酬(諸先進国では公務員は大概民間以下、地方議員はボランティアに近いが、仕事ぶりは日本以下という事は無い)」「女性比率が低い偏った封建的社会」「独特な不合理性が強いムラ社会」「多様性と風通しが決定的に不足」しています。政官は社会改善の為に存在する物ですが、「広範な人々の社会的議論・改善活動には否定的」であり、「由らしむべし知らしむべからず(論語)の、"民は従わせるだけでよい、知らせる必要はない"という曲解」「お上が・我々が決めるから、大衆は関係ない」という悪しき空気が存在しています。非常に馬鹿げた「ネット選挙禁止」は、単にこの一端です。これら傾向は「初期目的喪失と組織・権益維持の自己目的化が顕著」「この国の最上部構造は本義を欠いた物」でしか在りません。
教育は「画一的教育システムと学歴信仰によるピラミッド化が顕著」「巨視・複眼・能動・建設・柔軟・水平思考に欠け、周囲・世間・お上・与件・前例・圧力・因習・空気・・・・・に従うよう訓練された画一的ロボットの量産」「同調圧力に対して従順・迎合的で、固定観念や界隈の認識論を絶対視して、視野が狭い」という状況を生み出しています。どの国も「近代化=画一化」「近代義務教育=軍隊化」との傾向はありますが、現代の日本の学校は先進諸国に比して明確に「画一的・暗記重視」であり、要するに「日本の教育・社会は、過去の遺物構造を強く引き摺ったまま」「この弊害が社会各所に強烈に顕在化している」と言えます。
この構造は「政官の在り方と親和的」「境界外科学の研究意識の乏しさと、欧米学会が認めた論の丸写しの思考様式という科学界の風潮を生む」など、「自主的思考・主体性の欠如という日本の悪弊の重大要因」となっています。また「政官財などの組織を始め、集団時に非論理的な同調圧力が強くなる傾向」は、大衆に「深層心理での非論理的な事柄への忌避」「どうせまともに議論されない・聞いてもらえない」「馬鹿馬鹿しい」との感覚を招き、「非常に強い思考放棄作用」を生じさせています。
「島国・独自言語・独自文化」等は本来は良い面が多々ありますが、上記各問題点が強固なので、「諸外国との正常な対比が起きない、海外の各種改革改善・ムーブメント・良い状況が肌感覚で伝わらない、国際的に一般化しつつある概念・社会様式が伝わらない、海外への情報送信が限られ国際的関心が持たれない、国際的連帯が起きない」ままで、一国だけ世界の進展と切り離された鎖国的状況が維持され続けています。更に一部の人は、非論理の優位思想が思想的基盤なので(論拠による考証でなく)、諸外国と比較時の負の状況さえも「それでも俺達は優れている、これで良い」として、社会に対して認識論共有や現状肯定を強要させ続ける原動力となっています。要するに日本では「国・世間はお上」なので「"内的な他者"たる"客観的・対等性を持つ思考・場・存在"」が欠落、「独自の言語と文化・非欧米なので国際的地位が低い・近代の成功の副作用」という前提状況に加え、「国際社会・欧米は遠くの他者・別個の存在・上位概念」なので「正常な国際比較という客観性」に晒されず、これにより「国内でも国外でも日本は別だからとの結論に収斂し易く、国・民族に関係ない普遍的な本質性を無視した議論になり易い」「前時代的思考が根強く残り、議論や改善の空気が強く阻害する」との状況が作り出されています。
明治維新・戦後改革は弊害も大きく、後に修正されなかった点が多く存在します。維新ではいつ植民地化されるかという国際情勢に対し、体制転換や統制主義化で国を纏めて対応しましたが、全体・権威主義や欧米従属に傾き過ぎ、その弊害が残り続け、多くの点が悪化しました。暦は「社会や概念の基盤に存在する」物で、文化的インフラと言えますが、維新後に日本に何も関係ない新暦に変わり、日常生活ではない「神道・仏教・伝統行事等でさえも新暦への準拠が多数」です。アジア諸国は「祝祭日や年中行事は旧暦で祝うのが普通」で、特に旧正月は盛大に祝いますが、日本では旧正月は概ね成人式がある程度です。「伝統とはその国・社会の文化その物」ですが、これは「それより欧米迎合を優先する思考」による物で、最上位の権威の前に「日本の伝統・歴史・文化や、日本という存在自体が完全に空洞化」しています。名前とはその人その物で、人は「貴方は誰・何者?」と聞かれた時に名前を答えますが、維新後に英表記では「姓名の順を名姓とする」と決め、しかし外国人の名を日本語で「姓名の順」で呼ぶ事はありません。近年アジア諸国では姓名の順での英表記が通例になりつつあり、日本でも少しずつ広まっていますが、そもそも欧米人は名前を姓名の順で言おうなどとは思わないでしょうし、自国の暦を変える事もないでしょうし、況してや伝統行事を無関係の暦で行うなど想像もできないでしょうが、この自ら作り出した観念や格差は天地の差です。ローマ字では「東京はTokyo=トキョ・トーキョー」「九州はKyusyu=キュシュ・キューシュー」になり、世界中の人に対して正確な読みがされず、日本が正確に認識されず、欧米的解釈を通じた認識しかされません。これを「英語ではToukyou, Kyuusyuuという表記をしないからだ」との説明がありますが、ローマ字は言語の英語とは異なる「日本語のアルファベットへの変換が目的の、日本で人工的にラテン語を基に作られた表記法」であって、「本来的に表記法は、音を完全に表記する為に存在する」物であり、発音記号と同様に「Toukyouをトウキョウ, Kyuusyuuをキュウシュウと読む」とすれば良いだけで、「発音記号を世界中の人が読めるのだから、多くの人もこのように読めるようになる」でしょう。また戦後では、国際社会・世界との名があれば絶対的権威になるので、内容如何に関わらず「上部構造・従うべき物」となり、「国際的地位・発言権・存在感は無く、内容監査・改善提案も少なく、本部等も存在しないのに、国際機関や対外への拠出額はやたら多い」「非常に都合の良いATM」と化させ、この影響で「日本の主体性の無さと、あやふやな世界的常識という名」の下に「日本に勝手な事を押し付ける幾つかの国の状況」も生んでいます。例えば、山田太郎さんは本来的に「山田太郎さんであり、決して太郎山田さんではない」ですが、これは丸で「自分という物が存在しないかの様な透明人間的状況」であり、そして「日本という物も存在しないかの様な状況」でもあり、こういう事が常識である社会には主体性という物が存在しなく、「自国と他国・他地域との対等・並列的な関係性」という認識も育ちません。ただ「真実や在るべき状態より、他に迎合したり従ったりするだけ」「自分の頭で考えるより、何処かのお上が下した物を丸写しする」「本来的意義という中身が無く、皮相的・形式的な外装がある」という社会的な重力に隷属しています。これらは全て「自国その物や、自国の伝統・文化・歴史より、欧米・最上位の権威を上位の物とした」「論点が幾つかある場合に、欧米迎合・国際的序列・外国の対日的思惑への迎合ばかりを選択した」「それを当然の事として、疑問にさえ思わなかった」という社会認識により起きた物であり、同時にその存在自体が「日本や内面や思考の空洞化と主体性喪失」「欧米の権威化」「国際的地位の序列と一方的関係性」「隷属思考・権威主義」を固定化・絶対化・再生産し続ける物です。しかも加えて「全体主義傾向があるにも拘らず」という状況も存在していて、通常は全体主義は排外に結びつき易いですが、日本では排外と同時に異様な対外従属にも変容していて、この「対外従属と全体主義の捩れと、両方に共通する権威迎合」は甚大な禍根を生じ続けています。徐々に変更されてる物もありますが、「一般的に疑問に思われない・あまり議題にならない程度」で、これらは如何に日本に「権威従属意識が当然のように空気のように蔓延してきた」「その中だけの視野・認識論に埋没してきた」「高度に模倣する事で認めてもらい、安心感や自己肯定を得ようとした」「それらに疑念さえ起きなかった・疑念より従属意識の方が勝った」「主体性・対等性・真の思考・内面たる物が存在してこなかった」かを表しています。「伝統は固有文化その物で、どの国の文化も対等に存在」していて、である以上、合理的な必要性が無い場合は、「社会制度は他国文化より自国文化に沿うのは当然」です。その上で「文化制度は普遍的な物」であり、「どの国・社会に存在する物だろうと、良いと思う物は取り入れれば良い」話で、そこには「権威・従属・流されるなどは無関係であるべき」ですが、「主体的・自律的思考や統合的視野が無い」ので「すべき事をしない・すべきでない事をする」という「無定見で空虚な状況」になっています。
「体制は、片方で近代合理主義を謳いながらも非論理的で、もう片方では"日本型伝統による統治"を謳いながらも、その伝統とは概ね"権威・全体主義・ムラ社会・利益分配機能温存・旧弊固執"の糊塗だった」「明治以来・戦後永らく"近代的な個・自我の確立"が抑制され、"真の公たる上部構造・社会的機能"は弱く、"真の伝統的社会の持つ機能"も年々弱体化した。個人は"個も公も弱く、社会と切り離されて"次第に宙ぶらんになり、そこに空気が圧し掛かり、個人も排除されたくないので迎合した」「空気という擬似伝統は強いが、真の伝統文化は過去の物となり(世界的傾向)、硬直化と"地霊(日本の本来的な良い部分が持つ影響力)の弱体化"と物質主義(世界的傾向)を生んだ」「本質論・具体論・巨視的思考・主体性の欠如と、客観的存在(多様な意見やオンブズマン的機能や海外の視点など)の不在は、形式論・既存論踏襲・恣意的判断を呼び、議論の場が欠如し、修正機能が働かず、多くの分野での構造改善が遅れた」「この呪縛の循環で、多くの分野で流動性が低下して、状態・思考の固定化・硬直化が進み、改善が進まなくなり、社会疲弊に陥った」「問題の根本を見ていないので、原因が認識できず迷走した」いう流れできたのが近代日本です。そしてこれらの究極的悪影響が「"権威・一部科学の独善的暴走と修正機能欠如の不均衡"が引き起こした福一事故とその後の世紀末的状況」と言えるでしょう。この方向では「権威主義・全体主義・抑圧・息苦しさ・自己隷属化・閉塞化・白痴化・空洞化・形式主義化・停滞・縮小均衡」など悪い物を招くだけで、改善の可能性を自ら潰し回り、先天的な良い事物をあらかた破壊しながら、社会は行き詰まって破綻します。日本・日本社会・日本人には良い部分も多いですし、国際的評価もありますが、何時の時代からか幾つかの根本部分が大きく捩れ曲がってしまい、それが修正されずに硬直性も進行し、「私的・小集団な良い部分と、公的・公的思考・集団になった時の駄目な部分の差」「両者間に存在する、自由思考と主体性の欠如と慣例踏襲」が著しく、それが社会を疲弊させる癌となっています。「波動論や社会の諸々の状況」を重ね写して問題の共通要因を探ると、日本では「自由思考や主体性の欠如と慣例踏襲」→「自縄自縛化・硬直化・経年劣化・隷属化」が際立ち、日本に特長的な社会的要因はこの辺りに行き着くと思います。
- (日本の全体主義傾向には特徴があり、「建前と本音が別れる」「表では非常に自由に見え、内実は全体主義傾向が多くの分野にある」「自家中毒的(非合理的な自主規制等)」「諸先進国以上に実社会とネットの格差が明確((政治マスコミの問題もあるが、それ以前に未だ前近代性が強い。先述の"島国・独自言語・独自文化"により、海外に伝わらない・外国人が読めないので何を書いてもいいとの身勝手な心情も醸成している)」です。そして「国内へは抑圧的」「国外へは非自律性・自主的思考の欠如・卑屈的(平和的を通り越し)」という奇妙な二面性があります。これは「第二次世界大戦・近代において、大きな対外的な過誤・犯罪行為を犯した」「同時に、事実より非常に悪玉にされているので立場が弱い(近代・戦前の対外的行為には、良い事・悪い事は共に多数あるが、どの勢力もご都合主義の解釈、現代社会の欺瞞性を表している)」「欧米支配体制への最大脅威なので、歴史的に封じ込められ続けてきた」「何かと封殺・攻撃し易い対象」「歴史的な平和・受身志向」「近代の成功で底力に自信があり鷹揚になった(自信過剰も招いた)」「八方美人的な振る舞い」「権威隷属志向」「古来からの歴史により"言外の意思疎通や空気を読む能力"が高いので、内部へ論理によらない同意を求める事が多い」等が理由に挙げられます。人間も社会も外的要因に左右されるので、周辺国・東アジアの状況を見ると全体主義傾向もある程度仕方ないですが、それにしても高過ぎです。近代日本は非欧米世界の先頭で、良くも悪くも一般的評価以上に、国際情勢や多くの国に多大な影響を与えましたが、これら状況や、内面の空洞化や、欧米従属一辺倒や自己が皆無な「戦後の透明人間的状況」は(欧米と周辺国の戦略だが、結局は自己選択)、世界に非常に悪影響を齎し続けてきました) -
- ("カワイイ文化"は日本文化の特徴が現れています。これは可愛い物が持つ「非攻撃性」への親和感で、「大和」の国号にも通じ、近年確立されましたが、元々は平和な縄文時代・縄文以前からの感性の基層に基づく物でしょう。他にも顔文字文化を始め「非攻撃性・摩擦低下・親和性・配慮等や細やかさ」を示す物が多数存在します。西欧の社会・文化・学問・哲学は論理を軸に発展し、論理とは線形だと言え、建物を始め(更に人の動き方まで)直線的な印象があり、(波動効果が高くなる)黄金比などきっちりした方法論を透徹させています。そして東洋文化は感覚を軸に発達し、循環的だとも言われますが、感覚とは非線形で円形だと言えるでしょう。日本の建築物は"白銀比(大和比)"を多用していますが、これは黄金比より円に近い比率です。可愛いという言葉は丸い物に対してよく使われ、ダンス・スポーツ等で現れる動き方の特徴や、顔の縦横比や骨格も円に近い物があります。「木を見る西洋人、森を見る東洋人」という比較文化論でも差は指摘され、これは同時に「長らくの伝統がDNAに刻み込んだ遺伝的な物」でもあり、特に日本では日本語の曖昧さや擬声語の多さにも感覚志向が現れているでしょう(母音が限られる特性にもよる)。そして感覚と論理の両方が無いと社会は正常に発展しなく、「感覚も論理も両方しっかりある上で、どちらが優位か」というバランスが重要です。近代日本の「日本の基層の良い部分を封じ、だが非論理的という悪い所取り」が、「これだけ懸命に頑張り、色々な良い物・特性があるのに、その割りに上手くいかない」という事の根本原因であり、全体主義・根性主義・右に倣えでやろうとしても、所詮根本がおかしいのだから意味が無く、社会全体に単一思考を敷衍させて成功させようという浅薄な思考が上手くいく筈が無く、「感覚も論理も無いグニャっとしてるのに硬直した鵺のような存在」となるばかりです。社会構築に不可欠な基礎が余りにずれてしまった為に、頑張りは悪い方向や異様な斉一性に向かうように方向付けられてしまい、そうした中で疲れ果てたり馬鹿馬鹿しくなったり等等で、"日本の地霊"が国情を支え切れなくなったのが近年の状況です。これら志向は日本を長年に亘り劣化させ、多くの問題が改善しない状況に追い込みました。結局社会は「個人が感覚と論理を重視するよう社会が支援」「その個人個人が連帯していく循環」でしか改善し得ません) -
科学での「査読」は、従来科学と大きく異なる物は殆ど無碍に却下され、地位・評判・空気を気にして撥ねる圧力が強く、仮に通過しても店晒しで学会内で考慮される事は無く(考慮すると排除の圧力がかかる)、全く制度が機能していません。波動的手法の現場研究者など非権威側にも「真理追究・科学や技術の発展・社会貢献の意識が概ね高い」「賞・有力誌・地位等を重視しない」「(徒労に終わる)努力より研究を優先」などの点はありながらも、全体的に努力・工夫不足などの問題点は否めないでしょう。しかし実験・検証拒否を見ても分かるように、権威側は徹底して頑なで、従来は努力を実らせるのは不可能でした。
科学界でも「欧米⇔非欧米の格差」は絶対的で、国内では「固定的思考法や従属思考」がこれに拍車をかけ、更に欧米域内でも序列が厳しく、「波動原理・境界科学・未科学」で高度集積があるロシアの知見は、科学界に大して反映されていません(これと別に隠された事実は多数存在・項目6④)。中でも「欧米学会・権威ある専門誌・ノーベル賞等の格は高い」「ここが認めないと科学的に意味を成さない」「日本の学会は下部構造でしかない」等のヒエラルキーは界隈の絶対的観念です。日本ではこの固定観念の下で「境界外科学の研究意識は乏しい」「欧米学会が認めた論の丸写しの思考様式に、疑問の欠片さえ無い人が多数」「だが欧米・諸外国は日本より自由なので、境界外科学を研究する有力・公的な機関・大学等が、日本より遥かに多い」という奇怪な状況が存在します。「ノーベル賞もの」との表現は「311後の元素変換の否定論」にも「そんな発見がされたらノーベル賞ものだ」という物がよくあり、しかし事実ならば「日本の破局危機を救い得る」「現代科学を完全に覆す」「比較対象が無いほどのパラダイムシフトの可能性」「応用範囲が無限だろう物」であり、それを「ノーベル賞=究極価値と捉える矮小思考」には唖然です。「科学全般で滅多に無いほどの発見・解明」にも使われますが、そもそも「そのような物は、賞という次元を遥か超えている」のであり、定型化した狭い視野・枠に嵌り過ぎています。科学が存在する以上「学界・場・ある程度秩序化された概念は必要」「現在代わる物は無く、権威化は必然」ですが、「それが存在する事・参考にする事・絶対視する事は、其々意味が全く違う」のです。これら権威・見解は「必ずしも全面的に妥当という物では無い」「歴史的に何度も科学常識は変わった」「"時代毎の境界外科学の中で事実の部分=科学界に認められていない"という現象が必ず発生」という物で、「現代科学界の認識論・存在形態」にしか過ぎません。結局「真の科学的思考を行わないと・真摯に考えないと道を誤るとの不確実性は全てに存在」「権威・認識論とは人為的構造に過ぎない」ので、常に真理と一体な訳でもありません。それよりも「現象・観測結果の方が比較不能なほど上位の存在」で、そこに沿って始めて真理と一体的である可能性が生じます。
往古より人々は観察を通じてモデリングを行い、その幾つかは通説となりました。しかし「既定事項・権威・場の論理や空気なりを絶対視し、現象自体から目を背ける逆転現象」が覆ってしまっています。別に「理論Aがあるから確定的結果Bが起きる」訳でなく、逆の「主の"自然の真理が起こす事象群"から、従の"とある理論"を導き出した」だけの話で、「人類史と共に連綿と続いてきた通論の変遷史を忘却」しています。若し通説と異なる事象があれば「それを更に研究したいと思うのが科学的探究心・科学者の本分」でしょう。しかし「それを須らく無視・否定するのが今の常識論という物」「途中の必須条件の論理・思考が無く、結論だけが存在」なので、何処まで行っても「権威に訴える論証・衆人に訴える論証」「科学的に有り得ない・前提がこうと決まってるからそれは間違い・確かめる必要などない」「世間が偉い人が言ってるから・我々がそう考えるから・当たり前だからそれは嘘だ」という思考法しか存在しません。
これにより除染に纏わる会話は「放射能が下がった」→「嘘・トンデモ」→「検査機関・ガイガーカウンターで測定した」→「捏造・測定ミス」→「では信頼性のある計測法とは」→「計測以前に、科学的に有り得ないから信じる訳ない」→「科学は実証により変遷を繰り返してきた」→「そんな現象を認めた有力論文は無い」→「査読は機能してなく、その種の物は無いが、現代科学と異なる現象の論文や専門誌掲載は多い」→「信頼性が無い」→「現状では万一の可能性を探す必要がある」→「非科学的な事をしても無駄」→「合同検証すれば良い」→「科学者にそんな暇は無い(だが批判・形式的思考にかける時間量は多いのでこれは詭弁、そもそも科学界には検証義務があり、膨大な科学者がいても存在意義を全うしてない)」→「では検証する事は無いのか」→「ある訳ない」→「そんな姿勢では、若し事実でも認識できず嘘とされる」→「嘘だから関係ないだろ、よく信じられるな」というような「無謬性と優位性の妄信と無思考」が続いています。
例えばピラミッドパワーと聞いて最初は胡散臭いと思っても、どこかに「真剣に考慮・考えを保留」する部分がなくては、それは「自称科学的でありながら、科学思考でない物」です。同様に何かについて非科学的と思っても「そういう事があるのかもしれない」「まだ科学の全てが分かっている訳でない」「実証的に確かめていかないと」という留保余地を残さなければ、それは単に「硬直した原理主義的思考」「科学的思考足り得ない物」です。これらは「現実社会で上手く振舞う為の都合よい思考法」「真摯・仔細な検討より一纏めの否定・揶揄の方が楽、対論を排除し易いという観念」「建設論・理に適った考えよりドグマ・空気の優先」という深層心理の為で、悪貨が良貨(真摯さ)を駆逐しています。「除染可能との論が多数ある」「実験検証無しに事実は分かりようがない」「真偽確認の簡易実験が多数ある」「肯定論否定論は認識論に過ぎず、その統一場が実験検証で、すれば概ね分かり、どんな結果でも考察を次へ進められる(真理>現象・事実>認識論)」「万が一の可能性がある」「全可能性を探し続ける義務がある」「否定でも、実験結果に基づかない否定より基づく否定の方が論拠が高い」「超非常事態」、これらは各々否定しようも無いですが、当然過ぎる正論が無視されるのが今の世です。
そして「この程度の初歩的道理も通じない」なら、「支配的観念が世情を決する」ことから「世の中で道理が通らない・理不尽な社会」なのも当然でしょう(多数の人の観念で無く、支配力・統制力を持つ観念で、多数が従属している)。大体「多くの事象・論の無考慮と共に形成されてきた従来科学」は「全体の一面に過ぎない」ですが、にも拘らず「全体の真理・自明の理」と言っているだけで、「多くの事象・手法・作用・論を端から否定できる論拠・絶対性・正当性」は存在しません。不変普遍な数学は「厳密に論理的で常に定理足り得る物」ですが、科学は「その時々の認識論や意図・不実が入り込む要素がある」「歴史がこの繰り返し」でした。実際否定論の言い分は「実質的考慮や検証をした事が無い物」「する気もなく、だが嘘・トンデモ認定でお終い」だけです。
これを纏めると「従来科学は数多の事象・手法の作用原理・観測結果を説明できず、無視して形成された」「世界各地の古来の理論を否定」「近年増加した波動的解釈を否定」「時代毎の認識論や意図・不実が入り込み続けてきた」「(現象自体・機械測定値の無視)(理論・無謬性の絶対視)(現在の認識論を未来も不変とする)(従来科学と異なる現象・理論を門前払いして排斥)(説明可能な論の自主的構築・検証・議論に対する意識の欠落など)強硬論者の非客観性・教条主義・原理主義・権威主義・独善的・非建設的傾向」「界隈の高い同質性」「低い多様性・水平思考・自己修正機能」となりますが、そもそも論で「子供に諭すような初歩的思考法を、政官財・マスコミその他社会中がしてない」時点で「論の正誤という結果論と別に、それ以前の問題で、根本的に間違っている」のは明白です。
勿論、今日も明日も明後日も、波動原理は公式には否定されたままでしょう。然しながら「何も見えない昼の空の向こう側にも、常に星々が存在する」のと同様に、「誰が否定しようとも、今日も明日も明後日も永遠に、量子的性質も波動も波動原理も、それらによる数多の事象も存在する」のであって、この事実は不変です。「森羅万象の前提には科学原理がある」のであって、それが「たかが現代人が決めた常識」の訳が無く、結局は「真の科学原理という不変不偏の機軸」が顕現するこの社会において、現代人はその遠方を右往左往を繰り返して、そして次第に「中心にある何か=真実・真理」に気付くのでしょう。
云わばこれらは「膨大な根本的欠陥や他原理の可能性の無視という前提上に成立していた裸の王様」「長年世界中を巻き込み途方も無い被害を与えてきた史上最大のバベルの塔」です。認知化の機会は長年潰されてきましたが「普及していたら社会・技術の劇的改善・進化は必至」で、「本来的な社会からすると近年の科学進歩も無かったのかもしれない」「自然・伝統・心の破壊という退行や、低波動の暴走を招いた、真理から隔絶された共同幻想」と言えるでしょう。現に「誰が行おうとも水素カプセルの簡易除染実験は、従来科学体系の大前提を即時に完全否定」「どう考慮しても現象を否定不可能(量子水の項)」「超非常時だが科学界・政官公など代表的主体・権威が何もかも認めない」という究極に滅茶苦茶極まる状況にあり、しかしこんなやり方はもう存続不可能で、矛盾だらけの状況・理論をまともに繕いようもなく、幾ら強弁・ご都合主義・茶番を繰り返しても、直に各所で崩壊が始まっていくでしょう。
これらは万事の中軸の筈の「在り方、客観性・対等性、哲学・道義」の軽視と、「そんな物現実社会の仕組みと違うし、何の役に立たない、処世・常識・パワーゲーム・駆け引きの方が必要で実際的」「建前より空気・事勿れ・序列安泰」という風潮の方が上に来る悪循環、突き詰めれば「本来的な上位概念より下位概念を重視する主客逆転の悪循環」による物で、「現実社会の支配構造の絶対化に、意識進化が追い付かなかった状況」の中で起きた物です。「破壊的な方向性」「上下・序列関係」「競争・他より上回る事・劣後への強い観念」「帰属集団の優位思想」「強権的思考」「固定観念・属性の類型的観念への従属思考」から社会が離脱しなければ何も変わらないでしょう。
「心と科学が分離した現代科学上」では、「科学こそが最高の真理だが、科学・真理に精神・心・感覚は影響しない」という観念が「科学は精神と無関係の無機的な物」「物事は心と無関係に存在する・事象は心と無関係に決まる」「感覚は無価値・無意味、形而上・形骸的な物に過ぎない」=「唯物論の一部弊害が招いた物質主義的観念・力学」へと拡大化して、「金・モノなど数値化できる物」「目に見える物」「権威や力」が大手を振るい、「心・感覚・数値化や金銭化できない物」「非権威」が封殺されがちです。「心は下位概念」なので「相互の建設的議論・検証など馬鹿馬鹿しい」という「非妥協的態度を招きがち」で、しかし権威は上位概念なので、どうしても「社会での力関係に従属」「対論・各論の妥当性見極めを止める」「改善論より現状維持圧力」「論拠より問答無用な威光」「論より粗暴さ」に引き摺られる傾向がありました。しかし超巨大パラダイムシフトにより「心と科学の一元化」「心も物質も全ては波動、意識であり、共鳴しあっている」との認識になれば、この「汎世界的な問題要因(物質や力の優位・精神や善性の劣位)」も修正されていくでしょう。
真の科学・真理は、予断でなく、ありのままの現象に沿わなければ認識し得ない筈です。しかしそもそもその気がないならば、沿う以前に、反対方向を向いている可能性も充分あるでしょう。近現代は「波動以外の科学への認識は高度化」するも、真の科学に沿う認識論は「全てを一体的に認識した往古の方が高度だった」と言えます。霊長類の最高峰と言うも「霊性・精神性の軽視」「自然のあり方を軽んじる根拠無き全能感・傲慢さ」「未来を如何様にも変えれる創造性は発揮しない」「守るべきを守らず、変えるべきを変えず、後ろ向きな固定観念、今と目の前ばかりの近視眼、物質的側面が幅を利かせた」から、「大事な物が壊れてしまい、問題が溢れ返り、社会が良くならず、事故が起き、除染できず、方法も知らず、見ようとせず、地獄を見ている」のでしょう。「目に見えぬ物の重視」「体主霊従でない霊主体従」「感受性や共感や共認を大事にする」「古から現代までに人類が知り得た英知に沿う」「従たる有象無象より主たる自然を中心に、森羅万象と共存」しなければ、健康も除染も真理追求も社会改善も成し得ません。
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2014-06-13T07:04:09+09:00
1402610649
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メニュー22 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/47.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
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&color(white,black){項目6⑯:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
●&bold(){芸術・文化と非本質性・反知性・社会的断絶}
●&bold(){無思考・無感性と非調和へと誘導する社会的要因・集団的圧力}
●&bold(){非調和・非統合と、世の中の事象の断片化・虚無化}
●&bold(){経済・資本主義・貨幣社会の問題点}
●&bold(){共存型社会=理想社会の前提}
●&color(white,black){芸術・文化と非本質性・反知性・社会的断絶}
「個がない社会」に「文化・芸術の健全な土壌と発展」は存在しません。「自由な思考・感性と発露」が封じられる社会では、「感性・情動の表現」たる「文化・芸術」の分野全体が、それに準拠して縮小します。
そういう社会では「社会上層部や上位ヒエラルキーに提示された事象を、そのまま受け入れる思考法」が蔓延しています。「有名人(文化人・芸術家)」は、その構造に入っていって、気に入られないと、露出させてもらえなくて、売れません。拠って「有名人(文化人・芸術家)」「文化的な物・芸術的な物」は、「ムラの眼鏡に適った人・物」が多数が占めるようになります。現在のメディア・芸能界には、この構図が広く見られます。報道する事象としない事象、事務所の力、各種の横車、その他界隈の各種用語、それらはこういった構図の物です。
これは「日本と先進諸国の文化・芸術(近代的な)、メディア・テレビ、ニュース・芸能」などの差を見ると、凄まじいほどに顕著です。先進諸国では「近代芸術」についての場が構築されていて、その上で、テレビなどとの関係があります。テレビなどメディアは、日本ほどに消費主義・物質主義的で無いので、文化・芸術への配慮もあります。このような構造は日本では脆弱で、殆ど消費主義的・物質主義的なメディアに組み込まれていて、名義的に存在するといった感じです。
芸術・文化は「ムラの利益に最も適った宣伝広告物」に取って代わられて、それが常にメディア界の主役であり続けます。文化・芸術は、散在的に存在したり、メディア・テレビ界の有志・良心による幾らかの数の存在、といっただけになっていきます。これでは「しっかりとした文化・芸術の構造・環境・位置付け」は存在できません。その代わりに、利害関係と共にする「ムラ」が幅を利かせます。
先述の「ニュース・報道・サイトなどの傾向の差」は、「日本と先進諸国のメディアの差」その物を映しています。当然「文化・芸術」に対しても「メディアの存在形態を鏡写しにする力学」が働いています。メディア、特にテレビは、その国の様相(特に消費主義・物質主義の部分)が顕著に現れます。そして「日本のテレビニュースの特長」には、「時間の割りに情報量・報じた項目が少ない」「スポーツニュース・芸能ニュースの割合が多い」「バラエティー番組化(民放)・過剰な形式主義(NHK)、という両極端(何れにしても中身より、形式・カネを優先する思考)」という点があります。
現代日本の社会力学や大衆文化は、非常に「消費主義的・物質主義的」であり、これは先進諸国よりも、その度合いは有意に高いです。そのヒエラルキーの頂点に位置するのはテレビです。そしてテレビは上記のように、非常に「ムラ的」で、打算に満ちた「芸能ムラ的」な物に満ち溢れています。言ってみれば、現代日本を支配する最大の空気とは、この「芸能ムラ的な物」です。
現在の主要メディアの様相は「対象を低質化させていく装置」と化しています。「ムラ:閉じた枠の中で、空気の読み合う」「芸能:消費主義・物質主義・空虚」が合わさったこの空気によって、「文化・芸術」は強く浸透されていて、社会広範の一般的認識の深くまで浸透しています。
「文化・芸術」はまた、「普遍性・本質性」「消費性」の2種類に大別できるでしょう。完全な「使い捨て的な文化・作品」を除いて、当然1作品には「2要素が複雑に内在している」ので、「どちらかの要素が100%」というのはありません。ただ、明確な傾向が存在する文化・作品は多数あります。
日本では、音楽楽曲の視聴について「流行っているから・みんな聞いているから」という理由が非常に多いです。これは「自己の内面性が無くて、外部基準を判断基準とする」という戦後に多く見られた観念の現れで、芸術とは本質的に「内的世界・世界観の自己表現」であり、その観念が一般的な世の中というのは「芸術性・感性とは対極の空気が強い社会」です。
日本の「ファッション・服装文化」は流行り廃りが早く、非常に消費主義的で、外面性が非常に重視されています。企業社会でも日常生活でも、その服装スタイルの選択理由は「流行っているから」「周りの目の評価の為」「決まっているから」という物が多く、何かしらの外部基準に最大の価値が置かれます。逆に「組織社会」では「みんな同じ背広・制服」で、これは「ドレスコード(服装規定)」で、自由主義諸国では最も「個人選択の服装」がし難い国の1つでしょう。結局「ファッションも制服も、他人と同様な事をするのを、社会的に要求されている」という事でしょう。勿論外面性も、周りからの情報・評価も大事な訳で、制服が必要な業界も多数存在しますが、そればかりです。これら様相は、要するに「中身・本質が無い」「外形的・外部基準依存的」です。
今日的意味の「芸能」について、所謂「芸能人・タレント(的な人)」などのカテゴリーに類する分野と看做す事が出来ます。芸能界は、メディア・芸能ムラ・事務所・スポンサーほか関係者が渾然一体となって、功利的な打算が蠢く界隈を形成しています。そして現代日本の「文化」の中心は、この「芸能界」です。「芸能界的」な物が多く露出・宣伝され、売られていて、「消費主義・物質主義的ヒエラルキーの頂点」にいます。
この「今日の芸能界的な性質」と「芸術・芸術性」とは、「本来的に全く方向性が異なる物」であり、「精神・内的世界・宇宙の具現化・表現」と「物質主義偏重」では水と油の物です。
また、日本国の最高の賞である国民栄誉賞は、事実上「芸能スポーツ賞」となっています。ネットの閲覧数ランキングは、上位が芸能ニュースばかり占めていて、その中でも、「文化・芸術的要素が高い事象のニュース」ではなく「芸能界のニュース」ばかりが多いです。総じて、現代の日本は軽い話題ばかりが、興味関心の的になっています。
こういった現象は「社会において、社会的・政治的問題の議論がされない、そういう土壌がない」「教育制度における問題点」という事の延長線上にあり、「物質主義・視野狭窄・皮相の焼け野原」「無思考・無感覚への社会的誘導」の光景が延々と広がっています(項目6⑪)。
「音楽」を始め「一部の主流文化における最大の問題点の1つ」というのは、「文化・芸術(文化性・芸術性)と芸能界的構造が、全て一緒くたになっている事」です。勿論、本来ならばテレビ・メディアと芸術の良い関係・相互利益も普通に図れる筈で、そしてこれはバランス問題であり、文化・芸術も物質・カネも、上手い事バランスがとれるような構造を作り出し、それを「文化(音楽文化など)」とすべき事です。然しながら、従来はそういう物の割合は少数で、総じて「従来の一般的状況は、物質主義に偏重した芸能界的構造が、多くの文化・芸術の分野を覆っていた」という状況でした。
非常に多くの「音楽番組・文化芸術的な番組」「スポーツ番組」で、何故か芸能人がメーンに起用され、他にも専門範囲外の各方面で多数見られます。別に素養がある訳でも、知識造詣がある訳でもなく無く、更に「その分野の文化的奥行き・世界観とは全く異質」であるにも拘らず、方々にキャスティングされます。こういった構造もまた、先進諸国には見られなく、幾らかの番組等でみられるといった感じで、その程度なら適正範囲内でしょう。このことの意味は、「日本には文化的な土壌が少ない」「文化性・芸術性が少ない」「ムラ・消費主義・非文化性・低質性などが渾然一体とした現象」「そういうのを許す土壌がある」という事でしょう。
「文化・芸術・音楽」と「芸能的要素」を一体化させて、それを売り出していくという、日本の芸能界の基本構造の為に、「芸術性・芸能的要素」は常に軽視されてきました。それは、他の多くの分野についても同じです。「垂れ流して、無思考・無感覚にさせ、物を売る」という基本構図の下、セレブ・カリスマなどと空虚な記号が日々飛び交っていて、「現代社会は言葉が軽い」という状況を成しています。
この方式では、全ては「歯車・部品・駒・消耗財」と化します。その物や本質性・芸術性に価値が置かれている訳ではないので、「何にでも替えが利く駒」でしかなく、ムラにその選択権があり、界隈の手法・商法に沿った駒が選択され、時期が来れば交換されていきます。その有名人も周辺関係者も、そういう構造が分かっているので、その役割モデルを踏襲して、ムラの利害関係や権力関係を損なわないように気をつけます。
この構造においては、「芸術家・歌手」も、誰も彼もが、「御用学者」「ムラ御用達のお抱え人」です。閉鎖的に囲っていき、邪魔な存在は排除するので、ムラに都合の良い構造・人材だけが純化して残っていき、ムラ構造のイエスマン・従属者しかいません。これによって上記のような行為の数々を行えるとなり、それしか放送していないので、視聴者も慣れていき・麻痺していき、どんどんこの構造が広がりました。
この「閉鎖的に囲っていく」という点と、更には「これが行えてしまう」という点に、メディアだけでなく、日本全体の深刻な病巣が存在しています。これは「まともな意見が、徐々に封殺されていく」という「締め付け」による現象が前提として存在していて、この「締め付け」の前提には、「抑制された個による過剰同質性」があります。結局、教育などを始めとした日本の各構造は、その産物はこのような「空虚性」「皆で麻痺しながら低質化する現象」などです。そして、その問題の根源はあまり見ないので、酷い惨状が広がる現象面だけ見て、深刻な危惧を感じるか、まだそれなら良い方で、麻痺して何も感じないという光景も広がっています。
そして「芸術家・アーティスト」「歌手・ミュージシャン」「文化人」は「歯車・部品・駒・消耗財」となりました。「様々な文化・芸術・事象」は「無意味化・軽薄化・虚無化して、その物の価値が滅していった」となりました。この「強力な低波動化の力」の為に、朱に交われば赤くなるが如くに、「社会の各種構造が、自己崩壊していった」という様相が延々と続いてきました。
資本主義が行き着いて、消費主義と物質主義が支配する現代においては、主流文化は「消費性」の性質を持つ物が多数です。こういう情報は「その時代の情報だから意味がある」という物だけで、「数ヶ月経つと全く意味が無くなるような物」ばかりで、「数十年後にその情報に重大な関心を持つ人など、誰もいない」です。現代のメディアから流れてくる情報とは、殆どがそういう性質の物でしょう。
ここから見えてくるのは、「その情報の価値は、時代性・流行性のみで、その情報の本質では無い」という事です。この種のファーストフード的な、垂れ流される情報の氾濫原が延々と続き、その中に本質的・普遍的情報が幾らか入り混じっている、というのが現代社会の基本的構図でしょう。その中で人々の耳目に入ってくるのは「"今"を消費し続ける生活様式の提案」ばかりです。
これでは、特に「自己の判断力や世界が確立されていない、子供・幼少期・若年層」には、普遍性・本質性という観点からすると、非常に厳しい世の中です。然し消費主義・物質性という観点からすると、非常に好ましい世の中でしょう。
曲が流行った時代のずっと後代に、当時の世代の人が再び好きになったり、若年層が好きになるという事柄について、そのような楽曲は殆どが「消費性の強い曲」でなくて、「普遍性・本質性のある曲」です。何故ならば「普遍性・本質性」は時代を超越する物で(Timeless)、音楽・芸術の本質を望むならば、どの時代の物だろうとアンテナに引っ掛かるからです。
逆に「過去の物という理由だけで、全て受け付けない」というような観念も強くあります。これは文化・物事に「流行性・消費性・表層性」を求める思考と、相反するからです。日本では「過去の曲=古臭い曲」との観念が強い物があります。そして「消費性・流行性」ばかり重視されるので、主流の音楽界・音楽シーンでは、何時まで経っても、まともに音楽文化が構築されません。この様相は、戦後日本の歩んできた方向を、非常に顕著に反映しています。
例えば、バブル時代に欧米絵画が買い漁られましたが、これは「最上位と位置づけられ、権威を持つ欧米文化」を至上とする観念で、ブランド品などと共に、言わば「威信財」「コミュニケーションツール」です。「最上位構造の欧米文化」「下位概念の流行性・消費性・表層性を持った文化」の2つを相伴う観念は一般的で、これらは全て「外部的な権威・価値基準で、自己の存在を社会的に位置づけたり、周りに認知してもらう事」という感覚による物です。これらの全ては「社会的位置付けを確保する為の道具」であって、「利用目的は、その本質自体には無い物」です。
日本には「伝統に連なる各種文化」「近年に日本で発展した文化」も多数あります。これらは正に「文化・芸術」と呼べる物で、奥深いような物から娯楽的な物まで、その中身は多種多様です。現代日本には、このような社会・文化の様相と、上記のような社会・文化の様相が、その「2種類が大きく断絶するように存在」しています。これは他国でも見られる現象でしょうが、上記のような社会における諸現象・側面を鑑みて、明らかに日本に顕著な現象です。
では「何故、社会的断絶とも言える状況が存在するのか」という事になります。これこそが、先述からの「往古から積み重ねられてきた地霊」と「明治維新後・戦後以来の負の方向性」と「その二つの方向性の影響における、社会の一側面」です。
日本では明治維新後・戦後、この「2つの真っ向から反する社会的方向性」が常にせめぎあってきました。しかし近年は「地霊」が弱体化して「明治維新後・戦後以来の負の方向性の悪影響」が顕在化しています。「日本の近代や、社会の諸状況は、大きくこの"2つの方向性と影響"で説明される物」です。しかし表層の様相と異なる、水面下の基層(虚空間)の様相なので、殆どの人に気付かれぬままに進行してきました。そして現在はこの悪影響が最も顕在化している時代です。
そしてそもそもが、現代日本では「文化性」「芸術性」など自体が、かなり御座なりで、軽視されているでしょう。上記の点以外にも、色んな意味での「町並みの風景」にしても、「個の生活を無視する」と言う観念に基づく「長時間労働」にしても、戦後社会の力学は「文化性・芸術性」の方向とは大きく掛け離れていました。「自然発生的な内的規範に基づく公の意識」が妨げられ、「統制型・空気強制型の秩序規範」がジワジワ浸透して、そして「即物的な観念」が蔓延っている間に、何時の間にかこんなようになってしまいました。
地霊とは「精神性に連なる物」で、「普遍性・本質性の方向に存在する物」です。「明治維新後・戦後以来の負の方向性の悪影響」とは既述の通り、縛り尽くして、カネ・物など目の前しか見ないことで、精神性・意識・社会・意識を破壊し、全てを無意味に・虚無化していき、未来世代に不幸を齎す装置と化しています。
●&color(white,black){無思考・無感性と非調和へと誘導する社会的要因・集団的圧力}
近年の社会では「不文律・暗黙の掟・お約束」などの、「空気が認めたところの社会合意」が、「やっていい事・悪い事」「見逃される事・見逃されない事」を左右する基準となっています。この「お約束」には「非合理的な内容」を持った物も多いですが、それ自体が何らかの力学・権威と一体的なので、奇妙だ・異常だという感覚もよく持たれつつも、やはりそれが「お約束」として持続し続けます。
「漫画・アニメ」は近年の日本で発達した文化です。この背景には「他の各種の近年の文化(非伝統的文化)」に比べても、「(コアなタブー以外は)割と何をやっても良い」という「お約束」が、より濃く存在したからというのが挙げられます。「漫画・アニメ」は「海外作品」に比しても、「日本の他の各種の近年の文化(非伝統的文化)」と比しても、良くも悪くもかなり「自由度」が高いですが、この「自由度」は「お約束」と両輪として存在しています。近年ファンが増加していて、その理由として「内容・媒体ほかの自由さ」が言われますが。言わば「各種の締め付けへの忌避と、シェルターとしての価値」があったと言えるでしょう。
また「漫画・アニメ」も全部が自由さがある訳でもなく、その細部の構造・状況・場面では、不自由さが多い部分もあり、それは「当該部分には、自由さを許容する社会合意(界隈の合意)が無い」からです。先述の「NHKの化石的状況」「民放の消費主義的・物質主義的状況」「先進諸国のメディアの、この中間的位置」という対極に見られるように、日本では「力学・空気・お約束」が非常に重視されます。
「各種の近年の文化(非伝統的文化)」の多くは、「メディアムラ」における「そういう物・そういう物ではない」という「界隈の空気・常識」に沿って、共同作業したり、報道されたりする中で、そちらへと誘導されます。メディアムラで見られる「芸能界的要素」に纏わり、各所に芸能人がキャスティングされるのも、「そういう物」だからです。
如何に非合理的でも、空虚さに満ちていても、「そういう物」であれば、「日本の主流社会では、それが通るのが常」です。反論すると、面倒臭い奴として、排除されます。この日本に特徴的に見られる循環の中で、様々な分野が「非合理性・非論理性」「閉鎖性」「低質さ」「カネ・モノ・権威」という方向へ流れていきました。
日本では「枠に嵌った思考」が多いと言われます。NHKも民放もその他各方面も、「自らの存在する社会的な枠」に対して、「その世界こそが世界の全てだ」「世の中とはそういう物なのだ」という観念を絶対視して、その外側を見ようとせず、見ても何の意味だか理解できません。その「社会的な枠と力学・空気の絶対視」によって、上記の各現象が発生します。
これは「論理的・合理的な論拠」よりも「既成観念」「閉鎖的因習」が幅を利かせて、「そういう物なのだ・だから受け入れろ」という「非合理的要求に従う同調圧力」があるからです。この「不文律・暗黙の掟・お約束」「そういう物なのだ・だから受け入れろ」というのは日本各所に見られ、「政界官界財界」「会社社会」「組織・ムラ」「教育」「同質性の高い集団・視野の狭い集団」「ネットのうちの、炎上・サイバーカスケードがよく起きる場」などに多数見られます。
こういった界隈では「内輪のみの定型的・類型的な行動様式・反応形式・作法・隠語・表現」が多く用いられ、「過剰同質性の維持強化」をしています。これは組織面から見ると「擬似的共同体への幻想による繋がり」、個人面から見ると「居場所確保・社会からの承認の為に見出した場での役割演技」とも捉えられます。何れにしろ「閉じた空間での、本来の自己と異なる行動様式」です。「何らかの意味を求めて、その場にいる」訳ですが、逆に「非本質的な無意味さ」があります。そして「麻痺しつつ空気に染まって、居場所を見出す」「そこから離脱する」という選択肢と、「社会的圧力・締め付けの状況」の中で、前者が選ばれていきます。
そしてこれは「思考停止・麻痺」「無思考・無感覚」「従属」の成せる社会状況です。この環境では「議論場」「多様・自由な意見表明」に繋がるような物より、「如何に空気に染まるか」が重視されます。あまりに高い圧力と空気の前に萎縮して、その対処もあって思考と感受性を放棄、その社会構造の成員として従属して、今度は歯車として、その構造の拡大化に寄与するようになります。社会の上部構造では、この「負の循環」に多数が従属していて、麻痺してその問題性自体も分からなくなっています。そしてその状況は「行政・メディア・企業社会」などを通じて、一般社会に撒き散らされていて、このサイクルに従属する限りは、蟻地獄のような状況から抜け出す事はありません。
「思考停止」には「能動的な思考停止(自ら思考を止める)」「他律的な思考停止(思考停止を強要される)」「ある一定の範囲内の思考範囲しかない事(バカの壁)」「外部性による思考停止(驚いて真っ白になるなど)」があるでしょう。
現代日本の主流社会では、4番目以外は、それがより多く醸成・促進されるような環境にあるでしょう。何故ならば、この「高度に非合理的で、矛盾に満ちた構造」にとっては、こういういう「成員の感覚麻痺」がないと、彼らに疑問を感じさせずに従属させるのは不可能だからです。この社会k的構造は「大衆の感覚麻痺を起こさせる装置」があって、始めて存在し得ます。それらは総称して「空気」と呼びますが、より具体的には「メディアの洪水的・消費主義的・無意味な情報」「教育システム」「企業社会風土」等等です。
「誤った論証の形式」として「権威に訴える論証」「伝統に訴える論証」「新しさに訴える論証」があり、これはもう近年の「議論場の状況」「流行の成因」そのままです。「消費主義・物質主義」は「新しさに訴える論証」と同じ心象に発していて、「権威主義・全体主義」は「権威に訴える論証」「伝統に訴える論証」と同じ心象に発していて、これが合わさって「これらを抱合した、即物的で序列重視の思考様式」が形成されると考えられます。
&color(white,gray){「習慣」について、Wikipediaには以下のようにある}
・個人的な習慣と異なり、共同体的な慣習は集団内部の方向性と均質性を保つため、
成員に対し慣習の遵守を求めるとともに、
違反者に対し一種の制裁(嘲笑・非難など)が加えられることもある。
・エミール・デュルケームによれば、習慣はそれが通用している間は、反省されることがない。
習慣が廃れて初めて、反省されることになる。
・子供は習慣に固執し、暗示によって容易に他の習慣に乗り換えることから、
子供のこの性質を道徳教育に応用できるとも考えた。
・一般的に、成人後、高齢になればなるほど習慣で行動する傾向が強くなり、その矯正も難しくなってくる。
・習慣を変えるのは一般的に困難なことだとされるが、ロバート・マウラーによれば、
小さな控えめな一歩を継続することで習慣を変えたり、新しい習慣を身につけることが可能だと言う。
ある場所・界隈・業界・空間において「キツイ・冷酷・封殺的」の言葉が多ければ、そこは何かしらの病巣を抱えています。またそういう言葉が無くても、「何となく雰囲気が悪い」という事は多いです。何故そうなってしまうのか、その非常に大きな要因として、「物事を認識する際に、先ず否定から入る事が多い」という事が挙げられます。「ある界隈で見られる、否定と肯定の表現の割合」は「その界隈の意識の性質」を明確に現します。
実際に現在の世の中には「否定的現象」が多いので、これを「否定的」に捉えるのは当然で、そのありのままの視点から、次の「疑問・改善案」が生じて、実際の「改善」に繋がっていきます。しかし「肯定的現象」「中立的現象」を「否定的に捉える割合が多い」のは、これは「意識の穢れ」「破壊性を帯びた波動」による物です。それらは明確に「社会・大衆意識の波動低下」による物です。
そしてこのような「否定が多い状況」は「幾つかの類型的な社会状況」を生んでいます。その1つは「息苦しさ・空気の締め付け感」です。日本社会と言っても、一億ニ千万人もいれば全体は多様ですが、個別場面は「規則・決まり事・合理性にかける慣習」が多く、例えば企業社会は正にそういう感じです。
元々は「寛容度」は割と高めの国であった筈ですが、明治維新・戦後以来の流れによって、幾らかの社会的場面では「寛容度の低さ」も目立つようになりました。また「経済的成功」は、「自国のやり方・慣習」について、「非合理的な部分がある場合」でも、無理に正当化するような意見も生みました。「自己責任論」もそれらの1つでしょう。
現在はネットに「否定的な言葉」が飛び交っていて、別に「中立的・肯定的現象」だろうと思う物にまで、鬱憤晴らしでそのような言葉が投げ掛けられています。またそういった言葉は「作法」としても発せられていて、これは「閉鎖的意識に伴うミーム」による物です。この「閉鎖的意識に伴うミーム」は、現在の日本のネットに非常に特徴的な現象で、他国よりもその傾向は高いです。これにより「内容ベースの議論場の形成」が成されずに、「無条件に全肯定・全否定する脊髄反射的な応答」「否定・肯定の為の定型的用語の羅列」「"論理を記載せず""レッテルを貼って、はい、終了"という思考停止ワードの頻用」「思考停止ワードを書く=相手への勝ち・論破・優位・叩き落し・敵認定、というような短絡的思考法」「論拠や内容が薄い論・応酬」が延々と、それこそ焼け野原のように続いています。これは正しく「戦後日本の議論場が育たなかった状況」の完全コピーの丸写しです。これにより「ネット界隈」もかなりの息苦しさが存在しています。
更に、このような状況が先鋭的・純化的になると、「様々な調和的な概念」に向けても攻撃をし始めます。
「自然環境・大地・空気・生物・地球」などは「全人類・全生物・地球上全ての物の共有物(かそれに類する)」と言えます。また「相互尊重・互助・愛情」などの概念も同様です。これらは「世界的・地球的な共有地・共有財」であり、「共有領域・共有域」と呼べます。この「共有領域」こそが「人間や社会として最も大事な部分」「高度に維持・保護・改善・守って・大切にして・尊重していかなくてはならない部分」です。そして「人類社会の精神性・意識レベルをそのまま映す部分」でもあります。また「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」という経済学用語・法則があり、「多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招く」という現象を指します。
しかし現代社会では、こういった「共有領域・共有域」は非常に「蔑ろ」にされています。これは「個利個略を選択するのが当たり前になってしまっている」「非調和的意識・破壊性」によって、「最も上位の公に属する概念・事象」よりも、より「中毒的な攻撃的意識」をくすぐらされる「序列的・上下関係的な概念が発生する事象」を、常日頃から優先的に希求する心理が高くなっているからです。「カネ・物質や、上位の序列を得るには、共有領域を破壊してでも、個人的利益を得る」という風潮が、世界中に蔓延し続けてきたからです。
特に「先鋭的なネット界隈」においては、これら「共有領域・共有域」「その状態への改善行為」に対して、「否定する・叩く」「完全にどうでもいい物とする・非常に冷笑的な表現を用いる」という言動が溢れ返っています。これらは先鋭的ではありますが、広く見られる現象です。これらは「共有領域・共有域」は、彼らが志向する「権威主義・全体主義」にはそぐわないからで、「最も上位の公に属する概念・事象」よりも「序列的・上下関係的な概念が発生する事象」を徹底的に優先させています。これは「意識面・精神面での、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」と言えるでしょう。
これは「社会全体が・世界全体が、自然環境や地球という物が、存在し得る背景となる社会的基盤自体を破壊する思考法」です。これは完全に「意識の劣化現象」「粗暴な利己主義」です。「丸でゴミ捨て場や掃き溜めのように扱うような言動様式」であり、これはその「対象物」ではなくて「発している意識自体」が穢れその物です。これは現代社会の深刻な病巣を端的に表している現象で、そのような社会がまともに存在できる筈はありません。当たり前のように「低意識だらけの状態(=低波動・破壊的波動)」になる筈で、実際に現在はそういうのが広がりつつあったり、野放しになっています。
そういった主張が通るのも、その根本的背景には「断片的な事象群や個別論理への拘り・重視」「最上位の根源的な普遍性・本質性を見ていない事」が挙げられるでしょう。「細かい部分への社会的要求度が不合理的に高い状況」だと、「思考・感覚の狭窄化」へと向かわせて、「断片的な認識・感覚」が主流となり、「普遍性・本質性への視点欠如」「無機的な感覚・状況」を齎すようになります。
「日本の社会構造・教育制度」の特徴は、「非自発的・受動的」「自発性欠如・能動性欠如・主体性欠如」という点にあります。「受動的」だけならば、それは単に特性で、「謙虚」にも部分的に繋がり、問題はあまりないでしょう。
しかしこの背景には、先ず「非自発性・非主体性・受動性である事の社会的要求」という「根源的な問題部分」が存在しています。これが「同調圧力」を生んで、「締め付け・縛り・抑制」「非開放的・不自由」という空気になっている事が問題です。
日本には昔から「謙虚」という美徳がありましたが、これは「近年の欺瞞性・空虚さ・二重基準」などによって、「その心」が失われて、「形骸化したルール・作法としての謙虚さ」だけとなっていきました。
例えば日本のサービス業は「労働強度が高い」と言われ、そういった「大変な仕事状況」状況の中で、更に上乗せ的に「過剰サービス」が、各企業・社会風土により強制されています。一つ一つ見れば「素晴らしいサービス」と見えるかもしれませんが、そういった行為を行うのも大変です。
それらはまた、「貨幣経済が無くなったら、必要でなくなる仕事」です。こういった物の中には、「おもてなし」的な「心の篭ったという側面が多いもの」も多数ありますが、現代社会の消費主義的で歯車的社会においては、「同調圧力による義務的な、心の無い過剰サービス、不要な仕事」というのが特徴的に多いでしょう。ロボットが全部やってくれて、そこまでのサービスがついてくるなら良い事ですが、全ては「労働時間・生産性・総合的な幸福度(余暇等も含めた)」などとの引き換えに成立している物です。そしてこれらサービスは、本質的な意味は、あまり効果を成していません。「一つ一つの仕事」でなくて「そう仕向ける傾向」という観点においては、「合成の誤謬的に、労働強度の高さを醸成する物」です。
街ではやたらと宣伝の為の声や音楽が聞こえ、看板は野放図にどこにでも存在します。日本の街並みは汚いと、昔から言われてきました。これらは「より多く売る為の行為」ですが、これらが無くても、消費者はどこかで買います。「無駄な資源消費(輸入)・労働増加と余暇産業縮小」を考えると、「その程度の物での経済効果」は、在るか無いかも分かりません。でも確実に上記の点と「環境と街の非"美化"」「美観意識の低下(文化意識や芸術意識の低下)」「消費主義化・物質主義化」「風景の美観がある国との比較での、自国への否定意識」は齎されます。
他の各種状況を見れば、結局上記の「過剰サービス」も、要は「経済第一主義の延長」に過ぎないでしょう。これは「形骸化したルール・作法としての謙虚さ」で、「実質的な心」がないので、「自己中毒的な、要求基準が高過ぎで、大変過ぎて、息苦しい社会」と成らしめています。
「非自発的・非主体的・受動的であるように求める社会的要求」はこれらの各状況で、「問題点への疑義を感じる背景となる自由意志の喪失」「疑義を言った時のムラからの不利益」などを招いています。そして、どこかで「何か変だ」と思いながらも、同時にそれ以上には進まずに「こんなもんか・仕方ない」と思って、そのまま受容・麻痺していきます。
例えば子供世代が「形骸化した過剰サービスの日常的光景」を見て、どのように育っていくか、これはとても肯定的影響があるとは思えません。「真の部分の規範・秩序の減少と、お仕着せ的な規範・秩序への囚われと、不合理さの受容と、思考・感覚の放棄」が続いていくでしょう。「当たり前のように、意味が薄くて、でも義務である行為が多く存在し、それが改まらない」という状況は、先進諸国ならあまり無いでしょうし、そんな義務は放棄されて、廃止されているでしょう。でも日本では「疑義は封印」されて、「そう決まっている」ので、延々と無駄な事を繰り返して、社会が疲弊していっています。「各種アンケートでの、幸福度が低いとの結果」というのは、こういう小さな点の、一つ一つの積み重ねであり、日本人はそういう事に「麻痺し過ぎ・慣れ過ぎ」であり、「自主的な判断力の喪失」をしています。
更に、このようにして「嘗ての日本の地霊・美徳」は「その真の心を失った事で、その多くが形骸化した、空虚さや欺瞞性を感じるような社会的作法に変化した物となった」という状況になりました。江戸時代は、街に笑顔が多かった時代と言い、そういった記述は多数あります。「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」は、帰化した時に友人に「外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう」という質問を受けたといいます。江戸時代は現在よりも悪い点は沢山ありますが、同時代的には「世界的比較で素晴らしい点が多い」「幸福度は恐らく世界一」だったでしょう。それは「ごく普通に当たり前の事をしていて、それでいて幸せという社会」です。
現在の日本は、あまり笑顔がないと言われます。海外に中長期にわたり滞在すると、日本に無い自由さを感じると言い、街で笑顔で接してくるのがいいなという印象を持つ人も多いです。何時の頃からか、日本はそういう社会になり、海外の幾らかの国は、またそういう社会になりました。
これは社会の空気による物で、それは「何となくの息苦しさ」でしょう。そしてその背景としては、長年の「非自発性・非主体性・受動性である事の社会的要求」という点以外には、何かの特段の可能性というのが見当たりません。やはり、これも結局は「個の抑制」「集団第一主義・全体主義的傾向」に行き着きます。
他の多くの事例においてもそうですが、「あまり他に特段の可能性というのが見当たらない」訳で、そしてその事例は1つ2つで無く、現在の日本の状況を映すように無数にあります。これは、、どう考えても「個の抑制や、集団第一主義・全体主義的傾向は、日本の長年の諸悪の根源」だとしか考えられません。これだけ答えは明白な訳ですが、然し長年の社会の状況や、社会上層部を始めとした根本的な思考法・やり方からして、非常に強固なまでにこうなってしまっている訳で、この徹底した自縄自縛といえる状況を、未だに抜け出せないのが現状です。
日本の近年の「社会の主流力学」「社会の中心で見られる様相」においては、「心」を失って、「カネ・モノ・力」が蔓延していったという状況が見て取れます。現代の日本は「おかしな事を、当たり前の事・決まり事として受容する」「当たり前の事を、決まっていない事として軽視する」という、あべこべな社会となっています。あまりに「主体的思考・内的判断基準」を失っていて、「非本質的な外部的要求・表層性」に囚われ過ぎです。
例えば家庭からのリサイクルに見られるように、現在も日本人は「個人」としては真面目な人が多くて、これは美徳でしょう。ただ「社会・集団・組織」となると、近年は既述の通りの状況で、色々な事にあまりにも思考停止してしまっています。現在はこの側面の方が、社会を動かす力学としては遥かに強く、早く修正しないと、更におかしくなって、完全に破綻してしまうでしょう。日本は嘗てのように「緩い社会」になって、「心の回復」が成されないと、絶対に幸福になれません。
●&color(white,black){非調和・非統合と、世の中の事象の断片化・虚無化}
波動は「高波動だと統合化」「低波動だと分断化」の性質を帯びます。また「高波動:低エントロピー:秩序維持・再構築」「低波動:高エントロピー:秩序崩壊」という性質があります。
人間は「物事の認識・勉強・記憶」などに際して「各事象を体系的に捉える」という作業を行います。「断片化された事象群」では「何の事・どういう意味合い」だか分かりません。そこで「先ず俯瞰して、潮流・物語性を読み取って、共通した性質を探る(論理)」となり、更に「意味付けをする(理論)」「それらの統合化(理論体系)」という行為が行われます。これを見ると「分断性→統合性という一貫した流れ」があり、そうやって大人も子供も、あらゆることに対して「認識が明確化」「事象・概念・観念を理解」していきます。
日本の戦後教育は「断片的な知識詰め込み教育」と言われ、これは非常に問題だと言われてきました。先進諸国では、概して日本よりは「考える力・応用的を養う教育」です。日本では「知識偏重・暗記重視」、これは「無機的・無味乾燥」で、「その事柄の意味合いや、勉強する意味が分からない」という感覚を生んでいます。先進諸国でも、どの国でも教育・社会に問題はありますが、「考える力・応用的を養う教育」という方向性自体は、「学習・物事に対する興味・関心を育てる物」です。根本的に「教育思想」と、「教育制度の存在体系」が異なり、更には「物事の捉え方」自体が異なっています。
ではどちらがより理に適っているか、上記「人間が物事の認識・勉強・記憶するに際しての、分断性→統合性への一貫した流れ」がある訳で、それは先進諸国の教育思想です。そしてこれは「個の抑制」とも表裏一体に存在しています。
日本の教育制度には「教育課程での規則の多さ・受験システム・学歴・就職予備校・社畜化」などに見られるように、「決まり事だから、そういう物・制度だから、それに従って行う」という様相が特徴的に見られます。これは「社会各種の硬直した構造に対しての、心理的な順化・麻痺・慣れを涵養する過程」と言え、「枠に嵌めた規格品の大量生産工場的」「無思考・無感覚のロボット的」と言えます。
この過程においては「分断化された社会の諸状況・事柄をマニュアル的に習得する」というのが主眼に置かれています。逆に、「人生・物事・存在の意味」「自己・個人・社会が成すべき事」のような大きな物を考え始めたら、こういう構造とは整合的に存在できないので、そういう「根源的・本質的・普遍的な事柄」を考えさせないように、「巨視的・俯瞰的・水平思考的な視点」を持たせないようにと、これは明確にそういう意図がなくても、何とはなしに・知らず知らずにそういう方向に向くように、大構造の大まかな制度設計はされています。
日本には社会各所に「分断化された事象・概念」というのが存在します。「流行・時流が重視される事」「一過性・短期的流行の多さ」「メディアの報じ方(流行報道・事故報道・即時性への偏重)」「場の空気・組織理論が重視される事」がそうですし、これは「政界官界」「企業社会・組織社会(ムラに尽くす)」「圧力団体的な各種組織(影響力が強い)」「教育制度」において、先進諸国の様相よりもかなり濃く存在しています。
逆に「統合性に類する事象・概念」「普遍性・本質性」はあまり尊重されていません。上記以外に、「議論の土壌に欠ける事」「文化性・芸術性の低さ(近年のメインカルチャーにおける)」「主体性の無さ」などがあります。これは戦後、特に高度成長期終了ごろから明確化してきた傾向です。勿論それ以前からの流れが蓄積されて、その頃に顕在化した訳で、これは戦後日本のやり方その物に大きな原因があります。
例えば、その最も明確な例が「教育制度」であったりする訳です。これは「物事への分断的な認識論を育てる装置」として存在していて、「社会での分断的な認識論・状況・概念の蔓延」を招いた最大の存在となってきました。こういった社会・状況・認識論では「考える力・応用力の低下」「論理性・体系的な理解力の低下」「興味・関心・好奇心の低下」「視野狭窄・思考や感覚の範囲の縮小化」「無思考化・無感覚化」「主体性低下」「議論の質の低下」が進行します。
更に、社会において「意味合い・物語性」のような物が失われていき、「各種様相の無機化・無味乾燥化」が進行します。世の中は「無意味化・虚無化」して、秩序は「アノミー(社会規範の低下)」が進みます。この「物事への分断的な認識論を育てる社会状況」というのは、現代日本の最も根源的な問題点で、「こういう傾向を招く各事象」について、その在り方を徹底的に見つめて、直さないとなりません。
日本は世界的に見て「医薬品・ワクチンの使用量が多い」「医療機械の数がずば抜けて多い」「認可された化学物質・遺伝子組み換え作物の数が多い」「世界一の遺伝子組み換え作物の輸入大国」です。「体に害を成す物の割合」「寿命・健康に寄与しない物」が多く、また添加物は無毒な物も多いですが、有害な物も驚くほど多数あり、広く使われていて、「人体に入る総量が多ければ、害が多い」です。
このような状況は「利益・利権優先」「常識・権威への隷属」「戦後の無思考化」が原因で、更に「近代的・科学的・物質的な物への妄信」があるでしょう。日本では「見栄え」「均質性」が重視されるので、添加物を大量に混ぜて大量生産された、長持ちする食品が沢山あります。食品は長持ちですが、自らの寿命は短くなります。
日本食・和食は体に良い物が多く、日本人は歴史的に菜食が多かったので、現在でも「菜食・海草」が適していて、これらを食べると波動が高くなります。肉食は「動物の負の想念」「各種有害物」が多く、日本人は欧米人とは胃腸の形状・形質が異なるので、波動的に適していないです。
現在の世界各国では有害物が、当たり前のように口にする物でも、体の中に入っていく物でも、環境に広く拡散する物でも、膨大に使われています。中には「明白な危険物」「効果が不明」「使用する経済的効果は無い・薄い」にも拘らず、認可されて、広く使われ、体内に蓄積している物もあります。現在は正しい事より、利益が優先される事例が多く、個々人がそういった被害に遭わないように気をつける必要があります。
現代科学に準拠するように、現代社会も現代医学も狭い部分を見て、対症療法的で、本質的ではありません。また現代科学に対応する社会事象は、その殆どが経済の歯車と化していて、更に意識の問題も相まって、過度に金銭的・権威的な性質を帯びるようになってしまっています。
逆に波動的な物は、本質的な物であり、本来誰でも有するありふれた物なので、手軽にできて、本質的な改善効果を得られます。金銭や権威を伴う物でなく、個人的意識に伴う物なので、何時でも出来るという点も相まって、気楽に行えます。
更に、無機的・分断的・断片的に存在する従来科学と異なり、波動原理は有機的・統合的に存在するので、他のあらゆる本質的・普遍的な、または深くて面白い事象と、或いは内面世界・宇宙と、無限に連鎖・共鳴していきます。結局この世は、このような方向性と、そうでない方向性の、2方向に大別されます。そしてそれは詰まる所、「意識の持ち様」によって決定されます。どうせなら有意義で、建設的である方が、低意識と関らないで済む方が良いと思います。
元々「健康・寿命は波動と一体的な物」「その殆どは、波動で左右される物」であり、上記事項は即ち「健康・寿命問題」ですが、健康・寿命を考えるなら波動を上昇させる事を考えるべきです。これは安価で、副作用がなく、目的以外のあらゆる効果も得られ、意識や各種能力も上昇、周りにも効果が波及します。そして心配したり、後ろ暗い点がない分、素晴らしい物であるでしょう。
現代社会には「女性への排除の圧力」というのが厳然として存在していて、日本はこの観念が非常に強い国です。これは「権威主義や破壊性」に連なる「男性優位社会」が作り出したものです。硬直的思考法が生み出す「確証バイアス」により、実態に欠ける固定観念・定冠詞が与えられ、それを以って「ガラスの天井」を構成さしめています。
日本は社会上層部の女性人口や、女性の議員数が非常に低く、「国・社会の意思決定・統治」に関る部分に、事実上参画していません。居ても、大概はただお飾りとして配されるだけで、システムにとっての意味は体の良い「御用学者」と同じです。女性大臣は、毎度1人か2人、「目玉人事・清新さ」などという「日本社会に特徴的な意味を成さない欺瞞的表現」と共に、「軽量級とされる省庁の大臣」に就任します。そして上記にように、回転寿司人事で定期的な内閣改造でお払い箱、次の部品に機械的に交換されます。これが「公僕・選良」を自称する物の、基本的構造です。
「公器」を自称するテレビ局には、上層部に女性が殆ど居なく、ここにも体の良い「女子アナ」という歯車が存在しています。テレビ局的なシステムにおいては、これは「きちんと女性を重要な役に就任させている」というポーズたる意味を持っていて、しかし最重要の「意思決定プロセス」に関る部分には女性は存在しません。そしてこのような性質を有する機関が、日々日本中に情報を垂れ流して、「報道」という「大所からの伝令」を行っています。
社会上層部から排除されるという事は「お前らは価値の無い」と烙印を押されたという事です。そういう集団はどうなるか、努力をしても無駄なので低きへ流れる、これは古今東西の何処にでも見られる現象です。若し若年層女性が低きへ流れれば、若年層男性も、その行動原理から低きへ流れるのは、過去の世の中を見れば、世の常だと分かります。資本主義を極めた物質主義・消費主義が横行する日本では、相互悪循環で、こういった方向へ向かっていて、非常に空虚な感覚・情報が蔓延しています。こういう事をやっていると経年的に、結局は両性とも低きで合一する訳で、日本では若年層に対するそういう圧力があり、「これは日本社会が作り出した流れ」です。これらのやり方は、日本の長年の「従属させる社会構造」「愚民主義」と密接に纏わります。
この思想の根幹は「男性の権威は必要」「社会にはそういう権威秩序が必要」「これを否定するのは秩序崩壊で社会秩序を目指す思想だ」という論法です。しかしそもそも、その「秩序・権威秩序」というのが論拠を欠く物で、「権威に拠らない、しっかりとした社会秩序」が存在している社会・集団も多数あります。実際「日本の中心的な基層」である縄文社会もそうで、権威による格差も、争いも無い社会で、秩序は保たれていました。
更に「低意識」とは、科学的に「秩序を崩壊させる最悪の根源」です。低意識は「低波動」であり、低波動は「エントロピーが高い状態」で、即ち「秩序の崩壊状態」です。低波動の下では「物質が崩壊する・花が枯れる・生命寿命が短くなる・カビなど害のある生物が増える・毒性の悪性度が増す」となります。論拠に欠ける秩序だと何だと言いながら、「実際にはこのような結末しか起こり得ない事」をやっているのです。
どんな事でも、「低意識を招く社会構造」というのは「必ず社会・意識の崩壊化をを招く物」にしかなりません。それを強力に推し進めれば、それで塗り潰されれば、必ずその国・社会は破綻へ向かいます。大体「低意識が高レベル状態を招くなど有り得ない」訳で、これは当たり前過ぎる事です。そしてこれは「科学的」にも明らかです。
現実を見れば、この思考法は上記のように「社会秩序を壊して虚無化させ、精神性に向かう切っ掛けを破壊して、意識と世の中を崩壊させていて、この思考法がこのような結果を齎す物」というのは明白です。そしてそもそもが波動の性質により、「低意識や破壊性を持った思考が、良い社会を作り出す事は有り得ない」ので、この作用・結果と流れは当然です。
そもそも現在の日本社会は「働かせ過ぎ」で、男性会社員の多くは長時間労働をしています。これは、先進諸国なら企業でトップを目指そうと言うエリートが行うレベルで、皆が強制的・自主的にやっているのは異常です。それだけ全てを捧げるが如くに働いて、既述のように、結局は日本は低迷・破壊されているだけです。本来は「男性は大幅に休暇が増やして、人生や家族・友人との時間を楽しんだり、個から発する内面世界の精神性を大切にする」「女性も同様に」というのが良いです。
日本には他にも労働慣習はおかしな点が多く、社会風土も相まって、高度に「組織」に従属的です。こういう物に女性は馴染めず、それを上級職に採用しない理由としますが、そもそもこの日本独自慣習自体が異常なのです。更には「大学生の就職試験では女性が優位に成績が高い」「女性比率が多い企業は、利益率が優位に高い」という点があり、これら客観的事実や、「男性も女性も人間であり平等」という点に対して、感情的拒否があるのみです。では何故こういう事が通るのか、それは他の問題点と同じで「個の抑制(意見が言えない)」「権威主義・全体主義(力ある物が優位に立つ)」「閉鎖性(閉鎖的なムラに多い・情報鎖国)」「非論理性(合理的論拠が重視されない)」などが原因です。
●&color(white,black){経済・資本主義・貨幣社会の問題点}
「経済優先主義」というのは、「均質性を志向」して、「多様性を否定」し、「合理性・効率性という名の、斉一性・全体主義」を齎す物です。その目的の経済的発展に限っても、先述の流れで「社会的活力を徹底的に減退させる」ので、何処かで破綻して、長期低迷に陥って、抜け出せなくなります。経済優先主義は確実に「意識と社会の波動の大幅低下」を齎し、長期低迷も齎すので、目的のカネも得られず、真の豊かさも得られず、「幸福感の感じられない社会」になります。「多様性や非主流的な感性・側面は切り捨て」られるので、「多くの文化や、地方は切り捨て」られて、「中央集権的な、ピラミッド構造的な社会」の構築を目指し続けます。
ここで「経済優先主義と全体主義志向が合一する」のですが、これは「自由社会における最悪の構図の一つ」で、こういう社会になるのは「破綻危機状況の現れ・警告」であり、軌道修正しないと、その国は歯止め無く低落、即ち破綻するでしょう。この「意識・波動の低下を伴う経済優先主義」に、真理も幸福も未来もありません。
貨幣経済という制度下でも、長期的にみれば、もっと上手く経済を回す方法があります。現在の社会は、本来は違法なサービス残業を始め、「不当労働行為、馬車馬のような労働環境、閉鎖的組織論の横行」が当たり前のように罷り通っています。そんな社会に嫌気が指し、少子化は進行し、不信と不安の社会の中で、老後への蓄えばかり増して、巨大な担保があるので、ザルのような財政や外債購入を続けています。既得権益が横行していますが、それは即ち「低質な構造」「不当利益により社会的損害を齎す構造」です。それらが解体され、滑らかに経済が循環されるようになれば、「大多数の既得権益者」も含めて、中期的に明確な経済的恩恵に預かれるでしょう。何故ならば「既得権益者も、他の全ての既得権益により、甚大な経済損失を受けている」からで、現状は自らの尻尾を食い合ってるだけです。
このような状態は、何の為の経済、社会、財政か、金か、その存在自体の意味が不明です。先ず、この労働環境を止め、休日を大幅に増やし、余暇産業・サービス産業を活性化する必要があります。例えば、本当なら数多の環境修復事業が求められていて、それを農林漁業や、余暇増加による観光業活性化などと繋げていくことは、割とすんなり絵が描ける構図です。要は、そういうのは「統制的社会」「カネ第一主義的」の方向で無いから、何となく忌避感があって、何となくやらないとか、その種の政官財の観念が阻んでいるのです。
非常に重要な事として「DNAは日々塗り替えられる」という事があります。これは「感覚・想念・笑い・言葉などが、DNAに記録される」という事で、これはDNAの95%にあたる「ジャンクDNA(実際にはジャンクで無い)」に収納されていきます。そしてそのDNAは子孫に受け継がれ、または周囲の人のDNAを変容させる効果も有します。
このことの意味・効果は非常に多岐に亘りますが、その1つとして、次のことが考えられます。「昔の日本は地霊が高かった」「近年の地霊は急速に下がり、多くの事象が破壊されている」「これは遺伝子にも記録されている」「このままでは意識低下に通じる悪性の遺伝情報が、経年的に増加して、子孫へ受け継がれていく」。原発事故で大地や海を凄まじく汚染して、それを子孫へ継承しようとしているのが現在の日本ですが、同時にその遺伝子や波動も継承されていきます。意識の低下の是認・開き直りというのは、それだけ救いようがありません。そして自らが気付くしか、自らを変える方法は決してありません。
また「経済優先主義」とは、即ち「無限に物を作り出し、売り付け、この循環が拡大していく事」でもあります。「金・経済の比重の低下」とは「精神と物質との均衡状態を生み出す物」、或いは「均衡した意識か、精神優位の意識下で生み出される物」です。そして「"足る・足りた"という時点で、"充分"とする観念」を生み出します。この「充足感」であれば、自然が無制限に破壊される事はなく、修復がされていくでしょう。同じく、意識・社会も破壊される事なく、修復されていくでしょう。
「日々の悩みの原因」は「お金・経済問題」「健康問題」「人間関係」「その他」に大別されます。波動原理が一般化していくと、「健康問題」は概ね解消されていきます。「波動的に良い状態」である「調和性・融和性」を望むようになるので、「人間関係」も改善していき、また従来と異なる「波動を媒介とした、指向を同じくする人々の集まり(研究分野・趣味など)」が増えて、「多様な社会的受け皿」「属性・指向・趣味の多様性」が発展していく事で、人々の関係性が緩やかになっていくでしょう。社会制度が改善されていき、「社会の状態が齎す人々への様々な影響」も改善されていきます。「お金・経済問題」については、従来のような重視する考えは減少、「お金が少なくても豊かに生活していける」という方法の模索が広がっていくでしょう。
しかし「貨幣経済」という制度を採用している限り、その度合いは減少しても、「お金・経済問題」はついて回ります。「貨幣経済」というのは、単に「最大多数の最大幸福の為に、現在用いている手法」「代用手法があるなら、代用できる物」「従来の常識では、絶対的と思われていた物」であり、「永遠に不変で、代用不可能な絶対的手法」という訳ではありません。しかし実際は「波動原理の齎す効果」である「大幅な意識向上」「因果応報の強い観念」が無ければ、「何らかの手法への代用」は不可能かもしれません。
「大幅な意識向上」「因果応報の強い観念」が主流の世の中になると、「奉仕的な仕事への自主的参加」「仕事を有意義に感じ、働いていても気分が良くなる」「因果応報の観念により、何らかの奉仕や仕事への参加をしない事は、これを忌避するようになる」という状況になると考えられます。勿論これがすぐに起きるとか、10年後とかではありませんが、「長期的にも、こういう社会にならない」という論拠は「社会や認識論の歴史的な激変の変遷」を鑑みれば、存在しないと言えます。
こういう論に対しては、現在は「個人や社会・国などの幾らかは、成果だけ得るズルいやり方ばかりになり、成功しない」「それは理想だけど、人類が遥かに成熟しないと無理、現段階レベルでは無理」などの論が一般的でしょう。ただ認識論と社会状況の激変に加え、「どちらにしろ因果応報になる」「"意識の高低"が最大の価値基準の世の中で、"成果享受だけを目指す思考法"は、"意識が低い、科学的にも程度が低い"と看做される」となります。因果律からいうと、「成果だけ得る」「ご都合主義」「理不尽な言動」「優位思想」も、全ては「自分の為にならない思考法」です。
社会的に意識向上が続いていった場合、ある時期を過ぎると、そこから成長した子供達は「成果だけ得る」「ご都合主義」「理不尽な言動」「優位思想」などを持たなくなるでしょう。社会の激変は、初期はまだ従来の感覚も大きく残るので、社会制度の基盤には従来システムが必要です。しかし「個人的利益にしても波動向上が必要(健康医療・美容・対人関係ほか)」という上に、従来の社会の異様さ・キツさに気付き始めれば、そこに依って立つ人は急激に減少します。何故ならその社会構造を支えていた常識が崩壊するからです。後は泥舟からどんどん人々が逃げ出して、何れそういった過去の遺物は歴史上の物となるだけです。
実際「波動原理の齎す認識論の変化」は「想像を超えるほど巨大で、全てが変わる物」です。「大幅な意識向上」「因果応報の強い観念」は必然的に発生し、これが「社会の在り方を規定」します。波動原理というのは、「人間・社会が本来どうあるべき」かというのを、考えさせたり、気付かせたりする物です。そして「皆が本当は知ってたけど、無視したり、忘れたり、出来ない物だと思い込むようにしてた」というのを、呼び覚ます物です。老子は「大道廃れて仁義あり」と説いていて、「人の道理が自然に行われていた昔は、仁義という人為的な道徳は必要なかった。世の道理が失われたから、仁義をことさらに唱える必要が生じたのである」という意味だそうです。「反権威主義的な業績を残した」「道教の祖で、仙人にも例えられる」そうですが、大哲学者の言葉は、物事の真髄を捉えています。「大道に回帰すれば、自然と成すべき事を成す」でしょう。拠って何れは、超長期的には、「貨幣経済に拠らない社会」「奉仕的労働を以って成立する社会」が実現するでしょう。
「貨幣経済が無い場合、世の中に存在しないだろう事物」というのは無数に存在します。勿論これは「今後、高度の意識下で達成されたら」の思考実験で、過去の貨幣経済の無い社会は、参考程度にしかなりません。「必要な物だけ必要なだけ作り、皆で分かつ」という社会形態の筈で、恐らくは「所有という観念」が無くなっていくでしょう。そうすると「物を大事にする」ようになると思われます。衣食が保障されているので、芸術的な物も含めて、「従来には無かった物・あまり造れなかった物」も多数作られるでしょうし、大勢が参加するでしょう。そういうのも広義の意味で「社会に必要な物」です。ただこの社会は、過去のご都合主義で、唯物思想に偏重していた共産主義と違って、「独裁性・特権性・頑迷さ・粗暴性・ムラ的部分・排他性が無いもの」「精神性(霊性・神性)・感受性・芸術性・個性・多様性・柔軟性・共存志向を尊ぶもの」であるでしょう。
