(04)391 『Overtaken(前編)』



その日。
れいなは一人で、パンチやキックの練習をしていた。

パーカーを着込んで、フードをかぶって、
真っ暗な公園でずっと同じことを黙々と繰り返して。

まるで、ボクサーのように。
何かに追い詰められているかのように。

あたしは、声をかけずにただ黙って見ていた。
もう、1時間は経っているだろうか。
でもれいなの動きやキレは、まったく落ちていなかった。
それだけのスタミナと敏捷性が、れいなの最大の武器だった。


『れーなは、誰よりも強くなりたい』



人を傷つけることしか知らなかった幼い頃も、
大切なモノを守るということを知った今も、
れいなは、同じセリフを口にしていた。

その心境の変化を、あたしはずっと見てきている。
自分以外の何も信じることが出来ず、手当たり次第に拳をふるって生き抜き、
やさしさや思いやりや愛情など、そんな感情はまったく知らずに育ってきた。

誰にも負けないという信念だけを持って。

あの尖った目つきと、身体中から出された殺気。
初めてあたしと会った時、警戒をまったく解かずに睨み付けてきた。
青白く変色した瞳に、全ての感情を込めて。

だけどその心の中に、あたしは違うモノを見つけていた。

自分よりも強いヤツがいるかもしれないという、怯え。


あたしに完全に組み伏せられた時、れいなの目には初めて恐怖の色が浮かんだ。
れいなが体験したことのない「負け」という事実。組み伏せるのは、いつもならば自分だから。
殺るか殺られるかの中で生きてきて、初めて『死』を意識したのだろう。

それでもれいなは逃げようともせず、あたしに向かって叫んだ。
『殺すなら殺せよ!』

あの時のれいなの目は、忘れられない。
最後まで後ろ向きな姿勢を見せず、相手に弱みを見せようとしなかった。

あたしが手を振りかざすときつく目を閉じ、顔を背け、身体を硬直させた。
最後の一撃が来ると思ったのだろう。

そっと顔を撫でて身体を抱きしめてあげた。
れいなは、突然のことに目を丸くしながら、涙をこぼした。
きっと、初めて触れた「やさしさ」であり「愛情」だったのだろう。




『人を傷つけることだけが、力の使い方じゃない』

『人を守ることができるのが、本当に強い力の使い方』

『あなたはまだ、持っている本当の力を知らない』

『だから』

『その力を、あたしに預けてみない?』




あの日、れいなは生まれ変わった。
人に身をゆだねることを覚えて、人から与えられる愛を知って、人に与える愛を知った。
守りたいモノを見つけ、守るモノのために強くなり、ムダな争いは避けるようになった。

『れーなは、みんなを守るために、誰よりも強くなるけん』

いつしかそれがれいなの口癖になり、れいなの信念となり、
他のメンバーには黙ってこっそりと修行しているのは、
同じ家に住むことになったあたしだけが知っていることだった。

れいなはリゾナンターとしては、一人では「能力」を発揮できない。
メンバーの能力を増幅するその「能力」は、誰か対象がそばにいてこそ発揮される。
れいな自身の力は、自身の能力では増幅することはできない。

『…やけん、れーなは、強くなるっちゃ』

拳には、能力は関係ないのだから。



あたしはずっと腰掛けていたフェンスから飛び降り、静かにれいなに近づいた。
一人、シャドーボクシングのようにパンチやキックを繰り出す、その後ろへ。

「愛ちゃん、ずーっとれーなのことなんか見とって飽きんと?」

れいなはこちらを見ない。
むしろ、さっきまでまったくこちらを気にするそぶりも見せなかったのに、
れいなは、あたしがいたことにずっと気づいていた。

…もちろん、れいながそれに気づいているだろうということは、あたしも百も承知だ。
こういう勘と状況判断はメンバーの中でもかなり秀でている。
今まで、その判断と正確さに何度助けられたことだろうか。

