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第三部  夏休みが終わり2学期が始まっていたが、遅刻・早退・欠席は当たり前の所謂“不良校”である ベリーズ高校では、埋まっている席はまばらであった。  そんな中、朝から真面目に授業を受けていた生徒が、2時限目終わりの休み時間に、一番後ろの 席の生徒に話しかけに行った。 「熊井くん、“Tφmahawk!”って知ってる?」 「トマトを食う?」  話しかけた清水に、“トマト”と聞き間違えた熊井が、いやな顔をして聞き返した。 「トマトじゃないよ熊井くんw ト マ ホー ク」 「なんだそれ?」 「昔のバンドの名前らしいんだけど、それのコピーバンドを雅と菅谷くんと鈴木さんで始めたんだって」 「ふーん。まあ俺には関係ない話だな。じゃっ」  鞄を持って立ち上がる熊井。  「え、熊井くんもう帰るの? 珍しいね」 「だって……」 「?」 「今日暑いじゃん……」 ダラダラ ポタポタ 「そ、そうだね……」  熊井は暑さに弱かった。 キーンコーンカーンコーン  放課後。須藤、徳永、嗣永の3人が早々と下校しようと、並んで歩いている。 「あーーあ、退屈だ退屈だ。なーんか面白いことないかね~」 「面白いことって例えば?」 「別になんでもいいんだよ。最近揉め事も全然ねえし、つまんねーんだよな。体が鈍ってしょうがねーよ」 「お前大江さんにケンカ禁止されてんじゃねーのかよ」 「正義のケンカはいいんだよ。正当な理由があればいいの」 「僕、ケンカはやだな…」 「お前にそういうのは期待してねーよ。いや、お前は絡まれ易いからケンカの火種にはなるか。ムダな  ケンカだけどなw」 「はははw」 「菅谷も、前はよく一緒にケンカしてたけどさ、最近は全然だもんなー」 「あいつは今バンドにハマりつつあるからな。よーやく賭けるもんが見つかったってトコかな」 「………」  校門を少し出たところで、3人の後ろから菅谷が走ってきた。徳永が菅谷に気づき話しかけた。 「おう菅谷、お前最近バンドやってるんだってな」 「うん!夏焼くんがベースで、俺がドラムで、鈴木さんがギター。今日も今から練習なんだ!」 「それってやっぱり夏焼が2人に教えてるのか?」 「そうだよ。夏焼くんはギターもベースもドラムもすっげー上手いんだ!」 「ふーん。ちょっとは上達したのかよ?」 「うん。夏焼くんは教え方が上手だし、俺も意外と才能あるみたいw 上手くなってるって実感がある  からすげー楽しいよ」 「ふーん。うまくいってんだな。…で、お前鈴木さんとの関係はどうなんだよ? ちょっとは進展してん  のか?」 「え?鈴木さん? どうだろう。よく一緒に遊んだりはしてるけど…」 「もうセックスしたのか?」  菅谷が赤面しながら言った。 「セッk…バカ! そういうのはいいんだよ! 俺は一緒にいて楽しければそれでいいの!」  横で話を聞いていた嗣永も、赤くなっていた。  徳永はさらに話を続けた。 「は~、ガキだね~」 「いいだろ別に!人には人のペースがあるんだよ!」 「お前なー、あんまりゆっくりしてると知らねーぞ」 「え?」 「鈴木さんは確かに真面目でいい子だよ。まあ、マリマリほどじゃないけどかわいいし、スタイルもいい。  お前にはもったいないぐらいだ」 「そ、そうかな~」デヘデヘ 「けどな、お前そんな子がモテないと思うか? 男はほっとかんぜ普通」 「…? …どういうこと?」 「にぶいなお前。最近鈴木さんに近づいてる男がいるだろが」 「?」 「夏焼だよ」 「!?」 「まあ、実際お前と鈴木さんはうまくいってるんだとは思うよ。けどな、夏焼だって今まであのルックスと  甘い言葉で何人もの女を落としてきた、スーパープレイボーイなんだぜ」 「夏焼くんが鈴木さんを狙ってるって言うの?」 「「そーそー」」  不意に須藤と嗣永が話に加わってきた。 「美男美女が惹かれあうのは自然の摂理だしな…」 「夏焼くん今彼女いなかったよね…」 「まさか…そんな……」  徳永が言った。 「お前気をつけろよ~」ニヤニヤ 「気をつけろって…」 「夏焼と鈴木さんが2人っきりで練習することもあるんだろ? ギターの指使いの練習がいつの間にか  別の指使いの練習になってたりしてなw  (夏焼の真似)“鈴木さん僕の指の動きをちゃんと見てるんだよ”  (愛理の真似)“アン 夏焼くんすごい アッアン”  (夏焼の真似)“おやおや、このギターはすごくエッチな音が鳴るねぇw”  (愛理の真似)“ァン 言わないで… アッ アァァン”  (夏焼の真似)“ごめんねw菅谷くんwww”  みたいなww」 「徳永くん似てるwww」 「わっはっはww似てるwおもしれーwww」  プルプルプル… 「ざけんな!! そんなことあるわけないだろ!」 「冗談だよw本気にすんなよw」 「俺急いでるから!じゃあね!」プンプン  ハッハッハッハwwwww  菅谷は怒りながら走って行った。その姿がまた可笑しくて、3人はずっと笑っていた。 「www……はぁ…、ちょっとからかいすぎたかw」 「お前モノマネ上手いなw」  菅谷が走り去ってから、3人は再び歩き出した。  少し歩いたところで、嗣永が言った。 「でも菅谷くん最近ホント生き生きしてるよね」 「バンドねえ…面白いのかねえ…」 「お前もなんか見つけろよ徳永」 「あ? なんだよ須藤、そういうお前はなんかあんのかよ?」 「…俺?」  須藤は寸刻思いを巡らせてみた。 「さあ…よくわかんねーな」 「やっぱり。あーー退屈だーー」 「………」 「………」 「………」  ふと徳永が呟いた。 「とりあえずベリフィー行くか……」 「そうだな……」 「うん……」  都内某練習スタジオ。 ♪ ドン☆ツッタン★ ♪ベベベ♪~♪ ♪ @ドッ♪ツ×タッ ♪~~ ♪~… 「……っとs……くん!!菅谷くんストップ!!」 ハッ「え? なに?」 「“なに?”じゃないよ。さっきからモタり過ぎ。全然集中してないじゃないか」 「あ、ごめん……」 「もう、じゃあまた最初から合わせるよ」 「うん…」 カッカッカッカッ @ズンタ×タ ♪~~♪ ♪~ ♪☆♪~♪~♪♪~……★… 「(夏焼くんと鈴木さんが? まさかそんなことは…でも……)」  菅谷は先ほど徳永に言われたことが気になって、イマイチ練習に集中できずにいた。 ……~♪♪ ズンチャ×チャーン 「(やれやれ)ちょっと休憩にしようか」 「え? あ、うん…」  菅谷は“やっちゃった…”と思った。みんなで集まって、スタジオで練習できる時間は限られてるんだ から、集中しないといけないのに…。個人的なことでバンドに迷惑を掛けちゃだめだ。しかもドラムは、 バンドの屋台骨なんだから…、しっかりしなくちゃ…。と、しきりに反省していた。  沈んでいる菅谷とは対照的に、生き生きとした表情の愛理。休憩時間中も時間を無駄にしたくない と、夏焼にアドバイスをもらっていた。 「夏焼くん、ちょっと教えてほしいんだけど…」 「どこどこ?」  夏焼が愛理のもとへ近寄る。2人の接近に、菅谷は過敏に反応し、ドラム越しに見つめる。 「さっきの曲のBメロなんだけど……ここの……」 「……あー、異弦同フレットだ。