(03)888 『蒼の共鳴-守るべきモノ-前編』



日も傾き始めた街。
手慣れた動作で運転手にお金を渡し、少女はタクシーを降りた。

すらりと伸びた手足の長さに加え、その整った顔立ちは何処か日本人離れした空気すら漂わせている。
愁いを帯びた表情を隠そうともせず、少女は大通りの歩道を歩き出した。

道行く人が時折、少女の方を見て驚愕の表情を浮かべる。
時には無遠慮に少女に声をかけようとする者もいたが、少女は完璧な微笑みを浮かべながらその声を封じていく。
その微笑みに捕らわれなかった幼女が、少女に声をかけた。


「きらりちゃんだー!」

「すみません、この子きらりちゃんの大ファンで…」


飛びついてきた幼女を抱き留めながら、少女は幼女の母親であろう女性に爽やかな微笑みを見せた。
爽やかなのに諦念すら感じさせる微笑みで、少女は慣れてますからと努めて優しい声を出す。
是非写真をと言ってきた女性に、事務所に怒られますからと申し訳なさそうに告げる少女。

親子連れと別れた後、少女は先程よりも早足で大通りを抜けていく。
“仕事”を終えてようやくプライベートモードに突入しても、周りの人間はそれを許してくれない。
容姿端麗という言葉が相応しい少女の正体―――人気アイドル『月島きらり』。

今日の仕事は特筆すべきことは何もない、ただの雑誌インタビューだった。
月島きらりとしての自分を作りながら、質問に答えていく『作業』は最早慣れという域を超えつつある。
だが、少女はその手慣れた『作業』に若干疲弊感を覚えつつあった。

普通の女子中学生としての自分、アイドルとしての自分という二つの顔を切り替えながら生活する少女。
誰もが経験できるわけではない特殊な生活は中学への進学時から続いているが、最近はそれに加えてもう一つの顔があった。

一般人には到底理解の出来ぬモノ―――“超能力”。
それを行使し悪の組織と戦うという、現実離れしすぎた事実。
ただでさえ一般人とは違う世界に身を置いている少女の生活に突如組み込まれた、フィクションのような現実だった。

15歳という年齢にしては大人びているという評価を受けるようになるのも、これでは仕方のないことかもしれない。
もっとも、少女はそんな周りの評価など何処吹く風といったものだったが。

大通りを歩く少女の耳を揺らす、微かな音。
その音の正体を探るように、少女はその場に立ち止まり耳を澄ませた。

音は、大通りからほんの少し外れた路地裏から聞こえてくるようだった。
けして治安がいいとは言い切れない街、それに加えて薄暗い路地裏という条件。
足を向けることに躊躇いを覚えたものの、音の正体を知りたいという好奇心の方が勝った。

僅かに高鳴る鼓動。
少女が一歩一歩音のする方へと足を進めるに連れて、その音を奏でるモノの正体がはっきりとしてきた。
少女の視界に映るのは、砂埃で汚れた大きめの段ボール箱、音はその箱の中から聞こえた。


「…捨て猫、か」


低く、何処か吐き捨てるように少女は呟いた。
箱の中で掠れた鳴き声を懸命にあげる、少女の手のひら程の子猫。
動物自体飼ったことのない少女には、その子猫の種類が何なのかまでは特定することが出来ない。

だが、動物を飼ったことがない少女ですら分かることがあった。
このまま、ここに子猫を放置したら―――そう遠くない未来、子猫は死に至る。
衰弱しているのであろう、鳴き声をあげるばかりで動こうとはしない子猫の姿。

少女は溜息をつきながら、段ボールから子猫を拾い上げた。
心の中に湧き上がる、捨てた人間への軽蔑の念。

ボロ布こそ敷き詰めてあるが、子猫が自力で這い上がるのは難しいくらいの深さの段ボール箱。
また、雑音の激しい大通りから殆ど離れていない路地裏という、余程耳のいい人間でないと気付かないような場所への放置。

こみ上げてくる不快感が、少女の目つきを鋭くする。
子猫をその手に抱えながら、少女は路地裏を後にした。

少女が立ち去った後の路地裏。
日差しの届かぬ路地裏に佇むのは、黒いドレスに身を包んだ女性だった。

コンクリートのビルが建ち並ぶ街の中で、その黒いドレスは周りから女性を浮き出させて見せていた。
例えるならば、現実の世界に突如現れた“中世の魔女”のような姿。
女性は少女が歩き去った方を見つめて、ニヤリと微笑み―――その場からかき消える。