「飽きるわけないやん」

あたしは歩みを止めた。
れいなは、動きを止めない。

「だいたい、練習見られるのってめっちゃ恥ずかしいけん」

れいなはそう言って、やっと動きを止めた。

「みんなは知らんのに、愛ちゃんだけが知っとーと。
 …まぁ、しょうがないけん、一緒に住んどるし」

れいなは陰で努力をしたい子だから。
確かに自分が同じ立場だったら、誰かに見られるなんてことは避けたい。

「悪かったと思ってるけどさ、ずーっと見てたのは。
 でも今日はただ見てるだけじゃなくて」

あたしは、密かにずっと、心待ちにしていたことがある。

「れいなと、戦ってみようかなって」


「ちょっ! なん言っとーと!」

れいなは案の定驚いていた。

「愛ちゃんと戦うために強くなってるんやなかとよ!?」

その言葉に、なぜだか嬉しくなった。

「昔のれーなだったらそんなこと言わんかったやろね」
「愛ちゃん?」

これだけの日が経っていれば当たり前なのかもしれないけれど。
れいなは今、心からそう思ってくれているはずだ。
あたしが導いた正しい『力』の使い方、誰かを守る力。
ただ、自分の力を試すためではなく、大切なモノのために、誰にも負けないような。

「だけど、今はあたしと戦ってほしい」

れいなを、試したい。


「愛ちゃん…何言っとーと…?」

納得がいかないのだろう、地面の小石を蹴り飛ばすれいな。
じゃあもし、これがあたしではなくて、かつての仲間――今はダークネスの――だとしたら?
その姿が、一瞬の命取りになるのだとしたら。

「そっちが来ないなら、こっちから行くよ」

あたしがすかさず間合いを詰めると、れいなはとっさに身を翻して距離を取った。

「…本気で?」
「あーしは、嘘は言わんよ」

れいなはそこで、表情をようやく変えた。

「そんなら、れーなも本気で行かせてもらうっちゃ!!!!!」

れいなは地面を蹴り、あたしに向かって飛びかかってきた。



 『明日、れいなと戦ってみようと思うんよ』
 『は?』

 昨日のうちに、あたしはみっつぃにあるお願いをしていた。
 もちろん、突然の話にみっつぃはポカンとする。

 『…高橋さん、本気で言うてはります?』
 『なんで? 嘘でもつくと思うんか』
 『いや…田中さんと戦う理由が愛佳にはわからんので。
  どしたんですか? なんかケンカでもしはったんですか?』
 『明日、あたしとれーなが戦って、どうなってるか視てほしいんやけど』
 『ちょ、ちょ、そんなん勝手すぎませんか!
  愛佳の質問にも答えんでこっちは何が何やらわからんのに、
  そんなでたらめな感じで予知もなにもあらへん』

 みっつぃは両手をブンブンと振って拒否する。
 無理もない、無茶なお願いをしているのはわかってるから。

 『じゃあ、理由教えたら考えてくれるかの?』
 『ば、場合によりますけど…』
 『れーなは、ちょっと優しい子になりすぎちゃったんやよ』
 『え? いいことやないんですか?』
 『…相手が急に攻めてきた時に、ほんの少しだけ油断しとる。
  それが命取りにならんといいなって、最近思うんやけど…』
 『…愛ちゃん』
 『わぁお! ガキさん、まだ残っとったんか』
 『残っとったんかじゃないよ、何をまたバカなことを考えて…』
 『バカなことやないよ、あーしは本気やよ』
 『そんな、お互いに危険なことしなくたって…
  だいたい、愛ちゃんの不在でここはどうするわけ?』
 『そこは、ガキさんが守ってくれとったらええやん。な? みっつぃ』
 『え? あ、はい…』
 『ちょっとみっつぃ!? …何であたしなのよ…もう………。
  わかったよ、けど絶対に無理してきちゃダメだよ!』
 『大丈夫やって。あーしリゾナントのリーダーやで?』
 『それこそ油断じゃないの…?』