ごめん、これの弾き方教えてなかったね」 「?」 「こういうフレーズのときはね、“ジョイント”っていうんだけど…」 「ふむふむ」 「で、こう関節の曲げ伸ばしで…」 「はーなるほどー。こうかー」 「うん。もうちょっとこうかな…」  夏焼が愛理に指の動かし方を教える。カクカクと妖艶に動く夏焼の指。その動きに呼応するように、 クネクネと細い指を動かす愛理。2人の指の動きは、菅谷に蛇の交尾を思わせた。 「あと、間奏のここは?」 「ここはもっと(指を)開いて……」  夏焼が愛理の指に触れ、(指の)股を開く。 「アッ…夏焼くん、これちょっときつい…」 「すぐに慣れるから。ほらもうちょっと…」  2人の指がギターのネックをギシギシと揺らす。その動きは菅谷に恋人たちの性交を思わせた。  ついに耐え切れなくなった菅谷が声を荒げた。 「き、君たち! ちょっと近づきすぎじゃないか?」 「「え?」」 「――――――!――――――――!?」 「―――――――。――――――――」 「―――――――!?」 「―――――」 「―――?」  ――  ―  ハッハッハッハwwwwwwww 「クックックw 僕が鈴木さんにアプローチするわけないだろww」 「菅谷くんおもしろーいww」 「だって徳永くんが……」 「からかわれたんだよw」  そのあとは菅谷も一応安心し、集中して練習することができた。 「じゃ、またねー」  練習後3人はスタジオを出ると、2:1に分かれて歩き出した。夏焼と菅谷は近くの楽器屋へ寄っていく ことに。愛理は、もう暗くなってきていたので、一人そのまま帰路についた。  楽器屋へ到着した夏焼と菅谷。  菅谷が夏焼にアドバイスをもらいながら、新しいスティックを選んでいる。 「……チップは、音色に関係してくるんだよね。大まかに言うと、丸っこいほど安定してて、  尖ってるほど変化が付け易いって感じかな」 「へ~」  菅谷は所持金を確認しようと、カバンを開け、サイフを取り出そうとした。 「…ん、あれ?」 「どうした?」 「これ鈴木さんの…」  カバンの中に、金色の河童がデザインされたお守りが入っていた。菅谷はそれを取り出し、 夏焼に見せた。 「これ鈴木さんがいつも大事に身に着けてるやつなんだ。なんで俺のカバン中に……」 「電話してみれば?」 「うん」  プルルル プルルル プルルル プルルル……… 「出ないや…」 「どうする?」 「……俺、走って返してくる。今ならすぐ追いつくと思うし。スティックはまた今度にするわ。ありがとね」 「うん、じゃあお疲れ」 「じゃあね」  ♪フンフンフーン♪~♪~ 「(あー今日も楽しかったなー)」  楽しかった練習を思い返し、上機嫌で帰る愛理。 「(菅谷くんヤキモチ焼いてたしw)」  ブーーー ブーーー ブーーー ブーーー………  カバンの中で、携帯のバイブが着信を知らせている。愛理はそれに気づかない。   「………いでるな。どうする?」   「………だけ………難しそうだ」   「とりあえず…」    男の目が怪しく光った。   「さらっちゃえ」 「近道しよっと」  愛理は、ひと気の無い脇道へ入って行った。  するとその直後、後を追うように1台のハイエースが同じ道へ入って行った。ハイエースは愛理を 5メートルほど追い越したところで、脇に寄って静かに停まった。  愛理はその車を特に気にもせず、横を通り過ぎた。そのとき…  ハイエースのスライドドアが開くや否や、中から勢いよく3人の男達が飛び出した。  愛理の腕に、背後から男の手が伸びる。 「?」  その瞬間、愛理は何かを感じ取り、素早く身を捻った。  結果、男の手は空を掴むことに。  愛理が完全に後ろを振り返ると、そこには3人の男達。愛理は、いきなり面前に現れた怪しい男達を 鋭い目つきで睨み、混乱しながらも自分が置かれている状況を把握しようと努めた。 「(なにこの人たち?あの車から出てきた?今わたしの腕を掴もうとした?………?………)」  しかし、もちろん愛理には悠長に考える時間は与えられていなかった。  先ほど愛理の腕を掴もうとした男が一歩踏み出し、再び愛理を掴もうと手を伸ばす。  その動きを見て危険を感じた愛理は、迷わず声を上げた。 「キャァァァーーーーー!!誰か助けてーー!!」  よく通る愛理の声が、辺りに響き渡る。  声を上げられて焦る男達。一人が愛理の口を塞ぎにかかる。  愛理は逃げようとするが、三方を囲まれ逃げることができない。悲鳴を出し続けながら必死に抵抗 する。  しかし力の差は明らか。  男達は、手間取りながらもなんとか愛理を抱きかかえ、車の中へ引き込むことに成功したと思った が、その寸前  一人の男が股間を掻きながら駆けつけた。 「おい!!なにやってんだ!!」 「菅谷くん!!」 「ちっ」  菅谷が鬼の形相で突進し、 「オラァ!!」 「ぐぉっ…」  跳び蹴りを、愛理の足を抱えていた男に食らわせた。さらに、愛理を背中から抱えていた男に殴り かかる。その攻撃自体はダメージを与えることはできなかったが、男たちを愛理から引き離すことに 成功した。 「なんなんだお前ら!鈴木さんに触んじゃねえ!!」  だが、菅谷の剣幕に全く気圧されることなく、男の一人が逆に殴りかかってきた。  その大振りのパンチを、空手の受けで捌く菅谷。 「(くそっ、なんだよこいつら!3人ともぶっ殺す!)ぅおおおおお!」  一人が菅谷と戦っている。その間に他の男が再び愛理の腕を掴み、車に引き込もうとする。 「キャッ! やめてっ!」  愛理の悲鳴が聞こえた瞬間、菅谷は素早く振り返り、愛理の腕を掴んでいる男と瞬時に間合いを 詰め、顔面に正拳突きをクリーンヒットさせた。 ボゴッ  が、次の瞬間、その正拳の甲の辺りに、横にいたもう一人の男が、棒状の武器を振り下ろした。  メキィ 「ぐっ…」 「キャーーーーー!!」  さらにその男は、菅谷に鋭い中段蹴りを放った。  ボスッ 「うぁっ…」 「キャッ」  蹴りをくらった菅谷はよろけて、隣にいた愛理を巻き込み一緒に倒れた。そしてその際、愛理を 守るために先ほど痛めた手をついてしまった。  バキィ 「いっ…」  菅谷は素早く立ち上がり反撃を試みるが、敵は今度は3人で一斉に菅谷に向かってきた。  三方から攻撃されては、手負いの菅谷になす術はなかった。みるみる劣勢になりダメージは蓄積。 敗色が濃厚になっていく…。  だが菅谷は、ボロボロになりながらも、目だけは死んでいなかった。必死に愛理を守ろうと、 気力だけで耐えていた。 「おいそこ!!なにやってんだ!!」  菅谷の気力も限界に近づいた頃、その場に警官が通りかかった。 「しょうがねえ、引き上げるぞ」  車の中からの、その一言で、暴漢たちは全員素早く車に乗り込んだ。そしてすぐさま車は発進し、 遠ざかっていった。 「くそっ!逃げんな!!」 「君ひどい怪我してるじゃないか!」 「菅谷くん病院行かないと…骨が……」 「くそおおおぉぉぉ!!」 「動かないで! 救急車呼ぶからじっとしてて!!」  ピーポーピーポーピーポー……  菅谷は、警官が呼んだ救急車に乗せられ、病院へ運ばれた。  右橈尺骨遠位端開放骨折。  