路地裏に残された薄汚れた段ボール箱だけが、全てを知っていた。


 * * *


「うわ、めっちゃ可愛い、小春、どこで拾ってきたとー?
てか、この子弱ってる…愛ちゃん、ミルクないー?」

「ちょっと待ってて、今出すから」

「この子、種類何なのかなー?絵里、分かる?」

「分かるわけないじゃん、そんなの」


子猫を抱えた少女が向かった先―――“喫茶リゾナント”。
ここは、喫茶店であり…少女と共に悪の組織と戦う能力者達が集う憩いの場。
リゾナントのドアを開けた途端、いきなりこんな調子である。

騒ぐ仲間達に苦笑いを浮かべながら、月島きらりこと―――“久住小春”は腕の中の子猫を見つめる。
耳が垂れていて、茶色い縞々模様の体。
今でこそ衰弱しているが、元気になった暁にはきっと小春や仲間達を癒す存在となるだろう。
遠くないうちに訪れるであろう騒がしい未来を想像し、小春は少しだけ頭を抱えたくなった。


「その子、スコティッシュフォールドなんちゃいます?耳のたれ具合とか、色とか」

「そうなの?あたし動物とか飼ったことないから、全然種類とか分かんないや。みっつぃーは何でも詳しいね」


小春がみっつぃーと呼んだ少女―――“光井愛佳”は、その言葉に照れくさそうに微笑んだ。
普段、小春は愛佳に対しては憎まれ口にしか聞こえないような言葉ばかり投げかけるせいだろう。
珍しく小春が普通の言葉を返してくれたことに、愛佳は嬉しさを感じずにはいられなかった。

学生でありながら芸能人でもある小春と、普通の学生でしかない愛佳。
育ってきた環境の違いなど小春と愛佳の違いは多々あるが…同学年であり、共に悪の組織“ダークネス”と戦う仲間である。
愛佳としては友達とまではいかなくとも、せめて普通の会話が出来るような関係になりたい想いはあった。
だが、その気持ちを知ってか知らずか、小春の愛佳に対する態度は冷たいものなのだが。


「小春、この子どうすると?家で飼うと?」


小春にとっては先輩である“田中れいな”の言葉に、小春はしばし考え込むことになる。
普通の女子中学生として生活を送っていれば、間違いなく自分で飼うことを選択するのだが。
芸能界に身を置いている上に1人暮らしという環境では、なかなか飼おうという気にはなれそうもなかった。
写真集の撮影などで数日家を空けることも少なくはない、そんな環境で動物を飼うのは動物に対して余りにも酷である。

だからとはいえ、この子猫を再びあの薄暗い路地裏に捨てるという所業が出来るわけがない。
腕の中で微かに震える子猫に、かつて両親に捨てられた自分を投影せずにはいられなかった。
答えに窮する小春を見て、リゾナントの主であり、仲間達をまとめるリーダー“高橋愛”が助け船を出した。


「この子、うちで飼うわ。小春の環境やと、満足に面倒みてあげれんやろし」

「あー、何か忘れそうになるけど、小春って芸能人なんだもんね。
確かに、小春の環境じゃ動物飼うのはきついね」


愛の言葉に続けるように言葉を紡いだのは、愛を補佐するサブリーダー“新垣里沙”である。
里沙の言葉に小春の心は微かに苛立ったものの、特に言い返すことはなかった。
ダークネスへの対抗組織“リゾナンター”の一員として戦うために、仕事量を調整してもらっている小春。

リゾナンターの面々と出会う前よりも、テレビ等のメディアに出演する機会が減っているのは事実だった。
その上、芸能人モードをオフにしている時の小春は、美少女でこそあるものの華がまるでない。
リゾナンターの面々が小春が芸能人であることを忘れそうになるのは無理もない話だった。

小春はお願いしますと言いながら頭を下げ、細い腕で抱えていた子猫を愛に手渡した。
手渡す瞬間、無意識に寂しさを顔に出してしまったことに小春が気付くことはない。


「名前とかどうすると?
小春が拾ってきたんだから、小春が名前を付けるっちゃろ?」

「…名前、ですか…どうしようかな」


リゾナントに連れてくればいいだろうという、適当な感覚で拾ってきた子猫である。
ましてや、自分で責任を持って飼うわけでもないのに名前を付けるというのは何だか変だなとも思わなくもない。