「現代社会の無数の光景・仕事」について、それを「"若し貨幣経済が無い場合、こういう事は、この仕事は存在しているのだろうか"という視点」で眺めると、正に全く違った光景が現れると思います。更に「波動原理の下では、もっと高度に、簡単に行える事物・仕事」というのも無数に存在します。
人類の「集合知」のような「高い意識の上辺が自然に積み上がっていく構造」と、「必然的に大規模な無駄・非生産的事象を発生させる事のない社会構造」があれば、社会はもっと高度でありつつ、もっと楽で、もっと持続可能だったでしょう。従来~現代の社会は、壮大な無駄を生じさせ続けていていますが、それが資本主義・貨幣経済の名の下に、当然視・正当化され、そうあるべきだとさえされています。これは目的と手段を取り違えていて、カネ・経済が絶対的な価値観と成っています。そしてこの構造では、明るい未来という物が見えないのは、過去の経験から明らかです。心も環境も次々と破壊され、疲弊して磨り減って摩滅していって、何の為に社会が存在しているのか分かりません。
人間は「経験則・慣れの中で生きている」ので気付き難いですが、「本来は、世の中というのはもっと楽に、簡単に、高度に作り上げることが出来るもの」だと思われます。
&color(white,gray){「貨幣経済に拠らない社会」「奉仕的労働を以って成立する社会」においては、現代社会と比べ、次のような相違点が生じるでしょう)}
・「貧困」「経済的不安」と、「これらが及ぼす、諸々の負の影響」が無くなる。
・金銭の為に割かれる「思考・時間・資源・仕事ほかあらゆる事象」が無くなる。
・金銭の為の意識低下・犯罪が無くなる。
・学歴システムが崩壊して、「新たな教育制度・学習環境」が造られる。
・組織や学校でなど、「理不尽な縛り」に囚われる事がほぼ無くなる。
・組織内などでの「負の関係性」が減少する。
・「労働力の最適配分」が起きる。
・「金銭・経済の為の自然破壊」が無くなり、ほぼ「自然破壊」の全てが無くなる。
・金銭・物質の保持量の大小による序列が無くなる。
・「所有」の意味が非常に低下、「共有」が一般的・大多数になる。
・知的所有権などによる囲い込みが無くなり、
「集合知」が全人類や地球の為に、最大限に活かされるようになる。
(これは非常に重要、従来の社会構造は集合知が活きる物ではなかった)
・「固有性」で物事が判断され、「精神性」が重視され、「本質性・普遍性」が社会の基軸に置かれる。
・「物質主義偏重」や、「過剰な破壊性」が無くなっていく。
・「自由意志による意識・思考・感受性の形成と行動決定」が成される。
・「調和性と共存意識」の下に、「相互扶助」が成される。
「日本の文化・技術・開発品など」には、「国内で発生した物」「輸入物」「輸入物をアレンジした物」が多数あります。「波動関係の事物」についても、各種の伝統的手法や神道関連の物など「日本在来の様々な事物」が存在して、その上に多くの「在野研究者」「好奇心」「学級的性質」「オタク的性質」を持つ人が多数いるので、「様々な波動原理の技術・アイデア・製品」が存在しています。この「地霊」たる部分は、世界的にかなり高レベルです。
しかし逆に「世界でも稀なほど、様々に縛りつけ続けている」ので、この国の主流で見られる現象・事物は、現在の通りの惨状です。この天地のギャップは、世界中でずば抜けて随一でしょうし、また「元々の地霊の高さを過信し、自らは地霊と真逆の方向を見続けているという、世間広範に見られる潜在的心象」「更にそれが引き起こす、強い白け・諦念・空虚感」によって、日本は際限なく低落し続け、自らを破壊し続けています。
「日本の本来的な良さ(地霊)」とは、「統制主義的な思考法」「それに従属する物質主義的な、虚無的な観念」とは真逆の方向に存在しています。「現在の社会の方向」と「日本の本来的な良さ」というのは「完全に逆の物」という事です。長年かけて「本質性・普遍性」を蔑ろにし続けたことで、全く意味不明で、非常に視野の狭い「空気」「短期的なカネと保身」「空虚感」が、日本を覆い尽くすようになってしまいました。
広く知られるように、元々日本文化は自然への観念・感性が高い文化でした。しかしこの伝統的観念と逆に、近年は不要な公共事業でコンクリート漬けにするような開発が続いています。311後の原発推進は、環境の汚染を軽視する思考と一体的に存在する物です。多くの海外諸国では、他国の事故なのに原発廃止の世論が非常に高まりましたが、当事国の世論は現状レベルで、これは如何に自然と乖離し、物質主義に囚われたかの証左です。
これを変えるにはどうしたら良いのか、それは端的に「本質性・普遍性」「日本の本来的な良さ(地霊)」に立ち返る事です。それは「和・大地など、原初の本来的な場所への回帰」であり、「魂・精神性への回帰」です。このような方向は「開放的な社会・感覚」に近い物で、また、凡そ「良い物」というのは「開放的な社会・感覚から、多く生まれる物」です。そしてこれは、「日本の始原は、開放的な社会・感覚にあった」という事を示しています。現在の日本に必要なのは、他の何物でもなく、こういう部分です。
●&color(white,black){共存型社会=理想社会の前提}
&color(white,gray){「理想的社会とは、どのような状況であるか」について考えると、幾つかの想定状況がある}
・持続可能な社会形態の、共存型社会
・精神性、調和的意識、普遍性、本質性を重視する。
・争いがなくて、平和。
・互いに相互尊重して、平等であり、上下関係は実質的には存在しない。
・自然が豊かで、環境汚染というものが無い。
・他の生物・自然も含めた、万物とも調和的である。
・意味の無い事に左右されない、関心が無い。
・カネ・物質・欲に、殆ど(全く)左右されない。
・必要な物を必要な数だけ作るので、資源も時間も効率的である。
・社会に有益な事や、他人の手助けを、奉仕的に行う。
・暮らしの中に楽しさ、喜び、幸福が多数ある。
・芸術性も重視される。
・縛りは少なくて、長所が伸ばされる社会。
・現代社会に存在する、様々な事物・観念の多くが存在しない。
誰もが「理想的社会」を考えて、その実現にはどうしたらよいのか、というのを考えてきたと思います。ただ従来は恐らく、その考えのうちでは、おぼろげながらも、理想的社会を「与えられる物」と理解していたことが多かったと思います。なので「そんな物は、何処にも存在しないじゃないか」「やはり有り得ない」「意味の無いお花畑的発想」という感覚が大勢を占めるようになったのでしょう。
そうではなくて理想的社会は「意識を向上させて、築き上げる物」です。そして、それには「小さな事から、身近な事から始まって、遠い場所の事や大きな事まで、高い意識の下で、全てを透徹して思考して・感じて・判断して、そして改善していく」という作業の繰り返しが必要で、これを飽くなきまでに繰り返した末に、ようやく「理想的社会」が現し始めます。
考えてみたら、別に当たり前の事で、やる気になれば、割と簡単な事でしょう。今までは、この当たり前の事を、あまりの視野狭窄の前に、見失ってきました。気付けば、もうその時点で、壁は非常に低くなっていて、乗り越えられる物になっています。言ってみれば「幽霊の正体見たり枯れ尾花.」で、実体はそう大した物で無いのに、空気や雰囲気に流されてしまって、やたら巨大視・絶対視していたという所でしょう。過去の亡霊には、高波動は所在してないですし、魂や転生に資する事は何もなく、ただ高度な社会が達成される前段階に存在する仇花に過ぎません。それよりも、魂・転生や意識・波動向上や未来を見るなら、真理を見据えた方が良いでし、そこには永久的に不変不偏の本質性・普遍性があります。
何故、人は「勧善懲悪」の結末(物語・劇)を志向するのか、それは当然「善因善果」「悪因悪果」を望むからでしょう。実際誰もが、その初期はそう望んでいるでしょうが、大人になる過程で「実際世の中はそうじゃないじゃないか」という思考訓練が繰り返され、「すれる(擦れる)」という現象が発生、これで「利己的になる」「シニカルになる」「何事にも否定的になる」などとなっていくのでしょう。「善因善果」「悪因悪果」を望んでいない訳でなくて、元は誰もが望んでいるが、それは無理だと考えている訳です。
よく「人類は地球の癌だ」という自嘲的な言説もあります。これは「本当は地球と共に共生しつつ、人類も自分も豊かで幸福で居たいが、そうでない行為を人類は行っていて、(自らも流されてるが)時折心底嫌気がさす」といったような観念による物でしょう。人間誰しも「人類全体と地球・自然を含めた、総合的で高度な豊かさ・幸福」のような物を、元々(幼少期)は望んでいたと思います。
でもこれは、今は無理でも、ずっと無理だとする論拠は何処にもありません。現在が駄目なら、良い未来を作れば良いだけの話で、至極簡単な話です。「そんな簡単な話じゃない」というのは、数ヶ月・1年などの単位の話で、別に10年・100年経てば、近年の世界中の例を見れば、社会など幾らでも、それこそ全てが変わっていきますし、変わらない訳がありません。そもそも現代の社会状況を、100年前に想像できた人などいない筈です。だから、老後の為にでも、子孫の為にでも、そういう社会にすれば問題はないです。多数の人がそう思えば、そう思うような人が増えていけば、何時の間にか、全部変わっているでしょう。世の中の仕組みは、人々の意識通りに出来ています。多くの人の意識が高ければ、大体何事もどうにかなる物です。そうなれば、今現在の有象無象の煩わしい事も、一切おさらばとなります。
&color(white,gray){「波動原理から見た、物事の基本的なあり方」について、次のように言える}
・「波動原理」は、「森羅万象の発生・作用・効果・影響・意味合いに対しての、
骨格のような基本的体系として存在」していて、「これに沿って全ては発現」していく。
・「波動原理に沿った事象」は、「生物や物質の寿命を永らえさせる」という性質を有している。
・「それら事象・概念・在り方」は、「調和性・融和性などの性質と一致」する。
・拠って、「寿命の長期化」と「調和性・融和性などの性質」は、「方向性として一体的に存在」する。
・「生物・物質の寿命を永らえさせる・長く保つ」と言うのは、
「生物・物質の最も基本的な要求事項」である。
・「人や社会の意識・認識」も、その基本部分としては、
この「調和性・融和性という骨格に沿った物」が、「妥当な位置であり、陰陽の中心的な位置」である。
個人レベルでは、他人に迷惑が掛からない限り、ちょっとばかし基本を外れるのも一興で、それが人生に多様性を与えると言えるでしょう。しかし「社会・国・世界」という「大きな存在・レベル」となると、全く違う意味合いがあり、「大きな存在・レベルという物は、個人の思考・感覚・言動・判断基準を、否応無しに規定・処断する」ので、「社会・国・世界が、骨格的な基本状態からズレているのは、誤っている事」です。「社会・国の様相は、多様性があって然るべき物であり、同時にあまりに外れ過ぎずに、ある程度の範囲内に収まるべき物」でしょう。
&color(white,gray){「社会の問題点の根源」とは「意識の高低」に帰結します。「量子=情報=意識的な物」なので、結果として「意識の低さ」=「波動の低さ」となります。そして「低意識の傾向」は、次のように類型的に別けられます}
・物質主義偏重、金銭至上主義、欲望の過多・押し付け。
・攻撃性、破壊的傾向、非共存的思考。
・無関心、自分には関係ないという感覚。
・硬直性、非柔軟性、視野の狭さ。
・権威主義と隷属志向、序列・上下関係を重視する。
&color(white,gray){「意識の高低」は、社会を次のように導きます}
・「高い意識」は「高波動」を帯び、「低エントロピー」「秩序維持・再構築を促す」という性質がある。
「高い意識」を持つ社会では、変遷を経ながらも、中長期的に確実に良い社会が実現されていく。
・「低意識」は「低波動」を帯び、
「高エントロピー」「秩序崩壊・物質崩壊・寿命短縮を促す」という性質がある。
・「低意識」においては、「全体を真の意味で良くする・幸福にする」という観念に欠ける。
・「外形的な基準・序列」において、上位であろうする事に、重要な価値を置く。
・「序列が近い人・集団との序列争い」に執心する。
・「真の意味の幸福・良い社会を齎す諸概念」は、往々にして「外形的基準」とはそぐわない物である。
拠って前者による社会形成を阻害する。
また、この2つは両立も可能だが、例えば「短期的経済成長の重視」は否定される。
・「低意識」に沿った手法で、社会を統治しようとすると、社会全体が悪化・不幸になる。
「意識」は「波動」を伴い、「言葉」は「言霊」を伴い、「悪い言葉」は「悪い波動」を伴います。「言葉の波動」は、「歴史的に積み重ねられて形成される」ので、「過去の用いられ方」に左右されます。例えば「否定的含意を持つ言葉で、用法の多くが、根拠に欠けるレッテルだった物」は、それは「使用した人」「使用頻度が多い集団」に、そのような波動の因果が返ってきます。波動原理が一般化すれば「善因善果」「悪因悪果」は厳然化します。でもその言葉が「事実そのままで、且つ、言及する必要がある場合」は、「悪因」ではないので、「悪果」も無いでしょう。「上品な言葉だけ使ってれば、波動が上がる」という訳ではなく、「面倒を他人に押し付ける」のは低意識なので、強い低波動を伴います。
「因果」というのは「社会を形作る要素」であり、人間の「(新たな)意識」も同じく要素の1つです。状況・未来というのは「因果+新しい意識+α」で形作られるとも言え、なので「可塑性」のある物です。あまり「因果が無い」関係にあっても、出来事(良い事も悪い事も)も自分に降りかかることがあります。それは、例えば「人間というのは、意図により諸行為を行える」からです。「因果律」においては、「自分が行った事」は「因果」となり、日々刻々と新しい因果が生まれています。因果は「人間同士の物」「事象同士の物」「人間と事象の間の物」があります。例えば悪い行いをすれば、悪い意識と因果が生じ、何れ自分に帰ってきます。こうして「善因善果」「悪因悪果」の「因果応報」がなされます。「情けは人の為ならず」のように、良い行いは、何れかは己に良い結果として返ってきます。
「意識の穢れ」とは「理不尽さ」「破壊性」「欲望重視の思考」であり、「自分側に都合が良いならば、何をしても・やっても良い」とする「利己的に偏重した意識」です。「穢れとは低意識で、科学的に存在する物」であり、これは「全体を不幸にさせる物」「自他とも、超長期的に不幸な方向へ追いやる物」です。良いも悪いも全て「量子・DNA・アカシックレコード」に記録されて、その因果で「善因善果」「悪因悪果」が齎されます。この原理は「宇宙とはそういう物」「始原時からそうなっていた物」であり、今更どうこう言っても変わる物でもありません。言ってみれば「天上界の法則」であり、悪果を忌避するならば、そういう行為を止める以外に方法はありません。
「己がそのような意識を持った」のは、他の誰かの責任など絶対にできなく、他ならぬ「自分自身が選択した物」です。全ては「意識」で、「気付き」から始まりますが、誰かが意識を変えてくれる訳でもなく、誰かのせいにできる訳でもなく、全ては己自身の全責任で、己自身で気付いて変えるしかありません。そして、意識というのはその人固有の物なので、誰でもやろうと思えば意識変革は出来ます。
「過去の社会の行いを無かった事」にしようとしても、何事も量子・波動・アカシックレコードに記録されるので、それは決して達成されません。恐らく、高次元の意識体は「仕方なかったかどうか」「欺瞞的に否定したか」なども含め、その意味する所を全て把握しているのでしょう。結局の所「否認すれば、隠せば、全て無かった事になるという、従来科学上の認識は誤り」「上塗りの行為も記録されている」という事です。
波動原理が一般化すると、「集団ごとの過去の行為言動」は「反作用を以って現れる」ようになり、「反面教師的に、天に唾した行為が自らに全て降りかかってくる」ようになります。「従来社会の論理」である「やったもの勝ち」「低意識の循環」は終了するので、もうそのような行為は意味を成さなくなります。現代社会を見ても分かるように「集団意識の統制力は強い」ですが、「悪い意味の常識・空気が無くなり、低意識の循環を齎す構造が消える」ので、益々「低意識に基づく行為」がし難くなり、減少します。全ての言動の報いは、魂が存在する限り永久についてまわり、拠って、過去にも現在にも未来にも、事実と向き合うしかないでしょう。
「森羅万象の根源的原理に沿った、全ての事物の存在形態」というのは、「全ては統合的に繋がって存在していて、且つ対等に存在している」「全ては上も下も無く、ただ対等に存在している」という物です。拠って「対等性が無い概念・思考法」は真理に反しています。「他を押し退けて、無理に上位に立とうとする(才能などによる評価でなく)」「従属させる」「従属する」のは、全て真理に反しています。こういった性質を含む思想は、どの国・社会・集団の物であっても誤りです。
「地球」というのは地球が主体で、「ありとあらゆる生物」が、その中の一隅を分け合って暮らしています。地球は「全ての生物・森羅万象」にとってかけがえの無い、唯一ここしかない場所です。人類というのは「地球の軒先を借りて生きている」のですが、しかし我が物顔で傲岸不遜に振舞っていて、「自然破壊」と「環境汚染」を繰り返しています。「地球・大地・海・自然環境・他の生物」に対して無視して、敬意を払わず、共存しようとせず、視野に入ってさえいません。人類は、単に1生物種というだけです。なのに何故そこまでしようとするのか、「万物との調和」「足るを知る」ということを忘れて、「利益と序列」だけに固執して、「地球や他の生物や森羅万象」に迷惑をかけ続けています。
「自然・自然破壊に関心を寄せない思考」は「人間以外を、あまり価値無い物とする思考」に基づいています。又は「他の存在(人・モノ・コト)を、関係ない物とする思考」でしょう。「非調和性」「破壊性」の方向であり、即ち「低意識」「低波動」となります。「物質主義」「利己主義(他を毀損しても、己を利する)」と親和性があり、「開発優先主義」とはこういう方向の物です。勿論、開発は必要であり、何事も適度なバランスが肝要になります。「自然や他の生物や万物との調和」の方向でない社会においては、決して波動が高くなることは無いので、開発の最終意図の「物質・健康・災厄減少などを含めた総合的幸福」には、永遠に辿り着きません。
「高い意識・高波動状態における意識」の傾向に「調和性・共存志向・融和的感覚」「自他の区別が少ない思考法」があります。これは物質では「融合性・界面活性力低下・親和性」などとなって現れます。この状態では「普遍性・本質性・客観性」が基軸にあり、「自分側・持論側の事であっても、他人側・対論側の事であっても、同一基準を以って物事を判断する」となります。それでもやはり、よほど仙人レベルまで達していない限り、誰でも自分側の肩を持ってしいますが、「類似の基準で判断する人は、客観的で、意識が高い」「全く異なる基準で判断する人は、非客観的で、意識が低く、理不尽である」と言えます。全体主義をはじめ、幾らかの思想には、後者の「自他を全く異なる基準で判断し、非客観的で理不尽」との傾向が明確であり、これはその思想が「非普遍的の物」「高い意識・高波動の社会では、ほぼ存在しない物」だと示しています。
「産霊・魂振り」「生命力向上」も「高い意識・高波動状態」「調和性・共存志向・融和的感覚」で現れます。こういった状態で始めて、「霊・魂」「感性」「健康度・能力」は活性化して、多くの人が幸福になり、「秩序維持・再構築」「技術進展」「問題減少」により、社会も活性化・改善されます。また、なんにしろ「あの世」には「カネもモノも権威も、絶対に持っていけない」「高波動と低波動は持っていける」「有象無象は無用」です。
今後どのような経路を辿るにしろ、結局は「波動原理の一般化は、人々が内心・心底では思っている所の、低い意識と、それに基づく行為を無くしていく」「高い意識と、それに基づく行為が、循環的に続いてゆく」のは間違いありません。実際の所、これこそが「波動原理と、その一般化が齎す、最大の現象」でしょう。ともあれ「終わり良ければすべて良し」であり、そうなっていくでしょうし、未来も子孫達の暮らす世の中も明るいです。
「神・霊・神性・超越性」などは、一見「物凄く遠くの高みに在る物」に感じますが、実際は「皆の中に存在する物」です。そして「森羅万象に存在する物」「物凄く神聖な物で、同時に、ごく平凡でありふれた物」「全ての物と一体的に存在する物」です。それらは「意識・精神性・内面性・内的世界」とも称されます。そして全ての物には深遠なる世界が広がっていて、宇宙と繋がっています。多分「人・社会・星の発展段階」は「こういうことに気付く前と後で全然違う」「気付くと飛躍的に進歩する」のだと思いますが、「quantum leap(非線形の発展)」とはこういう事なのだと思います。言ってみれば「簡単なこと」ですが、だからこそ「皆の中に存在する物」なのでしょう。
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2014-06-13T07:02:01+09:00
1402610521
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メニュー21 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/45.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
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&color(white,black){項目6⑮:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
●&bold(){個の抑制と同調圧力と精神的疲弊を招く教育制度}
●&bold(){自主的な思考・感性を阻む歪んだ社会構造と、権威主義・従属思考}
●&bold(){物質主義と閉鎖性と視野狭窄による自家中毒}
●&bold(){欺瞞的な建前が招く、非健全化と本来的な倫理の崩壊}
●&bold(){議論の社会的土壌と、齎される不正義・無関心}
●&bold(){他集団との関係性について}
●&bold(){普遍性と真理について}
●&color(white,black){個の抑制と同調圧力と精神的疲弊を招く教育制度}
「魂振り(たまふり)」について、項目6⑤で古代葬送儀礼の「殯(もがり)」と併せて記述しました。広義においては「霊魂・意識を賦活・蘇生・再生させる行為」「物や体を振るわす・動かす様」「生面感・躍動感の溢れている物を見る事」「感動する事・感覚が揺さぶられる事」「超越的な感覚」「芸術行為」の全般を指す概念です。波動原理に沿った概念で、古代において最も重要な概念の一つであり、ここから派生した概念・言葉・事象は非常に多岐にわたります。
「産霊(むすひ)」は「物を生み出す力」「生命力の活性化」、神道の最重要原理で、「チャクラの開放」も「産霊の力を高める行為」です。「結び」は「産霊」に由来し、「全ては融合的に繋がっている」という観念・在り方に沿うもので、「個の連帯」は「社会の産霊の力を高める行為」と言えます。「魂振り」は産霊の中の最重要概念、「産霊」と「魂振り」は「霊・魂(たま)を増殖・賦活させる手法」であり、「人間の生命力・活力は、ここから生まれる」とされます。
「肉体・精神の老化現象の根源的要因」の「感覚の硬直化・矮小化(項目6④)」という論点と、「魂振り」を併せて考えると、「感覚の硬直化・矮小化」とは「魂振りのような、意識・生命力の双方の活性化と、正反対の現象」「長年の意識と感受性の低下、思考の硬直化・矮小化により、促進された現象その物」です。
日本社会の「近年・近代に社会上層部が志向した体系・意図」の「個の抑制」とは、その方法論の機軸に「ある決まりきった枠組み、何かしらの都合の良い型に嵌めていき、大量生産ロボットを造っていく社会構造・教育制度」を据えています。この意図は「個人・個性・多様性を否定し、大勢側・集団に付和雷同する」ような「ロボット管理社会」を目指す物です。そういう社会にとっては粒揃いな、感受性は封印した、ステレオタイプに官僚用語を繰り返す、規格化された人の方が都合が好いのです。
「個の抑制」とは、即ち「感情の抑制・平坦化」「情動の喪失」で、必然的に「感受性・思考範囲・視野を低下・矮小化させる物」となり、「魂・霊的な部分の不活発化」を齎し、「意識・精神性・波動の低下」「生命力減少・活力低下」を生じさせます。隷属・過剰同調している物の、しかし心理の根源部分では「その状況・社会に対して強い不和感を感じている」「おかしいと思ってるが、感情を押し殺している」ので、「高ストレス」「無理矢理な辻褄あわせ」となって、「心身や社会隅々における、深刻な悪影響」となって現れています。
自分で選択したのではなく、同調圧力に染まった結果として、同じような格好をして、同じような物を同じ方向から見て、同じように聞いて話して考えて、そしてそれを垂れ流す、過剰な資本主義的・物質主義的性向に連なるムラ・産物や、或いは全体主義的体制に連なるムラを称揚して、そういう物・情報・ムラを再生し続ける。そういう社会を「効率性の高い社会」「科学的・近代的・経済的に高度な構造」「それが幸福・充足という物」など称して、そんな循環をぐるぐる回しています。
でも「外部基準に隷属して、空気に従って、反面空虚な物質的流行に左右され、権威なり立場なり上下関係なり重視している」のでは、「魂振り」が生じる訳がありません。「魂的な物」というのは、「意識・精神・心・感受性・感動なり」に存在するのであって、「そういうのと反対方向の物」には存在しません。このような社会的力学・構造とは、「人間の意識・精神の根源部分を、長期的に破壊していく物」「社会を人為的に老化させていく物、衰えさせていく物、崩壊させていく物」です。
こういう社会が長く続くと「波動的に集合意識が、その方向に固定化・方向付けされる」「空気・力学が固定化される」「空気・力学が権威化して多くが隷属化する」「固定化・方向付けられているので、教科書以外の事が見えない」「前例に無い事に対処できない」「枠組み外に存在する問題の在りかに気付かない」・・・という流れが続くのみで、「問題点に気付いて、修正して、回避する事」「現在のような状況を免れる事」は到底不可能です。
「日本の近代教育」における、「国の方針」又は「日本の特徴的な状況」とは、「個の抑制・魂の抑制」「内面性を育てない事」「集団重視」「均質化・規格化・大量生産品化」「視野狭窄」「常識や前例の踏襲」「外部基準やマニュアルの重視」「縦割り」「隷属・過剰同調・同調競争」などです。
日本の教育制度には「規則・行事・テスト」が多いように見えますが、これらは「協調性を養う」ために重要なのだそうです。「規則・行事・テスト」は「"存在には何も問題はないが、数が多いと、バランスを欠くようになる物"の一種」と言えるでしょう。世の中にはそういう物が多く、だからバランスと中心点(=ゼロ点)が肝心なのでしょう。
しかしこの「協調性」というのは「言葉の罠」で、実際は「個の抑制による、自己の空洞化・無思考・無感情・過剰同調を強いている構造」であるので、「これに協調性が加わると、付和雷同・隷属化・権威翼賛矢、更なる低質化になるだけ」です。そもそも「高い意識の下では、"適度で次元の高い協調性"は自然と身に付く」ので、このやり方は利口で無い、副作用の多いやり方です。
また、これらは「あまり意味を感じない物の比率が多い」ように見えますが、生徒としては「でもそういう物だからやる」「考えても無駄だから考えない」「取り敢えず従っとけばいい」というだけでしょう。こういう感覚が「組織の奴隷・過剰労働・社蓄」「英国のようにスーツの母国でも、欧米のように伝統に沿った形式でもないのに、スーツ着用が欧米より遥かに義務化している」「新卒至上主義」「真夏の就職活動で全員一緒の黒スーツ・キチョハナカンシャ(貴重な話に感謝します、という決まり文句を面接官に言う)」などの光景を作り出しています。
日本は、過剰な同調を求める「同調圧力」が高いですが、更には「同調競争」もあります。これは「目的を喪失して、ただミクロな事象への過剰迎合を競い、同じである事に安心する」「その事象で差異があると排除する」という物です。
「タブロイド思考」とは、「複雑なものごとを、皮相的に、単純化・類型化して把握する思考のありようである。何が原因であるのかについて、深く考え分析すると単純に断言することができず判断が難しいような事象や出来事をステレオタイプな枠で捉える思考と云える」「事象の本質的な複雑さを考慮することなく、また深く吟味したり分析したりすることなく、類型的な思考の分類や、決まり文句などで、その事象の原因やありようを理解したような気分になる」「単純明快な図式的回答を、批判的態度などなく受容するような思考」「このような場合、もっと楽な方法として、社会で流布し、流行しているものを、そのまま受け入れ模倣し、何故それを肯定するのかの理由は、"社会の常識である"というように考えると、これは思考停止の一種である」と解説されています。
これは「無思考化と集団心理の悪癖」「過剰同調が思考停止に陥る理由」を非常に分かり易く表現した概念で、正に「日本の社会制度・教育制度が大量生産している思考法」です。ただ「タブロイド紙の方が真実」の場合も多い訳で、結局「自分の頭で考えないと、立場に奢っていると、真理を見失う」という事でしょう。
日本の受験システムの特徴の「暗記重視」は、「マニュアル重視」という感覚を醸成して、「前例踏襲・無思考・過剰同調」というループを作り出す基になっています。これら様々な「幼少時の原体験」に、「自ら考えないで、周りに合わせる」という「大人社会の様式美の祖形」が存在しています。
これ以外に「体罰・校則・制服」など多数あります。学校の「制服」は「賛成者が多い」「現状では効果が多い(時間・手間・費用)」と言えるでしょうし、現状では賛同が多い学校では有用でしょう。ただ日本は何処へ行っても制服が多く、例えば「政治家が災害に際して、省庁・官邸などで作業服で指揮・記者会見する」のは一般的で、海外ではあまり見られない光景でしょう。これらは「体罰」は問題外として、他の物も大概「プラス効果もマイナス効果もある物」ばかりと言えます。
しかし、ただ言えるのは「規則・決まり事・縛る物の総数が、全体的にやたらと多い」「教育課程において、自ら考えて、選び取っていく物が少なく、それらが養われる機会が少ない」という事です。
また「自ら考えて、選び取っていく事を養う為の教育課程」も設置されていますが、それよりも「同調圧力に染まって過剰同調する事、思考・感受性を放棄する事、を訓練される過程」というのが「子供達の教育過程・私生活」に遥かに多数存在しています。子供達には「後者の方が世間の真実」な訳で、そうやって大人になっていきます。
例えば「予行演習」、これは時間が長く、そこでは「斉一性の指示」と「指図」ばかりされています。行事を行うには予行が必要ですが、でもそもそも「そのような行事の様式が必要なのか」「そこまで多くの時間をかける必要があるのか」という点があります。少なくとも生徒も生徒以外も、割と多くが「意味が無い・長過ぎ・もっと有意義な事がある」「でも決まってる事だから仕方が無い」と思いながらやっています。
現行教育制度では必要とされていますが、ではそこで何を学ぶのでしょう。「皆で一緒にやる事」、これは他の事でも出来るでしょう。「規則を守る事」、これは学ぶ事になるでしょう。「皆と同じ行動をする事」、これも学ぶでしょう。しかしはっきりと、こんな長時間をかけているなら、「地域のごみ広い活動・美化活動・文化継承活動など」などに費やす方が、よっぽど有意義です。これも強制の一種でしょうが、「少なくとも、それ自体は完全に有意義である」ことです。
従属は「空気を読む」ことを促し、近年の学校では「場の空気」に纏わる現象が進行しています。子供は「類型的なキャラクター・役割モデル」のうちから、何かを選択して・受け入れ、それに沿ったキャラクター演じ続けます。そうやって居場所を確保し、苛め・不登校などの目に遭わないようにすると言います。これは「個性」と「キャラ(演じられているキャラ)」のバランスにおいて、後者の側面を要求する空気があるという状況です。近年の漫画・ドラマなどは、こういった物が多いですが、現実にこういう状況が幾らかの学校にはあり、他の学校には無いようです。ただ無いと言っても、「場の空気」は強い学校も割と多いそうです。
「スクールカースト」という物が多くの国に存在し、日本では近年、強固になっているとも言います。あからさまでなく、外からは分かり難く、下位カーストの人が自らを縛るように、"気配りするよう"になっているそうです。これは「低意識の典型的症状の理不尽さその物」です。そして今の日本の状況や教育制度では、現状の方向を続けるならば、幾ら改革を重ねても、このような「上下構造」「権威主義の一種」「粗暴性」は残り続けるでしょう。更に、全体主義においては「社会とはそういう物だ」として、殊更問題視なく、却って容認、そして「酷い企業・組織で、酷い労働・事業を行う人の予備軍」と成らしめるでしょう。
このような「教育システム+社会状況から促される観念」とは、成績や興味分野に拘わらず、「世間の生き方・考え方から、自分の利益に適う物をピックアップ」「本質的思考や精神性は持たない」「物凄く単純化した思考様式を持つ」「社会というのは自分とは関係ない物」「後は組織利益に自分を合わせて」というような物でしょう。このような観念が、少しずつ育ってしまうような状況にあります。
「関係ないという思考」「無関心」とは「他の対象への共感能力の低下状態」であり、「意識の共鳴能力の低下状態」です。これは「波動低下の典型的症状の1つ」で、「空虚性・虚無感」「利己主義」などと比例的に増減します。知的生命体は元々「他の事象にも感覚が及ぶ」ようにできていまが、「脳内の感覚の及ぶ範囲の矮小化」が起きて、それと共に「関心範囲が半径数m以内」「抽象的思考が苦手」「想像力欠如」が増加しています。
「精神的な物」への関心が低下、でも人間は「何らかの基軸・楽しみ」が必要なので、対極側の「物質性・即物的・消費主義」「破壊性や中毒性が高い物」などに引き寄せられます。更に「対極側」なので、「意識低下方向のあらゆる感覚」と親和性を持ちます。「枠の外側の真理の見極め」をするような「関心・動機」も無いので、「通論の絶対視」をして、そうでない思考・言動を皮肉的に眺めます。そうして結局、「体制の中の意識が低い歯車としての役割」と化していきます。
子供達にとっては「教育課程・私生活・家庭内・社会状況」の全てが「教育・訓練の場」で、これらは教育制度の問題だけでなく、広く日本の社会制度全体の問題です。これは皆がこうなるという物ではなく、こうで無い人の方が多いですが、「現代の教育制度・社会制度とは、こう向かわせる力学となっている」という事です。
拠って本来は「こんな状態で無かった大人子供が、この過程を経ると、このような傾向を帯びてしまう」という「意識劣化の社会的装置」と化してしまっています。この中で「個々人は一生懸命抗う」訳ですが、「体制の基軸」が「個の抑制と斉一化など」に据えられているので、結局知らず知らずに大勢は流されてしまって、「何時の間にか、こういう物を再生産する歯車と化している」となります。そして「一般的感覚の基層」の部分に「超巨大な無関心・即物性・利己主義」を固着させ、意識・社会を基盤から崩していきます。
また「教員・官僚・地域の補助の人」も、真面目な人が遥かに多いですが、それとは全く別に「国の方針」など「根源的な部分がおかしい」ので、幾ら一生懸命やっても、現実の効果には反映されないのが実態です。そういう物こそが「社会に潜む潜在的力学」で、でも「真面目な教員・官僚・地域の補助の人」のお陰により、これ以上の低下は防がれ、現在の段階程度で救われています。
現代の体制下では「子供達に、主体的思考の基盤たる、内面性を育成しないで、付和雷同する感覚を育てる」「そして現代日本に特徴的な、物質主義に偏ったメディア情報の氾濫原に放り出す」訳ですが、これの何を以って教育と呼ぶのでしょう。ぬかるみに囚われ、「ああ、こんなもんか」と思う深層心理を育ててしまっています。こうやって「無機質・空虚」になって、「魂振り」がなくなって、よく分からないまま、どうでも良いし関係ないとしたまま、同じ方向を向いていきます。「ロボットを生み出すような制度」というのは、意図的でなくても、現在のような、上記のような状態を招くのであり、これは「国の方針」自体が変わらなければ、状況は変わらないでしょう。
脳において、大脳皮質の「側頭葉」「後頭葉」などは、環境からの直接的な情報を処理する「知覚」のうちの「視覚・聴覚・嗅覚・味覚」などに携わっています。「頭頂葉」は、主に知覚のうちの「体性感覚・平衡感覚」などに携わっています。
「前頭葉」の「前頭前野(前頭連合野)」は、「知的操作の中心的部位」とされています。前頭葉が大きくなり始めるのは5歳くらいで、大人と同じくらいに機能しはじめるのが12~13歳くらい、そして早くに衰える脳部位です。前頭葉が老化・損傷すると「思考の硬直」「感情の抑制が出来ない」「切り替えが利かなくなる」「集中力低下」という症状が現れます。
以下の記事は、非常に示唆的です。ネアンデルタール人は「現代人よりも脳体積は10%大きかった」「相対前頭葉体積が現代人より30~40%少ない」「目鼻が大きく、筋肉も発達していた」「思考・分析などに割かれる脳機能が少なく、それで絶滅した」とあります。人間にとり「視覚」が重要なのは言うまでも無いですが、そればかりでは「思考・論理性」「精神的感覚」が御座なりになり、知的生命体たる所以を自ら放棄する事になるということです。
http://japanese.ruvr.ru/2013_03_15/neanderuta-rujin-me/
暴力・粗暴性は波動的に最悪の傾向で、子孫や周囲へと伝播していきます。体罰を長期間受けた子は、感情や意欲の動きに関わる「前頭前野内側部」、集中力や注意力に関わる「前帯状回」、認知機能に関わる「前頭前野背外側部」など、「前頭葉が大幅に萎縮する」ことが確認されています。
日本では学校を始めとして、長らく体罰が容認されてきました。現在でも因習が残るスポーツ関係で非常に多いですが、これは根性主義で纏め上げるような、日本企業の非人道的な働かせ方と共通する物があります。
体罰の歴史は明治維新以後であり、江戸時代の寺子屋など、体罰は見られません。日本に戦国時代・江戸時代・明治初期に来た欧米人は「日本には子供への体罰は無く、大らかに躾けている」「自国には体罰がある」と記しています。欧米の多くでは後に体罰が無くなり、逆に日本では体罰が一般化しました。
「日本の古くからの伝統的な物」は、概ね「調和的・融和的・精神的」な方向にある物が多く、それらは「大人社会や社会上層部がしっかりとしていれば、自然と社会で浸透・一般化していく物」です。社会が正常であれば、それらはごく自然に、無理が無く、息苦しさも摩擦も無く、大多数が好意的に受け入れる物として、浸透化・一般化していくでしょう。そして必ずや、社会・個人に好影響を齎します。しかし日本はこのように、明治維新以後・戦後に、良い「地霊」たる部分を次々に破壊していき、多くの潜在的悪化要因を推進してきました。
明治維新以後・戦後に「日本の古くからの伝統的な物」「日本の中枢に位置する物」として喧伝されて導入された物は、実際は「日本の古くからの伝統的観念とは対極にある物」で、全てが「個の抑制・否定」「集団・組織第一主義」「全体主義・統制主義」などに類する物です。背景には「全体主義・権威主義・統制主義」「物質主義」「利己主義・ご都合主義」の意図があり、導入手法は、「権威による締め付け」「カネでの囲い込み」「理不尽さ」を専らとします。また「逆の方向性の事象」は、全体主義・組織利益にそぐわないので、その閉鎖性・偏狭性で排除し続けています。
これらは本来的な社会や人々の心の在り様と異なるので、深層心理での息苦しさと共に、多種多様な深刻な弊害を顕在化させ続けています。こういう事を隅々に推し進めたことこそが、日本のここまでの悪化の最大の要因です。もう体罰と共に、こういう事は一切止めにしないといけません。
明治維新での改革は、世界情勢による時代の要請で、色々と成し遂げた事も多く、功績も相当に大きかったです。しかし全体主義的・統制的な思考法が相当に入り込んでいて、それが後にさほど修正されないまま、社会の隅々の分野で、この思考法に基づく「個の抑制」「集団第一主義・組織第一主義」「斉一性」を浸透させ続ける行為が行われ続けてきました。元は地霊が高く、社会も拡大基調だったので、悪影響はあまり顕在化していなかったと思われます。しかし時期が経つにつれ、この思考法が齎す「偏向(中心からズレている)と、様々な締め付け的な様相」の弊害が、各所で目立ち始めてきました。それは戦前で言えば、例えば思想面や、神社合資問題などだったでしょう。
戦後は、これに「物質主義・消費主義」「海外権威への従属思考」が加わり、「無思考・無感覚」「虚無性」「本義や責任感の欠如」などの「非本質性・非普遍性の蔓延」を招き続けました。片や経済的成功は、実態は主に地霊による物でしたが、「この手法だったから成功した」との誤認が一般化、これによりその「方向性・体制・空気・力学」が是認され続け、強大な権威と化していきました。同時に「個の抑制」「集団第一主義・組織第一主義」により「思考・感性」を失い、何らかの権威に従属する事を良しとする観念が浸透、物質主義・消費主義の蔓延とも相まって、精神性を空洞化させ続けてきました。この中でも、多数の人は気をしっかり持て進もうとする訳ですが、そもそもの底流自体がこうなっているので、知らず知らずに流されたり、絡め取られてしまいます。
これは「自ら隷属するように仕向ける体制」なので、「社会の問題点の根源」は常に残存し続け、「その実態にさえ気付かせない」という、「最も高度な奴隷社会」が構築されました。これは「末端が自律的に締め付け、全体が強固な鵺的構造を有し、全体主義・物質主義・空虚性の下に社会を破壊し続ける」という社会体制で、この方向性における、一つの完成形と言えるでしょう。
「明治維新後・戦後に、推し進めてきたやり方の到達点」がこれです。どういう経路にしろ、そういうやり方をしていたら、「結局はこのような社会体制になる」のは確実です。これは「完全な因果律の実現・結果」と言えます。で、一体この何処に「到達すべき姿」があるのでしょう。
現在この体制は、日本の主流社会を、日本の表面的な部分を、ほぼ完全に支配しているといえるでしょう。日本は何処も彼処も、中央も地方も、政官財マスコミから大衆の空気まで、このような物に完全に覆われています。こうして個人・社会に意識・波動を低下させてきた、この社会的空気・力学が、近年~現在の長きに亘り、日本の主流社会を完全に支配し続けてきました。この「際限なき虚しさと崩壊」には、何処にも救いがありません。
先進諸国にも似たような現象はありましたが、上記の面が日本ほど強度でなく、拠って「論理・感覚をより重んじた事による(日本よりは)、様々な論・議論と改善」が成されていき、漸進的に社会が改善していきました。翻って日本では、そのやり方による弊害に加え、更に「硬直的思考法・原理主義性」も醸成されて、非常に硬直して息苦しい社会になっていきました。それでも「この程度」というのは偏に地霊のお陰でしょう。若しそれが無くて、明治維新後・戦後のやり方と弊害だけ顕在化していたら、全く現状レベルでは済まなかったでしょうし、外国から眺めると、その社会の各種面が悉く異様という状況を呈していた事でしょう。それだけやり続けてきた「個の抑制」「集団第一主義・組織第一主義」「斉一性」というのは、他の先進諸国には見られない特殊性を持った物で、且つ非合理的・非論理的な物です。
英語は共通語で、「世界の情報・頭脳が集中する結節点・ハブ」となっています。これは「世界中での暴力の歴史による産物」で、エスペラント語導入の実験もありましたが、不成功に終わっています。「英語が母語の国」「英語圏」「ラテン語圏」「欧米~中東(歴史・概念などに共通点が多い)」「これ以外の非英語圏」では、「英語の習得し易さ」「英語圏・ラテン語圏の事物への認識のし易さ」という観点で、天地ほどの違いがあります。そもそも「ラテン語圏の特徴的概念」は「その地域の特徴的概念」に過ぎず、「他地域には他地域の特徴的概念が存在する」のです。にも拘らず「英語が共通語だから、欧米が中心だからなどの理由で、英語・英米・欧米基準に準拠すべきとする思考」は、「世の中どうあるべきかではなく、力ある者に従うべきとする思考法の一種」であり、「権威主義・従属思考」「斉一化志向」「多様性の否定」に過ぎません。
しかし、現在は代わりになる言語はありません。また英語には「論理思考に向く」「表現行為・音楽に向く(リズム・音韻)」という特徴もあります。なので英語の学習は有意義です。
現在の日本では「大学受験テストでは英語は必修」というような、非常に視野狭窄した思考が罷り通っています。英語習得度には、個人それぞれの違いや、向き不向き、好き好きがあって、「英語ができないと、他の学習能力・知識・知見は意味が無い」「他の全科目より英語が上位」などとする思考は、「権威従属思考」「極端な非本質性志向」に過ぎません。
江戸時代の日本は、世界中で突出して識字率が高く、様々な学問・知見・文化が生まれたり、進展しています。「和算」は、ほぼ国内のみの土壌でありながら、非常に高度な場所まで到達しています。学究的にどんどん深めて思考していき、各種の学問体系を作り上げています。その背景にあるのは、「現代教育の均質性指向」のような物ではなく、個人の嗜好関心分野や、云わば「オタク的感覚・関心」に通じるような、「対象への自主的な興味関心と掘り下げ」です。幕末~明治維新後に、欧米の知見・技術が導入され、一気に飛躍しましたが、それは江戸時代の基盤・到達度があったからこそです。
受験での英語必修のような思考法は、こういう物と正反対であり、また「明治維新後や戦後の、非常に矮小化した思考法の産物の1つ」です。何故「英語ができない」からと言って、他の「数学」「理科(科学・化学)」「社会学科(地理・歴史)」「国語」などの習熟度・知識・能力が否定されるのでしょうか。全く訳が分かりません。こういう教育制度と、その背景の日本社会の構造は「極端に視野が狭い物」であり、「英語が出来れば国際人で云々」という感覚は、「英米的な物=国際的=宇宙遍く支配する体制=最上の価値の1つ」というような、非常に典型的な「本質と非本質が逆転した思考法」の1つです。
英語で読み書き、話しと聞き取りが出来れば、それは素晴らしい能力でしょう。かといって別に「全員がやるべきこと」でもなく、「興味ある人がやればいい」だけです。且つ、多くの人が話せるようになると良いでしょう。また、日本語や、日本における歴史的概念から、日本人は世界でも最も英語習得が難しい集団の1つでしょう。
習得の方法として、1つに次のような物が考えられます。子供の学童保育に、アジアの英語圏の大人に講師をしてもらって、それらの国の子供達を含め、世界中の国の子供達と一緒に遊びながら英語を学ぶ、という手法です。言語というのは、赤ちゃんの習熟過程を見ても分かるように、「体感的に覚える物」で、「受験英語的に覚える物(強制的暗記で拒否感が出る)」では無いです。「英語圏を始め、日本語話者でない子供」には「日本語を覚える需要」があり、「日本人の子供」には「英語を覚える需要」があります。遊びながら、多言語が飛び交って、ちゃんぽんで話していけば、自然と楽しく覚えられて、尚且つ多人種交流が出来て素晴らしいでしょう。
●&color(white,black){自主的な思考・感性を阻む歪んだ社会構造と、権威主義・従属思考}
日本は「自由社会・自由主義の国で、最も持論を主張しにくい国、最も持論を持つ事自体が憚られる国」です。日本は形式的には自由社会で、「思想・主張の自由」があります。しかし同時に、「思想・考え方自体や、主張披瀝する事を縛る、様々な社会的制度」が存在しています。これが個人と社会を雁字搦めに縛っていて、しかも「集団・権威への従属以外の主張は、すべきで無いという空気作り」も同時に行っていて、これらで「考えず、口を閉じ、隷属し、自ら縛る」という事を繰り返しています。
それでも日本には「主張する自由」が多々存在し、その気になりさえすれば、多くの事が言えます。
然し「日本人の特徴である細かい意識と、それによる様々な社会制度構築」は、本来は良い方向の性質である所が、長年の「過剰同調とその要求」などで、「社会隅々で様々な制度が出来上がっていて、これが遊び・余裕の無さを生み出している」という状況を、逆説的に作り上げています。そしてこれが、社会における「自由な場(議論・行動・連帯など)」を奪っていて、個人・社会の意識・状況が良い方向へ向かう、その原動力と成らしめる事を、徹底して阻害しています。
こういう事があったそうです。
・グアムの上空で日本の航空機が米戦闘機と異常接近するという、安全上憂慮すべき事態が発生した。パイロット組合が国土交通省・外務省に改善要求したが、国土交通省・外務省からは、何ら米国側への働きかけがなされなかった。
・パイロット組合が仕方なく、直接、米国大使館に申し入れを行なった。米国大使館より1・2週間で謝罪と今後の善後策の説明がなされた。
・そして同大使館員より「本来、これは国の外務省ならびに国交省が対応すべき事案であるのに、何故パイロット組合が、こんなことをやっているのか?」と問われた。
・このやり取りに、官僚たちは少し距離を置きながらも同席していた。
・近年はアメリカに何かを言うのがタブーだという非常に強い空気が、外務省と国土交通省など官庁にある。昔はここまでではなかった。
また米国政府による盗聴が露呈した際も、厳しい見解を述べた各国に比べ、日本だけが突出して何も問題が存在しないかのよう対応でした。「特段の配慮」ですが、やった方でなく、やられた方が常に行うのが、日本の情けない流儀です。
これは次の事を示しています
・日本には事実上主権が無い、主体性が全く無い、自分で自分の為の行為をする事が出来ない。
・官僚・省庁は存在責任を完全放棄し、公僕精神や気概が全く無く、事勿れ主義・無責任体制が徹底的に蔓延している。
・組織理論の固執しか頭に無い、若しくはそれしか出来ない。
・対米従属が非常に酷い、このような従属国家は世界唯一で、米大使館員も理解不能な思考様式。
・自ら権威に従属していくという観念が非常に強い。
何故こうなったか、その一因は「真の意味の言論の自由や、議論の場・土壌と、これに必要な建設性が存在してこなかった」ことにあります。こういう物がある社会土壌ならば、当たり前のように「間違っている物は間違っている、糾すべきを糾すべき」という観念が主流となり、一般的周知→問題認識→社会的議論を経て、「このような件が起きる土壌自体が問題視され、改善されていく」という作業が繰り返されます。そうなれば、このような著しく不条理な状況は真っ先に無くなります。
日本には「名目ばかりの言論の自由、議論の場、自由主義・民主主義が存在」しますが、「その実質を担保する思考・感覚が、社会上層部に著しく欠けているので、実体を伴った社会的状況や社会的観念が存在しない」という状況が続いてきました。だから皆が回りを気にし過ぎたり、口を噤んだり、同じ事をしようと躍起になったり、更に無駄な事をしても意味が無いので、無思考・無感覚になったり、虚無化するのです。
更に、日本の省庁・政官は、国内へは「ヒエラルキーの頂点」とのエリート意識・特権意識が顕著で、各方面へ様々な抑え付け・締め付けを、あの手この手で行い続けていて、一般大衆は云わば「ヒエラルキーの下層=下々」である。逆に「国際的な権威」「自らより上の上位構造」に対しては、これほどまでに情けなく、世界中でずば抜けて隷属的で、自己の存在が皆無だということを示しています。
「これは幾らなんでもおかしい」と多くの官僚も思ったでしょうし、然し厳然とこの種の状況があり、ということは「各種意見を潰す構造が存在する」という事です。これは「上下関係とヒエラルキー・序列観念が全てに優先する」「極度の自己保身・組織利益の志向の前に、全人材が歯車・部品・駒・消耗財とされてしまっている」という事を示しています。人間が人間でなく、個が否定され、集団・組織が絶対的な社会では、どんなまともな意見も、組織利益の前にはいとも簡単に潰されます。結局は「社会・組織の低意識により、良心も感情も全てが、雁字搦めに縛り上げられている」のです。
ニュース・報道は、日本の様相を顕著に映しています。また「化石的」「消費主義的・物質主義的」という左右のパラメータ上の分布図にすると分かり易いでしょう。先進諸国の主要メディアを、この分布図の中央に、仮に置きます。「報じられない分野が無い・あまり無い」「ニュースでは多くの項目を報じる」「機知・ウィットに富んだ表現を良く使う」「サイトはスタイリッシュ」といった傾向があります。
日本の主要メディアは、NHKは「化石的」、民放は「消費主義的・物質主義的」と両極に別れて分布しています。NHK・民放の共通した傾向に「報じられない分野が多い」「ニュースは、単位時間当たりの項目数は少ない(冗長・類似ニュースを流し続ける)」「事件報道が多い(非本質性と消費主義に関連)」があり、民放の傾向に「ニュースのバラエティー番組化」「サイトは消費主義的・物質主義的に偏重」というのがあります。そして一般的に、日本のテレビ番組は中身が無い物が多いと言われます。
両地域の比較においては、先進諸国のメディアは割とバランスが取れ、日本のメディアはバランスに欠けて、両極に存在しています。これは日本の政党分布や思想にも通じる構造です。この二極性というのは、日本の「組織理論・力学の横行」「硬直思考・原理主義性」「非論理性」「非建設性・非実際主義」を映しています。
また先進諸国は、程度の差こそあれ、そして問題点もある物の、日本よりは遥かに「個が重視される社会・教育」が存在します。社会運動への参加意識も、日本より高く、社会・政治を語れる学生は多いです。マスコミには日本よりジャーナリズム精神があり、「watchdog(番犬)」と呼ばれる社会的機能があります。「言論の自由」「議論の場・土壌」は、日本よりは存在しています。
日本には、311後の際立った秩序を始め、「個の自主的感覚」には素晴らしい物もあります。しかし、上記の点について、この点以外は劣るでしょう。日本には「抑制された社会・教育」が存在します。社会運動への参加意識は低く、意見を言うのが憚られ、意見を持つ事自体も憚る空気があります。監視機能・抑制機能が働いていないので、「利害・保身・カネ」で結ばれた互助機能「ムラ」が野放しにされ、それに付随する「天下り」「政治と金」などの事象が多数あります。ジャーナリズム精神は低く、公器の本来的意識に欠け、しかしエリート意識はあります。大メディアは「ポチ」であり、また政官も「国際的権威(米国など)」に対して「ポチ」で、国民にも「ポチ」である事を強く要請しています。鎖を外されても逃げ出さない家畜と同じで、いつも鎖があるような感覚があって、諦めが漂っています。また訳の分からぬ「社会規範」、非合理的な「細部構造(○○カーストなど)」、支持勢力の行為を全肯定・不支持勢力の行為を全否定する「原理主義性(ネットなど)」が存在するのも特徴です。日本には、実質的な「言論の自由」「議論の場・土壌」「建設性」が欠けています。
「社会の統治構造が有する思想」「幼少期の導入教育を行う教育制度」「社会の諸事象」について、上記のように、日本と他の先進諸国では終始一貫性があります。この国で見られる「社会の諸事象」は「社会の統治構造と教育制度の在り方の中枢部分の問題性」による結果です。
現在のような統治体制の持続には、「思考・感覚の自主的抑制」をさせる為に「思考停止」「諦念」「麻痺感」を植えつける必要があり、これは実に良く出来たシステムといえます。概ね「劣化した社会構造を、個人が底辺から支え、現状を保っている」と言えますが、「個人の意識も社会も経年的に疲弊」しています。
このような極端な傾向の国は、自由社会の先進諸国では他例が無く、如何に日本の状況が特殊か、異様か、自縄自縛的で無意味であるかを示しています。よく「日本社会研究」「日本は長年、経済的成功の割に(成功したか疑問ですが)、何か上手くいってなく、なのでどうすべきか・どう変えるべきか」などの議論があります。ただ、これらは大概が「経済が」「グローバルスタンダードが」「アメリカや欧米の制度が(真の意味する所でなく表面的部分)」など、「あまり本質的で無い部分」ばかりを見ていて、「日本や世界の根源的な問題部分」「本質的にどうあるべきか」というのを殆ど見ていません。
例えば「留学者数が少なくて、これは内向き志向の云々」などの論がありますが、これこそ視野狭窄した論です。この思考法の根本には「欧米・アメリカは外向き・どんな属性にも開かれていて、世界を支配する基準であり、他国はその基準に従属すべきである」というような物があります。この認識論は「どれもが誤りか、世界の間違った状況による物」で、真理ではありません。
「内向き」とは「世界を見ているかどうか」に通じます。この場合の「世界」というのは、「この世の大きな枠組み」な訳で、「その方向の普遍的な物」とは本質的に「宇宙」「内的世界」です。上記のような「内向き」の用法は、「宇宙や内的世界など、普遍的な事象・性質を、欧米・アメリカなどに矮小化して考える思考法」に過ぎません。これは「ノーベル賞」「欧米ブランド」などを礼賛する思考法と同じで、「権威主義と従属思考」「矮小化された、類型化された、型に嵌められた思考法」その物です。かといって「国内の権威を礼賛すべきなどというのは、微塵も無い」です。
「従属思考」というのは無数の存在形態がありますが、それら全ては「その権威従属の対象が、国内の権威か、海外の権威かの違いだけで、本質的に従属思考その物である事には何の変わりも無い」です。そして「個が無く、常に正しいとは限らない権威を礼賛し、その礼賛を周囲に強要・敷衍させていく物で、思考・感覚→議論・改善という、個人・社会の好循環の根本と真逆にある物」です。
「普遍性」とは「全ての物に通じる通じる性質」です。「その権威が、そのムラでしか通用せず、その権威たる論拠も薄く、他地では権威を主張する根拠に欠ける」ならば、「その種の物よりも本質的・普遍的な物は、無数に存在」します。「物事の中心」は「普遍的・本質的な事象・性質」です。それ以外の物が価値が無いという事は、決して有り得ませんし、「それ以外の物も非常に価値ある物ばかり」です。ただ「物事・森羅万象の中心」とは、そういう物であるという事です。
「権威主義」とは、それはどのような形態の物であっても、この「普遍性・本質性」「普遍的基準・本質的基準」を全く見ていません。また、空洞化・無思考化・権威志向・従属化により、精神性に基づく内面性でなく、外部に基準を置くので、「内的基準(精神的な判断基準)」ではなく「外部基準(何らかの権威に基づく基準)」に従うのを良しとします。これは「下位構造の物を、最大価値と崇める、上下逆転した思考法」に過ぎません。況してや、その産物の権威主義の強要は、害悪その物です。
「ピラミッド型の山」「綺麗な円錐型の山」は「波動が高い」とされ、多くの山は、神が隠れ住まう「神奈備(かんなび)」とされます。これは見た目に美しいばかりでなく、「黄金比」に近いという、波動原理に沿った性質を持っているからです。
本来は「物事の真理」は、「大まかな・大体の真理の辺りを、森羅万象の中心として、両翼・全方向が、距離に比例して低下する」という感じで存在しているでしょう。現実的には、何を真理や微細と定義するかは困難で、真理は「点」というより、「群(真理群)」といった感じで存在しているでしょう。その「幾つもある真理」が頂上にあって、その周辺に「他の全て」は存在しています。拠って「真理は社会・世の中の中心に存在している物」であり、これが「最大・中核・基盤の存在」であり、また真理とは「普遍性」「本質性」の事です。
「権威主義」とはこれと逆に、「本来は端っこにある何がしかを、中心に据えて、それを称揚する思考法」です。その対象にも、それぞれごとに価値があります。然し重要なのは「真理の方が、遥かに高い本質性・普遍性がある」という事です。権威主義には「論に必要十分条件の論拠が存在しない」「しかし強固に信用・主張する」という点に特徴があります。
そして「権威(自発的に同意を促す)」「権力(強制的に同意させる)」とは、即ち「力的な物(直接・間接の何れにしろ)」「階層性の志向」なので、「非論理的に強圧的に持論への従属を促す」という特徴があります。「権威が横行する世の中」とは「非論理性や強圧性や、巨大な階層性・格差が罷り通る世の中」であり、「権威主義とはそういう世の中を招く物」です。
従来の世の中は、階層社会の中に人々を埋め込み、経済に再生産・拡大増殖を続ける為に、色々な物を壊し続けてきました。そこで用いられたのが「権威主義・従属思考」「物質主義・消費主義」「無思考化・思考停止」などで、破壊されたのは「自然環境」「精神性・感覚・感受性」「共存的社会」「真理・真実」「社会の改善」「未来への希望」です。「権威主義」とは、こういう破壊性に連なる物です。
台湾では反原発運動が高まっていて、広範な人が支持、当事者意識の下に、デモには多くの人が参加しています。総人口は日本の1/10、事故は国外で起きましたが、デモ参加者は日本より多いです。「自分の頭で考え、能動的に行動する」という「人間の基本的な在り方」が、日本よりも高い次元で存在していると捉える事が出来るでしょう。
「原発建設の国民投票を行い、国民に賛否を問う」と行政院長(日本の首相に相当)が述べました。「住民投票は馴染まない、拙速だ、こういう判断は議員が行う」などと言っている「日本の議員・官僚・上層部」とは「基礎的レベル」と、そして「権威主義・愚民主義・視野狭窄・ムラ思考・全体主義」の度合いにおいて、差があります。
そもそも「根源的問題」「重要問題」だからこそ、「十把一絡げに議員に託す代議士制度」でなく、「個別問題を集中的に扱い、個々人で考え、皆で討議する国民投票・住民投票が、より相応しい」のですが、「権威主義と愚民主義に凝り固まった思考」「上位下達的思考」「ムラと既得権益を固執する思考法」には通じません。これは日本中の「利権・不正・監査」など「各種の住民投票」においても、同じ言説を以って、既得権側により提案が排除され続けています。基本的に「全体主義」というのは「お上・権威・力のある者・暴力的な物を礼賛する思考法」なので、「反対側の草の根的な概念」は嫌なのです。こうして「日本における住民投票の数は、他の先進諸国と比べ、非常に少ない」ものとなっています。
「拙速」との用語用法は先述の通り、「馴染まない」とは「都合が悪い」という「意味・用法・言葉の置き換え」でしょう。「馴染まない」も「政治用語・官僚用語の一種」で、用例の多くは詭弁で、日本の政治に良く見られる、得体の知れない「鵺(ぬえ)的な表現」の一種です。議員・官僚・上層部は、例えば「大所高所」などの「欺瞞的な典型的用語を頻用」しますが、実際は「小所低所」です。「日本の政治は不透明」だと昔から言われてきましたが、その多くは「意味不明瞭な政治官僚用語の頻用と、その背景の土壌」による物です。
これらの多くは「詭弁的・欺瞞的に用いて、誤魔化す為の道具」として重宝されています。拠って「一般社会での、原義に近い用法(誤魔化しを意図しない)」と「界隈における用方」は異なります。そして「こういう詭弁・欺瞞を駆使して、誤魔化しながら、組織利益を図る」のが「頻用の意図」で、これが「この国の組織社会全般において、延々と繰り返されてきた光景」です。
また、台湾での運動の一環として、母子が登場する考えさせられるCMがあります。日本においては「考えさせられるCM」「深いCM」「ウィットに富んだCM」「芸術性の高いCM」の割合は少なく、「商品名・企業名の連呼型」が多いそうです。これは「(最後段にある)日本のテレビやメディアの内容・情報の傾向」と合致します。この種のCMは、日本では流れないでしょう。何故ならば「日本は閉鎖的思考が蔓延した社会だから」「国の基盤の構造において、低質性が社会的力学となっているから」です。
こうやって日々刻々と「物を考えなくなる・感じなくなる」「考えない・感じない事が善とされる」「深さ(深い思考・感受性)を持たなくなり、浅薄になる」「何をやっても無駄だと、また刷り込まれる」「強きに・大勢に・権力に従う事=善・要領の良い行動法と教えられる」ような「訓練・教育」「方針・実践」が繰り返されてきました。これは「全ての意味が剥落していく」「空虚になっていく」ことであり、「社会が無意味化・虚無化し、融解する」ような方向性です。
「日本という国・日本人」は、長らくそのような方向へ、一貫して流れていっています。こうやって「日本の国・上層部社会・メディアなどの村々」は、日本中を「空洞化・無思考化・無脳化・低質化」させていっています。そして「社会の無意味化・虚無化・融解」は、その一因として「全体主義や権威の名の下に、更に促進されてきた状況」です。こうして日本は近年、世界中の国の進歩から取り残され、一人だけ迷走を続けました。
その1つの表れが長期不況に過ぎず、そういうことをやっていたら、この「幸福度の低い社会(各種アンケート結果)」「働けど働けど、事態が余計閉塞する」という状況を抜け出せません。更に「全体主義に旋回して、事態を打開しよう」という「事態の改善法と真逆にある論説」も多数ありますが、「住民投票・国民投票を毎度毎度否定するような、先進諸国には類例のないような社会を、更に全体主義にする」ことに、どのような未来を見ているのでしょうか。
それは要するに「ある決まりきった枠組み、何かしらの都合の良い型に嵌めていき、大量生産ロボットを造っていく社会構造・教育制度」であり、これは「近年・近代に社会上層部が志向した体系・意図」である「個の抑制」の目的図です。これらは全て「低意識化・低波動化」「過剰同質性・過剰同調」「全体主義」「権威主義」「物質主義偏重」「精神性の軽視」「無思考化・虚無化・空洞化」「自己中毒的な閉塞化」の下に繋がっている思考行動原理です。
言ってみればこのような思考とは「"このような低質社会における主・主人"で居たいとする思考」ですが、「これを行っていくと、全体状況が悪化するのは明白」「日本が称揚されること=満足とするが、全体状況が悪化するので、決して満足する方向には行かない」という物であり、結局は「自らも、子孫も不幸にする皮相的な思考法」に過ぎません。ここに「全体の未来というのは存在しない」です。これは過去の歴史からも、社会心理学からも、社会の成り立ちの経緯からも、波動原理からも、このように説明できるでしょう。端的に「社会の低意識化・無思考化を齎す方向性に、幸福な未来は存在しない」「低意識は低意識と共鳴し、低波動を齎し、不幸と災厄を増加させるだけなので、ここに解決法はない」です。
●&color(white,black){物質主義と閉鎖性と視野狭窄による自家中毒}
「日本の政治」は質が低いと言われ、「メディア(大メディア)」もそうだと言われますが、既存の物を補完する役割を持つべき「ネット」にしても、主流の場は同様となっています。日本の代表的なネットサービス・ネット論壇は「場の空気を読む」という傾向が強いと言われます。これにより「内容ベースの熟議を行う電子公共圏の構築(討議プロセスを含む電子民主主義の実現)が困難になっている」との論があり、正鵠を射ているでしょう。
日本は「文化面・言語面・人種面」などから、「海外からの情報の直接的流入」について、その度合いは多くの海外諸国より低いです。これもあって「国内メディア」が、国内の情報流通をほぼ独占、海外の情報も一度「メディアムラ」でワンクッション置いて、そこから選択的に幾つかの情報が流されます。これにより日本は「情報鎖国」の様相を呈していて、「日本固有の悪状況・低質要素」が野放しにされたり、益々悪化する非常に大きな要因となっています。
先ず「海外の一次的情報」が少ない上に、「民族主義的・国粋的な偏狭な否定」「海外権威(欧米・国際機関など)への隷属」という異質の2つの側面もあり、更に「ぬるま湯・無思考・無感覚」「議論の土壌」もあって、「海外事例・他人種の意見などを含めた、多様性のある比較・議論」が滅多に成されません。
また同時にこれは「国内状況が海外にあまり伝わらない」「興味を持たれない」という事も意味しています。これにより主流の「ネット論壇」において、先進諸国の主流のネット論壇ではあまり無いような「一部の偏狭した意見」が野放しにされたり、日本では普段は海外の視線を気にするにも拘らず、ネットでは「どうせ海外から文句言われる事もないし、何をやっても平気」という感覚が存在する状況を生んでいます。これは「内容ベースの熟議を行う電子公共圏が無い」という上記の点とも、密接に絡んでいます。
元々日本には「極端さ・他論への排他性」は少なかったですが、稀に存在した第二次大戦の時期のように、非常にギスギスした、そして単純化・短絡化した論を良しとする空気が存在、更に外国から何か批判されたら脊髄反射的に全否定する論や、「愚民主義」を肯定するような先鋭性・末期性まであります。
「議論の場の問題」については、「草の根的な議論(の場)」ではなくて、「集団・組織の時において特に見られる傾向」であり、「空気の読み合い」によって「同調圧力」が発生、「没個性的・歯車的」に「硬直性・先鋭性」を顕在化させていきます。このような思考法は思想だけでなく、「○○理論で決まっている事だから正しい・間違い」「これは何々が決めたことだから守れ」などの非合理的観念を伴って、各方面に存在しています。日本は「個の連帯」に大きく舵を切らないと、「議論が出来ない」という根源的問題点を改善できないまま、「何となく、とても不幸・息苦しい」という社会が続くのみでしょう。
現代の社会的システムとは「人々の善性による循環が起こらないようなシステム」となっています。何処かを歩いていれば、ごく普通に「人々の無意識下の善性の発露」が見られます。このありふれた日常光景の背景の心象こそが、「全ての人の平均的心象」でしょう。それは「人間個人としての中心的部分で、神性であり、そういう物を皆が有している」という事です。皆がこの善性を「先天的・潜在的・基礎部分」に持っています。
しかしこれが「大組織」になると、突然に「逆向きの、後ろ向きの力学による統治構造」となります。それは「集団化した時に、人々の感覚を縛る"後ろ向きの何か"が現れる」からです。これは「従来社会や近代の通念」による物で、「後天的に獲得した物」であり、拠って「人間の基盤部分にあるのでなく、単なる現在の常識にしか過ぎない物」です。しかし「それは従来社会や近代の常識である」ので、「常識=絶対的な物との思い込み」により、これを「社会システムの根源に位置する、未来永劫不変の法則」であるかの如くに解釈する深層心理に、人々が覆われてしまっています。「良識」は「常識」の上位概念ですが、現代の社会では「常識」は幅を利かせていても、「良識への視点」はなおざりにされています。
ここに「人々が先天的・潜在的・基礎部分に有する善性・神性」が発露される「好循環社会」は起動せずに、「後ろ向きの力学による統治構造」の「悪循環社会」が「現代社会の社会的システム・社会的力学として存在し続ける」ようになります。これは偏に「意識の偏りによる、思い込みの成せる状況」であり、「全く真理でも不変な物でもない」のですが、それでも「導入教育で刷り込みされたかのような認識論」においては、ここに気付く「呪縛からの解放」がされずにいます。
現代社会の方向性とは「本来は霊的存在たる人間にとっては、在るべき方向ではない」「人間本来の存在からすると、程遠い方向」です。だから無理が生じて、破綻しかかっていて、それを強引に糊塗する為に「様々な欺瞞・酷い事・良くない事」が生じています。「善性の好循環」が起きる社会を構築しなければ、この「負の悪循環から逃れる事は出来ない」ですし、そもそも「個の抑制と全体主義」ばかりしていては、「何かに対する気付きと改善、という循環を起こす為の、その起点にさえ辿り付かない」「その状況の意味さえも分からない」「自分だけでなく、他人や社会をも縛り付けたまま」です。
近年の支配的傾向であった「資本主義偏重・経済至上主義」「開発第一主義」においては、「日本中をコンクリート付けにするような開発」で「利権込みで金を流して」「経済を成長させる」という方法がとられてきました。これは「従来科学に近似したやり方」であり、拠って「物質を製造・再生産する事は可能」です。しかしこれは「環境・社会・人々の波動が低下する」ので、「ツケが溜まり続けて」「何れ持続不可能な状況になる」方法論です。これは端的に金・物の志向による方法論ですが、経済面で見ても「高度成長以後の成長余力低減」「バブル経済以後の成長余力ゼロ」「20数年の超長期不況」は必然的現象です。「波動低下のツケ(災厄増加なども含め)」から考えて、概ね高度成長期終了後の1980年代以降は、経済成長余力が無くなったのでしょう。拠っていくら「景気刺激策」をやっても大して効果はありませんし、借金が増えて「中長期的な経済力基盤を更に低下させる」だけです。
日本広くに見られる「低経済成長率・負債残高」「非常に高い自殺率・精神に病を抱えた人の多さ」「幸福感を感じていない人の多さ」「少子化」「国内外の"過去の国・もう成長は無い"との視点」「社会隅々までの硬直的構造」「非常に物質主義的・資本主義的・ムラ的なメディア・広告・映像ほか」「伝統創造意識の低さと、ファーストフード的な一過性流行」「思考・感受性の状況」「更に原発事故」は、正に「ツケが溜まり続けた結果」「持続不可能になった状況」です。そして「現代社会の基盤的・根源的状況がこのレベル」であって、「これから成長だの幸福だの何だのと言うのは、この方向では絶対に無理」「それは波動的にも、過去の状況・過去からの流れからも、各種統計結果からも、そうとしか判断できない物」です。
そもそもが人間はロボットでなく、社会は集合意識が成り立たせている物なのだから、これはあまりに当然の事です。拠って現状を続ければ、更なる「生命力低下・活力低下」「混迷」「末期的症状」「終末的状況」「破滅的状況」となっていくだけです。「従来科学に沿ったやり方」というのは、どうしても「重大な副作用」「隠された膨大なツケ」「意識低下・波動低下」「環境破壊・社会が存続する為の基盤の破壊」を伴う物で、これは「従来科学(波動原理以外の科学)の科学的性質・物理的性質・根源的性質がそのような物である」という事に拠るので、なので「これらを避けるのは絶対に不可能」です。
結局の所「従来科学・資本主義的・物質主義的な物は、短期的・麻酔的な物でしかない」「中長期的には却って逆効果の方が多くなる、何故ならば環境・社会・意識の低下が不可避で、そのツケがカルマのように溜まり、逆向きの効果・負のエネルギーが蔓延するから、それにより停滞する」「それでも無理に資本主義・物質主義を推進しようとすると、破綻的状況として崩壊・破壊が各所で発生する」「しかし過度に資本主義・物質主義に染まったり、破壊的意識を持ったり、意識・波動が低いほどこの事に気付かないので、そのような社会では解決が困難になる」という事であり、云わば「波動原理上では、これらは当然のこと」「従来科学とは、科学的にそういう物」なのです。
現代社会は「公的権力・大組織による不義・不誠実や、朝三暮四に慣れ過ぎている」と言えます。人体には様々な有害物質が蓄積し、波動を非常に下げ、健康・寿命・精神状態・各種能力・社会状況に、極度の悪影響を与えています。若しこれが「寿命や金銭のほんの一部を"渡す"ように言われたら、誰しもが拒否する」はずですが、「社会がみんなそうだから」となると、途端に「気にしない・気にし過ぎ」と一変します。現代女性の胎盤には、多くの有害物質があり、それが胎児・赤ちゃんへ直接的に悪影響を齎しています。国などがこれを放置するのは許されないですが、実際には「利害関係」により放置されて、国民の健康は蝕まれています。現代社会というのは「あまりに多くの事が、不正義が罷り通るように存在している」「それを無視し過ぎている、放置し過ぎている、麻痺し過ぎている」という状況にあります。
工事だの何だのをやり尽くして、仮に経済成長が1%増えたとしましょう。でもそれにどれ程の意味があるのでしょう?「その時点~長期的期間の、幸福度・充実感や災厄・健康度などの総和」はそんな物で計れる物ではないですし、「朝三暮四」や、更には「朝四暮一」「借金と波動低下の雪だるま」にする行為に、何らの意義もありません。散々借金して、「バランスの良い社会構造・開発行為」ではなく、「ばら撒き・利権・省益・分捕り合戦」なので何の効果も無く、経済面で子孫にツケを残して、そして放射能汚染で国土を極端に汚して、子孫にツケを残して、あらゆる生物に迷惑をかけて、コンクリート漬けにすることで生物にとって住み辛くして、波動を下げて、国土を脆弱化させて、それが「国の為・国の発展・国の向かうべき方向」とか、何なのでしょう。そういう事を長年続けてきた間に、その代わりに、何故もっと良い構造・社会に出来なかったのでしょうか。
そもそも「外国が日本を現状レベルに汚染したら、激怒し、戦争になりかねない」のに「日本が自国を現状レベルに汚染したら、それは問題ない事、仕方ない事、大したことない事、騒ぎ過ぎな事、改めることで無い事」とするのは、どう考えても大矛盾で、異常でしょう。「外国が自国を汚染したら怒るのは当然」ですが、では「自国が汚染したら、問題はない事」なのでしょうか。「普段は絶対的な物、神聖視している国土観念」と真逆です。「自国が自国を汚染するのは、自らが生き続ける大地を汚染するのは、全ての思い出と共に在る大地を破壊するのは、先祖から受け継いで子孫へ継承する国土を汚染するのは、絶対に間違った事」でしょう。
「事故前での、放射能汚染・汚染食品への考え方・言ってた事」と正反対であり、「若し外国・嫌いな国で事故が起きた時の反応」とも全く正反対でしょうし、欺瞞と嘘だらけです。「若し対論側が不正行為を駆使したら激怒するのに、同意見の側は何をやっても良いとする思考」というのがあり、これは「○○ムラは何をやっても良い、○○無罪のような思考」です。左右ともに、どんな国家でも、全体主義は「思考における、この種の自己側への甘さと、対論への非寛容」「理不尽さ」が目立ちます。外国を利するだの何だと言いますが、そもそも主体は「日本・日本国土・日本人」「大地と環境と安全性」であり、その「浄化度・安全度・継続性」がどうかの問題で、即ち「外国を利するかではなく、自国(人・国土・環境その他全て)に利するかどうかの問題」であり、「思考における本来的な主体性」が欠けています。「あいつらが○○」のような思考ですが、物事は先ず根源的に「自らがどう在るべきか」の問題で、「内省的思考」に欠け、即ち「非哲学的・非精神的」であり、それ抜きに自らが・程度が良くなる訳はありません。「思考における本来的な主体性」が欠けているのですが、「自らを、対象が反日かどうかを決める主体としている」のです。そもそも軍事を言うなら、その存在自体が脆弱性その物で、真逆の存在です。もうあれもこれも矛盾し、「金銭至上主義・全体主義・国家序列への意識偏重」などに凝り固まり過ぎて、論理が整合していません。
原発事故が起きても、「無かった事・安全な事・もう絶対に起きない事」にしてしまえば、お金と圧力で対処すれば、事実とは違っていても、例え嘘でも、そう言い続ける事は出来ますし、そんな社会を曲がりなりにも継続していけます。だから現在は、ニュースは「詭弁や末期的症状」、それ以外は「即席の流行を造って、餌的に耳目に流し込んで、思考・感覚を飽和させる、歪んだ市場主義による、空虚な産物」というのが、メディアから流される情報の多数です。
でもそんな事に、内心嫌気が指していて、社会なんて下らない物だと思って、更に意識が低下、これでは犯罪の社会的要因も増えるでしょう。そんな閉塞状況の打開の為に、全体主義の論説をぶったり、格差拡大の方向の論説や(TPPもこれです)、更に働き詰めにさせたり、枠組みに押し込めたりする事を要求する論説を弄したり。しかし実際には、国内外の大概の人は、それで事態が改善するとは思ってません。でもこの自家中毒と視野狭窄と思考硬直から抜け出す方法を知りません。今の世の中はそんな状況です。
制度疲労を起こしても、実際に実験・報告で従来常識と違う事実が判明しても、「同質性に高度に染まり、思考と責任感を放棄した人」からすれば、「そんな事はどうでもいい事」「自己や組織の為には面倒な事・邪魔な事」でしかありません。こういう状況が社会に蔓延ったら、それはどう考えても、その社会は悪化していくでしょう。でもなんとなく分かっているけど、この方向に未来が無いのは薄々気付いているけど、こんな事をしていたら、何れ嵐が来て海に放り出されて溺れるという危険性を避けられないのは感付いてるけど、でも止められない、何故ならみんなと同じ方向だから、偉い人なりもそんな事なるとは言ってないし、自分が動いてもどうこうなる訳でもないし、というのが今の状況です。
当たり前の事ですが、「真理というのは、枠の中と外に存在している」ものです。これは当たり前過ぎますが、しかし真理だと思います。「枠の内」ばかり見ていたら、絶対に「枠の外側にも存在している真理」を見るのは不可能です。社会学では「あまりにも前例を踏襲し過ぎる集団や、同一思考の人が多過ぎる集団は、次第にパフォーマンスが低下する」と言います。個人レベルがそう行う分には「無難な選択」とも言えますが、実際「無難な選択を無意識で意図して前例を踏襲する」訳ですが、全員がそれをやると破滅します。当然ながら、常識・物事には「正しい部分と、間違っている部分がある」のですが、全員が同じ事だけをやると「常識外の正しい事は無視され、常識内の正しくない事は保持され続ける」からです。
こういう事は,相当昔から言われ続けていましたが、でも変わらない・変えられない・進歩しないというのが、近年の状況でした。変える機会は幾らでもあり、実際311後もそうでしたが、でもこういう状況です。これは「事態を改善するのは割と簡単である」「でも意識が低いと、或いは気付かないと、それは出来ない」という事です。ごく当たり前の結論ですが、これも真理でしょう。
日本で「前例踏襲が多い」のは、「失敗を恐れる」「無難な選択を望む」「周りと外れるのを嫌う」からです。「無難な選択をする」のは、それ自体は何も間違ってなく、当然と言えます。ただ「全員が無難な選択をし続ける」と、上記のように破綻します。そもそも「無難」=「無難かどうかを判断する、常識自体が正しいかは不明」=「正しいとは限らない」であり、単に「皆と同じ道・マニュアル通りの道を信じてるだけ」です。それで「日本社会で前例踏襲が多いのは、失敗して、最終的に破綻の方向に行くのを恐れるから」でもありますが、「前例踏襲ばかりだと破綻する」訳で、これは完全に矛盾しています。事故前は「世界中でずば抜けて安全安心を志向していた」、事故後は「世界中で最も酷い基準・状況を安全安心と呼ぶ」、これも矛盾であり滅茶苦茶です。
結局近年の日本では「大局的視野・俯瞰」「水平思考」「根源を見る事」などが欠けていたからこうなった訳で、「空気への過剰同調」ばかり求めるから「矛盾に満ちた、事故前・事故後の主張の天地逆転」「赤信号みんなで渡れば・茹で蛙」も起きて、それが正当化される訳です。また、この状況には「社会上層部の深刻な責任感欠如」が伴っているのですが、何故社会上層部でそんな事が起きたかは「内部で空気・常識などが重視され過ぎた」「それが権威となり、皆を縛った」からです。結局は根は全て同一です。
日月神示には次のようにあります「逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。 あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。」
凡そ近代・近年というのは「本来的な上位概念より下位概念を重視する主客逆転の悪循環」が繰り返されてきました。勿論日々の事、目の前の事も大変で、しなくてはならない事だらけですが、「ちょっと根源的な部分を見なさ過ぎだった」という事でしょう。
「現在・近年の方向性=波動原理に沿わない方向性」であって、どんなにやろうとも、仮に短期的に上手くいったように見えても「本質たる波動と、その顕現たる各種状況は、現在レベルと大して変わらないまま」「様々な事の破壊が続き、継承できなくなる物も多数生じ、災厄が頻繁に生じ、幸福度の低い社会が続く」でしょう。拠ってこれを変えるには「根源的に社会の在り方、思考法・感覚自体を大幅に変える」以外にありません。それは「縄文時代に代表されるような、もっと穏やか・融合的・柔軟で、云わば母性的に近い社会」でしょう。そのような社会では「意識は高く、気持ちは楽に、問題は減少して、隠されていた問題も解決」していくでしょう。