右手首の骨を折られ、その折れた骨が皮膚を突き破り体外に飛び出ていた。  感染症の危険性があるので、病院ではすぐに手術が行なわれた。麻酔後に洗浄・消毒。その後 骨の位置を戻して、ワイヤーで固定。全治3ヶ月と診断された。  菅谷に付き添って一緒に病院へ来ていた愛理。 「私が襲われていたところを彼が助けてくれて……」  手術中に、愛理は警官にいきさつを訊かれていた。  菅谷の家には警官から連絡が行った。  菅谷の親は病院に到着し、入院の手続きなどを終えたあと、警官から事件の経緯や今後の ことに関する説明を受けた。  また菅谷自身も手術後、警官にいきさつを訊かれたり、説明を受けたりした。  一通り落ち着いてから、愛理は夏焼に電話をかけた。 「夏焼くん……」 「どうしたの鈴木さん?」 「菅谷くんが――――」 「そんな……」 「――――」 「うん……」 「――――」 「わかった…」 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみ…」  突然の悲報に、夏焼も少なからずショックを受け、ただただ呆然としていた。とりあえず、その日の 面会時間は既に終わっていたので、夏焼は翌日見舞いに行くことにした。  コンコン 「菅谷くんわたし、入るね…」  愛理が病室に入ると、中で菅谷はベッドに横たわっていた。  菅谷は何か考え事でもしているように、ボーっと天井を見つめていた。愛理を襲った男たちへの 怒りは、一旦は収まったようだ。手術を受けた右手には包帯が巻かれ、そこから固定するための 金属パーツが飛び出ている。  そんな菅谷を見て、何も言い出せずにいた愛理。声を絞り出すように話し始めた。 「…ごめんね……。わたしのせいd」 「鈴木さん、来週もスタジオ予約しといてね」話を遮るように菅谷が言った。 「え…?」 「こんなのすぐ治すから…またすぐ練習しよう」 「菅谷くんその怪我じゃ…」 「できる」 「無茶だよ。全治3ヶ月だって…」 「できるよ」 「無理したら手動かなくなちゃうよ!」 「できるって!!」 「!」ビクッ 「…くそっ、どうして…なんで今……。やっと…やっと上手くなってきたのに……」 「菅谷く…ん……」 「うっ、うっうっ……」  2人はしばらくの間、涙が溢れ出るのを止めることができなかった。  翌日。ベリーズ高校。  夏焼の席の周りに人だかりができている。 「菅谷が手首折られたって?どうしたんだ?誰にやられたんだ?」興奮した面持ちで問いかける徳永。 「僕も鈴木さんから電話で聞いただけだから、詳しくは知らないんだけど…、昨日バンドの練習のあと 鈴木さんが家に帰る途中で、停まってた車から男たちが3人、飛び出してきて襲われたらしいんだ…。 鈴木さんが車の中に引き込まれそうになったところに、菅谷くんが通りかかって、ケンカになったらしい んだけど……」 「3人か……」須藤が静かに怒りに震えている。 「菅谷くんも始めは善戦してたらしいんだけど、相手の一人が警棒みたいなのを持ってて、それで右手を やられてからは一方的だったって……」 「……」ボキッ 熊井が怒りを隠せず、無言で鉛筆を折った。 「そのやられた右手首の骨折が一番重傷で、全治3ヶ月だって……」 「3ヶ月…、それじゃあキュー学の文化祭でのライブは……」清水が訊いた。 「……」夏焼は何も言わずに首を横に振った。 「相手はどんな奴だったの…?」嗣永が怯えながら尋ねた。 「菅谷くんが戦った3人とは別にドライバーがいたらしい。だから人数は少なくても4人。暗かったし、 菅谷くんも鈴木さんも顔はよく覚えてないらしいんだけど、年は大体僕らと同じか、少し上ぐらいみたい。 車は白のハイエースで、ナンバーは不明。僕も自分の情報網を使って調べてみたんだけど、それ以上は 何も分からないんだ……」 「僕もちょっと調べてみるよ」と清水が言った。 「ああ、頼むよ……」  怒りと悲しみと落胆で、場が暗い雰囲気に。会話もしばし止まった。  嗣永が、場を明るくするように言った。 「みんなで菅谷くんのお見舞い行こうか」 「おお、エロ本でも差し入れに行ってやろうぜ!w」と、徳永。  夏焼が暗い顔のまま言った。 「鈴木さんがメールで教えてくれたんだけど…、菅谷くん結構落ち込んでるらしい…。ちょっと時間置いた 方がいいかもって……」 「そっか……」 「……」  ドヨ--ン  3日後。ベリーズ高校。  今日も夏焼の周りには、自然と人が集まっている。  その周りのみんなに向けて夏焼が言った。 「そろそろ菅谷くんのお見舞いに行こうと思ってるんだけど、誰か一緒に行く?」 「おお、行く行く!」と言ったのは徳永で、「僕も! 僕も行きたい!」と言ったのは嗣永。  他のメンバーも口々に参加の意を伝えたり、見舞いの品等の相談をしたりしている。  そんな会話が繰り広げられている教室へ、ポリポリという音が近づいてきた。 「うぃーっす」 「菅谷!!」 「菅谷くん!」 「おお菅谷!」 「今、菅谷くんのお見舞いに行こうって話してたんだよ」 「菅谷くん 、もう大丈夫なのかい?」 「もう退院できたのか?」  笑顔で頷いて答える菅谷。 「もう元気元気。菅谷絶好調w 一度退院して経過を診て、今週末もう一度手術するんだって」 「でもすごいギプス…」と嗣永が言った。 「こんなの全然大したことないって。右手でオナニーができないのが辛いだけw」と、菅谷がギプスで 固定されている手を見せるながら言う。その声は不自然なほど明るい。 「通院とリハビリをちゃんと続ければ、元通り動くようになるらしいし。なんかごめんね、みんなに余計 な心配かけちゃって」  それを聞いて熊井が言った。 「でも完治するまで3ヶ月もかかるんだろ? キュー学の文化祭でドラム叩けねえじゃねーか。あんだけ 練習してたのに……」  さらに徳永が続ける。 「襲ってきた奴等を見つけ出して、仕返ししようぜ」  菅谷は即答した。 「そんなのいいって! 鈴木さんは無事だったんだし、俺のケガも、3ヶ月なんてすぐだし。キュー学の 文化祭でドラムはやっぱり無理みたいだけど… だからさ、―――――!―――――。―――――!」 「菅谷くん…君ってやつは……」 「……」 「俺の代わりにドラムやってください! お願いします!」  休み時間。菅谷が頭を下げ、必死に頼み込んでいる。  菅谷はバンドを諦めていなかった。文化祭で自分がドラムを叩くのは無理だという現実を受けとめ、 “ならば別の人に託そう”自然とそう思い至った。  ドラムを叩くのは自分じゃなくてもいい。バンドを終わらせたくない。その思いが菅谷を動かしていた。  だが、キュー学文化祭まで残り3ヶ月。全くの初心者が一から始めるのでは間に合わない。いや、 やる気と才能次第では無理ではないが、現実的には厳しい…。あるいは、“間に合わせるだけ”で あれば、アレンジを簡単にしたり、細かい部分には目をつぶるという選択肢もあるが、それは菅谷たち の本意ではなかった。  かなりのやる気と才能、もしくは既に一定のレベルに達している人物を必要としていた。  放課後も菅谷は、いろんな場所へ出向き、積極的に声をかけた。  だが一向に見つからない。代役探しは難航した。 