だが、拾ってきた自分に名付けの権利が与えられた以上、何か名前を考える必要がある。
悩んだ挙げ句、小春は一つ息を吐いて答えた。


「ミー、にします。 覚えやすい名前の方が、みんなも呼びやすいでしょうし」

「おぉ、この子はミーという名前になったんですカ。
呼びやすい名前ですネ」

「ミー、バナナ食べるカ?」

「ジュンジュンー、どう考えてもその子、バナナ食べないから。
自分で食べてなさい」

「ミルク、どうやって飲ませたらええんやろ?なぁ、誰か知ってるー?」


ミーが皆に囲まれているのを見て、小春は小さく微笑んだ。
ミーと名付けた子猫は、これで孤独ではなくなったのだ。

独りは寂しい、例え猫であったとしても。
ここにいれば、店を訪れる客や仲間達の誰かがいつでも構ってくれるだろう。
寒さに震えることも、野良犬に噛み殺されることも、飢えながら静かに死んでいくこともない。

小さく微笑みを浮かべながらミーを見つめる小春に、愛佳は穏やかな眼差しを向けた。
皆の前では余り表情を変えることのない小春の笑顔は、愛佳やリゾナンターの面々にとっても貴重なものである。
いつも冷たい表情を浮かべて、口を開けばまるで喧嘩でも売っているかのような言葉が飛び出す小春。

そんな小春が、とても優しい微笑みを浮かべているのだ。
皆、その微笑みに気付いているから、そのことには触れようとはしなかった。
そのことに触れたら最後、小春はいつものように冷たい表情になるに違いない。


「高橋さん、子猫にミルク飲ますんやったら、パンにミルクをひたすとええですよ。
おっぱいの代わりになるし」

「みっつぃー、詳しいじゃん。
昔、飼ってたの?」

「いえ、家で飼ったことがあるわけじゃないんですけどね。
 前に、野良の子が歩けるようになるまでの間、そうやって世話しとったんで」


周りの会話をBGM代わりに、小春は肩にかけていたバッグから手帳を取り出して予定を確認する。
仕事の予定は数日はなかったが、義務教育期間中の小春は明日から中学校に顔を出さなければならなかった。

今更学校に顔を出したところで、授業の内容にはついて行けるわけがない。
だが、仕事のない日は必ず学校に行くことが事務所との契約内容に含まれている以上、授業についていけなくとも行かねばならない。
溜息をつき、小春は手帳をカバンに仕舞いながら愛に声をかける。


「高橋さん、明日からちょっと中学の方に行かなきゃいけないんで、あたしそろそろ失礼しますね。
ミーのこと、よろしくお願いします」

「あいよ、まかしといてやー」


皆のまたねーと言う声に、一つ会釈を返して小春は店の外へ出た。
日はとっくに暮れ、青白い月が青みがかった深い夜空に浮かんでいる。

遅くなったところで、それを怒る親が家に住んでいるわけではない。
だが、今日は何故かあの場に留まることにこそばゆさを感じた。

歩き出した小春を呼び止める、何処かおどおどとした声に振り返ると。
何処か不安そうな眼差しを浮かべて、愛佳が小春を見つめていた。


「どうかした?
用事ないなら、あたし帰るけど」

「あの…明日も、リゾナント来てくれはりますよね?」

「多分ね。
んじゃ、おやすみ、みっつぃー」

「おやすみなさい、久住さん」


再び、大通りの方へと歩き出す小春。
みっつぃーは変わった子だなと、歩きながら小春は想う。

普段、あれだけ素っ気なく接しているのに、愛佳はいつも小春に笑顔で話しかけてくる。
そのキラキラと輝く瞳で見つめられると複雑になってしまうのは、おそらく羨ましいからだった。

芸能界に身を置き、大人達の世界で戦ううちに失ってしまった純粋な眼差しを持つ愛佳。
その純粋さに心惹かれているのに、素直に愛佳に接することの出来ない自分に小春は嫌悪感を感じずにはいられなかった。
素直に接することが出来れば、きっともっと楽になれることは分かっているのだが。

何となく、小春はリゾナントの方向を振り返る。
愛佳はまだ、店の出入り口から小春を見ていた。
視線が合った途端、愛佳はぶんぶんと腕が千切れてしまいそうな勢いで小春へと手を振ってくれた。


「調子狂うな…本当」


けして、愛佳には聞こえない大きさで呟いた。
だが、胸を満たしていくのはけして嫌な気分ではない。
口元に自然と浮かぶ笑みを自覚しながら、小春は愛佳に手を振り返した。


穏やかな日々は続かない―――数日後、悲しみが木霊する。
























最終更新:2012年11月23日 21:06