「視野が狭い」ほど、「思考・感覚が硬直的・一面的」なほど、反面「俯瞰的な視点を持たない」という観念を持ちます。なのでこの思考法では、「本質性・普遍性を重視しない」「国・国際関係により決められた与件や、社会的条件を、大前提としたり絶対的な物とする」といった思考法を伴うのを基本とします。
普遍性・本質性の代わりに、「社会的に有力な、何らかの枠組み」を判断基準とするので、「社会・界隈・ムラを支配する体制・価値観・手法」に依拠するようになります。この「社会・界隈・ムラ」とは、「政官財のOOムラ」から「メディアの流す消費主義的情報や芸能情報」や「身近・周辺の物」まで、様々な場所に存在する物です。
そして「その界隈の権威的な基準・マニュアル」を重視して、「その界隈の空気重視・常識重視・前例踏襲」の志向が強くなります。逆に「何が大切か」を無視するので、「人間・社会にとり重要な事」は無視・否定されます。こうして「一面的な価値観・思想に従属」「それを世界の中心とする」ようになります。
また判断基準として「社会・界隈・ムラの価値観に基づく上下関係・序列関係」も非常に重視、「その序列の保全」に心を砕き、「序列で劣後する事」に非常に大きな不安を抱きます。このような思考法に則っていくと、例えば「身近な人間関係の序列化・カースト」から「社会関係・国際関係での、敵の敵は味方・敵の見方は敵のような思考法」のようになっていきます。
これは「外部の基準・価値観を最上位とする思考法」で、非常に非建設的で、論理的整合性・一貫性が無くて、こういう観念が蔓延した社会は、空虚な空気に満ちていきます。全体状況が、無意味な事に終始したり、それを繰り返すのが常となり、その「意識の縮小再生産」は止め処もありません。また逆説的に「空虚な情報・事象に満ちた社会」も、目の前の瑣末な事に終始するので「視野の狭さ」「思考・感覚の硬直性・一面性」も量産し続け、この関係は比例的に社会で増減します。
人間というのは必ず「何らかの判断基準・価値観や、世界や趣味」などを持ちながら生きていくので、拠って「視野の狭さ」「思考・感覚の硬直性・一面性」というのは、必ずこうした傾向を、徐々に徐々にでも醸成させていき、それを社会の支配的な空気と化させていきます。これは社会心理学的に、絶対に止めようの無い傾向です。そしてこれは実際日本でも、例えば一部ネット社会に非常に特徴的に表れているでしょう。
「低い意識で社会を纏め上げて、思想的な成功と、物質的・経済的な成功を両立させる」など無理な話です。況してやそんな社会が、各種社会アンケートにおける「幸福度の高い社会」になる筈がありません。例えば「サビ残が横行して、空気への同調が蔓延して、閉鎖的ムラが跋扈して、学生の社会意識が低くて、中身の薄いメディア情報が流れ続けるような世の中」が続くだけです。
社会に見られる状況は「こういう要素だけではない」ですが、しかし「こういう事をしてると、こういう要素が大幅に増える」というのは確実です。「現代社会の空気・構造」というのは「このような状況・要素を増やす装置」です。
こういう状況は外から見れば、何も良い所が無いです。ただそれを、裸の王様の如く自画自賛したり、それしか無いんだ有り得ないんだ仕様が無いんだと、根拠不明に思い込んでいるだけです。でも「俯瞰的視点」「外から見る視点」が無いので、永遠にそれに気付きません。結局全ては「意識」で、「気付き」から始まりますが、気付かなかったら永遠に何も変わりませんが、それを見させないように分からせないように阻んでいるのが「現代社会の空気・構造」です。更にこの構造は、生物的に自己増殖を図り、保身を図り、状況変化に適応します。これは本当によく出来た、そして最悪な構造です。
●&color(white,black){欺瞞的な建前が招く、非健全化と本来的な倫理の崩壊}
日本では「先輩後輩の秩序(長幼の序)」は重視されています。「年齢による上下関係」には「自主的な尊敬の念による、年長者への敬い」と「社会規制的な縦構造の関係性に伴う物」の2種類があります。前者は自然発生的な「内部的秩序(内的秩序)」、後者は行為を要求される「外部的秩序」と捉える事ができます。前者は「能動的に参加している意識」「生き甲斐・遣り甲斐に似た内的な意味」、後者は「強制的に参加させられている意識」「やらされている感」を齎します。
後者は「上意下達」など、他の「様々な縛り」を伴い、「閉鎖的社会」によく見られる構造です。日本社会は年功序列社会で、若い人が組織上層部で活躍する機会は、二世議員・二世社長でもない限り、先ずありません。年功序列には「競争抑制」「忠誠心競争に繋がる」という功罪の二面性がありますが、「活躍の機会さえない」というのは、これと別に問題性があります。また政界には年功序列に類する物として、「二世議員の蔓延」があり、「二世議員の長老」が跋扈、非常に多様性に欠け、同質性が高い社会となっています。
そしてこれは本来の「敬老」というより、「ムラの長老実力者による、集団・社会の統制的統治の前提としての、都合の良い社会構造」という意図・側面が強いでしょう。「異論封殺と地位安泰」を望む「閉鎖的社会」は、「大きな声を持つ長老実力者」が実権を握り、そして「ムラ・圧力団体」には「組織理論を通しやすい社会構造」「大きな声を持つムラの論が通る社会構造」が必要です。この需要に対して「統制的な縦構造の年齢秩序」は、「年長者の中でも、最も権威を持つムラの実力者達の寡頭支配」が最も有効機能する構造なるので、最も都合が良いのです。これはまた「老後の地位安泰」を望む「閉鎖社会のエリート」にも都合の良い構造で、「閉鎖集団の互助」である「天下り」に通じる側面を持っています。
「自主的な尊敬の念による、年長者への敬い」というのは、「人々が自主的に持つ秩序規範」です。この関係性においては「連帯」という形態も共有できます。これは「共存・調和」に近い関係性で、国内外の様々な人・集団に対しての相互尊重にも繋がり、有機的に無限連鎖する建設性があります。この「自主的な尊敬の念による、年長者への敬い」は、「どの社会にも本来的に備わる自然な秩序」で、これが「年長者への敬い」への基本的な姿でしょう。
先述のように、日本では「昔の音楽=自動的に全て古臭い・興味ない・聞かないとする思考法」がよく見られます。この理由の1つに「歴史の積み重ね・その事物に対する軽視」「時代性・流行の重視」があり、それは「消費主義・即物性」などの観点にそぐわない物」だからです。これは「ファッション」など、「近代文化の幾らかの分野」でも強く見られる現象です。「消費主義・物質主義・即物性」「大量生産大量消費の流行の消費」が主流力学の日本にあって、その「社会構造に準拠した観念」が大量生産されるのは必然で、この力学に基づいた観念により、これと対極的な「昔の曲」は自動的に駄目とされます。勿論駄目とされる理由は他にもあり、それには一定の合理的論拠を有する物があり、そしてそれら「論拠・社会事象」は、たった今現在の社会においても「消費主義・物質主義・即物的で、虚無的・皮相的な社会的傾向」により拡大再生産されています。
「低意識」は「低波動」=「高エントロピー」=「秩序崩壊を促す」という性質を、「高い意識」は=「高波動」=「低エントロピー」=「秩序再生産・維持を促す」という性質を持ちます。「内的秩序」「社会に本来的に備わる自然な秩序」を拡大させてゆくには、「高い意識」を持つ以外になく、「低意識とその手法」では不可能です。
現代の日本社会においては「社会規制的な縦構造関係の年齢の序列を、拡大再生産する社会的力学」はあっても、「自主的な尊敬の念による年長者への敬いを、自然に醸成していく社会的構造」というのはありません。「先輩後輩の秩序」について、社会に広範にあり、その拡大を「統制的に主唱する論説」も多いですが、反面「社会に本来的に備わる自然な秩序」の面から拡大させるような社会構造はありません。何故ならばそのような「連帯」的な社会構造は、「統制的構造・ムラ的構造」と相容れなく、既得権層・同調者には邪魔な物だからです。日本は「二重基準的な欺瞞性(本音と建前を欺瞞的に使い分ける)」「非論理性・非建設性」が横行していますが、これは正しくその物です。
そういうのが蔓延する社会状況が持つ「嘘っぽさ」「胡散臭さ」というのは、当然誰でも重々知っていて、そして「当たり前のように誤魔化しの奇麗事の言説(政治用語・官僚用語はじめ)が溢れかえっている」と感じています。「日本は普通にそんな社会で、変わりっこなく、それに対して、感覚を麻痺させながら従うのが強く求められている」と思っています。こういった「日本社会の構造が齎した観念・諦念」というのは、「社会を空虚な物・意味の無い物と感じさせる教育」として充分過ぎる物で、これにより「内的秩序・内的規範」を崩壊していっています。
「様々な縛り」を当然視・増やそうとする「全体主義・権威主義」的な思考法においては、「秩序が壊れている、維持せよ」と頻繁に論じます。然し現実には、科学的には、「内的秩序」を崩壊させてゆくのは、そのような思考法・手法です。このような手法は、仮に限定的成功をしても、「低意識=低波動」により、全体で見れば「社会にとって最も重要な部分」を崩壊させていって、失敗します。
「全体主義・権威主義」は、往々にして「利害重視」「利己主義」「消費主義・物質主義」を伴いますが、これは「秩序再生産・移住を促す方向性とは真逆の物」であり、お為ごかしもいい所で、言ってる事とやってる事が正反対です。結局こういうのは「低レベル社会において、自らは主人であろうとする思考法」「全体を不幸にさせて、自らは優越的地位に固執する思考法」です。
現実に社会各所に「アノミー(規律の崩壊)」が起きていますが、それは「高い意識に基づく社会を目指さず、社会各所に欺瞞・詭弁が多かったので、高い意識が減少した」からです。そもそも「秩序性の低い低意識」は「社会的摩擦・軋轢・圧力が多い、高エントロピー社会」招くのは、道理的にも科学的にも必然です。先ず以って「秩序性の低い低意識で、高い秩序(低エントロピーの構造)を構築する」ということ自体が不可能で、論が成り立ちません。
根源的に、「日本の明治維新以来の最大の誤り」は「個人を全体主義的な方向性に隷属させる為に、思考・感性を放棄させ続けてきた事」です。そしてこれは「日本の諸問題の根源」「日本の様々な悪化(意識・波動・状況)の根源」です。
こういう物は昔からあったのですが、まだ社会が出来上がっていない段階では「まだ雁字搦めで無い状態」であり、各所に「余裕・遊び」が存在しました。社会が出来上がっていくに連れ「良い制度」も増加しましたが、反面「良くない制度・状況の固定化」も多数発生しました。
また経済発展は「この方向が正しい」「全体主義的・統制的にやってきた体制側が正しかった」との観念を醸成し、それが近年の「改革・改善があまり行われない状況」「これによる停滞・低迷・状況悪化」を引き起こし、意識と波動の低下も招き、「全体主義的・統制下なので問題点に気付きにくい」という状況も招き、「何だかよく分からないが、とにかく全体として非常に悪化している」という一般的感覚が持たれるような、現況に至っています。
恐らくは、根源の「日本の地霊(往古から蓄積されてきた霊性)」と、自らの選択の「個人を全体主義的な方向性に隷属させる為に、思考・感性を放棄させ続けてきた事」とを併せて考えると、「戦後のようなコース」「何時の頃からか低迷し長期不況になる」「全く解決法が見当たらない、ぬかるみのような状況」「自縄自縛的な状況」というのは「云わばカルマ的に予定されていた事」なのかもしれません。
311後に「絆」という言葉が、よく言われました。絆には肯定的含意があり、人々が絆という言葉を用いる時、そのような用い方をしています。個々人が用いる場合、それは大概が「良い言葉」「善性に基づく感情による物」です。「絆の肯定的含意」は、とても重要な物で、家族の絆は強い物です。
しかし「国中で大規模に用いられる標語」「大きく掲げられる言葉」の場合は、「その言葉を選択する事の意味合いは、良いにしろ悪いにしろ、個人が使う場合と全く異なる」「標語という物は、その事例ごとに、最も適した言葉や、相応しくない含意を持つ言葉が存在する」ことを、非常に重視して考えなくてはなりません。そして、絆の原義とは「動物を縛る綱」「束縛するもの」です。これは「個の抑制をさせる思考法・社会体制」に通じます。
「むすひ(産霊)」について、項目6⑤に記してあります。これは「ものを生み出す力」「天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働き」で、万物は「むすひ」の働きによって生じ、発展すると考えられています。「むすひ」は「結び(むすび)」でもあり、「全ては繋がっている・結ばれている」という概念です。この方向性の物には「魂振り」「連帯」「輪廻転生」「循環」「輪・和」「共生・共存」「融和性」などがあります。
311後に「大きく掲げられる言葉」として最も妥当だったのは、「役割・意識・思いやりなどが繋がっていく」という概念の「連帯」であるべきでした。「連帯」というのは、「高い意識」により支えられ、「社会の改善」を生み出し、「共存・融和性」を志向します。「何らかの縛りによる結び付き」ではなく、「共存意識の結び付き」による物です。「連帯・共存・融和」などは「むすひ(産霊)」「魂振り」「生命力向上」「社会の活力低下」「意識と波動の向上」を生み出し、「縛り」は「気枯れ(けかれ)」「生命力低下」「社会の活力低下」「意識と波動の低下」を生み出します。
標語を決めるに際して、「連帯」「絆」が主要候補だったと思います。「殆どの大組織が絆という標語を選択した」訳ですが、これは須らく「連帯より、絆を志向する意識」があったからでしょう。全事例ではないでしょうが、多くでは「連帯のような、高い意識と社会改善を生む概念より、組織力学を守る物である、束縛の含意を持つ言葉を、意識下・無意識下の何れにしろ、選択をした」と思われます。またこれは「横の連帯が無く、それを阻害してきたから、縦関係で結ぼうとした」ということです。こういう所に、明治維新後・戦後の日本の病弊と、更に311・被災度の原因の一端が存在しています。
その意図はどうであろうと、具体的悪影響はないという言説があっても、「多くの人が、締め付け・縛り・抑圧を感じる世の中」は「個人・社会の状況を低下させる物」です。それは「魂振りによる産霊の効果が減少する」からです。逆に「開放的な世の中」は「個人・社会の生命力を改善させる物」です。開放的なら何でも良いという訳ではなく、当然他の全条件が絡み、「開放的で、他は低意識」では良くないですが、「要素面」ではそうだと言えます。
「政界・官界」にしても、「実質的な個の側面は少ない」「組織・力学・空気の統制力が非常に強い」「その存在意義はシステムの歯車」であり、且つ「力を得ると、お偉方として非論理的な権威も得る」という存在形態にあります。「大きな組織・集団」では、どこを見ても「組織理論・前例と慣習」ばかりで、「本当は何が妥当か」という感覚が入る余地に欠け、視点が「組織利害の優先」に完全に固定されていて、特に日本においてこれは特徴的です。
政界には「低質で不合理な制度・常識」が方々に見られ、その一つに「専門知識の無い人が大臣になる事」「定期的な内閣改造」があります。大臣とは「国内の当該分野で、最重要な地位と、最大の意思決定権限を有する職」ですが、それに「素人」が就く訳で、「日本の政治の、根本の観念自体からのどうしようもなさ」を如実に現しています。だから誰がなっても同じで、永田町の論理では「当選回数・声がでかいか小さいか」などが重視されるという、凡そ原始的な観念と共にあります。
日本社会の主体は飽くまでも「閉鎖的・非論理的で、全体主義的・物質主義的な、鵺的な構造」にあるので、「個(自由意志を持つ)としての政治家」は要らないのです。その構造に連なるのは「政界・官界のムラ的な存在形態」であって、「ムラに属する組織論第一主義の、思考・感情を消滅させた住人」により、ことが運ばれていきます。「何かを変える」という事がし難い構造になっていて、「中身が見え難い構造」「組織と利益の固守」「責任の分散化と回避」には最適な構造となっています。
そして「歯車としての大臣」は、時期が来ると回転寿司のように交代、これが定期的な「内閣改造」です。こんな構造は先進諸国に見られないですが、こういった物を「同調者」は、非論理的な言説で肯定します。日本の政治レベルは長年質が低いと言われ、「何故先進諸国(欧米)に比べて」と、その理由が論じられてきましたが、こんな事が存在できる構造に「高い志を持ち、良い社会を目指す政治」のような物がある訳がありません。端から「そういう方向を目指す真剣さ」のような物がないのです。
逆に「官高政低」「官僚によって国が持ってきた」などと言われてきましたが、それも全く誤りです。官僚はよく「外国との条約・協定・文書署名で、英語原文から日本語文書への訳に際して、全く異なった内容・表現にする」という事を、頻繁に行います。内容が政界官界に都合が悪い時は、そのまま発表する事は先ずありません。これは「自国利益に適う物・適わない物」は関りなく、「省益に適うか適わないか」が判断基準です。こういった背信行為も、「閑職で高給な天下り」のような「ムラ的利権行為」も、それは「力学・慣習・前例」で許されている事なので、当たり前のように繰り返されています。
この構造においては、数多の「初志を持った政治家・官僚の卵」が潰され、これに染まらなかった人は様々な名目で、体良く排除・追い出されます。何時の間にか染まった人が残っていき、それは「青臭い若造が大人になった」などと言われます。どの社会でも「社会構造(政治構造)」においては、その「構造(仕組みと流れ)」自体が主役ですが、特に日本の社会・政官では「個の抑制・集団第一主義」と完全に合致、「人間」というのは「低意識に基づくムラ的構造を支える歯車」に過ぎません。
こういう事例に見られるように、特に「個人を全体主義的な方向性に隷属させる為に、思考・感性を放棄させ続けてきた事」などという事をやれば、如何なる国であっても低迷して、破綻的になるでしょう。これは「人間の在るべき状況と、反対方向のを造る物」であって、そんな社会に良い未来がある訳がありません。
各種事例を見るにつけ、「現代の日本社会の力学」というのは「人間は歯車・部品・駒・消耗財だとされていて、個(個性・思考・感情)は否定される・潰される物」「閉じた枠の中の、集団や組織が第一である」「全体主義であり、本当の意味での全体に資する物で無い」「多くの場所に、二重基準的に二面性が存在する」という様相で存在しています。これは凡そ「人間的でなく、非人間的で、単なる装置」です。元々日本は情緒的だった筈ですが、何時の間にか心を失って、こんな物を作り上げてしまいました。
波動原理からみた「複雑系」について項目6④にありますが、これは「物事についての理解・認識」も同じ事です。個々の部分、目の前、狭い視野だけを見ていたら、統合的に見ることは出来ません。何故ならば、日常における判断・認識において、それら個々の判断には「一定の合理性」があると言えるが、全体的割合から見たら「何らかの方向(常識・空気など)」に傾いている可能性が高いからです。「個々における判断の合理性」と「全体における合理性」は、必ずしも一致しないので、常に「俯瞰・客観性・水平思考」「振り返りの視点・自己訂正」を繰り返し行う事を心掛けるのが必要です。この「全体」は、波動的には「集合意識」などにより、「個別点」と異なる要素が発生しています。
全体は「複雑系」で、「個々の狭い部分だけ見る単純な思考」では、「様々な波動情報が複雑に絡み合う全体的な様相」を捉える事はできません。日本の戦後の最大の誤りは、「様々な締め付け(抑制・空気・従属など)」によって、「狭い部分だけ見るような思考法」を「社会に醸成・拡大再生産させていく構造」を、作り上げてしまった事にあります。
●&color(white,black){議論の社会的土壌と、齎される不正義・無関心}
&color(white,gray){ 日本における「議論の社会的土壌」の問題}
・「良質な議論」が存在し得る背景となる「議論の社会的土壌」には
「論理重視」「開放性」が不可欠である。
・「開放性」については、「個の尊重」による「属性と意見の多様性」が担保される事が不可欠である。
・この前提があって始めて「幅広い意見の提出」
「自由で広範な合議」「非偏向性・水平思考・合理性を伴った判断形成」が成されていく。
・拠って「議論の社会的土壌」には「論理性(左脳的)」「感覚・感性(右脳的)」の両方ともが
高度に有する事が必要不可欠である。
・日本に見られた「個の抑制」「集団第一主義・全体主義性」「権威主義」は、
「ムラなどによる非論理的要求の押し通し」と「閉鎖的な締め付け」を伴う物なので、
「論理性(左脳的)」「感覚・感性(右脳的)」は尊重されてこなかった。
・これは嘗ては世界の全てがそうだったと言えるが、
近年は時代の変遷と共に、「先進諸国・一部の中進国」では、かなり改善が見られてきた。
・日本ではこの期間のおいて、「進展した点(社会的側面)」は限定的だった。
・逆に、「社会的締め付け」を伴う「ムラ社会的な空気の浸透」が進んでいき、
これに伴う「社会の諸様相の停滞(非改善)」が非常に長期化した。
・これは「意識面の不景気」ともいえる状況で、 この「長期的な意識停滞・低迷・漸減」は
徐々に積み重なっていく事で、社会のあらゆる場所を硬直化・劣化させていった。
・本来ならば、経済の発展に伴って「社会の各所の進展」が行われる筈が、
代わりに「社会の未整備の部分(遊びの部分)」について
その隙間に「ムラ社会的・閉鎖的で非合理的な組織理論・空気」を
次々と埋め込んでいった事によって齎された状況である。
・これら状況は一例として、「省庁による天下り団体の雪達磨式導入」
「これに伴う非合理的な規制・高コスト化・不正状況と、これによる社会規範悪化」が挙げられる。
・同期間において「先進諸国・一部の中進国」では「細部の改善」を徐々に積み重ねていく事で、
「社会的制度・社会構造の改善」を達成している。
この形成過程には「様々な方面の人々・各種団体や多様な属性・意見」が関り、また反映されている。
・しかし「言語面・人種面・文化面・島国」などにより、
「属性・情報・意見・視点の多様性」「客観的で柔軟な比較とこれによる改善」という
社会的循環が成されなかった事も非常に大きな要因であり、
これは日本にとっては不可抗力で仕方ない部分と言え、かなり割り引いて考える必要もある。
・この「割り引かれるべき要素」については「日本人の意識の低さによる物ではない」が、
然し現実としては、このような要素も社会劣化を起こす要因となる。
・このような「欺瞞性による社会の基盤状況の悪化」が長年続いたが、
近年では「社会の表面的部分」でも、各所に深刻な状況が顕在化している状況である。
・この状況に伴い、日本における「議論の社会的土壌」は
戦後長らく進展せず、停滞・劣化した側面もかなり多かった。
これは世界的に見て、類例が無い様相である。
・「社会・メディア・議論場などにおける、様々な観点・側面」について、
日本と先進諸国では、嘗ては同程度にあった部分が多かった。
・しかし近年は大きく差が開いた状況となってきていて、
日本の「社会・メディア・議論場の低質状況・低質化」が著しい。
・結果として、「感覚・感性(右脳的)」「個の尊重」「水平思考」に類する「開放性」や
「論理性(左脳的)」「非偏向性・論理的合理性を伴った思考」に類する「論理重視」という社会的状況が
長らく軽視されてきて、「力学・集団・組織に付和雷同する空気」が形成されたことが、
日本の戦後社会に「良質な議論の社会的土壌」が形成されなかったことの、最大の要因である。
現在の世の中は「金・集票力・組織力がある勢力」が「圧力団体」になり、それを各方面で駆使して、それに色々な人が取り込まれていきます。こうやって政界・官界・産業界は「妥当か妥当でないか」「正しいか正しくないか」「行うべきか行うべきでないか」ではなく、「金・集票力・組織力」が物を言うようになり、社会の隅々に「理不尽さ・おかしい事・間違った事」が蔓延していきました。
そして逆に、「どれだけ正当な権利・正当な主張を有していても、無視される人々、相手にされない人々、歯牙にも掛けられない人々」というのも多数存在します。その代表例は「アイヌ民族」です。アイヌとは明確に「"伝来の土地・歴史的権利・被害蹂躙などの総合的度合い"に対して、最も"何の保障もされてなく、無視されている民族"の一つ」です。
彼らは「金・集票力・組織力」が無いので、「権力がなく、圧力団体になれなく、無視され続けて」います。北海道と千島列島の先住民族ですが、歴史的に日本政府とロシア政府(ソ連)に過酷な仕打ちを受け、細々と活動するのみです。ソ連の行為は「第二次大戦後、世界で行われた"最も行為を行う根拠が存在しない行為"の1つ」で、「現在進行形で事実上、モンゴロイド系先住民族のアイヌなどを追放中」ですが、日本政府の「戦後の徹底した無視・軽視・破壊」も非常に酷く、最低な行為です。
アイヌの土地では、様々な聖地が荒らされ、破壊され、蔑ろにされました。同じことが「ヤマト民族(本州・九州・四国)の重要な場所」で行われたら、多くの人はどう反応するのでしょうか。そもそも現在の日本人の多くは、アイヌを「歴史などの授業+α」程度にしか知らなく、何も関心がありません。多くの欧米諸国の方がまだましであり、多くの国では権利擁護が近年進展していて、日本は本当に酷い状況です。更にどんな妥当な事でも、些細な事でも、利するとなれば、徹底して攻撃する思想保持者も存在します。ここに、特に民主化以後の社会においても、この程度である事に、「日本社会の歴史的な低質状況・低意識」の一端があります。
では何故、これほどまでの状況なのか、それはやはり「圧力団体足り得なかったこと」「がなり声を上げなかったこと」に帰結します。日本では、例えば「日本が行った歴史的な肯定的行為と否定的行為」について、どちらについても「無かったとする主張」「過剰にあったとする主張」が多数存在します。この「対極的な原理主義的主張の応酬」により、「建設的議論とそれに基づく事実認識」があまり成されてきませんでした。また、その背景には「様々な意図」も絡んでいます。アイヌとは、理不尽にも最も「敵の味方は敵」「敵の敵は味方」という「穢れた強者たちの陣取り合戦の思考法」の犠牲になった民族の一つでもあります。
「声を潜めた人達」は「醜い勢力争い」の中で、端へ端へと追いやられていき、「声が大きくない人達の主張・権利」は、その間で零れ落ちるように、忘れ去られるようになっていきました。結局日本では長らく、「その論が正しいにしろ誤っているにしろ、声が大きな圧力団体的な主張が、大手を振るっているだけ」でした。そして「真実・真理・正しい事・妥当な事・在るべき事という視点」→「それに基づく議論」→「認識の改善・発展」→「様々な施策」→「状況改善」→「諸々のことが改善していき、国内全体の状況も良くなっていく」という行為と循環が行われずにきました。
「寝た子を起こすな」「臭い物に蓋」「本音と建前(ご都合主義と欺瞞性)」「長い物に巻かれろ」「強者の論理「触らぬ神に」「面倒・関係ない」という感覚や、又は「原理主義的な大きな声の主張(様々な意図を含む)」などが、戦後日本では罷り通ってきました。「この種の事柄を、常に報じ続ける義務があるメディア」においても、特に大メディアでは「紋切り型の報道」「金・権威・ムラ・主流派に連なる翼賛的報道(広告・記者クラブ・再販制などで、そちらに擦り寄る)」「背景の大枠で無く、即時性・一過性流行を追う虚無的報道」「低いジャーナリズム精神(社内の空気・昇進などを優先)」「バラエティー番組化した報道」などにより、「報道される機会は稀で、報道量もごく僅か」です。
よく左右議論などで「相手側が言論を封じてきて、今まで真実が出てこなかった」などの論が、左右両側から頻繁に成されます。然しこれは両側とも本質を見ていません。問題の根本は左右などでなく、先述のように、「言論の自由や、議論の場・土壌と、これに必要な建設性が存在してこなかった」ことにあります。「名目ばかりの言論の自由、議論の場、自由主義・民主主義が存在」していたが、「その実質を担保する思考・感覚が、社会上層部に著しく欠けているので、実体を伴った社会的状況や社会的観念が存在しない」という状況が続いてきた事が、「そのような議論封殺・真実封殺が起きる根本的原因」なのです。そしてこれは突き詰めれば、社会・教育での「個の抑制」「集団第一主義・全体主義」に行き着きます。拠ってそれらは「この国の社会構造の根幹自体が起こした問題群」なのです。
そして、先述の「上位ヒエラルキー」である「海外権威・国際的権威(対米隷属を含む)への従属意識」に比べ、逆に国内的には「下位ヒエラルキー」の存在に対して、これほどまでに冷たく、無視し続けるという、極端な二面性を見せています。これは「物事に対する思考・感覚として、自己内に統一的基準という物が存在しない」「あるのは権威主義か隷属主義、権威を振るうか・従属するかという二択」という、非常に低意識に満ちた行動様式です。
戦後日本では、事程左様に「真理・真実」「妥当性・客観性」というのは蔑ろにされてきました。その中で「原理主義的な、どちらも誤っているという両派による論争」が、延々と続いてきました。
同時に「個人の意見を表明するな」「特に反主流の意見は言うな」「有名人はその人の分野だけやっとけ」のような風潮も、強い物があります。しかし「欲得・組織利益・原理主義的思想」に適った物は強く主張されるのが、古今東西の世の常です。拠って日本では「個人の意思は、特に反主流の物は表明されない」「がなり声による、利己主義むき出しの主張が多い」「妥当な主張が少なく、左右両派ほかの原理的論説が多い」という風潮が強く存在し、これは特に「閉鎖的社会・ムラ社会」において顕著です。
こういう状態の意識においては、当然のことながら、あまり「議論」という物が成立しません。目的意識が「その思考法に都合良い状況の最大化のみ」、「妥当・客観的かどうか」「考証・推論の後の妥当な結論到達」「途中の論拠」は軽視・無視、という観念なので、合議的・相互性が必須な「議論・会話」という形式と、そもそも時点で対極的です。
この思考法においては、「非論理性を振り回すような論説・応答」というような、乱暴な論法を展開します。身内側の乱暴さは良しとして、相手側の問題点を徹底して追求します。この思考では利己主義・理不尽さが特徴であり、自分らさえ良ければ、論・過程・結果はどうでも良いとして、自分側と相手側への二重基準を常とします。非論理性を押し通そうとするので「万期公論に決すべき」は嫌であり、閉鎖的世界で圧力の下に事を進めようとして、開放性を嫌って、閉鎖性・全体主義・統制主義を好みます。そして問題と責任は、常に回避したり、相手側の事だとします。正に「議論にならない」ですが、これは割と日本の戦後で各所に見られた光景で、地方議会の幾らかはこんな感じでした。こういう点もあり、長年「議論の土壌が無い」と言われてきました。
この状況は概念図にすると分かり易いでしょうが、「本来ピークであるべき中央値が少ない」「両側に2つピークがある」「カネ・権威などのベクトルの数値は高く、草の根などのベクトルは低い」という図になるでしょう。端的に、程度が低いです。
現在の「一般的に知られているニュース・各種情報」「一般的常識・世間的関心事・流行とされる物」とは「割と瑣末な物」「一過性流行の物」「本質的意義の無い物」が、それこそ大多数を占めます。それらもある程度は重要・必要かもしれませんが、全体を俯瞰した視点からすると、「本来は中心から外れた端っこの方に存在する物」「しかし何故か世の中の中央に存在、大きな賞賛か関心を呼び、始終報道されている物」です。そんな事に右往左往して、それを「ニュース・芸能・世間的関心事」などと称しているのです。
そして逆に「本質的な・普遍的な事象」は、殊更に蔑ろにされています。これは改めて考えてみると異常な事で、如何に現在の世の中が「皮相的」「虚無的」なのかを示しています。またそれが当然とされている事も、輪を掛けて異常で、それへの気付き無しに、救いようがありません。
こういう状況では多くの人が「白ける」のも当然です。「白ける」とは「馬鹿馬鹿しく感じる」という事で、「馬鹿馬鹿しいから、無駄な思考を停止する」「皮肉的に物を見る」「建設的思考をしなくなる」という観念に直結して、社会に対して「大事な事に対しては物を考えないで、取り合えず、よく分からないけど長い物に巻かれといて、目先の事・狭い範囲の事・ごく身近な事だけに終始するような、低きに流れる空気」を大量に作り出しています。
「瑣末な事に執心していても、反面、心は白けていて、でもそういうもんだと思っていて、また、どうしたら良いかも分からない」「そして歯車的か虚無的、この何れかの状態で過ごす」、これが典型的な現代的在り様ですが、これは「日本は長らく、こういう状態を社会的・構造的に作り出している」「日本の社会的構造の代表的産物」です。
経済的にある程度成功しても、社会の空気がこうであるので、「深層では根源的な空虚さの蟻地獄を感じている」という状態にあります。でもこれは嫌な事なので、拠って「歯車的・虚無的(物質主義的)に過ごして、真に思考しない事により、狭い充足感を味わう」という方向に向かわせ、更に社会を空虚化させる悪循環を作り出しています。
しかし、昔は違っていました。例えば「高度成長期の終了時期以前の街頭インタビュー映像」では、多くの人が持論を持っていて、哲学的な言葉を用いながら、自分の見解を真摯に語っています。ただ1980年頃以降の街頭インタビュー映像には、もうこういう光景は殆どありません。問題は持論を熱く述べるかどうかではなく、「空洞化したような存在」「自己という物が存在しないような受け答え」などです。何も持論も世界観も無さそうで、そもそも考える・感じるということ自体が少ないように見受けられ、友達・同僚に「だよね」などと同意を求め、何かの流行物への関心は高い、などの状況が多いです。この原因は「自らの社会制度・教育制度」にある訳ですが、そういう社会なので、何かに気付く切っ掛け自体が現れません。
このような状況において「意味の薄いニュース・報道・情報」が大量に溢れ続け、そう言った物が「最も重要で、本質的で、皆が知るべき世間の社会の世界の常識」として流され続け、そして「遥かに重要な事柄、真に本質的な事柄である、アイヌなどに纏わるニュース・報道・情報」は「丸で存在しないかの如く、透明人間か三面記事の如くの扱われ方」で在りました。
これは「非常に捩れに捩れきった状況」なのですが、この捩れぶりは「何でも曖昧にしようとする、誤魔化そうとする、事勿れにしようとする、日本人の性質」にも大きく起因しています。何故ならば「しっかり物を見て、自国のでも他国のでも、自らに都合が良かろうが悪かろうが、良い物は良い・悪い物は悪い、と判断する」となっていれば、「個々の問題の事実性を見据え、判断・対処する」「その積み重ねで、理不尽・非合理的な主張は影を潜めていく」「自らに都合が良い物でも悪い物でも、妥当だと思う判断が積み重ねられていく」となるからです。戦後長らく、このようで無かったから「付和雷同・隷属思考・ポチ・自虐(又は開き直り)」などの現象が顕在化していき、「全く訳の分からない、鵺(ぬえ)的な社会」「非常に空虚感に満ちた状況」となっていったのです。
先ず「過剰同調するのでなく、個として考える(ジャーナリズム精神にも通じる)」という土台があって、その上で「水平思考を以って客観的に物を考える」ようにして、「個々の問題の事実性を見据え、判断・対処する」「それを積み重ねる」「常に社会において、妥当な事が積み重ねられていくようにとの意識を持つ」だけで、個人の意識も社会も全く変わる筈です。妥当な事が積み重ねられるので、社会にも問題はなくなっていく筈です。
特に教育制度において、このような「自分の頭で考える事の教育」が成されて来なかった事が、この長らくの酷い状況の要因でしょう。「個の抑制」「集団への過剰同調」「斉一性強要」などを特徴とする日本の教育制度・社会状況は、日本中の各所に深刻な被害を齎しましたが、「その論が正しいにしろ誤っているにしろ、声が大きな圧力団体的主張が、大手を振るっているだけ」という日本の戦後の典型的光景は、この「全体主義性的傾向の弊害のど真ん中その物」です。だから「論理的思考が・ディベートが・・・」などになるのです、こんな教育・社会制度であったら、そうなるのは当たり前です。
丸でこれは「非論理的な人工無脳bot同士の、全く中身のない応酬」の如くですが、今はそれがネットへ以降、「非論理的な原理主義的書き込み」が横行しています。こんな事を今後も続けていたら、遂には「日本の地霊の分の波動(往古からの御先祖様たちの積み重ね)」の貯金分も空になって、益々急坂を転げ落ちていき、回復は不可能になるでしょう。近年の世情悪化・災厄や、アイヌ問題の徹底無視も、根は同じで、「日本人の戦後の所業が齎した物」です。
素直に、何かの肩を持つとか言うのでもなく、当たり前のこととして、「仮に自国内で同等、或いは相応の権利を有する民族集団(先住民族)がいるとして、にも拘らず自民族(他の特定民族)だけ優遇するというのはおかしいですし、絶対に間違っている事」です。
「北海道などのアイヌ、本州・四国・九州などのヤマト民族、沖縄の琉球民族、互いに尊重して仲良く暮らせば良いだけの事」、ただ単にそれだけのことです。あまりにも当たり前過ぎて、物凄く単純な事に感じますが、実際当たり前で単純な事で、本来はとっくに成されているべき事です。でもそんな簡単なことさえも行われていない所に、現代社会の深刻・根源的な病理の一端があります。「非共存的で、上下関係を強いて、根拠の無い優越感に安住して、その為には無辜の他人に犠牲を強いてもいい」という、歪んだ意識があるからこうなるのです。「相互尊重する」というのは「自分達を尊重してくれる人も増える、尊重の度合いも上がる」という事です、この方が未来があって、気分も良いでしょう。今までのようなのは、もう止めにしましょう、あまりに悲しくて、未来が無いです。
「細々とした規則・掟や、周囲との過剰同調で、個人・社会を雁字搦めに縛った」ことは、近年の社会悪化の大きな原因です。これは為政者側が「ルールを守って、規則正しくさせれば上手くいく」と考えたからです。しかし、各所に見られる「規則・掟」は「本質的な重要性」と、必ずしも合致した物とは限らず、そうでない物は多数あります。逆に「金銭・権威と対極の、公徳的なルール」には、「導入されていない物、有名無実化した物、無視されている物」が多数あります。更に「その妥当性如何に拘らず、決まっている物や、罷り通っている物だけには、規則的・画一的に従えとの空気が強い」という状況があります。
「近年に制度的に導入・推進された全体主義的な制度・思考法」の多くは、「元々の内的規範」が存在していれば、取り立てて必要のない物が殆どであり、「内的規範と、それを醸成する基盤が弱体化して、その代わりに外部的に定型化された基準として、秩序維持の題目が制定・推進された」「また、世界的に近代国家の形成や、近代国家的な観念の一般化と共に、その理論的・スローガン的裏付けで必要になった」と看做す事が出来ます。
その中で、明治維新後・戦後に体制側が推し進めた「個の抑制による無思考化」も相まって、「内的基準と外的基準の差」が齎した「二重基準・本音と建前」「欺瞞性・虚飾性・皮相性」に対して、「強い白けの感覚」「皮肉的な感覚」を世間一般に引き起こしました。しかし現実の世間で物を言うのは、その「規則・掟」「空気・常識」であり、「学歴システム」「ブランド」であり、「空虚な言葉・情報」です。
このような状況において、社会広範に「強度の白け」「空虚な規則・掟」「無思考化・無感覚」「本音と建前などの二重基準」「虚飾と皮相」が横行していきました。要するに「上は本質性・普遍性を軽視し、自分達にはご都合主義のやり方を適用、下々にはこれまた都合の良い、全体主義・統制主義を適用した」という事であり、こんな事をしていたら「意識・社会レベル共におかしくなる事」「欺瞞・空虚さ・白けなど、悪い物が横行していく事」「社会の活力が低下する事」は当然です。このやり方はアノミーを引き起こしましたが、そもそもが「規範性が無いご都合主義による物」であり、この結果は当然の因果応報です。「細々とした規則・掟」を作るのだったら、「先ずカネ・権威・権力を持っている組織・人への規則・掟」を作って、それを守るべきで、順番が逆です。
現代社会には「一般的空気の中で、許されている・見逃されている各種状況」の中にも、「覚醒された後の後世」から見たら、「あまりに異常だ」と思われる「状況・各種常識・思想・行為・言動」が無数にあります。でも「世の中が完全に麻痺している」「強者の思惑は妥当性が無くても罷り通る」「従属思考」という状況が広がっているので、それらが社会的に通ってしまっています。これは前提無しで考えれば、やはり「あまりに異常」です。どれだけ誤っていても、「麻痺」していれば、「無思考・無感覚」になっていれば、「誤り」とは思いませし、「言った者勝ち・やった者勝ち」になります。
このような「社会的な感覚の麻痺」というのは、「アノミー(社会規範の崩壊)」です。現代社会には「違法でなく、且つ社会で罷り通ってしまう物だが、しかし真の規範意識からすると、行うべきで無い事」「それが多数行われる事」について、「これを阻止するような社会的構造」という物が存在しません。ただ「地霊」が、その拡大を阻止しています。行政が「真の規範意識」を放棄して、然し一般国民には「規範秩序」を求めて、その規範秩序の実態は「全体主義的な斉一性」というのが現状です。
近年の世界の最大の問題は「カネ・物質主義の蔓延」「人類が環境を大規模に改造できる力を有した事」「しかし精神文明は発達しなかった事」「これによる環境・社会・意識の大規模破壊」でしょう。近年の世界的状況ははっきりと「人類はまだかなり未熟であったのに、あまりに強大な力を有してしまい、それが誤った方向に使用された」と言えます。
「環境も社会も意識も、これだけ大規模に破壊されたのは、未熟な人類が強大な力を持ったから」です。情報の普及速度はあっという間で、それにつれて「低波動を齎しうる情報」も刻々と世界中に流され続けています。しかし「精神文明」に属するような情報は、日々の情報全体のうちの、一部にしか存在しません。そして更に、「昔が今より意識が高かった、とは一概には言えない」ですが、同時に「現代の情報は、昔に比べて、精神性に属する物が非常に低い」「大規模な破壊や、意識・状況の低下悪化に対しての"麻痺・慣れ"は、近年の世界の特徴的状況」だと言えます。
特にこの「麻痺・慣れ」に関しては、「空気・常識への過剰同調」「主張を述べない・持たないことを良しとするが如くの空気」「上層部による統制的傾向」などにより、「日本は特に酷い国の1つ」です。日本社会広範の空気について言えば、嘗てはこんな感じではなかったですが、それこそあっという間に、そういうような体制がやたらと長く続いている間に、このような状態になってしまいました。しかも「無思考・無感覚と従属」に慣らされてしまっているので、「この状況の意味自体が理解できない」という状態にあります。
本当なら「本当に必要な社会的ルールを、皆で合議的に考慮を重ね、それを作って、皆で相互尊重しながら守る」のが最善です。こういう当たり前のような、草の根的な思考は、日本では「統制的思考」の下で、常に蔑ろにされてきました。これは政治・行政が頻繁に行う「骨抜き行為」に代表され、「霞ヶ関用語・永田町用語」も、多くは換骨奪胎する為の詭弁です。
日本にはこの「個から発する草の根的な連帯感」が足りなくて、「上意下達的な、規則・掟・空気的な縛り」ばかりが目立ちます。特に「組織社会」においては最も顕著で、「殆ど縛りや空気だけ」と言った様相を呈しています。そして「日本は組織・集団が個より遥かに勝る社会」であり、拠って「日本中が縛りや空気に覆われて、苛まれる」という状況になりました。物事とは結果で、それには原因があり、日本の諸悪の根源はこのような部分です。
それを無自覚に、無感覚に、拡大再生産しながら、自己中毒的にやっていて、これにより「経年的に、益々あちらこちらで縛りや空気が増加していく」という状況と成しています。その結果が、近年の状況であり現況です。「押し付け・お仕着せ・統制主義的な、多くの規則・掟」で無くて、「調和的・共存的で、緩くて、皆が何時の間にか守るような、幾つかの規則」が必要です。そしてその先には、超長期的には規則もいらない状況になるのが相応しいでしょう。
●&color(white,black){他集団との関係性について}
社会全体の変革は、徐々に段階を踏んでいきつつ、達成される物です。その為には、あらゆる集団・社会・国は、先ず自らについての、成すべき事をするしかありません。これは「高い意識を持った、或いは持とうとしている他者について、連帯する・助ける」ということも含まれます。
仮に「意識レベルが高い集団A」「意識レベルが低い集団B」がいたとします。若し何か反論なりがある場合にでも、「集団Bの言動・思考法」に「集団Aが合わせる・言動レベルを低下させる」のは愚作で、「適宜適量行うだけ」のが良く、それ以外は「他の有意義な事をしている」のが良いです。これは「自らにとっても、全体レベルの早期向上という目標にとっても、良い事」です。
類似の問題でもありますが、「集団・社会・国という観点における、他集団との対応の仕方」について、これはそれぞれあるでしょうし、何が正解とも言い難いかもしれません。ただ、1つにはこういう考え方があると思います。「天は自ら助くる者を助く」、これは波動原理的にも、実際の上でも真理であり、正に基本的概念だと思います。人間個人も、集団・社会・国も、他人・他集団が全部変えるなど無理ですし、また人間誰しも沢山間違える物で、そこから学んでいく訳で、その過程は人それぞれです。なので「その人・その集団自身が気付いて、変えないと、何も変わらない」です。そして「先ずは何事も、自らの集団・社会・国を改革改善しないとならない」でしょう。
その上で、仮に「高度な意識の状態になってきた、社会を改善できてきた、良くなった」とします。現在も含めて「全体が意識・状態が高度化する以前の世界」においては、どうしても「各集団・社会・国の意識レベルの状態差が存在する」となります。そして、仮に「意識の低い集団」があったとします。「この集団との対応の仕方」について、難しい物があり、考えどころです。
先ず前提として「国・社会・集団や個人というのは、本来的に平等」「自他の区別は、あまりすべきでない」です。後者の理由は「波動原理上では全ての根は同一、自他というのは完全に別物でなく、かなりが同一の物」「何事にも共存意識・優しさを以って対応すべき、波動原理的にもこのような意識が高波動である」からです。
しかし「自他を区別し過ぎない」という点がありつつも、反面、そして実際に「自他という区別は存在する」となります。「この両義性はどちらも真理」でしょうし、それに応じて、現代社会は「国・社会・集団」という物があって、そこには「意識差・状態差」があります。人間・社会は万能でないので「全ての国・社会・集団に、同様に、高度に対応する・助ける」というのは出来ません。これは「限られた時間・意識・行動を、どのように振り分けるか」「優先順位」という問題でもあります。ここで「意識の低い集団への対応の仕方」について・・・
1つには「あまり関わるべきでない」と言えるでしょう。意識が低さは「理不尽・利己的な主張・行動が多い」という思考原理に端的に現れます。「理不尽なので、接触しても無駄になる事が多い」ので、そして相手の意識・言動にも影響され、自らの意識も低下します。「自らの意識の低下を嫌って、良い行為をしないのは、より意識を低下させる」ものですが、同時に「"良い行為の仕方"には、人それぞれのやり方、優先順位」が存在します。
「天は自ら助くる者を助く」であり、「その集団は、まだその段階まで至ってない」のかもしれません。そして「こちら側とは相性が悪い」のかもしれません。そういう事柄も、考慮される事柄です。
「時期が来れば改善していく問題」というのは、常に多数あります。「各集団・社会・国の意識レベルの状態差が存在する」のであって、そして「時期が来ればどの集団も意識・状態は改善・上昇」します。ごく当たり前の事ですが「必然的に、個人ごとに集団ごとに、時期に差がある」だけです。「波動原理は非常に根源的で、宇宙を遍く支配する不変普遍の原理」なので、どちらにしろ全ての集団・社会・国が、時期は違えどそう遠くない時期に、その意味する所に気付きます。そのうちに皆が「そういう物だ」という事に気付くのです。
更に非常に重要な観点として、「世界中の個人・集団・社会・国には、意識の高い状態になってきているが、その置かれた個別環境で、依然困難さを抱えている」という状況は常に存在します。「意識が高いのに、各種の状況で、状態改善がうまく進んでいない」というような状況です。
こういう「個人・集団・社会・国」こそ、「天は自ら助くる者を助く」となるべきでしょう。ここにおける「天」とは「特定の個人・集団・社会・国」では全く無く、「世界・地球や宇宙の霊性全体」であり、その「世界の善なる霊性に突き動かされて、どこかの個人・集団・社会・国が助ける、相互連帯する」という行為が繰り返される事で、「高い意識の連帯によって、世界中が改善していく」のだと思います。
「類は友を呼ぶ」は波動原理に沿った法則で、「引き寄せの法則」も同じ事です。「同種・同等の波動・意識は引き寄せあう」ので、自然と似たような人が集まります。状況がどうであれ、意識が高いならば、自ずと同じような意識の人達との連帯が生まれるでしょう。
「世界中には意識の高い個人・集団・社会・国が存在していて、先ずそれらと連帯すべき」でしょう。そして「自らの、連帯している皆の状態を改善しく」のが必要です。「自らの意識・状態を良くする」にも、「世界の意識・状態を良くする」にも、先ずここの段階が無かったら到底無理です。そして更に「意識が高度化してきた個人・集団・社会・国と次々連帯していき、その連帯の輪を拡大していき、世界の意識・状況を高度化していく」のが重要です。好循環が起きていけば、それが明確な物となれば、徐々に誰しもが気付いていくでしょう。この繰り返しが起きていけば必然的に、そして「それほどの長大な時間は掛からずに、自らも世界も高度な意識・状態なっていく」でしょう。
●&color(white,black){普遍性と真理について}
「思想」「社会構造」というのは多種類ありますが、根源的に大きく「どこの社会でも普遍的で存在できる物で、且つ持続可能な物」「ある特定の国・社会・集団にしか通用せず、持続可能性を持たない物」に大別されます。これはどう考えても「前者の方が優れている構造」でしょう。社会や世界というのは「発展段階」というのが存在し、一夕一朝に「最優秀の構造」に出来る物でもありません。
個人には思考の自由があり、個人個人がどのような思考をするかは、押し付けられるべきものではありません。しかし「社会・国」というのはこれとは全く異なり、「如何なる国・社会も、普遍性を持ち、持続可能性もある社会的構造を有するようにならなくてならない」「その為の思考・努力をしなくてはならない」との絶対的義務があります。
「宇宙全ての良い波動・意識との、量子もつれ・共鳴効果が生じ続ける」ので、地球環境自体が科学的に「善性が発揮されやすい環境になる」「善なる技術発展・社会発展が進展しやすい社会になる」「その好循環が持続し続ける社会になる」となります。
例えば「非普遍的な思想の一般化や、強制をしようとする論説」があるとします。その論は一般化されることはあるかもしれませんが、しかし10万年後も10億年後も、決して「普遍的な思想」とはなりません。何故なら、そのような思想は「優位性思想」「破壊性」の何れかに起因し、これは「非調和的志向」で、なので「非普遍的な物」だからです。「自分たちは優位で、未来永劫そうあるべき」、そもそもこんな思想が普遍的な訳がなく、「知的生命体の発展段階の原始的段階における仇花」です。
どの国にも「民族主義・国家主義」はありますが、「自民族・自国の最も利益になる状況」を志向する物なので、それぞれの論同士には、整合性が存在しようがありません。そして「1か国・1民族の内部にしか通用しない論」は、「普遍性の定義」と整合しません。こういった論は、端的に「非普遍的な物」です。
また「国家間・民族同士の戦争など」について、本来「主流の歴史観が、国内外で全く異なる」といのはおかしいでしょう。言ってみれば現在は「世界中のほぼ全ての国・民族の思想はご都合主義で、だから他国・他民族の思想と整合性がない」という状況にあります。思想は歴史により形成され、歴史とは事実です。拠って「歴史的事実を大体ありのままに見て、当時の国家状況・世界的状況に照らし合わせて、そこから総合的に認識していけば、自ずと認識論は近くなる」はずです。高度な意識の社会においては、各種認識は近くなり、相互連帯意識の中で、「客観的で、融和的な認識論」が形成されます。過去の悪い点よりも、未来を良くする事を志向するので、その先に進んでいくでしょう。
そもそも「国」というのは、そのニュアンスは「近代国家的な概念」「始原的感覚を伴う、ふるさと・郷土・国土に近い意味での国」に大きく別れます。そして後者は「場・土地的な側面」であり、「大地」「自然環境」「地球」「世界」とも「一体的に存在する概念・観念」であり、「元々そこにある物」「往古からの最も始原的な場」「自らも帰属する物」です。「精神・魂が回帰する場所」を考えると、「帰る場所」は「淵源」であり、それは前者でなく後者でしょう。どんな国・社会においても、人間というのは、元々はどういう場所にあった訳で、これが「ある一カ国・国内においての"国的・公的な場"に類する概念としては、最も重要な最上位概念」です。
「社会制度」「社会的状態」は「社会の状態・方向を規定する物」「人々の存在・意識を、根源的に規定する物」です。そして、どの社会も「社会制度に沿って存在し、社会的状態に沿って物事が執行されてゆく」となります。その「社会制度」「社会的状態」が「陰陽のどちらかを、何らかの集団を、優位とする制度・状態」である場合は、これは即ち「真理とは真逆の物」「間違った制度・状態」「低次元・低波動の状態」です。拠って「社会制度」「社会的状態」ににおいては、「凡そ陰陽の中心点から外れた制度・状態は、全て真理と真逆の物、間違った制度で、低波動の状態」です。
「男女」という点から考えると、「陰陽の中間点」たる「男女同権」は、バランス的に「バランスの取れた場所」、物事や哲学における「中心点」、そして「真理」「在るべき場所・在るべき社会」という事です。これは「陰陽」というのは、「どちらが良い悪い・高レベル低レベル」もなく、ただ「そういう物」「対象的に存在している」だけで、「対等な存在」なのだから、至極当たり前の事です。
「男女格差」「人種格差」「自然破壊」など、「陰陽の中心点で無い・合の位置に無い」「真理と真逆の方向の物」は、世界中において従来溢れ返ってきました。それは「それを正当化する言説」を伴って繰り返されてきましたが、それらは「上記の各事項と比して、全く論拠に欠く物ばかり」です。即ち「陰陽の中心点から程遠い、真逆の物」だからであり、それは「非調和的思考の産物」に過ぎません。
今までそんな状態であったのは、それは偏に従来社会が長らく「不正常だった」「偏向していた」「バランスに欠いていた」からです。世界中において、従来社会は長らく、環境や社会状況に見られる「破壊性」「攻撃性」「非調和」を特徴とした状態にありました。これは「全く中心点ではない」「真理ではない」状態であり、この点において全ては根が同一です。
「集団・社会・国・世界や人々の意識を規定する物」である「社会制度」「社会的状態」という観点においては、全ては「陰陽の中間点に近い、真理に近い社会制度・社会的状態」⇔「陰陽の中間点から遠い、真理と真逆の社会制度・社会的状態」という「2つの方向性・状態」に集約されます。そしてこのどちらに近いかによって、その社会の「霊性の度合い」「社会レベル」「幸福度」「災厄の多寡・被害度」「未来」「子孫の状況」が決します。「破壊性」や「陰陽の中間点から外れた社会」は、決して真理に沿わず、幸福や未来を齎さないでしょう。
大概「真理は中間点にあって、調和的な物」です。そして上段の「意識が全てを決定する」という点を併せて言えば、「真理を見るのは割と簡単な事」「意識さえ持てば誰でも出来る事」「それだけで全てが良くなっていく」と言えるでしょう。
「意識(思考・感性)の範囲」として、「自己・周囲や、それに利する事に限定される思考法」「内的世界~宇宙全体~森羅万象に向く思考法」に大きく分類されます。これは即ち「狭い意識」「広い意識」です。広い意識においては、意味が薄い有象無象よりも、本質性・普遍性を希求するようになります。狭い意識においては、物事の意味よりも、自分にとって損か特かという思考様式に傾きます。
「思考時の焦点の合わせる方向」として「普遍性・本質性の追求型」「常識踏襲型・権威踏襲型」という2分類が挙げられるでしょう。前者は「これこれこういう要素群・傍証があって、なのでこう推論が立てられる」というような「可塑性のある思考法」を常として、後者は「こう決まっているから、常識だから、○○理論に反するから、これが絶対に正しい・それは絶対間違っている」という「一定の枠組みを絶対的前提とする思考法」に終始します。
「普遍性・本質性の追求」というのは「俯瞰的視点・水平思考」「持論の誤りを適宜修正する事」という前提を以って始めて、それが出来得る可能性を持ちます。そういう思考法でも、毎度それを得られる訳でもなく、真逆の考えに至る事もあるでしょう。然し色々な思考・感覚を繰り返しながら、長年の試行錯誤や訓練の後に、段々と普遍性・本質性の近くなっていくでしょうし、こういう観念を無意識にでも持ってる人は、概ねそれに近い物が得られている事でしょう。
「常識踏襲型・権威踏襲型」というのは、言ってみれば「楽」で、「何らかの常識・権威」を踏襲するようにしていけば、それは即ちこの思考法になります。そういった「常識・権威」は、世間に様々な「外部基準」「マニュアル」「思想・政治」「有名人・芸能人や、その意見」などの形で存在しているので、その何れかに馴化・同化していけば良い訳です。
「常識踏襲型・権威踏襲型の思考・焦点」というのは、そもそもが「常識・権威を、真理に近い物・社会の上位構造と捉える思考法」です。拠って「自らの信奉する常識・権威」以外にも、「社会・国内・国際的に信奉されている常識・権威のうちの、多くの常識・権威」に対しても、「それを優位的な物・上部構造の物と認める」という思考様式を持っています。このようにして「常識踏襲型・権威踏襲型の思考・焦点」は「様々な常識・権威を優位な物と扱う」ようになり、そして「様々な常識・権威が、互助的にその権威・地位を高めていく」という様相が続いていきます。
また「常識踏襲型・権威踏襲型の思考・焦点」においては、「所詮世の中は常識・権威の勢力争い」というような心象が存在しています。世の中は多数の論・圧力団体が溢れていて、自らの常識・権威が埋没してしまわないように、勢力を誇示しないとならないという訳です。拠って「自らに都合の良い社会構造・思想を、がなり声で押し通そうとする」といった言動様式を持つようになります。「常識踏襲型・権威踏襲型の思考」が溢れた世の中では、社会を我が物にしようとする為に、このような状況が日々繰り返されます。それが彼らにとっての世の中、世界観です。
勿論、このまんまの社会・国というのは、まず存在しません。何故ならば当然の如く、このような観念・行動基準を持たない人は多数だからです。他の記述も含めて、全ては「○○という思考法は、××という事を起こさせて、△△という状況・性質を増加させる、社会的装置として働いている」という事です。水面下では常に高い意識・低い意識がせめぎあっていて、水面上にはそれらが混在した世情が現れるという事であり、社会は様々な「要素(意識・思考法)」の組み合わせです。
物事には「真理」があります。全てが「真理かそうでないか」に区分できる物ではなく、しかし「真理に沿った概念」というのは存在するという形です。これは「芸術の定義」における「芸術と明確に言える物はあるが、芸術で無いと明確に定義できる物はない」と類似した様相です。
そして「真理」とは、「普遍性・本質性」と同一か、或いはこれに限りなく近い物と考えられます。結局「真理」とは「普遍性・本質性」などでしょう。
そして「森羅万象(宇宙や社会全体の何もかも)」に対して「真理」というのは、「中心・中心軸(陰陽の中心)」「基盤・基層」「最上位構造」として存在していると考えられます。また「重心」の位置にあり、「本来ならば、社会というのは自然にその重心に収まっていく物」「そうでないのは、社会に何らかの歪みがあるから」と考えられます。また同時に「真理は、富士山のような綺麗な円錐状の山の山頂にある」とも捉えられます。
逆に「真理」に対して「森羅万象」というのは「同心円状」に分布していて、真理は「綺麗な円錐状の山の山頂」にあって、森羅万象は「頂上の真理からの距離に応じて、標高のように"真理度"が下がる」というように存在していると考えられます。故に「真理からの距離」=「真理・誤りの度合い」となります。
「真理に即した心持」があれば、「富士山山頂から四方を眺める」ように、「秩序だった認識(遮る物がなく、距離に応じた真理度を認知)」を伴いながら、無理もなく、遥か遠方まで見渡している状態にあると考えられます。
「円錐状の山」「ピラミッド型の山」は、どの国においても美しいとされます。これは「黄金比」にも纏わりますが、「その形状が秩序だっている」から自然とそう認識されるのでしょう。「秩序」について、「低意識=低波動=高エントロピー=秩序崩壊」「高意識=高波動=低エントロピ=秩序維持・再構築」という波動原理での性質があります。「円錐状の山」「ピラミッド型の山」は「波動が高い」訳ですが、同じように存在している「真理(中心・意識の高み)」も「波動が高い」となります。
でも「真理に即しているかどうか」を見極めるのは難しい物がありますし、厳密に区分出来るような物でもなく、人それぞれ判断も違うでしょう。
「ある概念・思考法」が「真理に沿っているか沿っていないか」を、大まかにでも判断するには、その1手法として「概念・思考法やミーム(同じ含意の派生概念)に、酷い二重基準があるかどうか」で見分ける事ができるでしょう。どの国・社会の物でも「二重基準を持った理論・思想」というのは、言説・言動以前の段階として、最初からその思考法自体が論理破綻している物であり、「ためにする議論」用の手前勝手な思考法です。
また「真理の方向にある概念・方向性」という物は存在するので、「真理の方向に即ている物」「意識の高い人のうち、大体の人が真理と看做す物」は存在するでしょう。「真理」とは幾つもの物がありますが、一つには「事実」、意識で言えば「調和的意識(善なる効果と、高波動の共鳴を呼ぶ)」「愛情」、芸術で言えば「真善美」「シャーマニックな物」「超越的な物」、社会で言えば「最大多数の幸福な社会」「平等」など、漠然とした「真理の方向にある概念・方向性」というのは、他にも多数存在します。
真理から遠ければ、自ずと「真理ではない物」「真理とは正反対の物」「非真理の方向の概念・方向性」になります。「真理と非真理の中間的な領域に属する物」は非常に多数あるので、全てを真理・非真理と区分けするのは意味が無い事でしょう。そこまで全てを一律的、杓子定規に決める物でもないでしょうし、それはなんというか、息苦しいです。また「真理に即した概念を、詭弁的に用いる用法」は、言語発祥当時から続いてきたでしょう。
しかし同時に「明確に非真理の方向の概念・方向性」というのも存在します。真理が存在するのだから、「逆の物」も存在するのは当然です。「真理は高波動と一体的に存在」するので、「低波動は非真理的と一体的に存在する」となり、「真理・高波動は、真理・高波動と共鳴し、相乗効果で増加する」「非真理・低波動は、非真理・低波動と共鳴し、相乗効果で増加する」となります。
例えば、「真理に即した思想」には「事実と調和的意識の高度な両立」が必要でしょう。「社会を非調和的な方向に向かわせ思想」は、とても真理に即してるなどと呼べません。しかし「調和的だと謳っているような思想・思考」でも、事実に即してない物は多数存在します。それらには「物事を一面しか見てない思考」「何処かの利己主義の為に、利用された思想」などがあります。「ご都合主義に自らを、或いは他者を正当化する思想」は、全く真理とは正反対の物です。
「真理と対極の概念」は、全ては「序列(序列意識)」に還元されると考えられます。「カネ・物質主義」も「社会的優位を示す道具」として用いられていて、結局は「序列」に還元されます。大概こういう観念にある場合、ライバル心は、序列的に「ずっと上の人・集団」に対するよりも、「序列が近い集団同士か、下位の集団」に対して、躍起に向けられます。
これは、「序列」という物は「世の中や、存在価値を定義する基準」である、とする認識が先ず前提にあり、そして「自己の価値の劣後を恐れる」「高い価値と認められたい」とするからでしょう。これは「自己の内面性」から発する「内部基準」や、「精神の連帯性」から発する「普遍性・本質性」ではなくて、何らかの「社会で幅を利かす物」を重視する考え方で、観念が「外部基準」「外形的・表面的な様相」に準拠しています。この観念においては「世界・国内での権威・上位構造に自己を同化させる」という行動様式が採られます。
「真理と対極にある場合に、最も多く見られる観念」は、還元すると「理不尽さ」になると考えられます。その傾向は「都合の良い考え方の強要」「自己側と相手側との二重基準」に集約されると考えられます。これは、多くの場合では「相手より上の序列に立つ」という心象が背景にあります。
「全体主義・権威主義」などについて、「これらへの従属の理由」は、「存在の価値を規定する基準が、無価値化・虚無化・崩壊して、自己・自己が依存する社会の意味が失われる、ことを恐れるから」でしょう。だからこれら思考は「権威・力・金」などの「外形的・表面的で、大きく見える概念・事象を志向」して、それを「正当化・依存・同化する」ことで、「自らの価値・意味を見出す」「自己の価値・意味の維持・極大化」を求めます。
然しやはり、これらの概念自体が「外形的・表面的」なので、「なんとわなしの忌避」があります。そしてこれらの志向は「真の意味・本質性」を御座なりにするので、「大きな権威と、小さな・草の根の内面の狭間で、疑念が高まる」「その二重性・虚構性に、嫌悪感・空虚感を感じる」となります。
「本質的な物」とは「精神的な物・内面的な物」です。根源的意味・方向性において「外形的・表面的」「本質的」というのは対極の物であり、これは絶対に両立しえません。「華やかな物」も、「精神・本質」があって、始めて「素晴らしい物」をして存在し得て、これ無くしては「虚飾的な物」に過ぎません。「精神・本質」が「意味・価値」を決めるのであって、「権威・モノ・カネ」などの「外形的な物・表面的な物」ではありません。
結局「この志向と、それが齎すサイクル」は、この「根源的な無意味さ」を抜け出していないので、「全く無意味な物に、意味を感じろと強要する、裸の王様的行為」に過ぎません。その観念・主張・認識論と、やっている事は「バベルの塔」です。「中身や土台」が無くて、ただ「外面」があるのみです。
しかも「社会全体・国家全体・世界全体を巻き込む物」「それらや自然環境も含め、地球上の全てを巻き込んでいく物」であるので、全く以って「非本質的・虚無的」「自己崩壊的」「超破壊的な潜在性を持った物」「真の意味・本質の破壊・崩壊をする物」です。これが行き着く先は「狂気」です。
思考様式として、「(中立的な)ある物事・状況」に対して「必ず同じ感情しか湧かない・反応しかしない」という物があります。「中立的」というのは「一般的に良いとか悪いとか判断される物事で無いもの」、例えば「そこら辺の日常的風景」「何らかの思ったこと(別に良いも悪いもない)」などです。「必ず同じ感情しか湧かない・反応しかしない」というのは、「思考・感覚が一方向からの視点しかなくなった状態」であり、「思考・感覚の硬直化」です。
「物事」というのは「それ自体に多様な側面がある」「波動的にも、多様な波動が1つの物に内在している」というように存在しています。そういう「物事の存在形態」に対して、「一面性しかない思考・感性で物を見る」と、それは「物事の一面しか見れない」となります。
「物事の正確な把握」には「客観的な思考・感覚に努める」という姿勢が欠かせません。「物事の正確な把握に努めようとする」ならば「多様な側面からの視点」「簡単に100か0か決めて、はいお仕舞いと片付けないで、細分的な側面も考慮する」「判断留保の部分を持ち、とりあえずそこで判断・結論を決めても、後々の修正もあるように、柔軟に考慮しておく」などが必要だと思われます。
若しこうしていないと、一面的視点による判断だけで即断するようになり、「その奥にあるかも知れない真理・真実・改善」は、常に自主的に見逃してしまう事になります。また仮に「その奥にあるかも知れない真理・真実・改善」という物がないとしても、多くの物には「一理(何らかの部分的な妥当性)」はあります。その「一理の存在の可能性を、常に見る思考」でないと、「思考は硬直化して、思考法自体が真理・真実・理を見るに相応しくない物となる」でしょう。
当たり前の事ですが、「真理に即した思想」には「"事実"と"調和的意識"の高度な両立」が必要です。「自らにとって、或いは他者から見て」「都合いいように見えても、非常に不都合でも、事実は事実」です。先ずは事実をしっかり見る視点が重要で、それは利己主義に則った物でなく、決まりきった枠の中で考えるのでもなく、「俯瞰的に見て、事実なら事実、事実で無いなら事実で無い」という事でしょう。
そして、過去は色々あっても、「人間は本来は高度な霊的存在である」ので、それを乗り越える資質は、当然のように有しています。「事実に立脚して、そこを見つめる」という段階に達すると、「意識が高度化する初期段階に達する、事態が改善し始める」のですが、それは波動原理的にもそう説明されます。「その人・その集団自身が気付いて、変えないと、何も変わらない」「天は自ら助くる者を助く」という点から、「個人個人が、或いは集団・社会自身が、先ずは事実を客観的に認識する」というのが出発点でしょう。
「多くの人が高い意識を持つ社会」においては「人々は透徹した視野・思考・判断力を持つ」という状態になります。「社会のレベルが高くなっても、不当に利益を享受する人達が最も得をするのではないか」という疑念は、ほぼ誰しもあったでしょうが、これは問題はないでしょう。元々低意識は「経済不安・将来不安・社会的劣後」に端を発する物が殆どと言えます。しかし「多くの人が高い意識を持つ社会」は、そもそもが「共存社会」なので、「別に社会的落伍や困窮の心配は無い」という状況にあり、この悪循環も解消され、善性の循環が始まります。
また「意味の無い有象無象が、低波動だと看做されるようになる」「云わば科学的に程度が低いと看做される」ようになり、「やったもん勝ち、のような感覚が無くなっていく」という方向に向かい、「因果応報の科学的認識論」の基で「悪い方向に流されなくなっていく」ようになります。「透徹した視野・思考・判断力」「不当利益が存在する状況的基盤・背景自体が存在しなくなっていく」「短期的には残っても、中長期には・何れは無くなる」ということは明確で、これは後の時代になるほど鮮明になり、もう変わることは無くなっていきます。このような「複合的要因」で「低意識や事態悪化の悪循環は解消」されていき、「高い意識や事態改善の好循環が繰り返される」ようになります。
その上で「社会というのは調和的で、共存的であるべき」です。「個人個人が、或いは集団・社会自身が、先ずは事実を客観的に認識した」ならば、「意識・状況は高度化されていく」はずです。そうなると自然と連帯の輪は広がって、状況は良い方向へ動き出すでしょう。この循環が続くと、自然と意識・環境の波動は上昇していき、災厄は少なくなり、良い状況というのが顕在化していきます。「これで大丈夫だ、未来も幸福だ」と思って落ち着いていき、妙な力みも取れて、自然と「健康度や様々な能力が上昇する」という状態になるでしょう。「神性の顕現たる善性・学究・芸術性」によって「調和的で共存的な社会」「ワークライフバランスのとれた社会」になり、「好奇心発露と得意分野の学究」「芸術行為」が尊ばれるようになるでしょう。そして、そういう方向が未来永劫に永続するでしょう。
これらは「割りと簡単な事」であり、「意識さえ変われば、すぐにその方向になる物ばかり」です。でも逆に言うと「人間の意識はそこまで簡単に変わらない、変えられない」という点もあって、「最も難しい事」でもあります。物事は両義的に存在するので、逆もまた真なりです。
更に、これらは「今日明日には変えられなくても、数ヵ月後・数年後には変えられる物」だけです。「今日明日という短期では難しい事」なだけで、それ以上の物ではないです。拠って「どちらにしろ、中長期的には、簡単に変えられる物」です。何にしろ言えるのは「結局は意識が全てを決定する」という事です。これは波動原理的に、不変普遍の真理です。
「内向き」「外向的」などの言葉は、類似の多くの言葉・概念があって、幾つもの含意を持っています。これを「意識」という観点で考えると、その用法・用例には間違った物が多数あります。この種の言葉は、「狭い意識」「広い意識」という「ニュアンス」で用いられる事が多いですが、「狭い意識」「広い意識」というのは「普遍的・本質的な感覚かどうかで判断される物」です。拠ってこの用例においては、「狭い意識:非本質的・非普遍的な感覚」「広い意識(のような言葉):本質的・普遍的な感覚」とするのが妥当でしょう。
しかしこの用例・ニュアンスで用いていながらも、「内向き」という言葉を「内向的」「内省的」「内的世界・精神性の重視」に対して使用する例が多数あります。「内向き」というのは否定的ニュアンスも伴う言葉なので、この用法では「内向的」「内省的」「内的世界・精神性の重視」を否定的に捉えていて、このような観念は世間に多数存在しています。
逆に「外向的」について、原義通りなら良い含意か、或いは中立的な言葉です。しかし「消費主義的に活発に活動するというニュアンス」でも「外向的」という言葉は使われ、これは肯定的に捉える用法で、この観念は世間に広がっています。原義に近い意味では、「内向的・外向的」のどちらが良いというものありません。しかしこういう用方の、「内向的」「内省的」「内的世界・精神性の重視」というのは「狭い意識による物」だ、「外向的」というのは「広い意識による物」だとする解釈が罷り通っています。しかし実際には、これは上記のように真逆です。
このような「意識の広さ・狭さに纏わる概念を、違う意味に摩り替える用法」は、各所に存在しています。その全ては「物質主義的感覚や、非普遍的な外部基準を、称揚する観念」に基づいています。例えば「国際的」「国際基準・グローバルスタンダード(欧米基準)」などの言葉です。
しかしこれらの「用法(言葉その物でなく、用法)」の実態は、「普遍性・本質性と非普遍性・非本質性を、逆にして解釈する、上下逆転した思考」に過ぎません。そしてこれは「非本質的な事象を、その軽薄さを誤魔化す為に、本質性・普遍性を感じさせる語彙を用いて説明する行為」であり、「一部の広告・宣伝・商業行為」では「このまんまの思考法・やり方に基づいた手法」で終始貫かれていて、このような「欺瞞的宣伝法とその情報」は世上に氾濫し続けています。
更に「本義に則らないメディア」「健全な社会的運動の無さ」「社会上層部の統制的・物質的思考法」が、こういった状況に拍車をかけ続けていて、この空気・力学を、政官財その他一体の強固な物にしています。
これは「モノを次々に消費させ続ける社会形態」である「消費主義」の産物その物であり、お腹一杯なのに、まだ食わせ飲ませをさせ続けるには、「低質な情報の氾濫で、思考・感覚を麻痺させる」「そして誤魔化しの論法による広告物を買わせ続ける」というやり方が、最も効果的なのです。そして過度に物質主義に偏り、主流体制・主流情報に従属する思考を植えつけられた、今日の日本社会では、このような「グロテスクに着飾られた・塗りたくられた、茫漠たる空虚な砂漠」が延々と広がり続けています。
そして改革だと何だと、選挙時だけに見られるような表面的な言葉を並べますが、こういう方向の社会では絶対にそれは無理です。こういう事とその背景・社会的土壌、その全てが誤っていて、その方向の思考法に則っているうちは、数十年数百年経っても、この空虚さは何も変わりません。結局、今日の社会の在り方は、根本的に変えないと未来はないという事です。
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2014-06-13T07:01:27+09:00
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メニュー20 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
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&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
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万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
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&color(white,black){項目6⑬:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
●&color(white,black){波動原理を阻む社会的要因}
波動医療は人智学創設者ルドルフ・シュタイナーの影響もありドイツで普及し、ホメオパシーは多数の国で広く浸透しています。ロシアは旧ソ連以来の「現代科学と異なる領域の科学・境界科学の研究蓄積」があり、科学界の志向自体が既成概念の枠内に囚われていなく、波動関連も含めて既に実用可能な物も多数存在します。米国は極秘研究の知見を高度に蓄積しています。
翻って日本では、東洋医学と波動の高い親和性という元来の良質な土壌と、静電三法や軍関連組織の研究(米国が強奪)など戦前で既に進んでいたのにも拘らず、現状はこのレベルで、一般病院に波動器具を用いた療法はほぼ存在しません。これは保険等の技術論より「権威・枠組側による排除」「そのまま下達されるのみ」など社会バランスや根本部分の問題で、潜在的可能性・資質を国・一部社会の在り方が封殺、日本を長年に亘り劣化させてきた一例です。
よく言われる個人・中小企業の資質は、「個人・小集団レベルの波動関係の勉強研究・解明進化・普及度」に通じています。「日本独自とも言える手法・方法論・概念・製品・研究」「高い波動効果を齎す国産手法・製品(公的組織以外が開発した物)」は過去~現在にわたり多数存在、元々は「波動原理に適した素地」があり、「楢崎皐月・政木和三・千島喜久男」など優れた研究者も多くいました。
然しながら日本では集団化した時に「ムラの圧力亢進」「異質・多様性への排除・寛容度低下」「ガラスの天井」「過剰同質性の横行」が顕在化し、「社会の上層部・主流・公的組織」においては、長年日本は諸先進国に比べて「波動的な物・研究・成果が、最も排除されてきた国」で在り続けました。この要因は「明治以来の国・社会上層部の全体・統制・閉鎖主義志向、個・自由思考・可能性の抑制・埋没化」「戦後、自主変革を逸し続けた事による社会構造・個人・思考の経年硬直化、上層部の属性固定化(男性・東大等)、寄らば大樹・親方日の丸・談合体質」「海外・関係国・近隣国からのバランスを欠いた理不尽な対応や、不公平な国際的構造や二国間の関係性への、日本側の縮小・受動・無自己・短視眼・誤魔化し対応」、以上への心理防御の「大衆の諦観の蔓延」「感覚・思考・視野・関心範囲の矮小化」「過度な集団思考・過剰同調・迎合・家畜人間化・奴隷化・事勿れ主義」「個の連帯による改善運動の不足・忌避・揶揄・無関心」など複合的でしょう。この構造はまた、「巨視・複眼・能動・建設・柔軟・水平思考に欠け、周囲・世間・お上・与件・圧力・因習・空気に従うように訓練された画一的ロボットの量産」「非公僕の公務員・非選良の政治家・ジャーナリズムの無いマスコミ・現象自体の無視を貫く科学界・非公器な経済界の跋扈」を促すか如くに働いています。
あらゆる事柄は相互関連して全体構造を醸成し、「事故後の現代科学体系外の手法の全否定・無視」も「国・社会の在り様」の中で起きています。「過度な常識論・横並びと自縄自縛な視野狭窄の経年化」は、この事態においてさえ「前例主義や形式論などの硬直思考」を齎し、蟻地獄のように人々の思考・行動・選択を縛っています。「異端排除の圧力(大学・公的機関での異端科学の研究費配分は海外と比べ非常に低く、排除される)」と、「除染・実験実施には検査機関・ガイガーの計測数値低減では足りず、一般・科学界の理論認知が必要」との「上層部・象牙の塔・同調者の掟」は、「除染や真理や社会改善との目的論」より「ドグマ固執・権威や権力構造への同化・斉一性依存」を優先させています。「日本・日本人を最終的に守るべく存在する政官」は、超長期被害確定という一般認識状況にあって、あらゆる除染可能性を探り続ける義務を履行せず、多くの提案は不可解にも却下され続けています。政官公について、ほんの一部の政治家・公務員・公的組織関係者や(福島県などの)一部現場組織だけがたまに耳を傾けるのみで、それも大きな動きにならず、組織論や絶対的空気の中で排斥され、大状況はいつもの政治屋・官僚主義的行動が続くのみです。「国・公・社会上層部・科学界レベル」で見れば、実験など費用が殆ど掛からない額と言え、初期要員や手間も僅かで済み、たったそれだけで事の真偽は概ね分かるのにも拘らず、しかし行おうとせず、考慮しようとしません。これは「官僚体質の行き着いた果ての姿の終末的な集団浅慮」であり、原子力ムラの「事故は起きないから対策無用」「赤信号、皆で渡れば怖くない」と全く同じ空気です。そして「事故前(=客観的な時点)では超悲惨と認識した状況」にも拘らず「正当化・無視する圧力」が覆っています。
つまり「"従来より遥かに良い方法・新事実"の存在可能性という客観状況(論理的反駁が不能)においても、超過酷事態を修復し得る物でも、それを検証・解明する機能が、この国・社会には無い」「大勢の国民と数多の公的部署・組織と巨額の公金がありながら、必要な物・感覚が無い」「既存観念・手法の踏襲のみで、過去と全く異なる状況に対応できない」「代替論・多面性・改善論への側面支援機能や、全体的な修復機能や柔軟性が無く、"たったそれだけの事"さえ"しない・出来ない・拒否する"ほどに、あらゆる分野を硬直性・類型思考が支配している」「公・体制の存在意味が不明な無責任体制」「本来の責任・義務・本分を全うする主体が存在しない」という構造です。
そして現地では「有志による時間・頭脳・労力・費用を割きながらの懸命な除染研究」が続いています。そこで得られた知見も含め「除染事例や成功・確立した手法の報」は次々と積み重なっていて、その全ては「従来科学と異なる普遍的科学原理」を指し示しますが、しかし「これに対応する社会構造自体」が存在しません。その構造さえあれば、如何に否定論者が多くても「実験・検証→事実と確認→各地での実施と広範な議論の場の形成」というサイクルが起きるので「とうに広域除染や様々な知識・原理・技術の普及が進んでいた」でしょう。