 昔のれいなは、相手の奇襲を真っ先に嗅ぎ付けていた。
 最近はその役割はどちらかといえばあたしが多く、それでもちろん不足はないのだけど、
 何か、物足りないような気がしていた。

 確かに、いざ戦いになればれいなの力は本当に頼りになる。
 メンバーの中で己の肉体をぶつけて戦うのは、れいな一人だけ。
 ダークネスに能力を封じられた時、その拳であたし達を助けてくれた。

 何もあたしと出会う前のように、全てに対して警戒していろというわけではない。
 戦闘の出足が遅いことだけが気がかりなのだ。
 その一瞬を、相手への先制攻撃に使うことができれば。
 その一瞬で、相手への撹乱攻撃を仕掛けることができれば。

 だから、あたしは確かめたかった。

 れいなの勝負勘は、錆び付いていないのかと。
 なぜ、最前線に飛び出さないのかと。



れいなの思考を読み、次々に打たれる攻撃をかわしていく。
右パンチ、左ハイキック、そこから回し蹴り、間髪入れずに正面に突き―――

あたしはまず、相手の隙を見つけるためにその表情を窺う。
れいなはこれだけの攻撃を全てかわされているにもかかわらず、焦りの色一つも見せなかった。


 『視えました、高橋さん』

 みっつぃはしばし目を閉じて何かを念じたあと、静かに言った。

 『公園、行こうとしてはりますね。しかも、真夜中』

 『田中さんは、ずっと一人でおる』

 『高橋さん、しばらく黙ってますね』

 『…戦い、始まりました。結果は―――』



「もっと動けるんやろ!? もっとかかってこい!」
「れーなを甘くみるんやなかと!!!」

多種多様に繰り出す攻撃をまったく当てることができないのに、しかし余裕のあるれいな。
あたしが攻撃を避けていくことは、当然想定しているだろう。
あとは、いつ、れいなの攻撃の隙を見つけてその腕を捕まえてやろうか、
それとも背後を取ってやろうか―――あたしは、次の次を想定し始めていた。

あたしはその時点で、たぶんれいなの術中にハマっていた。
れいなの動きが読み切れると、過信していた。

だから目の前かられいなが消えた時、あたしは次の行動が一切読めなくなった。
れいなの思考を読むことが急にできなくなったのだ。
つまり、れいなはその瞬間、頭の中を空っぽにしたことになる。

「なっ…!」

あたしが体勢を立て直そうとした時には、すでにれいなは無防備な背後に回っていた。

「がっ!!!」

首筋に強烈な打撃をもらってしまい、身体が傾く。
先に隙を見せてしまったのはあたしの方だった。
今度は正面に回り込んで、みぞおちに一撃。息が止まり、身体がくの字に曲がる。

受け身も取れずに倒れ込んだあたしに馬乗りになり、
れいなは顔を覗き込むように身体を前に傾けた。

「…やるや、ないの…」
「れーなをなめるなって言ったやろ」

身体のど真ん中への一撃がそうとう効いた。
上手く息ができず、鈍い痛みがずっと残っている。

「愛ちゃん、逃げんと?」
「逃げん、よ」

瞬間移動が使えないわけではないけど、使う気にもなれなかった。


 『―――高橋さん、負けますね』

みっつぃが見た未来は、その通りにやってきた。
なんで負けるかとかそんなことは教えてくれなかったけど、
あたしは完全にれいなの前に屈していた。

「れーなの、勝ちやな」

あたしは呟く。
見上げるれいなの身体越しに見えた三日月がキレイだと、なぜかその時思った。

「…けど、まだ終わっとらん」
「…れーな?」

れいなの瞳は、青白かった。
そう、昔、あたしと初めて出会ったときのような―――

「本気出すって、言ったけん」
「れーなっ……!?」

―――これは、れいなが昔のように見境なく戦っていたときの瞳。
れいなは手を振りかざした。
あたしは、反射的に目を閉じた―――























最終更新:2012年11月23日 22:29