P51 L06〜P52 L07 横井担当分 全体の見出→デカルトの機械論的自然観の席巻と、ニュートンの違和感 【数学者ニュートンの誕生】 ちょうど、大学がペストのために閉鎖されようとしていた1665年の初夏にニュートンは文学士号を得た。その後、彼はリンカンシャーにある彼の生家で約二年間の隠遁生活を送った。 大学が再開しニュートンがケンブリッジに戻った1667年、彼はトリニティカレッジのフェローに選任され、それから二年後、26歳のとき、Lucasian(ルーカシャン)と称させれる数学の教授職に任命された。 【デカルト的自然哲学の隆盛】 ニュートンがケンブリッジに来たとき、物の性質の違いを基としたアリストテレスの物理学は、デカルト(1596–1650)がその提唱者として最も有名な、機械論的な哲学に取って変わられつつあった。 デカルトは、大気の中で動く目に見えぬ粒子から成る物的世界を説いた。自然界のあらゆることは、デカルト曰く、これらの粒子の機械論的相互作用にによって説明する事ができた。デカルトの機械論的世界観によれば、人体の働きも、木の働きも、また時計の働きも、その複雑さを除いては違いがなかった。 原子論の様々な理論の上で綿密に作り込まれていたので、デカルトの考えは、ヨーロッパにおける新しい物理の考え方に著しい影響を及ぼした。自然界のあらゆることは、これら微小の目に見えない粒子の、動きと相互作用によって説明された。 【ニュートンの懐疑】 ニュートンにとって、広く知れ渡ったその哲学は、証明できない事に依存しており、だから、仮説にすぎない、と思われた。 ニュートンがケンブリッジに来た時代の物理学ないし自然哲学は、デカルトの概念が細分化されて、『微粒子』『原子』『(宇宙物質の)渦巻運動』の概念で一杯になっていた。