このような状況において理想は等閑にされ、「金や声が大きな集団や負の側面」に未だ支配され、「一般社会・会社・学校・マスコミ・ネット・未成年その他、集団・分野・属性」が「社会的に規定された固定観念・役割モデル・典型的思考様式」に囚われ、個々の属性が狭く分断され、「個人と社会の関係性が切れているのに、同時に全体主義的であり、個人がマニュアル通りの駒や歯車のように存在」しています。近年の日本が世界的に見れば繁栄していたのも、決して「公・体制など上部構造」の為でなく、「個人レベルの特質と(自縄自縛も含め抑圧下ですが)、環境や歴史で織り成された日本に宿る"地霊"とでも言える物」の為でしょう。しかし「この2つの能力・効果が年々低下」して、逆に「公・体制は悪化」したので現況にまで至りました。日本では「上層部の全体主義・個の抑制・大衆の無関心化」により、「社会構造の改善・全体主義からの離脱」が今まで果たされなく、却って「改善せぬままの経年→空気の常識化→無謬・従うべき物」という流れによる「社会構造の硬直化」が進みました。「手法は多数あり、後は簡易な実験・検証だけなのに、検証・考証は科学・真理の基礎なのに、徹底的に否定・拒否するという観念」を見てもそうですが、人々の意識自体が変わらなければ、集合意識も波動効果も何もかも変わりようがありません。
元々「健康と長寿」「最大多数の幸福と安寧」「そして出来るならば自然環境維持や調和」などが社会の初期の目的や共通認識な筈ですが、何故か途中から大きく逸脱して、訳の分からない物を自己目的化して突き進んでいるのが日本と世界の現状です。過去を見れば一目瞭然ですが、独善的な我田引水は、許容すると全体状況が悪化し、個人や全体の利益を大きく損なう社会が返ってくるだけで、固執の目的の一つの「子供・孫への利益委譲」は「金銭面でも、そんな社会に生きる子孫の不幸という、そもそも論においても」意味が無くなり、波動的にも因果応報としてカルマを積み上がり続け、結局何の益も齎さない世の中になり、害悪と共に破綻していくのみです。今の社会は「色々な物を壊し穢して、将来につけを送っている、際限無き椅子取りゲーム」のような物ですが、このゲーム脱落への恐怖が「自己が存在できる現状や優位性を保てる状況・ルールの墨守」へと走らせ、多数がこれを行う「負の方向性の空気化」が社会を歪ませています。そして逆の「善性や建設的意識」は疲弊して、多くが「何かが物凄くおかしい」と感じつつもどうすれば良いか分からなく、「過度な競争論と蹴落とし」「心を無視する方が生き易い」という攻撃的な世情で精神的に磨り減っています。でも幾ら生きるのが大変な事だらけだとは言え、「子供達・赤ちゃん・未来世代の為に良い世の中を築く意思・行動」が欠落しているならば、「地球・社会に対する大人達の存在意義は無い」「自己の存在・生存目的があるのみ」でしょう。人類や社会という「大きい存在」は何の為に存在しているのか、利益や利己ばかり求めるのが良いのか、社会自体に何らかの使命は無いのか、ある意味もっと楽で適当で、それでいて調和的であり、概ね幸せで豊かだという世の中は、それこそ簡単に作れる筈でしょう。
「家庭・地域・幼稚園・保育園・小学校・学童保育」において、幼い子供には「思いやりを持った子になってほしい」と思い、「調和的な環境で、皆に暖かく接して」いきます。「手のひらを太陽に」の歌詞には「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ、友達なんだ」とあります。何故そういう風に接するのか、こういう歌を子供に教えるのか?それは「そういう感受性を持った子になってほしい」「思いやりを持ってほしい」と考えているからでしょうし、そして「本来はそういう社会であってほしい」「こういう観念を普通に持っているのが理想的な社会」だと深層心理では思っているからではないでしょうか。そうでないならば、子供にだろうと何だろうと、そのような事を教えないでしょう。「そう接するのが、教えるのが当たり前だから」という要領不明な理由でなく、「そんな世の中で、子供達には暮らしてほしいね」と感じているから、そう行っているのです。
要するに今の世の中は「そういうのが理想だろうけど、現実の世の中は違うし」「そんな事考えてたら馬鹿にされる・置いてけぼりを食う」「まぁ単なる夢だろ」「自分とは関係ない・どうでもいい」という感情が先に立ち、理念を忘れ去ってしまっているのではないでしょうか。過去において「大人になる」とは「柔軟性・感受性を捨てて、世間の常識や理不尽さに従う」ことでした。そうでしたが、では「それが未来永劫続く」「それが理想」と考えているのでしょうか。そうでないなら、別に「未来永劫続く訳でもない」「不変普遍の心理でもない」「理想でもない」ならば、今すぐに変えていけばいいだけの話です。そうすれば明日は変わらなくても、10年後には社会は大きく変わっているでしょう。しかし「硬直性・隷属思考・物質的思考・上下関係・有象無象」に囚われている現在の世の中では、「どうせ変わらない・無理・自分には関係ない・どうでもいい」「それより趣味のOO」「学校・会社で話題の××」「組織内で認められるらめの○×」「友達・同僚と話をあわせるために芸能界・ファッション・遊びの×○」という想念が先に立ってしまい、その中で、また毎日の社会が虚無的に繰り返されています。
また脳による「他者への共感⇔分析的思考」「右脳・感覚⇔左脳・論理」の両立は困難とされます。ただ高度に両立できる人もいて、また「(上記○○××など)空虚な対人・対社会・対物の関係性に依拠、その為の分析思考を終始働かす」など、現代社会は「過度で偏った分析・論理思考の重視」を強いています。そしてこれにより「共感能力・共感志向の低下」「不必要な序列・競争重視」「環境・対社会・対人への破壊・非建設的な方向性」へと導かれています。
そういう空気により「精神や気を病む・荒む・疲弊」「虚無感・投げやり」「健康や生活環境を害する」ことが多くなり、また「即物的感覚や金・モノ優先主義に塗れる」「権威・権力・力を振りかざす」「利己主義・自分本位になる」「何らかの他者基準に従属する」・・・など、社会全体の荒廃が止まらずに、「この酷い悪影響が、様様な場所で、様々な症状として顕在化」しています。このような意味において、「現代社会の個人レベル・社会各所の問題は、現代社会の抱える(先述後述の)問題点により生じている」「このような状況・方向・空気・力学がなくならない限り、その悪影響はなくならない」と言えます。そして「大衆意識を支配する空気・人々の行動原理」がこういう物である限り、「口でどう言おうと、どうお題目を唱えても、どう法律・規則・暗黙のルールで縛ろうと、どうやって繕おうと・根絶しようとしても、"(例えば)違法にならない程度の、低意識・荒廃的な行動"が蔓延するのは当然であり、悪貨が良貨を駆逐し続けるだけ」です。それは「世の中がそういう価値基準なのだから当然の帰結であって、至極当たり前過ぎる事」です。
少子化の原因のアンケートでは、経済的理由以外に、「生き難い」「社会に将来性・展望姓がない」「将来幸せになると思えない」などが上位に来ますが、「現状の社会状況では当然」「この方向が続くなら、多数がそう感じるという状況は変わりようもな」のであり、それは「本質的に生き難い世の中」「厭世を感じさせる社会状況」ということです。日本の自殺率は先進国最高水準ですが、これは途方もない不幸であると同時に、膨大な経済的損失であるのも社会・経済的常識で、この数字の影には「ごく日常的で、甚大な不幸・不利益」が積み重なっています。経済・権威重視の人でも、これら理由で疲弊しきった人や、子供を作らない人は多く、要するに「自分が向いている方向を、多くの人が向く事で、結果として生き難いと感じる」のであり、では何の為の経済のでしょうか。全く以って、あまりに不合理です。
これらの社会状況・方向を俯瞰すると、「"金・モノ・権威などの重視"と、それ進める為の、或いは副作用としての"個の抑制・空気への従属の高い同調圧力"などの社会的方向が、結果的に重度の経済悪化や社会閉塞を招いている」という異常な状況を呈しています。それでもなお「「金・モノ・権威」「個の抑制・同調圧力」を望むのか、「それにより、その目的たる経済的利益・国際的地位云々を低下させている」という状況を招いていてもでしょうか。そしてそもそも経済云々以前に、それは「個人の内面・社会・自然環境など全てを破壊」「不幸・生き難い世の中の再生産」をするのみであり、「幸せな世の中への方向」「全体の幸福の実現」へ向くことは決してありません。
普通に考えて「理想的な社会="金・物質・権威・争いなどが優位でない社会(金・物質は手段であっても、目的ではない)」はずで、拠って「現代社会は理想的ではない」「その空気・方向性は理想的方向性を有してない」という認識が妥当でしょう。また「理想社会=持続不可能な社会構造」の訳はなく、拠って「理想社会・理想的方向性=自然環境や対人・対社会や将来世代・後代への負荷において、持続可能な社会構造である」のは至極当然です。そのような社会では、例えば「ゴミの環境投棄がない」「環境破壊がない」「人々が自然に相互尊重・共存している」「人々の自然な・自主的行動の結果、そういう状態になっている」でしょうし、そうなるには「人々の認識・行動の基盤としての、調和的な社会認識論・環境認識論が不可欠」です。「人々の認識→人々の行動→社会に起こる結果」という「自明の流れ」により、このような「調和的認識論」=「理想社会・理想的方向性・社会改善・人々の幸福・良好な生存環境」という表裏一体性も明白です。また上記「自明の流れ」により、そもそもとして「社会広範の調和的認識論なしに、理想・幸せな社会になる事は到底不可能」です。
社会は段階的発展を遂げてきて、現代はこの段階という事自体はおかしくないですが、問題は「科学・社会の発展により現代社会が齎されたのであり、"そもそも科学・社会の発展とは、この方向の物なのだ"」「この方向を進んでいけば・突き詰めると、豊かさ=望んでいる社会がある」「多少不利益があっても仕方ない、不利益は幾らかだけ、どうでもいい事(精神・自然など)が犠牲になるだけ」という暗黙の観念・力学が、社会広範に覆っていることです。これらは「現代の基本的力学・空気・固定観念・常識」となっていて、先述の理由により「この方向性は、理想的方向に反する事は明らか」ですが、然しながら「金・物質・権威・競争論・・・を志向する主体にとり都合が良い事」「空気・力学・固定観念・同調圧力・隷属志向・ぬるま湯的思考・・・」により「この根源的・甚大な誤りについて、多くの人が気付かない・重視しないまま」という状態が続いています。そして「この思考においては、当然の如く、精神・自然環境・伝統等々は蚊帳の外」ですが、これらは「金・物質・権威・競争論にとり都合が良い」「固定観念の上での常識」なだけで、「このような破壊性・非調和性・物質優先主義・欲望重視は、どの側面から見ても、理想社会・理想的方向性と整合しない」のは明らかでしょう。
これらの「常識論・固定観念による思考」は「現代社会の構造的問題を内包した、枠(社会的枠組み・思考的な枠)の絶対視」→「"その社会的・構造的問題点を当然視"という思考範囲を抜け出さない・枠内に終始」、「個の抑制・過剰な同調圧力など」→「自律的思考力の低下」→「問題点に気付かない・疑問を持たない・空気や常識論への隷属志向を続ける」→「その外側の妥当性や可能性・在るかも知れない真理を見ようとしない」という悪循環を起こし続け、「知らず知らずに現状悪化・問題点残存の歯車と化す」という状況が続いています。そして現代社会は「これら矮小化した思考が積み重なる合成の誤謬・集団的迷走」により、方向性が大きく捻じ曲がり、余りに甚大な悪影響を日々齎し続け、余りに多くの事を破壊し続けています。
また「仮に再び経済発展が起きた(可能性は少ないが)」としても、それは「大規模な環境破壊、すべきでない公共事業や民間の乱開発、神域・重要遺跡の破壊」「大規模な格差」「それが招く様々な固執、金銭・物質第一主義、功利主義、権威主義・権力志向、人心荒廃、不安感、犯罪の社会的要因」「ギスギスした雰囲気」「冷たい空気と冷酷な社会関係の増加」「本質的には無意味な仕事や労働・過剰労働」「余裕の無さ」「災厄発生要因」「健康状態や寿命への悪影響・医療費高騰」「社会・国土に蔓延した状態に伴って起きる物」であり、「汚職・利権強化」「ムラ社会や支配構造の固定化」「不誠実な在り方・やった物勝ち」「従属志向・合成の誤謬・自家中毒」「内面の空洞化・空虚化」「無関心化・好奇心低下・関心範囲の狭窄化(社会・自然など、外部への関心度低下)」「低質な物の蔓延」など「従来社会の問題点が修正されないまま」でしょう。「経済上、不要な原子力(と暴力性・破壊性)も温存されたまま」とも考えられ、「環境破壊・構造的問題の後代への悪影響は拡大し続ける」ので、「修復不可能な永久的壊滅、大規模な破壊性、非調和・非共存という、根源的・核心的な問題性は残存し続けるまま」です。このように「経済優先志向・物質主義という、現代社会の方向性における、最も良い未来予想図」でさえも、それは「公共事業の需要予測よりも、遥かに到達可能性が低い物でしかない」にも拘らず、「この程度の"本質的観点の上では酷い社会状況"しか描けない」のであり、そもそもがこの「現代社会と、その延長線上の方向性」という物自体が「理想社会・理想的方向」「大多数が充足感を感じる社会」とは二律背反した物でしかありません。これは「本来人類が到達可能な領域に比べれば、足元レベルとしか言えない物」であり、「現行の方向性⇔理想・幸福、という2つの社会状況の両立は絶対に不可能」です。
この思考を延々と続けるならば仮に「現代社会は、段階的発展における当該発展段階(だから仕方ない)」と捉えるとしても、当然ながら「将来も現代社会レベルの方向性のまま」で在り続ける訳で、「いつまで経っても、現代社会の構造的問題を内包した、枠(社会的枠組み・思考的な枠)の奴隷で居続けるまま」「そこには発展性・建設性・改善・理想は何ら存在しない」「子供・将来世代に、破壊された環境・国土・世相を残すのみ」であり、更に「この方向性は非調和的・破壊的方向なので、様々な大事な事・物を延々と破壊し続けるのみ」です。
&color(white,black){{現在の日本社会には、次のような「空気・力学」が重く横たわっている}
大衆:
・「自分の事でない」
・「関係ない」
・「誰かがやる」
・「そんなのより日々の有象無象のこと」
常識論・空気:
・「科学者・専門家・お上の定説なら、それが正しいんだろう、常識だ」
専門家:
・「誤りを認めたくない」
・「持論見直しに至らせるような、動機が存在しない」
・「見直せば不利益になる」
・「大体四の五の言ってる連中は、世の中を・常識を分かってない、
観念論ばかりの連中だし、構うことはない」
・「別に真剣に考慮する訳ないし、通り一遍に、頭ごなしに否定しとけばいい」
政治・官僚・公的部門・権力側・既得権益側:
・「票・権力・金・利権・組織拡大に寄与しない物に、真面目にやる訳がない」
・「そもそも邪魔になる物は排除して当然」
・「ムラのやり方・慣習に楯突く敵対勢力は除外」
・「権力基盤を阻害する連中は邪魔者」
・「下層階級・下々が、対等な立場で物言いするな」
・「本当に日本・社会・世界の為になるか、本当に良い事か、という観点は判断基準ではない」
・「権威主義に裏付けされた無謬性志向」
マスコミ:
・「ジャーナリズム精神の無さ」
・「ムラ感覚」
・「権力との共存」
・「スポンサーや公的保護など、常にメリットデメリットを天秤にかける、損得感覚の優先思考」
・「ぬるま湯感覚」
・「本音と建前・偽善性(例えば格差是正を言うが、自らは社会上層部として維持されるべきとする)」
「現代社会の支配的力学」とは「システムの奴隷」「空気と同調圧力」「権威主義と従属」「徹底した集団主義・組織論」「自由思考と理想志向の放棄」「精神・感覚・自然の無視」「利害感覚の重視」「集団的無関心・迷走・暴走」」「丸投げ・責任放棄」が蔓延した物であり、これに「世の中全体に重く圧し掛かる集団的感覚」に覆われ、同化しきっていて、「酷い状況しか招かない悪循環」が続いています。
この強い空気・力学の中で、「どこかで疑問を持っても、次の諸事によって忘れ去ってしまう」「そういう無知化・無関心化に繋がる忘却を、世の中の空気が強力に後押ししている」「この世の中の空気に浸りきり、空虚に流される」「質の低い常識論や、利益追求に伴った情報・力学のみが、世の中を振り回す」というように「良い方向性は潰され、悪い方向性が助長される」と状況が、日本中津々浦々で刻一刻と繰り返されています。
また「あまりに既存常識や現行体制を巨大視、前提視し過ぎている」「空気至上主義」である為に、「一つ一つの良心や感覚・言動も、その好循環・発展的可能性が、社会の各所で悉く潰されていってしまう」という状況にあります。この原因は「茫漠とした不安感(DNAから日本人に強いといわれる)」など各種要因がありますが、そもそもが「個が確立されていない・抑圧してきた」ことによる物で、例えば「"おかしい物はおかしい"という当然の感覚を抑え込み、自己の思考・感覚を矮小化させる」「集団心理への過剰同調により、"仕方ない"などと意味不明な諦めをするように導かせる」という典型的様式こそが、最大の悪しき要因です。「"小さな疑問と、建設的・発展的思考による解決"という方向へ導く、当然の感覚さえ失わせて、ロボットのように右に倣えをさせ続けてきたこと」こそが「日本社会に特徴的な諸悪の根源」であり、「原発事故」「地霊の低下」「男女格差や閉鎖的なムラなど」「乱開発・自然破壊・景観悪化」「利権・利害が過剰に支配的力学になっている事」「潜在力・努力に比して、状況が醜悪」という「日本の近代~戦後~現代までの負の状況」の圧倒的最大の要因です。
一見「教条主義・硬直性」と「無原則・無定見・場当たり・客観基準不在」は対立概念に見えますが、実際はこの二つには親和性もあり、「教条主義・硬直的で、且つ、無原則・無定見・場当たり・客観基準不在」との空気は「日本中の各ムラ・組織・界隈」に溢れ返っています。それは「空気・力学という主体」「権威・権力」「利益固執」「組織論・組織肥大化」にとっては「教条主義+無原則の組み合わせは、ご都合主義+利益最大化+責任回避ができるので、最も有効な行動原理」だからであり、この思考は「ある時には、規則・掟・前例を楯に、杓子定規に拒否」「ある時には、違法でないから、お偉方のお墨付きがあるから・・・云々との理由で、多数の声・潜在懸念を無視、前例・規則に則らず、場当たり的に押し通す」「その時々の自己利益に応じて、詭弁的にやり方・言質を変えて・使い分けて、利益固執・権威最大化・ムラの論理のごり押しをを図り続ける」といった根本的原理に貫かれています。
「教条主義」「無原則」は「端的な悪い所どり・駄目な部分の組み合わせ」であり、現実として「戦後日本の上層部・中枢部・ムラ・組織・・・の空気・力学」は、このような方向性に支配されてきてしまいました。その結果が「原発(ご都合主義に観測結果・意見・規則・利権配分を使い分け・取捨・隠蔽)」「街並み(各分野に細則=利権・役所の管轄はあるも、ゾーニングや美観向上の条例・合意は不施行。法・規則の不執行分野の存在)」「経済重視といいつつ、同勢力が天下り法人等を野放しにする(天下り法人の多くの分野=無駄な仕事・金・手間・人的資源浪費)」「政治用語・官僚用語・霞ヶ関文学(規則押し付けと、自在な規則すり抜けの、両得を目的とした不誠実さ)」「サービス残業・過剰労働(規則の有名無実化と、組織論の斉一性押し付け。経済重視で放置されるも、合成の誤謬で社会閉塞・余暇産業減少→経済停滞・少子化を招いている)」です。勿論これらも氷山の一角で、その影には無数の「日本各所・地方の報じられない、酷い・おかしな出来事」があり、また、その下にも「ごく日常の理不尽さ・不合理」が積み重なっています。
例えば「科学界界隈の元素変換による放射能除去の否定論の思考様式」は「様々な観測結果を、実質的思考を経ずに全否定(思考感覚の硬直性・視野狭窄・水平思考の無さ)」→「共同検証を拒否(これ無しに、真理追究は不可能)(独善性・非実質性)」→「自らは真理追求の義務・責任を負わない(第三者的立場を維持・立場上上位と匂わす)(無責任・非相互的・一方的関係性・権威主義・粗暴性)」→「理由は常に、科学的に有り得ないから・トンデモだから(原理主義・非客観性・非論理性・類型思考・空気への従属)(感覚・直感の否定=個の抑制)」→「だが自らは科学的思考・論理性的論証をしない(利己主義・優越思想・非対称性)」→「その上で、従来見解による否定論を繰り返す(非建設性・無謬性志向・社会の硬直化)」→「真理の追求ができない・状況が改善しない(問題の固定化・非改善・悪化)」という物で、これは上述の「社会の空気・力学と作用と結果」と全く同じです。
このような思考法は「持論・結果の正誤(例えば環境中の元素変換があるかどうか)」以前に、「物事への姿勢・対峙の仕方として誤っている」物であり、そして「原理主義的思考法(論理・感覚を無視して、一方的論理を主張)」その物なので、「非論理的・一方的で、何を言っても通じない」というのが現状です。そしてこれは何も科学界に限らず「現代社会の誤った・不誠実な支配的空気の、一つの界隈における現れ」にしか過ぎません。
結局これらは「意識の低さ」から起き、即ち「波動が低い」のであり、この「低波動の空気・力学」により戦後日本は異様に捻じ曲げられてきました。同時に、特に日本に特徴的な問題要因として「それに気付く、気付きをもたらす前提としての、自由思考・自律思考・水平思考・柔軟性などの抑制」が長年行われてきたので、丸で「奴隷・家畜がその状況を当然と思う」が如くに、「多くの問題点に際し、その原因にさえ気付かない・問題の在りかが分からない・問題とさえ思わない」との状況を招き、「更なる隷属化・閉塞化という悪循環」を招き続けています。そして、その結果としての現況が「社会自らの在り方により、因果として巡ってきたのが、現代社会の無数の問題・社会病理」「意味不明・不合理な空気・空気支配による、自己中毒的な停滞・閉塞化」です。
日本は毎度毎度「訪米・訪欧・国際政治舞台」で「手土産」を持参して、無視され・ぞんざいに扱われ、日本人の大マスコミばかりの記者会見で自賛して、マスコミは「緊密な日米・日欧関係云々・・・」などと伝えます。「ジャパンパッシングという言葉の頻用自体」が「隷属思考・主体性の無さその物」「空洞化した・内面が存在しない日本の在り様その物」で、こういう「固定観念・硬直思考」「一面的で矮小な思考の枠」「上下関係的思考(欧米を絶対的価値・基準とする観念、その下で良い位置を得たいとする権威翼賛)」に完全に囚われていて、そこに疑問の余地さえ存在していません。
政治家は「公費の海外視察旅行」をよく行いますが、渡航先は大概「欧米」で、外交官が主要任務として便宜を図ります。しかし、視察で得た「海外の高度な政治・社会の制度など」「それを政治の場で、日本社会に如何に適用するか」については、殆ど「報告されず、実際に適用されず」といった状況です。政官は「欧米の社会体制・構造が、日本よりかなり良いと認識、だから視察に行く」はずで、その上で始終視察しているならば「もう既に日本の政治・官庁の構造・体制は、かなり高度になっているはず」「欧米ほかの"社会制度の良い部分"は、積極的に導入されている筈」ですが、そのような痕跡は見えず、殆ど導入されていませんし、「日本の政治・官庁などの構造は、悪い意味び守旧的な部分や、既得権益を維持した物が多い」です。
そもそも「大金をかけて行くほどの熱意・意欲」があるならば、「たった今から書籍・ネット・詳しい人・多様な意見から良い物を選び、因習・悪弊・非効率を改善すればいい」だけの話です。でもそれは「既得権益」「"欧米に公費視察できるほど、便宜供与されるほど、先生と尊敬されるほどに、偉い自分の既得領域"」の放棄になるので、制度を改善しようと思いません。そして世の中を良くする事が主眼で無いので、止めようと言えば村八分になります。
また「より高次元と看做される欧米の制度は、地方議員の報酬は手当て程度(地公務員は民間平均を下回る)、権益は少ない」ので、公費視察をするなら先ずこの制度を取り入れるべきであり、「地方議員・天下りなど各方面に多額の報酬を払わなくても、"高度な政治・社会の制度"が存在しているほど、体制が成立している点」こそを見習うべきであり、先ず根本的に見ている方向がおかしいです。
類似の主張に「選挙には金が掛かる」がありますが、ならば掛からない制度を導入すれば良いだけの話です。公費視察に行くなら「欧米の金の掛からない地方自治」を学んで、そっくり導入すれば良い話です。「日本は馴染まない」というのは毎度の詭弁で、それは「日本・日本人は根源的に程度が低いから出来ない」と言っているのと同意、要するに「大きなムラの既得権益の基盤が崩れるから拒否する」という低意識の賜物のだけです。地方財政は深刻で、超長期不況だが、自らや取り巻きの利益はしっかり手当て、このような状況で選良も公僕もあった物でありません。「最重要な点を完全無視して、界隈の空気や、ご都合主義な利益・保身・権威ばかり重視する」からこうなってしまうのであり、「高いレベルの欧米の制度を公費で見に行く人ほど、よりレベルが低い議員」となっています。
これらは何を示しているかと言うと「政官に高い意識が無い」「改善意識が無い」「権威・慣習・空気への隷属意識が高い(国内外問わず権威に対して隷属或いは振りかざす)」「主体性が無い」「下々に対しては権威主義思考である」「内的規範が無い」「税金・公的権力を私物化・権力拡大の道具にしている」「非常に次元が低い構造・体制」「極端な制度疲労」「合成の誤謬(どう良く見積もっても)」「自家中毒的」「非常にムラ的・閉鎖的な構造」「考える・感じる・想い、などなどが存在しない」「自浄能力が無い」などです。
そして、より根源的には「全体主義と権威主義を志向、拠って金・物・権力の方向性の制度の維持に固執する」「その反対側の制度を拒否、拠って改革が行われず、低意識が蔓延する」「国中に低意識が広がり、低波動となり、不幸になり、災厄が増加し、抜け出せなくなる」ということです。長らく「日本の政治状況とその背景の低意識は、日本の不幸・災厄・低波動化の元凶となってきた」と言えます。
浜岡原発の危険性は簡単な言葉では言い表せないほどの物ですが、端的に「世界中で飛び抜けて最も危険な人工的構築物」です。「最も昔から指摘続けられてきた東海地震想定震源域中央部に位置」「岬の先端にあり、海域で発生するとされる震源域の直近の陸地」「近年危険性が言われる3連動地震」「直下に幾つも活断層がある」「嘗て広く知られた湿地帯・脆い砂地を埋め立て作った」「静岡沖地震(2009)で非常に大きな揺れがあったが、揺れが増幅される立地にあるとの説が根強い」、その他多くの危険性が指摘されています。3連動地震では「超巨大津波が来る」「各地で甚大な被害が起きる」「東西交通網が寸断される」「日本が麻痺する」とされ、東北大震災より非常に危険な状況が幾つも上積みされます。「震度6弱で壊れた浜岡が、桁が幾つも違う超巨大地震に耐えられる、その後の事故防止の為の物資・人的資源補給も万全」などと、どのように考えたら言えるのでしょう。浜岡は停止後に、炉が壊れていたので膨大な海水が流入、これが実際の地震時だったら?と容易に想像が出来ます。そして「原発の壊れは、普通によくある事」です。
若し浜岡と同等な危険度を持つ原発が他の先進諸国にあったら、その国でどんな議論・反応が起こるか、容易に想像が付きます。あらゆる方面・場所で猛抗議が起き続け、すぐに廃止され、後々も「それが存在した事自体」に対して、重大な議論が起こり続けるでしょう。それは「あまりにも危険で、ありえない物」だからです。翻って日本では、云わばこの程度です。しかしこれほどの何重にも極端な危険性を持つ浜岡の停止についても、「拙速(この言葉の詭弁的・欺瞞的用法の多さは既述の通り)」「問題ないし安全なのに止めるな」「騒ぎ過ぎ」「普通に対処できる」等等の反応が多数存在しました。これは思考の自由云々を超えて、ただ只管に「原理主義」「無思考・無感覚」「権威性」「過度な経済・金銭偏重」「子孫や後代の事の無視」などです。そしてこういう反応は先進諸国では多数起きるとも思えず、また、日本では「自己規制・自己中毒的な個の抑制と集団第一主義」が末期化しているので、云わば「横並び的な表現の不自由」が存在して、「素直な持論・想い・疑義が主張できない、更に何も考えない方が良い・正解」という状況が存在、日本での各種社会的議論や個人の思考が低い質量に留まっているのと比例して、原発関連でも同じ事が起きています。ここに日本上層部が志向して来て、それを実際に行ってきた「戦後・明治以来の統治体制の行き着いた果ての姿」を見て取る事が出来ます。残念ながら、従来・近年の日本は「そういう国」でした。
特に日本のマスコミは、先述・後述のように「公器たる気概」「ジャーナリスト精神」「柔軟思考・水平思考」「非権力的な草の根思考」「開放的思考・非ムラ的思考」など様々な物が欠けていて、高度に「資本主義的・物質主義的」「政治・芸能・スポンサーほかの各ムラ・ムラ的構造」「論拠不明のエリート意識と、その表裏一体の隷属志向」「格付け重視・ブランド志向・権威翼賛」に支配されています。そしてそこから流される情報は、後述しますように、先進諸国のマスコミと比して「次元が低い」「(情報量・情報価値・独自性)/(時間・記事量)という観点で見て、中身が薄い」物ばかりです。それらを延々と流し続けていているので、「日本中で流れている主要な情報」は「中身が無い物、次元が低い物、決まりきった視点の物、お約束的・予定調和的・空気至上主義的な物、酷く形式主義的な物、非常に資本主義的・広告至上主義的な物だらけ」になっています。
専門家・研究者は御用学者に典型的に見られるように、「真理・学問の探究」「知識・技術・認識・社会の前進」「社会的視野・公正性・妥当性」は蔑ろにされ、学問・科学に名を借りた「空気・界隈の論理の重視」「組織・分野・持論の正当性固執・保身」が横行しています。例えば「食べないでも生き続ける人」は、昔から多数存在、NASAも実験で「食べずに生き続ける人の存在」を確認しています。これは現代科学上では不可能で、という事は「現代科学に根本的誤認が存在する可能性が非常に高い」となります。ですが一般的に科学界では「よく分からない・・・」「何か仕掛けがあるんじゃ」「別の科学的仕組みがあるのかも」といった程度の言動を更に超えて、「OOのような原理が存在するのでは」「この実験が示すのは現代科学と異なる、XXの原理があるという事だ」などと言うと、途端に「嘘・トンデモ・インチキ・科学的におかしい・科学的素養が云々」などと言われ出します。これは「ある枠組みの外側に対し、思考を最初から放棄している・思考自体を行わない」「絶対的に枠の中が正しくて、外は全て間違っている」という「完全にドグマ的な思考法」です。そして「ドグマなので論理は通じない」という状態であり、その上で「科学=論理として、自らのドグマは原理主義的に主張する」という事を繰り返しています。
「ネズミのテレパシー実験(項目6①の記事⑫)」のような事例に対して、科学界・科学通が繰り返すのが「査読・偽科学・科学的素養云々」です。しかしそもそも最初から、そして現時点も全真理を分かっている訳ではなく、時折は実験・観察・精査して、事実・真理を確かめていかないと、「間違う可能性がある」「事実誤認をする可能性がある」「誤りが放置され続ける可能性がある」「それが原理主義化・ドグマ化する可能性がある」のは至極当然の事です。この種の実験は他にも手法・事例は多数ありますが、科学的にはかなり簡易実験の部類で、「非主流の研究者だけでなく、科学界・科学者有志が、既に何度も行っていないとならない物」ですが、殆ど行われていません。
それは一つに「査読を通っていない」からですが、そもそも最初から査読済みの物など存在しなく、このような事例・報告例(往古の物も含め)が存在するにも拘らず査読査読と繰り返すのは、「科学界全体が循環論法を繰り返している・それを当然視している」「非常に硬直的・原理主義的で、無謬性の妄信をしている」という事を如実に現しています。そして311以後は「日本の破滅的事態」「炉の破壊度・風向き・雨・他の原発の状況など、より酷いならば完全破滅」という状況でした。そういった何か切っ掛けになる事柄・時というのは幾らでもありますが、それでも「疑問に感じたり、真剣に調べたり検査したり」「真に何かの解決の可能性を考えたり・探ったり」「では改めて、多方面と研究・解明する」などという事はしません、何故ならば「それは教科書に載ってないから」「教科書に載ってない事は嘘だから」「そう決まっているから」「常識や空気は正しいから」「それに従う物だし、外れるの馬鹿だから」「査定に響くから・予算がなくなるから」「村八分にされるから・他の人の目が怖いから」「自分と関係ないから」。「真理の追求である所の科学という存在」からしてこのような状態で、しかも日本では「前例・空気・権威の威光・統制力は非常に強い」ので、社会全般についても推して知るべしです。
日本では近年、「何でも新しくしないと、新しい物でないと気が済まないような観念」が支配的になり、常に「中身の無い情報・広告で流されて、新しい物ばかりに飛びつく」「やたらと金の掛かる工事を進め、箱物などを新調する」という状況が繰り返されています。然しながら「新しい思考や、(状況を良くする物でも)現状を変える改善提案は拒否する」という「何でも古くないと・低きに固執しないと気が済まないような観念」が同時に存在、正に「在るべき状態を採らず、在るべきでない状態を採る」という醜悪な状況が近年続いています。そして「"日本伝統の中核とされる物"以外の伝統・歴史に属する物」について、「金・イデオロギーで推進された定型化された物」以外は、「社会の隅々にある古き良い物」は守らずに、例えば「昔ながらの良い風景・情感豊かな風景」などは守らずに、「日本中至る場所が酷い風景だらけ」になっています。「伝統など、色々な物を守っている人」は多数いますが、「公・政官において、そういう部分は金にならないので、票目当ての何がしか以外は、大体無視される」のが通例です。
「邦楽の音楽業界(音楽ムラの各種組織)」に見られるように、「しっかりとした文化創造(=歴史の蓄積と創造)は行わないが、因習・悪弊は守りきる観念だけは、異常なほど発達・常識化・絶対化している」「全く理想図・改善思考・長期ビジョンが存在せず、寄せられるそういう物を無視する」「状況改善の展望や、外部から見た時の未来性が全く無い」「文化や日本にとり良い事かどうかでなく、権利・ムラの領域にとり資するかどうかが判断基準」といった状況を続け、そして尚且つ「その状況・体制・やり方を徹底固執、改善思考や外部の人を排除」します。その中で「高度に"物質至上主義・ムラ界隈的思考"に偏重した手法で、製作された物・売り込まれた物」「非自己表現・非芸術的な手法を駆使した広告物」が世の中に溢れ返っています。
「歌詞サイトのからのコピペができない世界唯一の国」「日本語が分からない人・外国人が歌詞を理解する方法がほぼ無い唯一の国」であるばかりでなく、「Twitterに歌詞を流してほしくないと広報する」「それが違法になるがずっと検討してきた」という、世界中で飛び抜けた異様さです。これを「世界で最も進んだ著作権擁護」などと言うのでしょうが、別に文化創造をしたい訳でも、音楽が好きな訳でもなく、天下り役員などが横行するムラ社会のやり方・思考法というだけです。そしてこれは日本の縮図で、似たような光景がそこら中にあるので、日本には世界に類を見ない「異様な構造・掟・ムラ」が多々あります。金にならないと何かを導入するという事はしないので、「街作り規制(ゾーニング)・開発規制」はあまりありません。逆に利権に繋がる物は容易に導入されるので、先進諸国では認可されていない・あまり導入されていない「化学物質・添加物・遺伝子組み換え食品・医療用物質・医療行為」などは溢れ返っています。
教育制度は問題だらけですが、兎に角「画一的思考・行動をするように訓練されたロボットの大量生産」のような「管理教育」の在り方が最大の問題点です。「学歴システムとその延長の就職・社蓄化」は、「面接で全員が黒スーツ着用」という奇怪な光景を、これもまた世界唯一の物として生み出しています。その最たる物は「運動会・卒業式などの予行練習の長さ」で、これは「集団秩序の形成の教育」ではなく、「集団・掟・お上・空気に従う事の教育」であって、とても教育などと呼べる物で無く、「ただ只管にそんな物だとして従う人を生産する為の制度」「過剰同調と、更に同調競争を育む制度」です。こんな事をするなら、幾らでも他に有意義な事が出来る筈で、無駄どころか害悪でしかありません。更に「頻繁にされる日本の教育制度の問題点の議論」に際し、この点への言及が少ない事は、如何に日本が視野狭窄と過剰同質性に陥っているかの証左です。塾には様々あって、効果や学べる事も多いですが、然し「枠や単一基準・それに付随する物」「やる物でなく、やらされる物」が日本に多い」とは言えます。そして「思考の組み立て」「複合的・発展的な思考」「哲学的思考」を育てるのではなく、「暗記重視」です。
よく日本の学生が「論理的思考・分析力・客観性や能動的思考が無い」「答えの無い物・未知の事に対処できない」と言われますが、幼少期の年代の導入教育として、これらと共に「単一基準の評価」「個性抑制」ばかりしていたら、「水平思考の無さ・視野狭窄」「感受性・精神性の摩滅」や、「無思考・無感覚・無興味の進行(或いは)非論理的な抑圧・社会的不合理への加担・従属」がされていくだけです。根源的に日本の教育は「自主的な思考・感受性や個性を伸ばす物でなく、枠・類型・基準に嵌める物として存在」しています。拠って「枠・類型・基準」「常識・通念」から「外れた物に視点が向かないように訓練され、視野狭窄・無関心にさせていく」という悪循環を形成させています。日本人・日本の子供は「他人と見比べることが多い」「多様性が少ない」「創造性が低い」「外れる事を嫌う」と言いますが、こんな「外部基準・マニュアルに沿う事」ばかり始終してたら、そうなるのは当たり前です。
日本では流行・ファッションは「みんながしてるから・他の人もやってるから」という理由で広がった物が非常に多いです。インタビュー時に「横の友達に"じゃない?""だよね"などと同意を求めながら話す人が多い」というのもあります。ファッション(装飾)・音楽などの「芸術的側面」を見ると、それは「自己表現・世界観の発露」ですが、これは「自己という物がない」「空洞的な存在」と発露しているのと同じです。同じような格好をして、同じような物を見て聞いて、同じように話さないと、流行モノを付けてないと爪弾きにあったり、空気が読めないとされます。
どの地方都市に行っても「似たような無個性で、美観的に優れていない空間」が広がっていて、これは「紐付き補助金・高度に画一化された役人感覚」で「似た箱物・設備が量産される」ことで、より強く推し進められています。このように学校~組織・集団~見る光景~流行から、「類型的な物・枠に嵌められた物」「規制の枠・外部基準の枠による物」が溢れ返っています。
でも一般の社会には、「これらを疑問に感じる心と、そのように至らしめる思考・感受性」自体が、「空洞化・内面が存在しない」「横並び・過剰同調」「権威や空気への隷属」「主体性の無さ」により「生まれて来ない」ので、「何時まで経っても、日本社会の酷い状況が終わらない、悪循環が終わらない、この状況の酷さにさえ気付かない」ままです。そして「マスコミに思考・感覚を委ねている」「テレビ・広告や、その延長の中身の無い会話によって得られた情報が自己の全てで、そのような世界だけが自分が存在する社会の全てである」ので、何ら「深く考える・感じる」「疑念が湧く」「改善思考・創造的思考を持つ」という事もありません。
世界的には一般的に、社会が声を上げることで、何かが規制・導入される事が多いですが、日本ではそういう仕組み自体があまり機能していません。なので諸先進国以上に、「社会全体に良い事かどうか」でなく「利権・思想・特定集団にとり良い事か」という観点が「社会を動かす・方向付ける力学」になっています。そして「この力学は非常に強く、多数が隷属している」ので、「非常に融通の利かない、硬直的な社会」「自ら修正ができない社会」となっています。然し大昔から日本がこうだった訳では全く無くて、例えば江戸時代以前は世界的にも色々と進んでいた部分が多かった訳で、これらは特に「近年において、自縄自縛的・自己中毒的に社会が停滞・悪化して、その中で顕在化してきた諸症状」です。
現代社会・現代科学では「エントロピー拡大(=乱雑性・破壊性の拡大)」の方向である「物質至上主義的・非共存的・強圧的にしているのが正解」であり、「組織集団が重視する共通語は金・権威・ムラ・組織論」なので、「人々の意識・関心や社会的方向は、常に低きへ流れていくように仕向けられている」という状況にあります。もうこれはが「家畜人間」「無自覚で自己中毒的な監獄社会」「無限の隷属・奴隷・権威の循環」と言われるような状況でしょう。ただ根は総じて真面目なので、これが根源的な部分で崩壊を防いでると言えるしょう。
何故このような事がいけないのか、波動原理による側面も含め、次のように説明できます「生物は生存本能があり、生存の為の最低限必要な自我なども存在する」「同様に人々の集合的な意識である集合意識も"生存本能的な性質"を持っている」「真理に沿わない集合意識が強くなると、その"歪んだ集合意識と生存本能"は拡大していき、それに人々は飲まれていく」「そしてその社会的悪弊・病巣は、益々怪物化していく」
これについては「利権の為」に、こう欺瞞的に言わないとならない。これは「核の為」に、こう言い換えないといけない。これは「利益集団の為」に、こう嘘を言わないとならない。これは「圧力団体の為」に、こうごり押ししないといけない。これは「権威の為」に、こう捏造しないとならない。これは「都合悪い為」に、徹底して無視しないとならない。これは・・・
そもそも職業の多くは「実入りがいいから」「安定しているから」「華やかだから」「コネがあるから」「そこしか入れなかったから」「何となく」という感じで選択した物が多いのが実態です。しかし組織に入ると「組織の利益・拡大・維持・正当性が絶対的な物」となり、「社会・日本・世界・地球レベルにとり良い事・成すべき事は、軽視・無視される」のが日常茶飯事です。
「非常に多種類・多量の有害物質」が「利益・金銭・組織・思想」の為にばら撒かれ続けていて、人体~環境~地球全体が汚染され・蝕まれ破壊され続けています。出来るだけ費用の掛かる事はしいのが、利益計上の前提で、「地球環境・人々の幸福と引き換えにした金銭的利益」は。過度な資本主義的社会において破壊的に顕在化します。この「負の費用」を考慮に入れない事で、様々な組織・人は距離を得て、それらは全て人・生物・環境・地球に押し付けられています。現代社会の力学では「金銭・組織死守」が「社会の為になる事」より上位概念で、「企業価値=金銭・株式価値=企業・人々の行動原理」であり、この世の中はそういう社会構造を基盤として存在しています。
このように現代は「全体利益・全体の幸福と、自己利益・狭い集団内の利益の、利益相反が起きた時」において、「例え日本が壊滅するような危険性が非常に高くなる選択肢でも、自己利益の為ならば、そちらを選択する」という事が、当たり前にように起きてしまう状況にあります。これはごく全く前提なしに考えるならば、「あまりに異常な状況」です。凄く単純な言い様でもありますが、全く字義通りに、誇張抜きに「あまりに異常な状況」です。
日本では個が尊重されていないので、会社・組織に忠誠心を尽くさせる、馬車馬のような働かせ方が横行しています。サービス残業も含めて労働時間は異常に長く、「そう決まっているから、上司・周りががそうやってるから」というので定時・先に帰れなく、「意味が良く分からない無給労働」を課されている事が往々にあります。家族との時間・自分の時間も無く、ただ只管に「労働の為・会社の為」に存在しています。
いつも「斉一性」「歯車になる事」「外部基準に従う事」が求められています。何故なら「そういう物だから」「それが常識・世間だから」「過剰同調しなくてはならないから」です。みんなで同じ事をしなくてはならないので、この社会というのは自らが、視野が狭くなる方へ、選択肢を狭める方向へ、未来を閉ざす方向へ追い込んでいます。それは「真の何らかの意味」「社会という物の存在意義」とは反対の方向でしょう。
長年のアンケート結果では「幸福度の実感度」が、世界平均と比べてもかなり低いと示されています。収入は先進国最下位レベル、少子化・価格叩き合いなど過剰労働の負の影響は各所に顕在化、然しながら「過剰労働の目的は経済・収入」で、正に完全な矛盾です。しかし「全体主義的方向」と「過剰労働」「ロボット化・隷属化」は一致、これは「ある体制」には「そうあるべきとする方向性」「都合が良い事」なのでしょう。
日本で起業が少ない理由には「"非本質的な事柄への要求基準"が非常に高い(因習の踏襲など)」「投資家の金銭的見返りへの要求度が高い事(アメリカは面白さ・独自さ・社会の役に立ちそうな事への投資が多いとの事)」「感覚のロボット化(他人と同じでないと不安)」「社会に遊びの要素が少ない(負の生真面目さ)」という要素もあります。「もっと財産があれば幸せか」を尋ねた9ヵ国アンケートで「日本は同意者の割合が高い3ヵ国の一つ(65%)」「6ヵ国は同意者は3割以下」、但しこれは超長期不況の影響も多いでしょう。
311後のブータン国王夫妻が訪日時、「日本を賞賛した事が多く報じられた」「然し現在の日本に、賞賛した(過去の日本の)事柄が残っているか」「ブータンは国民幸福度が非常に高く、自然を守り、伝統を守っている。これは意識・矜持が素晴らしいと褒めた」「では近年の日本は?褒められた事に浮かれ、ブータンは素晴らしい・好感度が上がったなどと言っているが、ならば今の日本をどう思うのか、変えようとしないのか(勿論全く開発しないなど有り得ない、適度なバランスが重要)」という状況がありました。311後には「金銭万能主義・物質的価値観・経済至上主義・利己主義・欲得への執着などの無常さ・無意味さ」が多方面から言われましたが、また以前の状況に戻っています。方丈記(鴨長明)には、元暦大地震(1185)の後の状況について次のようにあります「地震が起こった直後は、人々は皆「はかない」などと言って欲に塗れた汚い心も少しはきれいになっているように見えたけれども、年月を経るうちに、そういう言葉を口にする人もいなくなった。」
このように日本では長年、特に政官業など社会上層部では「論理(論理的な思考・議論・説明・提案)」が蔑ろにされ、しかも「感覚(精神・感受性・自然環境への親和感も含まれる)」も蔑ろにされ、この「人間・社会が持つ二大方向性:論理と感覚」の双方ともが蔑ろにされてきました。では何が重要視されてきたか?それは「空気・常識」「組織・集団・横並び」「権威と隷属」「金・利害・資本主義的志向を持つ諸々の事」「自己抑制・ロボット化・空洞化」等等です。元々の日本は決してこんな物ではなく、というよりもかなり素晴らしい物が多くあった筈ですが、然しながら「戦後若しくは明治維新以来、上部社会構造の根源的力学たるこのような方向性に、日本社会が徹底的に振り回されてきた」ことが、このような今日の異常な・惨憺たる状況を招いてきました。
これらはそもそも論として、「現代社会の根幹自体が、決定的且つ根源的な問題を抱えている」という事であり、このような社会が「幸福になったり、持続可能な状況で永続したりする」などという事は有り得ません。それどころかごく当然のように、「このような社会体制」であれば、「永続的に幸福・豊かなど、理想とする状況になる確立」よりも「原発事故・放射能を始め、様々な可能性による、日本完全壊滅の発生確率」の方が、「当然のように発生確率が、そのような状況になる蓋然性が、遥かに高い」です。この「あまりに異常な社会構造」を、「付け焼刃による状況改善」など有り得なく、「お為ごかしのやり方・発言」など全く無意味です。破滅を回避するには、「現代社会の在り様自体を根本的に変える」、これ以外に方法論はありません。
「波動原理の非公然の現況も数多の社会問題も、問題の根は基本的に同一」「偏りは必然的に意図を超えた悪影響を波及させ続ける」のであり、例えば「全体主義傾向の人が認識する社会問題の多くは、社会の全体主義傾向により悪化している」と言え、更に硬直性が伴えば社会矛盾・空洞化が促進、破綻へ向かいます。全体主義・権威主義なりの傾向を持つ人が、幾ら"これはおかしい"と言っても、その人の好む状況も「社会的偏向で生じる物」である以上、「個別意見は説得力が薄い」「全体意見は論拠・合理性が欠如」します。また幾ら"これで良い"と認識論で糊塗しても現実は不変で、根本的に在り方自体を変える以外に改善法は存在しません。結局の所「不公平な状況で、特定集団・思想だけ優位を保ち、社会が成功し続ける」ことは有り得なく、社会の改善には「各観念を超越、万事公平な視点を持つよう努める」しかありません。また「社会的方向・国家政策が真理と反する物」だと「溜まり続けたカルマによる社会の低波動化」を招き「地震など大災害での解放」が起きます。例えば「歴史的に柔軟に物事・思想を取り入れてきた(量子水に見られる親和性に近似)」事など、日本は元々良い面が多数ありますが、それらは「芯・軸の消滅・空洞化」「硬直化」により急速に摩滅し、また個々の事象の改善無しに全体状況が改善する訳が無く、現実に諸外国の進展に比べ後退化を繰り返し、自ら無駄に、そして非常に状況を悪化させています。これらが「近年の停滞・硬直化、利益維持・強化、社会分断化」を招いたのは明白で、また「日本は先細りする・衰退する」との認識が一般的である以上、ここから脱却するしかなく、若し固執すれば「大衆が無関心化・諦観・空洞化した、全体主義的な衰退国家」と化すでしょう。
「自然・大地・空気」は「生物にとって欠く事のできない物」「全人類・全生物・地球上全ての物の共有物」です。「相互尊重・互助」「愛情」などは「これなくしては、人間関係・社会関係がまともに機能しないほど重要な物」「人間として根本的に持っているべき物」です。例えば「何らかの勢力だけが有利になる事がない」ような、「常に社会が良い方向へ改善していく」ような「良い社会体制」は、「本来ならば、当たり前のように構築されているべき」「そうでない社会は常に歪さを抱えて、多くの人や環境に犠牲を出し続けていく」のは必然です。
これらの「全人類や全生物・地球全体が共有している領域」というのは、全ての人々の物であり、これは「共有領域・共有域」と呼べます。この「共有領域」こそが「人間や社会として最も大事な部分」「高度に達成すべき部分」です。
しかし現代社会は「共有領域は「等閑(なおざり)にされている」「個利個略を選択するのが当たり前になってしまっている」ので、社会全体が「共有領域と、それが存在し得る社会基盤を破壊するような方向にある」(あり)ます。それどころか「全くどうでもいい物とする」「既得権益を脅かす物とする」「対論側がよく使う概念だから」など「あらゆる理由・意図」で、「共有領域や、その状態改善の試みに対する阻害行為」「共有領域を、丸でゴミ捨て場や掃き溜めのように扱う」ような行為・言動が、非常に多く存在しています。
「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」という経済学用語・法則があり、「多数者が利用できる共有資源が乱獲されることによって資源の枯渇を招く」という現象を指します。自然環境は常に軽視・無視され、「共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」により破壊されてきました。上記のような思考法・現象は「意識・精神面での、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)」であり、「意識の劣化現象」「粗暴な利己主義」その物です。これは正に現在の社会が以下に酷いかを端的に表している現象で、このような社会がまともに存在できる筈はありません。当たり前のように、低意識だらけの状態(=低波動・破壊的波動)になる筈で、実際に現在の社会はそういう状況です。
「男性性:陽」「女性性:陰」と言え、「男性性」とは元々は「攻撃性」ではなく、本来は「活動的・創造的・実行」にあるのです。しかし社会があまりに酷く、そして過度な男性偏重の世の中が延々と続いてきた事で、バランスが極度に崩れて「善なる男性性が、攻撃性・攻撃的な集合意識へと変質、破壊性を帯びた波動となり」、その捌け口が様々な方向に向かって、人体・精神・人間関係・社会・地球を壊し続けてきました。
全ての人間の本質とは精神的な物である「魂」にあり、「魂」とは「不老不死」「神的な存在」であり、それは本来「高尚」「自由」「平等」な物です。外身の物質的肉体を持った人間は、その魂の「内在」「内発性」によりより高みに到達し、社会もこの部分を重視しなくては、決して高みに到達しません。況してや、その反対の方向の有象無象に依って生きていたら、低きに行くだけです。
明治時代、田中正造は「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。古来の文明を野蛮に回らす。今文明は虚偽虚飾なり。 私慾なり、露骨的強盗なり。」と語っています。南方熊楠は神社合祀政策に対して、往古から地域に根付いてきた基層文化の破壊と共に、鎮守の森が育む固有の生態系の破壊を危惧して、反対を訴えました。この運動には柳田國男なども参加、政策撤回を実現させています(多くが合祀された後ですが)。その後、社会は誤った方向へ行ってしまいましたが、こういった偉人のお陰で、どうにか現状程度には環境や文化が残されています。人間-社会-自然環境という関係性を考える場合、こういった観念こそが大事でしょう。
人間というのは「"社会的に規定された類型的な役割モデル"の中から何れかを無意識に選択して、それを演じながら大人になり、社会でそう生きている」、そんな風に社会心理学などで言われます。これは「集団」も同じで、「世界中の人間・集団は、世界的・社会的に規定された役割モデルを演じている」「世界・社会からの認識のされ方によって、その人・集団の思考・行動の様式は、かなりが規定される」と言えます。
この「世界構造の中で定義付けられた型」という物は「現在の世界的秩序や各国・各集団を大きく規定」していて、このマクロ的視点抜きに「各国の状況・構造とその背景」を正確に把握する事は出来ません。世の中の多くの事柄は両義的に存在していて、「自らの在り方・方向性」も「自らが選択できる物」であり、同時に「外部的に規定される物」「大きな流れが方向付けられている物」です。これは波動原理からも、そのように説明できます。
現代世界では欧米人は世界の主人で、例えば映画に登場する欧米人=「善人・悪人・一般人・スター・・政治家・芸術家・哲学者・社会運動家など、全てを兼ね備えた万能的な面々」として描かれています。そしてこれは「単にそういう物」というのではなく、「数多の背景と、重大な悪影響を帯びつつ存在」しています。このような【現代世界の「統治体制」「社会的認識・秩序」「人種・国ごとの役割論・ヒエラルキー」】は、自然と世界中の社会へ浸透、ごくごく一般の人々もこれに影響され、各種の基本的認識論が形成されていきます。
この世界構造により齎された物の1つに、【ある国・地域・人種の人々・事柄は「主人公的な集団・人種(Master Race)で、世界を統治する集団である」「良い事も悪い事も世界中で主要な事柄として報道される」「世界中を気に掛ける人々、改善する役割でもある」「他集団の人或いは世界は、その集団に従うようになっている」という無意識の世界的認識論・世界的体制ができている】という「現代世界の基本的・絶対的な構造・通念」があります。これにより【その集団には「広い視野で柔軟性を持った、世界中の問題点に目を向け改善しようとする、意識の高い人々」も多く生まれるように、方向付けられている】となっています。
逆に「下位ヒエラルキーとされた諸集団」というのは、【世界秩序・世界的体制の中で、何の役割も与えられず、云わば透明人間として扱われている】と言えます。そして【その国・地域・人種の人々・事柄は「良い事も悪い事も世界中で主要な事柄として報道されない」「世界中に影響力の無い人々」「更に言えば存在してもしなくても同じようだとされている人々」「上位構造の集団や、その集団が構築する世界構造に、従うようになっている」「絶対的なガラスの天井があり、その下部にしか存在していない」】となっています。
下位構造は半ば「無力・無意味」とされ、人々は「どうせ自分達は意味がない」「何を考えてもやっても同じ」と思い、既述の社会的流れと同様に【現在の世界構造は、下位構造の集団に対して「社会・人々の意識・在り方・諸状況を徹底的に低下させる」方向に働くように存在】しています。具体的には【社会広範や人々の「無思考・意識低下・無関心化」「或いは芯の無さを嫌がって、何らかの依拠する軸を欲して、権威主義が横行する」「無思考・無感覚の中で放置された存在として、非論理的構造が跋扈する」「世界秩序の面から、無思考化や視野狭窄の方向に訓練されてるので、何時まで経っても、問題の根源的な部分とその改善法に気付かない」「拠ってその社会は変わらず、低きへ流されたままになる」というように方向付けられている】というように顕在化していきます。
育児・教育での「DV」の1つとして「育児放棄(ネグレクト)」があります。赤ちゃんに対して父母が無関心であると、それはその時点でDVであり、多大な悪影響を発生させていきます。これは何も赤ちゃんに対してだけでなく、社会においても普遍的に発生する現象です。【世界秩序・国内構造・社会構造において「無関心な・大して扱われない分野・集団・事柄」が存在すると、多大な悪影響が発生する」というようになっていて、これは「社会心理学・集団心理」「マクロ的視点」から「人間・社会という物はそのように出来ている・形成されていく」と指摘できます。
拠って「現代の世界秩序」という物は、【下位ヒエラルキー集団の間・社会では「環境・自然」「社会・世の中の諸々の事」「世界中の自然・環境・生物・人々・物事」に対して「無関心化」「どうでもいい存在と思うような心理」を助長する物として存在】しています。そして上下関係意識の下では「上位構造の国・地域・人種の事柄より、下位構造の物事は無価値とされている」ので、「各種問題を下位構造に押し付け、厄介払いする」「下位構造・邪魔な存在に押し付ける事で優越感を感じる」という思考・行動が世界中で茶飯事として起きています。更に先述のように「低い意識においては、"共有領域"を尊重しない・蔑ろにする」という基本的傾向があるので、「自然・環境なり、精神的な物なり、共存に必要な諸事なりは蔑ろにされる」という状況が進んでいき、更に人々の心を荒廃させていきます。
このように【現代世界の構造・秩序という物は、その存在の方向性自体が「人々の意識を低質化させる方向性を有している」「世界・社会を悪い方向へ向かわせる」「これが顕在的に現れた国・地域・集団の間では、特に酷い状況を惹起、更に悪循環を起こさせる」ような物として存在している】となります。これを背景として【人々は無意識のうちに「世界秩序や、国内の社会秩序の、悪しき部分に様々に流されてしまっている」「意識を低下するように、視野狭窄するように、非柔軟・硬直的になるように方向付けられている」「これにより利己的になったり、問題の在り処に気付かないようになる」「世界的或いは社会的な集団意識(波動原理を含む)により、自縄自縛的に酷い状況・方向から逃れられないように仕向けられている」というように、様々な悪影響を現象面として齎されています。
この「人種間・集団間の役割モデルの社会構造」は、近現代を特徴付ける最大の認識論・構造の一つです。長年、国内の社会構造により隷属意識を植え付けられた日本でも、この認識論は非常に強固であり、メディア・街角などあらゆる場所でその光景が見られます。そして、日本とアジアなどは「世界構造の中で下位ヒエラルキーなので、低湿な意識・状況へ方向付けていく効果が齎されている」、更に日本は国内固有の問題点により「自己中毒的に在り方・思考・状況が悪化している」となっていて、世界中において「国内外で下位構造への問題押し付けは、際限なく続いている」となっています。
「自民族優位思想・文化優位思想」は、「若しも他国で生まれたら・他民族として生まれたら、その国・民族・文化を超越的として、他を蔑視する」という物で、波動原理的に「人間は多くが転生して、他国に生まれる事は茶飯事」なので、「国・民族が違うだけで、後は全部同じで、意識の低さも同じ」です。当然「国・社会により、その平均的思考の妥当性・誤りの程度は異なる」ものですが、でもそれは国・地域の事であって、やはりそういう思考の人は、個人として意識が低いです。そしてこれらの点は「その国・社会の意識の高低や成熟度を端的に表す物」です。
これら「世界構造の問題」「各国国内の大構造の問題」「社会・小集団・個人レベルの問題」ともに、その問題がある部分については、究極的には「全ては意識を低下させる物として存在」しています。社会とは人々の集合的な意識により決せられるのであって、人々の集合意識の低下とは即ち「この世を破壊に導く物・破綻へ追い込む物」です。結局の所、現代社会の在り方とは「長期的に社会を破綻させる方向として存在」しています。
そして意識低下とは、「非論理・非精神的・非感受性」「視野狭窄・非水平思考・非客観思考」「硬直性・非柔軟性」「過剰な利己性・資本主義的感覚」「物質至上主義」「破壊性」「非共存的」のような方向性を持ち、日常的に様々な状況において顕在化していきます。
日本においては、左右を含め各所に、非常に原理主義的・硬直的な思考が横行していて、例えば右側はネット・組織、左側は政党・組織に顕著に見られるように、「自分側でない物や論、相手側と見做す物は無条件に否定する」という論説・言い様が横行しています。例えば「XX新聞だからアウト(事実報道・事実報道に準じる報道でも完全に門前払いとする主張)」「OO="議論抜き・実質的考慮"抜きに"絶対悪・絶対善・絶対的事実・絶対擁護すべき事"とする主張」などが、無数に散在しています。
これは「非客観的・硬直的・視野狭窄」「物事を峻別して考えなく、全てを十把一絡げにしてレッテル貼りをしてお終い・攻撃する、という一方的思考」「公正に・整合性を以って考えなく、更にそれを同一思考の人々が原理主義的・或いは居丈高に主張するという基本的感覚」による物です。少なくともこのような「諸先進国の主流のネット言論の場ではあまり見られない物」は、それらの国より遥かに多く、拠って日本のネットでの主張のかなり多くは「非常に偏向且つ非論理的な物」が多くなっています。そしてこれは、特に近年顕在化してきた現象です。これによりネット・論壇その他において、まともに議論が成立せず、客観的思考がなされず、「全く非客観的・整合性が無い主張」「都合の良い部分を都合の良い解釈だけした主張」が横行し、これが(ここでも)自家中毒化して「先進諸国では"あまり無いような・極端な思考の人が行うような"主張の繰り返し」が行われています。
例えば左側の思考の根源は「日本は国内外で過去に多くの酷い事をした」「その構造は未だに残っている」「だから過去に日本が国内外で行った事は、大概が酷い事だ(ここから論理飛躍と原理主義化・非客観、以降思考が働かない)」「当時の世界の平均的状況と照らしても酷い」「これに反する論は問答無用で間違い」「そう言ってる人達がいるからそうだ」などという物です。右側の思考の根源は「日本が国内外で過去に行った事は良い事か、当時の世界においては平均的な事が多い」「だから日本も幾つもの国もここまで良くなった」「だから過去に日本が国内外で行った事はほぼ全て良い事だ(ここから論理飛躍と原理主義化・非客観、以降思考が働かない)」「これに反する論は問答無用で間違い」「そう言ってる人達がいるからそうだ」などという物です。
両側の論は部分的には正しく、その論には真剣に考慮すべき事や妥当な事が複数存在します。然しながら全体的には明らかにおかしく、片側からしか見ない偏向に満ちて、思考か硬直化しています。「諸先進国においては、社会の主流論の機軸的思考について、ここまでの硬直性はみられない」のであり、日本だけが突出して硬直していて、これで議論や思考が成り立つとも思えません。
これは「事実・真理を見極めようとする思考・感覚ではなく、ただ只管に教条主義・ドグマ的思考」です。このような非論理的な言説は、当然ここだけにあるのでなく、日本の各所に散在していて、
これで分かるのは、特に日本では問題は左右の何れかでなく、「日本に多い思考法・議論法」にこそあるのであって、それを齎す「日本の根源的構造」その物にあると言う事です。日本の問題の根源は飽くまでも「非論理的思考・非客観的思考・非水平思考・・・」などにあるのであり、結局は「(先述の)日本の問題点の根源的要因と、全く根は同一」です。
ここでも見られるように【日本固有の問題点とは、本質的に「個の抑制」「過剰な集団優先主義」「右へ倣えばかりをさせ続けている」という所に存在している】のです。だから「論理的思考が苦手」「官僚用語(海外の官僚と比しても明確)やディベート時にみられるように、判で押したステレオタイプの意見が多い」などの顕在的状況となっていきます。
日本は歴史的にずっとこうだった訳ではなく、これは「日本の近代以後の統治体制の負の部分が、長年かけて齎した状況」です。そしてこれは、日本人の個人レベルの性質というよりも、「日本において集団時になった時に、特に顕在化する状況・症状」です。それこそが「集団第一主義・個の抑制の、典型的な症状の現れ方」です。
この日本の根源的問題点故に、「物事を細部に、客観的に、水平思考的に見る事をしない」→「論理的思考をする、感覚も伴わせるという事もしない」→「(どこかの・何らかの思想の)紋切り型の類型的思考・同質的思考にばかり依拠・同化する」→「幾つかの類型的な論説が、原理主義的に各思想を持った支持者に称揚される」→「この原理主義的論説の数説が、まともに相互議論される事も無く、同時並行的に存在する」→「各論説と思想が原理主義的・硬直的になり、暴走・怪物化していく」→「一方、集団優先主義であるので、常識・空気至上主義も横行していく」→「まともな議論・思考が存在しないので、"何かしらの権威"が跋扈して、非権威の一般人はそれに隷属する」→「これらにより日本の様々な場所で、自己中毒的に原理主義思考・硬直的思考や、低レベルな非論理的思考・空気優先主義・権威が横行する」→「"個"の部分を否定しているので、"過剰な集団思考が惹起する無思考・権威隷属という日本の根源的問題点"にいつまで経っても問題の根源に気付かない」→「自己中毒的に社会全体が歪み続け、各種の末期的現象が現れ始める」という経過を辿って、社会広範において意識・状況を低質化・悪化させています。
長年日本では「一般社会でも芸能界でも、やたらと若い子をチヤホヤする」「それを利用し、媚を売ったり、ある種痴的性を武器にする子が多い」と言われ、その奇妙さは諸外国からも指摘されてきました。この影響により「(伝統的分野でない分野の)文化的成熟や、思考・感覚の高度化がなされない」「奇妙で幼稚な幼児性の蔓延(人間の中の子供的・少年少女的部分でなく、ある種痴的である事を、モノ的に持て囃し、年をとると使い捨てる)」という事が蔓延してきました。
然しながら逆に「政治家・社会上層部やその実力者は、高年齢層の人で長年固められてきた」「男性・高学歴・高年齢・ムラ住人」「同じような様相・容貌・界隈の用語」というように、「社会の逆の位置の部分」はこのような感じの一色で固められてきました。これにより「非常に硬直的・融通が利かない」「実質より肩書き・権威・ムラでの評価実力」「界隈特有の論理の横行」「改革志向の否定・ムラと利権の増殖化」が行われてきました。
この極端なほどの差は、正に「長年の日本の低質な部分の丸写し」であり、長年の「非実質性・空虚さ」「虚構性・本音と建前」「非論理性と非感覚性(論理的に考えておかしなシステムで、精神・心から見ても異様で、それらを蔑ろにしている)」等々によりもたらされた、非常に異様な状況です。
これは先述からの「世間や空気による支配」における「一つの究極的な姿」であり、「ある面においては、例えば社会中枢では、非常に権威主義・硬直的・観念的」であり、また「ある面においては、例えば資本主義の悪い側面が露呈する部分では、非常にカネや物質志向に偏重(常に消費性向の高い層・若年層向けに、空疎な情報を垂れ流し、それが常識だと認識させ埋没させる。これによりTV・メディアなど視認性の強い部分は、やたらと空疎な若い子向けの情報が蔓延)」という力学に支配されています。これは「悪しき2つの力学が合一した社会システム」であり、「カネ・物質(と白痴化)と、権威・権力に基く各界隈の空気が、社会各所を支配する・従属させる」ことにより完成された「日本社会の自己中毒的な病的状況」です。「(海外権威も含め)あらゆる各種権威への従属」も「同様の思考・空気・力学・システムによる物」であり、「権威構造の上層部・中枢と、それを利用して地位・権威・利権に安住しようとする寄生的中間層と、権威システムの下部構造の従属者による維持・強化」「自己・内面を無くさせる事による、社会の無脳化・空洞化」が起きています。
しかし、若しもここで「個人個人の個の部分(感覚・精神・思考)が重視・尊重されている社会」であったら、「こんな硬直性も、空疎な情報も嫌だ、そんな物に従属したくない」「どこかのムラ・界隈にとって都合の良い、カネ・物質や、権威・権力よりも、中身・真に意味のある物でしょう」という認識が、当然の事として草の根的に広がっていき、こんな様相には決してなりません。これら「カネ・物質と権威・権力を妄信」「空気に従属させよう・しよう」という社会的力学は、「このようなシステムを社会に作り上げ」「このような思考・認識・状況にさせ」「更に空気を絶対的主体とさせる事で、それに反駁させないようにさせていきながら、且つ内面も空洞化させ」「この低質の状況を、硬直的に固定させる事で、社会を疲弊させ」「破綻の方向へ」と追い込んでいます。
「それらが当たり前の世の中」ならば、どんな酷い・おかしい事でも「常識・前例・権威・空気・お約束」が「絶対的基準」であり、どんなに正しかろうと「対論側・異端・改善論」「思考・認識・方法論・体制に変革をもたらす物」は「排除」されます。しかも現代社会は「社会の行動決定要因は利害感覚」になっているので、尚更酷い状況になっていくのは至極当然、これらを「思考の基準・行動規範・絶対的価値・マニュアル」としてたら、社会がおかしくならない訳がありません。
これが「諸悪の根源」「世界中全ての問題の最大の要因」であり、更には「日本に特に酷く蔓延る諸悪の根源の要因」です。そして「当たり前の事を言う事、行動する事、その内発的動機の、考える・感じる・思うという行為を抑圧させ続けてきた事」、これこそが「諸悪の根源の、更に根源的な問題点」「諸悪の根源中の根源」です。
社会の回復には「持続的改善機能の内包」が不可欠であり、今必要なのは、過去の縛りの含意がある絆よりも、「より良い未来や可能性を見据えた、建設的な意識の広範な連帯」であるべきです。認識論は急変し得ても、制度変更は時間が掛かりますが、旧弊的な物の比率を徐々に下げて、より良い制度や在るべき状態へと徐々に移行して、中期的に概ね変える事は容易にできます。また、波動原理普及の確定後の考え方として、従来は割合的に「個人・個々の属性より、社会の全体的バランスに帰する問題」が多かったので、拠って「全体的バランスや多様な社会的機能をどう担保するか」「統合的視野により、国・社会・人々の資源の効果を最大化する方法論(権利・ムラ固執から大同へ)」「社会が抱える間違え易さをどう補正するかという機能」「個人・共同体・社会・国・環境・全体の相互関係性をどう考え、良い状態に保つか」「空気支配を止めて、"感覚と論理""個と社会"の両方を重要視する」など全体論が重要だと思います。
あらゆる波動は「全量子はそれぞれの波動情報を保有」「波動はその事物の情報その物」「波動は"ホログラム・周波数パターン…"などとも表現される」→「全量子は他の量子と影響・共鳴しあっている」→「"一帯の周波数上昇、体内波動の上昇、意識上での特定波動・高波動への焦点合わせ・・・"などにより、高波動の情報が、他の対象に投影・転写される」→「共鳴が起き、"一帯・場・体内・意識・・・"の波動が上昇する」とのように波動上昇していきます。そして「波動原理の基礎」は「距離が近い物は密接に共鳴・関連しあう」「同時に非常に遠くの物とも関連しあう」「共通要素が多いと密接に関連しあう」「全体は有機的に連繋しあって存在している」「2つの対象間の波動的関連性や、他の対象に与える波動的影響力は、"距離×波動の強さ×共通要素"」という物です。また「高波動・良質な波動と共鳴すれば、波動は上昇する」「低波動・低質な波動と共鳴すれば、波動は低下する」「低波動の環境・言葉・意識・・・に囲まれていると、それらの波動が体内・意識に投影され、DNAに刻まれる」などの作用を齎し、「波動低下は、天災・カビ・病害虫・物質劣化・心身の病・酸化など様々な現象として顕在化」します。
この波動原理を敷衍して考えると、「波動の特性と同様に・近似して、物事や世の中も存在している」と言えるでしょう。例えば、物事は「波動に近似する本質性と、現代科学に近似する現象界での概念の、双方が両義的に存在する」「100か0かでない」「デジタル的でなくアナログ的に存在している」「各要素(構成する波動)に別れ、関係する要素と影響しあい、更に全体とも繋がっていて、状態が流動的に変化していく」「人間と人間以外の意識が全てを決している、未来の状態は意識で変わる」「論を展開する時は、波動の組み合わせで場が存在するのと同様に、個別論拠提示と統合的論述の必要がある」と言えます。
また「主たる基底状態・ホログラム・事実、イデアとしての過去・歴史・往古・原始や理想的・完全な状況」「従たる認識論・短期的現象・現状、意識による状態変化とブレ」「本来的には事物・生命は対等に存在しているが、現象界では概念の認識上の問題として、序列化がある程度必要になる」「本質性と現象界での概念の方向性が相反する場合、本質性が優位であるだろう」など、万事における認識法の進展・整理も進むでしょうし、今迄存在しなかった概念も沢山必要になります。そして「周辺地域や自国の事は先に解決すべき事項として大事」ですが、同時に「地球・世界全体も大事で、自分達の事」であり、しかし物事は「本人達の主体的な覚醒がなくては上手くいかない(能動的に高波動へ意識を合わせる)」物であり、そして「地球や世界全体の状況が改善して始めて上手くいっていると言える」でしょう。
斥力・半重力は「重力的・重し的な力学と対照的に、人・社会を固定観念や縛りから解放する方向性として存在している」と言えます。従来社会は「従来科学に近似して、重力の特性により、低層方向への固定化の力学が強かった」ですが、これからの社会は「波動原理のゼロ点・斥力に近似して、様々な縛りから解放され、社会構造が開放的になり、意識が上昇・覚醒する」と想定されます。先述のように「波動や量子水に見られる性質」を考えると「親和性・柔和性・柔軟性・融合的・共鳴的・相互的・・・」=「高波動の状態」「波動原理に沿った在り方」ですが、上述の「社会的硬直性や原理主義的思考法は低波動状態によって起きていた」と言えるでしょう。
神道の基礎概念に「穢れ・禊」がありますが、これは「人間・社会・環境は穢れやすい」「禊=浄化が必須」だからです。「穢れ」=「低意識が齎す低波動」+「低波動・低波動の物質(汚れた事物)」と言えますが、「穢れ」は「物質的な汚れ」より「低い意識・人為的」との意味合いに近く(罪は人為・汚れは現代物理的・穢れはこの中間)、正に「低意識が齎す低波動」「社会が陥っている問題点とその要因」を指していて、「金・利己主義・物質主義・権威・力・抑圧・不公正・不公平・理不尽さ・・・の横行・押し付け」は「穢れその物」です。そして「波動原理・量子論的に、穢れという物・概念は、科学的に存在する」「社会が穢れていると、短期的~超長期的に、甚大な悪影響を及ぼす」「拠って社会は穢れた物ではあってはならない」「穢れた社会構造は、禊・浄化・改善により解消して、常により良い社会を構築していかなくてはならない」といえます。
最重要の観点は「普遍性」「普遍性という基軸」だと思います。個人の思考・感覚・意識と社会の中心軸において、これがあれば・重視されていれば、あまり大きな問題は起きなく、状況は改善してゆくでしょうし、良い物・素晴らしい物が沢山生まれてゆくと思います。波動的な科学を基に考えると「面白み・知的好奇心・遣り甲斐・必要性を感じる事柄は今までより遥かに多い」「それらが全て繋がっていく」ので、これらを次々と繋げていって「有意義な意識・行動・興味の拡大再生産」が永久的に続いていくでしょう。
「真の科学」の上では「人間は崇高な役割」=「個人~社会~地球・宇宙の波動上昇と全ての幸福」があり、本来は「善性」「関心・興味」「環境や社会の構築・改善」が連鎖していき、人はその中に「肯定的な意識・生き甲斐・充足感」「楽しみ・面白み・興味関心」を見出していく永続的循環が起きている筈です。しかし「従来科学の甚大・根本的な欠陥・誤認と、これに基く個人・社会の認識論」の影響により、「目的喪失・虚無感・アイデンティティークライシス」「利己主義・権威主義・物質的価値観万能主義」「低波動の意識の共鳴」という負の連鎖に陥って、社会・心が疲弊・荒廃していきました。人や社会は「生きる意味・生まれてきた理由・存在する意味」を探す物ですが、従来社会の多くの問題点は「積極的・肯定的意味はない、ただ存在するのみ」との結論へ導かせ、「狭い範囲の興味関心や独善的思考」「物質や欲望による心の隙間の穴埋め」へ向かわせがちで、「モノが沢山無くては、刺激が強い物に囲まれてなくては、欲望を次々叶えなくては充実感が無い、そればかりを求める」「やった者勝ち・言った者勝ち」という状況を産んでいました。
「競争論」とは必然的に「何らか"物質的価値観・上下関係志向・権威・力などの価値観・判断基準"の絶対化」「基準への隷属化」を招き、「競争的概念にそぐわない概念・事物(自然・草の根的な社会末端部の伝統や歴史・その他)の軽視・破壊・消滅化」を起こさせます。「競争」とは「自己と他の存在を区分け」「その上で、他より上回る」という概念であり、「己の側は"自己のみ・同じ属性のみ"と看做す」「"狭義的な自己を優先"=利己的」「物質的な判断基準・力的概念の信奉」「自然などを"他の存在・どうでもいい存在"と看做す(=他者・第三者的存在の軽視)」「自分には関係ないという思考(関係ない=共感能力低下=共鳴能力低下現象)」「硬直的思考・原理主義的思考("自論>対論・柔軟な実質思考"との固定観念)」を助長させる方向性を持っています。
「社会基盤=競争論」であると、「金・権威・注目度の獲得」が関心の中枢を占めるような思考様式が多くなります。これにより「社会全体に不利益になる事(汚職・暴力・コネ・ごり押し・中身の無い宣伝」等々がそこら中に横行して、「不正義・軽薄化・虚無化・不安化・厭世」など否定方向の力学を与え続けます。この概念は「際限なき破壊・欲望・闘争の繰り返し」を起こさせるだけであり、結局「競争論・物質的価値観が蔓延する社会では、真の幸福・改善・調和・理想の実現は絶対不可能」です。競争は「任意の時・場所において、競争に同意した人同士で行うだけで充分」であり、これを社会の機軸にするのは間違っています。永らく日本・世界はこれらの概念を機軸に廻り続けていて、そこでは「破壊性の横行」「調和の蔑ろ」が当たり前の事として起き続け、これが「心・社会・人生・世界・地球・自然環境・真の価値」を蝕み続けてきました。
また(項目6③マスコミや音楽の段にあるような)「時代性・新規性等の過大視」「普遍性・本質性の軽視」は「自然な姿より、金を掛けたコンクリート漬けの人工化」というような社会的力学の原動力となっていて、「どんどん金を産み、消費し、また金を産み、競いあい、変えていって、新しくなければ気が済まない」という果てしない社会状況へと追い立てています。「今まで人々が奥底に感じていた"理不尽さ・馬鹿馬鹿しさ・白け・虚しさ・やるせなさ・諦念・厭世・鬱屈・怒り"の多くは、これらに起因する」と言えます。
「社会・経済・企業の歴史と現況」を見ると「企業寿命は25年50年と言われ、100年以上続く物は僅か(100年でも地球・人類の歴史から見れば僅か)」「近い将来世界同時デフォルト・日本政府デフォルト・大国やEUのデフォルト・世界大恐慌のいずれか、又は全てが高確率で起きると予想されている」「そうなると企業利益や、多少の経済変動(例えば原発稼動分)どころでない」「そうなると多くの富豪も貧民になったり、資産が激減する」「いつの時代も相続税・借金等で遺産は大幅に減る」「金銭・権力固執の大要因は遺産残しだが、上記理由で殆ど後代に資産継承されない」「仮に継承されても直系・長男への継承で、次男以下・女性には大して残らない、その子孫に継承されない」「拠って低い確立で資産継承できても、直系子孫以外は全員貧民化する」と客観的に言えます。そして「直系子孫も資産・地位維持に苦労する」「その固執の為に、利己的行動・思考を行う必要が出てくる」「意識も低めにする必要もある」とも言えます。
それでも尚「金銭・権力や遺産残しの固執に大きな意味がある。他を犠牲にしても行うべき」でしょうか。あらゆる要素を比較考量したならば「固執は非合理的」「多数がこれを行うと社会は悪化するのみ」と言えます。その上で、果たして「本当に子孫にそのような社会を残したい・残すべき」と言えるのでしょうか。人間・人類・社会は「何かしら意味ある事をしたい」「良い物を築きたい」「子孫達には良い社会・暮らしを残したい」と思う物ですが、「そのような社会が理想なのか?」という事です。とは言え「個人単位では資産が無い事の不安(生きていける程度の)」もあり、拠って「社会全体が金銭・権威等によらない物になる」以外に解決法は無いでしょう。
また利権に固執する人達がいたとして、「その利権の維持を社会が認めるならば、他のあらゆる利権を認めないと整合性が保たれない」「世の中が利権だらけになれば、あなた方にとっても、全体的には経済的損失の方が大きい」「若しあなたが利権を失ったとして、そのような世の中に暮らしていると、経済的損失は莫大になる」「理不尽さなどから来る、精神的ストレスは常に甚大である」「そのような世の中は、経済的にも社会的にも存続不可能で、精神的に厳しい」「それでも従来社会、そういう仕組みだったので仕方なかったが、これからの世の中は、金銭・経済に過度に依存しなくても、充分に暮らしていけるだけの"社会的基盤となる技術・科学原理・思想・体制"が築かれていく方向にあるのは、波動原理の意味合いからみて間違いない」「今後の社会はどう進もうとも、結局の所は"利権が存在し得る社会的基盤"自体がなくなっていくので、目的たる金銭・権威も得られなくなっていく」「どうせ無駄なら、元々気分的にも嫌な事なのだし、早めに止めた方がいい」となりますが、それでも尚且つ利権に執着したいでしょうか。
「自らの先々と、親族と、(自分の血を継いだ)子供や孫など、ごく少数の内輪の範囲」で考えても、そのような世の中になってくれた方が、「貧しくなる可能性はないし、病や不本意な事柄で落伍する可能性もないし、無駄にキツい労働(強度)に追われて人生が終わらなくて済むし、気楽だし、興味深い事や面白い事が沢山有りそうだし・・・」などメリットだらけで、デメリットは「(永続不能な)自己の優位状況の放棄」「従来のネガティブな思考法の放棄(否定的な関係性を他の対象に押し付ける事・対等性や相互性の拒否)」くらいの物です。大体「否定的な思考だらけという人はごく僅か(誰しも、自分の一部にそういう部分があるだけ)」「それも、好き好んでそういう事をやっている訳でもない」のだから、そんな状況になるなら願ったり適ったりで、別にそんな世の中を否定する意味もありません。結局「社会が現状方向に、物質主義・権威重視・破壊方向が過剰な状況が続いていく限り、これら根源的疑問・苦悩や悪影響は永遠に続く」と確定的に言え、「この方向から社会全体が完全脱却する」以外に、良い未来など有り得ようがないです。
人・集団は「自分・自分らだけが損をする」と思うと立場を固執しますが、「全ての立場・思想・論が公正な視点から判断される」「右⇔左・保守⇔革新・上⇔下・国内⇔海外諸国の全ての論が、それが不合理であれば、著しく脆弱化する」訳で、そして社会が上手くいって建設的に進むのであれば、大方が「それならば、まぁいいか」と受け入れると思われます。「311後の状況」「茹で蛙・赤信号みんなで渡れば怖くないとの表現」に端的に現れているように、「皆が不利益を蒙っているなら、それを齎す社会情勢を間違いを受忍してしまう」という心情がありますが、「一人だけ損するのは絶対拒否」「全体状況が変わる中で、自分だけ劣後するのは不安」というのも心情です。「何もかも変わり、良くなっていくという社会全般の感覚」「何処にどのような社会的欠陥・問題要因があったのか、如実に認識される世の中」「個々人に省みる事を促す雰囲気」「問題行動をし辛い世の中」「社会も周りの人も変わり、波動も上がり、固執すれば自分だけ取り残される状況」を前にして、「何年・何十年もずっと固執し続ける人がどれだけいるのか」という心理問題でもあり、「波動理論から認識すれば答えは自ずと明らか」「従来社会のどこを改善すべきか分かりやすく明示される」「明快で簡単で当たり前の事」です。また金・利権の固執は「自らの蓄財以外に、子・子孫への遺産残しが理由」ですが、「三代経てば資産は無くなる」「あの世に金は持っていけない」と言い、今後は「金があまり要らない」「金銭的価値感の低下」に向かいますが、結局の所「3代以上先の子孫は裕福でなくなる」訳で、「金で充足感が決まる社会に生きたいのか」「そのような社会を子孫に残したいのか」という問題は残り続け、「何の為に固執するのか意味不明・自ら疑問を感じる」との状況が年々深まります。更に「カルマ・転生・子孫への影響」を考えると「利権・金・権威への固執の無意味さ・弊害」を痛感し、そのような人は激減していくでしょう。