「そこんとこどうにか…」 「ごめん忙しい」 「どうしてもだめ?」 「無理無理」 「そのライブまででいいんだけど…」 「興味ない」 「――――――――」 「――――――」  ――――  ―――  ――  ― 「はあ……」  菅谷が自分の代役探しを始めてから3日が経過した。心当たりの全てに声をかけたが、依然として 見つからず、完全に行き詰まっていた。  他の楽器に比べて、ドラムをやってる人は少ない。中でも上手い人は多くのバンドからひっぱりだこ で、掴まえるのが難しい。  菅谷たち自身が恐れられていることや、Tφmahawk!という、一般的には無名なバンドのコピーバンド という点も断られる理由になっていた。 「もう…だめなのかな……」菅谷がポツリとつぶやいた。 「もう諦めれば? お前はすげぇ頑張ったと思うよ」と、隣にいた徳永が言った。 「……」  そこへ、離れたところから菅谷を見ていた嗣永が、もじもじしながら声をかけた。 「菅谷くん…、あの…ぼくでよければ…」 「え?」 「ドラム…」  菅谷は戸惑った。あちこち探し回って見つからなかった自分の代役に、自ら申し出てくれる人が現れた。 それもいきなり、ごく身近なところから。しかしその相手は嗣永……。嗣永にドラムができるだろうか…。  徳永が、菅谷と同じように思って言った。 「お前じゃドラムなんかムリだろ。体力ねえし、根性ねえし」 「…実はぼく……」  ドンツッタン ツタツタ ドンタッツタ ドコドコジャーン ♪~~  ベリ高軽音部のドラムを借りて、嗣永が16ビートを叩いている。ものすごく上手いというほどでは ないが、一聴して初心者ではないと分かる、無駄のないしなやかな演奏。  菅谷が「速くて正確……フィーリングもある…」と、つぶやいた。 「嗣永にこんな才能があったとは……」と驚き、感心したのは徳永。  夏焼は、嗣永の実力を測るかのように、演奏にじっと耳を傾けている。  チキチキタツタタン タツタタカタカ チキチキタツタタン タツタタカタカ ♪~~          …ボボン ♪  突如夏焼がベースを弾き出した。嗣永に視線を向け、誘うようにゆったりとしたフレーズを奏でる。 「(速く叩けるだけじゃ意味がないぞ嗣永。スローなグルーブのツボも押さえてなくちゃな)」  ベースの音に気づいた嗣永が夏焼の方を見る。  2人がアイコンタクトを取る。  ボボンボボ♪      ドッパァン♪  嗣永が夏焼の弾くフレーズに合わせていく。次第に心地よいグルーヴが生まれ、ドラムとベースの 音が溶け合っていく――。  ボンパボボッパァン ボツタボボンツタ ♪~~ 「嗣永すげぇ……」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~  夏焼が尋ねた。 「嗣永、お前ドラムどれぐらいやってたんだ?」 「う~ん…ちゃんと練習してたのは1年ぐらいかなぁ…。小学生の時、近所にまことさんっていうドラム やってるお兄さんが住んでて、その人に教えてもらってたんだ。その人が引っ越していなくなってからは、 一人でたまに練習してたぐらい」 「お前んち音楽一家なのか?」 「ううん、全然。弟はサッカーやってるよ」  終始笑顔で答える嗣永。 「ブランクあるし、自信無いんだけど…またドラムやりたいなって……」ニコニコ  早速愛理も交え、スタジオでみんなで練習することになった。 ドン ドン…タンタカタタンタカタ…ツッツッ ツチ-ツチ-…ドッタン ツタツタ ドンタッツタツタ……  嗣永がドラムのセッティングとウォームアップを行っている。  初めて嗣永と練習する愛理は、その様子が気になりチラチラと見ている。  そんな愛理に、後ろから菅谷が話しかけた。 「ほら、鈴木さん、嗣永昔ドラムやってたんだって。既に僕より上手いかもよ ハハハ…」 「……」 カン カララン 「あ…」コロコロ  嗣永がバスドラムの上に置いていたスティックが、床に落ちて転がった。 「あ、俺拾うよ!」  菅谷が拾いに行った。  菅谷が嗣永にひどく気を使うような態度、明るい振る舞い、どこか翳のある笑顔――。それらが、 卑屈な感じで痛々しい。愛理の目にはそう映っていた。 「……」  夏焼が愛理にだけ聞こえるように言った。 「君と、君のおじいさんを思ってやってくれてるんだ。むりやり明るく振る舞って…。彼が一番悔しい はずなのに……」 「菅谷くん……」 「嗣永、なんか手伝うことあったら言ってね」 「うん、ありがとう」  夏焼と愛理は、菅谷の献身的な行動を受けて、菅谷の分も一層頑張ろうと心に誓った。  一方、菅谷自身にはそれほど“献身”という意識はなく、むしろ自分のための行動でもあった。  最初は流れで始めたバンド活動だったが、続けるうちにドラムがどんどん好きになり、さらには バンドを、バンド活動自体を好きになっていた。  そんな彼にとっては、ドラムが叩けなくなった今、ローディーやマネージャーなどのサポート役に 回るのは自然な行動だった。純粋にバンドを応援し、ライブの成功を願っていた。  また、週末に行われた菅谷の再手術は無事に成功し、術後も順調に回復していった。  個室に二人っきりの男と男。荒い息づかいと、流れ落ちる汗……。 「ハァハァ…夏焼くん、もうだめ……」 「まだだ」 「ハァ…もう限界だよぉ…ハァハァ…」 「まだ我慢しろって…」 「ハァハァ…も、もう…、ぼく……あーん……」  ――――――――――――――― 「ちょっと休憩するか」 「うん…ハァ…お手洗い行ってくる…… ハァハァ」  夏焼と嗣永が2人で練習している。と言うよりは、嗣永の個人練習に夏焼がつきあっている。  基本的なことは全て問題なくできた嗣永だが、まずは曲を一から憶える必要があった。また、 ところどころ出てくる難しいリズム・パターンやフィルインは個別に練習しなくてはならなかった。  そしてもう一つ、嗣永には重大な問題があった。 「(バンド練習後の個人練習はやはりキツいか…。嗣永は技術面はどうにかなりそうだが、体力 面がな…。けど頑張ってもらうしかない。ライブでドラムがへばっていてはどうにもならん…)」  バンドのリズムにおいて、ドラムが最も重要なパートであるのは言うまでもない。ライブを“通して 安定して”こなせる体力。それを、嗣永は本番までに物にする必要があった。 「(しかしあの嗣永がここまで頑張るとは……)」 ガチャッ  嗣永が戻ってきた。頭にはタオルが巻かれている。 「よーーーし、あと1時間!! いくよ夏焼くん!!」 「へぇ~。嗣永まだ気合充分だね」 「当然だよ。この気合と才能が同居する男・嗣永!」 「なんだそれw」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~ 「どうした!リズムがモタってきたぞ!!」 「くそっ」 「指先まで神経使え!!」 「うん!」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~  熊井たちとつるむようになって以来、不良にからまれたりカツアゲされてるところをいつも助けて もらっていた嗣永。  そんな彼にとって、ドラムの練習は楽しかった。夏焼や菅谷の助けになれることが嬉しかった。
