(04)662 『・・・。(恋しくて苦しいよ、ただ声を聞かせて……)』



迷ってはいけない。何を犠牲にしてもやり抜くと決めたのだから。
振り向いてはいけない。そこに戻る道などないのだから。



そう、強く言い聞かせてみるが、組織に戻ってからというもの
私の思考はあの日のまま、止まっていた。

もっと他にやり方があったのではないか。
もっと最良の選択があったのではないか。

そんな事を考えているなんてダークネスの他構成員に知られたら間違いなく命はない。
敵に情が完全に移った危険因子として処分されるのが落ちだ。



私は弱い。
一人では何もできない。
そして最低なまでに卑怯者だ。
自分が傷つくことを恐れ、大切な仲間を裏切ったのだから。


      • 違う、最初は仲間ではなかった。
ただダークネス様を脅かす存在だった。

だけど私は彼女と共に過ごすうちに知ってしまった。
誰かから頼られる嬉しさ。
誰かと共鳴する嬉しさ。
このダークネス側では到底得ることはなかっただろう心の機微。



未だ鮮やかに思い出せる、彼女の言葉。
最後の日、あの人は夢の中でも私を思ってくれていた。

(あたしはタカハシアイです。おともだちに、なろうよ)

全てを忘れてしまっても、一からまたやりなおそうと彼女は言う。

(信じてええよ。あたしは里沙ちゃん信じてるから)

結果、予定通り裏切ってしまった、信頼。

この先、再会することがあるとすれば、刃を向けられるのだろう。
己が仕組んだ事とはいえ、その時が来ないで欲しいと切に願ってしまう。


あぁ、思い出すことはこんなに容易いのに。



あの時まで使っていた携帯は即解約された。
彼女たちとやり取りしたメールも全て例外なく消去された。

どうやったかは知らないが、リゾナンター達側にある、私が今まで送ったメールも全て消去されているらしい。
情報班の女が言っていたのだから、きっとそうなのだろう。

失ってしまった、繋がり。
この手に残っているのは片割れを失った「A」のお守りだけ。
お互いがお互いを守ると、そう約束した日の事は
胸の奥の、一番大切な記憶をしまっておく場所にある。

例え片方は忘れてしまったとしても、私にとっては間違いなくかけがえのない日々だった。

今になって気付くなんて。
      • 失ってから気付くというのはよく聞くけれど、
この先、確実に失うと解っていた場合にもそれは有効なのだろうか?

――――その名は正しく後悔という。



私は今、ダークネスの本部で『待機』させられている。
正しくは『軟禁』だが、この際どうでもいい。

何をするにも監視の目がある。
7年も生活の中心をリゾナンターと共にした私はマークされて当然だ。

だけど、私もただ7年間、報告だけして過ごしてきたわけではない。
能力の強化、発展。
いつまでも12、3歳の頃と同じだなんてわけはない。

それにしても監視カメラなどではなくて、助かった。
生身の人間である監視当番の意識を乗っ取り、昏睡させる。
うっかり居眠りをしてしまったかのように、そう意識に植えつける。
一時間持たせれば十分だろう。

全ては、今からしようとしている愚かな行動の為に。



寝ても覚めても、私の中には一つの願いがあった。
もちろん、叶えてはいけないとわかっている。

やめろ、そんなことをしても何の解決にもならないじゃないか。
そう叫ぶもう一人の自分の声は聞こえない振りをして夜の帳が降りはじめた街を駆ける。

(見つけた――――)

裏路地にひっそりと佇む
古びた電話ボックスの中に滑り込んだ。

心臓が痛いほど震えている。

ポケットから取り出した小銭が軽い音を立てて機体に吸い込まれていく。
指が震えていて、すんなりとはいかなかったが。




(――――どうしよう)

計画もなく飛び出し、一体何をしているのか。
だいたい、何を言うつもりなの?
向こうは私のことなんて覚えていないのに。
あの日、この手で記憶を消してきたのだから。

思考とは裏腹に腕が持ち上がり一つ、また一つボタンを押して行く。

この指が、この抑えきれない感情が覚えている。
あの場所へと繋ぐ、番号を。

最後のボタンを押し終わり、受話器を耳にくっつけて。


(まだ間に合う、切りなさい!)
(・・・嫌だ、切りたくない)
(一時の自己満足の為に大事な人を巻き込むつもり!?)

葛藤が渦巻き、自然と額に皺が寄る。
そうだ、これは自己満足でしかない。何の生産性も持たない、
ただ、生涯における私の罰が一つ、増えるだけだ。



そうこうしている内、呼び出し音が途切れてしまう。
瞬間、全身に緊張が走る。
早鐘のように鳴り響く心臓。
だが、全ての神経は耳にあるかのように、それ以外は何も聞こえない。



「はい、喫茶リゾナンドですー」




(愛ちゃんっ・・・)

その声を認識した途端、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
それは、一筋の涙となって私の頬を伝う。
次々と溢れてくるそれを拭うこともせず、ただ立ち尽くす。

あぁ、この声。
私が7年間も、騙し続けてしまった人の。
私にとって7年間の間、一番大事だった人の。

「もしもしー?聞こえてますかー?」

ごめんね・・・
ごめんね・・・
何度も何度も、心の中で叫んだ。
届くことのない叫び。決して届けてはいけない叫び。

一度溢れてしまった涙は止まらない。
脳裏に浮かび上がる思い出の数だけ零れるそれ。
これは叶えてはいけない愚かな願いなのに、どうして逆らうことはできないのか。
      • 私が弱いからだ。



「もしもーしっ」

耳元で響く、愛ちゃんの声。
こんなに近いのに、こんなに遠い。


(愛ちゃん・・・大好きだよ・・・ずっと、ずっと・・・)


耐え切れず、受話器を下ろす。
そうしなければ、必死に食いしばっていた嗚咽が彼女に届いてしまいそうだったから。
足の力が抜け、その場にへたり込む。
コンクリートに幾つもの跡が、降り始めた雨のように模様を描いていくのをただ見るしかできない。



「うぅっ・・・・くぅっ・・・・」

なんという女々しさだろう。
こんな私には涙を流す資格すらないというのに。



愛ちゃん、愛ちゃん。
どうか気付かないで。
こうして無言電話を装って、
ただ一瞬でもあなたの声を聞きたかった罪人が存在していた事など。





<同時刻:喫茶リゾナンド>

「・・・切れた」
「なん?誰やったん?」
「うーん・・・無言電話・・・かな?」
「・・・なんで疑問形?」

理由はわからない。
いや、あえて理由を見出すとすれば。
普通、悪戯電話ならば相手が出た途端に切ってしまうもの。
それが、こちらの出方を伺っているかのようにたっぷり時間をおき、そして切れた電話。

「うーーん」

まだ首を捻る愛。腑に落ちない、といった表情で受話器を握りしめる。

「愛ちゃん、そんなのさっさと忘れー。只の暇人やって」
「・・・だよね」

そっと受話器を戻す。
何故か、もう一度かかってきて欲しい、と、そう思ったのは口にしない。
一瞬、良く知っている『誰か』と『共鳴』したような気がしたから。
ただ、その感覚はあまりにも漠然としすぎて、しっぽを掴む前に
するするとこの手から零れ落ちていたのだが。





















最終更新:2012年11月23日 23:02