「非調和的な思考・状態」「社会の硬直化や各種の壁」は「日本の波動低下・程度の低下・疲弊」を引き起こし、これが「原発事故・事故後の状況・各種の社会的悪状況」を起こしました。先述の「社会上層部・中枢部(政官財その他の多く)」「原子力ムラ」「科学界ムラ」「マスコミ・テレビ・芸能・音楽etcのムラ」などに見られるように、「硬直性」「組織力学横行・組織論踏襲」「過剰同質性」「個の非確立」「自由思考の少なさ・類型的思考・視野狭窄」の度合いが高い界隈は「状況悪化・後退化」「金・利権・権威などへの固執」「閉鎖性・非建設的思考・非改善思考」「どん詰まり感」などが顕著で、どの業界・界隈を見てもこの相関関係は完全に一致しています。これは「これらの傾向が日本の最大・根本的な問題である事」「業界・界隈・組織のあり様による自家中毒的な悪化」を如実に示していて、更に「他の業界・界隈との相乗的な悪化」「日本上層部の在り様を硬直化」させています。
そして中でも「著しい男女格差(各種統計で常に先進国最下位・世界的にも下位)」は「社会の硬直化や各種の壁の最大要因」であり、即ち「原発事故を含めた各種悪状況の最大の社会的遠因」です。当然の事ながら「在るべき状況や高波動の社会」と「男女格差・他の全ての理不尽な格差」は完全に背反し、「自己集団に優位な状況の押し付け」とは「相手集団への独善的思考・行動の強要」「相手集団の存在自体の非受容」で、「特定集団の優位状況」とは「格差その物」であり、「このような意識・状態が蔓延るだけでも天災や各種状況は悪化する」ので「理不尽な全格差の是正」が必須です。各種事柄が理不尽かどうかは個別判断が必要で、理不尽でない差も有り得ますが(社会は必然的に段階的発展があり、相互性も必要)、「論拠の無い優越思想・独善性・利己主義・権威主義」に基く「男女格差」「日本に先住するヤマト民族・琉球民族・アイヌ(その他先住少数民族)の間の格差」は「明白に理不尽その物」です。
例えば「母性=愛情・優しさ」「女性性は共感脳が発達している」と言われ、「豊饒な実りを齎す母なる大地」「地母神」と言う表現・言葉があります。これは波動的に考えると「人・生命・自然・大地・地球に対して、調和的・愛のある波動を発している」となり、それは高波動となって、「健康・人間関係・社会の改善」「有用生物の増殖」「自然環境の改善・浄化」「災害抑制・穏やかな環境にする」「世界・地球の状況の安定化・向上」を齎します。世界は永らく男性の圧倒的優位で、「女性の存在・権利は、本来の人口比(50/50・或いは51/49)を、大いに逸脱した分しか認められていない」という状況が続いてきました。あらゆる「理不尽な格差」は、波動原理からみると「社会・世界・地球の大幅な波動低下」を齎し、「精神状態・人間関係・社会状況の歪な状態」「自然環境悪化」「災害増加」など「あらゆる不利益・不幸・災厄の拡大」を招きます。このような波動的な状況を是正するには、その一つとして「あらゆる理不尽な格差の是正」が絶対に不可欠です。それ無しには「いつまでも人類・社会は、自らが作り出した不幸に苛まれる」でしょう。例えば、波動原理に沿って考えれば「浜岡を停止したから、3連動地震や富士山噴火がまだ起こらずに済んでいる可能性がある」と言えますし、しかしカルマは溜まっているので、まだ日本が破壊されるような危機が起きる可能性は充分にあります。
そして「有象無象のどうでもいい事」に終始したり、「何かを破壊して利己的・虚無的に何かを得ようとする観念自体」が減少していき、「不合理さや理不尽さに割かれてしまう時間・思考・労力・面倒」も減少していき、これらは最終的には無くなるでしょう。どう紆余曲折しても「悪も善も、もう隠れるところなくなるぞ(日月神示)」という方向に変わりないので、20~30年単位で見れば、そのような行動自体が殆ど表に出て来なくなるでしょう。云わば「現在は原始的社会レベルの最終段階にある」と言え、「波動原理の存在と意味合い」「この因果律が未来永劫、宇宙の全ての場所で不変だと認識される」「人々の認識論の形成のされ方」を考えると、「一旦レベルが大きく上昇すると、もう大きく低下する事は無い」と考えられます。そして「人間が本来的に望んでいた"善性が主導する世の中""良い世の中を実現化への貢献"」への流れが加速、、何時の日にか、遂にはそれが実現する日が訪れます。
「あらゆる立場上・体面・危害などの利得損害や上下関係」⇔「善性・壁を設けない思考・集合的叡智」という方向性において、従来では前者に引き摺られる傾向がありましたが、「宇宙全てを決定付ける因果律の原理」「その存在と意味合い」が認識されれば「後者が上回る傾向に導かれる」のは当然で、また人は「無意味な事より意味がある事」「生きる意味を感じ、社会を良くしたい」と根本的に望む物であり、「それが叶えられる世の中」になれば「趨勢が前者に戻る事は無い」でしょう。そして「遅かれ早かれほぼ全ての人が分かる」ようになり「急速に人々も社会も意識が向上する」でしょう。
今までは「科学原理と作用と因果律を知らなかった」訳ですが、「皆が知った後は、違うように生きれると知った後は、今までと違っていても社会が成立すると知った後は、そして物事を俯瞰して見れるようになった後は」、人々はどう考えるようになるでしょうか。どうせなら「永続的ではない有象無象」「刹那的存在のカネ・モノ・コト」「子孫・後裔に残る訳でもない金・資産」「力だの権威だの地位だの体面だの」「誰かにとって都合よい考え方」に依って生きるより、「普遍的なコト」「自分にも・周囲にも・他の人にも・社会にも・子孫にも・自然環境にも悪影響を与えない物」「精神性・内面性」の近くに在る方がいいな、と思うようになるでしょう。そして、若し多くの人がそうなれば、その方が「自分のとっても、他の人にとっても、嫌な思いをせずに、嫌な事をせずに済む」「不要な緊張・精神的磨り減りがなくなる」「ある意味緩くて、でも深くて」であり、「社会が無理なく発展」「他所・後代への悪影響も残さない」「最大多数の最大幸福」「自分にも・周囲にも・他の人にも・子孫にも・自然にとっても幸せ」です。
また従来は「赤ちゃんの高波動状態から、年齢と共に波動低下・低意識に同化」していきましたが、特に「波動がまだ高く、感受性が高く、思考が柔軟な子供・未成年世代」の変化が真っ先に現れ、世の中が良い方向に塗り変わっていくでしょう。「思考・感覚の可塑性・柔軟性が高い」時期の子供達は「あらゆる知識分野や周辺環境」を「統合的に認識しながら物心が形成されていく」ので、「人文系・理数系ともに、勉強に際して従来よりも分かりが良くなる」でしょう。これは初期認識から「幾何学的な形態は、数学上の○○は、こういう物質は、歴史・伝統上の○×は、言葉・文字・想いは・・・このような意味を持ち、こういう効果を生じ、こういうふうに影響していき、森羅万象を形作っていく」という状態で成長していくので、「あらゆる事物を有機的に連繋して認識」「事物の意味合い・性質・立ち位置」「概念の把握(数学的・空間認識など)」を獲得し易いからです。従来のように「波動低下・硬直化」「非感覚・非論理」「非調和性」「過度な物質性・暴力性」に染まらずに、成長過程で「高波動を持続し、高次な意識・認識を獲得」すれば「個人・社会において、このような方向性が形成されていく」のは必須です。
時代を経ると、端的に「覚醒後は、一定レベル以下の思考行動を、愚かしい・虚しい・意味ないと感じる」「中身が無い物に興味がなくなる」ようになるでしょう。これは別に「仙人じみた感じになる」などというのでもなく、例えば「普通に娯楽も享楽も好きだけど、でも一定レベル以下の事には興味ない」「関心が移動する」という具合でしょう。「量子・波動が穢れる」→「DNA・魂的な物・自らその物が物理的に穢れる」→「転生・子孫・周囲に後々、重大問題が生じる可能性が高くなる」という認識と、「積極的につまらない事に興味を持つ」という感覚は両立しません。そしてこのような感覚においては、社会に対して「金銭・物質⇔精神・自然」「力・権威⇔調和・共存」のどちらを望むのかは自ずと明白で、後者の方向を見据えながら、社会・環境・心を回復させていくでしょう。
「自らの思考・自らの言った事・自らの行動は、量子・波動上に記憶される」「それらは量子上・波動上の情報として、ずっとついて回る」「それはずっと、少しずつ、何らかの影響を及ぼし続ける」「その影響とは、云わば因果応報的で、どのような現象として現れるにしろ、全ての事は自らや周囲に返ってくる」というのが、科学的原理によって、宇宙のあらゆる場所で起こされる効果・現象です。
だから「真理から明らかにずれた事を、悪意もこめて言った」として、「その言葉・行動は自らの波動に記憶される」「その穢れは自らの一部になる」ので、「言い捨て・書き捨て・行い捨て」という事はできません。どんなに「強引に誰かを言い包めた」「押さえ付けたと」「社会に誤った政策を実現させた」としても、それが真理とずれているならば、「それは波動的には、間違った物として、低質な波動・情報として記憶される」だけです。何をした所で「否定的なことを、言って・やって・思って、当座の精神的満足を得た」ことに過ぎず、然しながら「引き換えとして、波動にやった事が記録される」ので、全然割に合いません。
そして更に「真理が社会的中心軸になった時代以降の世において、覚醒した状態にある後代の人達に、客観的・俯瞰的に判断される」「後代から白い目で見られる、愚かだと思われる、どうしようもない思考だと看做される」という物でしかありません。その種の行動は結局の所、「自己・周囲、同質の思考・イデオロギーに対して、長い目で見れば、自縄自縛の行為している」「その時期になるまで、自らカルマを溜め続けている」「何れ何倍にもなって返ってくる行為をしている」ことにしか過ぎず、「後世になれば、それら全ては反面教師として見られる」「こういうことは良くないね、という考慮材料とされる」だけです。それは「世界中の歴史的事象の幾つかへの、現代人の視線と似ていて、更に真理を通した透徹した視線で、ブレがない物」でしょう。例え今、何を言っても、無理に何かを押し通しても、「全ては未来の高い意識の人々、真理に沿った人々に判断される」だけで、更に「意識体(魂・目には見えない存在)」「宇宙人(若しいるならば)」「真理・普遍性」からも、同じように判断をされています。拠って「どんな言質も誤魔化しは不可能であり、様々な存在と歴史と真理から、全ての欺瞞は見透かされているだけ」「誠実である事が大前提」です。
そのような時代になれば「低質な思考・言動は、応分に自らの身に降りかかり、戻って来る」というように帰結され、その後も量子・波動・DNAに情報として残ったままとなります。そこに刻まれたからこそ、人は過去を思い出します。そして「そのように低下してしまった波動を向上させる」には、「それが早かろうが遅かろうが、結局は自らが向上していく、心底・根源的に考え方を改めていく、という事でしか、実現はできない」のであり、「時期は遅くても波動向上は可能だが、嘘・虚飾・欺瞞を伴いながらの向上は不可能」です。結局の所、普遍的な物・巨視的な視点から言えば「何を誤魔化しても、程度が低い物は低い」のであり、そして「誰しも内心、そんな事は分かってる」のだから、「付け焼刃で、心が伴ってない改善行為では意味がない」というのは分かろうという物です。
また現代社会には、あらゆる思想・イデオロギーの保持者が考える所の「嘘・欺瞞・不正義」があり、それらは実際ほぼ全てが「大きな問題点を有した物」でしょう。ただ「思想・イデオロギー」により「主として問題だと思う分野」が違うだけです。しかし「波動原理の一般化以後」の時代は、「左右・保守革新・その他あらゆる思想の持ち主が問題だと思う点」について、「そのような問題点は、後の時代において、罷り通らなくなる・もう通じなくなる」ので、しかも「そもそも、それが通ってしまう社会的背景自体が消滅する」ので、何も問題は無い筈です。そもそも問題点は「それが通ってしまう社会的背景・社会的構造」自体にあるのであって、その根本が修正されないと、単に顕在的現象である「左右・保守革新・その他あらゆる思想の持ち主が問題だと思う点」も、根本的な修正がされる訳がありません。「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」すれば、「どんな問題だろうと、永続的に・長期的に残るという事は有り得ない」「逐次修正・改善され、問題点が持続されない社会的構造になる」のは必然です。
そして「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」するような世の中になるには、一般の認識論の激変が必要であり、それは【「波動原理の一般的認知」と、これによる「"因果応報・善因善果・悪因悪果の法則"の根本的原理の認知(自己・周辺・将来世代・国や世界の未来・転生後への悪影響)」「社会的力学の修正による人々の行動原理の変化」「金・物質・利己・権威からの離脱」という社会的認識論の変化】以外では、はっきりと不可能だと思われます。何故なら「一般的認識論と社会的構造を変化させる」には「尋常ならざる、普通では想像もできないような、何かが齎される・起きることが必要」ですが、それでは「そのようなことを齎す・起こす物は、他にはどういう物が可能性として考えられるか?」と考えてみると、やはりそんな物は存在しません。他に方法論が全く存在しないので、即ち「波動原理の一般的認知による、認識論の変化」以外に、「問題点が通ってしまう社会的背景・社会的構造自体が消滅」「社会が大きく改善していく」「まともな世の中になっていく」ことは有り得ないです。
従来ありがちだった「統一的規制や美的感覚が無い乱雑な開発」「けばけばしい・やたらと人工的な光景・観光地」について、当然都会は「人工的な物を極め、賞賛・観光する」のがあって然るべきで、「人工を極めた物は素晴らしい」ですが、「人工物に相応しい場所」もある訳で、しかし従来は「何処も彼処も同じようにする」「自然環境の過度な人工化」「都市計画・ゾーニングの無さ」「過剰な資本主義的概念・金銭主義の暴走」「自然を壊したり・税金を浪費するほど自己利益になる」という状況が横行し、これに歯止めが利かず、例えば「堰堤の乱造などで、自然河川が殆ど存在しない非常に異常な状況」へと突き進んでいました。そして「自然本来の環境、古くからの里山の光景を出来るだけ残す」「そこに人の手を適宜加えて、利便性向上や、自然と人間の両立を図る」という観念は非常に薄い物がありました。「観光=光を観る」にとり、「自然界の高波動がもたらす"見えない光"を観る・浴びる」「心身を洗う」のは非常に大切な事です。しかし物質的価値観万能主義が横行した従来社会では、都会地域以外の観光地でさえ低波動の環境・風景で溢れ、「高波動の光を観る」事はあまり出来ませんでした。
元々日本には、山紫水明と呼ぶに相応しい自然の美しさ・豊かな変化があり、、先進諸国に比べて国土における森林域の割合は非常に高いです。これは「温暖で多湿」「地形が複雑で、開発し難い地域が多い」という理由の他に、「縄文時代やそれ以前からの、自然との共生思想」「古神道や原初的感覚に基く、八百万の神々という概念・感覚」が大きく影響していると言われてきました。しかし近年、「自然との共生観」は蔑ろにされ、各地で散々に誤った環境破壊が繰り返されてきました。日本は先進諸国に比べて「税支出中の公共事業の割合」が突出して高く、これは「欧米より近代化時期が遅かった」「複雑な地形など、経費増加の基礎条件が多い」との理由もありますが、そもそもが「利権・ばら撒き」「事業が必要かどうかを、費用対効果、地域の基幹的インフラかなど、客観的・大局的・論理的判断によらず、力関係・情実などで判断する」という事が多かったからであり、これは長年指摘されてきた「日本型の公共事業システムの根本的問題」です。この結果が日本中での「コンクリート護岸・堰堤(有効性に疑義がもたれている)」「無駄な・需要の低い箱物・橋・工業団地・・・」を始めとした異様な光景です。これは先進諸国に比して、日本に特徴的に見られる国土における光景です。
しかし「自然と共生して、自然を生かしながら、開発に適した地域において、真に有効な事業を、最善の形で行う」というのは、やろうと思えば出来る筈であり、また「自然の修復・自然環境改善も見据えた、自然と人間との共存の為のインフラ作り」ももっと行えるはずです。これで充分に「地域の経済・雇用も支えながらの公共事業施行」を果たせて、「持続可能な税金支出構造」なので「公共事業減少→地域経済壊滅」という「単純・低レベルな地域社会構造構築からの脱却」「税収・税支出のバランス化による基礎的経済条件の改善」ができ、「持続可能な環境・社会構造」であるので「持続可能な地域社会」の構築ができます。これは単に「当たり前の事をする」だけの事ですが、従来はそれが行われてこなかったのであり、それは「金・物質・利権・権威への従属」「空気・力学・ムラの論理第一主義」「俯瞰的・巨視的視点の欠如」「真に何が大事かを考えるのをしてこなかった事」「自然との共生や精神性といった観念の蔑ろ」による結果です。これらは「元々は日本人の精神性は高いレベルにあった」「しかしいつの頃からか、それが大幅に低下した」「または、良くない状態を変える為に必要な精神性・気概・気力を失った」という事を示しているのでしょう。
これからは「自然環境」「歴史・伝統・伝承・風習」「信仰・遺跡」「地形・地質」・・・等々への「個人的・社会的な関心・感じ方・意味合い・位置付け」は劇的に変わり、そういう物が大事になるでしょう。自然豊かな場所への観光に際しても、「金・物質至上主義の欠片」ような物は必要と思わなくなる、あってほしくないと思うようになるでしょう。例えば「散歩・ポタリング・ドライブで地域を周り、地形・地質・植生を観察しながら、先々の神社へお参り、折を見て片付け」「前後に色々と調べる」として、「自身~周囲の人~地域~日本・国~世界・地球~宇宙」へと繋がり、同好の人は次々と増えていくでしょうし、そして「それらの思考・行動」だけで「広域の波動向上に幾ばくか貢献」していて、「破壊性・暴走・弱肉強食とは逆方向」「建設的・親和的・調和的な物」です。
今までにあまりに多くの事を失ってきましたが、例えばここ10~20年だけでも「不要の工事」「必要以上の人工化」「開発すべきでない場所の開発」により、どれだけ多くの「美しい自然・里山・山林・森林・湿原・河川・海域」「波動的な重要地域」が破壊されてきたか分かりません。「神社・神域・祭祀跡・重要遺跡・古墳」は「波動が情報を時間を超越して記憶する効果」「祭祀用具・遺物の波動効果」により「地域・社会・国土・世界・地球の波動維持・上昇に、常に大きな役割を果たしている」という重要な役割を有していますが、「明治以来の膨大な神社合祀と、重要遺跡・古墳の消滅」の上に、近年の「神社の神域や重要遺跡の破壊・神社の遷座」という状況が積み重なっています。「これにより近代以降、また近年、波動の劇的な低下・悪質化と、国土・社会の弱体化を招いた」のは間違いありません。
今後波動原理が一般的に認知され、この事実を認識すると心底愕然とするでしょうが、その時に「今後はもう行ってはならない・修復しなくてはならない」と思うでしょうし、それが困難な経験から得た社会的合意になると思われます。「現代科学・物・金・権威=破壊的」⇔「建設的・修復的・共存的=自然・精神・心・感覚・非物質的価値観」という関係性において、「現代社会の基軸・最重要事項たる前者にとり不必要」「金や物や科学に無関係」と切って捨てられている「自然・精神・心・感覚・非物質的価値観」こそが、最も重要な存在・価値観であるとなっていくでしょう。それはオセロゲームさながらに全てが逆転していき、そして在るべき状態に正常化していきます。
今後の時代は「急速に波動原理・理論に沿った世の中になっていく」と言えますが、これは波動が「全ての根本・基礎・中心に位置する」「意識も含め森羅万象に関係する、あらゆる事は波動と切り離して考える事はできない」「強烈な因果律を持っている、数十年後でも数百年後でも確実に因果が返ってくる(遅効性でも確実に因果は巡っている)」からです。そして(先述のように)「波動は空気にように存在」「空気のように重要な役割を果たしている」とのように存在している以上、「一般に認識された絶対的科学原理の効果・影響を押し留める事は不可能」「それは空気の効果・影響を無くさせる行動と同レベルで、全く無意味・無効果」です。「全ての大河は、どのように経由しても、結局は海に至る」のと同様に「宇宙は、その最重要の科学原理に沿って存在する」のであり、「宇宙の最重要科学原理=波動」である以上、早晩に「波動が中心軸・基盤となるのは必定の帰結」です。そして社会は上記各理由により「無意味・空虚な権威・常識に囚われなくなる」「調和・妥当性を志向する」ようになります。波動は「ごく当たり前の存在・認識の基礎中の基礎」となり、その上で「個人個人の志向・感覚の違い」が存在、更に「波動=最上位構造」「波動的に良い状態=調和状態」であるので、「個人個人の多様性があり、且つ全体が調和している状態」「個が確立されていて、連帯しあっている」となっていくでしょう。
表のメディア社会と違う所で、世界中で話題になっている「ディスクロジャー(情報開示)」「アセンション(上昇)≠量子的飛躍(quantum leap・非連続の飛躍)」とは「波動原理や超科学全般の原理・現象・技術の情報開示」「その一般化による人類の全体意識向上・社会改善」を指しています。「非連続の飛躍」とは正に今後起きる事を示した言葉で、通常の「問題の改善度に比例した、比例的・漸進的・線形的な社会進化」に比べ、「波動原理一般化・技術や認識の進化」は「飛躍的・非線形的な覚醒・発展・正常化」を齎します。
今後更に「従来科学理論と異なる現象・放射能除去事例の報告例」が増加しますが、それらは「波動理論を唱える人達・幾つかのサイトの論と同一線上で起きた・その理論で説明できる」物でしょう。そしてどの時点かにおいて「従来科学と全く異なり、効果が即効的・劇的で、視認性・視覚効果の著しい物・手法(例えばUFO)」が公然になるでしょうが、それは別に「科学的知見に沿って、無理のない考えをしていくと、そう考えられる」だけで、言ってみれば自然な成り行きでしょう。あまりの事に呆然とするでしょうが、それでも「ただ内面を見つめて、素直に思考・感覚をしていけばいい」だけの事でしょう。
これらや「効果的手法・危険物質など多数の情報」は調べれば知る事・認識を得る事ができ、「社会的共有により当該認識・事物は普及・淘汰」していきますが、これは「少しの意識転換で事態改善していく」事を示し、「最大の健康法と除染法と社会の改善法は、このような社会全体の意識改革」です。波動も社会も「大概の問題の根本は共通している」のでしょうし、先述の全ての問題も「同一の根っこから発した本質的に同種の事柄」であり、そして「物事は、基本的在り方・対峙の仕方次第で極度に変わる」物なので、ここをしっかり見て変えない事には何も良くならなく、この基本軸が一番大事な事なのでしょう。
ようやく地球の人類は「波動原理の存在と基本的意味」「因果律が未来永劫、全宇宙で不変普遍である事」を認識して、「これを基にした全認識論の再形成」が起き、「全体の意識向上、大きく覚醒する段階」に達します。気が遠くなるような時間と紆余曲折を経て、遂にその入り口が見えてきました。
一人になった時、人は「"集団・組織・群れにおける世間的常識・関心・考え方"の比重が自己内で低下する、それらと距離を置く」「内省的になる、精神的な物に関心が向く」「自己や社会の誤りの部分に気付く」ようになりやすいです。現代の政治・企業社会などは、大局的観点では間違っていても、自己保身の意識が先行、まともに省みずに正当化して、それを押し通す事が多いです。でも一人になった時、多くの人はそういうのから距離を置き、「本当はこうあるべきだ」と考えたりします、同時に「仕方がない・一人じゃ変えられない・従属するしかない・・・」などと思いながら。
現在社会は「個人の思考・感覚・精神」は蔑ろ、それを抜きに「ただ集団ありき・組織ありき」「空気ありき・力学ありき」という方向に偏重しているから、そういう集団思考が積もり積もって「間違った方向に捻じ曲がり、硬直的になり、自己修正する事ができない」「自分の思考で考えられない、自分の感性で感じられない」「問題のありかにさえ気付かない」「指摘・改善しようとすると、ムラや従属者に排除・攻撃される」というようになっています。
全く愚かしい自縄自縛をしていて、集団的に破綻方向へ進んでいっています。そしてこれを後押ししているのが「金・権威・力」「空気優先主義・同調圧力」「非調和的思考」などです。「個人個人でみれば、個人単位においては、もっと高みにいる」のであり、「個人を大事にして、個人同士が相互に連帯している」ようになれば、このような状況は早期に変わるでしょう。
従来社会は「人間の独裁、自然・他の生命は蔑ろ」「金・物質第一主義」「権威と従属・上下関係・力」「空気・斉一性」「思考・論理と感覚・精神・心の抑圧」「ムラ・因習」「硬直性・閉鎖性」「非実質性(左記傾向により非実質的な物が横行)」という方向性にありました。
波動原理の一般化以後は、永久に「人間同士と、人間と自然・生命の、対等な関係」「相互尊重」「調和性」「精神性優先志向」「自由な思考・感覚・心」「個人性・内面の確立」「柔軟性・開放性」「実質性(左記傾向により実質や真理を重視)」という機軸に沿った社会になります。
人は自分だけと思ったり、金や寿命が無くなったら・終わったら何もかも終わりと思い、恐怖心から自己保存・自己保身に走り、それが社会で流れとなって行きます。でもあらゆる物に「不老不死である魂(意識・霊性・神的な物)」があって、自分もその一部だと思えば、そういう物も無くなり、憑き物が取れたように気楽になっていくでしょう。そして全員が、全ての生命・物・物事が同じと思うことで、森羅万象と共存可能で、楽でありつつ覚醒された世の中になると思います。
以上、「波動・量子的性質の真実の認知」は「科学・技術・認識論・教育・衣食住・人々の日常的な思考行動・その他社会の全て」に「未曾有の影響・衝撃を与える事は間違いない」、そして「全てが劇的に変化する」と言えます。
故に「一旦広範に認知・普及され始めると流れは加速し、何を以ってしても止まらなく、全ての人が知るようになり、早期に社会認識は一変する」「閾値を越えると全体状況が急変し、有象無象の阻害要因は無効化して、旧来的価値基準・負の影響力・明白に非調和的な思想は過去の遺物と化していく」「多くの常識・認識論が崩壊し、旧弊の中枢構造・論・論者の説得力が無くなる。特に311以後の言動は考慮材料となり、因果応報的に反面教師と看做されていく」「固定観念が崩れ、相対的思考が増して、以前の状況を俯瞰的・客観的に見れるようになる」「権威・力・金で維持されてきた物が価値低下して、独善や粗暴なやり方が通らなくなり、対等な視点が波動論で重みが増して社会の中心軸となる(旧弊で縛れなくなり、そこに依拠すると立場が弱くなる。対等な議論では旧来思考の劣位は明確である)」「食品選び・購買、自身・周辺・子供の能力向上、企業・商材の製造過程・広告など、常に波動が考慮要素になる社会趨勢化が必至」「守旧派も自身・家族・子孫に無駄にカルマを積みたくなく、飲食物を気にするなどにより気持ちが離れる。強弁しても低波動な事に変わりなく、離脱者続出で梯子を外される」「どのような経過を辿るにしろ旧弊・利権の先細りや、将来的な廃絶は間違いなく、金が万能の社会の終焉も見えるので、執着する意味・動機がなくなる。寧ろ波動原理を考えると離れたくなる」「旧弊⇔波動原理上の事物同士の、"波動・能力・健康への影響度、普遍性・合理性・経済性の差"を目の当たりにする」「波動原理に沿って考えると、従来社会の問題点が、どこにどのような問題があったのかが如実に分かる」「特に子供・未成年・将来世代は真の科学と、その意味・波及範囲を早期吸収して基礎認識化する。事の性質から因習に囚われ難くなり、普遍的感覚を重視し覚醒していく。囚われている人は旧勢力化していく」「これらは時間経過と共に比例的・不可逆的に明確化する」という点です。そして「多くの史実や過去の風潮への現代の認識論」と同様に、後代の人達は「近年~現代の多くの風潮・言動を、今はこうでなくて良かったと思う」のでしょう。現在は「その大転換期の直前」で、如何に「この閾値まで早期に持っていくか」が重要です。
&color(white,gray){日本の近現代の状況}
・「日本の社会上層部」は明治維新後・戦後、「個の抑制・統制主義・同質化」を「国家的基軸」とした。
これは永年の末に次の現象・力学・結果を招いた。
(これらは"個人・社会のある側面・要素"であって、全て丸写しというのは少ない)】
・「個の抑制」=「個人個人の思考・感覚・行動の広がりを抑制する事」なので
「国家・社会・政官財・マスコミ・大組織(上層部・中枢)」という物自体が、
常に「自由思考・感覚の無さ、思考・感覚の矮小化と類型化という方向性」への
「方向付けの圧力として存在」「国体自体がそのように存在する」ようになった。
・この「国・社会自体の前提・お約束・空気のような物」は
常に巨大な圧力として「集団・組織・個人・社会隅々」に対してのしかかり、
「あらゆる時・場において、思考・感覚・概念・在り方を規定・規制」していった。
・「人間は思考・行動に際し、何らかの軸を有している」ものだが
「個や自由思考・感覚の抑制」をしたので「代替の軸」として
「主流の風潮・論」「権威・ブランド」「金・力・社会的力学」
「世間・他人」「他律的基準」を軸とする風潮をもたらした。
・そして「自律的」「発展的・創造的・建設的」「革新的」思考・感覚を封じさせた。
・「個・個々人より集団の優先」「集団で存在すべき」という思考・方向に誘導された。
・「集団=統制的に思考し、個・個別意見を抑える」「集団とはそういう物だ」
という「思考様式・捉え方・存在形態」が奥底に深く刷り込まれた。
・「個の抑制」は「集団思考の強化」「既存論と異なる思考の排除」
「既存常識・慣習の踏襲」「横並び志向」に働くので、上記の力学を更に強化させた。
・これら「組織論の浸透・強化」「組織の権威化」により
「組織論・集団の力学」が「社会の最上位の存在・力学・空気」と化した。
・また「各組織の上位にある社会上層部(の組織・思考・概念)の絶対化」
「組織内外の階層化・格差・ヒエラルキーの強化」が強まった。
・これにより組織論が「社会の隅々や人々の潜在的思考に浸透」して
「人々の公共的な思考("政治・会社について"など、個人以外の物について捉え方・思考)」
「政治」「会社」「各組織」についての捉え方が「先ず組織・組織論ありき」になり、
「個」「個々の人間」を「社会・組織の駒・歯車」「モノ的」としか捉えなくなっていった。
・「集団・組織・社会上層部」は、「自分らに資する物」「自らを正当化する物」である
「組織論・権威主義」「権威付け」という方向性を志向した。
また「実質による序列」「序列の参考」ではなく
「恣意的基準による序列」「序列の絶対化」を志向した。
・同時に「自らの存在価値」に反する「個」「個々人の尊重・調和」への排除意識を持ち続けた。
・権威とは「中身・実質」より「外見・イメージ」であるので
「お上」「政官財」「学歴」「ブランド」など、権威と看做された対象は
権威自体が一人歩きして、それに従属する価値観・隷属意識も社会広範に量産した。
・「権威従属志向」にとり「世界的権威・海外の権威・欧米の権威」は
「より上位の権威」「最高の他律的基準」なので、これを「最大価値・絶対的基準」と看做す。
・これにより「欧米・欧米の事物」を上位概念と看做し、
「国際的ヒエラルキーに自ら同調・従属」した。
・権威主義思考は「自らの属する物を優位と看做す」「他より優位に立とうとする思考」なので、
「欧米に非従属的」である事も多いが、「権威自体を重視しない」という思考法は持たない。
・仮に「自然発生的な権威や賞賛・草の根的な崇敬や序列」
「権威付けられた・宣撫された・示威的な権威」があるとして、権威主義者は後者を志向する。
・力とは「権威に直結」「組織維持・強化の力学」なので、
「力の信奉」と「これらの志向」は一体的・表裏一体である。
・権威・組織力学を押し通すには「論理・感覚(草の根感覚)」は邪魔なので、これらを軽視・排除、
「ごり押し」「力・金・権力など使える物は使う」を良しとして
「非論理・非感覚」「物質的価値観」と親和感を持つ。
・この循環で「集団・組織・社会上層部」が非常に強い存在となったので、
「組織論・権威主義」が横行して、「個」「個々人の尊重・調和」が排除された。
・個人の内面においての「内的な他者(自己や自論を客観視する側面」たる部分が減少、
「客観性の減少」「議論・ディベートの下手さに象徴される論理思考能力低下」を招いた。
・また「柔軟な感覚を持つ人・組織」「創造的思考能力」
「思考・感覚の奥行き・広がり」も減少させた。
・この状況下で「硬直的な思考・組織」「金太郎飴のような思考様式」
「出る杭は打たれる的な感覚」が蔓延・拡大再生産し続け、
「社会・思考の同質化傾向・同調圧力」
「多様性低下・多様化への進行の遅れ」に益々に拍車をかけた。
・これらと「組織論横行」があいまって
「社会の硬直化」「改革改善の遅れ・停滞化・後退化」が進行した。
・「上述・後述傾向を持たない人」も多数いるが、
結局は「社会の雰囲気・流れの中で埋没・流される」という状況が続き、
「ぬるま湯・茹で蛙的に停滞状況のみが進行」していった。
・このような社会状況は、社会広範に「しょうがない」「諦め・白け」「無関心」
「鬱屈状態・どん詰まり感」という意識を助長させ、更に意識を刷り込ませた。
・しかし協調性・同質性は賞賛されるので、
「権威・組織・常識・流行・他者基準への従属意識」が強くなった。
・「"個の確立・尊重"が大事」との意識は、「公共意識低下」
「狭い私的興味範囲」「利己的思考」の助長へと逆方向へ変質していった。
・これらは「自律思考・自由思考」「社会意識」「改善意識・疑義を感じる意識」を著しく阻害、
「隷属意識」「横並び意識」「付和雷同」「ロボット化」「空洞化」「空虚化」が進行した。
・上記各事項は「物質的価値観」「利己主義」のどちらかと(或いは両方と)親和性があるので、
「経済至上主義」「金銭主義・欲得」を助長させ
「資本主義の否定的側面」による「各種悪状況の進展・暴走を招く力学」とならさしめた。
・これにより「自然環境の軽視」が助長され、「自然破壊・乱開発・過度な人工化」が横行した。
・「マスコミ・テレビ・芸能界」「政官財・業界組織」等では、「物質主義・金銭主義」「功利主義」
「空虚化・軽薄化」「格差志向・序列志向」「権威志向」「ムラ化」「権益集団化」が進行した。
・「硬直的・原理主義的思考」は「政官・論壇・マスコミ・社会」に次のような現象を齎した。
(例示でテレビ・マスコミ業界が多いのは、この界隈で特に顕在化した為)
・建前と本音「政治官僚用語の連発と非実践・糊塗、言葉と実際の乖離、政官の不毛さに直結」
・教条主義「左・右・○○ならこう考える・言うべきの様な。非実証的で認識・状況が進展しない」
・強度に固定化された属性・様式「20~30代の大政党上層部はまずいない、いても2世政治家だけ
そもそも2世政治家だらけ。新卒以外は大企業への就職の門戸は厳しい。様々な壁により、
大企業・親方日の丸・既得権側でない組織は参入し難い。など、社会の中核部分の属性・思考は
非常に一面的・類型的、参入排除の不文律がある。世の中には老若男女いるので、
多様な意見が反映される社会で、誰でも参入可能なら、各分野に老若男女・様々なタイプが
いるようになるのが自然、だが排他性・優位思想・独善性・斉一性志向ゆえ、これを否定する」
・非実際性「大組織・親方日の丸思考に端的に見られる、例えば"NHK⇔BBCなど先進諸国の
公的放送のサイト"の内容・充実度・スタイリッシュさ・使い易さ・その他あらゆる差」
・力学・空気の横行「民放の報道・サイト⇔海外民放の報道・サイトの知的レベル差。NHKは化石的
民放は資本主義的な物に偏向。在り方等の自律思考がなく、ムラの力学・風潮ばかり顕在化」
・公的存在である事を無視「先進諸国のマスコミのサイトは、殆どが過去記事を閲覧できる。
これは記事は社会の重要資料・公的位置付けの物として、社会的責任を全うする立場による。
だが日本では一定期間後に削除、課金制度となか、制度が無くても過去記事は閲覧できない。
報道・公器・社会その物に対する思考・深慮が無く、公的感覚も無いが、私的権利を主張する。
閉鎖的・業界的感覚や拝金感覚が横行、視野狭窄した典型的ムラ感覚の一端の事例である。
当事例のみならず、同感覚により、社会は根源的部分に目に見えぬ重大な打撃を受けている」
・偏った権利主張と損得計算の蔓延「日本の新聞・テレビは公器との建前で、再販価格維持制度
低い電波料やで膨大な利益を享受している。公器=報道=健全なジャーナリズムが必須だが、
損得計算・タブー等で"非報道領域が"が広く、上記事項・記者クラブを始め、主流マスコミに
健全なジャーナリズムは存在しない。にも拘らず、公器なのに、既得権益を主張し続ける」
・テーゼ・教条の絶対化「組織・界隈の決まりきった典型思考・やり方を踏襲、疑問さえ抱かない」
・人工無脳化「自律思考が無く、柔軟な思考・感覚を持たなく、定型的思考・行動法しか持たない」
・マニュアル依存「公式・マニュアル・条文によると・・・などの思考法。事実よりこれらを重視する」
・外部・他律的権威の重視「何かしら権威による意味付けに依存、それにより納得・充足感を得る」
・権威の威光が強化「上記の思考により各種権威の威光が強化、社会において権威が重視される」
・不合理な分断化「ネット⇔マスコミが著しく分断、主流論(ノイジーマイノリティーも含め)・
内容が全く違い、マスコミはネットの論・現象を取り上げない。そこでネットの一部は自分ら
アンタッチャブルと認識、極論・暴論・非論理的言動を垂れ流し、益々低質方向へ純化していく。
諸先進国ではここまでの分断は無く、各論・論点は、全てがマスコミ他で相互議論される」
・言質や責任所在の不明瞭化「鵺的空気が主体で、論理面から尻尾を掴ませてはいけなく、
責任は取りたくないので、わざと意味が不明瞭な言葉を選択し続ける。
"誤魔化し→いつの間にかそういう流れになっていた"という状況作りに腐心。
ある判断・実行・在り方等が間違っていたと判明しても、何処に責任所在があるのか
分かり難くする為に、わざと複雑な組織形態・法律・省令などにする」
・状況の不明瞭化「上記理由で、社会の各場面で、どういう状況か掴み難い様相になった。
全体状況・意味合い・立ち位置を把握し難いので、"状況指摘の困難さによる改善の遅れ"
"界隈に通じた、妙な専門筋・事情通等の跋扈""一般大衆の忌避・無関心化"などを招いた」
・忠誠心を高きを置く「非論理で、柔軟性・客観思考・改善思考・多様性が無いので
"重用評価基準=如何に鵺的空気・力学・ムラの掟に高濃度に染まっているか"となる」
・低質化「改善思考・精神性・美意識を蔑ろ、金・力学・空気・流れが幅を利かすので、
ゾーニング規制議論が抑制され、虫食い開発・宣伝看板など、街並みが汚くなっていく。
また規制されるべき対象が残り続ける」
・形骸化「マスコミ・TVは男女平等を報道で言うが上層部の女性比率は低く、だが一応公器ゆえ
"女子アナ=実質性皆無の飾り物や人形・男性司会者や御意見番の頷き役・意見は言えない"
という役の設定で繕った。"格差の役割モデルの固定化役"と化し、益々形式主義・格差が悪化」
・形式主義「実質的思考がなく、型に嵌った"空気・前例"に依存、実質より形式・体裁を優先する」
・縦割り構造・ヒエラルキー強化「思考・空気・役割の固定化・硬直化→属性毎に分断・壁の固定化」
・バランスの悪さ「教条・形式・常識に囚われるので、各種社会活動に色が付き、
"自由・客観的に真実の方向を追究、改善へ繋げる"等の感覚を持つ広範な社会運動が起きない」
・対個人へも含め、思考・感覚に次のような影響を齎した。
・前例踏襲の横行「自由思考が無いのでムラの論理に斉一化、前例踏襲のみで発展性が無くなる」
・空気の絶対化「建設的思考・改善論を封殺、非論理的な鵺的空気が場を支配、非従属者は排除」
・責任・論理・原因所在の不明確化「主体は鵺敵空気で、その実施主体・基盤論理等が分からない」
・ロボット化「決まっている・常識・流行っている・そういう物、だからそう考える・行動する」
・隷属志向「自律思考・感覚が無いので、空気・権威・金・力・周囲・他律的基準に常に従属・同調」
・他律的基準の絶対化「仲間内の空気に従属、世間と外れる事を嫌う。思考・感覚=世間・仲間内」
・内面の空洞化「精神的側面(自己内外の精神的な物)の比重低下、空疎な有象無象のみ関心」
・芸術の非芸術化・自己表現の他律化「例えば"音楽・装い"は本質的に自己表現から発するが、
"個・自律思考・内発性"が無く"ブランド・宣伝物・流行り物・流行らせたもの"等が絶対化する」
・思考範囲の矮小化「自律思考の経験・錬度が無く、類型的常識・与件の範囲内の思考に終始」
・思考停止・放棄と思考能力低下「狭い思考の後に思考停止・放棄、本質的思考にまで至らない」
・非水平・非客観思考「思考・感覚が常時何らかの常識・基準に依拠、多様な視野から見ない」
・前提ありきの思考「"○○だから××と決まっている"と考え、他の要素・観測結果は無視」
・思考・感覚時に、高い壁を設ける「常識・空気・自論と異なる要素を無視、縦割り思考をする」
・非建設的思考・感覚「"壁の向こう側に存在するかもしれない真理・妥当性・目指すべき方向"
を上記要因により無視、"ムラの因習・従来社会の問題点"を当然視する」
・社会の否定的方向・退化を固定化・強化する歯車となる「上記要因で否定的要素を受忍、
同調圧力に晒され次第に無自覚に同化、その力学・空気を固定化・強化する歯車・存在と化す」
・集団的浅慮・合成の誤謬の自己中毒化「この悪循環を抜け出そうとするする感覚や
疑問に思う感覚さえ、"個の抑圧・思考感覚の空洞化"により奪われているので、
自己中毒的に集団浅慮・誤謬が固定・拡大、拠って各分野で問題点が残り続け、改善しない」
・非主流意見や寛容な意見の排除「主流論や急進的な論が大手を振るい、
非主流異見のみならず、寛容・相互性にある考え方を排除していく。
例:"検証実験受け入れ""国家主義・民族原理主義に不利益な事実の認定"等を否定」
・科学界でも「閉鎖化・蛸壺化」「ムラ社会化」が進行し、
「従来概念」「常識・典型的思考法」「欧米の学会の通論」などの権威の絶対化と、
「自由思考・物事への小さな疑問」「非主流論への真摯な検討・対峙」
などの否定(=非権威の否定)という空気が蔓延した。
・これにより、「元来日本の多くの概念は波動原理に親和的で、
市井研究家の手法・物も多い」という状況にありながら、
「日本学界は欧米学会に従属しているが、欧米社会の力学は日本より自由なので、
欧米の公的組織は日本の公的組織より、境界外科学の研究・成果が多い(日本ではほぼ皆無)」
という奇妙な捩れ状況を産んだ。
・上記諸傾向・意識は「それが招く社会状況」「心理」「波動原理」どの面においても、
「硬直的」「非柔軟」「原理主義的」「破壊的」
「非調和」「非建設的」「上下感覚・格差助長の方向」である。
・これらにより「感覚・精神・心」
「非金銭的・非権威的な価値」「自然環境」を軽視する風潮を招いた。
・「多くの有志」「善性」「改善論」は
「組織論・ムラ的力学」により「排除・分断化・無効化」された。
・「これらの力学・空気」が日本中に蔓延し、
「組織の方向性や個人の思考」への大きな影響要素となった。
・更に副次的現象として、このどん詰まりを打破する為に
更なる「権威主義・統制主義の強化」「権力への翼賛」で対処しようという主張・意識が増えた。
・この意識層と、これを忌避する層に別れ、
更に他の各種要素も加わり、多種の「(主にネット上の)思想的属性」を産んだ。
(これら新規思考的属性の論には、従来の世間上の論(多くはマスコミ・政界などが提供した)より
客観的な物も多数あり、従来社会の欠陥部分を補う役割も果たしている、との側面もある)
・「以上のような状況・力学」は、「放射能除去関連」においては、
社会上層部の「無関心」「無責任(自分や組織に関係ない・管轄範囲外とする)」
「不可能・トンデモとの決め付け、検証をしない硬直的思考」
「組織論横行により、組織内の個別有志の意識の掻き消され」を招き、
政官などの除去活動実施への決定的障害とならしめている。
・これらの傾向は世界中のどの国にもあるが、
特に日本は「個の抑制・過剰同質性」「過剰同調の強要」
「自由思考放棄を求める社会構造」により「自家中毒的症状」が著しくなった。
・「これらの思考・力学」によらない「草の根的な個・組織・意識」は何時の時代にも存在、
「より調和的だった縄文時代」「八百万の神々」など日本の原初的感覚に近く、
後代の「地方の様々な文化・習俗・信仰」「町人・農民文化」「寺子屋」等と同一線上にある。
・「元素変換による放射能の除染活動」「波動原理の研究」をしている人は
「このような人・組織・意識」「調和的社会実現の希求心が高い」という傾向がある。
・しかし、日本人は世界的にも遺伝子的に「不安を感じやすい民族」だと判明していて
これが「不必要な前例踏襲・常識重視・空気迎合」→「権威化・絶対化」→
「集団の力の強化・個の弱体化」→「各種のおかしな制度・在り方」→
「崩壊的状況」という流れになったとの面は大きいとも思われる。
これは「意識の低さ」に起因する物でないので、因果応報な物とも言い難い。
言わば「日本人のある種の不運さ」という側面も大きい。) -
&color(white,gray){今後の時代に必要になるであろうこと}
・「波動理論や手法の早期発展と普及」
・「環境負荷の低い技術確率」
・「フリーエネルギーとエネルギー価格の無料化」
・「斥力を利用した浮上運輸装置・UFOのような乗り物」
・「超科学全般」
・「超能力・超感覚・波動感覚」
・「森羅万象の波動改善」
・「地域~地球の環境と自然回帰」
・「重要な自然環境や神域・遺跡など、各地域の波動的に重要な場所の保全と環境改善。古からの伝承・記憶・歴史・伝統の記録保管・継承(知られていない・教育で教えられていない・軽視により、現状では多くが放置されている。時間と共に消えていく物も多く、早期保全と認知化が必須)」
・「各地域や地元の環境や街並み・共同体等の改善と再構築」
・「歴史・伝統・文化や往古の基層(日本では縄文の文化や思想)」
・「先住民の歴史・文化・伝統・信仰の保護継承」
・「信仰、地域の伝統的・往古の信仰形態の復興・継承、信仰の自由、信仰とは個人に帰する事」
・「祈り・真摯な気持ち」
・「心・感覚・感受性・精神性」
・「調和・温かさ・慈愛・相互尊重」
・「共存・共有」
・「相対性・対等性・相互主義」
・「本質・普遍性・哲学」
・「水平思考・広い視野」
・「木も見て森も見る複眼思考・要素還元思考も内包した統合的視野」
・「壁や障壁を取り払った思考法・社会」
・「柔軟性・自由感覚・自由時間」
・「芸術全般・自己表現・世界観」
・「男女同権化と障害者・少数民族・性的少数者・その他全属性の対等化、従来の父権型偏重から父権型母権型の中央値への世界的なバランス移行」
・「個の広範な連帯」
・「旧弊を排した、自由で公正で広い視野の議論の場」
・「分野の俯瞰的認識を可能にさせる、統合的な研究・議論・認識・知識蓄積の場」
・「旧来の認識論が妥当なのか、どのような認識論が妥当なのか、あらゆる分野で広範な議論を重ねる事」
・「秩序崩壊・摩擦増加・強圧的(従来科学上の熱エネルギーによる加熱変性のような)でなく、会話と賛同と共通認識化という過程(波動の浸透共鳴と素材価値の最大化)を経てからの施行」
&color(white,gray){波動原理の世界的な認知後は、以下の理由で経済・貨幣の重要度が大幅低下していくでしょう}
・「精神的価値の大幅上昇と物質的価値の低下(精神性価値に資する物品・サービスや調和社会に資する企業製品への購買意識増加)」
・「"叡智・科学・最先端=モノ(欲求充足の為のモノ)という構図の崩壊"→"大量生産大量消費=善という社会からの離脱"」
・「"モノ・施設・工事>自然"→"自然回復・維持=叡智や科学的結論"との状況になり、"自然破壊や物質的欲求で最重要事項たる経済を回す"という図式が成り立ち難くなる」
・「穢れた金より綺麗な金を望む感情」
・「世界中で環境破壊が止まり、自然回復が始まる事の印象効果」
・「金や働き詰めより、波動上昇・人生の価値や幸福・自由時間・趣味や探求や習得・家族や周辺との時間・奉仕活動を望むようになる」
・「経済も含めた競争論より、共存が重要だとの科学的証明」
・「共有の概念と手法の一般化と、所有の概念の減少」
・「殆どの物品・サービスのコスト低下(フリーエネルギー、農業・食品産業での効果、必要資材・設備の減少(項目6④の記事⑦)、劣化防止効果など多様な波及効果)」
・「浮上運輸装置の一般化で道路網・鉄道網や、居住地域・工業地域以外の中間地点の開発が不要化し、輸送網・付帯設備・付帯行為を集約でき、そのコスト・労働力が不要になる(物資の空間運輸で道路が不要化、高度集積化や分散居住が容易化)」
・「移動の拘束時間の大幅減少」
・「無料・無公害のエネルギーで、海など多くの場所からの資源回収が容易になるので、コストが劇的低下する」
・「ゼロ点環境では置いておくほど改質され、食品が劣化し難くなる。大量廃棄は食品が最も顕著だが、廃棄食品が減り、品質維持に要する行為も減る・無くなる。更に体が高波動だと内臓が丈夫になり、少々の腐敗物では大丈夫になる。特に過剰品質を求める日本では、廃棄物減少の印象効果は強く、小売店~社会広範に浸透する」
・「必要な生活費の低下と可処分所得上昇」
・「"既存インフラ改修や既存知識+波動手法"で事足りる事柄の増加」
・「医療需要の大幅減少・長寿命化・健康化による労働人口増加に伴う公的支出減少」
・「非常に多くの業態・物品・サービスの需要消滅(特に金融・博打)」
・「公金支出・徴税の適正化」
・「利益配分機能の無意味化・分配機能や利権を握っている体制の圧力からの解放・利権消滅」
・「社会の互助機能が高まる・老後の心配の低下」
・「生産消費の国内・地域内での完結化と貿易減少」
・「地方での自給自足型共同体の増加(収量増加とコスト低下で農業参入しやすくなる)」
・「"仕事の内容・目的が"金を稼ぐ"→"公共に資する"へ変化。またそれを行える状況になり、そのような仕事・組織も増える(NPOや共同体の増加)」
・「学びの意味の変化・教育機関の質的変化・大学の存在意義低下(生涯学習の増加、間口が広く草の根の勉強研究組織の増加、就職予備校の意味消滅)」
・「軍事費減少」
・「まだ多数が洗脳・正常化バイアス・社会的圧力の下だが、自己や社会の固定観念と権威が崩れ、広域除染や世界的変化を見て解放され始め、完全破滅危機だった311・原発事故と、自宅・地位等が全て終わる瀬戸際だった事を考えた時に、金・経済・権威・因習など非普遍的概念の相対化が起きる」)
&color(white,gray){【波動原理の世界的な認知後は、以下の理由で軍事・戦争の意義が消滅していくでしょう}
・「暴力・酷い行為を行うと、何れ個人・子孫・国に因果応報で不利益が返ってくる事が認識化される」
・「無駄に自分の魂・子孫・国へカルマを増やす行為はしたくなくなる」
・「戦争・軍事は非調和その物で、科学的に著しく低波動だと周知される」
・「波動上昇による攻撃性低下と厭戦意識増加で、軍事解決や示威行為を阿呆らしいと看做すようになる。そのような思考の旧世代化」
・「ピラミッド型序列・ヒエラルキーの崩壊・無意味化」
・「世の中=奪い合い・我田引水、という潜在的認識論の終了」
・「社会的な思考行動原理が"国益の追求というエゴ剥き出し"→"論拠の多寡""本来的なあり方"と変化し、妥当な結論を下すようになる」
・「領有(所有)との概念の減少("自然的に・歴史的に・先住して住んでいた""業を営んでいた"・・・ので、普通の事としてその地を治めている、というような認識論)」
・「経済の意味低下と貿易減少により、不要な摩擦を生む対外関係が減少(類似の波動同士の交流が増え、それ以外とは減る)」
・「平等感覚が増して、優越思想が低下して、相手を抑えつける行為を忌避するようになる」
・「対個人・集団・人種・国家で、自他を対等と看做す感覚が増す」「国家主義からの離脱(郷土を大事に思う気持ちは高まり、国家主義はなくなっていく)」
・「対外の破壊意識・優位思想より、自国の環境・歴史・文化・伝統・信仰・郷土などの保護・復興・関心・探求・習得など、有意義な方向の意識が増加する」
・「同時に世界中・他国・他民族の環境・歴史・文化・伝統・信仰も尊重する」
・「世界的な既存認識論の崩壊と共に、現在の国内・対外・国際社会・人種間の、抑圧的で一方的な支配構造・上下関係も崩壊する」
・「権威主義・従属意識の減少(対外的・国際間・人種間の、不当な関係性や歴史への透徹した視点・議論が増え、従属からの離脱・解放が起きる)」
・「世界的な有志の連帯が増加して、草の根で起き、先行きの圧力低下方向が感じ取れるので、安堵感が広がる」
・「競争型から共存型への移行(軍事や社会のみならず、例えばスポーツでも自然一体型の登山・ハイキング・マリンスポーツ・ウインタースポーツ・カヌー等が増加するでしょう)」
・「原発・核廃止による印象効果」
・「各属性の同権化が進むが、戦争・権威等を忌避する傾向は、世界的に一般平均より"従来の社会的ヒエラルキーの下層属性"の方が高く、これが反映される」)
当サイトの項目
項目1:波動原理と放射能除染の概略 ([[メニュー1>http://is.gd/N74Ky5]])
項目2:波動器具・一部農法・一部機器等による除染法 ([[メニュー2>http://is.gd/1vukpY]])
項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 ([[メニュー3>http://is.gd/qbtG4P]])
項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 ([[メニュー4>http://is.gd/S9rd5M]])
項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 ([[メニュー5>http://is.gd/OqkokI]])
項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次([[メニュー6>http://is.gd/HB6Xkx]])
項目6①:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー7>http://is.gd/kX8wLx]])
項目6②:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー8>http://is.gd/w2fWPI]])
項目6③:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー9>http://is.gd/ztBKLZ]])
項目6④:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー10>http://is.gd/XadcK7]])
項目6⑤:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー11>http://is.gd/CdKR4K]])
項目6⑥:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー12>http://is.gd/HJgWPy]])
項目6⑦:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー13>http://is.gd/vClptO]])
項目6⑧:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー14>http://is.gd/X3ySNn]])
項目6⑨:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー15>http://is.gd/SbVxXz]])
項目6⑩:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー16>http://is.gd/pY3A3Q]])
項目6⑪:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー17>http://is.gd/VajHCF]])
項目6⑫:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー18>http://is.gd/1ne2sX]])
項目6⑬:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー19>http://is.gd/u14ITa]])
項目6⑭:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー20>http://is.gd/2Dqu0C]])
項目6⑮:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー21>http://is.gd/WmX4Dq]])
項目6⑯:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー22>http://is.gd/wxFr4V]])
2014-06-13T07:00:59+09:00
1402610459
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メニュー18 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/41.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
********************************
&color(white,black){項目6⑫:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
【正中線・各部位の性質と硬直・歪み・柔軟化、気血水の循環、寿命・森羅万象の結合・改善】
●&bold(){顎と口蓋周辺}
●&bold(){ほうれい線と口腔の緩和}
●&bold(){頚部・顎・鼻にかけての一体的構造}
●&bold(){鼻と副鼻腔}
●&bold(){目・眉・眉間周辺}
●&bold(){笑顔の効果と頬の緩和}
●&bold(){頭頂部・眉間・顎・鼻や上半身の中心線}
●&bold(){縫合線の柔軟化と岩戸開き}
●&bold(){深層脳と表層脳}
●&bold(){動作の中心、外後頭隆起の真我}
●&bold(){DNA・遺伝子とライトボディー・心の御柱}
●&bold(){意識と体の不活性化}
●&bold(){締め付け・統制・否定が齎す悪影響}
●&bold(){波動の特性}
●&color(white,black){顎と口蓋周辺}
頭部の筋肉は表層部の「浅頭筋(表情筋)」と、深層部の「深頭筋(咀嚼筋)」に大別されます。「咀嚼筋」は「下顎骨の運動(主に咀嚼運動)に関わる筋の総称」「一般に、咬筋、側頭筋、外側翼突筋、内側翼突筋の4種類がある」とあります。「表情筋」は「顔面部と頭部、頸部の一部にある、皮筋の総称」「喜怒哀楽などの表情を作り出すところから、この名前があるが、眼や鼻の開閉、口で飲む・食べる・吹く・しゃべるなどの運動にも関わっている」とあります。
咀嚼筋のうち、「咬筋(こうきん)」は「左右額関節から頬に広がる筋肉」「収縮することで下顎骨が上に上がる」です。「外側翼突筋(がいそくよくとつきん)」は「頬下部に広がる筋肉」「片側のみが収縮することで下顎骨が反対側に移動、両側が収縮することで下顎骨が前方に移動することができる」です。「額関節の硬直」では、この顎を覆う2つの筋肉が最も硬直します。また「側頭筋(そくとうきん)」は「顎上方に一部露出し、こめかみから側頭部に広がる筋肉」「収縮することで下顎骨が上に上がり、咬むことができる他、下顎骨を後方に移動させる」で「額関節症が偏頭痛を招きやすい」のは、この筋肉の為です。
「口蓋・顎・頬の筋肉群」は、他の筋肉が硬直するとその筋肉も硬直しやすく、一体的な関係にあるといえます。「口蓋周辺」の「口輪筋(こうりんきん)」や、下記の頬周辺の「上唇挙筋・大頬骨筋・小頬骨筋・頬筋」は、硬直すると老け顔になります。これら筋肉を緩和、更に頬のリフトアップなどを行うと、本来の顔になって若返ります。
「上顎」「下顎」と、その関節の「額関節」の周辺の「顎の筋肉群」は、「咀嚼筋」の一部で、「頭部で最も大きな筋肉群」です。「咀嚼」により非常に回数を多く用いられ、持久力が必要なので、咀嚼筋には「赤筋」が多く、また「口腔」や「歯茎」は血行の多い場所です。
「顎の筋肉群」は、頭部でも歪みやすく、各症状が多い場所で、全身に多様な悪症状を招くことが知られています。知らず知らずのうちに顎を噛み締めている事は多く、「顎関節症」の罹患者は多いです。噛み合わせが悪いと、モロに体内各所に歪みが生じていきますが、噛み合わせが正常な人は少ないそうで、それだけ多くの人が歪みを持っています。片側だけ噛み締めていたり、食事での片噛みは「こめかみの蝶形筋」などを片側だけ刺激、位置が歪んできます。上顎と下顎を緩和して、適度に離すと、「額関節」の柔軟性・可動域が増すと共に、下顎の動きの自由度も増して、体全体に出されていた「神経の緊張の信号」が減少されます。
「口を大きく開く」だけで、「顎・頬・鼻周辺の筋肉」は大きく弛緩収縮して、可動域が広まります。筋肉が小幅な動きしかしていないと、可動域が狭まり硬直化しますが、この運動は深部の咀嚼筋に対して、非常に良い運動です。更に「頭部を後ろに傾けながら、大きく口を開く」と、「後頭下筋群」「僧帽筋の上部」も大きく弛緩して、「後頭部・頚部」にかけての、特に「首の後部」のコリ解消に、大きな効果を発揮します。この「頭部を後ろに傾けながら、大きく口を開く」という運動は「咀嚼筋全体、後頭下筋群、僧帽筋の上部
を最も収縮緩和する運動」で、また「頭部・頚部のコリ解消・柔軟化に、最も有効な運動」だと思われます。
ただ「額関節は傷付きやすい」ので、また顎が外れないように、大きな力を入れ過ぎないように、注意する必要があります。「顎は開け閉めの時に傷付きやすい」ので、「ゆっくり開け閉めする」と良いと思います。全くやってなかったのが、それを何度もやるだけで全く今までと状況は異なり、一日数度思いついた時にでも、「欠伸」や「伸び」をして、酸素を充分取り込みながらやれば効果大でしょう。
「歯茎」は「血流が非常に多い部位」で、「全身の反射区」が集まっています。「歯茎」には「足裏」と同様に非常にツボが多く、「全身に繋がる40のツボがある」と言います。
「噛む」と「こめかみの海綿静脈洞が刺激され、脳に血液が送り込まれる」ようになります。「咀嚼」は「頭部の広域を活性化して、気血水を巡らせる運動」で、一説に「噛むは神(カム)に通じる」と言い、こめかみの語源は「米噛み」で、昔は硬い米を噛んでいたのが理由です。咀嚼では「上顎・下顎の歯茎前面」を「唇の裏で刺激」するように噛むと良いといいます。これにより「唾液が良く出る」「血行改善で歯・歯茎の状態が改善する(虫歯・歯周病の改善)」「頬などの表情筋が鍛えられる」「早く飲みこなくなる」「歯茎のツボが刺激される」という効果があります。咀嚼時に「ツボ・反射区を刺激する」「頭部の活性化」との意識があると、噛む回数は増加すると思います。
「蝶形骨の最下部」は「上顎の八重歯~奥歯の上方の奥」にあって、ここは「咀嚼の運動が伝わる位置」と考えられます。「蝶形骨の上部」は「眉間~こめかみ」に横向きに広がり、「こめかみの窪み」で「頬骨との関節」として表面部に露出しています。「側頭筋」は「こめかみから下顎までを結ぶ筋肉」「顎の動きに連動してこめかみが動く」という筋肉です。「側頭部の側頭筋」「額と生え際上方の前頭筋」以外に、頭部上方には大きな筋肉はありません。「蝶形骨」は側面側が「上顎の八重歯・奥歯からこめかみへ伸びる形状」で、これは「骨を通じて、力がこめかみへ伝わる形状」とも考えられます。蝶形骨は重要な骨なで、「他の骨からの振動・刺激や歪み」がよく語られ、この形状は特別な意味があると推察されます。
「こめかみと耳の奥」には「側頭葉」があり、「聴覚」「言語の理解」「記憶・物事の判断」「感情制御」を行っています。「こめかみ後方(側頭葉)」を磁気で刺激すると、「約40パーセントの人が何らかの知覚体験をする」という実験結果があります。耳後方下部の「乳様突起」を緩和すると「顎」が緩和します。これらから「咀嚼や蝶形骨の形状は、側頭葉への刺激を通じて、耳や聴覚、更に波動的な感知能力を刺激する物として存在している」「咀嚼が減少すると、波動的な感知能力が減少する」「脳の活性化や気血水の循環には、筋肉の働きが重要で、咀嚼は頭部の恒常性維持に不可欠である」という可能性が考えられます。
「顎」における「首の円筒管」に相当する場所は、「口腔」のうちの「下顎・上顎の歯茎と咽喉に囲まれた空間」です。「下顎上顎の歯茎」は、重度の血行不良で硬直してる人が非常に多いです。これで「下顎・上顎が、ギュッと締め付けられている」ような感じとなっています。歯茎の腫れ・歯槽膿漏も、肩・首のコリを併発している人が多く、「歯茎と唇の間」は「雑菌が繁殖しやすい場所」です。
「虫歯・歯周病」の予防では、直接歯茎に行う「歯茎マッサージ」による血行改善が推奨されます。「唇の上から指圧する」という行為で、歯茎の血行不良を改善しないとなりません。痛みが無くなるほどになってきて、そして気血が充分居流れたら、歯周病菌は大幅に減少するでしょう。
●&color(white,black){ほうれい線と口腔の緩和}
「ほうれい線(鼻唇溝)」は、「小鼻両脇から口角にかけてできる、ハの字形の溝」の「鼻唇溝」の人相学での呼称で、「上顎の八重歯(犬歯)上方」に出ます。「ほうれい線が出来る人」は「首・肩(と顎・頬)の筋肉が凝っている人が多い」と言います。「首は結節点となっている」ので、「顔面や鎖骨・胸部」「後頭部や肩・背中」が硬直していると、「首の方向」へ寄って来ます。
「小鼻両脇」の奥に、頭蓋骨中央にある「蝶形骨の最下部」があり、蝶形骨は重要な部位です。またここには、重要なツボの「迎香」があります。「口角」の奥の「八重歯(~奥歯)の位置」は「喉(気道)の内壁の延長線上」にあります。「上顎やほうれい線のツボ」には「首の緩和効果」「顎・首を後方へ戻す効果」があります。
「人体は管」であり、「口腔は人体中心部の構造が最も露出している部位」です。「ほうれい線」は直接的には、「口腔、特に上顎歯茎の血行不良」が原因で、「八重歯の根元付近を中心とした上顎歯茎の痩せ」によって起こります。「口の曲がり」は「蝶形骨の歪み」が大要因だと言い、「歯茎の痩せ」を併発しています。
ここから「ほうれい線は、喉の内壁~下顎八重歯~上顎八重歯~小鼻へと至る、気道の延長の気脈にあたる」「ほうれい線の明瞭化は、顎・歯茎が内側に向けて、締め付けられているという症状を伴う」「頚部・顎の前傾による、頚部・気道の狭窄化を伴う」「口腔内の、特に上下の歯茎の間には、滝のように気が上下に流れている」という可能性が考えられます。
また「ほうれい線」は「上顎洞の下縁」付近に沿って存在、ここは「鼻水が溜められる場所である副鼻腔の中で、最下部の場所」です。ここから「いつも鼻水が下縁に溜まり、波動低下や血行不良・硬直化が起き易い」「組織が痩せて、組織が垂れ下がり、シワとして現れ易い」という推論も考えられます。「ほうれい線が出る」のはこれら複合要因による現象と推察されます。この付近には以下のツボがあります。
「迎香(げいこう)」は「小鼻の両脇・鼻の一番下の両脇」「蝶形骨の最下部の顔面側」にあり、有名なツボです。「手の陽明大腸経」「大腸経と胃経の交差する場所」で、効能は「鼻水・鼻づまり・鼻血」「歯痛」「顔面神経・三叉神経」「嗅覚麻痺」です。
「禾髎(かりょう」は「人中の横の線と、左右の鼻腔の下方の交点」にあり、効能は「鼻水・鼻づまり」「嗅覚障害」「血行改善」「口の歪み・口の開閉」「歯の痛み」「顔面の神経痛」です。
「巨りょう(こりょう)」は「迎香から鼻唇溝に沿ってやや斜め下」「小鼻の外側と黒目の下の交点」あります。効能は「口・眼の歪み」「眼瞼痙攣」「鼻出血」「歯痛」「血行改善」です。
「天迎香(てんげいこう)」は「迎香の下部にあり、近年発見されたツボで、よく効くツボだそうです。効能は「迎香の効果拡大」「鼻の通りの改善」「脳・筋肉の緊張緩和」「関節の可動域拡張」「体・顔・顎の歪み改善」です。
「上迎香(じょうげいこう)」は反対側の「鼻筋両側」にあり、「鼻通」とも呼ばれます。効能は「鼻の詰まり・鼻炎・副鼻腔炎による嗅覚障害など、鼻の疾患全般」「顔面神経」です。
「迎香・巨りょう・天迎香」は「ほうれい線・鼻唇溝の線上」にあり、これは同じ経絡上のツボと考えられ、上方は「上迎香」へ伸びていると考えられます。「ほうれい線・鼻唇溝」は「喉から続く口腔内壁の延長線」にあり、このラインの症状は「胸鎖乳様筋・頚部前方の筋肉の硬直」と密接に関係します。これらから「ほうれい線」「上顎・上顎歯茎関連の症状(歯周病・口の歪みなど)」は「首の状態(歪みと硬直)」と密接に関ると考えられます。
「ほうれい線に沿って、指全体を当てる」、これは「上顎・頬・鼻」にわたり効果があり、「ツボの指圧効果」「ほうれい線・上顎洞の最下部の緩和」「鼻の暖め効果」が得られ、非常に有効と考えられます。
「下顎・上顎の歯茎と咽喉に囲まれた空間」を想定して、「水平方向に輪切りにした直径を拡張することで、この周辺を緩和して、気血の流れを改善する」という手法が考えられます。手法としては「歯茎マッサージ」「手当て」「ツボ押し」や「額関節などの緩和」があります。また「頚部の柔軟化」「胸鎖乳突筋や頚部前方の筋肉群の緩和」は必須です。
「ほうれい線の奥の歯茎・口腔内壁のマッサージ」は、効果が高い緩和法だと考えられます。この辺りは「深部の筋肉群・神経」があって、そこに直接刺激を与えられます。ここから延長していき、「小鼻両脇~頬下部~上顎~口の横~額関節まで、また下顎に対して、指で押して、内壁を滑らしながらマッサージしてゆく」というのが良いと思われます。
更に「上顎・下顎の歯茎と唇の間に指を入れて、歯茎と唇を離すことで、歯茎と唇と口腔全体への圧力を緩和して、弛緩させる」、又は「膨れっ面のように、歯茎と唇の間に空気を入れる」という方法は、「上顎・下顎の歯茎と唇の間の空間の柔軟化」に対して、非常に効果の高い施術法です。この空間は「気付き難い部位」「雑菌繁殖が多い部位」で、「近年の咀嚼回数の少ない食生活」「表情の少ない状況」による「可動性・可動回数の低下」によって、硬直化と血行減少が進行、口腔内・口蓋の各症状を引き起こしています。これは、この閉塞されている状態を、人為的に開いてしまう手法です。ただ長期的影響はよく分からないので、開くのは最小限の隙間が良いと思われます。
応用として「暖かい飲み物を飲む時に、歯茎と唇の間に含ませる」という行為を行うと、「適度な隙間と、心地よい刺激が与えられる」「唾液も飲み物に含ませられる」「浸透圧により歯茎・口腔の全組織が膨張、緩和されて、血行が促進される」となります。これは簡単にして、非常に効果的で、即効的な手法で、問題点はありません。これだけで相当な健康効果と、波動の上昇効果が得られます。この付近の体の表側・裏側のコリが解消し、気がかなり通ると、それだけで口腔の細菌は激減します。
●&color(white,black){頭部・頚部・上半身の一体的構造}
人体には非常に多くの「波動的構造」があります。「経絡・ナディ」「正中線」もそうであり、他に「アクシオトーナルライン」など多数の概念があり、地球における「地球グリッド」に対応しています。これは「波動の共鳴効果を最大限に高める為の構造」と言えます。
また「個々の波動的構造は、独立した物ではなく、構造・経路を分有するなど、全ての構造と相互に関係しあっている」「その中でも、最も関係性が深いのが、個別の波動的構造であり、範囲内の部位は一体的に凝ったり柔軟化する」「この波動的構造は、大きな気脈であり、チャクラ・ツボや経絡や神経節・神経叢は、その多くが構造に沿って存在、構造の重要地点周辺に存在する」と考えられます。これら構造は、既に知られている物から、まだ未解明の物まであるでしょう。
筋肉では「筋膜は何層もあり、外側の層から柔軟化して、最後に筋繊維が活性化して、筋肉全体が柔軟化・活性化する」というように存在しています。同様に「波動的構造は何重にも層があり、外側の構造から気脈が通り・活性化して、最後に正中線・チャクラ・心の御柱・ライトボディーが活性化して、全身が光に包まれるようになる」となります(後述)。「鼻筋両脇のラインなどの緩和・活性化は最後の方に起きて、そして堅く閉まった正中線が遂に開いて、岩戸開きが成る」と言えます。
《「人体の波動的構造、気脈の構造・ライン」の一部として、次の構造があるように思われる》
&color(white,gray){1番目の構造:「頭部・頚部の上下・前後の回旋を司る構造」}
・「蝶形骨最下部の迎香(小鼻両脇の奥・上顎の八重歯の上方の奥):蝶形骨の後頭部側
蝶形後頭軟骨結合:後頭骨:環椎後頭関節:環椎(第一頚椎):環軸関節:軸椎(第二頚椎):
第七頚椎:第一胸椎:胸骨最上部(頚部の付け根):鎖骨下部:顎先端のオトガイ:
下顎の左右の八重歯・歯茎の内部空間:上顎の左右八重歯の内部空間:蝶形骨最下部:蝶形骨中央部」
・「蝶形骨最下部」からは「蝶形骨中央部」に、「胸骨最上部」からは「胸骨最下部」に伸びる。
・「環軸関節」は1個あり、体軸に垂直な回転軸を形成する。
「環椎後頭関節」は左右に二個あり、左右への回転軸を形成する。
・頭部・頚部が上下・前後に動く際には、主にこの内径が移動して、それにつれて他の部位も移動する。
・「蝶形骨最下部」は、「迎香」「小鼻両脇の奥」
「上顎の八重歯の上方の奥が最下部で、八重歯~奥歯の位置までが下辺」。
・「蝶形骨」は、「鼻の上部の奥を中心として、眉間・眼窩・こめかみに広がる」
「下方は目頭・鼻筋両脇・小鼻へと伸びる」。
・「蝶形骨最下部」から下方へは、「2方向の主流気脈」が伸びている。
・体の前面から、「1つ目の気脈」は「頭部・頚部の回旋を司る構造として、
体の前面のおとがい・鎖骨・胸骨最上部へと伸びる気脈である。
また、これは胸骨から背面の第一胸椎へ至り、頚椎・後頭骨を通って蝶形骨最下部に戻ってくる」
・「2つ目の気脈」は「呼吸機能を司る正中線の構造として、
気道を通ってみぞおち(横隔膜最上部・胸骨の下方)へ伸びる気脈」。
&color(white,gray){2番目の構造:「呼吸機能を司る正中線の構造」}
・「みぞおち(横隔膜の最上部):第七肋骨の正中線沿いの左右両側:
気管内壁:鎖骨の最下部(の奥):喉の内壁(咽頭・喉頭):舌下の喉側:舌下:舌:下顎歯茎:
下顎の左右の八重歯~奥歯を主とした内部空間:口角の間の口腔内部:
上顎の八重歯~奥歯を主とした内部空間:上顎歯茎のほうれい線:口腔上部:
蝶形骨最下部の迎香(小鼻両脇の奥・上顎の八重歯の上方の奥):鼻梁・鼻筋両脇:
篩骨(篩骨洞):蝶形洞(目頭の中間の奥):眉間・眉頭:額の前頭洞:大泉門:頭頂部」
・人体の正面側の最大の波動構造
・「頭部・頚部の回旋を司る構造」での「2つ目の気脈」にあたる。
・頚部・後頭部の緩和法の項
&color(white,gray){3番目の構造:「脊柱の正中線の構造」}
・「頭頂(サハスラーラ):小泉門:眉間の奥(松果体):篩骨(篩骨洞・鼻の奥):蝶形骨:
蝶形後頭軟骨結合:後頭骨:環椎後頭関節:環椎(第一頚椎):環軸関節:軸椎(第二頚椎):
第七:第一胸椎:腰椎:仙椎:仙骨」
・人体の背面側、或いは真ん中の最大の人体構造
&color(white,gray){4番目の構造:「胸骨最上部:鼻頭:顎関節の三角形構造」}
・「胸骨最上部:鎖骨の最下部:鎖骨:顎関節:ほうれい線:
鼻頭:人中:顎の先端:鎖骨の最下部:胸骨最上部」
・頭部・頚部の左右方向への回旋を司る構造、1番目の構造に対応。
・「鎖骨の最下部:軸の支点・接地点」「鼻頭:軸の上部」
「両顎:左右両側」とする、「ヤジロベエ・メトロノーム」のような運動をする構造。
&color(white,gray){5番目の構造:「最も体表側を流れる正中線の主流気脈の構造」}
・「鼻筋両脇の間:人中両脇の間:上顎の八重歯・歯茎の間の空間:下顎の八重歯・歯茎の間の空間:
オトガイの左右突端の間:鎖骨下部:胸骨最上部:胸骨最下部」
・前正中線の胸郭の最下部の「胸骨最下部:接地点」、
「左右の肩関節・腕・額関節:左右の錘」の、「ヤジロベエ・メトロノーム」のような運動をする構造。
・「胸骨最下部」より下部は「横隔膜・腹腔」で、可動性が高い。
上部は「胸郭」で、可動性が低い。
「胸骨最下部」か、背面側の胸郭最下部の「第十二胸椎」を基点に、上部が一体的に動く。
&color(white,gray){6番目の構造:「顎のライン:鎖骨:蝶形骨の平行線の構造」}
・「肋骨(体の前面の第一二肋骨から第一肋骨):左右の鎖骨:
両顎のラインの下部(喉側):下顎:上顎:蝶形骨の小鼻両脇~こめかみ」
・人体で最も歪みやすい構造、頭部の歪みを生む最大要因となる構造。
&color(white,gray){7番目の構造:「肩:外後頭隆起~乳様突起の平行線の構造」}
・「肋骨(背面の第十二肋骨から第一肋骨):肩の上部:
外後頭隆起から乳様突起のライン」
&color(white,gray){8番目の構造:「右半身・左半身の構造」}
・「5番目の構造+6番目の構造の半身側のみの物と、
これを頭頂部から両足まで延長した、右半身・左半身の構造」
&color(white,gray){9番目の構造:「口角を中心とした、前面側の縦線の構造」}
・「鎖骨の両端付近:口角の真下の喉側:口角:下顎の奥歯・歯茎:上顎の奥歯・歯茎:ほうれい線:
頬の一番高い場所:目尻:眉尻:頭頂部左右両側の突端(側頭部の頂点)」
&color(white,gray){10番目の構造:「乳様突起を中心とした、背面側の縦線の構造」}
・「肩関節の正中線寄りの背中側:乳様突起:耳の付け根:
耳の周囲の縫合線:頭頂部左右両側の突端(側頭部の頂点)」
&color(white,gray){11番目の構造:「肩関節:額関節の構造」}
・「肩関節:額関節:耳付近:側頭部:頭頂部左右両側の突端(側頭部の頂点)」
「1番目の構造 」は頭部・頚部を前後に回した際に観測される物で、そして資料や体験的に、ここには気脈があると思われます。恐らくは「体の動きの様々な軸に沿って、気脈は存在している」「体の相似的な部位に沿って気脈が流れていて、相似的な部位の間には共鳴効果と、量子エネルギーの増加効果(波動上昇効果)が生じている」と思われます。
「2番目の構造」は「呼吸機能を司る正中線の構造」で、「3番目の構造」の脊柱の構造と並んで、人体で最重要の気脈の大幹線だと思われます。ここは「第3チャクラ(みぞおち)」と「横隔膜など」、「第5チャクラ(喉)」と「大体の呼吸機能」を内包します。
「気管が食道と合流する喉仏付近」には「喉頭蓋」があり、気道への食物の流入防止をしています。その下の気管最上部付近に左右の「声帯」と、「左右声帯と、間の空間」である「声門」があります。これらの上部には「顎先端のおとがい」「下顎のライン」「下顎・歯茎」「口腔下部・舌」があります。
「6番目の構造」における「下顎のライン」は、「鎖骨~頚部」と来た、気の流れの「関門」となっています。また人体でも非常に凝りやすい「頚部と後頭部の境周辺(後頭下筋群と外後頭隆起)」に対して、頚部前方・後方で相対する位置で(拮抗筋の関係)、この部位は凝りやすく、気の流れが頭部と頚部で遮断されています。「2番目の構造」と「6番目の構造」は、構造を分有していて、「鎖骨~おとがい・顎の側面ラインの気脈」に気が通っていないと、「頚部前方」が硬直、「頭部・頚部・胸部上部」が一体的に硬直します。
「廉泉(れんせん)」は「のどぼとけの上、横じわの中央あたり」にあり、「喉仏にあって泉のようにエネルギーが湧き出る」という意味です。効能は「唇と舌の出来物・炎症・腫れ」「喉の痛み(咽頭炎・扁桃腺炎)」「知覚麻痺」「気管支炎・喘息の沈静」「言語障害」です。
「正中線の場所」は、特に「ツボが無い場所」ても、「気の流れにとり重要な場所」となっています。「顎のオトガイの先端の窪み」は、ツボではないようですが、リンパ管があります。重要な気脈もあるようで、付近の正中線も含めて手当てをすると、「鎖骨・頚部・顎・にかけての気の流れ」が良くなります。「頤(おとがい)」は「音声に関連する口唇の微妙な動きを可能にする筋群が付着する」「形状に個体差がある」という部位です。「喉仏・オトガイ・唇・人中の正中線の緩和」は、「唇・舌・咽喉への血液・気の流れの改善」を起こすと共に、「発声の自在化」の効果があるのかもしれません。そして「オトガイと鎖骨の最下部の正中線には、大きな気脈がある」と思われます。
「4番目の構造」について、「鎖骨の最下部」は「頚部の最下部」であり、「頚部と顎の歪み・コリは一体的なことが多い」です。「ヤジロベエのような三角形構造」で、分かりやすい物です。
基点である「鎖骨の最下部」が、左右どちらかに微妙に傾くと、その上部の「頚部・頭部」は大きく傾きます。更には、その下部の「頚部の付け根の下部の気道付近・筋肉の歪み・傾き・硬直」が、上部の「頚部・頭部」の状態を決めていきます。「鎖骨周辺から胸部最上部の柔軟化」は大事で、ここの状態が「頚部・呼吸器・気道の状態に影響、更にほうれい線などに影響」します。
そして「鎖骨と顎の側面の、斜めの平行ライン」があって、「平行のラインの間の空間の見えない気脈」があり、「鎖骨周辺の柔軟化と、両顎のラインの柔軟化は、同時並行的に起きる」と思われます。「額関節」から「小鼻」にかけては「ほうれい線と、その分岐ライン」が通り、ここは凝りやすい部位です。この「三角形構造」のうちの「鎖骨と顎の側面の、斜めの平行ライン」「額関節から小鼻のライン」を緩和すると有効です。
「6番目の構造」は、上記のように「2番目の構造」と一体的に凝っています。「第12肋骨~第1肋骨」「鎖骨」「下顎骨の下顎のライン」は、相似的(に近い)な形状をしています。これは「これらの骨と周辺組織を併せた、正中線を中心軸とした半円の構造」とも看做せます。そして「1番目の三角形構造」の所にあるように、ここに「平行のラインの間の空間の見えない気脈」があると思われます。
この背面に「7番目の構造」があり、特に「肩の上部」と「外後頭隆起から乳様突起のライン」の間には、人体の中でも特に大きな気脈があると思われます。
「9番目の構造」は、「ほうれい線の延長の気脈」である「上下の八重歯のライン」を最も凝りやすい部位として、その延長線の「頭頂部~肩・胸部上部」までの縦の気脈の線です。
「頭頂部左右両側の突端(側頭部の頂点)」はツボではないですが、非常に重要な気脈の結節点だと思われます。ここに中心に、顔面側・後頭部側の線を指先で触れていると、下部の各気脈に気が通っていきます。その経路の重要な結節点は「乳様突起から外後頭隆起」「額関節・奥歯から八重歯」「両顎の下部」「左右の鎖骨のライン」「両肩のライン」です。気を送り込みながら、これら構造・ラインの間を「波動・気脈・組織・部位同士の共鳴」「全体的・全身的な共鳴」を意識していくと、大量の気が流れます。