第三部(前)  夏休みが終わり2学期が始まっていたが、遅刻・早退・欠席は当たり前の所謂“不良校”である ベリーズ高校では、埋まっている席はまばらであった。  そんな中、朝から真面目に授業を受けていた生徒が、2時限目終わりの休み時間に、一番後ろの 席の生徒に話しかけに行った。 「熊井くん、“Tφmahawk!”って知ってる?」 「トマトを食う?」  話しかけた清水に、“トマト”と聞き間違えた熊井が、いやな顔をして聞き返した。 「トマトじゃないよ熊井くんw ト マ ホー ク」 「なんだそれ?」 「昔のバンドの名前らしいんだけど、それのコピーバンドを雅と菅谷くんと鈴木さんで始めたんだって」 「ふーん。まあ俺には関係ない話だな。じゃっ」  鞄を持って立ち上がる熊井。  「え、熊井くんもう帰るの? 珍しいね」 「だって……」 「?」 「今日暑いじゃん……」 ダラダラ ポタポタ 「そ、そうだね……」  熊井は暑さに弱かった。 キーンコーンカーンコーン  放課後。須藤、徳永、嗣永の3人が早々と下校しようと、並んで歩いている。 「あーーあ、退屈だ退屈だ。なーんか面白いことないかね~」 「面白いことって例えば?」 「別になんでもいいんだよ。最近揉め事も全然ねえし、つまんねーんだよな。体が鈍ってしょうがねーよ」 「お前大江さんにケンカ禁止されてんじゃねーのかよ」 「正義のケンカはいいんだよ。正当な理由があればいいの」 「僕、ケンカはやだな…」 「お前にそういうのは期待してねーよ。いや、お前は絡まれ易いからケンカの火種にはなるか。ムダな  ケンカだけどなw」 「はははw」 「菅谷も、前はよく一緒にケンカしてたけどさ、最近は全然だもんなー」 「あいつは今バンドにハマりつつあるからな。よーやく賭けるもんが見つかったってトコかな」 「………」  校門を少し出たところで、3人の後ろから菅谷が走ってきた。徳永が菅谷に気づき話しかけた。 「おう菅谷、お前最近バンドやってるんだってな」 「うん!夏焼くんがベースで、俺がドラムで、鈴木さんがギター。今日も今から練習なんだ!」 「それってやっぱり夏焼が2人に教えてるのか?」 「そうだよ。夏焼くんはギターもベースもドラムもすっげー上手いんだ!」 「ふーん。ちょっとは上達したのかよ?」 「うん。夏焼くんは教え方が上手だし、俺も意外と才能あるみたいw 上手くなってるって実感がある  からすげー楽しいよ」 「ふーん。うまくいってんだな。…で、お前鈴木さんとの関係はどうなんだよ? ちょっとは進展してん  のか?」 「え?鈴木さん? どうだろう。よく一緒に遊んだりはしてるけど…」 「もうセックスしたのか?」  菅谷が赤面しながら言った。 「セッk…バカ! そういうのはいいんだよ! 俺は一緒にいて楽しければそれでいいの!」  横で話を聞いていた嗣永も、赤くなっていた。  徳永はさらに話を続けた。 「は~、ガキだね~」 「いいだろ別に!人には人のペースがあるんだよ!」 「お前なー、あんまりゆっくりしてると知らねーぞ」 「え?」 「鈴木さんは確かに真面目でいい子だよ。まあ、マリマリほどじゃないけどかわいいし、スタイルもいい。  お前にはもったいないぐらいだ」 「そ、そうかな~」デヘデヘ 「けどな、お前そんな子がモテないと思うか? 男はほっとかんぜ普通」 「…? …どういうこと?」 「にぶいなお前。最近鈴木さんに近づいてる男がいるだろが」 「?」 「夏焼だよ」 「!?」 「まあ、実際お前と鈴木さんはうまくいってるんだとは思うよ。けどな、夏焼だって今まであのルックスと  甘い言葉で何人もの女を落としてきた、スーパープレイボーイなんだぜ」 「夏焼くんが鈴木さんを狙ってるって言うの?」 「「そーそー」」  不意に須藤と嗣永が話に加わってきた。 「美男美女が惹かれあうのは自然の摂理だしな…」 「夏焼くん今彼女いなかったよね…」 「まさか…そんな……」  徳永が言った。 「お前気をつけろよ~」ニヤニヤ 「気をつけろって…」 「夏焼と鈴木さんが2人っきりで練習することもあるんだろ? ギターの指使いの練習がいつの間にか  別の指使いの練習になってたりしてなw  (夏焼の真似)“鈴木さん僕の指の動きをちゃんと見てるんだよ”  (愛理の真似)“アン 夏焼くんすごい アッアン”  (夏焼の真似)“おやおや、このギターはすごくエッチな音が鳴るねぇw”  (愛理の真似)“ァン 言わないで… アッ アァァン”  (夏焼の真似)“ごめんねw菅谷くんwww”  みたいなww」 「徳永くん似てるwww」 「わっはっはww似てるwおもしれーwww」  プルプルプル… 「ざけんな!! そんなことあるわけないだろ!」 「冗談だよw本気にすんなよw」 「俺急いでるから!じゃあね!」プンプン  ハッハッハッハwwwww  菅谷は怒りながら走って行った。その姿がまた可笑しくて、3人はずっと笑っていた。 「www……はぁ…、ちょっとからかいすぎたかw」 「お前モノマネ上手いなw」  菅谷が走り去ってから、3人は再び歩き出した。  少し歩いたところで、嗣永が言った。 「でも菅谷くん最近ホント生き生きしてるよね」 「バンドねえ…面白いのかねえ…」 「お前もなんか見つけろよ徳永」 「あ? なんだよ須藤、そういうお前はなんかあんのかよ?」 「…俺?」  須藤は寸刻思いを巡らせてみた。 「さあ…よくわかんねーな」 「やっぱり。あーー退屈だーー」 「………」 「………」 「………」  ふと徳永が呟いた。 「とりあえずベリフィー行くか……」 「そうだな……」 「うん……」  都内某練習スタジオ。 ♪ ドン☆ツッタン★ ♪ベベベ♪~♪ ♪ @ドッ♪ツ×タッ ♪~~ ♪~… 「……っとs……くん!!菅谷くんストップ!!」 ハッ「え? なに?」 「“なに?”じゃないよ。さっきからモタり過ぎ。全然集中してないじゃないか」 「あ、ごめん……」 「もう、じゃあまた最初から合わせるよ」 「うん…」 カッカッカッカッ @ズンタ×タ ♪~~♪ ♪~ ♪☆♪~♪~♪♪~……★… 「(夏焼くんと鈴木さんが? まさかそんなことは…でも……)」  菅谷は先ほど徳永に言われたことが気になって、イマイチ練習に集中できずにいた。 ……~♪♪ ズンチャ×チャーン 「(やれやれ)ちょっと休憩にしようか」 「え? あ、うん…」  菅谷は“やっちゃった…”と思った。みんなで集まって、スタジオで練習できる時間は限られてるんだ から、集中しないといけないのに…。個人的なことでバンドに迷惑を掛けちゃだめだ。しかもドラムは、 バンドの屋台骨なんだから…、しっかりしなくちゃ…。と、しきりに反省していた。  沈んでいる菅谷とは対照的に、生き生きとした表情の愛理。休憩時間中も時間を無駄にしたくない と、夏焼にアドバイスをもらっていた。 「夏焼くん、ちょっと教えてほしいんだけど…」 「どこどこ?」  夏焼が愛理のもとへ近寄る。2人の接近に、菅谷は過敏に反応し、ドラム越しに見つめる。 「さっきの曲のBメロなんだけど……ここの……」 「……あー、異弦同フレットだ。ごめん、これの弾き方教えてなかったね」 「?」 「こういうフレーズのときはね、“ジョイント”っていうんだけど…」 「ふむふむ」 「で、こう関節の曲げ伸ばしで…」 「はーなるほどー。こうかー」 「うん。もうちょっとこうかな…」  夏焼が愛理に指の動かし方を教える。カクカクと妖艶に動く夏焼の指。その動きに呼応するように、 クネクネと細い指を動かす愛理。2人の指の動きは、菅谷に蛇の交尾を思わせた。 「あと、間奏のここは?」 「ここはもっと(指を)開いて……」  夏焼が愛理の指に触れ、(指の)股を開く。 「アッ…夏焼くん、これちょっときつい…」 「すぐに慣れるから。ほらもうちょっと…」  2人の指がギターのネックをギシギシと揺らす。その動きは菅谷に恋人たちの性交を思わせた。  ついに耐え切れなくなった菅谷が声を荒げた。 「き、君たち! ちょっと近づきすぎじゃないか?」 「「え?」」 「――――――!――――――――!?」 「―――――――。――――――――」 「―――――――!?」 「―――――」 「―――?」  ――  ―  ハッハッハッハwwwwwwww 「クックックw 僕が鈴木さんにアプローチするわけないだろww」 「菅谷くんおもしろーいww」 「だって徳永くんが……」 「からかわれたんだよw」  そのあとは菅谷も一応安心し、集中して練習することができた。 「じゃ、またねー」  練習後3人はスタジオを出ると、2:1に分かれて歩き出した。夏焼と菅谷は近くの楽器屋へ寄っていく ことに。愛理は、もう暗くなってきていたので、一人そのまま帰路についた。  楽器屋へ到着した夏焼と菅谷。  菅谷が夏焼にアドバイスをもらいながら、新しいスティックを選んでいる。 「……チップは、音色に関係してくるんだよね。大まかに言うと、丸っこいほど安定してて、  尖ってるほど変化が付け易いって感じかな」 「へ~」  菅谷は所持金を確認しようと、カバンを開け、サイフを取り出そうとした。 「…ん、あれ?」 「どうした?」 「これ鈴木さんの…」  カバンの中に、金色の河童がデザインされたお守りが入っていた。菅谷はそれを取り出し、 夏焼に見せた。 「これ鈴木さんがいつも大事に身に着けてるやつなんだ。なんで俺のカバン中に……」 「電話してみれば?」 「うん」  プルルル プルルル プルルル プルルル……… 「出ないや…」 「どうする?」 「……俺、走って返してくる。今ならすぐ追いつくと思うし。スティックはまた今度にするわ。ありがとね」 「うん、じゃあお疲れ」 「じゃあね」  ♪フンフンフーン♪~♪~ 「(あー今日も楽しかったなー)」  楽しかった練習を思い返し、上機嫌で帰る愛理。 「(菅谷くんヤキモチ焼いてたしw)」  ブーーー ブーーー ブーーー ブーーー………  カバンの中で、携帯のバイブが着信を知らせている。愛理はそれに気づかない。   「………いでるな。どうする?」   「………だけ………難しそうだ」   「とりあえず…」    男の目が怪しく光った。   「さらっちゃえ」 「近道しよっと」  愛理は、ひと気の無い脇道へ入って行った。  するとその直後、後を追うように1台のハイエースが同じ道へ入って行った。ハイエースは愛理を 5メートルほど追い越したところで、脇に寄って静かに停まった。  愛理はその車を特に気にもせず、横を通り過ぎた。そのとき…  ハイエースのスライドドアが開くや否や、中から勢いよく3人の男達が飛び出した。  愛理の腕に、背後から男の手が伸びる。 「?」  その瞬間、愛理は何かを感じ取り、素早く身を捻った。  結果、男の手は空を掴むことに。  愛理が完全に後ろを振り返ると、そこには3人の男達。愛理は、いきなり面前に現れた怪しい男達を 鋭い目つきで睨み、混乱しながらも自分が置かれている状況を把握しようと努めた。 「(なにこの人たち?あの車から出てきた?今わたしの腕を掴もうとした?………?………)」  しかし、もちろん愛理には悠長に考える時間は与えられていなかった。  先ほど愛理の腕を掴もうとした男が一歩踏み出し、再び愛理を掴もうと手を伸ばす。  その動きを見て危険を感じた愛理は、迷わず声を上げた。 「キャァァァーーーーー!!誰か助けてーー!!」  よく通る愛理の声が、辺りに響き渡る。  声を上げられて焦る男達。一人が愛理の口を塞ぎにかかる。  愛理は逃げようとするが、三方を囲まれ逃げることができない。悲鳴を出し続けながら必死に抵抗 する。  しかし力の差は明らか。  男達は、手間取りながらもなんとか愛理を抱きかかえ、車の中へ引き込むことに成功したと思った が、その寸前  一人の男が股間を掻きながら駆けつけた。 「おい!!なにやってんだ!!」 「菅谷くん!!」 「ちっ」  菅谷が鬼の形相で突進し、 「オラァ!!」 「ぐぉっ…」  跳び蹴りを、愛理の足を抱えていた男に食らわせた。さらに、愛理を背中から抱えていた男に殴り かかる。その攻撃自体はダメージを与えることはできなかったが、男たちを愛理から引き離すことに 成功した。 「なんなんだお前ら!鈴木さんに触んじゃねえ!!」  だが、菅谷の剣幕に全く気圧されることなく、男の一人が逆に殴りかかってきた。  その大振りのパンチを、空手の受けで捌く菅谷。 「(くそっ、なんだよこいつら!3人ともぶっ殺す!)ぅおおおおお!」  一人が菅谷と戦っている。その間に他の男が再び愛理の腕を掴み、車に引き込もうとする。 「キャッ! やめてっ!」  愛理の悲鳴が聞こえた瞬間、菅谷は素早く振り返り、愛理の腕を掴んでいる男と瞬時に間合いを 詰め、顔面に正拳突きをクリーンヒットさせた。 ボゴッ  が、次の瞬間、その正拳の甲の辺りに、横にいたもう一人の男が、棒状の武器を振り下ろした。  メキィ 「ぐっ…」 「キャーーーーー!!」  さらにその男は、菅谷に鋭い中段蹴りを放った。  ボスッ 「うぁっ…」 「キャッ」  蹴りをくらった菅谷はよろけて、隣にいた愛理を巻き込み一緒に倒れた。そしてその際、愛理を 守るために先ほど痛めた手をついてしまった。  バキィ 「いっ…」  菅谷は素早く立ち上がり反撃を試みるが、敵は今度は3人で一斉に菅谷に向かってきた。  三方から攻撃されては、手負いの菅谷になす術はなかった。みるみる劣勢になりダメージは蓄積。 敗色が濃厚になっていく…。  だが菅谷は、ボロボロになりながらも、目だけは死んでいなかった。必死に愛理を守ろうと、 気力だけで耐えていた。 「おいそこ!!なにやってんだ!!」  菅谷の気力も限界に近づいた頃、その場に警官が通りかかった。 「しょうがねえ、引き上げるぞ」  車の中からの、その一言で、暴漢たちは全員素早く車に乗り込んだ。そしてすぐさま車は発進し、 遠ざかっていった。 「くそっ!逃げんな!!」 「君ひどい怪我してるじゃないか!」 「菅谷くん病院行かないと…骨が……」 「くそおおおぉぉぉ!!」 「動かないで! 救急車呼ぶからじっとしてて!!」  ピーポーピーポーピーポー……  菅谷は、警官が呼んだ救急車に乗せられ、病院へ運ばれた。  右橈尺骨遠位端開放骨折。  右手首の骨を折られ、その折れた骨が皮膚を突き破り体外に飛び出ていた。  