「10番目の構造」はその背面側、ここは非常に凝りやすい「乳様突起」を中心に、「耳の機能」を抱合して、大きな気脈が縦に走っています。「9番目の構造」と「10番目の構造」は一体的な関係にあり、片方に気が通ったり緩和すると、もう片方も気が通ったり緩和します。
●&color(white,black){鼻と副鼻腔}
「鼻」は「正中線の前方にある」「顔の中心にある」「上方(斜め奥)に松果体がある」という性質があります。東洋医学では「大腸」に一番関係が深い臓器は「肺」とされ、「大腸・肺」は「体の必要物を取り込み、不要物を出す」という働きがあります。「鼻」は「肺の門戸」と言われ、「鼻に問題があると、肺が弱っている」と考えられるそうです。また「鼻づまり」の原因は「風邪・疲労・アレルギー」など様々で、「鼻が詰まっていると、脳活動が低下する・脳が鈍る」と言われます。「鼻水」の機能の1つには「低波動を排泄する」という物があります。
鼻の背の外側両側には「上唇挙筋(じょうしんきょきん)」があり、「表情筋」の1つです。「上唇と鼻翼を引き上げる働き」があり、これが老化・硬直すると「頬が下がる」ようになります。「鼻通」は上唇挙筋の内側のツボで、「血行改善」「鼻の粘膜機能を高める」「鼻の通りを良くする」という効果があります。
「副鼻腔(ふうびこう)」は「鼻や眉間周囲の骨の内部の海綿状の空洞」「眉の上から頬の下部間での、鼻の両側にあり、4個所に別れる」「粘液・鼻水が溜まる場所」「発達程度が、顔貌の多様性を生み出す」という部位です。その1つとして、上唇挙筋の奥に「上顎洞(じょうがくどう)」があり、この最下部が「ほうれい線」となっています。「唇挙筋・上迎香(鼻通)」を指圧しながら、顔の表情を変えると、「頬・上顎」などが持ち上がっていき、硬直した筋肉や表情が和らぎます。
「鼻水」は、次のような性質があります。
・鼻腔内の鼻腺、杯細胞などから分泌された粘液、および血管からの浸出液などの混合物。
・鼻から吸った空気に適度な湿り気を与えたり、気道の粘膜を病原菌から保護するために
常に分泌されているが、通常は無意識のうちに飲み込んでいる。
・しかし風邪をひいた、花粉症にかかった場合などには、鼻や喉に付着した病原菌や
花粉を殺菌し洗い流すために大量の鼻水が分泌され、鼻からあふれ出ることになる。
また「眉間の中央」のツボ「印堂(いんどう)」」は「鼻を高くするツボ」と言われ、眉間も他の部位・ツボと同じように「緩和している・開かれている方が良い」言われます。「鼻筋が曲がっている人は、背骨も曲がっている」と言います。ここから「眉間・鼻筋をはじめ、顔面の中心線から左右両側へと開かれていくと、圧力低下と緩和が起き、中心線周辺の気血の循環が改善する」「顔面の中心線の活性化と、左右に開かれた事により、中心線や鼻筋のラインが通ってくる」「背骨の歪みがあると、鼻筋は通らなく、鼻の通りも悪くなり、脳活動が低下する」と考えられます。
&color(white,gray){これらを考え合わせると、次のような仮説が立てられる}
・脳にある「脳室」の「脳脊髄液」は高波動の液体で、これにより「高次脳機能」「超能力」が維持される。
・「頭部」において「低波動の物質・量子・液体」は、「副鼻腔」のうちの特に「上顎洞」に貯められる。
そして、粘液である「鼻水」として存在している。
・「鼻腔から排泄される鼻水」は、「低波動の量子・物質を体外に排泄する為の廃液」である。
・「体内に再吸収され難いように、専用部位の副鼻腔に溜められ、主に鼻腔から排泄される」と言える。
「上顎洞に溜められる部位より、下部の部位で生じた低波動物質」は、「痰」になると考えられる。
・このようにして、「頭部」を「一定以上の波動の維持状態」にして、恒常性を維持している。
・「鼻詰まり」は「頭部の波動低下」に伴う現象で、
これにより「鼻詰まりが起きるような状態では、脳活動も低下している」という相関関係が生じる。
・「鼻水」は消化器から「腸」へも流入する。
・「大腸」の「内容物」の波動が一定以下になると、応急的な排泄の必要が生じ、「下痢」が起きる。
・「下痢・腹下し」の症状は、「頭部の波動」「鼻周囲の波動低下や鼻水」が大きく関る。
・「頭部と腸の波動・健康状態の改善」には、
「鼻周囲・副鼻腔」の「波動改善・血行改善・コリ解消」などが必要である。
・「上唇挙筋」「頬の内側の下側」は凝り易い場所で、これは「上顎洞」も一因だと考えられる。
・「波動低下」と「コリ・硬直化」と「気血水(波動・血・リンパ)」は
特にこの周辺部位では、悪循環を起こしやすいと見られる。
・上顎洞の上にあり、目頭の下部の副鼻腔の「篩骨洞」は、
「松果体・第三脳室」に関る部位で、高波動である。
・「鼻」は「体の中心線」にあり、「脊柱や体幹の延長」にあると言え、
「チャクラの活性化」には非常に重要な部位である。
・「顔面の中心線」が左右に開かれる事で、
「体の中心線・正中線の活性化」「中心線のラインの明確化(鼻筋が通るなど)」が起きる。
・「水を飲む」のは「波動を維持する・上げる行為」、
「鼻水・痰(ほか排泄物)を出す」のは「波動を維持する行為」と考えられる。
・「水の純粋性」は「波動を上げる物」、「排泄物における粘性」は「低波動の性質」と考えられる。
・しかし「変に意識すると無意味に量が増す」ので、鼻水・痰などを無理に出すのは良くないです。
●&color(white,black){目・眉・眉間周辺}
「目・眉・眉間」は「最後に柔軟化して波動上昇する場所」とも考えられます。「チャクラは下方から覚醒して、最後に松果体・頭頂が覚醒する」とも言われます。ここから「胴体→頚部→顎→頬・鼻」と柔軟化した後に、縦に伸びる経絡に沿って、「頬・鼻から伝わる波動」により「目・眉・眉間が開かれる」という状態になります。その後「松果体の覚醒」や、更に「頭頂(サハスラーラ)」の覚醒と共に、「全チャクラの活性化」が成される、と考えられます。
「鼻根筋(びこんきん)」は「薄い板状の筋で、鼻骨下部と外側鼻軟骨上部をおおう筋膜から起始し、前頭部の皮膚(眉間と眉の上の皮膚)に停止する」「眉間の皮膚を引き下げ、眉間に縦皺を作る」という筋肉です。「眉間の硬直」は、直接的には「鼻根筋の硬直」によって起こります。
「皺眉筋(しゅうびきん)」は「起始:眼窩口の内側縁で前頭上顎縫合の上方(前頭骨の眉部)」「停止:眉部中央から内側部の皮膚」「働きは眉間に皺を作ること、特に縦皺を作る」という筋肉です。
「眼輪筋(がんりんきん)」は「眼瞼部・眼窩部・涙嚢部に分かれる」「眼輪筋の起始は3つあり、停止は1つである(途中で合わさる)」「作用は上下の眼瞼を閉眼する」という筋肉です。
「深遠な眼差し」「奥深さを感じる目・眼光」といわれるような表情について、これは波動が高い人によく見られます。これは「外部の光の透過性・内部で発した光の透過性が、目と周辺において高い」「角膜・瞳孔・水晶体・網膜が透き通っている」「松果体を始め、間脳・脳全体が多量の光を放ち、それを目を通じて、他の人が見ている」という要因が考えられます。波動が高い人や、落ち着きのある人、また速読ができる人などは、「後頭部やその後方に、意識の焦点を置く」「視線は俯瞰的に見る」という傾向があり、これも影響しているでしょう。また波動が高くなると「精神的な落ち着き」が出るので、表情・仕草・行動などからも、そういう感じを見受けるようになるでしょう。
「眉間」は文字通り「両眉の間」にあり、「眉間の緩和」は「松果体(第6チャクラ)」の覚醒を促します。これら柔軟化運動の全ては、「鼻筋・眉間」の周辺を緩和して、開く方向に働きます。「岩戸はきつく閉ざされている」「凝っている・硬直している」訳で、その反対の「柔軟化・緩和・鎮静・リラックス」をすれば、開かれる方向に働きます。そうすると気血の流れが改善して、波動は上昇、チャクラの活性化に近付きます。
「眉間・鼻・上顎」にかけては、頭蓋骨の縫合線が多く存在します。その1つに、目と鼻の間に「鼻骨上顎縫合」があり、周辺は、副鼻腔の1つ「篩骨洞(しこつどう)」となっています。ここの「篩骨・篩骨洞」は「人体で最も磁鉄鉱が多く、磁場・指向性に関係する」「尾骨に共鳴し、身体の上下方向のエネルギーの極」「深遠で重要な機能を持つ、精神面の入り口、瞑想の中心になる場所とされる」「松果体に付属する重要部位の第三脳室が奥にある」などとされます。
「頭部の筋肉群」だけでなく、「脊柱起立筋~肩~首周辺の筋肉」も柔軟になると、「頭部の血行」が良くなり、「脳血流」は大きく改善します。「目・鼻・口・耳・皮膚・髪」など、全ての部位の状態が徐々に改善していくでしょう。
また「日月神示」には「神は額から入って顔全体に 至り、全身に及ぶものであるぞ」「額に先ず気あつめて、肝でものごとを処理せねばならんぞ」とあります。
「眉間周辺への意識」は重要で、「緩和・左右への開放・気血水(波動・血・リンパ)の流れ」などを意識したり、念じることが必要です。「眉間に皺を寄せる」と、神経を集中できますが、この状態が日常化していると良くないです。「怒った時・怪訝な時・緊張している時」に寄りますが、これは硬直化の方向で、波動にも悪く、普段は「緩和され開かれている」のが良いです。状態としては「外後頭隆起に意識の中心を置く」「眉間周辺に無意識の中心を置く」「正中線を意識して、時折左右に開く」というのを、時折にでもやっておくと、良いかもしれません。
●&color(white,black){笑顔の効果と頬の緩和}
「頬」周囲は、多くの人が凝っています。「頬」から「鼻」にかけてが凝ると、顔面中心部周辺の広域の気血水が滞留して硬直化、「顔の表情」が強張ります。美容にとっては、この周囲の強張り・コリは大敵とされ、それは即ち波動にも大敵です。表情を失った状態が続くと硬直していきますが、忙しかったりで、気付かれない事が多いです。頬は「鼻に近い内側の下側」が凝りやすく、ここは「上唇挙筋・篩骨洞」の位置であり、頬の強張りは上記にある「鼻水・鼻づまりなどでの波動低下」と一体的な物だと考えられます。
「頬」は「下部から上方へに、持ち上げるように押す」と良いようです。両手で頬杖をつくように頬の下に置き、ずらしていきながら持ち上げていきます。又は中心部への密着から、筋肉や皮膚を離していくようにして、これにより圧力を低下させ、気血の流れが良くなる余地を生じさせます。また、横になって後頭部の下の方に手の平を当て、二の腕を頬骨に沿って置きます。後頭部から上顎・頬を上部に多少引き上げて、その間に考え事やうたた寝をします。10分位したら、後頭部から上顎・頬の力み・コリが取れてきているでしょう。これを位置を変えてやると、頬骨も全体的に力み・コリが取れます。
「頬の頂点の位置が高い(目の下の部位の、鼻の横~頬にかけて、手前側に盛り上がっている)」ほうが良いと、美容では言われています。これは「笑顔の時の位置」で、「鼻梁が横に引っ張られやすい外貌」です。この位置が低い場合、それは硬直の証であり、組織密度の低下や血行不良が起きているので、正中線は横に引っ張られ難く、鼻の縫合線は硬直しています。
「笑顔」になるとなど多用な効果があり、これは「作り笑い」でも効果があります。笑顔が少ないと上唇挙筋など頬周辺の筋肉が硬直して、口角が下がり、強張った顔になり、老化したようになります。「表情筋」は、多くが笑ったり噛んだりの動作で収縮する筋肉で、笑えば表情が豊かになります。「割り箸トレーニング」も、笑顔などのトレーニングで知られています。
&color(white,gray){「笑い・笑顔」の効果{既知の知見}}
・13本の神経が働く。
・幸福ホルモンの「ベータエンドルフィン」が分泌される。
・ストレスホルモンの「コルチゾール」が少なくなる。
・笑いによって「自律神経の頻繁な切り替え」が起こる。
この結果、交感神経と副交感神経のバランスの状態が代り、「副交感神経が優位の状態」になる。
・副交感神経は、安らぎ・安心を感じた状態のときに優位で、
副交感神経が優位な状態が続くとストレスが解消される。
・交感神経は、怒りや恐怖を感じたときなどの異常な事態の時に優位になる。
したがってその状態が長く続くとストレスの原因になる。
・身体中の様々な器官に刺激が与えられる。
・「NK細胞(ナチュラルキラー細胞)」が活性化し、ガンの予防と治療の効果がある。
・自律神経の頻繁な切り替えによる脳への刺激により、
「神経ペプチド(免疫機能活性化ホルモン)」が全身に分泌される。
・「NK細胞」には「神経ペプチドの受容体」があり、NK細胞は活性化される。
NK細胞は癌細胞などを攻撃する免疫細胞のひとつ。
・糖尿病の治療にも有効との研究がある。
・「鎮痛作用たんぱくの分泌の促進」をさせる。
・ストレスが下がることにより、血圧が下がる。
・「心臓を活性化させ運動した状態」と似た症状を及ぼし、血液中の酸素を増し、
さらに心臓によい影響を与えることから、「循環器疾患の治療」に用いられることもある。
「顔面の筋肉や皮膚・頭蓋骨」にとっては非常に良い運動で、最も簡単な運動の1つでもあり、気血水(波動・血・リンパ)の循環が改善します。頬周辺を連続的に引き上げる運動をすると、「寝入り端」での「顔の表情」「心身の状態」は、「睡眠時」の全体に大きな効果を及ぼすといわれます。強張った顔では効果が減少し、睡眠時は笑顔を浮かべながら寝るのが、気分的にも、楽さでも、効果時間の長さでも最善でしょう。
「笑顔」になると上唇挙筋と、口角を上外側・後上方に引き上げる「大頬骨筋・小頬骨筋(だい・しょうきょうこつきん)」、口角を外側に動かす「頬筋(きょうきん)」を始め、「頬から鼻の筋肉群」「目の下~目頭~鼻上部の筋肉群」が収縮して引き上がり、「眉間~眉~額」「こめかみ~側頭部」「頭頂部周辺」まで、頭部の大多数の筋肉が、リラックスしながら、主に緩和されます。
「ほうれい線の緩和・対策」として、「左右両側の口角・額関節・頬を出来るだけ左右に離す」という行為があります。これによりほうれい線は、最大限に伸び、かなり有効な手法です。そしてこれは「口元の笑顔の時の表情」です。
「笑顔」になると、目の下の「眼輪筋下部」が収縮、「眼輪筋上部」「皺眉筋」「鼻根筋」は緩和、「目尻にシワが寄る」状態となります。こういった収縮・緩和の動作が続くと、刺激が与えられる事で、気血水(波動・血・リンパ)の循環が改善、「目・眉・眉間」が活性化します。そして「目のクマ」が少なくなり、「視力」が回復していきます。
「笑顔」というのは、「顔の正中線から、左右両側を引き離して緩和する手法として、非常に有効」です。「緩和する手法の多くを、1つに纏めた動作」とも言えます。笑顔をすると「正中線の左右両側の筋肉が収縮緩和する」ので、繰り返していると「眉間・鼻筋・人中などの緩和」がされ、徐々に「正中線が開かれる」ようになります。
笑顔には「全部の筋肉が緩和するのでなく、頬の筋肉だけは収縮する」という特徴があります。そしてこれには「鼻が左右に大きく引き離される」という効果が伴います鼻の「鼻骨間縫合」は最も固着した縫合線で、これは「頬・上顎の筋肉が使われない事による硬直」が主因です。「笑顔で頬の筋肉が収縮する」のは、「頬・上顎の筋肉は、普段大きく動く事が少ないので、頬・上顎・上顎歯茎・上唇を収縮・刺激させ、柔軟化させる」「そして鼻筋の正中線を大きく引き離す」のが理由と考えられます。
「笑いは、緊張を弛緩で引き起こされる」とされ、「笑顔は、何故そのような表情になるのか」については「リラックス効果・筋肉への刺激」とされます。波動面から考えると、「笑顔の表情の最大の理由」は「正中線の緩和、松果体の覚醒、チャクラ・心の御柱の活性化、波動上昇についての、非常に有効な動作であり、有効な各動作の組み合わせとして発生した」と考えられます。
「笑う」という行為は「人間・チンパンジー」しか行いませんが、人間の笑いは事例・効果とも遥かに大きいとされます。これは「笑いは、高度な脳機能の維持・獲得に不可欠である」からだと考えられます。岩戸開きでは「神々の大笑いの声に引き寄せられ、天照大神は岩戸を少し開いた」のであり、これは「笑いは波動を大いに向上させる」ことを示しています。「笑顔は万能の効果がある」と言え、「笑う角には福来る」という諺の通りでしょう。
「笑い」は「心の栄養」です。特に「赤ちゃん・子供」には「笑い・笑顔・微笑み」は欠かせません。そういう「安心感」と、また「目一杯の愛情」による「自己と他者への肯定感」が、「心と波動能力の成長」を齎していきます。こうして「調和意識・融合的感覚」が形成されていき、また、これは皆に伝播していきます。江戸時代は、子供達も大人も笑顔が多くて、ニコニコ笑って、時に爆笑して、そして大人は子供に対して大らかに、愛情深く接していたそうです。それは、同時代の世界比較においては、幸福度が高い社会だったと言えるでしょう。
●&color(white,black){頭頂部・眉間・顎・鼻や上半身の中心線}
口を閉じた時にする「軽い笑顔」では「左右の口角」が左右方向へと広がります。「顎の筋肉」は「縦方向に開閉する筋肉」であり、「顎の横方向への弛緩」が続いている限り、「顎の筋肉群と咀嚼筋の弛緩」がされます。これに伴って「鼻から頬の筋肉群」が弛緩します。ここの「上唇挙筋・大頬骨筋・小頬骨筋・頬筋」などは「エ・イ」などの発声の時に緩和する筋肉群で、この言葉を意識すると、周辺が自然と緩和します。これにより「鼻筋とその奥への圧迫」を無くします。
鼻から下部においては、「鼻の下の溝」の「人中(じんちゅう・にんちゅう)」から、「顎の先端の窪み」を「中心線」として、「顎・口腔周辺のコリ・硬直が緩和」と共に、左右両側に開かれていきます。
「眉間」については上記のように、「眉間のシワ」が寄らないように、その反対方向の左右両側へと開いていきます。この時は「眉間」と奥の「松果体」を中心に、「額・眉・眼窩・鼻の周辺」を緩和して、開いていきます。更に額上部の「大泉門」や「頭頂部・サハスラーラ」を前後左右に開いていきます。これにより「松果体・サハスラーラへの圧迫」を無くします。
こうして「おとがいの窪み・人中・鼻筋・眉間・額・大泉門・頭頂部」の「頭部前方の中心線」が形成されます。また「頭部中心線から、中心線前方の体表部の線が、前方へ伸びていくような、中心線が前方へ伸びて、立体化するような意識を持つ意識を持つ」と、「意識の集中・明確化」「体軸の維持」がされるのかもしれません。
「体の突出部」は、何かしらの意味があることが多いようです。頭部においては「最上部:頭頂部」「最下部:大後頭孔(頭蓋骨底部にある後頭骨の穴で、延髄付近にある)か顎先端」「左右:両耳」「最前部:鼻梁」「最後部:外後頭隆起」となっています。「耳」はツボが多く、「頭頂部」は天と通じるサハスラーラがあり、「大後頭孔・外後頭隆起」周辺は後頭部・首の後ろのコリが出る場所で、「鼻梁」も両側の頬が凝りやすいです。「これらの部位は、閉じていると、硬直していると、特に気の流れが悪化しやすい場所で、開いていく必要がある部位」だとも考えられます。
また「大後頭孔・外後頭隆起」はすぐ近くにあるという事は、この周辺が重要な場所だという事を示すを考えられます。「脳戸」は、頭頂部からの気が通じて、背中の各所へ運ばれていく場所です。この下部の「後頭下筋群」付近は、頭部から頚部にかけ狭窄化する場所で、ただでさえ「血液脳関門」で細い血管が、さらに圧迫されます。この付近は「頭部への血管・気脈・神経管の関門」だと言え、ここが塞がれると、頭部が停滞します。ここから「後正中線にある、脳戸・外後頭隆起周辺を開放していくのは、頭蓋骨の岩戸開き重要」と言えます。
こうして「頭部前方の中心線」と併せて、「顎のおとがいの窪み・人中・鼻筋・眉間(松果体)・額・大泉門・頭頂部(サハスラーラ・百会)・外後頭隆起(脳戸)という「頭部の中心線」が形成されます。この線を中心に、左右へと開いていき、「チャクラ開放」へと繋げていきます。
そして「鳩尾・胸部・喉」の「胴体上部と頚部の中心線」と、「頭部の中心線」を連携して意識を持つと、「上半身の中心線」が形成されます。「尾骨・仙骨・会陰・丹田・ヘソの中心線」「胴体下部と下半身の中心線」と、「上半身の中心線」を連携して意識を持つと、「全身の中心線」が形成されます。また「ぼんのくぼ・第7頚椎・心臓の裏辺り(の体の中心部)」にかけての「後正中線」も重要です。この「全身の中心線」や「正中線」を軸に、「全身を左半身・右半身の左右両側へと開いていく」と、「チャクラ開放」「全身の岩戸開き」へと繋がっていくと思われます。
&color(white,gray){「睡眠時」に気を付けると有効と思われること}
・「大きく口を開ける」という行為で「広域の筋肉」を収縮緩和させて、
「頭部・脳」への血流と共に、「酸素」を充分に送る。
・「笑顔」を作って、その後に「微かな笑顔」を保ち続け、
「神経の緊張」を全部解いて「安静状態」になる。
・「鼻周囲~上唇」「頬~頬下部」「耳の下半分~耳の下部」「後頭部と頚部の境」の平行のラインは
普段から硬直し、その上方の頭部への血流を阻害しているので、
このラインを「弛緩しながら左右に開く意識」で緩和させる。
・これにより「表情筋」「咀嚼筋」「後頭部・頚部の境の後頭下筋群・延髄付近」の圧力を低下させ、
「上記のラインより上方の頭部」への「気血水(波動・血・リンパ)・神経」の流れをスムースにさせる。
・「眉間周辺」「眼窩周辺」「眉周辺」「こめかみ」のラインも
「弛緩しながら左右に開く意識」で緩和させる。
・「額」「大泉門」「頭頂部」も
「弛緩しながら左右前後に開く意識」で緩和させる。
・この行為で、睡眠中に「頭部上方」「脳の広域」の波動を上昇させると共に、
「眉間奥の松果体」「頭頂部のサハスラーラ」への気の流れを良くして、活性化させる。
・「顎のおとがいの窪み・人中・鼻筋・眉間・額・大泉門・頭頂部」の
「頭部の中心線」を中心に、左右へと開いていく。
・「鳩尾・胸部・喉」の「胴体上部と頚部の中心線」と、
「頭部の中心線」を連携して意識を持つと、「上半身の中心線」が形成される。
・「尾骨・仙骨・会陰・丹田・ヘソの中心線」「胴体下部と下半身の中心線」と、
「上半身の中心線」を連携して意識を持つと、「全身の中心線」が形成される。
・この「全身の中心線」や「正中線」を軸に、
「全身を左半身・右半身の左右両側へと開いていく」と、
「チャクラ開放」「全身の岩戸開き」へと繋がっていくと思われる。
・コリ解消・柔軟化は「鳩尾~頭頂部にかけての中心線と正中線の緩和」が最も重要である。
●&color(white,black){縫合線の柔軟化と岩戸開き}
「頭部の岩戸開き」では、「可動性のある場所を開く」ことになり、「コリやすい縫合線・重点的に緩和すべき縫合線」を開いていく事が欠かせません。
「耳」の項目での「耳・鱗状縫合・茎状突起・乳様突起・乳突部・外後頭隆起・後頭下筋群にかけて」は、乳様突起上部を斜め横に走る「鱗状縫合」と、乳様突起下方を横方向に走る「後頭骨・外後頭隆起の底部」に別れます。「後頭骨・外後頭隆起の底部」は縫合線ではないですが、ここに記述します。
耳周辺の「鱗状縫合」は、先述のように可動性が高く、頭のふくらみに影響を与え、「耳の上部」「耳の周囲を取り囲む生え際の微妙な出っ張り」「乳様突起上方で、横方向へ向きを変える」という位置にあります。
乳様突起上方からは「後頭乳突縫合」となり、この縫合は「乳様突起を囲む」ように存在します。その先で「後頭骨」に至り2方向に分岐、下向きの縫合線は「後頭乳突縫合(の延長部分)」で、「頭蓋骨の底部」へと至ります。また「錐体鱗縫合」が「乳様突起」に完全又は不完全に存在していることがあります。
「後頭骨の底部」について、「後頭骨の底部は大後頭孔前縁の前方にある長方形の板状部で、内頭蓋底と外頭蓋底の斜台の下半分を作る」「両側縁は側頭骨の錐体と軟骨結合している」との説明があります。この「頚部・頭蓋骨の境の、やや頭蓋骨側」「後頭骨の底部」「外後頭隆起の下縁」のラインは、「頭部の関門」と言える重要な位置にあります。
「後頭骨の底部のライン」「耳の周囲を取り囲む生え際の微妙な出っ張り」は、「乳様突起」を境に垂直に方向転換します。この両ラインの中心には「外後頭隆起・後頭下筋郡」があり、ここは先述のように、頭部の気血水(波動・血・リンパ)の循環を左右する部位です。また「岩戸開き」では、当然この「外後頭隆起・後頭下筋郡を中心に、左右へ伸びるライン」は、「柔軟性の確保が、頭部・頚部の状態を最も左右する部位」です。そして、大概この辺りはかなり硬直していて、「岩戸がきつく閉ざされた状態」にあります。ここを「外後頭隆起・後頭下筋郡を中心に、左右に拡張していく」という必要があります。
「頭蓋骨の中で硬直が多い縫合線」は「矢状縫合(しじょうほうごう)」「冠状縫合(かんじょうほうごう)」「鱗状縫合」「人字縫合(じんじほうごう・ラムダ縫合)」「頬骨・鼻骨・上顎骨の境の縫合線」です。
「矢状縫合」は「正中線に沿った頭頂骨の間」にあり、ここには「第7チャクラ(サハスラーラ)」があります。「冠状縫合」は「前頭骨と頭頂骨の間」「大泉門とこめかみの間」にあります。
「人字縫合」は「頭頂骨と後頭骨の間」「正中線上に後方に伸び、小泉門で分岐して、左右の乳様突起に向かう」という線です。
「前頭縫合」は「前頭骨の左右中間部にある縫合」「通常は6歳頃に消失」「残存する場合にこう呼ぶ」という線です。
「大泉門」には「顖会(しんえ)」のツボがあり、「顖門」「頂門」「前頭百会」「顖門」「鬼門」とも呼ばれ、「顖・顖門」は「大泉門」のことです。「頭頂部の前方約9cm、前髪際の上約6cm」にあり、効能は「副交感神経の緊張緩和」「頭痛」「めまい」「鼻詰まり・鼻炎」「不眠」「高血圧」「脳の曇り」です。
「小泉門」には「後頂(ごちょう)」のツボがあり、「百会(第7チャクラ)のある頭頂の後方4.5cmの、後正中線上」「耳尖を結ぶ線と正中線の交点」にあります。効能は「後頭痛」「頭重」「めまい」「テンカン」「不眠」「背部のこり」「脳の充血・貧血」「三叉神経痛」「耳鳴り」「生理不順」です。
「前頂(ぜんちょう)は「正中線上の生え際の親指3本半分後ろ」にあります。効能は「風邪」「頭痛」「めまい」「顔の腫れ」「鼻詰まり」「ストレス解消」「生理不順」「てんかん」「抜け毛」です。
「前頂(ぜんちょう)は「正中線上の生え際の親指3本半分後ろ」にあります。効能は「風邪」「頭痛」「めまい」「顔の腫れ」「鼻詰まり」「ストレス解消」「生理不順」「てんかん」「不眠」「抜け毛」です。
「神庭(しんてい)」は「神々が集う"元神の府"である脳の門庭」であり、「眉間から上方向に指五本分の正中線上」「生え際の1cm弱上」にあります。効能は「頭痛」「めまい」「鼻づまり・鼻炎」「不眠」「精神疲労・自律神経失調症・心の病」「抜け毛・薄毛」「高血圧」です。
また「胎児の頭蓋骨」は左右別々に作られ、生まれる間際になって左右がくっつきます。大人では「大泉門」から下部では、眉間にやや残る、上記の縫合線しか残っていないですが、元は「外後頭隆起・小泉門・頭頂・大泉門・額・眉間・鼻梁・人中・口・顎のおとがい先端の窪み」を境に、左右に分かれていました。
最も硬直している縫合線は「鼻骨間縫合」です。その周辺には、「眉間・鼻・上顎」にかけての小さな縫合線の、「前頭上顎縫合」「鼻骨上顎縫合」「涙骨上顎縫合」「上顎間縫合」があります。
「鼻骨間縫合」は左右の鼻骨の間の「鼻梁の正中線」にあります。接する骨の接触面が平面である「平面縫合」となっていて、鼻骨が広い幅で接合している大きな縫合線となっていて、拠って中々開かれません。鼻梁の「鼻筋(びきん)」は「鼻筋は横部(鼻孔圧迫筋)と翼部(鼻孔開大筋)に分かれ、時に鼻中隔下制筋を含むことがある」「鼻部周囲において鼻を狭めたり、拡げたりする」という筋肉です。
その外側に並行して走る「鼻骨上顎縫合」は、上顎の奥の副鼻腔の「篩骨洞」に存在します。ここの「上唇挙筋」は、外側の「大頬骨筋・小頬骨筋・頬筋」と共に、あまり動かされる事が無いので硬直していて、これが「眉間・鼻・上顎の縫合線の固着」を招いています。
「前頭上顎縫合」は、鼻骨上顎縫合の上方にあり、「眉間から左右眼窩」にあります。ここの「鼻根筋」は「眉間周辺・鼻上方」にかけて存在します。「涙骨上顎縫合」は「鼻骨上顎縫合のやや外側の、眼窩内」にあります。
「上顎間縫合」は鼻骨間縫合の下、「鼻から上唇の正中線の人中」に存在します。
「人中」は「鼻唇溝」とも呼び、この溝は何かに役に立っている訳ではないとされています。「水溝穴(すいこうけつ)」「人中穴(じんちゅうけつ)」はここのツボ、「後正中線沿いの督脈に属する」「ここを突くことで生き返りの効果があるとされる」「湧き水の溝部近くにあるツボ」「天の下、地の上、すなわちその中間の人の位置にあることから付けられている」「子宮をあらわす」とあります。効能は「顔面各部の疾患」です。ここを押すと緊張が緩和して、口角が斜め左右へと上がり、自然な微笑みの表情が作られやすくなります。
「人中」は、上記の「鼻周囲~上唇」「頬~頬下部」「耳の下半分~耳の下部」「後頭部と頚部の境」の平行のライン上にあります。「縦に走る溝」であり、「この中心線から左右に開かれる」と考えられ、また「頭部上方への気血水(波動・血・リンパ)の阻害の解消」も行うと考えられます。「顎周辺の緊張弛緩」は全身に影響を及ぼすので、「効果範囲は全身の神経・筋肉に及ぶ」と思われます。「天地の中間に位置」しますが、波動的には「中心部」は「波動が高い」「神性を帯びる場所」です。効能も「生き返り」なので、「人中は非常に重要なツボ」だと思われます。またここが目立つ事への懸念は、シワ自体が筋肉・皮下組織が活性化・柔軟化すると目立たなくなるので、問題は無いと思われます。
「眉間・鼻・上顎の縫合線の硬直」の理由は、「外後頭隆起・後頭下筋郡の硬直が直接影響する(拮抗筋のような関係)」「頬の筋肉の硬直」「眉間にシワが寄るような、眉間周辺の緊張・硬直の影響を受けやすい」「鼻筋が小さいので、緩和の効果が他の筋肉よりは小さい」「接合面の大きさ」と考えられます。
「眉間・鼻・上顎の縫合線の緩和」は、「岩戸開き」の本丸である「松果体の覚醒」に必須です。これだけの縫合線の密集は「眉間・鼻・上顎は柔軟性が必要である」という事の証左でしょうし、それは「松果体・第三脳室」「間脳・視床下部・脳下垂体」「篩骨・篩骨洞」「蝶形骨」などの重要部位が、この奥に密集しているからでしょう。然しこの周辺は、顔面中心部にあって、大きな筋肉群と離れているので、硬直しやすく、緩和しにくい部位です。
ここの緩和法として、「頬の緩和」は重要で、かなり凝っている頬周辺の筋肉は「鼻筋への圧迫」を齎しているので、この外側の筋肉を緩和する必要があります。「鼻根筋」「鼻筋」は小さい筋肉で、主に「笑顔」「表情の緩和」「手当て・マッサージ」が妥当と思われます。「鼻筋」は末端の部位なので冷えないようにするのが大切です。「眉間から鼻筋にかけて、左右に開かれているようにする」ことが大切で、その為には「眉・目の周囲・頬」を暖めたり、手当てで緩和したり、笑顔などで刺激する必要があります。
「頭部の緩和」「岩戸開き」には、「頭蓋骨の縫合線」「頭部の正中線(外後頭隆起・小泉門・頭頂・大泉門・額・眉間・鼻梁・人中・口・顎のおとがいの窪みの前正中線・後正中線)」「後頭骨底部(頚部との境の、外後頭隆起の最下部)」に対して「きちっと意識を持ち、緩和・拡張をイメージングする事」が大事です。
「頭部の正中線の緩和」に対しては、「正中線の意識と、その緩和・拡張の意識を持つ」「緊張状態や、無表情状態を続けるような、顔面の部位が中心に寄って来る行為をしない」「眉間にシワが寄るような表情は長続きさせない」「軽い微笑みのような、口角・頬・目元(目尻)・眉(眉尻)が、左右に開かれるような表情をする「時折意識して緩和の行為を行う」などを心掛けるのが良いと思われます。
「意識による、頭部の正中線の左右への開放」という感覚・意識付けは、かなり重要ですす。「全ては意識」なので、色々な手法をやっても、「正中線の開放」に意識の焦点が当たってないと、「他の部位に効果は多大で、未だ正中線は開かれず」といった状態が続いてしまいます。
なので「意識で開く」「手でも開く(毎度でなく、手加減も大事)」「正中線沿いのツボ・縫合線などの施術を行う」「正中線沿いの縫合線の柔軟性維持」という事が重要です。目的を念頭に置き、作用メカニズムを大まかにでも認識して、これで「この方向で合ってる」という確信が生じて、そして無意識状態でも、そういう潜在意識が発動されていると、上手く事が運ぶと考えられます。こういった意識と施術を行っていると、他の施術の効果が、乗数的に拡大すると思われます。
●&color(white,black){泣くこと・涙の効果}
&color(white,gray){「涙」の性質}
・通常の分泌量は1日平均2-3cc。
・涙の原料は「血液」。
・9割以上が「水」で出来ており、
「タンパク質(アルブミン・グロブリン・リゾチームなど)」「リン酸塩」なども含有する。
・涙腺内の毛細血管から得た「血液」から血球を除き、「液体成分のみ」を取り出したもの。
・一般的に「弱アルカリ性」の液体である。
・分泌された「涙液」は「目の表面」を通過したあと「涙点」に入り、
「涙小管・涙嚢・鼻」を経て、「喉」から再吸収される。
・「大量の涙を流した際に出てくる鼻水」は、「涙が鼻涙管を経由して排出されたもの」である。
&color(white,gray){「涙・泣くこと」には以下のような役割があるとされる}
・「目の表面(角膜・結膜)」への「栄養補給」
・「瞼」を円滑に動かす「潤滑材」
・「細菌・紫外線」から目を守る「防御壁」
・「雑菌」の「消毒」
・涙は「油層」「涙液層」「ムチン層」の3層で目を保護して、
その3層の合わせた厚さは約7µm(マイクロメートル)しかない。
・涙の持つ抗菌成分は「リゾチーム」といい、「細菌の細胞壁(ペプチドグリカン)」を分解する作用を持つ。
・眼の使用頻度によって涙が蒸発しやすくなったり分泌量が減ったりすると、
ドライアイと呼ばれる状態に陥る。
・ストレスへの抵抗力を強化するホルモンの分泌を促す「副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)」は
「涙の分泌も促す」という効果があり、
「ストレスホルモン」の「コルチゾール」や「ストレスにより溜まった物質」が流出、
泣いた後は「モルヒネ用作用」がある「エンドルフィン」が増えて
「交感神経から副交感神経への切り替わり」が起きる。
これにより、精神的に「鎮静状態」になり、気持ちがスッキリする。
・「感情による涙」は「刺激による涙」よりも、「より高濃度のタンパク質」を含んでいる
・「泣いた時の涙」には、「うつ病」と関係があるといわれる「マンガン」が血液中の30倍も含まれる。
仮説として、血液中のマンガンの量が一定以上になると、
涙を流してマンガンを体外に排出することで、うつ病を回避する、という説がある。
・涙には「ストレスなどによって生じた、
体にとって余計な物・有害物質を排出し、体の働きを正常に整える働きがある」とされる。
「涙が出る原因」のうち「感情による涙」については、現在は最後の説が有力ですが、まだ研究は続いています。また「ジェームズ=ランゲ説」では「刺激→身体変化→情動」という道筋を考え、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」としていて、これで全て解説される訳ではないですが、有力視されています。
&color(white,gray){「泣く・涙」という現象に伴って、次の現象が起きる}
・「目の周囲・眉毛・眉間・鼻筋・頬の上部」「眼輪筋・鼻根筋・鼻筋・皺眉筋・上唇挙筋など」
「副鼻腔」「鼻骨・篩骨・涙骨・蝶形骨中央部・上顎骨上部・前頭骨下部・口蓋骨上部」において、
「温度上昇」「緩和」の効果が発生する。
・泣いた際には「副鼻腔の全域の温度上昇」が起きるので、
「涙の際の鼻水」には「副鼻腔(上顎洞)の低波動の量子・物質」も一緒に流されると考えられる。
・両目の間の「篩骨・篩骨洞」「蝶形骨」などの他の組織も、同時に暖まる。
・両目の間には「縫合線」が多く、これも緩和する。
ここから「泣くことは縫合線を緩和・開いて、松果体を活性化させる、非常に有効な行為である」だと言えます。「泣くことは、何故そのような現象が起きるのか」について、それは「ストレスの発散」のみならず、笑顔と同様に「正中線の緩和、松果体の覚醒、チャクラ・心の御柱の活性化、波動上昇についての、非常に有効な動作であり、有効な各動作の組み合わせとして発生した」と考えられます。
「笑い・笑顔と泣く・涙」は「人間の2大感情表現」ですが、その発生の最大の理由は、未だ定説がありません。この双方には「非常に特徴する効果がある」「人体・精神の重要な目標到達地点であるチャクラ・松果体の活性化に纏わる」「森羅万象の最上位構造である波動原理と一体的である」という共通点があります。ここから「笑い・笑顔と泣く・涙は、発生要因は同じで、松果体・チャクラ活性化と、知的生命体としての波動の維持・上昇が、その最大の目的・効果である」と考えられます。
「頭部を回旋させると、脳脊髄液が生成される」という説があります。「脳脊髄液」は「脳室に溜められていて、脳を守る液」であり、「高波動で、各種の波動情報を大量に含んでいて、知的活動に不可欠な物質」とみられます。頭部を回旋させるのは「頚椎の関節」で、首が緩んでいると、体の各部分が緩んでいきます。「感情が気が緩むと溢れ、それにつれ涙が出る」とも言い、また体の硬直は精神的な硬直も招きます。これらから「頭部・頚部の柔軟性・可動性・回旋」があると「知的活動を担う脳脊髄液が多く生成される」「感情が緩んで、恒常性の維持活動として、涙が出やすくなる」とも考えられ、何れにしてもこの点は大事だと思われます。
人間は「霊長類」であって「霊的に長じた存在」であるべきでしょう。そして「泣く笑うなどの、感情表現が多様な生物」であって、「感情を抑圧させるよりも、大らかに朗らかに緩やかな社会であった方が、生命力が活性化する」と言えるでしょう。達観も抑制も、それは個性で素晴らしいでしょうが、周りが空気的に抑圧させてしまうのは、本来的な姿でないですし、例えば子供のような素直さ無邪気さを、何時までも何処かに持っている方が良いのかもしれません。普通に、誰かを傷付けることもなく、感情が発散できる社会ならば、それが良いのでしょう。
人間には「高度な思考・意識」「多様な感情」が与えられていますが、これは「それを良い方向に活かす為に与えられている」はずでしょう。その方向こそが「人間の在るべき状態・本来的な状態」と言え、「人間性」というのは、元々はそういう物だと考えられます。
●&color(white,black){深層脳と表層脳}
「脳」は「人体の中枢の器官」「体内外の様々な情報の送受信を行う」「解析行為を行う」という機能があります。頭部が凝っていると、自動的に「人体各所の硬直化」が生じます。何故ならば「人体は意識・無意識・感覚の在り様に支配され、それは脳で形成される、或いは脳を経由する」からです。
歪み解消・柔軟化の特徴的な効果の1つに「(胸部の奥から頭頂部までの)体幹部や、正中線沿いの各所の血流量が非常に増加する」のがあります。筋肉が柔軟化しいたり、硬直して閉じていた骨格が広がったりするので、「血管・リンパ管・気脈・神経への締め付け・圧力が減少」して、これらの流れや、「波動情報や神経情報の送受信・やり取りが柔軟化」します。
現代人の脳活用は「表層脳」の「大脳新皮質」に偏重していると言われ、「常に表層脳が働かされ続けている状態」にあります。この状態にあると「脳疲労」が増して、「身体的・精神的なストレス」が増加します。多くの思考・感覚が細々とした事に割かれ、些細な事に拘るようになったり、短気になります。思考・感性も硬直化、広がりが無くなり、狭い視野の中で、度合いの低く一面的な思考・感覚を続ける事になります。リミッターが強く働くので、様々な能力が制限されます。これは主に「石頭状態」による症状なので、上記の諸々の悪症状も伴います。何一つ良い事は無く、悪影響は甚大です。
これは「深層脳があまり活用されていない事」と、表裏一体の現象です。脳の深部には、先述の「間脳(松果体・視床・視床下部・脳下垂体・乳頭体)」と、それを包括する「脳幹」、そして「小脳」があります。「脳幹」は「延髄・橋・中脳・間脳の総称」「中枢神経系を構成する器官集合体」であり、無意識下で行われる呼吸など、「生命の根幹部分を担う役割」があります。「小脳」は「小脳虫部・小脳半球・小脳片葉・小脳核などの総称」、主要機能は「知覚と運動機能の統合」で、障害が起きると精密な動作や平衡感覚が失われます。
現代は「表層脳:主 - 深層脳:従」、これを「表層脳:従 - 深層脳:主」という、原初の本来的状態にしなくてはなりません。この状態だと、「深層脳」では「無意識下で行われる脳機能・身体機能・波動的機能」が向上して、例えば「自律神経による恒常性維持」「日常的な超能力」が高まります。「表層脳」では「日常的疲労」が減少するので、「随意的な能力」「思った時に思った通りの意識・行動・結果を出す能力」が高まって、「意識の活性化・閃き」「明確な意識に伴う高い超能力」「何かを行うに際しての面倒臭さの減少」「動作の躍動」「意欲向上」などが起きます。「頭部の柔軟化」とは、これらの「深層脳を活性化する為の、最も重要な方法論」です。
恐らく「頭蓋骨・首・胴体部(胸・肩・脇・背・仙骨)の正中線の岩戸開き」は、非常に劇的な効果を挙げると思います。この状態にあると、「血流増加」「チャクラ活性化」「波動上昇」や上記各効果のみならず、「思考・感覚の柔軟化・範囲拡大・深化」「発想力・独創力・閃きの増加」が齎されます。更に「波動の感覚・能力の向上」「超能力の顕現」により、「宇宙意識との交信」「テレパシー」「意識の現実化効果の拡大」などが齎されます。
「大脳新皮質」や、脊柱の両側の「交感神経」の緊張が緩んで、ストレスが軽減、無駄な疲労が無くなり、安静時・睡眠時の回復力が高くなるでしょう。「副交感神経」が優位になり、血管が拡張して血流改善します。正中線付近の活性化は、体幹部の活性化であり、「体力」「自律神経」「内臓機能」「免疫力」などの「体の基本的機能全般」にも好影響があるでしょう。また「胸郭拡張」には「心臓・肝臓への負担軽減」や、「首の筋肉の緩和と脳血流改善効果」があります。
他にも様々な「手法・箇所・ツボ」がありますが、これらは「健康や病状回復の為に行われている各種行為」と比べて、「非常に簡易」「高い効果」「副作用がほぼ無い」「即効的」「無料」という優位性があります。これを多くの人が行うだけでも、個人・社会の波動が相当に上がるでしょうし、更に波動に纏わる各種事象に関心が向き、良い方向へ動き出していく物と思われます。
&color(white,black){これら施術で得られる効果は、波動向上と共に得られる効果の全てで、一般的に良い方向・能力とされる物の全てである}
・電子が与えられ、酸化状態から還元化する(酸化還元電位の低下)
・血管柔軟化、リンパ管の柔軟化、神経繊維の柔軟化
・病気怪我に遭い難くなる、病気怪我からの回復力向上、各種症状の緩和
・疲労し難くなる、疲労からの回復力向上
・運動能力向上(運動神経、柔軟性、想像力、直観力向上による習得の早期化)
・精神的な症状の減少
・総合的な厄除け(あらゆる事件・事故・災難)
・顔付き・表情・血色が良くなる
・体幹の血流増加による、内臓機能改善。
・視力減退・疲れ目の改善。
・口腔内の血流改善による、唾液量増加と、口腔衛生・虫歯・歯槽膿漏・口臭の改善。
・全面的な脳機能向上
・全面的な身体機能向上
・全面的な波動能力の向上
●&color(white,black){動作の中心、外後頭隆起の真我}
「運動・ダンス・武道」などの「体幹トレーニングやインナーマッスルのトレーニング」では、「体軸(コア)の体軸内回旋動作」と、具体的に「丸太や駒のような効率的な回旋」のイメージングが重要視されます。これにより「バランスが取れる」「重心が(低い位置で)決まる」「柔軟に動ける」「動きの復元力が保てる」などとなります。また「螺旋運動・回旋運動」は「しなりのあるムチのような、効率的な動きの連鎖や、力の伝達が出来る」「モーションが少なくて効率的」「負荷が少ない」という特性があります。
また、ここから「動作」という物は「正中線の中心と、脊柱起立筋などの左右の筋肉の陰陽を併せた、3つの極の位置と、中心を軸とした螺旋的な回旋運動により決まる」「中心軸に対する、左右両側の陰陽の筋肉の螺旋的な動き」という事であるとも考えられます。
首の「後頭下筋群」には「筋紡錘」が密集しています。「筋紡錘」は「骨格筋のなかにあって,その伸縮状態を感知する受容器」「位置・運動・重量・抵抗の感覚を起こす」「眼球や指など細かくコントロールされた動きをする筋には多く存在し、大腿の筋など単純な動きの筋には少ない」「立位バランスをとるセンサー」です。内側の「小脳」は「運動神経・平衡感覚」を統括しています。「筋紡錘の密集」により「後頭下筋群は指先よりも繊細な動きが出来る」となってます。
「筋肉の緊張・筋紡錘の感受性のコントロール」には、脳から伸びる神経「γ運動ニューロン」が関係します。これには「感情」も関係、なので「体調が悪い・脳疲労」の状態だとは過敏になり、緊張しやすい状態になります。「筋肉が収縮していると、運動には良くない」ことの理由の1つに、「筋紡錘とγ運動ニューロンの神経情報を阻害する」ということがあります。
運動やダンスが上手い人には、「首の動きのリズムにより、無意識で首でバランスをとっている」という人が多いです。「首のリズム・タメ・バランス」は、上手く踊るコツと言います。首が凝っていると、筋肉も各組織も動きも硬直して、運動感覚も鈍ります。
何故「筋紡錘が後頭下筋群に多いのか」、これは「重い頭をコントロールして、微妙な位置を保つ、繊細な動きをする」ための物です。危険に遭いそうになると「首をすくめる」という動作をしますが、これは緊張すべき状態に対応する動作です。ここが緊張すると、脳が緊張を感じ取り、全身も緊張してしまいます。
拠って「チャクラ開放・岩戸開きの中心的な部位は、後頭下筋群である」と考えられます。その周辺の「頚部後部と外後頭隆起(後頭骨の)」は、常に柔軟にして、開かれている状態にする必要があります。
「意識は後頭部の斜め45度後ろに置くと良い」「読書力の高い人は、後頭部の斜め上方に意識を集中させる固定点を持つ」と言います。この場所は「外後頭隆起」の後方で、後頭部は「真の霊的な自己」である「真我(アートマン)がいる」とも「アートマンとの交信は、後頭部から行われる」とも言います。外後頭隆起の「脳戸」は「頭頂部からの気が通じて、背中の各所へ運ばれていく場所」です。外後頭隆起の内側の「後頭葉」からは「瞑想状態で出るアルファ波」が出ています。
若しかしたら「表の中心:眉間・松果体」「裏の中心:外後頭隆起・脳戸」という関係性があるのかもしれません。何れにしろ、「外後頭隆起・脳戸」は高次元と通じるような、高い意識状態が存在する場所だと考えられます。
「ゆらゆらした運動による、背骨を中心にした、全身の脱力・柔軟化」は、各方面で重視されます。これにより「陰陽の柔軟化と、正中線の中心の位置への復元」がされます。「波動」「万物は振動していること」「魂振り」などに見られるように、「ゆらゆらした動き」は「生体の基本的状態への復元」にとり重要です。
「尾骨・仙骨・会陰・骨盤・臀部を支点」「正中線を軸」とした「胡坐での駒の回転運動」をすると、「体軸の形成とと体軸の正常化」に有効だと思われます。これは「腕組みした姿勢」「下半身の上に布団などを乗せて押さえつける」「右回転左回転を頻繁に繰り返す」「腰・腰椎を回す事で、その上部を回転テーブルのように回す」「丹田を重心として意識する」「横隔膜・みぞおちから上部は脱力する」「関節を緩めて、無駄な力を入れず、最小限の力で、軸回転でゆらゆらさせる」と効果的です。
●&color(white,black){DNA・遺伝子とライトボディー・心の御柱}
人間の体を形成している「60兆個の細胞」には、全てに「32億の遺伝子情報」が存在します。DNAの「ヒトゲノム」の約97%は「ジャンクDNA」と呼ばれる領域、ジャンクとの名は誤りで、「何の役割があるか分かっていない領域」「休眠遺伝子」であり、ここには波動情報の情報源も記録されています。「社会が覚醒していくと、様々な休眠遺伝子が働き出し、人間も社会も乗数的に良い方向に変化する」とも言います。
「DNA」は「二重螺旋」のDNA鎖で形成され、この内部は「ゼロ点」の状態にあります。「意識(想念・言葉・笑い・祈りなど)」には「眠っていた遺伝子のスイッチをONにする働き」もあり、これは現代科学でも確かめられています。またDNAには「テレポーテーション現象」が起こる事が確認されています。人体内部での波動的な現象の多くは、DNA内部から発せられている物でしょうし、ここからテレパシーが起きています。
精神世界では人間や社会全体の意識覚醒と共に、人類は「ライトボディ(Light Body・光体)」になっていくと言われます。ここでの「Light」とは「光」「軽い」の両方の意味とも指していて、「量子エネルギーの光」「斥力による体・意識の軽い感じ・浮遊感」が現れるようになります。「オーラ」「内側から輝いている肌」も同じく「量子エネルギーの光」です、意識が軽くなると共に「囚われ」が無くなります。
「内在する光のレベルの高次のエネルギー体で、チャクラより更に高い次元の10個のライトボディのエネルギーセンターを覚醒した後に感知し、使う事ができるようになる」「高次元と繋がる自己の不老不死の魂である、ハイヤーセルフ(Higher Self)と繋がる」などと言います。また一説に「DNA鎖」が増えて、「10本やそれ以上にもなる」と言います。若しそれが起きた場合、「様々な能力が開花」すると共に、コピー時の異常が無くなり、「不老不死」となっていくと言います。
このように「ライトボディー」「心の御柱」「チャクラ」「正中線」「御柱・御柱祭・高木信仰」「首の太さ(健康である)」「胸郭の広さ(健康である)」などは、一体的に繋がって存在する事象・状態・概念です。
このような「霊主体従」の状態においては、「体内のチャクラ」は基礎段階で覚醒されているので、体外部分の「オーラ」や「体外のチャクラ」がより重要になります。人間は、この「体外部分の自己の量子エネルギー体」を経由して、「高次元(宇宙の本質的な波動など)」と繋がる事が多いと言います。またこの状態においては「珪素化」や「水晶化(クリスタル化)」しているという説もあります。
この状態において有効に機能しだす波動的な概念は、他に「マーカバ(の乗り物・瞑想)」「フラワー・オブ・ライフ」「アダム・カドモン」など幾つもあり、今後の時代に一般化すると思われます。これらは「神聖幾何学」における「波動的な人体構造」であり、人間に手足頭があるように、そのような波動的構造が幾何学的に配置されていて、覚醒状態においては、螺旋状にエネルギーが巡っていきながら共鳴を起こして、最大限の波動的効果を齎します。他によく用いられる用語には「アチューンメント(attunement)」、意味は「エネルギー伝授」、などがあります。近年出来た用語が多く、日本語訳すると意味が異なったり、訳し方の違いも出たりして、また統括的な組織・学会がある訳でも無いので、多くの用語はそのままカタカナ英語で使う物が多いです。
各所の波動を上げたり、波動的な休眠状態から起こすことを「ライトワーク(Light Work)」と言います。「物質は高波動状態では光になる」「波動は高波動状態では、より光り輝く」という性質があります。「ライトワーク」においては「調和意識・心身の浄化・利他心」などを以って、各地に光を増やしていき、「自然環境・社会・世界中が、光によって満たされる」ように活動していきます。
稀に非常に高波動の場所では、「光の柱」が「天地を貫くように立ち上がる」という現象が見られます(螺旋の項目)。その光源は「量子エネルギーの光」であり、ピンク色や紫や5色7色などの美しく輝く光の柱が、天に向かって立ち上がります。これは量子的性質から、量子の量が減殺されてはいっても、ある程度は地下も貫いていて(ニュートリノはほぼ全て貫通)、「天-地面-地下を貫く光の柱」と成しています。そして光の柱が立ち上がると、一帯は浄化されて、また情報がその場に記憶されます。量子的性質から、初期の効果は限定的でも、閾値(いきち)を越えると、あるレベルを超えると、飛躍的に永続的に相乗効果が生まれ続けます(量子的飛躍)。こういった状態を多くの場所で起こしていくのが、地域・広域の浄化には必須で、いずれは何処にでも起きるようにしていくようにします。しかし現在は、何処でも立ち上がる訳ではないので、重要な「祭祀場・祭祀遺跡・山」など、「波動的に重要な場所」が重点箇所として行われています。
この際に複数の参加者がいる場合、「一箇所で手を上下に重ねたり、手かざしをしたり、同じ場所に想念を送ったり、手を繋ぎあって輪になったりする」「場の浄化や、自然・社会・世界・地球・宇宙・森羅万象全ての、浄化・調和・融和・安寧・幸福・真の豊かさを祈念する」というような行為も行われます。「波動共鳴の増加要因」には「物理的距離の近さ」もあるので、「多くの人が、手を一箇所に重ねる」という行為は、非常に有効です。例えば「子供達が手を重ねて、浄化・調和などを祈念する」ようになれば、更に効果が高くなり、また「波動能力は錬度が必要」であり、子供達にも「波動改善と波動能力向上と各種効果」「調和的意識の涵養」が齎されます。
「光が溢れた世の中」では「様々な意識が統合され、調和的になり、争いごとも不幸も無くなる」「人工的物質による環境汚染も、環境破壊もなくなっていく」「自然も生物も人も調和する」と言います。現在とは全く異なる社会状況になるようです。
&color(white,gray){「波動が高いと何故健康に良いのか」について、このように説明できる}
・「高波動の状態」=「量子が多い状態」
「酸化還元電位が低い:(酸化でない)還元の状態:電子が多い状態」
・「普通の飲食」=「分子・原子・量子を、外部から体内に摂り、それを栄養源・エネルギー源とする行為」
・「普通の飲食」においても「飲食物の中の量子・電子は、栄養源・エネルギー源となっている」
・「高波動の状態・食事」=「量子を外部から取り入れる、或いは量子が体内で産生されていて、それが栄養源・エネルギー源となっている」
・結局は「栄養源・エネルギー源の違い」であるが、「普通の飲食=高エントロピーの物が多い」「高波動の状態・食事=低エントロピー」という違いがある。
・この「量子とエントロピーの多寡」が、健康状態や、その他その人のあらゆる状況を決してゆく。
&color(white,gray){「正中線」について、次のように考えられる}
・「鼻:上唇挙筋」「喉:首の筋肉」「脊柱:脊柱起立筋」は、関係性が相似的である。
・「体の中心線沿いの筋肉・筋・気脈」は、尾てい骨周囲から発し、これら部位を通り、
「額」にも「中心線に沿う筋」の存在が見られ、「大泉門」から「頭頂部(サハスラーラ)」に達する。
・「肩こり・首のコリ・後頭部のコリ」「猫背・胸郭縮小・悪い姿勢(体の歪み)」
「花粉症(アレルギー・アトピー)」などは日本人に多い症状だが、これらは「体幹部や正中線周辺の機能の弱体化による諸症状の1つ」と考えられる。
・より根源的には、「意識の軸が、物事の中心軸(陰陽の中心)からズレた」「低意識の方向になびいてしまった」「それによる心身の負担」による諸症状の1つ、とも考えられる。
・「中心軸(幹)」がしっかりしていて、平常時は、落ち着いている「基底状態(低エントロピー・高波動・・単一波長・無や空)」で、
その上で、何かあったら自由な「感性・情感」「躍動」「産霊・魂振り」や「励起」が起きる、というのが、人間にとっての自然本来的な存在形態と考えられる。
・「人体」、特に「正中線周辺」は「体幹の大きな管・円筒・円柱」のように存在していると考えられる。
この「体幹の大きな管・円筒・円柱」は、その最上部に「頭頂部」、最下部に「仙骨」がある。
・「消化器」は入り口(口)と出口(肛門)を結ぶ管状の構造で、途中にはその機能に応じて様々な分化が見られ、また付随する器官がある(Wikipedia)。
・無脊椎動物は、先ず「消化管」から発生した。
・正中線周辺の「体幹の大きな管・円筒・円柱」は、嘗ての「消化管」の現在形の姿である。
・「体幹の大きな管・円筒・円柱」は「人体で最重要の気脈の幹線道」であり、「螺旋」状に「量子エネルギー(波動)」が上下方向に流れている。
波動の中でも、「光」は上方へ、
「波動周波数が低い量子(物質に近い量子)」は下方へ、より多く流れていく性質を持つ。
&color(white,gray){「チャクラ」「正中線」を総合して、次のように考えられる}
・「体幹の大きな管・円筒・円柱」は、稀に高波動の場所で見られる、美しく輝く「光の柱」と同じ物である。
・これは精神世界で「ライトボディ」「心の御柱(おんばしら・みはしら)」などと呼ばれる。
・「チャクラ」は「体幹の光の柱」において、「波動の結節点・アンテナ・最重要な場所」として存在する。
・「体幹の光の柱」と「神社・祭祀・祭事」における「御柱(おんばしら・みはしら)」は、同じ意味を持っている。
・「高木神」「産霊(むすひ)の神」「創造・発展・完成せしめる神」の「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」は、その神格を持つ神である。
・「高皇産霊神」の御子神「思兼神」の知恵で、「八咫鏡」が御神体で「太陽神」の「天照大神」が、岩戸から引き出された。
・これは、「体幹の光の柱」を活性化すると、「松果体(第6チャクラ)」が活性化して、これらにより「知恵」を生み出す「感覚・閃き・思考力」などが覚醒する、という事を現す。
・Wikipediaによると「知恵・智慧」とは「道理を判断し処理していく心の働き」「筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力」「特に智慧は、物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力」
「智」は「相対世界に向かう働き」、「慧」は「悟りを導く精神作用の意」。
・「ライトボディ(体幹の光の柱)」「チャクラ・正中線」「高木・巨木」「御柱・心御柱」「天之御柱」「高皇産霊神」「光の柱」は、「量子エネルギーが天地の間を渦巻きながら上下している」という、同じ性質を有している。
・「チャクラの活性化」は、それだけに留まらず「体幹の光の柱の活性化」を行うことに真の意味がある。
・これは「体や心に御柱を立てる」「天地と光の柱で繋がっている」というような感覚をイメージする。
更に「天・高次元・空や、地・大地・地球と、光・意識・波動を通じて繋がっている」「自己の霊魂・精神・波動・内的世界・小宇宙を、大宇宙や天空や地球や大地、大自然や大いなる存在と、共鳴・共振・共感する、統合・融合する、一体化・同化する・溶け込む、などする」
「魂を母胎である大地に回帰させる」「超越的、超意識的、シャーマニックな感覚を持つ」などといような感じだと思われる。
・「元々宇宙も地球も自然も人間も、同じ波動・情報・意識で、元を辿れば同じ物、人間はそれら波動の一部がここにあるという状態で、特に霊性はそれらの顕現とも言える」となる。
・同様に「任意の場所」「波動的に重要な場所」において「光の御柱を立てる」という行為を行っていく。
・この「光の柱を立てる」に際しては、「心(意識・精神)の浄化」「調和的な心」「利他的な心」「自然環境や地域・世界や社会・意識が浄化されていくように祈る」などの想念が必要である。
・これにより地域と人体の波動が上がり、このような場所・人が増えることや、多くの波動的手法の一般化により、徐々に共鳴効果で乗数的に波動が上がっていく。
そして、閾値を越えると更に一気に上がりだす。
・「チャクラと体幹の光の柱の活性化」→
「螺旋状に渦を巻いて、正中線を貫いて天地を結ぶ、波動的な光の柱が活性化する」→
「産霊・魂振りが活発に行われる」→
「霊魂や生命力の活性化」→
「波動上昇」→
「非常に高い意識・能力・健康度などの獲得」
「高次元との交信が常にされているような状態」
「調和・普遍などの意識を持った覚醒状態」
というのが「個人における岩戸開き」の1つの理想形である。
・人間とは究極的には、この「光の柱」だとも言える。
&color(white,gray){更に次のような可能性も考えられる}
・「木」に纏わり、地上部分の「幹」は「上半身」「体幹」に相当、「根」は「下半身」「脚部」「腰」「下腹部(臍から下)」「丹田」に相当する。
・また「根」は「体の裏側」に相当し、「体の表側」とは拮抗関係にあり、「陰陽」の関係でもある。
拠って「足指・足裏」「ふくらはぎ」「ハムストリングス」「臀部」「会陰周辺」は、「根」に類する性質がより強い。
・「緩和しているべき部位」から「締めているべき部位」の順に、次のようになる。
「頭部や胸から上方」「臍から上部の、特に体の前面」「体幹や正中線」「上半身全般」「下半身全般」「臍から下部の、特に体の裏側」「脚部の内側(立っている時のみ)」
・特に「根」の内で、「足裏」の「指」の「親指(拇指)」は、立っている時は締める必要がある。
・これは「物を握る」時に、「小指から握っていく」と良いと言われているのに、対応する物である。
「小指から握る」と「腕が内側に回旋」、これにより肩周辺~腕~握力の筋力が連動して発揮される。
・「親指(拇指)」も締めると、脚部が内側に回旋して、脚部の筋力が最大に発揮される。
これにより脚部の内側の筋肉が活性化して、「O脚」も無くなっていく。
・「螺旋」は万物の基本的な構造で、筋肉・人体で螺旋的に旋回すると、ムチのような「しなり」を生んで、力を最大限に発揮、また柔軟であるので衝撃吸収力も高くなる。
「足の親指(拇指)」「手の小指」を締めるのも、それによる「脚部と肩・腕の回旋」も、このような仕組みである。
&color(white,gray){歪みの矯正や緩和・柔軟化を行った結果、私見として次のような印象を感じたこと}
・行った部位では(以下も同じ)、コリ・硬直や歪みが減少した。
・筋肉や体が大幅に柔軟になり、姿勢が良くなった。
・体の中心部の血行が大幅に良くなり、特に心臓付近と口腔内に血流を感じる。
・睡眠時の疲労回復が、以前よりされるようになった。
・脊柱~肩~首~唇~鼻~額~大泉門~頭頂部まで、左右に広がる。
・体の前面の中心線が、開かれてゆく。
・猫背のように背中が前方に丸まっていたのが、
逆に背中の方に、微妙に緩い弧を描いて丸くなっている印象がある。
・左右に開かれるが、特に顔においては、中心線が前方に出て来るようで、幅広になるという感じはない。
・特に頭部では、各部位がくっきりはっきりとしてきて、また小顔になり、各部位の位置も本来的位置に戻り、造形が立体化・明瞭化してくる。
&color(white,gray){「励起」「産霊」「魂振り」「チャクラ活性化」などを纏めると、次のように考えられる}
・「波動」の情報の内容は千差万別で、これにより「原子・物質」の「励起(れいき)の状況」「変化する方向」「変化速度」に大きな違いがでる。
・「意識の浄化」により、「物を生み出す力」である「産霊(むすひ)」が成されて、「霊魂(生命力)」が生まれたり、活性化したり、増殖する。
・「魂・情動・感性・物が揺さぶられる」と、それを見聞きしたり感じると、「量子もつれ(共鳴)」により「同じ波動」が体内に生じる。
これにより「魂振り(たまふり)」が生じて、「霊魂」が活性化する。
・「産霊」は神道の最重要概念の一つで、産霊の中の最重要概念が「魂振り」であり。
・「産霊」「魂振り」の状態においては、体内で強い「励起」が起きている。
・「チャクラ」は「体幹の大きな管・円筒・円柱」であり、「波動が螺旋状に上下する気脈」である。
・「意識」「指圧・柔軟体操」などで「チャクラの活性化」が起きる。
・これらにより波動が上昇すると、「休眠遺伝子の活性化」が起きる。
・波動が上昇すると、平常時は「基底状態(高稼働・低エントロピー・無や空)」の状態で、状況が必要になると臨機応変に「励起」「産霊」「魂振り」「情動・感性」「躍動」などが生じる。
これらを考え合わせると、「岩戸開き」とは「覚醒と体の柔軟化などにより、松果体を中心としたチャクラを開放していく事であり、また遺伝子を活性化でもあり、更にこれらにより、個人・社会の意識・波動・能力を上昇させて、皆で永続的に幸せな社会を築いていく事」「根源的・本質的な部分(脳・意識・社会)に回帰していく事」だと考えられます。
「岩戸開き」とはまた、「チャクラ開放」「理想社会の実現化」の他に、「波動的に重要な場所の波動を上げていく事」も意味していて、「天岩戸の伝承地」も複数あります。手力雄命が開けた「天岩戸」は、「長野県戸隠地方」へ飛んでいったと言われます。戸隠には古くから篤い信仰を集めた「戸隠神社」が鎮座、同地は若しかしたら、胸にある「第4チャクラ:アナーハタ」に相当する性質を持つ地なのかもしれません(若しかしたらです)。
このように波動を基点に物事を考えていくと、次々に各種の事象が繋がっていき、「点が線になり、面になっていく」という様相が現れます。「森羅万象は波動と共に存在している」「全ての現象の発生原理は、根源的には波動原理にある」ので、「真理・真実」はその方向の向こう側にあります。凡そ波動原理に沿う概念を基盤に据えておけば、物事を大きく誤るということは無くなっていくでしょう。
●&color(white,black){意識と体の不活性化}
&color(white,gray){「肉体・精神の老化現象の根源的要因」について「結果と要因」を波動面から簡易に説明できる}
・酸化:
・量子エネルギー不足で「酸化還元電位の低下」が起きる(項目6②)
・水分減少:
・量子エネルギー不足で「界面活性効果の低下」が起きる。
これにより「水分・油分の融合化能力の低下・分離現象」が起き、水分が離脱する。
・充血に類似し、反対の現象にむくみがある(項目6②)。
・油分減少:
・上記と同じ。
・肉体・感覚の硬直化・矮小化:
・1つ目の理由:
「水分減少」で、「体が保持し得る、肉体・意識の総量の縮小の加速」が起きる。
・2つ目の理由:
「柔軟性低下」により「肉体の硬直化」と、云わば「意識・思考の境界面の硬直化」が発生する。
「バカの壁」に近似した現象で、「枠の外からも見る視点」を失い、
「柔軟思考・有機的思考や融合的感覚を保てなくなる」ようになる(意識と物質は根は同一)。
・3つ目の理由:
上述の複合効果により「生命力が低下」、
これにより「意識と思考の動機付け・保持力の減退」が起きる。
波動原理では「柔軟性」「自由自在」などという言葉がよく用いられます。「日本社会に見られる一般的な思考・意識・感受性・感覚の傾向」として、更に「近年・近代以降」「戦後・高度成長期終了後・明治維新以降」の傾向として、「硬直化・斉一化」「非柔軟性・杓子定規」「非多様性・類型的思考(金太郎飴)」「矮小化」「枠組み重視」などなど、多くの事が言われます。そしてそれらは正に「波動低下、即ち意識低下の諸症状」と符合します。
「意識・思考・感覚」について、大きく【「一方向からしか見ない狭い視野・結論ありきの思考法」「枠の中や常識などに従うのみの思考」「物事を有機的・融合的に考えない思考法」「自分には関係ないとする感覚」「無関心」「硬直的な観念」】⇔【「多様な視野」「枠の内外から見る思考」「物事を有機的・融合的に捉える思考法」「自分に関係あることとする思考法」「好奇心」「柔軟な感性と思考法」】に別けられます。「前者は意識低下・波動低下」「後者は意識上昇・波動上昇・覚醒」の方向にあります。
この「意識低下・波動低下」は「生命力低下・活力低下により齎される主要現象の一つ」でもあり、「日本社会のこれら傾向は、生命力低下・活力低下により齎されたという面も大きい」と言えます。「あまりにも長年停滞して、硬直化してきたので、日本社会広範で生命力低下・活力低下が生じて、当該状況になった」ということです。
これらは「個々の部分では確実におかしい・間違っていると断定できる物は少ない」「しかし総合的に見ると、確実におかしい・間違っていると判断される物」「合成の誤謬的に発生する物」「自家中毒的にジワジワ進行する物」と言え、ここに「日本社会の近年の症状が、何故これほど気付かれ難いのか」という事の原因があります。
そして「魂振りの効果」とは真逆の方向で、「個の抑制・集団重視」の効果とは一致します。「ゆらゆらと振るえ(布瑠之言)」と逆に、ゆらゆらしたような「遊び・余裕」が少なくて、何事においても「縛ったり、均質化したり、斉一化したり」というやり方で、物事を解決しようとしています。
波動原理においては「同調性・斉一性」が存在すると、「共鳴効果により、同種の波動が増幅・増加する」となります。拠って社会において「低意識は低意識を拡大する」「高意識は高意識を拡大する」となり、「結果だけでなく、その過程での精神的な在り方が重要である」「それを蔑ろにした社会は、波動・意識が低くなる」となります。「組織・権力に同調させる思考法」においては、妙に「根性主義」は求めますが、しかしこれは「精神的な物」ではありません。これは「心身の疲労・荒廃」を齎すやり方です。
こんな状況で「活力・再生・幸福」など土台無理な話で、日本の特徴的な問題点は、これらの部分に集約されます。拠って日本は「自ら、全体主義的・集団的に、そして科学的効果を以って、国・意識・環境などを、悪い方向へ進ませている」と言えます。
●&color(white,black){締め付け・統制・否定が齎す悪影響}
「チャクラ開放に際してや、心の基本的な持ち方として、非常に重要な事」として、「中立的な物事に対して、肯定から入る」という事が挙げられます。「否定的な事象は否定的に感じる」のは当然として、「中立的・第三者的な物事・事象」に対しても、「どこかしら否定的な観念・印象・判断から入る」と言うのは多いです。
然しそうすると「肯定的事象」「中立的に見えても、実際は肯定的な事象」に対しても、「量子もつれ(共鳴効果)」が効果的に発生しません。例えば「何かを聞いた時に、すぐに否定する」などです。こうなると「良い波動との共鳴効果の減少」「悪い波動との共鳴効果の増加」が積み重なっていきます。
勿論、なんでもすぐ信じるのは良い訳無いですし、「見定める」という事は重要なので、「中立的に事象」に対しては、「即断せずに留保しておく」のが良いと思われます。割とこう言った、一見些細に見えるような点も「積み重ねの効果が生じ続ける」ので重要です。また「社会の集合意識」は、大概「割と些細な事の積み重ね」で決します。「波動の上昇・健康効果・能力上昇を得る」には、それは「意識の持ち方」で決するので、この点は重要です。
「日本では非常に非論理的とされている波動医療が、欧米では割と使われている(国によってはごく一般的)」「日本人は論理思考・ディベートが苦手、欧米人は得意とされる」「元々日本の医療・(伝統的)科学・文化・哲学・伝承など多くの物は、波動原理と親和性が高い」という、あまりに奇妙に捩れきった状況にあります。これは端的に「明治以後・戦後の力学、日本の社会上層部の空気が作り出したもの」「それは天から地への転落を起こすほど、おかしい物だった」という事です。
更に「日本人が論理思考・ディベートが苦手と言うのは、元々の性質では無くて、明治以後・戦後の全体主義的集団第一主義的な統制が呼び起こした物」と言えるでしょう。「やたら締め付け的・縛りが多くて、頭でっかち・石頭」という状況をやり続けて、元々は大らかだったのに、自縄自縛で「非本質的な事象・観念ばかり」となりました。そんなようなので、欧米という権威には従属しながら、良い部分は学びません。今日見られる社会の各状況も「組織的統制→従属→無思考化→硬直化→統制という負の悪循環」で招かれた物です。
「波動」は「量子もつれ効果」により、究極的には「森羅万象は結び付きあっている」「万物は統合的に存在している」「全宇宙は共鳴現象で成り立っている」「高波動の事物は、互いに量子的に結合している」という存在形態を生み出しています。
元々「エントロピーが低い社会(秩序性が高い)」であれば、各人の高い意識の下に、連帯して世の中が成り立っていて、縛り的な規則・空気は必要ないでしょう。然し、根源的な部分では「エントロピーが高い社会(秩序性が低い)」では、ギスギスした社会では、「社会が成り立つ上での、元来的な秩序が無い」ので、「代替の外部的秩序」が必要になります。勿論「外部秩序に類する物が、全て悪い訳ではない」「社会の発展段階に応じて必要で、また必要悪的な物もある」ですが、「過剰であるならば、それは社会に根源的欠陥がある事の証左」と言えます。「統制主義・全体主義」というのはこういう物です。
また「外部基準への従属」も、「自らの内的世界に発する秩序性・内部基準が無いので、外部の何らか権威付け・他律的基準・価値観をよすがとする」という事でしょう。結局「縛りや外部基準の信仰・過剰な状態というのは、自己や社会が"内部的なアイデンティティー""連帯的な存在形態"などが欠けているから、そこへの信頼が無いから、他律性に依拠する」と言えます。
「本質的な部分では、そう沿わせない(縛らない)」「非本質的な部分では、そう沿わせる(縛る)」というあべこべな逆転状況が長年続き、無駄な規制・自主規制が多いのに、最も大事な部分は御座なりにされる状況が続きました。例えば「境界外科学の研究をすると、研究費がすぐに止められる」「境界外科学の記事が掲載されると、掲載自体に批判が起きる」など「非本質的な規定(規制)」は横行、同時に「多様な可能性を追求する(本質的な科学的思考)」「既存常識と異なる事象・観測結果が、フィードバックされて反映され得るような、柔軟な社会・組織・思考の構造を持つ、それが不可能という構造は持たない」など「本質的な規定(規制)」は無視されています。別に「試しにやってみればいいじゃん」程度の検証・実験も、「それさえも徹底拒否するという、"思考・感覚のコリ"としての硬直性」が存在します。これは「柔軟性が無いので、無知の知を知らなく、原理主義的なので、自らバカの壁の中にいる」という状況です。
これらを併せて考えると「柔軟性を持つ」「取っ掛かりの部分では、すぐに100(全肯定)か0(全否定)のような、短絡的判断はしない」「自分の内面で考えたり感じる、これが波動原理に沿う事」「迎合しない」「取り合えずにでも、調和的意識を持っておくと、良い方向に行く」というのが良いと言えます。
●&color(white,black){波動と内面性・外面性}
物事には「性質」があり、それは「内在」していて、その「内在している性質」とは、「本質」と言われる物です。またそれは「波動・気・プラーナ」などと言われる物でもあり、「全ての量子に内在する情報」で、即ち「物事の本質」とは「波動・量子の情報」です。「全てに共通する性質」は「本質性・普遍性」で、「本質性・普遍性とは、意識・社会・森羅万象の中心的存在」です。
「意識」は「量子の情報」により成り立っていて、「精神性」とは「意識・心の内面世界で形成される物」です。拠って「本質・意識・精神性・波動(量子情報)は、同種の物で、内在している物」です。有象無象の「外部性」には気を配らなくても、「本質性・普遍性」に「鈍感」でいたら「本質・真の意味合いの認識・把握」はできません。人間は「知的生命体」「霊長類(霊の長)」で、それは「知性・精神性を持つから」です。知性とは「物事を知り、考え、判断する能力」で、知性も精神性も高度に発揮しないならば、それは「霊的に長じている」とは言えないでしょう。
社会とは、そもそも「物事の本質を探って、その良い部分を一般化して、利便・豊か・幸福な社会を築く」「その為の集団的な環境」として存在しています。なので「人間も社会も、本質性に、物事・意識の内在面に焦点を当てないと、本質は捉えられない」「それは知的・精神的・霊的ではなく、非本質的な方向である」と言えます。「波動の性質や、物事の本質性・普遍性は、内側にある物で、内面との対話を通じて得られる物」です。
そして「思考・感性」は、「本質的には内側に入っていく物」です。「本質は内面にある」ので、「外部的・世間的な論・常識・認識ばかりなぞっていたら、内側の本質が見えない」という状況になります。本質とは「内側を照らして、感知・認知して、自ら思考感覚を巡らしながら咀嚼して、そして把握される物」です。「意識」は「自らを律する事はできる」「他を直接律する事はできない」のであって、「内的な物(意識・世界・観念・秩序規範など)や、自律性が本来的な状態」「外部的な物(基準・権威・空気)や、他律性は本来的でない物」です。
現代社会では、こういった過程・感覚が御座なりにされ、権威・常識・空気などの、「外部的な事象」が幅を利かせて、それに思考・感覚が従属しています。主従逆転した観念では、本質は把握できず、「本質を把握しやすい思考様式」とも異なります。
「波動」というのは「感知・認知・把握や波動上昇・効果拡大」を通じて、全ては「内面との対話を通じて形成される物」です。何らかの「高波動の物質・器具」を使って波動を向上したり、他者に波動を改善してもらう事で、波動向上はできます。
然し「自律的に波動を向上させる」「波動をより上昇させる」「波動の効果を最大化する」「波動への感知・認知・把握能力を高める」「本質性・普遍性の認識能力を高める」「本質的な波動・本質性・普遍性に沿った感覚を持つ」には、「内面と対話して、自律的に獲得する」という事でしか出来ません。何故ならば「究極的には、全ては意識が決する物」だからで、意識を抜きにしたら、あらゆる効果は激減します。波動改善も「自律神経などの自律的・内的な能力を高める物」であって、「他律的な能力を高める物ではない」です。
なので、全ては「内面性・内面にある物が主であり、本質的・普遍的な物」「外面性・外部にある物は従たる物」です。「外部的な物にも、本質的・普遍的な物に近い物はある」訳ですが、それは「そういう物も幾らかの割合で存在する」だけで、結局は「内的な物が、より本質的・普遍的である事には変わりは無い」と言えます。
例えば「ゼロ点」にしても、「チャクラ」にしても、「バランスの取れた状態(加重平均)」にしても、「陰陽の中心」にしても、全ては「内側・中心」に存在します。それらは「高波動の場」です。「内側(内面)」「中心(より内側にある物)」が「本質性・普遍性」「高波動の場」であり、そこを見据える事が「本質的な思考・感性」「波動能力を獲得する方法」「意識・社会の本来的な中心軸」です。
&color(white,gray){物事に対しての「全く考慮せずの門前払いの否定」「具体的根拠の伴わない否定」について}
・「世の中のある種の論」「基本的常識」「自分の論」など、
「何かしらの考え方」を「絶対的前提」とする。
・「それにそぐわない物」は「考慮自体をしない」「言下に否定」する。
・物事を「100か0」かで考える。
・物事に対して「物事・全体を、それを構成する各要素・可能性の組み合わせ」という視点で見ない。
「要素」という観点自体が少ない。
・「自主的に考えない」「考える枠に壁がある」「ある地点になると思考が止まるという場所」など
「パターン化された思考停止状態」になっている。
・「自論の論拠を精査しない」で、
「対論への反論材料・否定的論拠の絶対視をする」という「二面性のある思考様式」をとる。
・「内面側への思考の広がり」という物が少ない。
・「省みる視点・地点」「推敲のような思考法」という物が少ない。
・「何らかの外部的な論・基準・常識などを以って、自らの思考とする」という様式をとる。
・「"客観的・第三者的な位置にある本質"を見ようとするのでなく、
"自論・立場の優位さ(自己中心性バイアス)""会話・議論の相手との関係性"など、
"自己や相手"という観点が主眼となっている」という様式をとる。
・「適用範囲が狭い理論」を重視、「適用範囲が広い理論」を軽視する。
・「俯瞰、巨視的視点、水平思考」が少ない。
・「どちらにしろ自分に関係ない」とする。
「関係ない」が社会的に一般化すると、
「自分に関係する事を推し進める・研究する、一部の利益集団・思想集団の論」ばかりになる。
・こうして社会は二極分化して、
「閉じた思考に埋没する、様々な社会組織や学会」「考えないという様式(無思考状態)」に別れる。
・「自由な思考感覚の場と社会的土壌」「議論の場」「客観性・水平思考」などが減退ししていく。
・「考えないという様式」においては、
「その筋の権威が主張するところの常識、類型化された論」に、漠然と依拠するようになる。
・「小さなムラ的権威」が社会中に存在するようになり、「漠然とした空気」が権威を持つ。
・これは戦後日本に、非常に顕在化した状況である。
●&color(white,black){波動の特性}
「量子もつれ(共鳴効果」は「同じ性質の波動は共鳴して増加する」という原理で、これは波動原理の最重要原理の一つです。「量子もつれにより存在する事柄」というのは、これは全量子の性質なので、あまりに膨大で、それこそ書ききれません。どれもこれも、という感じでしょう。先ず「物体の存在」自体が、「量子もつれが無いと、物質の一体性を保つ量子エネルギーも無くなり、物質はすぐに崩壊する」ので、物質がまともに存在できません。
波動は森羅万象が有していて、言葉・概念・感覚にも波動は伴います。波動原理で考えていくと、或いは「精神世界(アニミズム的な諸信仰も含め)」に類する観念の人達の考えには、「各事象の連想的・類推的な繋がりを、意味ある物と捉える傾向」があります。そして様々な名称・概念・性質や、神話・伝承・古書の記述などを、有機的に繋げて考えていきます。
これは波動原理的には妥当な、そしてごく当然の思考様式です。「類似の波動は繋がりが生じて共鳴する」ので、「様々な事物・概念は、共通の波動により結ばれている」というように存在しています。また「世界中の多くの事物・概念」について、その存在の由来が「同一の意識体・意識体集団の所作」「或いは起源が同一の意識体・意識体集団」にある物が多数存在します。
波動というのはまた、「マルチミーニング的に存在している(複数の含意を持つ)」と言えます。「類比・類推(アナロジー)」で結ばれた定義・概念同士にも「量子もつれ」効果が働いていて、比喩についても同じ事が言えます。これらが内在している「詩・文」などは、多数の波動が交じり合っていて、その独特な「調合」の割合によって、固有の世界観や奥深さや清新さ等等が感じられるのでしょう。ただそれも「素直に自分の感覚で作った物」でないと、「コリ」とも言える無用な波動が生じて、何となく違和感が生じます。
一人一人の知をあわせると、人類の総合的な知である「集合知」となります。「アカシックレコード」「宇宙の本質的な波動」などの、根源部に位置する波動は、「宇宙全体の集合知」「宇宙の全意識体の集合的な知」と言えます。この「知の総数」は想像を絶するほど膨大で、個人や社会・国・世界レベルの知や発想とは、比較にならない次元です。人間は意識の焦点を合わせると、この膨大な知を有する根源的な波動と共鳴して、その恩恵を得る事が出来ます。
こういった「森羅万象における波動の存在形態」に纏わり、「世界中の神話・伝承・古書の記述などは、比喩的的・暗号的に存在していて、複数の含意があり、その奥には重大な真実が暗号的に存在している物が多数ある」というように存在しています。また「その事実・真実・暗号は、世の中が激変する時に、理想的社会が訪れる前の生みの苦しみの時に、謎解き・暗号解読のように、多くの人によって解かれていく」と考えられます。そして、その時期とはたった今現在です。また謎解きだけでなく、多くの人が、革新的な原理・技術の開発に携わっていて、それらが社会に適用され、社会レベルが引き上げられ、理想的社会を一刻も早く構築できるようにと願っています。
&color(white,gray){社会にとって非常に重要なこと}
・内的な観念・概念(内側から自然に発する観念)
・内面性(精神性)
・内部的な基準・秩序・規範(価値基準・評価基準・判断基準)
・これらを含めた、良い方向性の国・社会・属性を超えた連帯。
&color(white,gray){社会にとってさほど重要でないこと・不要なこと}
・外的・外形的な観念・概念(何らかの権威に類する観念)
・外部的な基準・秩序・規範(価値基準・評価基準・判断基準)
・外面の表層への意識偏重
・序列・上下関係
・低い意識に基づく統制的手法で、全体・集団を統治しようとする事。
&color(white,gray){「高波動の量子」「量子水」の特性}
・微細性、細粒化
・単一波長(コヒーレント状態)、単一波長に近い、単一波長になりやすい(共鳴しやすい)
・共鳴した波長が遠くて届きやすい、光・音その他の波が遠くへ届きやすい
・量子もつれ(波動共鳴)が多くなる
・界面活性効果が高い
・融合性が高い、色々な物が融合的に存在している
・内包できる水分量の増加
・同じ量子・物質が増加する
・波動の浸透能力が高い、情報・性質・意識の伝播能力が高い