感染症の危険性があるので、病院ではすぐに手術が行なわれた。麻酔後に洗浄・消毒。その後 骨の位置を戻して、ワイヤーで固定。全治3ヶ月と診断された。  菅谷に付き添って一緒に病院へ来ていた愛理。 「私が襲われていたところを彼が助けてくれて……」  手術中に、愛理は警官にいきさつを訊かれていた。  菅谷の家には警官から連絡が行った。  菅谷の親は病院に到着し、入院の手続きなどを終えたあと、警官から事件の経緯や今後の ことに関する説明を受けた。  また菅谷自身も手術後、警官にいきさつを訊かれたり、説明を受けたりした。  一通り落ち着いてから、愛理は夏焼に電話をかけた。 「夏焼くん……」 「どうしたの鈴木さん?」 「菅谷くんが――――」 「そんな……」 「――――」 「うん……」 「――――」 「わかった…」 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみ…」  突然の悲報に、夏焼も少なからずショックを受け、ただただ呆然としていた。とりあえず、その日の 面会時間は既に終わっていたので、夏焼は翌日見舞いに行くことにした。  コンコン 「菅谷くんわたし、入るね…」  愛理が病室に入ると、中で菅谷はベッドに横たわっていた。  菅谷は何か考え事でもしているように、ボーっと天井を見つめていた。愛理を襲った男たちへの 怒りは、一旦は収まったようだ。手術を受けた右手には包帯が巻かれ、そこから固定するための 金属パーツが飛び出ている。  そんな菅谷を見て、何も言い出せずにいた愛理。声を絞り出すように話し始めた。 「…ごめんね……。わたしのせいd」 「鈴木さん、来週もスタジオ予約しといてね」話を遮るように菅谷が言った。 「え…?」 「こんなのすぐ治すから…またすぐ練習しよう」 「菅谷くんその怪我じゃ…」 「できる」 「無茶だよ。全治3ヶ月だって…」 「できるよ」 「無理したら手動かなくなちゃうよ!」 「できるって!!」 「!」ビクッ 「…くそっ、どうして…なんで今……。やっと…やっと上手くなってきたのに……」 「菅谷く…ん……」 「うっ、うっうっ……」  2人はしばらくの間、涙が溢れ出るのを止めることができなかった。  翌日。ベリーズ高校。  夏焼の席の周りに人だかりができている。 「菅谷が手首折られたって?どうしたんだ?誰にやられたんだ?」興奮した面持ちで問いかける徳永。 「僕も鈴木さんから電話で聞いただけだから、詳しくは知らないんだけど…、昨日バンドの練習のあと 鈴木さんが家に帰る途中で、停まってた車から男たちが3人、飛び出してきて襲われたらしいんだ…。 鈴木さんが車の中に引き込まれそうになったところに、菅谷くんが通りかかって、ケンカになったらしい んだけど……」 「3人か……」須藤が静かに怒りに震えている。 「菅谷くんも始めは善戦してたらしいんだけど、相手の一人が警棒みたいなのを持ってて、それで右手を やられてからは一方的だったって……」 「……」ボキッ 熊井が怒りを隠せず、無言で鉛筆を折った。 「そのやられた右手首の骨折が一番重傷で、全治3ヶ月だって……」 「3ヶ月…、それじゃあキュー学の文化祭でのライブは……」清水が訊いた。 「……」夏焼は何も言わずに首を横に振った。 「相手はどんな奴だったの…?」嗣永が怯えながら尋ねた。 「菅谷くんが戦った3人とは別にドライバーがいたらしい。だから人数は少なくても4人。暗かったし、 菅谷くんも鈴木さんも顔はよく覚えてないらしいんだけど、年は大体僕らと同じか、少し上ぐらいみたい。 車は白のハイエースで、ナンバーは不明。僕も自分の情報網を使って調べてみたんだけど、それ以上は 何も分からないんだ……」 「僕もちょっと調べてみるよ」と清水が言った。 「ああ、頼むよ……」  怒りと悲しみと落胆で、場が暗い雰囲気に。会話もしばし止まった。  嗣永が、場を明るくするように言った。 「みんなで菅谷くんのお見舞い行こうか」 「おお、エロ本でも差し入れに行ってやろうぜ!w」と、徳永。  夏焼が暗い顔のまま言った。 「鈴木さんがメールで教えてくれたんだけど…、菅谷くん結構落ち込んでるらしい…。ちょっと時間置いた 方がいいかもって……」 「そっか……」 「……」  ドヨ--ン  3日後。ベリーズ高校。  今日も夏焼の周りには、自然と人が集まっている。  その周りのみんなに向けて夏焼が言った。 「そろそろ菅谷くんのお見舞いに行こうと思ってるんだけど、誰か一緒に行く?」 「おお、行く行く!」と言ったのは徳永で、「僕も! 僕も行きたい!」と言ったのは嗣永。  他のメンバーも口々に参加の意を伝えたり、見舞いの品等の相談をしたりしている。  そんな会話が繰り広げられている教室へ、ポリポリという音が近づいてきた。 「うぃーっす」 「菅谷!!」 「菅谷くん!」 「おお菅谷!」 「今、菅谷くんのお見舞いに行こうって話してたんだよ」 「菅谷くん 、もう大丈夫なのかい?」 「もう退院できたのか?」  笑顔で頷いて答える菅谷。 「もう元気元気。菅谷絶好調w 一度退院して経過を診て、今週末もう一度手術するんだって」 「でもすごいギプス…」と嗣永が言った。 「こんなの全然大したことないって。右手でオナニーができないのが辛いだけw」と、菅谷がギプスで 固定されている手を見せるながら言う。その声は不自然なほど明るい。 「通院とリハビリをちゃんと続ければ、元通り動くようになるらしいし。なんかごめんね、みんなに余計 な心配かけちゃって」  それを聞いて熊井が言った。 「でも完治するまで3ヶ月もかかるんだろ? キュー学の文化祭でドラム叩けねえじゃねーか。あんだけ 練習してたのに……」  さらに徳永が続ける。 「襲ってきた奴等を見つけ出して、仕返ししようぜ」  菅谷は即答した。 「そんなのいいって! 鈴木さんは無事だったんだし、俺のケガも、3ヶ月なんてすぐだし。キュー学の 文化祭でドラムはやっぱり無理みたいだけど… だからさ、―――――!―――――。―――――!」 「菅谷くん…君ってやつは……」 「……」 「俺の代わりにドラムやってください! お願いします!」  休み時間。菅谷が頭を下げ、必死に頼み込んでいる。  菅谷はバンドを諦めていなかった。文化祭で自分がドラムを叩くのは無理だという現実を受けとめ、 “ならば別の人に託そう”自然とそう思い至った。  ドラムを叩くのは自分じゃなくてもいい。バンドを終わらせたくない。その思いが菅谷を動かしていた。  だが、キュー学文化祭まで残り3ヶ月。全くの初心者が一から始めるのでは間に合わない。いや、 やる気と才能次第では無理ではないが、現実的には厳しい…。あるいは、“間に合わせるだけ”で あれば、アレンジを簡単にしたり、細かい部分には目をつぶるという選択肢もあるが、それは菅谷たち の本意ではなかった。  かなりのやる気と才能、もしくは既に一定のレベルに達している人物を必要としていた。  放課後も菅谷は、いろんな場所へ出向き、積極的に声をかけた。  だが一向に見つからない。代役探しは難航した。 「そこんとこどうにか…」 「ごめん忙しい」 「どうしてもだめ?」 