・微細であるので、水分などの浸透能力が高い、物質内に水分が入り込みやすい
・高い量子エネルギー
・量子エネルギーによる光を放っている、透明感がある
・低い酸化還元電位(電子が多い)
・低エントロピー
・高い秩序性、秩序維持と再構築
・生命・物質に対する長寿命化、状態維持・改善
・温度が変わり難い、熱し難く、冷め難い
・柔軟性が高い、柔らかい
・復元能力が高い
・摩擦係数が低い
・斥力(反重力)
・波動的の浄化されている
・他の波動を浄化させる
・様々な波動原理上の効果が発現しやすい
・多くの量子同士が共鳴しあう
・水はこれらの性質の総合値が、他の物質・原子よりも高く、量子水では更に高くなる
&color(white,gray){高波動の場所の特性}
・高波動の場所同士が共鳴しあう
・特に高度な幾何学低配置がある場合に、より共鳴しあう
・浄化された意識や真摯な祈りにより、場の波動が上がる
・やや涼しいような、清清しい凛とした空気がある
・高い次元の意識を持った意識体が多い
(「波動的に重要な場所」の傾向、が当ページ上方にあります)
&color(white,gray){波動的なキーワード}
・融合性(⇔分離化)、統合性(⇔断片化)
・単一波長(コヒーレント状態)
・螺旋、渦巻き
・フラクタル性
・高度な幾何学的形態
・松果体、第三脳室
・チャクラ、ツボ・経絡、オーラ
・光の柱、ライトボディー、心の御柱
・意識・波動の微細化、光化、高次元化
・意識の浄化、場の浄化、物の浄化
・超意識、超越的意識
・祈り
・信仰の場
・一般的な物質として:珪素、フラーレン(炭素同位体)
・希少な物質として:水晶、金
・非常に希少な物質として:クリプトン、ヘリウム
当サイトの項目
項目1:波動原理と放射能除染の概略 ([[メニュー1>http://is.gd/N74Ky5]])
項目2:波動器具・一部農法・一部機器等による除染法 ([[メニュー2>http://is.gd/1vukpY]])
項目3:量子水・還元水素水・水酸素ガスによる除染法 ([[メニュー3>http://is.gd/qbtG4P]])
項目4:フルボ酸・微生物等による除染法 ([[メニュー4>http://is.gd/S9rd5M]])
項目5:珪素・炭素同素体・ナノ物質・竹炭等による除染法 ([[メニュー5>http://is.gd/OqkokI]])
項目6:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」目次([[メニュー6>http://is.gd/HB6Xkx]])
項目6①:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー7>http://is.gd/kX8wLx]])
項目6②:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー8>http://is.gd/w2fWPI]])
項目6③:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー9>http://is.gd/ztBKLZ]])
項目6④:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー10>http://is.gd/XadcK7]])
項目6⑤:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー11>http://is.gd/CdKR4K]])
項目6⑥:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー12>http://is.gd/HJgWPy]])
項目6⑦:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー13>http://is.gd/vClptO]])
項目6⑧:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー14>http://is.gd/X3ySNn]])
項目6⑨:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」 ([[メニュー15>http://is.gd/SbVxXz]])
項目6⑩:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー16>http://is.gd/pY3A3Q]])
項目6⑪:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー17>http://is.gd/VajHCF]])
項目6⑫:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー18>http://is.gd/1ne2sX]])
項目6⑬:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー19>http://is.gd/u14ITa]])
項目6⑭:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー20>http://is.gd/2Dqu0C]])
項目6⑮:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー21>http://is.gd/WmX4Dq]])
項目6⑯:「波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い」([[メニュー22>http://is.gd/wxFr4V]])
2014-06-13T06:58:59+09:00
1402610339
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メニュー17 : 波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト
https://w.atwiki.jp/fulvicmicrobe/pages/40.html
&color(white,black){波動原理・ゼロ点効果の纏めサイト - 放射能除去法纏めサイト}
無数の除去事例や超常的現象、量子の共鳴効果による意識・社会・環境の改善
万物における波動情報の原理・作用・効果・影響・意味合いと形成・発展・永続化
量子(電子・陽子・中性子・光子・ニュートリノ)=波動(気)・ゼロ点(Zero Point Field)・電磁波・プラズマ・幾何学的形態・物質(珪素・量子水・酵素)・微生物・コイル・波動器具・波動農法や意識・言葉・パワースポットなど、波動原理の各種効果(超科学・超能力・元素変換・健康・意識覚醒・自然環境の浄化・森羅万象の好転)
********************************
&color(white,black){項目6⑪:波動情報と共鳴の原理・作用・効果・影響・意味合い}
&color(white,black){森羅万象の形成・発展・永続化、意識・社会・環境の浄化・改善}
【正中線・各部位の性質と硬直・歪み・柔軟化、気血水の循環、寿命・森羅万象の結合・改善】
●&bold(){岩戸開きとチャクラの開放}
●&bold(){人体・森羅万象の存在形態、万物の結合・崩壊、症状・痛み・寿命・健康の根本原因}
●&bold(){人体の基本的構造}
●&bold(){生体におけるエネルギー源と水と粘性について}
●&bold(){硬直・歪みの影響、改善の過程}
●&bold(){筋肉などの性質と緩和法}
●&bold(){血管の拡張}
●&bold(){骨と伝導}
●&bold(){神経と修復}
●&bold(){手と意識の密接な相関、手当て・さすることの効果}
●&bold(){反射区と足裏について}
●&bold(){施術時の意識の持ち方}
●&bold(){人体の基本的構造}
●&bold(){正中線・中心線、体の縦の線構造}
●&bold(){脊柱と胸郭・肩・首の拡張}
●&bold(){みぞおちと横隔膜と丹田}
●&bold(){喉と首(頚部前方)}
●&bold(){頭蓋骨の歪み・硬直・柔軟化と縫合線}
●&bold(){体毛・毛髪=波動のアンテナ}
●&bold(){耳と頚部後方・後頭部}
●&bold(){頚部・後頭部の緩和法}
●&color(white,black){岩戸開きとチャクラの開放}
&color(white,gray){記紀の「岩戸開き(いわとひらき)」の説話の概要}
・「高天原(たかあまはら)」の「天岩戸(あまのいわと)」に、
「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」が隠れてしまった。
・八百万の神々の中心の「太陽神」がいなくなり、
「高天原」と「葦原中国(あしはらのなかつくに・日本国土・この世)」が暗闇に覆われた。
これによって神々の不満が起き、災いが生じた。
・そこで「天安河原(あまのやすがわら)」に神々が集まり、
大御神を岩戸から連れ出す方策を考えた。
・その案は「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」の御子神で、
知恵の神「思兼神(オモイノカネノカミ)」が出した案に決められた。
・名前が登場する神
「天津麻羅神(アマツマラノカミ)」:鍛治の神
「伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)」:鏡造りの神
「玉祖命(タマノオヤノミコト)」:玉(ぎょく)を造る「玉造(たまつくり)」の祖神
「天児屋命(アメノコヤネノミコト)」:祭祀氏族の「中臣氏(なかとみし)」の祖神
「太玉命(フトダマノミコト)」:祭祀氏族の「忌部氏(いんべし)」の祖神
「天宇受売命(アメノウズメノミコト)」:芸能の神、歌舞の神、神楽の祖神
「手力雄命(タヂカラオノミコト)」:力の神、腕力・筋力を象徴する神、運動・スポーツの神
・「天照大御神」が出てくるように、諸神が様々な「祭祀具」をしつらえて、
「祝詞」を奏上するなどして、場を斎(い)み清めた。
・「天宇受売命」が、神がかった踊りをして、皆が喜んで笑ったり、賑やかに騒いだ。
・「天照大御神」が何事かと岩戸を少し開けると、
「天宇受売命」が「貴方より尊い神が現れたので、皆が喜んでいるのです」と言った。
・それと同時に神々は「八咫鏡(やたのかがみ)」を差し出した。
「天照大御神」は鏡に映りこんだ自分の姿と知らずに、
その神々しく見える神は誰なのかと、身を乗り出した。
・ここで怪力を持つ「手力雄命」が、岩戸を全てこじ開けて、世の中に光が戻った。
「岩戸開き」には、他の様々な神事・神話・伝承と同様に複数の含意があり、その1つに「チャクラの開放」があるでしょう。「神々の中心の太陽神が戻り、光が戻った」ことの意味は、「脳の中枢にある最重要のチャクラで、光・太陽と密接に関る松果体の活性化」です。「八咫鏡に映った神々しい自らの姿」とは、「意識・波動が上昇し、チャクラが開放され、覚醒した後の、自らの本来的な神性を取り戻した姿」「高波動で光を帯びた体とオーラ」です。「天照大神」は「伊勢神宮 内宮」の御祭神、正殿床上にある「八咫鏡」を御神体としていて、「天照大神と八咫鏡:松果体を象徴」と言えます。
「伊勢神宮 内宮」の正殿床下、八咫鏡の真下に、往古の「巨木信仰」に由来する「心御柱(しんのみはしら)」があり、正殿の基礎となっています。これは人体の「心の御柱(正中線の光の柱)」に比定されるとみられます。正中線は波動(=光)が高い部位が連なっていて、チャクラは正中線沿いに存在、波動上昇すると、「正中線の光の柱」である「心の御柱」「ライトボディー」(の状態)が顕在化します。そして「高皇産霊神」は「高木の神」「産霊(むすひ・生命力)の神」であり、「正中線の神」だとも言えます(「縄文時代と、日本の基層の自然信仰や緩やかな融和的意識」の項を参照)。
「八咫鏡」「心御柱」という構造は、人体における「心の御柱(正中線)と松果体の構造」と同じです。これは、伊勢神宮が「人間の本来的な、神性を持った真の姿」「普遍性・本質性」「高次元とも繋がる波動の根源的原理」を祀っている・そのような含意もある、と解釈することも出来ます。
「手力雄命」は「手・腕で物理的に岩戸を開いた」ことに因む神名です。岩戸開きでは「胸・喉のチャクラ」も開く訳ですが、「チャクラ開放」は一般的な意識集中での手法以外に、筋力など物理的行為を伴う外部的手法が大きな手助けになります。「手力雄命」の神名には、「頚部の付け根~胸部中央の開放・柔軟化による、胸部と頚部のチャクラの開放」という含意もあるでしょう。例えば「胸・肩・脇・背・腕を左右両側に引っ張る行為による、胸・喉のチャクラの開放」はそういった物の1つです。また感覚的に「扉や窓を開く」ようなイメージも有効です。
「岩戸開き」のうちの「チャクラ開放に纏わる意味」とは、「チャクラは人体の正中線に沿って存在し、その周囲の筋肉群が硬直して、きつく閉ざされた扉・門のような状態だと言える」「この硬く凝り固まった、背骨~頭蓋骨のコリを、手などを用いて解きほぐし、これによりきつく閉まった扉を、(意識に)人為的動作を伴わせながら開ける」「そして内部の気血水(波動・血・リンパ)の流れを良くして、波動を上げて、チャクラを活性化する」ということだと考えられます。
「間接」は硬直しやすい部位です。例えば、怪我防止以外の用途の「膝サポーター」は、わざわざ「締め付けの悪影響」も発生するのに装着するのは、それ以上に「温熱効果で硬直した間接を柔軟化させる」ためです。
そして、人体における「きつく閉じられた部位」「開放されにくい部位」「岩戸閉めになっている部位」は、「正中線」「背骨(脊柱)」「頭蓋骨の縫合線」にあります。特に「頭部・顔面中央部」の「鼻骨から眉間の縫合線(奥に松果体)」と、「頚部の付け根~胸部中央」の「左右の鎖骨の中央部と胸骨最上部(頚部前方の付け根)」「第七頚椎・第一胸椎(頚部後方の付け根)」は「人体で最も硬直しやすい部位」です。これらの部位は「正中線・前正中線・後正中線の骨の間接」で、周囲の筋肉・血管などの硬直・歪みと一体的に、硬直・歪み・閉じた状態にあり、この状態を緩和・開放します。またこれ以外にも「後頭骨と頚椎の境(後頭部と頚部の境の奥)」「オトガイ(顎の先端付近)」のように、硬直しやすい部位があります。
よく「岩戸開き」は、各所で「未来の理想社会への扉が開かれる事」という意味で用いられます。この実現には「人々の意識の覚醒」が必要です。「チャクラ開放」は「波動上昇と意識覚醒」を齎し、体内における波動原理と、精神世界にとって、最も重要とされる事柄です。このように「岩戸開き」「チャクラ開放」は全く同じ意味を持っていて、神話の内容も現実に対応させて考える事ができます。ここから「岩戸開き」とは「チャクラ開放と、人々の波動上昇と意識覚醒、これによる真に幸福で、在るべき世の中の実現」を指していると考えられます。
●&color(white,black){人体・森羅万象の存在形態、万物の結合・崩壊、症状・痛み・寿命・健康の根本原因}
「森羅万象の存在形態」について、「波動の持つ量子もつれ効果」により、究極的には「森羅万象は結び付きあっている」「万物は統合的に存在している」「全ては有機的に絡み合っている」「全宇宙は共鳴現象で成り立っている」という形態を生み出しています。波動の持つ「結合状態を維持させるエネルギー」により、全ての状態は維持されています。これは地球も、土地も、生物も、物質も、意識でさえも、そのように存在しています。人間も波動がなければ、共鳴効果が無ければ、生きる事も、存在する事さえも出来ません。若し波動が無くなれば、結合できないので、全ては瞬間に崩壊します。
そして「共通性の高い量子同士は、引き寄せあう力が強く、相互に強く結合し合っている」と言うように存在しています。この「共通性の高い量子同士が、強く結合している場・事象」とは「経絡・ツボ・チャクラ」「龍穴・龍脈・聖地・パワースポット(円錐形の山・滝・森林など)」「祭祀場・祭祀遺跡・祭祀に纏わる概念」「多くの概念」「集合意識」「愛情・子を想う親心」「連帯意識」などです。
「寿命の終わり」「身体組織の縮小・痩せ・減退」は、「量子(波動)の結合力低下と同時進行で起きる現象」です。「痛み」の原因は、「組織がまばら(緻密でない)、並びが均質でない、あるべき所に組織が無く、あるべきで無い所にある、などにより神経が守られていなく・神経に障るので、衝撃がすぐに伝わる」からです。これは「物質の崩壊」「地震・地殻崩壊・多くの天災」も同じ原因です。
「波動の結合力」が足りないと、その引き換えとして、「結合状態を保つには、物質(原子・分子レベル以上)が、より強固な結合状態を有する必要がある」となります。これがコリ・硬直の一因です。「高波動状態(量子エネルギーが多い)の物質・事象」、例えば「幾何学性・螺旋・フラクタル性など」は「結合力が高い」「組織密度が緻密である・緻密化させる」という性質があります。
逆に「低波動状態(量子エネルギーが少ない)の物質・事象」は「結合力が弱い」「組織がまばら・バラバラである」ので、「物質崩壊」「短命化・生命の不活性化」が発生、「寿命の終わり」「身体組織の縮小・痩せ・減退」とは、このような状態・メカニズムによる物です。「痛み」とは「組織密度の過疎化や、不要物質の過密化で、組織が不整形となり、神経への衝撃が伝わりやすく、知覚過敏で障る」という現象です。拠って「ツボ・反射区を押すと痛い」場合は「その箇所が低波動状態で、組織がスカスカである」「低波動による高エントロピー状態は、秩序崩壊を起こして、短命化・不健康・不活性化・痛みを招く」となります。
ツボ・反射区や、任意の部位(気になる場所・無意識に重要か問題のある場所と察知)に、手当てなどで気を流していくと、その部位と異なる部位の「人体の特定部位・幾つかの部位に、気が溜まっていくような感覚がする、又はジンジンする」などという事があります。気がどんどん溜まって充填されると、後にその部位で、血流や熱い感覚を感じたり、広域の一体的な共鳴現象などが起きたりします。それは経絡・エネルギーラインなどの、人体の波動的構造に沿って気が流れて溜まり、その部位で現象が顕在化したからです。
こういったような現象は「スカスカな組織に気が溜まった現象」であり、「ツボ・反射区を押して、気脈を通し足り・活性化させたり、直接ツボ・反射区や各部位から気を流す」と、「人体の各組織に気(量子エネルギー)が溜まり、組織を緻密化して、諸症状を改善して、全体的に全身の状況を改善する」ようになります。全ては「波動の量・周波数・質と、その循環」であり、波動原理・波動的構造を利用して、人体に気を充填させていくことが、健康と長寿の基本原理です。
●&color(white,black){人体の基本的構造}
人体構造の配置は&bold(){「先ず気脈の配置があり、それに準拠して血管・リンパ管・神経や粘膜・筋肉・腱組織などの細胞が配置される」「1つ1つの気脈はごく微細で、縦方向と横方向の気脈が、綺麗にきめ細やかに配置している」}という仕組みになっています。
「人体」は「神経」「血管・リンパ管」「筋肉」「上皮組織(皮膚・粘膜・呼吸器・消化管・血管内壁など)」「支持組織(脂肪組織・軟骨・骨・線維性結合組織)」で構成されます。「線維芽細胞(せんいがさいぼう)」は「結合組織を構成する細胞の1つ」「コラーゲン・エラスチン・ヒアルロン酸といった真皮の成分を作り出す」という性質があります。
「細胞外マトリックス」は「細胞外の空間を充填、細胞を支持する構造」「細胞接着における足場の役割」「細胞増殖因子などの保持・提供する役割」「繊維状のタンパク質・構造タンパク質・グリコサミノグリカンで構成される」という物です。更に、主な構成要素は「コラーゲン(27型・種類)」「プロテオグリカン(コンドロイチン硫酸プロテオグリカン・ヘパラン硫酸プロテオグリカン・ケラタン硫酸プロテオグリカン・デルマタン硫酸プロテオグリカン)」「ヒアルロン酸(グリコサミノグリカンの一種)」「フィブロネクチン」「ラミニン
テネイシン」「エンタクチン」「エラスチン」「フィブリリン」です。
「上皮組織」は「栄養吸収・外界との遮断などの機能を果たす」「細胞外マトリックスは殆ど無い」、「支持組織」は「体の支持構造で、結合させる組織」「主に結合組織と呼ばれる」です。「結合組織では細胞外マトリックスが多く、細胞はまばら」であり、「細胞外マトリックス」は「結合組織:線維芽細胞」「軟骨:軟骨細胞」「骨:造骨細胞」「脂肪組織:脂肪細胞」から分泌されます。
「線維芽細胞」は結合組織にある最も基本的な細胞で、「軟骨細胞・造骨細胞・脂肪細胞」などに変化します。通常は目立った働きはしなく、損傷があると移動して大量のコラーゲンなど産生、損傷箇所の修復を助けます。「線維芽細胞成長因子(FGF)」は「線維芽細胞を成長させる因子」「23種類ある」「マクロファージ(白血球の1種・免疫細胞)から産生される」です。
&color(white,gray){「コラーゲン」の性質}
・「真皮・靱帯・腱・骨・軟骨・血管・内臓」などを構成するタンパク質のひとつ。
・多細胞動物の「細胞外基質(細胞外マトリクス)」の主成分で「膠原線維(結合組織の細胞間に存在する最も普通の繊維)」である。
・体内の全コラーゲンの「40%は皮膚」に、「20%は骨や軟骨」に存在、その他「血管・内臓」など全身に存在する。
・体内のコラーゲン量は、ヒトでは、全タンパク質のほぼ「30%」。
・「螺旋状のタンパク質3本を束ねた太い紐状組織」「強靭だが、伸縮性は無い」という特性を持つ。
・「3重螺旋」などの繊維構造を持つ「コラーゲン繊維」として存在する。
・「耐衝撃性(力学的な強度)・弾力性・保湿性・保水性」などが高く、各部位にこれらの効果を与える。
・「結合組織」に多く存在、「筋膜・骨膜・血管の外膜・脳の髄膜」など、表面部を守る「被膜・外膜」には、「コラーゲン線維」が大量に含まれている。
・「腱」の主成分はコラーゲン繊維が、きちんと隙間無く配列したもので、非常に強い力に耐える。
腱には、筋肉が発生した引っ張り力を骨などに伝え、運動を起こす際に非常に強い力がかかる。
・「骨・軟骨の内部」では、びっしりと詰め込まれたコラーゲン細繊維が、骨や軟骨の弾力性を増すのに役立っており、衝撃で骨折などが起こることから守っている。
・「皮膚の弾力性や強度の向上」に役立っている。
・「接する細胞」に対して「増殖・分化シグナルを与える、情報伝達の働き」を担っている。
高波動状態では、「コラーゲンの生成量増加と質の改善」がされます。これにより「真皮(皮膚)」「靱帯・腱」「骨・軟骨」「血管」を中心に、体中の組織・部位の状態・恒常性が維持され、組織構造が緻密化、必要に応じて部位が大きくなり、シミ・皺などがなくなり、肌が弾力化、体中が柔軟化します。
微量元素として「珪素」があり、「骨・歯・関節・血管・皮膚・肌・爪・髪」「組織の成長部分」に多く含有、波動の高い元素です。珪素が多いと「コラーゲンの生成」が促進され、組織が強くしなやかになります。また骨を丈夫にするのは、カルシウムよりも珪素の方が効果が高いと言います。
コラーゲン生成は「ビタミンC」により促進され、しかし「ビタミンCは酸化されやすい・代謝されやすい(一定量以上溜められない)・人体で生成できない」という性質があります。錠剤という手法がありますが、ただビタミンCの多量摂取の有効性は確認されていなく、副作用の報告もあります。僅かずつを小分けに摂るのが良いとされ、また高波動状態(還元状態)は「肝臓」に溜められるビタミンCの酸化を防ぎます。
&color(white,gray){「光り輝くような肌」について}
・波動が高く、体内・オーラから発している量子エネルギーの光量が多い。
・コラーゲンや皮膚細胞の並び方が滑らかで、硬直・歪み・しわが少なく、光の直進を阻害する要素が少ない。
・これにより「光の透過性が高い」ので、「外部の光の透過性」と「内部で発した光の透過性」の両側面ともに高い。
・滑らかさにより、「光をよく反射する」という性質もある。
・肌が柔軟で、気血水・神経の循環が良いので、波動を阻害する要素が少ない。
これにより「輝くような笑顔」と形容されるような笑顔や、豊かな表情が作られた時に、多くの量子エネルギーの光が発光する。
・くすみなどの、肌を曇らせる不要物質が少ない。
体というのは誰しもが、大なり小なり歪んでいて、その原因は非常に多岐に亘ります。体の歪みの多くは「仙骨と尾骨から首の辺りまで続く、脊髄の歪み」「頭蓋骨の歪み」に起因しています。「仙骨・尾骨に発する歪み」は多く、解消は波動向上には必須です。
&color(white,gray){「脊椎(せきつい)」「脊髄(せきずい)」}
・脊椎は「椎骨(ついこつ)」が縦に連なっている柱状の一連の骨の総称で、
「背骨」「脊柱」とも呼ばれる。
・動物の身体を重力から支える役割を持っている。
・ヒトの脊椎骨は、頭蓋骨の後頭骨にある大後頭孔より下降し、骨盤に至る。
脊椎は「頸椎(7椎・稀に8椎)」「胸椎(12椎)」「腰椎(5椎)」
「仙椎(5椎)」「尾椎(3-6椎)」の、約30個の椎骨から形成されている。
・椎骨は、脊椎の分節をなす個々の骨のことで縦一列に並んでおり、
ヒトの場合上から順に頚椎7個、胸椎12個、腰椎5個、仙椎5個、
尾椎4個の33個存在するが、仙椎および尾椎はそれぞれ癒合しており、
仙骨および尾骨と呼ばれる。その他の独立した椎骨は、
それぞれの部位の第何番目の骨と命名されている。
・椎骨と椎骨の間の関接「椎間板」は、クッションの役割をする。
・椎骨の中央に「脊柱管」というトンネル状の空間があり、神経の束「脊髄」が通る。
・椎骨と椎骨の隙間から、脊髄から枝分かれした神経が出ている。
その神経の根元を「神経根」と呼ぶ。
・椎間板の中心には、ゼリー状組織「髄核(ずいかく)」がある。
&color(white,gray){脊椎周辺の構造}
・椎骨と椎骨の間には、「椎間板」と呼ばれる軟骨繊維がある。
・「頭蓋骨」から「骨盤」にかけての「脊椎」の並び順」は
「頸椎・胸椎・腰椎・仙椎・尾椎」である。
・「尾椎」の纏まりが「尾骨」、「仙椎」の纏まりが「仙骨」、
「腰椎」の纏まりが「腰骨」、「胸椎」の纏まりが「胸骨」、「頸椎」の纏まりが「頸骨」である。
・脊柱の左右に脊柱起立筋があり、これが脊柱を支持し、姿勢を保つ。
・脊柱両脇には頭蓋骨底部から尾骨まで走る、交感神経幹が通っている。
・脊柱の中に脊柱管があり、脊椎の椎孔が連なってできた細長い空間を指す。
・脊柱管は、上は大孔(大後頭孔)を通って頭蓋内に続き、下は仙骨の中で閉じている。
・脊柱管には、脳から延髄・脊髄に走る中枢神経が通っている。
・脊柱管の内部に脊髄があり、髄液で満たされている。
・加齢などにより、脊柱管は狭窄化、軟骨は現象、全体的に縮小する。
&color(white,gray){基本的な立ち姿勢}
・「足」の五本の指で地面を捉えて立ち、親指(拇指)に体重が掛かっている。
・脚部から背中まで、内側や、後ろ側(脹脛・ハムストリングス・臀部・背筋)が、やや締まった状態である。
・体の前方や側面の筋肉は緩和されている。
・「仙骨・尾骨」「尻・臀部(でんぶ)・肛門」周辺の筋肉群を締める。
・「丹田・下腹部・へそから下部」に力を入れ、これらで土台を安定させる。
・「鳩尾・腹部の上部」は上方に伸ばし、左右に開いて、緩和する。
・これは「横隔膜」を下げて、「鳩尾の裏側の背筋」を反らすことで行う。
・「胸郭」「肩・鎖骨」などの部位は、左右に開いて、上方へ伸ばす。
・「首・顎・頭部」にかけては、前方に突き出ないようにして、
「脊柱」と共に、左右に傾かないように気をつける。
・「頭部」はちょこんと上部に乗っかった感じで、垂直に下部に自重が向くようにする。
・「頭頂部」は引き上げられている感じで、
それに伴って「サハスラーラ」と高次元が交信しているイメージングを持つ(そう思い込む)。
●&color(white,black){生体のエネルギー源と水と粘性について}
「生命の健康・寿命」は、「量子の量の多さ」「周波数の高さ」「波動の質の良さ」に左右されます。こういった「高波動状態」では、「チャクラ活性化」「生命の健康・長寿命化」がもたらされます。
体内で用いられるエネルギー源は、その由来は「飲食物」「体内に取り込んだり、体内で拡大させた量子(波動)」に大別され、また水は「エネルギー源」若しくは「電子の供給源」として用いられていると考えられます。
そして、その中身は「分子・原子・量子の混合物(飲食物由来)」「量子(波動)」に大別されます。飲食物からは「分子・原子」以外に、「量子」もエネルギー源として用いられます。「分子・原子」がエネルギー源の場合、「エントロピー(非秩序性)」が発生し、体に負荷を与えます。しかし「量子」では、あまり負荷は発生しません。「高波動の飲食物は、波動が直接エネルギーになるので、とても体に良いです。更には、人体が高波動状態になっていくと「不食」の状態でも生きていけるようになり、「体外から波動(気)を取り入れる」「体内組織が整った配置にあり、共鳴効果で波動を増加される」「松果体の波動増幅(増加)効果の拡大」という波動的機能が亢進してゆきます。
&color(white,gray){「高波動の量子・量子水」の特性}
・微細な状態である、細粒化(団粒の対極の状態)。
・界面活性効果が高い
・融合性が高い
・保水性が高い
・波動の浸透能力が高い
・水分の浸透能力が高い
・単一波長(コヒーレント状態)であり、単一波長になりやすい。
・量子エネルギーが多い(量子が多い)
・酸化還元電位が低い(電子が多い)
「水」には「単一波長になりやすい」「波動・効果を浸透させやすい」という性質があり、これらの性質の総合値が「他の物質・原子よりも高い」ですが、「量子水」では更に高くなります。また「水素原子」には「量子」と類似した性質があり、「水素水」には高い効果が確認されています。「各地の名水」も「高波動の水」であり、「量子水」の一種です。
この性質により、「高波動の体液・波動は、体の隅々まで浸透する」という効果があります。また高波動だと「コラーゲンの生成能力が増加」、これにより「皮膚繊維の保水力が増加」します。「水を飲む」のは「体内に量子水の性質を取り込む行為」「波動を維持する・上げる為の行為」です。
「人体・組織の水分含有率」は「胎児:90%」「新生児:75~80%」「子供:70%」「成人:60~65%」「高齢者:50~55%」「肥満体:50~55%」です。「人体で水分量が多い場所・組織」は「網膜:92%」「血液:90%」「脳:80%」で、脳は「脳脊髄液」の多さによります。「筋肉:70%強~8割弱」「脂肪:20%」となっていて、この為に「男性:60%」「女性:55%」となっていて、「筋肉量の多い人」ほど「体水分量は多い」です。
水を飲むと、知的能力・集中力・記憶力や、身体能力が大幅に上がり、また、作業の前に水を飲むと、作業効率が大幅に上がる事が確認されています。渇きは一時的に脳・精神・身体的に衰えを招き、渇きが続くと、この状態が固定化して健康悪化、寿命が短くなります。
高波動状態では「界面活性効果が高い」「融合性が高い」という性質があり、これにより「水と油が混ざり合い(乳化)、乳液状態になる」となり、このほど良く混ざった状態が、良い血液の状態です。
「リンパ液」は「人体の水分量が多い時に増加する」「余計な水分を回収する」という性質があります。「むくみ」とは「リンパ液が多い状態」「水分過多の状態」です。そして、むくみがある時は、人体の他の箇所では「充血」が発生していて、これは「赤血球過多」「油分過多」です。
「むくみ・充血」の発生メカニズムは「体内水分の過剰・過小」「人体が低波動にあり、血液が水分と油分に分離した状態」という2種類があります。「むくみは下半身」「充血は上半身」で起き易く、これにより血流・リンパ液・気の流れが悪化します。また「血液:火」「リンパ液:水」と考えられ、この二極の性質に分離した状態であり、真ん中のゼロ点に戻して、全てを統合することが必要です。
むくみの対策には、根本的対策として、体内の波動を上げることが必須です。そしてチャクラの活性化も「血流・リンパ液・気の流れの改善」が必須です。「体の歪み」は、必然的に「コリ」を生じさせ、またコリは「気血水(波動・血・リンパ)の流れの悪化」で生じます。これら全ては一体的な現象で、「チャクラの活性化」にはこれらの改善解消が必須です。
人体が高波動だと「恒常性維持能力・自律神経の向上」「量子エネルギーの増加」などにより、「適切な体温維持」「暑さ寒さへの耐久力増加」「浄化された波動・物質状態・水質状態になる」「透明感や光沢感が出る」となると思われます。「人体の老化減少」は「水分減少」「硬化」「酸化」「波動低下」に特徴的に現れますが、波動が上昇すると、この何れも改善方向に働きます。
「血・リンパ液・気・神経」は「意識を帯びた物質と、それが流れる管」です。「波動」は「意識により情報が付加される物」であり、「血・リンパ液・気・神経の流れに沿って、意識が流れている」「意識が行き渡っている」という感覚を持てば、「意識が流れる・行き渡る」ようになります。意識という面から見ると、例えば「全身に布団を被る」という行為は「意識・思考・感覚が巡る」ような効果があるかもしれません。
《これらの性質を考えると、次のようになると考えられる》
&color(white,gray){人体が低波動の時に多い症状}
・むくみ
・充血(むくみと、多くの場合で原因は同じで、併発もする)
・ドロドロした血液
・ベトベトした汗
・ネバネバした唾液
・乾燥肌、体内・皮膚の水分の減少
・脂性(乾燥肌と併発する事も多い)
・肌荒れ、フケ、ニキビ、
・アトピー
・鼻水や痰の増加
・体内水分が粘液っぽい感じになる。
これにより血液、汗、唾液、鼻水、痰、尿などが粘液化した感じになったり、増加する。
&color(white,gray){人体が高波動の時に多い症状}
・サラサラした血液と汗
・体内水分量、保水性の適切な維持(幼少期のように水分量が多くなる)
瑞々しく、透明感のある皮膚になる。
細粒化と水分量増加と毛細血管拡張で体が柔軟化する。
●&color(white,black){硬直・歪みの影響、改善の過程}
人体構造の配置は&bold(){「先ず気脈の配置があり、それに準拠して血管・リンパ管・神経や粘膜・筋肉・腱組織などの細胞が配置される」「1つ1つの気脈はごく微細で、縦方向と横方向の気脈が、綺麗にきめ細やかに配置している」}という仕組みになっています。
そしてこれに伴って、体が正常な状態においては&bold(){「人体の組織構造は規則正しく、整った状態で、柔軟で、滑らかに配置している」「硬直・歪みや凸凹がない」}という様相にあります。これは&bold(){「斉一(コヒーレント状態)な波動同士は共鳴しあい、波動が増加していく」}という原理による&bold(){「体内での波動の共鳴・増加の効果を高める為の構造」}であり、波動が高くなると「細胞」「脈(気脈・血管・リンパ管・神経)」「臓器」などが、綺麗に柔軟に並ぶようになります。
本来の&bold(){「体が柔軟で波動が高い」}という状態なら、&bold(){「消化器・血管・気脈その他、様々な器官が正常な場所にあり、正常に働く」}ので、&bold(){「体内の不要物質は便・尿・痰・鼻水・汗などの形で、円滑に体外に排泄される」}ようになります。
基本的には&bold(){「DNA情報(又は遺伝情報)」}の多くは、こういった&bold(){「人体の組織構造を正常な状態へと導くような波動情報」}を発しています。&bold(){「不要なDNA情報」}も多少或いは多数ありますが、それは&bold(){「意識・言葉などは、遺伝子をオンにする・オフにするという機能を持つ」}ので、これにより&bold(){「不要なDNA情報や効果は発現しないようになっている」}という仕組みがあります。
しかし人体は、様々な要因により低波動状態になっていき、&bold(){「硬直・歪み」}が蓄積していきます。体に硬直・歪みがあると&bold(){「多数の気脈が癒合して、捩れて絡まりあっていて、気脈が本来の場所に無い」「気脈を流れる波動の量が少ない」という状態となり、これでは波動の共鳴・増加効果もあまり得られません。
そしてこれに伴い、&bold(){「人体組織が不規則的に並び、不整形な凹凸がある」「各部位が不正常な位置に存在するようになる」「硬直部位に体内の不要物質が多く蓄積する」「気血水・神経の循環が悪化する」「脳活動を阻害する」「各種能力が低下する」「シワ・肌荒れ・白髪ほか各種症状や不快感が起きる」「各種の病状が起きる」}という悪循環が起きます。そして「不要物質」は、前項の「粘性の物質」になり、「体の硬直・歪みを固定化・促進する」ようになります。
体に歪み・硬直が多いと、必然的に&bold(){「ヘルニア」}が起きやすくなります。
&color(white,gray){ヘルニア}
・体内の臓器などが、本来あるべき部位から脱出した状態を指す。
・体腔内の裂隙に迷入したものを「内ヘルニア」、
体腔外に逸脱したものを「外ヘルニア」と呼ぶ。腹部の内臓に多くみられ、
・例えば「腹壁ヘルニア」は、腹壁に生じた裂け目から腹部の内臓が
腹膜に包まれたまま腹腔外に脱出するものである。
・一般的に多いヘルニアは、「鼠径ヘルニア(脱腸)」
「臍ヘルニア(でべそ)」「椎間板ヘルニア」などである。
・「嵌頓ヘルニア(かんとん)」は、脱出した臓器などが内鼠径輪の穴から脱出して 締め付けられた状態を指す。
締め付けられた状態が長期に及ぶと、血液循環障害により脱出した部分が
壊死ないし壊疽に至る場合がある。多くは激痛を伴う。
硬直・歪みが上皮細胞などに現れると、「シワ・シミ・肌荒れ・アトピー・白髪」などの症状が現れます。粘膜に現れると、呼吸や消化に悪影響を与えます。「体の硬直(体の硬さ)」も、こういった仕組みにより、筋肉や腱組織などが硬直した事による症状です。体が硬直すると、運動や発声などにも悪影響が出ます。勿論これら症状は、ほんの一部であり、&bold(){「体の歪みと硬直は万病の元」}です。
硬直・歪みが解消すると、これら症状は改善します。改善の速度が速いと、一時的に&bold(){「疲労」「改善部位の痛み・違和感・痒み」「便・尿の状態変化」「痰・鼻水の増加」}などの症状が現れます。この原因は&bold(){「組織内部に閉じ込められていた不要物質が、その一部が排泄されずに各所に出てきて、その影響が現れた」}からであり、これは東洋医学の概念&bold(){「好転反応」}も同じでしょう。
改善速度を速めるには、&bold(){「水」}を多く摂る必要があります。&bold(){「体内の水分が不十分だと、不要物質を体外に排泄する機能が阻害される」}うえに、体は柔軟性が維持できず、波動が低下します。
その過程では多くの変化・状況が現れるので、&bold(){「体の波動的な機能・構造」「気脈の配置」「波動の流れ」}を体感できます。人体において&bold(){「硬直・歪みは正中線に集中していて、中でも幾つかの特定部位に最も集中している」「体の柔軟化は、周辺部から正中線に向けて中心向きへ進んでいき、同時に末端の皮膚にも進んでいく」}という様相があります。また&bold(){「骨の周辺の、特に関節の筋肉・腱組織・血管なども、硬直・歪みが多い」}です。
&bold(){殆どの生理現象の発生の最大の要因は、その時々の波動の状態」}です。以下の生理現象は、体の硬直・歪みを解消する為の現象です。
&bold(){「くしゃみ」}は&bold(){「頚部や気管・気管支・肺などの気脈が、不要物質がある事で、堰き止められた状態になっているのを、一気に開通させる」}という効果があります。&bold(){「鎖骨の間・胸骨最上部・頚部の付け根」と、奥の「気管(呼吸器の粘膜)」と、裏側の「第七頚椎・第一胸椎(背骨の一部)」は、硬直・歪みが最も集中する部位の1つ}で、殆どの人は。大なり小なりここ気脈などが詰まり、歪んだ状態となっています。&bold(){「周辺部位が柔軟化してゆき、この部位だけが硬直した状態になると、くしゃみで強制的に気脈を開通させる」}というのが仕組みです。
くしゃみで気脈開通すると、&bold(){「鼻水」}がすぐに出ます。&bold(){「くしゃみのすぐ後に鼻水が出る」}のは誰しも経験がありますが、しかし従来医学ではその原因は解明されていなく(又は無視されている)、実際にはこのような理由となっています。&bold(){「鼻が顔面の中心」}であり、&bold(){「鼻骨は人体で最も強固に固着した関節」「鼻は主要な気脈が集中する部位」}です。これにより&bold(){「鼻周辺の多くの気脈は閉じている」}のですが、&bold(){「鼻水を出す事で、鼻周辺や鼻より上部の部位の不要物質を排出する」}という仕組みになっています。
拠って、多くのくしゃみや鼻水は&bold(){「体の硬直・歪みや不調からの回復過程における、良い効果をもたらす人体機能としての発生する回復サイン」}と言えます。
&bold(){「咳(せき)」}には&bold(){「胸部~頚部~口腔の奥の方の不要物質を排出する」}という効果があり、&bold(){「気脈(経脈)が垂直に真っ直ぐになる時に、体内が水分不足だと起きやすい」}という特徴があります。
&bold(){「痰(たん)」}には&bold(){「頚部の喉頭・咽頭の不要物質を、口から体外に排出する」}という効果があり、また&bold(){「喉頭に、体内の多くの部位から不要物質が運ばれる」}というメカニズムがあります。ここから&bold(){「喉頭には反射区のような波動的構造がある」}という可能性も推察されます。
&bold(){「嘔吐き(えずき)」}には&bold(){「食道などの不要物質を、胃に入れずに口から吐き出す」}という効果があります。お年寄は「物を飲み込む時につっかえやすい」ですが、これは&bold(){「咽頭・喉頭の硬直・歪み」}による症状です。
同様に&bold(){「体の各種の状態は、波動状態に依存する事象」}です。
&bold(){「血色の悪さ」「顔色」「目の下・周囲の隈」}は、その程度は完全に波動状態に依存します。「痰」は黄ばんでいますが、硬直・歪みが多いと、この物質が体内に多くなります。これは&bold(){「肌の色合いをくすませる」}状態で、&bold(){「歯が黄ばむ」}などの影響が現れます。
こういった状態にあると、必然的に&bold(){「体に量子エネルギーが足りない状態=光の発散量低下」「体(特に正中線)が硬直している状態」}といった状態を併発しています。またこういう状態だと「ボーっとしている」「口が半開きでいるなど、締りの無い表情でいる」ことが多くなります。これは&bold(){「体の(特に正中線)を硬直から開放する為に脱力する」}からです。
&bold(){「良い姿勢の人は、良い姿勢を容易に維持できるが、悪い姿勢の人は、良い姿勢を維持するのが困難」}です。これは&bold(){「体が歪んでいるので、真っ直ぐの姿勢を保つには、良い姿勢の人よりエネルギーが余分に必要である」「良い姿勢の人よりも量子エネルギーの量が少ない(=姿勢維持のエネルギー源が少ない)」}からです。
これらの&bold(){「生理現象や体の状態は、全てが波動に密接に絡む物」}で、&bold(){「不要物質を口・鼻から排出する事で、体内各部位での滞留や、消化器からの流入を防ぐ」}という作用があります。その意味合いについて、単に「不要物質の排出」のみならず、&bold(){「気脈などの機能を維持・改善する」}ことに大きな意味があります。体内で波動改善が成されてきたら、これら現象の意味合いと共に、人体の波動的構造もよく認識できるようになるでしょう。
全身が柔軟化していくと、見た目も大きく変わり、容貌が大きく改善するでしょう。&bold(){「風呂上りの見た目は、通常よりも良い状態に見える」}ものですが、これも同原理により、その理由は&bold(){「硬直・歪みや変形がなくなる」「体の組織、特に正中線が四方八方に伸ばされ柔軟になる」「笑顔が良くなる」「気血水や神経の循環が改善する」「これらの状態は見た目が良い状態として潜在意識に記憶さえている」}からです。
世界的に現代人は、また特に現代日本人は「コリ・頭痛・アトピー・冷え性・慢性疲労・疲れ目」など、各種症状が非常に多く、これは波動の大幅低下に伴う症状です。これら全てが改善、あらゆる問題が減少していき、それと共に波動的状況や意識も大きく向上していくでしょう。このように柔軟化・緩和や、波動上昇を伴いながら、あらゆる状況が改善していきます。
●&color(white,black){筋肉などの性質と緩和法}
「筋肉」を構成する「筋繊維(筋肉繊維)」は、硬直すると長さ・太さが萎縮、筋っぽくなり、繊維同士の隙間が小さくなります。柔軟な筋肉は「筋線維が太い」「繊維同士の隙間が大きい」「伸展性・可動性が高い」「筋肉内部・周囲の血管・リンパ管・神経・気脈の巡りが良い」という特徴があります。
「皮膚」は「表皮・真皮・皮下組織」の3層から構成され、その下に「脂肪組織」「筋肉」、その下に「骨」「軟骨」「主要な神経管」があります。「筋膜」は「筋肉・粘膜(口腔・内臓ほか)血管平滑筋の表面」に存在しています。
「筋肉」は、幾つかの観点により分類されます。
&color(white,gray){筋肉の種類}
・横紋筋(おうもんきん)
・外見上規則正しい横紋がみられるためにこう呼ばれる。
・「骨格筋」「皮筋(表情筋など)」「心筋」に区別される
・随意筋(ずいいきん)
・自己意識下で動かすことの出来る筋肉。
・不随意筋
・自己意識下で動かすことの出来ない筋肉。
・骨格筋
・すべて横紋筋かつ随意筋
・「端が骨などにくっついている物」「皮膚組織で終わる物」の2つがある。
・筋肉を所在で分類した場合、「骨格筋」「皮筋」「関節筋」と分ける。
.内臓筋
・随意筋(内臓筋のうちの)
・舌や咽頭など
・不随意筋(内臓筋のうちの)
・横隔膜や食道の一部など
・平滑筋(へいかつきん)
・すべて不随意筋・血管など
・横紋筋とは違い「サルコメア(筋節)のない筋肉」のことである(アクチン・ミオシンは少量存在する)。
・血管、食道の一部を除く消化管(胃・小腸・大腸など)、膀胱、子宮など。
・管状あるいは袋状器官では「壁」にみられる。
・消化管では、消化物を筋収縮により運ぶ役割を持つ。
・心筋
・すべて不随意筋、心臓
・皮筋(ひきん)
・筋肉を所在で分類したときに「骨や筋肉から起こり、もう一方の筋肉の端が皮膚と繋がっているもの」の総称。
・例えば「顔面筋(表情筋)」がある。
&color(white,gray){骨格筋}
・力の発生の最小単位の構造(サルコメア)は、「アクチン」「ミオシン」というたんぱく質であり、
これを「筋細線維」や「筋芽細胞」と呼ぶ。
・筋細線維が束になった、直径1000分の1mmの「筋原線維」がある。
・原線維が束になった、直径0.1mmの「筋線維(筋肉繊維)」がある。
・筋細線維が並列すると筋原線維が太くなり、直列すると筋長が長くなる。
・骨格筋は、全てが「横紋筋(おうもんきん)」且つ「随意筋」である。
・「横紋筋」には「アクチン」「ミオシン」が並び、
外見上規則正しい横紋がみられるためにこう呼ばれる。
「横紋筋」は、骨格筋、皮筋(表情筋など)と心筋に区別される。
・何層もの「筋膜(筋上膜・筋周膜・筋内膜)」が、横紋筋の表層部と成している。
・れらから構成される筋原繊維(線維)は細胞を貫いて並び、そのために細胞の区分はなく、
細長く伸びて内部に筋原繊維の並んだところに複数の核がある、いわゆる合胞体となっている。
・外側から「何層もの筋膜(筋肉の表層の膜)」「筋繊維」「筋原繊維」
「筋細線維(アクチン・ミオシン)」という順序の構造となっている。
・骨格筋は、「筋膜」が途中で「腱」に移行(変化)する。
そして「骨膜」において「骨」と一体化します。
・「筋肉・筋膜」「腱」「骨膜」「骨」という順序の構造となっている。
「物を動かす動作」などで使われるのは、一般的に筋肉と呼ばれる時にイメージする「骨格筋」です。「血管の内皮(内壁)」は「平滑筋」となっていて、自律神経が支配、環境変化に応じて自律的に血管は緩和収縮します。
「筋肉の電気伝導性」について、「骨格筋」は「電気伝導性が高い」という性質があり、「骨格筋の繊維の方向:約3Ωm」「骨格筋の直角方向:約7~10Ωm」です。また柔軟な筋肉ほど「量子が多い」「水分が多い」「障害となる不・斉一性としてのコリ状態がない」という点から、抵抗は少なくなります。人体には「正中線に近いほど、縦方向に広がる筋肉が多い」という傾向があり、これは「姿勢・中心線の維持」「体幹での情報伝達速度を早くする」「全身的な情報伝達の効率性」が要因と考えられます。「正中線付近の筋肉のコリは、波動上昇の大きな妨げになるもの」です。
「血管」は、外側から「外膜(結合組織層)」「血管平滑筋」「内皮(内皮下の結合組織層)」という順序の構造で、「動脈」に於いて「血管平滑筋」がよく発達、「血管平滑筋の収縮緩和で、血圧の上昇低下が起きる」となっています。「毛細血管では内皮層は極僅かであり、稀に結合組織を含む程度」「成人の血管を全て真っ直ぐ繋げると約10万キロメートル」「血管は能動的に血液輸送はしない(感知できる程の蠕動運動はしない)が、動脈(ある程度なら静脈も)は自律神経による筋層収縮によって、その内径を調節し、下流臓器への血量を変える」です。
「筋膜」は「体の硬直・歪み」や、それによる「外見上の老化現象」「美容上の問題」を左右する、最も代表的な身体組織です。
&color(white,gray){筋膜}
・「内臓」「粘膜組織」「筋肉繊維」「血管」を保護している膜組織。
・筋組織の滑動を助けたり、保護して、一定の位置にゆるく固定する。
・他の筋組織の、起始・付着点ともなる。
・自律神経や、脳からの知覚神経・運動神経の支配を受ける。
・主に機械的にきわめて強靭な「I型コラーゲン線維」からなる密性結合組織で、膠原線維束が種々の方向に交繊するように走る。
・たんぱく質繊維の「コラーゲン」と「エラスチン」が、メッシュ状に張り巡らされている。
・「コラーゲン」は「膠原線維(結合組織の細胞間に存在する最も普通の繊維)」「螺旋状のタンパク質3本を束ねた太い紐状組織」「強靭だが、伸縮性は無い」
・「エラスチン」は「弾性繊維」「短く細いコイル状の繊維が幾重にも枝分かれしたネット状組織」「伸縮性に富み、2.5倍に伸びる」
・線維間には少数の線維(芽)細胞が存在する。
・複層構造の表皮となっていて、あらゆる膜が連続的に繋がっている。以下の構造がある。
・表皮のすぐ下で全身を薄くおおう「浅筋膜(せんきんまく)」と「深筋膜(しんきんまく)」。
・筋肉を包む「筋外膜(きんがいまく)」。
・筋肉の中で線維を束ねる「筋周膜(きんしゅうまく)」や「筋内膜(きんないまく)」。
&color(white,gray){エラスチン}
・コラーゲンの線維を支える役割を持つ線維であり「弾性線維」とも呼ばれる。
・「短く細いコイル状の繊維が幾重にも枝分かれしたネット状組織」「伸縮性に富み、2.5倍に伸びる」である。
・人体では「血管壁」「腱」「靱帯」に多く含まれていて、項靱帯で約78~80%、動脈で約50%、肺で約20%、真皮で約2~5%を占める。
・エラスチンは皮膚や血管では年齢と共に減少し、皺の原因となる。
・エラスチンは、生体内においてまず先駆体タンパク質・トロポエラスチン(分子量70,000)として、血管や平滑筋細胞、線維芽細胞などで生合成される。
・次にトロポエラスチン分子は、ミクロフィブリルと呼ばれる糖タンパク質の周囲や間隙に集合した後、分子間で適切に架橋されて弾性繊維のコアタンパク質であるエラスチンとなる。
・正常なエラスチンの形成には、この第一段階であるトロポエラスチンの規則的な自己集合が重要で、この自己集合を「コアセルベーション」と呼ぶ。
・また、コアセルベーションはエラスチンの形成のみならず、エラスチンの弾性機能の発現にも深く関与することが知られている。
体の姿勢の維持には「骨格」と「筋膜の伸展・張り」が重要です。「筋膜を含めた身体の膜組織」には「コラーゲン繊維」が多量に含まれ、その「耐衝撃性・弾力性」などの効果で、内部組織を守っています。そして柔軟な部位の筋膜は「エラスチン」が柔軟です。
しかし、身体に硬直・歪みが生じると「エラスチンにコラーゲンが癒合して、伸縮性を失わせる」「筋膜同士が癒合して硬直する」という現象が起きます。この状態が進行すると「複数の筋膜や筋肉・臓器・骨などが固着して全体的に硬直する」「血管・リンパ管・気脈・神経線維が圧迫される」「全身が連鎖的に硬直する」となります。強く硬直している「筋膜の伸展」がされると、自動的に「筋繊維の伸展」がされていくので、「筋肉の緩和」には「筋膜の伸展・緩和」を意識すると有効です。
「筋繊維(筋細胞)はストレッチングの繰り返しで増殖し、筋繊維が長く伸びる」「回数と強度を上げるほど、筋細胞の成長は顕著になる」ということが判明しています。
「脳には筋肉を収縮させる信号はあるが、緩和させる信号は無い」「ごく弱い力で触れると、その部分の筋肉が緩む」とされます。これは「手当てやマッサージが、何故効果的なのか」の大きな理由です。「緊張緩和(副交感神経の優位)」→「余計な神経刺激の除去」という状態が、筋肉の緩和に重要です。ヨガなどでも筋肉は緩和しますが、これも前提として、「余計な神経刺激の除去」がされた状態だからと考えられます。無理にストレッチ運動などをすると、却って筋肉が難くなることがあります。緊張を促進している、脳のリミッターを上手く外すには、穏やかな心持でいるのが重要なようです。
&color(white,gray){「筋繊維(筋細」「筋膜」の伸展・緩和は、次のような状況で促進される}
・無理のないストレッチング・伸展・緩和の運動や意識。
・手を当てたり、マッサージをすること。
・体が温まっている状態(お風呂など)
・血流を促進させる飲食物。
・高波動状態。
「体の硬直・歪みの解消と柔軟化」は、先ずは「ツボとチャクラや、その周辺を重点的に行う」というのが効果的です。
「拮抗筋」という概念は重要です。これは「筋肉運動の際に反対の動きをする筋肉」で、「胴体を左右や前後に傾ける動作」では「片方が収縮・もう片方が緩和」します。「拮抗筋」は、ある筋肉に対して「左右・前後・上下・斜めの全方位のいずれかの場所」にあります。歪み解消・柔軟化に際しては「拮抗筋の両方を同時に施術する」と効果的です。これは「神経は、無意識下で大なり小なり緊張している」ので、「拮抗筋同士に緩和しても良いとの信号を送るのが重要」だからです。
「筋肉の起始と停止」という概念も重要です。これは「起始:筋肉の人体の中心側の端(体の中心に近い、あるいは収縮したときに、より小さくしか動かない骨のある側の端)」「停止:その反対側」という物です。要は「筋肉の始まりと終わりの場所」、当然ながらその両方向が、筋肉が一番伸びる方向で、最も緩和される方向です。また「ある部位の筋肉群と、違う部位の筋肉群が一体的な関係にある場合が多い(一体的に凝っている)」という事も重要で、例えば「頚部前方と顎の筋肉」などです。
「人体には縦・横・斜め(螺旋)の構造がある」と見られます。「縦の構造」は「チャクラ・経絡・背骨などの並び」に見られます。「横の構造」は「拮抗筋・ツボや、左右で対になっている部位・筋肉の、正中線を境にした左右両側の配置」に見られます。
「斜め(螺旋)の構造」について、「スパイラルテープ療法」という物があり、「スパイラル(らせん・渦巻き)状のテーピングを施すことにより、身体全体のバランスを無理なく整え、痛みを軽減もしくは消失する施術方法」と説明されています。「筋力の効果的な伝導法」は「ムチのような、連動性としなりのある筋力の伝導」で、これは「正中線に対する求心的な対数螺旋の三次元運動」とも言えます。また「手の握り」は「小指から順に、卵を握るようにする」のが良いとされ、これは「腕の力を最大限に伝える握り方」ですが、「螺旋的な動き」でもあります。
筋肉などには「筋肉の起始と停止を押さえると緩和しやすい」「拮抗筋の両方・複数の筋肉を押さえると緩和しやすい」「一体的な関係性にある筋肉群・部位の、複数の筋肉を押さえると緩和しやすい」という性質があり、これを取り入れた施術法はより有効です。また「関節をポキポキさせる」のは「神経・血管・軟骨などが傷付く」ので厳禁です。
&color(white,gray){体の硬直・歪みの発生原理と、及ぼす影響}
・本来の人体は「縦方向の主脈(経脈)」「横方向の支脈(絡脈)」という基本状態を基に、
各種の脈・筋が綺麗に滑らかに並んでいる。
・「体の癖」が「体の歪み」を招き、この蓄積で「硬直(コリ・力み)」を生む。
・歪み・硬直があると「紐が絡み合ってグチャクチャになった状態」のようになり、
「筋・脈の捩れ、元の位置からのズレ、圧縮された状態」を招く。
・「脈・筋の並びが本来の状態で、滑らか」であると、「波動が高くなる」。
これは「組織の並びが整っている」→「波動の進行・共鳴の阻害要因が少ない」→
「波動の斉一性上昇」→「リズム(周波数)の同期」→「波動が高まる」という原理による。
・しかし硬直・歪みがあると、「組織の並びの歪さ」→「波動の進行阻害」→
「波動のリズムの非同期」→「波動共鳴の低下」「波動の減衰」という作用原理で波動低下する。
・「筋肉の伸びが阻害される」ので「柔軟性の低下」が生じ、
「臓器・血管など各種器官の気血水・神経の循環阻害」が生じる。
・「硬直・歪み」のある部位には「体内の不要物質・有害物質が蓄積される」という現象が発生する。
当該部位や、そこの細胞内に蓄積され、これにより各種の病気・症状・臭いが発生する。
・また「癌細胞」は「有害物質を閉じ込める事で、延命させる役割を持つ、細胞の変化形」だが、
癌細胞が臭いのは、硬直・歪みにより溜まった有害物質により体臭が起きる事と、同じ原理である。
・不要物質は「便・尿」や「痰」「鼻水」「汗」「涙」などの形で体外に排泄される。
・「硬直・歪み」は、常に解消され続けているが、多くの場合は再発生も伴っている。
・「硬直・歪みの解消」には「波動エネルギー」が必須で、
「ゆったりした意識」「水分」「温熱」など、様々な要素が解消を促進する。
「コリ」「痰」などは炎症性の状態で、歪みをとって柔軟にしていくと、コリが取れると共に、不要物質が鼻水・痰などとして現れる事が多くなります。例えば「社会の諸問題の現象」は「コリ」、「悪化した炎症」は「重大な問題」、「社会の歪み不合理性など)」は「体の歪み」に相当すると考えられ、「コリの解消」には、原因の「体の歪みの解消」が必要です。
「歪み・力み・コリ」は「深部の筋肉の硬直化」に伴う物で、「体の歪みの長期化」→「深部の筋肉の癖(偏りと硬直化)」→「表層部の筋肉のコリ」という順で現れます。なので「表層部の筋肉のコリ」は、付随的に現れている物に過ぎません。
「深部の筋肉」に対しては、その微妙な歪みに対して、「歪んでいるか・曲がっているか」の状態の感知は難しい物があり、意識が届き難いです。更に認識しても「体自身が覚えてしまった深い癖」なので、「正常な姿勢を一時的にとる」ことにさえ「正常な姿勢のとり方を、どうやってやれば良いか、体や脳が知らない」という事が多いです。そして「体に力が力んだ状態・緊張した状態」だと「表層部の筋肉が硬直」して、「深部の筋肉・神経」には効果が届きません。なのでその感知・修正には「意識の集中」が必須で、「深いリラックス状態」も望まれます。
人それぞれ「凝ってる場所・痛みのある場所」歪んでいる場所」は違うので、どこのツボが良いかも人それぞれです。寝床やお風呂で長い時間、指圧・施術・緩和を行うと効果的です。「最初は時間が掛かり、コリは残っていますが、次第に大きく改善され、コリが取れて柔軟になるでしょう。そうすると血流増加や歪みの解消も実感できますし、指圧する時間も少しで済むようになります。
「人体内部・中心部・正中線の方向への、各組織の密着から、筋肉や皮膚などを離していく」ような感じにすると、これにより「筋肉・皮膚・骨などの内部圧力」が低下して、「気血水(波動・血・リンパ)の流れ」が良くなる余地を生じていきます。この手法として「摘む」という行為がよく用いられ、他にもケースごとにやり方があり、「揉む・マッサージ・指圧」の基本です。
施術や柔軟化には「筋膜と内部の筋肉繊維」「筋肉・組織の固着状態と柔軟化」「毛細血管・動静脈吻合の拡張(後述)」という仕組みの理解があると、より効果的です。「筋肉・臓器の硬直状態」には「収縮した状態」「伸びた状態」「他の筋肉とくっついた状態」「歪んだ状態」があり、何れにも「更に伸ばして、押す・揉む・手当て・さするという行為で、筋膜を緩和」します。そして「毛細血管の拡張」によって、筋肉や各組織の内部に血液を行き渡らせて、気血水・神経の循環を良くすると共に、固着状態から柔軟な状態に代えていきます。なので「筋膜の伸展と緩和」「筋肉・各組織の隅々への、毛細血管の拡張と気血水・神経の巡り」を意識すると良いです。
体が温まると「組織・筋肉・コラーゲン繊維などを伸展させる」「組織同士の固着が緩和する」「血行が改善する」「表皮・皮下組織、筋肉・器官、骨周辺の深部など各部位が緩和する」といった効果が、非常に高く発現します。この為にお風呂・温泉、温熱療法、軽い運動・静的運動(気功・ヨガなど)は、全身の柔軟化と波動上昇に非常に効果があります。熱いお風呂で「体がジンジンする」ことがありますが、これは「歪みの解消に伴う、筋肉繊維などが引っ張られた状態」が大きな要因と考えられます。
お風呂は入っているだけで柔軟化が進み、これは体にとても良い習慣です。昔から湯治で病気を癒す文化がありますが、これも理に適っていて、更に温泉の波動は高く、日本は恵まれた環境にあります。硬直・歪みが溜まった筋肉を動かせば、刺激により柔軟化が促進されるので、軽い運動・静的運動を随時行う必要があります。
体が温まると脱水が早く進むので、水分補給はこまめに行う必要があります。お風呂と軽い運動・静的運動と手当てを行って、水分補給をこまめに行って、人体の構造・波動構造を認識しておけば、柔軟化が進むと共に、体内の不要物質の排出が円滑に進んでいくでしょう。
●&color(white,black){血管の拡張}
「血管」には、主に「動脈」「静脈」「毛細血管」「動静脈吻合(AVA/グローミュー)」という4種類があります。
「動脈と静脈の壁」は「内膜・中膜・外膜の三層構造」となっています。
「内膜」は「緻密で1層に並ぶ内皮細胞と、外の内弾性膜と結合組織の層で構成される」「血管の内面は滑らかで、円滑な血行を齎す」「筋肉(平滑筋)と弾性繊維でできており、動脈と静脈では厚みが違う」、「外膜」は「線維性の膜で、血管を保護する」という性質があります。
「動脈」「静脈」は「木の枝のような広がり」を持ちます。
「毛細血管」は「組織細胞と物質をやりとりするため壁は薄く、1層の内皮細胞のみで構成」「動脈・静脈から無数に枝分かれし組織に網目状に巡っている」「直径5~10μmで、白血球・血漿等が血管細胞の隙間を通じて移動、ガス交換・栄養分・老廃物の運搬等を行う」という性質があります。
「動脈」「静脈」「毛細血管」は「筋肉(平滑筋)がある」、「動静脈吻合」は「筋肉が無い」「動脈から静脈へのバイパス」「温度変化に体が適応する為の構造」という性質があります。
「動静脈吻合」は、交感神経に支配され、毛細血管に動静脈吻合が1つ付いています。急な温度変化で毛細血管が閉じると、動静脈吻合が拡張、血液は「動脈→動静脈吻合→静脈→心臓」という経路をとり、これにより体温や発汗の調整、血の巡りが保たれています。またこれら器官・機能を「側副血管・側副循環・側副血行路・シャント血管」とも呼びます。
「動静脈吻合」は「粘膜・唇・手足の指先に多く、耳・鼻・顔・首・胸・手の平などの無毛部の皮膚のみに存在」「皮膚表層の皮下1ミリにある」「手の血液は、2割が毛細血管、8割が動静脈吻合を通る」「新生・消滅を繰り返している」「急激な体温低下と、発熱効果での高熱防止という、暑さ寒さへの対策器官」「皮膚表層の動静脈吻合の活性化で、夏は暑さからのバリア(外気温との温度差の少なさや気化熱の発生)、冬は寒さからのバリアと成す(表層で血行を保ち、体幹の温度低下を防ぐ)」という性質があります。
毛細血管や動静脈吻合が不活性化すると、「気血の悪循環」「抹消の冷え・冷え性」「温度調節機能の低下・寒がりと暑がり」「高血圧」「心臓・血管・全身の硬直・老化・脆化」となります。日本人は「冷え性・肩や首のコリ」が非常に多く、これが主因であり、また「自律機能の低下症状・アレルギーなど」も多いですが、これの要因です。
「皮膚の良好な血行」があると「末梢血管の抵抗減少」「血液を末端に容易に送れる」ようになるので、「血圧低下」「心臓・血管・筋肉・神経の負担軽減・緩和・柔軟化」を齎します。更に「鬱血状態」から「重要な体幹部分への血液集中と血行改善」「基礎体温上昇」「緊張緩和と副交感神経の活性化」へと変化、「皮膚表層の良好な血行は、全身の気血水・神経の良好な循環を齎す」となります。そして「全身の自律機能の正常化」「組織状態の改善(皮膚・皮下組織の構造の緻密化や炎症防止等)」「内蔵機能正常化」「免疫力向上」「疼痛改善」「血色や不整形の改善」など、健康・美容に全面的な効果を齎します。
「動静脈吻合と毛細血管は、同様の行為・状態で活性化・不活性化する」ものです。その為には、部材である「コラーゲン繊維」の生成能力が重要、基本的にこれは摂る物でなく、体内で生成する物です。「動静脈吻合の活性化・新生」については「動静脈吻合はビタミンC・コラーゲン・カルシウムがあると再生され、更にコラーゲンが生成されていく」「温冷浴などの温度変化は動静脈吻合を再生する」とされます。「毛細血管の活性化・分枝伸長・新生」は「各種の栄養物質・生体物質」が齎し、例えば「ビタミンB・C・E・P(ルチン)」「唾液中のEGF(上皮成長因子)」「各種抗酸化物質」が良いとされます。「血管内皮細胞増殖因子(血管内皮細胞増殖因子」は「血管新生」「リンパ管新生」を行いますが、一般に「血管新生」は「創傷治癒」以外ではあまり起きません。
「動静脈吻合と毛細血管には温熱効果が重要、低熱状態では不活性化する」とされます。「動静脈吻合は脳・体幹部を守る為の機能で、体幹に近い首や、前腕を暖めると機能する」とされ、「首(特に後部)・肩・背中の肩甲骨周辺(褐色脂肪細胞が多い)を暖める」「襟巻き(マフラー)・ショール・ストール・スカーフなどを首に巻く」と効果的と思われます。家でもどこでも冷える訳で、今から何かを掛けたり巻いたりするのが良いでしょう。これら部位を暖めると、後述のように重要部位の「首を中心に、後頭部下部・肩・鎖骨の柔軟化」が成されて、これは非常に効果的です。人間と幾つかの動物種だけが「ビタミンCの生成能力が無い」ですが、「赤ちゃんは生後二ヶ月までビタミンC生成能力があり、その代替機能の一つとして、動静脈吻合がある」のだと言います。
「血管の拡張」の効果の1つに「一酸化窒素の増加」があり、一酸化窒素の効果は「血管壁拡張」「血圧低下」「血液凝固や血栓の生成の防止(脳梗塞・心筋梗塞の予防)」「神経伝達物質」「広域での神経の発達」「シグナル伝達の物質の産生」「免疫機能」です。「血管内皮」は一酸化窒素をシグナルとして、周囲の平滑筋を弛緩、これで動脈が拡張して血流量を増えます。「鼻や肺の奥」「多くの酵素」から多く分泌されますが、現代生活では少なくなっています。
「血管の拡張」「筋肉や組織の柔軟化」「一酸化窒素の増加」と「毛細血管の拡張」は一体的な現象として起きます。「毛細血管が隅々まで開かれた状態」であると、「より少ない力で血液を末端まで送り届けられる」ので、却って「より必要な部位」である「体幹の中心部」に血液が集まり、「体幹中心部の血行活性化・鬱血減少」が起きます。
「毛細血管の拡張」が起きると、毛細血管が各組織の隅々に広がり、拡張していき、「筋肉・血管・各組織の柔軟化」が起きます。これに伴い「筋肉・血管・神経・骨・各組織の間の固着状態の解消」が起きて、「動きの柔軟化・可動域増加」が起きます。体が硬直していると、骨が筋肉などと固着していて、多くの筋肉が一体的に凝っている状態となっています。
ツボ押しやマッサージをしていると、「筋肉や組織が柔軟で拡張・膨張した状態」になります。これは「高波動状態による柔軟化」「毛細血管・リンパ管の拡張による、筋肉・組織の拡張」「組織と組織(骨・筋肉・皮下組織・血管など)が固着した状態から、引き離されたこと」によります。
●&color(white,black){骨と伝導、人体の共鳴}
「骨」は「骨膜」「骨質(緻密質・海綿質)」「骨髄(髄腔の内部)」から構成されます。主成分は「リン酸カルシウム」が66%、残りの殆どは、有機成分の「タイプI型コラーゲン」と、「軟骨」に主に分布する有機成分の「タイプII型」です。
高波動状態では、「骨」は「含有水分が多い」「コラーゲンが多い」「柔軟性が高い(高波動と水分量・コラーゲン量などの効果)」となります。骨では低波動状態・老化状態だと、コラーゲン繊維は硬化・粗くなり、カルシウム・リンが結合し難くなり、珪素が失われ、スカスカになります。骨は元々は可塑性があって、施術すると僅かに形状が変化していきます。
「骨」は「電気伝導性」が高く、衝撃は「圧電効果」で電気が発生、これが全身に伝わります。「音」は「耳骨」で感知され、また「骨伝導」によっても、音は骨を伝って伝播されます。「振動する物体」を「頭部や頸部(乳様突起)」に装着、この振動が「内耳」に伝わると「骨導音」が聞こえます。
「骨は高周波の波を伝導しやすい」という特性があります。「超音波療法」を行うと、骨折が3~4割早くの治癒します。「骨導超音波」という物があり「骨伝導で呈示された超音波」「通常、ヒトは超音波を知覚できないが、骨伝導で呈示された場合は聴覚が健常な者だけでなく、一部の重度感音性難聴者にも聴覚として知覚される」「ヒトには知覚できないと考えられていた超音波であるのに明瞭に知覚されるということ、重度感音性難聴者にも比較的容易に知覚されるということから、通常の聴覚とは異なる知覚メカニズムに依っている可能性があると考えられている」という性質の身体機能です。
「ハイパーソニック・エフェクト(超高周波・超音波の効果)」について、「耳に聴こえない高周波が基幹脳(脳幹・視床・視床下部)を活性化する」「超高周波でアルファ波が増大、免疫力向上、ストレス減少、健康が増進する」とされ、「チェンバロ・薩摩琵琶・ガムラン(バリ島の伝統楽器)・熱帯雨林は、100〜200kHzの高次倍音成分が含まれる」「こういった効果が生じるレベルの超音波は自然界に多く、川のせせらぎ・滝の落ちる音・鳥の鳴き声・虫の鳴き声・風鈴の音色などにある」という効果が確認されています。「いすに座って音楽を聴きながら、その振動をも全身に伝えて心身をリラックスさせるシステム」の「ボディーソニック」には、鎮静効果・健康効果があります。
「太鼓を叩いた時の、音以外の、腹の底にズシンズシンと響く振動」などは「超低周波振動」と呼ばれ、太鼓など超低周波振動のうち一部には、生体の活性化効果があります。また「声(共鳴度の高い声・1/f揺らぎリズムがある声など)」「特定の周波数(ソルフェジオ周波数など)」にも、「生体の活性効果」「癒し効果」があります。
「発声」「声の通りを良くする方法」は「体全体で共鳴させる」「背骨・腹腔・胸腔・気道・頚部・頭部を共鳴させる」のが重要ですが、これは中々難しいです。この為には「骨と他の組織や、筋肉同士が分離している・固着してない」「各組織に柔軟性があり、筋肉・骨の可動性が高い」「各部位に細やかに意識が届く」「各部位が左右均等で、柔軟性と連動性のある動作をする」「適度の筋肉があって、帯まで充分な声が届くこと」「バランスの良く、どこにも力みがない、脱力した姿勢」「正中線・背骨・腹腔・胸腔・気道が拡張された状態であること(真っ直ぐの管で、顎を引く・噛み締めないなど)」「腹腔・胎・横隔膜・腹筋・丹田でコントロールする」「丹田付近を押し出したり、壁を作ったりする要領で、その上部を共鳴させる」という状態でなくてはなりません。「背骨・骨格:剛性組織」「筋肉:柔性組織」の適正バランスでの共振で、声は良く通るようになります。
「ロングトーン」は「同じ息の強さ、同じ音程を保ちながら、長く発声する歌唱法」、発声法・歌唱の基本で、これによって声が安定、 腹式呼吸・ビブラートに応用できるそうです。ロングトーンに関係して、「ロングブレス」という物があって、「丹田を締めるように呼吸すると、インナーマッスルの腹横筋が最も収縮する」「さらにその裏側にある多裂筋を鍛えれば腰痛になりにくい」と説かれています。これは、先ず「腹部(腹腔)・腰部・臀部の安定と、その強化」をして、そして「腹部(~下半身)のパワーで息を出す」という鍛錬をする物でしょう。
「何故腹部でコントロールするか」について、「胸郭:一体性・剛性」「腹部:柔軟性」「声の元の空気は胸郭・肺にある」という性質があり、「腹部のパワーで胸郭の空気を押し出す」からです。更に「境の横隔膜の柔軟性・下部の腹腔に下がった状況」が重要で、これで「胸部の不要な一体性・固着の解消」「胸郭・肺の拡大による声量増大と力み解消・柔軟化」「胸郭・腹腔の一体性の解消」「腹部の緊張解消」「腹部に力が篭った時も、緩衝材の役割を果たし、無駄な力を上部に伝えない」という役割を果たします。こういった事は「姿勢・動き・意識のバランス改善」「呼吸の正常化」「神経の沈静」と同一軌道の上にあって、発声の改善は波動の改善に繋がります。更にこれは「体内における、最も効率的な波動共鳴を起こす姿勢の追求」と同一軌道上の上にあります。見落とされがちですが「最大限の効率性とは、ある物を全て有効に用いること」であって、当然骨・骨格も波動共鳴には非常に重要です。
「芯まで響く」「骨身に沁みる」「芯まで温まる(お風呂・サウナ)」という表現があり、これは「奥底・中心にまで響くほどに、全身的に体感したり、全身的に振動数が上がったり(熱エネルギーで)、全感覚的に認識した」という事でしょう。上記事項は全てが、根本部分では「波動原理と振動・共鳴」という点で繋がっていて、「人体の奥底・中心まで響くような強い振動・共鳴が齎す波動的効果」と捉えられます。
そして「波」には「波長が短くなるほど、高周波数であるほど、直進性が高くなる」という性質があります。これにより「高周波数:効果範囲が広い・遠くまで効果が届く(量子もつれにより、近場にも効果は高い)」「低周波数:効果範囲が狭い」という特性があります。これにより、概して「高周波数の方は低周波数より波動効果が高い」「人体(全身や纏まった部位)の固有周波数に近い周波数が含まれていると、低周波数でも高い共鳴・振動効果を発揮する」と言えます。
これらを併せると「共鳴・振動は、概して生命・物質の寿命を長期化させる、人を健康にさせる」「人体は共鳴器官である」「人体の共鳴度が高いほど、波動上昇して各種効果が得られる」「人体全体が共鳴するような、体・意識の奥底・中心まで響くような、振動・共鳴するような波(波動・波長)というのは、非常に波動的効果・健康効果が高い」「高周波数は波動上昇や、波動的な各種効果の発生を促進させる」と言えます。また「現代社会の、様々な非調和的な事象・状況は、人体・意識の共鳴の度合いを下げる事で、心身に途方もなく甚大な悪影響を齎している」「ストレス・怒り・利己主義などは、波動周波数が低いので(波長が大きい)、共鳴効果が低下する」と言えます。
「骨」は「波動を伝播する媒介」で、多くは「体や各部位の中心(付近)」にあり、「中心は波動が高い場所」です。更に「相似形の骨格の部位」というのが人体に何箇所もあり、「波動は共通性のある物は共鳴・共振する」という性質があります。例えば「上下の顎:鎖骨:肋骨(前面部の)」は相似形で、この間を気脈が通り、一方が柔軟化すると、他方も柔軟化するという相関関係が見られます。「森羅万象は結び付きあって存在する」「フラクタル的・自己相似的な物は、共鳴の効果で波動が高い」という波動的性質から、この現象は説明され、「同じ・類似の構造の人体組織は、相互の共鳴度が高い」と言えます。
人体の構造から考えて「背骨を中心に、各骨格が共鳴しているほどであると、これは人体全体が共鳴している状態である」「他の意識との共鳴と、意識による人体・骨格・各器官の共鳴を心掛けていると、波動は上昇する」「共鳴する・振動する・響かせると良く、こういった性質を持つ事物が良い」と言えます。
人体・意識において「波動」とは「共鳴して増やす物」「共鳴する・させる事で各種効果を得る物」です。「体全体の共鳴という最大目標に対して、骨格全体が共鳴している状態というのは、目標の1つ」です。目標の後2つは「背骨の共鳴」「チャクラと心の御柱の共鳴」です。
人体で最も硬直しやすい場所は「骨と筋肉(筋膜)・各組織の間」、次いで「筋膜と筋膜の間」「頭蓋骨の縫合線」とみられます。「気を集中させて、骨と接合部位を共鳴・振動させる」ようにすると、「骨の振動の増加・活性化」と共に、「骨と筋肉(筋膜)・各組織の間の強固な硬直」も解消されて、ゆるゆるな感じになっていきます。歪みを解消すれば、筋肉を柔軟化すれば、波動を改善すれば、自然に骨格は原初の位置に戻ります。これに伴って「骨と筋肉(筋膜)・各組織の間の気血水・神経の循環改善」「骨格筋・神経の緊張緩和」「骨・筋肉の歪み・抑制の解消」が成されます。また「接合する骨・部位と一体で共鳴させる」ようにすれば、更に効果範囲と、「人体の一体的な共鳴の能力」が高まります。
その手法としては、「共鳴・振動させる骨を、指・手の平で触れて、気を流す」「指先で皮膚に触れて、そこのジンジン来るような血流や、気血の流れを感じて、それに対して指・手の平から気を流し込んで、意識で同調させ、共鳴・振動させる」という手法が一般的です。
「気の流れや気脈を感じたら、それに沿った範囲の部位の気を、意識によって同調・共鳴・振動させる」「ピリピリする流れを感じたら、それに同調・共鳴・振動させる」「微かな耳鳴りを感じたら、それに同調して、その音・波動と任意の部位を共鳴させる」という物が考えられます。これは「深い沈静状態」「硬直という強い力に、体が支配されていない状態」でないと、気に対しての認知・同調・共鳴が出来ないので、寝床やお風呂などで行うのが必要です。
「気を流して、骨・骨格を共鳴・振動させる」には、「骨の位置・形状・働き」「接合する部位・組織」を認識しておくことが重要です。細かく認識する必要は無くても、大まかな認知をしていないと、「何を目的に行うのかの理解」「深部の骨への、気を用いての働き掛け」「意識による気の所作の指定」がないと、効果が限定されます。ただ表面近くにある骨や、よく知っている骨は、その限りではないでしょう。「下顎骨」と「鎖骨」の間には、重要な気脈が通っていて、互いに強く関連した部位で共鳴しやすく、両方の骨を意識して、気に同調していくと、両方の骨とその間に気が流れます。
●&color(white,black){神経と修復}
&color(white,gray){神経細胞(ニューロン)}
・神経系を構成する細胞、機能は情報処理と情報伝達に特化している。
・神経細胞へ入力刺激が入ってきた場合に、「活動電位」を発生させ、他の細胞に情報を伝達する。
・「活動電位」は「非常に短時間のイオンの電位変化」である。
これを「インパルス(神経衝撃)」とも呼び、「発火」にも例えられる。
・ひとつの神経細胞に複数の細胞から入力したり、
活動電位がおきる閾値を変化させたりすることにより、情報の修飾が行われる。
・神経活動には、多くの代謝活動を要する。
静止膜電位の維持と活動電位からの回復のために、エネルギー物質「ATP」を莫大に消費している。
ヒトの脳の質量は体重の2%程度なのに対し、グルコースは25%を消費する。
・神経細胞は主に3つの部分に区分けされ、「細胞核」のある「細胞体」、
「他の細胞からの入力」を受ける「樹状突起」、「他の細胞に出力」する「軸索」に分けられる。
・「軸策」は、最長1メートル近くもある「細長い突起」である。
・樹状突起と軸索は発生的にはほぼ同じ過程をたどるため、両者をまとめて「神経突起」とも言う。
・「前の細胞の軸索終末と、後ろの細胞の樹状突起の間の情報を伝達する部分」には、
微小な間隙を持つ「シナプス」と呼ばれる「化学物質による伝達構造」が形成されている。
・神経細胞の中には、光や機械的刺激などに反応する「感覚細胞」や、
筋繊維に出力する「運動神経の細胞」などもある。
・シナプスを通して多くの神経細胞が結びついた構造を「神経回路網(神経ネットワーク)」と呼ぶ。
・主に、神経細胞に栄養を補給したり、修復を担う細胞を「グリア細胞」と呼ぶ。
・唾液の「NGF(神経成長因子)」などを受けて神経は成長、
軸索を伸ばし、シナプスを形成して神経回路を形成していく。
・「神経伝達物質」は「シナプスで情報伝達を介在する物質」で、
「セロトニン」を始め、多くの種類がある。
「神経」の電気伝導の速度を決める要因は「繊維の太さ」「髄鞘と呼ばれる神経繊維を取り巻く絶縁体の太さ」、両方とも太いほど伝わります。また「皮膚神経」「交感神経」は「無髄線維(髄鞘が無い)」、それ以外は「有髄線維」で、「有髄線維は電気の伝達速度が速い」です。「一般に、骨格筋運動と付随する固有感覚、部位のはっきりした皮膚感覚は伝導速度の速い線維を、交感神経活動や鈍痛などは伝導速度の遅い線維を利用して伝えられる」という性質があります。
&color(white,gray){「神経細胞の成長・修復」は以下の促進物質とメカニズムがある}
・「NGF(神経成長因子)」
・唾液に存在。
・「インスリン様成長因子(IGFs)」
・動物の成長や発達を促進するホルモン。
・IGF-1は主に肝臓で生成。
・IGF-2は脳・腎臓・膵臓・筋肉から分泌される。
・「SVH1」
・神経細胞の外にあるタンパク質
・「TRPV2(トリップブイ2)」
・神経の軸策の表面に点在する。
・神経細胞がさすられた刺激を感じ取ると、損傷した神経を修復する。
・「脳由来神経栄養因子(BDNF)」
・脳の神経細胞や、脳に栄養を送る血管の形成を促す。
・運動すると、脳の中でさかんに分泌される。
「インスリン様成長因子(IGFs)」は、高波動状態で増加します。「IGF-1」は「体の殆どの細胞、特に筋肉・骨・肝臓・腎臓・神経・皮膚・肺の細胞に影響を及ぼす」「主に肝臓から生成される」「インスリン様効果がある」「細胞(特に神経細胞)の成長・発達、細胞DNA合成を調節を行う」という物質です。「IGF-2」は「脳・腎臓・膵臓・筋肉から分泌される」という物質です。「IGFsの減少」は「老化現象」「神経細胞の縮小」を招きます。
「青い光」には「IGF-1」を増やして、神経を伸ばす働きがあります。これは「青い光を皮膚表面に照射すると、青色光センサー(クリプトクロム)を通じて知覚神経を刺激、照射部近傍で神経末端から、強力な血管拡張ペプチド・降圧ペプチドのCGRPが放出され、IGF-1が増加する(照射部近傍の局所性の反応)」「一方、知覚神経が刺激されると、その信号は神経を伝達して中枢に伝達され、さらに視床、視床下部、延髄と伝えられて副交感神経を刺激し、全身の末梢組織のIGF-1産生を促進する(中枢を介した全身性の反応)」というメカニズムです。しかしモニター・LEDなどからの「青い光」には、「目の疲労」「概日リズムの狂い」「自律神経失調症」など各種障害を起こすとの報告もあります。
神経細胞の外にあるタンパク質「SVH1」が、内部と細胞膜上にある「SVH2」結合して信号を送り、神経の再生が進むというメカニズムも判明しています。しかしこのたんぱく質は、人間では少ないという難点があります。
「神経細胞がさすられた刺激を感じ取ると、損傷した神経を修復する」ことが判明しています。「軸策」の表面に点在する「TRPV2(トリップブイ2)」は「熱を感じる分子センサー」「伸展を促す物理的な刺激を感じる"細胞伸展センサー"」を担っています。そして「皮膚をさすったり、引っ張ったりして力が加わると、神経細胞を活性化させるカルシウムを突起の中に取り込み、その結果、軸策の突起が伸び、ダメージを受けて萎縮した突起が元に戻っていく」とされます。交通事故などで損傷し断裂した神経も、TRPV2により回復することが判明しています。