「無理無理」 「そのライブまででいいんだけど…」 「興味ない」 「――――――――」 「――――――」  ――――  ―――  ――  ― 「はあ……」  菅谷が自分の代役探しを始めてから3日が経過した。心当たりの全てに声をかけたが、依然として 見つからず、完全に行き詰まっていた。  他の楽器に比べて、ドラムをやってる人は少ない。中でも上手い人は多くのバンドからひっぱりだこ で、掴まえるのが難しい。  菅谷たち自身が恐れられていることや、Tφmahawk!という、一般的には無名なバンドのコピーバンド という点も断られる理由になっていた。 「もう…だめなのかな……」菅谷がポツリとつぶやいた。 「もう諦めれば? お前はすげぇ頑張ったと思うよ」と、隣にいた徳永が言った。 「……」  そこへ、離れたところから菅谷を見ていた嗣永が、もじもじしながら声をかけた。 「菅谷くん…、あの…ぼくでよければ…」 「え?」 「ドラム…」  菅谷は戸惑った。あちこち探し回って見つからなかった自分の代役に、自ら申し出てくれる人が現れた。 それもいきなり、ごく身近なところから。しかしその相手は嗣永……。嗣永にドラムができるだろうか…。  徳永が、菅谷と同じように思って言った。 「お前じゃドラムなんかムリだろ。体力ねえし、根性ねえし」 「…実はぼく……」  ドンツッタン ツタツタ ドンタッツタ ドコドコジャーン ♪~~  ベリ高軽音部のドラムを借りて、嗣永が16ビートを叩いている。ものすごく上手いというほどでは ないが、一聴して初心者ではないと分かる、無駄のないしなやかな演奏。  菅谷が「速くて正確……フィーリングもある…」と、つぶやいた。 「嗣永にこんな才能があったとは……」と驚き、感心したのは徳永。  夏焼は、嗣永の実力を測るかのように、演奏にじっと耳を傾けている。  チキチキタツタタン タツタタカタカ チキチキタツタタン タツタタカタカ ♪~~          …ボボン ♪  突如夏焼がベースを弾き出した。嗣永に視線を向け、誘うようにゆったりとしたフレーズを奏でる。 「(速く叩けるだけじゃ意味がないぞ嗣永。スローなグルーブのツボも押さえてなくちゃな)」  ベースの音に気づいた嗣永が夏焼の方を見る。  2人がアイコンタクトを取る。  ボボンボボ♪      ドッパァン♪  嗣永が夏焼の弾くフレーズに合わせていく。次第に心地よいグルーヴが生まれ、ドラムとベースの 音が溶け合っていく――。  ボンパボボッパァン ボツタボボンツタ ♪~~ 「嗣永すげぇ……」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~  夏焼が尋ねた。 「嗣永、お前ドラムどれぐらいやってたんだ?」 「う~ん…ちゃんと練習してたのは1年ぐらいかなぁ…。小学生の時、近所にまことさんっていうドラム やってるお兄さんが住んでて、その人に教えてもらってたんだ。その人が引っ越していなくなってからは、 一人でたまに練習してたぐらい」 「お前んち音楽一家なのか?」 「ううん、全然。弟はサッカーやってるよ」  終始笑顔で答える嗣永。 「ブランクあるし、自信無いんだけど…またドラムやりたいなって……」ニコニコ  早速愛理も交え、スタジオでみんなで練習することになった。 ドン ドン…タンタカタタンタカタ…ツッツッ ツチ-ツチ-…ドッタン ツタツタ ドンタッツタツタ……  嗣永がドラムのセッティングとウォームアップを行っている。  初めて嗣永と練習する愛理は、その様子が気になりチラチラと見ている。  そんな愛理に、後ろから菅谷が話しかけた。 「ほら、鈴木さん、嗣永昔ドラムやってたんだって。既に僕より上手いかもよ ハハハ…」 「……」 カン カララン 「あ…」コロコロ  嗣永がバスドラムの上に置いていたスティックが、床に落ちて転がった。 「あ、俺拾うよ!」  菅谷が拾いに行った。  菅谷が嗣永にひどく気を使うような態度、明るい振る舞い、どこか翳のある笑顔――。それらが、 卑屈な感じで痛々しい。愛理の目にはそう映っていた。 「……」  夏焼が愛理にだけ聞こえるように言った。 「君と、君のおじいさんを思ってやってくれてるんだ。むりやり明るく振る舞って…。彼が一番悔しい はずなのに……」 「菅谷くん……」 「嗣永、なんか手伝うことあったら言ってね」 「うん、ありがとう」  夏焼と愛理は、菅谷の献身的な行動を受けて、菅谷の分も一層頑張ろうと心に誓った。  一方、菅谷自身にはそれほど“献身”という意識はなく、むしろ自分のための行動でもあった。  最初は流れで始めたバンド活動だったが、続けるうちにドラムがどんどん好きになり、さらには バンドを、バンド活動自体を好きになっていた。  そんな彼にとっては、ドラムが叩けなくなった今、ローディーやマネージャーなどのサポート役に 回るのは自然な行動だった。純粋にバンドを応援し、ライブの成功を願っていた。  また、週末に行われた菅谷の再手術は無事に成功し、術後も順調に回復していった。  個室に二人っきりの男と男。荒い息づかいと、流れ落ちる汗……。 「ハァハァ…夏焼くん、もうだめ……」 「まだだ」 「ハァ…もう限界だよぉ…ハァハァ…」 「まだ我慢しろって…」 「ハァハァ…も、もう…、ぼく……あーん……」  ――――――――――――――― 「ちょっと休憩するか」 「うん…ハァ…お手洗い行ってくる…… ハァハァ」  夏焼と嗣永が2人で練習している。と言うよりは、嗣永の個人練習に夏焼がつきあっている。  基本的なことは全て問題なくできた嗣永だが、まずは曲を一から憶える必要があった。また、 ところどころ出てくる難しいリズム・パターンやフィルインは個別に練習しなくてはならなかった。  そしてもう一つ、嗣永には重大な問題があった。 「(バンド練習後の個人練習はやはりキツいか…。嗣永は技術面はどうにかなりそうだが、体力 面がな…。けど頑張ってもらうしかない。ライブでドラムがへばっていてはどうにもならん…)」  バンドのリズムにおいて、ドラムが最も重要なパートであるのは言うまでもない。ライブを“通して 安定して”こなせる体力。それを、嗣永は本番までに物にする必要があった。 「(しかしあの嗣永がここまで頑張るとは……)」 ガチャッ  嗣永が戻ってきた。頭にはタオルが巻かれている。 「よーーーし、あと1時間!! いくよ夏焼くん!!」 「へぇ~。嗣永まだ気合充分だね」 「当然だよ。この気合と才能が同居する男・嗣永!」 「なんだそれw」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~ 「どうした!リズムがモタってきたぞ!!」 「くそっ」 「指先まで神経使え!!」 「うん!」  ♪~♪♪ ♪~♪♪ ♪ ♪♪~♪~♪~~  熊井たちとつるむようになって以来、不良にからまれたりカツアゲされてるところをいつも助けて もらっていた嗣永。  そんな彼にとって、ドラムの練習は楽しかった。夏焼や菅谷の助けになれることが嬉しかった。

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