「TRPV2」は「小腸や大腸の壁の近くの神経細胞の膜」「消化管の運動神経」に多く存在、52度以上で活性化します。「消化管が伸び縮みの感知」「胃腸の運動・ぜん動運動」に関わり、「TRPV2が働いて扉が開くと、IGF-1のカルシウムイオンが神経細胞内に入り、一酸化窒素の放出を促して筋肉(血管・臓器)を伸ばし、消化管をより弛緩する」というメカニズムで、TRPV2を活性化させる薬を使うと、小腸が緩み、便通が良くなる事が判明しています。こまた「TRPV2」には「前駆破骨細胞から破骨細胞への分化を誘導する」役割もあります。こから「TRPV2」は「腸内温度が高い状態など、腸が活性化すると増える」「神経細胞の成長・温度感知・筋肉・血管・臓器の緩和・骨の再生、という役割を持つ」と考えられます。類似の「TRPV1」は「とうがらしの辛み成分・カプサイシンの受容体」などとして知られ、主に「神経細胞の膜の中」にあります。
これは「温覚・冷覚」のメカニズムで、現在は6種類が確認されています。「温覚」は「TRPV1・TRPV2・TRPV3・TRPV4」、「冷覚」は「TRPM8・TRPA1」です。それぞれ感じる温度が異なり、「TRPV:52度以上」「
「TRPV1:43度以上」「TRPV3:32~39度以上」「TRPV4:37~35度以上」「TRPM8:25~28度以下」「TRPA1:17度以下」です。これらは「自律神経」から「視床」を経て、大脳皮質の「体性感覚野」に伝わります。どの部位が熱いか冷たいかを認識、温度は大まかに認識されます。
これらは「イオンチャネル」と呼ばれる、「細胞の生体膜(細胞膜・内膜など)の、膜貫通タンパク質メカニズム」の機能です。イオンチャネルは「受動的にイオンを透過させるタンパク質の総称」「細胞の膜電位を維持・変化させるほか、細胞でのイオンの流出入もおこなう」「神経細胞など電気的興奮性細胞での活動電位の発生、感覚細胞での受容器電位の発生、細胞での静止膜電位の維持などに関与する」という物です。
「イオン」について、大雑把に「陽イオン:通常の原子より、原子内に電子が少ない状態」「陰イオン:通常の原子より、原子内に電子が多い状態」です。効果が高いといわれる「マイナスイオン」との言葉は「陰イオンが多い状態」を指します。これは波動原理的には「高波動:量子エネルギーが多い状態:陰イオンが多い状態」「低波動:量子エネルギーが少ない状態:陽イオンが多い状態」と言えます。9個ある「TRPチャネル」は「陽イオンを運ぶチャネル」です。「人体」は、「個別器官」では「陽イオン・陽イオンが多い状態」も必要な事が多く、「総体的」には「高波動・陰イオンが多い状態」が必要です。そして「全ての人体組織の働き」は「人体が総体的に高波動だと向上する物」「気血水・神経の循環が良いと向上する物」です。
「運動すると、脳由来神経栄養因子(BDNF)が脳の中でさかんに分泌される」「BDNFは、脳神経細胞や、脳に栄養を送る血管の形成を促す」という事が判明しています。更に運動には「神経結合を増やす」「ドーパミン・セロトニン・ノルアドレナリンなど、神経伝達物資の分泌を促す」という効果があり、「有酸素運動は海馬を大きくする」という効果もあります。
体中の「神経」は、目に見えないくらい細い「神経線維」の集合体です。神経の結節点「神経節」では、神経が膨らんだ状態となっていて、「神経細胞体」があります。「神経節が、構造的に中枢から独立した神経細胞の集合体を作っているのは、中枢に至らない反射経路などを形成して、種々の自律的・反射的調節に寄与するためではないかと考えられる(Wikipedia)」。
「神経叢」は「幾つかの神経が分岐・絡み合った網目構造」を指します。「神経節は頭部と胴体にある」「神経叢は胴体にある」「胴体部分の神経節・神経叢は背骨周辺にある」となっています。
「神経系」は、「主に神経細胞の連鎖によって作られる神経と通して、外部の情報の伝達と処理を行う動物の器官」です。純粋に1つの神経系の活動だけをしている神経は少なく、これらは目安としての分類です。
神経系は、神経系の中で多数の神経細胞が集まって大きなまとまりになっている「中枢神経系(脳・脊髄)」と、全身に分散している「末梢神経系」に別れます。「末梢神経」は、「体の知覚・運動を制御」する「体性神経系」と、「内臓・血管などの自動的制御」に関わる「自律神経系」に大別されます。「体性神経系」は「感覚神経」と「運動神経」があり、「感覚神経」は「体性感覚や特殊感覚に基づく骨格筋の反射による運動機能の調節」「体や内臓の感覚の動きを送信するために信号を伝える」、「運動神経」は「大脳皮質の働きに基づく意志による運動機能」「体や内臓の筋肉の動きを指令するために信号を伝える」というのが役割です。「自律神経系」は「交感神経」「副交感神経」に大別されます。「交感神経は激しい活動の時に働く」「副交感神経は安静・体の修復・食事の時などに働く」という物です。
《主要な神経叢》
&color(white,gray){頸神経叢}
・頸神経の前枝がつくる。
&color(white,gray){腕神経叢}
・頸神経の前枝がつくる。
&color(white,gray){腰仙骨神経叢(腰神経叢・仙骨神経叢)}
・腰神経の前枝と仙骨神経の前枝がつくる。
&color(white,gray){腹腔神経叢(太陽神経叢)}
・内臓機能を統括する。
&color(white,gray){上腸間膜動脈神経叢}
《主要な神経節》
+頭部
&color(white,gray){毛様体神経節}
&color(white,gray){三叉神経節(半月神経節・ガッセル神経節)}
&color(white,gray){膝神経節}
&color(white,gray){翼口蓋神経節}
&color(white,gray){上神経節}
&color(white,gray){下神経節}
+頭部以外
&color(white,gray){脊髄後根神経節(脊髄神経節・後根神経節・背根神経節)}
・脊髄後部の脊髄後根
・感覚神経細胞が集合
&color(white,gray){星状神経節}
・首の付け根の、第七頚椎付近
・交感神経
&color(white,gray){幹神経節(交感神経幹・椎傍神経節)}
・脊柱の両側
・その外側の脊柱起立筋を支配する
&color(white,gray){椎前神経節}
・背骨の前面、腹部の大動脈の周辺
・腹腔神経節、上腸間膜神経節などの総称。
神経が酷使され続けると、神経細胞は疲弊して、神経線維は縮小します。「神経をよく使った高齢者は長生きの人が多い」という報告例がありますが、活動し過ぎには弊害も伴います。「手当て」をし続けると神経が疲弊するので、「総時間の限度」「睡眠時は一時的に行うとする」「特に生体の修復が活発な午前0時~2時の睡眠時は避ける」ということを留意する必要があります。ただこれは、ずっと続けた場合の問題で、例えば「手が熱い状態が続く」「神経の疲労を感じる」などが目安でしょう。また「無・空などの無意識状態」ならば「神経が活発化していないので、この問題はあまり起こらない(本当に無意識ならば)」となり、「睡眠時などは無意識状態で行うのが良い」と思われます。
またもう1つの方法として、「頚部以下の神経叢・神経節に、手当ての意識を担わせる」という方法があります。これは「脳を経由させない」という物で、「脳と多くの神経回路を休ませ、疲労からの修復を行わせる」「量子エネルギーの浪費を防ぐ」「効率的な身体機能を構築する」という効果があります。「脳の中央司令室としての役割を増加させる」もので、「胴体で共鳴させて、更に脳からのある程度の意識で、効率的に高い共鳴効果を挙げる」という事も出来ます。
●&color(white,black){反射区と足裏・足について}
「反射区」は「リフレクソロジー」などの概念で、「手掌・足裏などにある、内臓や各器官に繋がるといわれる、末梢神経が集中する場所」「全身に10本のエネルギーラインが通る」「点的なツボに対して、面的な範囲を捉える」という物です。「全身の反射区が集まっている部位」は、「手の平・手の甲」「足裏・足の甲・足指」「耳」「歯茎」「舌」「目」と言われます。
反射区は「体の気脈が一箇所に集まっている部位」「その部位が改善すると、対応する部位も改善する」ので、集中的に緩和する必要があります。波動的に体は主に「頭部」「胴体・頚部・腕」「足」の構造に別れていると推察され、頭部や正中線や胴体などの何処か改善すると、他の場所の状態も改善し、同時に手の平や足裏も改善・柔軟化していくと思われます。また反射区や、こういった構造は、1つには人体のフラクタル性を高めるのがその存在理由で、常に対応する部位同士が共鳴していると考えられます。
「歯茎」は血流の多い場所ですが、現代生活では姿勢の悪さが影響して、頚部からの血流が低下、口腔衛生や美容にも響きます。ここには「唇の上からのツボ押し」「歯茎へのツボ押し・マッサージ」が有効で、「舌」「口腔全体」の気血水・神経の循環が改善します。
「目」は、両目の間のやや上の眉間にある「松果体」と、関係性が深いです。ここには緊張を緩和して、眉間にシワが寄るような状態は避け、目の周囲や眉間に手当てをすると良いでしょう。然し、根本的な血行改善は中々難しく、人体の中でも最後の方に改善する場所とも考えられます。「耳」は「ツボ・反射区」が非常に多く、周辺も含めて「手当て」が良いでしょう。
「足裏」と「手の平・手の甲」は、上記のように、全身を表す反射区の部位です。しかも簡単に多大な効果が得られ、この部位は確実に施術する必要があります。
「足裏のツボ・反射区」「足の甲・足指(足指のあいだ」の、つまり「踵から先」は、充分に気が通っている必要があります。そうなっていない場合は、全身各所に多くの症状・歪み・硬直があります。気が通っていれば、それだけで体全体が活性化、非常に柔軟化をしやすくなります。方法は「青竹踏み」「ぐりぐりの付いた器具」「指圧」「揉み解す」「手当て」が有効です。
「足の内側面は、背骨・頭部の反射区」「親指:頭部、親指の付け根:首、踵に向かって気管支・肺・胃・腸・膀胱と並ぶ」とされます。「大地の気は足裏から取り込まれる」と言い、気功には「足裏呼吸」という手法があります。
現代人の立ち姿勢は、「踵重心」「O脚・X脚」などの状態も多いです。外側に重心があると「内反拇指・内反足・内反膝」「骨盤の開いた状態」「外側・側面の筋肉の硬直」になります。踵重心だと「骨盤・脊椎・頭部に、そのまま衝撃が伝わり、痛めやすい」となり、何れもバランスが悪くなります。
この原因は「足裏・足指のアーチが足りなく、どうしても踵や小指側に重心が傾く」「体の内側の筋肉量・組織密度が足りなく、外側に偏っている(足の内側の筋肉量が少ない)」というのが主因で、更に、その原因は「幼児期に足裏への刺激が足りなかった事」とされます。最も重要なのは「足指、特に拇指で大地を踏みしめて歩く事」とされ、これにより「足の内側の筋肉・神経などの発達」→「正常な足や重心になる」とされます。また、現代生活では一般的に「足裏が縦横ともに、中心へと圧縮された状態」になっていて、「足裏の縦横方向への伸長」をする必要があります。
「足の内側面は、背骨の構造」という点と、人体構造・波動的構造とを考えると、「足裏の外側面は、気道の構造(横隔膜~鼻)に対応する構造」という可能性が推察されます。また「足裏の外側面や、小指と薬指の間から踵への延長線の硬直」は「呼吸器・気道の構造の硬直・狭窄化」「人体の膜構造の筋膜と、筋肉・内臓・体表部・体側部の硬直と、内側への圧迫」を、もたらすとも推察されます。これは「第6チャクラ(喉)は、呼吸器・膜構造に対応する」という点から、類推される物です。構造上「足裏は縦方向に気脈が走っている」ので「縦方向になぞって、歪みを解消する」「親指側で背骨の歪み・硬直を、小指側で呼吸器・筋肉の歪み・硬直を解消する」のが有効でしょう。
「足指には、体の分泌腺に対応する反射区がある」とされます。「分泌腺」とは「ホルモンなどの分泌活動を行う細胞の集まり」です。「足指の親指と人差し指のあいだと指の部分には、脳・視神経・聴覚神経などを刺激する反射区がある」という説があり、ここは「下駄」を履くと、鼻緒の刺激で当該部位が活性化するとも言います。また「肝経(肝臓)は親指へ伸びる、胃経(胃)は人差し指に伸びる」「親指はすい臓機能に、中指は腸機能纏わる」などの説があります。「足指は開いている・伸びている方が良い」「足指の間の筋力は強い方が良い」です。「五本指の靴下」「足指を開くグッズ」などは、「踵から先の健康=全身の健康」に非常に効果的です。また「大地にはその土地の気が流れている」ので、「土壌・岩場・草原・海岸・水辺などを裸足で歩く」のは、とても効果があります。
「足首」「手首」「首」は、形状・性質が似ています。運動では柔軟に保つ必要がある部位で、ここが硬直していると、全身と動作全体が硬直します。「アキレス腱は正中線に対応する」と考えられ、また「踵の土踏まず側は、生殖器の反射区」とされます。これらから「足首・アキレス腱が柔軟で、真っ直ぐ立っている事が、立位の基本姿勢として大事」であり、「踵は骨盤に対応する」という可能性も考えられます。
こういった運動により、足裏側の「短指屈筋」「長指屈筋」「虫様筋」や、足の甲側の「背側骨間筋」、「親指に繋がる第1中足骨~小指に繋がる第5中足骨」「中足指節関節」が正常化していきます。
高波動状態では「細胞やコラーゲンなどの緻密化」により、「各部位が肉厚になる」という現象が確認されます。逆に低波動状態では、気血の不良も相まって「各部位が薄くなる・後退する・組織が痩せる」となります。
●&color(white,black){と意識の密接な相関、手当て・さすることの効果}
「手・手の平・指」からは「多量の量子エネルギーの放出」がされています。「合掌」をすると、「波動共鳴」によって「更に多数の量子エネルギー放出」がされます。また「右手・右半身と、左手・左半身は波動周波数が異なり、両手を合わせると波動が調整される」という説もあります。
手から放出される大量の「バイオフォトン」は「DNAに刻まれた生体の基本情報」を帯びていて、これにより「生体の基本情報が送信」「受信した細胞による、生体情報の活用・、正しいバイオリズムの形成」がされます。「量子エネルギーには、意識次第で、特定の意識が付加される」「その意識の波動は、脳から発せられる」ので、「柔軟化の意識が乗った波動」は「手から発する波動」「脳から発する波動」「両方の中間地点(中間地点で波動共鳴が起き、多量の波動が発生する)」と、主に3箇所から波動が放出されます。
「脳は3分の1が手を動かしたり、手からの情報を感じるためにある」「手からは人体最大のバイオフォトンが放出されている」とされます。手を刺激したり、動かすと、「運動野(運動を司令)」「運動前野(運動の計画を立てる)」「感覚野(感覚処理)」などの血流が2~3割増加します。「指・手先」には最も神経が集中、手は「足」と共に「第二の心臓」と呼ばれます。全ての体細胞からは「生体が発する光」である「バイオフォトン」が放たれていますが、「手は最もバイオフォトンが多い部位」です。「手からの、多量の量子エネルギーの放出」は、これらに拠る物で、手や腕の動き伴って「脳の活性化」「意識の放出」「バイオフォトンの放出」がされます。
「高波動状態」「バイオフォトン」「温熱効果」「意識の効果」があると、「量子エネルギー増加」→「不調箇所の症状の情報伝達の円滑化と、各メカニズムの発動による、対策の正確な実行という、自律機能の向上」が齎され、これにより「血管・気脈・リンパ管・神経が適度に成長する」という効果があります。そして「筋肉・関節・骨・臓器・各組織の柔軟化と活性化」が齎されます。
これにより「手当て」「さする」「撫でる」「指圧」「揉む・摘む」「按摩・マッサージ」「手かざし」「手で押さえて揺らしたり回す」などの「手を用いた施術行為」には、「高いヒーリング効果」「高い波動効果」「生体機能の改善」「人体の波動的構造の構築」「正しいバイオリズムの形成」という効果があります。
「手」は「ツボ・反射区」が非常に多い場所です。「手と足の裏は、体全体を表している」「手の平は体の前面、手の甲は背面を表す」とされ、「手の平」には「全身のツボと反射区」があります。「手当て・さする・指圧などを繰り返していると、手自体が活性化する」となります。しかし波動というのは、意識していないと中々深部までは届かず、また日頃の体の硬直や緊張を反映して、手はかなり凝っています。
「手のツボ・反射区」に対しても、意識を持ったり、指圧する事で効果が拡大します。これにより「波動・意識伝達の円滑化」「柔軟化の早期進展」「神経の疲労の減少」「量子エネルギーの無駄の減少」「波動上昇効果」も得られます。「手のツボ・反射区の活性化」がされていて、更に「手当て・さすり・指圧の繰り返しによる、手の活性化」が成されると、単に手による施術を繰り返すだけより、遥かに有効でしょう。
「指圧で最も効果が高い指は親指」です。これは筋肉・神経・血管の発達から、当然の現象です。親指や人差し指でツボを活性化させ、気脈を通すと、その後に手当てするにしても、より効果的です。
「赤ちゃんを愛しく撫でる」という行為を行えば、「オキシトシン」などの効果も加わって、赤ちゃんにも行った人にも、「波動向上・治癒能力向上・精神安定化」の効果が齎されます。更にその場の波動も高くなり、周りにも伝播します。「生誕直後から脊柱付近を擦ると神経の発達が良くなる」という説があり、当然チャクラも活性化され、赤ちゃんには手の波動効果が欠かせません。「飲食物に手の平から意識を送る」という行為が行えば、その通りに波動が改質され、体に良い物となり、毒物も幾らかは無毒化していきます。波動が高いと、神経繊維の発達がよく発達しますが、日本人は手先が器用なのは、往古の日本人の積み重ねた「地霊」によるのかもしれません。
「手当て」は、「自らの体に手当てする」のも非常に効果があります。手は当てているだけで、かなりの早期に、筋肉や皮下組織などに対して「温まる」「柔らかくなる」という効果を齎します。「手当て」は、表面部の改善には非常に効果的です。
「さする」「撫でる」という行為には、「心を落ち着かせる」という効果が伴います。これは「さするのが、人体に良い行為なので、そのような感覚を呼び起こすように、DNAに埋め込まれている」と考えられます。「子供にさすりながら、痛いの痛いの飛んでけをする」のは、とても効果があります。
更に上記のように、「さする」「撫でる」「皮下組織・筋肉を手で揺する・回す」「按摩・マッサージ」などの行為には、「神経の成長促進」の効果があります。「ゆらゆらと振るえ」とあるように、「振動する・させる」のは生体を活性化させます。「日頃硬直して、柔軟な動きを神経が覚えていない」という状況に対して、これらの行為では「柔軟で適度な振動が与えられる」ので、「柔軟な動き(を覚える事)」「気血水・神経の循環改善」の効果が高いです。。「鎮静効果」があるので、特に神経が過敏に成り易い場所に効果があり、「みぞおち(胃)」「丹田(腸)」には特に有効です。みぞおちの項で後述しますが、特にこの部位を摩ると、万能の効果を示します。また「神経の障害が起きた部位」「各種の障害のある部位」に対しては、「さする」「皮下組織・筋肉を手で揺する・回す」というのがとても大事です。
「両手を重ねる」のも有効で、睡眠時などは「両手を重ねて手当てする」と非常に良いです。お祈りは「眉間か胸の前で合掌する」のが通例ですが、これは波動的にも理に適っていて、「松果体や胸のチャクラの開発」に有効でしょう。
「手・手首・手の平・指の硬直」には「握ることで手のつぼを押す、グリグリした突起の付いた器具」が有効です。特に「手の平の中央」が押されますが、ここには「労宮(ろうきゅう)」のツボがあり、「不老長寿のポイント」とも呼ばれ、「血行改善・疲労回復・集中力向上・循環器系統の保護」などの効果があります。
「手指・手の平は、波動のセンサー的な役割を持つ」とも言え、「手指・手の平を手当てしていると、自然と脳が状態を読み取り、松果体が波動を拡大する」という作用を発現させます。波動的に繊細な能力を持つ人は、指を当てると、そこの波動的な状態・情報が分かります。こういった能力は、経験や集中度で向上しますが、間脳の特に松果体の高い能力・状態も必要です。ツボ・反射区が集中する手の平や足裏に、手指・手の平二手当てしていると、自然とこういった能力は磨かれていくでしょう。
「手首~手の平・指」において、「手首の真ん中~手の平~中指:正中線」 「親指側:体の前面」「小指側:体の背面」に対応します。体の左半身・右半身のどちらかに硬直・歪みが偏っている場合は、左右の手の「手首の真ん中~手の平~中指」の、特に中指を真っ直ぐ伸ばすに際して、違和感があるかもしれません。こういった場合は「中指から手首までを、もう片方の手で後方に反らす」というのが有効です。「両手の指の内側を押し合う(手の平は合わせない)」「手の指回し」も有効でしょう。「中指を、反対側の手の人差し指~小指で握り、親指を手の平の中央(労宮)に当てる」「そして仰向けに寝て、丹田の上に両手を置く」、これは波動の上昇にかなり効果のある姿勢だと思います。
「人体の波動が高い部位」としては「頭部」「心臓」「小腸」「手」「肘」「膝」「脛(すね)・脹脛(ふくらはぎ)」「足裏」「ツボ・チャクラ」「神経叢(神経が集まっている場所)」が挙げられます。「波動共鳴の効果」は「乗数的効果」になって現れ、例えば「手:10の波動」X「波動の高い場所:10」=「100」と「手:10」「波動の低い場所:1」=「10」いうような差のように、「波動の高い物同士は近い場所にある方が、乗数的に量子エネルギーの量と波動効果が拡大する」という性質があります。拠って「全体的に多くの場所に手当てする中で、これら部位を重点的に手当てする」というのが有効です。
「頚部から上の動き・感覚には、脳の3割の神経細胞が使われる」とされ、「頚部から上の手当てを行うと、脳活動の6割が使われる」ようになります。「頭部・頚部のコリ」に対しては、睡眠時・リラックスした時・お風呂などで手当てをすると、非常に効果があります。
また「超意識状態」などで見られるような、「全身を同調させる感覚」を持てば、更にそれ以上の脳活動が使われ、「全身の波動が共鳴」していきます。このように「深いリラックス状態」で、「意識と手の波動を同調させる」という「手当て・指圧」という行為は、「柔軟化・歪み解消・コリ改善には最も有効な手段」です。端的に言うと、何となく手を当てているだけでも、「体の波動・状態の改善」「脳・意識の活性化」「波動能力の向上」が成されます。
「心臓」は上記のように、「心の在り処」と言われ、「ICNシステム(心臓内固有神経系)」という独自の神経系があり、「記憶が備わっている」とされます。言わば「人体の最大の発電所」で、「心臓内部の意識を各所に運んでる」となります。「胸に手当てをする」という行為は、「胸のチャクラの活性化」「心臓の賦活化」「心臓と手の波動の共鳴」「落ち着いた思考(胸に手を当てて考える)」が成されます。
「丹田」は「小腸を司るツボ」「気が溜められる場所」であり、先述後述のように、各方面で重視されます。「へその下を手当てする」のは「血行改善」「内臓・腸運動の活性化」「気力・体力向上」「精神の安定効果」「ホルモンバランス正常化」「脳疲労緩和」などに非常に効果的です。「鳩尾(みぞおち)」の奥には「胃・太陽神経叢」があり、「鳩尾に手当てする」のは「精神の安定効果」「内蔵機能正常化」が得られます。
「寝入りばな」などの「深いリラックス状態」で、「体の状況に応じて、自らに最適な状態に意識で波動を設定する」のは「自らの意識自体によってしか行えない」です。「意識を込めて(又は無の状態)手当てする」「脳から手への意識の流れを意識して、手当てする」となると、それだけでも「脳の活性化」「意識集中の能力向上」が成されます。
その場合は「意識の持ち方」が重要であり、「微細・繊細・精妙な波動・意識」「粒子・組織の微細化・細粒化」などを意識します。そして「無・空」などの「単一波長の意識状態」は大事で、逆に「邪念・雑念」などは無用です。例えば「顕在的意識で明確に、微細・繊細・精妙などの観念を持つ」「超意識・潜在意識の部分では、微細・繊細・精妙などの観念を持ち、顕在的意識は無・空」「他の建設的な考え事をして、柔軟化・コリ解消などについての意識は、無・空にする」という、3つの意識状態が考えられます。
こういった意識状態を持ちながら、睡眠時に手当てをしていると、「微細な波動が筋肉などを柔軟化」していきます。そうこうしていると、柔軟化・コリ解消などだけでなく、「体の組織が熱くなる・活性状態になる」「血流や気が巡っているのを感じる」「神経線維か何かに沿って、ピリッとした電流のような刺激が走る」ようになります。これらは「波動改善に伴う、諸状態の顕在化」です。
各種の施術の後は、気血水・神経の循環は良くなりますが、「量子エネルギーが足りない」という状態は続いているので、しっかりと「手当てと、意識による気の注入と、部位・気脈の共鳴」を心掛ける必要があります。施術後にこれを行うと、波動感覚も高まっている事もあり、「大量の気が巡っていく」のが実感される事が多いようです。
「お風呂」で手当てを行うと、「水の効果」「お湯による芯までの温熱効果」「柔軟化」「リラックス効果」があり、更には「お湯への改質効果」も考えられます。「風呂上り」の時は、奥深くまで柔軟化しやすい状態となっているので、何かしらやると良いでしょう。「サウナ」での手当ては、また違った効果があると思われます。
そして気が向いた時に「顔面・頭部ほかの各部位に対して、さすったり、撫でたり、組織・筋肉を揺すったり、回したりして、神経ほかの組織を修復・成長させる」という事が重要です。硬直してると、細部の神経は縮減していきますが、ゆらゆら揺らす事で、それを再び元に戻すのです。
多くの手法には「波動の改善効果」がありますが、更に「手・手の平・指」「手当て・さする・撫でる・指圧・揉む・按摩・マッサージ・手かざし」には、「自己の波動・バイオフォトンの効果」「随意性・意識調整のし易さ」「手軽さ」があります。「人間には本来的に自己治癒能力がある」「手の平は最高の主治医」と言えます。また「親族・親友」など、特に「親・子供・兄弟」に対しても、更に「癒しの気を送った対象」にも、波動的な共通性が齎す「量子もつれ」により、高い効果を発現します。兎に角「何かにつけ手当て」「症状があったら手当て」が良いでしょう。
●&color(white,black){施術時の意識の持ち方}
施術では「歪み解消」「コリ解消」「筋肉などの柔軟化」を行いますが、この中で最も重要なのは「筋肉などの柔軟化」で、柔軟化すれば「コリ解消」はされます。波動には「微細化すると高波動になる」という性質があり、また「微細な粒子(波動・血液・リンパ液)は体の隅々に行き渡る」「これにより筋肉が柔軟化する、という性質があります。また「筋肉の柔軟化」が成されれば、「骨格と深部の筋肉の歪み解消」が成されやすくなります。「高波動で微細な意識・波動は、筋肉組織などの柔軟化を齎し、歪みも解消する」となり、「普段から微細な波動の意識がある」という状態だと、「柔軟化・歪み・コリ・硬直の解消に最適」です。
施術に際しては、また運動に際しても「イメージング」というのは非常に重要です。「波動の効果で、人体の各組織はイメージング通りに動いていく」「イメージングした箇所に、特に意識(波動)が集中するので、より高い効果が現れる」「繊細に意識すると、細かな状態把握と改善ができるようになる」となります。また「どういう身体器官があり、働き・動作をして、改善されていくか」という事がイメージングされていると、「意識の焦点化や、行為への信用度の増加」により、更に効果は高まります。
「意識・波動の高さ・向上」は「素直さ・純真さを持った状態」「超越的状態」においてよく現れますが、これは「睡眠時」と似た状態で、うとうとしている時には、深いリラックス状態により、よく「超意識の状態」は現れます。「歪み・力み・コリの解消」も、本来的に波動的な物なので、このような状態の時に行うのが良いでしょう。「歪み解消・柔軟化」には「寝床」「お風呂」などが最善です。
また「睡眠」は「身体機能の修復・疲労回復」が目的で、これは「副交感神経」の管轄で、「交感神経」はこれや、情報伝達の円滑・省力を阻害するので、ストレスがある状況は良くないです。「寝床がベッドメイキングされたホテルの部屋のような快適状態」であると、波動上昇に繋がります。「短命化・健康悪化」は「量子の不足」が原因で、「何かの行為で量子を増やす」は大切ですが、「そもそも量子が減少しないような環境を作ること」は前提として大事です。
動物はお腹を相手にあまり見せませんが、それは重要な場所だからです。犬がお腹を見せる時は、服従する時と睡眠時です。「睡眠時・安静状態・柔軟化の施術時」には「体の中心部を開く」「左右の末端部位を、正中線から遠心的に開く」という必要があり、これにより筋肉は緩和します。「足を伸ばして、やや幅を開け、指先を外向きに開き、体表の内側を開放する」「体を真っ直ぐにして、みぞおちを中心に胴体を開いて、手も内側を外に向ける」「手足の親指を正中線から遠心的に開く」「頭部・頚部・顎・頬・目などのの緊張をとり、微かな微笑みのように左右に開く」というのが良いです。
「筋肉を最大に緩和させる方法」というのは、「筋力を最大に収縮させる方法」である「正中線に対する求心的な対数螺旋の三次元運動」の逆の力学的運動だと考えると、「正中線に対する遠心的な対数螺旋の三次元的配置をしつつ、筋肉を伸ばす」という事だとも考えられます。また普段から「体の各部位が、末端に行くにつれ、遠心的に開かれている」という状態であると、それが最も緩和されている状態だと考えられます。これは「体圧は最も分散された状態」とも考えられます。
しかし「寝る時の姿勢」は、「仰向け」「横向き」のどちらが良いかで意見が別れていて、「うつ伏せが良くない」との意見は一致しています。「赤ちゃんの状態・行為は、波動的に意味がある物が多い」ですが、胎児は「膝を深く曲げ、抱え込むような形」、新生児は仰向けが出来なく、「横向き」が多いです。赤ちゃんは仰向けの姿勢が多いと、後頭部が絶壁になり、後頭部へ発達すべき脳が他の部位へ発達するので、頭形が歪になるといいます。そこで「やや斜め向きで、左右の向きを一定させない」のが推奨されています。
「座禅」では「リラックスして骨盤の上に座る」「前かがみも、伸ばしすぎも、そるのも良くない」「顎を引く」「鼻の位置とおへその位置、耳と肩の位置は真っ直ぐ」が良いそうです。
「波動」というのは「感知・認知・把握や波動上昇・効果拡大」を通じて、全ては「内面との対話を通じて形成される物」です。拠って施術では、そういった「内面への視点・感覚」が重要です。そして意識集中には、「集中力」か「外部から隔絶した環境」が大事です。自己への施術の際には「完全に個・孤に場」が適していて、例えば「布団を被る・布団に潜る」「何処かに篭る」のは有効です。また「真っ暗な中で精神集中して、ろうそくの火を眺めると、波動の感知能力が高まり、立ち上がる気が見えるようになる」というのもあります。
波動が上昇したり、体が開発されてくると、各所に「表層部の微妙な盛り上がり」が起きるようになります。これは不規則に起きるのでなく、「チャクラ・ツボ」と、「正中線・中心線」に沿って起きます。皮膚が柔らかくなり、普通は全く外見的に分からず、何かの不都合はありません。仏像の頭頂部に見られる「肉髷(にくげい)と呼ばれる盛り上がりは、これを表しています。この柔らかい部分からは「気の送受信」「気の取り込みと放出」が行われ、高い波動能力には欠かせない部位となります。「気のやり取り」は、チャクラで多くされていますが、他の部位でも行われていて、人体のど場所も柔軟化すれば、波動能力は向上します。
深いリラックス状態で、筋肉が弛緩していると、体の歪み解消と共に「ミシッ・プチッ」微かな音が聞こえる事があるようです。これは「本来の位置に修正された」「人体内部で盛り上がりが発生した」「人体組織が左右前後斜めなどに開かれた」などの可能性が考えられます。これは当然、頭部での施術の際の音が多いです。
また「チャクラ」は、多数を数える場合は「膝」「脛(すね)・脹脛(ふくらはぎ)」「足裏」も含まれます。これら部位での施術・手当てでも、頭部での音が聞こえることもあり、「神経系」「経絡・ナディ」に沿って情報が伝わり、柔軟化が起こったと考えられます。
「人体の常在菌・口内細菌・腸内細菌」は「波動が良いと、善玉菌が増える」「波動が悪いと、悪玉菌が増える」となります。「悪玉菌は各種害悪を及ぼし、低波動物質と、それによる腐敗した液や嫌な臭い・腐敗臭を生じさせる」ので、「体臭・口臭・口腔衛生・体液の問題(鼻水・痰など)」の全ては「低波動により生じる問題」です。波動が改善され始めると、一時的に「好転反応」という「悪性症状がきつくなったような状況」が起きる事があり、これは「細胞内に溜められていた悪性物質が、細胞外に出てきたから」とされます。これも波動改善が続けば、解消されます。
ただ注意が必要なのは「血管・リンパ管・神経などを傷つけない」「マッサージでシワが出来ないようにする」という点で、こうなったら折角の波動や美容も台無しです。どうしても強く行ったり、同じ箇所を多くの回数やろうとしてしまいますが、傷付くと中長期的に悪影響・障害が残る可能性があり、「どちらにしろ、意識を向けて、施術してれば、早期に改善されていく」ので、効果発現までの期間の違いは、精々が数割程度でしょう。特に「血管が弱い人」「高血圧」「脳圧が高い人」「頭部に障害がある人」は非常に慎重に行うか、止めた方が良いでしょう。「鬱血からの血流の回復」の際には「活性酸素」が大量発生、また足が痺れて捻挫する可能性もあるので、気をつける必要があります。そして当サイトの手法も、自らの判断と責任で行うようにお願いします。
&color(white,gray){体のコリ解消・柔軟化の際に、意識を持つと良い事}
・「思い込むこと」、意識=波動なので、意識・想念が重要。
・波動が改善した、気の流れや血行が良くなった、などの「過去完了系の意識」を持つ事。
・その部位が、正中線に対してどうなっているかを認識すること。
・「体の各組織を柔軟にする」ということを、理解しておく。
・「手に意識が送られてた、放出された、対象に届いた、波動が上昇するなどした」ことを意識すること。
・「左右に広げたり、開いてゆく」こと。
・「皮下組織・筋肉を、骨から浮か」すこと。
骨などに組織が密着・固着していると、気血水(波動・血・リンパ)の循環が阻害され、神経にも障る。
・当該部位の組織や意識・粒子が、「微細化・細粒化する」「光になる」という感覚を持つこと。
微細な物は波動が高く、波動が高くなると光に近くなる。
・他には、例えば「高次元の波動」「DNAの波動」「水・水素」などが挙げられる。
・傷付けない事、あまり大きな力を入れない事、やり過ぎない事、どちらにしろそのうち良くなると思う事。
●&color(white,black){正中線・中心線、体の縦の線構造}
「正中線」は「体の中心を貫く縦の線」「頭頂から縦に通る体前面・背面の線」「体の中心軸」で、体の前面側の中心線を「前正中線」、背面側の中心線を「後正中線」と呼びます。
「伝統医学(東洋医学や和方医学の一部)」「東洋哲学(の一部)」「伝統芸能」「舞踏」「武道・古武術」「スポーツ」など各方面で重視され、「中心線」「軸」「体軸」「センター」などとも称されます。それら分野では「正中線を意識して保つ」「重心を正中線の下方に置く」のが重要だとされ、それが「バランスの良い姿勢」とされます。
人体においては「背骨(脊柱)」は正中線に沿って存在、「脊柱起立筋」「後頭下筋郡」はその両側に存在します。これを「左右両側の脊柱起立筋を陰陽、背骨は中心線」と捉える事もできます。上記のように「チャクラ」は「正中線・体の中心線」に沿って存在、「経絡」は「経脈:体の縦の線:主脈」「絡脈:体の横の線:支脈」という構成になっています。
人体は「左右対称」に出来ていて、これは頭から足まで同じです。そして「体の歪み」とは「左右対称からのズレ」「前後の均衡状態からのズレ」で、「左右対称の状態からズレると、前後の均衡状態からのズレると、悪影響が発生する」となります。体に歪みがある場合、「歪みと関係の深い筋肉の、左右両側が硬直している」「片方がもう片方よりも、更に硬直している」となります。
「体の歪みに最も関る筋肉」として「頚部(首)前方:胸鎖乳様筋」「背骨:脊柱起立筋」があります。「体の歪みに関連が深い筋肉」として「鼻筋:上唇挙筋」「顎:咬筋・外側翼突筋」「頚部(首)前方:胸鎖乳様筋・頚部前方の筋肉群」「頚部(首)前方:後頭下筋肉群・僧帽筋」があります。
「体の中心部を貫く縦線(頭頂から仙骨)」のうちの、多くの場所では、その周囲に「首(頚部・喉)」「気管のうちの咽頭・喉頭・気管」のように「管・円筒になっている部位」「人体における管の構造」があります。首上方の「顎・口腔」も、「管・円筒」に近い構造を持っています。また複数ある器官は「左右両側に対照的に存在」しています。これは「正中線から等距離に、同心円状に器官が分布する」と言えます。
「波動の上昇・高い次元での維持」には、「正中線が真っ直ぐである」「正中線が立体的・3次元的に柔軟である」ことが欠かせません。「健康・精神状態・美容は波動と一体」ですが、例えば「美容的に良いとされる表情・頭部の外貌は、波動の上昇・高い次元での維持に適した外貌」だと言えます。「笑顔」は「正中線の柔軟化」の代表的な物で(後述)、人体の波動が高まってくると、特に「頭部・顔面における正中線(顔面の中心線)」は、外見的にはっきり視認されやすくなるでしょう。
「チャクラ開放・岩戸開き」には「体の正中線・中心線の正常化・歪み解消」が必要です。そして、この為には「正中線の左右両側の筋肉の柔軟化と、左右両側への拡張」「体の前傾(猫背など)で、コリを生じやすい筋肉の柔軟化」「管・円筒の部位の柔軟化・拡張」が必要になります。しかし「正中線・中心線自体や、これを取り巻く筋肉群、管・円筒の硬直化」により、すぐに出来る物でなく、徐々に緩和していく事で、開放されます。
これは「左右の扉(筋肉)により、きつく閉ざされた門(正中線)」と言える状態で、これが「岩戸」の意味でしょう。「チャクラ開放・岩戸開き」とは「きつく閉ざされた正中線を、左右に開け放って、開放すること」と言えます。
「波動的な人体構造」というのは、「正中線は、人体の中で最も波動が高い部位を貫く縦の中心線であり、ここにチャクラが存在する」「経絡などの、気が通る脈は、縦の線で繋がれている」「正中線に対して等距離・同心円状に、脊柱起立筋などの筋肉、管・円筒の部位、各器官の波動的構造が、複層構造で幾重にも存在している」「特に正中線の周辺両側の筋肉群は、歪みや硬直を起こしやすく、これがチャクラ活性化を阻害、波動低下や各種症状を招く」「筋肉・組織の硬直は、拮抗筋に沿って起こりやすく、正中線の左右両側、体の前方背面の斜め上下、に出易い」「症状は縦と横に並んでいる事が多い」となっていると考えられます。
拠って「歪み解消・柔軟化」には「正中線周辺の筋肉群の緩和(歪みに関係する事が多いとされる筋肉の緩和)」「管・円筒の部位の拡張」「頚部から上方の側面部である、頚部側面・顎の側面・耳周辺・側頭部の緩和」を重視すると良いと考えられます。
「岩戸開きに対応されるような、チャクラ開放の手法とは、どのような物か」について、その手法・効果は多種多様です。以下に「鳩尾(みぞおち)前後から上部の歪み・コリの解消」の、その手法の幾らかを記します。これらはパソコンをしながら、ウトウト寝ながら、風呂に入りながら、などごく簡単に出来る物ばかりです。
●&color(white,black){みぞおちと横隔膜と丹田}
脊椎の胸部の部位は「胸椎(きょうつい)」、椎骨が「12個(第一胸椎~第十二胸椎)」あり、それぞれに「肋骨」が「12対・24個」ついています。体の前面側の「胸骨(きょうこつ)」は、「胸郭前面の正中部にある扁平骨」「上から胸骨柄・胸骨体・剣状突起の3部からなる」「成人では胸骨には腸骨に次いで大量の骨髄が存在し、血液の20~30%程度は胸骨で作られる」「第一肋骨~第七肋骨は、直接胸骨と結合している」という部位です。
「肋骨に囲まれた箱のような空間」を「胸郭(きょうかく)」と呼びます。「胸郭と肺の間の胸膜により囲まれた気密の空間を「胸腔(きょうこう)」と呼びます。「箱状の胸郭は一体的に動く」ので、「背骨が左右前後に動く時、胸骨全体は高い一体性を伴って動く」「特に左右に動く際に、より一体性が高い」です。
この「一体的な動き」が途切れるのは「胸郭の起始の場所」であり、そこは、背面では「第十二胸骨(胸骨の最下部)」、前面では「第七肋骨の最下部」です。このラインの下側に、板状の筋肉の「横隔膜」があり、「吸気時に横隔膜は下制、胸腔を拡大する」という働きをしています。また「第七肋骨」の体表側の下部は、「鳩尾(みぞおち)」となっていて、横隔膜の最上部は「みぞおち(の第七肋骨との境)」です。
深呼吸などで「横隔膜が下がった時」は、「脇腹の横隔膜はあまり下がらない」「肋骨の形状変化と共に、みぞおちに近い横隔膜は大きく下がる」「頂点が高い山の形状から、水平に近い形状になる」「肋骨との固着性が減少、柔軟性・可動性が増加する」「みぞおち周辺や、背中側への圧力が低下して緩む」となります。
横隔膜の上には「肺」があり、「肺の形状」は「胸郭と横隔膜の形状に準拠」「横隔膜低下・胸郭拡大が起きると、肺が拡大」します。「肺の拡張の方向」は「左右両側:横隔膜が広がる方向」「鳩尾周辺の低下:横隔膜が下がる方向」の、2方向に拡張されます。また「最下部のライン(横隔膜上部のライン)」というのは「一体的に動く胸郭・胸腔と、一体的に動かない腹腔の境目」です。
この人体構造により「背骨の歪み」は、「横隔膜上部のラインの背骨側」である「第7肋骨の左右どちらかの背中側」に集中しやすいという性質があります。ここの歪みは「背骨沿いの背中・肩・頚部・後頭部・顎・鼻筋両側」へと、縦のラインで伸びていき、これら部位の症状は、ここに発端があることが多いようです。
「鳩尾(みぞおち)」付近には「胃」があり、その奥には交感神経の結節点の「太陽神経叢」があって、「第二の脳」と言われます。「鳩尾のチャクラ(第3チャクラ)」は「胃・太陽神経叢」に対応、これらは「ストレス・緊張・精神の安定状態」に密接に関るので、「鳩尾は緩和されていないとならない」です。
「鳩尾の硬直」は「胸郭が狭く、前方へ閉じていて、左右に開いていない」「横隔膜の位置が高い」という時に起きます。みぞおちが硬直していると「ストレスがある」「邪気がある」「ストレッチが利かない」とされるそうです。「みぞおち・首」というのは「硬直しやすい部位」「神経の緊張が現れやすい部位」であり、また「身構える状況・動作において、収縮する部位」です。この部位は「ジョイント」になっていて、普段は緩和されていますが、切迫状態になると横隔膜が収縮して、避けるなどの危機対応行為が、早く出来る体制となります。
鳩尾の背中側に「胃兪(いゆ)」のツボがあり、「胸椎の棘突起12番と腰椎の棘突起1番間で正中線から外側に2指の幅」にあり、ここは上記の「第12胸骨の左右どちらかの背中側」です。効能は「胃の機能強化」で、「太陽神経叢の機能強化」も成されるでしょう。
ここは体表部から「みぞおち(第3チャクラ)」「胃」「太陽神経叢」「胃兪」があって、「最も背骨が歪みやすい場所の1つ」です。大事な場所であり、この周辺を「手当て・さする」、また胃兪周辺を「拳でぐりぐり押す」などして、解きほぐす必要があります。
「横隔膜が柔軟」であると「呼吸が楽になる」ので、「沈静効果」が齎されます。これはストレスと関係が深い「胃・内蔵・太陽神経叢の健全化」に結び付きます。鳩尾が緩和されていて、周辺に歪みがないと、同じくストレスと関係が深い、首の曲がりの主因の「胸鎖乳様筋」の状態改善に繋がり、更に「顎・頬・後頭部」と繋がっていきます。
「みぞおち」は開かれている必要があり、また筋肉である「横隔膜」は柔軟である必要があります。鳩尾は「上部(肋骨より上)は上方へ伸ばされている」「下部(横隔膜より下)は下方に落ちている」「横隔膜は左右の脇腹方向に開いている」という状態が良いとされます。呼吸をする際に「正中線付近の横隔膜を下げて、横隔膜が平坦な形状になる事を意識する」「みぞおち周辺の中心線を、やや前方に伸ばし、胸郭・胸骨・肋骨や、正中線が左右に開かれるように拡張する」「みぞおち周辺や、上部の胸郭・肺・内臓への圧力を緩和する」というのが良いと思われます。
「へそ」の下方に「丹田(第三チャクラ)」があります。丹田に対応する「小腸」は、その状態は健康状態の指標であり、「第二の脳」とも言われます。健康・運動・歌舞など、各分野で非常に重要視され、「気が溜められる場所」「丹田に全神経を集中する・力を込める」「丹田に重心を置き、他の余分な力は全部抜く」とされます。「腹式呼吸や呼吸のコントロールに重要な部位」とされ、また「腹圧は高い方が良い」と言われていて、この二点は符合します。「下部の腹筋」を締めて、「横隔膜」を下方に下げることにより、「腹腔の下部」の圧力を高めると良いようです。施術法としては、上記のように「手当て」が最善でしょう。
人間が「立ち姿勢」は、本来は「足の五本の指で地面を捉える」ようになっていて、親指(拇指)に体重が掛かっています。しかし現代人は、猫背を始めとした姿勢の悪さにより、「体のバランス」が「後傾」になっていて、「踵」に体重が乗っています。これは非常に多くの悪影響を生み、上記の「悪い姿勢」を悪循環で促進して、「腰痛」になったり、足の着地の衝撃が「脳」に直接届くようになります。この鳩尾周辺から上部の歪み解消だけでも、下部の修正もしなくても(当然した方が良いです)、立ち姿勢は大幅に改善します。
「みぞおち周辺をさする」のは、「落ち着く効果がある」「自己や子供に落ち着かせる時に行う」という行為です。「さする」行為自体に「鎮静効果」があり、なので最も神経の緊張が現れやすい「みぞおち」には非常に効果的で、その効果は絶大です。次の効果があります。
・「横隔膜」が緩和して低下、「横隔膜の下部が平坦な形状」となる。
・これにつれ「胸郭・肺」が、圧力緩和により下方に広がる。
・「胸郭付近の筋肉」の緩和により、胸郭は横方向へも広がる。
・この2方向への拡張で、肺が広がる。
・「内臓機能を統括」する「太陽神経叢」が緩和して、「胃」を中心に、「内蔵機能」が全て正常化する。
・また「胸郭内部」の「心臓・肝臓」への圧力が減少する。
・「腹腔」は下部に圧力がかかっているほうが良い(圧力は意識や重心的な物で、硬直状態ではない)。
・これは「横隔膜の低下」による、「丹田付近への重心の低下」により起きる。
・「腸(小腸・その下部の大腸)」が活性化して、腸内温度が高くなる。
・「気道」への圧力が緩和、「鎖骨の最下部」あたりから
「頚部が柔軟化して、歪みが緩和、真っ直ぐになる」という効果がある。
これは「みぞおちから胸部・鎖骨・頚部と、正中線をさする」と効果が拡大する。
・「頚部・気道の緩和」と共に、「顎」も柔軟化する。
・特に「体幹の中心部分」が活性化して、「沈静化・神経の緩和」「血液や気の流れの活発化」
「血管拡張」「各器官・組織の柔軟化」「内蔵機能活性化」「呼吸機能改善」が起きる。
●&color(white,black){脊柱と胸郭・肩・首の拡張}
癖なので気付き難いですが、多くの人には何となく「体の軸が左右・前後・捩れ方向に曲がっている」というのがあると言います。「体の歪みの解消法」は幾つもあり、「強制的に反対側に体を傾ける」「伸びをする」などもあるでしょう。体軸が歪んでいる場合、そこには「背骨と脊柱起立筋の強いコリ・歪み」が存在していて、「脊柱起立筋の歪みの解消」が必要になります。
そして「脊柱起立筋を両側に開き、脊髄周辺の部位への気血を良くする事が、岩戸開きの一つ」だとも考えられます。脊柱起立筋を中心として各筋肉は凝り固まっていて、きつく閉ざされた状態にあります。これを左右を中心として、開放するのです。
「胸・肩・脇・背・腕を、筋肉を意識することで、左右や前後方向へ引っ張る」と、脊髄付近を中心に、胸・背から首にかけてが左右や前後に開いていく事が分かります。これは人為的に、割と力を込めて行う行為で、「鳩尾(みぞおち)~首の途中辺り」まで、かなり左右に伸ばされ、背筋が真っ直ぐになります。拠って間違いなく、深部の気血の流れが良くなり、歪み解消し、「胸・喉のチャクラと周辺器官」が活性化していくでしょう。
方法は「筋肉を意識することで、左右や前後方向へ引っ張る」「両手で反対側の手首を持って引っ張る」「腕組みして引っ張る」などが考えられます。最初の方法は「アイソメトリック運動」で、「関節を動かさずに、筋肉を短縮・伸張させるトレーニング」「弱い筋肉の強化、筋骨格の障害予防に適し、安全性が高い」という物です。これはイメージが重要で、「左右前後に引っ張る・引っ張られる・拡張する・拡張される」「脊柱起立筋を左右に引っ張る」「脊髄・脊柱から、周りの組織が離れる」「閉ざされていた扉を開け放つ」などのイメージが良いかと思います。または「力からを入れずに、左右に伸びをする」のも良いと思います。
この引っ張り行為を行うと「胸郭の拡張」が生じます。胸郭を開くと「肩から首」にかけての「僧帽筋」が緩和、「首」が自動的に緩みます。拠って「胸郭拡張」により「胸・喉のチャクラの活性化」が生じます。他にも「首・肩・胸郭・鳩尾」付近を柔軟化する手法は多数あり、これらを行うと良いでしょう。
頚部の「頚椎」の最下部の「第七頚椎」は、首を前方に曲げた際に、最も後方に突出している部位て、「隆椎」とも呼ばれます。胸椎に似た性格を持ち、下部に「第一胸椎・第一肋骨」があります。第7頚椎の左右に自律神経の「星状神経節」といいます。ここには「頭・顔・首・腕・胸・心臓・気管支・肺」などを支配している「交感神経」が通っています。
「顎を突き出した姿勢」を長時間続けると、「第七頚椎から第五頚椎」「第一胸椎・第一肋骨」「星状神経節」「血管・リンパ管(鎖骨)・気脈」に負担が掛かり、ここは慢性的な障害や神経痛を頻発しやすい部位です。酷くなると「めまい・動悸・自律神経失調症・アレルギー・胸郭出口症候群(肩・腕の血行障害)・ヘルニア・頚椎症」になります。この改善には「うつ伏せになり、首の中心線を地面・布団につける」のが良いと思われます。
日本人は特に「猫背」が多く、これが胸郭の縮小と肺活量・体力低下や、「肩こり」などの各種のコリや歪み、気血水(波動・血・リンパ)の停滞、更には各種の病気や波動低下の原因となっています。「肩こり」には「僧帽筋」「三角筋」「肩甲拳筋」「棘上筋」「棘下筋」「前鋸筋」「小菱形筋」「大菱形筋」「頭板状筋」「頸板状筋」「頭半棘」が関っています。
姿勢は中々直らなく、ずっと姿勢を保つのは大変です。「後頭部・首・肩」にかけてのコリは、特に波動にとっては大敵です。「肩こり・首のコリ・後頭部のコリ」は、日本人に非常に多い症状ですが、その理由には「日本人は筋肉量が少なく、骨格も小さいので症状が出易い」「気にしいの性格」などの説もあります。
胸郭拡張は、このような悪い症状を修正してくれます。また、骨格を大きくするのと類似した効果も得られると考えられます。胸郭が大きい人の特長には、上記の逆傾向と共に、「姿勢が良い」「体力がある」「腕の力がある」と見受けられます。腕の力については、「肩・胸・脇・背の可動域が向上し、多くの部位の筋力が連動的に、腕に伝えられる」からかもしれません。
「鎖骨」は「肩関節を介して、腕の動きを自由にする作用」があります。この周辺は「全身のリンパが集まる部位」で、奥には「腕神経叢(首の骨から手に行く神経の束)」が通っています。この「リンパ管・血管・神経群」は、首を前方に傾けていたり、顎を突き出していると、「首の付け根付近」で圧迫され、元々柔軟な「鎖骨」の可動性が低下すると、ここでも圧迫されます。「鎖骨の硬直」は「気管・気道の硬直」「頚部の硬直」「顎のラインの硬直」「ほうれい線が深くなる」「胸郭出口症候群(肩こり/腕への神経障害で、腕・手・指の繊細さがなくなる)」という悪影響を齎します。
「鎖骨」は「肩に横方向から加わる衝撃を吸収するための、クラッシャブルゾーンの役割を果たしているのではないかという仮説が提唱されている(Wikipedia)」とあります。これは「(中心部近くの骨の中では)横方向の可動域が広い」という事だと思われます。鎖骨を開いていくと「胸・胸郭・肩・脇・背が広がる」「胸の中心部が左右に開かれる」「胸が前に出て、顎が引かれ、首が真っ直ぐになる」という感じとなります。落ち着いた感じで、無理なく脱力され、姿勢が良い感じになります。
また、鎖骨の脊柱の間の「胸鎖関節」には「鎖骨の突起部」があります。この「胸鎖関節」「鎖骨の突起部」を回旋する感じで動かすと、「鎖骨や肩周辺の柔軟性・可動域」がかなり向上します。
猫背では肩周辺の筋肉が前方に丸まっている訳で、「両手を腰の後方で結び、腕を上げていき、背中を反らす」という柔軟体操は、「鎖骨・肩甲骨・肩周辺の組織」を後方に引っ張ったり、柔軟にするのに非常に良い運動でしょう。「首の付け根周辺」に対しては「仰向けになり、肩をベッドの端に起き、頭部をその外に置き、下方へ垂らす」「浴槽の壁に後頭部を乗せ、天井を向く」というストレッチが考えられます。
また「脊柱を出来るだけ共鳴・振動している状態にする」というのは、良好な波動状態の維持の重要な手段です。脊柱は人体でも最も中心の部位で、「身体の共鳴状態」を維持するには、脊柱の共鳴が欠かせません。これは「施術の際の気血の流れ」「耳鳴りのような音」「声・音楽・楽器」に共鳴させるという方法が考えられます。
●&color(white,black){喉と首(頚部前方)}
「喉」には「第5チャクラ(ヴィシュッダ)」があり、後方に「脊柱」があります。第5チャクラは「呼吸器機能:喉・気道・気管・肺など」「内分泌線:甲状腺・副甲状腺」「組織:筋膜・結合組織」に対応するとされます。
「頚椎」は七個の椎骨からなり、その下に「脊柱(背骨)」が伸びていきます。上部に「環椎(第一頚椎)」「軸椎(第二頚椎)」があります。「環椎と軸椎の間」に「環軸関節」、「環椎と後頭骨の間」に「環椎後頭関節」があります。これらは「関節の可動域が広く、頭の左右・上下・捻じりの動作を操作する」「環軸関節は一個あり、体軸に垂直な回転軸を形成する」「環椎後頭関節は左右に二個あり、左右への回転軸を形成する」「環椎・軸椎はベアリングの役割を果たしてる」、環椎は「後頭骨に隠れるので外部から触れられない」という部位です。共に歪み・硬直が多い部位で、「顔の左右の歪み・非対称」があると、環椎に異常があると言い、頭痛を始め、各症状を起こします。むち打ち症の多くでは、環椎・軸椎が歪んでいます。
「頭蓋骨」の最下部の「後頭骨」は、内部の「大後頭孔」の「環椎後頭関節」で、「環椎」と繋がっています。脊柱の上に頭蓋骨が乗り、後頭骨はその中継をする「頭蓋骨や脳の台座」のような位置にあり、そして「他の骨・組織との接合部位が、歪み易い硬直し易い骨」です。
「首(頚部)」は「大きな円筒管」のような形状で、その周りに首の筋肉が囲んでいます。「頭部への気血水(波動・血・リンパ)・神経」「気管支・食道」が1つの部位に通っていて、且つ狭く、上部重い頭部があるので、歪み・コリで障害が起きやすい部位です。また、江戸時代の観相術の水野南北は「首筋が太い者は長命で病気になることが少ない」としています。
「首」の表側左右には「胸鎖乳突筋」があり、裏側表層部に「僧帽筋」、裏側深層部に「後頭下筋群(頸部深部筋)」があります。
「胸鎖乳突筋」は「胸骨・鎖骨から、耳の後ろの乳様突起に繋がる筋肉」で、働きは「首の回旋、顎を引く、首の安定」「頭を固定してる時には、呼気筋として作用する」です。この筋肉は「脳神経」と、更に内臓を支配する「迷走神経」に繋がっていて、「自律神経・ストレス」と強い関係にあります。他の筋肉と比べ「他の筋肉・部位との連携が、より強い筋肉」です。硬いと「顎関節症・耳鳴り・頭痛」の症状も伴う事が多く、片側が硬いと首が曲がります。片方に首が曲がった状態が続くと、脊柱から頭部・顔面にかけても片方側に傾いて、全体が歪みます。「胸鎖乳突筋」は「脊柱の歪み」「顔の歪み」に関連しているようです。
「胸鎖乳突筋前縁」「頚の正中線」「下顎体の下縁(顎のライン))」で構成される場所を「前頸三角」と呼びます。この「頚部前方・下顎の下部」には、頸部脊柱の前面に接して上下に走る細長い「椎前筋(ついぜんきん)」を始め、「前頭直筋」「頭長筋」「頸長筋」「斜角筋」があります。
主に「胸鎖乳突筋」を中心に「頚部前方・下顎の下部の筋肉群」は連動しています。これらの筋肉群は、上部は「耳後方の乳様突起」「額関節」「下顎のラインと周辺の筋肉」、下部は「頚部の付け根の奥(胸部上方)」にあります。そして、上部は「頬~鼻の上顎の筋肉群(額関節の先)」、下部は「胸部の深部の筋肉群」と連動しています。胸鎖乳突筋などが凝ると、胸郭を引き上げ難くなり、「呼吸のし辛さ」という症状が現れます。また「下顎を下方に引っ張る」ので、「鼻から頬の上顎の筋肉群が下方に引っ張られる」となり、「ほうれい線」などの老けた表情に繋がります。
「首」はバランスの中心、「首の硬直」は「全身の緊張・硬直」「頭部の諸症状」「呼吸機能悪化」「筋肉(筋膜)・内臓・各組織の硬直」を招きます。「首の歪み」は「頭部・胸部の歪み」を招きます。自然なカーブが無い「ストレートネック」は「頚椎・胸椎への圧迫」を招きます。「脳脊髄液は頭を捻ると多く生産される」とされます。また先述のように、「頭部を回旋させると、知的活動を担う脳脊髄液が生成される」という説があります。
首は緊張状態は厳禁、諸症状の根源であり、力みが無くて、真っ直ぐしているのが理想です。回旋運動や、ゆらゆらさせるなどの運動を随時行う事が必要です。ただ「ポキポキ鳴る」のは「神経・関節・軟骨が傷付く」ので良くなく、円滑に回せる可動域を徐々に拡大させるのが良いそうです。
●&color(white,black){頭蓋骨の歪み・硬直・柔軟化と縫合線}
「頭蓋骨」は「23個の骨の組み合わせ」で構成されています。骨同士は線上の関節である「縫合線(ほうごうせん)」で接合されていて、この線は「可動性」があり、これにより衝撃を柔軟に受け止めます。頭蓋骨内部には「脳脊髄液」が一杯に満たされていて、これは脳の保護も行っています。あまり知られてないですが、頭蓋骨は一日のうちで相当動いていて、これにより「血液・リンパ液・脳脊髄液や、気・酸素などの運搬・循環」がされていきます。多くの部位では複雑な「鋸状縫合」となっていて、他に、接する骨の縁が鱗のように次第に薄くなって組み合わさる「鱗状縫合」、接する骨の接触面が平面である「平面縫合」があります。
頭部には細かい筋肉が多く、頭蓋骨の周囲には多数の筋肉があります。本来は「縫合線は柔軟で、隙間が随時開く必要がある」のですが、長年の気血水の停滞・緊張などが齎した筋肉・各組織の硬直により、縫合線は「癒合・膠着・可動性の少ない状態」となっています。これにより「頭蓋骨は歪み・不整形」が起こり、尖ったり、凹んだりしていきます。
更に「頭部・脳・頚部の気血水の循環停滞」「波動低下」「健康状態悪化」「顔の歪み」「美容的問題シワ・シミ・禿・白髪・他の波動低下の各症状)」「頭痛・脳疲労」「集中力低下・知能的な問題」「精神的悪影響」など、非常に多岐に亘る悪影響が齎されます。
「石頭」「頭が固い」というのは、この状態の事です。これは実際に多くの人に物理的に起きている状況で、また波動的には「同じ性質の事象・概念は、同じ波動を持つ」ので、「石頭の人は、硬直した思考を持つ人が多い」となります。「この症状の人口の多さと、その影響度」を考えると、この症状は「体の諸症状の中でも、最も厄介な症状」と言えます。
「縫合の交点にある比較的広い結合組織の部分」は「泉門(せんもん)」と呼ばれます。新生児の産道通過や成長の為、これらの部位は繊維状で移動可能ですが、成長につれ骨化が進行、泉門の結合組織に骨が入り込み、置き換わります。
赤ちゃんの前頭部中央には「大泉門」という大きな窪みがあり、前頭骨と頭頂骨の交点に位置、脈動も分かります。後部の「小泉門」通常8週までに閉じ、「大泉門」は18か月まで残っていることがあります。非常に活性状態の松果体と共に、高次元と波動を交信をしています(触るのは厳禁です)。
「縫合線・泉門」というのは「ツボが多い場所」「その柔軟化・開放が、岩戸開きには欠かせない場所」です。「縫合線・泉門」を開放する事で、有象無象に囚われて「硬直化してしまった頭・頭蓋骨・脳・思考法・感性」を、もう一度子供の頃のような「柔軟な頭・頭脳」に戻すと、波動が上がり、意識を覚醒されて、様々な能力や健康が得られます。
頭部の歪み解消・ストレッチ・マッサージなどの手法は多種多様で、メディアでもよく取り上げられています。顎を大きく開けたり、笑顔をしたり、割り箸体操など。頭の各部を押してみて、揉んでみて、更に「頭蓋骨表面から、頭皮を浮き上がらせるマッサージ法」を行うと、痛み・違和感・コリが在る場所があると思いますが、そこが硬くなっている場所です。
最重要なのは「正中線沿いの縫合線の柔軟性維持」であり、それによる「頭蓋骨の左右への広い可動域の確保」です。チャクラは正中線上にあり、頭頂部のサハスラーラも、眉間周辺のアージュナーも、この部位の柔軟性が拡大すると、活性化が近くなります。ここを開けると、光が頭頂部や前頭部からも入ってきて、サハスラーラ・アージュナー・松果体に到来するでしょう。
頭蓋骨は左右に最も膨張します。「顎の主な筋肉」は「側頭部」にあり、拠って大体の人が側頭部は硬直化しています。これには「左右方向から内部への(軽い)圧迫」を行います。頭部各所を左右から掌底で押したりすると、良いと思われます。頭痛の時、また考える時など、「側頭部から頭を内部に押す」という行為をよくします。頭部筋肉群や皮膚は頭蓋骨の形状を保つ為に、普段は硬直している事が多く、その代わりの力を手で加える事で、筋肉群が弛緩して緊張が取れて、気血水(波動・血・リンパ)の流れがよくなります。
頭部に歪み・力み・コリがあると、気血の循環が悪いのに、頭部は歪み、不整形に膨張したままになり、良くないです。下顎・上顎・頬骨は一体性があって、これらの歪み・力み・コリが取れると、本来的な頭蓋骨の位置になります。そうなると、循環や波動が上昇します。頬骨は上部に引きあがった形で、内側にあると、外見上良いといいます。
石頭状態だと、本来の頭蓋骨より、側頭部の横方向に相当幅広になり、大きく見えるようになるでしょう。美容に「小顔」というのが言われますが、本当に小さい頭というのは、頭脳的には良いとは考えられていません。美容的に言う「小顔かどうか」とは、元々は「石頭状態か、そうでないか」「頭部の膨張状態と、本来の頭部の状態・大きさの違い」とされます。
また頭部の歪みが強い場所は、「出っ張った状態」になり、それにより頭部が変形、これにより歪みが多いと「頭蓋骨の出っ張りや不整形」も多くなります。頭部には「不要に出っ張った場所」があり、これは「コリとコリの間の、筋肉が硬直していない部分で、頭蓋骨がいびつに成長した」とも考えられます。この部分は「頭皮と皮下組織の突っ張り」を生み、気血水の停滞を生じさせます。身体的に良くなく、外見上も問題があります。
この解消には「睡眠時に、寝床に出っ張った部分を押し当てて、考え事やウトウトする」のが良いと思われます。「出っ張った部分」というのは「他所の強いコリにより、副次的に生じた場所」で、この行為を行うと「他所のコリが緩む」となります。また手押しでは力が伝わり難い場所があったり、力みが残った状態では効果が薄いですが、この行為は「脱力時に行うので、効果が高い」となります。
こうなると、歪みが無いので、左右対称の整形の球形に近くなり、これは所謂「卵型の顔」でしょう。そして脱力状態で、頭部の深部のコリが取れていくので、即ち「表情筋の深部にあるコリも取れる」ので、基礎的な表情が自然になり、全体的な顔付きがかなり良くなっていき、また強張った印象も和らいでいくと考えられます。
拠って「本来の頭部の状態」においては、「歪みから発する各種症状が起きない」「小顔に見える」「不要な出っ張りが少なくなる」「卵形になる」「特に横方向の広がりが縮小、シャープに見える」「自然な表情になり、顔付きが良くなる」「全脳は丁度良く収まっている」となります。
元々、森羅万象は波動原理とともに存在するので、こういう行為で、波動も意識も健康も美容も、全てはその状態が引き上げられます。表層面より、波動も含めて大きな枠で見る方が、全体が改善されるので、「内面から滲み出る美しさ」「キラキラと光沢のある肌(波動が高いと光を発する)」「輝くような笑顔」になって、素顔が良くなります。そして単に外見だけでなく、全体に奥深さが出るのではと思われます。
「両手を左右の頬・目・眉・こめかみ・側頭部・耳・顎に置いて、ぐるぐる回して柔軟化させる」「皮下組織・筋肉をゆらゆらと揺する」という行為は有効です。施術で気脈を通したり、笑顔などをしても、どうしても初期は改善部位が偏ります。ずっと硬直していたので、柔軟な動きを脳神経が覚えていません。
「ゆらゆらと振るえ」とあるように、「振動する・させる」のは良い事です。「手で骨を揺する回す」のはほぼ出来ないので、「皮下組織・筋肉を手で揺する・回す」ことに行為は限られます。また多くの場所は、揺するのが大変だったり、労力が要ります。その点「顔面・頭部の皮下組織・筋肉を手で揺すったり、回したりする」というのは簡単で、「手でゆらゆら振るわす中で最も効果的」です。
これを行うと「(時々行うと)手当てのみより、動き・刺激が外部的に与えられ、柔軟で自然な動きになる」「頭部の気血水の循環改善」「脳が刺激され、目が開く」「側面から行われるので、頭蓋骨が柔軟化の効果が高い」「正中線の開放と一緒に行える」「穏やかな動きで、顔の造形に少しずつ影響を与えられる」という効果があります。簡単ですが、特にその作用・効果を意識していると、意外と効果は大きく、美容の面からも良いと思われます。
●&color(white,black){体毛・毛髪=波動のアンテナ}
「体毛・毛髪」は「波動の受信装置」です。受信アンテナの機能は高性能、送信機能もありますが、どの程度あるのかは不明です。「外部からの波動の多くは、毛髪のある部位で受信して、脳に流入する」ので、「毛髪のある部位の高波動状態・柔軟さは、その人の波動・健康・能力・運・美容などの状態と比例する」と言えます。
「感動した時などに鳥肌が立つ」のは、「体毛・毛髪・毛穴を通じての、波動的情報の送受信量が多い」→「多量の量子エネルギーにより、毛穴が柔軟化する」という要因によると考えられます。「上」の字は「神」に通じますが、「神:上:髪:噛み・・・」と通じているとも思われ、「髪の毛:神の毛:高次元の波動に通じるアンテナ」という意だと推察されます。
毛髪のある部位の波動改善がされると、「体毛・毛髪」「毛根・毛穴」「皮膚細胞・頭皮細胞」「血行・気血水の循環」が活性化、健康状態・機能・見た目の状態が改善して、主に頭部の「白髪・フケ・荒れ性・脂性・毛穴の開き」など、全ての問題も改善していきます。
「手・指・手首」が「髪の毛」「頭皮」に触れると、大量の波動が流入します。皮膚に触れると波動が流れるが、「皮膚に触れると、多少なりとも皮膚を圧迫するので、 その分の減殺分も生じる」というマイナス効果も生じます。なので、「髪の毛がある部位」においては 「頭皮から微妙に離れた場所で、手当てをするのが最善」と思われます。
&color(white,gray){「手・指・手首」が髪の毛に触れた・手当てした時に、柔軟化・波動上昇の効果を与える主な部位》
手・指・手首
手首の中央~掌の中央~中指
・正中線の活性化
親指~手の平の第一中手骨の部位
・体の前面
・呼吸器・消化器
小指・掌の第五中手骨~人差し指・掌の第二中手骨
・体の背面
・脊椎
腕・肩
頚部・頚椎・鎖骨
頭部全域
脳・間脳・松果体
髪の毛・毛根・毛穴
頭皮
手当てする場所が脳に近いので、「脳の活性化・疲労回復」に非常に効果があります。特に松果体については、「髪の毛を通じて、手・指・手首から状態を読み取り、必要な波動を大きく拡大して、手に送る」という作用が生じ、これにより「波動の大量生成」「松果体の活性化・機能向上」が齎されます。「脳・松果体の近くに手当てする」「脳→手→脳という循環」という点から、「波動の漏れが少なく、効率的に利用できる」というメリットがあります。また「毛根・頭皮の活性化」になるので、「波動の受信アンテナ機能の向上」も果たせます。先述のように「手には、脳機能の3割が割かれる」のですが、「手・腕・肩に、脳の焦点を合わせる」ことになるこの手法は、この性質を最大限に利用する物です。
波動改善には、先ず「石頭状態の改善(頭蓋骨・頭皮などの柔軟化)」が必要ですが、「この手法は、石頭状態の改善に必須」の物です。これらの点から、「手・指・手首の髪の毛への手当て」は「波動改善には非常に重要」「器具や特殊な呪文などを除いた、身体のみの手法としては、手軽さと効果と言う面で見ると、最大の効果的手法」でしょう。
●&color(white,black){{耳と頚部後方・後頭部}
「耳」にはツボが多く、「WHOが認めた全身365個のツボのうち、110個が集中」しています。耳への「鍼・灸」はよく行われ、「鎮痛効果・鎮静効果・免疫力増強」があり、また東洋医学では「胎児の形で人体が投影されている」とされています。耳の奥は「蝶形骨」と繋がっています。
耳のすぐ後ろの骨を「側頭骨茎状突起」、その横の丸みの頂点を「乳様突起」、その周辺を「乳突部」と言います。
「乳様突起」は「内部は蜂の巣状で、中耳腔の一部となっていて、鼓室と連絡している」「体表からも見たり触れたりすることが可能ではっきりわかる」「大きさと形状には個体差があり、男性では女性よりも大きい」「乳様突起は顎二腹筋、胸鎖乳突筋、頭板状筋、頭最長筋の付着部になっている」という部位です。「乳様突起」は「骨導音」を感じ取りやすい場所で、「乳突部」は「高周波・高波動を感じやすい部位」「高周波・高波動に対する耳の部位」という可能性が推測されます。
「胸鎖乳突筋」は「胸の深部の筋肉」に繋がっていて、首を中心に、胸から頭部にかけての左右への歪みに深く関ります。「肩・首・後頭部」が凝っている人は「乳突部・耳の後部」が凝っている人が多く、ここを緩和すると「首・胸の奥・背中」が緩和します。
「頭頂骨と側頭骨の間の縫合線」は「鱗状縫合(りんじょうほうごう)」と呼ばれ、薄い切片が重なり合うように形成されていますます。これは「耳の上部」「耳の周囲を取り囲む生え際の微妙な出っ張り」にあたります。「乳様突起上方で、横方向へ向きを変える」という位置にあります。鱗状縫合は可動性が高く、これは「咀嚼」の為で、その微妙な動きが、乳様突起の位置や、頭のふくらみに影響を与えます。
「後頭下筋群」は「首の後ろで頭と首を縦や斜め方向につないでいる4つの筋肉群」、「ぼんのくぼ上方」「頭部と頚部の境」「後頭部の生え際周辺」にあり、一部で表層に露出しています。この奥には「脳幹」と、その一部の「延髄」があります。延髄内部では「右脳:左半身」「左脳:右半身」と「神経」が交叉する「錐体交叉」があります。この周辺は頭部から頚部にかけ、一気に狭窄化する場所です。またこの付近の血管は「血液脳関門」となっていて、ただでさえ狭くなっている所に、硬直すると、更に気血水を阻害する状況となります。
「後頭下筋群」が凝ると、表層にある肩・首の大きな筋肉「僧帽筋(そうぼうきん)」も凝り、「頭痛持ち」は大概「首の後部」が凝っています。更に「肩甲挙筋(けんこうきょきん)」が凝り、この筋肉は「背部の頸椎と肩甲骨をつなぐ筋肉」「肩甲骨を上方へと引く作用がある」「不良姿勢などによる肩こりでは、この筋肉にも不快感や重苦しさ、痛みを感じる」です。この3つの筋肉が凝ると、「首の湾曲による柔軟性」がなくなり、衝撃にも弱くなります。
後頭下筋群の上には、正中線上にある、後頭部最大の盛り上がり「外後頭隆起」があります。「後頭下筋群と外後頭隆起の硬直は、頭痛・首のコリ・肩こりの最大の原因」です。重要なツボが多いですが、「血管・リンパ管・気脈・神経が非常に圧迫された状態」となっていて、「頭部への気血水(波動・血・リンパ)・神経の阻害」が起きています。後頭下筋群周辺を左右に開いていくのが、頭部の緊張緩和に重要です。
「耳の最下部のすぐ後ろから、後正中線の外後頭隆起」には、効果的なツボが幾つもあります。
「翳風(えいふう)」は「耳たぶの後ろのくぼみ」「額関節の上方延長線上・顎を開いた時の窪み」にあります。効能は「耳鳴り・難聴・めまい・メニエール病」「頚部のコリ」「顎関節症・歯痛」「喉の痛み」「口・眼の歪み」「自律神経失調症・顔面神経麻痺・しゃっくり」などです。
「けい脈」は「乳様突起の中央・耳の穴の後方」にあります。効能は「頭痛」「めまい」「耳鳴り・難聴・耳炎」「自律神経の調整(交感神経の抑制・副交感神経を優位にする)」「血圧低下」です。
「顱息(ろそく)」は「耳尖のやや下の高さで、耳たぶを後方にくっつけた場所のやや後方」です。効能は「頭痛・偏頭痛」「嘔吐」「脳充血」「脳膜炎」「耳鳴・中耳炎」「視力減退」「歯痛」です。
「完骨(かんこつ)」は「乳様突起の下部から指1本分上」「乳様突起の後ろの凹み」にあります。効能は「安眠」「頭部・目・耳の血行改善」「首のこり・肩こり・偏頭痛改善」「ニキビ改善」などです。
「風池(ふうち)」は「うなじの外側のへこんだ部分の髪の生えぎわ」にあります。効能は「目・肩・鼻・手の症状」「頭痛抑制」「肩こり・首のこり」「難聴・耳鳴りなどの耳の病気」「鼻水・鼻づまり・花粉症など鼻の不具合」「風邪・脳充血・脳卒中の後遺症」「頭部・眼の血液循環と自律神経の改善」です。
「天柱(てんちゅう)」は特に重要なツボで、「ぼんのくぼの下から親指1本分離れた場所」にあります。効能は「頭・耳・鼻・目等、首から上のあらゆる症状」「頭痛・頭重・背中のコリ」「かすみ目・視力減退」「鼻の通りの改善・鼻炎・花粉症」「半身不随・言語障害・運動障害」「うつ症状・統合失調症・自律神経失調症・大後頭神経痛」などです。
この上部のツボとして「脳戸(のうこ)」「玉枕(ぎょくちん)」があります。「脳戸」は「後正中線上の後頭部の盛り上がり(外後頭隆起)の上の窪み」、効能は「脳戸」は「頭痛・後頭痛・頭重」「首やうなじのこり」「不眠」「目の痛み・めまい」「嗄声」「テンカン」などです。
「玉枕」は「脳戸の両脇約4センチ」、「玉」は「肺」の意、「枕」は「枕骨=外後頭隆起」です。効能は「肺の症状」「鼻の症状(鼻の通り・鼻づまり・鼻血など)」によく利き、後述のように「鼻は肺の門戸」と言われます。他には「眼・眼の奧の痛み」などに効能があります。
東洋医学では「百会に集まった気は頭蓋骨内部の脳を滋養、脳戸から出て、左右の玉枕に別れて背中全体を下っていく」とされるそうです。一般的に「第7チャクラ(頭頂)」と「第6チャクラ(松果体)」は関係が深いとされます。また「後頭下筋群」と「鼻」は「顔面・後頭部の裏側の対象的な場所にある突出部」と看做せます。ここから「外後頭隆起:額~眉間~鼻筋」「脳戸:松果体」「風池・玉枕:鼻筋両側」という対応関係を推論として考えられます。
「脳戸・玉枕・外後頭隆起」がある「後頭骨」には「胸鎖乳突筋・僧帽筋の始点終点」があり、その下部には「後頭下筋群」があります。ここから「外後頭隆起が気などの流れの関門的な位置にある」ことが伺えます。
これらの「耳・鱗状縫合・茎状突起・乳様突起・乳突部・外後頭隆起・後頭下筋群にかけて」は、「耳の機能」「波動の受信・感知能力」「頚部後方・後頭部のコリ」「頭部への気血水・神経の循環不良」に纏わる部位とも考えられます。大きく「外後頭隆起と後頭下筋群」「耳と後方周囲と乳突部」に別れ、人体でも特に大きな気の通り道です。
●&color(white,black){頚部・後頭部の緩和法}
呼吸器の「気管」は、上部から「上気道:鼻腔・咽頭・喉頭」「下気道:気管・主気管支・肺」で構成されています。「喘息ほか肺疾患」では「気道周辺の筋肉が硬直して痙攣を起こし、気道の狭窄と共に、呼吸が困難になる」という症状が起きます。一般的な状態でも、現代は多くの人の人体組織は硬直しているので、最善の状態に比較すると「気道の硬直と狭窄・呼吸のしづらさ」があると考えられます。硬直や狭窄をしていれば、影響はそれだけに留まらないでしょう。
「人は一本の管である」という比喩がありますが、外見上最もこれが分かるのは「首」です。「首のコリ・肩コリ」がある時は、「首・肩の気管の狭窄化」も同時に起きていて、この「気管の縮小が、気血水の停滞を起こし、各種症状を招いている」とも言えます。「後頭部下部~~頚部~首の付け根~胸の上部」あたりまでの「咽頭・喉頭・気管」を「1つの大きな円筒管」と捉えて、この「円筒管の直径を拡張する」という行為を行うと、「気管の正常化」と共に各症状も改善すると思われます。
更に「頚部の筋肉群の動作や状態と、関連の深い筋肉群」まで考えると、上部は「頬~目の下~鼻筋の筋肉群」「乳様突起・外後頭隆起」、下部は「肺周辺の筋肉群(鳩尾付近)」まで、「頬の上部から横のライン~頚部~鳩尾から鎖骨のライン」を一体として捉えて、ここの歪み解消・柔軟化をしていくと良いも思われます。頚部のコリの主因の「胸鎖乳突筋・後頭下筋群」とは、「頬~目の下~鼻筋の筋肉群」は連動的な関係、「乳様突起・外後頭隆起」は起始・停止の部位、この横のラインは硬直しやすい部位です。
「太った時の、首の周りの脂肪でリンパの流れが悪くなる症状」もあり、「柔軟・しなやかで、強い筋肉と血管・リンパ管・気脈・神経管」があれば、首は太くなくても大丈夫と思われます。また、頭部の歪み解消もそうですが、「首の円筒管」は内部が拡張しても、筋肉が柔軟だと「自然な丸み」に近くなって、大きくなったようには見えません。
「首の円筒管を大きくする」に際しては、上記の「胸郭・肩の項の手法」は有効です。更にこれと同様に、「首の筋肉を、意識で全方位に拡張する」のも有効です。
「頚部後方・後頭部下部・耳の周囲」を纏めて緩和する方法として、「寝床で首・顎・口の曲がりと反対方向に傾け、耳と周囲・後部と、外後頭隆起・後頭下筋群に手当てをして、左右両側に開いていく」というのが考えられます。ここを緩和して開いていくと、「頚部前方・額関節・上下両顎」も緩和、口腔・歯茎なでの血流が一気に増加します。これに伴い「頚部・顎への締め付けが無くなり、径が太くなる」という効果が現れます。
「体軸・胸鎖乳突筋の歪みの改善法」は、幾つもの手法があります。「正確にきつく噛み合わせて、顎を上方へ伸ばし、胸の中心部付近から、力を込めて左右に傾けて、10秒ほど停止すする」「ふくろうのように、首を出来るだけ時計回り・反時計回りに回転させる」という物があります。
「口角」「上下の顎の八重歯」「舌」「オトガイの左右突端」「喉(咽頭・喉頭)」「鎖骨の最下部」「気管」「第12肋骨の正中線両側(みぞおちの左右・横隔膜の最上部)」は、「第6チャクラ」の「呼吸機能の気脈が通っている部位」だと考えられます。口角の上から出る「ほうれい線」は「頚部のコリや呼吸機能が弱いと出る」とされますが、この気脈の証左と考えられます。「第12肋骨の正中線両側」は、「横隔膜の最上部」に当たり、みぞおちの緩和状態は呼吸機能を左右します。
この途上には「筋肉で構成される管状の気管」が伸び、「口角と第12肋骨の正中線両側」は「気管の上下方向の延長部分で、呼吸機能に関る部位の範囲」です。この範囲内では「気道や頚部の硬直」により、範囲全体が硬直します。「口角~第12肋骨の正中線両側」の間には、「互いをその間の空間に引っ張る、強力な引き付け合うコリの力」が存在しています。この中で最大の気脈は「オトガイの左右突端から鎖骨最下部の、頚部上端・下端の正中線」にあると思われ、これが「呼吸機能・第6チャクラの中枢」と思われます。
この「口角~第12肋骨の正中線両側までの、管状の気脈」に、充分な気を流していくと、筋肉・骨・各組織のコリが緩和して、正中線の気血水の重大な阻害地点が解消されていきます。また「第6チャクラ」は「筋膜」にも対応しているとされ、「気道・管状の気脈の場所は筋肉で組成されている」ので、「筋膜への気の流入と共鳴と緩和」と意識すると効果的です。「首のコリ」は、全身を硬直させていきますが、首の前面側のコリは、ここのコリが主因で、更に、最下部がこの気脈と接する「胸鎖乳様筋」が大きく関ります。この範囲が緩和すると「顎・頚部・胸部・横隔膜の一体性・一体的なコリの解消」が起きて、各部分が自由に動くようになり、呼吸が楽になります。顎を下に引っ張る力が無くなり、老け顔が解消します。
「うつ伏せになり、顎を床・寝床に接地させて、ゆっくりと回旋する」という方法があります。この場合に「顎を目一杯伸ばし、頚部の表側が床に付くほどにする」という方法もあります。これは「環椎(第一頚椎)・軸椎(第二頚椎)と、環軸関節・後頭環椎関節の動き(柔軟さ・可動域)に、最も焦点を絞った運動」「第七頚椎など、頚椎の他の関節があまり動かない」という運動です。
この効果は「環軸関節・後頭環椎関節が適度に伸び、一体的硬直がなくなる」「環椎・軸椎の歪み解消」「特に可動性の悪い部位を認識できる・集中的に改善できる、他の部位との一体的な硬直を改善できる」「頚部の柔軟化・可動域拡張・動作の円滑化がなされる」「頚部が後ろに戻る(ストレートネックの改善)」「後頭部・顎・頚部・肩の緩和・柔軟化」です。これは効果的な運動です。ただうつ伏せで睡眠をすると頚椎や腰を痛めやすいので望ましくないのと、施術では負荷をあまりかけない事が必要です。
耳周辺には「ツボ・反射区」が多く、「他の部位と一体的に硬直・緩和する」という状況が多いです。「耳を引っ張る」行為を行うと、「首のコリ」が解消され、「耳の後部・深部」を中心に「後頭下筋群」「僧帽筋」「胸鎖乳突筋」が弛緩します。これは「両耳」を「左右」を主に行い、上下前後も行って、ぐるぐる回したりなどもあります。勿論加減は必要ですが、割と強く引っ張っても大丈夫のようで、有効な手法です。
「両手で耳を塞ぐ」「耳の周囲を掴んで中心側に引き寄せる」という施術法は、「耳のツボへの手当ての効果」「胸鎖乳突筋・後頭下筋群・僧帽筋ほか、頚部の筋肉群の緩和に纏めて有効」「後頭部・顎周辺の緩和にも有効」「音の遮断による意識集中」という効果があります。耳の奥の「蝶形骨」への歪み解消効果があり、頭部の様々な症状の改善作用を生じます。更に「松果体」は「両手の中央にある形」になり、「バイオフォトンの効果」も期待できます。また「耳は頭部で最も横に位置」「首は縦向き」で、「頚部・後頭部・顎周辺の広範囲の緩和に有効」というのは、何かしらこの縦横の指向性が絡むのかもしれません。
更に「両耳を手の平・掌底で押さえ付ける」「同時に、蝶形骨があるこめかみや乳突部を抑える」「両手を外後頭隆起の後ろで繋ぎ、側頭部を前腕部で抑え付ける」というのは非常に有効です。
「後頭部と頚部の境」の緩和方法の1つに「外後頭隆起最下部を中心とした、後頭骨と接合部位の、気を集中させる事による共鳴振動」が考えられます。この周辺は人体で最もコリ・歪みの多い場所ですが、中々「深部まで全体が緩和する」というのは困難です。その原因は「深部の広域に関連する筋肉・組織群があるが、そこまで表面の施術では届き難い」「奥の蝶形骨・環椎(第一頚椎)・軸椎(第二頚椎)が歪んでいる」からです。なので「中核に位置する骨・骨格を、気を集めて共鳴・振動させる」のが有効です。
「後頭骨」の「外後頭隆起」は「鼻」「顎のうちの唇の範囲の縦のライン」「オトガイ」に対応すると思われます。「外後頭隆起の最下部」は「後頭骨の最下部」「頭蓋骨の底部」「後頭部と頚部の境」にありますが、ここは「オトガイ(顎の先端付近)と頚部の境」に対応すると思われます。頭蓋骨中央部の「蝶形骨」とは「蝶形後頭軟骨結合」を通じて接しています。
先ず「後頭骨・外後頭隆起」「環椎・軸椎」「蝶形骨」「後頭下筋群」と、付随する「頭蓋骨」「脊柱」の位置を把握、働きを大まかに頭に入れます。外後頭隆起の皮膚に指・手の平を当てて、血流や気血の流れを感じ、それに同調して、気を流して共鳴させていきます。付随する部位に、意識の範囲を広げていきます。
「後頭骨と接合部位の緩和」が成されると、「頭蓋骨と脊柱の正常化」「頭部・頚部・肩・鎖骨の正常化」「脳機能改善」「顔面の問題の改善」「広域の気血水の循環改善」「神経の沈静化」が齎されます。特に「外後頭隆起の緩和・頚部との境の緩和」が成されると、「オトガイ・顎・口・鼻の緩和」「頚部から顎へのうちの、特に喉とその延長部分の気血水の循環改善」が成されるでしょう。また内部にあって、非常に重要な部位で、施術が難しい「蝶形骨」「環椎・軸椎」に対しても、歪み矯正・緩和や、高波動にしていく事が出来るので、非常に良い方法だと考えられます。
上記の物のうち、特に「蝶形骨」「後頭骨」「環椎・軸椎」の歪み修正は、全情報からも隔絶された方が効果が高いです。耳を塞ぐと音が聞こえなくなりますが、「布団に潜って行う」のは有効です。
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2014-06-13T06:58:23+09:00
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